>SYSOP

   〜 三日後。2015年9月23日午前11時、ネルフ発令所 〜

その日、発令所のMAGIの据えられたフロアは、ネルフ最大の激戦区に。
ある意味、使徒戦時以上に騒然となっていた。
その三基の本体が床からせり上がり、阿貨野カエデ、大井サツキ、最上アオイといった主任オペレーター達を中心に、何人ものスタッフが中枢部へ。
各々の担当のスーパーコンピューターに取り付き、それぞれの作業に没頭している。
現場は、それが既に長時間に渡っての作業である事を示唆する様に、所構わず幾つものファイルやメモが散ばっており、
そこに携帯端末やコード類が加わって足の踏み場も無い状態に。

そんな混沌とした様相を呈している中枢部から、僅かな隙間を縫う様に何本ものケーブルが伊吹マヤの座るコンソールに繋がっている。

「次、カスパー。サツキさん、Bバスを経由してパターン1から順番に送って下さい」

『了解』

発令所からのマヤの指示に、現場のサツキからの返答が。
と、同時に送信されてきたデータが次々とディスプレイに映し出される。

   カチャ、カチャ、カチャ………

それを素早く次々と処理していく、マヤ。
眼前を流れる文字群を凝視しながらの、凄まじい速度のキータッチ。
それでいてミスなど殆ど無いというのだから、驚愕するより他ないだろう。
常ならぬ集中状態からか、生来の童顔も相俟って、普段はあどけなさすら感じられるその顔が、まるで能面の様に感情の起伏が感じられない。
あたかも、本気でオモイカネとリンクしている時の某電子の妖精を彷彿させるものとなっている。

類稀なる集中力と、他者の追従を許さぬ速度のキータッチ。
これこそが、御世辞にも戦闘向きとは言えない性格の彼女が、他の候補者達を抑えてオペレーターの最要職とも言える発令所スタッフの一人に選ばれた最大の理由である。

「………流石マヤ。速いわね」

「それはもう、先輩の直伝ですから」

書類をチェックする手を休めて顔を上げたリツコが、その指先の妙技を眺めなら思わずそう呟くと、
褒められたマヤが、声に嬉しさを滲ませながらも、各種データ処理の手を止める事無く応える。
だが、その仕事振りは明らかに惰性なものへ。具体的に言えば、スピードが大幅に失速する事に。

「あ……そこ、A−8の方が早いわよ。ちょっと貸して」

それを察して、リツコはマヤの肩越しに手を伸ばした。

「うわ〜っ。凄い、さっすが先輩です」

片手だというのに、先程のマヤに匹敵する。現在のそれなど比較対照にすらならない速度での入力。
良く知っている事ではあるが、自分には及びもつかないリツコの技に改めて感嘆するマヤ。
そして、少しでもそれに追いつこうとしてか、目の前の業務に集中。再び、元の超スピードモードに。

「(ハア〜)やれやれ」

そんな愛弟子の後ろ姿を眺めなら、リツコは思わず溜息を。
そう。専門分野における知識の上では、まだまだ一枚も二枚も上をゆく彼女だったが、コレはチョッと意味合いが違う。
所詮は人の身。どこかの木星人と違って地球人には反応速度に限界がある。
実際問題、キータッチの速度に関して言えば、自分とマヤの差など有って無きが如し。
その日の調子によっては覆る程度の違いでしかない。
それを、どういう訳かこの娘は、少なくとも私の方が3倍は早いという認識でいるらしい。
多分、学生時代に尻を叩く意味も込めて、折に触れて今の様の事をやっていた所為。
一種の心理的な刷り込みなのだろうが………

正直、今も変わらぬ自分への尊敬の念は結構嬉しい。
直属の上司としても、それを基盤とする彼女の向上心は買っているのだが、ソレはソレ、コレはコレ。
もう分別の付く年齢と言うか、現在の要職に就いて既に1年以上が経っている事だし、
いい加減、こういう盲目的な偶像視は、どうにかして欲しいと切実に願うリツコだった。

