再び・時の流れに 
〜〜〜私が私であるために〜〜〜



第10話 「ヒロインらしく」が危ない……これが本当の悲劇よ……



 新型のチューリップがテニシアン島に落ちた。

 「で、ナデシコに調査依頼が来たわけだけど……司令部も考えて欲しいわよね、時差っていうものを」

 船内時間は午前二時。交代のために来た私が目にしたのは、あくびするミナトさんと、にこにこしながらオペレーター席に座っているハルナさん、そして苦虫を潰しているムネタケ提督だった。

 「交代です、ご苦労様」

 操舵席のミナトさんに声をかける。

 「じゃ、エリナさん、後宜しく。ふあ〜っ」

 やはりあくびをしながら去るミナトさん。
 ハルナさんは……提督と二人っきりでラブラブモード? 私がいるの、目に入ってないのかしら。

 「そーですよねー、あっちじゃ昼間でも、こっちは真夜中なんですから。でもタケちゃん、眠くない?」

 「ここん所はゲームにつきあわされたり、読んだ本の感想を聞かれたり、訳の分からない漫才ソフトにつきあわされたりしていないから大丈夫よ」

 ……提督も大変そうで。提督のお年でティーンの女の子のわがままにつきあうのは、さぞ大変でしょう。

 でもこの人、本当に変わったわね。
 ネルガルの会長秘書という立場で見ても、この人は別人のような変貌を遂げた。
 ナデシコの副提督になったばかりの頃は、出世のためになら悪魔にでも魂を売るような、がつがつとした人だった。
 ある意味、簡単に操れるタイプの人間ね。
 民間組織が軍艦を所有するという政治的な点を突破するために引き入れた人材であり、むしろ役に立っては困るという事で、彼が選ばれた。
 だが、反乱の失敗以後、何かが彼の中で変わった。そうとしか思えない。
 あたしと会長の見解は一致している。

 彼に強力なブレーンがついたのだ。

 今までその狷介な性格が災いして、誰一人味方のいなかった彼に。
 今の連合軍が腐っているとはいえ、有事の際に全く才能のない人間が昇進出来るほど連合軍は甘い組織ではない。どんなものであれ、才能を発揮出来ない人間は出世出来ない。そう、それがたとえ、『親のコネを利用する』という才能であっても。
 そして彼は、そう言う才能にはむしろ恵まれている方ではなかった。優秀な親に対し、憧れとコンプレックスを併せ持つ、普通の男であった。
 彼が出世してきたのは、ちゃんと自分の才能での事なのだ。この点、実は彼の評判とは全く逆である。
 だが彼は、決定的に世渡りの下手なタイプだった。軍において士官学校卒なら、佐官クラスまでは本人の資質で出世する事が出来る。佐官は現場指揮官だからだ。だがそこから将官へと上がるには、むしろ人間関係をコントロールする資質が求められる。
 将官は、人を使うのが仕事なのだから。
 彼にはそれがなかった。他人には利用され、親の七光りと揶揄され、取り入りのうまい人間に先を越され、部下にもバカにされる……。
 あたしのような第三者から見れば、彼の歪んでいく過程は手に取るように分かる。あたしや会長もそこを利用した。
 新興宗教にはまる人間と同じだ。彼のようなタイプの人間は、ちょっと甘い餌をちらつかせれば、すぐに尻尾を振る。
 現にあたし達の見せた餌に、彼は簡単に食いついてきた。
 だが。
 ナデシコが火星に向かう間に、彼に何かが起きた。
 会長を脅迫してきたときの彼は、私たちの知っている彼ではなかった。

 『これは取引よ』

 あの時、彼はいった。

 『ネルガルと連合軍は、喧嘩してちゃいけないのよ。アンタ達が連合軍に見切りをつけた訳は分かるわ。だけどね、それじゃだめなのよ。このままじゃどっちもだめになるわ。本当ならこっちが頭を下げるべきなんでしょうけどね。ナデシコをくださいって。けどね、連合軍としては、自分たちに反逆したものに頭を下げる事は、絶対に出来ない……それが軍隊ってものだものね。だからね、悪いけどあなた達に頭を下げて欲しいの。何、本心から謝ってもらいたい訳じゃないわ。花を持たせてやって欲しいだけよ。そうすればあたし達は、アンタ達の持つ優秀な兵器を堂々と手に入れられる。どうせナデシコ一隻で終わりじゃないんでしょ。予算の許す限り買って上げるわよ。今の連合軍、心底兵力が欲しいんだから。皮肉な事だけど、ナデシコのおかげで、あなた達の作る物の優秀さは、よ〜く分かったしね』

 会長は、本気でおもしろがっていたわ。面子に拘って大局を見失っている連合軍にも、ものの分かる奴は居たって。
 でも、あなたは何故、それに気がついたの? 私たちの分析によれば、あなたは『連合軍のメンツ』の固まりみたいな人だったはず。
 それが、何故?
 ひょっとして、今いちゃいちゃしている、若い恋人さんのせい?
 そう。
 彼女になら手に入れられる。
 あたし達を脅迫するときのネタだった、ナデシコの諸データを。
 あたしは横目でちらりと、提督と話をしている彼女を見た。

 テンカワ ハルナ。

 元ネルガル火星研究所研究員、ミカサ サクヤが独自に研究していた研究の、唯一の成功例。
 未だ我々には理解出来ない、火星の遺跡で発見されたナノマシンを制御出来る唯一の人材。
 パイロット用、オペレーター用双方のナノマシンの機能を兼ね備え、
 操作端末に手を触れずともリンクが可能であり、
 その制御能力は、思兼をハッキングし、ナデシコのディストーションフィールドを変形させる事すら可能とする。
 また、自分自身の肉体すら、完璧に制御出来るという。
 彼女を『量産』出来れば、世界は変わるであろう。
 それだけの『価値』が、彼女にはある。
 さらにそれに加えて、『あれ』すら可能というのだ。
 絶対に、手放せない。



 「ねぇ、ちょっといいかしら」



 あたしは、彼女に誘いをかけた。



 「あなた、なんでナデシコに乗ったの?」

 「え……? まあ、偶然、です。お兄ちゃんを頼ってきたら、まあ、成り行きで」

 その辺はすでに調査済みよ。あなたの行動を逆にたどって、サクヤの所にもたどり着いたし。

 「そう。で、一つ聞いておきたいんだけど、あなた、ナデシコを降りた後はどうする気?」

 「は?」

 なんか、なんにも考えていなかった、っていう顔ね。

 「そう言えば……考えた事もなかった。なんかずっと、いつまでもこの船で、ずっと暮らしていくみたいな、そんな感じがしてて」

 「まあ、若いんだから、仕方ないか」

 くすりと微笑んでみせる。

 「それにこの目ですから……あんまり普通の所には勤められませんよね」

 「なら、ネルガルに来ない? 歓迎するわよ」

 あら、目をぱちくりしちゃって。かわいいわね。

 「それって、どういう事ですか? 一応私、今ネルガルの社員なんですよね」

 「ま、それはそうだけど、あなたの才能を、ナデシコのオペレーターや整備員としてしか使わないのはもったいないわ。あなたほどの力があれば、もっと専門的な研究職にも就ける。それに今、ちょうどあなたみたいな人の力が借りたい部門があって。来てくれるなら今の10倍以上の俸給を保証出来るわ」

 それでも、安いくらいなんですけど……ね。
 彼女は、少し考え込み……ちらりと提督の方を見ると、こちらに向き直った。

 「お誘いはうれしいですけど、今のところはお断りしておきます」

 「何故?」

 あたしは引き下がらなかった。彼女を逃すわけにはいかないのだ。

 「理由は二つ……まずあたし、お兄ちゃんや提督から離れたくありません。提督は、まあ仕方ないにしても、お兄ちゃんからは離れたくないです。あ、タケちゃん、別にタケちゃんよりお兄ちゃんが大切なんじゃないよ。これは……ちょっと別の事なの」

