再び・時の流れに 
〜〜〜私が私であるために〜〜〜



 第15話 遠い星から来た『彼女』……兄さん、なんでこんな所にいるの!?……<その1>



 「早く思い出してね?」

 目の前の女性は、そう言い残して私の目の前から去った。
 ……思い出すことは、不可能なのだが。
 なぜなら私は、あなた方の思っている人物ではないのだから。
 私の真実の名前は、白鳥九十九。木連優人部隊所属、戦艦『ゆめみづき』艦長である。



 カーテンで仕切られただけだが、私は一応一人になれた。
 ベッドの上で、じっと手を見る。その視線は、隣のくずかごへと向いてしまう。
 気がついたとき、手に握らされていたメモ。誰が渡したものかは分からない。
 ただ、そのメモには、こう書かれていた。



 要廃棄。

 何を言われようとも、記憶喪失のふりをしていること。無理する必要は無し。ただし、追って接触あるまでそうしていないと、舞歌さんには会えないぞ。
 あと、ちょっと意外な人物がここにはいるけど、絶対驚かないこと。相手も記憶喪失だから。

 『草』より。



 私はそれを見た後、すぐにメモを細かくちぎってゴミ箱に捨てた。
 焼却する方が確実だろうが、残念ながら火種がないし、燃やす場所もない。
 だが不思議だったのは、誰も私を見て怪しまないことだ。
 てっきり尋問をごまかすための指示だと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
 初めは、ここがどこかも分からなかった。だが、明らかに見慣れぬ人々、そして、失われて久しいメリケン語の響きが混じる言葉。
 ここが我々木連に所属するものではないのは明らかだった。
 地球のどこかなのだろう。
 そう思った私は、とりあえず様子を見た。
 その結果一つ分かったことは、私は『ヤマダ ジロウ』という人物だと思われているらしい、ということだった。
 なぜそう思われているのかは分からない。だが、あまりにも怪しまれないその様子から、ひょっとすると私によく似た人物なのかも知れない。
 ここで一番実力があるらしい、金髪の麗しい女医殿は、私を診察してこう告げた。

 「外傷は大したことはないわね。まあ、丈夫なあなたのことですもの、そう簡単にはくたばらないとは思ってたけど、アサルトピットの損傷が思った以上にひどかったから、万が一のことがあったらどうしようかと思ったわ……ま、記憶の混乱なんて一時的なものよ。あなたの好きなゲキガンガーでも見ていれば、きっとすぐに思い出すわよ……ほら、頭は忘れても、体はちゃんと覚えてるじゃない。反応していたわよ、ふふふ」

 私は不覚にも『ゲキガンガー』の言葉に、体を震わせてしまった。だが、目の前の女医殿は不審がりもしない。
 この地球世界にも、ゲキガンガーは存在しているのだろうか。
 いや、そうなのだろう。そうでなければ彼女の反応は理解できない。

 「ま、けどもう少し寝ていなさい。記憶が不安定なあなたには安眠しにくいのかも知れないけど、大丈夫よ。今は体を休めて、怪我を治す方が先。健全な精神は、健全な肉体に宿るって言うでしょ?」

 私は女医殿の忠告に従うことにした。







 >SEIYA

 「班長、これを!」

 「ん……のわわわっ!」

 さすがに俺も驚いた。例の新型巨大メカ……ゲキガンもどきのアレを解体していたら、なんとコックピットみたいな場所が出てきやがった。
 しかもその中から、ポータブルのディスクユニットと古いCDディスク……今時誰も使わないようなアナクロのディスクが出てきた。
 もっとも、なんでそんなもんが出てきたのかはすぐにわかった。コックピットから出てきたものはほかにもいろいろあったしな。ゲキガンガーのポスター、ヤマダの持っていそうなゲキガンガーの人形(いわゆる激合金って言う奴だ)、ゲキガンガー座布団(クッションとは言わせない)等々……ディスクユニットも、こればかりは200年以上変わらない三角印のボタンを押したところ、かかったのはゲキガンガーのオープニングテーマだった。この手のディスクは100年くらい前の骨董品が結構リプレスされていて、マニアも多い。下手すりゃ100年前当時の品が、結構現役で聞けたりもする。このタイプのドライブは見たことがないが、表記が日本の漢字な所を見ると、当時のメーカーのコピー品だろう。

 「あ、なんですか、それ」

 俺がディスクをいじくっているのを見て、ハルナの奴が寄ってきた。そういえばこいつも結構ディープなマニアだったな。

 「オールドタイプのディスクだよ……どうもこいつ、人が乗ってたみたいだぜ」

 「えええっ!」

 ま、そりや驚くわな。

 「これ、有人機、だったんですか?」

 「ああ。パイロットは脱出していたみたいだがな」

 「そっか……でも、これを見ると、乗ってる人、別段異星人じゃないみたいですね。異星人だとしても、ジュエル星人みたいに、人間そっくりの種族ですね」

 「異星人か……そうなるのか?」

 ハルナに言われて、改めて俺は考え込んだ。

 「でも、そんな訳ないですよね。なんで異星人がゲキガンガーのCDなんか持ってるんですか? それもこんな骨董品。これ、多分当時出たまんまのディスクですよ?……あ、ケースもあった。わ、きっちり歌詞カードがラッピングされてる。これ、オークションに出したらマニアが相当な値段で買いますよ?」

 ハルナの差し出したディスクを見て、俺の目が飛び出した。

 「うお、確かに」

 幻の一品とされている、第一期バージョンのCDであった。ちょうどこれが発売された直後、月と地球の間で戦争が起こり、この1号ロットは月面に止め置かれたまま、地球に入荷しなかったのだ。後に地球で再販されたのはジャケットの色が違う2号ロットである。1号ロットは、当時地球から侵攻した軍人達が持ち帰ったものしかないと言われているのだ。まさにマニア垂涎のお宝と言えよう。

