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   〜 2199年8月3日、ネルガル本社の会長室 〜

その日、デスクの前に置かれた大量の書類を前に、ネルガルの会長アカツキ ナガレは静かだった。
だが、その内面世界では、嵐の如き感情の波が荒れ狂っていた。
先の和平一周年記念式典から帰るなり、いきなり身柄を拘束され早三週間。
その間、ずっと会長室に軟禁状態。自宅へ帰る事すら許されずに、この様な無法な激務を強制され続けたが故に、もう我慢の限界だったのだ。

「ふふっ、ふふふふっ………仕事をしても仕事をしても仕事をしても仕事をしても、全然終わらないねえ。
 ねえ、ラシィ君。僕は何か、許されざる大罪でも犯したのかい?
 こんな無間地獄を彷徨う亡者の如き仕打ちを甘んじて受け入れなければならない様な。
 そもそも、会長である僕に対してこんな仕打ちをするなんて、ウチの鬼秘書は一体何を考えて………」

「ご…御主人様、お気を確かにです! 今、衛生兵を呼びますです! 傷はきっと浅いです!」

突如、イイ感じにテンパッった愚痴をフラットな口調で垂れ流し始めた己の主の姿に驚愕。
オロオロしつつも、卓上の電話に手を伸ばす、ラシィ。

「止めたまえ」

そんな彼女を静かな。それでいて有無を言わせぬ口調で一喝して制すと、
アカツキは、先程までの痴態を投げ捨て、最終決戦の折、北辰と相対した時の様な覚悟を決めたオーラを纏いつつ、東陶と語りだした。

「医者は要らないよ。古来より、この病だけは治せないものと相場が決まっているんでね。
 そう。今の僕には、人が生きる上で必須なものが欠けているさ。
 全く足りていないんだよ、ラブ分が。それも、今にも栄養失調で衰弱死しかねないまでに」

「判りましたです! それでは、御存分に補給なさって下さいです!」

元気良くそういった後、一転してその雰囲気を消して儚げに。
躊躇いがちに目を閉じると、やや上向きに顔を上げてキスを待つ少女のポーズを取るラシィ。
同志たる某組織のメンバー達が見れば、歯軋りをしつつ羨ましがるシュチエーションである。
だが、そんな一部の趣味人にとっては夢の様な展開も、愛に餓えた彼の心を満たすには至らなかった。

「うん。良く勉強している様だね、ラシィ君。
 いきなり臆面も無く脱ぎ始めた前回とは、比べるべくもない格段の進歩。特に、恥らう仕種を身に付けた点はポイントが高いよ。
 でもね、そういうのは、何時か本当に好きな人が出来た時の為に取って置きたまえ」

ゆっくりと頭をふりつつ、アカツキはラシィの捨て身の献身を優しくそう諭した。
そう。彼が求めていたのは、唯一人の相手からしか享受出来ないものなのだ。

「私じゃ駄目ですか?」

シュンとしつつ、潤んだ目で上目遣いにアカツキを見上げるラシィ。
これがアキトならば、この時点でギブアップ。
事態を紛糾させる火種となりかねない、致命的なフォローのセリフを口にしていた事だろう。
だが、腐っても彼は元大関スケコマシ。
此処がライクとラブの違いを教える重要なポイントだと、過去の経験が教えてくれている。

「残念だが、その通りだよ。君を異性として見る事は、僕には出来ないね。
 ついでに言えば、『もう少し大人になったらね』という線も無しにして貰おうかな。
 君だって嫁かず後家にはなりなくないだろう?」

それ故、余計な慰めなどはせずに、敢えて厳しく突き放す。
そう。長い目で見れば、これが彼女の為なのだ。

「そ…それは遠回しな解雇通告ですか? 私、どこかのヒヒ爺の所に売り飛ばされちゃうですか?
 イヤ〜〜〜〜ッ! 何でもしますです! 見捨てないで下さいです、御主人様!」

涙目から大泣きに。まるで漫画の如く滂沱しつつ、アカツキに縋り付こうとするラシィ。
その色んな意味で必殺な威力を持った突進を、必死に回避しつつ、

「違うって! 異性として愛せないと言っただけで、君が嫌いな訳じゃない」

「ホントですか?」

「本当だよ。とゆ〜か、どうしてそう極端なんだい、君は」

熱烈な抱擁に失敗して机に激突。
派手に散らばった書類の紙ふぶきを浴びながら、普段の活発さが嘘の様にビクビクしているラシィを、アカツキは再び諭しに掛った。
口調こそ呆れた風だか、その雰囲気には確かな慈しみがある。
実際、今では彼女に上司と部下の関係を超えた友情を。ひょっとすると、父性愛の様なものすら感じていたりする彼だった。

「良かったです! 今後とも宜しくお願いしますです!」

それを敏感に感じ取ったらしく、あっさり立直るラシィ。
この辺はもう、雇い主の薫陶の賜物と言えよう。
そのまま、彼女は弾かれた様に部屋中に散らばった書類を掻き集め、書類の山を再築。
やや歪ながらも元に戻ったそれを満足げに眺めた後、

