〜 数時間後、昼休み、2Aの教室 〜

「なるほど。体育の授業をお休みしたのはそういう訳だったの。
 ダメじゃない、碇君。女の子なんだから腰は大事にしなくちゃ」

「僕は男だってば」

嗜める様な委員長ちゃんのお言葉にボソッとそう言い返す、シンジ。
此処でムキになると逆効果なのは過去の素敵な経験によって身に染みて理解しているが、それでも言わずにはいられない。

何だかんだで、女性化してからもう二ヶ月が経過している。
なんと言うか、そろそろ本気でヤバイ気が。
男としての牙城が、ゆっくりと。だが、確実に崩されている気がする。
最近では、気を抜くと一人称の発音が僕からボクに変わっていそうで、自分で自分が怖い。
だからこそ、折に触れキッチリと自己主張しておかなくては。

「まあ、気持ちはわからんでもないけどな。
 でもさ〜、幾ら男らしさを求めるにしたって、それはチョッと方向性が違わなくないか?」

「せやで、シンジ。あんじょういって男に戻れたかて、ソレは無理やと思うで。正味の話」

「判ってるよ、それくらい」

自分が手にしている、先程、図書室から借りてきた本。
ブーメランパンツを履いた如何にもマッチョといった感じの大柄な男がモデルを勤める、筋肉の解体図。
民明書房刊『ボディビルのススメ』を指差しながら、ニヤニヤと人の悪い笑顔を浮かべる。
そんな親友達の息の合った(その実、まったく意味の違う)突っ込みにプイと横を向きつつも、その言の正しさは認めざるを得ない。

良いんだ。どーせ男に戻った所で、こういうのとは縁の無い貧弱君だよ。
これだって、焼け石に水だと判ってる無駄な足掻きですよ〜だ。

そんな、今朝の戦いにおいて己の筋力不足を痛感したものの、肝心の改善策が全く見出せず、忸怩たる思いのシンジだった。
三時間目が終る頃より振り出した雨が、その憂鬱な心に追い討ちを掛けていた。

   ガシャ

とその時、廊下側から何かがぶつかった様な音が。
振り向くと、そこには、教室の出入り口にヨロリと力無くもたれ掛かった体勢のカヲリさんの姿が。
どうやら、午後の授業には間に合った様だが………あからさまに様子がおかしい。
ぶっちゃけ、目の焦点が合っていないっぽい。

「ど…どうしたの、カヲリさん?」

取り敢えず、おっとり刀で恐る恐る事情を尋ねてみる。
そんな、シンジのか細い誰何の声を打ち消す様に、

「知りませんわ!」

「はい?」

「ええ。私は何も知りませんとも。
 まさかシンジ君達が、鍛え抜かれた殿方の筋肉を見て喜ぶ様な方達だったなんて、まったく気付いていませんわ!」

「え…え〜と」

「わ〜い。凄いですわね、このター○X! 流石、ター○∀のお兄さまですわ!」

何故か唐突に鞄から取り出したP○Pでリメイク版のスー○ーロ○ット大戦をプレイしながら、そんなワケの判らない事を。
なん言うか、まったくカヲリさんらしくない。本気で、どうしようもないくらい錯乱しているっぽい。

   ユラリ

そんな病的な狂態も束の間、まるでブレーカーが落ちた様な感じで唐突に静かに。
数秒後再起動し、幽鬼の様な動きで此方に振り向くと、今度は満面の笑顔を。
ただし、何時ものそれと違って、あからさまな作り笑いを浮かべつつ、ゆっくりと此方へ近付いてくる。
メッチャ怖い。でも、逃げられない。逃げたくても、金縛りにあった様に身体が全く動いてくれない。

「あらあら、良い天気ですこと」

「って、外はドシャ降りやで、カヲリはん」

嗚呼、トウジ。どうして君は、そんなに空気が読めないのさ!
胸中で突っ込む。そんな事くらいしか、今のシンジには出来る事が無い。

「まあ、それは好都合。丁度良いですわ、チョッとシャワーを浴びましょうか」

   トン

「えっ?」

気付いた時には、既に彼女の身体は窓の外へ。
まるで、空へと飛び立つ小鳥の様に宙へ舞っていた。

「って、此処は三階………」

「オーホホホホ〜〜ッ!」

「(ハア〜)飛び降りたところで、どうって事ないよね、うん」

何故か、どこかの女魔導師の様な高笑いを上げつつ。
バシャバシャと水飛沫を上げつつ、信じられないスピードで走り去ってゆくカヲリの後ろ姿を見送りながら、
彼女が、己の師と同じ世界の住人である事を改めて痛感するシンジだった。

「(ハア〜)まいったね、どうも」

先程の一件を反芻しつつ、ケンスケもまた溜息を一つ。

広げたマッチョな男の写真を見ながらニヤニヤ笑う自分達。
からかわれてスネていたシンジもまた、いわゆるウブな反応を。
ドキドキして、ポッと顔を赤らめていた様に見えなくも無い。

確かに、あの瞬間だけパッと見たら、“そういう風に”受け取られても仕方ない気もする。
とは言え、所詮は事実無根な。ただの誤解に過ぎない。
『そのうち何とかなるだろう』とタカを括る彼だった。

勿論、その考えは羊羹のチョコレート掛けよりも甘かった。




   〜 二時間後、再び2Aの教室。 〜

「あ〜なんだ。これから転校生を紹介する」

帰りのSHRの席にて、何やら呆れ顔の北斗がそう宣う。
だが、そこはそれ、彼の奇行には慣れっこの2Aの生徒達。この程度では動じない。
そう。『何でこんな中途半端な時期に?』とか『何で帰りのSHRに?』とか『そもそもウチには何人転校生がくるんだよ?』なんて、
意味の無い突っ込みを入れるレベルはとっくに越えているのだ。

「んじゃ入って来い」

と、此処で僅かながら違和感が。
普段どんなにイイ加減に見えても、北斗先生は、こうした儀礼的な事だけはキチンとしていた筈。
それが、酷く投げやりな。どこか疲れた様な口調。いったい何故?

「フンフンフンフンフ〜ン♪」

そんな疑念に輪を掛ける様に、何故か廊下からハミングが。
曲目はベートーベン第九番交響曲『歓喜の歌』。
そして、そのリズムに合わせて噂の転校生が入ってきた。

「歌は良いねえ」

そのまま前置き無しに。自己紹介すらキャンセルしてそんな事を。

「歌は心を潤してくれる。リリンが産み出した文化の極みだよ。そうは感じないかい? 碇シンジ君」

「ど…どうして僕の名前を?
 いやそれ以前に、転校の挨拶なのに、何でいきなり僕を名指しなの?」

「かの東方の三賢者の一人たる碇ユイ博士と極東の悪魔と呼ばれ恐れられた元ネルフ司令たる碇ゲンドウの一子であり、
 ネルフを中心に行われた対使徒戦において、常に中核をなす働きを果たしてきたサード・チルドレンである君の名を知らない者はいないさ。
 君は今少し、自分の立場を自覚した方が良い」

そう言いつつ、アルカイックスマイルを浮かべる転校生の少年。

学生服を着込んだ、小鹿を思わせるしなやかでスレンダーなボディ。
アルビノ特有の抜ける様に白い肌と極細の繊細な髪質。
止めとばかりに、怜悧さを称えた端正な美貌。
そんなミステリアスな美少年そのものな外見通り、その言動は謎に満ちている。
と言うか、あまり理解したくない。

