再び・時の流れに 
〜〜〜私が私であるために〜〜〜



第7話 いつかお前と「別れ歌」……ハルナ、お前は……

 

 

 

 

 辛くも危機を逃れた俺たちは、何とか敵を撃退しながら北へと向かっていた。
 だがナデシコはすでに満身創痍。このままでは火星圏を突破出来ないのはほぼ明らかであった。
 艦内放送では、しっかり『なぜなにナデシコ』が流れている。
 だが前回と違うのは、ルリちゃんのかわりをハルナがしていることであろう。
 ルリちゃんにサボタージュされたため、急遽ハルナに白羽の矢が立ったのだ。



 そして今ブリッジでは、今後の方針を決める会議が行われている。だがさすがに俺の出番はない。ここはルリちゃん共々大人しくしていよう。



 ……イネスさんの説明はほぼ終わりに来ている。今のままのナデシコでは、火星の解放どころか脱出もままならない。すでにナデシコはそれだけの傷を負っているのだ。

 「まあ、今更愚痴を言っても始まらないわ。どうにもならないわけだし。ま、今後のことは艦長さんに期待するとして……」

 「期待するとして?」

 皆の注目がイネスさんに集まる。

 「取りあえずおなかすいたわ。そこの君、アキト君だっけ? 食堂に案内してくれない?」

 ……指名されてしまった。

 「俺、ですか? なんでまた……」

 「私はアキト君がいいな……何だか君とは、初めて会った気がしないのよね」

 ……まあそうなのは知ってますが……。

 じっと俺を見つめるイネスさん。ふとそこに真摯なアイちゃんの顔がダブる。

 「まあ……俺でよければ」

 ……結局根負けしてしまった。やっぱり俺は、女性の押しには弱いな……。



 そんなわけで俺とイネスさんは、食堂にやってきた。



 時間はお昼ちょっと過ぎ。ホウメイさんはちょうど休憩に入ってしまっていた。
 食堂の中ではいくつもの皿を並べたハルナが相変わらず常軌を逸した量のご飯を食べている。

 「おっと、ホウメイさん休憩みたいですね。俺が作りますから、何がいいですか?」

 手早く手を洗い、エプロンとコック帽を身につける。

 「あら、あなたコックだったの……そう言えば黄色の制服ね」

 「まあ、パイロット兼業のコックって言うのも珍しいかもしれませんね」

 「フフフ、まあいいわ。それじゃオムレツお願い出来るかしら」

 嫣然、という言葉が似合う微笑みを浮かべてイネスさんは注文を言う。

 「へい、オムレツ一丁ね!」

 そう声を出したとたんに、ハルナから合いの手が入った。

 「お兄ちゃん、あたしは超大盛天津丼お願い!」

 「分かった分かった! お前はちょっと待ってろ!」

 取りあえず俺はオムレツづくりに専念する。フライパンを操り、具をくるりと卵で包む。
 後は焼き色を付ければよしっと。

 「そう言う言い方をするって言うことは、あなた、自分としてはコックのつもりなのね」

 「ええ、出来ればそうありたいと思っています」

 ……現実には、無理だろうけど。

 俺は程良く色づいたオムレツを皿にのせると、イネスさんのところに持っていった。

 「ねーねー、あたしのー」

 隣のテーブルでハルナがわめく。

 「ちょっと待ってろ!」

 俺はフライパンを中華鍋に変えて油を回し、卵をどっさりと持ってきた。
 こいつの食う天津飯には、卵10個使うからな〜。
 食堂の方を覗くと、イネスさんがオムレツにナイフを入れるのも忘れてこっちを見ている。

 ……無理もないか。すでにハルナのテーブルの上には、大皿やら丼やらが15個も転がっているんだから。

 「よく食べられるわね」

 イネスさんが笑いを隠しながら聞いていた。

 「うん、あたし大食いだから。あ、初めまして。私、テンカワ ハルナって言います。今料理作ってるのがアキトお兄ちゃん。訳あってお母さんは違うんだけど、兄妹だよ」

 「あたしは、イネス・フレサンジュ。イネスでいいわ。で、テンカワって……ひょっとして、テンカワ博士の?」

 「うん。お兄ちゃんは実の息子。あたしはサクヤ母さんが勝手に作っちゃった妹。おかげで艦長の妹にもなっちゃった。へへへ」

 悪戯っぽく答えるハルナ。しかしイネスさんの目は冷たく光っていた。

 「そう……テンカワ夫妻の……それに……サクヤ母さん? 名字はミカサって言わなかった?」

 「うん、地球に来てからはテンカワに変えちゃったけど」

 「地球……」

 コクコクとうなずくハルナ。そのとき俺は、イネスさんがハルナを見る目に、一瞬奇妙な光が宿ったのを感じた。
 あれは、憐れみ……? それと、困惑?
 しかしその目が俺の方を向いた時には、切り込むような鋭利な目になっていた。

