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俺が何となく『おかしいな』と思い始めたのは小1の頃。初めての授業参観の日だった。

(おい見ろよ、ゲンシローの母さん)(え〜〜〜?)

『ゲンちゃん』

(あの手を振ってる人がそうなの?)(おかし〜)

『ゲンちゃん、ママよ。どうしてコッチを向いてくれないの?』

(僕の姉ちゃんと同じ位に見えるのに〜)(何か変なの〜〜〜っ)

『ゲンちゃんってば!』




あの時の、周囲のクラスメイト達のざわめき。
そして、背後に立つ親達から向けられた好奇の目とヒソヒソ声は生涯忘れらそうもない。
あれから7年たった今でも、思い出す度に胸が痛む。苦い思い出だ。

「――――ちゃ〜〜〜ん。」

そんな訳で俺は、中学は遠くの私立を選んだ。
兼業主婦で何かと忙しい母さんが、学校の行事があっても気軽にやって来れない様に。

出来れば寮生活を送れる所が良かったのだが、悲しいかな、俺が住むこの地は、華の都な第三新東京市。
一流大学への合格率もバカ高い進学校から、名前さえ書けば入れる三流四流校まで。
正にピンからキリまで揃っているので、将来の夢や学力を理由にドコソコへ行きたいと言った具合に、
家を出る必要があるほど遠くの学校へ入学する為の大儀名分が成り立たない。
これが大学受験であれば、祖父母達や母さんの母校である京都大を選べば二つ返事だったのだろうが………
いや、よそう。所詮は、引越し=転校がほぼ確実な中学生。
ましてや、説得の相手は母さんなのだ。
余程上手く立ち回らない限り、望む結果は得られなかったろうし。

「ゲンちゃ〜ん」

とゆ〜か、御世辞にも高いとは言えない己の学力を鑑みるに、
日本を代表する著名人達の母校として、今や六大学以上のネームバリューを誇る超難関校である京都大に合格出来るとは到底思えない。
本当に俺は、先祖代々高名な学者を輩出してきた(らしい)碇家の人間なのだろうか?
無駄に若過ぎる母さんの事も相俟って、日に日に疑問が膨らんでくる。

「ゲンちゃんてっばあ!(ポン)」

そんな物思う俺の首筋に、いきなり背後より軽い衝撃が。
と同時に、身体が直立不動の姿勢のまま動かなくなる。
(フッ)こんなフザケタ事が出来るのは………実は結構居るんだけど、全員があの女の関係者。
従って、おもいっきり極論すれば一人(を中心としたグループ)しか居ない。

「何の用だ」

『折角、他人のフリをしていたのに』というセリフをグッと飲み込みつつ、声を顰めて。
なるべく目立たない様に、そっと尋ねる。
だが、そんな俺のささやかな願いを打ち壊しにする形で、

「はい、コレ。忘れたでしょ?」

と、何時も通り無駄に愛想を振り撒きつつ。
周囲の注意をおもいっきり刺激する花の様な笑顔を浮かべながら、俺に何時もの弁当箱を手渡してきた。
(クッ)一生モンの不覚だ。そんな格好の口実を与えたら、こうなる事は判っていた筈なのに!

「何で来るんだよ、パンでも買って食うから良いのに」

「あん、折角作ったのに〜」

そ〜ゆ〜ブリッ子は止めれ。31歳、一児の母。
反射的にそう叫びそうになったが、歯を食いしばってどうにか堪える。
なんと言うか、力の限り歳不相応なんだが、外見とはピッタリとマッチしているだけに救いが無い。
何より、その素性がバレたりしたら拙い事に………

「よう、ゲンシロー!」

と言ってる側から、背後より悪友達の声が。
畜生! コイツ等と来たら、何時もは遅刻ギリギリのクセに、こんな時だけ部活の朝錬に合わせた早出のこの時間帯に〜!

「可愛い娘だね、この子」

「ナンだよ、愛妻弁当かよ〜〜〜っ。この〜〜〜!」

「ね、彼女、なんて名前?」

取り囲んで質問攻めにする悪友達。
止めようとするも、まだ身体が軽く痺れている所為で思うに任せない。

「馬鹿野郎、テメ〜等! ぶっ殺すぞ!」

と、せめてもの抵抗に凄んで見せるが、

「(ハッハッハッ)一人占めは良くね〜ぞ、ゲンの字」

生来の女顔が祟って効果はゼロだった。
畜生、この身体さえ自由になれば、アイツ等なんて瞬殺してやるものを。
動け! 動けよ、俺の身体! 今、動かないと取り返しの付かない事に!

「それで、ゲンシロウとは、どんな関係なの?」

「関係ですか? 私はゲンちゃん………いえ、ゲンシロウの………」

「言うな! 言うんじゃない! 言わないでくれ〜〜〜っ!」

もはや形振り構わず必死に懇願する。
だが、そんな俺の必死の想いも虚しく、

「母ですの」

日本一空気の読めないこの極鈍女は、キッパリとそう宣まってくれた。
終ったな、何もかもが。

「それじゃ、ゲンちゃん。今夜はゲンちゃんの好きな焼肉にするから、早く帰って来てね」

前言撤回。
更に駄目押しの止めを。死者に鞭打つ様な事を言い残して、母さんは風の様に去っていった。
嗚呼、百華繚乱。お前さえ居なければ。今日ほどお前を打っ壊したくなった事は無いぜ。まあ、無理なんだけどさ。
ってゆ〜か、電車で5駅分の距離を軽々と先回り出来る自転車ってど〜よ。
以前、(若気の至りで)近所にあった20階建てのビルの屋上から落っことした時も、キズ一つ付かなかったし。
一体、お前は何で出来てるんだよ?

「な、なあゲンシロウ………」

「聞くな! さっきの異常に若い母さんも。あの道交法無視な自転車も、只の夢幻(ゆめまぼろし)だ!
 遅刻の常習犯なオマエ等が、こんな朝早くに校門前まで来ているのがその証拠だ!」

漸く我に返ったらしく、恐る恐る訊ねてきた悪友達に向かってそう言い切ると、俺は尚も何事か言っている彼等を無視して部室に向かった。
ちなみに、ウチは実戦形式な喧嘩空手と呼ばれる類の流派。
都合の良い事に、朝からだって組手がある。
(フッ)今朝の俺の鉄拳は血に餓えているぜ。



   〜 2時間後、教室内 〜

「いや〜、むちゃくちゃ若い母ちゃんなんだもんな〜〜!」

「ありゃ〜、妹にしか見えん」

SHRが終っての休み時間。悪友達が母さんをネタに馬鹿話に花を咲かせている。
しかも、これ見よがしに俺も直ぐ前の席に集まってだ。
お陰で、さっき軽く4〜5人をボコってスッキリした筈の気分が再びささくれ立ってくる。

「母って聞いた時、タイムスリップしたかと思ったくらいショックを受けたぜ」

「俺も」

「あっ、僕もだよ〜」

そりゃそうだ。実の息子である俺自身、今じゃ母親だなんて全然思えないからな。
つ〜か、免許書と保険書に書かれている生年月日という動かし難い物的証拠が無ければ、31歳つう実年齢自体が到底信じられん。

「そんなに若いのかあ?」

「若いよ〜 おまけに背も小さかったから、どう見ても年下としか思えないね」

「それに、かなり可愛かった」

何故か知らんが、アレの異常な外見を好意的に語る悪友達。
そのまま己の母親との比較に話は移ってゆき、

「良いなあ、あんな可愛い母さんで」

「チクショー、この幸せモン!」

「ズルイぜ、このヤロウ」

呆れた事に、俺の立場を羨み出す始末。
まったく、知らないって事はかくも罪深い事だとは。
つ〜か、代わってくれよ、そんな事を言うなら………
(ハア〜)いや無理だな。コイツ等如きじゃ、あの異常空間の中では三日と生きられまい。