 最後の部分を提督の方を向きながら話す。まあ、家族の絆、っていうのは、大切なものでしょうし。ましてや生まれてから今まで別れ別れの兄妹なんですしね。
 でもそんな事じゃあきらめないわよ。むしろ逆に利用してあげるわ。

 「ちなみにお兄さんもスカウトする予定よ。お兄さんだって、あのテンカワ博士の息子なんだし、腕利きのエステバリスライダーなんですもの。手放したくはないわ」

 「どうかしら。それは連合軍も一緒だと思うわよ」

 提督が邪魔をする。しかしその目に、昔のような嫉妬の光はない。ただ、事実を述べている目だ。

 ……ホントに変わったわね。

 そこにハルナさんが割り込んできた。

 「2人ともやめてください。それにもう一つ、もっとおっきな訳があるんです」

 「「???」」

 提督共々不思議がる私たちに、彼女はとんだ爆弾を投げつけてきた。

 「イネスさんは知っていますけど……あたし、そんなに長く生きてられないんです。だいたい、後5年もしたら、たぶん寿命がつきます。元々こういう体ですし。それじゃかえって迷惑でしょう? あ、お兄ちゃんには内緒にしてくださいね。心配させたくないから」

 「「!!」」

 そのままブリッジは、沈黙に包まれてしまった。
 そのまま前を向いてオペレートに専念する彼女を、提督は何かまぶしい物を見るような目で見つめていた。
 そして私は……焦っていた。
 この貴重な人材は、後5年しか使えない。
 そこに同情とか、憐れみとかのはいる余地はなかった。
 そういう物を切り捨てる事によって、あたしは今の地位を勝ち取ったのだから。







 「アキトのスケジュール、確か夜間待機だったよね……うん、そうだ」



 「全く、厨房を貸せっていうから何かと思ったら、そう言う事かい?」



 「はあ〜、なんかむなしいなあ……この心の隙間を埋める物は……」

 「ジュンさん、どこにいるんですか? 休憩時間過ぎてますよ。いつもならいいんですけど、先ほど新しい任務が届いたそうで、提督が呼んでます」

 「あ、ハルナちゃん、もうそんな時間? それに……任務?」

 「はい。時差の関係でこんな時間に来たみたいです。連合軍もいい加減ですね」

 「軍隊ってそう言うもんだよ。すぐ行く。ユリカは?」

 「急ぎの任務じゃないですから、後でいいそうです」



 俺の知らないところで、一つの危機が回避されていた。



 いつもの自主トレから戻ってきた俺は、ラピスとの定時連絡を開いた。

 (あ、おはよう)

 (ん、そっちは朝か?)

 (うん、いい天気だよ。プロジェクトも何とか最大の山場を乗り切った。土壇場で危うく例の『ウィザード』さんに出し抜かれそうになったけど、何とか踏みとどまった。Bプランの方も順調だよ)

 (そうか、頑張ったな、ラピス)

 (へへへへへ)

 ラピスはうれしそうだ。

 (でもね、ちょっと気になる事があるの)

 (なんだ?)

 (さっきのウィザードさん、あっちもどうやらオペレーションを終了したみたい。ちょっと調べてみたら、クリムゾンの株、あの人の号令一発で、持ち主が変わっちゃうよ)

 (なんだと?)

 俺は少しあわてた。この時期に、クリムゾンを乗っ取るだと?
 今のクリムゾンは、木連と繋がっている。そのときにクリムゾンが乗っ取られたら……大きく歴史が変わりかねない。
 単なる仕手戦の結果だというには、クリムゾンは大きすぎる。

 (で、そのときクリムゾンを手中にするのは、誰なんだ?)

 (それが……不確定なの。というか、名前が空白なの。号令っていうのは、そこに名前が記される事なんだもん)

 なるほど。ウィザードという人物は、いつでも好きな人物にクリムゾンの実権を渡せるようにしてしまったというのか。
 いっそのことアカツキにでもくれてやるか……いや、やっぱりそれはまずいな。

 (それ、こちらから干渉出来るか)

 (全然無理。たぶん、あたしとハーリー君、それにルリとナデシコCの思兼とユーチャリスのダッシュを持ってきて、何とか戦えるかっていうレベル)

 (なんか、前より凄くなっていないか?)

 (うーん、一時期はかなりいいところまで行ったんだけど、最近急に手強くなって。探ってたの、ばれたかな?)

 (危ない真似はするなよ)

 (じゃ、またね)

 そう言ってリンクを閉じたとき、扉が勝手に開いた。
 おいおい、という事は……



 「ア〜キ〜ト♪ お夜食作ってきたよ」

 俺は心の中で祈った。
 ハルナ……お前だけが頼りだ!
 この間さんざん疑った事など、頭の中から吹き飛んでいた。
 それとこれとは別だ!



 「自信作だよ、じゃ〜ん!」



 開いた地獄の蓋……土鍋の蓋ともいう……からは、意外にいい香りがした。
 これは……希望が持てるか!
 おそるおそる覗いた土鍋の中には、ごく普通の色をした卵雑炊が入っていた。
 神よ……感謝します!
 ハルナ……お前が何を考えていようと、この一件だけでお前を許せるような気がする!



 「はい、あ〜ん」



 ちょっと恥ずかしかったが、前回のような恐怖は抱かずに、俺は口を開けた。
 その中に落とし込まれた雑炊は……懐かしい味がした。
 あの三年の間、何とかユリカがまともな料理を作れるようになった、あの頃の味。
 不覚にも、涙がにじみ出た。

 「やだ、涙が出るほどうれしいの! うれしいっ!」

 ユリカは喜びのあまりか、俺に抱きついてきた。

 「わっ!」

 バランスを崩した俺は、とっさに受け身をとった。
 ちょうどそこに、熱々の雑炊の入った土鍋が置かれていた。

 「うぎゃああああっ」

 「きゃーっ! アキトーっ!」



 結局俺は、医務室に行く羽目になった。
 食中毒ではなく、やけどになったが。

 「大丈夫……?」

 「何、すぐ直るわよ」

 イネスさんは自信たっぷりにそう言う。
 歴史って……意外に変わらんものなんだな……
 けどユリカ、お前、運がいいな……
 ひっくり返った雑炊、見事に俺にだけかかってたからな。
 まあ、その方がいいが……。







 翌日の昼前、ナデシコはテニシアン島に到着した。
 だが、はっきり言ってみんなの頭の中には……

 海!

