再び・時の流れに
 〜〜〜私が私であるために〜〜〜

 第18話 水の音は『嵐』の音……〜そのとき、歴史は動いたのです〜……その3



 「おまえが草壁の『切り札』か?」
 「いや、我ではない」
 その男は、この私、ロバート・クリムゾンの館に、難なく全ての警備を突破して侵入してきた。
 闇の中、私が目を開いたときその男は私の目の前に立つところであった。
 ふむ……かなり出来る。
 「問題の切り札は、この場に立たせるにはいささか問題がある。よって我が連絡に来た」
 動かぬ目を持つ、爬虫類を思わせる男……名は確か、北辰と聞いた。
 木連の非合法的な部署を一手に握る男のはずだ。
 「さすがは切り札というわけか。たかが連絡一つに、おまえほどの男が動くとはな」
 「それほどのことでもない」
 相手は短く返す。
 「潜入の手はずは、こちらの指定通りに出来ているか?」
 「うむ……少々とまどいはしたがな」
 テンカワアキトの暗殺依頼に対して、向こうからの要求は少々風変わりであった。
 『シオリ』という名の少女を伴える人物を、正規の招待客として手配することだったからだ。
 何故名前を指定する必要性があったのかが少々気になったが、その手配は簡単に済んだ。
 「これがこちらで手配した人物のデータだ」
 私は約束通りのデータを北辰に渡す。
 彼はそれを受け取ると、小さく頷いて言った。
 「了承した。これで後はそちらの意志とは無関係に事は進む。黙って見ているがいい」
 「こちらがその人物を迎える必要はないのか?」
 そう聞くと相手は片方の目で私を見た。
 「関係無用。そちらとしても痛い腹は探られたくあるまい」
 「確かに」
 「では、御免」
 そういって北辰は、現れたときと同じように、いずことも無く消え去った……と、思ったときだった。
 「おっと、一つ忠告を忘れるところであった」
 姿を消しかけた男は、再び目の前に舞い戻ってきた。
 「万が一にも失敗はないと思うが、もしその万が一があったとしたら、テンカワアキトではなく、その妹の方に気をつけよ」
 「妹の方に……?」
 「これ以上は言えぬ。これすらも少々言い過ぎている」
 「ふ……気前のいいことだな」
 そう私が言うと、北辰はこの男には珍しい複雑な表情をして答えた。
 「実のところ、我もいささか気になっているのでな。冷静な判断は、この仕事、失敗する可能性はそれこそ万に一つだと考えている。だが我の予感は、その万が一が現実になりそうだと告げているのだ」
 それを聞いて私も少し考えを改めた。
 「覚えておこう」
 私がそういうと、北辰は今度こそ目の前から姿を消した。
 「テンカワ、ハルナ……か」
 私はその名に思いを馳せる。かつて数奇な運命で知り合った、天才的なハッカーにして我が弟子。髪の色を別にすれば、テンカワアキトの妹と、私の知る天河……いや、望月春奈は非常によく似ていた。
 同一人物といってもいいほどに。
 一時は私のように彼女も未来に飛んだのかとも思った。だが彼女の身元はハッキリとしていた。
 ネルガルの実験体12号。かつてミカサ博士の下で研究していたものの言葉だ。間違いはない。瞳の色からすれば、今の彼女が過去の存在だと言うこともあり得ない。私の知るハルナの瞳は、れいげつの中のあれが原因で変色したのだから。
 私はじっと手の甲を見る。
 意識を集中すると、そこにうっすらと輝く『紋章』が現れる。
 IFSの所有者の手に浮かぶものと、形は違うがよく似ている。
 私はぐっと、その手を握りしめた。
 
 
 
 
 
 
 
 >AKITO
 
 翌日の朝。
 俺とルリちゃんは、ここで他のみんなと別れることになる。
 みんなは歓迎式典の始まる午後までにピースランド入りしていればいいのだが、主役のルリちゃんとエスコート役を仰せつかった俺は午前中に指定された場所へ行かねばならない。
 「けど、何で連合軍の基地なんだろうな」
 「そうですね。今回は前と全然違いますから、全く予想できませんけど」
 ここからピースランドまでは高速のエアコミューターを使えば2時間弱で着く。観光都市としての側面もあるピースランドは、交通の便もいい。空路も陸路も充実している上、その豊富な財力を背景に、チューリップの落下等で破損した施設もいち早く復旧しているからだ。おまけに独立国家としての形態をとっていながら入国審査すらほとんどないので、空港その他での待ち時間がほとんど無い。ただ今回は世界中からVIPがやってくるので警備が珍しく厳しいと聞いている。
 俺たちの集合場所がピースランド国内ではなく、そこに最も近い小規模な軍事基地になったのも、その絡みかも知れないと思った。
 「ルリちゃんは、どう思う?」
 振ってみたら、こんな答えが返ってきた。
 「ありますね。ただテロとかじゃなく、マスコミよけかも知れません。失われた王族のお姫様発見、ともなればそれなりに注目を集めるはずです。アキトさんは気づいていました? 今回のことはさすがに木連の人まで招待されていたことは秘密みたいですけど、事実そのものは結構大々的に発表されています。なのに肝心のお姫様に関する情報は、全然出ていないんですよ」
 言われて初めて俺も気が付いた。ふつうならこんなネタ、マスコミの注目を浴びまくるはずだ。
 「けど実際には何の情報も出てこない……つまりピースランド側は、私のことをそのときが来るまで明かすつもりはないということです。だとしたら、事前にマスコミをシャットアウトしやすい軍基地というのは、結構穴場かも知れませんね」
 ふむ……そういう視点は俺にはなかったな。さすがはルリちゃん、と、俺は思った。
 だが、あえてこう言おう。
 
 甘かった。
 
 とことん甘かった。
 
 俺は銀行とテーマパークを企業ではなく『国』という単位で設立し、
 おまけに地球と木連の間に立って仲裁を考えるなどという、
 ある意味ぶっ飛んだ思考の持ち主であるピースランドの首脳陣を甘く見ていた。
 
