機動武闘伝
ナデシコ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 噴射炎と飛行機雲を後尾から盛大に吐き出し、シャトルが天に昇っていった。

 ネオホンコン新啓徳宇宙港。

 先のタッグマッチから数日の時が経っている。

 今、アキト達が見送ったシャトルにはネオカナダのナデシコファイター、バン・ヒサミが乗っている筈だった。

 シャトルが消えた空の一点を見つめたまま、ぽつりとアキトが言葉を漏らす。

 

「ネオカナダは今大会を棄権したそうだな」

「ああ。バン・ヒサミがファイターとしては再起不能の大怪我を負っちまったんじゃあ無理もないがな」

「彼女、どうするんだ?」

「父親がコロニーで食堂を営んでて、当分の間はそこで静養するらしい。国から見舞金も出るしな」

「そうか。怪我は酷いのか?」

「ああ。日常生活を送る分には不自由はないが、二度とナデシコに乗れないのは間違いない。

 ・・・・・・・・なにせ提出したのは俺が書いた診断書だからな」

 

 しばらくの沈黙があった。

 ニヤリ、とアキトが笑う。その横で、ガイも人の悪い笑みを浮かべている。

 リョーコが呆れたような顔で口を開きかけたのを、ひらひら、と手振りでサブロウタが止めた。

 視線だけで自分のほうを向いたリョーコに、ちっちっちっ、と今度は指を振りながらウインクしてみせる。

 唇からもれかけた言葉が途中で立ち消え、リョーコはシャトルの消えた空の一点に視線を戻した。

 自らを仇と呼んだ少女を見送る、その心中は余人には計り知れない。

 彼の少女は、既に戦う理由を失っている。もうまみえる事もあるまい。ファイターとしても、仇としても。

 その瞳がかすかに潤んだようにも見えた。

 

 

 

「さて、お聞きの通りネオカナダのナデシコファイターバン・ヒサミはナデシコファイターを引退して

 闘いから身を引き、第二の人生を歩むことになりました。

 私も怨念から解き放たれた彼女の未来に幸あれと願わずにいられません。

 ですが、我等が主人公テンカワアキトの戦いはまだまだ続きます。

 さらに今日は一人の武闘家の執念が彼を圧倒し、見えざる黒い意志が蠢き始めるのです・・・・・

 それでは!

 ナデシコファイト・・・

 レディィィ!ゴォォォゥッ!」

 

 

 

 

 

第三十九話

石破天驚拳! 

決闘マスターホウメイ

 

 

 

 

 

 

 どんよりとした、灰色の雲が空を覆っていた。

 今にも雨粒が落ちてきそうで中々落ちてこない、生殺しの空である。

 ガイは、こういう天気が嫌いだった。

 やはり空は晴れてナンボのものだと信じている。

 アキトの方はもう少し複雑だ。

 地球での修行の旅に費やした時期が長く、野宿なども多かったから

 当然雨は嫌だし、こういう分厚い雲も好きではない。

 だが・・・・・

 

(晴れも、曇りも、雨も風も日照りも嵐も、それはただ自然にそこにあるだけのものさ。

 それに好き嫌いを言うのは人間の勝手な言い分でしかない。

 あるがままにある・・・それを認めるのが第一歩さ)

 

 かつての修行時代、突然の雨で濡れ鼠になりながら夜を過ごした時、

 アキトが天気に文句を言ったことがあった。

 その時に師・ホウメイがアキトに聞かせる風でもなく漏らした言葉がこれである。

 だからどうだというんだ、とそのときのアキトはひそかに反発したし、今でもそう思っているのだが・・・

 それでも何か引っかかるものがあった。

 自然のことだろうがなんだろうが濡れ鼠になったことには変わりないし、

 自然がそう言うものであることとそれに文句を言うことは関係ないはずなのだが、妙に気になって仕方ない。

 第一、「第一歩」などと言いつつ何の第一歩かはついに教えてくれなかった。

 下手すれば十年近く経つというのに、ホウメイの与えたこの謎掛けはいまだに解けていない。

 

 ガイの漏らした天気に関する不満に、アキトが気のない反応を返したのはそう言うわけだった。

 ルリはネオジャパン領事館でデータの解析。

 ハーリーは急に上から送られてきた新しいナデシコ(名目上はゴッドのスペアボディという事になっている)の調整作業。

 ダッシュは漁師仲間の寄り合いで不在、ディアとブロスも遊びに出てしまい、

 ついでに言うとゴッドのメンテナンスもトレーニングの日課も食事の仕込みも終り・・・・・・

 と、いう訳でアキトとガイは男二人で曇天を眺めているのである。

 本決勝、最後のバトルロイヤルまでもう一週間ほどであるからして

 それに向けた調整に入るという選択肢もあるし、事実そうしている国もあるのだが、

 二人とも特に何かしようという気はないようだ。

 まったくもって生産性のないことおびただしい。

 と、溜息をついてアキトが立ち上がった。

 ガイが、死んだ魚のような目で見上げる。

 

「少し出てくる」

「こんな日に良く歩きまわろうって気になるな。気が滅入っちまうぜ」

「こんな日に屋根の下にいたほうがよほど気が滅入るだろう?」

「そんなもんかねぇ」

 

 もごもごとつぶやくと、再びガイの目玉はどんよりとした雲を熱心に見つめ始めた。

 誘ったつもりだったのだが、どうやらその気はないらしい。

 あからさまにテンションを低下させている顔でやる気なさそうに「いってらっしゃい」とばかりに手を振っている。

 苦笑しながらアキトはジャンクを出た。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・以上です。現在のところ、ネオジャパン側は何者の仕業かは掴んでいない様で・・・」

「ふうん。それは確かですか?」

「はい、それに関する動きが全くないことから考えて恐らくは」

「ならいいでしょう。この件に関しては引き続き監視を続けてください。

 それと『彼女』の件は準備は終わっていますか?」

「はい」

「ならばそちらも滞りなく進めなさい」

「畏まりました」

「それと、ホウメイ先生は?」

「三十分ほど前に弟子の少女と共に姿を消しました」

「やはり動きましたね・・・・・行き先はわかりますか?」

「こちらを出たのは確かですが、その後となると・・・」

「例によって撒かれた、と。・・・・事情を説明してもらいましょうか」

「申し訳ありません。いま少し時間と予算をいただければ・・・・」

「弁解は罪と知りなさい」

「・・・・・ははっ」

 

 

 

 

 

 

 分厚い雲の下、ジャンクから桟橋へと身軽に飛び降りたアキトが街路を歩き始める。

 無論当てはない。

 ただ鬱屈した空気の中でじっとしている事に耐えられなくなっただけだ。

 

 だが1時間ばかりも歩いた時、いぶかしむようにその足が止まった。

 いつのまにか、アキトはある方向を目指して一直線に歩みを進めていた。

 特に意図したわけではないのに、明らかに特定の目的地を目指して歩いているのである。

 無意識のうちにどこかへ行こうとしていた・・・・いや、行くように仕向けられていたのか?

