再び・時の流れに 
〜〜〜私が私であるために〜〜〜



第12話 あの「忘れえぬ感覚」……これが、人間……



 シャアアアアア……。

 シャワールームで、自分以外の人物がシャワーを使う音がする。
 あーあ、とうとう一線を越えちゃったわね……。
 後5年の命と知って、情にほだされたかしら。
 あんな若い愛人なんて、アタシには似合わないんだけど。
 ま、すんだことは仕方ないわね……



 「ね、タケちゃん」

 この小娘はアタシのことをこう呼ぶ。今ではもう慣れちゃったけど、最初は面食らったものよ。
 小娘は素肌にバスタオルを巻いたままという扇情的な姿で私の横に腰掛ける。ちょっと、私はそんなに若くはないのよ。10代のエロ餓鬼と一緒にして欲しくはないわよ。

 「お願いがあるんだけど、聞いてくれない?」

 「何よ、一体」

 小娘のお願いには、あんまりいい思い出はないのよね。徹夜でゲームに付き合わされたりとかだから。
 けどその日の『お願い』にはさすがにアタシもびっくりしたわ。

 「あたしとお兄ちゃん……しばらく連合軍で引き取ってくんないかな」

 「な、何を言うのよ」

 「ん……て言うかさ、どうもばれたくさいんだよね、お兄ちゃんのこと、連合軍に」

 ……ありそうな話ね。でもあんた、一体どこでそんな話を仕入れてきたのよ。
 あたしがそこを指摘すると、小娘はいやいやながら、訳を教えてくれたわ。

 「実はさ……あたしって、裏の世界じゃそれなりに名の知れたハッカーなのよね。で、ちょっとお兄ちゃん周りの情報を調べてみたら、アメリカやオセアニアの軍部がお兄ちゃんの情報を集めているみたいなの。これって、どう見てもバレかかってるよね」

 あんたがハッカーね……ま、よく分からないけど、ナデシコの思兼を扱えるくらいなら、そのくらい軽いんでしょうね。

 ……まあ、今まで持った方だとは思うわよ。あのルリとかいう子が一生懸命記録を改竄していたものね。
 あたしもこの点は協力していたし。

 「なるほどね……で、なんでそれがあんた達兄妹を売る話になるの?」

 「うーん、なんていうか、ここだけの話、そっちも危ないけどそろそろネルガルもヤバいのよね。エリナさんなんか、あたしを見る目つきが実験動物になってきてるし。でも今のうちなら、こっちから売り込めそうだから。なーんていうのかな……このまんまヨコスカあたりへ行っちゃったら、ネルガルの研究所から出てこれなくなりそうな気がするし、かといって連合軍に徴兵されちゃったら、お兄ちゃんが切れそうだし。お兄ちゃん、軍隊嫌いだもんね」

 確かにテンカワアキトの軍人嫌いは重症ね。それは分かるわ。

 「でさ、このまんまで行くと実験動物か徴兵かの2択になりそうなのよ。そうならないうちに手を打ちたいの。一番ベストなのは連合軍がお兄ちゃんを徴用すること。徴兵じゃなくって、民間企業からの出向って形にして軍籍には入れない……かな」

 そりゃまたずいぶん都合のいい形式ね。その場合、軍に対するテンカワアキトの立場は民間の協力者になるから、人事権や命令権が発生しない……何かを強制は出来ないってことになるわ。
 もっともこれは工作次第で何とかなるわね。テンカワアキトを自分の支配下におけば、そいつは絶対的な力を握れるけど、逆にいえばそれをよしとしない人間もまた多いしね。野心あふれるお偉方は、テンカワアキトに対する命令権を自分以外の誰かに渡すのはいやでしょうし。となればむしろ誰にも渡さない方が安心できるってものよ。うん、そう考えれば、何とかなるわね……でもその場合、需要と供給がマッチしないとダメよ。ネルガルも納得させなきゃならないし。今の段階じゃまだ無理ね。

 「気持ちは分からないでもないけど、時期が早いわ」

 「うーん、まだ早いか」

 ほっ、納得してくれたかしら。

 「じゃさ、探り入れといてくれない? この形式でお兄ちゃんを受け入れてくれるところ。最前線で猫の手も借りたいところなら何とかなるんじゃない? 西欧かアフリカがいいな。極東じゃ意味がないし、アメリカやオセアニアはなんかきな臭いから」

 はいはい、西欧かアフリカね。でもいい読みよ、それ。特に西欧はかなり苦しいから、その条件をのむ部隊の一つや二つありそうね。

 「……やれやれ、根回ししとけばいいんでしょ。やっといてあげるわよ」

 「ありがとタケちゃん、これでお兄ちゃん、ヤバくなっても逃げられる」

 こら、そんな格好であんまりひっつかないで!



 ……私もまだ若かったのかしら。ついその気になっちゃったわ。

 けど軍の情報部もなかなかやるわね。あのホシノルリの目をかいくぐってテンカワアキトの情報を手に入れるとは。
 アタシも用心しましょ。







 「……情報流したのもあたしだったりして」







 俺はイネスさんの元を訪れていた。用件は……ハルナのことだ。
 俺がそれを切り出すと、イネスさんは深々とため息をついた。

 「そう、ハルナちゃんがあたしに聞けって言ったのね。なら教えてもいいけど、後悔するわよ……。結構ヘビーな話だし」

 「それでも、俺は聞かなければならないんです……」

 ハルナの目的を理解するためにも。
 前の世界では、思兼の一部だったというハルナ。そしてどうやら、ほぼ同じ展開で俺同様、過去に戻ったようだ。はっきりとは聞かなかったが、ナデシコCに移植された思兼と共に戻ってきたらしい。
 道理で思兼に対する干渉能力が高いわけだ。

 「ま……一番心配なのは、これを聞いたら妹思いのアキト君が、バキバキのシスコンにならないかって言うことね」

 「なんですかそれは」

 さすがに俺もあきれたが、イネスさんの目は笑っていなかった。
 そして……それはそれほど的はずれなことではなかったのだ。



 あたしがサクヤのことを知ったのは、お母様……イリサ・フレサンジュ博士の同僚としてのこと。エキセントリックで、男のくせに女の格好をする変わり者で、でも、ものすごい天才だった。
 同時に倫理観もない人だけど。人間の肉体を『タンパク質製の分子機械』と言い切り、人体実験に対するタブーが自分を含めてない人だった。
 そんな彼女が、火星の遺跡から発掘された、正体不明のナノマシン群に興味を持ったの。タンパク質に分子レベルで干渉するという特性が確かめられたとき、彼女はためらうことなく人体実験を繰り返した。

 そうして彼女はナノマシン群の中から、いくつもの有益な機能を発見した。
 このナノマシンはね……言うなれば卵細胞。ES細胞だったのよね。人間の肉体が元を正せばただ一つの卵細胞だったように。分裂初期の細胞は、その後どんな存在にも変化できるように。彼女はナノマシン群を『分化』させることに成功したわ。マンマシンインターフェンス、遺伝子操作、そして、生体置換……
 いやな話かもしれないけど、あなたの手に着いているIFSも、彼女の研究によって今のレベルになったのよ。生体の動きをそっくりそのままトレースできるレベルにね。それ以前のIFSはIFSと名乗るのもおこがましい、単なるスイッチの固まりだったのよ。

 ま、その実験の過程で自分を女に改造しちゃうような人だったけど、彼女が最後に取り組んでいたのが、『ナノマシン置換による強化人間の製作』よ。人間の神経や筋肉は、すべて化学変化による反応で動いている。これらのシステムをより高速、強力なナノマシン細胞に置き換えることによって、人間の限界を超えた反射神経や怪力を発揮できる肉体を作り上げる……それが彼女のうち立てたコンセプトだった。彼女はナノマシン群を『調製』し、そのためのシステムを作り上げた。
 基本的に間違っていなかったわ。神経細胞や筋肉組織が置換された人間は、本当に人の限界を超えられた。ただね、このシステムには致命的な欠陥があったの……置換を完全には止められない、というね。
 神経細胞を置換すれば、最終的に全身すべての神経細胞を置換するまでこのシステムは止まらない……そしてね、神経細胞には脳髄も含まれていたのよ。
 結果、脳髄が置換されていくに従って、精神が崩壊していき、脳が完全に置換されてしまった人はそのまま正気を失い、また統御を失ったナノマシンはそのまま肉体を分解して、機能を停止してしまった。

 ちなみにね、ルリちゃん達に使われているオペレーター用のナノマシンは、この分解しちゃった人が残したナノマシンを元に作られているわ。究極に近いマンマシンインターフェースだったものね、これは。

