〜 10日前 2199年 日々平穏木連支店 〜

   ジュ〜  ザッザッ  ジュー

特大の中華鍋が、業務用コンロ特有の激しい炎の上で引っ切り無しに振られている。
炒められている大量のモヤシが、中華鍋が振られるのに合わせ生き物のように宙を舞い、轟々と燃え盛る炎の中を潜って再び鍋の中へと戻ってゆく。
そして、炒め物特有の油撥ねの音が微妙に変化した一瞬を見逃さず、素早く塩コショウで味付けを。
本来ならば、今少し多くの調味料を使用するのだが、これが課題の一つでもある故グッと我慢しつつ、味が均等になるよう攪拌する事に集中。
途中、何本かのモヤシを口にして味を見る。
笑みが零れる。今回のそれは、過去最高の出来だ。
完成したそれをラーメン用の丼の上へと盛り付け、勇んで己の師の元へと持参する。

「ホ…ホウメイさん、味を見て下さい」

差出す瞬間に気後れし、やや声が裏返っていたが、その辺は御愛嬌とすべきだろう。
何故なら、肝心のモヤシ炒めの出来は己の師の舌を満足させ、

「60点。合格だよ、アカリ坊」

「ホントか? ホントに合格なのか?」

「まあ、ギリギリだけどね」

再度出された師からの合格通知に、アカリは小さく、だが、万感の想いを込めガッツポーズを。
それ故、彼女は全く気付かなかった。
苦笑を浮かべているホウメイが、その内心では、己の弟子の急成長振りに舌を巻いていた事に。

切欠は、例の無断欠勤(第11話参照)だった。
あの日、自分の前に出た途端に土下座を始め、平謝り謝り続けるアカリを前にホウメイは真摯に考えた。どうしたら、この娘の逃避癖を矯正出来るかを。
そう。実は彼女、それほど怒ってはいなかった。
無断欠勤の理由を。済崩しにウミに拉致られる瞬間を目撃していただけに、寧ろ、あの時点で如何にか出来なかった己の不手際を悔いていた程だ。
それ故、これを理由にアカリを解雇する気など毛頭無かった。
とは言え、無罪放免という訳にもいかない。信賞必罰を考えれば、何らかのペナルティは必要だろう。
それに、霊感など信じない性質なのだが、何故かこの件では猛烈に嫌な予感が。
今の内にガツンとやって自立心を養っておかないと、後で大変な事になりそうな気がしてならないのだ。
そんな裏事情から考え出されたのが、先程の炒め物の特訓を兼ねた懲罰。
『合格点に達するまで、食事は自分で作ったモヤシ炒めのみ』というものだった。

訓練初日。山と積まれた大量のモヤシを前に、アカリは本気で涙していた。
某騎士王にも負けない健啖家である彼女とって、これは正に死活問題だったが故に。
実際、ホウメイ自身も、最初はお灸を据えるだけのつもり。
三日もすれば、適当な理由を付けて大目に見てやるつもりだった。
だが、そんな思惑は、予定していた三日目を迎える前に消失した。
恐ろしく早かったのだ、アカリの上達が。
ホウメイ的には、途中で中断するなんて勿体無いとしか思えないくらいに。

確かに、アカリは鍋を振り続けた。
休み時間は勿論、通常のウエィトレス業の合い間にも、何とか時間を作って振った。
夜も厨房に泊り込み、当然の様に徹夜で。兎に角、寸暇を惜しんで振り続けた。
修行期間中、一度だけ自主休暇を。
彼女の姉妹の一人であるラシィからのSOSに応じて半日ほど留守にした時も、帰宅するやいなや、空きっ腹をグーグー鳴らしながら鍋振りを再開した。
正に命懸けだった。そこまでやらなければ、到底必要なカロリーを摂取出来なかったのだ。
だが、そんな鬼気迫る気迫を考慮してもなお、この上達振りは異常な物だった。
何しろ、たった10日余りの間に、炒め物の基礎を習得したのだから。

此処で『それがどうした』と思われる向きもあるだろうが、それは明らかに過小評価だろう。
そうした結論を出す前に、TV版の第20話を思い出して頂きたい。
あの時、アキトがサイゾウから受けた評価が30点。
この事例に比べればホウメイの採点基準はかなり甘い方だろうが、それでも倍の点数になるとは思えない。
もうお判りだろう。アカリのそれは、既に凡百の料理人では成し得ぬ技。
具体的に言えば、鍋振りの技術に限定するならば、既に当時のアキトを超えているという訳なのである。

