フルメタル・ナデシコ!
戦うボーイ・ミーツ・ガール編 

1:通学任務

 ACT−1

 

 

4月15日 2137時(現地時間)
ソビエト連邦東部 ハバロフスクの南東80km
 


 どうせなら殺して欲しい。

 激しくバウンドする車体に揺られながら、少女はそんなことを思っていた。

 ぬかるんだ道から跳ねた泥がフロントガラスを幾重にも塗りつぶす。

 ドアミラーには女の顔が映っていた。

 何かに取り付かれたかのようにひたすら親指の爪を囓る・・・・・・青ざめた顔。

 それは自分の顔だ。

 テニス部の練習のせいでもっと日焼けしていたはずなのに・・・・・・

 どうしてこんなに青白いの?

 そもそも練習に行けなくなってどれくらいの時が経ったのか。

 一週間?一ヶ月?それとも一年?

 いや。時間などもうどうでもいい。

 どうせ私は帰れないのだから。

 だから、さっさと殺して欲しい。

「後もう少しだ」

 ハンドルを握る中年の男が叫んだ。

 軍服の上にごわごわのコートを着ている。

「後数キロで山岳地帯にはいる。

 日本に帰れるぞ」

 うそだ。

 この人はうそをついている。

 こんな車で逃げ切れるわけがない。

 あの連中は自分を捕まえて。

 裸にして。

 薬を打って。

 あの水槽に閉じこめる。

 暗くて。深くて。

 なにもない場所。

 そこで繰り返される、意味のない質問。

 どれだけ頼んでも、出してもらえない。

《なんでもするから、ここから出して ! !

 声は届かない。

 相手はおろか・・・・・・

 自分の耳にさえも。

 そして自分は

 壊れていく。

 ・・・・・・・・・楽しいのは

 爪を噛むこと。

 それしかできないから。

 私は誰でもなくなって

 楽しいのは爪を噛むこと。

 爪って素敵。

 痛くなって。

 血が出るのがいいの。

 血が出て

 溶けて

 ツメ

 ツメ

 ツメめメ・・・・・・

「よせ!」

 男が少女の手をうち払う。

 彼女は呆然と虚空を見つめ、やがて裏返った声で哀願する。

「噛ませて。

 じゃなきゃ殺して。

 噛ませて、てじゃ、なきゃころ、ここ、ころ・・・・・・」

 壊れたラジカセのようにそれだけを繰り返す。

 それ以外はなにも言わない。

 男は痛々しげに顔を歪める。

 そして少女をこんなにした連中への呪詛を漏らす。

「なんてことだ。

 まったく、なんてひどいことをするんだ。クズどもめ」

 怒りにまかせ、ハンドルを切る。

 ヒューン

 ハンドルを切らなかったら居たであろう場所を目掛けて、ジープの上を閃光が走った。

 その正体はロケット弾。

 その証左として、後ろから吹き出す炎と衝撃波がジープを襲った。

 彼らの視界は真っ赤に染まった。

 フロントガラスが衝撃波に耐えきれず、割れ、散乱する。

 その粉々になった破片が二人を襲う。

 男はとっさに顔を左手で覆った。

 ハンドルが勝手に踊る。

 横にスライドし、路上の突起に躓く。

 車体が二、三度バウンドし、横転した。

 少女が放り出され、一瞬空を舞う。

 悲鳴は聞こえなかった。

 少女には、悲鳴をあげる気力さえ残っていないのだ。

 だがそれが幸いし、炎にあぶられた空気を吸い込み、肺を焼き尽くされて死ぬことはなかった。

 ・・・・・・いや、もしかしたら、それは幸いしたのではなく、災いしたのかもしれなかった。

 このまま捕まれば、また裸にされ、薬を打たれ、水槽に閉じこめられるのだろうから・・・

 少女は泥と雪の混じった地面に肩から落ちた。

「・・・・・・・・・」

 少女はそれでもなお、無反応だった。

 まるで人形のように。

 ほんの数秒して・・・・・・彼女からすれば、それは数十分どころか、数時間にも感じたが・・・・・・彼女は立ち上がろうとすると、脱臼でもしているのか、右肩に力が入らなかった。

