再び・時の流れに。

 外伝/漆黒の戦神



 第四章 『戦神疾駆』






 新部隊が発足しました。
 第17独立機甲部隊、コードネーム『Moon Night』。
 設立目的は、広範囲への支援及び遊撃。
 しかし私たちはみんな知っています。
 これがアキトさんをはじめとするみんなの戦闘能力を、各地方方面軍がシェアするためのものであると言うことを。
 一介の通信士でしかない、私、サラ・ファー・ハーテッドですら、そのことに気がついています。



 そうそう、部隊の正式発足間際に、ちょっと面白いことがありました。
 新しい人が、ここにやってきたのです。
 私とアリサ、そしてアキトさんとハルナさんは面識のある方でした。



 「はじめまして。このたび部隊の女性兵士に対するガードとして派遣されてきました、ヤガミ ナオです。後私のことを呼ぶ時にヤガミなどと堅苦しく言わないで結構です。堅苦しいのは直接の上司と部下だけで結構。そういう関係でない人は、年齢の上下に関わらず『ナオ』で結構ですので。これからもよろしく」

 ……お祖父様、それは過保護と言うものです。

 もっともヤガミさん……おっとっと、ナオさん、でしたね……が、この部隊に来たのには、ほかにもいろいろと含みがあるみたいでした。何しろ最初にやったのが、あれ、ですし……。
 それはこんな事でした。
 いくつもの出来事が絡んで、あまりにも騒がしかった日のことです。
 私も、最後には巻き込まれちゃったんですけど。







 それはお昼時の食堂でのことでした。いつものように厨房ではアキトさんが忙しそうに働いています。
 今では、彼の料理の腕がプロ級であり、本人も本来ならプロのコックを目指していたと言うことがハルナさんから漏れて以来、食事時に厨房に入っているアキトさんを『漆黒の戦鬼』として恐れたり敬ったりする人はもういません。
 エステバリスに乗っている時はとにかく、食堂内の彼はただのコックさんです。そして、そういう扱いを受ける方が、アキトさん自身も喜ぶのです。
 食堂の片隅では、いつもの如くハルナさんが常識はずれのご飯を平らげ、隊員のみなさんが軍の食堂とは思えない味の料理に舌鼓を打っています。

 「ようアキト、この先俺たちの部隊、頻繁に移動することになってるけど、やっぱり料理担当はお前なのか?」

 フィリップさんがアキトさんに聞いています。実は私も興味があるんですね、その点は。

 「俺は別に話をされちゃいないけど、たぶんそうなるんじゃないかな。何、大丈夫。キャンプ料理用に、直伝のスパイスミックスを仕込んでいるから、そう味は落ちないと思いますよ」

 「おっ、そりゃ嬉しいねぇ。何しろテンカワの料理を食い付けちまったもんだから、休暇で久々に女房子供の顔を見たっていうのに、うっかり夕飯を『まずい』って言っちまってな。せっかくの休暇が大げんかだ。あわや離婚する羽目になるところだったぜ」

 「オリファーさん、そりゃ奥さんがかわいそうですよ」

 「何をサイトウ! でかい口をきくなら女の1人もつくってみろい! ハルナちゃんとレイナちゃん、どっちが本命だ?」

 「どっちかって言うと胸の大きい方が……」

 「ふむふむ、サイトウはハルナちゃん派と……」

 「ちょっと、ベンさん。そりゃハルナよりは小さいけど、あたしにだって胸くらいあるんですけど」

 「わっ、レイナちゃん! ごめん!」

 「おいおいレイナちゃん、ベンの奴はまだ怪我から復帰したばかりなんだ。少し手加減してやってくれ」

 「何言ってるんですか。復帰第一戦で2000の敵を相手にして生きて帰ってきたくせに。ほとんどエステも被弾していませんでしたよ? だいたい怪我って言ったって、聞くところによると……」

 「おっと、それはいわない約束なんだ」

 「ははは……それにすぐに動けたのはリハビリの時に、例のシミュレーターで特訓していたからですよ」

 「びっくりしたぜ、いきなりの実戦でちゃんとフォーメーションを組めるんだからな」

 「あはは、ベンさんの怪我、あたしのせいだしね。みんなの実戦データ、ばっちりだったでしょ。けど、今度ああいう下手な夜這い掛けてきたら、畳むだけじゃすまないからね」

 「肝に銘じます……」

 「じゃ、うまい夜這いならいいのかい、ハルナちゃん」

 「うまければね……サイトウさんにはむずかしいと思うけど」

 「そうだそうだ、がはははは」

 ……いつもながらけたたましい食事風景です。

 普段はローテーションがあるんでこうみんなが揃うこともないんですけど、今は全員休暇中みたいなものです。騒がしさも3倍増と言うところでしょうか。
 そんな中に、彼はやってきました。

 「おうおう、本当にメシ作ってるんだな、あの戦鬼様が」

 普通部外者がそんなことを言ったらあたりが静まりかえってもおかしくなさそうなものですが、彼はあまりにも違和感なくそこにいました。

 「俺、本業はこっちですからね」

 充実した顔でアキトさんが答えます。最近、私もそう思うようになりました。
 私もお料理は好きですし、戦争が終わったら、彼と結婚して一緒にレストランを……などという想像をしたことも一度ではありません。
 道は険しそうですけど。

 「たいしたもんだな。あれだけの腕を持っていて、パイロットは余技か。天才にはかなわねえな」

 ……あ、今度こそ場が凍ってしまいました。

 特にパイロットの人を中心に、彼に対して殺気とも言える敵意の視線が注がれます。
 アキトさんはあんまり気にしてはいないみたいですが。
 ですが、その時。

 「ナオさん、怒らせてもお兄ちゃんは乗ってこないよ。最初っから素直に言ったら? 本気の腕試しがしたいって」

 静まりかえっていただけに、その声は食堂中に響き渡りました。
 みんなの視線がハルナさんに集まり、続いてナオさんに集まります。
 ナオさんは何かまずいものをのみこんでしまったような表情をしていましたが、やがて赤くなって頭をぼりぼりと掻き始めました。
 そしてアキトさんに小声で話しかけます。丸聞こえでしたけど。