「おや、震えているみたいだね。怖いのかい、僕が。
 無理もない。人の心は痛がりだからね。他人を恐れるのは当然の事さ。
 何より、君はその恐怖を誰よりも良く知っている」

フフフッと意味深に笑いつつ、更にそんな事を。
何と言うか、図星の様で的外れと言うか、此方を見透かしている様で実は何も判っていないと言うか。もはや言葉も無い。
そんなシンジの困惑を無視して。否、寧ろそれに付け込む様に、

「でも、それでもなお君は、人と交わる事を止めようとしない。
 ガラスの様に繊細でありながらダイヤの様に何人にも犯せぬ強さを秘めているね、君の心は。好意に値するよ」

「こ…好意?」

「(クスッ)好きって事さ」

そう言いつつ、ゆっくりと此方に近付いてくる転校生。
あっ、ナンかこの展開にはデジャブーが。前にもこんな事があった様な。
それに、初対面の筈なのに、何故か彼には見覚えが。アレは確か零号機の起動実験に失敗した時に………

「ひょっとして、カヲリさんですか?」

「凄いな。まさか、こうもアッサリ見破られるなんて。まさに愛の力だね。これは運命ってことさ」

「いえ。そんな事より、なんでそんな格好を………」

困惑と共に、恐る恐るその真意を尋ねるシンジ。
そんな彼女の言葉を遮る様に、

「おっと、一つだけ訂正する事があったね。今の僕は渚カヲル、君の恋人さ」

   チュッ

気付くと、何故か唇に何か柔らかい物が。
と言うか、視界がオカシイ。幾らなんでもカヲリさんの顔がアップ過ぎる。これではまるで………

「って、あんたバカァ!?(バシッ)」

そんな思考停止状態の。なすがままに抱きしめられ熱烈なキスをかまされている哀れな少女を救う形でアスカの突込みが。
ちなみに、此処まで十数秒の時間が流れている。
しかし、これを遅きに失していると非難するのは些か酷だろう。
そう。シンジが武道家にあるまじき失態を犯したのと同様に、彼女もまた意表を突かれ動揺していたのである。

「(ハッハッハッ)元気で良いね、君は。
 でも、少々無粋じゃないかい? 恋人達の語らいに横槍を入れるのは感心しないってことさ」

「誰が恋人よ! 実際、そ〜ゆ〜趣味のヤツだと知ってはいたけど、今のは明らかにやりすぎよ!
 とゆ〜か、いい加減その格好と口調を止めなさい! 滅茶苦茶ムカつくのよ、ソレ!」

「おやおや、これは手厳しい」

「だから、その態度が………」

そんな肩を竦めて見せるカヲリに、アスカは実力行使とばかりにその胸倉を掴みにいき、

   ペタッ

そのありえない感触に途中で言葉を失う。
たしかコイツの胸は、生意気にもアタシよりあった筈。それが何故?

猛烈にイヤな予感がする。
念の為。ありえないとは思うが、あくまでも念の為に確認する。

   ムニュ

手が………イヤでも形を連想させる、年頃の少女には些か刺激の強過ぎる感触が。
嗚呼、やるんじゃなかった!

「……………(コホン)アンタの男装が完璧なのは良く判ったわ。ナンてゆ〜か、もう絶望的なまでにね」

手を離してから数十秒後。漸く精神の再構築を果たした後、

「さ〜て、カヲリ。アタシの眉間の真ん中を見て話そうか。
 アンタ、いったいドコまでヤるつもりだった?」

『返答次第では縁を切る』という覚悟を滲ませつつ、ジト目でそう詰問するアスカ。
だが、これは相手が悪かった。

「勿論、いけるところまでさ」

臆面も無く。どこかの元大関スケコマシ張りにキラリと歯を光らせつつ、躊躇いなくそう言いきるカヲリこと渚カヲル。
そう。元々が自由の天使である彼女にしてみれば、女も男も等価値な存在。
初期段階で意中の相手に合わせて少女化した様に、途中で少年化した所で彼的(?)には何の不都合も無い。
否、不都合どころか、これは願っても無いチャンスだった。
せっかく奥手なあの娘を強引にリード出来る立場に立ったのだ。
これまでの不遇の鬱憤を晴らす意味でも、此処は“押し”の一手以外にあり得ない。

「正気なのアンタ?」

「(フッ)勿論さ。
 確かに、『カヲリ=ファー=ハーテッド』がシンジ君を口説くのは問題だよ。淑女の慎みに欠けているってことだからね。
 でも、『渚カヲル』がシンジ君を口説く分には問題ないだろう? プロポーズは男からするものってことさ」

「……………」

自信満々にそう言い切るカヲルを前に、流石のアスカも二の句を失う。
と、その時、昼休みの一件にショックを受け意気消沈していた。
カヲリ(お姉さま)という絶対的な精神的支柱を失い、元の気弱な少女に戻っていたマユミが立った。

「なるほど、その発想はありませんでした!
 素敵です! 流石お姉さま、私達の常識なんて黙殺してその先へ行かれる。そこにシビレます、憧れます!」

だがそれは、事態を更に紛糾させるだけのものでしかなかった。カオスだ。

「憧れるな〜! てゆ〜か、渚カヲルってナニ? まさか戸籍の改善とかまでヤってるんじゃ………」

「(ハッハッハッ)当然じゃないか、そんな事。
 その辺をキチンとしておかないと、近い将来、婚姻届が通らなくて困るってことさ」

アスカの突っ込みに堂々とそう宣う、カヲル。
それが犯罪行為だという自覚は無いっぽい。更にカオスだ。

「勿論、経済的な基盤についても抜かりは無いよ。
 カヲリ=ファー=ハーテッドを通して、当座の生活費を。
 渚カヲル名義でリリイ銀行に十五億円ほど入れてあるから、卒業までつましく食べていく位は出来る筈だよ。問題ないってことさ」

「そういう事を言ってる時点で大問題だろう。
 とゆ〜か、らしくない。あまりにも考え無しな物言いだな。
 お前の言い分も判らなくはないが、ダメだろソレは。
 カヲリがいなくなってみろ。グラシスのジーさんはキレるぞ。とんでもない馬鹿をやるぞ、絶対。
 日本経済はシッチャカメッチャカに。下手をすれば、貨幣制度自体が崩壊するぞ」

「なるほど。その可能性は考えていなかったね。盲点だったってことさ」

終いには北斗にまで駄目出しをされる始末。もう言葉も無い。
ちなみに、元ネタと違って、今のゼロ同然の金利では利子生活者にはなれません。嗚呼、時代の流れ。

「……………うわああああああっっ!!」

と、此処で、漸く本編の主人公が再起動。
原作にてトウジの乗ったエントリープラグを握り潰してしまった時の様な尻上がりな悲鳴を上げつつ、ダッシュで廊下へ。

「(ガラガラガラ……ペッ! ガラガラガラ……ペッ!)」

水飲み場から必死にうがいをする音が。
その水音の中にチョッピリ嗚咽の様なものが混じって聞こえるのは、多分、気の所為じゃない。

「(クッ)シンジ君の男性に対する拒絶反応が此処まで酷かったなんて。
 僕とした事が、攻勢に出るタイミングを誤った様だね。時期尚早だったってことさ」

「って、アンタの反省点はソコだけなのね」

悔しそうに語るカヲルに、呆れ声でそう突っ込むアスカ。

ともあれ、こうして原作よりやや遅れたものの、シンジは無事ファーストキスイベントを済ませ、
それと同時に、新たなトラウマをゲットした。う〜ん、スイーツ(笑)