 考え込んだアキトがやがて一つの答えに行き当たる。

 その推論を確かめるべく、口を閉じたまま心で一人の少女の名前を呼ぶ。

 ややあって、応えが返ってきた。

 呼びかけというほど明確な形ではないが、確かにその声は自分を呼んでいる。

 声の正体をいまや確信して、アキトは再び歩き始めた。

 その声・・・・妹弟子であるラピス・ラズリが自分を呼ぶ声に答えつつ。

 

 

 

 そのころ。

 相変わらず非生産的にぼうっとしていたガイの通信機が呼び出し音を鳴らした。

 壁に引っ掛けられた荷物の中でノリがいいと同時に妙に暑苦しく、

 レトロすぎて却って新鮮味を覚える曲と歌詞の、オールデイズロックともポップスとも付かない歌・・・

 ガイの魂のバイブルであるところのアニメ「ゲキ・ガンガー3」OPの着メロ(歌だが)が鳴っている。

 (旧西暦20世紀に発生した着メロの伝統は、日系に限らず未だに根強く残っていた。

  無論、この時代ならば着メロ/着ウタと言えど通常のプレイヤーによる再生と殆ど変わりはない)

 

 ♪・・・・夢が明日を呼んでいる 魂の叫びさ レッツゴーパッション

     いつの日か平和を 取り戻せこの手に レッツゴーゲキガンガー3・・・・♪

 

「ん〜、いつ聞いてもいいねぇ、こいつは」

 

 普段は周囲が白い視線を向けてくるため割とすぐに出るのだが、幸い今は誰もいない。

 熱血の迸り(本人主張)を楽しみつつ、のそのそと通信をつなげたガイの、表情が見る見る強張った。

 二言三言、慌しい受け答えをして通信を切った後、今度はガイのほうから通信をつなぐ。

 だがガイが呼び出しを掛けた途端、アキトの使っている寝室で硬くて小さな何かが床に落ちるような音がした。

 悪い予感に襲われて扉を開けたガイの目に、床の上で振動している手のひらサイズの電子機器が映る。

 

「・・・・・あのバカ、通信機忘れていきやがったっ!」

 

 

 

 

 半ば目をつぶり、声が自分を導くままにアキトは歩を進める。

 アキトの妹弟子であるラピスは、生来『天心通の法』を身につけていた。

 天心通、すなわちテレパシーである。

 他人の頭の中をあらいざらい覗ける、と言うほどに強いものではないが

 そのとき考えていることを読み取ることくらいはできたし、逆に心の声を人に聞かせることもできた。

 こんな力を持ってしまった子供が恐れられ、気味悪がられるのは当然であったろう。

 ホウメイやアキトと初めて出会ったとき、ラピスはまだ6、7歳。

 無感動な目をした、ぼろきれの塊にくるまった浮浪児だった。

 その後、一緒に旅をするようになったラピスは

 ホウメイの手助けもあって自分の能力を制御できるようになってゆく。

 ラピスの世話は主にアキトの仕事だったこともあるが・・・・この二人はよほど相性が良かったようである。

 どれだけ距離が離れていても、そしてラピスの調子が悪くても、

 アキトと心で会話するときはきわめて明瞭な、ノイズのない思念の交換が可能なのだ。

 のみならず、感情や鮮明なイメージがダイレクトに伝わってくることさえあった。

 たとえホウメイであってもここまで細やかな会話はできない。

 ラピスがまるっきりアキトべったりでホウメイにはなついていない、と言うことはなかったから

 これはやはり相性の問題であろう。

 

 そうこうするうちにアキトはネオホンコンの市街地からずいぶん外れたところにきていた。

 日は分厚い雲に遮られてあたりは薄暗く、潮の香がするもやがいつのまにか立ち込めている。

 不意に、その白い薄膜のかかった世界に別の色が混じった。

 桃色の髪、同色の外套、飾り気のないジャンプスーツ。

 そしてアキトに注がれる金色の視線。

 

 妹弟子との久方ぶりの対面であった。

 

 視線が合ったがラピスは動かない。

 何をするでもなく、何を言うでもなく、人形めいた整った顔立ちがただじっとアキトを見ている。

 

「ひさしぶりだな、ラピス」

 

 しゃがみこみ、視線の高さを合わせたアキトが笑いかけてやると

 人形のようだった無表情がごく僅かにではあるがほころぶ。

 それだけで、少女の印象は一変した。

 ガラスでできた花がいきなり本物になったかのように、その笑顔から儚さと生気の香りが匂う。

 そんなところも、昔のままだった。

 

 一つ、うなずくとラピスが背後を指し示す。

 アキトが靄の中に目を凝らすと、桟橋に一艘の小船がもやってあるのが見えた。

 そのまま、すたすたとラピスが歩きだした。

 小船に飛び降り、もやいを解き始める。

 桟橋に立ったままでいたら、ちろり、と可愛く睨んできた。

 船に降り立ってもまだ不満そうに睨んでくるのでしょうことなしに舟板に腰をおろす。

 それでようやくラピスの視線がアキトから外れた。

 もやい綱をまとめたラピスがスターターロープを二三回引くと、エンジンが咳き込みながら回り始める。

 リズミカルな震動と共に、小船はそのまま霧の深くなった海へと消えていった。

 

 

 

 

 

 日も大きく傾き、そろそろ夕刻に差しかかろうかと言う繁華街は

 夜を目前にして昼とはまた別の活気が生まれつつある。

 急遽店じまいの札を出し、貸切られた「佳肴酒家」にガイが駆け込んできた。

 よほど急いできたらしく、あのタフネスの塊が肩で息をして呼吸を整えている。

 店内にはナオ、ユリカ、カグヤや舞歌、リョーコにメティといったいつもの面子。

 店主代理であるミリアは席を外しているらしい。

 