 「おい……あの妹、いつもああか?」

 「結構鋭いですよ。と言うか、視点が常人とは違うところにあるって言うのかな。とんでもない角度から人を見ていることがよくありますよ」

 「ったく……ばれちゃ意味ねえじゃねえか。俺は本気で怒ったお前と手合わせしてみたかったのに」

 「取りあえず食事時間が終わったらお相手しますよ。元々訓練の時間ですし」

 なんて言うか、長年の友人のようにお話しいたしますね、お二人とも。
 相性がいいのでしょうか。
 そう思っていたら、またハルナさんが言いました。

 「あのさ、お兄ちゃんが本気で怒ったら、生き死にどころか、生まれ変われるかどうかを心配した方がいい事態になるよ」

 今度は視線がハルナさんに集まり、そしてアキトさんに向かいました。

 「……本当か?」

 「自分じゃ分かりませんよ」

 ……そうでしょうね。私もそう思います。

 「ただ……あいつの人物評、結構当たってるんですよね、どんなに意外に見えても」

 「ふーむ、ちょっと試してみるか。おいハルナちゃん、こいつならどんな人物だ?」

 フィリップさん、悪趣味です。
 ハルナさんは、フィリップさんに捕まっているサイトウさんを見て、おもむろに言い始めました。

 「えっと……自意識過剰気味の割に根性が座っていない卑劣漢。一本吹っ切ればかなりいい男になれると思うけど、現状のままじゃお兄ちゃんあたりに無理に対抗したあげく落ち込んで、そこんところをDFSの秘密を勘違いして狙ってくる産業スパイあたりに利用されたあげくに捨てられる。かな?」

 ……ず、ずいぶんな人物評ですね……。

 またもや場がしーんとなってしまいました。

 「……おいおい、そりゃちょっとひどくないかい? ハルナちゃん」

 あおったフィリップさんが、さすがにちょっとサイトウさんをかばっています。

 「だって背伸びをしすぎるのがサイトウさんの一番悪いところだもん」

 けどハルナさんは容赦がありません。

 「自分はもっと上にいるべき人物なんだって言う意識が強すぎるんだ。最悪のプライドの持ち方だよ、それって」

 「俺……そんな人物に見えるんですか?」

 もしハルナさんが男なら、今頃とっくみあいの喧嘩になっていますね。

 「そうね、例を挙げると……」

 ………………
 …………
 ……

 ……ハルナさんの指摘した事例は、あまりにも容赦が無いものでした。

 普通の人なら見過ごすような細かい日常的なことを、逐一覚えているのですから。
 物凄い記憶力です。
 そうして語られた精神分析は、そのまま論文として通じそうになるくらい、サイトウさんの性格の欠点を暴き立てていました。

 「……参ったな……俺って、そんなに最低の奴だったんですか」

 サイトウさん自身も、反論すらできずに落ち込んでいます。
 ところが、ここでいきなりハルナさんの語調が変わりました。

 「よし、合格。サイトウさん、今、一番の問題点を乗り越えたよ」

 「は?」

 私も、サイトウさんも、フィリップさんも、ナオさんも、アキトさんも。
 とにかく食堂にいた人全員が、「は」の大合唱になってしまいました。

 「今自分の至らなさを、素直に認めたじゃない。自分の欠点を認められない。いやなこと、認めたくないことから目をそらして、それを他人のせいにする。それがサイトウさんの、最大の欠点だったんだもん。それさえ解消すれば、ずっといい男になれるよ。よし、ひどいことも言っちゃったから、お詫びに今度このハルナちゃんが一日デートしてあげよう。ただ〜し、あたし自身には一応恋人さんがいるから、ずっとつきあうのはなしだよ。でも、たった一日だけでも、あたしをどこまでその気に出来るか。それはサイトウさんの腕次第。あたしって結構その場の雰囲気に流されやすいし、結構浮気性のところもあるから、ひょっとするとひょっとするぞ?」

 しばらくみんなぽかんとしていましたが、オリファーさんがぽんと、呆けたままのサイトウさんの肩を叩きました。

 「おい、ハルナちゃんがデートしてくれるって言ってるぜ。しかも口説き方次第ではフルコースもありだとよ。お前、さっきのハルナちゃんの指摘じゃないけど、いつも結構大口叩いてたじゃねえか。その口ほど、証明するいい機会だぜ」

 「その日のうちに帰ってきたら許さね〜ぞ!」

 いつの間にか食堂は大騒ぎです。
 ハルナさん……結構罪な女性だったんですね。
 サイトウさんも真っ赤になっています。
 今のサイトウさんなら、女性が気にしても不思議じゃありませんね。雰囲気がずいぶん柔らかくなっています。
 なんと言いますか……そう……アキトさんの微笑みに似ています。
 そう思ってアキトさんの方を見ると、ナオさんとまた密談しています。

 「おい、何かずいぶん頭いいな、お前の妹。普通あんな事覚えているか? まああれだけいちいち細かいことを覚えていられるんじゃ、人の見方が変わっててもおかしくはねえけどよ。けどありゃ、俺みたいな諜報畑の人間の物の見方だぞ?」

 「へえ、それは気がつきませんでしたね。俺はそっちのほうは詳しくないですから」

 「何を言ってやがる。気配の消し方とかは俺よりうまい癖して」

 「俺ができるのは『対諜報員戦』であって、そういう情報収集とかはあんまり得意じゃないんですよ……詳しいことは言えませんけど」

 「確かに得意じゃなさそうだな……敵には厳しいが、味方だと思った人間に甘すぎる。だいたい何でそうあっさりと俺を信じるんだ?」

 そういえばそうですね。私もそう思います。

 「そういえば……何故でしょう」

 ナオさんがついていた頬杖を、がくっと崩しました。
 あれは……痛そうです。カウンターの壁に、もろに側頭部がぶつかっています。

 「あたたたた……なんだそりゃ」

 「俺にも分からないんですけど、特にグラシス中将と一緒に会った頃から……なんか気の置けない感じがするというか、安心出来るというか……とにかく不思議と信じられるんですよね。改めて言われると、俺自身不思議な気持ちです」

 ……アキトさん、電波とかそういうのには無縁の人だと思っていたのですけど。

 「ま……取りあえず腕試しのほうはしてみたい。何というか、お前を見ていると血がたぎるんでな」

 「さっきも言いましたけど、いいですよ……この騒ぎが終わるまでは無理っぽいですけど」

 食堂の中では、サイトウさんがみんなからこづき回されていました。

 「この幸せ者〜〜っ!」



 そして午後の訓練時間……みんなの注目はアキトさんとナオさんの試合になってしまいました。アリサやオオサキ司令まで、総出で見学しています。
 誰も敵襲を警戒していませんね、これは。
 ちょっと気になりましたけど、この一戦は見逃せません。
 そして、開始後10秒……ナオさんはあっさり取り押さえられていました。
 東洋の神秘とでも言いましょうか……あっという間に終わってしまって、みんな不満たらたらです。