   〜 一時間後、ネルフ本部。 〜

放課後、なおもイジケているシンジを強引に引っ張り、ネルフへ。
珍しく、二人きりで本部内を歩くアスカ達。
だがそれは、新たなフラグを構築する切っ掛けではなく、彼女にとって降って沸いた災難でしかなかった。

「お〜と〜こ〜の〜こ〜なら、正しく〜つよ〜く〜」

「だあああっ鬱陶しいっ! イイ加減立ち直ンなさいよ!」

「だって、だって」

「つ〜か、物事はもっとポジティブに考えなさい。
 良かったじゃない、カヲリみたいな美少女にキスされて。男のアコガレなんでしょ、そういうの」

「あれはカヲリさんじゃなくてカヲル君だもん」

「そ…ソコは逆に考えるの! 良かったじゃない、カヲリがホントは女で。
 アレがマジに男だった日には、アンタの貞操なんてティシュペーパーより軽かったわよ、きっと」

涙目のまま泣き言を並べるシンジに、語調こそ荒いものの何時もの勢いのない。どこか動揺した声で叱咤する、アスカ。
物腰こそ女々しいが一本スジの通った。普段は中性的な雰囲気の少女が、手放しで不安を顕にした姿に。
その容姿も相俟って、まるで昭和時代の(ココ重要)少女漫画に出てくる泣き虫な主人公の様な。
そんな、乙女チックな愛らしさの溢れるその媚態を前に、一瞬、本気で相手の性別を忘れたと言うか、
ぶっちゃけ、不覚にも素で『カワイイ』と思ってしまったのは、彼女だけの秘密だ。

「ほら、チャッチャと行くわよ」

そんなやりとりを演じつつ、二人はネルフ整備班の控え室へ向かう。
無論、普段はまるで縁の無い所なのだが、何故か今日は、まず其処へ行く様に言われたからである。

「(コンコン)失礼しま〜す」

ノックと共にドアを開けると、そこには十数人の整備員達がズラリと整列しており、
そんな彼等の一歩前の位置に、何故か拘束服を着せられたツンツン髪の青年の姿が。

「ムームー!」

目隠し&猿轡までかまされた完全拘束状態。
それでも、みやむ〜&緒○ボイスから此方が来た事を察したらしく、声にはならない声で何事か必死に訴えている。

「な…ナニよコレ?」

アスカとシンジの脳裏に疑問符が乱立する。

「私的な裁判。吊るし上げとも言うわね」

そんな二人の疑問に、先に到着していたレイがボソっと答える。

しかし、余計にワケが判らない。
拘束されている青年と、その周りにいる太っちょと、ロンゲの双子の兄と、何気に戦闘力の高い隠れ武道家の四人は、固い友情で結ばれたいた筈。
そんな彼等までが、弁護席(?)では無く弾劾する方に回っているし。

「時間が押しているので各種手続きを省略。証拠品の提示を」

「って、いきなりソレかよ」

「(まあエエやないか。どうせ情状酌量の余地はあらへんし、何よりコレを見れば一目瞭然やしな)」

レイに促され、住吉が『第一中学校体育祭』と銘の入った一冊のアルバム風のフォトブックを差し出してきた。

「ああ。一昨日のアレ、撮ってくれてたんですか」

と、軽くお礼を。ペコリと頭を下げつつそれを受け取り、パラパラと捲ってみるシンジ。
昨日、零夜さんやナオさんが撮ったものをタップリ見せて貰ったばかりだが、これはまた別物。
第三新東京市に来る以前は、こういう事とは縁の無い生活だったこともあって、結構嬉しかった。

しかし、そんな彼女の幸福感も束の間の事だった。
5〜6ページ目が捲れた辺りから、それまでは綻んでいた顔が凍りつく。

最初は判らなかった。あくまでも運動会の様子を写した物だったから。
だが、そこはそれ、自分も男の子。
途中で気付いてしまった。この写真集が、ある一定の意図の元に編集されている事に。

とゆ〜か、ページが後半に入る頃には、あの日の激闘を曲解させる。
体操着が捲くれておへそが丸出しだったり、はみパンだったり、汗で下着が透けて見えていたり、中学生らしからぬ巨乳が揺れていたり、
写っている少女達の表情の方もまた“そういう”風に見えなくもない、息を荒げ上気したものだったりと、かなりあからさまなものだった。
御蔭で、騎馬戦の折、チョっと体操着を掴まれた所為で顕になった。
所謂ポロリの写真を見つけた時なんて、怖気が走り思わず『ヒッ』とか悲鳴が出てしまった程だ。
僕は男の子。胸を見られた所で、別になんて事ない筈なのに。

眩暈を覚える。
これがケンスケだったなら。自分達と同世代ならばまだ判らなくも無いが、成人男子がこんな物を見て何が面白いのだろう……………ま、まさか!? 
なるほど。確かに、これは情状酌量の余地は無い。

「ロリコンは犯罪だと思います」

取り敢えず、そう意見を延べておく。

って、何でみんなドン引きしてるの? 
レイさんアスカまで。おかしいな、別に何もしていないのに。

「と…とにかく、これで決まりだ。
 つ〜ワケで、コレの処遇は任せるわ。煮るなる焼くなり好きにしてくれ。でも、チョッとだけ手加減してくれると嬉しいな〜、なんてな」

青葉さんの双子のお兄さんの渡辺さんが、裏返った声でそんな事を。
優しい人だなあ。こんな事があってもなお友達の心配が出来るなんて。
男の友情だよね。チョッと羨ましいなあ。果報者だよね、岩田さんって。

「コレのマスターデータは如何なっていますか?」

住吉さんにそう尋ねる。
うん、起ってしまった事は仕方ない。問題は、如何後始末をつけるかだよね。

「(そ…ソッチは心配あらへん。写真は出回る前に押さえたし、メモリーカードもチャンと物理破壊したで)」

「つまり、コレを処分すればお終いなんですね?」

そう念を押すと、斉藤さんサッとライターと大振りの灰皿を差し出してきた。
流石、兄弟子殿。良く判っていらっしゃる。

   カチカチ、ボォ〜

「ねえ、アスカ。これでお終いには出来ないよね?」

アルバムが半ば燃え尽き、もはや修復不可能になったのを確認した所で、念の為にその辺を確認しておく。

「でも、こんな事を何時までも引き摺っても仕方ないよね?
 だから、一人一発づつお返しをする。それで総て忘れようよ」

「えっ?………ええ、そうね。その辺で手を打ってやろうじゃない」

良かった。一番怒っていそうな人が納得してくれた。

「こんのぉ!(バキッ)」

「えい(パシッ)」

まずはアスカとレイさんから一発づつ全力パンチが。
うん。これで終わりでも良いんだけど………それじゃ皆に悪いよね?