 彼女は男の方へと向かった。

 男はジープの向こう側に倒れていた。

 男は血塗れだった。

「・・・・・・これを」

 赤い泡の付いた唇を動かし、かすれた声で言いながら、男は少女に一枚のCDケースを渡した。

「南へ・・・・・・真っ直ぐ・・・・・・」

 男の目は潤んでいた。

「早く・・・・・・逃げ・・・・・・」

 男は二度と喋ることはなかった。

 涙を溜めた目は半開きのまま。

 彼がどうして泣いているのか・・・・・・

 それは彼女には分からなかった。

 痛かったのか。

 死ぬのが怖かったのか。

 それとも・・・・・・・・・

 男の目に溜まっていた涙がツーと流れ、頬を濡らした。

 それを見てから彼女はCDケースを拾い上げ、歩き出した。

 男が言った南がどちらなのか、彼女には分からなかった。

 だが、彼女は男に言われた通り、真っ直ぐと歩いた。

 親指の爪を囓り、動かない足を一歩一歩引きずりながら・・・・・・

 ヘリの飛ぶ音が近付いてきた。

 ローターの爆音。

 甲高いエンジンの音。

 吸気口の唸り声。

 ヘリの巻き起こす風が、周りの木々を揺らしていた。

 少女が振り仰ぐと、二機の灰色の攻撃ヘリが、木々の向こうから現れた。

 少女はそれを醜いと思った。

『止まれ』

 ヘリのスピーカーから警告の声がする。

『止まらなければ射殺する』

 少女はそれを無視した。

 いや、それは正しい言い方ではない。

 少女はすでに物事を考えることを放棄したようなものなのだから・・・・・・

 ただ一つ言うのだったら、このことだろう。

 即ち、

「今ここで殺されても、捕まっても、どちらも死んだようなもの。

 変わりはしない。

 言うなら、ここで死んだ方が苦しみが長引かない分ましかもしれない」

 そして少女は歩き続けた。

『どこへ逃げる気なのかな?』

 機首の機関砲が火を噴いた。

 着弾。爆発。

 その衝撃で彼女は仰向けに倒れた。

 虚ろな目には灰色のヘリだけが映っていた。

 どんよりと曇った灰色の空も、青く茂る木々の緑も見えてはいない。

『ほら、危ないぞ』

 機関銃を少女の周りに4、5発打ち込む。

 泥が跳ね上がる。

 少女はそれでも、這い進んだ。

『見ろよ、可哀想に。あんなボロボロになってまだ逃げ・・・・・・・・・』

 そこまで言ったとき、ヘリのパイロットの声が凍り付いた。

『エ、ASだ。高度を・・・・・・』

 パイロットはそれ以上喋ることが出来なかった。

 次の瞬間に金属の潰れる嫌な音が響き、コクピットにナイフが突き刺さった。

 呆れるほど巨大なナイフ。

 そのナイフは人の背丈ほどもある。

 赤く光る、灼熱するナイフが光の飛沫を撒き散らす。

 ヘリは爆発し、少女を目掛けて落ちてきた。

 そこへ巨大な人影が迫ってきた。

 その影は少女を跨ぎ超え、ヘリから護るかのように立つ。

 そして腕を広げる。

 ヘリは少女にぶつかることなく、人影が受け止めた。

 全身のありとあらゆる間接から白煙が上がる。
  ・ ・
 それはヘリを抱えたまま強引に歩き始めた。

 一歩一歩、少しずつ。

 そして少女から十分に離れてから、背筋を反らし、戻す。

 それと同時にヘリの残骸を投げる。

 ほんの少しして。

 遠い爆音。

 赤い閃光。

 燃えさかる炎に背を向け、全高8メートルほどの人影が振り向いた。

 それは人間をそのまま大きくしたような形をしていた。

 力強い四肢。

 優美な肢体。

 丸みを帯びた装甲板がそれがキカイであることの証明。

 頭はパイロットの被るヘルメットのよう。

 人間の扱う銃器をそのまま縮尺だけを大きくした銃が肩に掛けられていた。

「アーム・・・スレイブ・・・・・・・・・」

 少女が声を漏らした。
          アームスレイブ
 巨大な人型兵器「A  S」。

 全高8メートル前後のその機体は、現代戦の主役を務める。

 1980年代に構想が持ち上がり、僅か3年で実用化。

 機密の壁に阻まれた、全く謎の理論で作られたもの。

 そして・・・・・・