 の一文字しかないのが見え見えである。
 前回調査の名目で上陸したクルーは、待機組からめいっぱい恨まれてたっけ。
 特に女の子がほとんど上陸組だったのに対して、整備班などはウリバタケさん一人だったから、後が大変だった事大変だった事……。
 だからといって全員が出払うわけにも行かない。真面目な話、チューリップは落ちているのだ。今回その辺はどうするのかと思っていたら……前と同じだった。
 ブリッジクルーとパイロット、後各部署のお偉いさんだけが上陸組である。
 ……考えてみれば当たり前か。
 ハルナも留守番組であった。

 「んじゃいってらっしゃいね」

 ハルナに見送られて、俺たちは上陸した。

 「まあ遊んできてもいいけど、調査はしっかりやってね」

 意外だったのは、ムネタケが待機組に残った事だ。
 口の悪い奴は、居残った愛人(ハルナの事だ)が目当てだと言っていたが、俺は何となく違う気がした。
 そして浜辺についたらついたで……やっぱり前と同じだった。
 リョーコちゃん達はパラソルを持って走り、ウリバタケさんは浜茶屋を出す。
 俺はのんびりと過ごす事にした。あの娘には会いたくないし。

 「あなたは遊ばないの?」

 そう声をかけてきたのは、エリナさんだった。

 「……何となく、ああいうのは苦手で」

 取りあえずそう言ってごまかす。

 「そう……一つ聞いていい?」

 そういえば、過去にも聞かれたな……。

 「あなた、どうやって激戦区の火星から脱出出来たの? 妹さんもだけど」

 「……さあ、俺にもよく分からないんですよ。俺の方が知りたいくらいで」

 「……知りたい?」

 なるほど、そう来るか。

 「いえ、どうでもいい事です。今の俺は、こうしてここにいるんだし」

 「実はね、あなたに協力して欲しい事があるの」

 「……なんですか?」

 そう言ったときだった。

 「こら〜っ! 密着しすぎ!」

 俺とエリナさんの間に、いきなりユリカが割り込んできた。
 おいっ、そう言うお前こそ密着しすぎだ! 2人とも水着なんだぞ!
 そう言うポーズだと、お前の胸が……。
 お前の……
 不意に、胸が苦しくなった。
 俺の内部で、二匹の獣が暴れ回る。
 かつてこの手にかき抱いた、ユリカの事を抱きしめたいと思う淫欲の獣と、
 殺戮に狂い、全身を血に染めた破壊の凶獣が。
 今の俺には、まだ……その資格は、無い……。

 「アキト!」

 「テンカワ君!」

 ユリカとエリナさんが、心配そうに俺の事を見つめている。

 「すまない……少し一人で休ませてくれないか?」

 「大丈夫……」

 案じてくれるのはうれしいが……今はその瞳が俺を苦しめる。
 俺は木陰で、一人横になった。



 しばらく寝ていたが、不意にたくさんの気配が生じたのに気がついた。
 薄目を空けてあたりを見わたすと、ゴートさんの姿がない。
 シークレットサービスが、動いたのか?
 俺はそっと起きあがると、森の中へと入っていった。



 ゴートさんはすぐに見つかった。そこかしこに銃弾の飛び交った後がある。

 「苦戦していますね」

 「……テンカワ! さすがに分かったか。あのシミュレーターをこなすだけの事はあるな」

 「そんなに凄いんですか、あれ?」

 今ひとつ実感のない俺は、敵の気配を探りながらそう答えた。

 「どうやって作ったのか知らんが……あのゲームは、全く現実と変わらないといってもいい。バーチャルシステムに催眠暗示を併用しているのかも知れんが、あれをクリア出来ればそいつはすでに一流の諜報員だといっていい。勘を鈍らせないためによく使わせてもらっているくらいだ。ナデシコは基本的に平和だからな」

 俺はふとハルナの事を思いだした。
 あいつ……本当に、敵なのか、味方なのか。
 敵ではないようだが……どうにも理解できん。

 「……手伝ってくれるのか」

 「殺さずにすむのなら……これ、クリムゾンのSSでしょ? ここ、確か会長の孫娘の島だったはずですが」

 俺の言葉に、ゴートさんは頷いた。

 「そのくらいは調べてあったか。その通りだ。だがどうも敵の動きが妙だ。襲っては来ているが……俺たちを追い出すにしては変な動きをしている」

 それは俺も感じていた。敵が一定ライン以上に踏み込んでこない。これは警戒線の維持を目的とした動きだ。

 「……虎穴に入ってみますか?」

 「そうしないと事態が分からん、か。仕方ない」

 俺たちは敵中に飛び込んだ。







 「ああ、誰か私と共に死んでくれる人はいないのかしら……」

 バルコニーから、美少女、と言っていい女性が芝居がかった声を上げている。
 いい加減にしてくれ、と俺は思っていた。なんであんな自己陶酔の激しい、自殺マニアの変人の命を守らにゃあかんのか、と。
 俺は、ヤガミ ナオという。クリムゾン……この馬鹿娘の爺が会長をしているグループ企業……のシークレットサービスをしている。
 どんなに対象が気にくわなくても仕事は仕事だ。ましてや今島にはその名も高きナデシコがやってきている。おおかた落ちてきたあの変な代物の調査でもしに来たんだろうが……何をトチ狂ったかお嬢様があれを保護している。
 よけいな事にならなきゃいいんだが、と思っていた俺の意識が、突然戦闘用に切り替わった。
 何者かが、建物周辺の部下を倒している。俺が気配を感じたとき、そこに変な物を見た気がした。
 パーティーなんかで見かける、円錐形の帽子だ……

 次の瞬間、俺は後頭部に衝撃を受けて倒れていた。幸い意識は保ったが、あえて倒された振りをする。
 俺を倒せば、屋敷へのルートが開くからだ。侵入者は誰にも邪魔されずにお嬢の所へいける。
 様子をうかがっていると、やはり相手はそのまま屋敷へ向かったようだ。その気配が屋敷にはいるのを感じると同時に、俺は起きあがってシークレットサービス用の隠し入り口から屋敷に入った。これで侵入者を逆に追跡出来る。
 俺は隠し通路を抜けて、お嬢の居る部屋の壁に貼りついた。いわゆる隠しスペースという奴だ。
 案の定、侵入者はお嬢に接触した。
 だが、相手の姿を見たとき、俺は口が開くのを止められなかった。

 ……なんだ? ありゃ。

 クリスマスパーティーを思わせる、円錐形の三角帽子。何故かでかでかと星が貼り付けてある。そしてその下から黒いストレートの髪が覗く。肩口で綺麗に切りそろえられた髪型からすると、相手は女か? いや、よく確かめてからだ。
 顔は……残念ながら仮面によって覆われている。横長の目に、十字型の隈取りを入れたピエロの面だ。ちなみに鼻は付いていない。
 かすかに見える瞳は、何故か金色に輝いていた。カラーコンタクトか? にしては変だが。
 そして胴体は腰のところできゅっと絞った紫色のローブ。胸のでかさからすれば、やっぱ女なんだろう。そしてその手に……バトンというかステッキというか、とにかく棒状の物を持っていた。三つ編み状のデサインの柄を持った布団叩き……それにしては装飾が多い。
 ええい、言いたくないがはっきり言おう!
 魔法少女の持っていそうなステッキを、奴はその手にしていた。

 ……変態か?

 おっと、お嬢も正気に返ったみたいだ。

 「あ、あなた……何者ですか? ここは私の家ですよ!」

 俺の居る位置はちょうどお嬢の後ろになる。そのせいでお嬢の顔は見えない。
 だが相当うろたえていそうだ。
 だが変態野郎……女だが……は、動じることなく、にっこりと微笑んだ、様に見えた。顔をマスクで隠してるから分からんがな。

 「はあぃ、私は寂しい夜を癒す、電子の魔法使いよ。悲劇の大好きなお嬢さん♪」

 俺は危うくこけそうになった。ここでこけると起きあがるのが大変なのだ。

 「魔、魔法使い?」

 さすがのお嬢もあっけにとられている。

 「そう、魔法使い。ご両親にもかまってもらえず、寂しい夜を紛らわすために、わざといろいろ奇態な振る舞いをして関心を取り戻そうとしていた、寂しい寂しいお嬢様を慰めるために参上した、電子の世界の魔法使いでございます」

 そのとたん、お嬢の動きがぴたりと止まった。

 「何故、それを……みんな、気が付かなかったのに……」

 おいおい、図星か?

 ……俺も変わり者だとは思ってたけど、一皮むけば、ただの寂しがりやのお嬢様?