 「ところでアキト君……貴方、よくこの船に乗っているわね」

 「はあ、どういう事です?」

 俺は何も知らない振りをする。一応、まだ知らないことになっているからな。

 「ネルガルの船に乗っているのか、っていうこと」

 「……俺がナデシコに乗っていたら何か変ですか?」

 するとイネスさんは、どことなく色っぽい笑みを浮かべながら、片栗を溶いている俺の側ににじり寄ってきた。

 「知りたい?」

 そのとき。

 

 ピッ。

 

 「2人とも、近づきすぎ! ぷんぷん!」

 ウィンドウが開いて、ユリカの顔が割り込んできた。
 助かったぜ、ユリカ……。

 「何してたんですか?」

 さらにちょっと怒った顔のルリちゃん。別に何もしてないだろ。

 「見ての通り、ハルナの飯作ってたんだけど」

 「じゃあイネスさん、厨房は関係者以外立ち入り禁止です」

 「あら、一応あたしここでは衛生管理者になるよう言われているわ。れっきとした関係者よ」

 見事に切り返され、ルリちゃん撃沈。

 「とにかく、アキトとイネスさんは至急ブリッジに来てください!」

 分かってるって、ユリカ。時間からすると、クロッカスが見つかったんだろ?

 「はいはい、じゃ、いきましょう、アキト君」

 そう言って俺を誘うイネスさん。

 「ちょっと待って! あたしのご飯は?」

 「それはあたしがやって上げるよ。ほら、お呼びだろ、いっといで」

 俺たちの声を聞きつけたのか、ホウメイさんが出てきてくれた。

 「済みません、休憩中なのに」

 「何、お呼びとあらば仕方ないさ」

 そう言って俺のかわりに巨大卵焼きにあんを絡めていくホウメイさん。うーん、まだまだ及ばないな。

 「んじゃいってくるぞ」

 「いってらっしゃ〜い」

 何となくおままごとみたいな真似をして、俺とイネスさんはブリッジに向かった。



 その途中、イネスさんが唐突に俺に言った。

 「アキト君、あなた、妹さんのことどこまで知っているの?」

 「はあ? ハルナですか? えっと、親父の精とユリカのお袋さんの卵子から作られた、不正規のマシンチャイルドで、よく分からんことがいろいろ出来る、って事くらいですけど」

 「そう……じゃ、なんにも知らないのね。あの娘も何も言ってない?」

 その台詞は、酷く寂しげで、かつ……つらそうだった。

 「なんのことですか? 俺だって感じてない訳じゃないです。あいつが、ちょっと…異常だって言うのは」

 逆に問いつめる俺を、イネスさんは軽くいなした。

 「知らなきゃ幸せなことも、世の中にはいっぱいあるのよ。それでも知りたい?」

 「……知らなきゃいけないことだと思います」

 「そう」

 イネスさんは何となく軽蔑しているようなまなざしで俺を見ると、こういった。

 「そうね。じゃ、当たり障りがなくって、かつ知っておいた方がいいことを教えてあげる。ハルナちゃんね、たぶん……後5年くらいしか生きられないと思うわ。彼女があたしの知っている通りのものならね」