 
 
 ……とくにその中心である、イセリナ王妃の性格を。
 
 あの人、あそこまで『イイ』性格だとは思わなかったぞ。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 特にトラブル無く、私たちは指定の軍事基地に到着しました。
 車を降りた途端、待っていたのは激しい歓声でした。
 「久しぶりですね!」
 「よお、アキト! 相変わらず飯作ってんのか!」
 「また練習相手になってください!」
 「あれ? ハルナちゃんは来てないの?」
 
 ……モテているのはアキトさんでしたけど。
 
 「やれやれ……そういえば一度ここには来てたっけな」
 そうアキトさんがつぶやきます。たぶん、MOON NIGHT時代のことなのでしょう。
 「そちらが例のお姫様ですか?」
 「ん? ああ」
 お知り合いの方の一人と思われる人が、私の方を見て言いました。
 「しかし、実物は想像以上にかわいいなあ。妖精みたいだ」
 「これであれだろ? ハルナさんに匹敵する、いや、それ以上かも知れないオペレーター」
 「さしずめ、電子の世界の妖精ってところかな」
 ……なんか妙に注目されているような。確かに今回の件ではある意味主役なのかも知れませんけど、なんか違うような気がします。
 懐かしいあだ名も耳に入ってきますし。
 「と、とにかく」
 そんな混乱を押さえようと、アキトさんが少し強めの声で言いました。
 「何で俺たちはここに呼ばれたんだ?」
 そういうと皆さんは声をそろえて言いました。
 
 「「「このためです!」」」
 
 それと同時に、近くの格納庫の扉がゆっくりと開き始めました。
 そこには……
 
 「こ、これはっ!」
 
 ……アキトさんが思わずそんな声を上げるようなものがありました。
 
 
 
 
 
 
 
 >AKITO
 
 驚いた。
 というか、あきれた。
 そこにあったのは、『鎧』だった。
 古式豊かな、フェイスガードの付いたヘルメット。
 彫刻を施された胴丸その他のパーツ。
 昔の騎士物語かファンタジーゲームに出てくるような、見事なあつらえのフルプレートアーマーがそこにあった。
 色もつや消しの黒で塗装されており、文字通り、『黒騎士の鎧』と言うところか。
 ただ……身長6mはある。
 ばかばかしい話だが、エステバリスが鎧を着ていた。ただ、中のエステも、よく見ると俺の知っているエステとは少し違っていた。
 全体的には陸戦風なのだが、随所に空戦や0G戦フレームに付いているような装備が取り付けられている。アサルトピットのフェイスも、兜に隠れてよく見えないがあまり見かけない形だ。
 「……なんだ、これは」
 「見ての通りのものですよ。ついこの間『MOON NIGHT』のほうに回ってきたテスト用の汎用戦フレーム、それに俺たちが手作りの鎧を着せたものです」
 そういわれて中身の方は想像が付いた。ナデシコのみんなのカスタムメイド機だ。
 ウリバタケさんの手によって提出された、セイヤ&ハルナ原案のカスタムエステバリス。その時点のアレはウリバタケさんのハンドメイドじゃなきゃ作れないような高度なものだったけど、あのカスタム機はそもそものコンセプトの段階から革新的だった。アルストロメリアとエステバリスのいいとこ取りみたいな機体だったからな、アレは。
 そしてナデシコ用カスタム機のめどが立った時点で、アカツキは企業家として当然の動きをした。カスタム機からカスタムを抜いた、新型量産機としての試作品を作ったのである。
 元々基本構造のレベルで今までのエステバリスを上回りながら、コスト的にもそう極端な差はない。おまけに今までの陸戦、空戦、0G戦の3つのどれとしても運用できる汎用性がある。チューニングのない分劇的な性能UPは見込めないが、稼働時間倍加orレールガン運用可能と言うだけでも十分なアドバンテージになる。
 アカツキはこのフレームを次期の主力商品として煮詰めるためのテストを、コスモスやここ西欧で行っているはずである。本来精鋭であるはずのMOON NIGHTをこういう事に使うのは少し間違っている気もするが、かつての俺の例があるだけにものすごく協力的だったと、アカツキのやつがちらりと言っていたのを以前聞いた事がある。
 その汎用型試作機が、何故かこうして中世のプレートアーマーを着てここにいる。
 俺の脳裏に、嫌な予感が映った。
 「何となく思ったんだが……これ、俺が乗るのか?」
 「そうですよ。これにアキトさんとお姫様を乗せて、ピースランド入りしてもらう予定です」
 ……頭痛いぞ。
 「何でまたそんなややこしい事を」
 本気で聞いた俺に、相手はすらすらと答えた。
 「一つはマスコミ対策。一つは警備上の問題。一つは演出、だということです」
 そして俺とルリちゃんの方を見て、彼は再び言葉を繋いだ。
 「今回の招待者であるピースランド王家は、政治的な思惑も含めて、ルリ姫様を正式にピースランド第一王女として認知する予定です。この件に関しては5人の弟君達も認めているとのことですよ」
 そういえばいたなあ、金髪銀髪で、みんなそっくりの弟。5つ子みたいだったけど。
 けど……何故政治的思惑が。前回はこんなことなかったんだけどなあ。いったいどこがどうなってそういう話になったんだ?
 ま、考えたところで今更だが。
 「ささ、あんまり時間がありません。着替えの準備を」
 着替え? そんな話は聞いてないぞ?
 そう思っている間にルリちゃんは女性スタッフに連れられていってしまった。
 俺の方はさっきからいろいろ話してくれている男が引っ張っている。
 「しかしやっぱり絵になるなあ〜。勇者役、頑張ってくださいね」
 「勇者?」
 俺は思わず聞き返してしまった。何故ここで勇者が出る。
 「そりゃあもちろん、悪竜にさらわれたお姫様を城に連れ帰るのは勇者の役目でしょ? 目に見えぬ悪意によって親と引き裂かれた世継ぎの姫を伴って凱旋する勇者! かっこいいじゃないですか。まあここは城に入る直前の宿屋と言うことですよ。おはようございます、勇者様。昨日はお楽しみでしたね。っていうところですか」
 後半のギャグはいまいち判らなかったが(後で聞いたら古典ギャグだったらしい)、何となく俺にも事情が飲み込めてきた。
 俺が知る限り、ピースランドはごった煮系のテーマパークである。世界中の名所旧跡を一日で回れるように配置してある。少し離れた高台にある王城も、『みんながおとぎ話とかでイメージする城』の具現化みたいなものだ。そこに長らく行方不明だった姫が帰還する。
 前回は驚きと、親子の対面と言うこと、そしてピースランド独特の雰囲気に呑まれていたため気が付かなかったが、ピースランド側、それも純粋にテーマパークの経営面というシビアな面から見ると、今回の事の意図が見えてくる。
 ルリちゃんは言っていた。事件そのものは世界中の話題なのに、肝心の姫の正体は伏せられていると。
 そしてこの茶番。意味する事は一つだ。
 これはイベントだ。勇者が姫を伴って戻るという、絶好のシチュエーション。
 それもヤラセではない、本物の事件。しかも英雄役は……俺だ。
 困った事に少なくとも西欧圏においては、テンカワアキト・漆黒の戦神は冗談抜きで救国の英雄とも言える。その英雄が姫を伴って帰還する。集客力抜群のイベントとなるのは間違いない。
 そうなると姫の正体が伏せられている事にも納得できる。英雄が救い出してきた姫の姿がイベント前にネタバレしていたら盛り上がりが悪くなる。特に姫が正真正銘の美女・美少女である場合は。
 ひどい言い方だが、ルリちゃんの容姿が十人並み以下だったらここまで大仰な事にはならなかったと思う。だがルリちゃんは並以上の、それも妖精と比肩される美少女だ。
 だとすると、今頃きっと、いかにもお姫様らしい格好にさせられているに違いない、と俺は思った。前回みたいなシンプルな服では済みそうにない。
 ……まあこっちも同じだろうが。
 だがとりあえず事情が読めた俺は、腹を決めた。主役はルリちゃんだ。彼女がいやといわない限りは、とことんつきあう事にした。そしてルリちゃんが嫌というとは思えない。見た目は12でも中身は+5年だ。十分分別が付く歳である。
 俺もだが。
 だが、フィッテングルームで見たものは、そんな俺の理性を吹き飛ばしかねないものだった。
 
