「さて、と。俺はそろそろ戻るよ」

バイツはそう言って席を立つとホウメイと一言二言会話を交わして食堂を後にした。食堂を出たバイツの声が、多少聞こえてくると言うことは扉近くで知り合いと出会った、と言う事なのだろう。


「タフな、奴だねぇ」


ホウメイはバイツがいると思われる食堂入り口を見ながらそう言い席を立ち、調理場に歩き始めた。多少小腹も空いてきたし、酒ばかり飲んでいたら明日にアルコールが残ってしまう。
まぁ、すでに遅いかも知れないが、今来た人間もいる事だし一寸したつまみを作るくらいならそう時間もかからない。





















機動戦艦ナデシコ
Lone Wolf

第四話:時間…後編























「何かオーダーはあるかい?」

「あ、俺も手伝いますよ」

アキトがそう言って席を立とうとすると、ホウメイは「いや、いいよ」と微笑みながら制した。それは、それはこの三人のためにと思ってした、ただの厄介心だ。アキトは職務を兼任しているから色々と忙しい。それは他のクルー達にも言えた事かも知れないがその中でもアキトは特別だろう。
それに自分はアキトとこの中では一番一緒にいると思う。アキトは食堂にいる時間が一番多い。整備の仕事は今一段落ついており、正規の整備士達が細かい点検作業と補修作業を行っている。
ガイとアキトにしろユリカとアキトにしろ話す機会はそうないだろうし、三人で話すのも良いかもしれないと思ったからだ。


「そうだよ。アキト。もっとお話しよーよ。夜しかアキトと話す時間ないのに〜」


アキトがホウメイに断わられると、ユリカもその後に続いてむーっとアキトを見た。それを見てホウメイは苦笑した。


---艦長もなかなかタフな子だねぇ


ユリカがヨウスケの死にどのような感覚を覚えたのか知る由もないが、それでもバイツのように「何も思わない」とは言えないだろう。それでもそれをおくびにも出さず拗ねた表情を見せるのは感心する。まぁ、それが地なのかも知れないが。

「オーダーはないみたいだね。なら適当に作ってくるよ」

ホウメイはそう言って厨房に向った。
ホウメイの背中越しにユリカを責めるような感じのする物言いのアキトの声が聞こえる。


「なんだよ。人が一人死んだんだぞ?…お前、何も思わないってのかよ」

「ひっどーい!ユリカがそんな冷血な人間に見えるの?ユリカは、アキトが心配だからお話しようと思ったのに」


ユリカがそう言った瞬間、ガイがテーブルを乱暴に殴った。
ドンッ!っと激しい殴打音が聞こえ、驚いてユリカとアキトがガイを見ればガイの表情は怒りに歪んでいた。









「艦長!アンタ、ヨウスケの事じゃなくてアキトの事で眠れなかったのかよ!
 ケッ!人の死もあんたの恋の前じゃ霞んで見えないってか!?」










既に調理場でつまみを作っているホウメイの耳にもガイの憤りが込められた怒声が聞こえてくる。どうした物かとホウメイは顰め面で嘆息した。
あの3人は若い。人生経験もそう多くはないだろうと思う。
あの三人の中で一番経験が多いと思われるアキトですら、まだ子供だろう。子供、と言うよりは成長しきれていない未成熟な大人なのかも知れない。ユリカは見たまま子供であるし、ガイもまだ子供だ。


「ガイ、止せよ。そりゃ、ミカワさんが亡くなって荒れる気持ちも解るけどユリカだってミカワさんの死を何とも思わないって事はないよ」

「ふんっ!どうだかな。怪しいモンだぜ」


フライパンを忙しく動かしながらホウメイは再び嘆息した。
殴り合いに発展したければよいが…と思うが一度位前後不覚になるほど激論を交わすのも良いかも知れないなどとも思う。
心に蓄積された鬱憤を掃いておかないといずれは決壊したダムのようにやられてしまうだろう。
ホウメイがそんな事を思いながら出来上がった料理を皿に盛っていると、アキトとガイが言い争っている所に食堂の入り口からバイツが現れ、そんな二人を見て肩を竦めて苦笑していた。




「荒れてるねぇ」




バイツは一言そう言って肩を小さく竦めると厨房に向って歩き始めた。
ここに参入する気など更々持ち合わせてはいないし仮に参入した所で泥沼化してしまう事が目に見える。それに、エリが待っている。