 「な……」

 思わず足を止めてしまった俺を無視して、イネスさんは先に行ってしまった。



 驚きで遅れてしまった俺があわててブリッジにいくと、真っ正面のウィンドウに、風化したクロッカスが映っていた。

 「護衛艦クロッカスに間違いありません」

 「そんな……信じられない! クロッカスは地球でチューリップに吸い込まれたはずなのに……」

 ルリちゃんとユリカの声がブリッジに響き渡っている。

 「そう!! そこで私の仮説が成り立つ訳なのよ。木星蜥蜴が使うチューリップ……あれは一種のワームホールだと、私は考えているわ」

 すかさず突っ込むイネスさん。

 「そんな……チューリップが一種のワープ装置だと、言うんですか?」

 「そうよ……そう考えれば、木星蜥蜴が何故あれ程の軍隊を、瞬時に動かせるか説明がつくわ」

 ユリカとイネスさんの討論が続いている。と、突然イネスさんがこちらを向いた。

 「ところでアキト君……貴方は何故この提督の下で戦っているの?」

 いきなりの質問だった。

 「提督が火星戦役で、ユートピアコロニーにしたこと……知っているの?」

 「……ええ、知っています」

 そう答えた時、俺の感情は凍っていた。理性では分かっているが、やはり感情は消しきれない。
 あえてそれを、俺は意志で押さえ込んだ。
 ユリカも、メグミちゃんも、ミナトさんも、ジュンも、プロスさんも……
 別人を見る目つきで俺を見ていた。
 まあ、無理もあるまい……。
 幸い今までの旅路の中で、俺の負の面が出ることはなかったしな……。


 「ですけど……もう終わったことです。
 今更責めても、なんにもなりません。
 死んだ人は、帰ってこないんですから」

 偽りの英雄を演じてきた提督……。

 いや、軍隊に英雄に祭り上げられた提督……

 その心の内は、俺には計り知れ無い……

 だが、単純に割り切る事など出来ないだろう。

 自分の命令で罪の無い、本来なら守るべき者達を皆殺しにしたのだから。

 「そう……ならいいわ。見かけよりずっと大人なのね、アキト君は」

 何か意味ありげに言うと、イネスさんは話を本筋に戻した。



 結果的にはフクベ提督の提案によって、エステバリスによる先行偵察が行われることになった。
 メンバーは俺とリョーコちゃん、そしてヒカルちゃんの3人である。俺とヒカルちゃんは陸戦フレーム、リョーコちゃんは砲戦フレームである。
 ガイとイズミさんは万一に備えて待機となった。
 そして俺たち3人は、氷の大地に踏み出していった。



 「ちくしょう、砲戦フレームなんて、重くってしょうがないぜ」

 「ぼやかない、ぼやかない」

 緊張感のかけらもないな……まあ、レーダーに反応はなんにもなし。だらけるのも無理はないか……!

 俺はエステを急停止した。今、確かに殺気がした。
 無人兵器特有の、無機質で透明な殺気が。

 「みんな!」

 そう言った時、すでにヒカルちゃんもリョーコちゃんも、エステを止めていた。
 さすがだな……2人ともこれに気がついたか。

 「おいヒカル……なんか変な感じがしないか……?」

 「リョーコも? あたしもなんだか、例のゲームの時、地面に潜る敵に襲われたときと同じよ〜な感じがして……アキト君は?」

 俺は内心あきれていた。おい、ハルナ、お前の持ってきたゲームは気配の感じ方まで教えられるのか?……格闘ゲームのマキシマムモードのことを考えれば、あり得そうだ。

 やがて三人の視点は、ただの一点に集中した。

 「そこっ!」

 「そこだあっ!」

 「そこね!」

 ……穿たれた氷の下から、一体の無人兵器が、ぷかりと浮かび上がった。

 「大当たり〜っ!」

 ヒカルちゃんの脳天気な声が響く。
 ここがエステのコックピットの中じゃなかったら、お得意のギミックで祝っているところだろう。

 「けどさすがアキト君、真っ先に気づいてたね」

 「さすがだな。今度例のシミュレーターで一緒に組まないか? お前、あれクリアしてんだろ? 俺未だに7面が抜けなくって……なんか攻略法ないか?」

 そう言われても、実は俺そんな事知らんのだが……

 「馬鹿ねぇ、あのゲームは反応速度や、敵の技量が上がっていくタイプで、面が進むほどむしろパターンが多様化してくるのよ。攻略法なんてあるわけないじゃない。努力あるのみよ」

 「うっ……でもそう言うお前はどこまで行ってんだよ」

 「あたしはカスタムしてるから直接比較は出来ないんだけど……今18話だからリョーコの6面くらいかな?」

 ヒカルちゃん、ナイスフォロー……よかった。
 けどこりゃ、一度クリアしておく必要があるな。あのゲーム。
 取りあえず俺たちは、先を急ぐことにした。



 一方そのころ、ナデシコ内にて……



 「ちょっと、いいかしら」

 極小のポップアップウィンドウが、あたしのところにその声を伝えてきました。
 今は作戦中ですから、あたしはオペレーター席から離れられません。
 そこである条件が満たされた時、あたしに知らせるように、思兼に頼んでおきました。
 その条件とは……イネスさんとハルナさんが接触すること。
 思兼はきちんと、整備班で仕事をしていたハルナさんに、イネスさんが接触したことを知らせてくれました。

