再び・時の流れに 
 サイド・ストーリー ロバートの夢






 「来週もまた、見てくれよな!」



 天空ケンの歯切れのいい言葉とともに、ビデオは終わりを告げた。

 「……やはり、いつ見てもいいものだな」

 それは思い出の証。愛と友情、策略と裏切り。
 すべてが混在した、カオスの物語。
 そして、老人は夢見る。
 古の物語を。







 時、2096年 月面コロニー・新東京

 「喜べ草壁、ついに放映枠がとれたぞ!」

 「本当か、紅!」

 スタジオ・グリーンウォール。あまり世に知られてはいないが、この時より世界中に知られることになるアニメスタジオ。
 それは、月面のほんの小さな一軒家でしかなかった。
 代表、草壁大樹。25歳
 従業員もわずかな、熱気だけは一人前の小さなスタジオであった。
 そして彼にその知らせを伝えた男。紅六郎、24歳。
 総合商社『紅屋』の、若き会頭。
 かつては武門の誉れであり、『紅流戦場闘法』という古武術を継承していた彼の家は、19世紀末に往来で暴漢に襲われていた乙女を助けたことによって、その乙女と、乙女の父親に見初められた。乙女の家は名のある商家であり、彼は結局乙女に惹かれて武の道と商の道の、二足のわらじを履くことになる。
 子ができたら分家することも考えたが、あいにくと彼らには1人しか子ができず、また跡を継いだ子が文武両道にわたる才を受け継いで、流派を継承しつつも商才にもたぐいまれなものを見せ、またその武と商の才をうまく合わせて生かし、単身危険な地に乗り込んで見事に商売をまとめるなどの活躍をしたため、いつしかそれは伝統となってしまった。



 『紅の宗家を継ぐ者は、文武両道を極めねばならぬ。片方のみの者には、紅の名を許さず。商才のみに長けた者は暁の、武門のみに長けた者は望月の名を持って、己の才を極むるべし』



 これが紅家に残された家訓である。紅家に連なる者は、15の時に試練を受け、双方を極めねば正式な名乗りを得られなかった。六郎は紅屋史上6人目の紅姓伝承者である。
 ちなみに暁と望月の姓は、なんと洒落で決められたものである。

 『俺が紅、つまり暮れないだから、分家は暁と望月(満月の意)できまりだな』

 と言ったのが始まりだと、家の記録にはある。
 なかなか豪快な家風といえよう。
 そのためか、紅家の親族は、大半が暁姓か望月姓である。



 そして六郎は、大学を出た後、二年の修行の後、紅屋会頭の座を祖父、紅五郎から継いだ。父は暁大介。残念ながら武門の儀を成し遂げられず、暁の姓を継ぐことになった。
 もっとも彼は、商売においてはかなりの才を見せ、紅屋をしっかりと育て、守った。
 今でも彼は、紅屋商事の社長として、辣腕をふるっている。
 ただ、親子仲はあまりよくない。六郎にとっても、父より祖父と接することが多かったためか、どうもうまくつきあえないところのある父であった。
 母は他界している。六郎が生まれてすぐのことだ。再婚の話もあったが、父は独身を通している。愛人はいるようなのだが、六郎は特に気にしていなかった。
 第一自分にも、縁談が鬼のように舞い込んでいるのだ。若き企業の会頭で独身となれば、まあ無理もない話だが。
 だが彼は、生涯の伴侶をそう簡単に決める気はなかった。
 それに今彼は、ある事業(?)に夢中だった。
 親友の草壁が制作した、アニメドラマである。

 「アニメがこの世に生まれてから約200年以上、俺たちはいつしかその魂を忘れちまったんじゃないのか?」

 そう熱く語る草壁に、六郎も何か惹かれるものを感じた。
 そして彼は、あえて映像デバイスをいっさい使わない、古来よりのセル画によるアニメーションを復活させようとした。
 題材も、その技法が頂点に達していたという、CGへの転換期直前、1980年代頃の日本において制作された、ロボットアニメーションを範に取った。
 タイトルは、『ゲキガンガー3』。
 あえて考証を荒く、穴だらけにし、理屈よりも勢いと情念だけで押し切るようなスタイル。ストーリーも基本的には勧善懲悪、ただし、単純すぎる悪ではなく、本質的には悪だけではない者が、あえて悪たる道を選び取るという、浪漫主義の手法で味付けをする。
 メカデザインも、リアルなメカがいくらでも構築できるところを、意図的に徹底してチープなデザインにした。

 『リアルじゃだめなんだ。子供が簡単に落書きできるような、シンプルかつ特徴的なデザイン。俺たちはいつの間にか、こういう心をなくしちまったんだ』

 大学時代、いろいろな未来について熱く語った草壁と紅は、お互いに協力し合うことを約束した仲であった。



 そして紅は、彼が己の夢を形にするためにスタジオを建てた時、経済面からの支援を申し出た。
 しかし草壁はそれを断った。

 「紅、これはまだ俺だけの夢だ。この夢の実現には、おまえの力は借りられない。だが、俺の夢が形になった時、それを世界に伝えるためにこそ、おまえの力を貸してくれ」

 「ふっ、虫がいいな。まあいいだろう。めどが立ったら知らせろ。俺がスポンサーになってやる」

 そして草壁は、約束通り、そのフィルムを仕上げた。六郎も、父親を初めとする頭の固い役員相手に説得と交渉を繰り返し、紅屋をスポンサーとして、アニメを月面地方局であったが、枠を確保して売り込むことに成功した。
 そして意外なことに……このアニメは大爆発をした。
 かつて20世紀末に、一地方で作られたアニメが、その後100年近くにもわたって愛し続けられたように、このアニメも子供大人を問わず、まさに世界中を巻き込んだ大ブームを呼び起こしたのである。
 わずか3ヶ月でスタジオは3倍以上の規模になり、紅屋の決算は大幅な増収となった。



 だが、時代の足音は、着実に彼らに影を落とし始めていた。







 「地球の横暴を許すな!」

 「月の自主独立を!」

 2097年2月、月独立運動は最盛期を迎えていた。
 年頭に発表された地球側の政策が、あまりにも横暴なものだったからだ。
 まさに一触即発と言うべき状況だった。
 そして六郎は、断固として独立派を支援していた。
 義を見てせざるは勇なきなり。
 武門の儀を受け、その志を継いでいた六郎から見ても、地球側の態度は、武を持って威となし、弱き者を虐げるものであったからであった。
 望月の者も、すべて独立派に付いた。
 しかし暁の者は、大半が地球側に付くことを望んだ。彼らは武門の儀を得られなかったものであり、また利にさといものでもあった。そんな彼らが地球側について利をむさぼろうとすることは、ある意味当然のことであり、そして六郎はここで初めて家訓の深い意を悟っていた。
 武門の儀を持ってのみすれば、義によって立つも飢えて死に、商家の儀を持ってのみすれば、浅ましき畜生道に墜ちる。なればこそ、両儀を極めし者にのみ、真の後継者たる資格を与える。
 そして六郎は、いつしか独立派の中心人物となっていた。
 当然暁の者からは疎んじられた。
 味方してくれたのは、父だけだった。

 「私は暁の名しか継げなかったものだ。だからおまえの目指すものが何かはわからぬ。だがおまえは、姓は違えど儂の息子には代わりない。当主として、その力、存分に振るうがよい」

 しかし地球側の態度は、段々と硬化し、また陰湿になってきた。







 「何だと! 軍が、なぜそんなことを!」

 六郎は怒り心頭に発していた。

 「落ち着いて、六郎さん!」

 傍らの女性が、六郎を慰める。
 石野水海。六郎のいとこに当たる。
 彼女はどちらの儀にも通らなかったため、紅一族の姓を名乗れなかった。

 「何ならぶっつぶしますか? 主様」

 過激なことを言うのは、水海そっくりの、しかし目にも鮮やかな赤毛の女性。
 水海の双子の姉、望月虎子であった。
 彼女は武門の儀に通ったため、望月の一族に迎え入れられた。虎子という名もそのときに与えられたもので、元々の名は透子という。
 独立派の中でも、割と過激な物言いをする方である。