 だったらもうちょっと素直になれって言いたいところだが……それじゃだめなんだろうな。
 悲劇のヒロインぶって、自殺未遂をかますまで追いつめられてるお嬢様だ。
 そうとう無視、というかほっとかれたんだろうな。
 そんな事より、この変態だ。こいつ、なんでこんなに詳しいんだ?
 電子の魔法使いって事は、ハッカーかなんかか?
 と、目の前の変態がまた何か言った。

 「お嬢様は悲劇がお好きなのですね。悲劇のヒロインのように、美しく死ぬのがお望みとか。でもお嬢様の考えているのは、悲劇でも何でもありませんわ。お望みならば、この私が、お嬢様に真の悲劇をお見せしましょう。そしてあなたは、そのヒロイン……死ねませんけど」

 「真の、悲劇?」

 お嬢が興味を持っている。さて、何となく興味はあるが、そろそろ出ないとまずいかな。
 だがこの位置じゃお嬢が邪魔だ。うまく動いてくれないかな……

 「おいやなら無理にとは申しません。しかし興味があるのなら、どうか、奥の部屋へ」

 お、しめしめ。
 お嬢が奥へ行ってくれればばっちりだ。
 俺は壁越しに銃を構えた。何、殺しはしない。
 隠し穴から狙いを定め……引き金を落とす。轟音と共に、弾丸が彼女に……なぬうううっ!

 弾は彼女に当たる寸前、何かに弾かれるように逸れた。
 同時に彼女が動く。正拳の一撃が、壁を突き破って俺のみぞおちに食い込んだ。
 同時に意識が遠くなる。

 「さすがね。でもまだ邪魔されたくないの。ヤガミさん」

 こいつ……何故俺の名を……

 しかも今のお前の位置からは、壁に阻まれて俺の顔は見えないはず……
 そう思いつつ、俺の意識は闇に消えた。







 私が奥の部屋へ行こうとした瞬間、激しい銃声と、大きな物音がしました。
 振り向くと、魔法使い、と名乗った女の人の手が、壁にめり込んでいました。
 衝撃で破れた壁の中から、男の人が倒れてきます。あれは、私の護衛をしてくれている人です。姿は見た事無かったですが、そう言う人がいるのは一応知っていました。

 「殺した……のですか?」

 私の虚飾……死にたがりは、あっさりと外れてしまいました。

 「いいえ、気絶させただけ。これから先の事は、まだあなた以外の誰にも見せたくないから」

 私だけ、ですか? それに……見せたい物? なんでしょう。
 奥の部屋……私の私室に来ると、彼女は奥に設置された端末に向かって、手にした杖を一振りしました。杖がきらきらと虹色に輝きます。
 そのとたん、端末が起動します……手も触れていないのに、です。
 まさか……本当に魔法使い?

 「びっくりした? でもこんなの序の口よ」

 そう言いつつ彼女は、どこから取り出したのか、一枚のディスクを私の端末に差し入れます。
 何かのプログラムが起動しました。
 端末のディスプレイに、何かの映像か映ります。
 これは……おじいさま?

 「まずはオードブルから」

 彼女が杖を一振りすると、次々といろんな映像が流れ始めました。
 最初は、テレビドラマかと思いました。
 だけど、途中でわたしは気が付いてしまいました。
 ドラマの登場人物は、すべてお父様の会社の人でした。
 この映像は、様々な角度から撮られた、おじいさまの仕事だったのです。
 それも、口に出すのもおぞましい……
 私は、体が震えてくるのが止まりませんでした。

 「びっくりした? これは監視カメラの映像がほとんどだから、よく分かんないと思うけどね。ま、ぶっちゃけた話、あなたのおじいさまがやっている、人にはあんまり言えないたぐいの仕事よ。でもね、こんな事くらい、大企業のトップなら誰だってやっている事。そんなの、悲劇の非の字にもならないわ」

 そう言いつつ、彼女が杖を振るいます。すると今度は、何かの会計資料のようなものが出てきました。

 「スープはこんなものかしら。これ、あなたの会社の裏帳簿。これもまあどこの企業でもやってる事だけど、ここに注目ね」

 彼女が示したのは、企業名リストでした。宇宙運送株式会社、とあります。

 「この会社、とっても運が悪いのよね。親会社からの発注で大量の物資を運んでいるんだけど、かなりひどい確率で木星蜥蜴に襲われて、積み荷がパーになってるの。グループが助けてくれなきゃ、とっくにつぶれてるわね」

 私は経営の事など何も分かりませんが、何が言いたいのでしょう。

 「ここのデータを見たって、まあ、怪しいところはないのよ。でもね、こういうメインディッシュを見せつけられちゃうとね……」

 再びビデオが写りました。写っているのはおじいさまです。
 おじいさまがなにやら操作をすると、一瞬映像がとぎれ、すぐに復帰しました。

 「今あなたのおじいさまは、監視カメラの映像をダミーに切り替えたのよ。でもオリジナルは何故かここに写っているのよね」

 それを聞いたとたん、私は気が遠くなりました。この人が嘘を言っていないとすれば……嘘をつく必要もなさそうですが……この人はおじいさまの会社の監視システムを完全に掌握している事になります。

 「さ、本当のメインディッシュよ。あなたの考えた悲劇なんか、ほんの些細なことであったことを、よーく思い知るのね。ちなみにこれはリアルタイムの映像よ。壁の時計を見てご覧なさい」

 彼女はそう言うと、再びディスプレイの方を指さしました。
 壁の時計は、紛れもなく今日の日時を示していました。時差の分ずれてますが、間違いありません。
 そのまま見ていると、おじいさまは壁の隠し金庫から、古い蓄音機のような奇妙な機械を取り出しました。
 それを操作すると、少しの雑音を伴って、ラッパの口のような所に映像らしきものが写りました。
 角度が悪いので、映像そのものは見られません。

 「音声は別回線で拾ってるからね。ちょっとずれるかもしれないけど」

 そして、おじいさまは映像とお話を始めました。



 「テニシアン島のカプセル、少々まずい事になりましてな」

 「ほう、何か不都合でも?」

 「いや、調査隊が来るとは思っていましたが、よりによってナデシコが来たのだ」

 「ナデシコというと、そちらの報告にあった?」

 「そうだ。あのネルガルが作った戦艦で、次元跳躍門を破壊出来る力を持っている奴等だ」



 「次元跳躍門?」

 私がそう口に出すと、彼女が説明してくれました。

 「チューリップの事だよ。蜥蜴や戦艦がわんさか出てくるあれ。見た目は今ここに落っこちてるのとそっくりだから分かるだろ?」

 私だってチューリップくらいは知っています。
 でも何故おじいさまはそんな名前でいうんでしょう。そして何故彼女はそのことを?



 「連合軍も本気と言う事か?」

 「いや、ナデシコは強力な割に疎まれているからな。やっかい払いみたいなものだ。だがそこに私の孫娘がいるとなると話が変わってくる」

 「ほほう」



 おじいさま……ちゃんと私の事覚えてくれたのですね。



 「育て方が悪かったのか奇怪な事ばかりする孫娘だが、身内は身内だからな。しかも落ちてきたカプセルを保護してくれと頼んで来おった。ま、馬鹿な孫もたまにはいい事をしてくれる。おかげで堂々とあれを保護出来ましたよ」

 「何とかと鋏は使いようと言う事ですか、ははははは」



 「あらあら、こりゃちょっと酷だったかしらねぇ……」

 私の心は、凍ってしまったみたいでした。
 おじいさま、私はあなたの、なんなのですか……



 「ネルガルも馬鹿ではないだろうから、別にうちの孫に関わろうとはせんじゃろう。しかしナデシコで最近、妙な兵器が開発されたらしくてな。機動兵器に使えるくせに、戦艦を破壊出来るほどの威力がある。今調査中だが、あんなものを量産されたら、少々戦略を変える必要が出て来ますぞ」