「遅いわよ」

「・・・・あの、アキトさんは、一緒じゃないんですか?」

 

 大きくは無いがぴしゃり、と叱りつける声と今にも消えそうなか細い声があがる。

 店内には加えてエリナとルリ、サブロウタに九十九たち各国クルーの面々、ついでにハーリーまでもが居た。

 合わせて20人近い、ちょっとした大所帯である。

 エリナはここの所絶えて見せなかったぴりぴりした雰囲気を身にまとい、

 逆にルリは顔を青ざめさせている。

 それだけで、今回の話が只事ではないことが察せられた。

 ガイがどうやら最後らしかったが、その隣にアキトの姿がないのを見て取り

 全員の視線が順次ガイに集中していく。

 無言の問いかけを受け、ぼりぼりと気まずそうに頭を掻いた後、歯切れ悪く口を開く。

 

「アキトは、その・・・行方不明だ」

 

 途端、その場にいる全員の顔色が変わった。

 リョーコやナオなどは思わず椅子を蹴倒して立ち上がっている。

 己の失言に気がつき、慌ててガイが言葉を継いだ。

 

「いや、行方不明っつっても何かあったわけじゃねぇんだよ。

 ただ単にいつもの如くふらりと出かけていって、連絡が取れないってだけで」

 

 今度その場に充満したのは、十数人分の溜息だった。

 呆れた顔をするもの、ホッとするもの、中には露骨に冷ややかな視線をガイに向けてくるものもいる。

 

「まったく・・・・・紛らわしいのよ」

「只でさえピリピリしてるんだ、もう少し考えて、言葉を選んで喋るべきだな」

「おめぇなぁ、通信機くらい持たせておけよ」

「ガイさんTPOって言葉知ってる?」

「分かった、分かった、悪かったって! 通信機だって持たせてる。アイツが忘れてったんだよ!」

 

 何とはなしに責められてるような気になり(無論、実際に責められている)、

 ガイが両手を振り回して弁明にこれ努める。

 

「ガイさんはアキトのクルーでしょ?

 保護者としての責任があるんだから出かける時には持ち物の確認をしてあげるべきじゃない?」

「あら、それはいいアイデアね。まず通信機とお財布、それに名札にちり紙にハンカチ・・・」

 

 ユリカが無茶苦茶を言い出し、悪乗りした舞歌が指を折って持ち物リストを列挙し始めた。

 まるっきり小学生扱いである。

 

「それはともかく!」

 

 バン、とテーブルを叩いてエリナが脱線しかけた話を元に戻す。

 

「そう言うことならアキト君を連れてくるのは難しそうだし、とりあえず話を始めて

 彼には後で私なりダイゴウジガイなりから伝えるということでいいわね?」

 

 周囲を見回し、異論が出ないのを確かめる。

 ガイを身振りで席につかせると再びエリナは話し始めた。

 

「さて、詳しいことを知らない人もいるでしょうから改めて説明するわね。

 とはいっても説明することがそれほど沢山あるわけじゃないけど・・・・

 ネオホンコン標準時で本日午後2時過ぎ、

 ネオジャパンの領事館が何者かに襲われデビルホクシンのデータが盗まれたわ」

 

 そこでいったん言葉を切った。

 場には身動き一つ、咳払い一つない。

 漸く賑やかになりつつある通りのざわめきが、別世界の出来事であるかのように遠くから聞こえてきた。

 

「警備の人間、合わせて三人が死亡。保安装置も見事に殺されていたわ。

 犯人はおよそ十五分のうちに侵入し、警備の人間を殺害してデータを盗み、

 そして誰にも見られることなく立ち去ったのよ」

「・・・・・よく、ルリちゃんが無事だったもんだ」

 

 大きく息を吐きながら、ガイがホッとしたようにつぶやく。

 ルリは色白の顔をさらに蒼ざめさせたまま、自分の体を抱いて震えを抑えているようにも見えた。

 ぽつり、と言葉を吐き出す。

 

「・・・・あの時、ちょうど席を外してたんです・・・・それで、帰ったら・・・」

 

 思い出してしまったのか、ぶるっ、と大きく肩を震わせたルリの背中をエリナがさすってやった。

 

「でも、もし犯人たちがルリちゃんを狙っていたらまず防ぎきれなかったね。

 そう言う意味では不幸中の幸いだったかもしれないよ」

「ユリカくん! 状況を考えて発言したまえ!」

 

 ユリカが発した言葉に再びルリの体が震えた。

 エリナが不用意な発言をしたユリカを軽く睨み、カズシが鋭く叱咤を飛ばす。

 ユリカがしまった、という顔になった。

 

「あ、その・・・ご、ごめん!」

「あ・・・いえ・・・」

「本当にごめんなさい! その、無責任て言うか考え無しに言っちゃって・・」

「それはそれとして。人的なそれのほか、具体的に被害はどれほどなのですかな?」

 

 話がずれそうとみたか、プロスペクターがユリカの言葉を遮って助け舟を出す。

 エリナがうなずいて話の続きを始め、ユリカとルリもとりあえず口を閉じた。

 

「被害だけど、まずコロニーから持ってきたデビルホクシンの研究資料。

 書類を盗まれたのみならず、コンピューターのデータも綺麗に消去されてたわ。

 これで、ネオジャパンからの次のシャトルがつくまでしばらく解析は無理になったわね」

「なんでですか? コロニーからデータを送ってもらえばいいじゃないですか」

 

 不思議そうな顔をして九十九が質問する。

 エリナの目に僅かに苛立ちの光がきらめいたが、

 彼がその手の方面に暗いことを思えばこれは無理からぬ問いである。

 

「あのね。あんなもの、通信で送らせるのは危険すぎるじゃないの。

 どんな厳重な暗号回線だって100%安全じゃないのよ?」

「ましてやここは、メグミ首相のお膝元、ですしね」

「そう言うこと。それはさておき、データを消されてこそいなかったけど

 メインのデータバンクを管理者権限で覗かれてた訳だし、データはダダ漏れと見るべきでしょうね。

 後はさっきも言った通りセキュリティが完全に殺されて、復旧に一苦労しそうだという報告が来てるわ。

 と・・・・まぁ、今の所被害はこれくらいかしら。

 一応調べさせてみたけど、破壊工作やウイルスの類は仕掛けられていなかったようだし」

 

 エリナがそこで言葉を切る。

 しばし、沈黙が降りた。

 誰も彼もが事件について頭をフル回転させている。

 無論、回転速度は各人でかなり差があったが。

 