 「はい、なんですか?」

 格納庫特有の騒音をバックに、ハルナさんが答えます。

 「一応あたし、これから研究者と兼任だけど、医務室を預かることになったの。で、ちょっとあなたの健康が気になって。少し調べてもいいかしら?」

 「一応健康だとは思いますけど……何か?」

 いつもハルナさんは元気です。ご飯はどこにはいるんだろうって言うくらい食べますけど。

 「まあ、取りあえずちょっと来てくれない? そんなに時間はとらないわ」

 「はあ……そう言うなら。班長、いいですか〜」

 「おお、行って来い。医者には逆らうんじゃねえ」

 ウリバタケさんの声がかすかに響きます。
 そして2人は、医務室に移動しました。



 医務室は場所柄、プライベート回線のプロテクトが特にキツいところです。
 だから、あらかじめワイヤーを仕込んでおきました。
 そして2人が医務室にはいると同時に、隠し回線がオンになりました。
 ただそのせいで、音声のみです。
 まあ、ウィンドウを広げられないので、仕方ありませんけど。
 私はインカムからの音に、神経を集中しました。
 表の回線は、厳重に閉じられています。やはり、何か秘密の会話をするつもりらしいですね。
 やがて、私の耳に小さいながらも明瞭に声が聞こえてきました。



 「ハルナさん……単刀直入に聞くわ。あなた、自分のこと、どのくらい分かっているの?」

 「やっぱり、そのお話ですか。イネス博士」

 「ただのイネスでいいわよ。サクヤは?」

 「……死にました。だからあたしは、お兄ちゃんを頼って、結局ここにいるんです」

 「皮肉ね。あなたの素性がネルガルの上にばれたら、絶対モルモットよ。分かってるの?」



 モルモット? まあ、あれだけの力を持っているわけですから、分からなくもないですが、なんかニュアンスが違うような気がします。



 「そうかも、しれませんね。お母さんの技術って、そこまでのものだったんですね……」

 「あたしに言わせりゃ変態のマッドサイエンティストだけど、いいお母さんだったの?」

 「……ええ、とっても」



 でもその瞬間、何故か私には分かってしまいました。
 今のハルナさんの言葉が、嘘だって。



 「……そう。ならいいんだけど」



 何となく、イネスさんも感じたみたいですね。



 「でも、なんであんな派手な真似をしたの? あなたの力は、使えば使うほど、確実にあなたの寿命を縮めるのよ? どのくらい残ってるの? 分かるんでしょ。あの能力を、制御出来ている以上」



 私は叫びたくなるのを必死になって押さえました。
 使えば確実に命を縮める力を、あなたは振るっていたというのですか?
 ですが、それに続く言葉は、そんな生やさしいものではありませんでした。



 「そうですね。神経はもうとっくに食われちゃってます。脳細胞も、たぶん全部。皮膚はまだ生ですけど、筋肉と骨は一部置換が始まってるかな、ってかんじです。あ、消化器系はとっくに置換済み、ですね。お兄ちゃんもあきれてましたし。まあ、セルフモニターですから、どのくらい合ってるか分かりませんけど」



 な……何をあっけらかんと言っているんですか、ハルナさん。
 脳細胞を『食われる』って、いったい……
 そしてイネスさんも、ため息をついているのが聞こえました。



 「そう……もうとっくに『手遅れ』だったわけね。今更あたしが何か言っても仕方ないか。でもよく『成功』したものね。サクヤの執念も、実を結んだっていうわけか」

 「でも本来なら、凄い発明なんですよね、あたしの中のナノマシンって」

 「発明じゃないわ。発見よ。あの外道男のやったのは」



 発見……?
 ちょっとその言葉が引っかかりました。



 「発見、ですか?」

 「サクヤもそこまではあなたに言ってなかったのね……なら覚えておきなさい。今あなたの体を食い荒らしてるBRN、生体置換ナノマシンは、元々火星の遺跡から発見されたものよ。ナデシコに使われている技術と一緒。今あなたのお兄さんが向かっている極冠遺跡で発見された、正体不明のナノマシンなのよ」



 あたしは全身の血が凍るのをはっきりと感じました。
 火星の遺跡から発見されたナノマシン。
 それはアキトさんに……前の歴史で山崎博士によって過剰投与され、アキトさんの五感を奪った、あのナノマシンだというのですか!
 ただ、一つ分かったことがありました。前の歴史でイネスさんが不完全ながらアキトさんを治療出来たのは、そのサクヤさんの研究を知っていたからなんですね……。



 「あたし達は危なすぎると思って、その辺には手を出さなかったけど、あいつは違った。自分自身と、そして、極秘のうちに無数の受精卵を使って、ナノマシンの能力を徹底的に分析した……その一部がフィードバックされて出来たのがルリちゃんのようなマシンチャイルド。でもあいつはそれに満足しなかった。遺伝子改造によって能力を増強するのではなく、ナノマシンの力を使って究極のマシンチャイルドを作り上げようとしていた。真の意味でのマシンチャイルド……本当にナノマシン仕掛けの子供をね」



 え、マシンチャイルドって……そう言う意味があったんですか?



