機動戦艦ナデシコ
ーピースー
第一話 [動き出す世界]

辺りがシンと静まり返り、小鳥のさえずりが耳にはっきりと刻まれるような早朝。
淡い桜色の壁紙に包まれたその部屋の主はすでに活動を始めていた。
朝食の用意をする次兄よりは遅いものの、寝ている間に乱れた髪をシャワーでとかしたのは三十分も前のこと。
今はすでに学校のセーラー制服に着替えを済ませて部屋の鏡台の前で髪をポニーテールに結わえていた。

「いい、かな?」

結わえた後に首を左右に振って加減を確認する。
後頭部やや上に結わえても有り余って腰に届きそうな銀髪が揺れた。
結えきれなかった髪がやや耳にかかっているが十分満足したようで、彼女は鏡の中の自分に微笑みかけた。
首からさげた青い石のペンダントがキラリと光を放つ。

「よしっ、ナイス美少女!」

さらに仕上げとばかりにリップに手を伸ばした所で、部屋の扉が突如弾け飛んだ。
誇張ではなく、本当に扉がちょうつがいと言う存在を無視して飛んだのだ。

「なにがナイス美少女だ。この馬鹿息子がぁ!!」

扉に続いて飛んできたいかにも筋肉の塊といった感の男が叫ぶが、「ナイス美少女」兼「馬鹿息子」は無視をして再びリップを手にとる。

「よぉし、良い度胸だ。だが現実はいつも辛く厳しい・・・お前は男、この父のようにたくましくも麗しい男なのだ!」

腕を肩からわき、腹へと曲線を描いてたたみ、顎を突き出し無意味に満面の笑み。
黙々とリップを塗る見た目少女のテンカワ トキアと、ポージングをする一家の大黒柱四十九歳テンカワ ヨリト。
ひたすらにシュールである。

だがお互いにこのままずっとリップを塗り続けたりポージングし続ける訳にもいかないだろう。
つまりこの場合どちらかが折れねばならない。
先に動いたのはトキアだった。
いまだポージングで息を止め続け顔が青紫となった父の前を何も言わずに通り過ぎた。

「アキト、アキトー!」

「はいはい、いま火を使ってるから手短にな」

扉の消えた部屋をでて階段から身を乗り出して階下に叫ぶと、しばしの間を置いて次兄のアキトが顔を出した。

「馬鹿親父ってば汗臭いから一緒に服洗わないでね」

「わかってるよそんな事。だいたい家事を任され出した時に真っ先に母さんに言われたんだぞ」

「かっ、母さん?!」

違う意味で顔を青くしたヨリトが階下に向かって叫ぶと、アキトを押しのけて母のアキエが口元に手を当てながら現れた。

「あらやだ、もうこんな時間かしら」

「母さん、ちょっと待ちなさい。母さん!」

「あらあら、おほほほほほほほ」

感情の一切込められていない笑いを残しつつ「あらあら」と繰り返し言葉を紡いだアキエが玄関から消えていった。
それを追いかけてヨリトも玄関から飛び出したのを見て、ニヤリと似つかわしくない邪な笑みをトキアが浮かべる。
ちなみにまだ二人が仕事へ行くには早すぎる時間といってよかった。

「父さんと母さんは朝飯いらないっと・・・あまったおかずは弁当にまわすか」

「えー、朝も昼も同じの食べるのいやだなぁ」

「文句言うぐらいなら手伝えよ」

「あ、そうだ。ルリとラピス起こさなきゃ。そうだ、そうだ」

先ほどの誰かさんと同じように「そうだ、そうだ」と連呼して妹の部屋へ向かうトキア。

「ったく。二人の似なくてもいい所ばかり似ちゃってどうするんだよ」



妹のルリ、ラピスの部屋はトキアの部屋の隣である。
ドアの隙間から覗いた部屋はカーテンが閉められており明るくはなく、二人がまだ寝ている証拠であった。
その部屋へと足音と気配をけしてトキアはそっと忍び込むように入った。

「そ〜っと・・・そ〜っと」

時折ゆかが軋む音に頭の中で舌打ちをしつつも、二人が寝ているベッドに近づく。

「・・・・・・・・・んっ」

寝てはいても人の気配を察したかのようにどちらかが声を漏らした。
もしや起きてしまったのかと一瞬悲痛を浮かべたトキアだが、まだ平気だろうと再び忍び足を再開して二人の寝るベッドにたどり着いて上から寝顔を覗き込んだ。