「一番怪しいのは・・・・やはり、メグミ首相でしょうか?」

「そう、なるのかしらねぇ?」

「でも彼女の手元には既に現物があるわけでしょう? 今さらデータがいるものでしょうか?」

「それって確認はされてるの?」

「ああ、シュバルツが見たとか」

「デビルホクシンはテンカワにギアナでかなり手ひどくやられただろう。

 それがいまだに再生し切れてない、あるいは再生機能などに問題が生じたということも十分考えられる。

 その場合、デビルホクシンの再生の為にネオジャパンの、

 もっと言えばホシノ博士の研究資料を手に入れる必要が生じた、というのはありそうな話だと思うぜ」

 

 舞歌が微妙に首を傾げ、サブロウタが己の推論を述べる。

 月臣が少し考えた後、眉を寄せてその推論に疑問をぶつけた。

 

「だがその場合、何故ルリくんに手を出さなかったか、という問題があるな。

 データを必要としていたのなら、生きたデータそのものである彼女を放置するのはおかしいだろう?」

「あ、そうか、そりゃそうですね・・・・」

「ふむ。あるいはですな、ホシノさんの作業の妨害という線はどうです?

 まぁもっとも、この場合でもホシノさんに手を出さない理由は不分明ですが」

「と、すると首相は現段階でホシノ博士の作業が進んでは困る、しかしホシノ博士を失う事は出来ない、

 と言う意図をもっていると云う事でしょうか」

「いざというときの保険としてルリちゃんを必要としたとか?」

「可能性の一つとしては有り得るが、断定は出来んな」

「ん〜む」

「あのさ。よくわかんないけど、メグミとは別にデビルホクシンを狙う敵がいるとかってことはないの?」

 

 話についていけない為か、ずっと沈黙していたメティが何の気なしに思いついたことを述べる。

 場を再び沈黙が支配し、ややあってカズシがぽつり、と言う感じで口を開いた。

 

「・・・・それも考えなくはなかったけどな」

「しかし今までのいきさつから言って可能性は低いのではないでしょうか?」

「いや、この際あらゆる可能性は考慮すべきだろう・・・・ウォン委員長。

 我々とマスターホウメイ、メグミ首相以外にデビルホクシンの事を知っている者がいる可能性は?」

「難しい質問ね。さっきも言った通り完璧な防諜体制なんて存在しないし。

 取りあえず、事件当初アタリをつけていたのはネオイタリアとそちらの四人のお国なんだけど・・・」

 

 エリナが、溜息をついてユリカ達の方に視線を向けた。

 よく見ればその目元にも若干の疲労が伺える。

 おそらくここに来る直前まで東奔西走して事態の把握と収拾に努めていたのだろう。

 そんなエリナをさて置き、視線を向けられたうちの一人であるカグヤがぽん、と両手を合わせた。

 

「ああ、だからアキト様は予選初期にあんなにせわしなく動き回っておられたのですね。

 あんな短い期間で五連戦、しかも遠く離れた国を・・・・」

「・・・・・カグヤちゃん、アキトの地上での行動をチェックしてたの?」

「ええ、もちろんですわ・・・・・・と言いたいところですけど、後で調べたのです」

「何のために・・・ってのは聞く必要はなさそうだね」

「勿論ですわ。こういうところで差がつきますのよ、ユリカさん?」

「〜〜〜〜!?」

 

 いつのまにか取り出した扇で口元を隠し、おほほほほとカグヤが勝ち誇る。

 一瞬にして目を限界まで吊り上げたユリカの殺意すら篭もる凶悪な眼差しと

 優越感に満ちたカグヤの流し目が二人の間で火花を散らす。

 

 無論他の連中はそんな二人を丁重に意識の外に締め出していた。

 例えば、こめかみをひくつかせながらも辛抱強く説明を続ける彼女のように。

 

「・・・・結局外れだったみたいではあるけど、現場の貴方達が知らなかったからと言って

 この四国の上層部にデビルホクシンのことを知る人間がいない、と断言することまでは出来ないわね。

 まぁ、仮にいたとしてもおそらく当時は知らなかった、

 あるいは行動を起こしていなかったと考えていいでしょうけど」

「? なぜですか?」

「あの時点で地球上のどこにいるかわからないデビルホクシンを探そうとしたら、

 ナデシコファイト国際条約や国境の規制に引っかからないナデシコファイターに頼る以外になかった筈です。

 ナデシコファイトの期間中、コロニーから地球に対する干渉が殆ど不可能だからこそ、

 僕たちはアキトさんたちをデビルホクシン捜索に推したんですから」

「あ、なるほど・・・・・」

 

 説明してくれたのがハーリーだったからか、納得しながらも少し驚きの表情を浮かべるルリ。

 この弟分を改めて見る目に心なしか僅かな変化が現れたようでもある、というのは

 正面でその表情の変化を見ていたガイの、兄の欲目だろうか。

 

「デビルホクシンの存在を知らなかった各国がそれを知る機会・・・・」

「ネオトルコやネオエジプトでアレ絡みの事件が起こったでしょう。あれは?」

「当局も何か感づいていたかも知れねぇが・・・・・連中にはDH細胞のサンプルを含めて、

 明確な物証は渡してねぇはずだ」

 

 ガイの証言にエリナもうなずく。

 

「ミナレットナデシコやファラオナデシコ四世は完全に消滅。

 DH細胞に冒されていたアクア・クリムゾンも当局に逮捕されたのはダイゴウジガイが対DH細胞処置を施した後。

 よしんば逮捕時に体内に残っていたとしてもじき死滅してしまったはずだから、サンプルの採取はできない。

 そしてエジプトでの事件が知られてない以上、ネオジャパンとこの異常を結び付けて考えるのは難しいわね。

 ファラオナデシコ十三世は事故で破壊されたということになってるから。

 だから、可能性があるとしたら・・・・」

「ギアナ高地での、例の事件ですか」

「それ以外には考えられないわ。もちろん、絶対ではないけれど」

 

 一同が難しい顔をして黙りこくった。

 確かにあのときのデビルホクシンは衛星軌道上からでも容易に観察できる程のエネルギーを発していた。

 むしろ、見逃すほうが難しかろう。

 と、なると・・・・・容疑者は殆ど全てのコロニー国家ということになる。

 

「案外単純にネオイタリアか・・あるいはネオイングランドじゃないのかな、犯人は」

 