 「おいおい、ほんとかよ……これでも自信あったんだけどな」

 「そんなことないですよ。俺が会った相手の中で……3番目くらいですか」

 「3番ね……1番と2番は?」

 その瞬間、アキトさんの雰囲気が一変しました。いつもの優しいアキトさんではなく、『漆黒の戦鬼』の二つ名通りのアキトさんに。
 そして、アキトさんは言いました。

 「2番は師匠……1番は……仇だ」

 私たちは、何も言えなくなりました。
 と、一転して雰囲気が明るくなります。

 「ナオさんはまだまだ強くなれますよ。もう少し練習しませんか?」

 そういうアキトさんには、先ほどまでの影はありませんでした。むしろ何か楽しそうです。

 「ふっ……そうだな。テンカワアキト、お前の強さ、盗ませてもらおうか」

 「どうぞご自由に」

 そうして二人の間で、再び組み手が始まりました。今度の組み手は、何というか、見ているだけで強くなれそうな組み手です。
 特にアリサとクラウドさんが熱心に見ていました。アリサはともかく……クラウドさんは意外ですね。
 私はクラウドさんの隣に移動して、彼に聞いてみました。

 「ずいぶん熱心に見ていらっしゃるんですね」

 「ええ……テンカワさんの武術、昔どこかで見たような気がするんです。僕の失われた記憶に響いてくるような気がして」

 「ええっ!」

 私は少し驚きました。クラウドさん、武術をしていたんですか?
 とてもそうは見えませんが。
 でも、これは彼の記憶を取り戻す手がかりになるかも知れません。
 アキトさんに言っておいた方がいいでしょう。
 幸い、時間はありますし。



 一連の組み手が終わった時、前線で戦っている隊員さん達の間に、何か火がついてしまったようでした。カンフー映画を見た後、体が勝手に動く、とでも言うのでしょうか。
 オオサキ司令まで、

 「よーし、今日は好きにやっていいぞ! 怪我には気をつけろよ!」

 なんて言う始末。ご自分でもやりそうなところをカズシさんに止められていました。
 アキトさんとナオさんはちょっと休憩中です。
 私はクラウドさんと共に、アキトさんのところに行きました。

 「あ、ちょっといいですか? アキトさん」

 「なんだい? サラちゃん」

 「実はクラウドさん……アキトさんの武術を見たことがあるような気がするって言うんですよ」

 そう言った時でした。
 不意にアキトさんの顔が厳しくなりました。
 そしてじっと、クラウドさんの顔を見つめています。

 「……本当に見覚えあるんですか?」

 「ええ。何となく、何ですけど」

 「そうすると火星関係かな〜」

 わっ、いきなり後ろから声掛けないでください、ハルナさん。
 一方クラウドさんはきょとんとした目でハルナさんを見ています。

 「火星、と、言いますと?」

 「うん、お兄ちゃんね、普通と違って、特殊なシミュレーターで訓練して、武術を身につけたの。だから流派とかがある訳じゃないから、見覚えが有るわけないんだけどね。考えられるのは、そのプログラムの元になっている流派って事なんだけど、さすがにそこまではあたしでも無理だよ。データがあるならともかく、火星の古流なんて、もう残ってなんかないもん」

 「そうですか……私の勘違いでしょうか」

 あ、ちょっと落ち込んでいます、クラウドさん。

 「う〜ん、後考えられるのは偶然似てたっていう線だけど。何か思い出しそうなら見てたら? あ、そうそう、アリサさんがお手合わせ願いたいって言ってたよ。これ言いに来たんだった」

 「そう言うことは早く言え、こら」

 アキトさんは立ち上がると、アリサの相手をしに行きました。

 ……あんまり疲れてなかったみたいですね。

 やはり、鍛え方が違う、そう思いました。







 「ところで、火星の古流って何のことだ?」
 「え……な、何でもないよ
タジタジ






 みんなが白兵訓練に夢中になってしまったこの日、夕食時の食堂はまさに戦場でした。
 こうなるとハルナさんの記憶力がものを言います。
 以前から知る人ぞ知ると言うか、それらしい兆候はあったのですが、食堂にいる50人分のオーダーを全部覚えているって言うのはちょっと半端ではありません。
 私は、アリサとレイナさん、そして何故かナオさんとテーブルを囲んでいました。
 誘ったのはナオさんなのですが。

 「けど、何でわざわざあたし達を?」

 「いや、本命はサラちゃんとアリサちゃんなんだけどね」

 あたしとアリサに? 複数ということはナンパではないでしょう。

 「実は君たちに渡して欲しいと、中将から頼まれたものがあってね」

 そう言ってナオさんはなにやら書類のようなものを取り出しました。

 これって……婚姻届!

 しかも必要事項や、各種手続きの根回しがすべて完了していて、極端な話、アキトさんと私の署名が有れば、明日からでも夫婦になれてしまいます!

 「一応お二人にそれぞれ一通ずつとのことです。予備はいくらでもあるそうですから」

 ……笑いが漏れていますよ。ナオさん、結構人が悪いですね。

 でも……あこがれちゃいますね。アキトさんとの結婚生活なんて……



 「レイナちゃん、サラちゃんもアリサちゃんもどうしたんだい?」

 「……トリップしてるんでしょ。この二人、普通の性格は全然違うのに、こういうところだけはそっくりなんだから」



 「はいお待たせ、テンカワ特製ピラフとミートスパ、唐揚げランチに特製ラーメンねっ!」

 その声を聞いてあたしは正気に返りました。見るとアリサが何か似たような表情をしています。
 やっぱり双子なんですね、私たち。
 と、あたしの前にピラフが、アリサの前にはスパゲティーが、レイナさんの前にランチが、そしてナオさんの前にはラーメンが置かれます。

 ……本当に何で覚えてられるんですか? ハルナさん。

 取りあえず、いただいてしまいましょう……あら、何故かハルナさんがこちらをじっと怖い目で見ています。

 「何、それ」

 ……はっ。

 婚姻届をしまい忘れていました。
 ハルナさんは、普段とは全然違う、何か底冷えのする目で私たちを見回し……ナオさんをじっと見つめていいました。

 「グラシス中将?」

 「そ、そうだけど」

 ナオさんが気圧されています。

 「……孫かわいさも、お兄ちゃんが気に入ったのもわかるけど……こういう事はして欲しくないな。言っとくけどお兄ちゃん、モテる割には全然自覚がなくって、おまけに物凄い優柔不断だけど、責任を取るとなるとガラッと変わっちゃうよ。いつもの優しいところがスカッと抜けちゃって、変にお堅くなっちゃうから。お兄ちゃんから告白させないと、間違いなく人が変わるからね。1人だけ変わらない人がいるけど……まあ、そこんところは置いとく。だけどね」

