〜 同時刻。とある安アパートにある、アマノ イワト先生の隠れ家 〜

『う〜〜、トイレ、トイレ』

今、トイレを求めて全力疾走している僕は、ひょんな事からとある傭兵部隊に準隊員として所属することになった、少女漫画が趣味な、ごく一般的な男の子。
強いて違う所を上げるとすれば、逞しい筋肉に興味があるって事かナー。
名前は白鳥沢 愛。
そんな訳で。帰り道にある公園のトイレにやって来たのだ。

公衆便所を求めて辺りを見回す。
そんな中、ふとベンチを見ると、一人の若い女が座っていた。

(ウホッ! イイ筋肉………)

ゴクリと喉が鳴る。
思わず見入ってしまう様な、惚れ惚れする様な肉体美だった。

そんな風につい立ち止まっていると、突然その女は、僕の見ている前で自衛官の物と思しき制服のホックを外し始めたのだ!

『やらないか』

女性を感じさせない怜悧な。有無を言わせぬ、出会い頭の彼女の一言。
そう言えばこの公園は、筋肉愛好家達のハッテン場がある事で有名な所だった。
でも、イイ筋肉に弱い僕は、誘われるままホイホイとトイレについて行っちゃったのだ。

彼女――――チョッとワルっぽい傭兵でジリオラ=ワークマンと名乗った。
アニキ…じゃなくてアネゴもやりなれているらしく、トイレに入るなり、僕はビキニパンツ一枚に剥かれてしまった。

『良かったのかホイホイついて来て。
 私はチェリー君だって構わないで食っちまう人間なんだぞ』

『こんなこと初めてだけど良いです。僕…ジルさんみたいな人、好きですから………』

『嬉しい事を言ってくれるじゃないか。
 それじゃあ、トコトン喜ばせてやるからな』

その言葉通り、彼女は素晴らしいテクニシャンだった。
僕はと言うと、目の前で繰り広げられる背面を向き下背部から上背部にかけてのシルエットのアピールに。
更には、振り返り様の。確かな大胸筋によって支えられた見事なバストに、もう釘付け………



「って、ドコ見てるのよ、愛君! 違うでしょ、今の君が見るべき所は!」

「む…無理言わないで下さいよ、アマノ先生。僕だって男ですよ」

ヒカルの怒声に、先程の衝撃映像の所為で垂れ始めた鼻血を押さえつつ、必死に抗弁する白鳥沢君。
そう。普段は比較対照として春待三尉が居る所為で。また、その長身故にあまり目立たないが、
実はワークマン士長のスタイルは(筋肉に目を瞑れば)かなり良い。
それを何の気無しに。軽くDカップを越える豊かな褐色のバストをサイドチェスト(胸の厚みを強調するポージング)のまま至近距離で見せられたのだ。
年頃の少年としては、とても無心ではいられない。

「ジルちゃんもジルちゃんよ。  何だって、全体脂肪がソコに集中してると言わんばかりなの、君の身体は!」

「うむ。確かに、少々バランスが悪いと自覚はしている故、最近はダイエットを心掛けている。ノー・プロブレム」

「うわっ、それってイヤミ? 最近3kg太っちゃった私へのイヤミなの? 今だって、体脂肪が一桁しか無い癖に〜」

「いやその。別にその様なつもりでは………」

「(ウエ〜ン)どうせ私は、もうすぐ21歳よ。
 貴女達みたいなティーンエイジャーから見れば只のオバサンよ。
 人生曲がり角。彼氏イナイ暦だって、こないだ更新しちゃたわよ。
 後はもう老いさばらえて朽ちていくのを待つ身。一人寂しく死んでいくのよ〜」

この所、徹夜続きだった所為か情緒不安定。
感情の爆発するままに言うだけ言った後、そのまま不貞寝を始める、アマノ イワト先生。
そんなこんなで、なまじ前回のコスミケで発表したアイネス先生シリーズ(外伝参照)が当り過ぎたが故に、次回作の構想が上手くいかず、二番煎じなありきたりなものに。
『これではイケナイ』とばかりに手を出した新ジャンルだったが、時代に先行し過ぎていた所為か、彼女のこの試みはあまり上手く行っていなかった。

「「……………」」

取り敢えず、春待三尉にこの辺の事情を話し、次の全体会議にて待遇改善を訴えて貰う事を。
何より、もう何と言われても、作品のモデルを務めるのは絶対に止め様と胸に誓うワークマン士長と白鳥沢君だった。

『そんな事をやってる暇があったら、締切りを守って下さいよ〜』

煌めく星々を讃えた夜空には、菩薩の如く悟りきった笑みを浮かべた担当さんの顔が浮かんでいた。



   〜 同時刻。木連第七廃棄プラント 〜

19対17で一応は勝利を飾ったものの、ハンデに守られただけで実質的には負けだった(第12話参照)
葛城ミサト率いる(?)エヴァチームに苦杯を舐めさせられた、あの屈辱の第12使徒戦より早3週間。
己の未熟を悟ったガイは、先の第13使徒戦が、その特性上、直接的な武力を必要としない事もあって生じた約2ヶ月のブランクを利用して、
漫画染みた過酷な修行場の多い此処木連でも最も悪名高き伝説を誇る、此処第七廃棄プラント。
通称『悪魔の花園』と呼ばれる地にて再修業中。