 
 
 そこには、あまりにも懐かしく、忌まわしいものがあった。
 
 Prince of Darkness(黒の王子)
 
 そう呼ばれていた頃の俺の服が、そこにあった。
 「これは……」
 絶句した俺の様子に気づかずに、案内の男は話し続ける。
 「かっこいいっしょ、この服。何でもMoonNightなじみの作業服屋さんが、テンカワさんのイメージを元にデザインしたそうですよ。一見悪役を思わせるデザイン。アキトさんを黒い不吉な鳥、カラスに見立ててイメージしたそうなんですよね」
 そう言われて少し理性が戻ってきた。よく見れば細かいデザインが違う。
 あくまでも服であり、バイザーにも補助システムのたぐいは組み込まれてはいない。マントも前の方を覆う部分はなく、背面も二重になっている。通常のマントに重ねて、縁をギザギザにしたハーフサイズのマントが重なっている。カラスの羽か何かがモチーフなのだろう。
 だが、正面から見たイメージは、間違いなく「あのころの俺」だと言えた。
 「とにかくサイズ合わせしましょう」
 そして俺はその服を着た。
 そこには、ややコミカルにカリカチュアされているものの、紛れもない、あのときの俺がそこにいた。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 冗談抜きで心臓が止まり掛けました。
 ものすごくフリルのたっぷりした、古典的なお姫様ドレスに着替えさせられた私は、出発間際になってやっとテンカワさんと合流できました。
 事情も何となくわかりました。
 今回のピースランド側は、私の帰還そのものを、世紀のスペシャルイベントとして公開する気だったという事です。
 考えてみれば、こんな劇的なイベントを、ヤラセ抜きで出来る事など、それこそ世紀の単位でもまたあるかないかです。しかも英雄がセットで付いてくるとなると。
 たぶん凱旋パレードとかもありますね、はあ……。
 でも仕方ありません。この茶番につきあう覚悟を決めて、私はすこし恥ずかしかったですが、同時にちょっとした期待も胸に秘めていました。
 スタッフの人、びっくりするほどお化粧上手でした。私も少女ですけど、化粧という言葉に化けるという文字が使われる事の意味を思い知りました。
 そんな私をアキトさんが見てどういう反応をするか、びっくりしてくれるかな、などと想像を巡らせながら、私はアキトさんの待つ騎士エステの前に行きました。
 ちょっとウエディングドレスみたい、などと思いつつ。
 ですが……
 
 
 
 絶句したのは、私の方でした。
 
 
 
 そこには、あの日のアキトさんがいました。
 16歳の私。お墓の前での再会。
 『君の知っているテンカワアキトは死んだ』
 心臓が、どきどきと音を立てて動いているのが判ります。
 そして、心の奥底で。
 
 何かが砕けました。
 
 
 