「つまり、御主人様は千沙様との御歓談を。可能であれば、その先を狙っているですね?」

アカツキの方へ向き直ると同時に、強引に話しを最初の部分へと戻した。

「露骨過ぎだよ、その言い方は。
 此処はそう、『仕事に疲れ果てた一人の男が、せめて愛する女性を一目みたいと切望している』とでも言って欲しいね」

とゆ〜か、出来れば最初からソコに気付いて欲しかったね。
胸中で苦笑しつつも、漸く意思の疎通が叶った事を喜ぶ、アカツキ。
それでも気を抜く事無く、いかに自分が千沙との一時の邂逅を熱望しているかをアピールする。
そう。彼としては、何としても目の前の少女を説得し、此処から脱出する為の手筈を整えて貰わなくてはならないのだ。

無論、これが馬鹿な事なのは良く判っている。
総てが首尾良く進んだとしても、将来的には『会長秘書の癇癪』という名の破滅が待っているだろう。
だが、それでも行かねばならないのだ。
この辺の執念に関しては、かの走れメロスですら比較対象にならない。
愛する妻を求めて黒い王子と化した、もう一つの歴史のアキトにだって負けない自信がある。
これは決して挫けてはならない戦い。復讐すらも凌駕し得る聖戦なのだ。

「ですが、エリナ様におかれては、前回2015年へ行って以来、ジャンプを凄く警戒してるです。
 先日、チョッと怖い笑みを浮かべながら、この部屋の監視体制を統括しているシステムルームの様子を自慢げに見せてくれたので判るです。
 今回はきっと、会長室にボソン反応が感知された時点で追っ手が掛るです」

「安心したまえ。まるで僕を信用していないかの様な、エリナ君の過剰な警戒については折込済みさ。
 (フッ)まったく、チョッとデートに行こうとするだけで『貴方、ネルガルを潰すつもり!』とか言い出す始末。なんと言うか、最近はもう被害妄想気味だよね、彼女」

「そんな事は無いです。  確かに、口では色々と厳しい事を仰られますが、私には判るです。エリナ様は、御主人の事を心から案じていらっしゃるです」

「その辺は僕も重々承知しているよ。なんと言っても、彼女との付き合いは君より長いからねえ。
 だが、今回のこの軟禁(ゴホンゴホン)じゃなくて、過保護とも言えるは警戒態勢は頂けないな。小さく纏まっているだけじゃ、何も出来やしない」

かくて、誠意溢れる説得によって、勇者は篤実なる協力者を得る事に成功。
雌伏の時を終え、再び戦いの場へとその身を投じるのだった。



   〜 三日後、再びネルガル本社の会長室 〜

この所、以前のストレス満載振りが嘘だったかの様に、エリナは上機嫌だった。
最近では、ラシィがアカツキの面倒を一手に引き受けてくれているで、教育ママの真似事をする必要が無い。
しかも、自分が側に居た頃は、付きっ切りで急かさなければ横の物を縦にもしようとしなかったあの極楽トンボが、比較的真面目に仕事をしていたりする。
それも、此処最近の実績は、過去最高の物とさえ言える出来なのだ。
丁度、西欧州での失態(第7話参照)の責を取ってカグヤ=オニキリマルが表舞台から姿を消している事を考慮しても、彼が非凡な経営者である事を示す良き証左だろう。
彼女的には、これまで『やれば出来る子』とか、まるで保母さんの様なマインドセットをしつつ、アレの道楽に付き合ってきた甲斐があったと言うもの。
後はもう、この幸運を維持する事に腐心すれば。
具体的に言えば、二人が共謀して逃亡しない様、逃走ルートを潰して閉じ込めておけば良いだけである。

もっと早く、こうしておけば良かった。
そんな事を思いつつも、つい頬が緩むのを押さえきれない。
今までよりもずっと楽でありながら素晴らしい効果を得られている現在の体制を、彼女は心から気に入っていた。
満たされた心理状態からか、なんとなく『これはこれで良いかも』と、アカツキを蹴落としてネルガルの会長になるという当初の野望すら失いかけている程に。

「会長、ナデシコB建造に関する第三次中間報告書をお持ちしました」

いかにも倦怠げな。書類を適当に斜め読みしているといった雰囲気だが、目だけは射る様な厳しいもの。
過去の事例と照らし合わせるに、真面目に仕事していたと判るアカツキの姿に、自分もつい、会長秘書らしく改まった口調などしてしまう。

「有難う、エリナ君」

頬に掛っていた自慢のロンゲを払いつつ、新たな書類を受け取るアカツキ。
そのまま目を通し、幾つか部分について尋ねて内容を確認した後、

「それじゃ、悪いけどソレ、開発部の方に通しといてくれる?」

徐に会長決済印を押して、彼女に返却。
そして、ラシィに目で命じ、他の関連書類を纏めた物とおぼしき紙束が入った茶封筒も差し出させる。
この間、僅か五分前後。これまでであれば、この工程をこなすだけで一日仕事だったであろう事を考えると、まるで夢の様な効率の良さだ。