「さて。それじゃ約束通り、新しい料理のレシピをやろうかね」

そうした驚愕を胸の奥に仕舞い込んだ後、ホウメイは如何にも『仕方ないねえ』と言わんばかりの調子で、そう宣った。
蛇足ではあるが、これもまた本来あり得ない事である。
俗に『技術は習うものでは無く盗むもの』と言われる通り、たとえ弟子であっても、コックは自分のレシピを直接教えたりはしないものなのだ。
だが、アカリは通り一辺のレシピすら知らない特異な料理人見習。
それに、『出来る筈が無い』という前提の基に交してしまった『何でも一つ、望みのレシピを教えてやる』という、彼女の前にぶら下げたニンジン代わりの約束もあった。
ついでに言えば、これだけの才の持ち主に、出発点でウロウロと間誤付かれた挙句、おかしな癖が付いてしまったら面白くないという思惑もあっての事である。

「それで何が良いんだい、アカリ坊」

「はい。焼きそばをお願いします」

珍しく、迷いの無い口調でそう言い切ったアカリに、ホウメイは思わず苦笑を禁じえなかった。
図らずも、いまだ彼女が素人同然の知識しかない事を知ったが故に。

そう。アカリにして見れば、単に自身の好物(ちなみに、最初に食べたホウメイの料理でもある)だからなのだが、実はこの料理、突詰めれば難易度が恐ろしく高いもの。
中華料理の技術判定基準にチャーハンを作らせる某料理漫画風に言えば、
炒められる麺のコシと具材である野菜炒めの完成度とを両立させつつ、その両者の味を破綻無く融合させなければならない、極めて高度なスキルを要求されるものなのである。
だが、物は考え様だ。アカリにとっては、複数の調理技術を同時に習得出来る良い例題と言えない事もない。
無論、そんな無茶な真似が出来ればの話なのだが………

「良し。チョッと待ってな」

その無茶、通して見せようじゃないか。
そんな木連人っぽい決意を固めつつ、ホウメイはレシピの書き出しを始めた。
内容は至ってスタンダードな。だが、いまだアキトですら習得していない技術を含んだもの。ハッキリ言って目茶苦茶である。
無論、いきなりコレを習得可能だとは彼女とて思っていない。
だが、アカリの才を効率良く伸ばすには、先ずは高いハードルが必須だと確信しての事だった。
或いは、単にこの地の空気には、人を熱血させる何かがあった所為なのかもしれないが。

「うん。出来たよ」

そんな、ナデシコで最も安定した自我を誇るホウメイをして暴走というレアな展開を経て生まれた一枚のメモを、恭しい手付きで受け取るアカリ。
そして、その内容に何度も目を走らせた後、彼女は、常に懐に入れて持ち歩いている厄除け大師のお守りの中へと、それを丁寧に納めた。

「あ…有難う御座います」

嬉しそうな微笑を浮かべつつ、ペコペコと何度も頭を下げて礼を言うアカリを前に、照れ臭そうに頬を掻くホウメイ。
と、此処で終ればチョッと良い話だったのだが、世の中、そう甘くは無かった。

   バタン

「丁度良かったわ! 浜茶屋を開く為に、料理の出来る人材を探していたのよ!」

そんな師弟の良い雰囲気を打ち壊しにする形で、準備中の札が掛かっていた筈の店内に無粋な闖入者が。

「これぞ天の配剤ね。早速、その腕を貸して頂戴!」

と、有無を言わせぬ調子で捲し立てながらアカリの手を引っ張る左右に髪を結い上げた御団子頭の少女。
それは、前回と全く同じ手口で彼女を拉致しに(ゴホン、ゴホン)じゃなくて、協力を求めに来た魚住ウミだった。

「ちょ…チョッとお待ち!」

唐突な展開に一瞬呆気に取られたものの、前回の事もあって素早く我に返って制止するホウメイ。
だが、彼女がアカリのもう片方の手を掴もうとした瞬間、

「水鏡掌!」

ウミは、自身の特殊能力によって掌に屈折した水鏡を作り出し、店内の照明の反射させて激しく発光。
その眩しさに、ホウメイが怯んだ隙に、

「今よ、ステルス・ダンボールを!」

「えっ? えっ?」

「早く!」

いまだ状況が飲込めていなかったアカリを叱咤してその特殊能力を発動させ、まんまと逃走に成功した。

ちなみに、前述の技名は、某組織のメンバー達が名付けた、使徒っ娘ファイトUダッシュでの彼女達の必殺技。
ウミ使いの最大の武器で、ダメージこそ皆無だが喰らった相手が1/2の確率でピヨるという特殊攻撃と、
新キャラのアカリの最大の武器で、攻撃を仕掛ける&攻撃を貰わない限りは画面上から消えたままという特殊攻撃(?)を指すものだったりする。