そして、先ほどとは違う悲痛を浮かべた。
いま胸にこみ上げる喜びを叫びたい衝動を必至に抑えている表情である。
もしもここが二人の部屋でなく、なおかつ二人が寝ていなければ悶え転がっていた事だろう。

「だー、ヤヴァイ、ヤヴァすぎる。さすが俺の妹、可愛すぎ!」

せめてとかすれた声で心情を叫び、もう一度寝顔を覗き込む。
まだ幼さを秘めたぷっくりとした顔のライン、特別な事をしていないのに真っ白な肌に淡い色の唇。
さらに向かい合うようにして眠る二人にカーテンから漏れる光が差しこんでいて、二人の髪に光が反射して煌いている。
それらを十分ほど堪能したトキアは本来の目的を思い出し行動に出た。
胸の内を叫んでベッドに向けて飛んだのである。

「好きだ!」

「何しにきたんだ、お前は!」

かなり目的とズレのある行動に、背後からとてつもなく重くて硬い物体で殴られた衝撃をトキアは感じつつ床に叩きつけられた。
思いっきり床でうった鼻と、中華鍋で殴られた後頭部を抑えたトキアが突っ込んだアキトに向かって怒鳴る。

「なにすんだよ。しかもそれ使用済み中華鍋だろ、ちょっと熱かったぞ!」

「まったく、いつまでたっても降りてこないから何かと思えば」

頭痛がするかのようにこめかみを押さえるアキト。

「いいじゃん。あたかも妖精の様に心静かに眠る二人の妹の間で寝たいという姉の気持ちがアキトにわかって?」

「ちょっと威力がたらなかったかな?」

「あ、いえ・・・ごめんなさい。だから鍋で素振りするの止めて」

真顔で力を込めていなさそうなのにブボッと空気を叩く音が恐ろしい。
父とちがって筋肉などと言う単語と程遠いアキトの腕の何処にそんな力があるのだろう。

「ん〜、なにやってるの二人とも?」

「会話、コミュニケーション。家族としての絆を深める行為、放っておいていいんですよ。そんな事より顔洗いに行きますよ」

「うん。アキト、トキア、おはよう」

いつの間にかと言うより、これだけ間近で騒げば起きて当然だろう。
だがルリの「そんな事」発言に多少凹んだアキトとトキアは僅かな声で挨拶を返すのがやっとであった。
口でなんと言おうとしっかりと妹を溺愛しているアキトである。

「・・・・・・朝飯できてるから、お前も早く降りてこいよ」

「わかった。そう言えば」

ふと思い出したように言葉をだしたトキアがそのまま途切らせた。
が、その内容を悟ったアキトが返す。

「兄さんなら、何時もの所に行ったよ」

「そっか」

先ほどルリに凹まされた時とは全く違う、沈痛な雰囲気が二人の間に流れた。
一度沈んだ気持ちはなかなか引きあがらないが、いつまでも引きずるわけにもいかない。
もう一度「そっか」と呟いたトキアがアキトの肩を叩いて階段を下りていった。



テンカワ家にしては妙に静かな朝食が訪れていた。
父と母が何処かへ行ってしまった事も少なからず関係していたが、もっとも大きな要因はやはりトキアの迂闊な言葉であった。
長兄であるコクトがこの時間にいないのは何時ものことなのにその理由を問うてしまった。
いつまでも引きずるわけにはいかなくても、すぐに切り返られはしなかったようだ。

「アキトにぃ、トキアねぇ、どうしたの? なんかおかしいよ?」

「「なんでもないよ」」

示し合わせたわけではないのに同じ言葉がそろって出た。
やはりそこに異変を感じたラピスが首を捻っている。

「ほら、ラピス。二人ともなんでもないと言っているんですから、早く食べないとみんな迎えにきてしまいますよ」

「うん、でも・・・」

時計をちらりとみつつも心配そうに二人をみるラピスをルリが促す。
それはあまり詮索しないようにと言う配慮というよりは、またくだらない事だろうという冷ややかな目だったが、二人にとっては詮索がないことはありがたかった。