と、そんなこんなで、連日の徹夜を物ともせず彼女が奮闘している中、

「リツコ〜、MAGIの診察は終わった?」

色んな意味で修羅場っている空気を無視した呑気な声を上げつつ、もう一人の問題児がやって来た。

「丁度、仕上げの部分に入った所よ」

「おおっ。さっすがリツコ」

どこか棘のある親友の言葉もドコ吹く風。
傍らにあった小さなコーヒーメーカーの容器に断わりも無く手を伸ばすと、ミサトはその中身を紙コップに注いだ。
それを視界の隅で認めると、リツコは彼女が口を付けるのを待ってから、

「冷めてるわよ、それ」

「うげぇ」

口に入れたものを吐き出す訳にもいかず、半ばアイスと化していた極めつけのブラックコーヒーの強烈な苦味に顔を顰める。
そんなミサトの姿に笑みを零しつつ、作業を終えたリツコは改めて彼女に意識を向けた。

「それで、この追い込みの時間帯に何の用なの?」

「(コホ、コホ)ンな邪険にしなくても。別にイイじゃない、私が見に来たって。減る様なモンじゃないんだし」

減るのよ! もうゴリゴリと! 特に、貴重な時間とか、時間とか、時間とかが!
コーヒに咽て咳き込みながらのミサトの勝手なセリフに、表向きは勤めて平静に。
表情だけは何時ものクールビューティさを保ちつつ、胸中でそう絶叫するリツコ。
そんな彼女のささくれ立った神経を宥める様なタイミングで、

『メルキオール、チェック終了』

『カスパー、チェック終了』

『バルタザール、チェック終了』

「了解。MAGIシステム、自己診断モードに」

直属の部下達より、作業が最終段階に入った事を告げる報告が。

「(フ〜ッ)ほぼ予定通りか。
 はい、もう大丈夫。約束通り、今日の午後テストには間に合わせたわよ」

チラッと時計を確認した後、親友の来訪の目的に当たりを付け、そう宣うリツコ。
そして、それは的を得ていたらしく、

「サンキュー、リツコ。いや〜、実を言うと、この件じゃ北斗君からせっつかれてて、正直、チョっち困ってたのよね〜」

「北斗君が? 何故? 彼は筋さえ通せば細かい事には拘らないと言うか。
 自分の専門分野以外の事には口を挟まないタイプなのに………って、まさか、貴女また何かヤッたの?」

「いや、私じゃないわよ。  ヤッたのは、カエデちゃん………とゆ〜か、整備班の………アレ? ナンて言ったけ、あジ○ー=イシ○ル並に印象薄いヤツ?
 兎に角、シンちゃんがボロ負けしちゃったもんだから、北斗君てば、もうリベンジに燃え捲くっちゃってるのよ」

「あの子が? どうして? 今じゃ貴女よりも強いんでしょ、彼女?」

「って、ナニ言っちゃてるのよ、リツコ。
 そりゃ〜将来的にはそうなる可能性が高いのは認めるけど、そう簡単にネルフ最強の座は譲れないわよ。
 うん。たとえばそう、スピードがモノを言うボクシング系のヤツじゃ勝算が薄いって言うか、アッサリ判定負けしちゃいそうだけど、
 種目が柔道とか剣道とかだったら、まだまだ負けやしないわ」

自慢にならないわよ、そんなの。
と、思わず胸中で突っ込むリツコ。
そう。俗に『柔よく剛を制す』と言わている柔道だが、それは達人を評しての。
空手で言えば『一撃必殺』に相当する概念でしかない。
極論するならば、近代柔道が前述の理念を真っ向から否定するルールである体重別階級制を導入している事が、その証左である。
まして、シンジ君のファイトスタイルは、相手を翻弄するフットワークこそが生命線なのだ。
互いの胴着を掴む事を前提にしている柔道のルールは、皮肉にも他の格闘技以上に体格差がモノを言う形となるだろう。
剣道に至っては、もう論外。
竹刀を握った事も無いド素人を相手に、コイツはナニをするつもりなんだか。