「よ〜よ〜、ゲンシロー。お前、何歳まで一緒にお風呂に入ってた?」

って、せっかく人が黙殺してやってるってのに、直接聞いてくるか普通?
(コホン)まあ良い。コイツ等に、少し現実の厳しさってヤツを教えてやるとするか。

「10歳の誕生日前日まで。
 それ以後は、何たら法がドウとかと言って、カヲリさんが母さんを言い包めてくれた御蔭で一人の入浴を満喫している」

「へ? 何だそりゃ?」

「アレは、交渉事のプロでさえ説得するのに法的根拠の裏付けが必要な難物だって話さ」

ハトが豆鉄砲を喰らったかの様な顔の悪友達に更に言を募る。
だが、この程度はまだ序の口だ。
さあ。萌えな話題を期待して、定番な質問をもっとしてくるが良い。
コチトラ、それを完膚無きまで粉砕するネタの貯蔵は充分だぞ。
さて。思春期のボウヤ達が、どこまで耐えられるかな?(ニヤリ)

「お前、たしか母ちゃんとの二人暮しだったよな?」

「って、そりゃスゲ〜な。恰好のシチュエーションじゃんか」

「ね〜、ムラムラとこない?」

「何がだ?」

雉も鳴かずば撃たれまいに。
内心ではそう細く笑みつつも、素っ気無くそう問い返す。

「またあ、惚けちゃって。
 俺達は元気一杯のオトコの子。そして、相手は母親というよりオンナの子だぜー」

「それがどうした。ロリコンじゃあるまいし、あんなドッチが前だかも良く判らない様な身体を見て欲情出来るか」

そう。何故か知らんが、アレの周りは美女率が異常なまでに高い。
おまけに、スレンダーなC級からムッチリ系のF級までよりどりみどり状態。
結果、自然と審美眼が養われ、女性の美に対する評価は辛口になる。
御蔭で俺は、小学校時代は散々女子に嫌われたモンだ。

ちなみに、我が心のマドンナは、童顔だが出る所はチャンと出ている。
長身である為まだ余り目立たないが、14歳にしてBを越えているのだから将来性は充分だろう。
嗚呼、輝かしい未来の為にも、俺もあと10pは背が欲しいところ。
帰ったら、また煮干をツマミに牛乳を飲まなくては。

「ロリコンって………普通はマザコンって言うんじゃないか?
 とゆ〜か、マジにその辺を意識した事が無いワケ?
 母子家庭な上に母ちゃんが無茶苦茶若くて美人っていう、これで血が繋がっていなかったら、ポルノが出来る設定だってのに」

「そうそう。『母さん、俺の子供の頃の写真ってどこにあるんだ?』『言わないでゲンシロウさん』ってな感じで」

と、俺が述懐している間に、懲りもせず墓穴な質問を繰り返す悪友達。
ってゆ〜か、一体幾つだ、オマエ等? 前世紀の遺物だろ、そんなの。

軽くトラウマを刺激された事もあって、胸中でそう毒吐いた後、

「止めてくれ。母さんにアルバムを持たせるのは、刃物を持たせるより危険なんだぞ。
 一度を開いたら最後、延々三時間は耳にタコな昔話を聞かされるんだぞ。
 しかも、赤ん坊の俺が恙無く成長してゆく中、周りの人間はほとんど変化無し。母さんに至っては全く変わらない姿で写ってるんだぞ。
 何と言うか、もうシュールを通り越してホラーの領域だぞ、アレは」

「……………オマエ、そりゃ合成写真なんじゃないのか?」

悪友の一人が呆れ顔でそう宣うが、そいつは余りにもスィートな考えだ。
事の当事者が、それを真っ先に考えない筈が無いだろうが。

「残念だが………本当に残念だが、それはまずあり得ない。
 何故なら、物心ついてからの約10年分の写真の幾つかには、当時、確かに撮られた憶えが俺にもある訳で、それとそれ以前との繋がりに不自然な点は見られない。
 しかも、3年ばかり前には、チャンとその道のプロに鑑定もして貰ってある。
 従って、少なくとも写真自体は間違いなく本物だよ。極めて遺憾な事にね」

「つまり、マジで彼女が母親なワケ?」

「ああ。ちなみに、DNA鑑定でもそうなっている。
 もっとも、コッチを調べたのはマヤさん………(コホン)母さんが懇意にして貰っているネルフの伊吹博士なんで『都合良く改竄されていない』つ〜保障は何処にも無いけどな」

    シ〜〜〜ン

静まり返る教室内。
漸く、悪友達も母さんと言う名の異常極まりない現実を正しく理解したらしく、俺を見る彼等の目が、羨望を称えたものからどこか生暖かいモノに変わっていく。

(フッ)同情なんて要らないぜ。
そう、俺は決して泣いてなんていない。
チョッとばかり頬が濡れていたりもするが、コレは単に目にゴミが入っただけさ。



   〜 7時間後、学校の近くにある、とある商店街 〜

あの後、気の済むまで空手部の部員達をボコり鬱憤晴らし………じゃなくて、午後の部活は早目に終了。
そんな帰り道の道すがら、馴染の商店街の一角にあるコンビニにて週刊誌の立ち読みを。
今尚連載が続いている、もはや作者本人が描いているとは到底思えない某超々長期連載漫画を読んでいた時、

   ヴオヴオヴオ〜〜!
               キキキッ〜〜〜ッ!

『皆様に愛される高橋イマリ、高橋イマリを宜しくおねがいします!』

『おねがいしま〜す』

コンビニ特有のガラス張りの外壁が、突如、映画のスクリーンに切り替わったかの様に、タイヤを抉る様な四輪ドリフトで曲がってきた選挙カーが大写しに。
そのまま、お約束な選挙宣伝をドップラー効果で残しつつ走り去っていった。
その派手なパフォーマンスを前に、今日より市議選の選挙運動期間に入った事を思い出す。
と同時に、あの無敵の男が本当に引退したのだという事を実感する。

そう。今でこそ、あんなチャラチャラした派手なスーツを着て愛想を振り撒くなんて職業に身をやつしているが、あの人は元はバリバリの武闘派。
去年の暮れまでは、三つのベルトを総て奪取したボクシングのライト級世界統一チャンピオン。
それも、時代に真っ向から反攻するコテコテのファイタースタイルでKOの山を築き上げ、通算戦績32戦32勝32KOという前人未踏なパーフェクトレコードを打ち立てた、
正に本物の王者だった人だ。

それだけに、あの現状には忸怩たる思いが。
そりゃあ、32歳という年齢でボクサーを続けるのは厳しいものがあるのだろうが、
格闘技ファンの俺としては、是非とも総合ルールの方に移って、長年タブーとされてきたボクサーVSグ○イシー柔術の一戦を。
そして、古のプロレスラー、アン○ニオ猪○が編み出したと言われる、あのボクサー殺しのスタイルを如何やって打ち破るのかを。
本当に強いのはドチラかを証明して欲しかったところなのだが………

いや、もはや言っても詮無い事だ。
それに、バーリートゥ−ド(何でもあり)と言えば聞えは良いが、アレはどう考えてもボクサーには不利なルールが多過ぎる。
移籍と共に連敗街道をまっしぐらに。どこかの元横綱の様な道化を演じさせられる事になったりしたら目も当てられない。
ましてや、政治家への転向の方は、最初から成功が約束されているものと来ては、彼の選択は寧ろ当然の帰結と言うべきだろう。

そう。何せ、14のガキである俺の目からみても、高橋市長候補の当選はもはや鉄板だ。
前市長である高橋ノゾム市長の義理の息子。
つまり、選挙基盤をソックリ受け継いだ俗に言う所の二世議員。
しかも、元世界チャンピオンと本人のネームバリューもバッチリ。
これだけでも相当有利な立場なのに、彼のバックは義父だけではない。
あのマーベリック社と剣菱財団が。
合法的に日本を牛耳っているとまで言われる二大超巨大企業が後援に付いているのだ。
当選実績を重ねれば、何年か先には歴代で最も若い総理大臣の誕生も夢では無いだろう。