「確かに。それでは失礼します」

パラパラと中身を軽くチェックした後、現在、極めて順調なペースで建造が進んでいるナデシコBの鋳造ドックへと向かうべく退室しようと踵を返すエリナ。
だが、この時、僅かな違和感が。と同時に、幾年にも渡ってアカツキと付き合っている間に鍛え抜かれた彼女のカンが、最大レベルで警鐘を鳴らした。『何かがおかしい』と。

今一度、先程までの極楽トンボの行動を反芻する。
特に違和感は無い。何時も通りのアカツキ ナガレの姿だ。
だが、妙に淡白というか上っ面的な印象が。
その内面から滲み出ていた露悪趣味的な。いかにも『何かを企んでいる』といった雰囲気が感じられなかった様な気が………

「ねえ、アカツキ君」

振り返ると共に、それまでの態度を一変。
いかにも親しげな。否、普段は決して見せない女の表情で、エリナはアカツキに問いかけた。

「以前、貴方に渡した私の部屋の鍵、返してくれない。もう要らないでしょ?」

「えっ? ………ああ、アレね。悪いけどそれは出来ないよ。何せ、僕の宝物だからねえ」

ビンゴだ。もはや疑惑は確信へと変わった。

「貴方、誰?」

「「えっ?」」

「惚けないで! 貴方はアカツキ ナガレじゃない。
 本人ならば、こんな話に引っ掛る筈が無いわ。だって、そんな事実がある訳が無いんですもの!」

再度、その態度を一変。有無を言わせぬ硬質かつ激しい口調で詰問を。
そんな御馴染みの折檻モードに入ったエリナの姿にビビりつつも、ラシィとアカツキの偽者は必死の抗弁を。

「ズ…ズルイです、エリナ様。
 さっきの振り返りながらの流し目は反則です。私、てっきり御二人はそういう仲だったんだと思っちゃったですよ」

「うん。私もそう思ったんだね」

「生憎と、私はそんな安い女じゃないのよ。
 そんな事より、あの極楽トンボは何所! トットと吐きなさい!」

だが、それは火に油を注ぐ結果となってしまった。
最早これまで。もう、何を言っても言っても無駄だろう。
『逃げるです』『OKね』と、素早くアイコンタクトによってタイミングを合わせる。

「えいやっ、です!」

焦れたエリナが更に言葉を続けようとした瞬間を狙い、ラシィがATフィールドを。
彼女の接近を防ぐと共に、この部屋に仕掛けられた会長折檻用の………じゃなくて、暴徒鎮圧用の各種ギミックに対する絶対の防壁を広域展開。
と同時に、携帯でもう一人の協力者にコールサインを。
その動きに合わせ、

   キュイ〜〜〜ン

特殊メイクでアカツキの影武者役を務めていたマリアが、本邦初公開のもう一つの特殊能力を披露。
彼女特有のコ○ン君も真っ青な声帯模写の亜流………否、その本来の使用法とも言うべき超音波攻撃によって、背後の強化ガラスの分子結合を崩して逃走ルートを確保。
そのまま『グッバイ、アディオス、さようなら』と、小原乃○子ボイスで別れの挨拶を告げつつ、ラシィと共にノー・ロープ・バンジーを。

「って、此処は超高層ビルの最上階………」

慌てて二人が飛び降りた穴へと駆け寄るも、その異様な光景に絶句する。
彼女が見たもの。それは、信じがたい事に、綿菓子の様な雲の上に乗って飛び去って行く三人の少女達の姿だった。

「ラシィ。今月の給料、50%カット」

半ば負け惜しみ気味にそう呟くエリナだった。




「ランボルギーニの、お兄さん、オイラとレースを、してみ〜るかい?」

「うん? それは一体?」

変装を解いた後、わざわざ二人に分身しつつ楽しそうに歌うマリアに、怪訝そうな顔のカスミがそう尋ねた。
生まれたばかり。それも、転生の際に取得情報の大部分を大豪寺ガイへの復讐に必要と思われるものを取った為、この辺の機微が判らない彼女だった。

「知らないですか、カスミちゃん? こういう時の御約束というヤツですよ。
 ちなみに、此処で『この世はデッカイ宝島』とか『CHA-LA HEAD CHA-LA』といった安易なネタに走らない所が通なんです。
 と言っても、あまり凝り過ぎても駄目です。『モンキー・マ〜ジック』あたりの難易度にしておくのがコツです。
 『スリー・ツー・ワン・ゼロ・ドカ〜ン』とか『ジャンジャンやろうぜ、ジャ○クーゴ』とか言ってしまうと、もう誰も知らない危険性があるですから、初心者にはお勧め出来ないです」

「ふむふむ」

なるほど、戦意高揚歌の様なものなのか。
実の所、ラシィの解説の内容は良く判らなかったが、取り敢えずそう解釈しておく。
余計な事は言わない。何故か、下手に突っ込むと足抜け出来ない深みに嵌りそうな気がしたが故に。