 「それが、あたしの体の中のナノマシン、なんですね」



 ハルナさんの声は、不思議と落ち着いていました。



 「そう、生体置換型ナノマシン群。体内に侵入し、神経系や筋肉細胞それ自身を材料にして、生体細胞と入れ替わるように神経や筋肉を模倣する、ウィルスみたいなナノマシン。ナノマシンの情報伝達速度や筋収縮力は生体細胞を遙かに上回るから、その人間は結果超人的な反射神経や筋力を得ることが出来る……はずだった。でも、特に神経細胞置換型のナノマシンには、致命的な欠陥があったわ」

 「脳細胞も、神経細胞だった……っていうことでしょう?」

 「そう。あいつの作った実験体は、脳細胞が置換されると同時に自我が崩壊して廃人になり、また制御を失ったナノマシンが暴走して死体すら残らなかった。あたしの知る限りではその壁は越えられず、プロジェクトは破棄された。奴はこの件でネルガルを追放されたのよ」

 「私もその件は知っていました。けどたった一体、脳を食い尽くされても自我を失わなかった個体がいた……それが私なんです。理由は不明ですが、結果的にあたしは自我を保てたが故に、体内のナノマシンを制御出来るようになりました」

 「いっちゃ悪いけど、今のあなたの頭の中には、思兼が10個ぐらい入ってる勘定になるものね。ナデシコのディストーションフィールドをひん曲げられるのも当然、か」



 今、初めて私にもハルナさんの尋常ではない能力の秘密が理解出来ました。
 私たちにはナノマシン投与によって、機械とリンクするための補助脳が形成されています。しかしハルナさんの脳は……丸ごと補助脳と同じ働きをするのです。しかもそれを構成しているのは、明らかに地球製のそれを越えた、古代火星人の作ったナノマシン……。


 「けど、結局杞憂だったね。あなたの神経細胞の『侵食』が途中なら、能力を封印すれば普通に生きていけただろうけど、とっくに『侵食済み』だったとは……」

 「でも今のところは大丈夫ですよ。あたし自身、脳味噌のかわりにナノマシンが詰まっているなんて、全然実感がありませんし……でもあたし、ある意味じゃ『思兼』のお姉さんなんですよね……」

 「『コギト・エルゴ・スム』っていうじゃない。あなたが『自分』を保っている限り、あなたは『あなた』なのよ。入れ物がどうであれ、ね。ごめんなさいね。嫌なこと思い出させちゃって」

 「いいですよ。お母さんの知り合いの方と話せたのも、久しぶりですし」

 「でも使いすぎには注意しなさいよ。あなたの体内のナノマシンは、使えば使うほど活性化し、増殖する。その分あなたの生体部分は減っていくのよ。そして生体すべてが食い尽くされてしまったら、遺伝子情報が保てなくなって、今のあなたを維持出来なくなる……それを『生きている』とは言えないのよ」

 「大丈夫、まだ五年くらいは十分持ちますって」

 「……言っても無駄みたいね。何かあったらあたしに相談しなさい」

 「はい。それじゃ」



 ふしゅっというドアの開閉音がして、ハルナさんは出ていきました……。







 「ルリルリ?」

 「ルリちゃん?」

 「どうしたの、急に」

 ミナトさんやメグミさん、そしてユリカさんの声がして、私の意識はブリッジの方に帰ってきました。

 「もう、急にぼーっとしたかと思ったら、いきなり涙を浮かべちゃって、一体どうしたの?」

 ミナトさんの優しい声が心にしみます。

 「何でも、ありません」

 私は涙をぬぐいました。

 ハルナさん……
 あなたは、そんな思いまでして、ナデシコで何をしようというのですか?
 あなたがここに来たのは、何故ですか?
 ますます分からなくなってしまいました。
 謎は、深まるばかりです……