「「ラーピスちゃん」」

「ルリさーん」

子供らしい甲高い声が響く。
どうやらルリの心配どおり早めだが迎えが来たようだ。

「ハーリー、なんでルリさんを呼ぶのよ。迎えに来たのはラピスちゃんでしょ」

「どうせ一緒に行くんですからいいじゃないですか」

「それはそうだけど、そもそもなんでハーリーがいるのよ。呼んでもいないのに毎日毎日」

「・・・説明してあげようか?」

「わー、しなくていいです!」

わりと辛らつな台詞がラピスの同級生であるキョウカとアイから放たれ、更に大きな声が響く。

「アキト君、いまの台詞聞きましたか?」

「とめないけど、ほどほどにしておけよ」

沈んでいた顔を一変させたトキアが立ち上がり玄関へと向かう。
ラピスはぽけっとトキアを見送ったが、ルリはどうなるか予想ができているようだ。

「ラピス、今のうちに食べてしまいましょう。トキアさんが時間を稼いでくれるようです」

「時間?」

首をかしげたラピスだが直ぐにその理由が解る事になった。

「「「おはようございます」」」

「おはよう。いつもラピスをさそってくれてありがとう。感謝してるわ二人とも」

「二人って・・・あの、僕も」

「ときにハーリー君、私いまとっても何かを握り潰したい気分なの。解るかしらこの気持ち」

「へっ・・・握り、だだだだだだ。なーっ!!」

「姉は、守るべき者のために立ち上がらなければならない時があるの。解ってくれるかしらこの気持ち」

「顔、顔、いだい、いだい!」

「わー〜、トキアさんって華奢なのに結構力あるんですね。ミシミシ音がでてますよ」

「トキアさん、私人の顔がつぶれる所一度見てみたいわ。これで濃厚なシーンが説明できるようになります」

本気で痛がっている声が玄関から響いてくるが、アキトを含めルリもラピスも止めに行く気配はない。
一応ラピスは生きてるかなぐらいは心配していそうだが。

「何を呑気に、誰か僕をたすけてよー!!」

「ハーリー君、逃げちゃダメよ。お父さんから、何よりも自分から」

「アイアンクローしてる本人が何を言ってるんですか。そもそもお父さんってわけがわかりません!!」

これから十数分後、ようやく解放されたハーリーはパンチドランカーのようにふらふらと登校するはめになる。




ハーリーで落ち込んだ気持ちを数十センチ単位で浮上させたトキアは一人通学路を歩いていた。
ルリはいつもどおりラピスたちを小学校へと送り届け、アキトは家の片付けを行ってからくるため大抵は一人である。
もっともほかにも理由はあるのだが、今のところはいたって何もおこっていない。
その理由は学校へ近づけば近づくほどわかるのだが・・・

「トキアさん!」

「はい?」

突然曲がり角から現れた一人の男子生徒に、家での行いとは果てしなく遠いしとやかな声で応える。
男子生徒の手にはやや長方形の便せんが握られておりその顔は赤い。

「えっと・・・確かD組の池田さん、ですよね」

「は、はいぃ!」

緊張とまさか自分の名前を覚えられているとはという希望に池田の声が跳ね上がる。
自分を制御する術を失い始めた池田は勢いのままに、手の中の手紙を差し出そうとするが彼の意識が飛ぶ方がはやかった。
ドンっとブレーキを掛けたそぶりも見せない自転車に容赦なく引かれたのだ。

「危ない所だった。トキアさん、あなたの登校の邪魔はこのボグギャッ!」

今度は池田を轢いた彼の意識が飛んだ。
風を切るように走りこんできた二台の自転車が彼の自転車の前輪と後輪を対面から突き飛ばしたのだ。
意図しない急な転回に彼もまた池田のようにアスファルトと挨拶をかわすことになる。
今度は二台の自転車の主、それぞれがトキアの前に停車した。