 「いや、待て」

 皆を収めたのは、大樹の一言であった。

 「ゲキガンガー3は、27話より紅屋をスポンサーから外し、トレンド社をメインスポンサーにする」

 「草壁!」

 絶叫する大樹。

 「おまえ……わかっているんだろう! トレンド社は連合軍の傀儡だ。連合軍が、ゲキガンガー3の人気に目をつけ、何かたくらんでいるって言うことぐらい!」

 「ああ。そのくらいはな。だが、いくら何でもこのことでおまえの紅屋に迷惑をかけるわけには行かない」

 紅屋がゲキガンガーのメインスポンサーを降りなければ、紅屋の地球圏における商行為を禁止する。彼らはそう言ってきた。
 もちろん、建前上はそんなことはできない。しかし、臨検と称して紅屋の運ぶ貨物を片っ端から押収したりすれば、事実上経済活動は不可能になる。そして連合軍は、宇宙の回廊の治安について、絶対的な権限を持っていた。
 それを知るからこそ、大樹も苦汁を飲んだのであった。
 だが連合は、この時の行為が、後の大乱の発端となることには気が付いていなかった。

 「……ゆるさんぞ、思い上がった地球の者共よ。俺は今、貴様らに鉄槌を下すことに、何のためらいも覚えん!」

 小さくつぶやく彼の拳は、堅く、堅く握られていた。







 スポンサーの交代により、ゲキガンガー3はタイトルと放送時間を変え、新シリーズに突入した。

 「なんてこった……!」

 第27話を見た六郎は号泣した。
 悲しき敵であったキョアック星人は、その名とは裏腹に、彼らもまた被害者であったはずのキョアック星人は、文字通りの巨悪に描き直されていた。26話の、ハイペリオン皇帝の悪辣さは、実は操られていたものだという伏線を出せぬままに。



 始めの予定では、この後、真の黒幕、かつて彼らにゲキガンガーの知識を与えた、超古代縄文人が、満を持して登場するはずであった。地球とキョアック星、いずれ自分たちを追い越すかもしれない若さを秘めた二つの星を、援護しつつも争わせ、共倒れにさせようとした超古代縄文人。彼らもまた老衰による滅びを迎えつつあり、新たな時代を生きるためには、若き文明の力を吸収しなければならなかった。しかし、彼らが力を付けすぎてしまえば、逆に自分たちが滅ぼされるかもしれない。特に地球とキョアック星の文明が手を組めば、その危険性は飛躍的に増大した。なぜなら彼ら2種族は、彼らが失って久しい、『若さ』のエネルギー、『熱血パワー』を、その身に潜ませる種族だったからである。
 そこで彼らは両文明を争わせた。キョアック星を暗黒の宇宙に追いやり、唯一の希望を地球移住へとし向ける。両者は争うことによって発展し、しかも双方が生き残ることはまずない。片方だけなら『収穫』は容易である。
 そしてアカラ王子が破れたことにより、彼らは動き出す。今までより遙かに強い敵。しかしゲキガンガーは戦い続け、時に謎の戦士『シルバーカラー』の助力を受けながらも超古代縄文人の野望を砕き続ける。その行為こそが、彼らの『熱血パワー』を高め、熟成させるために仕掛けた、超古代縄文人の壮大なる罠とも知らずに。
 そして時来たれりと見定めた彼らがついに本気になる。危機が迫るゲキガンガー3、しかしそのとき、思いもかけない助っ人が現れる。
 何度も危機を救ってくれた謎の戦士『シルバーカラー』。それこそ、実は死んだと思われていたアカラ王子であった。彼の乗ってきたメカ『ゲキガビッグ』とゲキガンガーVが合体する。そして、『熱血パワー』の共鳴により、ゲキガンガーVは最強の戦闘形態、ドラゴンガンガーに転身する。そして超古代縄文人の恐れた真の、『熱血パワー』が、ついに彼らを滅ぼす。
 真の悪を滅ぼした地球人とキョアック星人は、ともに手を携え、限りない未来へと旅立つのであった。



 しかし、そのシナリオは破棄され、全く別の物になっていた。
 ただ凶悪な、悪のための暴力を振るうもの。
 心は揺さぶっても、魂を揺さぶるには至らないストーリー。
 回を重ねるごとに、それははっきりとしてきた。
 六郎の目には、大樹の苦闘する姿が目に浮かんできた。連合の意図は見え見えである。月面の独立派をキョアック星人になぞらえ、自分たちの武力侵攻を正当化させる下地を、このアニメまで利用して作る気なのだ。
 いくつかの話に、大樹たちの、抵抗の跡が見られた。
 33、34話などはその典型だった。
 アクアマリンとドルガーの姉妹は、どう見ても水海と虎子の二人だった。
 34話では、真の黒幕、超古代縄文人の存在をにおわせた。
 しかし、彼らの努力もそこまでだった。

 「奴ら……シナリオをいちいち検閲するんだ」

 電話の向こうでそう語る草壁の声には、涙がにじんでいた。
 会えばすむのを電話にしたのは、その涙を見せたくないせいか。
 そして回が進むにつれ敵の策略はどんどん姑息になり、ついに最終決戦の回が来た。
 最終回の舞台は……月面だった。
 何も知らずに見ていれば、ああ、そうだったのかで終わりだろう。
 だが、違うのだ。
 キョアック星人の基地は確かに設定でも月面にあった。だがその基地は、あくまでも中継地点である。キョアック星人の本星は、暗黒ひも宇宙にあるのだから当然である。
 そして最終決戦ののち、キョアック星人の月面基地に立つ天空ケンとアカラ王子。
 基地は、ほぼ全壊していた。

 「ありがとう……おまえの協力のおかげで超古代縄文人を倒せた」

 「言うな、ケン。あれは我々にとっても宿敵だっただけのこと。それに我々の決着はまだついていない。暗黒ひも宇宙に捕らえられた同胞たちは、未だに苦しい生活を続けている。だからこそ、我々は地球を狙ったのだ。そしてそれを諦めることはできない」

 「おい、アカラ、忘れちゃいないかい? 宇宙って言うのは広いんだぜ」

 「……何が言いたい、ケン」

 「そりゃあ永住は無理かもしれない。でも、苦しんでいる人を見捨てられるほど、地球人だってひどい訳じゃないぜ。地球をくれてやることはできないが、探しに行かないか。新たなる天地、おまえたちの新しい母星になる星を。そのための援助なら、地球は惜しんだりはしない。博士もゲキガコスモを、そのために改造するのは難しくないと言っている。おまえたちの持っている技術を合わせれば、もっと楽だろう」

 「本当か、ケン、その話は」

 「ああ、おまえが『シルバーカラー』として援助してくれたことを、今では地球上の人みんなが知っている。それに……俺とおまえが力を合わせれば、できないことは何もないさ。天空ケンと、亜唐銀二は、親友じゃなかったのか?」

 「……そうだったな、友よ。キョアック星人の未来のために、協力してくれ」

 「もちろんさ!」


 そしてエンディングテーマの流れる中、新装されたゲキガコスモが旅立つ。
 やがて彼らは一つの星を見いだす。
 そしてその星に降り立つ移民船団。
 しかし、そこから出てきたのは、キョアック星人だけではなかった。
 そこには、多くの地球人が混じっていた。混血らしい子供もいる。
 二つの種族は、今こそ真に結ばれ、新しい地平に旅立っていったのであった。

 これが、かつて六郎と大樹が熱く語った、ゲキガンガーの最終回であった。
 そこに込められていた物が何かは、言うまでもないだろう。
 だが、それは最悪の方向へねじ曲げられた。
 ゲキガンガーは、月に巣くう悪魔を退治する聖騎士になっていた。
 月にいるのは、悪魔ではないのに。

 「こんなのは、こんなのは、本当のゲキガンガーじゃない!

 六郎の絶叫が、紅屋の会頭室に響き渡った。



 2097年6月29日、月面で武力抗争勃発。
 それはゲキガンガーの最終回が放送された翌日のことであった。







 独立派は果敢に戦った。
 当時はまだ機動兵器はなく、宇宙船にも武装が施されてはいなかった。
 結果、戦いは移乗白兵戦になった。
 そして宇宙船の艦内では、高出力の火器は使えない。また、剣などの大きな武器も振るうことはできない。
 結果、圧倒的に武道が役に立った。特に古流の実戦格闘技を収めた望月家の者たちは、文字通り一騎当千の大活躍をした。
 普通なら、彼らのようなゲリラは、そう長期にわたって戦うことはできない。
 だが彼らには、月面上を独立して運営できるだけのノウハウを持った、紅屋グループが全面的に協力していた。
 元々が月面を独立させようと言う試みである。贅沢はできなくなっても、兵糧攻めにされればついえるような軟弱な状況なら、そもそも独立などと言う意見は出ない。
 それだけの地力が月面に生まれていたからこそ、彼らは独立を望んだのだ。
 月のものは月に。ただ、それだけのことであった。しかし、月からの略奪を元に成立していた地球経済は、あっという間に大混乱を起こした。
 勝機は、有った。だが、それは敵の投入した新兵器によって、あっという間に失われることになった。
 宇宙戦艦の誕生である。