 いつの間に睨みあいを止めたのか、ユリカが考え考え口を開く。

 エリナが一座を代表して続きを促した。

 

「ここにいる何人かは知ってるけど、以前私とネオイングランドのテツヤとがファイトしたとき、

 リングの外縁バリアの一部、それもクルーデッキの目の前のそれが故意に解除されたことがあったの。

 これ、テツヤをファイトに勝たせるためなのは勿論だけど、

 私たちネオフランスを恫喝する意図もあったんじゃないかな、って思うんだ」

「何のために?」

「口封じ。ネオイングランドのファイター、テツヤが同国の軍人アズマ准将を殺害した一件について」

 

 息を呑む音が聞こえた。

 周囲が静まるのを待って、ユリカがゆっくりと続きを話し始める。

 

「イツキちゃん・・・わたしの国の王女イツキルイゼ殿下が偶然その現場を見たの。

 その場にはアズマ准将とテツヤ。そしてもう一人、メグミ首相がいた」

「イツキルイゼさまが!?」

「それは間違いないのか?」

「イツキちゃんは間違いないって言っている。

 それにメグミ首相とネオイングランドが裏でつながっているとすれば色々と納得できることもあるんだよ。

 DH細胞で甦ったテツヤとか予選で敗れたはずなのに決勝戦に駒を進めたネオイングランドとネオイタリアとか。

 そして、どちらかの国の上層部の、メグミ首相と繋がった人間がデビルホクシンのことを知り、

 アレを手に入れようとして暴走したとしたら・・・・・」

「確かに、ありえない話ではないわね。

 仮定が多いのが残念だけど」

 

 全員が再び考え込む。

 が、結局舞歌のその一言でその日の会議は終りになった。

 推論を進めるには手がかりがまだ少なすぎるし、

 もとより彼らはそれほど自由に動ける立場でもなく、さほど有効な手が打てるわけでもない。

 エリナも、どちらかと言えば告知のために開いたようなものであるから異存は無い・・・はずだったのだが。

 

「あ、皆ちょっと待ってくれる?」

 

 帰り支度を始めていた一同に、エリナが思い出したように声をかけた。

 一拍置いてどことなくすまなそうに言葉を続ける。

 

「その・・・ね。忘れてたんだけど実は当分ホシノルリをアキト君のところに預けるつもりだったのよ。

 アキト君と一緒なら少しは安全かなと思って。

 で、あの馬鹿は来なかったんだけどこのままSPだけで護衛するのは心もとないし・・・・

 もちろん本当ならこんなこと頼めた義理じゃないんだけど、

 彼と連絡つくまで、誰かホシノルリの護衛を手伝ってもらえないかしら?

 いえ、勿論他の国の人間に護衛してくれなんて頼まないわ。

 『たまたま同じ場所にいる』ようにしてくれればそれでいいの」

 

 親しい人間にとっても非常に珍しい、しおらしい表情のままエリナが一同を見渡した。

 一拍ほどの間があって、誰かが何か言う前に。

 

「私がやりますっ!」

 

 回りの人間が一歩引くほどの猛烈な勢いで、ユリカが挙手していた。

 いずれ劣らぬ百戦錬磨の強者どもが、揃って一歩引くような迫力が今のユリカからは放射されている。

 

「いいですよねエリナさん!?」

 

 ずいっ、と。

 ユリカが異様に目を光らせつつ、殆ど吐息がかかる位にまでエリナに迫る。

 椅子の背にへばりつくように圧迫されたエリナが反射的にかくかくかくと首を縦に振る。

 

 そこで、ようやく周囲の時間が動き始めた。

 微妙に引きつった笑顔を浮かべつつ、カグヤが恐る恐る、と言った感じで先陣を切る。

 多分切りたくはなかっただろうが。

 

「・・・あ、あのユリカさん、ちょっと冷静になってくださいな? それに何かお忘れではありませんかしら・・・?」

「何を言ってるの!?

カグヤちゃんは協力してくれないとでもいうの! 

お互いに小学生の頃からの付き合いなんだし、

だったらルリちゃんを護るのは私たちの義務じゃないのっ! 

わかるでしょ? 

ルリちゃん本当に危ないところだったんだから! 

それに私たちみたいなファイターと違って

ルリちゃんは普通の女の子なんだから

間近で人が死んだことに対して物凄く不安がってるんだよ? 

そういったところをフォローするためにも

私たちが側に付いていて上げなくちゃいけないの! 

そもそも騎士道精神に沿って考えれば

助けを求める人を見捨てるなんて言うのは

絶対に許されないこと、恥ずべきことだよ! 

私たちは騎士! 

騎士は力の無いものを守るのが務め!

たとえ他国の人間であっても

そこに助けを求めるものがいるなら

私たちはそれに応えなくてはならない!

違う?!

それが判っているんだったら反対なんかしないよね!」

 

 これだけを一息でまくし立てつつ、ユリカが今度はカグヤにずずい、と迫る。

 笑顔を更に引きつらせながらカグヤが何か言おうとするが、マシンガントークが再開される方が早かった。

 この、怒涛のハイテンションモードに入ってしまったユリカにはさしものカグヤも為す術が無い。

 これがアキト本人絡みの話だったらまた違った展開もあったかもしれないが、

 それ以外では比較的常人であるカグヤに、この迫力に抗する気力の持ち合わせはなかった。

 

 

 速射砲の如く言葉を吐き出すユリカと、押し捲られているカグヤを視界の端に収めつつ、

 一部を除いて沈黙してしまった座を見ながら……舞歌などは興味深そうに見守っていたが……

 カズシはひっそりと溜息をついた。

 ある意味、この状況は彼に責任がある。

 

(ちぃと強く叱りすぎたかなぁ)

 

 例によっていささか無神経な発言をしたユリカをたしなめた事自体は問題ないが・・・・

 カズシ自身、気が高ぶっていたのか責めるような口調になってしまった。

 今ユリカが必要以上に強く護衛役を買って出ているのも多分そのせいだろうな、ともう一度溜息。

 

 純粋にルリに対する義務感があるのも確かだろうが、それだけではあそこまで強くは出ない。

 人間が必要以上に強く出るのは大概何か切実な理由があるか、もしくは何かを誤魔化すためだ。

 彼女の場合は・・・・多分両方だろう。

 何が何でも自分の手でルリを護ろうとするのは不安がらせたことへの罪悪感の裏返しだし、

 必要以上に強く主張するのはその後ろめたさを無意識に誤魔化そうとしているためだ。

 おちゃらけてはいても基本的に真面目な性格な訳だし、

 自分に強く叱られたことで気に病んでしまったのだろう。

 もう少しソフトに言えばよかったな、と、頭をかき回しつつ三度目の溜息をつく。

 今更言っても仕方のないことでは有るが。

 

 この事態をどう収拾すべきか、こっちも結構責任感の強いカズシが悩んでいる間にも

 ユリカの舌からは休みなく言葉が放たれていた。

 プロスの見たところ、機銃掃射どころか飽和攻撃の域に達している。

 先ほどからジュンが何か言おうとしているが、

 その悉くがユリカに届いていないのが(いつものこととは言え)哀れを誘った。

 

「・・・・・・それに、ルリちゃんはアキトの妹さんなんだよ!