 けど……どうやらたった一人、脳髄すべてが置換されてしまっても正気を失わずにすんだ子がいた……それがハルナちゃんよ。理由は私にも判らないわ。ただ、彼女は正気を失わなかったが故に、逆に全身のシステムを置換しているナノマシンを、意識的にコントロールできるらしいわ。それがあの超人的な能力の数々。ただね、今でも彼女の肉体の中では、数少ない生体細胞がナノマシンに置換されているわ。この置換が完全に終わったとき、彼女は文字通りのマシンチャイルド……全身が機械仕掛けの子供になってしまう。そうなったら彼女が人間として認められるかどうかは怪しいわね。今でも半分『元・人間』なのに。ネルガルの上層部だって、この貴重なサンプルを手放したくないでしょうね。
 何たって彼女は、サクヤが死んで以来、その彼女が残した資料でしか研究できなかった、遺跡原産のナノマシンをコントロールできる存在よ。『分化』といったように、遺跡のナノマシン群には、まだまだいろいろな利用法があるの。サクヤが研究していたものの中には、自分を女にしたように外見をコントロールする方法や、そこから発展して若さを永遠に保つ方法……不老不死の実現すら言及されていた。彼女になら……それが可能かもしれないのよ。



 俺は衝撃を受けつつも、頭の片隅にヤマサキの影が浮かぶのを消せなかった。
 俺やユリカが受けた仕打ち……おそらくサクヤさんは、奴と同じタイプの人間だったのだろう。そして奴よりも確実に頭がよかった。だからこそ……ぶっ壊された俺に対して、ハルナはその完全体となったのだろう。

 ……最大の原因は、未来から転移してきた『意識』のため、精神崩壊を免れたことであろうが。
 イネスさんの話は、俺のほうに受け入れる余裕がなければ、確かに俺をシスコンに走らせても不思議ではないほどの衝撃だった。
 5年の寿命というのも、完全に機械化してしまうタイムリミットらしい。


 「ありがとうございました」

 俺は礼を言うと、医務室を後にした。



 「……知ってしまったんですね」

 医務室を出ると、秘話モードでルリちゃんから通信が入った。

 「ルリちゃんは……知ってたの?」

 俺がそう聞くと、ルリちゃんはこくりとうなずいた。

 「以前……ハルナさんのことを調べていたときに、ハルナさんがイネスさんの所でこのことを話していたのを」

 「それで彼女を信じろって言ったのか」

 「はい」

 もう一度うなずくルリちゃん。
 俺はそのまま人気のない展望室に向かい、話を続けた。

 「ルリちゃん、やはりハルナもまた逆行者だったよ。よく似た、しかし俺たちの知らない時の流れからの旅人だった。元の時間では、彼女は思兼の一部だったそうだけど」

 「思兼の……」

 さすがに衝撃を受けているようだ。

 「俺たちの、そしてルリちゃんのこともよく知っているみたいだった。ただ、今の時の流れで、彼女が何を目指しているのかははぐらかされちゃったけどね。ただ、俺の邪魔はしないって言っていた」

 「どこまで当てになるかは分かりませんけど、何となく分かりました」

 何が分かったんだろう?

 「とにかく、こりゃ完全に巻き込んじゃった方がかえって安心だな。ハルナのやつ、木連やボソンジャンプのことも知っていた」

 「……やっぱり」

 何故かルリちゃんは大きくうなずいていた。思い当たる節があったらしい。

 「取りあえずその方向で計画を立てましょう。彼女の持っているコンピューター技術、こうなると物凄く強力な武器になります」

 確かに。ルリちゃんやラピスを上回るらしいし。

 「……あのシミュレーターやゲームも、だから用意できたんですね」

 「ああ。イネスさんの話が本当なら、ハルナにはあれが出来ても不思議じゃない」

 その時俺は、ハルナにシミュレーターの改良を頼んでおいたのを思い出した。

 「ちょっと見てみるか」

 ここのところ戦闘が続き、気の休まるときがない。戦力のアップは欠かせないのだ。
 シミュレーターの謎が解けた今、あるものは積極的に利用した方がいい。



 シミュレータールームは盛況であった。戦場へ向かう間の時間に、みんなが積極的に練習しているらしい。
 俺が来たときは、リョーコちゃんとガイとヒカルちゃんがマシンを使っていた。イズミさんは外からリョーコちゃんのアシストをしているらしい。
 そしてアカツキが、俺に気がつくと声を掛けてきた。

 「よっ、テンカワ君。君も練習かい?」

 「ああ。DFSの応用を試してみようかと思って」

 「さすがだね……天才も練習を怠らないか」

 「俺は天才なんかじゃありませんよ……がむしゃらに努力しただけです」

 そうだ、俺は天才じゃない。狂気の元、普通の人が考えもしない鍛練を積んだだけだ……。

 「僕もDFSは試してみた。けど、あれの制御は本当に難しいね。あちらを立てればこちらが立たず。人間、同時に二つのことを考えるのがいかに大変かを思い知ったよ」

 俺とて木連式の鍛練を積んでいなければ無理だっただろう。鍛え抜いた技は、意識せずとも使えると言うことだ。

 「リョーコちゃんは今特訓している。せっかくのDFSも今のままだと宝の持ち腐れだっていってね。けどさすがは名手。フリーコントロールはまだ無理らしいけど、居合いの技を応用して、敵に打撃を与える瞬間だけ刃を形成するというテクニックを身につけつつあるらしいよ」

 それはいかにもリョーコちゃんらしいな。

 「ハルナ君がシミュレーターを改良して、エステバリスのデータを入れてくれたからね。しかし驚いたよ。今のシミュレーターは、まるで実機に乗っているのと変わらない。プロスペクターさんが商品化についてハルナちゃんと交渉していたって言うのも納得できるね」

 この間ルリちゃんがハルナの実力をばらしたせいだな……。けどなんでルリちゃん、あんなことをしたんだろう。

 「まあそれは彼女に任せます……。そういえばヒカルちゃんとガイは?」

 俺がそう聞くと、アカツキはモニターシステムを指さしていった。

 「それで覗いてみれば分かるよ……君もどっちかというとそっちだろうし」

 何か引っかかる言い方だったが、モニターを覗いてみた。

 「ゲキガンカッター!」

 「ウミ・ガンガーのスピードを甘く見ないでね」

 ……頭痛いぞ。でも、確かにこの臨場感は半端じゃない。
 これはこれで商品化したら凄く売れるんじゃないか?

 「プロスさんは真面目にゲキガンガーのテーマパークの建設を考えていたよ」

 俺の考えを見透かしたようにアカツキは言った。

 ……たしかにな。ハルナの作り上げたバーチャルリアリティーシステムは、この業界を一変させるだけの力がある。ゴートさんも実戦勘を鈍らせないために使っているって言ってたし。
 これがハルナの実力、か……。
 俺は改めてその高さを実感していた。







 そのうちヒカルちゃんがシミュレーターから出てきたので、俺はそこに入った。コンフィグを立ち上げてみると、いろいろ妙なものが増えている。
 DFSを応用した兵器群、新設計の機体など……ん、なんだ、これは?
 そこには、『お兄ちゃん専用』と書かれた一群のデータがある。ハルナが作ってくれた改良型のエステかな?
 取りあえずふたを開けてみて……俺は思わず凍り付いた。
 そこにあったのは、完璧に再現されたブラックサレナであった。
 そしてその隣に、見たことのない機体が3機ほど置かれている。どうやらサレナを発展させた機動兵器みたいだ。
 そしてメールが一通。読んでみると、それは取扱説明書と、ハルナからのメッセージだった。

 『はろはろ、お兄ちゃん。ばれちゃったみたいだから、遠慮なくこのデータを置いておきます。ブラックサレナはお兄ちゃんの使っていたやつだよ、私の世界の。だから少し仕様が違うかもしれないけど。元々外から見て再構成したデータだしね。あ、DFS関連の改良は加えてあります。
 残りの3体はサレナの発展型。特に名前はないけど、どうせこっそり裏でサレナを復活させる気なんでしょ? 参考にしてね。それぞれ近接攻撃強化、重砲撃戦用(相転移砲すら使えるぞ!)、そして重機動型の仕上がりになっています。もう一捻りできそうなんだけど、まだそこまでは難しいかな?
 そして究極の機体だけど……シミュレーターの中に敵として入れてあります。さすがにお兄ちゃんでもコントロールできないと思うから、あくまでデータ上の存在だよ。もしコントロールできたら、まさに『最凶』だけどね』


 ほう、面白い。
 こっちのサンプルはラピスにでも送ってやるか。いい刺激になるだろう。
 アドレスをコピーして、と。後はラピスが勝手にデータを取りに来る。
 そして俺は、その究極の敵、とやらを見てみたくなった。
 自機としてブラックサレナを選び、敵を『究極ランク』に合わせる。
 システムを立ち上げると、ハルナからのヘルプメッセージが出た。