 「このパイロット……とんでもないゲキガンマニアだぞ!」

 「じゃあ……地球人なんですか?」

 ハルナに言われて、俺の思考は固まってしまった。
 どうもこれは……ただごとじゃあすまない気がする。

 「すまんハルナ、みんなにこのまま作業を続けるように言っておいてくれ」

 「どこ行くんですか?」

 「艦長達の所だ」

 俺はそういうと、ディスクを片手に格納庫を飛び出していった。







 30分後。
 俺は艦長、副長、提督、副提督の4人……要するに艦の頭と顔をつきあわせていた。

 「とんでもない話だ。あのゲキガンもどき、どうやらパイロットが乗っていたらしい」

 「えええっ! どういう事ですか?」

 「それは……」

 艦長と副長が、そろって声を上げる。提督たちは……意外と冷静だな。

 「それも、異星人とかじゃねえ。多分、地球人だ。見てくれ、こいつを」

 俺は発見されたCDを差し出す。

 「こいつは100年くらい前に地球で発売されたものだ。それも滅多に手に入らないレアものだ。こんなもんを持っている異星人がいるとは、ちょっと考えられないぜ」

 「確かに……」

 副長がディスクを片手につぶやく。

 「是非とも鹵獲したかったですね、パイロットも。そうすれば、敵のことが何かわかったかも知れないのに……」

 「え、でも、そうすると、木星蜥蜴って、木星から来たんじゃないって事?」

 艦長が鋭いことを言う。俺もちょいとその辺が気になったんで、こうしてわざわざ報告に来たんだ。珍しい技術が多いが、同時にどっかで見慣れた技術も多い。言いたくはないが……ナデシコのものと、どことなく似通ってやがる。
 と、その時だった。

 「艦長、この問題、今ここでこのまま協議していても始まらない気がするわ。整備班長、あなたの提言、下手をすると連合軍そのものを揺るがすことになるかも知れない。悪いけど、少しだけおとなしくしていてくれないかしら」

 あのキノコの旦那が、別人みたいに切れる目をして俺に言った。初めて会った頃の無能っぷりが信じられないぜ。
 だが、俺だってガキじゃない。女房子供もいる身だ。提督の言いたいことくらいわかっている。

 「まあ、たしかにな。とりあえず整備班には口止めしておくが、あんまり隠しきれると思うなよ? ここはナデシコだからな」

 「ええ。それでいいわ」

 それを聞くと、俺は解放された。
 ま、どんな結論が出るか、興味はあるけどな。とりあえずは、作業を続行するか。



 だが俺は、それが不可能になったことをすぐ知るハメになった。






 >RURI

 歴史の改変というのがいかに難しいかを、私は今思い知っています。
 月へ向かうナデシコの中は、平穏無事です。前回は逃げ出した九十九さんを探索する整備班の人たちでごった返していたはずなのですが、今回はそんなこともありません。
 ヤマダさんは記憶喪失になるし、敵のメカは一体増えるし、前回とはまるで別の歴史をたどっています。
 けど……そうなると、ミナトさんと九十九さんはどうなってしまうのでしょうか。ミナトさんと九十九さんの出会いが、和平の大きなきっかけになったのですから。

 「なんか聞いていたのと違いますね」

 私の隣で、ハーリー君が話しかけてきます。いま私は、ハーリー君とラピスに、ナデシコAのオペレーティングの基本をレクチャーしているところです。まあ二人ともなれたもの。全然問題なく作業はこなしてくれますが、ナデシコAは彼らから見れば旧式の戦艦、ナデシコBやユーチャリスになれた彼らから見れば、細かい設定とかに当然差があります。その差分を、今のうちに補完している、と言うわけです。
 まあ、こうして手が空いたおかげで、今ハルナさんは人手の足りない整備班に行きっぱなしです。西欧でのこととか、いろいろ聞きたいことはあったんですが、結局ある程度聞けたのは、この間の夜に行なった密談くらいでした。

 「前回はここで九十九さんがナデシコの中を逃げ回っていたんですよね」

 「ええ、そうだったんですけど……今回、発見されたテツジンのコックピットからは、すでに搭乗者が脱出したあとだったらしいんですよね」

 「それじゃ、その九十九とか言う人、ひょっとしたらナデシコに乗ってないの?」

 ラピスの何気ない一言こそ、私の最大の懸念です。アキトさんもいない今、この状況をどうにか出来るのは、私か……ハルナさんくらいしかいません。
 やっぱり相談してみましょうか。
 ハルナさんは今……食事中ですか。ちょうどいいですね。私もおなかがすきましたし。

 「ハーリー君、ラピス、私はちょっと食事に行ってきます。その間、オモイカネとの対話、進めておいてください」

 「わかりました、か……ルリさん」

 「ん、わかった」

 相変わらずハーリー君は私のことを艦長と呼びそうになります。そう呼んだら口聞いてあげませんと言ったのが効いたようで、どうにか私のことをルリさんと呼べるようになりました。ラビスのぶっきらぼうもいつも通り。明るくなってはいるらしいのですが、なぜか私とハルナさんにだけはそこはかとない敵意のようなものを向けてきます。
 何故なんでしょうか。
 とりあえず私は、食堂へと向かいました。



 食堂では相変わらずハルナさんが、豪快な食いっぷりを披露しています。
 噂に聞いたところによると、西欧に出張中に、フードファイトの試合で優勝したそうです。まあ、あの食べっぷりなら無理もないかと思いますけど。
 けど、結構苦戦したらしいという噂もあります……世の中、広いですね。
 それはともかく、私はホウメイさん特製のラーメンテンカワ風味を手に、ハルナさんの隣に座ります。
 彼女の隣は、食いっぷりに当てられるせいか、たいてい空いています。
 一口戴いてから、私はハルナさんに話しかけました。

 「内密のお話、よろしいですか?」

 「ん?」

 スーパージャンボカツ丼の、最後の一切れを飲み込んでから、彼女は私に答えました。

 「何のこと?」

 「例のことです」

 「ああ」

 彼女はすぐにわかってくれたようでした。

 「ごめん、今は忙しいから72チャンネルで」

 「そうですか」

 私は気のない返事をします。そういえばハルナさんは、端末を通さずにオモイカネとコンタクトがとれたのでした。ご飯を食べたあとなら、燃料切れの心配もありません。
 私も素早くラーメンを食べると、そのままブリッジへ戻りました。
 と、艦長とジュンさんが、引きつった顔で格納庫の方に向かっています。
 何かあったのでしょうか。



 聞くまでもありませんでした。二人が通り過ぎた直後、メグミさんの声が艦内に響き渡りました。

 「緊急放送、緊急放送! ナデシコ艦内に、侵入者発見! 警護班の方以外は、直ちに最寄りのブロックに避難してください!」

 「あ、かんちょ……ルリさん、緊急事態です! すぐにブリッジに!」

 「来てちょうだい!」

 そしてコミュニケに開く、ハーリー君とラピスの慌てた顔。
 なんでしょう、一体。

 「すぐに行きます……何があったんですか?」

 「侵入者です!」

 間髪を入れずにハーリー君が答えを返します。
 それは今放送で聞きましたが。

 「……白鳥さん?」

 小声で聞いてみますが、二人とも首を振りました。

 「例の3台目に乗っていた人みたい」

 「絶対白鳥さんじゃないと思うよ」

 何故そう言い切れるのでしょうか。

 「どうしてですか?」

 そう聞いた私に、ラピスが答えます。

 「だって……女の人みたいだもん」

 そういってラピスが、私のコミュニケに格納庫の映像を送ってきます。
 それはほんの数分前の録画でした。ボンテージZとか言うらしい、女性型メカの頭部を解体している場面です。構造的にテツジン……白鳥さんの機体と同種のタイプなら、そこにコックピットがあるはずだと言うことで、慎重に解体が行われています。そして非常用らしき開閉スイッチを操作した瞬間でした。
 内部から吹き出す漆黒の風。よくは見えませんでしたが、確かに長髪の女性らしい姿がカメラにはっきりと写っていました。女性は手に握られた2本の棒を自在に操り、瞬く間に整備班の男どもをなぎ倒して、そのまま逃走しました。