 そして今度はあたしとアリサをじろりと睨みました。

 「夜這いとかして、本当に一線を越えちゃったら、相手が親の仇でも責任取っちゃう人だよ、お兄ちゃん。そのぐらい不器用なんだから、早まると後悔するよ……絶対」

 そういうものなんですか。でも一つ、よく分からないことがありました。

 「あの、ハルナさん」

 「何?」

 あ、目が元に戻っています。けどアキトさんもハルナさんも、時々怖くなりますね。何故でしょう。
 それより今は質問です。

 「責任って、……何ですの? それに夜這いって」

 そのとたん、ナオさんはラーメンを吹き出し、アリサはフォークを持ったまま後ろへひっくり返り、レイナさんの箸の間から鶏の唐揚げが転がり落ちました。
 当然物凄い物音がして、みんなの注目が集まります。
 何なんですか? 一体。

 「ね、姉さん!」

 テーブルに這い上がってきたアリサが、頭にスパゲティの麺をのせたまま怒鳴ってきます。

 「言いたくないけど……赤ちゃんの作り方って知ってる?」

 旦那さまと一緒に作る、とは聞いていますけど……

 「具体的には知りませんわ。結婚すれば旦那さまになる人が教えてくださる、と学校の先生はいっていましたけど」

 ……何でみんなそこで頭を抱えるんですか? ハルナさんまで。

 「……我が姉がこんな天然だとは、不覚にも知らなかったわ」

 「サラ、今夜あたしがじっくり教えてあげましょうか?」

 「……いる所にはいるんだな」

 私、何か変なことを言ったのでしょうか。



 その日私は、レイナからたっぷりと『講習』を受けました。

 ……実技はなしですよ。遅くまでおしゃべりしていただけです。

 けど……全然知りませんでした。
 男の人と女の人の間に、あれだけ深い隔たりがあっただなんて。
 取りあえず、サラは一つ賢くなりました。
 おやすみなさい……アキトさん……







 >ALISA

 全く、姉さんがあんなに無知だとは知らなかったわ。
 まあ……あの田舎町では、そう言う情報も入ってこないしね。
 知ろうとしなければ、とことん知らない、か……。
 朝、私はいつものようにすっきりと目覚めると、枕元に置いたアキトさんの写真に軽くキスをしました。

 「おはよう、アキトさん……私だけの」

 冷静になると虚しいだけですが、これは一種の願掛けです。
 昨日ハルナさんに、少しキツいことを言われてしまいましたが、考えてみれば同時にあれは励ましの言葉とも取れます。
 アキトさんと相思相愛になるなら、無理は厳禁だと、そう教えてくれたのですから。
 私もあれから寝る前、ハルナさんの言葉を冷静に考えてみました。
 そして自分なりに出した結論は……もし無理矢理アキトさんに責任を取らせるようなことをしたら、アキトさんはずっと、『漆黒の戦鬼』という二つ名そのままの、張りつめた人になってしまうのではないか、と言うことでした。
 アキトさんの本当の志望は、コックだったと聞いています。だけども、そのとてつもないパイロットの腕や、戦いに関するセンスが……彼をそちらに行くのを押しとどめてしまったのでしょう。
 アキトさん自身にも、きっとそれなりの理由があったと思います。だって、普通の人には……あんな物凄い技は体得出来ません。天賦の才があったとしても……磨かなければあれだけの技は身に付きません。
 つまりアキトさんには、それだけの訳があったと言うことです。
 己を殺してでも、その手を血に染める技を身につける必要が。
 私はまだ、そこまでアキトさんのことを知りません。
 この部隊で、その辺の事情を知っているのはハルナさんだけでしょう。
 ごく時折見せる、アキトさんそっくりの暗い目……
 それは、何かの刻印なのでしょうか。
 同じ年月しか生きていないのに、あまりにも違う、その生き様の。



 まず最初にいくのは、格納庫です。
 朝からレイナさんとハルナさんは、漆黒のエステバリスにかかりっきりになっています。
 この間の戦いで、アキトさんのエステバリスは全損になってしまいました。
 被弾0で全損になるというのはどういう事かと、最初は思いました。
 ですが聞いてみて納得しました。
 アキトさんの振るう数々の『必殺技』とも言える攻撃……その威力の反動は、しっかり機体に降りかかってくるのです。威力があればあるほど、機体の寿命を縮めてしまう諸刃の剣……
 私もアキトさんまではいかないまでも、DFSを扱ってみようとはしましたが、全然追いつきませんでした。刃が出せただけ他の人よりは優秀らしいのですが、刃を維持していると一歩も動けません。空戦フレームだと、そのまま墜落してしまいます。
 せめてその場に浮けるようになれば、使い道はありそうなんですけど。

 『1人が中心で刃を使い、残りが鉄壁のガードを貼る。これが本来というか、普通の人でもDFSを使える、今のところ唯一の戦法なんだけど』

 シミュレーターでの練習中、ハルナさんがそう解説してくれました。

 『あたしは専門じゃないからあれだけど、アドバイスするなら、意識しなけりゃ刃が出せないんじゃ、絶対にDFSは使いこなせないんだ。剣でも何でも、持っていることを意識しなくても大丈夫なくらい馴染んだものなら、DFSを生かせるんだけどね。変なたとえだけど、キーボードのブラインドタッチみたいなものなの。完全に手に馴染んだキーボードは、キー配置を見なくても正確に文字が打てるし、さらに言えば打つべき文字すら意識していないでしょ。清書する文章やプログラム、あるいは自分の思考を、熟練したタイピストは音声変換の数倍の速さで文書に変換出来る。あれと同じなの』

 私の場合だと……ライフルやその他の武器も一通り扱う自信はありますが……やはりこれですね、フィールドランサー。
 ディストーションフィールドを高エネルギーで中和する槍。ただシステム自身より、この槍という武器が、私の感性に合っていたみたいです。
 だとしたら、DFSを剣としてではなく、槍として扱った方がいいのかも知れませんね。今度練習してみましょう。
 私はもう一度、修理されているアキトさんのエステバリスを見上げました。