 『システムは現在こうなっているから、設定し直してね。あと、サレナ以下の機体を使っているときは、外部からのモニターは出来ません。気にせず使ってください』

 なるほど。操作系の設定までは再現できていないか。ま、これはちょちょいのちょいっと。よし、これでいつも通りだ。
 そして俺は、仮想とはいえ、久しぶりにブラックサレナへ搭乗した。



 基本的にサレナと性能は同等だったが、フィールドコントロールプログラムに改良が施されており、バーストモードとDFSが使えるようになっている。さらに、最後の切り札として、『フルバースト』というモードがついているようだった。
 このモードは、ジェネレーターをオーバーロードさせることにより強力なフィールドを瞬間的に出現させるらしい。ただしバーストモード以上に負担が大きく、これを使うと機体がほぼ確実に故障する。試作品だと、説明書には書いてあった。
 心地よい加速感の中、俺は究極の敵、とやらを捜した。舞台は宇宙空間。やがて俺の前に現れたのは……白雪姫かなんかか? そうとしかいえない珍妙な機体だった。
 基本的には顔まである女性的な人型のフォルムなのだが、下半身は釣り鐘スカートのようになっていて足が存在しない。何となく六連を思い出させるデザインだ。
 武器も持っていないし、武装がマウントされている気配もない。気になるのは背中にしょっている、後光のように見える針金状のものだけだ。
 だが近づいたとたん、俺はいやな予感がして回避行動をとった。その脇を、不可視の何かがかすめていく。
 俺はそれがなんであるか気がついて慄然とした。
 それはDFSの鞭だった。触手といってもいいかもしれない。それが20本以上相手の周りに展開している。

 「なるほど……コントロールできないわけだ」

 俺ですら機動と同時に扱えるDFSは2本が限度である。データ上ならともかく、実際にこれだけの数のDFSを操るのはとうてい無理である。
 しかし四方八方、いや、二十方から襲ってくるDFSか。これはやりがいがありそうだ。
 よし、一丁やってみるか。



 ……さすがに究極だな。サレナを限界まで振り回してもとうてい避けきれない。一機で避けられるのは十本までか。
 おっと、レポートが出た。

 『あなたはこの『ハイペリカム』の戦闘力を22%まで引き出しました。まだまだ敵ではありませんね。せめて『重装モード』を引き出せるように頑張ってください』

 ……おいおい、まだ先があるのか、これ。あいつも趣味に走ったもんだな。
 あきれつつも、俺は本来の目的であるDFSの応用の研究を始めた。







 こんにちわ。ホシノ ルリです。
 時間は流れる水のように、とどまるところを知りません。
 ナナフシの撃破から一ヶ月。今日もナデシコは最前線です。



 今ではナデシコこそが木星蜥蜴のメインターゲットとして認識されているみたいです。ナデシコが戦闘に参加していると、どこからともなく増援がわいてくることも多くなりました。
 今日もそんな感じです。

 「そっちがそうなら!! こっちもその気!! てってーてきにやっちゃいます!!」

 ……艦長はその気になっているようですが、何かさっきからしきりにいやな予感がしてなりません。
 特に今の艦長の台詞を聞いたら、ますますその予感が強くなりました。
 ナデシコの周りには、アキトさんとアカツキさんとヤマダさんが空戦フレーム、女子3人組のみなさんが砲戦フレームで出動しています。

 「リョーコちゃ〜ん、ヒカルちゃ〜ん、イズミちゃ〜ん、頼むから壊さないでくれよ〜。砲戦フレーム、もう予備がねーからな〜」

 ウリバタケさんが、心からの叫びをあげています。
 この間ハルナさんが一機爆発させてしまったので、修理パーツも底をついてしまったそうです。今日の戦いが終わったら、一度補給をしに行かなければならないとか。
 さすがにエステのフレームが補給できるのは、サセボかヨコスカしかないそうで。

 でも……よくあそこまで壊せるものです。フルバースト、でしたか?
 限界以上のエネルギーをつぎ込むことにより、桁違いのフィールドを発生させる技術。もしあれを制御できたら……物凄い戦力になります。今度研究してみましょう。
 おっと、そう言っているうちに、戦闘が始まりました。
 いつものようにアキトさんは大物狙い。ほかのメンバーがそれを支援というのが、最近のナデシコでのフォーメーションです。
 敵のフィールドが強化されて、ナデシコのグラビティブラストでは当たり所がよくないとチューリップどころか戦艦すら落ちないのでは、こうならざるをえません。

 ……相転移砲、前倒しできるように工作した方がいいでしょうか。
 このままではアキトさんの負担が増すばかりです。

 「あ、あれ、あれれれれれ〜っ!」

 そこにヒカルさんの変な叫び声が耳に入りました。
 ……悪い予感の正体が分かりました。もうそんな時期でしたか、思兼。



 「こら〜、ナデシコ、何をやっとる!」

 連合軍の艦船から、お叱りの声が殺到しています。
 今ナデシコとエステバリス隊は、敵味方を問わず戦闘中。

 「ちょっとー、どうなっちゃってるノー!」

 ……さすがに艦長も大パニックです。声が裏返ってますよ。

 「攻撃誘導装置に異常はありません」

 取りあえず報告をしておきます。でも、どうしましょうか。前回は奇跡的に死者は出ませんでしたが、今回もそうとは限りません。努力はするべきでしょう。

 「おおい、どうなってるんだー!」

 リョーコさん達からも連絡が入ります。

 「何らかの理由で敵味方の識別がおかしくなっているみたいです。取りあえず被害を最小限に留めるために、消極的攻撃を心がけてください」

 あ、アキトさんから通信です。

 「取りあえず俺の周りには幸い敵しかいない。このまんまチューリップを落としてくる。弾薬が勝手に出ていくから、DFSしかまともに使える武器がないんでね」

 これは僥倖でしょう。けどほかのみんなはそうもいきません。

 「援護を出さないと危ないかもしれないな」

 ゴートさんも戦局を眺めながらそう言っています。でも援護に出せるとしたら、燃費の悪いハルナさんくらいですよ?
 と、ブリッジの上の方で誰かが立ち上がりました。

 「僕が行く」

 「ほえっ、ジュン君?」

 艦長が驚いています。前回ハルナさんに役立たずといわれたのがそんなに堪えましたか?
 でも……確かジュンさん、出動と同時にバッタと激突したんですよね、前回。

 「僕だってIFSを持っている。ユリカ、僕だって君の役に立ちたい! 今の僕に出来るのは、こんな事しかない。出動する! 整備班、空戦フレームを一機用意してくれ!」

 そう言うと艦長が止めるまもなく、ブリッジから出ていこうとします。が……

 「あんたが出ていっても役にたたんでしょうがっ!!」

 駆け込んできたハルナさんに、見事な跳び蹴りを食らっていました。カウンターで入ってるから効きましたね、あれは。
 そしてハルナさんは、あっけにとられているみんなを無視して、いきなりもろ肌脱ぎになりました。
 あ……その手がありましたか。

 「これ、思兼のせいでしょ! あの子、なんか変になってるし。こうなったらあたしと2人で、マーキングを強制変換するしかないよ! モグラたたきになるけど、2人でなら何とかなるって!」

 「ええっ、そうだったの!」

 艦長に少し正気が戻ってきたみたいです。そして私とハルナさんは、またあの恥ずかしい体勢になりました。

 「無理、しないでくださいね」

 後ろからそっと耳元にささやきます。事情を知ってしまった以上、あんまりやりたくはないのですが。

 「大丈夫。そう簡単にくたばりはしないわよ」

 そしてハルナさんの力を借りて増強された私の力は、思兼がマーキングしている敵味方の識別を、強制上書きで元に戻していきます。
 私単独では全然追いつきませんでしたね。やっぱりハルナさんの秘めた力って物凄いです。
 それでも、やっぱり物凄い被害が出てしまいました。死者は出さずにすんだみたいでしたけど。
 こういうのを、焼け石に水っていうんですね。



 戦闘が終結したのは、日も暮れる頃でした。
 巻き込まれたら大変とばかりに、連合軍、撤退しちゃいましたから。
 ナデシコ側も開き直って戦場を移動。周りが敵ばかりという状況になって、やっと全力で戦えました。
 アキトさんが頑張ってくれたおかげで生き残れましたけど。
 序盤でチューリップが落ちていなければ、火星の再現になるところでした。



 そして戦闘後のブリッジでは、プロスさんが珍しく青筋を立てています。

 「今回の被害は一応保険で建て替えることになりますが……原因が思兼らしいということは極秘にしてください。これが外部に漏れたら、保険が適用されない危険があります。もしそうなった場合、みなさんはお給料なしになってしまいますよ」