 「ほほう、それは貴重な情報をありがとうございます」

 「データが手に入り次第、そちらにも送ろう。そう言えば例の計画はまだ?」

 「いえ、ほぼ実用レベルに達しました。じきに直接あなたにお目にかかれる日も来るでしょう」

 「ネルガルも生体跳躍の実験を続けているようだが、今のところ芳しい成果は上がっていないようじゃ」

 「ふん、地球の愚民共に生体跳躍など、所詮無理な話……おっと失礼、言葉がすぎましたな。謝罪いたします」

 「いえ、結構。その程度の事で腹を立てたりはしませんよ。あなた方の苦難を思えば、これしきの事」

 「ご理解、嬉しく思います。そうそう、過日の補給物資、ありがたく受け取らせていただきました。感謝いたします」

 「いえ、あれは商売ですよ。見返りのほうもよろしく」

 「それはもちろん……おっと、もう時間がありませんな。では今日はこれで」

 「ではまた」



 おじいさまは機械のスイッチを切ると、元のように隠し金庫に納めました。

 「ふん、木連どもめ。なかなか肝心のものは渡そうとはせぬか……まあ、あわてる乞食はもらいが少ないとも言うしな」

 そう言って別のスイッチを操作すると、また一瞬映像がとぎれ、すぐ元に戻りました。
 ダミーを解除したのでしょう。
 それを見届けた私は、脇にたたずむ魔法使いに問いかけました。

 「今のお話は、なんなのですか……?」

 「木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家反地球共同連合体……略称、木連……平たく言えば、蜥蜴の元締めね」

 「それって……」

 「先に言っておくけど、相手はれっきとした地球人よ。歴史の中から抹殺された、悲しき放浪者の末裔。蜥蜴たちの背後には、彼らがいるのよ」

 「それじゃ木星蜥蜴は……異星人の侵略なんかじゃないんですね」

 私は何故か、彼女が嘘を言っていない事を確信しました。

 「何故彼らがそんな事になったのかは……ファイルにまとめて置いたわ。興味があるならご覧なさいな。それがデザートよ。これに比べたら、あなたの考えてる悲劇なんて、軽い軽い♪」

 おどける彼女の態度とは裏腹に、その声は悲しみに満ちていました。

 「そしてね、あなたのお爺さんは、彼らと裏で取引をしている……」

 そのことはいくら私が、その……あまり優秀とは言えなくても、理解出来ます。

 「さっき見せた帳簿の会社は、彼らに物資を提供するためのダミー。ま、ほかにもいろいろやっているわ。会社を大きくするためには必要な手段なのかも知らないけどね、ちょっと悪どすぎるわ。あ、木連だって悪い人ばかりじゃないのよ。ファイル読めば分かると思うけど。さて、そろそろ長居も出来ないから行かなきゃなんないけど、これをあげるわ」

 そう言うと彼女は私に3枚目のディスクを渡しました。

 「今入っているディスクを使えば、あなたはクリムゾンのすべてを見ることが出来る。オンラインに限るけどね。2枚目は『木連』の資料。そしてこの三枚目は、パンドラの箱。このディスクを立ち上げ、あなたの名前を入力した瞬間、クリムゾングループはあなたのものになる」

 「あの、それって……」

 私が聞くと、彼女はこともなげに言いました。

 「これを起動した瞬間、あなたはクリムゾングループの株、その51%を所有する事になる。あなたの手持ち分と合わせてね」

 「え……」

 確かに私名義の株がある事は知っていますが、それと合わせて51%……。
 つまり彼女は、私がその気になればいつでもクリムゾンを乗っ取る事が出来るというのです。

 「どうするかはあなた次第。何も知らなかった事にするも結構、おじいさまにこのことを告げるのも結構。自分で自分の思った通りにしなさい。ただ、一つだけ忠告しておくわ。あなたのお爺さんは、たとえあなたといえども、このことを知った人物を生かしておく人じゃない。油断していると、あなたを守ってくれている人が、あなたを殺す人に早変わりする事になりかねないわ。親に裏切られ、殺される……悲劇のヒロインとしては理想的かもしれないけどね。忘れたかったら、さっさとすべてのディスクを処分してしまう事をおすすめするわ。あ、後もう一つ」

 彼女が杖に触れると、そこから一本のひもみたいなものが現れました。それを彼女が握りしめ、その手が開くと……見事な細工のブローチが、そこにありました。

 「この資料を見るときには、このブローチをしておきなさい。もしこのブローチが震えたら、資料をすぐ閉じる事。要は覗き屋に対する警報機みたいなものよ」

 「はい」

 何故か私は、素直にうなずいていました。
 ディスクは、ブローチと一緒に宝石箱の中に隠します。

 「おっと、そろそろお客さんが来たみたい。じゃあ、また会いましょう。いつかあなたが、素敵なレディになって、寂しい夜を過ごさなくてもよくなったら、ね」

 そう言い残して、彼女はバルコニーから消えていきました。
 その直後、誰か男の人の声がしました。







 「変ですね、ゴートさん」

 「うむ……」

 俺とゴートさんは、思いっきり戸惑っていた。
 一線を越えた後の敵が、すべて倒されていたのだ。

 「これは、別口が来ていたかもしれないな」

 「別口?」

 俺の問いに、ゴートさんは軽く頭を下げながら答えた。

 「上空から見た限り謎のチューリップのほかに異常はなかったが、侵入の手段などいくらでもある。取りあえず、館まで行ってみよう」

 そして俺たちが館に行ってみると……そこにいたはずのSSは、やはりすべて倒されていたようだった。

 「怪我はたいしたこと無い……見事に落とされているだけだ。どうします?」

 「悪いがこいつらは放っておこう。我々も侵入者には違いないからな」

 俺たちはお互いにうなずき合うと、そのまま館の玄関に向かった。
 そこで俺は一計を案じる。

 「ゴートさんはここに隠れていてください。俺は見ての通り一般人の格好をしています。堂々と正面から尋ねても、別に怪しまれないでしょう」

 「十分怪しい気もするが」

 「道に迷ったと言えば大丈夫でしょう。変な男がいっぱい倒れているけど、何かあったとも」

 ゴートさんは渋々ながら納得した。
 そして俺は正門のところに行き、大きな声を張り上げた。あまり会いたくはないのだが……

 「すみませーん、誰かいませんか〜」







 「すみませーん、誰かいませんか〜」

 私はその声を聞くと、表に出ようとしました。

 「ま……て……」

 それを誰かが止めました。そちらを見ると、さっき壁の中から出てきた人が、私の事を見ています。

 「すみません、大丈夫ですか!」

 私が彼を抱き起こすと、意外にしっかりした様子で、彼は立ち上がりました。

 「ああ、もう大丈夫です。無様なところをお見せしてしまいましたね……お嬢さんは?」

 「私は何ともありません。あの方ももう行ってしまいました」

 彼は心配そうに私のほうを見つめています。

 「変な事は……されていませんか?」

 「いいえ……意外と紳士でしたよ。あ、女の人だから淑女ですか?」

 私がそういうと、怪訝そうな顔をしています。

 「一体、なんのために……」

 「さあ、私にもさっぱり。部屋の様子を眺めると、そのまま行ってしまいました。変なものを仕掛けるようなそぶりもありませんでしたよ。あ、チューリップがどうとか聞いていましたけど、なんの事か分かります?」

 私はとっさに嘘をついていました。我ながらこんなにすらすらと嘘が言えるなんて、ちょっと驚きです。

 「チューリップ……あっちがらみか。こりゃ殴られ損かな。まあ、なんにせよ、お嬢さんに何もなくてよかった」

 そういって照れるあたりは、なんか好感の持てそうな人です。
 その時でした。

 「お前かっ!」

 パーカー姿の若い男の人が、血相を変えて目の前の護衛の方に殴りかかってきます。
 護衛の方は、何とか受けたみたいですが、それでもかなり派手に吹き飛ばされていました。