そんな訳で、拘束服を解いて貰う。
だってほら、ある意味、コレって防護服の役目も果たしているし。

「チクショー! 死んでたまるか〜!」

あれ? 如何して逃げるのかな、岩田さん。
そっか、まだ反省が足りないんだ。それじゃ仕方ないよね。

「まずは洞木さんの分!」

取り敢えず、出口にダッシュ中のその背中に双掌打を。

「これは空条さんの分!」

背後からの衝撃によって、一瞬、逃亡者の動きが目に見えて鈍る。
その隙を突いて、膝の裏側に蹴りを入れ、カクンと体勢を崩した。
手頃な高さとなった彼の両肩を掴み、そのまま一気に後ろに引き倒し、

「これは魚住さんの分!」

仰向けに倒れる瞬間を狙って、ガラ空きの水月に肘を落とし、

「これは山岸さんの分!」

悶絶している相手の服の裾を掴んで。
『袱紗返し』と呼ばれる、力に頼らない梃子の応用の技法で引っくり返して、うつ伏せの体勢に。
そのまま相手の背中の上に乗り掛かり、膝で首の付け根を押さえつつ両手で相手の右腕を極めに行く。

「ノ〜〜〜〜ッ!」

激痛に泣き喚くその姿を暫し堪能した後、技を解いてストンピング攻撃に移行。

「これは天野さんの分!」

「これは左さんの分!」

「これは本場さんの分!」

………
……



取り敢えず、この場に居ない女生徒達全員の分を代理で一通りやっておく。
なんか、チョッとだけスッキリした気がするシンジだった。




   〜 翌日。早朝、芍薬101号室。 〜

「(ハア、ハア)」

生暖かい空気が………何やら吐息の様なものが顔に(中略)僕はこの手を知っている………

   パチッ

目が覚めると、ほんの少しだけ色素の薄いグレー掛かった艶やかな黒髪。
視線を下げれば、そこには自分の胸元に顔を埋めた愛らしい少女の姿が。

「……………ん。早朝(おはよう)小姐ちゃん」

「おはよう、鈴音ちゃん。
 でも、出来ればお兄ちゃんって呼んで欲しいな。何度も言う様だけど」

と、今日も無駄な抵抗をしつつ、鈴音が不快を覚えない様に注意しながら、ゆっくりと彼女の小さな左手を己の胸元から外しに掛かる。

これで二日連続だ。
このままではいけない。このままでは、遠からず自分はダメになってしまう。
それは判っている。でも、具体的な打開策が見出せない。

え? 『鈴音ちゃんを遠ざければ済む事だろ』って。
鬼かよ君は。相手は甘えたい盛りの幼子なんだよ。出来る訳ないじゃないか、そんな事。

「早く早く。急がないと遅れちゃうヨ、小姐ちゃん」

「うん。今、行くよ」

自分を呼ぶ鈴音の声に我に返る。
何やらおかしな電波を受信していた頭を振って、急いで気持ちを切り替える。
そう。今日から、鈴音ちゃんも訓練に参加するのだ。
最初に聞いた時は、何としても止めさせるつもりだったけど………反則だよね、あの上目使いは。
いや、過ぎ去った過去を悔やんでも仕方ない。
兎に角、あの子の安全を確保するには、僕がなんとかしなくては。

そんな決意も新たに、シンジは朝錬へと向かった。




   〜 2時間後、いつもの公園。 〜

「と〜ちゃく! お疲れ様、小姐ちゃん」

「鈴音ちゃんも、お疲れ様」

背中から聞こえる鈴音ちゃんの労いの声に応えながら、約2時間に渡るランニングで乱れた息を整える。
そう。鈴音の訓練参加に伴い、朝のかくれんぼ(第八話参照)の鬼役はトウジとペンペンだけに。自分達は別メニューとなった。
内容は、予め北斗さんが決めていたランニングコースを、鈴音ちゃんを背負ったまま走る事。
我が身の非力に加えてアップダウンのキツイ道程。正直、かなりキビシイ。
だが、これまでの無茶に比べれば大した事の無いレベル。
何より、これなら鈴音ちゃんに負担が掛からない。

何となく“らしくない”と言うか、些か拍子抜けだったが、そこはそれ相手が相手。
いくら北斗さんでも、一ヵ月後に手術を控えた幼子に無茶な訓練を課す様な真似は出来なかったのだろう。
良かった。人として最低限の……最も大切な部分の常識は持っていてくれて、本当に良かった。

「ん? お前等の方が先だったか」

噂をすれば何とやらで、北斗さんがやってきた。
その後ろには、敗北感を漂わせた。疲弊し捲くった様子のトウジとペンペンの姿が。
矢張り、枝織さんを相手に、彼等だけで戦うのは無理があった様だ。

「鈴音、チョッと一周走ってみろ」

唐突に北斗さんがそんな事を。
何かがお気に召さないらしくてチョッとイラついた感じなのが気になるが、公園の外周は400mチョッとの距離。
それくらいなら問題ないだろう、多分。

実際、走ってみたら、鈴音ちゃんの足は、思っていたよりもずっと早かった。
タイムは1分58秒。7歳という年齢を考えれば立派なものである。

「(フゥ)思った通りだ。矢張り、お前はツマラン。
 此方の言う事をチッとも聞きやしないヤマダでさえ、もうチョッとマシだったっていうのに」

にも関わらず、北斗さんはそんな駄目出しを。

「これが“ち〜と”とか言うヤツかよ。
 まあ良い。取り敢えず、朝の鍛錬はこのままでいく。一ヶ月以内に、今のを1分切れる様になれ」

おまけに、そんな無理難題を。
判っているだろうか、この人は? それが400mの日本記録クラスの数字だって事が。
そんなの出来る筈が………いや、突っ込まない。突っ込まないぞ、僕は。
今ならまだ冗談だと思って聞き流せる。此処で突っ込んだら負けだ。

「1分以内に走れるだけで良いのカ、老師?」

「ああ。その右手の事を除いても、筋力的な鍛錬を積ませるには、お前はまだ幼過ぎるからな」

嗚呼、聞こえないったら聞こえない。

かくて、目を閉じ耳を塞いだ。
見ざる言わざる聞かざるの体勢でうずくまる、シンジ。
それ故、彼女は気付かなかった。
それ以上に、フィルターの掛かったその目には、鈴音の正しい像が映っていなかった。

もしも冷静に。後日、映像等で再確認していればきっと気付いただろう。
公園の外周部を走っていた鈴音の姿が、どこかの誰かさんのそれに良く似たフォームだった事に。
そして、このまま行けば、遠からず瓜二つといって良いレベルに達するであろう事に。
更には、先程のランニングを、彼女を背負った状態でも左程ペースを落とす事無く走破出来た理由にも。

しかし、それはあくまで過程の話でしかない。
実際には上記の通りの有様であり、そんな現実逃避しまくった状態での鍛錬が実になる筈もなく、
その後に行われた套路の練習にて、もうクソミソなまでに師匠の叱責を賜る事になった。(チ〜ン)




   〜 午前7時。再び、芍薬101号室。 〜

   シュー、シュー

コクと甘みを引き出す為にジックリと炒めたネギと椎茸をベースとした具材を餡に、前日にペッタンペッタン良く捏ねて寝かせておいた生地で包んで。
それを特大の蒸篭にて10分ほど蒸し上げれば、市販のそれよりもカロリーとお肉の量が抑え目な。
レイさんでも食べられられる、特製肉まんの完成である。

味のポイントはタケノコ。
シャキシャキ感を残しつつも口触りが良い様に柔らかく仕上げる為、醤油ベースのだし汁でジックリと煮込んでから他の具材と混ぜ合わせるのがコツ………

って、そんな事はドウでも良い。
重要なのは、これなら未だ左手での箸の使用がままならない鈴音ちゃんでも問題なく食べられる事。
そして、これが、何故か昨日からご機嫌ナナメなレイさんの御所望一品である事。この二点に尽きる。