実際、対抗するだけ金のムダだと思われているらしく、日本一豊かな市町都市のトップに立てるチャンスであるにも関わらず、その座を狙う対立候補は一人も名乗りを上げていない。
それでも、選挙運動に一切手を抜かない。
僅かな隙すら許さぬあの姿勢は、決してハードパンチャーと呼ばれる様な剛打には恵まれなかったにも関わらす、何人もの対戦相手からTKOを奪ってきた。
かのチャンプの代名詞とも言うべき超高速の連打『ショットガン』によって、滅多打ちの挙句に病院送りにしてきた嘗ての現役を彷彿させるものがあるのだが………
いや、よそう。伝説はもう終ったのだ。

そんな一抹の寂寥感と共に、俺はコンビニを後にした。

「はい、イマリ兄さま。ア〜ン」

「ア〜ン(モグモグ)」

電車に揺られて小一時間後。
駅から五分と、何気に優良物件である我が家に帰宅すると、
どこかで見た様な気がする男女が、焼肉用にホットプレートが設置された食卓にて異様な光景を展開していた。

「美味しいですか?」

「勿論ッス。アイリが焼いてくれた物が美味しくない訳が無いッス」

「まあ、兄さまったら。お上手なんだから(///)

何なんだ、この甘ったるいイキモノ共は?
  それ以上に、その後ろでジョ○ョ立ちをしている、チョッとあり得ない髪型をした外人な黒服達はナニ?
何処のミステリーゾーンに迷い込んだんだよ、俺は?

「あっ、ゲンちゃん。お帰りなさい」

と、今日び、漫画でも滅多にお目に掛れないあからさまなイチャイチャ振りとその背景とコントランストに盛大な眩暈を覚えていた時、止めとばかりに母さんの能天気な声が。
精神値をゴリゴリと削り取るその猛攻に必死に耐えつつ、現状を確認すべく、

「…………何時からウチは、こんなにインターナショナルになったんだ?」

かろうじてそう尋ねる。
搾り出すかの様な声音になっているのが自分でも判る。
色んな意味でギリギリな質問だ。
だが、返ってきた答えはと言えば、

「えっ? ひょっとして、ゲンちゃんってば覚えてないの?」

「キッパリと初対面だ」

思わずそう突っ込む。
とゆ〜か、こんな無駄に特徴的な生物達を忘れる筈が………あれ?

「いや、無理も無いッスよ。何せ、最後に会ったのは世界戦の直前。もう7年も前の事ッスから」

そう言いつつヘラヘラと笑う、30歳前後とおぼしき小麦色の肌のラブコメ男。
じゃなくて、この人は!

「高橋イマリ!」

「あっ、思い出してくれたんッスか。嬉しいなあ」

い〜え、欠片も覚えてません。
胸中でそう呟くも、直感的に、正直にそう言ったらナンかヤバイ気がヒシヒシとするので、適当に話を合わせておく。

その過程において、どうやらコレがマジでホンモノである事。
色々あって、アイリさんを実家から強奪して駆け落ち、その折、二人で自活してゆく為に金を稼ごうと、入ったばかりの某大学を中退してプロデビューした事。
と、志だけは高かったものの、夫婦揃って生活能力が皆無だった上に、この件のチョッと前に彼等の面倒をみてくれていた人達が故郷に帰ってしまった後だった為、
実はデビューしてからの最初の3年くらいは、この家で寝起きをしていた事などが判った。

ちなみに、数多の対戦相手をマットに沈めてきたその両手で、赤ん坊だった頃の俺のおしめを代えた事もあるらしい。
正直、色んな意味で何かヤダ。

「いや〜、あの頃はもう、君のお母さんの作ってくれる手料理が、俺達夫婦の生命線だったんッスよ」

そんなこんなで、感慨深げに述懐するイマリさんを前に、思わず涙腺が緩みそうになる。
にしても、こんな饒舌に語るチャンプって始めて見るような………
って、ひよっとして、現役時代の彼が矢鱈と寡黙だったのは、この若造臭い口調を隠す為だったの?

「は〜い、追加の具材が出来ました。沢山食べて下さいね」

と、知りたく無かった裏事情を知ってしまった俺を尻目に、下拵えを終えた肉や野菜の乗ったお盆を持った母さんが食卓に。
高橋夫妻の前にそれを置くと共に、場の空気を全く読む事無く、

「皆さんも如何ですか?」

と背後に立つ黒服達にも食事を勧めだした。

「いえ。職務中ですので、お構いなく」

お約束なセリフで謝辞する黒服達。
だが、彼等のその高い職業意識も、母さんの上目使いでのお願いの前に早くも陥落寸前となっている。

判る、判るぞ。アレは絶対反則だよな。
切った張ったの裏街道を生きる者とて、所詮は人の子。
たとえロリコン属性が全く無かったとしても、あの逆らい難い『何か』には敵うまい。
そう。たとえるなら、小動物のつぶらな瞳。
アレと同種の、絶対無敵な攻撃だ。

「はい、イマリ兄さま。ア〜ン」

「ア〜ン(モグモグ)」

と、俺が黒服達に深い親近感を覚えている間に、再び臆面も無くイチャイチャし始めるバカップル達。
そのコンデスミルク分が多過ぎるストロベリーな姿に、改めて確信する。
あの伝説の男は、もう何処にも居ないのだと。
嗚呼、泣きて〜



   〜 翌日、ゲンシロウの通う中学校 〜

「で、そ〜やって散々貶しておいて、図々しくもサインは貰ったんだ。それも7枚も」

「と〜ぜんだろう。
 昨日、早速Y○hoo!のネットオークションに出品したんだが、もう反応上々。順調に値がつり上がってるぜ」

しかも、一枚は自慢のタネに取って置くとしても、あと5枚もあるからな。
これで当分小遣いには困らん。チャンプ様々だぜ、まったく。

「それはそれは。ある意味、チョッとした打ち出の小槌だな。
 色紙を仕入れる金があれば、幾らでも稼げるんと違うか?」

悪友の一人が、羨ましそうにそう宣う。
(フッ)コイツは何も判ってないな。

「そこが、素人の赤坂習志野神保町………じゃなくて、あさはかさだ。
 コイツは、世間じゃストイックで知られた。
 人気とコネだけで世界を獲ったどこかの三兄弟と違って、ファンサービスの類をほとんどしてなかったチャンプのサインなんだぜ。
 量産なんてしたら、折角の希少価値が下がるじゃないか」

「それじゃ、玄人ならドウするってんだ?」

「決まってるだろう、このまま小数精鋭で行くんだよ。
 そうだな。換金は半年に一回位のペースってトコかな?
 今回の手応えからして、それでも充分な臨時収入になるぜ」

  そんな明るい未来の青写真を語って聞かせる。
ある意味、タカられるネタを自分で振っている様なものだが、その辺は、今は気にしないでおく。
とゆ〜か、チョッと良い気分なので、少々のオゴリくらいならば甘受するつもりでいる。
嗚呼、俺って太っ腹だなあ。

「………ゲンシロウ、チョッと良いか?」

だが、そんな浮れた俺に、悪友の一人が、恐ず恐ずと。
温かだった心と懐に、冷水をぶっかける様な一言を。

「ひょっとして、お前の父親って、高橋イマリなんじゃないのか?」

「えっ?」

「お前の母さんの古い友人で、しかも、何年も一緒に暮らしていたんだろ?」

えっ…え〜と、チョッと待てよ。
三年に渡って一緒に暮らしていた。  = つまり、何時でも手を出せるボジションに居た。
物心付く前に家を出た後、音信不通。= 試合が主に海外だった所為とも取れるが、俺が父親だと認識する前に姿を消したと受け取れなくも無い。
愛妻が居るのにそんな真似をするか?= そんな事を言ったら、この世に不倫とか浮気とかって言葉は要らなくなる。
では、アイリさんは何故怒らない?  = ツーショットの時でさえ、修羅場どころか軽いイヤミの応酬さえ無し。どう見ても、アイリさんと母さんは仲が良かった。
                         とゆ〜か、寧ろアイリさんが懐いていたと言った感じだった。

此処で、長年の疑念が再浮上する。
母さんは、美人の友人が矢鱈と多い。= 自主規制ったら自主規制!