「まあ、『それはそれとして』です。
 プランAは失敗です。このままプランBに。御主人と千沙様の、愛の逃避行の支援に駆け付けるです。
 目指すは、佐世保の廃棄工場跡地です。
 そこに御主人様が舞歌様よりナイショで譲って頂いた、木連首都部への直通チューリップが隠してあるです。全速力で向かって下さいです」

「心得た」

気を取り直し、自身が操る水蒸気の分子をATでコーティングした筋斗雲モドキの飛行速度を上げる。
そんなカスミの姿を頼もしげに眺めながら、ラシィは更なる薀蓄を交えた質問を。

「あっ。話は変わるですが、カスミちゃん。
 今後、貴女に御仕事を依頼する時は、どういった連絡方法を取ったら良いですか?」

「はて? 携帯では拙いのか?」

「当然です。貴女は非合法な御仕事に手を染めた闇の住人なんです。
 居場所を特定される事は死を意味するんです。
 新聞の広告欄に13………じゃなくて貴女の使徒ナンバーの9を含んだ記事を載せるとか、
 とある駅前の掲示板に『XYZ』と書き込むといった風に、連絡手段には細心の注意を払うべきなんです」

「な…なるほど。助言を感謝する」

かくて、なんだかんだで別の深みに。
既に何度かガイを狙って夜討ち朝駆けを行ったが、その総てを撃退され、暫しの再修業を決意。
当座の生活費を工面する為(己の我侭で始めた事ゆえ、シュン提督からの援助を受ける訳にはいかないと、彼女は思っている)
北斗にとある任務を仰せつかり、その対価として幾ばくかの金銭を得たのを切欠に始めた始末屋家業だったが、
その最初の顧客がラシィだったが故に、己のイメージする孤独な復讐者のカテゴリーから、着実に足を踏み外し始めているカスミだった。



その頃、今回の逃走劇の主役とも言うべきアカツキは、

「(グキッ)おごっ!」

「だ…大丈夫か?」

「(フッ)勿論だとも。ただ、この辺でチョと休憩を入れようか。三分……いや、五分程待っていてくれたまえ」

アカリのダンボールハウスの中、男としての矜持から『腰が痛い』の一言が言えず、脂汗を垂らしつつ痩せ我慢をしていた。

『何故こんな窮地に陥っているのか?』と問われれば、それは唯一にして最大の計算違い。
カヲリにジャンプを依頼した際、言下に断られてしまった事に端を発している。
これは、全く予測外な展開。
これまで身内には。取り分け、自分の姉妹達に対しては、常に献身的なまでのバックアップしてきた過去の実績からして、まずあり得ない事だった。

だが、協力拒否の理由を聞くに、それは納得せざるを得ないものだった。
そう。彼女には、既に裏から手が回っていた。
エリナによって、有る事無い事吹き込まれるという悪質な洗脳を。
その結果、アカツキのジャンプ依頼を総て無条件に却下する様、固く約束させられていたのだ。
かくて、目的地たる舞歌のオフィスへの直接お手軽ジャンプは『ごめんなさい』の一言で使用不可に。
正に青天の霹靂とも言うべき椿事だった。

無論、アカツキとて、この分野でエリナに遅れを取る気は無い。
誠意と熱意とを尽くせば、カヲリを再説得する自信は少なからずある。
だが、肝心の土俵に上がる為の術が無い。
そう。自分の口で言葉を伝え得る通常の連絡方法では、容易く足が付いてしまうのだ。

かくて、最も単純かつ確実な方法を諦めて別の手段を取らざるを得なくなったのだが、これが実に難題だった。
他のA級ジャンパー達では、良く知っている場所でない限り、ピンポイントなジャンプは不可能。
と言って、適当な場所にジャンプアウトしたりしたら、ボソンジャンプの現場を誰かに目撃される可能性が生まれてしまうのでボツ。
地球政府にナイショで送って貰った、物資流通用のチユーリップによるジャンプも多分無理だ。
ソツの無いエリナの事、現地の特殊運搬員達に『会長を輸送機に乗せない様に』との通達を出して………
否、『WANTED!』とばかりに、賞金付きの手配書を貼り出す位は間違いなくやっているだろう。
それ所か、木連の方へも手を回している可能性さえ捨てきれない。

思わず涙が出そうになる。
本来ならば、会長である自分の味方である筈の筆頭秘書こそが最大の敵。正に四面楚歌な状況だった。
だが、そんな絶望しかけたアカツキの元に起死回生の朗報が。
時間稼ぎの影武者を立てるべく、マリアのOFFの日に合わせ友情出演(?)の交渉に出かけていたラシィが、頼もしい助っ人を。
脱出&潜入工作において、絶対無敵とも言うべき能力を持ったアカリを連れてきてくれたのである。

かくて彼女の加護の下、何の問題も無く変装したマリアと入れ替わり、三週間に渡って監禁されていた豪奢な監獄から脱出。
ネルガル本社からの移動は、足が付かない様、デコイ役のラシィが乗ったタクシーに、運ちゃんにはナイショで同乗。
恙無く佐世保の廃棄工場まで送って貰い、そのまま輸送船の貨物室に密航して木連首都部へジャンプ。
到着後は、各種チェックを受けている荷物と運搬員達を尻目に出国ゲートをフリーパスで通過と、怖いくらい順調な。
『いや、どうにも落ち着かないと言うか。なんかもう『裸の王様よろしく担がれているんじゃないか?』って、気がしてくるね』
と、偶然にも輸送状況の視察に来ていたエリナが直ぐ側を素通りしていく様を見送りながら、そんな軽口さえ出てくるくらい余裕の旅路を行くアカツキだった。