(えっ? チョッと待って)

此処でフト思い当たる。
所詮、こんなのは素人考え。
相手は北斗君。イザ本当に戦う事になったら、この程度の不利等ひっくり返す秘策があるかもしれない。

「………確かに、その条件なら間違いなく貴女が勝つでしょうね。
 でも、絶対にやらないでね。後でおもいっきり面倒な事になるから」

「もう、判っているわよソレくらい。リツコってば、心配性なんだから〜
 ってゆ〜か、チョッと一回負けたくらいで、ンな大人気ない真似するワケないじゃない」

おどけた様にそう言いつつケラケラと笑うミサトに、その後も何度か駄目押しの念押しを。
そう。リツコ的には、コレは笑い事では無い。充分に起り得る可能性を持った、最悪のシナリオだった。

前回のソレは良い。罪悪感もあってか、親友の内面ではもう無かった事になっているのだから。
だが、純粋な腕試しとなったら話は全く違ってくる。
万一、この勝って当然なルールで負けたら最後、ミサトは絶対に意地になる。
格闘技では勝てないとなったら、次はもう『射撃で勝負よ』とか言い出しかねない。
否、それ所か『次は匍匐前進で勝負よ』とか『次は手榴弾の遠投よ』とか、兎に角、何らかの形で勝つまで止まらないだろう。
そんな彼女に、北斗君がドコまでキレずに付き合ってくれるか?………嗚呼、考えたくも無い!

と、ミサトにとってはお気楽な茶飲み話だが、リツコにとってはスリリングな。
平たく言えば、何時もの会話が交わされている間にも、モニター内では入力されたデータが高速でスクロールしてゆく。
そして、片方が昼食を取る為に席を辞した直ぐ後にその表示が切り替わり、自己診断の終了を告げる電子音が。
それを合図に、各々のMAGIの主任達が最終確認を。

「第127次定期検診、終了。異常無しです」

「了解。お疲れさま、後はテスト開始まで休んでいて頂戴」

マヤの報告を受け、リツコが定期検診の終了を宣言。
その声をスピーカ越しに耳にした作業員達が、揃って息を吐き出し身体の力を抜く。
ピリピリとしていた現場の空気が緩み、一仕事終えた後の充実した雰囲気に満たされた。
そのまま、三々五々、休息を取るべく散っていく。
発令所スッタフ達もまた、同僚達に誘われ食堂へ。

「異常無し………か。母さんは今日も元気なのに、私はただ年を取るだけね」

それ故、リツコがふと洩らしたこの呟きを耳にした者は居なかった。



   〜 3時間後、ネルフ本部、第一管制室  〜

『ええぇぇ〜っ! また脱ぐのぉ〜っ!?』

壁の白さが目に染みる様な清潔かつ殺風景な部屋に立つミサトの口から、呆れ混じりな不満の声が吐き出される。
そんな彼女を宥めすかすべく、リツコは保母さんの如く柔らかい口調で、

「そこから先は超クリーンルームなの。
 完全消毒が絶対条件。シャワーを浴びて下着を履き替えるだけじゃ済まないのよ」

『だからって、ど〜してこんなに徹底的に。もう偏執的って感じなまでに洗浄するの?
 これじゃて玉の御肌にダメージが来るってゆ〜か、そもそもナンでこんな事しなくちゃなんないのよ〜!」

「貴女向けに噛み砕いて言えば、これはインターフェイスヘッドセットやプラグスーツ無しでの。
 パイロットの肉体から、直接ハーモニクスを行うのが趣旨の環境試験なの。
 従って、一切の外的要因を排除した状態。つまり、完全な裸体で乗って貰わないと正確なデータが取り辛いのよ」