「モグ、モグモグモグ!(北斗君、今日こそ私は貴方を越えるわ!)」

「モグモグ、モグモグ!(片腹痛いわ、この馬鹿女が〜っ!)」

口いっぱいに饅頭を頬張っているにも関わらず、意地汚く最後の一つを取り合って熱いバトルを繰り広げている人達の事なんて知らない。
ミサトさんが北斗さんと同レベルで争えるのも、只のギャグ補正ってヤツだろう、多分。
総ては、遠からず落ちるであろう零夜さんの雷によってうやむやになる筈。そう、何の問題も無い。

「(グルルル〜)ううっ、腹へったのう」

そんな二人にボロ負けしたトウジ乙wwww。これも武道家の定め、素直に諦めてね。
とゆ〜か、大皿に盛ったお代わりの分がゲット出来なかっただけで、最初に出した2個は食べたんだから充分でしょ。

「おいしいね」

「うん」

嗚呼、鈴音ちゃんとアキちゃんの周りだけ世界が違う様な。
こうやって見ているだけで癒される気がする。

「ウフフフフ(モグモグ)」

逆にレイさんの微笑みがチョッと怖い。
あの子達同様、美味しそうに食べてくれているだけなのに、纏っている空気が全く違う気が。

「クワワ(モグモグ)」

あと、ペンペン。普通に肉まんも食べられるんだね、キミって。
なんかもう『今更』って気もするけど、チョッとビックリだよ。




   〜 8時間後。放課後、第一中学校柔剣道場。 〜

「痛〜っ」

「ほら、動かないで。時間が無いんだから」

あまり面識が無い女教師に、何やら独特のニオイがする防具の着付けを。
より正確には『面』と呼ばれるらしいそれを半ば強引に装着され、挟まった髪の毛の痛みに閉口しつつ、此処までの展開を振り返り考察する。
『どうして、こんな事になったのだろう?』と。

確か、つい先程、いきなり放送で呼び出されて此処に来るまでは、わりと普通だった筈。
家に残してきた。例のイネスという人に、PCで通信教育を受けるらしい鈴音ちゃん事が気にはなったけど、そこはそれ、零夜さんがついてくれている。
ダイジョウブだと自分に言い聞かせている。

『ごきげんよう、シンジ君』

と、登校中に合流したカヲリさんも、チャンと何時もどおりの美少女だったので問題ない。
出来れば、このまま知らん顔を決め込んで。昨日の事は黒歴史として闇に葬りたい所だが、具体的な証拠がイロイロと残っているのでそうもいかない。

実際、昨日の今日とは言え、クラスメイト達の態度があからさまに違う気が。
特に、山岸さんの様子がおかしい。
なんというか、そういう事にあまりカンの良くないらしい自分でも判るくらいカヲリさんLOVEな。
彼女に近付く有象無象を殺虫剤よりも的確に処理してきた、あの独特の独占欲が感じられないのだ。
それでいて、カヲリさんに対する執着心が薄れたかと言えば、さにあらず。
寧ろ、更にパワーアップしているというか………もっとマズイ方向に進んでしまって、

『あそこまでお姉さまに愛されていたなんて。貴女には、もう何をしても勝てる気がしません。
 でも、私もこのまま引き下がる訳にはいきません。とゆ〜わけで、私はお姉さまの二号さんを目指す事にしました』

『はい?』

『大丈夫です、お二人の邪魔はしません。チャンと本妻である貴女を立てるつもりです。
 ただ、チョとだけお二人の愛を御裾分けして頂ければ、それで充分です。(///)
 あ、そうだ。今なら、愛人としてレイもついてきますよ。お買い得ですよ』

『山岸さん、君が何を言ってるのか僕には良く判らないよ』

『愛人。籍は入れられない代わりにも最も寵愛を受ける存在。問題ないわ』

『いや、違うからレイさん。ソレ、絶対違うから』

うん、深く考えるのはよそう。
恋に恋する、少女期特有の擬似恋愛感の暴走。
下手に刺激しなければ。ほっとけば、そのうち落ち着くだろう、きっと。

嗚呼、思考が完全に横道に逸れている。
落ち着け、僕。違うだろ、今問題なのは、

「あの。何度も言うようですが、僕は剣道なんてやった事が。
 竹刀を握るのも、これが始めてなんですけど」

「だ…大丈夫、君ならなんとかなるわ」

「なるワケないじゃないですか、ルールもまともに知らないのに」

正直、これ以上ないくらい正論だと思う。
女教師自身もその自覚があるらしく、根拠レスな事を語る声が少し上擦っていたし。
でも、正論が常に正論として通じるほど世の中は甘くはなくて、

「だって、仕方ないじゃない。
 向こうの先鋒の一年ってば、去年の全国大会小学生の部で準優勝した。
 しかも、決勝を争った相手を反則打で病院送りにしている悪名高い猛者だったりするもんだから、皆、怖がって先鋒をやってくれないだも〜ん」

開き直った彼女は、そんな更に気が滅入る裏事情を語ってくれた。

「それならそれで、この交流戦自体を止めれば良いじゃないですか」

「それもダメなの。コレってば、十年以上も続いている伝統行事だから。私の一存じゃどうにもならないのよ」

なるほど。よ〜するに人身御供なんですね。
確かに“こういう”理不尽には慣れていますよ、僕は。
慣れたくはなかったですけどね。

「判りました。やりますよ、やれば良いでしょう。
 その代わり、ボロ負けしても文句は言わないで下さいよ」

「え〜っ、出来れば勝って欲しいんだけど………」

「無理です」

どこまでドリーム入ってるんだろうか、この人は?
ミサトさんでさえ、そこまでの無茶は……………偶にしか言わないのに。

「赤、刺詰中学、二階堂ミツキさん。白、第一中学、碇シンジさん」

そんなこんなでテンションも低く、シンジは試合の場へ。

「お互いに、礼」

勝手が判らないので、総て向こうの動きに合わせて。
白いテープで区枠された試合場内に二歩進んでお互いに礼をし、三歩進んで蹲踞した後、審判の『始め』の声がかかってから立ち上がる。
後は、勝敗が決するか、もしくは規定の試合時間が経つまでお互いに打ち合うだけ………だったと思う。

「面! 面! め〜ん!」

上段から打ち下ろされた連打を回避しつつ、“一応”勝利条件を反芻する。
何でも『充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部を打突部位にて刃筋正しく打ち込み、残心あるもの』を一本とするらしいが、
そんな事を言われても、ズブの素人の自分には何の事やらサッパリ判らない。

   バシッ

取り敢えず、相手の連打の打ち終わりに生じた隙を狙って、防具の上をチョンと叩いてみる。
『一本』の号令は掛からない。矢張り、もう少し強く叩かないと駄目なのだろうか?
女の子を相手に、あまり手荒な事はしたくないのだけれど………

「駄目よ、碇さん! 中学の公式戦では、片手での打突は無効なの!」

最初に言ってよ、そういう大事な事は。

「あと、胸への突きも無効だから気を付けて!」

いや、だからそういう事は………

「胴〜っ!」

と、パニくった此方の隙を狙って、飛び込む様な勢いで横凪の一撃が。
バックステップだけでは躱しきれず竹刀で受けるが、これが信じられないくらい。とても女の子の力とは思えないくらい重い。
堪らず、浮身で飛んで。蜻蛉を切って距離を取る。