 今までの運搬を目的とした宇宙船は、純粋に戦闘のために建造された宇宙戦艦に対しては、全くの無力でしかなかった。
 近づく前に火力で迎撃され、近づけても移乗する穴がない。これでは勝てないのは当たり前である。
 月面の民は、この戦いの敗北を悟り、見切りをつけて脱出に取りかかった。
 紅屋グループは、その私財すべてを投げ出して、脱出用の宇宙船を建造・確保した。



 「なあ、大樹。俺のやったことは、正しかったのか?」

 「動機は、正しかったと思う。実際、己に誇りを持つものなら、この結果は至極当たり前のことだ。ま、敵の方が一枚上手だったって言うことだな」

 「俺たちは負けた……。あの宇宙戦艦の出現によって。こっちのプランは、半年遅かったな」

 「ああ。地球に巣くっている連中に、よくあれだけのものが設計できたと思うぞ」

 六郎たちの誤算は、地球側の宇宙戦艦開発の早さであった。
 宇宙船は、重力の少ない場の方が建造・運用ともに楽である。当然造船技術の最先端は、月面上にあった。火星をテラフォーミングするプロジェクトも、そのための宇宙船は、すべて月から飛び立っている。
 六郎も大樹も、元々はこういったことをかなり専門的に研究していた時期がある。大樹はその知識を、ゲキガンガーに、目に見えないところで織り込んでいたし、六郎は当然事業の一環として宇宙船建造を手がけていた。
 当然戦艦の必要性も認識していた。現に今ドックには、試作戦艦の1号が鎮座している。
 だが、連合の方が半年ほど早かった。六郎の読みは、はずされたのだ。

 「こっちのテクノロジーがなければ、後1年はかかると思っていたんだが……油断したな」

 今となっては、逃げ出すよりほかに手はない。

 「行き先は……?」

 「火星だ。ほかにはどこもあるまい?」

 「その通りか。火星はまだテラフォーミングの途中で、正式な『領地』としては認められていない。おまけに計画の主導の大半を、紅屋グループが握っていた。情報はふんだんにある」

 そして、エクソダスが始まった。
 戦艦の目をかいくぐり、避難民を乗せた宇宙船が飛び立つ。
 だが、彼らのの試練は終わっていなかった。

 「なに! 戦艦だと!」

 脱出船団の行く手を阻むように、連合の戦艦が出現したのだ。
 ただ、幸いにもその数は1隻だった。
 この時点で複数だったなら、我々には降伏以外の道はなかっただろう。
 だが、1隻なら、対抗するすべはあった。



 「総員、待避! この戦艦に乗る者は、死を恐れぬ者だけだ!」

 六郎の声が、艦内に響き渡る。
 ここに人類史上、初めての宇宙戦艦同士の戦いが巻き起こった。
 そしてそのとき、六郎は自分の読みが、決してはずれていなかったことを悟った。
 地球製の宇宙戦艦は、決して自分が考えていたほど、驚異的なものではなかった。
 彼は地球側が宇宙戦艦を建造する以上、自分と同種の敵に勝てる程度のものは造ってくると見ていた。だが、決してそうではなかったのだ。彼らは、『輸送船に勝てる戦艦』をまず造っていたのだ。いくら何でも早すぎるとは思っていたが、そう考えれば、あり得ない話ではなかった。地球が死にものぐるいになれば、あの程度のものは作れた可能性はあったのだから。
 六郎は始終優勢に戦いを進めていった。同胞も、大半が脱出に成功している。
 だが、誤算も一つあった。
 敵には増援があると言うことだった。
 最初は1隻だった戦艦が、時間とともにその数を増した。
 2隻までは相手ができた。だが、3隻目が現れると、そうはいかなくなった
 おまけに、敵が掛けてきた特攻攻撃……これが効いた。
 戦艦に戦艦を体当たりさせる。相手は1隻、いや、2隻つぶしても、こっちをつぶせば勝ちである。

 「六郎、おまえは逃げろ」

 苦境の中、そう言ったのは、父であった。

 「おまえが倒れたら、この戦い、負けだ。だが、逆に、おまえさえ無事なら、再起の可能性はある。おまえは……火星に行け」

 「父さん……」



 脱出の準備が進められた。使えるのはシャトル2隻。火星までいける特別製の脱出艇であった。
 すでに1号艇は飛び立った。後はこの2号艇が飛び立てばいい。

 「行くぞ、紅!」

 「おう、大樹!」

 「そうしていると二人とも、天空ケンと海燕ジョーみたいね」

 二人の脇で、虎子が笑っていた。確かに大樹はケンに、六郎はジョーに似ていた。実はモデルなのだから当たり前と言えば当たり前である。
 脱出は、後から出る2号艇の方が危険であった。そこで1号艇には婦女子を乗せて先に送り出し、2号艇は主に望月の手のもので固めることにした。
 そして2号艇は、暗黒の宇宙へと旅だった。

 「父さん……ありがとうございます」

 父に感謝の意を捧げながら、六郎は火星を目指した。
 だが。

 「主様! 『ベース』が!」

 ベースとは先ほどまで六郎たちが乗っていた、試作戦艦の名前である。試作品であったため、正式な名前ではなかったが、仲間内では、そう呼ばれていたのだ。
 その戦艦が、ゆっくりと回頭している。連合の戦艦と、歩調を合わせるように。

 「な、何故だ!」

 六郎は絶叫した。何故、『ベース』が、こちらを向く。
 答えは、一つしかなかった。

 「なぜだ……父さん!」

 だが、『ベース』の主砲、20センチレーザーキャノンの発射体に、遠目にも鮮やかな光が浮かび上がる。
 そのときだった。

 「ちょいと! 通信端末はここか!」

 けたたましい声とともに、見たことのない女性が、ノート型のパソコンを片手に、ブリッジへ飛び込んできた。

 「き……君は?」

 大樹が聞くが、返事はない。
 彼女は端末にコンピューターをつなぐと、ものすごいスピードでキーを打ち始めた。
 指の動きが、紅流を極めた六郎にすら見えない。
 ものの10秒ほどで彼女は手を止めた。

 「ああ……やばかった。これでこのシャトルは安全だよ。足はこっちの方が速いしね」

 「君は?」

 改めて聞く大樹に、彼女は名乗った。

 「あたしは春奈。天河春奈よ。まあ……見ての通り、ハッカーを生業にしているわ」

 これがのちに彼らの同士の一人となる、天才技術者とのなれそめであった。



 彼女がやっていたのは、『ベース』のメインコンピューターにハッキングを掛け、主砲の発射をキャンセルすることだった。
 ボブカットの黒髪をかき上げつつ、彼女は言った。

 「見張り番の人はごめんなさいね。そこにあった消火器でぶん殴っちゃったから」

 「いや、それはともかく……なんでいきなり」

 六郎の質問に、彼女はからからと笑って答える。

 「いや、脱出するって言う時から、こんなことになるんじゃないかと思って、シャトルのレーダーのぞいてたら、案の定じゃない。慌てて止めようとしたんだけど、戦艦まで通信できる設備、ブリッジにしかなかったから」

 「なるほど。ブリッジへの扉に、ロックがかかっていなかったのもそのせいか。けど、なぜこうなると?」

 大樹が春奈に尋ねる。春奈は申し訳なさそうに、手持ちのノートパソコンから、何かの会計データのようなものを見せた。

 「これ、紅屋の会計帳簿なんだけどさ、どうもあの社長、地球側と手を結んでいるみたいだったんだもん。それがアレでしょ、あ、こりゃ邪魔な会頭を始末して、自分が商会全部を乗っ取る気だなってぴんと来た。かといって戦艦に乗ったままあいつらと一緒っていうのもやだったし。だからこっち乗ったんだけど、やっぱりアレなんだもん。だからバイトの時仕込んどいたワームを慌てて起動したんだよ」