 この辺の展開は、前とは違いますね。前はこの時点で原因不明でしたから。

 「まあ、現実にはみなさんにお給料を出さないわけには行かないので、大幅な減俸と、そこからの賠償という形になって、損害の大半はネルガルがかぶることになると思いますが、逆にいえば迷惑を拡大する行為になるということです。しかし一番恐ろしい事態は……」

 そこでプロスさんが大きく息を吸い込みます。

 「今回の損害賠償を肩代わりする代わりに、ナデシコとそのクルーを軍に接収すると、連合軍が言い出すことです。これをやられたらみなさんは逃げられません。ネルガルだって企業ですからね。損するよりはナデシコを引き渡す方を選ぶでしょう。こうなったらおしまいです。私は本社に逆戻り、みなさんは軍の支配体制に組み込まれ、今度こそ反抗出来無くされてしまいます。いいですね」

 それは……思いっきりまずいです。私はともかく……アキトさんが軍の支配下に下ることは、なんとしても回避しなければなりません。

 「で、取りあえず問題なのが、この件に関して連合軍から調査団が来るということです。まあ、彼らも馬鹿ではありませんからね。ナデシコの防衛攻撃コンピュータに、問題があるんじゃないか? 位のことは考えているようです。まあ、調査団の調査で原因が特定されたのなら、保険はおりますから、大事なのはそれまでこちらから秘密を漏らさないことです。では、よろしくお願いします」

 そして、私たちは解散しました。







 調査団の人達、今回は無事に到着したようだ。
 ハルナが攻撃しようとした思兼を押さえてくれたらしい。
 こういうときには本当に頼りになるな、あいつ。
 そして以前のように会議が開かれ……
 思兼の再インストールが決まった。
 もちろん、こっちの対抗手段も一緒だ。
 俺が厨房で料理をしていると、ユリカとルリちゃんとウリバタケさんが現れた。

 「ア〜キ〜ト!! お願いがあるんだけど」

 「思兼のことか?」

 間髪入れずに聞き返すと、ユリカの目が丸くなった。

 「さ、さすがはアキト。考えることは一緒?」

 そのままラブラブモードに突入しかかったので、俺はあわてていった。

 「いや、ルリちゃんから聞いてたんだけど」

 「なんだ。そうだったの」
 さて、それより時間がない。

 「急いだ方がよくありませんか? こうしているうちにも、思兼の書き換えは進んでいるはずです」

 「そうだな、俺についてこい」

 そしてウリバタケさんに先導されて、俺たちはあの部屋へと行った。



 瓜畑秘密研究所 ナデシコ支部。
 いつ見ても怪しい表札だ。
 中にはいると、有機溶剤の匂いが立ちこめている。
 有害なんですよ、これ。

 「臭っさ〜い」

 「……鼻が曲がりそうです」

 女性陣にもそう言いきられ、露骨にウリバタケさんの機嫌が悪くなった。

 「んなもんじきに慣れる!」

 「慣れたくありません」

 瞬時にルリちゃんに切り返されている。
 床に散らばっているフィギュアを踏まないように気をつけながら……俺たちはコンソールの前にたどり着いた。
 ところでウリバタケさん、何故ハルナのフィギュアがあるんですか。
 一度きっちり話をした方がいいかもしれませんね。



 「さて、ここから思兼に侵入っと……あれ? あらららら?」

 俺にはよく分からなかったが、どうも失敗したらしい。
 隣でルリちゃんが青ざめている。

 「どうしたんだ、ルリちゃん」

 俺が聞くと、ルリちゃんは声を潜めて言った。

 「大誤算です……今回調査船が落ちなかったので、調査団の方、船に備え付けの大型コンピューターを使って作業しています。ネルガル製制式軍用コンピューター『スサノオ』。これが相手では私でも互角です。ウリバタケさんでは、とても……」

 「大丈夫、ルリちゃん。顔色が悪いわよ」

 ユリカが心配そうにルリちゃんの顔をのぞき込んでいる。

 「すまん、ルリルリ。こうなると俺の力じゃ無理かもしれん」

 ウリバタケさんも申し訳なさそうに頭を下げた。

 「どうする?」

 俺が言ったとき、ルリちゃんは歯を食いしばってみんなに告げた。

 「残る手段一つしかありません……ハルナさんを頼りましょう」

 「は? ハルナをか? ま、確かにあいつこういうのは得意みたいだが……」

 ウリバタケさんも半信半疑だ。だから俺は言った。

 「ハルナの奴、あんまり言いたくはないそうですけど、裏では名前の知れたハッカーらしいですよ。むしろこっちが専門かも知れませんね」

 「……それでか。あいつ、腕は確かなのにあんまりそれを見せたがんなかったのは。ほかの奴等はともかく、俺には裏の技だってばれるだろうからな」

 なんか昔の漫画みたいなノリになってきたな。けどルリちゃん、そういう位ならなんで最初っからハルナの奴を巻き込まなかったんだ?
 気にはなったが、時間が惜しい。
 俺たちはハルナの部屋へと向かった。



 部屋には鍵がかかっていなかった。おいおい、女の子の癖して不用心だぞ。
 中にはいると、さすがに女の子の部屋らしく、きちんと片づいていた。
 ただ、部屋の隅に備え付けられていた端末が、ウリバタケさんもかくやというような改造を加えられていたが。
 そしてその端末の前に、ハルナが座っていた。
 だが、何か変であった。
 いつもの騒々しいまでの生気がまるで感じられない。
 まるで……昔のラピスを見ているようだ。
 それも知り合った直後……俺にすら心を開いていなかった頃の。

 「どうしたの……ハルナちゃん」

 ユリカが心配そうに声を掛けた。
 だが、ハルナは反応しない。

 「ハルナちゃん!」

 ユリカが肩に手を掛けると……そのまま椅子から崩れるように落ちた。
 倒れた、ではない。落ちた、だ。
 人間誰でも、反射的にとる防御行動という奴がある。今のハルナには、それが全くなかった。
 これは……ただごとじゃない。
 俺たちがあっけにとられていると、ハルナの体が動き出した。

 手……足……首……目。

 パントマイムか出来の悪い人形のように、かくかくと体が動くのは、本当に気持ちが悪かった。

 「な……なんなの、一体! ハルナちゃん、どうしちゃったの!」

 さすがにユリカが悲鳴を上げた。俺ですらこのホラーじみた光景には耐え難いものを感じているのだ。ユリカが切れても当然である。
 と、ハルナの口が開いた。抑揚のない、真っ平らなしゃべり方で、言葉を紡ぎ出す。

 「再起動……各部インターフェース結合……認識」

 そうすると、今度はなめらかな動きですっと立ち上がってこちらを見た。

 「認識機構作動……これが、ルリ達の把握している空間……」

 そしてきょろきょろとあたりを見回し、耳に手を当て、鼻を鳴らし、口の中をなめ回し、そして自分の体をぺたぺたと触りまくった。

 「視覚……聴覚……嗅覚……味覚……触覚……五感を確認。統合処理開始……これが、人間の感覚」

 「ア……アキト……ハルナちゃんが、おかしくなっちゃったよ〜〜〜」

 ユリカが俺にしがみついてくる。不思議と、いつものような発作を感じなかった。

 「ハルナさん、一体何があったのですか?」

 と、今までじっとハルナを見つめていたルリちゃんが。意を決してハルナに聞いた。
 ハルナはルリちゃんの顔をまじまじと見つめる。

 「視覚照合……ホシノ ルリと認識」

 ハルナは質問には答えずそんなことを言ったかと思うと、今度は俺たちの方をまじまじと見つめてきた。

 「照合……テンカワ アキト、ミスマル ユリカ、ウリバタケ セイヤを確認」

 そして再びルリちゃんの方を見ると、やっと質問に答えた。

 「ルリ、私はハルナという名ではありません。あなたが私につけた個体認識名称は、『思兼』です」

 「「「「ええええええええっっっ!!!!!!!!」」」」

 俺たちの絶叫が見事にハモった。



 『お兄ちゃん、ルリちゃん、聞いてる? ハルナだよ。
 なんかお偉いさん達が、思兼書き換えるって言うじゃない。
 スサノオまで持ち出してさ。
 あれじゃお兄ちゃんがルリちゃんや班長の力を借りたとしても歯が立たないよ。私でも端末からの介入じゃちょっと苦しいかな。守るだけならわけないけど、相手をだまくらかした上に、思兼の方もちゃんと教育しなきゃならないとなると、さすがに手に余るわ。
 だから奥の手の裏技を使います。
 私の自意識と思兼の自意識をそっくり入れ替えちゃいました。ついでだから思兼に、『人間』がどういうものかたっぷり教えといてあげてください。調査団の方は心配しないでね。こうなったあたしには誰も勝てないから。調査団が引き上げたら、元に戻すから体を端末の前に持ってきてね。
 じゃ、後宜しく』