 「あなた、何者ですか! 人の屋敷に断りも無く入ってきた上、私の護衛の方を殴り飛ばすとは!」

 私が思わずそう叫ぶと、相手の方の動きがぴたりと止まりました。

 「え、護衛……?」

 「そうです。私はアクア=クリムゾン、この屋敷の主です。そしてあなたが吹き飛ばしたのは私の護衛をしてくださっている……えっと……」

 私はここにいたって、護衛の方の名前を知らない事に思い至りました。

 「ヤガミだ。ヤガミ ナオ。このお嬢様の護衛のリーダーを勤めている。もうすぐ過去形になりそうだがな」

 「そういう事です。あなたは何者ですか! 名前を名乗りなさい!」

 私はここぞとばかりに男の人に言いました。

 「あ、俺は……テンカワ アキト。今ビーチに来ている、ナデシコのコックをしています」

 「嘘こけ……ナデシコのテンカワ アキトなら、腕利きのエステバリスのパイロットだという話だぞ?」

 ヤガミさんがそう補足してくださいました。

 「ああ……一応そっちもやってますけど、コックも兼任です」

 何となく……嘘を言っているようには思えませんでした。

 「まあ、その辺の事は結構です」

 私はそういって、改めてテンカワと名乗った男の方を向きました。

 「何故あなたは中に入ってきたのですか?」

 「いえ、その……心配になったので」

 「心配?」

 私は不思議に思いました。何故見知らぬ私の事を?

 「ええ、実は森の中で道に迷ってしまいまして……そのうちに館が見えたので道を聞こうと思ったのですが、途中何人も黒服の男の人が倒れていて……で、館に着いてみたら同じ様な状況の上、声をかけても返事が無いものですから、強盗にでも襲われているんじゃないかと……」

 ああ、そういうわけですか。確かに声をかけられたとき、それを無視してしまったのは私ですね。

 「分かりました。誤解だったみたいですね。賊が侵入したのは確かですが、その方はこのヤガミさんが追い払ってくださいました」

 そういうとテンカワさんは顔を真っ赤にしてヤガミさんに頭を下げました。

 「そうだったのか……勘違いしてすまない」

 「いや、いい。間違いは誰にでもある……ま、もしわびがしたいって言うなら、俺の希望を聞いちゃくれねえか?」

 ……? 何が望みなんでしょうか、ヤガミさん。

 「たいしたことじゃない。質問が一つある。お前の船に、黒髪を肩口で切りそろえているグラマーな女はいるか? 背丈はお嬢様くらいだ」

 それを聞くと、テンカワさんは目をぱちくりしていました。



 ヤガミと名乗った男からの質問は、俺を戸惑わせた。
 黒髪を肩口で切りそろえている、グラマーな女……当てはまるのはエリナさんだが、なんでここで彼女の話が出る?
 俺は少し考えて、こう答えた。

 「心当たりはあるが……何故そんな事を聞く?」

 「そいつが侵入者だからだ。変な仮装をした、黒髪で胸のでかい女。まあ顔は隠していたし、変装かもしれんが、取りあえず手がかりがそれだけなんでな」

 俺は首をひねった。エリナさんにそんな事をするいわれはない。第一彼女にここのSSを倒す事など不可能だ。俺以外にそれが出来るのは、ゴートさんと……プロスさんにも出来るかもしれない。

 「だとすると偶然の一致だな。ナデシコにいる彼女には、そんな真似は出来ない」

 「嘘はついていないみたいだな」

 ヤガミは俺の言葉を信じたようだった。

 「まあ、ダメ元だからな。いいって事よ。もう一つ、お前……かなり出来るな。今すぐとは言わん、縁があったら一度立ち合いたい。一対一でな。それを約束してくれ」

 「敵味方に分かれていなければいいですよ。確約は出来ませんが」

 俺はそう答えた。目の前のヤガミという男からは、この手の工作員特有の腐ったような気配があまりしない……基本的にまともな男なのだと言うことが何となく分かる。基本的に武人気質なのだろう。生きるためと言うより、戦いたいがためにここにいるのかもしれない。武を修めた人間にはままある事だ。

 「なんにせよご迷惑をおかけしました。すぐに失礼いたします。あ、道は教えてください。また迷いたくはないですから」

 そういって俺がこの場を去ろうとしたときだった。

 「あの、テンカワさん、あなたは腕利きのパイロットでもある、そうなんですよね」

 脇の彼女……アクアがそういってきた。その時俺は初めて気がついた。

 (なんか……前に比べてまともっぽいな)

 今目の前にいる彼女には、昔味わった偏執狂的な雰囲気がなかった。

 「あなた方は、あの裏に落ちたあれを調べに来たのですよね」

 「ええ、一応」

 隠す事でもないと思い、正直に答える。

 「ならお願いいたします。あれを破壊してください」

 俺は内心驚いた。前回あれを保護していたのは彼女なのに。

 「あれを最初私は天からの使いかと思っていましたが、こんな事になって、それが間違いだと知りました。あれは忌まわしきものです。かまわないから破壊してください」

 本気で俺は驚いた。あのアクアがまともな事を言っている。本当に何があったんだ?

 「取りあえず調査してからになると思いますが、危険ならそうします」

 「お願いします」

 俺の答えに、彼女は深々と頭を下げた。
 俺は黙って、この場から立ち去った。



 「……で、お嬢さん、ホントは何があったんですか?」

 テンカワが去った後、俺はお嬢にそう聞いた。
 間違いなく、あの変態女との間に何かがあった。そうでなければあのお嬢がこうも変わるわけはない。
 肉体的・精神的な危害は加えられていない、と俺の勘は告げていたが、それに頼るわけにもいかない。
 だが、お嬢はそんな俺に対し、うっすらと笑みを返してきた。

 「もうしわけありませんが……それは言えません。言えばあなたにも呪いが降りかかります」

 「の、呪い〜〜」

 俺は一瞬本当にお嬢がイっちまったのかと思ったが、お嬢の目は正気だった。

 「そう、呪いです。彼女は本物の魔法使いでした。私を逃れようのない呪縛にかけていったのです」

 そして改めて俺の方を見る。

 「ヤガミさん、お願いします。部屋をかたづけた後、今夜私を一人にしてください。絶対に誰も私に近づいてはいけません。たとえ嘘をついても、今の私にはそれが分かります……魔女の力で。お願い、いえ、これは命令です。絶対ですよ」

 その異様な迫力に、俺は思わずうなずいていた。
 それと同時に、俺をこの世界で生き延びさせてきた直感が告げている。
 今のお嬢に逆らうのはヤバい、と。







 結局俺とゴートさんが戻ってきたのは、お昼直前であった。
 俺に気がついたリョーコちゃんとユリカがこちらに駆け寄ってくる。

 「おいテンカワ、どこで油売ってたんだよ」

 「そうよアキト、元気になったら一緒に泳ごうと思ってたのにいないんだもん……ん?」

 なにやらユリカが鼻をひくひくさせている。

 「あれ、なんか変な匂いがする……火薬っぽいのと……女物のコロン! ア〜キ〜ト〜、まさか浮気してきたんじゃ……」

 な、なんて鋭いんだ……。アクアのコロンの移り香でもしたか?

