北斗異聞

 

 

 

 

 

「僕の名前は北斗。北辰の・・・。」      

 

 

 

河原で5、6歳くらいの少年が同い年くらいの少女と遊んでいる。  

二人とも武道か何かの稽古の帰りらしく、  

帯でまとめた子供用の胴着が近くに転がっている。  

少女は抜けるような色白の肌、顔も体もふっくらとしていて、  

美人ではないがなかなかに可愛げがある。  

とはいえ女の事、十年後どうなっているかは分からないが。  

対する少年の方は美少女と言っても通りそうな整った顔立ち。  

実際、燃えるような赤い髪を無造作に短く刈り、  

実用本位の質素な服で無ければ、  

見る人の十人に八人は女の子と思うに違いない。  

だが心得のある者なら少年の顔立ちより身体を見て驚く筈だ。  

しなやかで強靭なバネを秘め、柔らかく鍛えられた無駄の無い肉付き。  

その筋肉は普段は綿の様に柔らかく、  

だが力を込めればたちまち鋼の硬さを持つ。  

断じて五、六歳の子供の体ではない。  

それは、未成熟ではあるもののまさしく戦士の肉体であった。  

とは言うものの、今はその顔に年相応の無邪気な表情が踊っている。  

女の子の方も少年と一緒に遊ぶのがとても楽しいようだ。          

 

 

 

 

突然鐘の音が響いた。それと同時に辺りが夕日の色で赤く染まる。

木連の居住区域共通の夜時間の合図だ。  

遊びに夢中になる余りついつい時間を過ごしてしまったらしい。  

石蹴りに熱中していた二人もはっとして顔を上げ、  

うっちゃっておいた胴着を掴むと二言三言残念そうに、  

しかし笑顔で会話を交わし別れて走り出す。  

恐らく明日また遊ぶ約束でもしていたのだろう。  

木連では子供のしつけに非常に厳しい。  

子供が暗くなってから家に帰るなどもっての外である。          

 

 

 

 

暗くなりつつある家路を軽やかに駈けて行く少年。  

ふとその足が止まる。  

 

「君・・どうしたの・・?」  

 

道路脇の植え込みの中に手を伸ばし、一匹の子犬を抱き上げる少年。  

ようやく立てる様になったくらいだろう。良く見ると足に怪我をしている。  

手ぬぐいで子犬の傷をとりあえず止血する。  

それにしても走りながら脇の植え込みの中で倒れている子犬を見つけるとは・・  

気配なり血の匂いなりを感じたとでも言うのだろうか?この歳で・・。    

 

 

 

 

     

そうこうする内にもう辺りはすっかり暗くなってしまっている。  

子供が出歩くには不適当とされる時間だ。  

案の定、警邏の巡査に見咎められてしまった。  

髪に白い物が混じる人の良さそうな巡査は少し叱るつもりでいた様だが、  

子犬の事を聞くとしょうがないな、という風に笑って許してくれた。  

おまけに家まで送ってくれると言う。外見通り人の良い小父さんらしい。  

家を尋ねようとしてふと首をかしげる。  

 

「そう言えば君はひょっとして武術指南の北辰殿の・・?」  

 

こくん、と少年がうなずいた。  

 

「僕の名前は北斗。北辰の息子です。」                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の良い巡査に送ってもらい、  

おまけに遅くなった言い訳までしてもらって北斗もほっとした。  

そう言う時、母親のさな子は叱りはしないが代わりに正座したままで  

じっとこちらを見つめ、北斗が謝るまでずっとそのまま待ちつづける。  

まだ二十歳をいくらも越えぬと言うのに、  

どこにこんな迫力が潜んでいるのか、そう思うほどの威圧感である。  

北斗にしてみれば大声で叱られた方がよほど気が楽に違いない。  

事実、この無言の叱責に二十分以上耐えられた事は無い。  

たまにしか家に帰ってこない父親の次に北斗が苦手とする代物であった。          

 

 

 

 

 

そのような事もあって、親切な巡査が帰った後、  

子犬を飼って良いかと北斗が母親に尋ねる口調が  

恐る恐る、といった態の物であったのは仕方があるまい。  

 

「あの・・母様・・」  

 

「何ですか?北斗」  

 

気が付いているだろうに、柔らかい微笑を浮かべて尋ねる母。  

 

「この子犬・・飼ってもいいですか?」  

 

「お父様が生き物は嫌いな事を知っているでしょう?」  

 

「でも・・放って置いたら死んじゃいます!」

 

「そうですね・・・良いでしょう、でも世話はきちんとするのですよ?」  

 

「・・はい!」  

 

喜色満面の北斗。早速その晩から一緒の布団で寝るわ、  

傷が治れば一緒に風呂に入り、朝の走り込みに連れて行くわと、  

「まるで弟ができて喜ぶ兄みたい」と思わず母親が苦笑したほどであった。

北斗によって、子犬はケンと命名された。  

無論「ゲキガンガー3」の主人公「天空ケン」からである。              

 