 私たちがルリちゃんを護衛しなかったせいで

 ルリちゃんに万が一のことがあったら

 カグヤちゃんはアキトにどう顔向けするつもりなのっ!?」

 

「ところでユリカさん」

 

 ユリカが息を継ぐ瞬間、絶妙のタイミングでプロスが口を開いた。

 出かけた言葉が喉元でつまり、ユリカが口を閉ざす。一瞬だけではあるが場に沈黙が降りた。

 

 呼吸を見事に制された当のユリカには、鎮静剤めいた効果も有ったらしい。

 沸騰している鍋にびっくり水を入れると一瞬に水位が下がるように、

 直前までのハイテンションはなりを潜めていた。

 

「は、はい? 何でしょうプロスさん」

「私の勘違いでなければ、確か今晩はネオフランスとネオアメリカ主催の晩餐会が開催されるはず。

 ユリカさんも出席者名簿に名を連ねておられたと記憶しておりますが、

 女性のことでもありますし、今から準備を始めなくては間に合わないのではありませんか?

 だとすれば残念ながらホシノさんを護衛する時間的余裕があるとは思えませんが」

「そ、そうだよユリカ! 今日は大事なパーティなんだから今から支度しても危ないくらいなんだよ?」

「え? えと、え〜とねぇ、ここは一つジュンくんに代理を・・・・・」

 

 一瞬考えた末に、ユリカはあははは、と笑って誤魔化す手に出た。

 さすがに無茶を言っている自覚があるのか、声が小さい。そして、今日ばかりはジュンもあくまで強気だった。

 先程までユリカに無視されて泣きそうだった男の態度ではない、というのはこの場にいる全員の身も蓋もない本音である。

 

「できるわけないだろっ!

 ユリカ、わかってないのかい?

 今夜のパーティはネオフランス国王陛下とネオアメリカ大統領閣下とが揃って御出席になるんだ。

 ナデシコファイターの欠席は下手すれば外交問題に発展しかねないんだよ!?

 今回ばかりは、絶対エスケープは許さないからね!」

「う・・・・」

 

 いつになくきつい調子のジュンにさしものユリカがひるむ、というよりバツの悪い顔になる。

 ・・・・色々と前科があるらしい。

 しかも完全に正論なのでユリカのディベート能力をもってしてもどうしようもない。

 (ユリカは詭弁を見抜くことに長けてはいても、詭弁を弄するのは苦手であった)

 それにしてもジュンがここまで強く出るということは・・・・彼女の父親から余程の厳命を受けたのだろうか?

 などとプロスあたりは思っていたりする。事実そうであったが。

 

「でもでもでも! 人の命とパーティと、ジュン君はどっちが大事なの!?」

「いや・・その、それはわかるけど、他にいないならともかく、この場合は他の人にお願いするべきだよ!

 明日ならともかく今夜だけは絶対に外せないんだから!」

「そうだ、パーティにルリちゃんを連れて行くって言うのは?」

「ネオジャパンの要人を、招待もされていないのにネオフランスとネオアメリカのパーティに?

 ばれたらそれこそ国際問題になりかねないじゃないか」

「それはそうだけどそこを何とか・・・」

「駄目!」

「ジュン君の馬鹿!」

 

 ぐ、と明らかにジュンが怯んだ。

 

「馬鹿って言われても、これは・・・ええと、その・・・」

「ジュン君の意地悪!」

 

 言い返そうとした言葉が、ユリカの目尻に光るものを見て途切れた。

 そこへ強烈な二発目を貰い、ジュンの上体が大きく傾ぐ。

 まるでヘビー級のパンチを貰ったバンタム級の選手みたいだ、というのはボクサーであるナオの感想である。

 涙目のまま、ユリカがジュンに馬鹿馬鹿と繰り返す。

 堪忍袋の尾を切らせたユキナが乱入してくるまで、そのままジュンは言葉のサンドバッグと化していた。

 

 結局のところ、女に泣かれたらその時点で男の負けである。

 

 

 

「で、ネオフランスとネオアメリカのお偉方が集まるということは・・・・」

 

 と、取り合えず目の前の脅威から解放されたエリナが呼吸を整えつつカグヤとナオ達の方に視線を向ける。

 ジュンを中心にしてにらみ合っているユキナとユリカは取りあえず無視だ。

 と、ナオが申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「あー、すまねぇ。俺も呼ばれてるんだよ、それ」

「ええ、私も・・・そう言うわけですので少々都合が悪いのですが・・・」

「しょうがないわよ。元々無理言ってるのはこっちなんだし」

 

 詫びるナオとカグヤにぱたぱたと手を振る。

 ただ、言葉とは裏腹にやはり表情は晴れなかった。

 

「まぁ、ゴートさんなりプロスさんなり応援に出すことは出来るけどなあ」

「むう。確かにそのあたりが落としどころだろうが・・」

「そうねぇ。まあでも・・・」

「ちょっと待ったぁ! 誰か忘れちゃあいませんかっ!?」

「「「「・・・・・・・・・・・・・・」」」」

 

 エリナが残る二組のほうに視線を向けようとした瞬間、妙に暑苦しく大見得を切った男がいた。

 微妙に冷めた視線がその声の主に集中する。

 無論、こんな台詞を真顔でほざけるのは(少なくともこの場には)一人しかいない。

 

「か弱き少女を守るのはまさしくヒーローの王道にして義務!

 それが刎頚の友の妹だとすればなおさらのこと!