「おりゃあ〜っ!」

「(キシャー)」

今日も今日とて、第一回目の『ドキッ! まさかの時の武道の達人!』で相対して以来のライバルである西の達人。
ヒマワリのヒナタさんを相手に、原型を失い半ば肉塊と化している豚の死骸を巡って、激しい戦いを演じていた。

  ブ〜ン

と、其処へ、高速で飛来するものが。
全長が120pはあろうかという馬鹿でかいスズメバチ(?)が、トンビに油アゲとばかりにそれを掻っ攫おうとする。
無論、ムザムザとそれを許す二人(?)ではない。

「させるかよ! 鷹爪飛翔斬!」

まずはガイが右の静御霊をブーメランの如く投げ付ける。
豚肉を抱えた事で鈍った飛翔力ではこれを避けきれず、羽の一部を切り裂かれるスズメバチ。
そして、失速して高度が落ちた所へ、

「(キシャー)」

   ガブッ!

『良い位置だ、喰らえ!』とばかりに、ヒナタさんがその顎を広げて頭から丸齧りに。
頭部を丸々失い絶命。そのまま地に落ちようとするスズメバチの胴体部分と抱えていた肉塊を、その触手っぽい葉茎で受け止めようとするも、流石にそれはスィートな考え。
一時は共闘したガイがすぐさま敵に早変わりし、左の荒御霊を振りかざして獲物の捕獲を邪魔しに掛かる。

互いの目と目が合う。(比喩的表現)
暫しの。実質的には数秒足らずの睨み合いの末、双方の間で合意がなされ、どちらとも無く臨戦態勢を解き、ガイが豚の死骸の解体作業を。
そして、約半分程の肉塊を取り分けると、そのままそれを担いで、キャンプを張っている自分のテリトリーへ帰還する。
ヒナタさんの取り分は、残りの肉とズスメバチの胴体部分。
思わぬ糧が手に入ったが故に、争う理由が無くなったという訳である。

そう。大雑把に大別すると、植物>昆虫>動物という感じに、強さのランキングが些か狂っているものの、此処は弱肉強食の世界。
だが、だからこそ。何でもアリな生存競争の場であるが故に、不可侵と言うべきルールが存在する。

必要以上に獲物を獲らない。
不要な危険を避けるべく生み出された野生生物の知恵であり、生態系を維持し食物連鎖の輪を崩さぬよう神によって刷り込まれた本能でもあるもの。
この絶対の掟を犯すものは天罰が。たとえ一時は隆盛を極めたとしても、遠からず衰退がまっている。
進化の過程において知恵を育み、それによって道具を生み出し、ついには天敵を失いその輪から外れた感のある人間もまた例外ではない。
長い目で見れば、その進歩と繁栄に正比例する形で、人間同士の間で大きな悲劇が起っている。
2199年の現代においては、その種の絶滅の危機すらあった大戦が行なわれたばかり。
しかも、その絶体絶命の危機を回避出来たのは、各国の代表達が賢明なる判断を下したからではなく、寧ろその暴走を止めるべく立ち上った者達が居た御蔭であり、
そんな彼等の必死の奮闘の対価と、幾許かの幸運によってもららされた結果に過ぎないのだ。
ましてや、次もまた今回の様に都合良く事が進む保障など何処にも無い。
否、幕末の折、諸外国との徹底抗戦を主張した血気盛んな志士達が、
『イザとなったら神風(蒙古襲来の折に吹き荒れ、敵の船団に二度に渡って壊滅的ダメージを与えた台風の事)が吹く!』と嘯いた様に、
劇的な勝利とは、しばしば正常な判断力を奪い去るもの。
なまじ偉大な英雄様が現れてしまった所為で、次はそうならない可能性の方が遥に高いだろう。
或いは、人類は既に神に見放された種族なのかの知れない。

原始の心に回帰しつつあるが故に、時折、頭で考えるのでは無く魂でそんな虚しさを感じるガイだった。
しかし、だからといって生きる事を放棄したりはしない。
仮に未来には破滅しかないのだとしても、それは諦める事と同義語ではない。
最後まで足掻き続けるのみ。そうでなくては、これまで自分が倒してきた猛者達に申し訳が立たない。

最初は只の豚や牛でさえ侮れない相手だった。
この狂った地でも、その血統を絶やす事なく生き抜いているだけあって、彼等は実にしたたかだ。
そこかしこに転がる生存競争に敗れた植物達の死骸を齧って餓えを凌ぎつつ、危険を察知するやいないや、一目散に逃げ出すその姿は、正に野生の草食動物のそれ。
簡単には捕まらず、最初に捕獲に成功したのは、万一に備えて用意してきた携帯食料が尽きて三日後の事だった。

次のハードルは、その横取りを狙ってくる昆虫達。
ドイツもコイツもデフォルトで巨大化しているもんだから、実に厄介だ。
特にヤバイのが働きアリ。
カマキリを初めとする一般的には戦闘種族と思われがちな連中よりも、
自分より強い相手との戦い方というものを御先祖様達より遺伝子によって受け継いでいるコイツ等の方が遥かに手強かったするのだ。

そして、この地の生態系ピラミッドの頂点に立つ最大の敵にして、戦いの理を知る敬意に値するライバル達。

マリアンヌ(ウツボカズラ)ジョディ(チューリップ)ケイト(パンジー)、フィー(アサガオ)、いずれもが一騎当千の猛者達だった。
イボンヌ(タンポポ)は足の速くて、マチルダ(桜)は経験豊富な樹齢80歳。
ディカプリオ(白バラ)は華麗なテクニシャンだった。
嗚呼、何もかもが懐かしい。