 「うわ〜、ルリちゃん真っ赤っか。かっこいいテンカワさんに当てられちゃったかな〜?」
 私の理性を元に戻したのは、その脳天気な声でした。
 私にドレスを着せてくれたスタイリストさんです。
 ちなみに私のドレスの色は、白と銀。いまのテンカワさんと並ぶと実に映えます。
 「今ハッチ開けますのですぐに準備してください。航路データは入ってますから、何もなければオートでピースランドまでいけます」
 見ていると鎧が横に開き、その後でアサルトピットが縦に開きます。
 改造されたのか、あるいは元からそういう作りなのか、大きめの内部には座席が二つありました。
 「これは?」
 アキトさんが珍しそうに内部を見ながら聞いています。
 「このアサルトピット、教育用なんですよ。だから教官用の座席があるし、無調整で誰にでも乗れるんです。ふつうはうまい方が後ろなんですけど、アキトさんは前にお願いしますね。ルリさんは後ろに。判っているとは思いますけど、余計なところにさわらないようにしてください」
 言われたとおりに余計なところにはさわらず、私は席に座ります。
 そうしてみて初めて、後ろにと言われた意味が分かりました。
 後ろの方が広いんです。体型は断然私の方が小さいですが、今日の私には付属品がいっぱい付いています。それを崩さないようにするには、広い方がいいというわけです。
 
 
 
 そして波乱の予感を乗せた黒騎士エステは、大空へと飛び立ちました。
 
 
 
 
 
 
 
 「びっくりしたかい?」
 オートクルーズが安定した、と私が思ったとき、アキトさんが話しかけてきました。
 「はい。こうして後ろから見ていると、偶然だって判るんですけど」
 正面から見るとそっくりでしたけど、後ろから見ると装飾が多かったりするせいか全然似ていません。あくまで偶然だったわけですね。
 あるいはアキトさんそのものに、ああいうデサインを連想させる何かがあるのでしょうか。
 「実際俺も本気でびっくりしたよ。まさかハルナみたいに、予想外の逆行者でもいるんじゃないかって勘ぐったりね。でもそんなわけはないしね。そもそもいたとしても何で今この時にそんな事をしなけりゃならないんだ、って事だね」
 まあ、この件は偶然。深く考えるのはよしましょう。
 そうなると気になるのは、ピースランド側の変化です。
 「何でこんな大騒ぎになったんでしょうね」
 私の言葉に、アキトさんが応えます。
 「何故、かは判らない。けどね、少なくとも今回の『お国入り』が一大イベントとして成立する事ぐらいは見当が付いたよ」
 「前回は大仰ではありましたけど、内々のものだったんですね、アレで」
 エステから降りた私たちを、ずらりと整列して迎えてくれたお城の人たちの事を、私は思い出していました。
 しかし、内輪でアレだとすると、今回はどこまで行ってしまうのでしょうか。
 ちょっと怖い考えになってしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 >AKITO
 
 正午をすぎた頃、遠くの方にピースランドの城が見えてきた。チューリップの落下跡と思われる大きな渓谷を飛び越えると、地平線に歴史的な建造物が雑然と並ぶピースランドが現れ始める。
 それと同時に、俺はちょっと恐ろしいものを見てしまった。
 ピースランドの周辺を埋め尽くす自動車の群れ、そこから少し離れた空港を埋め尽くす飛行機の群れ、そしてその隙間を埋め尽くすような人の群れ。
 「……なんなんだこの人出は」
 「な、なんか急に震えが来ちゃいました」
 さしものルリちゃんも声がうわずっている。
 オートクルーズが着陸用のガイドビーコンに乗る頃には、もっとハッキリとしたものが見えてきた。
 人、人、人。
 地形と照合してみると、今回の着地点はお城ではなく、テーマパーク中央の大広場であった。そこに巨大なトレーラーのようなものが見える。
 大きさからすると、このエステを立たせるのにちょうどいい位だ。
 そしてその台は、豪奢に飾り付けられていた。何となく俺とルリちゃんが並んで座る場所まであつらえてあるような気がする。
 頭が痛くなったが、そこは我慢する事にした。こうなったら毒喰らわば皿までだ。
 おっと、お姫様の意向は無視できないから、と。
 「ルリちゃん……どうする? 素直に思惑にノるかい? このまま行けばどう見たって見せ物というかさらし者だけど」
 「それもいいですね」
 返ってきた答えはちょっと意外だった。
 「いいのかい?」
 言外に、嫌なら逃げると含ませる。
 「こうまで期待している人を裏切るのは悪いですし。こうなったら開き直って少し見せつけちゃいましょうか」
 いたずらっぽそうな、今まで見た事のない笑顔を浮かべて、ルリちゃんはある事を言った。
 さすがにちょっと驚いたが、ここまでやられている以上、対応は怒るかノるかだ。
 俺たちは、ノる方を選択した。
 
 
 
 
 
 
 