 ネオジャパンにその人ありと謳われた不死身のヒーロー、

 この不沈戦艦ダイゴウジガイ様が・・・・」

「貴方はうっかりしすぎてるからダメ」

 

 不死身のヒーロー・不沈戦艦ダイゴウジガイ、エリナ砲の直撃により轟沈。

 

「何故だーっ!」

「まぁまぁ。ガイ兄さんにはナデシコの整備とかアキトさんの世話とか護衛とか色々ありますし・・・・」

「整備はともかくなぁ。護衛つったってあいつのほうが俺より強いじゃねぇかよ」

「えーとその、空母に護衛艦がついているようなものだと思えば」

「うーむ、わかるようなわからんような」

「じゃあF-22とF-16のローハイミックスとか」

「余計わからんぞ」

 

 そんな愚兄賢弟・・・もしくは愚兄愚弟の兄弟漫才を横目で見つつ、舞歌が先程言いかけたことを口にする。

 

「そうなると私達かネオロシアのお二人ってことになるわね。

 取りあえず予定は空いてるしこっちは構わないけど?」

「こういっちゃなんだが、舞歌たちは格闘はともかく戦闘についてはプロフェッショナルって訳でもないだろ?

 その点、自慢じゃないが俺もサブロウタもドンパチの経験は豊富だし、狙撃なんかにも対応できる。

 この場合はどっちかと言うと俺たちの方が適任だと思うぜ」

 

 リョーコの言葉に、ん、と少し考えてから舞歌が小さくうなずいた。

 

「そうね。じゃあ、お任せしちゃっていいかしら?」

「おう、任しとけ」

「話はまとまったみたいね。それじゃスバル・リョーコ、改めてお願いできるかしら?」

 

 腕組みをしつつ不敵に笑うリョーコにエリナが頭を下げる。

 ファイトの時は彼女を苛つかせたその姿が、今は恐ろしいほど頼もしく見えた。

 

「もちろん」

「それにデビルホクシンがらみでなくてもエリナさんのような美女の頼みとあっちゃあ断れ・・・ぐっ」

「てめぇは黙ってろ」

 

 脇に鋭い肘を受け、悶えるサブロウタをリョーコが冷やかに見下ろした。

 

 

 

 

 

 

「えーと・・・・・タカスギ大尉?」

 

 結局リョーコとサブとルリ、それにハーリーを加えた4人で佳肴酒家を出、

 しばらく歩いたところでルリの発した第一声がこれだった。

 先程から無言だったのはサブロウタに対してどう呼びかけるべきか悩んでいたものらしい。

 

「ああ、サブロウタでいいよ。階級なんかで呼ばれると親しみが篭もらなくていけない。

 その代わり、こっちもルリちゃんって呼んでいいかな?」

「え? ええ、構いません、けど・・・・」

 

 人見知りする上に家族以外の異性と話し慣れていないせいか、ルリが僅かに言いよどむ。

 ぽん、とその肩をリョーコが叩いた。

 

「なぁに、本人が言ってるんだから気にしなくていいさ。

 俺もかたっ苦しいのは苦手だしな、リョーコって呼んでくれ」

「あ、はい・・・・リョーコさんに、サブロウタさん。改めてよろしくお願いします」

 

 まだ固さが残るものの、二人の名前を呼んでぺこり、と頭を下げるルリ。

 多少の保護欲を刺激され、リョーコの口元が再び緩む。

 

「ははっ、さん付けもいらねぇよ。

 まぁいいか、よろしくなルリ」

 

 ぽんぽん、とリョーコがルリの頭に手を置いたところで

 話に混ぜて欲しかったのか、少々強引にハーリーが割り込む。

 

「えっと、じゃあ僕もリョーコさんサブロウタさんって呼んでいいですか?」

「ん?ああ、勿論かまわねぇ・・・・」

「ダメだ。俺を名前で呼んでいいのはリョーコちゃんのような妙齢の美女、

 あるいはルリちゃんのように思わずむしゃぶりつきたくなるような美少女に限る」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「馬ぁ鹿、冗談だよ、男がそれくらいで落ち込むな!」

 

 わはははは、と陽気に笑いつつ、サブロウタが絶句したハーリーの背中をばんばんと叩く。

 つられて、あっけに取られていたルリもくすくすと笑い出し、

 情けなさそうな表情をしていたハーリーは、複雑な表情で怒るべきか笑うべきか悩んでいた。

 

 

 

「ところでだ、サブ」

 

 ちなみに、そんなサブロウタを見るリョーコの目はかなり白かった。

 冷や汗を大量に分泌し始めたサブロウタの鼓膜を、

 普段の彼女からは想像できないほどの冷たい声が打つ。

 

「今更その腐った人格をどうこう言う気はないが、相手はこの歳で、しかもテンカワの妹だぞ?

 人間としてどうかとか、おもわねぇのか? あん?」

「ちょ、ちょっとリョーコちゃん、人聞きの悪いこといわないでくれって!

 別にそう言う意図で言ったわけじゃないし、第一冗談だって言っただろう?」

「どーだかな。後、俺にちゃん呼ばわりするんじゃねぇって何度言ったらわかる?」

「いくら俺でもジュニアハイにも上がってないような子供は守備範囲外だよ!」

 

 一瞬前までの「変だけど頼りになるお兄さん」が別人のように泡を食っておろおろし始めるのを

 くすくす笑って見ていたルリがいきなり立ち止まった。

 釣られてサブロウタとリョーコも歩みを止め、不貞腐れかけていたハーリーは何かを感じてびくりと後ずさる。

 先ほどのリョーコのそれにも勝るとも劣らぬ冷たい・・・というより、無理矢理温度を下げているような声が地の底から響く。

 俯いているため、前髪に隠れてその表情は窺い知ることが出来ない。

 

「・・・・・・・・・私、少女です」

「「へ?」」

「私、16歳です。飛び級ですけど大学だって卒業してますし、普通でもハイスクールに入る歳で、ついでに言うとハーリー君より五つ年上です!」

 

 痛いほどの沈黙が降りた。

 

 ややあって、頭を掻きながらリョーコが先に口を開く。

 一拍遅れてサブロウタもあたふたと弁解し始めた。

 

「あ、ああ。悪ぃ」

「ご、御免ルリちゃん! その、俺ロシア育ちだから日本人の歳ってわかりにくくて、

 飛び級で大学を卒業して博士号を持ってたりするのは知ってたけどさ、

 ルリちゃん背が低いし体つきも結構子供っぽいから実年齢はてっきり小学生くらいだと・・・・・・・・・・・あ」

「あ」

「・・・・・・・・・バカが」

 