 このASは少女が見知っているものとは全然形が違った。

 彼女が知っているASはもっと不細工なのだ。

 しかしこのASはどうだろう。

 まるで人間そのものではないか。

 そのASが少女の元へ戻ってきた。

『怪我は、ない?』

 ASが喋った。

 いや、ASの外部スピーカーからの搭乗者の声だ。

 その声はとても落ち着いたものだった。

『君とヘリの距離が近かったから対戦車ダガーを使ったんだ。
    ショットキャノン
 俺の散 弾 砲は威力がありすぎるから』

 少女は何も言わなかった。

 するとアームスレイブが跪き、地面に片手をつき、頭を垂れた。

 ぼろぼろの姫君に傅く灰色の巨人・・・・・・

 それは、どこかおとぎ話めいた光景だった。

 空気の漏れる音と共にASの胴体が前後に割れた。

 少女が呆然と見守る中、首の後ろのハッチから一人の兵士が姿を見せる。

 その兵士が身につけているのは、黒い操縦服(兼戦闘服)。

 どこぞの復讐人が着ていそうなもの、そのものだった(残念ながらマントはない)。

 ASのパイロットが救急セットを抱え、少女の元に駆け寄った。

 彼は若い東洋人だった。

 年齢はパッと見15、6歳か。

 彼は、10台の少年の持つあどけなさ、頼りなさと、それと相反する兵士としての「気」を持っていた。

 だが、その顔には微かな笑みを浮かべていた。

「痛いところはない?」

 彼は日本語で言った。

 少女はそのことに驚きを感じた。

「・・・・・・・・・」

「日本語は分かるよね」

 彼の言葉に僅かに頷く。

「・・・・・・あの人の仲間なの?」

「うん。〈ネルガル〉の人間だよ」

「ねるがる・・・・・・?」

「どこの国にも所属しない、秘密の軍事組織、だよ」

「・・・・・・・・・」

 兵士は応急手当を始めた。

「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」

 そう言うと、彼は少女の脱臼していた右肩を入れた。

「うっ・・・・・・」

「・・・ごめん、大丈夫?」

「・・・・・・・・・」

 小さく頷く。

 肩を治したときの痛みのためか、次第に痛覚が戻ってきた。

 全身に走る痛みが、彼女の呼吸を荒くする。

「・・・・・・あの人、死んだよ」

「そうみたいだね」

「私を逃がそうとして」

「そういう男だったからね」

「悲しくないの・・・・・・?」

 彼は暫く押し黙った。

「わからない。

 悲しい、っていう感覚がね、麻痺しかけてるんだ」

 肩と腕のテーピングを終えると、彼は少女の体中に「ごめんね」とか「決していやらしい気持ちはないんだよ」などと言いながら手を這わしたり、つついたりした。

「わたしを・・・・・・わたしをどうするの?」

「連れて帰る」

「どこに・・・・・・?」

「まずは輸送ヘリの着陸地点まで、俺のASで運ぶ。

 ヘリに収容後、海で待っている母艦に帰還。

 その後は知らないんだ。

 俺たちの任務はそこまでだから」
             ・  ・
「おれ・・・・・・たち?」

 彼女の疑問に答えるように、森の木々を掻き分け、新たな二機のASが現れた。

 その二機は、彼女を手当てした少年の乗っていたASとほとんど同じ外観をしていた。

 一機は持っている武器が違うだけで、外見は完全に同じだった。

 もう一機は・・・・・・少女には理由が分からなかったが・・・・・・頭部の形状が少し違ってた。

 それぞれがライフル、ミサイル・ランチャーを構え、辺りを油断無く見まわしていた。

「心配しなくていいよ。

 俺の仲間だから」

 だんだんと意識がぼやけてきた。

 視界が狭まってくる。

 思考が混濁して、ここがどこなのかも分からなくなってきた。

「・・・・・・あなたの名前は?」

 彼女は乞うように訊ねた。

「あんまり喋らない方がいいよ。

 体力を浪費するから」

「教えて」

 彼は少し逡巡してから名乗った。

「明人。天河 明人」

 それを聞くか聞かないかのうちに、彼女は意識を失った。

 

 

4月15日 1611時(グリニッジ標準時)