「トキアさん逃げて、奴はスパイだ」

「君は狙われている。さあ後ろに乗って、追撃は彼が抑えてくれる」

「貴様裏切るのか。共にトキアさんを「危ない!」バボゥオッ!」

確かにいきなり顔面を拳で殴りつければ危ないだろう。
男の争いは醜いなぁと思いつつトキアはめまぐるしく変わる状況の変化に戸惑うそぶりをする。

「えっと・・・あの」

「気にしないでください。奴はすでにTウィルスに犯されていたんだ。なんならGウィルスでも構わない!」

「あなたも割りと犯されてますよね、頭が」とは口が裂けても言わない。
これはトキアにとって日常であり、彼もまた学校の何処かに存在するトキア親衛隊「フェアリーナイツ」のメンバーなのだろう。
自分の容姿に在り得ないほどの自信を持つトキアはその存在を容認していたし、男子生徒をもてあそぶのは趣味でもあった。
もっとも他の生徒からルリや、小学生ではあるが将来自分を超えるであろうラピスを隠すためでもあるが。
今目の前で熱く語る彼も一分も立たないうちにアスファルトに挨拶をかわす事になるのだろう。
トキアは我知らず走るために屈伸運動を始めていた。



「ふっ、春の風か。それは風の妖精が恋をしようと人にささやく声」

ネルガル重工が支援する私立撫子学園、ちょうど今トキアが向かっているこの学校の校門で一人の男が呟いた。
頭には時代錯誤な笠とぼろ布のようなマントを羽織ったいかにも不審人物が手に持つのは竹箒。
あまりにも似つかわしくない台詞を呟いている間もその手は動いていた。

「むっ!」

何かを見つけたのか、その男の細い目が一度見開いてからさらに細まった。
地面のある一点を見ているようだが、ちょうどそこを通りがかった女性徒がヒッと悲鳴をあげて逃げ出した。

「我の前で無防備な姿をさらすとは・・・・・・滅」

竹箒を腰にあてやや前かがみになると竹箒が一閃した。
その実体はゴミを作り上げたゴミ山へと掃いただけだが、あまりにも大げさすぎる。
彼の名前は北辰、字で名は捨てたとうそぶく学園の用務員である。

「恋の季節か。・・・・・・それにしても遅いな、我を恋へと誘った妖精が」

顔にかかりすぎた笠をくいっとあげ呟くが、明らかにおっさんの台詞ではない。
台詞だけのせいではないが、幾人もの生徒が北辰を大きく迂回して校門を潜り抜けていく。

「む・・・あれは」

まだはっきりと姿は見えないが、一人の少女が腕を横振りながら砂煙をあげる集団の前を走っていた。
少女の足に追いつけない自転車と言うのも奇妙な光景だが、北辰にはその様な事は関係なかった。
問題はその少女が誰かと言う事がもっとも重要なことなのである。

「あれは、我が妖精テンカワ トキア!」

「北辰さん、あとお願い」

出来るだけ顔を見ないように走り抜けたトキアがそんな言葉を残していった。
何かに打たれたかのようによろめいた北辰、効果はてきめんだ。

「まかせておけ、我が妖精よ。我が妖精の敵は、我の敵。いざ、いざ!!」

竹箒を正眼に構える北辰。

「あれは、北の魔王北辰。みんな一時休戦だ。敵は前方にあり!」

「フェアリーナイツの結束をいまこそ!」

「そして奴を倒したあかつきにはトキアさんが俺の胸に!」

「貴様ー、歯を食いしばれ!」

いきなり乱れ始めた結束だが、一応第一目標はかわらなかったようだ。
臨戦態勢に入った者からサドルから腰を浮かし、ジョッキーのように騎乗体勢になる。

「愚かな」

まず一番初めに突撃してきた自転車の前輪を竹箒で触れるように横向きの力を加える。
全力での前進中にいきなり横から力を加えられれば自転車は転倒するしかない。
だが仮にも騎士を名乗る者は倒れこむ自転車から飛び、北辰へと体当たりをかけた。
僅かに身を屈めた北辰の上空を通りすぎ、名もなき騎士の一人がそのままアスファルトを転がっていき沈黙した。
それでもまだ一機め、北辰の戦いはこれからだった。

「ふむ、今日は総勢二十七人といったところでしょうか。北辰さんにも困ったものですね。まあ、生徒の治療費とお見舞金はかれの給料からひくからいいのですが」

理事長室から望遠鏡で校門を覗いていた髭めがねの男が呟いた。
北辰が常々給料が低すぎやしないかと頭をひねっている理由はここにあるが、そのアイディアを出したのがトキアだとはこれからも知ることはないのだろう。

