クロサワはイクマをナデシコに搭乗させるライダーとして登録すべく、地球にいる会計監査役兼ネルガルSS長官プロスペクターに打診をとっていた。

なかなか繋がらない。

幾度となく連絡をしているというのに返信の兆しすら見られない。
何をしているのだと、舌打ちをした
ナデシコ建造にしても後は塗装を残す事だけの筈だ。

クロサワの苛々が頂点に達しそうになった時、漸くプロスからの打診が入る。
クロサワは大きく深呼吸をすると開口一番、電話口のプロスに向って言う。






「遅い」






いきなりの言葉にプロスも言葉を失った。
貴重な時間を割いて連絡した途端「遅い」と言われるとは思わなかった。曲がりなりにも自分はクロサワの上司だ。
友人の立場でもあるが、公私の公。今は上司としての自分だ。

『リカルド君。それはあんまりじゃないですか』

「黙れ。遅いものは遅い。一体何日待たせるつもりだ」

『現にこうして連絡したでしょう。それで、用件とは何ですか?』

プロスは頭痛を覚えながらクロサワに言う。
大概このクロサワも人の話を聞かない。どうして自分の知人はこう自分勝手な奴が多いのかと嘆息した。





















機動戦艦ナデシコ
Lone Wolf

第六話:鐘






















開いた口が塞がらない、とはこの様な時の事を指すのかとプロスは他人事のように思った。
何事かと思えば、何処の馬の骨とも知らない少年をナデシコに乗せろなどとクロサワが言う。
確かにライダーが多い事に越した事はないがそれでも冗談としか思えない。
戦闘経験もないまだ16歳の少年。
DNA鑑定で身元ははっきりしているとクロサワは言うがどうやってサツキミドリに来たか定かではない。はっきり言って怪しい。


『リカルド君。君の与太話に付合うほど暇じゃないのですが』

「おいおい。与太話は酷いな。シラナミは良いぞ。あのスバルを追いつめたのだからな」


クロサワの話を聞き、プロスも「ふーむ」と小さく溜息を漏らした。
それならば即戦力になりそうなものだが、やはり何と言ってもライダーという職種が問題だ。
他部署のクルー達と違い死に一番近い場所で仕事をするのは彼等だ。
確かに、サツキミドリから送られてきた報告書によるとイクマをテストパイロットとして契約したと記載されてはいる。
だが、結局はテストパイロットでありエステバリスライダーの候補生ではないのだ。

尤も、クロサワが後押しするのだから腕は確かなのだろうが。


『もう少し、時間を貰えませんかねぇ。もう少し素性が明らかにしたいので』

「なんだ?十分だろうが」


クロサワはそう言って訝しげに眉をひそめる。
一々、細かな事を気にする男だと思う。昔からそうだ。自分が気にも止めない事を気にする。
しかし、それが彼の持ち味とも言えようし、その用心深さがなくば今の地位に上り詰めてはいないだろう。だが自分は、良くも悪くも大雑把な人間だ。


『ま、その彼なら素性が明らかになるのにそう時間はかからないでしょう。
 こっちの得体の知れないのとは違ってね』

「なんだそりゃ?もっと俺にも解るように話せ」

『あ、これは失敬』


その後は取り留めのない世間話などして、電話を切った。
向こうで何が起きているかなど、自分には関係のない事だとクロサワは頭を掻いた。
そう言えば、ナデシコに搭乗するクルー達の名簿表を送ると言っていたなと思いだし、パソコンを立ち上げた。
メールボックスをチェックしてみれば、遂今し方届いたのか名簿表が届いている。


「ほほ、プロスも乗るのか」


我が子を見れば、あのプロスも結婚を考えるかも知れないなどと思ってみる。
自分もまさか結婚するなどとは思っていなかった。そんな甲斐性がある人間ではなかったし、何より子供と女が苦手だった。
そんな自分ですら結婚という一大事を経て、二児の親になった。
自分よりも甲斐甲斐しいプロスであれば良い親になれるだろうに、などとどうでも良い事を思う。
名簿を確認していたクロサワの手がふと止まる。
止まった先にいたのは見覚えのある男だ。




「何故、こいつが…?」




自分がライダーを引退し、その後プロスの下でSSとして働いていた。
プロスはデスクワークが多かったが、自分は現場で働いていた。どうも、デスクワーク等の職種は体が拒否反応を示す。
単純なのだ。良くも悪くも。
その当時、とは言っても4年ほど前の事だが、一度だけ遠目に見た事があるその男を忘れてはいない。
ロバート・クリムゾンの護衛として数名いた中の一人だ。覚えているのは4人。
その4人が護衛の中で奇特な雰囲気を持っていた。
若い男が一人、いや少年と言うべきか。女性が一人、これもまだ少女と言って差し支えがないだろう。
中年男性が一人。一番ロバート・クリムゾンと親しげであった。
そして、最後にこの男。