そんな事を思いながら、バイツが厨房に足を踏み入れると早くも二品目の料理を手がけているホウメイがいた。



「おや、料理長」

「おやおや。お帰り。荒れてるかい?」



ホウメイがバイツに気付き、苦笑しながら問うとバイツも肩を竦め苦笑した。
それで理解したホウメイは「料理長は止しとくれよ」と再び苦笑する。


「先程、ミス・ウエムラにも言われてしまったよ」

「エリもまだ起きてたのかい」

ホウメイはそう言って、バイツに何用かと聞いた。バイツは酒を飲むジェスチャーをして「後、つまみをね」と答えた。

「ついでだから、作ろうか?」

「それは有り難いね」


バイツはそう言って、ホウメイに許可を貰ってから手頃な大きさの袋を拝借し、冷蔵庫の中を物色し始めた。ホウメイは、そんなバイツをチラリと一瞥するとくぐもった声で言いにくそうに言葉を紡いだ。


「アンタに、一つだけどうしても聞きたい事があったんだけど」

「ん?ネルガルのシークレットに引っかからない事なら別に構わんよ。
 これでも一応、社員なんでね」


バイツはそう言って喉でククッと笑った。
自分で自分を皮肉してみた言葉が思いの外、滑稽だったようだ。そんなバイツを見ながらホウメイは安堵とも苦笑ともとれるため息をつくと出来上がった二品目を皿に盛りつけながら質問を口にした。



「この間、エリを呼びにアンタの部屋の前まで行った時の事なんだけど…」

「ククッ。聞かれてしまったかよ」



バイツは可笑しそうに含み笑いをした。
ホウメイの方はと言うと、呆気にとられバイツを呆然と見ている。
少なくとも、バイツにとって得な話ではない。バイツはクリムゾン財閥総帥ロバート・クリムゾンと会話をしていたのだ。クリムゾンと言えばネルガルの敵対社のような物で、色々と焦臭い噂が絶えない。胡散臭さで言えばネルガルも五十歩百歩かも知れないがそれでもクリムゾンよりはいくらかはましであろう。



「言い逃れはせぬよ。どうせオモイカネの記録にも残っている。
 調べればすぐに解る事だ」

「アンタは、私達の…仲間、なのかい?」



ホウメイが恐る恐る、と言った感じでバイツに向って聞くとバイツは冷蔵庫の中から取り出したオレンジジュースを眺め薄く笑いながら「さて、どうかな」とぼやいた。



「少なくとも今は仲間のつもりだが、ね」



そう言ってバイツはつまみ類やアルコールを取り出し、袋に手際よくそれを詰めていく。暫しの間、奇妙な沈黙が続く雰囲気となった。

少なくとも今は、と言う事はこれからはどうか解らないと言っているのだ。
もしかすると解らないではなく、既にこの後は決まっているのかも知れない。


「クリムゾンに戻るのかい?」

「…」


バイツは無言でそれに答えると目を閉じて肩を竦めながら苦笑した。
良く苦笑する男だ。ホウメイはそう思った。
はぐらかすかのように肩を竦め苦笑する。一体この男は何を考えているのか。
曖昧な表現が好きな男だ。





「もしも、仮にだよ。アンタがクリムゾンに戻るとして、アキトやルリ坊ラピ坊はどうするつもりなのさ?
 私達は兎も角、あの子らはアンタにとって仲間、だろ?」

「さぁ?もしもの話はわからないねぇ。じゃ、そろそろ戻るよ。有り難う」





バイツはそう言うと袋を持っていない空いている方の手をひらひらと振り、調理場を出ていった。バイツを見送った後、ホウメイはふぅっと小さくため息をついた。









---狸、だねぇ









実はバイツがその話をしていたのを聞いたホウメイはプロスに言っておいたのだ。プロスはその話を聞いた後に「軽くカマをかけてはくれまいか」とホウメイに言ってきた。「素人の私よりプロのアンタがすれば良い」と答えたのだが、プロスは「事前の情報が欲しい」と苦笑しながら言ったのだ。


「一体、何処の馬の骨かね…」


プロスでも骨を折る作業だろうな、とホウメイは思った。
あの男の事だ、まともには答えまい。ネルガルも厄介な男を雇ったものだなと他人事ながらに同情した。いや、果たして他人事なのだろうか?
もしかするとそう遠くない未来に他人事ではなくなるかも知れない。


---それとも、何か理由があっての事…?


考えてもみればただ単に厄介なお荷物など雇おう筈もない。
そこまで考えて、ホウメイは自分に苦笑した。自分は一介のクルーにすぎないし、自分の仕事の本分は他人をあれこれ詮索する事ではない。
例え、相手がどうであれ自分の料理を食べてくれる大事な客なのだ。





第一、私は…

















…私は料理人だ。
















ぱんぱんっと両頬を張るとホウメイは大きく深呼吸をした。



「さて!手のかかる酔っぱらいの相手でもしようか!」



目下の所、自分の相手は酔っぱらいだ。
そろそろ口も寂しくなってきた事だろう。
ホウメイはそう思い、料理を持った皿を片手に厨房を後にした。








その2に続く