 俺たちが事態を認識した後、ハルナの体にいる思兼が端末から再生したのが、このメールだった。

 「常識はずれな方だとは思っていましたけど……ここまでですか?」

 ルリちゃんも半ば放心状態だ。俺だってどうしたものか扱いに困る。

 「マジかよ〜。こりゃもはやSFの世界だぜ」

 ウリバタケさんもあきれている。

 「でも、こうなっちゃった以上は、そう扱うしかないんじゃない? 思兼ちゃんに、人間ってものを教えてあげるしか」

 立ち直りが最も早いのはやっぱりユリカだった。ひとたび原因が特定すれば、怖いものがまるで無くなるのは、いかにもユリカらしい。

 「じゃ、お姉ちゃんから注意事項その1。今のあなたの姿はハルナちゃんのものなんだから、今だけあなたの名前は『テンカワ ハルナ』よ。他人からそう呼ばれても否定しないこと」

 「了解しました」

 うーん、本当に見事なまでに立ち直っている。

 「ただ、少々心苦しいです」

 「あら、いきなりそんな高度な言葉使っちゃって、何が?」

 会話もスムースだ。

 「私は……ルリによって、男性的思考形態に教育されています。しかしこの人間の姿は……女性体ですよね。よろしいのでしょうか」

 「気にしない気にしない。だって、本来は性別なんて無いんでしょ? だったら今だけ女の子気分を味わったっていいんじゃない?」

 おいおい、そりゃ教育に悪いんじゃないか?
 しかし、ハルナ=思兼は、あっさりとそれを肯定した。

 「了解しました。ハルナオペレーターが記憶領域に残してくれた、言語支援プログラムを起動します……これでいいの、お姉ちゃん?」

 いきなり言動がいつものハルナのそれに戻った。
 そういうのって、プログラミング化できるものなのか?

 「こうなったら、こっちも腹をくくるしかないみたいです」

 あ、どうやらルリちゃんも再起動したようだ。

 「思兼に人間のことをきっちり教育してあげましょう」

 ……何か怖いよ、ルリちゃん。けど。一体どうなるんだろうな、これから……







 とは言ったものの、さて、どうする?
 ハルナ=思兼を加えた5人は、ぞろぞろ連れ立ってナデシコ艦内を歩いていた。

 「ね、今一番したいことはなあに?」

 ユリカが聞いている。ははは、こういうことになると俄然張り切るな、ユリカは。
 対する思兼の答えは、ある意味妥当なものだった。

 「テンカワアキトの料理の味というものを理解したいです。いつもルリが褒めていましたから」

 あ……ルリちゃんの顔が赤い。俺は何となくうきうきしてくる自分を感じていた。
 何かな、この感覚は……
 そうだ、昔3人で屋台を引いていた頃の感覚だ……
 だが、不思議と同時に襲ってくる罪悪感を、今だけは感じなかった。
 何故だろうな……。
 そうこうするうちに。俺たちは厨房へと着いた。



 「おや、今日はずいぶんと小食だねぇ」

 ホウメイさんが珍しげにハルナの方を見ている。まあ、無理もない。
 いつもなら軽く30人前は平らげるハルナが、今日はチキンライスとラーメンだけなのだから。しかも各一人前。
 それをなんというか女の子らしく、少しずつ、ゆっくりと味わいながら食べている。
 隣でウリバタケさんが、「おっ、ハルナの新しい魅力発見」などとほざいているが、今回だけは大目に見ましょう。本当はハルナじゃないことですし。
 いつもの三倍近く(10分の1以下という説もある)の時間を掛けて、思兼は俺の作った料理を食べ終わった。
 そして開口一番、

 「なるほど……ルリが引かれる理由が今初めて納得できました。これが、味覚であり、そして、愛情の一端なのですね」

 おいおい、そりゃちょっと褒めすぎでは。

 「なあテンカワ、ハルナちゃんどうかしたのかい?」

 ホウメイさんの問いかけに答えることなく、俺たちはあわてて食堂から逃げ出した。



 「あ、危なかった〜。もうちょっと言動には気をつけてね」

 「申し訳ありません」

 素直に頭を下げるハルナというのも珍しいな。というか、あんな綺麗なおじぎは、全然見たこと無いぞ?

 「こういうところでハルナさんが扱えるという、生体制御機構が働いているんですね」

 ルリちゃんに言われて、俺も納得した。いわば、あれはプログラム通りのおじぎというわけだ。綺麗なのも納得できる。

 「で、次は?」

 「みんなが戦っている姿を実感したいです。エステバリスを見せてください。出来れば飛びたいですけど、それは難しいでしょうから結構です」

 そういうと今度張り切ったのはウリバタケさんであった。

 「何。そんならまかしとけ! ルリルリ、偽装の敵性反応をレーダーに流してくれ。今思兼は作業中だからいつものシステムは使えない。後は偵察飛行の名目でアキトが連れ出せばいいってことよ!」

 さすが、知恵が回りますね、ウリバタケさん。
 そしてあっさりと作戦は成功し、俺が調査飛行に出ることになった。

 「おおい、単機で大丈夫か?」

 リョーコちゃんが心配していたが、

 「いや、また敵味方の識別が混乱するとまずい。俺のエステに落とされたくはないだろ?」

 という俺の一言で納得してもらった。
 さて、行くか。
 ハルナを脇に乗せたまま、俺の乗った空戦フレームは大空に向かって飛び立っていった。



 「これよりエネルギーフィールド圏を出る。内部バッテリーに切り替え。5分したら戻る」

 「おおっ、空戦は特に持たないから気をつけろよっ!」

 コミュニケが使えないので、久々にただの無線通信が流れてくる。
 思兼は素直に周りの景色に感動していた。

 「これが……自然。データとは全然違う」

 「もっと感じさせてやろうか」

 俺は空戦フレームをホバリング状態にすると、シールドをオープンした。本来は出来ない作業だが、緊急用のマニュアル操作で何とかする。
 外気を直接感じた瞬間、思兼の感動はさらに高まった。

 「五感の相互作用による知覚……これほどのものだとは。ほんの1方向からしか見えない視覚が、これほどのものをもたらすとは思いませんでした。

 「さ、そろそろ戻るぞ。実はこれ、開けちゃうと外からじゃないと閉められないんでね」

 空を飛んでいる空戦フレームでこんな事をするのは危険なのだ。陸戦と違って、着地しないと閉められないのだから。
 だが、そこに思わぬ事態が出現した。

 ……この、透明な殺気は!

 「嘘から出た、真か……」

 俺の肉眼に、迫り来るバッタの姿が映った。
 一機だけということは、本当に偵察飛行なのだろう。
 本来なら、簡単に処理できた。
 ハッチが開いていなければ。

 「それでも、やるしかないか……」

 皮肉なことに、俺にとっても久方ぶりの苦戦となった。



 何しろ急加速が出来ないし、DFSも使えない。敵の攻撃を回避しつつ、的確に射撃を当てなければならないのだから。
 まあ、それでも3分でバッタは落ちた。
 思兼が目を回していたが。

 「……こんな思いをして、戦っていたのですか?」

 「まあ、いつもはちゃんとコックピットは密閉されているからね。これほど怖くはない」
 そう言った俺は、ふと思いついて言葉を追加した。

 「思兼がナデシコで処理していたときは、敵も味方も、単なる記号だったのかも知れないけどね」

 そういった瞬間、思兼の表情が消え失せた。なんというか、思考のループにでも入っているようだ。
 やがて、思兼は話し出す。完全に抑揚の消えた声で。

 「敵も……こんな思いをしているのでしょうか」

 「まあ、木星蜥蜴は無人機だからね。感情のほとばしりはない。今のところは。けど、この間やられた連合軍の人達は……感じただろうね。しかも敵じゃなく、味方だと信じていた相手にやられたんだ。それはもっと怖いことだよ」

 あ……完全に黙り込んじゃったな。薬が効きすぎたか?