 「確かに白鳥さんじゃありませんね」

 私がそうつぶやいたとき、ちょうどブリッジに着きました。



 直ちに私は、艦内の監視システムを立ち上げ、セキュリティレベルをMAXに上げます。登録された搭乗者ファイルと艦内にいる人を、片っ端から照合していきます。
 ですが……不審な人物は発見できません。

 「いないね」

 「見つかりませんね……」

 手伝ってくれているラピスとハーリー君も、同じことを言っています。
 と、そこに思兼から割り込みがかかりました。

 「これは……どうも整備用のスペースに潜り込まれたかもしれない」

 「?……どういうことです」

 「怪我人の配置が、ちょうどこの辺でとぎれているんだ」

 艦内マップに、マークが付きます。

 「ここにはちょうど、艦内メンテナンス用の通路への隠し入り口がある。さすがにそんなところにまで、監視カメラは付いていないからね。こうなってみると、明らかに設計上の欠陥だけど」

 そんなところに通路があったのですか? 私も知りませんでした。まあ、私だってナデシコの設計図をまるまる暗記しているわけではありませんから、見落としはあったと思いますけど。
 でもあの辺に、そんな扉などなかったはずですが……
 私がそれを聞くと、思兼は艦内図を表示しながら教えてくれました。

 「整備用の隠し通路だし、勝手に人が入らないように偽装されている。素人目には絶対見つからないよ。そもそもその通路の存在を知っているのって、僕とウリバタケさん以下、直接整備している人たちだけの筈だけど」

 ……物騒な話ですね……でも、あれ?

 「変だよ、それ」

 ラピスも思兼に問いかけています。

 「その逃げてきた人は、何故それを知っているわけ?」

 「そういえばそうですね」

 私も同感です。

 「僕にはわからない」

 思兼の返事はこうでした。

 「僕は論理的にあり得る可能性を指摘しただけだよ。僕の監視に引っかからない場所は、ここしかないから」

 前の世界より遙かに賢くなったと言っても、思兼はまだ『子供』です。そこまで要求するのは酷だと言うことでしょう。

 となると考えられる理由は……

 「スパイ、ですか」

 「それも変」

 私のつぶやきは、直ちにラピスによって遮られます。

 「どうやって木連がこのナデシコにスパイなんか送れるわけ?」

 「それもそうですね」

 結局、私たちの思考は、すぐに行き詰まってしまいました。
 どうしましょう、アキトさん……







 >TSUKUMO

 「ヤマダ君、悪いんだけど」

 目が醒めると同時に飛び込んできたのは、あの金髪の女医殿の顔だった。

 「どうかしましたか?」

 寝ぼけつつも、私はそう答えた。そうして起きあがったところで、私は異変に気が付いた。
 ものすごい数の男達が、ベッドに寝ている。見たところ非戦闘員のようだが、皆一様に苦痛に顔をしかめていた。その様子が、かつての記憶にダブる。
 イヤな予感がしていた。

 「……これは一体」

 「あなたが寝ているうちに、ちょっとした事件があってね」

 女医殿は、そういって彼らの方を見渡した。

 「記憶喪失のあなたに言っても仕方ないんだけど、侵入者があったみたいなの。で、怪我人続出。そんなわけでベッドが足りないのよ。さすがにこうなると、とりあえず肉体的に異常のないあなたを、ここに寝かせておく余裕がないの。悪いけど、自室で寝ていてくれる?……っていっても、自室がどこかわかんないか。誰か案内できる?」

 「ん、あたしでよければ」

 答えたのはやはり女性のようだった。その女性を見て、私の脳髄に、何かとてつもない衝撃が走った。
 美しい。少々みだらな感じがするのが残念であったが、その瞳に宿っているのは、母の優しさであった。

 「あらミナト、なんであなたがここに?」

 「ブリッジに行こうと思ったら例の放送があったのよ。で、たまたまここに」

 ミナト、と言うのか。
 女医殿は、苦笑いを浮かべつつも言った。

 「それじゃ仕方ないか。悪いけどお願いするわ。忙しくなりそうなので」

 「じゃ、ヤマダ君、行きましょうか」

 私はベッドから起きあがった、が、ちょっとふらついた。

 「わっ、しっかりして……大丈夫なの、イネスさん」

 私は思わずその女性にもたれかかってしまった。

 「し、失礼しましたっ!」

 反射的に直立して、敬礼までしてしまう。
 女性はあっけにとられたような顔になり、次いでくすくすと笑った。

 「なんか新鮮ね、こういうのって。でも、その様子なら大丈夫そうね」

 それでも、と、彼女は私の体を支えるように密着した。
 別の意味でふらつきそうだ。

 「部屋まで案内すればいいのね」

 「ええ、今のも多分単なる立ちくらみよ。肉体的にはもう外傷はほとんどないんだし」



 私は彼女に案内されつつ、自室(?)に向かった。
 ただ、気になるのは、侵入者に倒されたという男達の様子だった。
 あれは木連式短杖術で倒されたようにしか見えなかった。
 舞歌様。
 我々の上司である女性の姿が脳裏に浮かぶ。
 どうやら捕まった様子はないが……気になる。
 無事に逃げ切ってください。



 「あの……すみませんが」

 道行き、私は一番気になっていたことを彼女……ミナトさんに聞いた。

 「ここは……どこなのでしょうか。病院とも違うようですし」

 彼女はまさに、「あっけにとられた」としか言いようのない顔になった。

 「本当に記憶喪失なのね……そんなことまでわかんないなんて」

 そして彼女は、私に告げた。

 「ここはナデシコの中よ。機動戦艦ナデシコ。今のところ連合軍で一番強い戦艦の中よ。現在は月に向かって航行中。あなたはヤマダジロウ。人型機動兵器、エステバリスのパイロット。そんなことも忘れたの?」