『だ〜か〜ら、ナンだってそんなメンドイ事を………』

「時間は只流れていく訳じゃないわ。
 EVAのテクノロジーは日々進歩しているの。新しいデータは常に必要なのよ」

と、そんな本来ならば。技術主任と作戦部長との間においては、書類上にて何度も意見交換を。
しかも、既に合意に至っている筈の事を噛んで含める様にレクチャーする。

ちなみに、建前上、リツコは前述の様な事を述べているが、実の所、今回の実験は必ずしも必要なものではない。
ネルフのトップスリー。否、現在ではリツコと冬月以外の余人が知る事ではないが、これはダミーシステムの為の実験なのである。
従って、ゲンドウが失踪した今となっては、リツコにとっては大して意味のある事ではない。

オートパイロットの開発という表向きの理由も同様だ。
今回の計画書を読み終えると同時に『呆れた。アタシ達でもキツイ戦いだってのに、こんなモンが何の役に立つってのよ。ンな予算が有ったら他に回しなさいよ』
と、呆れ顔で宣まってくれたアスカの主張通りだと。
『ひょっとしたら、何か役に立つデータが採れるかもしれない』程度の意味しかないモノだと、リツコ自身も思っている。
そう。コレは暴走したエヴァが使徒よりも強い事を前提とした。
今となっては、机上の空論も良い所な計画なのだ。

ならば何故、今回の実験が行なわれているかと言うと、司令官代理である冬月が、某提督が悪魔の契約書と評したそれにサインしてでも『本当の理由』に。
ダミーシステム用のデータの収集に拘ったからである。
また、この実験は、かなり以前からスケジュールが組まれていた為、各支部への体外的な体面を保つ上でも、今更止める訳にはいかなかったのだ。
この辺、『百害あって一利無し』だと判っていても、某官舎の建造や某道路の建設といった公共事業が無理矢理続行されるのと同じ理屈である。

『ほら、お望み通りの姿になったわよ。十七回も垢を落とされてね』

そんなこんなで15分後。クリーンルームへのゲートが開くと同時に、さもウンザリだと言わんばかりの口調で、何一つ身に付けていないミサトがそう宣う。
丁度、胴の部分にパネルがあり、肝心の部分は見えないようになっているとは言え、流石に真っ裸というのは気恥ずかしいらしく、チョッと赤面していたりする。
その直ぐ後に、お仕事モードの。彼女とは対照的に、能面の如き無表情なレイが姿を現す。

「では二人共、その部屋を抜けてプラグに入って頂戴」

『へ〜い』『了解』

これまた対照的な返答をしつつパネルを開け、直には映さないという約束のプラグまでの通路を歩き出すミサトとレイ。

『にしても〜、こ〜んな恰好のネタが振られてるってのに、何でシンちゃんは別枠なのよ。つまんな〜い』

『どうして、そういう事言うの?』

『あれ〜、レイは不服じゃないって言うか、この場にシンちゃんが居たら面白いな〜とか思わないワケ?』

『時期尚早と判断。過剰な一次的接触は、かえって好感度を下げる結果となるわ』

『(チッチッチッ)判ってないわね〜。そ〜ゆ〜目先のコトに拘って八方美人な良い子ちゃんをやってると、何時の間にか全然意図しない所でフラグが立っちゃうわよ。
 んでもって、後半に入る頃にはあまりの多重関係にもう身動きが取れなくなってて。
 気付いたら、伝説の木の下で良く知りもしない。義理で何回かデートしただけの相手が待ってたりする事になるんだから』

『……………(コホン)葛城三佐、その御話はまた後程。任務終了時にお願いします』

嗚呼、レイが…レイが汚れてゆく〜
何となく、真っ白な処女雪をたたえた大雪原に無粋な足跡が付いてく所を見るかの様な背徳感が。
だが、だからと言って表立ってそれを咎める事も出来ず、