 それを聞いて六郎と大樹はひっくり返った。

 「……おい六郎、お前ん所はバイトに戦艦の管制システム、プログラムさせたのか?」

 「んなわけあるか!」

 「あ、あたし外注のソフト会社のバイトだよ。バイトでもそこじゃ一番の腕利きだったからね。ま、当たり前だけど」

 「……人事管理がなってないわよ、主様」

 虎子ににらまれて、小さくなる六郎であった。



 「まあ、すぎたことだ。君のやったことは不問にする。ところで、さっきのデータ、もう少しよく見せてくれないか」

 「いいわよ。大半は月の実家において来ちゃったけど、金になりそうなデータは一応持ってきたから。まあ、今更だけどね。習性みたいなものかな、ハッカーの」

 そう言って彼女が六郎に渡したデータを見て、六郎は頭を抱えた。

 「我が社の機密データがだだ漏れだ」

 「大企業も大変だな」

 大樹に慰められる始末である。
 だが、データを見ていく六郎の顔は、やがて赤くなり、さらにはどす黒くなった。

 「父さん……俺がそんなに憎かったというのか!」

 そこには、いくつかの無視できない事実が刻まれていた。
 父、暁大介は、最初から地球側と結んでいたのだ。我々に協力する振りをして、その裏では、完全に地球のために便宜を図っていた。
 地球があれほど早く宇宙戦艦を開発できたのも、彼がデータを地球に流したせいだった。予想よりもろかったのは、いくつかの金属材料が、地球では手に入らなかっただけのことである。
 何より、彼は、地球に現地妻を持っていた。子供までいて、しかもその子は彼と同年代である。
 データの中には、大介の、秘密のメールボックスもあったのだ。
 彼の拳は、また少し、堅く握られた。



 悲劇はそれだけではなかった。

 「水海が、いない?」

 先行するシャトルに乗ったはずの水海は、シャトルに乗っていなかった。
 乗船直前に、呼び出しを受けて降りたという。

 「大丈夫、間に合わなかったら後の便に乗るから、そのまま出発して」

 と言うのが、先発便に乗っていた者が、最後に聞いた言葉だった。
 何が起こったかは想像に難くない。おそらくは人質、万一の際の保険として、彼らの手に落ちたのだ。
 六郎の拳は、さらに強く握られた。






 火星に流れ着いた彼らは、小さなコロニーを建設した。
 そこを基点に、より住み良さそうな環境を探す。
 だが彼らは、そこでとんでもないものを見つけてしまった。

 「宇宙船が、埋まっているだあ!」



 「驚いたな……こいつ、寝ぼけちゃいるが、生きてるぞ」

 大樹のつぶやきが、みんなの心を代弁していた。
 あれから1年、2098年。
 六郎と大樹は、みんなをまとめつつ、こうして生きてきた。
 そしてある土地で、地に埋もれる巨大な物体を発見した。
 それは、生きていた。
 はっきりとはわからなかったが、それは、宇宙船だったのだ。

 「飛ばすことは無理だと思う。コンピューターシステムも、原理が全くわからない。でも、ここは環境が安定しているし、各種のエネルギーも豊富だ。たぶん、輸送船だったんだね。カーゴスペースらしい、巨大な空間がいっぱいある。この中は、コロニーを作るにはもってこいの場所だよ」

 望月春奈は、この宇宙船を、そう評価した。
 彼女は、あの日乱入してきた、天河春奈その人である。名字が違うのは、結婚したからではない。
 不意打ちとは言え、門下の者を倒したのを見込んで冗談交じりに修行させてみたところ、瞬く間に上達し、挙げ句の果てには武門の儀まで成し遂げてしまったのである。苦笑しながらも、六郎は彼女に望月の姓を贈ったのだった。
 この日以来、彼らはこの巨大宇宙船に住み着き、生活を営み始めた。
 動力炉が生きているのが幸いし、貧しいながらも、安定した生活が営まれた。
 農業以外は、かなり月面の水準に戻った。
 また、六郎たちは、暇を見ては宇宙船の内部を探索した。
 内部はあまりにも広大であり、また、一部では警備用と思える無人のロボットが生きていた。
 そんなある日、事件は起きた。



 探索行の中、六郎たちは、妙な部屋を見つけた。

 「ここは……医務室か? 機械が生きているみたいだな」

 「例によって訳がわからんな。火星語の解読、また春奈を呼んで頼むか?」

 「その方がいいかもな」

 彼らがそう言いながら資料などをあさっている時であった。

 「うわああああっ!」

 部下の一人が、傍らの何かの機械に捕まっていた。正体不明の、虹色の光が照射されている。

 「大丈夫かっ!」

 慌てて六郎は、彼を機械から引きずり出そうとした。だが、まるで引き寄せられるように、彼も機械にとらわれてしまう。

 「なんだこれはっ!」

 そして虹色の光が、六郎にも照射される。

 「ぐわああああっ!」

 全身をバラバラにされるような激痛が、六郎を貫いた。
 ほかの人間も、黙ってみているしかなかった。
 近づいただけで引きずり込まれてしまうのでは、助けようがない。
 だが幸い、その後すぐ、光は止まり、二人は崩れ落ちた。

 「引き上げだ!」

 大樹の指示が飛ぶ。担ぎ上げられた二人の体は、炎のように熱かった。







 「ここは……」

 「六郎!」

 目覚めた時、目の前には大樹の顔があった。
 起きあがってみても、別段違和感はない。むしろ、すがすがしいくらいであった。

 「あれから……どうなった」

 「一週間ほどたっている」

 「一週間も……」

 そして大樹は、六郎に、彼が一番気にしていることを告げた。

 「良和は……助からなかった。神経に受けた苦痛に耐えきれず、悶絶死した。お前は……修行のおかげだな。覚えているかどうかわからないが、3日ほどはエビみたいにはね回っていた。だが4日目に急に眠りだした。そうしたら傷から何から、どんどん治っちまった。体の調子はどうだ?」

 六郎は、素直に答えた。

 「前よりいいくらいだ。腹もあんまり減っていない」

 「そうか。少しずつ、慣らしていこう」

 だが、これが奇跡の始まりであった。



 六郎が壁に手をふれたとたん、今までどうしても開かなかった扉が開いた。
 警備ロボットが攻撃をしてこなくなった。
 眠っていたコンピューターシステムが、目を覚ました。
 六郎には使い方がわからなかったが。



 「なにやら微細な変化が、体に見られますな。神経系を流れる電流が、通常の人より強くなっています」

 「どうやら一種の生体インターフェースみたいね」

 医者の望月源也と、情報担当になった、望月春奈の言葉であった。

 「まあ、言うなれば今の主様は、この宇宙船に、『乗組員』として認められたんじゃないのかな」

 「俺がか?」

 そう聞く六郎に、春奈はうなずいて答えた。

 「あなたにコンピューターを操る素養があれば、きっともっといろいろなことがわかったんでしょうけど、そうも行かないわね。あなたが触れたあの機械は、きっとそう言う『登録』をする機械だったんじゃないかしら。でも異星人の機械を人間に適用するのは、さすがに無理があったみたいね。あなたの体の反応からすると、神経系に何か『刻印』のようなものを打って、同時にこの中の機械を、意志一つで操れるようにするみたいだから。その措置に、良和君は耐えられなかったみたい。あなたが耐えられたのは、たぶん肉体を限界まで鍛えていて、かつ精神的にも鍛えられていたせい。ある意味、鍛錬によってあなたの体の神経系は、常人より高い能力を持っていた。だから改造に対する負担が小さかったのよ。そしてそのおかげで、あなたは苦痛に耐えきることができた。たぶん、どっちが欠けてても、耐えきれずに精神が焼き切れちゃうわ。残念だけど、あそこは封印しておかないとだめね」

 六郎も、それ以外の皆も、そろってうなずいた。



 だが。



 「発見しました! 春奈さんです!」

 「馬鹿野郎、死ぬ気か!」

 封印したはずの部屋で、行方不明となっていた望月春奈は発見された。
 2週間ぶりの発見であった。

 「賭に……勝ったわ」

 なぜか金色に染まった瞳で、彼女はそう答えると、崩れ落ちるように倒れた。







 その日以来、艦内探索が一気に進行した。
 春奈が艦内コンピューターの解析に成功したからだ。

 「言葉がわかんないから、ほとんど推測でしかないけど、この船は、工作船よ。大量の工作機械を積み込み、この地に『街』を築くための」

 春奈は、そう断言した。

 「『街』と言っても、あたしたちの想像する街と同じとは限らない。軍事基地かもしれないし、ただの観測所かもしれない。でもね、何らかの『拠点』であり、『休息地』であるのはほとんど間違いないの」

 そう言って彼女は、備え付けの端末らしきところに手を触れる。するとただのフラットパネルだったところに、光が走る。

 「そして、この船は、そのまま使い捨てにされる予定だった。ただ、朽ちるのに時間がかかりすぎたみたいだったけどね。命令休止状態でほったらかし。いちいち解体する必要もなかったみたい。贅沢なもんだわ」