 >NAO
 
 いやはや、驚いたね、これは。
 ピースランドに着いてみたら、これがまた人の海。
 俺たちはVIP扱いという事で王宮の控え室という特等席から下の様子を眺められるけど、下の方……アキト達の到着予定地点は、ものすごい盛り上がりになっていた。
 「う〜、なんかうらやましいなあ〜」
 「こらユリカ、少しは静かにしていなさい」
 中でも一番下を気にしているのが艦長だ。ま、気持ちはわかるけどね。
 他の皆様方は、まあ落ち着いている。
 と、遠くの方から風切り音とともに、黒い影が近づいてきた。
 ご到着のよう……ぶははははっ!
 俺はつい吹き出してしまった。なんだよありゃ、エステが鎧を着てやがる。
 「なんというか……」
 「黒騎士、ですか?」
 サラちゃんとアリサちゃんが、口をそろえて言う。
 「さすがはピースランド、演出に凝るねぇ」
 会長も半ば感心、半ばあきれ顔で、黒騎士エステを見ている。
 一人おとなしいのがグラシス中将だ。ま、立場からすればこの爺様がこのことを知らなかったわけがないしな。
 と、みんながわいわい言っている中、くだんのエステはぴったりと台座の上に降り立った。
 お迎えとおぼしき侍従達が、きちんと整列する。脇の方では目立たないように置かれていたはしごその他の準備がされている。なかなか手際がいいな。
 そして注目の中、鎧の胸の部分が開いた。
 外装の鎧が大きく横に開き、むき出しになった内部のアサルトピットが縦に開く。 その瞬間、観客が、おおっ、とどよめいた。
 「あ〜〜〜〜〜〜っ! ルリちゃんずるいずるいずるい〜〜〜〜〜っ!」
 「これユリカ! 静かにしなさい!」
 時を同じくして室内に響きわたるミスマル親子の大音声。室内のみんなはあわてて耳を押さえる羽目になった。
 ……そりゃ気持ちはわかるけどな、艦長。アキトの奴、案外ノリのいい性格してたんだな。
 「お、意外とやるじゃん、お兄ちゃん」
 俺の隣から覗いているハルナちゃんもそうつぶやいていた。
 アキトの奴、ルリちゃんをお姫様だっこしたポーズで登場した上、立てかけられようとしていたはしごを無視して、彼女を抱えたまま3メートル近くあるアサルトピットからひらりと飛び降りやがった。
 着地もばっちり決まって10.0。とどめにルリちゃんの腰あたりを抱えてそのまま高く差し上げやがった。
 で、くるりと一回転してルリちゃん着地。まさに『お披露目』だな。
 侍従の人たちもあっけにとられていたみたいだけど、さすがはエンターテイメントのプロ。すかさず場に合わせてアキト達をパレード席へと案内している。
 そして大歓声の中、パレードカーはゆっくりと王宮へ向けて動き出した。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 「ちょっとやり過ぎだったかな」
 「いえいえ……ご協力感謝いたします。姫様を驚かせようと思って内密にしていたのに、お気を悪くするどころかここまで協力していただけるとは」
 アキトさんと侍従長さん……月に私を迎えに来た人です……が、そんな事を話しています。
 とっさのパフォーマンスは、なんか予想以上に大受けしちゃいました。
 観客の方が手を振る中、私たちを乗せたトレーラーカーは、ゆっくりと街の中を進んでいきます。
 ふつうに歩いて20分くらいの道を、私たちはたっぷり1時間近く掛けて進みました。
 そして王宮の前に着き、大きな門をくぐったとき、私の目にあの光景が飛び込んできました。
 前回ピースランドに到着したときの光景が。
 違いは整列して通路を作っている人の後方に、たくさんの招待客がいる事でしょうか。
 あ、ナデシコのみんなもいました。普段とは違うおしゃれをした艦長やサラさん、アリサさん達。相変わらず軍服……一応一級礼装みたいですけど……のミスマル提督やオオサキ提督。アカツキさんやエリナさんの姿も見えます。
 ナオさんやハルナさんの姿が見あたりませんが、きっと後ろの方にいるのでしょう。
 そして人々の視線の中、私とアキトさんは壇上に座っている人の前に立ちました。
 私の、遺伝的な父と母の前に。
 
 
 
 「おお、ルリと申したな、我が子よ。よく生きていてくれた」
 
 壇上の父は、前回と同じように、涙を滝のように流しながら、それでもよく通る声で言いました。
 
 「あなたが、父……」
 
 私が前回のように答えると、父はやはり前回と同じ言葉を掛けてくれました。
 
 「そう、私がおまえの父だ。そしてこれが、母」
 「あらあらまあまあ、立派になって」
 「そして〜、これがおまえの兄弟達!」
 「「「「「ようこそルリさん、我らのお姉様」」」」」
 
 ……見事なまでの五重奏です。私を作った経過から考えても、母は子供の出来にくい体質だったみたいですから、きっと排卵誘発剤か何かを使用したのでしょうね。
 この弟たちのことは、あまり記憶にありません。前回私は、ほとんどピースランドに寄りつかなかったので。終戦後1年近くはアキトさんとユリカさんの元におじゃましていましたし、アキトさん達があの事故で死んだと思われていた後も、ミスマル提督の庇護の元で士官学校に行っていましたから。
 帰ってきて欲しい、とは何度も言われましたが、アキトさん達の後を追う決心をしていた私は、それを全てはねつけていたのです。
 そして感極まった父は、壇上から駆け下りてきて、私の手を取りました。
 「みんな一緒じゃあ〜〜!」
 でも、私は前回ぼそりと言った、『ここじゃない』の言葉を飲み込みました。
 私はもう、あのときの『私』ではありません。
 私は黙って、私の手を握りしめる、父の手を握り返しました。
 「おお、ルリ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 感極まった父は、私の事を、ぎゅうっと抱きしめました。
 そのとき私は、前回は全然感じなかった、不思議なぬくもりを感じました。
 母がおなかを痛めたわけではない子供の私。でも、私の事を抱きしめる父から、私は確かに、何かの絆を感じました。
 私も、少しは大人になったという事でしょうか。
 ですが、それでも、私は言いました。
 「お願いがあります」
 「ん、何でも言ってみなさい」
 そういう父に、私は前回と同じお願いをしました。
 「少し……時間をください」
 
 
 
 
 
 
 