 「研究所の周りに、チューリップが五個、か。どうします艦長?」

 「私は……これ以上クルーの皆を危険にさらすのは、嫌です」

 「でも、皆さんは我が社の社員でもありますから……」

 「俺達にあそこを攻めろ、って言うのか?」



 研究所の周りには、5機のチューリップがでん、と構えていた。
 いくら何でもこの状況で研究所を攻めるのは……無謀、だ。
 ブラックサレナかナデシコCでも持ってこなければ無理だぞ?
 案の定、議論は紛糾している。
 それに終止符を打ったのは、フクベ提督の言葉であった。

 「よし、あれを使おう」

 フクベ提督の提案した計画は……俺の記憶通りのものだった。



 作戦準備のため、俺が格納庫に向かっていると、ルリちゃんがやってきた。
 何故か、泣きそうな目をしている。
 ……何かあったのか?

 「アキトさん……」

 「……仕方ないよ。変えられないことだって、あるさ」

 だがルリちゃんは、軽く首を横に振った。

 「……何か、あったのかい……?」

 だが、ルリちゃんは答えようとしない。
 やがて、ぽつりと口を開いた。

 「逃れられない未来って、悲しいですね……」

 「ああ」

 俺は小さくうなずいた。

 「だから今、俺たちはがんばってるんじゃないか」

 「そう、ですね……あ、これ」

 ルリちゃんは、手に持っていた機械を俺に渡した。
 ジャンプフィールド発生装置。
 よくこの短時間に……頑張ってくれたんだね、ルリちゃん。

 「個人用、か。これでナデシコを飛ばすわけにも行かないよな……」

 ジャンパーは俺、ハルナ、ユリカ、イネスさんの4人しかいない。

 「と、冗談はさておき、よく頑張ってくれたね」

 軽くルリちゃんの頭をなでる。

 「じゃ、テストがてら、ラピスのところに行ってくる」

 「行ってらっしゃい……作戦開始は3時間後です」

 「了解」



 そして俺は、久しぶりにジャンプフィールドの光に包まれた。



 言えませんでした……。
 いえ、私の口から言っていいことではありません。
 アキトさんを見送った私の胸の中は、
 まだ何かがぐるぐるしていました……。



 視界に映ったのは、殺風景な研修室の一室……
 その片隅にたたずむ、桃色の髪の少女。
 振り向いた彼女の目は、死体以下に腐っていた。
 が、その目にみるみるうちに生気が宿る。

 「アキト!」

 「久しぶり、ラピス」

 俺たちはお互いを、しっかりと抱きしめた。

 「元気にしていたか?」

 「うん、とーぜん!」

 ……そんなわけはないだろう? あんな目をしていて。
 だがそれは言わない約束だ。

 「でもアキト、なんでここに?」

 「分かんないのかい、ラピス」

 「え……あ、ジャンプ!」

 「ああ、取りあえずのものだけど、ジャンプフィールド発生器が出来たんだ。ラピスのおかげでね」

 「へっへ〜。ルリも頑張ったんだね」

 「ああ。これからはいつでも会いに来れるぞ」

 俺はラピスの頭をなでながら、ふと妙な違和感を感じた。

 「それにしてもラピス、ずいぶんと大人っぽくなったね」

 本当は『感情豊か』といいたかったのだが、それはさすがにまずいと思って、無難な言い方にした。

 「そうかな? へへっ、ならうれしいんだけど」

 『きっと僕の教育の成果かな?』

 「あ、ダッシュ」

 ……ちょっと待て、いつの間に成長した、ダッシュ。思兼より賢いぞ、その言い方。

 「……なあ、ダッシュの奴、やけに口が達者じゃないか?」

 「うん。面白い相方をネットで見つけたからかな?」

 「相方?」

 なんじゃそりゃ。

 「漫才師のソフトなんだけど」

 ま、漫才師〜〜?
 俺が呆けていると、ダッシュが解説してくれた。

 『一種の疑似AIだよ。起動すると話題を振ってくるんだ。で、面白い答えを返すとさらに会話が続き、とんちんかんな答えを返すとド突かれるの。『なんじゃそりゃ〜っ』って、ハリセンで。で、一定時間会話が続いて、見事にオチがつけばクリア。判定基準AIの出来がよくって、成功した漫才、ラピスも見て笑ってたよ』

 「なあ、ダッシュ」

 俺は一つの疑問を口にした。

 「その漫才、ラピスが見ても笑えるのか?」

 社会常識も駄洒落も理解出来ないラピスが、漫才見て笑えるものなのか?