「それにしても理事長、今日は行かなくてよろ・・・」

彼が振り向いた理事長の椅子にはアニメ「ゲキガンガー」のロボットの人形が一つ置いてあるだけであった。
腕をあげましたなと思いつつ、彼はもう直ぐ戻ってくるお目付け役をどうなだめようかと考え始めた。



下駄箱を開けたとたんに流れ出たラブレターの数にトキアはため息をついた。
先ほどのように直接くるならば良い運動にもなるのだが、手紙はなにかと返事と処分が面倒だ。
全て同じ文章では、もし男子生徒内でばれればやっかいなことになるし、手紙を焼却炉に捨てようものならそれこそ後が怖い。
そもそも男なので力でこられても、最悪ばらせばよいのだが・・・この朝の運動がないのも寂しい

「やっほ、あいかわらずもててるね」

「おはよう、ユキナ。手紙はちょっと困るんだけどね」

本当に困っているようで、現れた親友に挨拶を返したトキアの眉が苦笑とともに垂れる。

「返事の代筆してあげよっか? デラックスフルーツパフェで三日分の量、どう?」

「でもユキナが書いたら速攻ばれるよ。字下手だし」

「グサリ」

効果音を口ずさんでよろめく。
これは彼女の昔からの癖だ。

「ま、本当のことか。でもさ、この人たち本当のこと知ったらどうするのかな? 何人かは手首かっきりそうだけど」

「怖い事言わないでよ。そんな簡単にばれないって。先生ですら知らない人もいるし、知ってる人は好意的だしね」

「でもさ」

靴を上履きに履き替え教室へ向かいながら、ユキナが前々から気になっていた事を尋ねる。

「トキアって別に似合ってるから女装してるだけで、オカマじゃないんでしょ? 女の子に興味はないわけ?」

「さあ、正直わかんない。ユキナだってまだ特別男に興味があるわけじゃないでしょ?」

「それは・・・そう、だけど」

ちらりとトキアをみたユキナは、でもやっぱりとトキアの全身を眺める。
ほっそりとした腕や顔の輪郭、雪のように白い肌の色、艶を持ちこれでもかと太陽光を反射する銀糸、金色に輝く瞳。
どう考えても卑怯だとしか言えない容姿はこれでもかとユキナの自尊心を苛めてくる。
ちょっと悔しさをこめてトキアのほっぺたを軽くつねってみた。

「ユフィナ?」

「う〜、やっぱり卑怯だよぉ」

「ユキ」

「おはよう、トキア君、ユキナ君。二人の美少女が戯れる姿はいいねえ。おもわず前かがみになってしまうよ」

もう一度ユキナの名を呼ぼうとしたところに長身、長髪の成人男性が怪しい台詞とともにあらわれる。
もちろん彼は生徒でなければ教師でもない。

「あ、理事長」

「はっは、ユキナ君。僕の事は気軽にナガレンとか、アカチンと呼んでくれと言っているだろう?」

「アカチンって理事長の場合、薬と言うより毒薬ですよね」

「まあね。恋は草津の湯でも治らないというからね」

つっこんだのはトキアだが、理事長であるアカツキ ナガレは気にした様子もなく素でながしてしまう。
彼はこの学校に多大な寄付をほどこすネルガル重工の会長の次男坊、先の台詞から想像できないが御曹司である。
その御曹司が理事をしている理由の噂は多々あるが、厄介払いと言うのが一番濃厚であった。

「理事長、その手に持ってる紙袋は、いつものアレですか?」

「うん、近々大きなイベントがあるからね。是非我がサークル、通称「萌えプロ」にトキア君を誘いたくてね」

「バイト代が出ればかまいませんけれど」

「できればサークルそのものに入って欲しいのだが、今のところはそれで我慢しようかな」

話がきまるとさっそく紙袋から今度はどの衣装にしようかなとあさりだす。
トキアとユキナがそっと紙袋を覗くと、どうやって手に入れたのかと思うような衣装が満載であった。
まさか手作りじゃないよなと二人が怪しんでいると、アカツキが定番が一番かなとメイド服を取り出してくる。