「後がつかえてるんだからとっとと行きなさい!!」

思わず必要以上の大声で一喝を。

「次、シンジ君を通して」

「は…はい」

ミサトとレイが走って出口に消えたのを確認した後、リツコは次の指示を出し、
その明らかに不機嫌な雰囲気に萎縮しつつも、アオイはどうにか返答を。

ちなみに、今回の実験では、チルドレン達は皆、裸体での参加する事が大前提となる為、プライバシー対策として発令所スタッフは女性で統一。
日向マコトの代わりに、眼鏡繋がりで彼女が。青葉シゲルの代わりに、ロンゲ繋がりで大井サツキがオペレーターを勤めていたりする。

「やれやれ。どうやら彼女、いまだに元の自分に未練があるみたいね」

そのサツキが、目の前の大画面モニターでは無く、手元のディスプレイに目をやりつつ、そう呟いた。
そんな同僚の言に『それは無い方がおかしいでしょ』と気の無い相槌を打った後、

「って、ナニを見てるのよサツキ。契約違反よ」

なんとはなしにその視線の先に映るモノを見て驚愕する、アオイ。
そう。サツキの前にあるPCの画面には、サーモグラフィー処理をされたものではなく、監視カメラの映像がダイレクトに。
目線を不自然なまでに上げて歩く。平たく言えば、自分の裸身を極力見ない様にしているっぽい仕種のシンジの姿がそのまま映っていたのだ。

「別に良いじゃない、減るものじゃないし。
 それに、この子の裸体は常々見たいと思っていたんでね。このチャンスは逃せないわよ」

「貴女、そういう趣味だったの?」

トレードマークの眼鏡を不透過処理しつつ、ドン引きするアオイ。
そんな彼女に、サツキはパタパタと手を振りつつ、

「ソッチじゃなくて、絵のモデルとして欲しいのよ。
 いや、実を言うと結構前から。元々中性的って言うか、私好みのきめ細かい肌の子だったんで、スケッチ取らして貰うチャンスを狙ってたのよね〜
 でも、多感な思春期の子を相手に、『チョッと捏造して少女として描いてもイイ?』とは流石に言えなかったんでね。ほら、その何気ない一言がトラウマにでもなったら困るし」

「け…賢明な判断ですね」

アオイと同じく、異常を察して彼女の前のディスプレイを見たマヤがそう呟く。
ある意味、背徳感タップリなサツキの言を耳にしながらも、その口からお得意のセリフである『不潔』が洩れる事は無く、何故か、その視線は全く動いていない。

「うん。でも、『待てば海路の日よりあり』って言うか、見てよあのあの少女期特有の丸みを帯びた。
 それでいて、贅肉なんて1gも付いていない、あの理想的な身体を。
 正直、私の想像以上のモノ。これはもう、是非とも後世に残すべき芸術品だとは思わない?」

普段は物静かと言うか、クールビューティなサツキの思わぬ熱弁に何となく納得したと言うか。消極的ながらも肯定的な空気が発令所を包む。
だが、それを頭から無視して、

「ンなワケないでしょ」

と、ヤボ用(冬月の執務室で行なわれた、マーベリック社との裏取引の立会い)で少々遅れてやって来たアスカが鋭い突込みを。
そのまま、場の責任者の前に立つと、お得意の胸を張るポーズ(人差し指を突きつけるバージョンは、ミリアのそれとない教育的指導によって矯正済み)を取りつつ、

「まったく。こ〜ゆ〜のしか居ないワケ、アンタの部下には。
 ってゆ〜か、リツコってば何で止め無いのよ。
 こんなコトばっかりヤってるからネルフは北斗先生達に信用されないんだって事が、判らない様な貴女じゃないでしょ?」

「そ…そうね。確かに、私の監督不行き届きだったわ。ごめんなさい」

と、内心の動揺を隠しつつ素直に謝罪する、リツコ。
尚、先程のサツキの言に思わず同調し、監視カメラのデータを自身の個人ライブラリーに現在進行で送信中なのは、彼女だけの秘密である。