 『最初に笑ってくれたのは数学漫才だったよ。アキトじゃどうやっても笑えないと思うけど』

 ……それは笑えそうにない。数学で漫才出来るのか?

 『数式で掛け合う漫才だからね。マシンチャイルド並みに頭がよくないと理解出来ない。でもそのせいでラピスもよく笑うようになったし、ほかの漫才が何故面白いのか知りたくなって、よくハーリー君と議論していた。彼は普通の漫才で大笑いしてたから。で、僕も新作を作ろうと思って、あちこちのネットで勉強したんだ。研究やプロジェクトの合間にこっそりと。けど漫才って、物凄いバックグラウンドが必要なんだね。全く関連性のない事柄を、語感や連想法で結びつけなきゃならないから、物凄く大変だったよ』

 ……考えようによっては、ある意味最強の師匠だったのかもしれない。

 人を笑わせると言うことは、AIにとって物凄く大変なことだ。喜怒哀楽の感情を理解出来なければ、不可能なことなのだから。
 しかし、何故漫才?
 俺の頭の中に、イズミさんの寒いギャグが響いていた。

 「まあそれはそうと、今の時間なら研究員の人も来ないし、もうちょっと大丈夫だよね」

 「ん、まあ……あ、そうだ」

 俺は肝心なことを話していないことに気がついた。

 「実は……これから8ヶ月の間、ナデシコは音信不通になる」

 「あ……火星でのジャンプのせいだね」

 「ああ……期待させておいて、済まないな」

 ラピスは少し考える振りをしたが、それでも笑ってくれた。

 「仕方ないよね……例のプロジェクトも、これからが佳境だし。よ〜し、再会した時にはびっくりさせてやるぞ!」

 俺はそのラピスの笑顔を、まぶしく感じていた。

 「でさ、ちょっと見てかない? ダッシュの漫才」

 ははは……まあ、話の種にはなるかな?

 「じゃダッシュ、お願い」

 『了解、ラピス。衛愛亭ダッシュでーす!』
 『ほいほい、電魔亭ウィズでおま』

 …………
 ……
 …



 フシュン!



 「お帰りなさいアキトさん……どうしたのですか?」

 「は、腹が、よじれる……」

 「???」

 ……最近のAIは侮れん。よくあそこまで成長したな、ダッシュ。

 ルリちゃんにも教えてやろう。



 というハプニングはあったものの、俺とフクベ提督、そしてイネスさんはクロッカスに来ていた。
 凍った通路を歩く俺たち……いた!
  俺の放った銃弾に貫かれるバッタ達。