「(キシャー)」

そんな感慨に耽っていたガイの前に、ヒナタさんよりずっと小柄な体躯の。
葉茎がガリガリに痩せ細った、見慣れない顔のヒマワリが現れた。
おそらくは、まだ幼い。経験不足から、禄に獲物の獲れない類なのだろう。
実際、ヒマワリの死亡率のトップは、こうした幼少時の栄養補給の欠如が原因らしい。
それでも、物乞いの様な真似はしないその生きる姿勢は、流石は百獣の王の貫目といった所だろうか。

「(カチャ)しゃあねえなあ」

疎ましそうにそうボヤキつつ、ゆっくりと腰の小太刀を引き抜く、ガイ。
そう。こうした空きっ腹を抱えた手負いのヒマワリほど危険なものは又と無い。
俗に、寝ダメ食いダメなどという言葉があるが、彼ら植物は、それを字面通りの意味で実行出来る種族。
それ故、一旦飢餓状態に陥ると、もはや常識は通じない。
そこらのフードファイターなど及びもつかない量の糧を切実に欲するのだ。
手持ちの肉塊程度では、ハッキリ言って焼け石に水。
自分もまた、食料としか映っていない筈。
気は進まないが、もはや交戦は避けられない。

「うりゃあ〜っ!」

「(キシャー)」

かくて、互いの生存を賭けた飽くなき消耗戦の火蓋が切って落された。

『『偶にでイイから、私の事も思い出して(くれ)よ〜』』

サンサンと輝く人工太陽を讃えた青空の彼方には、菩薩の如く悟りきった笑みを浮かべた乙女達の残留思念が浮かんでいた。



   〜 同時刻。木連の某撮影スタジオ、控室の一室 〜





「「どんな時〜も、二人じゃなきゃダメなの〜、一人よりも二人じゃなきゃだめなの〜」」

壁一面に設置された大きな姿見の前で、二人の幼い少女が、息の会った振り付けでDio(沖○姉妹)の『ふたりじゃなきゃだめなの』を熱唱中。
その後ろでは、そんな彼女達に瓜二つな少女が、何やら真剣な顔付きでメモを取っている。
そして、その歌声が終了した時点で、

「う〜ん。今度は、チョッと息を合わせ過ぎかな?
 特に、右からターンする時に一拍遅れるクセが………」

曲のBGMを鳴らしていたコンポのスイッチを切りつつ、そんな苦言を。
それを受け、歌手役の二人も気付いた事を述べ、暫しの間、問題点の洗い出し作業を図る三人の少女達。
その姿は、一卵性の三つ子でも滅多に無いくらいソックリだった。
それもその筈、彼女達は全員同一人物。音楽の使徒たる音無マリアの同位体なのである。
そう。実を言えば、本番でそれなりの身長が必要なキャラを演じる時以外は、彼女達は常に7人に分かれていたりするのだ。

『何故そんな事をするのか?』と問われれば、『その方が効率が良いから』としか答え様が無い。
と言うのも、猛烈に忙しい状態を指して、俗に『身体がもう一つ欲しい』とか『猫の手でも借りたい』と等と称すが、
マリアは、使徒としての特殊能力によって、それをそのままの意味で実行出来るのだ。
ましてや、パー○ンのコピー○ボットやN○R○TOの影分身の如く、記憶と経験の共有すら可能とあっては、引っ張りダコな身としては、これを有効利用しない手は無い。
とゆ〜か、こうでもしないと纏まった練習時間など取りようが無い。
無論、本来ならば、それでもなお充分とは言えないのだが、それを最大限に有効活用する方法を彼女は知っている。
使徒娘特有のキャパシティと、前述の様な、主観と客観の双方を満たす効率の良い練習法。
この常人ではあり得ぬ特異性こそが、音無マリアというトップアイドルを支えている土台なのだ。

そう。某マスクマンでは無いが、敢えて言い切らせて頂こう。
一流と二流とを隔てるもの。それは偏に才能の有無でしかないと。
そこには、精神論など入り込む余地など無い。
極論するならば、100m走などの瞬発力を競う競技においては、先天的な筋肉の質こそが物を言うのと同じ理屈である。

只、勘違いはしないで頂きたい。
今述べた事は、決して努力や根性を否定するものでは無い。
寧ろ、それを大いに肯定する理論である。
何故なら、俗に『誰にでも一つくらいは取り得がある』という言葉が示す様に、発揮される分野にさえ拘らなければ、才能とは誰もが持っているもの。
つまり、千差万別なものであり、決して全知全能を約束する免罪符では無い。
己の資質を正しく理解し、それをより良く伸ばす事こそが肝要であり、持って生まれた折角の長所を磨かないのは論外だという意味なのだ。
たとえば、幾ら当ればホームランというくらい球質が軽いからと言って、
針の先をも通す様な抜群の制球力で150q台の速球を投げる左投手がバカスカと打たれるのだとしたら、それはもう才能について論じる以前の問題。
寧ろ、配球を組み立てているキャッチャーの責任だと思いませんか、皆さん?