 あっけにとられるみんなの前で、春奈は続ける。

 「でね、今まだ行けないブロックには、この船を造った文明の遺物がまだたくさん残っているみたい。あたしたちが今住んでいるこの辺一体は、まさしくカーゴルームだった。だからもうなんにもない。でもね、埋もれている中枢には、メインコンピューターを始めとした、超古代の文明の遺産が、今でも息づいているわ。中でもすごいのが、跳躍技術……とでも言うのかな。いわゆる超光速航法の技術みたいなのがありそうなの。詳しいことは全然だけどね。どうもね……この文明、この技術がごく日常的に使われていたみたいで、専門書じゃなくって、百科事典みたいな所にデータがあるのよ。それでもまだちんぶんかんぷん。じっくり時間を掛けて、専門家……はいないか。とにかく数学とかに強い人に研究させるしかないよ」

 「そして、その技術があれば……俺たちは地球に頼らずに生きていけるようになるな」

 大樹が力強く言った。

 「がんばろうぜ、六郎。ゲキガンガーは、超古代縄文人の壁画から生まれた。そして今俺たちは、古代火星人の『壁画』を見つけたわけだ。幸い地球は、まだ火星に移住してはこない。ある意味時間との戦いだ。彼らがこのことを知ったら、絶対にこの『船』を奪いにくる。それだけは……許しちゃだめだ」

 「ああ」

 六郎も、力強くうなずいた。



 だが……その日はあまりにも早く訪れた。



 「市民は奥のブロックに避難! 戦闘班は迎撃に出る! 大樹、市民の避難は任せた!」

 「六郎! そっちこそ死んだら許さんぞ!」

 地球からの降下部隊は、それからわずか数ヶ月のうちに侵攻してきた。
 隠密性の高い戦艦による奇襲作戦……完全に施設制圧を狙っての戦いだった。

 「これは……言いたくはないが、スパイか売国奴がいるな。ここの情報を、地球に売ったやつがいる」

 「同感だ」

 六郎と大樹の意見は一致していた。そうでなければ、敵の装備が納得できない。
 大樹は市民をいち早く避難させ、望月の姓を持つものは、皆迎撃に出た。

 「待て、お前は大樹と行け!」

 「なんでよっ!」

 怒鳴る春奈。しかし六郎はきっちりと言い渡した。

 「お前はこの『船』を理解できるただ一人の人間だ。敵の手には渡せない。それに、市民側にも護衛兵は必要だ。紅家当主として命じる。お前は大樹と行け」

 「……御意、主様」

 礼とともに、春奈は大樹の元に行った。
 そして六郎は拳を作る。

 「そこまで貴様らは俺たちを踏みにじろうというのか……誰一人生かしては返さん!」

 六郎の拳は、限界まで握りしめられた。



 侵攻する部隊を、六郎たちはゲリラ戦法で迎え撃った。地の利は圧倒的に自分たちにある。広く浅く散った彼らを、兵士たちは捕らえられない。アリ地獄に引きずり込まれるように、一人、また一人と兵士たちは倒れていった。
 闇に潜み、敵を討つ。今六郎は、禁術でもある暗殺の技すら振るっていた。
 戦いによって、彼の心は、限界まで研ぎ澄まされている。
 そこに、新たな『敵』がかかった。
 ためらうことなく、その拳が唸る。それが寸前で止まったのは、その瞳に目にも鮮やかな赤毛が映ったからだ。

 「……虎子」

 同時に六郎は、血に酔いすぎていたことを反省する。気を張りすぎると、まま起こることだ。これを戒めるために、暗殺の技は禁術として、武門の儀を成し遂げたものにのみ伝授されるのである。

 「主様……私を殺す気ですか」

 さすがに怒りを含んだ口調で虎子が言う。

 「悪い、血に酔った」

 六郎は素直に認めて、彼女に頭を下げた。
 その瞬間だった。
 肩口に小さな痛みが走る。
 手投げ針であった。
 同時にぐらりと体が傾く。なじんだこの感覚は、紅家秘伝の毒であった。この手の毒に耐性をつけるため、当主候補は、幼い頃からこの感覚に慣らされる。

 「なぜ……だ……虎……子」

 耐性をつけているとはいえ、相手も同じ一門。必要量は把握している。

 「申し訳ありません。ですが主様は殺されることはないはず。この船の主たる『証』をお持ち故」

 唐突に、六郎は悟った。

 「お前が……獅子身中の虫、だったのか」

 「申し訳……ございません」

 虎子は、なぜか涙を流しながら言う。

 「主様は、敬愛しております。ですが、私は……どうしようもなく、正隆様のことを愛しているのです。望月虎子ではなく、石野透子を好きだと言ってくれた、あの方を!」

 その瞬間、何かが六郎の中で切れた。
 正隆というのは。
 暁大介が、地球の愛人との間に設けた子供の名前であった。

 「あたしは……もう一度、あの人に、会いたい……」

 意識が、揺らぐ。体は、すでに動かない。

 「よくやったな、透子」

 そこに聞こえた声が、かすかに六郎の意識をつなぎ止めた。
 忘れようのない声。
 父、暁大介の声であった。



 「大介様!」

 虎子の声がする。もはや目も見えない。
 六郎の五感のうち、生き残っているのは聴覚のみであった。

 「六郎様は、この通り」

 「ふむ」

 何かがぶつかった音がする。体がかすかに動いたようだ。三半規管に揺れを感じる。

 「何をするんですか!」

 虎子の怒りの声が聞こえた。おそらく蹴飛ばされたようだ、と、六郎は判断した。
 父ならやりそうなことだ、とも思った。

 「ふん、振りかもしれないからな。だが、どうやらちゃんと効いているようだ。お手柄だぞ、透子」

 「それでは私がお運びいたします。約定とは言え、この方は私の主様でもあります。みだりにあなたの手には渡せません」

 そう思ってくれるのか……と、六郎の消えかけた意識は思う。

 「その必要はない」

 ズガアアン!

 鈍る意識にも、はっきりと聞こえる銃声。

 「な、なぜ……」

 「サンプルをそんなに丁寧に扱うこともあるまい」

 大介の声は、あくまでも冷たい。

 「ついでに教えてやろう。正隆は今、私が連れ帰った石野水海を、熱心にかき口説いているところだ。まあ、モノにするのも時間の問題だな」

 「あ……ああああああああっ!」

 哀しき女の悲鳴が、眠り掛けた六郎の意識に届く。

 (この……)

 さらに強く握られた拳が……何かを突き破った!



  



 その瞬間、六郎は重力も何もかも無視して跳ね上がった。
 全身を駆けめぐる怒りが、毒も、傷も、何もかもを燃やし尽くしていく。

 「な、なんだ、それは!」

 大介の顔に、当惑の色が浮かぶ。
 そこには、全身をの光に染めた六郎が、宙に浮いていた。
 そしてその拳には、見たこともない『紋章』が浮かび上がっていた。



 「暁……大介」

 空間に刻み込むように、言葉が紡がれる。

 「キサマだけは……」

 拳に紅の光が集中し、まるで炎のように見える。

  

 絶叫とともに拳が大介の肉体にたたき込まれた。
 悲鳴すら、なかった。
 その瞬間、大介の肉体は爆ぜ、無数の肉片となって、あたりに飛び散っていたのだから。
 そして六郎は、悪鬼羅刹のごとく、敵兵を蹂躙していった。



 気がついた時には、生きて動く敵はいなかった。

 「主様!」

 「主様!」

 あたりから一門の者が集まってくる。

 「今の技は、いったい……」

 「俺にもわからん。だが、心の中の怒りが限界を超えたあのとき、俺は何かを『掴んだ』それが、光となって、俺に取り巻いている……体内の気が、限界を超えて昂った……そうだな、さしずめ、『昂気』とでも言うところか」

 「『昂気』……いい名ですね」

 六郎は、『昂気』と命名した『気』を感じながら、さらに語る。

 「紅流の奥伝には、『武羅威』と言う言葉がある。武門の儀における、究極の心構えのことを意味するらしいが、残念ながら、俺も、そして先代も、正確な意味は知らん。だが俺は今、その境地に立ったらしい」

 「紅流最終奥義、『武羅威』ですか。すごい技ですね。我々はきっと、末代までこの日のことを語り継ぐでしょう」

 だが、そこに思わぬ水が入った。

 『主様!』

 『船』の放送システムが、突如声を上げた。春奈の声だ。

 「な、なんだ?」

 うろたえる門弟たちを鎮め、六郎は叫ぶ。

 「どうした!」

 不思議なことに、その声は相手に伝わったようだ。

 『そこにいたのね! すぐにこっちに来て! 案内の壁が光るから!』

 その言葉通りに、壁に一筋の光が浮かび上がった。
 みんなは、訳もわからずその光の通りに進んだ。
 今まで来たことのない、奥への通路が開けている。
 そしてゴールにあったのは……
 この船の『中枢』だと思われるところだった。