「ま…マジかよ?」

驚いた。同じ古い友人でも、ど〜見てもムリ目な。
各々の妻の尻に敷かれ捲くっている、トウジさんやケンスケさんとの仲と違って否定する根拠が無い。

「って、言われるまで欠片も気付かなかったのかよ、お前は。
 ナンって言うか、父親の事を教えて貰えない母子家庭の子としては、真っ先にその線を疑わないか、普通は」

「うんうん。普段はズル賢いクセに、そ〜ゆ〜肝心な所が抜けてるんだよね、ゲンシロウって」

悪友達が口々に勝手な事を言っているが、そんな戯言に構っている余裕など俺には無かった。
なんてこった。俺は…俺は………

「俺って、実はサラブレットだったんだ。
 矢張り、今からでもボクシングに転向するべきなのか?
 だが、このまま空手を極めてK1選手になるという夢も捨て難いものが。
 畜生、一体どうしたら良いんだ〜〜〜っ!」

「好きなだけ悩め、この底抜け脱線ボジティブ野郎!」

「ああもう。心配して損したぜ、まったく」

(チッ)人がこんなに懊悩してるってのに。友達甲斐の無い連中だ。



      〜 放課後、マーベリック社の応接室 〜

そんな訳で、俺はもっと頼りになる。
ごく一部の分野を除けば、世界で最も信頼している人物の下へと相談に行った。
所謂『困った時のカヲリさん頼み』である。

実際、下手な神様なんかより、彼女に縋った方が、遥に即物的かつ即効性な御利益が期待出来たりする。
何しろ、あの人の持つ権力は、各種宗教に出てくる超越者達よりもずっと強大で現実的なもの。
十年前なんて、当時四歳だった俺の頑是無い願いを叶える為に、米軍から数十台の大型輸送機をチャーターして、
雲の上より、当時はまだ常夏の国だった日本(16年程前から気候がゆっくりと回復し、現在では20世紀末頃の状態に戻りつつある)に雪を降らせた事すらある程なのだ。
あそこまで行くと、もはや奇跡の領域だろう。

とゆ〜か、既に30大台を越えている筈なのに、いまだに二十歳前後に見える。
下手をすれば十代後半でも通じる瑞々しい容姿でありながら実年齢以上の貫禄まで兼備しているのだから、もう反則。
ホンに母さんとは別の意味で化け物染みた人である。
正味の話、実はその正体が天使とか魔女とかだったとしても、驚くどころか納得しちまいそうだ。

「あらあら。それで、私の所に事情を聞きにいらしたのね」

何時も通り優雅な仕種で向かいのソファーに身を預けながら、そう宣うカヲリさん。
ちなみに、何故か知らんが、昔から俺は、アポ無しでいきなり尋ねてもスグに彼女に会う事が出来る数少ない人間の一人だったりする。

相手は多忙を極めているであろう、世界最大手の証券会社の社長様。
世間というものが見え初めてからは、これが如何に異常な事かを。
その皺寄せによって、見知らぬ誰かに多大な迷惑を掛けているであろう事が概ね察せられる様になってきたので、
何年か前からは、こういう私的な訪問は自粛していたのだが、今はもう、それどころじゃない。

「結論から言いましょう。貴方の父親はイマリさんではありませんわ」

「そう断言されるって事は、矢張りカヲリさんは、俺の父親を知ってるんですね?」

「ええ、勿論」

(クッ)まさかアッサリ認めるとは。
これまでは、何度聞いても上手くはぐらかされてきただけに、俺の身体に緊張感が走る。

「貴方の父親は…………そう。一言で言うならば、太陽系最強の陸戦生物ですわ。絶対無敵ってことね」

「………………はい?」

「(クスッ)残念ですけど、あの方の経歴は、誰かに直接教えてはいけない事になっていますの。
 これは、例外の認められない絶対のルールですわ。所謂、トップシークレットってことね」

そう言いつつ、まるで新しいおもちゃを与えられた幼子の様な、純粋な喜びを称えた笑顔を浮かべるカヲリさん。
ヤバイ。こういう時のこの人はマジでヤバイ。
なんか知らんが、藪を突いて猛蛇を呼び出してしまったらしい。

「はい、今のお話が重要なヒントですわ。
 どうしても知りたいのであれば、後は自分でお調べなさい。これは覚悟の無い者が知るべきではない秘密ってことね」

尚もニコニコと微笑みつつ最後にそう締め括ったカヲリさんを前に、自分が足抜け不能な深みに片足を突っ込んでしまった事を悟らざるを得ない俺だった。



そんな訳で更なる情報収集を行なうべく、マーベリック社を辞去した後、ブラブラと道を歩きながら今後の方針を検討する。
先程の会話の内容からして、要は母さんの古い友人達ならば誰でも知っている事と見て間違い無い。
と同時に、カヲリさんからあれ以上の情報を引き出すのは、まず不可能だろう。ああ見えて、結構頑固な人だし。
まして、その右腕とも言うべき筆頭秘書のマユミさんに至っては、単独での交渉など只の自殺行為でしかない危険な相手。
そう、此処はもっとガードの甘い所を狙うべき局面なのだ。



      〜 20分後、鈴原家の茶の間 〜

「い…一体、な…なんの話かのう? (ズズ〜ッ)わ…わしってば、アホやもんやから全然判らへんわ〜」

その露骨なまでの動揺振りだけでも、状況証拠には充分ですよ。
カタカタと震える手で湯呑みの茶を啜りつつ、激しくドモリながらそんなお題目を宣うトウジさんを前に胸中でそう突っ込む。

とは言え、真っ正直にそう指摘するのは愚策も良い所だ。
良くも悪くも、彼は単純な気質の人間。
確かに、上手く行けばボロが出る事を期待出来るが、下手をすれば暴発を誘いかねない危険性を孕んでいる。
そして、悔しい事に、この人には、いまだにナニをドウしても徒手空拳では。
否、たとえ銃器の類を持っていたとしても絶対に勝てない。
此処は、不要なリスクを避けるべきである。

「いえ。実は『今、市長選に立候補している高橋イマリが、俺の父親なんじゃないか?』っていう噂を小耳に挟みまして。
 まあ、俺自身『そりゃ無い』とは思いましたが、流石にチョッと気になったもんで、こうしてトウジさんに聞きに来たんですよ」

「(ハア〜)なんや、そう言う事かいな。
 安心せい。確かに、そりゃ根も葉も無い全くのデマや」

俺の虚実を織り交ぜたカバーストーリーを真に受け、安堵の溜息と共に素に戻るトウジさん。
だが、この瞬間こそがコッチの狙い目だ。

「それで、ホントは誰なんです、俺の父親って?」

と、さも『話の流れから生まれた好奇心から』という風を装って本命のネタを尋ねる。
テンションのクールダウンを挟みつつ、自然な流れで。
それも、『適当にはぐらかす』という退路を残しての質問だ。

「そ、それは………」

真っ青な顔で口篭りつつ、必死に打開策を検討しているっぽいトウジさん。
ホンに嘘の吐けないと言うか、如何にも朴訥っぽい外見そのまんまな性格の。
一見、似た様な風に見えても、根っこの部分ではナニを考えているのか全く判らないパラノイヤな母さんとは、正に対照的な人である。

そう、これは真実一路なその性格を逆手に取っての。トウジさんにしか通用しない尋問テクニックなのだ。
これで駄目なら、相当根の深い秘密だという証左。
一端引いて、策を練り直した方が良いだろう。

「スマン。それだけは……それだけは言えへん! これは男と男の約束なんや!」

結果は予想以上な反応だった。
いきなり深々と頭を下げつつ、必死に謝罪してくるトウジさん。
そして、その後頭部へと、

   ドス!