そんな調子に乗った彼の顔色が変わりだしたのは、木連到着後。首相官邸である舞歌のオフィスへ向かう途中の事。
その道程が半ばを過ぎた頃、突如、腰からグキッと破滅の音が聞こえ出したのだ。
賢明なる読者諸氏は、もうお判りだろう。
そう。アカリの特殊能力を発動させるには、彼女自身が直接ダンボールに触れていなくてはならない。
そして、アカツキは小学生並に小柄なアカリよりも三十p以上背が高い。
従って、同じダンボールを被ったまま移動する為には、常に中腰で歩かなくてはならず、
その無理な体勢を続けた事によって、ついに足腰が限界に達したのである。

それでも、アカツキは諦めなかった。
悲鳴を上げる身体に鞭打ち、ゲートから首相官邸までの約3qの道程を踏破。

『ま…まだかい、アカリ君』

『後チョッと。今、同じフロアに入った所だ』

と、途中、些か泣き言が入ったりもしたが、見事、約束の地たる舞歌のオフィス前へと到着。
暫しの休憩の後、勇んでそのドアを開け放った。

「やあ。久しぶりだね、ハニー。
 君に会えなかった日々はもう、まるで太陽が昇らなかったかの様に暗く虚しい………」

と、得意の歯が浮きそうな美句麗句を並べ立てつつ、山と積まれた書類と格闘中な千沙の下へと向かうアカツキ。
だが、彼女に近付くにつれ、そんな浮かれた気分は消え去り、良質の油でコーティングされているかの様だった軽やかな舌も、次第に重くなってゆく。
それもその筈、顔立ちこそ瓜二つだが、千沙と目の前の美女とでは纏っている空気が明らかに違うのだ。
間違い無い。これは良く似た別人だ。

「(コホン)失礼。僕とした事が、うっかり人違いをした様だね。
 いや、千沙君に、こんな綺麗な妹さんが居たとは知らなかった」

取り敢えず、鈍った舌でどうにかその場を取り繕いつつ、予想外の事態に混乱し心を落ち着ける。
そう。確かに千沙の不在は痛恨の痛手だったが、これは逆にチャンスとも言える。
これまで、プライベートな情報には鉄壁のガードを引いていた千沙の肉親が。
それも、自分でさえ一瞬騙されたほどソックリな妹が目の前に現れてくれたのだ。
千沙の性格からして、彼女に自分との関係を告げている可能性は極めて低い。
此処は、この偶然の邂逅を奇貨として『アカツキ ナガレ此処にあり』と、己の存在を高らかにアピールすべき局面だろう。
千沙との接触は、それからでも遅くない。否、それどころか、妹さんの口から千沙本人の居場所を聞き出せれば、正に一石二鳥だ。

と、素早く、そんな皮算用を立てた後、

「初めまして、お嬢さん。僕の名はアカツキ ナガレ。近々、君の義兄となる男さ。(キラッ)」

一世一代の気合を込めて歯を光らせつつ、これまでのナンパ用のものとは一線を画す邪気の無い………否、別の意味では、下心満載な自己紹介を。
だが、会心の出来と思われたそれは、

  バキッ

「テメエか! 姉さんに纏わり付いてる地球人てのは!」

愛する女性と同じ顔から放たれた聞くに堪えない罵声と、躊躇い無く顔面を打ち抜いた右ストレートによって返答された。

「(フッ)どうやら、とんでもない勘違いをされているみた………」

  ドスッ

「何が勘違いだ! 白鳥先輩との事で傷心の姉さんの、心の隙に付け込んだ卑劣漢が!」

鼻血を垂らしつつも根性で見得を切った所へ、今度はボディへ容赦の無い一撃が。
流石は木連軍人としか言い様の無い、女性とは思えない腰の入った良いパンチだ。
このままでは、彼女の誤解を解く前にノックアウトされるだろう。
だが、だからと言って反撃する訳にもいかない。
相手は、千沙君と同じ顔の。ましてや、いずれは義妹となる女性に手荒な真似をする訳には………

「おっと、自己紹介がまだだったな。
 冥土の土産に、とくと聞きやがれ。(パサッ)俺の名は各務千里(せんり)。これから、お前をぶっ殺すだ!」

胸に入れていたパットを投げ捨てつつ、そう宣言する義妹改め義弟君。
かくて、アカツキの自制心を支えていた最後の枷は取り払われた。



   〜 一時間後、再び舞歌のオフィス 〜

「御無事ですか、御主人様! 雷鳴ラシィ、御主人様の助太刀をすべく只今参上です!」

受付で一悶着あったものの、マリアが木連では超有名人だった御蔭で、そのコネでどうにか入館を許可され、我先にと馳せ参じるラシィ。
そこで彼女が見たものは、

「俺なんてなあ(ボクッ)初任務がコレなんだぞ!(バキッ)
 アリバイ作りの為だか何だか知らないが(ベキッ)栄えある優人部隊の一員が(ゴギッ)何が悲しくて(ドスッ)女装なんてしなけりゃならないんだよ!」