「撮影まで、あと30分か。アン、レコーディングに行っているカトリ達は間に合いそう?」

問題点の洗い出しが終わった所で、歌手役の二の内の一人が、チェック役を勤めていた少女に、この後の予定を尋ねた。

ちなみに、分身中はそれぞれ自意識が発生する為、便宜上、分裂した順番通りに、
それぞれアン、ドゥ、トロウ(ワ)、カトリ(ル)、サン(ク)、シス、セイ(ット)と名乗っているのだが、実質的にはあまり役に立っていない。
コスプレして外見上の差別化を図らない限り、最も長く行動を共にしているマネージャーさんにも区別が付かない為、あくまでも彼女達の中でしか通用しない符丁だったりする。

「うん。先程、漸くOKを貰えたんだね」

丁度、別ネタの、性格だけでなく容姿も対照的でありながら、お互いへの依存度が矢鱈と高い。
同じ異性に恋をしたらケンカするよりジャンケンで決めそうな、とある双子のデュエット曲の収録が終った直後だったらしく、
帰ってきた二人分だけ頭身が上がったマリア(アン)がそう答える。
こうやってリーダである彼女を基点に瞬時に元に戻れる。
つまり、移動時間の節約が可能な事もまた、この分身技の大きなメリットである。

「それにしても、何でレコーディングだとこんなに駄目出しが多いのかなあ?」

「そうだね。リハーサルなんかは大抵一発なのに」

この所、折に触れて感じているやや不満混じりの疑問を上げ、互いに首を捻りあう三人娘。

無論、その理由はと言えば、収録中のスタジオ内で歌っている際の彼女の姿にある。
そう。着ぐるみの類を着ていない以上、七分身中のマリアの外観は、幼稚園児のソレなのだ。
いかに歌唱力自体は本体と比べても遜色が無いと言っても、人間の心理として、チョッとクルものが。さぞや認め難いものがあるだろう。
曲りなりにもそれにOKを出す収録スタッフ達の心境はいかばかりか。
正に、知りたくなかった裏舞台というヤツである。

生まれてスグに業界入りした所為か、常識が欠落気味。
その辺の機微など全く感じ取れないのが彼女の限界だった。

「………うわ。明後日、お昼の番組への生出演が決まっちゃった」

と、唐突に再び頭身の上がったマリア(アン)が、僅かに苦い顔をしつつそう呟いた。

「え〜〜〜っ。どうして? 『全体会議があるからOFFにして』って前からお願いしてあった筈なのに」

「何か良く判らないけど、マネージャさんが上手く嵌められた格好みたい。
 でもって、向こうじゃ今、『この不始末の責任は……』とかで刃傷沙汰の真っ最中。
 シスはその仲裁役で帰って来れそうも無いから、今日の撮影は私達だけでやるしかないんだね」

「ソッチはハイヒール等で誤魔化せるから別にイイけど、全体会議はドウするの?
 このままじゃ、これまでコツコツ書き溜め暖めてきた私達のオリジナル曲を使徒戦の後期主題歌するっていう夢が潰えちゃうよ」

「う〜ん。でもでも、番組に穴をあける訳にもいかないし。
 此処は後援会の方達に。オオサキ会長(提督)と海神副会長(外交官)に良くお願いしておく事くらいしか手が無い………
 いや、もう一つ。この際だから、カスミちゃんに私達の代理を頼んじゃおうか。
 彼女、確か何でも屋をやっていたし、全体会議の趨勢には興味が無い様な事を言っていたから他の人に抱き込まれている可能性も低いし、丁度良いんだね」

かくて、木連全土に流れる有線にベートベン交響曲第九番『よろこびの歌』がリクエストされ、
とある闇の仕置き人の下に、野望に燃えるアイドルからの依頼が舞い込んだ。

「(フッ)委細承知。見事、議会の決定権を持つ主要メンバー達の弱みを掴んでみせよう」

「いや、そういうんじゃなくてね。
 もっと普通に。単に主題歌の話題が出た時に、私の曲をプッシュしてくれるだけでイイんだけど………」

そんなこんなで、住む世界が違う所為か意思疎通までに若干の手間隙を要したが、それはまた別のお話である。



   〜 2199年、紅洲宴歳館、泰山 〜

創業200余年。この街の老舗中の老舗店。
その店長であり、常連客からは、ちびっこ店長と呼ばれ親しまれる謎の中国人、13代目跋さんの振るう中華鍋は、今日も、ありとあらゆる食材を唐辛子まみれにしている。
だが、いつもならば一片の曇りすらない流れる様なその鍋捌きが、その日は僅かながら猛々しく、まるで入れ込み過ぎた競争馬の如く盛っていた。
そう、彼女には無意識ながらも予感があった。
頭では無く本能が、己の牙城を脅かす強敵の来襲を感じ取っていたのだ。

そして、その日の夜半。夕食時を僅かに過ぎた頃、

「邪魔するある」

そんな、ありふれた挨拶と共に、泰山は実に十数年振りに戦場となった。

「あ…貴女は魃姐さん!」

「(フッ)その通り。拳法漫画の十八番な生き別れの兄さんならぬ、生き別れの双子の姉あるよ」

「貴女が何故? いえ、愚問だったあるな」

いまだ驚愕を引き摺りながらも、どうにか強気に。跋さんにしてみれば、精一杯な威嚇。
不敵な笑顔らしきものを浮かべつつ、そう質問……否、確認を。
それを受け、突如現れた、彼女の姉と思しき魃もまたソックリな。
だが、全く違う。双子特有の瓜二つな容姿でありながら跋さんが終ぞ浮かべた事の無い、険のある笑顔で、