「って、『男と男』の約束じゃないでしょうが!」

母さんほど極端ではないものの、チョッと可愛い系の若々しい容姿をした彼の奥さん。
お茶のお代わり用の急須と御茶請けの海苔巻煎餅を乗せたお盆を持ってやって来た、ヒカリさんの前蹴りがクリーンヒット。
う〜ん、迷いの無い。隙の少ないモーションの良い蹴りだ。
ホントにこの人は素人なんだろうか?
その実年齢同様、俄かには信じ難いものがあるな。

「痛〜〜〜っ、ナニすんねんオマエは。
 正味でドツキおってからに。目ン玉飛び出してもうたら、どないする気や」

「これくらいやらないと気付きもしないでしょうが、アナタは」

先程の重苦しいマジな空気はどこへやら。
唐突に始まる、もはや見慣れた夫婦漫才。
そのままヒカリさんの巧みな話術によって、話の内容は只の世間話に移行してゆく。
相手がトウジさんなだけに、この辺はもう造作も無い。
長年連れ添った彼女にしてみれば、近所の奥さんが零す愚痴に適当な相槌を打つよりも簡単な事だろう。
そして、俺が建て直しの機会を狙うよりも早く、

「ん? なんやアキかいな。こんな時分に、それも友人を家に連れてくるとは珍しいのう」

と、現在は某アパートで一人暮らしの。チョッと離れた所にある女子校で英語の教師をしているらしい妹さんとその友人の来訪をチャイムが押される前に察知。
『どれ、一つ出迎えでもしてくるかのう。アレとまともに顔を合わすのも久しぶりやし』等と言いつつ席を立つトウジさん。

なんと言うか、相変わらずホームセキュリティの要らない人である。 当人曰く『チョッとしたコツを掴めば誰にでも出来る事』らしいが、『そんなワケあるか!』と強く主張したい。
ちなみに、俺が空手の段を取った一年程前より、既に何度か『どや、チョッと覚えてみいへんか?』とのお誘いを受けていたりもするが、ハッキリ言って願い下げである。
だって、モロに母さん達の棲む人外の世界への片道切符っぽいし。

「(チッ)何やケッタクソ悪い気配が近付いて来てる思うたら、オマエやったんか!
 ええぃ! 一体どのツラ下げて、わしの前に来おったんや、このドアホウが〜〜っ!」

「って、ドコの瞬間湯沸し機よ、兄さんは!
 あれからもう10年以上も経つのよ。いい加減、話くらい聞いてくれたって良いじゃない!」

「やかあしい! 死んだと思うてたダチが5年後に再びTVに映ってるのを見た時の、わしの衝撃がオマエ等に判るか!?
 しかも、ナイショでコソコソと連絡を取り合っとった挙句に、まだ可愛い盛りの歳やった妹をキズもんにしおった様なヤツを前に平静でおられる兄貴なんて居るワケないやろ、ボケ!」

「キズもんにって。(///)
 ど〜して、そうやって臆面も無く端的にぶっちゃけるのよ! それじゃコッチは二の句が繋げないじゃない!」

「只の性分じゃ! つ〜か、今更話すコトなんぞ何も無いわ!
 たった今、地獄に送ったるさかい覚悟せいや!」

ああ、またケイタさんが来てたのか。飽きないなあ、あの兄妹も。
御近所中に響き渡る様な大声でのやりとりに、概ねの事情を察する。
と同時に、今日はもう駄目だと諦める。

   ガン、ガン、ガン、ガン!

「(ハッ)相変わらず、アクビが出そうなヌルイ射撃やのう。
 なまじ精確なもんやから読み易過ぎ。こんなん、そこらのトシロウでも簡単に避けられるで」

とか言ってる間に舌戦が終了し、銃VS拳法という異種格闘技戦(?)に突入したらしい。
今回もまた、概ね何時も通りの展開な様だ。
ちなみに、このカード。どこかの海王が吹かした大風呂敷と違って、何の誇張も無く拳法の方が圧倒的に優勢だったりする。
正に人外。だが、この世には、そんなトウジさんすら凌駕する存在が居るのだ。

「それじゃ、俺はこれで」

「ゴメン。そうしてくれるかな、ゲンシロウ君。
 私、これからアレを止めなきゃいけないから」

怒りに震える声でそう宣うと、ヒカリさんはゆっくりと幽鬼の様な動きで出て行った。
その鬼の背中を見送った後、ご近所でも有名な件の三人組の冥福を祈りつつ、俺は鈴原家を後にした。



そんなこんなで、次の訪問先へと向かう道すがら、先程のやりとりを反芻する。
そう。半ば上手く誤魔化された格好なのだが、収穫は充分にあった。
トウジさんの反応からして、一筋縄では教えてもらえない秘密であるという確信が得られたし、
ヒカリさんからも重要な証言が。

『これは男と男の約束なんや!』
このセリフに否定する様な要素など特に無い。
トウジさんと俺の父さん(仮)との間で交わされた約束と考えれば、寧ろありがちな話の流れだろう。
従って『って、『男と男』の約束じゃないでしょうが!』は、咄嗟だったからこそ思わず出てしまったセリフという事になる。
無論、これがマユミさんとかだったらコッチを混乱させる為に織り交ぜたフェイクという可能性もあるが、相手はヒカリさん。
トウジさん程極端ではないが、彼女もまた嘘の吐けない性格ゆえ、これはかなり信憑性が高いと思われる。

つまり、トウジさん的には『男と男の約束』でありながら第三者的にはそうではないって事になる。
だが、そんなケースが本当にあり得るのだろうか?
まさか、母さんが元は男で、性転換したなんてオチでもあるまいに。
だとしたら、寧ろ喜んじまうぞ俺は。
何せ、それは俺と母さんとの血縁を完璧に否定し得る証左………
いや、母さんが16歳の時、誰かを孕ませてしまったショックでオカマに走ったと考えれば辻褄が合うのか?
今でこそあんな感じだけど、何故か無駄に強いし。

と、俺がチョと絶望的な思考の袋小路に入り掛けた時、

「だ〜れだ♪」

突如、俺の視界を塞ぐ柔らかな白い手。
って、こんな事をするのは、身長差の関係で母さんには出来なくなってからは一人しか居ない。

「(ハア〜)御互い、もうこんなコトをやって喜ぶ様な歳じゃないでしょう、レイさん」

「(プゥ)ゲンちゃんのイケズ〜」

振り向けば、そこには予想通りの人物が、何時も通りの無表情のまま拗ねていた。

この人は碇レイ。
今尚、俺の身長を5cm程上回るスラリとした長身。
ネルフ所属のテストパイロットというその肩書きが伊達ではない事を伺わせる、しなやかでスレンダーなボディ。
アルビノ特有の、抜ける様に白い肌と極細の繊細な髪質。
止めとばかりに、怜悧さを称えた端正な美貌。
そんなミステリアスな美女そのものな外見でありながら中身は母さんの同類という、ある意味、最も救い難い人物である。

ちなみに、碇家直系の人では無く、幼い頃に今は亡き爺ちゃんに引き取られた養女だったりする。
そう。あの母さんの義理の妹なのだ。
その半生が、さぞや悲惨なものだったであろう事は想像に難くない。
実際、彼女特有の滅多に表情を崩れないビスクドールの如き無表情っぷりは、そうした過酷な幼少期の悪影響によるものだと、俺は睨んでいる。
にも拘らず、ちっとも同情する気にはなれないのは、きっと俺自身がレイさんと似た様な道程を現在進行形で歩んでいるからだろう。
正に不幸の無限連鎖。マジで泣きて〜

「久しぶりの再会だと言うのに、相変わらず愛想が無いのね。
 そんなんじゃ、あと3ヶ月位経ってから苦労する事になるわよ」

「って、何でそんな微妙に期間指定なの?」

「(フフフッ)大丈夫。その時になれば判るから」

嗚呼、レイさん。メッチャ怖いです、その含み笑い。
え〜と。三ヵ月後って言ったら、夏休みが終って新学期が始まる頃だよな。一体ナニが?