「僕が知るか!(ボコッ)そんな事より(ゴスッ)君を義妹だと思ってしまった(バキッ)僕のトキメキをどうしてくれるだい!」

「それこそ(ドゴッ)俺の知ったこっちゃねえ!」

互いに罵りあいながら、只々一発でも多く相手を殴る事だけを考えての。
一切のガードを捨ての果て無き乱打戦へと突入した、二人の漢達の熱き闘いだった。

「ラ…ララパルーザですか? 御主人様、千沙様と拳で語り合ってるですか?」

かくて勇者は、愛する女性との邂逅こそ果せなかったものの、彼女の弟と、互いの胸の内を総て曝け出しあう昵懇の仲に。
千沙との将来へ向け、輝かしい第一歩を踏み出す事に成功した。




その頃、出番の無かった今回のヒロインはと言えば、とある遠い世界で。
否、より正確には、まったく別の世界にて仕事中だった。
本人としては心外の極みだったが。

確かに、此処はとても静かで快適な場所だ。
木連名物とも言うべき、ゲキガンガー3のBGMが一切聞えてこない。
各種書類や許可証の催促にくる士官達に追い立てられる事も無い。
苦情や嫌味を言いに来訪する、根性悪な佐官達だって来やしない。
各種資料もLCL化して貰ってあるので、欲しいと思った物だけが、必要な時に必要なだけ取り出せる。
舞歌様も、此処では稚気を起こす事無く、何時に無く真面目に仕事に励まれている。
しかも、頼もしき助っ人が。広い見識と明晰な頭脳を兼ね備えた、三十歳前後とおぼしき赤み掛かった金髪の女性。
惣流=キョウコ=ツエッペリン博士が、アドバイザーとして協力してくれている。
止めとばかりに、使徒娘たるカヲリが管理するこの空間内では、現実世界での一時間が一週間に引き伸ばされるとの事。
正に夢の様な作業効率である。だが、

『幾ら何でも、これは拙いでしょう。人として!』

紅い世界の中心にて、思わずそう叫ばずにはいられなかった。
彼女には常識と良識があったが故に。

『あらあら。千沙ったら、また発作を起こして。困った娘ねえ。
 そんな大声で騒いじゃ駄目よ。大家さんに御迷惑だから♪』

『まあまあ、二人共その辺で。(カチャ)そろそろ一休みにしましょう。煮詰まっていては良い考えは浮かばないわ』

こんな未知の異世界にやってきても、全くペースの変わらない舞歌様の豪胆さがチョッぴり羨ましく、
残留思念体(?)でありながら、折に触れ仲裁役を務めてくれる惣流博士の優しさが、チョッぴり切ない千沙だった。
博士が振舞ってくれる思念波製の紅茶とお菓子が、自分の感情の影響からか涙の味しかしないのは、彼女だけの秘密だった。
しかも、その日のお茶会の席では、

『ねえ、千沙。貴女、アカツキ君と九十九君のどちらが本命?』

と、この数日分のイダズラ心を凝縮させたかの様に、舞歌様より唐突かつ本気で泣きたくなる様な質問が。
それでも、グッとそれを堪えつつ、なるべく感情を押さえた声音で、この一年余りの間に出した己の結論を述べる。

『どちらも選べません』

『ふ〜ん。で、その理由は?』

『アカツキ会長を選べぬ理由は、彼がネルガルのトップであり、私が舞歌様直属の部下だからです。
 そんな二人が付き合いだしたとしたら、世間にその理由を勘繰るなと言う方が無茶な話。
 それ故、あり得ない仮定ではありますが、もしも互いに想い合う仲となったとしても、結ばれる事はありえません。
 白鳥さんを選べぬ理由は、未練を舞歌様に断って頂いたからです。
 もはや彼は地球人。木連へと戻ってくる事は、もう無いでしょう』

そのまま、千沙は滔々と自説を披露する。
それは要約すれば、次の様な内容だった。

戦乱の世にあってこそ、その能力を発揮する者の多い優人部隊にあって、白鳥さんの資質は、寧ろ治世にあってこそ生きるもの。
そんな貴重な人材に対して、何故わざわざ戦後になってから窓際に左遷………否、事実上の放逐とも言える様な人事を行なったか?
彼の立場に立って考えれば、答えは簡単。
自分にさえ、すぐに判った。コレは、白鳥さんとハルカさんの両肩から『地球と木連との掛け橋』という名の重荷を外してやる為に打った、舞歌様の奇策なのだと。
実際、彼が英雄の座から転がり落ちた直後から、マスコミの追求は明らかに鈍化した。
この手の物の定番として、二人の仲を面白おかしく報じた出版社も数件あったが、肝心の情報自体が出回っていない御蔭で只のゴシップに。
75日と経たずに消えて無くなる程度の騒ぎで、自然消滅した程だ。
ついでに言えば、確かに木連では冷遇されているものの、白鳥さんの相対的な社会的地位は、それほど落ち込んではいない。
徐々にではあるが、彼は地球でも頭角を現しつつある。
伝え聞いた話によれば、実質的権限など無い立場ながらも、今ではオブザーバーとして連合軍の議会に参加しているらしい。