 「いい腕をしているな……」

 「ほめられる事じゃないですけどね。所詮は人殺しの技です」



 「君は、恨んでいないのかね?」

 「恨んで何かが生まれるのなら、恨むのもいいでしょう。でも、結局何も残りません……」



 「強いな、君は。私はそれほど強くなれん」

 「……誰よりも弱いですよ。俺なんて」



 通路の中に、時折提督と俺の会話が響く。
 イネスさんは、ただ無言でついてくる。



 そして俺たちは、無事にブリッジに到着した。



 「テンカワ君……」

 「なんですか、提督」

 答えは分かっていたが、俺はそう答えた。

 「……ここで引き返してくれないか」

 「やっぱり……囮になるつもりだったのね」

 イネスさんが初めて口を開いた。
 そして俺は……黙って後ろを向いた。

 「よろしく、お願いします」

 「アキト君!」

 驚いたイネスさんが、俺に声を掛ける。

 「信用出来るの、提督のことを!」

 だが俺は、振り向かなかった。

 「出来ますよ……俺も、提督も、同じですから」

 イネスさんが、かすかに息を呑む気配がした。

 そして提督は、ブリッジの施設を目覚めさせながら、こう言った。



 「君の過去に何があったのかは聞かん……だが、君はまだ若い!!
 未来をその手に掴む権利は……君にもあるんだぞ、アキト君!!」



 俺はそれには答えず……出口のところで初めて振り向き、提督に向かって敬礼をした。

 「行きましょう、イネスさん」

 「……」







 「クロッカス、浮上します……クロッカスより通信」

 「艦長、前方のチューリップに入れ」

 「提督!! そんな、どうしてですか?」

 「ナデシコのディストーション・フィールドがあれば、チューリップに進入しても耐えられる筈だ」



 「艦長、木星蜥蜴の攻撃です」

 「フィールドは持つの、ルリちゃん?」

 「相転移エンジンが完璧ではありません。このままでは、フィールドを破られるのは時間の問題です」

 「いくらあたしでも、強化は無理だよー。その分ほかが薄くなるから」

 「……ミナトさん、チューリップへの進入角を大急ぎで」

 「艦長、それは認められませんな。あなたはネルガル重工の利益に反しないよう、最大限の努力をするという契約に違反……」

 「御自分の選んだ提督が、信じられないんですか!!」



 俺が戻ってみると、ブリッジは修羅場だった。
 まあ、利害が複雑に絡んでいるからな。

 「提督は自ら囮となるつもりです」

 俺の声に、ブリッジの視線がこっちに集中した。

 「アキト、それって……」

 「提督の言葉だ」

 俺はそれだけを言った。後は分かるだろう、との意味を言外に込めて。
 「しかし、チューリップに入るまでに攻撃を受ければ、ナデシコが持ちませんよ?」

 それに対する俺の言葉は、眼前の景色を見ることだった。

 「クロッカス反転……敵に攻撃を仕掛けています」

 ルリちゃんの報告する声も辛そうに聞こえる。

 「提督……何が貴方をそこまで……」

 「プロスさん、ここは提督の行動に敬意を示して……最後の希望に縋りましょう」

 「解りました、私もこうなっては何も言いませんよ」



 そして、ナデシコはチューリップへと進入していく……



 「……クロッカスより通信」



 目の前に、雑音混じりの提督の映像が映し出された。



 『……アキト君。

 私は君の言葉に救われたよ。

 確かに私がいくら謝罪した所で、ユートピアコロニーの人達は生き返らない。

 今、行ってる事も私のエゴかもしれん……。

 だが、これから先に未来が必要なのは、君達若い者だ!!

 君達が何を悩み、何を考え、何を求めているかは解らん!!

 だが、その人生は……まだ……始まった……ば……』



 「……送信、途絶。ナデシコ、チューリップ内部へ突入します」



 最後まで提督の言葉を聞く事は出来なかった。

 静寂に包まれるブリッジ……俺は目をつぶって、提督の言葉を聞いていた。



 そして、あたりを、白い光が覆い尽くす……



 次回、サイドストーリーを経て、第8話、温めの「冷たい不等式」……あたしは不死身よ! に続く。







あとがき


ついに明かされたハルナの秘密!
その衝撃的な正体を知り、ルリは何を思うのか!
そして、アキトは。
その一方でボゾンジャンプと究極の電脳乙女の秘密を狙い、動き始めるもの達。
時を越えたナデシコを待つものは!
あの憎っくき奴が復活する!
次回機動戦艦ナデシコ異伝・再び時の流れに第8話、温めの「冷たい不等式」……私は不死身よ! に、レッツゲキガイン!



……ちょっと予告編風に決めたりして。上の予告の声はウリバタケさん希望(笑)。
ついに語られました、ハルナの超常能力の秘密。
みなさんはどう思っていましたか?
元ネタ……分かる人には分かるかな? 銃夢の『チップ脳』です。
脳細胞をはじめとする、神経系すべてが、神経細胞型のナノマシンに置換されているハルナ。
その気になったら、思兼のかわりに艦船に搭載することすら可能だったりします。
そしてこの先、ネルガルが唯一の成功例である彼女を見逃すはずがありません。
そして歴史は、また変貌を遂げていくのです。
けれどもハルナには、まだまだ多くの秘密と、そして驚異的な謎が秘められていたりします。
では、次の話をお楽しみに。

 

 

代理人の感想

 

う〜む、漠然と「純粋培養(古代火星人謹製)のオーバースペックナノマシン」位に思ってたんですが、

想像したよりはずっとヤバイ代物でしたな。

例えて言うなら「リミッターのないARMS」ですか?

 

 

ですが、実を言うと今回ハルナの秘密以上に驚嘆したのが

 

「漫才師のAIソフト」

 

だったりします(核爆)。

いや、単なる計算機であるコンピューターに「笑い」を理解させることができるとは!

こんな代物が作られてるなんて色々な意味でとんでもない世界だ(感嘆)。

・・・・・・ひょっとしてこれ作ったのもハルナかな(笑)。

 

 

 

 

 

 

管理人の感想

 

ゴールドアームさんからの投稿です!!

ううん、重いな〜

でも、納得のいく話ですよね〜

ハルナちゃん健気・・・

それにしても、本当に物知りだな、イネスさんは。

他人の研究の事までよくそこまで覚えてるもんだ。

 

・・・個人的にはダッシュの漫才を凄く見たいです(まる)

 

 

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