「その通り。私達の間に言葉は不要。勝負のこと、跋!」

と、ビッと人差し指を突きつけ大見得を切った後、

「これはホンの挨拶代わりよ」

手に持っていた岡持ちから、ホカホカと湯気を立てるマーボの盛られた大皿を。
色、ツヤ、そして、食欲を誘う唐辛子の香り。
総てが、跋さんの目から見ても文句の付け様の無い一品だった。

次いで、取り出された小皿に件のマーボが取り分けられ、空気の読める有志ある常連客達が、それの試食を。
彼等は辛党なだけであって、特に大食漢という訳ではないゆえ、食事を終えたばかりの身には少々重かったが、その辺は気合でカバーする。
コレによって、僅かなりとも二人の美少女(?)の歓心が買えるのであれば安いもの………そんな、チョッピリ邪な夢想からの参戦だった。
だが、現実は厳しかった。

   バタン

「アイヤー! 嘘ある。ウチの店の常連さん達が、たった一口で倒されるだなんて。
 跋、貴女、一体何を仕込んだあるか!?」

「(クックックッ)店の看板に守られ、ヌクヌクと暮らしていただけあって、マヌケな質問あるな。
 自分の手の内を晒すアホなんてドコにも居ないね。それが世間の相場というものあるよ」

そこはかとなく大昔のスポ根ものの。
あの、如何にも終生のライバルっぽい雰囲気の出しつつ対峙する二人の美少女達(?)。
と、その時、そんな一触即発な状況に水を注す形で、

「お待ちなさい」

同じく店の常連客であるシスター言峰が、二人の間に割って入った。

「邪魔しないで欲しいね、シスター言峰。これは私と姐さんの問題ある」

「そうある。勝った方が店を継ぐ。野蛮の誹りを受け様とも、私達はそうやって互いの腕を切磋琢磨してきたのよ。
 それが、お客様は決して洩らせぬ、この泰山の200余年に渡る血塗られた歴史あるよ」

と、言ってはイケナイ筈の秘密を現在進行形で暴露しつつ、反論する跋さん。
だが、シスターはそれに頓着せず。敢えて突っ込みも入れず、

「料理の出来栄えこそ、かの満干全席にて供される宮廷料理それと比べても、決して引けは取らない美味を誇っていますが、此処はあくまでごく普通の町の中華料理屋さんの筈。
 それを、いきなりやって来て勝負等と言われましても。
 無論、常連客の皆様の舌は肥えてはいるでしょうが、そこはそれ人には人情というものが。
 日頃御世話になっている跋さんを前に、純粋に審査に徹し冷徹かつ公平な判断を下せというには些か無理がありましょう」

「ふむ。一理あるあるな。私としてもホームタウンディシジョンで負けるのは甚だ不本意ね」

理路整然とした彼女の説得に、納得顔となる魃。
だが、無意識の内に味方だと思っていたシスターに判官贔屓を示唆された跋さんにしてみれば面白かろう筈も無く、やや刺のある声音で、

「では、どうするねシスター言峰。神の名の下に、貴女が勝敗を判定してくれるあるか?」

「いえ、非才なる。神の恩寵によって日々の糧(マーボ)を頂くのみの我の身には、あまりに荷の重い話。
 それ故、此処は一つ、判定は双方に取って何の利害関係も無い。それも、なるべく多くの方々にお願いすべきかと」

「なるほど。おそらくは、それがベストの勝負方法あるな。
 しかし、そんな都合の良い人材達をドコから見つけてくるね?」

普段と変わらぬ揺ぎ無い。筋と信念とが通ったシスターの言に、彼女に二心の無い事を悟り、やや恥じ入りながらも、跋さんは事の問題点を尋ねた。
それを受け、我が意を得たりとばかりに、

「それなのですが、彼女の所属する部隊の皆さんにお願いすると言うのは如何でしょうか?」

と、彼女が指差す先には、跋さんが持ってきた大皿のマーボを問題なく。
既にその半分程を征服しようとしている、京人形を思わせる和風美人の姿が。

「ほう。これはまた、中々のテダレの様あるな」

「まあ、チョッと自己中な所が難あるが、その味覚は確かね。
 ウチの常連の中でも、一二を争う猛者あるよ」

「是非もなし。(サラサラ)これが私の連絡先ある。
 仕切りは任せるある。勝負の場の準備が整い次第、声を掛けるよろし」

その勇姿を前に双方が合意に達し、二人の店を掛けた勝負は水入りに。
自分の携帯の電話番号とメールアドレスを書いたメモを手渡し去ってゆく魃さん。

かくて、(彼女的には)些細な事からユリカの不興を買ってしまい、ゲン直しにヤケ食いに来ていた。
カリカリしていた所為で跋の来襲直後の騒然とした店の様子にも気付かず、『丁度良い所に』とばかりに、シスターに勧められるままに何時も通り愚痴を零しつつ例のマーボを。
そんな、前後の事情を全く知らないイツキ カザマ大尉に、今回の勝負の下駄は預けられた。

「……………という訳で、なるげく多くの人に試食して欲しいのですが」

「(モグモグ)任せておいて下さい、シスター。
 ウチには、その手の御祭り騒ぎが大好きな人達が揃っていますし、(モグモグ)これはナイショの話しなんですが、丁度、明後日に全体会議が………」