順風満帆。後は、結婚のタイミングを待つばかり。
狙い目はズバリ、テンカワ アキトの帰還直後だ。
そのドサクサならば、好奇の視線を浴びる可能性はほとんど無い。
悪くても、アキトが一面トップを飾る中、三面記事の片隅に『地球に帰化した嘗ての木連の英雄が結婚』と、小さく乗る程度で済むだろう。
そう。既に二人の間に横たわる問題は、時間が解決してくれる類の物だけしか残っていない。
それ故、もはや千沙の逆転の芽は、完全に断たれているという訳である。

『ブッブー、不正解』

『えっ?』

『まあ確かに、私個人としてならば、貴女が考えていた様なお人好しな事をしても良いと思わなくもないわ。
 でも、木連の首相としては、それって最低の愚策よ。だって、それじゃ有為の人材を、みすみす自分から手放すって事だもの』

そう言った後、『判るかしら』と、目で尋ねてくる舞歌様。
それを受け、暫し胸中で自説の問題点を検討する。だが、答えは全く見出せない。

『ヒント。私はもう、テンカワ アキトと結婚する気は全くありません』

『なっ!?』

『だって、最近じゃあの北斗が、母性本能っぽいものに目覚めつつあるのよ。このチャンスを逃す手は無いわ』

困惑している所へ、舞歌様から更なる爆弾が投下される。
いよいよもって判らない。確かに舞歌様は、御自分のそれよりも北斗様とテンカワ アキトとの仲を優先させる傾向があったが………
それでも、漆黒の戦神という存在への固執は、並々ならぬものがあった筈。それが何故?

『私からもヒントを。その北斗君だけど、もしアキト君って子を上手く捕まえられたら、凄く安定すると思わない? 特に精神的に』

『もう。駄目じゃない、キョウコさん。それじゃヒントじゃなくて答えそのまんまよ』

『あら、ゴメンなさい』

そう言ってコロコロと笑いあう舞歌様と惣流博士。
嗚呼、これだから、この御二方の会話は困ってしまう。
私の様な凡人など、その答えを聞いた後でさえ意味が全く判らないというのに。

『やれやれ、仕方ないわね。
 出来ればやりたくなかったけど、貴女、自分じゃ踏ん切りが付かないみたいだから、木連の首相として『命令』してあげるわ』

暫しの時が流れた後、郷を煮やした様に。
それでいて、少し残念そうな表情で、

『各務千沙『少佐』。貴官に、アカツキ ナガレもしくは白鳥九十九との婚姻、もしくはそれに準じる約束を取り付ける事を命じます。
 なお、その期日は漆黒の戦神が帰還する日までとし、これに失敗した場合は貴官を除隊処分としますので、そのつもりで』

舞歌様は、そんな色んな意味で無茶苦茶な命令を下された。
しかも、口頭とはいえ昇進の前渡し。これはもう『退路は無い』と思って間違い無い。

『建前としては『今現在作っているコネクションをバックに、木連に帰参すれば良い政治家になりそうな白鳥さんと、
 現時点で既に強力な権力を持つアカツキさんの二択が出来る娘が居るのだから、
 それを利用して、木連の首相としては、少々の不都合を甘受してでも、どちらか一人は確実に手に入れたい』って所かしら。
 でも、そんなのあくまで副次的なもの。本音は、一人で片意地張ってる貴女が心配なのよ』

『って、キョウコさん!』

『駄目よ、舞歌さん。貴女の好意は判りにく過ぎだわ。
 こうやってハッキリと『形振り構わず頼れる伴侶を捕まえなさい』って、言ってあげないと、千沙さん、建前の方を信じちゃうわよ』

あっ、舞歌様が赤面なんてしてる。
アハハハッ。漸く判った、これは夢だったのよ。
きっと私は、タンクベットの故障で、久しぶりに普通の睡眠を満喫しているんだわ。

『判ったわよ、もうそれで良いわ。
 その代り、千沙にこの特別任務をこなす為の休日をあげる為に、今後も貴女には、私の仕事を手伝ってもらうからね』

『OK。でも、目的はそれだけじゃないでしょう?
 此処に来たいのは、シュン提督にコナを掛ける良い口実になるからじゃなくって?』

『あっ、やっぱり判るかしら。
 何せほら、何時までも一人身じゃ格好が付かないから、私としてはサッサと身を固めたいのだけれども、
 木連の首相としては、その御相手にもそれなりの格式が必要なものだから選択肢が少なくって………』