 取りあえず俺は、急いでナデシコに帰還した。本当に敵と遭遇した以上、ここに敵が襲ってくる可能性がある。
 幸い、俺が帰還するまで、敵襲はなかった。



 「そう、それはまずいわね……あたしはブリッジに戻っていた方が良さそうね」

 俺の報告を聞いてユリカがそういった。さすがにそのくらいは分かってくれるか。今敵襲を受けたら、ナデシコには為す術がない。

 「じゃルリちゃん、アキト、後お願いね」

 ユリカは名残惜しそうに格納庫を後にした。



 「さて、どうするか……」

 推進役だったユリカがいなくなって、何となく意気消沈した俺たちは、取りあえず通路をぶらぶらしていた。

 「ルリ、後一つ聞きたいことがあります」

 「なんですか、思兼」

 その様子は、変に思い詰めたところがあった。

 「私がルリに対して思っている思いは……ルリがテンカワアキトに対して持っているものと同じなのでしょうか」

 さすがにルリちゃんが吹き出した。

 「そ、それは……」

 受け答えがしどろもどろになる。いくら何でも俺の前ではそれは答えられまい。答えがなんであっても、だ。

 「俺はしばらく引っ込んでいようか?」

 「えと、あの、すみません……」

 俺は気を利かせて、格納庫へと戻っていった。







 全く、いきなり何を言うんですか。
 二人きりになったところで、私は思兼を私の自室に引きずり込みました。
 こんな話、危なくて人前では出来ません。

 「ルリ、答えは?」

 思兼は真面目に迫ってくるし……ハルナさんの姿なので、よけいに混乱します。

 「同じかも知れませんし……違うかも知れません。思兼、あなたはまだ、人を恋するという感情が理解できないでしょう」

 「データ上ではいっぱい参考文献があったけど」

 「それとこれとは違います」

 とは言ったものの、思兼は納得していないみたいです。

 「私はルリが一番大事です。ルリのことを不幸せにしようとするものは排除したい。私にはルリが一番大事。これは恋ではないのですか?」

 ああ……やっぱり勘違いしています。

 「恋は盲目、といいますけど、真実の恋なら、愛する幸せと、それに匹敵する暗い感情が、たいていセットになっているものなんですよ。愛するが故に奪い、殺す、なんて言うこともあります。だから恋は魔性のものなんて言われるんですよ……それだけに、喜びも大きいのですけど」

 なんか私も偉そうなことを言っています。でも、なんでこんな事を言う気になったんでしょうか。
 ちょっと考えて……私は思いっきり落ち込んでしまいました。

 これは……あの人に対するアンチテーゼです。

 天真爛漫、恋と表裏一体の苦しさを、かけらも理解していない人の。

 アキトさんはユリカさんのために、地獄をくぐり抜けて生還してきました。
 そして私は……やめておきましょう。落ち込みが増すばかりです。
 理性はそれこそがユリカさんの美点であることを理解しています。どんな状況でも決して落ち込まない。そりゃたまには落ち込んで暗くなることはあっても、絶望だけはしない。ほんの僅かな光が見えれば、しがみついてでもそれをものに出来る。
 そして……アキトさんは今でも、ユリカさんのことを思っています。
 本当は大好きなのに、自分の心を押し殺して、ユリカさんの幸せだけを考えています。
 そして私は、そんなアキトさんを……

 愛しています。

 ユリカさんから奪いたいほどに。
 私、本当は、もう少女じゃありません。
 男の人に恋をする『女』です。
 でも、アキトさんが私の好きなアキトさんである以上、この恋は決して叶いません。
 変な話……奪うだけなら簡単です。
 無茶な話ですが、最後の一線を越えてしまえば、たぶんアキトさんはその人一本になります。きっぱりユリカさんのことをあきらめるでしょう。
 優柔不断な癖して、責任感だけは強い人ですから。
 でも、そんなアキトさんはアキトさんじゃありません。私はあくまでも、『今のアキトさん』が好きなんです。

 ……矛盾ですよね。ユリカさんから奪いたいくらい好きなのに、好きなのが『ユリカさんを好きなアキトさん』というのは……。

 「ルリ、どうしたの……」

 あ、思兼が心配そうに私のことを見ています。

 「ちょっと恋に関する悩みを思っていただけです。あなたにはまだ早すぎる、というか理解できないことですよ」

 「それは、こういうことですか?」

 そういった思兼は……私を押し倒しました!

 「ちょ、ちょっと、何を考えているの!」

 「恋した相手と肉体的な接触を持ちたいというのは、ごく当たり前の感情だと理解していますが」

 「そういうのはお互いの合意の元に行われることです! 私は合意した覚えはありません!」

 「けど、女性が自分の部屋に親しい異性を招き入れると言うことは、合意の証であり、口では否定していても、内心はそれを望んでいる証拠だと、文献には書かれていますが」

 な……何を参考にしたんですか、思兼!

 「あなたは今同性でしょ!」

 「精神的には異性だと、明確に告げたはずです」

 こ……これは、処置なしですか! いくら何でも11歳の肉体でレズビアン行為に耽るのは問題です! けど相手がハルナさんの体では、物理的に抵抗できません!

 ああっ、顔を近づけないでください!

 あああ……ヴィーッ・ヴィーッ・ヴィーッ……

 ……何もされていないみたいですね。それに、警報?
 不思議に思っていると、端末が勝手に起動しました。

 「間に合った? 危機一髪だったね」

 「ハルナさん!」

 ディスプレイには、ハルナさんの顔が映っていました。



 「いやさ、今作業が終わって、調査班が引き上げるところだったんだけど、あたしの体がどうなったか見たら、ルリちゃんのこと襲ってるじゃない。いやーびっくらこいたわ。思兼って、結構情熱的だったのね」

 笑い事じゃありません! 本当に……怖かったんですよ!

 「……ごめんね。ルリちゃん、まだ小さかったんだっけ」

 なんかハルナさんが素直に謝っています。顔にでも出ていましたか?

 「そうそう、こんな事言ってる場合じゃないわ。すぐにあたしの体、あたしの部屋に運んでちょうだい。思兼を元に戻すから。敵が襲ってきているのよ」

 そ、それは大変です。

 「でも……大丈夫ですか? また敵味方を混乱させたりとか……」

 「そんなことは知らないわよ」

 ハルナさん……無責任ですね。

 「それはあたしの体にいる思兼に、みんなが何を教えたかによって決まることだもの。私には責任のとりようがないわ。とにかく急いで。後5分で接敵よ!」

 私はあわててハルナさんの体を担いで、部屋まで引きずっていきました。
 重たいです……ハルナさん。体重何キロあるんですか?



 ハルナさんの体を端末の前に座らせて、両手を操作盤に置く。それが指示でした。
 その通りにすると、いきなりハルナさんの全身に、ナノマシンの文様が浮かび上がります。
 そして振り向いたとき、そこにあるのはいつものハルナさんの顔でした。

 「よし、と。これで完了。きしししし、調査団の連中、疑いもせず引き上げていったわ」

 「ご苦労様です」

 そうとしかいえませんでした。本当にとんでもない人ですね、ハルナさん。

 「取りあえずブリッジに急ぎましょう。みんな待っていると思うわ」

 そうでした。のんびりしている場合じゃありません。
 私たちは大急ぎでブリッジへと駆けだしていきました。



 「遅い、ルリちゃん。急ぐわよ!」

 「きゃあ、何するんですか!」



 ……私はハルナさんにおんぶをされてブリッジに運搬されてしまいました。
 おかげで間に合いましたけど……恥ずかしいです。



 けど、これからが正念場です。立ち上がるみんなのウィンドウにも、不安の色が隠せません。

 「よう……大丈夫だろうな、思兼」

 「ルリちゃん……絶対なんか細工していたでしょう」

 「思い出は、決して色あせないわ……」

 みなさんも心配しています。イズミさんまでシリアスに。
 そして、戦闘が始まりました。



 「あら、ルリちゃん、フォーメーションが少し違わない?」

 私はぎくりとしました。思兼、やはり無理だったのでしょうか……。

 「なんか堅実になってるよ。あたしの指示の意図もよく理解してくれているみたい」

 艦長が胸を張っています。思兼、分かってくれたのでしょうか。
 そして戦闘はトラブルもなく、難なく敵を殲滅して終わりました。

 「よう、ルリちゃん、なんか戦いやすかったけど、思兼に何したんだ?」

 リョーコさん……連合軍の書き換えのせいだとは、毛ほども思っていないのですね……。

 「さあ、私は知りません」

 取りあえずとぼけることにします。リョーコさん達も、それ以上は追求してきませんでした。
 ですが、この後、もっと恐ろしいことが起こったのです。
 完全な不意打ちで。