 「はあ……」

 気のない返事はしたものの、内心私は驚いていた。
 ここが、戦艦の中? どう見ても一流ホテルか上流居住区の中にしか見えない。
 我々の知る戦艦の中とは大違いである。
 そして彼女は、私の手を取った。

 「このIFSのタトゥーがあなたがパイロットであるという証よ」

 なんだ、これは?
 私の手には、見たこともない、光る入れ墨のようなものがあった。
 いつの間に、こんなものが……
 この細工をしたのも、『草』とか言う人物であろうか。



 「ここよ」

 『山田二郎』と書かれた文字を『大豪寺凱』と書き直した、何とも珍妙な表札のある部屋へと、彼女は私を案内した。
 扉脇のボタンを押すと、自然にドアが開く。
 中を一目見た瞬間、私は大変な衝撃に見舞われた。
 そこは、宝の山であった。
 見覚えのあるもの、見たことのない物、様々なゲキガングッズが、部屋中所狭しと飾られていたのである。
 そして部屋の片隅におかれたテレビに映っている、ゲキガンガーの映像。
 だが恐ろしいことに、私はそこに映っている場面に見覚えがなかった。
 言っておくが私は、どんな場面を見ても、それが何話のどの場面かを指摘することが出来る。さすがに専門用語でバンクという、同じ場面の繰り返しだけは指摘しきれないが、それでもその場面が何カ所あるかはすべてわかる。
 だが、テレビに映っているシーンに、私は全く見覚えがなかった。だが、画面には間違いなくゲキガンガーが映っている。
 考えられる可能性は一つ。
 今映写されているのは、幻の3話のうちの、どれか一つと言うことだ。
 と、それに気が付いたミナト嬢が、部屋の中に入ってきた。

 「あら、なんでテレビがつけっぱなしなのかしら。誰もいなかったはずなのに」

 そういってテレビのスイッチに手を掛ける。
 その瞬間、私は反射的に叫んでいた。



 「「消さないでくれ!」」



 ……ん?

 今……自分の声がダブって聞こえたような気が……

 部屋の中を見回した私は、思わず心臓が止まりかけた。
 テレビがよく見える位置に置かれたベッド。
 その上に、紛れもない『私』がいた。



 「だ、だれだ、おまえは!」

 目の前の、顔も声も私そっくりな男が叫ぶ。
 その瞬間、私は何故誰も私のことを疑わなかったかをはっきりと理解した。
 だが、次の瞬間、私の口から出たのは、自分でも思わぬ言葉だった。

 「こ、この話はゲキガンガーの第何話なんですか! 9話? 13話? それとも33話か?」

 この3話は、木連で幻となっている回なのである。
 目の前の男は、別の意味であっけにとられたようだが、次の瞬間、何かを悟ったかのようににやりと笑った。

 「よう、そっくりさん……誰だか知らないが、あんたも相当のゲキガンガーマニアと見た。けど、どうやらその3回だけ見損ねたみたいだな。ま、それでも大したもんだぜ。けど……だとしたら聞いて驚け、これはそのどれでもない。幻も幻、この俺ですら見たことがなかった、劇場版だ!」

 「な……なんとっ!」

 ゲキガンガーほどの作品、確かにその可能性はある!

 「それによ、お前さんの知らない3話も、ここにはあるぜ」

 「み、見たい! 是非ともみたい!」

 その瞬間、私の頭の中からは、すべてが消え去っていた。恥ずかしながら、使命も、立場も、何もかも。
 そのため、すぐ側にいた女性のことすら、私は失念していた。

 「あ……あなた、誰なの? ここで寝ていたのが、本物のヤマダ君ね!」

 む……見た目によらず聡明な女性だ。私と彼との会話から、私の方が偽物だということをきちんと見抜くとは。

 「みんな! ここに「待ってください!」

 きびすを返して異常を知らせようとした彼女を、私は反射的に止めていた。
 走り去ろうとする彼女の手をとっさに掴む。
 この際、正体を明かすことにためらいはなかった。だが、誤解されたくはなかった。
 憎っくき地球人の中にも、ここまでゲキガンガーを愛する者もいるのである。ひょっとしたら彼となら、たとえ敵同士だとしても、天空ケンとアカラ王子のような、正々堂々と戦うライバルになれるかもしれない。
 その機会を逃したくはなかった。
 だが、とっさのこと故、彼女は勢い余ってバランスを崩してしまった。

 危ない!

 私はとっさに体を入れ替え、彼女の安全を確保した。
 ごいん。
 後頭部が激しく壁にぶつかる。そこに彼女がのしかかるような形に降ってきた。
 そして……

 「きゃあっ!」ばっち〜〜〜ん!

 頬に衝撃的な追い打ちを食らってしまった。
 だが、痛みはあまり感じなかった。
 彼女を受け止めたとき、不幸にも唇と唇が重なり合ってしまった……。
 そう、偶然とは言え、私は彼女と接吻してしまったのだ。
 相手の同意を得ていない行為である。殴られても当然のことなのだ。
 しかし彼女は、私を叩いた後、はっとした様子で自分の状態に気が付き、なんと私に頭を下げた。

 「あ、ご、ごめんなさい……どっちかっていうと私が助けられたのに……」

 この時、私の口から出た台詞は、多分一生物の傑作だった。

 「いえ……怪我の功名かもしれません。今の衝撃で、私は自分が誰だかをはっきりと思い出しました。
 私は木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパおよび他衛星小惑星国家間反地球共同連合体、通称木連所属、突撃宇宙優人部隊少佐、白鳥九十九と申します」

 「「は?」」







 >JUN

 「ウリバタケさん!」

 僕とユリカが格納庫に着いたのは、ウリバタケさんたちが怪我人を医務室に運んでいるところだった。

 「よう副長、艦長も一緒か。見てくれよこれ」

 まさに死屍累々、であった。

 「ひっど〜い、これ、みんな一人にやられちゃったんですか?」

 「ああ、まさに一陣の風、っていう奴だな。あっという間だったらしい。俺も報告しに行っていなけりゃこん中の一員さ」

 「で、その侵入者は、どんな人物だったのですか?」

 僕が聞くと、ウリバタケさんは即座に言った。

 「女らしいな」

 「「女!?」」

 僕とユリカの声がハモった。

 「俺も見た訳じゃないんだが、怪我をせずにすんだ奴の話じゃ、長い黒髪の……艦長をもう少し細身にしたような女性だって言ってた」

 「私、そんなに太っていません!」

 ユリカ……意味が違うって。



 「とりあえずブリッジに戻ろう。ここにいても埒が開かない」

 「そうね……ジュン君、あなたならどっちを狙う?」

 僕は一瞬混乱してしまった。

 「なんだい、いきなり」

 「侵入者さんが、どっちを狙うかなって言うこと」

 そういわれて僕も気が付いた。侵入者が身の安全を確保する方法には、大きく分けて3つある。
 脱出するか、人質を取るか、あるいは隠れきるか。
 だが、隠れきるのはまず無理だ。人間、何も食べずには生きていけない……相手が人間なら、だけど。
 一番現実的なのは脱出だ。だが危険度もかなり高い。相手は格納庫の位置を探り出し、脱出用の小艇を確保しなければならないのだから。
 となると……人質あたりが妥当だろう。ハイジャックや銀行強盗と同じだ。
 人質の安全と引き替えに、脱出用の小艇を要求するのだ。
 相手の腕を考えると、これが一番あり得る。