「(ハア〜)これはもう、料理の修業より先に、悪い仲間と手を切らせた方が良いのかもしれないね」

アカリ達が消え去った方向を眺めながら、溜息を吐きつつ冗談交じりに。
だが、一割くらいは本気でそう呟くホウメイさんだった。

かくて、アカリの料理修業は、更に難易度を増す形で自主トレとなった。



   〜 5日後。2015年の大新東京市、ハーテッド邸 〜

切欠は、ハーテッド家の西欧州への帰省中に起こった、必然とも言えるハプニング。
マーベリック社のグラシス会長が、後事を託していたフリーマン准将の再三の懇願に折れ、久々に西欧州司令官としての責務を果さざるを得なくなった事だろう。
これによって、民間人であるカヲリは約8ヶ月ぶりにフリーに。
会長秘書に就任して以来始めて、纏まった休暇を取る事が出来る様になった。

無論、このチャンスをみすみす見逃す様なカヲリではない。
すぐさま、シンジ達一行を追い掛ける中国ツアーの計画立案を。
だが、そんな彼女の元へ、まるで狙い済ましたかの様なタイミングでラピス=ラズリ専務が送ってきた一枚のDVDによって、その目論見は木っ端微塵に砕け散った。

彼等の近況を納めたその映像は、色んな意味で涙無しには見れない内容だった。
レイとマユミから話だけは聞いていたが、今回はもう日常レベルであの格好。
それも、いっそ開き直ってくれていれば幾らでも対処法はあるのだが、いまだ羞恥心が失われていない所がなんとも…………
あれでは『からかって下さい』と言っている様なものだ。
そんな彼の前に、友人以上の関係を求めている自分がノコノコ出て行ったりしたら、おもいっきり気拙い事に。
下手をすれば、現在の友好的な関係すら瓦解する引き金となってしまうだろう。
現状は完全に手詰まり。まるで自分に悪意でもあるかの様に最悪だった。

そんな訳で、カヲリは純粋にこの休暇を楽しむ事に。
2199年の実家(?)にてノンビリと過ごす事にしたのだが、そんなまどろみに満ちた生活には、最初の数日で飽きてしまった。
否、これまでがこれまでだっただけに、まるで落ち着かなかったのだ。
そして、同じく帰省中だったアリサお姉様に『お爺様には私から言っておくわ』と、背中を押されたのが駄目押しだった。

かくて、お姉様の好意に感謝しつつ、カヲリはナイショで日本に一時帰国。(何せ、彼女にとって距離は何の問題にもならない)
夏休みを親しい友人達と過ごすべく、お爺様の不在によって静寂さに満ちた我が家へと招待した。
だが、喜んでくれるものと思っていた彼女達の顔は、何故か一様に暗かった。
それも、普段のそれからは考えられない程に。
勿論、これを放って置く訳にはいかない。
得意の話術を駆使し、それとなくそれぞれの近況を聞いてみる。
その結果、推測された彼女達の悩みは、正直、匙を投げざるを得ないものだった。

我知らず自嘲の笑みが零れる。
何の事は無い。多少人より優れた能力を持っていた事で、知らず自惚れていた己の増長を自覚する。
そう。所詮はどんぐりの背比べ。友人達が抱えていた悩みもまた、出鼻を挫かれ落ち込んでいた自分のそれとさして変わらないものだったのだ。
これでは、到底彼女達の力になれそうにない。別方向からのアプローチに切り替えるべきだろう。

「さて皆様。この話題は此処までとして、御暇でしたら、これから私と遊びに。
 そうねえ。先ずは夏のレジャーの定番、海水浴にでも行きませんか?」

「えっ?………まあ良いけど、えらい唐突ね。
 とゆ〜か、らしくないわよ。そういう気紛れな事を言い出すタイプじゃないでしょ、アンタは」

それまでの話の流れを一刀両断する形でなされた突然のお誘いに、不審顔になるアスカ。他の娘達も同様だ。
そんな彼女達に向かって、何時も通りの優雅な微笑みを浮かべつつ、

「(クスッ)私だって、偶にはそんな事もありますわ」

可憐な乙女達に、暗い顔は似合わないってことよ。
内心でそう呟きつつ、友人達をバカンスへと連れ出す事に。
無理矢理にでも気分転換をさせるべく、強引な力技に出たカヲリだった。



   〜 一時間後。第三新東京市郊外の某海岸 〜

今や常夏の国である日本だったが、それでもクラゲや土用波の発生といった問題から、矢張りこの時期こそが海水浴のメインシーズン。
それ故、急遽訪れたこのビーチも結構賑っていたのだが、その楽しげな喧騒も、洞木ヒカリの心を弾ませるには至らなかった。
それ所か、現在の寂寥感を再認識させるものでしかなかった。

「鈴原の馬鹿」

知らず愚痴が零れてしまう。
見上げる空は雲一つ無く、晴々とした昼下がりの青天。
地上に目を向ければ、混雑もしていなければ閑散としてもいない、軽く泳ぐのに不自由を感じない適度に賑ったビーチ。
まるで当て付けの様に、自分が思い描いていたシチュエーションよりも、ずっと好条件が揃っていた。
だが、『そんなモノだけが有っても、仕方ないのよ』と、ヒカリは声を大にして主張したかった。
何故なら、それらはあくまでも、演出用の小道具と舞台装置に過ぎないのだから。
そう。彼女の目論見では、此処にトウジも居る筈だったのだ。