「あっ、そうだ。コレ、御土産」

そんな困惑する俺を尻目に、いったってマイペースに。
肩に掛けていたボストンバックをゴソゴソと探ると、キチンとラッピングの施された大ぶりな紙包み取り出した。

「有難うございます」

礼を言いつつ、それを受け取る。
手に持った感じでは、軽くて柔らかい物。どうも何かの衣服っぽい。
確か、今回の出張先はネルフの中国支部だった筈。
矢張り、功夫着の類だろうか? 何せ、その手の御約束を外さない人だし。

「それで、何を悩んでるの?」

と、俺の心のガードが甘くなった一瞬の隙を狙い澄まして、レイさんは一気に核心を突いてきた。

咄嗟の返答に窮する。
失態だ。これでは正に、沈黙によって肯定した様なものである。
数秒の逡巡の末、観念して事の次第の一部始終を説明する。

その存在自体が傍迷惑なだけであって、基本的には善意の人。
余人なら兎も角、彼女ならば俺が困る様な事は意図的にはしないと見込んでの。
そして、世間のしがらみと言うものに囚われなさ過ぎな人生を歩んでいるレイさんならば、知りたい事をスパッと教えてくれるのでは?』という下心もあっての苦肉の策である。

「そう」

一通り聞き終えた後、眉一つ動かす事無く小さくそう呟く。
いつも通り、外見だけはクールな対応だ。
だが、付き合いの長い俺には判る。レイさんがメチャクチャ怒っている事が。
そう、彼女の本質は激情家。
それも、『内に炎を秘めた』なんて生易しいものでは無く、氷と炎が同居する極大消滅呪文な性格なのだ。
いや。最近では、某デスメガネの必殺技と言った方が通りが良いのだろうか?
もっとも、それだと『混ぜるな危険』という所だけしか共通点が無いので、かえって判り難いかも。

「(ガシッ)行くわよ」

と、チョッと現実逃避をしていた俺の手を引っ掴むと、レイさんは強引に引き摺り出した。

「って、ドコに行くんですか?」

「メガネの家」

「あの。ケンスケさんなら、今、ミャンマーに取材旅行中………」

「問題ないわ。アレとは、さっき空港で会ったから」

「色々突っ込みたい事はありますが、取り敢えず判りました。
 ですから、もう手を離して下さい。チャンとついて行きます。逃げたりしませんから」

「駄目」

かくて俺は、そのまま妖精染みた美貌を誇る美女にズルズルと引き摺られる形に。
相田家までの15分程の道程を、ご町内の晒し者として過ごす事となった。
好奇の視線と言うのは、充分な殺傷能力を孕んでいる事を再確認した一時だった。
(フッ)泣くもんか。此処で泣いたら、更に羞恥度が倍率ドンで更に2倍だ。

「(ズズ〜)それで、一発でゲンシロウ君が納得する様な証拠写真を出せと?」

自ら淹れたコーヒーを啜りつつ、呆れた様な口調でそう宣うケンスケさん。
無理も無い。2ヶ月ぶりに帰宅して荷物の整理をしていた時に突然来訪して来たと思ったら、こんな無理難題を言い出されたのだ。
だが、レイさんは小揺るぎもする事無く。まるで当然の権利でも主張するかの様に、

「そう」

「(ハア〜)相変わらず何気に我侭だよなあ、綾波は」

「碇よ。間違えないで」

「はいはい。んじゃ、チョッと待っててくれ。当時の写真を漁ってくるから」

そう言い残すと、ケンスケさんは自室兼仕事場の方へ姿を消した。
『御愁傷様』と、胸中でそっと手を合わせる。

   シュルルル〜〜〜

と、衣擦れの音っぽい僅かな音が聞えてきたのは、その直後だった。

「止めて」

短く。だが、裂帛の気合が込められた声でそう呟く、レイさん。
と同時に、彼女から。そして、何故か俺達の居る茶の間の四方八方から明確な殺気が発せられる。

「貴女には悪かったと思っているわ。でも、これは一刻を争う事なの」

そんなレイさんの言葉に反発する様に、周囲の殺気が増して行く。
それに怯む事無く、

「そう、駄目なのね。でも、ヤルと言うなら、私も私とゲンシロウを守る為に全力を尽くすわよ。
 そうなれば、巻き込まれるメガネはタダでは済まないでしょうね。それでも良いの?」

互いの発する殺気が火花を散す。
そんな息苦しい膠着状態が延々と。実時間的には5秒程続いた後、周囲を取巻く気配が消え、

「ありがとう」

双方が合意に達したらしく、レイさんもまた臨戦態勢を解き、

「(モグモグ)」

いつの間にかテーブルの上に山と積まれていたイチゴ大福を躊躇う事無く口にし始めた。
そう。意外にも、この人はこの手の甘味に目が無い………ってチョッと待て!

「何で平然とそんな物が食べられるのさ!?」

「どうして、そういう事を言うの?」

俺の当然の主張に、僅かに眉を動かした。
彼女的にはキョトンとした表情でそう尋ね返してくるレイさん。
嗚呼もう、本気で判ってないっぽい。

「大丈夫。チャンと毒味はしているから。(モグモグ)うん、薬物等の混入は確認されず。問題ないわ」

「ちが〜う! そういうんじゃなくて、そこまでの過程を問題にしているの!
 さっきまでのアレ、どう考えても只事じゃないだろ?
 その大福だって、何時運ばれてきたのさ? その辺、疑問に感じないワケ?」

「ええ。2ヶ月振りにダンナが帰宅したんで、イイ歳して臆面も無く甘え様としていた所に御邪魔したんですもの。
 この程度の反応は予想通り。計画には2%の誤差も無いわ」

計画って何さ?
反射的にそう聞きそうになったが、おもいっきりヤブ蛇になりそうだったので、どうにか口にチャックをして胸中に留める。

「よう。多分、コレで良いんじゃないか?」

と、そんな中、ケンスケさんが数枚の写真を持ってやって来た。
それに写っていたのは、その華奢な身体には明らかにアンバランスな。
一歩間違えれば、グロテスクとさえ感じられるほど大きなお腹をした母さんの姿だった。

「メガネ」

「って、もう時効だろ? 何せ14年も前の話だし」

何故か発せられたレイさんの怒気をいなしつつ、おどけてみせるケンスケさん。
そんな彼の悪びれない態度に憮然としながらも『まあ良いわ』と矛先を納めた後、

「どう。これが動かぬ証拠よ」

俺に写真を突きつけ勝ち誇るレイさん。
まあ、言いたい事は判るのだが………

「ケンスケさん。仮にも貴方の作品ですので、コレが合成写真でない事は確かだとは思いますが………
 これだけでは、母さんが産んだのが俺だという確証にはならないのでは?」

俺の問いに、チョッと虚を突かれた表情となる、ケンスケさん。
だが、スグに元の飄々とした態度に戻り、

「なるほど。確かに君の言う通りだ。
 そういう観点から見るのであれば、この写真は精々状況証拠程度の物でしかないだろうね、
 だけどさ、逆に聞くけど、君が実子で無いんだとしたら、それを隠す事に何のメリットがあるって言うんだい?」

う〜ん。言われてみれば、俺的にはその方が都合が良いのだが、母さんサイドから見れば、そんな事をしても得るものなんて何も無いな。
それに、良く考えてみると『このお腹の子は誰?』と考えた場合、それが俺じゃない事を立証するには極めて困難だし。