「止め!」

此処で、何故か号令が。自分に反則が言い渡された。
しかも、先生に言よれば、これが二回で一本扱いらしい。

って、こんなのアリなの?
アレもダメ。コレもダメ。これじゃ僕は何も出来ないじゃないか。

「胴! 胴!」

そんな此方の気も知らず、向こうは嵩に懸かって攻め立ててくる。
まずは胴への二連撃を。そして、その回避の際に生じた隙を狙って、

「突き〜〜っ!」

『これで止めだ!』と言わんばかりな殺気と共に、ほぼ同時のタイミングでの三連打。
まるで切っ先が三つに分かれたかの様な連続突きが飛んできた。
躱しきれない。竹刀を盾として、杖術の回し受けの要領でギリギリ受け流す。

「止め!」

此処で、再び審判の号令が。自分に反則が言い渡された。
何でも、柄の部分より上を勝手に触った場合もダメらしい。

これで一本取られた事に。
だが、モノは考え様だ。別に勝つ必要も無い。このまま反則負けでイイや………

   ゾクリ

背中に冷たい物が走った。
見れば、対戦相手が笑って………否、嗤っていた。
自分が良く知る人物達と重なる、美しくも禍々しい微笑だった。
前言撤回。どう見ても、そんな消極策が通じる様な相手じゃなさそうだ。

深呼吸を一つ、気合を入れ直す。
先生には申し訳ないが、もうやるしかない。
此処から先は剣道の試合じゃない。武道家同士の果し合いだ。




   〜 同時刻、いつもの公園。 〜

と、シンジとミツキの勝負が佳境に入っていた頃、そんな事とは知らない影護一門の面々は、何時も通り午後の修行中。
新たな師匠役として、零夜やナオを交えての散打(組み手)を行っていた。
無論、これは天空雷台賽に照準を合わせての。
なるべく多くの格上の武道家と戦う事で、効率的に経験値を稼ぐ事を目的としての対戦である。

「ふん!」

気合一閃。トウジは、至近距離まで迫った相手に馬歩衝靠(ショルダー・タックル)を。
だが、決まれば必殺となるその攻撃も、零夜には全く通じず、

   ドスン

飛び込んだ身体をはたき込む様にいなされると同時に横合いから抱えられ、
そのまま、投げっぱなしのフロントスープレックスの様な形で地面に叩きつけられる事に。
慌てて起き上がろうとするも、下段突きの正拳が、寸止めの形で彼の眼前に。
そんな一方的な攻防が、既に何度と無く続いている。

「ま…まだまだ! 七転び八起きじゃい!」

かくて、0勝7敗の状態から八戦目に突入。

これまで景気良くポンポン投げられた原因は、自分の技が総て見切られているから。
此方の攻撃を逆手に取られての返し技を貰った所為である。
つまり、先の後を取ったつもりで、実は相手の“誘い”にホイホイ引っ掛かっていただけという事になる。
これはマズイ。このままでは全くのイイトコ無しだ。
だが、駆け引きの類が苦手な自分には虚実の区別が全く付かない。いったいドウすれば?
こんな時、自分とは真逆にその辺に長けた。相手の動きを読む事を得意とする親友がいてくれたら………
苦し紛れにそんな事を考える。

と、その時、視界の隅に意中の人物を発見。
お呼び出しを食らった所為で遅れてやってきた。何やら酷く疲れた様子のシンジに、鈴音が此処までの経緯を告げている所だった。
内容こそ聞き取れなかったが、親友のリアクションを見るに、あきらかに誇張の入った。
チョッピリ悪意の入った内容っぽいが、それでも、手早く此方の窮状が伝わるのは有難い。

頃合を見て、目でヘルプを求める。
すると、何故か彼女は、両手をダラリと下げたノーガードの体勢に。アレは一体……………!!

ピンと閃いた。
その無言の助言に従い、右のガードを外して攻撃重視な。露骨に右崩拳狙いな構えをとる。
そう。幾ら自分でも、これ位の応用は出来る。
単に、オリジナルのそれを行い得る技量が無いだけとも言えるが、そこはそれ、足りない分は勇気で補う。
多少の無茶は承知の上。兎に角、同じ効果が出せればOKなのだ。

   パシッ

と、此処で、漸く零夜が動いた。
ワザと左ガードの上を狙った、遠間からの軽いジャブ。
御丁寧に『これから攻撃を始めますよ』という合図を。
どうも、此方のファイトプランが決まるのを待っていてくれたらしい。
これはもう、その期待に応えん事には格好が付かない。

   トン

自分のそれとは違う、フワリと浮く様な。
ゆっくりなのに素早い。タイミングの読み辛い動きで、零夜が懐に踏み込んでくる。
だが、先の後は取らない。敢えて回避もしない。
イイのを一発貰う覚悟を決める。

   パシッ

1/2のアタリを引いた。
必倒の拳では無く、此方の攻撃を誘う為の。
軽い。右肩口を狙っての、さして痛くもない一撃。
だが、紛れもない攻撃。右拳の伸びきったこの瞬間ならば、流石の零夜はんとて隙が出来る筈。
これぞ、矢○ジョーの必殺技、ダ○ル・クロスカ○ンター。
さあ、次はわしのターンや。

(あれ、ナンや?)

そんな、露骨に相打ち狙いな一撃を。
崩拳封じに右肩口を打たれ崩れた体制から、強引に外門頂肘を合わせに行く。
だが、踏み込んだ左足の膝に合わせて零夜の蹴りが飛び、

   ドスン

それを基点に、身体が綺麗に半回転。
柔道の膝車の要領で投げ飛ばされる事に。
ギリギリだが受身に成功。頭は混乱しているが、弛まぬ修行の成果によって、この辺は身体が勝手に反応してくれる。
しかし、トウジの健闘はそこまでだった。

   ギュッ

起き上がろうと上半身を起こした所へ、後ろからチョーク・スリーパーが。
それも、シンジのそれとは段違いのパワーとキレ。アッと言う間に意識が飛びそうになる。
慌てて、締め上げるその手を軽く二回叩き降参の合図を。

「(ケホ、ケホ)死ぬかと思ったで〜」

咳き込みながら、流石にチョッと泣きが入る。
これは決して誇張では無い。
オチる寸前の所で外して貰えたが、それでも本気で三途の川っぽいモノを見た気がするし。
何にせよ、此処でついにギブアップである。



「今のが、お前が最も警戒すべきもの。正統派柔術の技だ。
 拳打によって重心を崩し、崩れた正中線にそって投げを打ち、地に伏した所へ止めを刺す。
 その流れが一つの技としてして確立しているが故に、そこに遅滞は無く隙も無い。
 また、『拳打で劣る時は組技で、組技で劣る場合は拳打で』と言った具合に、己の弱点を補い得る術も兼ね備えている。つまり、お前とは全く逆の存在だ」

数分後、トウジが復調してから、北斗が師匠っぽく指導を。
先程の散打を行った意味を告げ、

「さて。こういった相手と戦う際、お前は如何すれば良いと思う?」

と、『余計な事は言うなよ』とシンジを目で牽制しつつ、不肖の弟子にそう尋ねた。

「はい! ナニかされる前にド突いたればエエと思います」

何も考えず、トウジはそう答えた。

そう。相手が零夜だからこそ拳打の勝負でも上を行かれるのであって、彼の崩拳の錬度は決して低く無い。
それどころか、同様に剛拳を学ぶ同世代の。木連幼年学校の者達と比べても、わりと上位にも食い込める実力があったりする。
シンジのそれとは真逆の方向性にて課された過酷な鍛錬に耐え抜き、愚直なまでに站鐘を練ってきた成果である。