 「腕のIFS同調パラメーター異常なし!」

 「おっしゃ! 腕はこれで大丈夫だね! 次は胴回りか」

 「ここはソフト的なトラブルはないからレイナに任せるよ。私はDFSのチェック行くね! ああいうブラックホールを作り出すような技を振るうと、さすがに歪むから」

 「うん、そっちはよろしく〜」

 隣を見ると、私の機体は修理が完了しているようです。
 私は何故かちょっとうきうきしながら、食堂へと向かいました。



 「おおっ、うめぇ〜」

 食堂はすいていました。ナオさんがそこでご飯を食べています。あれは、ミソ・スープに焼き魚、そしてライス……確か『朝和定食』というメニューでしたね。
 私は朝は軽くパンをいくつかと、カフェオレをいただくことにしています。
 アキトさんはパンを焼かないので、ちょっと寂しいんですけど。
 ところがアキトさんは、珍しく顔を曇らせてこういいました。

 「ごめんサラちゃん、まだテアさん所から今日の分が届いていないんだ。近々出発らしいから、少し多めに頼んだせいもあるんだけど。そう言うわけで、今パンが全然ないんだ。在庫も昨日食べ尽くしちゃったし」

 「そうですか……」

 ちょっと残念ですけど、朝からライスはちょっと重いです。コーヒーだけにしておきましょうか。
 と、その時でした。
 がーっと言う、ちょっとくたびれたトラックの音がします。
 ちょうど届いたようですね。

 「すみませーん、遅くなって」

 「おそくなって〜」

 あら……ミリアさんだけでなく、メティちゃんもですか? おじさまも大変ですね。
 アキトさんもすぐに出ていきました。

 「おはようございます、テアさん。ミリアさんに……お、メティちゃんも来たの?」

 「うん、もうじきお兄ちゃんたちとしばらくあえなくなるってきいたから」

 「ごめんね。これもお仕事だから」

 「おしごとなら、しかたないよ!」

 かわいいですね、ほんとに。
 と、ちょうどご飯を食べ終えたナオさんが顔を出しました。

 「ん、荷物か? 何なら手伝おうか?」

 「いえ、いいですよ」

 ところがそう答えたアキトさんを、ナオさんは無視していました。
 その視線を追ってみると……ミリアさんに釘付けですね。
 一目惚れでしょうか。
 それにしてはナオさんの様子が変です。何というか、普段はぼうっとしていても全然隙のない方ですのに、今は隙だらけです。
 おまけに歯がかちかちいっていますし、脂汗まで流しています。
 アキトさんもぎょっとしてナオさんのことを見つめています。

 「……見つけた……」

 小さな、しかしはっきり聞こえる声が、ナオさんの口から漏れました。
 そのままつかつかとミリアさんの前に近づいていきます。
 ミリアさんは、剣呑な雰囲気のナオさんに迫られて、少しおびえています。ナオさん、性格はとにかく見た目の柄が悪いですから、普通の女の人にあんな風に迫ったら絶対怖がります。
 娘煩悩なおじさまですら声をかけ損なうほど張りつめた雰囲気を漂わせたまま、ミリアさんに覆い被さるようにして立ったナオさんは、滝のように汗をしたたらせながら言いました。

 「結婚してください」

 い……いきなりそう来ますか!
 ミリアさんも怖いのはどこへやら、ぽかんとしたままナオさんを見つめています。

 ……そりゃそうでしよう。いきなりプロポーズされたら、普通はこうなります。

 「あ、あの……全然見たこともない男の人にそう言われても、私、困るんですけど……」

 あら、ミリアさん、戸惑ってるけど、嫌がってない……。
 言葉では困ってるって言ってますけど、あれは拒絶ではなく、戸惑いです。
 クラウドさんに気があるんなら、絶対困ると思っていたんですけど。
 ナオさん、これはひょっとしますよ?
 もっとも、今度はナオさんのほうが正気に返ったようでした。

 「あ、す、すいませんでした、いきなり。まさか心の女神と現実で会えるとは思ってもいなかったので」

 そ、それはまた……ずいぶんな持ち上げ方ですね。
 脇でアキトさんとおじさまの顎が落ちています。

 「女神、ですか?」

 さすがにミリアさんも興味を引かれたようです。もしこれが計算ずくなら、ナオさん、凄いプレイボーイでしょうけど、そんな様子はなさそうですね。
 本当に何か訳がありそうです。

 「実は私、幼い頃からずっと、心の中に焼き付いている光景がありまして」

 ナオさんは、そう訥々と語りはじめました。

 「餓鬼の頃らしく、ほとんど覚えちゃいないんですが……くっきりと心の中に、1人の女性の顔が焼き付いているんです。その人にはずいぶんと優しくされた気がします。俺にとっては……文字通りの女神さまでした。こうして大人になっても、その姿は消えなかった。
 ただ、さすがにそれは妄想みたいなもんだとは、自分でも思っていましたよ。でも、俺の心の中には、その人が住み着いちまっていたんです。歳を考えたって、絶対に会えるはずはないんですけどね。
 ところが何の因果か……出会っちまいました。俺の心に焼き付いているのは、間違いなくあなたの顔なんです。
 お嬢さんを見た瞬間、全身が震えました。
 そしてわかっちまいました。
 俺が嫁さんにできるのは、地上中のどこを捜したって、あんたしかいないって……」

 「若いの……お前、名は何という?」

 と、不思議なことに、何故か怒りもせず、おじさまが言いました。

 「あ、すいません。俺はヤガミ……ヤガミ ナオと申します」

 その瞬間、おじさまの目が、一瞬大きく開かれました。

 「そうか……お前さん、ヤガミって言うのか。お袋はどうした」

 「俺が生まれてすぐ死んだって、親爺は言っていました。だから会ったことないですね」

 「そうか……なら好きにしろ」

 信じられない言葉が、おじさまの口から漏れました。

 「口説き落とせたら、娘はやる。ただし、無理矢理持っていったら、櫓櫂の及ぶ限り追うぞ」

 い……意外です。おじさまが、男の人とミリアさんの仲を認めるなんて。
 それにおじさまの口調……何か訳がありそうです。
 でもそれは、聞いてはいけないことのような気がしました。
 ミリアさんも、アキトさんも……何も聞きません。
 おじさまの背中は、すべてを拒絶していました。

 「もう一つ、言っておく。守り抜いて見ろ……できないなら、あきらめろ」

 そう言っておじさまは、荷物を降ろし始めました。

 「あの……ヤガミさん、ですよね。お互い、まだ、何も知りませんけれども……取りあえず、お知り合いになりませんか? こういう言い方は失礼ですけど、父の様子を見ていると、何かありそうですし……」

 「いえ、こちらこそ……冷静に考えてみれば、かなり失礼なことを申し上げたわけですし」

 あ、なんかいい雰囲気ですね……お二人とも。
 でも、やはり気になるのはおじさまですね……。
 私たちはしばらくこの地を離れるわけですし。
 何事もなければいいのですが。