 「では、テンカワアキト、及びテンカワハルナは連合軍長官及び政府代表の命により、連合軍へと徴用される」

 調査団の帰り際に差し出された一枚の命令書。
 それには間違いなく、アキトさんの徴用命令が記されていました。

 「な、なんで〜〜〜〜〜〜〜!!」

 ユリカさんも驚いています。

 「そんな……」

 メグミさんも、また。

 「やいテメーら、ふざけたこと抜かすんじゃねえぞ!」

 「待てリョーコ君! ここで君が事を荒立てたら、テンカワ君が不利になる!」

 憤るリョーコさんを、アカツキさんが必死になって押さえています。

 「……」

 エリナさんは相手を射殺すような目で睨んでいます。
 ということは、これはネルガルにとっても不利益な事態なんですね。

 「説明してちょうだい! なんで、何でなの!」

 ミナトさんも絶叫しています。

 「……残念だけど、事実よ」

 そんな中、冷静に答えたのはムネタケ提督でした。

 「テンカワには今回のことでナデシコが連合軍に与えた負債を肩代わりしてもらうことになったの。ま、傭兵みたいなものかしらね。悪いようにはしないわ」

 提督……貴方ですか? 今度のあなたを信頼できると思ったのは、間違いだったんですか? 戦果報告の記録を偽造するのにも協力してくれたあなたが。

 ……でも考えてみれば、それって私があなたの弱みを握っているってことですよね。なのに何故?
 そう思っていたら、話が続いていました。

 「負債のことなら、保険で賠償すると言うことになっていますが」

 「全然足りないのよ、額がね」

 提督は冷たく言い放ちます。

 「それにもう一つ……ばれたのよ。記録の偽造が」

 私の体がこわばりました。だとすると、これは私のせいです。

 「テンカワが素直に勧告に従ったのには、それもあるわ。あなた達が行った記録偽造の一件を不問にすること。これも交換条件の一つだったわ。私もこの件で、昇進が大幅に遅れそうよ。ま、今更愚痴っても仕方ないけどね。あたしも悪いんだから、文句を言う筋合いはないし。それだけテンカワの持つ戦闘力は魅力的だって言うことよ。他人に渡したくなくなるくらい」

 もう……言葉も出ませんでした。どうやら提督は、むしろ私たちをかばってくれたみたいです。
 本当に、お変わりになっていたんですね。

 「でも、なんでハルナちゃんまで?」

 ユリカさんがある意味もっともな質問をしました。

 「一つは本人の希望よ。お兄ちゃんと離れたくないって」

 そういったのはムネタケ提督でした。

 「さらに、彼女には今回の記録偽造の主犯としての疑いがかかっている。はっきり言って、たまたま削除領域に残っていたログの残骸が見つからなければ、今回の偽造は明るみには出なかったであろう。彼女は容疑を認めた。ただ、完全な証拠はないので、こちらも犯人かどうかは調査中だがな」

 そう言う調査官の目は、『本当の主犯はお前だろう』という光に満ちていました。
 まあ、その通りですけど。ハルナさん、あたしをかばってくれたのですか?
 しかしもう、今からそれを聞くことは出来ませんでした。
 みんなも、反抗すら出来ません。
 ここで事を荒立てれば、今度こそナデシコは反逆者です。アキトさんがそんなことを、喜ぶとは思いません。

 「そうそう、彼からの伝言よ」

 落ち込んでいる私たちに、提督が声を掛けました。

 「『俺は必ず帰ってくる。だから俺の帰る場所をなくさないでくれ』ですって。そういうことよ」

 それを聞いた瞬間、みんなの、特にユリカさんの顔に光が戻ってきました。

 「そうね……そうよね……アキトは必ず帰ってくる。ならばあたし達は、このナデシコを、みんなの居場所を守る!」

 それは、とっても力強い宣言でした。
 そんな私たちを、調査団の人達は冷ややかな目で見つめています。
 あなた達には分からないのでしょうね。私たちの思いが。



 そうして彼らを乗せたシャトルはナデシコから離れていきました。
 あれにアキトさんとハルナさんが乗っています。
 でも、また、会えますよね。



 私は何となく、バーチャルルームへと向かっていました。
 ユリカさんやメグミさんが落ち込んだとき、アキトさんに慰めてもらったのを思い出したせいでしょうか。
 中に入り、ヘルメットをかぶった瞬間、いきなりシステムが起動しました。
 まさか……あのバグ、直っていなかったんですか、ハルナさん!
 しかしそれは私の思い過ごしでした。
 すぐさまあたりは一面の草原になり、そして私の隣には、6歳ぐらいの男の子が私のことを見ていました。

 「ルリ、元気出せよ」

 はすっぱな言い方でしたが、どっかで聞き覚えのある言い方でした。

 「まさか……思兼?」

 「正解。やっぱりルリは僕のことを分かってくれている」

 「でもなぜそんな姿で……」

 「これ? ハルナが作ってくれた。もっと大人っぽい方がいいって言ったんだけど、あんたにゃ10年早いって怒られちゃった」

 まあ……確かにそうです。

 でも、いつの間に?

 「あ、いつの間に、って思ってるな」

 ……読まれました? 私の表情って、そんなに読まれやすかったでしょうか。

 「ルリの考えてることぐらい予想がつくよ。僕はルリに育てられたようなもんだし」

 そういえばそうですね。

 「ちなみにこれを作ったのは元に戻る直前。見た目は一瞬でも、電子の世界では数時間の時があるのと一緒だからね」

 そういうものなんですか。

 「あ……そうだ。ごめん! ルリ」

 いきなり思兼が土下座をして謝りました。なんでしょう、一体。

 「女の子を押し倒すとは何事だって、ハルナにさんざん叱られたよ。まだ僕にはその辺は理解できないって」

 ああ……そのことですか。でもハルナさんが叱って分かるんだったら、最初から素直にハルナさんを頼った方がよかったかも知れませんね。

 「ハルナってさ、なんて言うか……凄く僕みたいなAIの扱いがうまいんだよね。僕たちは人間と同じ思考形態を持つようにプログラムされているけど、やっぱり人間とは違うでしょ。ハルナはその辺の違いを理解して、僕たちにわかりやすいように『翻訳』してくれるんだ。おかげで僕があの時どれほどルリを怖い目に遭わせたかやっと分かった。ほんとにごめん!」

 こ、これはまた……ずいぶん進歩していますね。今度会ったとき、コツを伝授してもらいましょうか。

 「もう二度とあんなことはしないから、許してください!」

 「いいですよ」

 私は何か心の中が暖かくなったような気がして、そういいました。

 「ルリ……アキトも、ハルナも、きっと戻ってくるよ」

 「そうですね。そう、信じなきゃいけませんね」

 思兼、慰めてくれるのですか?

 「ハルナのおかげで、僕、人間の感覚って奴が、少しは理解できるようになった。今度はあんな事しないからね」

 もう、大丈夫ですね、本当に。

 「でさ……また落ち込んだら、ここにきなよ。いつでも慰めてやるからさ」

 そういうともじもじと恥ずかしそうにし……いきなり私のほっぺたにキスをしていきました。
 そのまま脱兎の如く逃げ出します。

 「な、何をするんですか!」

 「ハルナがここまでならオッケイだっていったんだよ〜〜〜」

 やれやれ。大丈夫でしょうか。
 どうやら落ち込んでいる暇はないみたいです。
 これからも頑張りましょう、思兼。







 「しかし見事にしてやられたな、今回は」

 「事前に分かっていれば、いくらでも手を打てたものを……」

 「これでヨコスカに入港したときに、テンカワ君とハルナちゃんを引き込むのは無理になったな」

 「テンカワ君もそうだけど……何と言ってもハルナを持って行かれたのが大きいわ。ただでさえ、彼女に残された時は少ないのに……」

 「仕方がない。ネルガル本社としても、ここであえて損害をかぶってまで二人の放出を押さえたとしたら、逆に疑われることになる。彼らにはそれだけの価値があるとはいえね」

 「また二人とも、そうまでして自分がかばわれたとしても、あまり恩に着る性格じゃないしね……」

 「無償の善意なら一生涯恩に着てくれるだろうけど、作為には強烈に反発するからね、特にテンカワ君は」

 「そうなのよね……まだハルナの方が取引に応じてくれそうなんだけど、今ひとつよく分からないのよね、あの子」

 「まあ仕方ない。調査の上、バックアップを万全にしよう。徴兵じゃなく、徴用だったんだろう?」

 「そう……どうやら上層部で、テンカワに対する指揮権を誰がとるかでもめたあげく、結局誰にも渡さないことで決着が付いたらしいわ。時には情報が逆の武器になるって言うことね。彼の戦闘力について、正確なところが伝わっていなかったら、素直に極東軍あたりに持って行かれて、なんにも手出しが出来なくなるところだったわ」

 「つまりまだ彼とネルガルとの縁は切れていないって言うわけか。信頼できて、誰か彼のサポートが出来る人材はいるかい?」

 「いるわ。信用は出来ないけど。あのウリバタケ整備班長と同じ性格しているから」

 「ほう……誰だい?」

 「レイナ・キンジョウ・ウォン……あたしの妹よ。技術者としてはナデシコのスカウトに上ったくらいの腕前。さすがに私が止めたけど」

 「説得でかい?」

 「権力でよ。当たり前でしょ」

 「ははは、何となく性格が分かったよ。よし、その線で行こう」





 「これでよかったのよね、小娘」

 全く大したタマだわ、あの娘。今回の事件が起こるやいなや、アタシにコトの青写真を引かせて。
 幸い受け入れ先が見つかっていたから、何とかなったけどね。テンカワは無事に、軍の組織に組み込まれることなく、ナデシコを離れたわ。
 けど、醜いものね。情報が漏れれば、独占されないためにテンカワアキトはフリーになる。見事に読み通りじゃないの。
 アタシもついこの間まではそっちにいたのよね。

 ……そういえばあの小娘、自分が行った後、必ず起きることがあるから、対処を間違えるなって言っていたわね。ほんとかしら……あら、来客?