日本海 深度100m 強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉



 巨大な潜水艦のだだっ広い格納庫。

 ここにはトゥアハー・デ・ダナンが装備するほとんどのVTOL戦闘機、輸送ヘリやASといった兵器が並んでいる。

 任務を済ませ、報告書も書き終えた天河明人は、整備中のASをぼへーっと眺めていた。

 手にはチェック用の書類を挟んだクリップボードとカロリーメイト(フルーツ味)。

「やあ、テンカワ君」

 明人を少し横柄な声が呼ぶ。

 振り向くと、同僚のアカツキ ナガレ軍曹が歩いてくる。

 彼はどう見ても日本人だが、出身地は日本ではない。

 アカツキは長い黒髪の、女性10人とすれ違ったら、10人中7人は振り返ってみるような美形だった。

「不景気な顔だね。どうしたんだい?」

「別に」

 アキトは淡々と答える。

「ホント、無愛想だね。君は。

 なに、もうばらしてるのかい」

 装甲を外された灰色のASを見て、アカツキが言った。

「骨格系の精密検査だって」

「確かに、乱暴な使い方をしたからね。

 ヘリなんかを受け止めて。

 怖くはなかったのかい?」

「いいや。

 M9のスペックならやって出来ないことはなかったから」

 アキトやアカツキたちのASはM9〈エステバリス〉と呼ばれる、最新モデルのASだった。

 一般の軍隊はおろか、アメリカ軍でさえまだ試作機の段階にすら達していない、掛け値なしの最新鋭機。

 従来のASとは桁外れのパワー、運動性を備えている。

「まあ、確かにこの機体でなければ出来ない芸当だろうね」

 アカツキは空の弾薬ケースに腰掛けて、格納庫に横たわるM9をしみじみと眺めた。

 アーム・スレイブという兵器は、1980年代半ば、時の米大統領ロナルド・レーガンがSDI計画と並んで、この『ロボット部隊』構想を推し進め、

 『局地紛争の次なる主役』。『壮大な技術的挑戦』。『歩兵部隊の省略化に貢献』。

 そんな美麗軸に彩られ・・・・・・・・・3年。・・・・・・・僅か3年で実現した。

 この冗談のようなロボット兵器は時速100キロで走り、様々な武器を操り、戦車一台と互角に戦った。

 『機密』の二文字で阻まれる謎の理論で作られたモノ。

 当時はその技術について様々な憶測が飛び交った。

 やがてASは巡航ミサイルやステルス戦闘機と同じ、『当たり前のハイテク兵器』として人々の間に受け入れられていった。

 そしてASは進化を続け、今では戦闘ヘリでさえ迂闊に近づけない危険な存在となっていた。

「それはそうと、君が拾った女の子なんだけどね」

 アカツキが思いだしたように言う。

「助かるのか!?」

「ああ。でも、ひどいドラッグ中毒らしい」

「麻薬か?」

「カンナビノイド・・・・・・とかなんとか、そういう系等の物らしいよ。

 まだ詳しくは分からないそうだけどね。

 KGBの研究施設で投与されていたみたいだけどね。

 何の実験だか知らないけど、ひどいことをするものだ」

「治るのかな」

「さあ?

 まあ、治るにしても長くかかるだろうね」

「・・・・・・・・・・・・」

 アキトたちは、あの少女が何の実験材料にされていたかは知らなかった。

 が、その実験のために投与されていたという『カンナビノイド』の恐ろしさはよく知っていた。

 自白剤などに使われる成分で、人間の人格や精神に大きな爪痕を残す。

 明人たちの上官は彼女が何のために誘拐され、実験を受けていたのかや、その実験の内容を知っているようだったが、現場の戦闘員にそういった背景が知らされることはほとんど・・・・・・いや、全く無いと言ってもいい。

 死んでしまった男は〈ネルガル〉の情報部に所属するスパイだった。

 もともと、彼はKGBの研究施設の情報だけを持ち出し、こっそり姿を消す安全な計画の筈だった。

 しかし、彼は優しかった。

 それ故に、彼はあの少女を見捨てられずに、研究施設から連れ出した。

 その結果が、例の追跡劇だ。

 スパイの男は死に、残ったのはCD一枚と廃人同様の少女一人だけだった。

 明人たちが押し黙っていると、格納庫にスバル・リョウコ曹長が入ってきた。

「お、いたいた」

 彼女はアキトたちを見つけると、足早に駆け寄ってきた。

 リョウコ・・・・・・リョーコと呼ばれる方が多いが・・・・・・は、中国系アメリカ人だ。

 父親が日系アメリカ人だったので、中国系アメリカ人というのが正しいとは言えないが。

 彼女は20代前半で、明人たちと同様、ASの操縦資格を持っている。

 アキト、アカツキとはよくチームを組む。

 そして、彼女はそのチーム・リーダーだった。

「残業、ご苦労さん」

 明人は無言でそれに頷いた。

「・・・・・・なんだい?リョーコ君」

 また何かの小言か?とでも言いたげな、投げやりな顔・口調だった。

「なんだ、その顔は?