 >CLOUD

 しかし参ったな。せっかく引っ越してきたのに、また本を整理しなくちゃいけない。
 文学はほぼ読み終わっちゃったから、読んでいないのは……この英語の学術書くらいか。
 さすがにこれはわからないんだよな……かなり専門的な、生化学や遺伝子工学の本ばかりだし。
 でも、何でおじさんの所にこんな本があったんだろう。







 >REINA

 「よっしゃ〜、修理完了〜!!」

 あたしは立った今自分の手で修理し終えた、漆黒のエステバリスを見上げた。

 「どうにか間に合ったね」

 今では相棒とも言える、ハルナもほっとしている。
 あたしはもっぱらハード部分を、彼女がソフト部門を担当している。
 このエステバリスは、かなりの手が入っている。調整箇所が多すぎて、普通の人では手に負えないのだ……あたしや、ハルナみたいな能力がないと。
 自分でこんなことを言うのは傲慢かも知れないけど、あたしはこと機械に関する限り天才だと思っている。経験が足りない分、本当の実力者には及ばないが、彼らと同じ歳になった時、あたしのほうが腕は上だと言い切る自信はある。

 お姉ちゃんもあたしも、両親から有り余る才能をもらっていた。
 お姉ちゃんは学業をはじめとするいろいろな分野で、マルチな天才ぶりを発揮した。義務教育をスキップして大学に入り、手当たり次第に無数の資格を取った後、僅か16であの大企業であるネルガルに鳴り物入りで入社。そしてたった2年半でその頂点に上り詰めた。
 幸運もあった。
 先代会長が事故でなくなり、たった1人生き残った形になった、会長の妾腹の息子がその跡を継いだのだ。
 若すぎた彼は、同じ歳でありながら抜群の能力を持っていたお姉ちゃんを、己の右腕として抜擢した。
 そしてお姉ちゃんはその期待に応え、20にしてネルガルの中枢を押さえる権力者の1人となっている。

 そして私は……お姉ちゃんと違って、一方向を見つめるたちだった。
 私がハマったのは、機械いじりだった。
 どうも私には、造形や空間把握に並ならぬ能力があったようである。
 設計図を見ただけでそれがどんな機械で、何の目的に使用されるのかが理解できた。
 学校の成績は、理科と数学と外国語(本やネットの記事を読むのに必要だったのだ)と技術以外全滅だったが、その4つは常に最高点をとり続けた。
 発明コンクールで入賞したりもした。
 15のとき、整備士の免許をはじめとする、いくつもの試験をすべて満点で突破した。
 ただお姉ちゃんと違い、機械いじりの世界は、いやでも経験がものを言う世界であった。
 特級整備士の免許は、実務経験が5年ないと取れない。その前段階の1級も3年だ。2級ですら1年の実務を要求される。
 私は試験を受ければ、特級を軽く満点で合格する自信がある。模擬試験では完璧な点を取った。
 けれども私には実務経験が半年しかない。それすらアルバイトのため資格基準に満たない。
 若いことと、女だと言うことで、どこも私を使おうとしないのだ。
 唯一使ってくれそうだったおじさんの誘いは、お姉ちゃんに潰された。
 その時は絶交したけど、その勤め先があのナデシコだったと知って、絶交はやめた。
 私を見くびるなとは言いたかったけど、ナデシコのたどった軌跡を見れば、お姉ちゃんが私を遠ざけたかったことぐらいわかる。え、何故ナデシコの軌跡を知ってるかって? ネットの世界には表だけじゃなくって裏の世界もあるって言うこと。伝説の『ウィザード』や、古豪『瓜博士』、最近噂の『妖精』や『アキトの目』などに比べれば落ちるけど、あたしだって裏の世界には一応通じている。
 けど、お姉ちゃんはついに私を頼ってきた。

 「レイナ、今でもナデシコに乗りたい気持ちはある? もしその心構えが本当なら、一つ頼みたい仕事があるわ。整備士としての実務経験も、特例でつくわ。軍の仕事だから、実務経験なしに、特級整備士と同等の資格も取れる。何より……危険だけど、あなたの腕前が必要なのよ、彼には」

 あたしの腕が必要。これが殺し文句だった。
 そしてあたしは、西欧の最前線までやってきた。

 そこでの仕事は……充実したものだった。
 仕事そのものは、この天才レイナさまにかかればチョロいもの。元からのパンピー整備士があたしを女神のように扱うまで1日あれば十分だった。
 しかしそれは、無知から来るおごりだった。
 恥ずかしながらあたしは、ここに来るまで戦いの恐怖も、死別の悲しみも知らなかった。
 けど、ここの仕事は。
 文字通り、『命を預かる』仕事だった。
 あたしが一つでもミスをすれば、それは1人の人間を殺すのと一緒である。
 この緊張感は、ほかのどんな場所にもないことだった。
 さしものあたしも、このときばかりは経験の重みを知った。
 事実あたしは、『天才が努力する』という事態を、身をもって体験することになった。
 今のところ、事故はない。パイロットのみんなも、あたしの整備に全幅の信頼を置いてくれている。
 だから……絶対に裏切れない。
 私は常に、完璧でなくてはならない。
 以前裏ネットで見た、『瓜博士の怒り』という掲示板の記事を思い出す。整備不良で落ちた飛行機が話題になった時、書き込まれていた意見だ。
 『整備士は後方の兵士であり、れっきとした聖職である。自分の整備が人の命を担っていることを自覚していれば、あんなことは絶対に起きない。アレは、怠慢な整備士と、整備士という聖職の重みを忘れ、賃金をケチった経営者にすべての責任がある』という意見だった。
 原文はFつき単語混じりの物凄い文だったけど。
 同感だった。
 けど、私は半可通だった。
 ここに来て、その言葉がどれほどの重みを持っていたかを理解した。
 はっきり言って、さしもの私もつぶれかけた。
 フィリップさん、オリファーさん……そして、アリサさんに、テンカワさん。
 私がボルトを一つ締め損なうだけで、彼らは帰らぬ人になる。オリファーさんなどは妻子持ちだ。彼だけでなく、彼の奥さんや子供さんまで悲しませることになる。
 たった19年しか生きていないあたしには、何十年、いや、何百年分もの命は重すぎた。
 努力するしか、勉強するしかなかった。
 けど、そんな無理が続くわげない。
 楽しい勉強ならいくらでもできる。けど、心の不安を紛らわすための勉強が続くわけがない。
 そんな私に声を掛けてきたのが、ハルナ……私より年下で、そのくせ私と同じ種類の人間である、彼女だった。