 「やっぱり、誰かを人質にするだろうね」

 「ジュン君もおんなじか」

 ユリカの目が少し細くなる。

 「まあ、報告がないってことはまだ逃げているみたいだけど……なんか引っかかってるのよね、とりあえずブリッジに急ぎましょう」

 「うん」

 けど僕はこの時、ある意味大変不謹慎なことを考えていた。
 テンカワがいないだけで、どうしてこう有能そうに見えるんだろう、と。



 意外に思うかもしれないが、僕のよく知っているユリカは、今僕の目の前にいるユリカだ。はっちゃけていて突拍子もないことはしょっちゅうだったけど、妄想を暴走させるようなことはあまりなかった。
 人の言うことを聞かないのは変わりなかったけど。

 それが。

 彼に……テンカワアキトに再会してから、すべてが変わってしまった。

 まるで思考のすべてを、彼のために回しているようだった。
 テンカワと対峙したときに、ハルナちゃんに言われたことは結構ショックだった。
 自分なりに彼女との関係を、考え直してみたりもした。
 結論、やっぱり僕はユリカが好きだ。だけど、ユリカは彼が好きだ。

 けど、今……僕は揺らいでいる。

 今の彼女を見て、僕はあることに気が付いたからだ。
 ユリカは……テンカワと一緒にいたら、間違いなく駄目になる。ユリカがそれを望んでいるのはわかる。だが、ユリカが彼とつきあっていたら……間違いなく、この連合軍随一の奇才は、無意味な妄想の中にがらくたとなって消える。

 僕は……どうするべきなんだろうか。

 あえて彼と別れさせることも、彼女のためなんだろうか。



 まあ、今はそれどころじゃない。
 僕はブリッジへと急いだ。







 >SHUN

 エラい騒ぎになったな。
 こうなると、この場にアキトがいないのが悔やまれる。
 別段、奴の戦闘力がほしい訳じゃない。そこまで俺たちはあいつに頼ったりはしない。
 意図を確認できないのが問題なのだ。
 ウリバタケ班長からの報告で、艦長や副長たちにも、あの新型メカには人が乗っていたことがバレた。俺と提督、西欧組、ネルガル関係の人間、あとハルナ君やルリ君たちは、それが木連の人間であることを知っている。だが、そのことを公表していいものか……その最終決定権を握っているのは、テンカワの奴だ。まあ、どうしようと怒る奴じゃないが、不在のうちにあんまりあいつの意向を無視した動きは取りたくない。
 そのことをとりあえず相談しようと思って、俺と提督はブリッジに駆けつけた。
 まあどっちにしろ、ここにいなければ始まらない。
 ブリッジに着くと、カズシとクラウドが、何とも言えない顔をして俺たちを出迎えた。

 「あ、提督、いいところに」

 「どうしたの?」

 質問する提督に、カズシは声を潜めていった。

 「艦長達が戻ってくる前に言っておきますが、お客さん……行方不明です。ルリ君たちの話だと、どういう訳か、メンテナンスハッチに潜り込まれたみたいで」

 「そうか……」

 俺は頭の中で情報を整理した。つまり市街戦で言えば、敵が下水に紛れ込んだようなものなのだろう。

 「まあ、船の中だ。脱出艇を押さえなければ逃げ切ることは出来ない。そっちは大丈夫なんだろう?」

 「はい、ドッグはすべて閉鎖されています。最終的には、人質を取って脅迫でもしない限り、単独での脱出は無理でしょう」

 クラウドもそう補足した。

 「アキトの奴は……どう思っているのかな」

 「無事に脱出してほしいと思っているはずです」

 そう答えたのは……意外にもルリ君だった。
 小さなウィンドウが、艦長席の後ろで輪になっている俺たちの中に現れる。
 器用なものだな。

 「どういうこと?」

 そう聞き返した提督に、ルリ君は真顔で答えた。

 「アキトさんにはこの場で彼らをどうこうする意図はありません。むしろ、ここでみんなが彼らを傷つけたり、逆に彼らが暴発してナデシコのクルーが傷つけられることを何より恐れています。そして彼らが、地球の人とも話し合う余地があることを知ってくれる方が、和平への道にとって、利益が大きい……そう考えているはずです」

 「なるほどね……わかったわ」

 提督も大きくうなずいた。

 「それはいいとして……相手の動きがわからないのは困りものね。どういう手を打ちましょうか」

 「……艦長達が戻ってきます」

 それを聞いて、俺たちは密談をやめた。

 「早く大っぴらに話せるようになればいいんですけどね」

 カズシのぼやきが、俺たちすべての気持ちを代弁していた。







 >REINA

 「参ったなあ……」

 コックピットから飛び出してきた人のせいで、整備班の約半数が、あっという間に怪我人になってしまった。

 (木連の人って……強いんだ)

 話には聞いていたけど、こうして目の前に人が出てくると、やっぱりビックリした。
 私は幸い、先に分解したこのゲキガンもどきの方にいた。だからあっちには巻き込まれずにすんだんだけど、喜んでいいことじゃない。

 (提督たちはどうするんだろう)

 私はそれが心配だ。
 私と、サラ、アリサ、そしてシュンさん、カズシさん、クラウドさんは、木連のことを知っている。あと、この前の夜に来ていた人。
 テンカワさんが教えてくれた。
 遠い昔に分かれた、私たちの同胞。
 それがいつの間にか、お互いがお互いを憎むようになってしまった。

 「話し合って、みたかったな……」

 ちらりと見えた姿は、どう見ても女の人だった。
 女同士、どんな話が出来るだろう。

 「実際、ハルナとだって仲良くなったんだし……???」

 そこでふと私は気が付いた。

 「ハルナ……どこ行ったのかしら」

 コミュニケを起動して、ハルナを呼び出す。
 けど。

 <現在このチャンネルは不通になっています。しばらくしてからつなぎ直してください>

 ???
 今までこんな表示、出たことなかったのに……
 イヤな予感がして、私はルリちゃんを呼び出した。困ったときのルリ頼みだ。

 「あ、レイナさん、なんですか?」

 ルリちゃんの声の背後に、ざわついた雰囲気が感じられる。
 みんな……緊張しているのかな?