 「これ見てっ!」

 春奈の声とともに、目の前に映像が浮かぶ。
 そこに映っていたのは、いくつものミサイルであった。

 「なんだと!」

 六郎も叫ぶ。その隣で、大樹が冷静に言った。

 「緊急事態だとこの船が判断して、ここへの通路が開いたんだ。春奈が触ってみたら、限定的だが、船の機能が生き返ったらしい。でな……どうやらあれ、核ミサイルらしい」

 六郎の全身を再びの光が包んだ。

 「なんだと……っ!」

 「おおかたこう判断したんだろうね。手に入れろ。入らないのなら完膚無きまでにたたきつぶせ、ってね」

 「地球の奴らめ……」

 だが、さすがに六郎といえども、空を飛ぶミサイルには手が出せない。

 「これまでか……」

 「ああ」

 大樹もうなずく。

 「全く、なんてしつこい奴らだ。そんなにお山の大将でいたいのか」

 「そうなんでしょ……ね、主様、大樹さん、賭けてみる気ある?」

 「……どういうことだ?」

 疑問に思う六郎に、春奈は言った。

 「ここからならね、動かせるかもしれない……この船」

 「でも、今更動いたところで、どこに逃げるんだ? 第一、穴だらけだぞ」

 大樹がもっともなことを言う。しかし春奈は、にやりと笑って言った。

 「跳躍システムでも?」

 「「なんだとっ!」」

 さすがに六郎も大樹もビックリした。

 「動くのかっ!」

 「博打だけどね」

 春奈は、淡々と言う。

 「起動は、できる。跳躍も、たぶん間に合う。けどね……行き先がわかんない。コントロールの方法が、わからないんだ」

 「どこへ出るかは、神のみぞ知る、っていうわけか」

 大樹がにやりと笑う。

 「なあ六郎」

 「なんだ大樹」

 「お前、どこへ行きたい?」

 「俺は地球だ。馬鹿共を一発ぶん殴りたい」

 「ちいせえな」

 大樹は、上を指さしていった。

 「ちっちゃい地球にゃ住み飽きた。どうせなら、彼らの母星までといきたいな」

 「ははは、お前らしい」

 「はいはい。そこまで」

 春奈がぱんぱんと手を鳴らす。

 「どっちみち、やるしかないのよね。やんなきゃあたしたちは核の炎でこんがりローストされちゃうんだから。ま、何がおこるかおなぐさみね」

 そして春奈は、コンソールに手を当てた。

 「さあ、いってみようかーっ!」



 『船』は、突如、白ともオレンジともつかない、不思議な光に包まれた。境界面で、不自然に光が屈折していく。
 やがてそこに、虹色の光が重なった。
 めまぐるしい光に、天より降り注いだ核の光が重なった。
 すべてが収まった後、そこには巨大な穴しかなかった。
 不思議なことに、残留放射能は予想より遙かに少なかった。
 軍は、目標物の『消滅』を報告した。



 のちにこのクレーター跡に、多くの人間が生息するコロニーが築かれる。
 その名を、『ユートピアコロニー』と言った。







 「う……」

 大樹が目覚めた時、なぜか周りが明るかった。

 「ここは……!」

 肉眼で見えるところに、惑星があった。
 その惑星には、巨大な『目』があった。

 「木星……?」

 そして大樹は、何気なく下を見て、さらに絶句した。
 視界の下方に、『大地』があった。
 『機械』の大地が。
 そしてそれは、宙に浮いていた。
 そしてその『機械』の『大地』は、未だに活動を続けていた。
 のちの調査で、この『機械の大地』は、異星人の残した、超巨大自動工場……『プラント』であると判明する。



 だが……。



 「だめです、見つかりません!」

 「第20地区、手がかりなし!」

 春奈と六郎の姿は、どこにもなかった。



 そして……



 「気がついたか、虎子」

 「大樹……」

 虎子は奇跡的に命を取りとめていた。
 傷の癒えた虎子は、草壁にすべてを告白した。

 「どんな罰でも受けよう、大樹。私はそれだけのことをしてしまった」

 「じゃあ……一つ聞いていいか」

 「何なりと」

 「結婚してくれって言ったら、受けてくれるか?」

 「なななななっ!」

 「……お前が誰かに惚れてそうだから言わなかったが、俺はずっとお前に惚れてたんだぞ?」

 「……気がつかなかった」

 「失恋したところにつけ込むようで悪いがな」

 「……いや、いい……」



 「それで、主様の行方は?」

 「手がかりはたった一つだけだ」

 そう言って大樹は、古いラジオとラッパを組み合わせたような、妙ちきりんな機械を取り出した。

 「なんだ、これは」

 大樹は、鼻の頭をこすりながら答える。

 「春奈のやつも消えちまったんで詳しくはわからんのだが……どうも超空間通信機らしい。距離も何もかも無視して、どこでも即時通信ができるモノらしいんだ。そいつが一つ、なぜか姿を消している。モノがモノだけに、結構厳重に管理していたし、あのときのブリッジにも、一つだけおいてあったのはたくさんの人間が確認している。だがあのとき、そいつは消えちまった。たぶん、春奈か、六郎か、どっちかと一緒にな。でもたぶん六郎だと思う」

 「どうして?」

 「春奈は使い方を知っているからな。すぐにでもここに連絡を入れるはずだ。だがそれがないってことは、よくわかっていない六郎の方についていったって可能性が高いんだよ」

 「なるほどな」







 そして彼らはこの『プラント』を足がかりに、木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家反地球共同連合体……通称、木連を築くことになる。







 一方……







 「う……」

 目を開けた六郎は、あまりの眩しさに再び目を閉じた。
 これほど強い光は、ついぞ経験したことのない六郎だった。
 立ち上がろうとするが、力が入らない。それでも、何とか立ち上がった。
 ひどく空腹だった。
 ふと気がつくと、アンティークのラジオのような、奇妙なモノが転がっている。
 何気なくそれを拾った六郎は、急速に意識が覚醒するのを感じた。

 「俺は、火星で……どこだ、ここは」

 そして辺りを見回して絶句する。
 明るい日差し、どこまでも続くハイウェイ、砂漠の中の一本道……。

 「まさか、地球か!」

 そのときであった。
 遠くの方から、車のものらしき音がした。
 同時に、いくつもの耳障りな爆音。
 そちらを見ると、黒塗りの高級車が、暴走族のような単車の群れにまとわりつかれていた。
 道の真ん中にいたら、いくら何でも危ない。
 とりあえず端によけた六郎の前を、高級車と暴走族が通り過ぎていった。
 その窓の中に見えた、良家の子女と思われる娘の顔が見えた。
 水海だった。
 瞬間、六郎はの輝きに包まれていた。



 自分でも何をしていたのかは覚えていない。力尽きて倒れそうになったところを、何か柔らかいものに支えられていた。
 ぼんやりとした意識の中、優しい声に聞かれた。

 「あなた、お名前は?」

 「ろ……ろ、く……」

 そこまで言ったところで、六郎の意識はとんだ。



 「ロック、だそうです。だとすると、ロバートかしら。それとも、リチャード?」

 「目が覚めてから聞けばいいと思います。アクアマリンお嬢様」







 目が覚めた時、六郎は高級そうなベットに寝かされていることに気がついた。
 傍らに、ちらりとだけ見た女性がいる。
 よく見れば、水海ではなかった。光の加減で黒髪に見えたが、目の前にいる彼女の髪はもっと淡い色をしている。

 「あ……お気づきになりましたの?」

 少女の言葉は、きれいな英語であった。
 六郎も、多少なまった英語で答える。

 「ええ、ここは?」

 「あたしの家よ。ね、あなた、なんて言うの? ロバート? それともリチャード?」

 「いえ……」

 答えようとして、ふと六郎は思った。
 ここは地球だ。
 自分は死んだと思われているだろうが、万が一と言うこともある。
 名は名乗らない方がいいだろう。
 それに、あたりの状況側がわからなすぎる。少し情報がほしい。
 そのとき、いいアイディアがひらめいた。

 「私の名は……なんなんだ?」

 「へっ?」

 目を丸くして驚いている彼女の表情は、水海そっくりだった。
 そこに懐かしいものを感じながらも、六郎は演技を続けた。

 「あの……私は、誰なんでしょう。思い出せないんですけど……」

 「え……うそ……きゃあああっ! ベーカー、お医者様呼んで〜〜っ!」

 何ともけたたましい少女であった。



 「軽度の記憶障害ですな。何、きっと一時的なものです。ヒッチハイクか何かは知らないが、この人、ハイウェイのど真ん中を歩いていたと言いましたな。きっと疲労やらなにやらが重なって、記憶が混濁したのでしょう。頭部に負傷とかはないですから、時間がたてば大丈夫」

 「どうもありがとうございました」

 少女がぺこりと頭を下げる。
 このころには六郎も、少しは事情を悟っていた。
 少女はアクアマリン・クリムゾン。とある事業家の一人娘である。
 現在は執事と二人暮らし。ただ、どうもそれには事情があるらしい。
 それより、もっととんでもない事情が、今の六郎には存在した。

 (2149年、だと……)

 そう。ベーカーが持ってきてくれた新聞には、はっきりとそう書いてあった。

 (俺はあの跳躍システムのせいで、時を飛び越えてしまったというのか!)