 前回と違って、私はこの後すぐに解放される事はありませんでした。
 もう一幕、やる事があったからです。
 アキトさんとも、ちょっとお別れです。
 私は血のつながりのある家族……父と、母と、5人の弟たちとともに、このピースランド城の中を歩いていました。
 「大変だったろうね、ルリ」
 母……イセリナ王妃が、そう私に話しかけてきます。
 「その年で戦艦に乗って木星蜥蜴……おっと、今は木連でしたね。その方達と戦うなんて……」
 「いいえ、母。私は決して苦しんでいたわけではありません」
 私は言葉を返します。『年若い娘を戦場に出すなんて』などと言う論旨で切り込まれて、ナデシコから離されるのは私としても困ります。
 なまじ母の方が世間的には正論なだけに困りものです。
 「私は自分が必要とされる事に、自分ではなくては出来ない務めがある事に誇りを持っています。それが戦いの場である事は母にとっては心配かも知れません。しかし私は、そのことを辛く思ったりはしていません。むしろ、果たすべき務めを中断させられる事の方が、私にとっては辛い事です」
 私の言葉を聞いた父と母は、一瞬難しい顔になり、次の瞬間、何故か感極まったように大泣きしました。
 「なんと……なんと誇り高く立派な!」
 「まさかここまできちんと育っていたなんて。あなたを育ててくれた親御さんには、感謝の言葉もありませんね」
 ……ちょっと誤解入っていますね。ホシノの両親はそんな立派な人じゃないです。
 「私にこのことを教えてくれたのは……そして、こんな私を本当の意味で育ててくれたのは、ナデシコのみんなです」
 私はそう訂正しました。
 「ユリカさん、プロスペクターさん、リョーコさん、ヒカルさん、イズミさん、メグミさん、ホウメイさん、ウリバタケさん……そして何より、ミナトさんとアキトさん、みんなのおかげです」
 「まあ……」
 母は、小さくそう言いました。
 「ナデシコは、おまえにとって、そんなに大切なところなのね」
 「はい」
 わたしは、小さく、けど、力強く答えました。
 ちょうどそこで時間切れになりました。
 私たちは、王宮から張り出したバルコニーの上に立っています。
 眼下には見渡す限り人、人、人。
 さっきまでパレードを見物していた人が、たぶん全員来ています。
 「皆の者!」
 父の声が響きます。前回は気が付きませんでしたけど、遠くまでよく通るきれいな声です。さすがですね。
 「幾多の苦難と偶然の末、我らが初子にして長姉たるルリ姫がここにこうして帰還した。余はこの報告を臣民の前で出来る事を心から喜ばしく思う。ここにこれを記念して祭りを開き、この喜びを皆で分かち合おうではないか!」
 
 うおおおおおおおおっ!!
 
 父の言葉とともに、大歓声がわき起こります。
 この場で言う『臣民』とは、要するにお客さんの事なんですけど、そんな細かい事はこの場の雰囲気のせいで吹き飛んじゃっています。
 ここに集ってくれた人たちは、今この時だけは『ピースランド王国の臣民』になった気分で、私の事をお祝いしてくれているのが、何となく判ってしまいました。
 そしてどこからともなく流れ始めてきた音楽とともに、ピースランド遊園地記念イベント、『ルリ姫帰還記念祭』が始まりました。
 ものすごく盛り上がっているんですけど……さすがにちょっと疲れました。
 「疲れたかい、ルリ」
 と、それを見越したかのように父が言います。さすがは肉親、という事でしょうか。
 「はい、少し」
 私は見栄を張らず、素直に答えました。
 「では少し休憩しよう。お茶でも飲まないかい?」
 それはありがたいのですが……
 「あの、出来れば、ナデシコのみんなと会いたいのですが」
 私がそういうと、父は大きな声で笑いながら言いました。
 「そうか、なら、ナデシコから来た皆様方も招待しよう」
 
 
 
 
 
 
 
 >ALISA
 
 私たちは今、ふつうの人が入る事の出来ない、ピースランド城のプライベートエリア、その奥にいます。
 ピースランド国王、並びにルリ姫からの招待で、午後のお茶にお呼ばれとの事。
 で、私たちナデシコ組一同は、ここにやってきました。
 表のファンタジックな外見とは裏腹のシックなリビング。かなり広い場所ですが、それでも本来はプライベートエリアという事もあって、20人を越す人が入るとさすがに何となく手狭に感じます。
 「はじめまして、ナデシコの皆様方」
 式典であったときの服装から、マントと王冠を外しただけの姿のプレミア王は、いくらかまじめな顔で、しかも厳かに挨拶しました。
 「お招きありがとうございます。機動戦艦ナデシコ艦長、ミスマルユリカです」
 わ、ちょっと意外です。艦長、あんなまじめな挨拶できたんですね。
 そしてお茶をいただきながらの談笑は、何となく3つのグループに分かれていきました。
 一つはプレミア国王とイセリナ王妃を中心としたところ。ここにはアカツキさんやミスマル提督、オオサキ提督なんかが集まっています。ちょっとした巨頭会談でしょうか。続いてはルリちゃんを中心とした一角。こっちには5つ子の弟さん達やハルナさんがいます。弟たちにナデシコ内での話をせがまれているみたいです。そして残りはアキトさんの周りです。私と姉さん、艦長にエリナさん、後ナオさんといったところです。
 まあそれぞれのグループでの話が互いに聞こえる距離ですから、全然別の事を話していた訳じゃないんですけどね。
 「お姉様はそんな事も出来たんですか!」
 「そうですよ。だから私はナデシコに搭乗する事になったんです」
 「ねぇアキト〜、ルリちゃんと同じ事して欲しい〜」
 「おいユリカ、いくら何でもそりゃ無理だって」
 「なんでよ〜」
 「体重が違うだろ!」
 「あ〜〜〜〜〜ひどいっ! 乙女に体重の事言うなんて!」
 「年齢と体格差を考えろ! いくら俺でも3メートルの高さからおまえを抱えて飛び降りたら自爆するぞ!」
 「あたしそんなに重くない! これでもきちんと気を遣ってるんだよ!」
 「おまえがそこまで軽かったら病院に放り込んでる!」
 …………
 「痴話喧嘩かしら。そこまでの関係にはなってないと思ったんだけど、あの2人」
 「ですよねえ。アキトさん、いつの間に艦長とあんなに気安くなったのかしら」
 エリナさんも姉さんも、なにげに言う事が怖いです。あたしも同感ではありますけど。
 「いや、アレはそうじゃない。どっちかというと子供の喧嘩だな」
 後ろでお茶の香りを楽しみながら、ナオさんが小声で言います。
 そのとたん、姉さんとエリナさんは、そろって左手の手のひらを、拳固にした右手でぽんと叩きました。
 「「あ、なるほど」」
 2人ともそろってのブリッジ勤務が多いですからね。いつの間にかかなり息が合っているみたいです。
 と、あたし達は軽いノリで親睦を深めていたんですけど、背後から聞こえてくる大人の話は、もう少し重いものでした。
 