そして、それを伝える気など、確信犯であるシスター言峰には毛頭無かった。



そんなこんなで、次の全体会議に向け、図らずもその議題は揃っていく。
そして、それ以外の場所でもまた歴史は紡がれているいる訳で――――――――



   〜 イギリスの某所、グリューネワルト=フォン=ラズボーン侯爵夫人の別宅 〜

いまだ幼い。まるで妖精とかと見紛いそうな、幻想的な容姿をした二人の子供達が、そのあどけない顔に真剣な表情を讃え。
何の心得も無いのに、今にも爆発しそうな時限爆弾を解体処理する事になったアクション映画の主人公達の様な危なっかしい手付きで、ティーカップを己の口に運んでいる。

セカンドフラッシュのアッサムをゴールデンルールで淹れ、ミルクティに。
御茶請けのストロベリータルトもまた、お抱えのパテシエが作った一級品。
止めとばかりに、シャレにならないお値段なマイセンの各種茶器。
『鋭敏な感性を育むには、幼い内に本物に接する事こそ肝要』という二十一世紀初頭に活躍したさる陶芸家の残した格言を、
己の経験則も踏まえ全面的に支持している侯爵夫人ならではの、そこらの自称セレブ達では到底口に出来ない。また、その真の価値を理解し得ない珠玉のもの。

それらの事象を教えられた訳では無いが、それでも、お茶やお菓子の出来や、それらを供してくれたメイド達が纏っている雰囲気から、これがとても価値のあるものだと判る。
そういった無言のプレッシャーが、少年と少女の背筋を正しているのだ。
それこそが侯爵夫人の狙いであり、また、先入観の無い幼子にしか正しくは学び取れない“何か”である。

そして、作法としてはいまだ及第点には遠く及ばないが、二人のその真摯な態度は、侯爵夫人の頬を綻ばせるに充分なものだった。
そう。常に最高のもてなしを享受するのが貴族の特権とするならば、そこに込められた情熱を余す事無く汲み取り、その芸術を完成させる事こそが貴族の義務なのだ。
この辺、某美食倶楽部の主催者が、その会員の質に徹底的に拘るのと同じ理屈である。

とまれ、そんな優雅さと緊張感が同居する午後のお茶を終えると、次は御勉強の時間。
備え付けのIFS対応PCを使っての一般教養の学習である。

本音を言えば、侯爵夫人はこうした事が。 俗に言う所の、経験を伴わない頭でっかちな知識の詰め込みというものが好きでは無い。
だが、製本技術が確立された頃より、世にハウツー本が叛乱している事例が示すとおり、事前に予備知識があると無いとでは、その後の展開が全く違ってくる。
まして、この子達は、本来ならば既に経験していて然るべき各種イベント(?)のほとんどを全く知らないのだ。
そうした、失われた幼児時代が取り戻せない以上、せめて知識だけでも補っておかなくては、
近頃噂の新興会社なマーベリック社の広告塔として、往年の湯○専務の如く大車輪で活躍中の、
あの桃色髪の少女の様に、どこか人として肝心な部分がズレた人間となってしまいかねない。

と、世間における己の評価を完璧に棚に上げつつ、子供達の勉強風景を眺めながら侯爵夫人は物思う。
二人共、真剣な顔で勉学に勤しんでいる。
教える側としては、願っても無い勤勉な態度だろう。
しかし、彼女の内心は複雑だった。
此処で生まれる筈の当然の疑問。何故『これまでとは全く異なる知識を押し付けられるのか?』、という反発を、一度も受けていないが故に。
二人の外見年齢は9歳前後。幼いながらも既に自我確立し、それを基盤とする嗜好の方向性が決定している筈の年齢である。
だが、いまだ彼等にはそれが感じられないのだ。

無論、感情が無い訳では無い。
お菓子を初めとする美味しい物を食べている時は幸せそうな顔をするし、
ピーマンに代表される苦味を伴う食材は苦手らしく、それらを食べる時は眉間に皺を寄せて必死に我慢する。
しかし、所詮それは画一的な反応に過ぎない。
極端な例を上げれば、ショートケーキのイチゴは絶対に最後までとって置くとか、チェリーが大好きで何時までも口の中でレロレロとしているとかという、
本来ならば、当然の如く生まれて然るべき個性が無く、何をやらせても概ね同じ反応しか返ってこないのだ。

この事実から推察される事象は、不幸な生い立ちの少年少女達と接する機会の多い侯爵夫人をして、眩暈を覚えるくらい救いの無いものだった。
そう。この二人には、本来の意味での自我が確立していない。
少なくとも、自己欲求の部分が完全に欠落している。
只単に、此方の言う事を理解し、それを実行するという対応力を仕込まれているに過ぎないのだ。
私見だが、精神構造の成熟度において、おそらくは生まれたばかりの子犬すら劣るだろう

正直、理解出来ない。
一体どういう神経をしていれば、この様な愛らしい子供達を此処まで『道具』として扱う事が出来るのかが。
警察犬に代表される、それぞれの分野に特化された訓練犬達ですら、飼主との間には確かな絆があるというのに。

「(フゥ)」

溜息を一つ吐くと共に、この出会いに感謝する。

『全ての不幸な子供を救う』等と言う幻想など、彼女は持っていない。
そういう事をしたいのであれば、私財を投げうって孤児院でも開くべきであり、仮にそれを実行した所で、救えるのは世界レベルで見れば、ほんの一握りが良い所。
同じ自己満足なのであれば、より即物的な方法を。
自分が気に入った子共だけを救う事にしよう。