 「無茶しすぎだよ。もっと気楽にできない?」



 ある日彼女は、そうあたしに話しかけてきた。


 彼女は私が来るまで、テンカワさんのエステバリスを整備していた人。つなぎの整備士だった。
 もっともお姉ちゃんからは、いろいろ言われていたけど。
 絶対目を離すな。作られた天才。
 よく聞くと結構ひどいことを言っていた気がする。
 彼女は私が来てからはほかのみんなと一緒に他の機体の整備をしたり、戦闘時には戦術コンピューターのオペレートをしたり、暇な時は食堂のウェイトレスなんかをしていたりした。
 マシンチャイルド。ナノマシン投与により、能力を人工的に高められた存在。その中でも彼女は『特殊』らしい。
 あたしは彼女を見て、それをいろんな意味で実感した。ある意味よすぎる頭脳、常識はずれの食欲。ハード面なら私のほうが上だったけど、コンピューターや電子情報系は、完全に敗北している。
 あたしにとって彼女はそれだけの存在でしかなかったけど、彼女にとっては、そうではなかったようだった。



 「何思い詰めてるのかは知らないけど、ご飯も食べずに整備してたら、倒れるよ? はい、これ。お兄ちゃん特製のリゾットだぞ」

 そう言って差し出された、湯気の立つ雑炊。恥ずかしながら、匂いだけでおなかが鳴った。
 そのとたん、何かが崩れた。
 ああ、あたしはおなかがすいていたんだ。
 そんなこともわからなくなっていたんだ。
 実はこの後少しの間、記憶が飛んでいる。
 ふと我に返った時、目の前には空の鍋(1人用の陶器鍋だぞ!)が転がっていた。

 「うん、空腹は事故の元、満腹も事故の元、仕事の前には腹八分だよね、やっぱり」

 そう言う彼女の言葉を聞いた時、私は訳もわからず泣き出していた。
 何かいろいろ言ったような気がするのだけど、どうもよく覚えていない。私は飲んだことないけど、お酒に酔うって言うのはああいう状態なんだろうと思う。
 彼女は何も言わず、私の話、と言うか叫びを聞いてくれていた。
 ただ一言だけ、彼女の言ったことを覚えている。

 「大丈夫、あなたは1人じゃないんだよ」

 その一言で、私の気負いは吹き飛んでいた。



 その時のハルナは、何故か私より、ずっと年上に見えた。



 以来私たちは親友になった。何より私にとって新鮮なのは、ハルナは私の話についてこれるということだった。それどころか、コンピューター関連の話では、私の上を行く人物に初めて出会った。ネット上のバーチャルな出会いならいくつかある。だけどリアル世界での出会いは本当に初めてだったのだ。
 おまけに彼女もれっきとした『裏』の住人だった。ハンドルは教えてくれなかったが、おおかた予想はついている。
 まあ、それを言うのは仁義に反するからどうでもいい。
 でもこれは本当に新鮮だった。エステバリスのフレーム制御に関して1時間も議論出来る相手。それでいて恋愛とかファッションの話もできる。ややオタクじみていたあたしが、そう言う方面ではパンピーのサラやアリサと親しく話ができるようになったのも、彼女の影響だ。サラなんかはあたしに恋愛相談を持ちかけてくるけど、あたしにそんな体験があるわけがない。あたしのはただの耳年増なんだけど、ハルナより聞きやすいらしい。
 ハルナ、あれでも男との間に肉体関係あるらしいし、天然のサラにはちょっとキツいかも。
 あたしもいろいろ聞いた日は顔がほてってよく眠れなかったしね。



 テンカワさんの話もいろいろ聞いた。サラとアリサは、どっちも彼を狙っているらしい。
 あたし? 今はエステが恋人。テンカワさんはいい男だっていうのは分かるけど、ハルナの話だと恋人には向かないって言ってた。

 「優しいけど優柔不断、強いけど弱く、それでいて強い。結婚する気がないならつきあっちゃダメな男の典型だよ、お兄ちゃんは。真面目だけどオタク系で、好きなことにはのめり込む方。何かにハマったらほかのことが全然見えなくなる視野狭窄の気があって、そうなると女のことなんか無視。かまって欲しいと思っている女の人にはつらい男になるよ。よっぽど惚れ込んでいるか、気の長い人じゃないとダメだね、お兄ちゃんは。おまけに実は本命がいるし」

 ……全然ダメじゃん、それ。

 「で、本命って?」

 あたしがそう聞くと、ハルナはちょっと眉を寄せていった。

 「実はそこに、いろいろとややこしい事情があるのよね……。お兄ちゃんの気持ちとか、相手の性格とか……実は相思相愛なんだけど、くっつくとお互いに不幸になるって言うやっかいな組み合わせで。相手の人はね、ある方面において、人類の至宝クラスの天才。ただ、その分性格がきっちり破綻してて、ことに男が絡むと完全にダメダメになっちゃう人なの。そしてお兄ちゃんは、彼女には立派になって欲しいと思っているから、あえて冷たくしているのよね。ま、ほかにもちょっと言えない理由があるんだけど」

 そう言って意味ありげにくつくつと笑う。その時のハルナを見ていたら、何か『魔女』という単語が頭に浮かんだ。
 侮れん女だ。本当に年下か?

 「その分自覚してくれたら凄くいい女になる人なんだけど……お姉ちゃん、頭いい割に考えなしだからな〜。まあ、最終的にはなるようになる、って言うか、なってもらわないと困るけど」

 ほう、おねえちゃんって言うことは、身内か? それとも、もう結婚させる気なのか?