と、俺の心が肯定に傾き掛けたのを見計らい、ケンスケさんは駄目押しとばかりに、

「まっ。それでも疑うのなら、明日にでも市役所に行って戸籍謄本を発行して貰うといいよ。
 幾ら俺が元ハッカーでも、流石にソッチまでは弄れない事は、君も認めざるを得ないだろ?」

なるほど。確かに、そんな荒業が成立するのは二昔前のスパイ映画の中だけだろう。
これがアメリカ辺りならば、司法取引で別人の戸籍を取得という可能性もゼロでは無いのだが、此処日本では、国家への協力者を優遇するその手の超法規的措置は実例が無い。
何せ、心臓病を患っている少女を誘拐した犯人の共犯者を『このままじゃ、あの娘は死ぬわよ』と言って脅して潜伏場所を吐かせたり、
男に騙され不幸な人生を歩んだ母親の事がトラウマで結婚詐欺師になった容疑者の女性に向かって、
延々母親の悪口を言い続けて激昂させ、その際にポロっと出た失言をもって自白と取る様な、根性ババ色の某女検事が敏腕で通る様な御国柄だし。

「判りました。それで、俺の父親ってのは何処の誰なんです?」

と、ケンスケさんの言を肯定した後、俺は当初の質問を。
コレに対し、彼は酢でも飲んだかの様な顔付きとなり、

「一言で言えば『君のお母さんの師匠』かな」

普段の余裕っぷりが嘘の様な動揺し捲くった態度で、搾り出す様にそう宣った。

「って、それだけじゃ何も判りませんよ。もうチョッと詳しく教えてくれませんか?」

「残念だが、それは出来ない」

キッパリとそう言い切るケンスケさん。
レイさんに目でヘルプを求めるも、首を横に振られてしまった。
どうやら、コレに関しては彼女も同意見らしい。

「つまり、今のがヒントですか?」

「ああ。『一人一言』。それも『直接的な表現はしない』。
 これが、この太陽系における絶対のルールだ」

「はあ」

「悪いな、ゲンシロウ君。
 だが、コイツを破ったら最後、多分、あのまま反政府軍のゲリラに捕まって拷問されていた方がマシって事になるんでな」

そう言って身を震わせるケンスケさん。
俺の知る限りでは、こんな事は奥さんに浮気がバレた時だけ。
それ以外だと、たとえヤー公達に囲まれ十数丁拳銃を突き付けられた状態でもヘラヘラ笑っている(呆れた事に実話)人なだけに、彼が此処まで怯えるなんて只事じゃない。

   シュッ

と、その時、どこからか風切り音が。
それと同時に、俺の目の前に居た筈のケンスケさんの身体が掻き消え、

   バタン

何故か、閉っていた筈のドアが開いていて、ソレが再びゆっくりと閉じた。
それは、まるで何かを暗示するかの様に印象的な。
出来れば関わり合いになりたく無い禍々しいワンシーンだった。


「ア〜ナ〜タ〜! 『もう危険な取材はしない』っていう約束だったでしょ!」

「ス…スマン。だが、俺もカメラマンの端くれ。頭じゃヤバイと判っていても、本能的に引けない時ってヤツがあるんだ」

「ソッチはもう諦めてるわよ! そんな事より、ど〜やって窮地を脱したの!?」

「そ、それは………」

「どうせ、あからさまに狙った様なタイミングでカスミかミオ辺りが現れて、
 そのまま済崩しに行動を共にするっていう何時ものパターンで、この2ケ月、向こうで宜しくやってたんでしょう!
 悔しい〜、だから私も一緒に行くっていったのに!」

「いやまあ。確かに、前半部分は大正解って言うか、そんな感じで雨宮に助けて貰ったんだけど、後半の方は事実無根。只の邪推だってば」

「嘘おっしゃい! この間のウミのナンだかって賞の授賞式の時だって、取材だって言って出かけた挙句そのまま朝帰りじゃない!(シュルシュ)」

「(グオオオッ)判った、俺が悪かった!
 だから、もう止めてくれラナ! お前のコレはシャレにならな………(ギャ〜)筋が切れる。手足があり得ない方向に〜」

「(ズズ〜ッ)さて、そろそろお暇して次に行きましょうか」

既に冷め始めていたコーヒーを一気に飲み干すと、さり気無く残りイチゴ大福をボストンバックに納めつつ、レイさんが何事も無かったかの様にそう促してきた。

「放って置いて良いんですか、アレ?」

「ええ。夫婦の営みを邪魔するのも無粋でしょ?」

何故かチョッぴり頬を染めながらそんな事を宣う彼女を前に、何も言えないヘタレな俺だった。



   〜 30分後。冬月家 〜

「それで(パチ)私の所へ来たのかね?」

「はい。(パチ)そろそろ夕食時なので、碇君の所に御呼ばれするつもりの私としては、この辺でアンサー編に入りたいと思いまして」

「そう言われてもねえ。(パチ)この件に関して、私は全くの部外者の筈だがね」

「はい。(パチ)ですから、例の人物の簡略なプロフィールを語って頂くだけで結構です」

「それが(パチ)どういう意味なのか判っているのかね?」

「はい。(パチ)ですから、冬月先生が最も適任かと。特に御年齢的に」

嗚呼、縁側でお爺ちゃんとうら若い女性が将棋を指しているという、パッと見はN○Kの連続TVドラマっぽいワンシーンなのに………

目の前で展開されているアレっぽい雰囲気に、額を抑えつつ必死に耐える。
そんな俺を尻目に、二人のイヤ〜ンな会話は進んでゆき、

「残念だが(パチ)そんな殉教者の様な真似をするつもりなど、私には無いねえ」

「何故ですか?(パチ)今更、惜しむ様な生命でも無いでしょう?」

「だからこそだよ。(パチ)確かに、私は畳の上で死ねる様なまっとうな人生を歩んできた訳では無いが、それだけに、その捨て時にはトコトン拘るつもりでね」

「そうですか。では、『私がこの勝負に勝ったら』という事では如何でしょう? (パチ)ちなみに、あと9手で詰みですけど」

「なっ!?……………(コホン)レ、レイ君。この矢倉崩しの七5桂馬打ちは待って貰えないかね?」

「イヤです」

その後も未練たらしくレイさんの決め手(らしい)の一手を待って貰う様に懇願するも、
彼女の素気無い態度からそれが如何あっても無理だと悟ると、そのまま唸りつつ長考に入る冬月さん。
昔はプロ顔負けに強かったという話だが、そこはそれ御歳81歳。流石に寄る年波には勝てない様だ。

「取り敢えず、持ち時間として明日までは待ちます。潔く投了して下さる事を願っていますよ、冬月先生」

そう言い残すと、それまでのシリアスぶりとは打って変わった。
何時も通りの(言葉の内容だけは)軽いノリで、『という訳で、答えは明日まで待ってねゲンちゃん』と、俺を促して帰宅の途についた。
そう。出張開けの何日かは、必ずウチに入り浸るのだ、この人は。



   〜 20分後。碇家の食卓 〜

道々、外観だけは幻想的な美女である為に、羨望の混じった好奇の視線を浴びながら。
その実、『碇君の御飯。(ウフフッ)楽しみね』と、逝っちゃってるその内面を小声で吐露しているレイさんをあやしつつ帰宅すると、

「ング、ング、ング………(プハッ)イヤ〜、久しぶりよね、この感覚。
 純和風のオカズを肴に飲むエビちゅ。正に魂の故郷に帰ってきた気分だわ」

昨日に続いて先客達が。その一人、年嵩の方の紫掛かったロングヘアの女性が、夕食のオカズっぽいカツオのタタキと肉じゃがを肴に酒盛を堪能していた。
ワリと見慣れた光景。レイさん同様、コレもまた御馴染なお客様だ。