バカの一つ覚えと笑えば笑え。
総合格闘技系の台頭によって、昨今ではその威信が揺らぎつつあるが、かつて『ヘビー級チャンピオン=世界で一番強い男』と言われていたその力は、決して誇張されたものでは。
パンチの打ち合いの技術に限定するのであれば、それを純粋に突き詰めたボクサーの方が数段上だと言っても過言ではない。
逆説的に言えば、『何でも出来る』という事は『只それだけ』とも。 それぞれの技を多少齧っただけの器用貧乏とも言える。

閑話休題。よ〜するに、トウジの答えで正解なのである。
もっとも、ど〜見てもタダの動物的カンと言うか。そこに至るまでの過程が完全にスッとばされている辺り、甚だ不安を覚えはするが。

「うむ。この際、それで良い。
 兎に角、隙あらば攻撃を。相手より先に必倒の一撃を決めろ」

今はまだ、それ以上の事は求めない。
言外にそう言いつつ(もっとも意中の相手に“だけ”全く通じていなかったりするのだが)、トウジへの指導を打ち切ると、

「さて。シンジ、お前、何をしていた?」

と言いつつ、北斗はパチンと指を鳴らした。
その合図に合わせて、ゴソゴソと物影からケンスケが登場。
手持ちのデジカメを動画観賞モードに合わせつつ、サッと北斗に差し出した。

「って、ナニやってんねん、お前は」

「ナニって、チョッと北斗先生の依頼をこなしただけだよ。
 それより見てくれよ、このあいだ入手したばかりの、このゲイリースーツを。ドウ思うコイツを?」

「凄く……カッコ悪いで」

「(ハッハッハッ)負け惜しみはよせよ。全然気付かなかったクセに」

と、呆れ顔のトウジと米軍払い下げの特殊な迷彩服を着込んだケンスケとが何時もの掛け合い漫才をしている間に、

「そうか、負けたのか」

一部始終の観賞を終え、用の済んだデジカメを返した後、

「そう言えば、剣術に関しては何も教えていなかったな。俺とした事が失策だった」

ポツリとそんな事を宣う北斗に、内心、戦々恐々となるシンジ。

最悪だ。これなら頭ごなしに怒られた方が遥かにマシだ。
嗚呼、北斗さんの思案顔が怖い。アレは絶対、無茶苦茶な修行方法を考えている時の顔だ。

「困ったな。教えてやりたいのは山々なんだが、正統派の剣術の事は良く知らないと言うか………正直、先程のそれもドコが反則なのか全く判らんし。
 実際問題、俺の剣はあからさまに邪道だし、零夜にはソッチの心得が全く無いし………ナオ、お前はドウだ?」

「悪い。俺もナイフが多少扱えるだけで、刀は専門外」

えっ? えっ?

「って、そんな不思議そうな顔をするな。
 仕方ないだろ、幾ら俺達でも武芸の事なら何でも出来る訳じゃない」

どうやら本当に教えられない。剣術の修行は回避出来るっぽい。

シンジの心に期待と安堵とが満ち溢れる。
だが、その時、公園の入り口の方からやってきた人影から、チョッと待ったコールが。

「その役目、私に任せてくれませんか?」

妖艶な容姿でありながドコかキャピキャピした雰囲気を纏った、外見と内面がアンバランスな美女。
百華さんが、灯ったばかりの希望の火を吹き消す様な事を宣まってくれた。

「『任せろ』って、お前の剣だってロクなモンじゃないだろうが」

「大丈夫です。こう見えても、擬装用に表の剣術の方も心得が。
 正統木連流剣術も中伝(秘伝(奥義)と上位の技を除く総ての技を習得したという証)までは貰っています」

「そうか。ならば、折り紙(基本的な技は習得したという証)程度のモノを仕込む分には問題ないな。
 しかし、一体どういう風の吹き回しなんだ? 
 普段は修行の“し”の字すら捨て去った怠惰極まりない。愚にも付かない妄言を垂れ流す他は、喰っちゃ寝の生活しかしてこなかった、お前が?」

「(フッ)イヤだな〜、北斗様。そんなのタダの擬態デスヨ。
 エエ。ドコの世界に、人前で己の技を磨く暗殺者が居るというのネ」

『なるほど』と思わず納得する。 やや引き攣った声音なのが気に掛るが、確かにそういうモノの様な気が………

「で、イマリ。ホントの理由はナンなんだ?」

「あっ。コッチに来てからの三ヶ月の間にウエストが6p増えちゃったとかで、姐さんってば、最近チョッと焦ってるんッスよ」

嗚呼、なんて空気の読めない人達なんだろう。
ソコはソットしておくのが人情というモノなのに。

「イ〜〜マ〜〜リ〜〜〜ッ!」

そんな怨嗟の声と共に、ボボボとイマリさんの顔面にフリッカージャブが三連打で入る。
それにより、一瞬、意識が飛んだらしく、グラリと彼の上体が泳ぐ。
その隙を狙って、渾身の右フックが顎先に。
ほぼ同時に、振りぬいた反動を利用しての返しの左フックが。本家『双月』がキレイに決まる。

「ふむ。怠け捲くっていたワリには良いキレだ」

そういう問題じゃないでしょう、北斗さん。
……………いや、よそう。言っても無駄だし、何よりコッチもそれどころじゃない。

薄情者でスミマセン、イマリさん。
でも『許して下さい』とは言いません。
だって、今、貴方が晒しているその無残な姿が、多分、僕の未来の姿なんですから。

「さ〜て、そろそろイってみましょうか」

って、言ってる側から。
とゆ〜か、ドコから出したんですか、その竹刀は?

「ん? さっき映像で見た時も思ったが、えらい軽そうだなその模擬刀は。
 意味が無いじゃないのか? そんなオモチャを振り回せる様になっても」

「イヤだな〜北斗様。だからこそ、素人でもいきなり実戦形式の稽古が出来るんですよ。(注:勿論、そんな事実はありません。良い子はマネしないでね)」

「なるほど。取り敢えず、手っ取り早く切り合いの呼吸を習得させるのが目的か」

「そういう事です。その辺を知っておくだけでも結構違うでしょ、剣術家と戦う場合」

「そうだな。考えてみれば、実際にシンジ君が真剣を持つ事などあり得ないとゆ〜か。
 ど〜せ使えやしないんだし、その重みと取り回し方まで学ぶ必要は無いか」

わあ〜い。凄いや、竹刀。ビバ、先人の知恵。
この時ばかりは己の非力に喜びつつ、内心そう絶賛し捲くる。

「んじゃ、いくよ〜♪」

   バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ……………

もっとも、そんな彼女の感謝の念は、すぐに霧散する事に。
27回目の一撃。脇腹に貰ったリバーブローっぽい逆袈裟の胴薙ぎを貰った辺りで完全に消え去った。
そう。一撃一撃が(影護派の門下生にとっては)大したダメージではない以上、何発貰っても稽古は続く。
つまり、真綿で首を絞められるが如く、延々と竹刀で殴られ続けるという訳である。

徐々に薄れていく意識の中、最初はその独特のニオイに閉口した。
それどころか『コレって動き難くなるだけなんじゃないかな?』とか思っていた己の愚かさを。
防具のありがたみを痛切に思い知るシンジだった。




そんなこんなで、月日は矢の様に流れ―――――――



   〜 一週間後。放課後、第一中学2Aの教室 〜

その日の掃除当番は、シンジとアスカだった。
そんな訳で、前者が慣れた仕種で、後者がさもかったるそうに清掃活動に従事していた時、唐突に携帯のベルが鳴り響き、

「(ピッ)はい、もしもし…………Ja Guten Tag Vater Welches Unternehmen ist es so auf der Erde?(ええ。ひさしぶりね、父さん。それで、いったい何の用なの?)」