 ……そう突っ込もうと思ったけど、その言葉はあたしの口から出ることはなかった。

 その時のハルナは、何か、物凄く遠い目をしていたのだ。
 遙か彼方を、ぼうっと、それでいてしっかりと見据えているような目。
 これはあたしが口を挟むことじゃないって、いやでもわかってしまった。
 あたしはハルナの、他の人が知らない内面を、ちょっぴりと見た気がした。







 今ではすっかり腐れ縁みたくなっている。感性が合いすぎるせいか、生まれた時からの親友みたいに見えるらしい。

 「そそ、ねえレイナ、ちょっと実験してみたいことがあるんだけど」

 なになに? 実験?
 実のところこれは楽しい。ナデシコにいた整備士の人と、医者兼任の科学者の人が、かなりマッド系の人らしく、いろいろな発明をしていたらしい。このエステやDFSも、彼らの技術が元になって生まれているという。
 その大本の発想はテンカワさんらしいんだけど。何でも彼のお父さんも高名な学者だったらしいしね。そっちの才能はなくとも、その優れた発想力は、テンカワさんにも受け継がれていたらしい。そしてたまたまナデシコには、それを現実化出来る人がいた。

 ……ネルガルが彼にこれだけのサポートをつけるのも当然よね。あたしの目から見ても、このエステに使われている技術を普遍化出来れば、向こう5年、ネルガルは安泰である。進歩の早いこの世界での5年はとてつもなく大きい。5年の猶予が次の10年を生み、その10年はさらに100年を生むのがこの世界なのだから。

 「で、なんなの」

 「うん、実はDFSをね……」

 ふむふむ、それは面白そう。元々このフィールド制御技術というのは、技術屋にとってとっても面白いおもちゃなのだ。ハルナもさすがにテンカワさんの妹。発想では負けてない。

 ……時間がないだけに、すぐに取りかかりたいね。みんなのためにもなるし。

 こうしてテンカワさんのエステバリスも直った以上、新部隊の出動はすぐだろう。この西欧に、彼らの、そして私たちの力を必要としている人達はいっぱいいる。
 人から必要とされている、この充実感は何よりも代え難い。
 たぶんあたしは、戦争が終わっても、街の整備屋さんには戻れないだろう。
 人の命を預かる苦しさと喜びを知ってしまったからには。







 3日後、『Moon Night』は、駐屯地を後にした。
 そして連日繰り広げられる戦闘。
 その戦果は、一週間で西欧全軍の戦果を上回るほど劇的なものだった。
 誇張でなく、多くの人々が救われた。
 『Moon Night』は、西欧地区の希望にまでなった。
 その中心となる『漆黒の戦鬼』と呼ばれたエステバリスライダーは、彼らにとって、まさに『伝説の勇者』であった。
 そして1月弱。西欧をぐるりと一周して再び駐屯地に帰還した頃、あの事件が起きた。
 一見、小さな事件に見えたそれは、地球全体を揺るがす事件の火種だった。
 あの時、確かに歴史は動いたのだ……。







 >PRIVATE PLACE

 巨大なグループ企業の会長を務めるその男は、久しぶりに自宅に帰ってきた。
 ただし、そこに家族のぬくもりはない。
 妻とも死に別れ、息子達は誰もここには来ない。
 いるのは老執事と、その妻でもある女中頭だけ。
 1人しかいないのに頭とは妙な話であるが、部下のメイドたちが全員やめていっただけのことだ。
 世話をする相手が老人1人では、無理のないことであろう。そもそも仕事自体がそれほどない。
 彼は合理主義者だったので、館の維持その他は専門の業者に任せている。

 「お帰りなさいませ」

 「ご苦労」

 運転手は彼を下ろすと、そのまま館の外へと向かっていった。
 老執事は何も言わず、聞かない。
 長年、ある意味夫婦以上に連れ添った相手だ。妻共々、この老人のことは知り尽くしている。
 男は入浴によって疲労を抜いた後、彼だけのプライベートルームに向かった。
 彼の密やかな趣味が映画鑑賞であることは知られている。
 自宅にちょっとしたホームシアターを持っていることも有名である。
 ごくまれに開かれるホームパーティーで、そのすばらしいライブラリを鑑賞する栄誉に与った人もいる。
 彼は彼専用の座席に腰を掛けると、一枚のディスクを挿入した。
 今ここにいるのは彼1人。執事たちですら、彼がここで何を見ているのかは知らない。
 世間の噂では、ここで彼が見ている映画こそが、次期の流行を決めるとまで言われている。彼が何を見ているのかを明かさないのは、それによって映画界の混乱を招かないようにするためだとも。

 やがて、スクリーンに映像が流れはじめた。







 「おいし〜っ!」

 「ほんとにおいし〜っ!」

 「ふりかけは、紅屋の『ごまふりかけ!』






 ピホ、ピポ、ピホ、ポーン






 ちゃらっちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっ、ちゃらっちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっ、

 ちゃらっちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっ、ちゃらららちゃらららちゃらららちゃららら


 ちゃらっちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっ、ちゃらっちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっ、

 ちゃらっちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっ、ちゃらららちゃらららちゃらららちゃららら

 
ちゃっちゃかちゃっちゃかちゃらららん!




 ゆめがあすをよんでいる〜






 ……………………



 それは、後に編集されたものとは思えなかった。
 画面の片隅に、時刻の表示が残っている。
 老人は、それをじっと見ながら、とうに枯れ果てたと思えるような涙を流していた。








 あとがき

 震撼Gゴールドアームです。震撼していただけたでしょうか(笑)。

 何かみんなの回想シーンばかりになってしまったような。

 レイナ、本編では目立っていなかったけど、実はただ者ではないのでは。
 わずか20才で会長秘書に上り詰めたエリナさんをはじめとして、どう考えても表の世界ではその若さ故に出てこれなかった人が、ナデシコにはいっぱいいるような気がします。
 そこに目をつけたプロスさんはさすがですね(笑)。

 ナオさんとミリアさん、本編とは違う、運命の出会い(笑)。
 これもクラウドさんと同じ、歴史のゆがみの一つ。
 さて、「心の女神」とは……。
 伏線が露骨なのでバレバレですが。

 さて、今回の本命はラストのおまけシーン。
 歌詞引用その他で睨まれたら、金くらい払います。
 ここはどうしてもアレでないと成立しないシーンなので。
 設定が煮詰まっていないので、ほんのわずかな公開ですが、ここで一言。



 「ロ○○○・ク○○○ンは壊れていません」



 この伏線、後にどれだけの重みを持つでしょうか……

 なお、前回の予告にミスがあったことをここでお詫びいたします。

 

 

 

 

代理人の感想

 

かっくん。(顎の外れる音)

 

これは、久々に驚かせてもらいましたねぇ。

「そう」結びつけるとは思いませんでした。

いえ、謎の老人もそうですけど、より驚いたのはナオさんの方です。

上手く言えないのですが爺さんの方は発想の流れを何となく理解できるけど、

ナオさんの方でこう言う発想が出てくるのは凄いなぁ、と。

 

 

性格はとにかく見た目の柄が悪いですから

 

後、アリサが実は割と容赦ない性格だったとか・・・これはあんまり驚きませんでしたが(笑)

 

 

追伸

 

「櫓櫂の及ぶ限り追う」って・・・・・親父さん、アンタいつの生まれですか(爆)。

ひょっとしてこれも伏線(笑)?