 「ね、ハルナ、どこ行ったの?」

 「ハルナさんですか……!!」

 ルリちゃんの声が緊張に包まれた。思兼に何か聞いている。

 「ハルナさんの現在位置がロストしています……ナデシコの艦内でコミュニケをつけている限り、現在位置はわかるはずなのですが……」

 「それって……」

 「意図的にハルナさんがごまかしているか、あるいは」

 「あるいは?」

 私は背筋をひしひしと悪い予感が駆け上がっていくのを感じていた。

 「……侵入者と接触して、何かあったかもしれない、と言うことです」

 「それって!」

 「慌てないでください」

 焦るあたしに対して、ルリちゃんは意外なほど冷静だった。

 「彼女がそうそう不覚を取るとも思えません。私はどちらかというと、何か意図があって姿をくらましている方があり得ると思います」

 そういえば……そういうところがあるのよね、彼女。
 そしてルリちゃんは、ここから声を落として付け加えてきた。

 「何しろボソンジャンプ出来ますから……」

 そういえばそうだった。確か騒ぎの前にご飯食べていたし。

 「とりあえずこのことは気が付かない振りをしていてください。騒ぎが大きくなると余計にまずいです」

 「ん、わかった」

 全く、人騒がせな娘ね。けど……
 何を考えてるわけ? ハルナ。
 親友にも、話せないことなの?







 >MINATO

 「ふうん、なるほどなあ……」

 「驚いた……」



 そう、本当に驚いた。
 頭をぶつけたショックで、ぼんやりしていた記憶が完全に戻ったという彼。
 ちょっと嘘っぽいけど、私たちをだまそうとしてのことじゃないことは、何となくわかった。
 ヤマダ君そっくりな顔と声と体格をした、木星圏……「木連」でいいか……の、白鳥九十九さん。
 彼が私とヤマダ君に語ったことは、とんでもないことだった。
 100年前、月と地球の戦争の時、火星、そして木星に落ち延びた人達がいた。
 それが長い時間を掛けて「木連」になった。

 「我々とて、いきなり戦争を仕掛けたわけではないのです」

 ヤマダ君そっくりでも、表情は別人だった。

 「我々はただ、一言謝っていただければよかった……そして、共に手を取り合って生きていきたかったのです。けれども……地球の答えは、完全な『無視』でした。言い換えれば、彼らは我々に『死ね』といったも同じです。我々は存在してはいけないのだと……」

 「難しいな……」

 ヤマダ君も、まじめに考えていた。

 「俺は、木星蜥蜴は……うまく言えないけど、理不尽にもこちらに向かって攻撃をしかけてくる機械だと思っていた。ちょっと悪いが、木星蜥蜴は『悪』で、俺はそれをたたきのめす『正義』だってな。けど……そういいきれる話じゃなかったというわけか」

 「はい」

 白鳥さんは、きちんと正座をして、まっすぐにこちらをみる。私と、ヤマダ君を。

 「あなた方を直接悪くいうようで気が引けますが、そもそもその『木星蜥蜴』という言い方自体に、何者かの悪意が感じられます。誰が名付けたのかは知りません。民間から自然に発生したものなのかもしれません。けれども、私はそこに明確な悪意を感じます。『蜥蜴』と称することにより、戦っている相手が、いくら破壊してもかまわないもの……それこそ害虫か何かのように、『殺して当然』のもののように、相手をおとしめる意図を感じます」

 「うーん、そんなことは考えたこともなかったな……」

 ヤマダ君も、難しい顔をしている。
 そういえばヤマダ君、普段の言動はあれなんだけど、連合の学校では成績、かなり良かったのよね。
 そうじゃなきゃプロスペクターさんがスカウトしてくるわけがない。

 「けどよ、悪いけどまだ俺には、あんたは『敵』でしかない。人が乗っているとなるとやりにくいんだが、それでも護るべきものは護らなきゃならねえ」

 「それは当然だろう。私も今更抵抗したりはしない。責任者を呼んでくれ」

 そういう彼の姿を見ていて、私は何か胸の奥にちくりとしたものを感じた。
 この人は、少なくともこの人は、嘘を言っていない。
 私の『女』としての勘は、そう告げていた。

 けど……この人のことを知らせていいんだろうか……。

 ふと、あたしの中に嫌な考えがよぎった。
 今まで連合はこの事実を知っていたのだろうか。

 ……知らないはずがない。なのに知らない振りをした。と言うことは……

 この人は、存在そのものが連合にとって爆弾になる。
 ただの無人兵器、意図不明の侵略者が、明らかに認識可能な、『同族としての敵』になる。世論だってこのことを知ったらまっぷたつだろう。
 それは戦時下においては、よく見られる光景。
 継戦か、停戦か。
 けど、いずれにしても、この事実を伏せていた連合の背信行為は咎められることになる。
 そうすると……

 「ヤマダ君、駄目よ、彼のことを報告したら」

 「「へっ?」」

 わたしは、自分でも思いがけない言葉を二人に投げ掛けていた。

 「駄目。上の人がこの人のことを知ったら……彼、絶対に生きていられないわ」

 「それ、どういう事ですか、ミナトさん」

 白鳥さんはともかく、ヤマダ君も見たことがないほどまじめな顔になって、私に向かって、そう、問いかけてきた。
 そして二人の顔を見た瞬間、私の腹も決まってしまった。

 「白鳥さん、逃がしてあげる。あなたはここで捕まっていい人じゃない」







 >YURIKA

 ナデシコに侵入者があった。
 しかも行方は不明。ルリちゃんの報告だと、普通なら発見できないはずの、メンテナンスハッチに潜り込んだみたいだっていってた。
 それを聞いて私は目の前が真っ暗になった。それは、その人がその気になれば、ナデシコに……私の大切なこの場所に、深刻な被害を与えることが可能だということ。
 何とかしなくちゃ、だめ。
 今、私のほか、提督や副提督、ジュン君やクラウドさんも、みんなブリッジに集合している。早く見つけて、みんなの安全を確保しなければならないから。

 「どうしたものかな」

 シュンさんがこの場をとりまとめるように言う。この人は私たちと違って、その目でいろいろな戦いを見てきている人だ。その点に関しては、私も提督も足元にも及ばない。

 「まさかこの船に人が侵入するなんて……」

 「そもそも木星蜥蜴って、無人の敵じゃなかったんですか?」

 そうなのよね。私もそれが一番ビックリした。
 パイロットが乗っているなんて、考えたこともなかった。
 その人が今、ナデシコの中に、しかも、目の届かないところにいる。

 「ね、大丈夫かな」

 そう聞いた私に、ルリちゃんが平静な声で教えてくれた。

 「おそらくその心配はありません。メンテナンスハッチ自身は監視できなくとも、内部に何らかの障害が生じれば、即座にこちらでわかります。それに相手も、構造のわからない機械をむやみに壊したりはしないでしょう。そこまで馬鹿な相手とも思えませんし」

 「そっか……それもそうよね」

 相手の考えがわからないと言うことが、これほど不安を煽るとは思ってなかった。
 あたしも……堪えているのかな。
 今ここには、アキトがいない。いるのはあたしとアキトの大切な場所である、ナデシコを狙っている『敵』だ。

 敵……?