だが、いくら頬を抓っても目は覚める事は無く、しかも、現実は予想以上に非情だった。
なおも地球のOL達がよくやると言う、給湯室での井戸端会議の様なノリで、太陽系の行く末を左右しかねない内容の談笑を続ける二人の姿を眺めながら確信する。
この世に、善意の押し付けほど性質の悪いものはないのだと。
それと同時に、近い将来、自分以上に苦労するであろう立場を半強制的に選ばされそうなオオサキ提督に、心からの同情を禁じ得ない千沙だった。



   〜 数時間後、午後5時、BAR花目子店内 〜

心配されたサルベージの失敗も無く、現実世界へと無事帰還。
色々あって傷心の千沙が、体感時間的には一週間ぶりに訪れた舞歌のオフィスにて、自分が良く知る男達がダブルノックダウンした姿を。
それも、ラシィの膝枕で安らかに眠るアカツキ(千沙ビジョン)と、事もあろうに、自分と同じ制服を着込んで女装した弟の艶姿(?)とを目撃してしまったショックで、
あの紅い世界よりも更に遠い所へと己が心を旅立たせていた頃、そこから2km程離れたナデシコ荘と呼ばれる雑居ビルの地下にあるBARにて、もう一つの愛憎劇が発生。

   カラン

「ガイ〜ッ!」

「って、どうしたんだよ万葉。
 一週間以上も行方を晦ました挙句、こんな所へ呼び出したと思ったら、イキナリ泣き出して。とゆ〜か、泣きたいのは寧ろ俺の方だった………」

「辛かった。本当に辛かったんだよ〜」

ガイの姿を見付けるのと同時に、自分があの地獄から生還した事を実感。
店のドアを開けるのもどかしいとばかりの勢いで彼の胸に飛び込み、毅然とした普段からは考えられない姿で、身も世も無く泣き崩れる万葉。
そんな彼女に困惑するガイ。無理も無い、彼的には全く付いていけない唐突な展開だ。

「って、しょうがねえなあ。おいヒカル、こりゃあ一体どうなってるんだ?」

「何も言わないでガイ君。今だけは…今だけは、好きなだけ泣かせてあげて」

続いて入ってきたヒカルに助けを求めるも、彼女もまた、目元を押さえてそんな事を宣う始末。
そんな訳で、ガイは黙って二人に従うしかなく、そんな身の置き所の無い……否、万葉に物理的にホールドされ身動きのとれない状況が小一時間に渡って続いた。
だが、そんな愁嘆場ですら、まだプレリュードに過ぎなかった。
或いは、この段階だったならば、『ああ、漸くコスミケの修羅場が終ったんだな』と、まだ周囲の理解を得られたかも知れないのだから。

問題だったのは、その後の展開。 無事、入稿が間に合った(より正確にはギリギリまで待って貰った)のを祝う、ささやかやな酒宴に突入した直後に、
夕飯を兼ねて此処を訪れる客達の第一陣がやって来た事だった。
店内に入ると同時に、某組織のメンバー達が見たものは、カウンター席の左右にヒカルと万葉をはべらせた両手に華状態なガイの姿。
しかも、当の本人はと言えば、更に目の前の美少女を口説いていたのだ。

無論、実際には『二人の間で交わされる牽制口撃のプレッシャーに耐え切れず、現実逃避して目の前のアニタにゲキガンガーについて熱く語っている』といった体たらくなのだが、
彼等の目には、在りし日のアキトを見る時と同じフィルターが掛かり、前述の様に認識されたとして、一体誰に責められよう。
取り分け、今日も今日とて、そのアニタに会う為だけに通い詰める常連客。イノウエ マスオの反応は苛烈だった。

「ヤマダ ジロウ! いや、この際、大豪寺ガイでも構わない!
 二週間後、俺とリングで戦え! そして、俺が勝ったら二度とアニタさんの前に現れるな!」

と、手袋の代わりにスパナを投げつけ、決闘を申し込んだのである。

「バトリングだあ! マスオのヤツが、ついにキレやがったぜ!」

「祭りだ祭り! すぐに会場を押さえろ!」

「マリアちゃんへの出演依頼も忘れるなよ!」

突如として宣誓された激情の挑戦宣言。
それに感化された他の某組織のメンバー達によって、店内は蜂の巣を突いた様な大騒ぎに。
その喧騒に紛れ、もう一方の主役であるガイの承諾が得られていない事は。
返事をしようにも不可能な。投げ付けられたスパナを後頭部に喰らって昏倒している姿は、完全に黙殺された。

「OH! ガイってば、スパ、スパ、スパっと、スパナでヘッドがバラバラマンね」

「(クックックッ)腕を上げたわね、アニタ」

「リアリー? サンキュー、ママ」

嬉しそうに笑うアニタ。それに合わせて笑顔を取り繕うが、内心では彼女への戦慄を禁じ得ない。
自分ですら見逃したチャンスをモノにした観察力と咄嗟の機転。
何より、間接的とはいえ話しの当事者の一人でありながら、それを躊躇いも無くギャグするなんて………アニタ、恐ろしい子。
と、師匠らしく、さり気無く白目になりつつモノローグを入れておく。
その日、まだまだルーキーだと思っていた教え子が、何時の間にか自分と同じステージへと昇ってきた事を肌で感じとったイズミだった。




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