 となると、自分の名を告げることは自殺行為であった。
 偶然とはいえ、記憶喪失を装ったのは正解であった。
 逆にいえば、自分の身元はどう調査してもわからない。不審に思われても、本人が覚えていないと言い張れば、証の立てようがない。
 なるようにしかならない、と言うことであった。



 「ミスター、一つ、お願いしてよろしいでしょうか」

 記憶の戻らないことにしたまま、クリムゾン家に居候していた六郎は、ある日ベーカーからそう言われた。

 「はい、私にできることなら何なりと」

 実際、多少心苦しくも感じている六郎であった。世話になりっぱなしで恩を返せない状況というのは、武門の儀を果たした六郎には大変心苦しかった。

 「実は……お嬢様のボディーガードを依頼したい」

 「……ずいぶんきな臭い話ですね」

 そして六郎は、初めてクリムゾン家の実情を知ることができた。
 クリムゾン商会は、今はなきアクアマリンの祖母が起こした小さな商社である。小規模ながら堅実で信頼される取引によって、このオセアニアの地に、約50年を掛けて確実な地歩を築いた。
 それをとある大企業が狙っているというのである。
 グループの名は……暁グループ。

 「かつて、紅屋グループと言われていた頃は、それは立派な当主が、天に恥じない商いを行っていたといいますが、あの独立抗争の際、独立派についたばかりに凋落したと、世間ではいわれていますな。ですが、それは嘘っぱちです。初代様も、かつては紅屋と関わりの深かったお方。だから我々は知っております。あの暁大介こそが、まっとうな志を持っていた紅屋の六代目を疎んじ、謀に掛けて、グループを乗っ取ったのだということを!」

 「はあ……」

 当の六代目は、何も言わずに、その話を聞いていた。

 「しかるに暁グループは、一度はその身内とした初代様を、政略結婚のために因縁をつけてうち捨てました。それだけでも無体なのに、挙げ句の果てにはその初代様がこうして起こした商いを、恥知らずにも卑劣な手段で乗っ取ろうというのです。お嬢様の身の安全がほしければ、傘下になれと……」

 「許せん話だな」

 胸くそが悪くなるような話であった。紅屋代々の、武門と商家、双方を極めることの重要性を、改めて噛みしめる六郎であった。

 「暁に屈するは恥。されどお嬢様を危険な目に遭わせるのはさらに恥。しかるにあなたは、すばらしい腕を持ち、さらに決して敵の手のものでもない。お嬢様も、あなたのことを慕っております。どうか、引き受けていただけませんかな」

 そして六郎は、その仕事を引き受けた。



 「ロック〜」

 「危ないですよ、お嬢様」



 「ロック〜」

 「おとなしく頭を下げていてください。私は……無敵です」



 「あなたがロックさんですか。未だに名前も生まれも思い出せないとか」

 「本当に娘がいつもいつも」



 そして一年後。

 「ロックさん、よろしければ……娘を、もらっていただけませんかな

 「はあ?」

 何しろ元が元である。六郎はボディーガードの傍ら、商売を通じての圧力や妨害に対しても、的確なアドバイスができた。主にアクアマリンの愚痴として聞いた話に答えを返していたのだが、彼女は逐一それを両親に伝えたらしい。いつしか六郎は、すっかり彼女の両親にも気に入られていた。

 「少し、考えさせてください」

 とは言ったものの、連日のように両親も、ベーカーも攻撃を掛けてきた。
 そんな彼が陥落したのは、たった一つの言葉だった。

 「お嬢さんをお願いします……でないとこのベーカー、先代様、水海様にあの世で顔向けができません」

 「な……」

 彼らはいつも、事業を興した人物のことを、「先代様」としか言わなかった。彼女が名を残すことを嫌ったせいだという。写真とかも、公式の記録には全く残っていない。
 だから今の今まで彼は、「先代様」の、本名も顔も知らなかった。

 「この話、受けてもいい」

 ある日、六郎はそう言った。

 「おお……」

 「ただし、条件がある。先代様に会わせろ」

 「し、しかし先代様はとうに……」

 「馬鹿、本当に会わせろっていうんじゃない。写真か何かでいい。後は……墓参りだ」

 そして見せられた写真には、紛れもなく、水海の姿があった。

 「先代様は動乱の後、暁家の正隆様とご結婚なされました。ですが翌年に双子の娘を産んだ後、一方的に不貞の疑いを掛けられて離縁させられたのです。それは正隆が、現在の正妻……貞子様と結婚するため。こちらは政府高官との間の、典型的な政略結婚です」

 ベーカーの言葉には、怒りがにじんでいた。

 「当時の水海様には、二人の子供を育てるのは無理でした。やむなくそのうちの一人は里子に出し、残る一人を育てるために、馬車馬のごとく働きました。紅屋の名から『クリムゾン』という号を立て、立派にナナコ様を育て上げたのです。ナナコ様は幸いよき伴侶……今の旦那様に恵まれ、商いもしっかりとしました。残念なことは、ナナコ様の双子の姉様は、消息が知れなくなってしまったことです。双子ですから、よく似ていらっしゃるはずなのですが……」

 「そうですか」

 そして六郎は、若くして逝った水海の墓を詣でた。

 「あのとき……俺はお前を守れなかった。だから誓う。お前の子孫は、俺が、守る!



 翌月。二人の結婚が決まった。



 「おめでとう!」

 「やっとくっついたか〜」

 「きれいよ、アクアマリン……」

 たくさんの祝福の中、二人は結婚証明書にサインをし、晴れて夫婦となった。
 この時、六郎は、新しい名を名乗った。
 ロバート・クリムゾン。
 これが六郎の、新たな名であった。
 二人は並んで教会を出、ブーケを投げる。
 いつの時代も変わらぬ、結婚式の風景。
 ブーケに群がる人々。その足下で。



 爆弾が、爆発した。



 その瞬間、六郎……いや、ロバートは何が起きたのかわからなかった。
 いつか見た閃光が、あたりを包んだ。
 その瞬間、彼はの気に包まれた。
 この時代に来てからは、最初の日以来、忘れていた『力』であった。
 そして視力が戻った時、彼の隣には。



 安らかな表情のまま、



 真紅のウェディングドレスに身を包んだ、アクアマリンがいた。







 死者24名、重軽傷者55名。
 直後にテロ組織からの犯行声明が出たため、市民の怒りは非道なテロ組織に向いた。
 だが、現実は。



 いうまでもないことだった。






 そして、この日。
 オセアニアの暗黒街を震撼させた、『紅血の虎』が誕生した。







 時は、巡る。

 クリムゾングループは、オセアニアを席巻し、全世界的な企業に成長した。
 手段は選ばなかった。
 ロバートも、とあるグループとの間で、政略結婚による妻を迎えている。
 のちに、彼の息子が迎えた妻が、行方知れずだったナナコの姉の孫であったのは、皮肉な話であった。
 そのせいか、孫のアクアは、水海によく似ていた。
 だがその事実も、ロバートの凍り付いた心を溶かすことはなかった。
 暁グループは、火星へ積極的に進出し、社名も『ネルガル』に改めた。






 そして……運命の日。













 「そう言えば……まだ持っていたのだな」

 屋敷の整理をしていたメイドが、時を越えた時、一緒に持ってきた謎の装置を持ってきた。
 捨ててもよいでしょうかと。
 彼はそれを受け取って、懐かしさとともに自らの手でそれを磨いていた。
 そのときだけは、彼の心も少し溶けていた。

 「みんなは……どこへ行ったのだろうな……」

 そう、彼が思った時であった。
 突然、彼の手で、『紋章』が光を放った。

 「うおっ!」

 驚く彼の目の前で、チューリップのように口を開く『装置』。

 『はいこちら木連本星通信室……ん、そっちは……まさか! あなたは、六郎様ゆかりの方では!