「(ハア〜)」

思わず溜息が零れる。
今回の様に、皆で海水浴に出かけるという話が持ち上がる事は、ヒカリには予測出来ていた。
当然、トウジも一緒に来るものだと思っていた。
ならば、それを利用しない手は無い。
実際、彼女は、夏休みに入る前から試行錯誤を繰りかえして計画を立案。
これを機に、人を解放的にさせるという夏の魔力の力を借りて、一気に親密度を深めるつもりでいた。

「折角、水着も新しく買ったのに」

その為に、彼女は必至の努力をしていた。
今着ている淡い紫のセパレートタイプの水着も、これまでスクール水着しか着た事の無い彼女からすれば、精一杯の大冒険だった。
トウジへのアピールと羞恥心とを天秤に掛け、辛うじて均衡を保つという極めて困難な採用基準を満たした珠玉の逸品。
この一着を選ぶ為に、いったい何軒の水着売場を回った事か。

だが、そうした苦労は総て徒労に終わった。トウジは今、遠い異国の地に居るのだ。
夏休み前、勝手に一人で盛り上がって様々な計画を練っておきながら、結果はこの有様。
他力本願な事を考え、最も肝心な部分を他人任せに。
カヲリならば、総てが丸く治まる様に上手くセッティングするだろうと丸投げにしていた報いである。
とは言え、前後の事情を考えるに、仮に自力で動いていたとしても、おそらく勝利は望めなかっただろう。

『北斗先生が絡んできた時点で終わっていた事』
そう己に言い聞かせ、自分を慰めるヒカリだった。

「だあ〜もう、せっかく海まで来たってのに、何時まで黄昏てんのよ!」

「黄昏てなんていないわ。ただチョッと、悠久の大地に思いを馳せていただけ」

「だから、そのボソボソトークは止めれ〜!」

遠い目をしつつ、レイ顔負けに抑揚のない声音の返答を。
そんな普段とは似ても似つかない調子のヒカリを叱咤するアスカ。
だが、そんな彼女も只の空元気。本調子とは程遠い状態だった。

彼女の悩みの種は、加持リョウジの動向。
それも、此処最近のそれが、極めて不可解なものになってきた事だ。

日本に到着して以来、彼とはめっきり疎遠になったのは仕方ない。
嘗ては四六時中行動を共にしていただけに些か寂しくはあるが、これは当然の結果だ。
何せ、先に距離を取ったのは此方なのだから。
だが、そうした事情を鑑みても、チルドレン専属のガード職にあるのにも関わらず、碌に顔を合わす機会すらないという現状は少々不自然な気がする。
まして、バックに北斗先生が居るシンジは兎も角、レイまでも避けている風なのは明らかに異常である。
一番接触率の高いのはどうもリツコっぽいが、あくまでも比較として多いだけであって、ミサトの様に彼女のラボに入り浸っているという程じゃない。
それでは、本来の職務を放棄して一体何をしているのか?
調べようにも、相手はその道のプロ。素人の自分では手も足も出まい。
そんな訳で、既に何度かナオさんに調査をお願いしてみたのだが、幾らせっついても色好い返事が貰えず、上手く誤魔化されてしまう。

とまあ、此処まで状況証拠が揃ってしまうと、これはもう『何か裏がある』と勘繰りたくなるのが人情というものだろう。
加持さんの纏っているミステリアスな雰囲気に惹かれ『大人の男性』として慕っていた頃ならば兎も角、その正体が薄々判ってきた現在であれば尚更である。
それでも………否、だからこそ、アスカは心配でならなかった。
手遅れになる前に。出来れば今すぐにでも、危険で非合法な仕事からは手を引いて欲しかった。
とは言え、相手が相手。悔しいが、彼の説得は自分には不可能だと認めざるを得ない。

「まったく、ミサトは何をやってるんだか」

思わず悪態が口から漏れる。
そう。おそらくは、これが唯一無二の打開策だろう。
総ては加持さんの身を守る為。

『彼の様な危険な男に真っ当な道を歩ませるには、その行動を制限する足手纏いが必要』
『確かに、ミサトに加持さん程の男を捕まえる様な甲斐性があるとは思えないが、その辺は『既成事実』とか『泣き落とし』とかでカバーして何とか』

そんな風に自分を誤魔化す覚悟はとうに出来ている。
とゆ〜か、このアタシが身を引いてやった上に、二人の仲を祝福までしてやろうってのに。それをあの馬鹿女は!