 以前ルリのデータを調べたときは写真だけを見て、年齢の欄は見ていなかったらしい。

 ある意味で非常にこの男らしいといえよう。

 ちなみにルリの身長は147cm。

 これは小学六年生の女子児童のネオジャパンにおける全国平均にほぼ等しい。

 それより頭半分低いハーリーも、十一歳の割に実はかなり背は低めである。

 プロポーションについては・・・・改めて言及するのも気の毒というものだろう。

 ついでに言うとルリは白人種である。

 

 それはともかく、時既に遅し。

 リョーコにすら見捨てられて完全に孤立無援となったサブロウタは(時にハーリーを活用しつつも)

 完全にへそを曲げたルリを宥めるのに一時間近い時を費やしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 霧の海を進む事十数分。

 最初のそれと同じくらいの小さな桟橋の前で舟がぴたり、と止まる。

 距離的に大陸の方へつく時間ではないから、おそらくはネオホンコン周辺の島のいずれかなのだろうが、

 目を凝らしてみても人気の無い桟橋以外は霧に閉ざされて見ることが出来なかった。

 背中に無言の圧力を感じ、ちらと振り返ってから押されるように小舟を降りる。

 と、もやいもしていなかった舟はラピスを乗せたままゆっくりと、桟橋から離れ始めた。

 

「どうした・・ラピスは来ないのか?」

 

 何とはなしに来ないだろうな、とわかりつつも軽く誘ってみる。

 ふるふる、と。

 アキトの予想通りに首を横に振り、ラピスはゆっくりと霧の中に消えて行った。

 

「さて、と」

 

 聞くものもないだろうに、なんとなく一人ごちてから歩き始める。

 歩き始めて、微妙に老人臭い自分に苦笑した。

 活力だけは有余ってるくせに、時たま爺むさく「よっこらせ」などと言ってから動き始める

 親友の口癖が移ったのかもしれない。

 だとしたら、常在戦場を旨とする武闘家としては

 気の緩みに通じるこの癖は余り好ましくないことかもしれないな、

 などとそれこそ取りとめも無いことを思いながら歩を進める。

 

 唐突に、霧が晴れた。

 芝居の幕が開いたかのように、今まで見えなかった周囲の様子が一望できる。

 幕が開いたその奥にあったのは・・・・・・・荒廃と滅びだった。

 

「・・・・っ!」

 

 一瞬絶句する。

 

 泥と、腐臭と、枯死した樹木。

 そして腐った泥の海に半ば沈む町の残骸。

 それが、アキトのいる高台から見渡すことの出来る全てだった。

 

 人の営みの名残を残すからこそ、なお余計に無残だった。

 廟ごと打ち捨てられ、腐りかけた女神の木像。

 泥に埋もれた人形。

 もう時を刻まない、ひび割れた大時計。

 まるで墓標の列のごとく、崩れながらもなお立ちつくすビルの群れ。

 

 アキトは、さながら荒廃しきった世界の唯一の生き残りであるかのように、

 この「滅び」と題された一幅の絵画のなかで立ち尽くしていた。

 目の前の光景から、なぜだかどうしても目を離すことが出来なくて。

 自分でもよくわからない、大きな「畏れ」とでも言うべきものに圧倒されていた。

 その感情が驚きだったのか、恐怖だったのか、或いは哀しみだったのか。それはわからない。

 木々を揺らす風の音も、日光にきらめく川の流れも存在しないこの永遠のよどみと腐敗のなか、

 アキトは静止した世界の一部としてただ立ち尽くすだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「喝っ!」

 

 

 

 世界の終焉は突然にやってきた。

 静寂を木っ端微塵に打ち砕くような、腹の底に響く大喝。

 それだけで、それまでそこに存在していた一つの世界が粉々の破片に砕けて、飛び散った。

 ショックを受けたとき特有の、弾けるような反応を示しアキトが振り向く。

 舞台の背景は変わらない。

 同じ静止した滅びの背景を描いた舞台。

 で、あっても今は舞台の上にもう一人の俳優がいる。

 この停滞した世界にただ一人、それを動かす存在がいる。

 その同じ背景、同じ舞台の上に一人の役者が登場しただけで、世界は怒涛の如くに動き始めた。

 

 

「この、たわけがっ!」

「なんだとっ!」

 

 再び、鋭い一喝が轟く。

 全世界を震撼させる。

 だが、その喝を発した影は微動だにしない。

 アキト如きの脊髄反射で返したような怒声などでは、その影の髪一筋揺るがすことも出来ない。

 

 コンクリートの墓標、崩壊しかけたビルの上。

 もはや倣然とすら言えるほどの圧倒的な存在感を以って、

 腕を組んだマスターホウメイが仁王立ちしていた。

 

「声を掛けられるまでアタシの存在に気がつかなかったとは笑止千万!

 そんな事で、あのナデシコシュピーゲルに勝てるとでも思ったか!」

 

 反射的に言い返そうとしたアキトの両目が、ホウメイの言葉を理解して大きく見開かれる。

 リョーコとのファイトを終えて数日。

 本決勝バトルロイヤルまで一週間と残ってない今、もうリーグ戦の日程は終りと思っていただけに驚愕はなおさら大きい。

 

「じゃ、じゃあ俺の次の対戦相手は・・・・」

「その通り。だけど!シュバルツに倒される前にアタシがここで引導を渡してやるよぉッ!」

「何をっ!」

 

 アキトが叫び終わる前にホウメイの姿がかき消える。

 咄嗟に固めたガードごと、その拳がアキトを吹き飛ばした。

 

 

 

 

同時刻。メグミが部下からの報告を受けていた。

「・・・マスターホウメイがアキトさんと接触したですって?」

「は、北東部の島にて確認されております。」

「ホクシンヘッドを出しなさい。」

「!?し、しかしマスターが・・・」

「構いませんよ。この際懸案事項を二つ三つまとめて処理しておくのも悪くないでしょう。

 たとえ生き延びたとしても、あの人は私がホクシンヘッドを操れる事を知りません。

 なんとでも言い訳出来ますよ・・・・」

 

 その口元に浮かんだ笑みを見た瞬間、ぞくり、と黒服の体が震える。

 命令を実行すべく退出した彼の耳に、

 メグミの漏らした低い含み笑いがいつまでも反響していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その二へ