 「ん?……おい艦長、このコロン、ハルナのだぞ。この油っぽい柑橘系、覚えがある」

 「ん、なんだ……ハルナちゃんか……って、ちょっと待ってよ! ハルナちゃんはお留守番してるんでしょ! アキト、まさか妹とよこしまな事とかしてないでしょうね……」

 「するかっ!」

 そう叫びながらも、俺はまた違和感がわいてくるのを感じていた。何故ハルナのコロンが?
 その疑問に答えるため、俺はルリちゃんを呼んだ。

 「取りあえずアリバイだ! お〜い、ルリちゃ〜ん!」

 「なんですか、アキトさん」

 程なくルリちゃんがこっちへやってきた。

 「ちょっとすまないが、ハルナを呼び出してくれないか?」

 「いいですけど……」

 首を傾げながらも、ルリちゃんはコミュニケを操作して思兼とリンクした。

 「ハルナさん……お風呂入っていますね。連絡は出来ません」

 なんだ、ちゃんといたか……。
 疑問は残ったが、それは後で直接問いつめてみよう。ユリカ達の前ではそんな話は出来ない。

 「ほれ。という事だが」

 「ごめーん、アキト」

 「妹にまで焼き餅焼くな」

 そうたしなめて、俺は浜辺へ向かった。

 「おーいアキト、早くしろ! みんなが待ちかねてるぞ!」

 そういえば昼食の当番は俺だったっけ。
 取りあえず俺は疑問はほっぽり出して、昼飯のバーベキューに専念する事にした。



 ご飯の後にはお仕事が待っている。俺たちはエステに乗り、例のチューリップの近くまで行った。
 しっかり周囲にクリムゾンのバリアが張ってある。

 「固いな……」

 アカツキの空戦フレームからの攻撃も、ものともしない。

 「どうすんだ、これ」

 「全然攻撃が効かないよ〜」

 「連勝したサッカーチーム……かちかち……」

 ……イズミさんは置いといて。

 「ウリバタケさん、あれ、出来てます?」

 「おう、なんとかな。お前のエステには組み込んである。俺とイネスさん、ルリちゃん、後ハルナの努力のたまものだ。だがな」

 ウィンドウの中で、意地悪く微笑むウリバタケさん。

 「もう二度とこの間みたいな無茶をしないって約束しないと起動コードは教えてやらん」

 ……心配かけてたかな? まあいい。

 俺は素直に了解した。

 「だとよ。みんな聞いたな!」

 「聞いたよ、アキト!」

 「約束、ですよ」

 「……もう、あんな怖い事しないでください」

 「無茶はすんじゃねーぞ!」

 「私もあなたの死体を解剖したくはないわ」

 「今料理人が減ると困るんだけどね」

 そのとたん浮かび上がる、無数のウィンドウ……。
 そして最後に、オペレーター席に座るハルナのウィンドウがドン、と出現する。

 「以上、みんなの総意でした! お兄ちゃん、今度やったら許さないからね!
 お兄ちゃんは、こんだけたくさんの人に慕われてるんだよ!
 こんだけいっぱいのみんなが、お兄ちゃんに死んで欲しくはないんだよ!
 そこんとこしっかり、肝に銘じておく事! あ、後宜しくね、ルリちゃん」

 ……やれやれ、完敗、か。

 「降参です……約束しますから、コード教えてください」

 「おし、分かったようだな!」

 してやったりという顔をしている。
 まあ、その通りだしな。

 「で、コードのほうだが、リミッター解除と同じだ。そうすると自動的にモードが移行、ジェネレーターをオーバードライブさせる。結果、3分ほどしか持たないが、その間はフィールド出力が5倍に跳ね上がる。名付けて『バーストモード』だ。だが3分経つとジェネレーターを緊急冷却するから、以後しばらく、そのモードは起動出来ない。メンテもいるから、事実上連発は不可能だ。ま、今回は平気だろうがな。そうそう、こいつとハルナが改良したプログラムを併用すれば、リョーコちゃん達でもDFSを使えるぞ。アキトほど自在とは行かないがな、武器としてはいける。まあ、まともに使えるのは居合いの出来るリョーコぐらいだろうけどな」

 「お、それはうれしいねえ」

 リョーコちゃんが相槌を打つ。

 「ま、さっさとやっちまいな。お前ならあのぐらい屁でもないだろ」

 「了解」

 そうして俺は、チューリップの近くに陣取った。
 このチューリップは、特に攻撃はしてこない。

 「みんなは下がっていてくれ。これだけ強力なバリアを力ずくで粉砕するとなると、かなりの衝撃が出ると思う。ナデシコもディストーションフィールドを強化しておいてくれ」

 「了解、アキト」

 すべての準備が整ったのを見届け、俺はコードを入力した。

 「リミッター解除、ゲージマキシマム……バーストモード、発動を確認」

 アサルトピット内に、かすかなうなりが聞こえる。限界以上のエネルギーを流し込まれたフィールドジェネレーターが、きしるような悲鳴を上げている。
 そして俺はIFSを通じて、エステバリスを覆うディストーションフィールドを、右手の筒の中……DFSの中に押し込んでいく。この感覚を理解しないと、DFSは使いこなせない。DFSは独立した武器ではなく、フィールドを変形させるオプションパーツにすぎないのだ。筒に押し込まれたフィールドは、発散を筒と同軸のリング状に制限される。これによって、筒の先端から棒状のフィールドが形成される。起動中このイメージを保ち続けるのは、かなり難しい。普通のパイロットではどちらか一方になってしまうだろう。
 俺はフィールドの約80%を筒に押し込んだ。これで通常の防御力を保ちつつDFSを振るえる。
 俺はイメージを集中して、『剣』の長さをのばした。200メートルほどに伸びた、白ではなく、真紅の刃が出現する。
 気合いと共にそれを振り下ろすと、チューリップはバリアごと一刀両断された。
 同時にすさまじい衝撃波が発生する。
 俺はDFSの刃を元に戻し、すべてを防御につぎ込んだ。
 反動で天高く打ち上げられたものの、エステと強化されたフィールドは、見事この衝撃に耐えきった。
 通信を再接続し、報告を入れる。

 「任務、完了。これより帰還する」

 ウィンドウの向こう側に、歓声が上がっていた。

 「ご苦労様。さすがね、テンカワアキト」

 一番の祝福が、何故かムネタケだったのが、なんか興ざめであったが。







 帰還した俺は、再び密談モードでルリちゃんと話をしていた。
 もちろん内容は、昼の一件だ。

 「なるほど、謎の人物がアクアさんを襲って、その人物が黒髪ショート、スタイルよしの女性というわけですか……」

 「ああ、最初エリナさんかと思ったんだが、彼女にそんな事をする動機も理由もないしな。で、別口かと思っていたら、リョーコちゃんが気になる事を言うし」

 「ハルナさんのコロンですか。まあ、一応調べてみます。でもさすがに違うと思いますよ? ハルナさんの髪の毛、あれだけの量があったんじゃ、かつらに押し込むのは無理です。一緒にお風呂に入った事もありますから、普段の髪が地毛なのは間違いないですし」

 「まあな。俺もいちいち疑いたくはないが、なんか引っかかってね……」

 そこで俺は通信を切った。
 今回は三人の毒料理の夜襲もなかった。
 今夜はゆっくり眠れそうだ……。







 ナデシコが飛び立つのを見届けた後、私は宝石箱から、例のブローチを取り出して胸に付けました。
 そのとたん、ブローチがかすかに震えます。
 私は何食わぬ顔で居間に戻ると、大きな声で言いました。