「レイ! 右よ、もっと右」

「了解。進路を2時方向へと修正」

「そのまま三歩前へ進みなさい。そこがベストボジションってことね」

「了解。目標、射程内に。攻撃を開始します。(ドスッ)」

そんな二人を尻目に、此処数日の辛気臭い顔を捨て去り、レイとマユミは元気一杯。
カヲリの見守る中、スイカ割りを興じている。
そう。不調の原因が取り除かれた事で、既に彼女達は立直っていた。(笑)

「って、なんでアタシに断りも無く、メインイベントに入ってんのよ!」

仲間外れにされたと思い、キレるアスカ。
だが、これは些か的外れ。

「声なら掛けたわ」

「ええ。何度も呼んだんですけど、アスカさん達には気付いて貰えなかったもので」

彼女のテンションとは対照的に、冷静にそう突っ込むレイとマユミ。
そう。これは長々モノローグを入れていた………じゃなくて、アスカ達が自分の考えに没頭していた所為である。

「うう〜〜っ」

恨みがましい顔で低く唸る。
理性は二人の弁の方に理があると認めていたが、感情の方がついてこないのだ。

「もう。アスカったら、また小さな子供みたいに」

「(クスクス)あら。私は、彼女のそういうストレート所が大好きでしてよ。
 この時機の少女にしか持ち得ない、純粋さ故のきらめきですわ」

そんな何時もの悪循環に陥り掛けた彼女を、身体に染み付いた委員長体質から己の葛藤を一時棚上げしたヒカリと、
真芯を捉えてたらしく、比較的綺麗に割れたスイカを食べ易い形にカットしていたカヲリが窘める。

「って、まるでママみたいな物言いをして。絶対年齢詐称よ。ホントは幾つなのよ、アンタ等は〜」

二人に窘められ頭は冷えたものの、ガキ扱いされて別の意味でムクれるアスカ。
そんな彼女をフォローする様に、

「そうねえ。12月生まれの貴女よりも半年程お姉さんという所かしら?
 さて。それではレイが見事に仕留めた戦果を頂きましょう。スイカに罪はないってことね」

そう言いつつ、カヲリが取り分けたスイカを差し出す。
紅茶こそ出ないものの、四人にとっては御馴染みなティーブレイクである。

「ヒカリ、塩取って塩」

「もう。それじゃ、かけ過ぎよアスカ。塩分の取り過ぎは身体に悪いわよ」

シャクシャクと丸齧りに。一口分ずつ丁寧に掬って。几帳面に種を取り出して。
性格の現れた四者四様の食べ方にて、暫し夏の果実を堪能する。
だが、そんな優雅な一時を打ち壊しにする形で、まったく逆のベクトルで周囲の空気から浮いた、無粋なナンパの声が。

「おっ嬢さ〜ん! 俺とそこの浜茶屋でお茶でもしませんか〜!」

もう少しセリフと態度に気を使えば、それなりに成功しただろう。
そう思える程度には、その男は良く鍛えられ引き締まった身体付きと意外に整った顔立ちをしていた。
だが、あれでは引っ掛る者も引っ掛るまい。
一定以上のスタイルを誇る美女達にかったっぱしから声を掛けてゆく節操の無いその姿は、まるで某バンダナ煩悩少年の10年後の様だった。

「ねえ、カヲリ。アレって………」

「言わないでアスカ。私達は、何も見ていないし何も聞いていない。そういう事にして頂戴」

「いや。そんな現実逃避したって、結果は変わらないし」

そう。それは、彼女達を送迎した後、本社に帰った筈の鷲爪マサキの姿だった。
どうやら、どうせ迎えに来る事になるのだし、せっかくだから空き時間を利用して自分も夏の海を堪能していたらしい。
その事自体は大目に見ても良いのだが、その楽しみ方に問題が………

「そこまでにしときな」

と、苦悩するカヲリの窮地を救う形で、マサキに駆け寄る人影が。
一昔前のロードワーク中のボクサールックな。厚手のジャンパーにフードを被った、これまた周囲から浮いた格好の男が制止の声を。
否、彼の声音には明らかにそれ以上の感情が含まれていた。

「くっ」

殺気を感じ取り、素早く臨戦態勢に入るマサキ。
だが、フードの男は、それが整うのを許さぬ鋭いステップインで懐に潜り込み、

   ドゴ〜ン

苦し紛れに出したマサキの右フックをダッキングでかわしながら、下から突き上げる様な左ボディを。
カウンター気味な。それも確かな破壊力を感じさせるその一撃にて、悶絶する暇すらなく崩れ落ちるマサキ。
かくて、白昼の海辺にて、場違いなまでに見事なKO劇が披露された。