「各パイロットエントリー準備完了しました」

そんなこんなで10分後。発令所の喧騒に気付く事無く、三人のチルドレン(?)達がエントリープラグに身を沈め準備完了。
模擬体に挿入されたパイロットの映像は、アスカの教育的指導もあって、当初の約定通りサーモグラフィによる映像のみが。
それとは別経路で、管制室のモニターにはプラグ内の細大漏らさぬ夥しいデータが送られてきている。
また、管制室の窓の外はLCLで満たされており、その中には幾つものパイプとコードで繋がれたEVAの素体。生体部品が剥き出しな模擬体が佇んでいる。

「テストスタート」

リツコの合図と共に、一段と緊張に包まれる室内。
それまでブツブツ文句を言っていたサツキも、お仕事モードに。
管制室の空気が、一気にシリアスな。本来あるべきものへと瞬時に変化する。

「オートパイロット記録開始」

マニュアルに従い、テストデータの記録が開始され、それと同時に、模擬体の首筋にアームが伸ばされプラグが近付いていく。

「シミュレーションプラグを挿入」

「システムを模擬体と接続します」

「シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入りました」

オペレーター達からの報告を受け、リツコが最終確認を。
何事も起こらなかった事に内心ホッとする。
目の前のモニターでは、人の目では追い切れない速さで各種データがスクロール中。
実験場の。水中の模擬体の首筋に接続されている無数の配線より、チルドレン達を乗せた疑似エントリープラグと制御室からの信号がダイレクトに行き来している。

「おおぉ、速い速い。流石、オリジナルの三基が揃ってるだけあって、本部のMAGIは処理能力がダンチね」

次々と表示を変えていくモニターを眺めながら、アスカが感嘆の声を上げる。
そんな彼女に、リツコをは自慢と自嘲が半々と言った声音で、

「まあね。でも、そのオリジナルのスペックをもってしても、初実験の時には1ヵ月も掛かったのよ」

「へえ〜、今となっては嘘みたいな話ね」

と、配役の関係からTV版のそれを若干アレンジした説明セリフを入れた後、徐に実験中のプラグへと通信を繋いだ。

「たった今、模擬体とのシンクロを開始したわ。気分は如何?」

『何か違うわね。チョっち感覚がおかしいのよ。右腕だけハッキリして、後はぼやけた感じ?』

「そう。………レイ、右手を動かすイメージを描いてみて」

『了解』

ミサトの返答に少しだけ考え込んだ後、リツコはレイに指示を。
それに応じて、模擬体の右腕がゆっくりと大儀そうに動き出す。

「次、シンジ君。………そうね。グー・チョキ・パーの繰り返しを、なるべく早くやってみて」

『はい』

今度は右手首から先だけが稼働し、先程のそれよりも機敏な動きで各種ジャンケンの型を。

(矢張り反応速度は。取り分け、細かい動作をさせたらシンジ君の方が数段上ね。
 でも、これは本来あり得ない事。素の肉体スペックで幾ら勝ろうとも、倍近いシンクロ率の差を考えれば、それでもレイの方が明らかに優る筈なのに。一体何故?)

胸中で生まれた疑問について、暫し沈思黙考するリツコ。
だが、現場の責任者としては、それだけに頭を割いている訳にもいかず、

「データ収集、順調です」

「そう。それじゃ、MAGIを通常に戻して」

と、部下の報告に対して指示を。
それを受け、三人のオペレーター達はシステムを本来の対立モードに変更。
画面が切り替わり、三基のMAGIが審議を開始した事を知らせる表示が現れる。

「ジレンマか………作った人間の性格が伺えるわね」

先程の自分と同じ疑問を持ったらしく、激しくデータの交換を始めたらしいその様子を眺めながら、自嘲気味にそう呟くリツコ。

『ナニ言っちゃってるの。造ったのはアンタでしょ?』

それを得意の地獄耳で聞きつけた。
良く言えば豪快さが身上な。悪く言えば細かい動作に向かない所為で一人暇だったミサトが、何時もの調子でそう宣う。
その疑問に、リツコは僅かに眉を顰めつつ、