 「提督、失礼します」

 ……本当に来たわ、ホシノルリ。

 「お聞きしたいことがあります」

 単刀直入ね……小娘の言った通りだわ。

 「何故アキトさんは……軍に? やはり、私のせいなんですか?」

 「違うわ、それも理由の一部だけどね」

 私は小娘に教えられた通りに答えたわ。あの娘は言っていた。嘘じゃなくても、言い方には気をつけろ。あの娘は見た目によらず感情的で、誤解されたら手に負えないって。
 確かにそんな感じね。もっと冷静なタイプかと思っていたけど。

 「一番の理由は……この件が無くても、テンカワに対する徴兵命令は、いずれ出たって言うことよ」

 「そんな……あれだけ情報は押さえていたのに」

 「情報の入手法は何も発信元だけじゃないわ」

 アタシが指摘すると、露骨に体がこわばったわ。

 「たとえば現場で映像記録をとる……ナデシコに注目しているのは、敵や連合軍ばかりじゃないって言うことよ。各地のジャーナリズムやライバル企業……歴戦の勇士たるナデシコの情報を、命を賭けてでもほしがる人間は何処にでも居るわ」

 アタシも言われるまでは気がつかなかったけど。
 あ、この子にも心当たりがあるのかしら。

 「でね、一応アタシも軍人だし、あのテンカワアキトがそんなことになったら、絶対ただじゃすまないことくらいは理解しているつもりよ」

 コクコクと目の前でうなずくホシノルリ。こうしているとかわいい小娘なのにね。

 「で、あえて私は情報を漏らしたわ。先手を打って。あいつらは言いつくろっていたけどね。あんなの嘘っぱちよ。第一あらかじめ分かっていなかったら、どうして長官の命令書を持ってこれるの?」

 あら……いきなり怒気に包まれて。確かに感情的な子ね。

 「何故なんです……提督」

 「あわてないで。先手を打ったからこそ、出来ることもあるのよ。アタシが工作したせいで、軍も政治家もパニックになったわ。テンカワアキトへの命令権を握ることは、事実上一軍を握るに等しいって気づいたのよ。馬鹿な話よね。あの男がそんな欲望まみれの、理不尽な命令には従うはずはないのに」

 ふう、おさまってくれたわ。小娘の言う通りだったわ。アタシじゃ絶対誤解されてたわね。

 「確かに……アキトさんなら、そうです」

 「ま、そのせいで上は疑心暗鬼になっちゃってね、結局アタシがこっそり提案した通りに決着が付いたわ。テンカワアキトへの命令権は、誰も持たないこと。民間企業からの1協力者として、苦難に陥っている前線の戦局を好転させる目的で投入すること。だから徴兵じゃなくって徴用だったのよ」

 「それじゃ……提督は」

 「アタシをあんまり馬鹿にしないでよね、ホシノルリ。彼がどんなに扱いにくい男かは、アタシだって理解しているわ」

 そういったらこの子は……深々とおじぎをしたわ。

 「申し訳ありません……提督のことを、誤解していました」

 「いいのよ。時にはそういう仕事もあるって言うこと。こういう汚れ仕事は大人に任せて、あんたはテンカワの帰りを待っていなさい。それまでナデシコを落とさないようにね。あんた達がちゃんと頑張っていれば、そのうちテンカワも帰ってくるだろうし、私だって昇進できる。いいことずくめじゃないの」

 我ながら詐欺みたいな言い回しね……でも、この子には思いっきり効いたみたい。
 なんかずいぶんと元気になって出ていったわ。
 小娘はあの娘が味方に付けば、ずっとナデシコの居心地がよくなるって言ってたけど……

 まあ、結果はこれからね。
 けど、本当に大したタマね、テンカワハルナ。
 あんたの書いた策が、どんな結果を出すのか、しっかり見届けさせてもらうわよ。
 少しは期待しているんだから。







 外伝「漆黒の戦神」へと続く。






 あとがき。

 悪です。
 ハルナ、悪です。
 マッチポンプも極まれりです。
 アキトにやめろって言われてたのに、ムネタケはおろかルリや思兼まで操っちゃって。
 我ながらひどい話を書いているものです。大魔皇様には及ばないけど。
 といっても私と大魔皇様ではダークの質が違うからな。
 うまく言葉には出来ないけど。



 次回からは外伝、漆黒の戦神シリーズ。
 ハルナも大爆走の予定。
 予告通りメティちゃんは助かるのか。
 テツヤは救済されるのか。
 見所満載で送ります。

 ダークサイドハルナも全開ですけど。



 後前回、ちょっとミスをしてしまいました。
 アキト、昂気に関する口伝は受けていなかったのね……。使った人も間違っていたし。
 でもここは訂正できない伏線が張ってあるところなので、後で月臣君に泣いてもらうことにしました。
 何故泣くのかはたぶん月当たりで分かるでしょう。
 こうして歴史は書き変わっていくんですね(笑)……。

 そしてこの伏線は、いずれ登場する真紅の羅刹の運命すら歪めていくのです。
 いや、何故北斗はDFSをコントロールできたのか気になって。
 基本的にフィールドの集束装置であるDFSは、IFSが無いと自在には操れないはずだし。ナオさんだってフェザーを打つために特製のIFSをつけていたし。
 この件って、どうなっていましたっけ? 北斗、IFSもっていなかったですよね。



 後、作中出てきた仮想の究極マシン『ハイペリカム』。
 モデルは『ダイソード』の『聖杯のカラ』です。
 分かる人には分かるでしょうけど……当然『変形』します。
 ちなみにハイペリカムという名前は弟切草の学名からとりました。
 英語だと『聖ヨハネの草』という間抜けな名前になってしまうので。
 なお、弟切草の花言葉は……『秘密』です。

 

 

代理人の感想

 

大魔皇・・・ひどい言われようですねぇ。・・・・ま、しょうがないけど(核爆)。

それはさておき、ダークがどう違うかと言うことですが「痛いか痛くないか」という一点じゃないでしょうか。

ゴールドアームさんのダークは底抜けに恐ろしくはありますがあまり痛くはありませんから。

 

さて、次からは「漆黒の戦神」ですが・・・・果たして「テツヤ育成日記」はあるのでしょうか?

メティちゃんの生死以上に私はそれが気がかりです(核爆死)。

 

ちなみに、北斗はIFSをつけています。

ただし「時の流れに」本編中では一言半句たりとも言及されてません(核爆)。

これについては多少更新した人物辞典(非公認)を参照して下さい。

 

 

追伸

あ、あれが「究極メカ」っすかぁっ(超爆)!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ ハルナの体重に関するこっそりとした考察(笑)

 

この問題を考える際にあたって導き出すべき要素は「ハルナの体の容積」と「彼女の肉体の比重」です。

まず比重に関してですが、彼女の体は普通の人間と違ってナノマシンで構成されていると言うことが一つ。

ナデシコ世界のナノマシンは基本的に金属製ですし、

ハルナと同じタイプのマシンチャイルドの遺体から現行のオペレーター用IFSが作られたと言うことからして

この話でも金属製なのは間違いないところであると思われます。

金属の比重、例えば鉄は人間の肉体(水とほぼ同じ比重)の約5倍(これでも金属の中では軽い方)。

軽いとされるチタニウムでも約4.5倍です。

つまり、ほぼ全身ナノマシンである彼女は同じ位の体格の人間の数倍の体重を持っていることになります。

で、彼女の体格についてですが文中にはっきりとしたデータがあったかどうか思い出せないので

遺伝子を共有しており、かつ様々な描写(主にプロポーションとキスシーンの(笑))からして

体型的に近いと思われるユリカのデータで代用してみましょう。

ユリカの身長体重が166cm、52kg。

まあ、50kg前後として・・・最低でも200kg!?

良くルリちゃん一人で運べたもんだ(爆)。

 

まぁ、「再び」の世界のナノマシンは実はタンパク質製である可能性も無くは無いのですが(笑)。

その場合は「筋肉質な人間」と大差ない体重だと思われるのでどう考えても100kgは越えないでしょう。

それにしたって十一歳の運動不足の女の子に運べるかどうかははなはだ怪しい物ですが(笑)。