 
 
 
 
 
 
 >AKATSUKI
 
 「アカツキ会長、まずはあなたにお礼を言わなければなりませんね」
 イセリナ王妃は、一口紅茶を含んだ後、おもむろにそう言った。
 「先年の援助には、我々もだいぶ助けられました」
 「いえ、それはもう済んだ事です。見返りも十分にいただいていますし」
 まあこのやりとりは僕が西欧圏の人と会うときのお決まりみたいなものだ。
 月にいる間も、仕事を投げっぱなしにするわけにはいかなかったので何度か繋いだ地球との通信で、西欧圏の人と初顔合わせになるたびに同じ事をいわれたので、いいかげん慣れてしまっている。
 エリナ君に言わせると、この傾向からして来期の西欧圏におけるネルガルの売り上げは、おそらく40%以上の躍進を遂げると聞かされている。要するにどこから買っても同じ物なら、恩のあるネルガルから買うかという気分になるらしい。
 この点に関してはテンカワ君様々だな。僕にも勉強になったよ。けれども……ここから先は少し手強そうだ、と、僕の勘は告げている。
 イセリナ王妃の目は、ただの親のそれじゃなかった。気づけたのはエリナ君のおかげだろう。
 忠実な部下の顔をしながら、その裏に野心を潜ませる目。一緒に過ごしてきた僕が見慣れていたその目が、イセリナ王妃の顔に填っていた。
 王妃は何か大きな事を狙っている。僕にはそれがひしひしと感じられた。
 「ところで、この戦い……まだ続きそうですの?」
 お茶を置くと、やや上目遣いの、いやらしくなるぎりぎりの、清楚な人妻の色気をにじませながら提督達に聞く王妃。
 「どうでしょうな……あの木連の宣言のため、今の軍部はある意味非常に動きにくくなっているのです」
 「連合軍といえども、シビリアンコントロールの原則を無視した動きをするわけには参りません。木連が単なる異物として捉えられていた段階では、極端な言い方をすればいちいち民衆の意見を聞くまでもなかった。市民の安全を守るために、襲ってくる異物を排除する、それで全て通りましたからな」
 西欧と極東の大物2人の口から、貴重な意見が語られている。
 続きは西欧の大物から出た。
 「ですが、相手が木連という、人類の集団であると判った時点で、この戦いの意味は180度変わってしまいました。異星からの侵略者から地球を防衛するための戦いが、故郷を追われた人々との戦いになってしまったわけです。事の真偽は調査中という事になっておりますが、まあ言ってしまってもいいでしょう。あの東八雲と名乗る男の言った事は、一面の事ではありますが、全て真実でしょう。というより、あの場で嘘を言う事は、彼らにとっても大損になります」
 その通り。僕が彼でも、間違いなくあの場では真実を言ったはずだ。都合の悪い事実を隠す事はあっても、虚偽を言う事は絶対にない。
 虚偽を述べる事のリスクが高すぎるからだ。
 「やはり、連合軍の方でもそう捉えているのですね」
 王妃はそう答えた。
 「私たちとつきあいのある企業の上層部、アナリスト達……ほぼ全てといってもいい人達が、あの宣言を真実だと思っていました。そちらも大変でしょうね」
 「はは、確かに。自慢できた話ではありませんが、今軍の内部もまっぷたつですよ。徹底抗戦か、和議の道を探るかで」
 ミスマル提督も、まじめな顔でそう言葉を繋いだ。
 「私個人としては、どこかで手を打つべきだとは思っています。相手がこちらを根絶やしにする気なのでなければね。ただ……落としどころが難しい」
 「最悪、火星の一部を譲る事を考えねばなりませんしな。彼らと和するためには、一応同一文化圏となる火星への進出を認めねば、おそらくあちらが折れる事はありますまいて」
 やはり軍部の発想はそうなりますか……僕はそう思いながら、今の発言をしたグラシス中将の方を見ていた。
 基本的には僕もそう思っている。常識的に考えれば、その辺が落とし所だ。
 だが今回はそうはいかない。もし木連に火星の一部を割譲するとなったら、彼等は遺跡を狙ってくる。そして遺跡を取られたら、それはこちらの負けだ。
 遺跡……その中でももっとも価値がある、ボソンジャンプの中枢制御システム。
 ドクターによってその存在が予想されており、また、テンカワ兄妹から提供されたデータによってもその存在が補完されているもの。
 具体的な存在場所はまだ不明だが、火星の極冠遺跡群のどこかに埋もれている事はほぼ確定的だ。だからこそネルガルはその付近に多数の研究所を作り、恒常的な発掘作業を続けてきた。
 スキャパレリプロジェクトも、そのデータの回収こそが真の目的であった。機密漏洩を危惧した当時の上層部は、その手の情報をオンラインに載せる事をよしとしなかったからだ。
 さらにはクリムゾンが木連と手を組んだのも、そしてそもそも、木連が戦争を仕掛けてきたのも……全てはそこにつながる。
 ボソンジャンプを制する者は人類を制する。
 単純な理屈だ。
 テンカワ君達が横槍を入れてこなければ、僕もまだそのレースに参加していただろう。
 だが、実際彼らの存在によって、このレースは少し変貌を遂げている。
 ボソンジャンプの独占は絶対にしてはいけない、それは下手をすると人類を破滅させると主張するテンカワ君達。
 ボソンジャンプという要素抜きで、あくまでも表向きの理由そのままに、木連の生き残りをはかる東八雲。
 彼らの思惑によって、暗闘は表層へと躍り出てしまった。
 その結果、新たな参加者が増える事にもなった。
 だからこそ、僕はこうして、ここでお茶を飲んでいる。
 