「貴女、何も知らないのね」

『な〜によぉ。仕方ないじゃない、リツコってば全然話さないだモン、自分の事』

親友のつれない態度に頬を膨らませる、ミサト。
そんな年不相応な彼女の態度に、苛立ちから苦笑へと心境を移行させつつ、

「そうね………でも、友情云々を語る前に、作戦部長として知っておいて欲しかったわ」

『へっ?』

「ネルフの根幹に関わる情報くらい、頭に入れておけって事よ」

予想外なリツコの返答に面食らうミサトに、アスカが追討ちとも言うべき突っ込みを。
そのまま説明を引き継ぎ、

「耳をかっぽじって、よ〜く聞きなさい。
 MAGIの基礎理論とその本体を造ったのは、リツコのママの赤木ナオコ博士。
 エヴァの生体部分精製のノウハウを確立して、特殊装甲と各種武装の設計図を作成したのが、アタシのママである惣流=キョウコ=ツエッペリン博士。
 んでもって、ある意味一番肝心な。シンクロシステムの基礎理論とエヴァの雛型を造ったのが、シンジのママの碇ユイ博士よ。
 ちなみに、この三人を称して、ネルフが誇る東方三賢者って言うの。これは、テストにも出るから絶対に憶えなさい」

『出るか〜! ってゆ〜か、そもそもドコまでホントなのよ、そのヨタ話は?』

頭ごなしなアスカの物言いに反発すると共に、如何にもう胡散臭そうに。
親友に『ホントの事を、もうガツンと言ってやって頂戴』と目で促すミサト。
それに苦笑しつつ、リツコは彼女の意図と全く逆の形で、

「些か端的過ぎる説明だけど、アスカの言った事は事実よ、ミサト。
 実際問題、ネルフはかの御三方の実績を母体として作られた組織と言っても過言じゃないわ。
 ちなみに、世間一般的にも、東方三賢者って俗称は結構知名度が高い筈よ。
 此処の採用テストの問題としても毎年必ず出てるんだけど、貴女、憶えが無い?」

『え…え〜と』

獲らぬ狸のなんとやら。
信じていた親友に裏切られ。そのニヤリと擬音の付き添うな笑顔を前に返答に窮する、ミサト。
と、その時、予想外な所から、

『リツコさん! 何か嫌な気配が………この下に何か居ます!」

ミサトの窮地を救う形で、突然シンジからの通信が。
もっとも、その逼迫した声のトーンからして急場を誤魔化す為の方便とは思えない。
それを受け、モニターを切り替えると、彼女は下腹部を抑え苦痛に顔を歪めていた。
これは明らかに只事では無い。