「あ…アレはショベル・フック!」

「知ってるんですか、アスカさん!?」

ギャラリーっぽく、アスカとマユミが格闘マンガお約束なセリフを。
と、その時、彼女達の背後から白衣を着込んだ金髪の女性が現れ、

「説明しましょう!
 ショベル・フックとは、腰を落とした体勢から左肘の角度を決めて一気にパンチを突き上げるその動きが、シャベルで土を掘り上げる様に似ている所からそう名付けられた、
 『拳聖』『マナッサの巨人殺し』などの異名で呼ばれる1920年代のボクシング世界ヘビー級王者、ジャック=デンプシー。
 本名ウィリアム=ハリソン=デンプシーの得意としたパンチよ。
 特筆すべきは、その破壊力。
 1919年、彼は当時の世界チャンピオンだったジェス=ウィラードに挑戦。
 2m近い体躯の大男だったチヤンピオンを、このパンチを武器に徹底的に殴り続け、初回から7度のダウンを奪い、3回終了時にはTKOしてベルトを奪取したの。
 試合が終った後、対戦相手だったウィラードは、あばら骨を何本も折られ、顎も7箇所に渡って砕かれていたそうよ。
 そんな凄惨かつ一方的な試合内容だった事と、国民的英雄だったチャンピオンが敗北してしまった事で、この時の試合は『トレドの惨劇』と呼ばれているわ。
 そして、新チャンピオンとして賞賛される筈だったデンプシーは、一躍アンチ・ヒーロー扱いされてしまったの。まさにハード・パンチャー故の悲劇よね」

「とても判り易い御解説を有難う御座います、フレサンジュ博士。
 ですが、公共の場での御講義は控えて頂けないかしら? 博士の『説明』は初心者には酷ってことね」

一通り説明が終った所で、普段のそれとは異なるマーベリック社の秘書としての顔で。
所謂、営業用スマイルを浮かべつつ、そう宣うカヲリ。
『何故此処に居るのか?』とか『一体何をしているのか?』等という愚かな質問はしない。
そう。イネスと相対した時は、ビジネスライクに互いの要求のみを伝え合うのが上策なのである。
無論、これは些か非礼な行為なのだが、彼女は基本的には善意の女性なので、それほど問題にはならない。
ギブ・アンド・テイクのギブの部分さえ怠らなければ、良好な関係すら構築可能なのだ。
丁度、今の自分の様に。

「判ったわよ。その代り、此処で合宿組んでる事はオフレコにしといてね」

「はい。今月の21日までは誰にも洩らさない事を確約致しますわ。ファイトプランが漏洩する心配は御無用ってことね」

その返答に『ちぇ、やっぱ知ってたのか』と拗ねた様に愚痴った後、別れの挨拶と共に雑踏の中に消えてゆくイネス。
かくて、彼女の説明の驚異は、カヲリの活躍によって最小限の被害で回避された。

「って、ナニが哀しくて、あんな格闘マンガみたいな三文芝居を。
 それも、このアタシがナンで脇役なんてやんなきゃなんないのよ!」

「あら、最初にネタを振ったのはアスカですわよ。責任転嫁は良くないってことね」

「そんな事より。あのまま放っておいて良いの、あの人?」

「ええ。問題なくってよ、ヒカリさん。
 一見、優男風に見えるかもしれませんが、彼は数々の戦場を渡り歩いてきたとても強靭な方ですから。殺しても死なないってことね」

漸く再起動を果したアスカが吼え、ヒカリが心配げにマサキの様子を伺い、カヲリが二人をフォローする。
そんな少女達の喧騒を背に、フードの男はロード・ワークを再開。
足を取られ易い砂浜をものともせずに疾走してゆく。

「シュ、シュ、シュ!」

時折、立ち止まってはその場でシャドウを。
その不満げな表情からして、まだまだ現役時代のキレは戻っていないらしい

決闘の日まで、あと10日。
元アマチュアボクシング日本チャンピオン、イノウエ マスオの強化合宿は、まだ始まったばかりだった。



   〜 20分後。最寄の駐車場 〜

取り敢えず、KOされたマサキを駐車場に留めてあったリムジンに放り込んだ後、
『力仕事したら小腹が空いちゃった』と主張しだしたアスカの求めに応じ、一行は近くにあった小さな浜茶家へ。
だが、ゲン直しのつもりで入ったそこには、更に厄介な事態が待っていた。