 そしてついでに、こうも考えている。
 テンカワ君は昨日の事も含めてかなりの事を語っていたが、中枢制御システムの具体的な事に関しては、まだ軍には伝えていないと。もし彼が、それが火星にある可能性が高いと軍に告げていたのなら、軍の上層部たる彼らが火星の割譲を考えるわけがない。
 そして僕は、こっそりとテンカワ君の方を見た。
 そう……彼は知っているはずだ。昨日の夜の物言いからしても、彼が中枢の事を詳しく知っているのは明白だ。そして木連やクリムゾン、そして連合軍の手にもそれを渡したくない事も。
 だが同時に、それを自分の手元に置いて護ろうという気もないらしい……たとえ昨日の主張があるにしても。
 彼はかなり甘い人物ではあるが、決してそれだけの人物でもない。たとえ自分が神になり得るとしても、他者を犠牲にしないためならば、自らが贄になるくらいの覚悟はある男だと僕はみている。
 だとすれば、結論は一つだ。
 さしものテンカワ君にも、ボソンジャンプの制御は、中枢を握っても不可能……いや、何かそれを出来ない理由がある、という事になる。
 不可能ならばそもそも問題は生じない。
 可能で、かつテンカワ君にそれが出来るのなら、さっさと自分の手で押さえてしまえばいい。なにしろ一歩間違えれば人類は滅亡するというのだ。なら一番安全なのは、自分の手でそれを押さえてしまう事に他ならない。おそらく彼になら可能なのだろうし。
 しかし彼の取っている手段はそのどちらでもない。ネルガルを押さえており、またそのネルガルに常識を越えた技術を提供している彼の事、技術的な問題とも思えない。
 だとすれば残る理由はおそらく……倫理的なもの。
 たとえば生贄を要求する古代の神のように、他人の命を犠牲にする必要があるとすれば、彼は絶対にそのような手段は取らないだろう。
 可能性はある。ドクターのレポートによれば、ボソンジャンプ……特に生体のそれや、チューリップを介さない単独のジャンプに置いて一番問題となるのが、ジャンプ先の座標固定である。テンカワ君からもらったデータによれば、遺伝子手術によって、人にジャンプ耐性を与える事は割と簡単である。だがそれだけではジャンプは出来ない。ジャンプ先の座標を指定できないためである。特定の条件を満たさない限りジャンプは不可能と彼が断言したのはそれが理由であった。
 だからこそドクターは、僕に提出した研究レポートで言及している。中枢制御装置と、遺跡へのリンクシステムを保持している可能性が高いテンカワハルナ、この二つをそろえる事により、ボソンジャンプの制御が可能になる可能性は99%以上である、と。
 このことはまだ僕一人の胸に納めている。エリナ君にも言ってはいない。感づいてはいるみたいだけどね、彼女も。
 実際そう考えると、テンカワ君の態度には全て筋が通る。どっちかというとハルナ君の態度の方が判らない。彼女を犠牲にはしないという意図の読み取れるテンカワ君に対して、そうなってもかまわないような節さえ見えるハルナ君。
 まあ、ここから先には僕にも判らない。僕は彼らじゃないんだし。
 さて、どう決着をつけるべきなのかな……ネルガルとしては。
 
 
 
 「火星の割譲、ですか……相手がそれで満足してくださればいいのですけど」
 イセリナ王妃は、中将達の言葉にそう返した。
 「私はこの戦いの裏面を知らされて思いましたの。この問題は、戦いではなく、話し合いでつけるのが本来の筋であると。ですけれどもどうも連合政府の方々は、お話をするのが嫌そうな方が多そうでして。まあ彼らにしてみれば、自分たちの旧悪を暴かれる事になるわけですからね。ですがそのために一般市民を巻き込むなど本末転倒です」
 一見まじめそうに聞こえるけれど、僕の耳には『一般市民』が『私の娘』に聞こえた。
 ちらりと泳いだ視線が全てを物語っている。その先には弟君達に絡まれているルリ君の姿があった。
 「耳の痛い話ですな」
 「全くです。せめて最初の対話以来の時点でこちらに話が来ていれば、和戦どちらを選ぶにせよ、腹を決めてかかれたものを」
 正直、僕もそう思う。まあ、もっとも僕がその時点で全てを握っていたら、やる事は変わらなかった気もするけどね。僕だって目の前に転がっている金と権力を他人にくれてやるほどお人好しじゃあない。今僕が中立的なのは、それよりテンカワ君の動きを見ている方が面白いからだ。それと、金と権力を握りしめて両手がふさがったところを後ろからぐっさりなんていうのは僕の趣味じゃない。これもテンカワ君のおかげで気がつけたんだけどね。
 「かといって全く話もしないのでは、本当にどっちかが滅びるまで戦いが終わりそうにないですし。まずは非公式でも何でも、とにかくお話から始めないといけませんものね」
 「まずはお友達から、ですか」
 僕は冗談めかしてそういった。
 「そんなところですわね」
 そういうイセリナ王妃の瞳には、言葉と裏腹の強い光があった。
 あの王妃様……本気でルリ君をナデシコから引っぺがしたいらしい。
 でも僕の見たところ、ルリ君にはその気が全くない。
 だとしたら、手は戦争を終わらせるしかない。
 
 ……母は強し、かな?
 
 
 
 
 
 
 
 そんな話をしているうちに、時間は過ぎていった。
 今夜はルリ君は家族で団欒の予定だ。さすがにアキト君もシャットアウト。そして明日は親睦を深めるための舞踏会。といえば聞こえがいいが、実質的には木連代表との初顔合わせだ。そして翌日、本番の秘密会談。まあ、たぶん物別れに終わるだろうけど、どっちかというと敵は木連より身内だ。
 いや、敵というより、的……かな?
 木連側がどう言おうと、地球側は和平を受け入れる用意がある、そういう態度を見せておくのが肝心だからね。
 テンカワ君的にも、そして僕的にも。
 さて、どうなる事やら。
 
 
 
 
 その4