「すぐに模擬体下層部の施設をチェックして」

「「「了解」」」

リツコの指示を受け、三人のオペレーター達が、各々分担してデータ収集を。 
格施設の様子が、次々と確認されて行き、

「これ、ちょっと見て下さい」

とある異常を目に止めたアオイが、それを目の前のスクリーンに。
拡大されたその画面には、壁にシミのようなものが映っている。

「三日前に搬入されたパーツです」

「第87タンパク壁ね………それで不具合は?」

画面下に表示されたデータを確認しながら、事の詳細を尋ねるリツコ。
それに答えて、

「水漏です。温度と伝導率に若干変化が見られる事から浸食によるものと思われます」

アオイのもたらした大した事のない被害報告に、ホッと胸をなで下ろす発令所スタッフ達。
『本部の機能に障害が出るのでは?』と危惧していただけに、まずは一安心。

「また、気泡が混じっていたんでしょうか?」

「多分ね。B棟は工期が60日近く圧縮されてるから工事が結構ずさんだし」

と、ホッとした表情のマヤとサツキが、そんなやりとりを。
だが、此処で一つの疑念が。

「チョッと待って! ンなど〜でも良い事だったら、シンジに影響が出るワケないじゃない。
 きっと、まだナニかあるわよ。もっと良く調べて!」

いち早くそれに気付いたアスカが警告を発する。
そして、それに呼応する様に、

   ピー、ピー、ピー、………

アオイのコンソールから警報が。
と同時に、先程までグリーンを表示していたブロックが赤く点滅し始める。

「何っ? どうしたの!?」

「シグマユニットに汚染警報発令!」

「第87タンパク壁が劣化! 発熱しています!」

「第6パイプに異常発生!」

「タンパク壁の浸食部が増殖しています! 爆発的スピードです!」

アスカの叫ぶ様な問いに答える様に、オペレーター達より様々な凶報が。
モニター内の映像も、それを肯定する画像を映し出す。

「実験中止! 第6パイプを緊急閉鎖!」

『もはや実験どころでは無い』とばかりに、リツコが間髪入れずに緊急中止を命じる。
だが、事は単なる異常事態ではなかった。
人間達の対応を嘲笑うかのように、それは進んでいく。

「駄目です! 侵食は壁伝いに進行しています!」

「ポリソーム出動! レーザー、出力最大に!
 多少の被害は目を瞑るわ。兎に角、浸食を食い止めなさい!」

次々と起こる予期せぬ異常事態に浮き足立ち始めたオペレーター達に渇を入れる様に、滅多に使わない高圧的な口調で命じるリツコ。
正直、もっと場慣れした。こうした非常事態用の職員であるマコトとシゲルがこの場に居ない事が悔まれるが、無いもの強請りをしても仕方が無い。

「侵入の確認と同時に一斉射撃」

「了解。侵食部6の58に到達………発射!」

リツコの命に応じて、予測された侵食部に先回りさせた作業用ロボット達より、侵食部の壁に付着する赤い光点に向かって十数本のレーザーが一斉照射される。
だが、確実な殲滅を狙ってのその攻撃は、目標を貫く事無く、その直前に現れた細かい幾つもの多角形に弾かれる事に。

「ATフィールド!?」

あまりの事に、一瞬、発令所の誰もが驚愕に息を飲む。
だが、事態はそれに止まらなかった。

『うわぁぁぁぁっ!』

突如、響き渡るシンジの悲鳴。
慌てて向けた視線の先では、模擬体に件のシミが背中に取り付いており、更に頭部に広がっていこうとしている所だった。

「侵食部、更に拡大! 模擬体の下垂システムを侵しています!」

半ば悲鳴の様なマヤの報告が響き渡り、それに反応する様に模擬体の巨大な右腕が振り上げられる。

「「「きゃあああああ〜〜〜っ!!」」」

響き渡るオペレーター達の悲鳴。
それを無視して、リツコは緊急パネルを叩き割ると、そこに納められた赤いレバーを力任せに引いた。
と同時に、くぐもった爆発音が。間一髪、管制室へと迫る前に千切れ飛び、力を失う模擬体の巨腕。

「シンジ君は!?」

「………無事よ!」

絶体絶命の危機に晒された恐怖でいまだ引き攣っている三人娘達に代わって、マヤを無理矢理押し退け、彼女のオペレーター席に陣取ったアスカが報告を。

「全プラグ緊急射出! 次いで、セントラルドグマを物理閉鎖してシグマユニットと隔離! 急いで!」

この手の荒事に場慣れした彼女が居合わせていてくれた事を感謝しつつ、リツコは矢継ぎ早に指示を。
それを受け、三本のプラグがロケットの如く上方に打ち出され、次いで、緊急時用プログラムが起動し、ドグマの物理的隔離作業がスタートする。
無論、本職には及ばないが中々の手際だ。
何より、肝心のその本職が役に立たない状態とあっては何を言わんやである。

「………なに、これ?」

漸く我に返ったアオイがポツリとそう呟く。

「分析パターン、青。間違いなく使徒よ。
 根性入れなさい。これは多分、ネルフ内部での本土決戦になるわ」

モニターに映し出される。今も侵食され続けている模擬体を睨み付けながら、不敵な笑顔を浮かべつつそう答えるアスカだった。




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