「いらっしゃい!………あれ、惣流じゃんか」

「って、カメラじゃない! 何でアンタがこんな所に居んのよ!」

「バイトだよ。趣味と実益をかねてね」

「趣味〜! アンタまさか、ソコのビーチで盗撮とかしてるじゃないでしょうね!?」

「してないって。まあ、撮影意欲をそそられないって言えば嘘になるけど、此処にはコワ〜いお姉さんが居るんでね。俺は自分の身が可愛いし」

意外な出会いに詰問するも、のらりくらりとかわされてしまう。
相変わらず掴み所の無いヤツだ。

「まあイイわ。それじゃ、焼きそばを四つ。内一つは肉抜きで」

不利を悟ったアスカは、客として注文を出しケンスケを追っ払った。
そう。此処で粘っても良い結果は得られない。アレには別の形で勝てば良いのだ。

「へい、お待ち」

と、良く言えば近代戦略論に基づく行動指針の確認を。悪く言えば、自己正当化を果した所で、タイミング良く注文の品が。
悪くないレスポンスに気を良くするアスカ。
早速ほうばった焼きそばが、この手の店にしては上出来な味なのも好印象だった。
だが、対面の席に座ったカヲリの評価は甚だ低かった。

「25点……いえ、23点くらいですわね。
 さて、ケンスケ君。念の為に質問させて頂きます。『はい』か『イエス』のどちらかで答えて下さいね」

「そ…それじゃあ、ドッチも同じじゃんか」

「(クスッ)お気に召さないのでしたら『ウィ』でも『ダー』でも、肯定に値する言葉でしたら、どの様なものでも構いませんわよ。これは只の確認ですもの」

丁度、立ち去る寸前だったケンスケの手を取りつつ、何時も通りの優雅な微笑みを浮かべたまま、そう尋ねる。
だが、その目は全く笑っていなかった。

「ホウメイさんの………いえ、あの方の名を出す事さえ憚られる様な、この極めて粗悪な模造品を作ったのはアカリですわね」

そう。自身も料理には一家言あるだけに、カヲリは少なからず怒っていたのだ。
正直、なまじソコソコの味であるだけに許し難い。
まるで、最上級のスポンジを賞味期限切れのホ○ップクリームでデコレーションしたかの様な冒涜感を感じてしまう。
これならば、ある分野に特化しようと試行錯誤を繰り返した結果、最後には“ああいう”形に定着してしまった、
故Mrs.エリーヌの残したレシピの方が、まだしも評価出来るくらいだ。

「え、え〜と………取り敢えず、もうチョッと落ち着こうよカヲリさん」

「私は至って冷静ですわよ。ええ、湖を優雅に舞う白鳥の様にね」

「つまり、水面下までは保障出来ないって事?」

「(クスッ)御想像に御任せしますわ」

そんな常ならぬカヲリの強行な態度に動揺しつつも、必至に打開策を摸索するケンスケ。
だが、彼がその場を誤魔化し得る一手を思いつく前に、

「おうおう。誰に断って、此処で商売してるんじゃい!」

色んな意味でベストタイミングに、昨今で珍しい古式ゆかしい口上を述べつつ、赤髪や金髪といった色取り取りな髪に着崩した趣味の悪い背広といったいでたちの。
ヤの付く職業に従事しているとおぼしき、5〜6人程のガラの悪いチンピラ達が来訪。これ幸いと利用させて貰う。

「先生、お願いします!」

「ど〜れえ〜」

ケンスケの求めに応じて、店の奥から身体にピッタリとフィットしたライダースーツを纏った、雌豹をイメージさせる肉感的なスタイルの美女が。
気怠るげな。いかにも『面倒臭い』とでも言いたげな仕種で、寝癖の付いたソバージュの髪を手櫛で整えながらの登場。
おまけに、彼の御約束に対応している辺り、意外と茶目っ気のありそうな第一印象だったが、

「失せな、ドブネズミ共」

彼女の開かれた口から発せられた冷淡な声と、チンピラ達を一瞥した時に浮かべた酷薄な笑みとが、それを完膚無きまでに破壊。
場の空気を一気の殺伐としたものへと変えた。

「クッ、舐めんじゃねえぞ(チャッ)」

ライダースーツの美女の挑発に乗って、手に手に特殊警防や匕首といった得物を手にするチンピラ達。
その容姿だけを見れば、これ幸いとコナを掛けてお持ち帰りにしようとしたのだろうが、彼女の纏う冷徹な雰囲気が、彼等の警戒心を………
否、生存本能を最大レベルで刺激したが故の対応である。

「この野郎!」

掛声も勇ましく、半包囲の体勢から一気に襲い掛かるチンピラ達。
だが、“チン”と澄んだ音色のした瞬間、彼等が頼みとしていた得物は全て根元から消失した。

「「「「なっ!?」」」

振り被ったそれらの重みが唐突に消えた驚愕から、一瞬、彫像と化す。
そんな彼らの目の前で、今度は見せ付ける様に手元の得物を晒した後、

   シュッ

彼女は、手にした鋼線の様な物を視認不能なスピードで鞭の如く振るい、
カラフル且つ自己主張強く撥ね捲くったヘアスタイルだった彼等の髪を、坊主と角刈りの二択にしか出来ない長さへと切り刻んだ。