 そう考えたとたん、得体の知れない気持ち悪さがあたしを襲った。
 ちらっとしか見えなかったけど、艦内のカメラに写っていた侵入者さんの姿が私の頭をよぎる。
 ワタシハ、アノヒトヲ、コロス
 ドラマとかで見た、人の殺されるときのシーンが浮かぶ。
 ワタシハ、モット、オオクノヒトヲ、コロス……
 景気よく破壊してきた敵の戦艦。無人艦だと思っていた。
 実際、無人だった。
 でも、もし、人が乗っていたとしたら……
 ワタシハ、ナンニンノヒトヲ、コロシタ
 何か目の前がくらくらしてきた。だめ、しっかりしないと。
 あたしは艦長……みんなを支える役目なんだから。
 考えて、ユリカ!
 私は自分を励ます。

 「……ユリカ?」

 遠くの方から、ジュン君の声がする。
 なんか周りがとっても暗い。
 冷たく、寂しい。

 (アキト……アキト!)

 私の王子様のことを思う。と、アキトが私の前に現れた。
 アキト、アキ……ト?
 真っ赤なアキトがそこにいた。
 一度だけ、ちらりと見えた、怖い顔のアキト。
 北極で、無人兵器を殲滅したときのアキトだった。
 モシ、アレガ、ムジンヘイキジャナカッタラ
 アキトは……

 「どうしたんだユリカ。俺を呼んだんだろう。さあ、誰を何人殺せばいいんだ?」

 そんな……

 「お前だって、もう何千と殺しているじゃないか。それどころか、ユートピアコロニーでは、助けに来た民間人たちも」

 あれは助かったじゃない! ハルナちゃんのおかげだけど

 「けど、決断はしたな。あの人たちを殺してでも、自分たちは生き残ろうと」

 そんな……

 「ほら、見ろよ。お前だって、俺と同じだ」

 そういって私に鏡を見せるアキト。

 鏡に映る私は……



 アキトと同じく、血の色に染まっていた。



 「ユリカっ!」

 最後に聞こえたのは、ジュン君の声だった。







 ごめんね……おねえちゃん……







 >JUN

 「ユリカっ!!」

 今後のことを話し合っていたとき、とつぜんユリカが真っ青になった。あれ、と、思う間もなく、そのまま、ふらり、と、倒れかかる。
 慌ててユリカを抱き起こそうとする。けど、僕じゃ支えきれなかった。
 あっ、と思ったところで、僕とユリカを、カズシさんが支えてくれた。

 「副長、今のはちょっと情けないぞ」

 顔は笑っている。軽い冗談なのはわかるけれど、ちょっとその言葉は痛かった。

 「しかし大丈夫か。この程度で倒れる柔なお嬢さんには見えなかったんだが……」

 「病気とかの心配はなさそうです」

 クラウドさんがユリカの様子を見てそういう。

 「医療班も例の騒ぎでてんてこ舞いです。副長、男を上げるチャンスですよ」

 「え?」

 クラウドさんの言葉の意味が、僕には一瞬わからなかった。

 「今の状況では、我々に出来るのは待ちの一手しかありません。下手に人員を分散して侵入者を捜しても、我々の技量では返り討ちに会うのがオチです。そのまま人質にでもされたら目も当てられません。対抗できる人員と装備を整えた上で、少しずつ確実に捜索していくのが一番なのですが、おそらく彼女の腕前に対抗できるのは、ゴートさんとナオさん、あと、パイロットの方の中で、武術の心得もある方……アリサさんではキツいですね。多分リョーコさんくらいです。つまり、情けない話だけれども、我々に出来ることは何もない。ならば、副長がユリカさんを医務室に連れて行って、面倒を見ていても今なら問題はない、ということです」

 立て板に水の説明を、僕は最後の方しか聞いていなかった気がする。もちろんそんなことはなかったんだが。
 でもそれはそんな錯覚をさせるほど魅力的な提案だった。

 「よし、副長、背中出しな」

 「背中?」

 カズシさんの言葉に疑問を覚えつつも、僕は背中を差し出した。

 「ほら」

 「わっ」

 僕の背中に、柔らかいものが押しつけられた。
 さすがに勢いが付いていない分、重くはない。僕だって男だ。
 けど……僕だって、だ。
 背中に当たっている、二つの柔らかいものの感触に、僕は顔に血が上がるのを止められなかった。

 「ほれ!」

 僕はとにかく顔を真っ赤にしつつも、ユリカを背負って立ち上がった。

 「あ、メグミさん」

 そんな僕の背中越しに、クラウドさんが声を掛ける。

 「あなた、確か看護学校に行っていた経験があるとか」

 「え……? ええ、そうですけど」

 僕もちょっと驚いた。社員名簿にそんなことが書いてあったのを、確か乗船前にもらった資料で見た覚えはあったけど、今の今までそんなこと覚えてもいなかった。

 ……さすがに声優をしていたことは覚えていたけど。人間、一番は覚えていても二番は覚えない、ってことかもしれない。

 いわれたメグミさんもビックリしている。なんでそんなことまで、っていう顔だ。

 「申し訳ありませんが、例の事態で医療班の人手が足りないそうなのです。申し訳ありませんが、艦長の世話を少しだけお願いできますか? 頼めるのはあなたしかいないのです。通信業務の方はサラさんにお願いしますので」