 何か文句でもあんのか?」

「いや、別にそう言うわけでは」

「だったら、その引きつった口はやめな。

 ただでさえ三枚目なんだから」

「い・・・・・・言ってくれるね、リョーコ君。

 『エクスフィア』とかでモデルをやったこともあるこの僕に」

「ああ、あれか。見たぜ。

 ニカーって笑ったバカ面のヤツだろ?

 オレさ、チャーリー・シーンの『ホット・ショット』とか、そーゆー戦争コメディのポスターかと思ったぜ」

「ぐぐっ・・・・・・この脳筋女は・・・・・・」

 リョーコはアカツキのほっぺたを目にも見えない超高速で掴んだ。
  い   い た  い よ   りょー  こ く ん
「ひ、ひはひほ、ほーほふん」

「『この』、なんだって?あ?ああ?」
 う つ く  し く   そ う め  い で  た より に な る  そ う  ちょ  う  ど の    で  あ り ま す
「うつくひふ、ほーめーで、はよりになるほーちょーどの、でありまふ」

「それでいいんだ」

 アキトはその二人のやりとりを尻目に、カロリーメイトをしっかりと平らげていた。

 その様子に気付いたリョーコは、

「うまかったか?」

「うん。甘味がほどよくて」

 アキトは自覚していないがにっこりと微笑んだ。

「そうか、よかったな。

 それでだな、アキト。

 少佐が呼んでるぜ」

「分かった」

「アカツキもだぜ」

「ええ!?

 だってさっき、もう休んでいいって・・・・・・」

「じゃ、撤回。

 でも、オレは休み。

 さっさと風呂浴びて寝ちまおう」

 リョーコは二人に背を向け、手をひらひらと振った。

「ちくしょう、あの脳筋女、いつかひどい目に遭わせてやるぞ。

 イヤと言うほど僕の背中を引っ掻かせてやる」

 リョーコの背中に向かって、アカツキは中指を立てた。

 アキトはそれを見て、

「何のおまじない?」

 不思議そうに言った。

 

 扉をノックすると、すぐさま返事が返ってきた。

「おう、入れ」

 アキトとアカツキはそれに従った。

 書類と本棚で埋め尽くされ、なぜかキッチンと大型冷蔵庫がある部屋の奥に中肉中背の東洋人が座っていた。

 何かの資料を読んでいる最中だが、顔を上げて明人たちを一瞥した。

 オリーブ色の戦闘服の上にはエプロンが。

 きっと、自分でかなり遅めの昼食か、かなり早めの夕食を作って食べたのだろう。

 このユキタニ・アンドレイ・サイゾウ少佐は、彼らの作戦指揮官だった。

 彼はロシア人と日本人のハーフだ。

「天河 明人、来ました」

 アキトは直立不動で報告した。

「来ましたよ」

 アカツキはいい加減に会釈した。

 ユキタニ少佐は手に持っていた書類を裏返しにして机上に置いた。

 アカツキの態度に腹を立てる様子もなく、

「任務だ」

 何の前置きもなしに切り出す。

 別の書類を取り出すと、アキトたちの前に放る。

「まず、目を通せ」

「はい」

「はいはい」

 二人は書類を回し読みした。

 それは誰かの経歴書のようだった。

 東洋人の少女の白黒の写真が付いていた。

 歳は12歳前後といったところで、母親とおぼしき女性に寄り添い、照れくさそうに微笑んでいる。

 色白で、目鼻立ちの整った可愛らしい子供だった。

 アカツキが口笛を吹く。

「これはこれは。

 将来いい女性になりそうだねえ」

「写真は四年ほど前のモンだ。

 その少女は現在16歳になる」

 少佐が付け加える。

「そっちのバージョンの写真は?」

「ない」

 アキトはそのやりとりに一片の関心も見せずに、黙って経歴書を読み続けた。

 まずは少女の名前。

 “風間樹(Kazama Ituki)”