 「約束したはずですよ。今夜は一人にして欲しいと」

 すると、壁の一部が音もなく開きました。

 「あらら、ばれましたか。こりゃホントですね……」

 「ヤガミさん……」

 出てきたのは、ヤガミさんでした。やっぱり、気になっていたのでしょう。

 「迷惑かけてごめんなさい……でも、お願いします」

 「それほど、大切な事なんですか?」

 そういうヤガミさんの声には、心底私を心配してくれる響きがありました。
 でも、心を鬼にしていいます。

 「そうです。今日は近づかないでください」

 「分かりました。仕方ないですね。退散しますよ」

 そういってヤガミさんは部屋から出ていきました。
 私は改めて私室に戻ります。ブローチの反応を確認して、宝石箱からディスクを取り出しました。
 二枚目のディスクを端末に入れます。
 そして画面に現れたのは、何かの記録でした。
 私はそれを食い入るように読みふけり……あふれる涙を抑える事が出来ませんでした。
 そのファイルに書かれた文章は、決してどちらの側に偏る事もなく、またあえて双方に偏った視点を交え、客観的に事実を叙述していました。
 そこには、私の想像を超えた悲劇がありました。
 創作だとは、絶対に思えませんでした。もしこれがすべて誰かの創作なら、私はこの作者に対する呼び名は、一つしかありません。

 ……悪魔、です。

 読み終えたとき、あの道化の仮面が、私にこう語っているような気がしました。
 さあ、あなたはこれを知った。どうするの、あなたは……。
 そして彼女は、私に『力』を残してくれました。ただの傍観者ではなく、この事態を動かせるだけの『力』を。
 だけど、私は同時に悟りました。今の私には、まだこれを使いこなす事など出来そうにありません。
 実際におじいさまの立場……総帥の立場に立てるだけの実力と見識を身につけねば、これを使いこなす事など無理でしょう。
 私は今までの自分の怠惰を悔やみました。
 その気さえあれば、私はいくらでも望むものを手に入れられたはずです。
 それだけの恵まれた立場にいるのですから。
 ですが私は、それをあんな無駄に費やしていたのです。
 私はディスクを元通りにしまうと、ヤガミさんを呼びました。
 彼はすぐやってきてくれました。

 「なんですかい、お嬢さん、近寄るなって言ったり、かと思えば呼び出したり……」

 「ここを出ます。学校に戻る手続きをしてください」

 「へっ?」

 ヤガミさんが驚いています。そりゃそうでしょう。私は学校から逃げるように出てきたのですから。

 「一刻も早く復学出来るようにしてください。お願いします」

 「は、はあ……」

 「もう私は、寂しい夜を過ごす事はありませんから」

 怪訝そうな顔をして出ていくヤガミさんを見ながら、私はあの不思議な魔法使いさんの事を考えていました。
 何故、あなたは、こんなものを私に託したのですか?







 「見つけましたよ、ハルナさん」

 私はその時、きっと嫌な嗤いを浮かべていたと思います。
 深夜の当直番。ブリッジで起きているのは私一人です。
 いつもならミナトさんかエリナさんがいるのですが、2人とも泳ぎ疲れて爆睡中。
 ジュンさんも艦長席で船をこいでいます。
 そして私は、念のためにハルナさんの行動を調べていました。
 一見したところ、怪しいところは何もありませんでした。
 ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、ごく普通の日常生活をしています。
 私が疑ったのは、お風呂でした。
 実はお風呂……特に女湯は、数少ない、思兼の目の届かない空間です。
 トイレと並んで、監視カメラをおくわけには行かない場所ですし。
 そして昼間、ナデシコにいた女性はハルナさんとホウメイさんの2人だけ。
 つまりハルナさんが何かしたのなら、このお風呂に入っているはずの時間しかありません。
 お風呂といえども、映像データこそありませんが、侵入者よけの各種センサーはさすがにセットされています。
 こちらのデータも、ハルナさんが一人でお風呂に入っている事を示していました。
 普段ならここで引きますが……もう一つ念を押してみたら、これが大当たりでした。

 ナデシコ内部の水のデータです。

 ナデシコは宇宙戦艦ですから、物資の管理には大変気を遣います。リサイクルシステムが完備しているとはいえ、無い袖は振れません。相転移エンジンの供給してくれる莫大なエネルギーを持ってしても、物質創生は夢の夢です。
 その中でも水と空気は乗務員の生命線です。当然、厳密に管理されています。特に水は電気分解によって酸素が取り出せますし、漏れて電装系にダメージを与えたりすれば致命的ですから、圧縮酸素と並んで特に厳重な管理がなされています。お風呂の配管から漏れた水がナデシコを破滅的な事態に追い込む事さえ考えられるのですから。
 そしてナデシコのお風呂に取り付けられている水量センサーは、ハルナさんがお風呂に入っているはずの間、風呂桶の水量が微動だにしていない事を示していました。

 これはいくら何でも変です。

 念のためシャワーの使用量もチェックしてみましたが、こちらもごく微量。女性一人が入ったにしては少なすぎます。時間枠を拡大して調べてみた結果、ちょうどアキトさんがゴートさんとドンパチしていた頃、ハルナさんはお風呂場から姿を消している計算になりました。その前後には、間違いなく入浴していた痕跡が残っているのにです。
 これを論理的に説明出来る答えは、私の知る限り一つです。
 お風呂場から姿を消す事が出来るという事は、ボソンジャンプも出来るとしか思えません。
 ハルナさん、あなたは単なる逆行者じゃありませんね。
 何かの意図を持って、思兼の目すら欺いて、何かの活動をしているのですね。
 でも、今は黙っていてあげます。
 今、アキトさんに、これを教える事は出来ません。
 それは、アキトさんがユリカさんに自分の事を話さないのと一緒です。
 今のアキトさんには、すべてが重すぎます。
 みんなを支える事に一生懸命なアキトさんにこの事実を伝えたら……さすがに倒れてしまいます。
 また、イネスさんの話が事実である以上、あなたの寿命が縮んでいく事は間違いないのですから。
 あなたの意図を確かめるまでは、大人しくだまされていてあげます。
 命がけであなたがしようとしている事が何なのか、それを確かめるまでは。



 「でも……もしアキトさんを裏切ったら、その時は容赦しません。

 いかなる理由があろうとも、私はあなたを
殺します。

 たとえこの手を
に染めようと、アキトさんがいやがろうと、

 私はあなたを、絶対に
許しません……」



 「ん……ルリちゃん、なんかあった?」

 おっと、声が出ていたみたいです。ジュンさんを起こしてしまいました。

 「いいえ、異常ありません。ゆっくり寝ていても平気ですよ」

 「ごめんごめん、起きてなきゃいけないのに」

 「気にしないでください、私、少女ですから」

 しれっとした顔でジュンさんに優しい言葉をかけます。ジュンさんはそれを聞いて安心したのか、崩れるように寝てしまいました。
 責任感の強いジュンさんが寝てしまうんですから、やっぱり疲れていたんですね。
 でも、あんな事を考えていながら、こういう事が出来るなんて。



 ……私、嫌な女ですね。



  次回 気がつけば「オタク族」……アキトさんはそんなんじゃありません!……につづく。








 あとがき。

 10話です。本編とも時ナデとも別物(笑)。
 新キャラ、謎の魔術師登場って……アンタは黒騎士(by聖戦士ダンバイン)か!
 どう見ても正体バレバレ。その割に姿が変ですが。
 これは作者のミスディレクションなのか? それとも別の理由なのか?
 その辺は後々をお楽しみに。

 でも、ついにルリちゃんにバレました。執念の勝利!
 おかしいな……まだバレないはずだったんだけど。
 でもルリちゃん……怖い。
 あくまでも「いい方」にのみキャラを壊していた作者ですが……
 やっぱりこれも時ナデだったか。

 それでは「寂しい夜」に、この話をお届けします。
 でも次回、我ながらなんてタイトルなんだ。
 話はまともなはずなんだけど……。

 

 

 

代理人の感想

 

・・・・人の執念か(爆)。

 

それにしても

やっぱりこれも時ナデだったか。

と言われてしまうあたり、某人物がどう思われているかが一目瞭然で、

彼が不憫に思えてなりませぬ。

 

・・・まあ、自業自得なのは否定いたしませんが(爆)