「「なんの定番?」」

「暗黙の了解と言っておこう。自然と察してくれたらモア、ベター」

「理事長、more better ですよ」

突然流暢な英語で訂正され、トキアとユキナ、メイド服を掲げたままのアカツキが振り向く。

「おはよう、トキア君、ユキナちゃん。それと理事長、さっきエリナさんが探してましたよ。早めに戻った方が被害は少ないわよ」

「しかたないか・・・ではトキア君、ユキナ君。放課後に理事長室に来てくれたまえ。この件についてはそこで話そう」

わりとあっさり引いたアカツキが去ってから、二人が担任の教師であるミナトに挨拶を返した。
先ほどの発音からわかるよに彼女の担当は英語である。
そしてトキアの真実をしる数少ない教師のうちの一人でもある。

「さあ二人とも、あと数分で遅刻よ。私が教室につく前に教室にすべりこんでね」

そう言い出すといきなり走り始めたミナトに慌てて二人は走り始めた。



ホームルームが終わると、そのまま一限目の英語へと突入していった。
教卓でチョークを操りながら解説を加えるミナトの声だけが教室内に響いている。
そんな教室の中でトキアは頬杖をつきながらユラユラと僅かに船をこいでいた。
今日はホームルーム前のダッシュが余計だったなぁと思考がどんどん鈍っていく。
目じりがさがり瞼が半分以上落ちてきていた。

「ちょっとトキア」

ちょいちょいと隣のユキナが注意してくるがトキアに意識をはっきりさせる術はないようだ。
また一段と瞼が閉じていくがちらりとユキナを見てから視線を教壇に立つミナトに移していく。

(女の子かぁ・・・興味が薄いのはなんでだろ)

段々と薄れていく意識のなかでユキナが放った言葉がなんとなく思い出される。
確かに可愛い格好をするのは好きだがオカマではない。
男子生徒から絶大な人気を誇る担任のミナトにでさえ、担任以上の興味はわかない。
変だといってしまえば変なのだろう。

(あっ、眠い。なんとか覚まさないと)

あまりの睡魔に思考がぶつぎりに飛んだ。
せめて体を動かさないと、っと胸元に光る青い石のペンダントを握り締める。
冷たく難い感触が手のひらから伝わってくるが、ほのかに暖かい気もする。

(そういえばこれ・・・いつから持ってたっけ。誰かに貰ったんだっけか・・・それともひろ・・・・・・)

そこで完全にトキアの意識は落ちた。







広い、宇宙のように深い闇が何処までも広がっている。
かといって星が見えるわけでもなく、自分自身がここに存在しているのかどうかも曖昧である。
あやふやな感覚が不安で手のひらを見つめてみる。
暗くて見えないが、なんとなくそこにあるような気がする。

「なに、ここ?」

(・・・・・・・・・・・・・・・)

確か教室で授業を受けててと順に思い出していくと、誰かがトキアを呼んだ。
音ではなく意識的な声が響いたのである。

「だれか・・・いるのか?」

不安と好奇心が交じり合い、見えない闇の中をなんとか目を凝らす。

「だれかいるのか!」

好奇心より不安が勝り、口が勝手に叫ぶ。

(・・・・ア・・・・・・キア)

「そうだ、テンカワ トキアだ。お前は誰なんだ!」

相手を威嚇するように叫んでいるが、その声に聞き覚えがあるような気がしてならない。
ずっと昔、時間とは関係のない昔に聞いた覚えがある。

(つよ・・・が・・・・・・ば、ま・・・会えると)

途切れ途切れだった声が次第に鮮明に、意味のある言葉となっていく。

(わた・・・したちは、また会えます。私がそう願う)

「願う」はっきりとそう聞こえた時、あの胸元のペンダントが激しく輝き始め一条の閃光を発した。
その光の向かう先に誰かがいたが、光が強すぎて目を凝らす事ができない。
訳がわからないまま何故かその光の先にいる誰かへとトキアは手を伸ばした。
今度こそ、今度こそ決して離してはいけないという脅迫観念とともに。