電話に出たアスカが、宇宙人語を………じゃなくて、多分、ドイツ語と思しきやりとりを。
無論、言葉の意味はサッパリ判らないのだが、その声音の調子からして、あまり友好的とは言えない相手からっぽい。
取り敢えず、邪魔をしない様に。とばっちりを受けない様に、そっと静かに掃除を進めておく。

「…………Es wird nicht geredetgoodby
  Wenn ich mich ziehe, und. kam, ich bereite mich vor und leere eine Korpergefolgschaftseinheit Kein. zwei wenigstens und.
 Es ist ein konditionieren Sie wenigstens Auf Wiedersehen fur. Grund
 (話にならないわね。兎に角、アタシを引き抜きたいンだったら、せめて弐号機に準じる機体を用意してからにして。それが最低条件よ。つ〜ワケで、さよなら)(ピッ)まったくもう」

マズイ。よっぽど嬉しくない話だったらしく、不機嫌度がMAXまで上がっている。

「冗談じゃないわよ、ホントに。
 今頃になって『帰って来い』なんて言う、フツウ。ノーミソ腐ってるンじゃないかしら」

「ど…如何したの、アスカ?」

もはや知らんフリは通じぬと悟り、次善の策に移行。
少しでもその怒りを和らげるべく、シンジは恐る恐るそう尋ねた。

「ドイツ支部の司令殿からの非公式な人事異動の打診。
 アンタ向けに判り易く言えば、役立たずと思って捨てたコマが本部で活躍してるもんだから、惜しくなったってワケよ、我が親愛なるお父様は」

「……………考えすぎじゃないの。
 ほら、何だかんだでドイツを出てからもう三ヶ月以上経ってるし。
 それでなくても異郷の地に。それも、最前線に立っている娘を心配するのは当然の事だと思うんだけど」

「はいはい。悪いけど、違うから。
 今、アンタの脳内で絶賛放映中の『複雑な家庭環境による親子の愛憎劇』なんて前世紀の遺物なモンじゃなくて、これは厳然たる事実なの。
 つ〜か、この辺の事情はアンタのトコだって似た様なモノでしょ。少しは割り切ンなさい、そいうトコ」

上から目線でそう決め付けてくる、アスカ。
圧倒的な堂々たる態度。これまでだったら、とても逆らえなかっただろう。
取り敢えず、迎合し適当に頷いておくか、或いは、何も言えずに俯いていたと思う。
だけど、今は…………

「ゴメン。でもね、それでも僕は父さんを信じたいんだ」

「(チッ)あんたバカァ? 引く気も無いクセに謝ってんじゃないわよ」

顔を顰めてそう吐き捨てる、アスカ。
でも、そんな態度とは裏腹に、それほど気分を害したというカンジじゃない。
その証拠に、父親に関する互いの主張はすれ違いに終わったけど、その後は。
今はもう、何時と変わらないアスカの姿がある。
別に嫌われた訳じゃない。それに、この件に関してだって、判り合える道が永遠に閉ざされた訳でもない。

「って、なにニヤついてんのよ?」

「ん、チョッとね」

何となく、これまで自分に一番足りなかったモノがなんなのか判った様な気がするシンジだった。

と、ココで終わればチョッとイイ話だったのだが、

   ピルルル、ピルルル

「(ピッ)Ich bin ausdauernd Es gibt nicht, das ich noch rede(しつこいわね、話す事なんてもう無い)…………
 あっ、ゴメンなさい。紛らわしいタイミングだったモンだがら、つい…………
 えっ? マジなのソレ?…………さっすが大首領様、どっかのシミッタレ親父と違って太っ腹♪」

再度、携帯のベルが鳴り、今度は最初からケンカ腰っぽい口調で電話に出たアスカだったが、喋る言語が日本語に変ると同時に、一転して上機嫌に。

「モッチロンOKよ。でも、出来れば早めにソッチに呼んで。ついでに、カヲリの姉妹達も揃えていておいて頂戴…………
 ダ〜メ、アタシはヤルからには必ず勝つ主義なの。と〜ゆ〜ワケでヨロシク♪(ピッ)」

しばらく何事か話し込み、最後に何か理不尽っぽい条件を強引に突き付けた後、一方的に電話を切り、

「(フッフッフッ)チャ〜ンス」

そのブラックな微笑を見た瞬間、シンジは直感した。
これから、何かとんでもないトラブルが幕を開けるのだと。
でも、逆らう気力さえ起こらない。これはもう、ナニをドウやっても逃げられそうも無い。

自分に勝機があるのは、明確な旗印がある時くらいのもの。
何処まで行っても、所詮、被捕食者は被捕食者に過ぎないのだという事を、諦観と共に悟らざるを得ない彼女だった。




   〜 三日後。第一中学校、2Aの教室。 〜

「相田、(はい)綾波(ハイ)………」

今日も、北斗の面倒臭そうな点呼の声が響く。
何時も通りの日常。しかし、その日、委員長ちゃんこと洞木ヒカリは、確かな違和感を覚えていた。
それもその筈、先日から、親友のアスカが唐突に自主休校に入っており、
本日に至っては、カヲリを筆頭とする多くの問題児達が、揃って学校に出て来ていないのだ。

御蔭で、騒がしいのがデフォルトのこのクラスも今日は静かだ。
静か過ぎて不安を覚えるくらい。『嵐の前の静けさ』だとしか思えないくらい。

「………あの、北斗先生。チョッと良いですか?」

そんな訳で、点呼が終るのに合わせて。
クラスメイト達の無言の期待を一身に背負いつつ、事の次第を尋ねるべく、委員長ちゃんは恐る恐るそう切り出した。

「ん? どうしたヒカリ?」

「アスカの事なんですが、最初は病気なのかと思ってお見舞いに行っても会えなくて。
 ミリアさんの話だと、何かやらなくてはならない事があって出掛けているとのことだったんですが、詳しい事までは教えて貰えなくって………
 あの。一昨日から、どうして彼女が休んでいるのか、先生は御存知じゃありませんか?」

「ああ、ソレか」

委員長ちゃんの問いに、北斗は『合点がいった』とばかりに納得顔になると、

「今夜、俺と戦う事になったんでな、その準備に忙しいらしいぞ」

さも当然のような口調で、そんな爆弾発言を。

「…………………はい?」

「場所は土星付近の某宙域。種目は機動兵器戦だ。
 蛇足だが、今夜7時にその一部始終を放送されるんで、お前の趣味じゃないだろうが、まあ、ヒマだったら観てくれ」

と、さり気なく宣伝までかましてくれた。

「む…無茶苦茶じゃないですか、そんなの!」

「うむ、お前の危惧はもっともだ。
 何せ、今の職に就く前からだから………何だかんだで、もう二年近くも乗っていないからな。
 だがまあ、ナンとかなるだろう、多分。
 実際問題、初めてアレに乗った時だって、特にその為の修練を積んでいた訳じゃないし」

「誰も先生の心配なんてしていません!」

そんな委員様ちゃんの剣幕に、『はて?』と不思議そうに首を捻る北斗。
だが、すぐに顔を綻ばせると、さも得心がいったとばかりに、

「(ポン)おお。これが以前、小耳に挟んだ『つんでれ』とかいうヤツか。確かに、何やらこそばゆい心持ちになるな」

「絶対、違います!」

声を限りにそう絶叫する委員長ちゃんだった。




次のページ