「(フフッ)この私が『野郎』ねえ。
 要らないわよね、そんな役立たずな目玉なんて?」

悪戯っぽく笑いながら、言外に『次は目を狙う』と予告する、ライダースーツの美女。
そんな彼女の恫喝に、チンピラ達の戦意は完全消失。我先にと逃げ出していった。
無論、こんなおいしいシーンを見逃すケンスケでは無い。
当然の如く、その一部始終を。彼女の普段のだるキャラ振りとの絶好の対比となり得るベストショットを撮影済みだ。
だが、今回ばかりは趣味に没頭している訳にはいかない。
そう。此処からが本当の勝負なのだ。

「大変失礼致しました、お客さま方。
 御詫びの印といってはなんですが、どうぞコレをお納めに。そして、本日の事はどうか御内密に」

営業用スマイルを浮かべつつ、どこかの道化師や営業部長張りな謝罪トークを。
駄目押しに、袖の下として此処の無料食事券セットを包んで手渡そうとするケンスケ。
だが、これもまた相手が悪かった。
ある意味、先程のそれ以上に結果の見えた戦いだった。

「残念ですが、ケンスケ君。貴方の謝罪は的外れなものですわ。
 何故なら、私が求めているのは、先程の茶番とは全く別の事ですもの」

「と、言いますと………」

「ウミ、居るのは判っているんですのよ。
 責任者でしょう。潔く私の前に出てきなさい」

あちゃ〜、こりゃ誤魔化し様がないな。
いきなりズバッと事の本質に切り込んできたカヲリに、胸中にて白旗を揚げるケンスケ。
彼女の言では無いが、此処は潔く全面降伏し、全ての真相を話すべきだろう。
それが最もダメージが少なく、且つ、彼女に一矢報い得る唯一の策でもあるし。

そんな訳で、彼は厨房に向かい、カヲリの怒気に当てられて蛇に睨まれた蛙の如く硬直していたアカリを召集。
彼女達の耳元にて幾つかの指示を出した後、関係者一同を整列させ、

「わ…私、胎動あかり。調理担当だ」

「日暮〜ラナ〜。用心棒よ〜」

「そして、俺は相田ケンスケ。ウエィター兼やとわれ店長やってま〜す」

「「「三人揃って、浜茶家『海が好き』の従業員で〜す!」」」

某戦隊物のパロディっぽく名乗りを上げた。
些か呼吸がバラバラであるが、そこはぶっつけ本番。愛嬌というものだろう。
そんな彼等の熱演だったのだが、何故かお気に召さなかったらしく、

「私は、責任者を呼んでいますのよ」

更に頑なな。まるで某美食倶楽部の主催者の如く厳然とした態度で、そう宣うカヲリ。
だが、実はそれこそがケンスケの待っていたリアクションだった。

「魚住なら居ないよ。だって、まだ補習が終わっていないからね」

「えっ?」

「い〜や〜。思い起こせば、五日前の開店日。
 ど〜やってかは知らないけど、此処の店舗と仕入れ先を確保して、成り行きで集められた俺達従業員も揃えて準備万端、『さあこれからだ』って時に、
 彼女、突如あらわれたコワ〜いお姉さんに、奮闘も虚しく拉致られちゃってね。
 それ以来、毎日6時頃には此処へ帰って来るんだけど、朝8時頃になると強制的に登校させられているんだよ」

そう言いつつ、証拠写真を差し出すケンスケ。
そこには、蓑虫の如くグルグル巻きに縛られたウミと、そのロープの先を握って引き摺って行く少女が。
学校訪問のTPOに合わせたらしく、普段のくの一ルックではなく、薄い水色のノースリーブとデニムのホットパンツを着たカスミの姿が映っていた。

「……………なるほど。『素直に補習を受ける筈が無い』と見越しての御自分の代役ですか。流石は北斗先生、御慧眼ですわ」

さしものカヲリもそう呟くのがやっとだった。



その頃、噂の浜茶家『海が好き』のオーナーはと言えば、

「(ガタ、ガタ、ガタ)自習! 自習!」

「いい加減になさい! 昨日もそう言って、渡したプリントの問題を一問も解いていなかったじゃない!」

「ソレはソレ、コレはコレよ!
 つ〜か、カスミ。貴女も監視するならするで、もうチョッとまともに出来ないの?」

「その通りですよ、雨宮さん。
 暢気に天井からぶら下がってないで、魚住さんが真面目に勉強する様、何か言ってあげて下さい」

「いや、私に話しを振られても困るのだが………」

2Aの教室にてマンツーマン+監視者付きで補習中。
机をガタガタ揺らしつつ駄々を捏ねては、神の恩寵を受けた使徒娘っぽく、敬虔なカトリックの信者でもある神楽坂先生に、その信仰心が試される厳しい試練を。
そして、年上に見えても自分の妹分にあたる忍者娘に、反面教師的な訓戒を与えていた。




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