机が床とこすれた音に続いて倒れた椅子がやかましく喚いていた。
それがおさまった頃には静まり返った教室の中でトキアは立ち上がっていた。

「トキア?」

おそるおそるといった感じでユキナがトキアを呼ぶと、次第にクラスメイトたちも何事だと騒がしくなる。

「はいはい、静かにしなさい。授業中よ。まったく、トキア君寝てたでしょ?」

「え・・・あ、はい」

心ここにあらずという雰囲気に一瞬首をかしげたミナトだが、居眠り君には罰が必要ねと手に持っていた教科書をめくる。

「それじゃあ、いまやってた二十九ページの最後の文章を訳してもらいましょうか」

「二十九ページ」

もたもたと動き出したのはいいが、なかなかうまくページをめくれていない。
しょうがないなとばかりにユキナが自分の教科書をそのページにして渡す。

「ほらここ、外国人に道を聞かれた所から」

「ユキナちゃん、さりげにヒント出しちゃダメよ」

「っと・・・私もちょうど駅へ行く途中だったのでご一緒しましょう。駅へつくとエミリーがさようならと言い、私もさようならと言って」

「言って?」

最後の一言がなかなか出てこないため、促すようにミナトが言った。

「さようならと言って・・・わ、わか」

冷たい汗が背中を伝うのをはっきりとトキアは感じた。
もう春だというのに何故か真冬のように心が冷えていくようだ。
たった一言「別れた」と言うだけなのに、その言葉が口からなかなか出てこない。
誰が、誰と、別れたのか。
誰が・・・自分が誰と、別れたのか。

「ちょっとトキア・・・大丈夫?」

「トキア君?」

ようやく様子がおかしい事に気付いたミナトが心配そうに名を呼ぶ。
誰が誰と・・・かじかむ様に硬直し震える手。

ほんの一瞬寝ていたときの光景が蘇る。
暗闇の向こう、光指す方に居た誰かは・・・・・・女の子だった。
それが鍵だったように体の硬直は解けたものの、トキアは再び暗闇の世界へと意識を落とす事になった。



うっすらと目を開けた時に視界に映り始めたのは真っ白な天井。
自分が寝ているという自覚もないままにここが何処だろうかと漠然と思った。
ゆっくりと首をまわしていくと黒シャツの上に白衣を羽織った兄、コクトの姿が映った。
コクトが学内でいる場所と言えば保健室しかない。

「に、いさん」

喉の渇きのせいか、まだ頭が働いていないのかかすれた声だった。
トキアが起きた事に気付いたコクトが椅子から立ち上がりベッドの脇まで歩いてくる。

「倒れたことを憶えているか?」

トキアはゆっくりと首を振る。

「もう三時間も前の事だ。授業中に倒れた。熱がなかったから、貧血かなにかだろう」

熱と言ったところでコクトがトキアの額に手のひらをのせる。
ゴツゴツとした手のひらだが、とても温かく感じて安心させられた。
もうしばらく休んでいろと言って放れていく温もりを欲し、トキアが手を伸ばす。

「手を・・・」

離さないで、握っていてと続かなかったが、ふっと笑ったコクトは読み取ってくれたようだ。

「わかった。安心して寝ていろ」

「ありがと」

手から伝わるぬくもりを感じながらもう一度目を閉じる。
目を閉じた暗闇のなかでも誰かがそばにいる落ち着いた安心感。
次に目覚めるまで、トキアは夢をみることなく眠った。

だが心静かに安眠できるのは、これが最後であった。







〜あとがき〜

どうも皆様お久しぶりでございます。
「スリーピース」転じて「ピース」となって帰ってきました、えなりんです。

今回は起床から登校、即気絶と展開が速すぎる気がしますが・・・あまり詰め込みすぎても本題にはいれないもので。
まだまだ先は長いので設定、ナデシコキャラ等もおいおいさらしていきたいと思ってます。
前回の「スリーピース」は投稿時にすでに最終話まで出来ていましたが、今回はまだそこまでありません。
話のプロットも十八話までしか出来ていないです、もちろん大筋は決定してますけど。
月に一度の投稿で遅筆でありますが、お付き合いの方よろしくお願いします。
2004年10月31日(日)、えなりん。

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

お久しぶりです。

前作のキャラクターをそのまま継いでる訳ですけど、ルインはいませんね。

前回のラストで学園えばっぽい新しい世界が再構築されたわけですが、

今のところルインだけは出てません・・・・何かの伏線でしょうね。

まぁ、代わりになぜか北辰が出てたりしますが(笑)。