「ゴート・ホーリー…」















名前を知ったのは今日が初めてだ。
ロバート・クリムゾンの護衛をしていたのだからクリムゾンの中で相当の役割を担っていたと思われる。その男がネルガルに潜り込んでいるのだ。
プロスに知らせるべきかどうか迷ったが、よくよく思えばそんな事を知らないプロスではないだろうと苦笑した。
自分とは違い用心深いのだ。あの男は。
と、言う事は先程プロスが漏らした『得体の知れない』とはこの男を指すのだろう。
それは確かに大変な事だ、と同情する。他人事だが。


「艦長ミスマル・ユリカか。サラブレットだな。
 それに、テンカワ。此奴とやればウチの天狗共も鼻っ柱をへし折られる、か」


井の中の蛙と言う事を嫌と言うほど思い知らせるだろうと思う。
だが、良い傾向だと内心ほくそ笑む。こてんぱんに負ける事で更なる飛躍が望めるからだ。
負けん気の強いスバルの事だ、諦めはしないだろう。
クロサワはそう思いながら、懐にしまった煙草を取り出し火を付けた。
煙草を噴かせながら、リョウコとイクマどちらが強くなるかと言う事を思い描いてみる。



まずはイクマ。

正攻法で行けば、イクマの勝ちは揺るがないだろうが頑固すぎる。
現時点ではイクマがリョウコに勝てる見込みは4割弱と言った所だろう。
何と言っても、戦い方がスマートすぎる。これは戦争だ、スマートな戦い方ばかりで通用するはずもない。
何時かは殻を破る事が出来るだろうが、それまでは負けを重ねてしまう事だろう。
だが、それで成長するのであれば一概にただの負けとは言えまい。



そして、リョウコ。

イクマに比べて幾分か柔軟性があるが、如何せんイクマに負けず頑固だ。
その上、プライドが高いと来ている。そのプライドの高さを巧い具合に利用する事が出来れば彼女も一皮むけるだろう。
自分が教えた生徒の中でリョウコが一番の実力者だと思う。
現役時代の自分と戦えばどうか解らないが、現時点の自分を遙かに凌いでいる。
そんな彼女に足りないのは実戦経験。
機動戦など数えるほどしか体験していないだろう。
数をこなせば、磨き抜かれた刃物の如きにもなるかも知れない。





「楽しみだな。俺の見立てでは、スバル有利だが果たしてどうか…」





クロサワは楽しそうに煙草を噴かせながら名簿表に目を通す。


パイロットにヤマダ・ジロウ。長い髪が鬱陶しいと言う第一印象だ。しかし、あのプロスのお眼鏡にかなったと言う事だ。
ただのパイロットではあるまい。

オペレーターは年端もいかない少女。
11歳と7歳。我が子よりも幼い。ちょっとした憤りを感じる。
戦争に子供を駆り出すとは、との思いが強い。もしも我が子が戦争に駆り出される事になろうものなら激怒するだろう。
この娘の親は何を考えている、と親心が憤慨する。




「マシンチャイルド、か…」




不幸に思えて仕方がない。
彼女達は人の温もりも知らずに戦争に駆り出されるのかと思うと不憫で仕方がない。
彼女達の身元は誰が受けているのだろうと、興味を覚え調べてみた。
「ほぅ」と小さく溜息をつく。
プロスが彼女達の身元預かり人になっている。
それなら、少しは安心出来るというものだ。自分には関係のない事だが子供を持つ身としてこればかりは気になった。



「おお、これはまた問題児だな」



思わず苦笑する。
敵対社のクリムゾンから寝返りした青年。しかもネルガルに対して、攻撃をも仕掛けたようだ。ネルガルも爆弾を抱えたようなものだ。しかも最重要人物として監視下に置かれている。まあ、それだけの事をしでかしているのだ。仕方がない。
それにまた何時寝返るかも知れないコウモリのようでもある。



「ふむ?…何処かで見たような。いや、気の所為だな」



多少似ているとは言え、あれはもう30年も前の事だ。自分はまだ13歳。
彼はまだこの世に生すら受けてはいない。
それに、自分の記憶にしても朧気なものだ。

短くなった煙草を揉み消し大きく欠伸をしてから窓の外を見た時、再び電話が鳴った。











その2に続く