 さすがにロバートも驚愕した。

 「な、なんだと! 木連、だと? 確かに私は六郎……ゆかりのものだが」

 本人、と言いそうになるのを、ロバートは必死になって押さえた。
 心臓が止まりそうな衝撃であった。老いた身となった今では、本当に止まっても不思議ではない。

 『ああ、伝説は本当だった! 我々は紛れもなく、かつて火星で六郎様に率いられていたものの末裔です。失礼ですが、あなたは六郎様の軌跡をご存じでしょうか』

 「ああ……よく知っている」

 そのときは、確かに、ロバートの心は溶けていた。



 草壁の孫と名乗るその男は、強い意志を持った男であった。いささか武門の儀に偏りすぎているところがちょっと気になったが、商家の儀に偏りすぎて腐敗した父に比べれば遙かにましであった。
 そしてロバートは、木連の現状と苦しみを知った。
 草壁は木星に飛んだ民を導き、ここで発見された『プラント』を、春奈の残した資料を基に何とか手なずけ、木星の衛星や、かつての『船』に居住区を築き、着実に力を付けてきたという。

 『だが、それももう限界なのです』

 西沢という経済官僚は、そう訴えかけた。

 『『プラント』に対して大規模な解析その他の進展があるか、新たな天地に移住しない限り、我々にこれ以上の発展はあり得ません。ロバート老、あなたをかつての我々の指導者、紅六郎殿に連なるものとしてお願いします。我々はもはやかつてのことを恨んではいません。我々は若かったのです。お互い、手を取り合えるものなら……そして地球側がことの経緯を公表し、我々も間違っていたと言ってくれるのなら、我々もかつての過ちを認め、ともに人類の仲間として、手を取り合っていきましょう。そうお伝え願えないでしょうか……』

 「うむ。紅の名こそ継がぬものの、その衣鉢を継ぐものとして、その仲立ち、いたしましょうぞ。だが……」

 『だが?』

 「事破れし時は、いかがなさる」

 『そのときは……一戦も辞さずの覚悟を決めます。無意味な戦いは避けたいのですが、もはや我々だけでは、プラントの解析は難しい。このプラントは木連の宝でありますが、同時に人類にとっての宝でもあります。力を合わせるには、やぶさかではないのです』

 『だが同時に、我々が新たな地をもとめざるをえないのも事実。あまりにも非道な行為には、我々も武力で答えざるを得ないでしょう』

 西沢と草壁、二人はそう、力強く答えた。
 どちらも澄んだ、いい目をしていた。



 そしてロバートは動いた。後半生の彼にしては珍しく、全くの打算抜き、損得抜きで。
 彼はこの事実を連合に届け出た。
 会議がもたれ……一切の回答はなかった。
 木連は、黙殺されたのだ。



 この結果はロバートにとってもあまりにも意外であった。あまりにも綺麗に意志がそろいすぎている。一応ロバートも憚って、最初は内密に届け出をした。だが事の重要さ故に喧々囂々の争いになり、その隙間からマスコミなどにも漏れていくと踏んでいたのだ。
 だが情報は、あまりにも完璧に統制された。
 この瞬間、ロバートは政治ではなく、何か利害が絡んだことを直感した。
 人は政治では、平時に一体化することはなく、またしないことをよしとする。共和制、民主主義政権である以上、それがごく普通のことである。だが、金銭的利害が絡めば、どのような政治家もとたんに口が堅くなる。そのことをロバートは熟知していた。
 手段を選ばずに情報を集めた。
 その結果、ネルガルは火星で古代の遺跡をいくつか発見し、そこから入手したテクノロジーを独占しようとしていることを嗅ぎつけたのである。

 「『街』を発見したというのか!」

 ロバートの怒りは頂点に達した。このことは一切ニュースに載っていない。
 ネルガルと連合政府が手を組んでいることは明白であった。

 「なんたることだ……」

 彼はこの瞬間、ロバート・クリムゾンではなかった。
 紅六郎でもなかった。
 すべてを失い、復讐に狂った、『紅血の虎』がそこにいた。

 「今の地上に、この楽園たる地球に住む資格のある人間など、もはや何処にも居ないのか! いいだろう。木星の同胞よ、いつでも来るがいい! この私が、ロバート・クリムゾンが、お前たちのために、この地球をくれてやる!

 そのとき、衰えた彼の手に、の光が、確かに走った。







 「……むう」

 目が覚めると、すでに夜が明けていた。
 スクリーンには、何も映ってはいない。

 「……寝てしまったのか、あのまま……」

 体を起こしたロバートは、そのとき、自分に毛布が掛けられていたことに気がついた。

 「ベーカー」

 「はっ、お呼びでしょうか」

 あのころとは別人ではあるが、同じ名の執事は、実に気が利く。

 「起こさなかったのか?」

 「幸せそうな夢を見ていらしたようなので」

 そして、心配そうに問う。

 「もしかして……私の早とちりだったでしょうか」

 「いや、そんなことはない」

 私はそのまま立ち上がり、食堂へと向かう。
 朝食のことを聞く必要はない。
 ベーカーは、大変気が利く執事なのだ。







 14話に続く








 あとがき。

 ダークです。
 なんか、ダークです。
 基本コンセプトは、「なんと! ロバートはA級ジャンパー! しかもマスターアジア並の強者だった!」という、とってもお馬鹿なものだったんですけど。
 そりゃお馬鹿なりに伏線は入っていますが。
 でも、こんなにダークなエピソードは入らないはずだったんだけどなー。
 真紅のウェディングドレスとか。
 ……はっ、私も、私も感染していたのか! 最近猛威を振るう、あのウィルスに!
 道理でエッセイが変に煮詰まるはずだ。



 ……それはさておき、これが再び世界での、ロバートの半生記です。
 なんかどっかで見たような人が混じっていた気もしましたが。
 何がどうなっているのかが明かされるのは、遙かに先の話でしょう。
 しばらくは気にしないでください。
 そしてまたこれが、クラウドさんの疑問に対する答えです。
 木連と地球とのファーストコンタクトの、真相はこれでした。
 先代会長の陰謀が、ロバートを狂わせたのです。
 そして現会長アカツキは、ああ見えても、エステバリスパイロットという『武門』と、ネルガル会長という『商家』を、それなりに併せ持っています。
 まあ、結構とんでもないネタを隠してはいますが。



 なお、この『船』のエピソードは、のちに18話アフターで、再び登場するでしょう。
 なんかうちの北斗、時ナデから逸脱しそうです。ちょっと怖い。
 いったんは設定変えたんですけど(初期設定の北斗は、IFSを持っていませんでした。のちにIFSを所持していることが明言されて、設定を変えました)、なんか初期の設定に戻りそうです。
 でも一番の問題は、北斗、ダリアに乗ってこないと言うこと(爆)。
 話の展開の関係で、小型相転移エンジン、月にいっていないし、そもそもサレナは欠陥品。後々ちゃんと北斗用の機体は出てきますが、16話の時点で木連側がダリアを作っている可能性は0です。
 さあ北斗、お前。何に乗ってくる?
 みんなも想像してください。普通なら夜天光か積尸気タイプのはずですが……。



 次の14話は、元々がアレなだけに、がらっと明るくなります。

 私にしては珍しく、ギャグとパロのオンパレードになると思いますのでこうご期待。
 ネタが古いのは勘弁してくださいね、私Action作家陣の中でも最年長(37)らしいですし。
 私より年上の人、います?


 15話以降は、だいぶ変わります。
 月臣、2週間前に飛んでないし、そもそもマジンに乗っていません。どうやら原作では乗っていたらしいんですが。
 こらこら、時ナデの13話と16話を読み比べてツッコんじゃいけません。
 たぶんこの先の話でできますが、再びの場合、ダイマジンがロールアウトしたので、試験もかねて月臣がそちらに乗ることになり、空いたマジンを自動操縦で使ったということにしています。ダイテツジンも、13話と16話の間に届きます。
 ダイデンジンは、間に合わなかったそうですけどね。



 14話は『熱血パロディ』でいこう……ラピスとハーリーの新春演芸大会〜……
 15話は遠い星から来た『彼女』……兄さん、なんでこんな所にいるの!?……
 の予定です。

 特に15話、ハルナの新しいフォーム(爆)が登場の予定。アヤしさ大爆発です(笑)。

 



 では、また、次のお話でお会いしましょう。

 

 

 

代理人の感想

「いいか、儂の目的はな! この地球人類の抹殺なのだぞ!」

「分からぬか・・・・もはや美しいこの大地に、

 緑溢れるユートピアにふさわしい人間などこの地球にはいないのだ!」

「そやつらから地球を取り上げ木連のはらからに譲り渡して何が悪い!?」

「フフフフ・・・・そうだ、それがいい・・・・その為なら、

 地球に住む人間など滅びてしまえぇぇぇっ!」

 

 

 

・・・・うあ、はまり過ぎ(爆)。