 「……はい、わかりました。ジュンさん、一緒に」

 「ああ」

 不思議に思ったが、何故かメグミさんはかすかに嬉しそうにしていた。
 僕はメグミさんを引き連れて、ユリカを背負ったまま、医務室へと向かった。



 「不思議な人ですね、クラウドさん」

 医務室へ向かう途中、メグミさんはそんなことを僕にいった。

 「ある意味、ユリカさん以上に艦長らしくありません?」

 「……言われてみれば」

 確かに、あのリーダーシップはユリカにはないタイプの資質だ。

 「あの人、多分ものすごく人使いのうまい人ですよ。頭もいいんでしょうけど、それ以上に、人の求めることが感覚的にわかる人……なんだと思います」

 「そうですか?」

 僕はちょっととまどった。こういう事を言う人には見えなかったからだ。
 メグミさんは、僕にかまわず、そのまま言葉を続けた。

 「私の経歴を覚えていたのもすごいですけど……あの人、故意か偶然かはわからないけど、私がいわれて一番嬉しいことを言ってくれたんです」

 「嬉しい……ですか?」

 「ええ」

 そしてやや遠い目をする。

 「もし、看護学校時代にあの人に会っていたら、私、声優にはならなかったかもしれませんね」

 「そうですか」

 今度の『そうですか』は、さっきとニュアンスが違っているのが、自分でもわかった。

 「偶然だとしたら、きっとあの人に恋したと思いますし……もし故意なら……」

 「故意なら……?」

 「……秘密」

 僕は恐ろしくて、その先を聞けなかった。







 >SHUN

 「クラウド、お前何考えてる」

 俺は副長と通信士が艦長をつれて出て行ったのを見定めてからそう言った。

 「バレましたか」

 今ブリッジにいるメンツを見ればわかる。
 俺、カズシ、提督、クラウド、ルリ君、ラピス君、ハーリー君、ゴートさん、プロスペクターさん。操舵手はエリナ君だ。

 「入ります」

 そこに交代要員としてサラ君が来た。
 パイロットは怪我人を別にして皆格納庫待機をしている。

 「……全員木連のことを知っている人ばかりじゃないか」

 「艦長や副長さんには悪かったですけど、あの人たちがいたらまともな対策会議は出来ませんでしたから。艦長が倒れたのは僥倖でした」

 「大した参謀ね、本当に。ネルガルで引き抜きたくなるわ……敵に回らないでいてくれるのなら」

 エリナ君も操舵盤の前でため息をついていた。

 「けど、あの艦長にしては珍しいわね。そんなに神経の細い子じゃないんだけど」

 「それは後にしましょう」

 クラウドの言葉に、エリナ君も頷いた。

 「状況をまとめます」

 そんな中で、ルリ君が冷静な声で言った。彼女の脇で、ラピス君とハーリー君も手際よくオペレーションをこなしている。
 違和感を感じつつも、俺はその様子を見守った。けど……なんであんなに手慣れているんだ?
 何となくだが、俺はそう思った。彼らの動きは、ある種の熟練者に共通する、『一流』の気配がした。
 末恐ろしい子供達だ、とだけ思うことにした。今はそんな場合ではない。

 「侵入者は、木連新型メカのパイロット、性別、女性。限られた映像より再現されたのが、これです」

 ウィンドウに映った女性は、まだ若い女性であった。さすがに未成年ということはなさそうではあったが、ナデシコのクルーたちとそう変わらないようにも見える。

 「美人だな……」

 つい、俺の口からもそんな感想が漏れた。

 「そして彼女の現在の状況ですが……実は予想が付いてます」

 「ええっ!」

 エリナ君が驚きの声を上げる。俺だって声を上げそうになった。

 「いつの間に……で、どこにいるの」

 俺たちを無視して詰め寄るエリナ君。まあ、無理もあるまい。隣だしな。

 「私も具体的なことはわかりません」

 ルリ君は平静を保ったまま言った。

 「ただ……彼女の逃走直後、ハルナさんが姿を消しています」

 「「「「ハルナが?」」」」

 ブリッジ一同の声が、ものの見事にハモった。
 そこにルリ君の、物憂げな声が重なる。

 「彼女は整備班所属です……メンテナンスハッチのことも知っています。そして、思兼の監視の目をくぐり抜けられるのも、彼女だけです。おそらくは……彼女がどこかにかくまっていると考えるのが、一番論理的な帰結でしょう。全く、水くさいんですから……ここにいるみんなに位は、説明していただいても罰は当たらないと思うんですけど……」

 「やれやれ、また彼女ですか」

 プロスさんが、ルリ君と同じようなため息をついた。

 「彼女……一体どこまで『この戦争』の事を知っているんでしょうね……」

 「アキトがいるときは、ハルナ、うまくアキトの陰に隠れていた」

 いきなり響いた声に、みんなが一斉にそっちを注目した。

 「どういう事、ラピスちゃん」

 エリナ君がみんなの思いを代表して聞く。ラピス君は……不思議と彼女はエリナ君に向ける目が、他人より明らかに柔らかい……意外としっかりした声で言った。

 「ハルナ、基本的に嘘は付かない……真実の使い方がうまいから。けど、彼女は隠すの……いろんな事を。だからみんな、彼女に気がつかない。けど、あたしにはわかる」

 「何が……ですか?」

 クラウドが、珍しくやや青ざめた顔をして言う。

 「ハルナは……必ずしもアキトの味方じゃないかもしれない」

 「!!」

 「!!」

 「!!」

 彼女以外の女性……エリナ君、サラ君、そして……ルリ君の表情が明らかに強張った。

 「どういう事です、ラピス」

 声すらも鋼のように冷たい。

 「ルリは気がついていないかもしれないけど……あたしは知ってる。ハルナはまだあたしたちのことを信じていない。いっぱい、いっぱい隠し事をしている」

 「それはまあ……私も薄々とは」

 とまどうルリ君。まあ、そのぐらいは俺にもわかる。
 いくら何でも怪しすぎるしな。アキトといる限りは、そんな気はしないんだが。
 そしてルリ君たちの注目の中、ラピス君はそのこと事を口にした。

 「証拠はないけど……ルリ、こう言ったらどう思う?

 ハルナの、裏の本当の通り名が……『ウィザード』だっていったら」

 そのとたん、はっきりと、何人かの人物の顔が固まった。
 ルリ君、ハーリー君、エリナ君、そして、プロスペクターさんとゴートさん。
 そこに覆い被さるラピス君の声。

 「聞いているんでしょ、どうせ……さっさと釈明した方がいいと思うよ、ハルナ。ルリの目はごまかせても、あたしの目はごまかせないよ」

 ブリッジを沈黙が支配する。



 ……けれども動きは、全くなかった。



 「あの……で、侵入者の方は、どうします?」

 クラウドにそう言われるまで、俺たちは何も言えなかった。
 そして俺は、何とかこの一言を言った。



 「静観しよう」







 とりあえず結論は、艦長の復帰を待って静観。月に着くまで、警戒体勢を維持したまま、通常業務を続行する。
 こういうこととなった。

 けど……本当にどこに行ったんだ? 侵入者は。



 その2へ