 現住所は日本。

 父親は国連の高等弁務官。

 11歳の妹が一人。

 この二人はニューヨークに在住。

 母親は3年前に死去。

 樹自身は、東京都内の高校に通っている。

 他にも身長や血液型、病歴などの詳しい情報も記してあった。

 ふと、備考欄に目が留まった。

“ウ■■■■ドに該当する確率:88%(ミラー統計法による)”

 肝心な部分こそマジックで塗りつぶされてたが、秘密保持としては随分といい加減な措置だった。

 が、それだけこの二人を信頼しているということなのだろう。

「で、この娘がどうかしたんですか?」

「するかもしれない」

「はあ?」

 少佐は椅子の背もたれをきしませ、壁の世界地図を眺めた。

 複雑に分断されたソ連領土や、南北に別れた中国領土、点線だらけの中東地域が描かれている。

「・・・・・・お前たちが知っとかにゃならんことは、今見せたカザマ・イツキが、KGBほか不特定多数の機関の手で拉致される可能性があるっつーことだ」

「それはまた、どうして?」

「お前たちには知る必要がない」

「あ、そう」

「それで、俺たちの任務とは?」

「少女の護衛をやってもらう。

 テンカワ軍曹はもちろん、アカツキ軍曹、君も日本語は使えるはずだね?」

「それは、まあ」

「スバル曹長にはもう話してある。

 三人で当たるんだ」

「三人だけ?」

「人手が割けないからな。

 それにこれはすでに決定事項だよ」

「キツイね〜」

「そのためのお前たちだ」

 そのためのお前たち・・・・・・・・・

 この言葉には説明がいるだろう。

 アキト、アカツキ、そしてリョーコを始め、この〈ネルガル〉に入るには、それ相応の実力が無くてはならない。

 そして、アキト、アカツキ、リョーコたちはその〈ネルガル〉の中でも特殊な存在だ。

 彼らはただのAS乗りではなく、空挺降下や偵察などの、数々の技術を身に付けており、数いる候補者の中からふるいにかけられ、その中に残ったトップチームの一員なのだ。なのだ。

 ASは装備の一つにすぎない。

 銃器や車と同じ存在なのだ。

「だが・・・・・・スバル曹長の強い要請もあったので、装備はクラスBとする」

 アカツキもアキトもぽかんと口を開けた。

 どちらも、滅多に見られないレアな間抜け面だ。

 それはさておき、装備クラスBは、アーム・スレイブが装備される。

「って・・・・・・都会のド真ん中だよ?」

「ECSを不可視モードにすりゃ問題はないだろ」

 ECS。

 ホログラム技術の応用で、レーダーや赤外線の探知からほぼ完全にその姿を隠す。

 ネルガルの物はさらに高性能で、可視光の波長までをも消し去ることが出来る。

 つまりは透明化が可能と言うこと。

 エネルギーの消費が激しいために、戦闘中には使えないが、じっと隠れている分には問題ない。

「M9を一機持っていけ。

 武装は最低限。

 外部コンデンサーを二パック携行しろ」

「はあ」

「・・・・・・さらに、この任務は秘密裏にやんなきゃいけねえからな。

 日本政府に知られりゃ厄介事が噴出することは間違いない。

 したがって、お前らにはイツキ本人にも気付かれないように監視を行い、いざという時には護衛する」

「なんだって?

 それはいくらなんでも・・・・・・」

「難しいね」

「やり方次第じゃ、そうでもない。

 この少女・・・・・・カザマ・イツキは男女共学の公立高校に通っている。

 でもって一日の大半はそこで過ごす。

 んで、こっちにゃ最年少の隊員がいる。

 少女と同じ年齢で、しかも日本人の、だ」

「あ、なーるほどね」

 アカツキがぽんと手を打ち、少佐と揃ってアキトを見た。

「?」

 その視線に少しばかりの逡巡を見せ・・・・・・

「少佐、それはもしかして・・・・・・」

 サイゾウは命令書にペンを走らせながら、

「まずは文書の偽造だ。

 あっちの高校に必要な書類を調べねぇとな」

「何の書類ですか」

 分かった。

 分かってはいた。

 しかし、それでも確認せずにはいられなかった。

「決まってんだろ。

 転入届だよ」

 

 

 本星への報告書 HMN 1−1.1

 とりあえずはここまで。

 この先はACT−2で。

 ふっ・・・・・・先は長いなぁ・・・・・・・・・(遠い目)。

 ま、良いか。

 じゃっ、気長にお付き合い下さい。
本星への報告書 HMN 1−1.1 終