誰にも告げた事は無いが、それが侯爵夫人の行動理念である。
そう。これまで彼女がその寵愛を与えてきた愛人とは、

ひとつ、12歳以下なり!
ふたつ、決して希望を見失うことなく!
みっつ、決して己の野望(ゆめ)を捨てたりはしない!
よっつ、あらゆる困難にへこたれず、しかも、それを克服し得る天稟(才能)を備えている。
そして、その姿は天使の様な可愛いらしい容姿を基本形とする。

そんな、どこかの来訪者の如く厳しい選定基準にて選ばれるダイヤの原石達なのである。

無論、一目でそれと判る様な都合の良い子供など、そうそう居るものではない。
実際、侯爵夫人が見初めた愛人達のほとんどは、その初対面においては上記の条件から大きく外れている。
否、寧ろ対極の存在だった者さえ少なくない。中には、虚言癖の持ち主やリストカットの常習者さえ居た程である。

しかし、違うのだ。生きる事に倦み腐っている者と、そのフリをしている者とでは。
誰にも犯せぬ心の聖域を持っている子は、すべからく瞳の奥に吸い込まれそうな輝きを持っている。
それを見抜く目に関しては、彼女は絶対の自信を持っていたし、また、その後の愛人達の立派になった姿が実績としてをそれを肯定してくている。
つまり、ラビスちゃんとハル君は、そんな侯爵夫人の嗜好に合致する資質を秘めた存在なのだ。
ましてや、彼等はその生まれからして只の子供では無い。
一体、どこまで行くのやら………

改めて、仲良く並んで勉学中の子供達に。
二人揃って水○灯のそれをモチーフとしたゴスロリ服を疑う事無く着込んでいる、その後ろ姿に注目する。
自分でやっておいてこう言うもなんだが、これは良くない傾向だ。
既に女装と男装の概念について学んでいるだけに、いまだ自分の現状に何の疑問を持とうとしない。
取り分け、その日の服装を選ばせる際、必ず最初に自分が見立てた物と同種の物を選んでいる現状は頂けない。

だが、此処で焦ってはいけない。
幸い、ラビスちゃんの方は、この所、今の物よりやや簡素で動き易い緑を基調とした服に関心を寄せている。
自分の意志でそれを選ぶのも、もう時間の問題だろう。
後は、ハル君が安易に流されない様に。彼女と同じ物を選ばない様に注意を払いつつ、本来あるべき方向へさり気無く。
だが、あくまでも自分の意志でそれを選ばせる。その日が訪れるのを、ゆっくりと待つべきなのだ。
そうでなければ。正しい倫理観が育まれた子でなければ、自分の大好物である美味しいリアクションは賞味出来ない。

そう。女顔の美少年を女装させるのが大好きでありながら、
いざ着飾った後『こ…これがボク?』などと呟く様な、ナルシーでソッチの気があるタイプは大嫌いという、ある意味、至高なまでに我侭な美貌の大貴族様。
それが、グリューネワルト=フォン=ラズボーン侯爵夫人なのだ。



   〜 同時刻、ピースランド王宮内の電算室 〜

ネルガル製の最新型ワークステーション。 かつて、ナデシコAで採用されていた物を、数々の運用データを基に簡略化して汎用化。
株分けが困難であり、また、その進み過ぎたハイテクノロジー故に半ばお蔵入りとなっているオモイカネシリーズの様な超AIを必要としない、
量産化を前提とされたそれを操って、灰色掛かった銀髪の少女が。
先日、色々あって女王陛下直属の騎士に任命されたばかりの使徒娘、テレサ=クゥトルフが、とある指定された作業を行なっている。





縦横無尽に。時に、明らかに仕様書に書かれたスペックの限界すらも越え、ピースランド全土のネットワークを完全に掌握中。
その気になれば、自国のそれは勿論、世界レベルで株式市場や金融市場を意のままに操る事すら可能だろう。
かつて、それを実行し、僅かな資金(それでも個人レベルでは結構な額)を元手にネルガルの株式の51%を押さえた、とある妖精達の様に。

もっとも、彼女がその再来になる事はあり得ない。
何故なら、如何に戦争中とはいえ、主要銘柄の一つであるネルガル関連の株価の中心に、その値動きが全く読めなくなるという異常事態に市場が大混乱。
数多の証券会社を震撼させた、近代金融史に燦然と輝く悪夢の八ヶ月間。
無意識のうちにそれを演出した物達とは、その目的が違うのだ。

彼女が行なっている事は、寧ろその対極と言うべきもの。
兎に角、余計な波風は立てない。かと言って、高圧的な弾圧をもって強引に安定化を図る訳でもない。
只々、大きな波を作らない。極論するならば、この一点に尽きる。

株価と言う名の天秤を常に揺らし続ける事で、その流れを停滞させる事無く。
また、常に小幅な値動きを演出する事で、安定株を求める投資家の融資を促進する。
その他諸々。ぶっちゃけて言えば、とある灰色の魔女とやっている事は概ね同じである。
無論、良い意味でも悪い意味でも大きな流れは起らなくなる為、多大な利益を上げるのは不可能となる。
だが、逆説的に言えば、一度型に嵌めてしまえば、一定の利益を確保する事は難しくない。