「…………また、ご主人とケンカなさったんですか、葛城一佐?」

呆れ半分、敵意半分といった欠片も好意の含まれない声音で、彼女達が此処へ来る際の定番な理由を上げつつ、そう尋ねるレイさん。
だが、ミサトさんとて負けてはいない。

「や〜ね、レイったら。イイ歳して一人身なモンだから僻んじゃって」

「はい。貴女の様な方に、ハツネちゃんの様な礼儀正しい娘さんがいらっしゃる事だけは、常々首を捻ると共に羨ましく思っていますよ。
 その一点以外の総てが、理想の母親象から外れていると言いますか。私にとっては反面教師なのですけれど」

そう。嘗ては、直属の上司とその部下。 それも、世界の危機とも言うべき大戦を戦い抜いた戦友という間柄でありながら、何故かこの二人は滅法仲が悪い。
とは言え、両者の間で交わされるのは、大抵が前述の様なイヤミの応酬だけ。
共に腕に覚えがある癖に、肉体言語を駆使して拳で語り合う事はほとんど無い。
それ所か、母さんの前では何故か意気投合。 互いにフォローしあって、不仲な所など億尾にも出さなかったりするのだから実に性質が悪い。

「あっ。お帰りなさい、レイちゃん、ゲンちゃん。
 今、御味噌汁を温め直すからチョッと待っててね」

「問題ないわ。私もソレを摘ませていて貰うから」

と、台所から母さんの持ってきた、追加のツマミっぽいボウル一杯の枝豆を仲良く摘み出す、レイさんとミサトさん。
相変わらず、見事なまでの変わり身の早さである。

「(モグモグモグ)」

そんな彼女達に混じって次々と料理を平らげているのが、葛城ハツネさん。
俺とは2歳違いの幼馴染で、スール制度で有名な某女子校に通う、いわゆる深窓のお嬢様。
それも、当の学園で生徒会役員を。
紅薔薇の妹の妹(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン・プティスール)とか言う『一体、何の早口言葉だよ』と突っ込みたくなる様な役職にあって、
一年生にして他の生徒達の羨望を一身に浴びる身らしい。
実際、彼女から聞いた話では、幼い頃に礼儀作法に五月蝿い近所のお姉さんに徹底的に躾けられた(実の母親でない所がミソ)とかで、その立ち振る舞いは基本的には優雅華麗であり、
また、食事を摂る際の行儀作法等も、拙い俺の知識に照らし合わせる限りでは文句の付け様の無い。
だが、それでも尚、カツオのタタキや副菜のタコの酢物をチョイチョイ摘みつつ、どんぶり茶碗を片手にジャガ芋が軽く3個分は入っていそうな特盛の肉じゃがを平らげてゆくその姿は、
そういったバックストーリを打ち壊しにして余りあるものが。
しかも、そんな大食漢でありながら長身痩躯で、出る所はチャンと出ているモデル体型なのだから詐欺である。
まあそれでも、不摂生の見本の様な生活を送っていながら、御歳45歳にしてなおスタイル抜群なその母親に比べれば罪が無いのだろうが。

「それは偏見よ、ゲンシロウ君。こう見えても私、普段は至って小食なんだから」

隣の席に着くと。食事の手を止めたハツネさんが、そんな事を言って来た。
どうも、俺の顔色から前述のモノローグを察したらしい。
相変わらず、油断も隙も無い人である。

「そうなの? 少なくとも、こうやって食事を共にする姿を見る限りでは、充分健啖家だと思うけど」

「当然でしょう。こんな美味かつ身体に優しい食事を取れる機会なんて、此処に来る時だけなんだから」

悪びれる事無く“しれ”っとそう宣うハツネさん。

「そりゃあ、普段の食事もマズイとは言わないわよ。何しろ、基本的に外食ですもの。
 でもね、お母様が好んで入るお店は、大抵ステーキハウスなのよ。
 目の前で、正に肉の塊といった感じな1s級の血の滴る様なレアが、何本ものボトルワインと共に消えていく様を差し向いで眺めながらの食事。
 食欲なんて湧く訳が無いでしょう。見ているだけで、もう御腹一杯よ」

ウッ。確かに、それはキツイものが………
とゆ〜か、一食が一体何千カロリーになるんだ、それ? 下手すれば万に桁が変わるんじゃないのか?
そんなんでなお、あの黄金比率を保っているなんて。本当に人間なんだろうか、ミサトさんって。

「嗚呼、小さい頃は良かったわ。
 周りには貴女のお母さん以外にも料理上手なお姉様が揃っていて、私の事をとても可愛がってくれたのに。
 (ハア〜)幸せって、どうして長続きしないのかしら。」

そう言って物憂げに溜息を吐くハツネさん。
その姿は気品のある色気に満ちていて、内容がアレな事を差引いてなお魅力的だった。
そう、世の中には稀に居るのだ。
こういう何をやっても様になる、楽して得して人生を渡っていくヤツが。

「思えば、お母様の気紛れで、今の学校に無理矢理編入させられたのが不幸の始まりだったわね。
 しかも、私には何の相談も無く、転校の挙句に引越し。お姉様達から引き離され、今の生活に。
 御蔭でこの6年で、成長期の真っ只中だと言うのに体重があの当時より7kgも減ってしまったんだから。これはもう虐待の一歩手前のよね」

って、チョッと待て。
今より20p以上も背が低かった小学校時代に、今より7sも重かったんかいアンタは。
そう言えば、あの頃のハツネさんってば妙にポッチャリしていた様な………

いや流石、その手の直感は絶対に外さない人。
お嬢様学校に放り込んでおいて大正解でしたよ、ミサトさん。

「ちなみに、現在の身長と体重は?」

「172cmで54s。スリーサイズは、上から88・59・86よ」

(クッ)外観からある程度は予測していたが、なんて理想的な数値なんだ………って、おい!

「ひょっとして、俺って男として認識されてないんですか?」

「あら、そんな事あるわけ無いじゃない。
 だって、君が男の子じゃなければ聞いても面白くないでしょ、こんな話」

そう言って、軽くウインクなどしてくる様は、母親を彷彿させるものが。
普段は身に纏う雰囲気が真逆な親子でありながら、こういう時は正に瓜二つ。
彼女がミサトさんから受け継いだのは、その容姿だけでは無い事を実感させてくれる。



「さて。そろそろ私達はお暇しましょうか。
 此処から先は、少年少女が同席していては情操教育に悪そうですし」

そんなこんなで数十分後。
料理を粗方食い尽くしたから………いや、完全に出来上がっているミサトさんとレイさんの痴態を拙いと思ったらしく、ハツネさんが俺にそう促してきた。
こういう所は、流石、現役のお嬢様高校の生徒だと思う。
実際、(到底そうは見えないが)彼女はネルフの総司令とその最高幹部の一人娘。
その実体は兎も角、対外的なステイタスはかなり高かったりする………

「あら、浮かない顔ね。二人にママを取られてしまって寂しいのかな、ゲンちゃんは。
 私で良ければ、添い寝くらいはして上げるけど、如何かしら?」

前言撤回。所詮はミサトさんの娘である。

「(ハア〜)遠慮しとく」

ニヤニヤと人の悪い笑顔で、尚も『あら残念ね。やっぱりママには勝てないか』とか宣まっているハツネさんの矛先を溜息混じりに避けると、俺は逃げる様に自室へと向かった。

そう。別に、これがお初の惨事という訳では無い。
経験値はバッチリ。当然、こういう時の身の処し方も心得ているのだ。
気分は災害時の地域住民。嵐が過ぎ去るのをジッとガマンの子で待つのみである。

ちなみに、何とはなしに開けてみた例のレイさんの御土産は、何故か際どいスリットの入った桃色のチャイナ服だった。
一体ナニを考えているのやら、相変わらず行動基準の見えない人だな。
こんな物を寄越して、俺に如何しろって言うんだ?




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