しかも、やっている事は言えば、僅かな利幅の株を扱っているだけなので余り目立たない。
そう。これは極めて重要なメリットである。
たとえば、某月○の棋士において、奨励会にて長年苦労してきた鈴○永吉が結局なれなかった。
また、新ライバル役っぽく鳴物入りで登場した幸○真澄が、アッっと言うまに壁にぶち当たってC級止まりで終った将棋のプロ棋士。
そんな狭き門に、いつの間にかチャッカリ入り込み、しかも、主人公が名人戦をやっている頃には何気にB級に。
最終回の折にはA級まで上がっていたっぽい、自称『氷○君とは切っても切れない大親友』の関○勉。
彼のこの成功の秘訣は、矢張り、物語の序盤で盛大にボロ負けした所為で、他のライバル達からノーマークになった事だろう。

「終了です」

とにもかくにも、ピースランドに安定した収益を約束するその作業を終え、プリントアウトした数枚の書類を女王陛下に提出する。
数分後、目を通し終えた彼女からOKのサインが。
上機嫌そうなその様子に安堵の溜息を吐くと、慣れた手付きで己の髪を素早く三つ編みに結い上げる。
最後に、グルグル眼鏡を装着。
先程までの妖精と見紛う様な可憐な姿を捨て、テレサは何時もの姿に戻った。



「(フゥ)」

十数分後。いつも通り、午後のお茶会へと誘った席にて。 これまた、いつも通りドン臭い。紅茶を口に運ぶテレサの危なっかしい手付きを眺めながら、思わず溜息一つ零した後、

「この際だから、もう止めない? その格好」

と、イセリナは、彼女が着任して以来ずっと感じていた、目の前の家臣の唯一の問題点について徐に切り出した。





「お気に〜、召しませんか〜」

「う〜ん。私個人としては『それも面白いかも』って思うのだけれども、そうやって、実生活に支障が出ている様は頂けないわね。実際、それじゃ貴女だって辛いでしょ?」

「い〜え〜、私と〜しては〜、 此方の方が〜楽で〜良いんですけど〜」

「………そ、そうなの」

苦笑しつつ、イセリナは自分の目論見が空振りに終った事を認めた。
正直な所、己の特異能力の異常性を危惧し、自らの意思で制限を設けたその高い倫理観は賞賛に値すると思う。
だからこそ、着任からのこの一週間は様子見に徹し、テレサが苦痛を感じている様であれば、
『大丈夫。此処には貴女を害する者など居ないのだから。もう無理はしなくて良いのよ』と、そっと優しく諭す事で、
娘の紹介でやって来た、この得難い能力を持った家臣への好感度アップを狙っていたのだが………まあ仕方ない。
此処は寧ろ、このままの方が。仕事をこなしている分には五月蝿い事は言わない寛大な主君路線で行く方が吉だろう。

「それでは〜、私は〜これで〜」

「ええ。あの子達を宜しくね」

「はい〜、お任せを〜」

お茶会も終了。次のテレサの仕事は、ピースランドの皇太子たる五つ子ちゃんの家庭教師である。
無論、一般常識に関して言えば、教えている彼女の方が遥に未熟だったりするのだが、そこはそれ使徒娘の事。
まして、その特殊能力は、知識量だけならカヲリさえも伍する圧倒的な記憶領域を基点とするもの。
純粋な学業という面では、正に博覧強記の見本市なので特に問題ない。

頃合を見て、いつも通りその授業風景の見物を始める。 隠しカメラの先では、丁度、ブーブークッションに引っ掛ったテレサが、息子達に囃し立てられている所だった。
そう。あのドン臭い姿のままという事もあって、就任以来、彼女の立場は、教師というよりもイジメられっ子だった。

だが、これも問題ない。
ピースランドの世継ぎ候補として厳しく躾けた事もあってか、息子達は揃って優等生タイプ。
良く言えば一致団結、悪く言えば兄弟五人の中だけで世界が完結してしまっている傾向のあった子達なだけに、それに一石を投じる存在が。
それも、体面を気にする事無く素直に我侭が言える相手が出来た事は貴重な事だ。
おまけに、あんな小学校の学級崩壊状態一歩手前状態にも関わらず、彼等の学力は落ちるどころか上昇傾向にあるのだから、寧ろ色んな意味で好都合。
アレを狙ってやっているのだとしたら、とんでもないタヌキ娘という事になるが、それも無い。
彼女はルリと似て非なる。上からの指令待ちな、典型的な受け身の性格。
マニュアルから外れた事を自分から始めるタイプではない。
実際、これまでの一部始終を見た限りでは、単に息子達の勢いに流された結果に過ぎない。

そう、問題なのはココ。 まだまだ頑是無い子供だと思っていた息子達も、もうすぐ13歳。
いわゆる、思春期に入ろうとしている年齢なのだ。
世間知らずな事もあって、今はまだ異性への興味の発露が小学校低学年レベルで済んでいるが、このまま行くと面白い………
否、一国の皇太子してあるまじき行為に出る可能性も。
そうなった場合、多分、あの娘は逆らえない。禄に抵抗すら出来ないだろう。
後はもう、お決まりの転落コースに………

これは決して杞憂ではない。
現状でこそこんな感じだが、彼等もまたあのルリと同じ血を引いている身。
まして、初めて身近に現れた家族以外の異性は、眼鏡を外しさえすれば私の娘程ではないがかなりの美少女なのだ。
早目早目に警戒しておくに如くはない。

そんな大義名分の下に、今日も息子達が演じる筋書きの無い学園コメディを眺め悦に入るイセリナ。
要するに、自分の仕事の大部分を理想的な形でこなしてくれる家臣が出来た事で、彼女は至って暇だった。




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