 

 

 

 

ある日の朝、日課の走り込みから帰ってきたばかりの北斗の家へ  

あの少女が姿を見せた。  

 

「おはよ、ホクちゃん!」  

 

「レイちゃん?どうしたの、こんな早くに?」  

 

「だって最近ホクちゃん遊んでくんないんだもの!」

 

この子の名前は紫苑零夜(シオン レイヤ)。  

北斗の幼馴染で、家族以外で北斗の秘密を知っている数少ない人間でもある。  

いつも北斗べったりで北斗が父・北辰が師範を勤める修練場へ通い出した時も  

「一緒がいいの!」と駄々をこねて付いて行った程である。  

さすがに父譲りの才能を評価されて大人と一緒に「特別鍛錬組」で  

早朝から夕方近くまで厳しい修練を積む北斗と一緒と言うわけにはいかず、  

幼年組の稽古が終わってから北斗を待ち、一緒に帰るのが常であったが。  

 

(レイちゃんは知らない・・・)  

 

北斗の修練しているのはまっとうな木連式だけではない。

暗殺を目的とした殺人の業、いわば裏の木連式も合わせて叩きこまれていた。

そもそもこの修練場は木連行政府の作った物であり、  

表向きは青少年教育の一環として木連式を教える場所であった。

ここで見出されて軍に入る者も少なくは無い。  

しかし、素質ある者を見つければ一転、暗殺者の養成所に姿を変える。  

素質ありと判断されたものは「特別鍛錬組」に入れられ、  

忍びの術と殺人の業を叩きこまれる。  

二十代の若さでありながら「影」の中でも随一の業を評価され、  

この裏の師範を務める者こそ北斗の父北辰その人であった。  

もちろん表向きは修練場の師範代の一人、と言う事になっている。  

北辰は幼い自分の子をこの「特別鍛錬組」に放りこんだのである。  

そして、他の暗殺者予備軍と共に地獄の鍛錬を課した。

 

 

 

 

       

もっとも北辰にしてみれば北斗が生まれた時からやってきた事を  

形を変えて続けているに過ぎない。  

立てるようになるとすぐに木連式の型を表と裏と一通り叩きこみ、  

北斗が肉体鍛錬を怠れば容赦無く痛め付けた。  

身体に損傷を与えない様に痛め付ける方法などこの男はいくらでも知っている。  

その鍛錬とも呼べぬおぞましい所業の延長線上に  

この裏の修練があるだけの話である。    

 

 

 

 

     

大人の中に混ざり、年に必ず数人の死者が出る程の  

苛酷な修練をこなす北斗を見て、父である北辰は時折口の端を歪める。  

影として北辰の下で動いてきた六人の師範代達が思わず一歩を引くほどに、  

その笑みは冷たく、酷薄な物であったという。          

 

 

 

 

 

「・・・ホクちゃんってば(怒)!」  

 

「え、あ、ゴメン!・・なんの話だっけ(焦)?」  

 

いつのまにか自分の思いに埋没してしまったようである。  

 

「今日は修練所休みでしょ?だから遊ぼうと思って来たのに・・・    

 最近待っててくれないんだもの」  

 

「ご、ごめん・・修練が、その、忙しくて・・」  

 

「ホクちゃん嘘ついてる」  

 

「そ、そんな事無いよ!なんで・・・」  

 

「ホクちゃん嘘つくとき目を逸らすもの」  

 

「・・・・・・・・」  

 

「あらレイちゃんいらっしゃい」  

 

「!・・か、母様・・」  

 

「おはようございます、おばさま」  

 

「おはよう、レイちゃん。北斗、ちゃんと理由を教えてあげなさい」  

 

「理由ってなんですか?」  

 

「・・・はい、母様。おいで、ケン!」

 

キャンキャン鳴きながら駆け寄ってくる犬を見て零夜が目を丸くする。  

 

「可愛い〜っ!これホクちゃんの犬なの!?」  

 

「うん、ケンって言うんだ」  

 

「じゃ、ケンも一緒に遊ぼうよ!いいでしょ、ケン?」  

 

「くぅん?」  

 

「ほら、ケンも嬉しいって言ってるよ!」  

 

「はいはい・・・」苦笑するしかない北斗。

 

 この幼馴染がこうなったら何を言っても無駄である事を良く知っているのだ。              

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、おばさま」  

 

北斗と零夜が遊びに行った後、北斗の母親さな子を訪れる人物がいた。

木連軍幼年学校の制服を着た年の頃十三、四の少女である。  

ストレートのロングヘアに大きな瞳。  

整っていながら引き締まった顔つきは知的美人の素質十分だが、  

まるで悪戯小僧かガキ大将のような目の表情がそれを裏切っている。  

またそれが知的美人特有の冷たい印象をうまく抑えていた。  

 

「あら、本当に久しぶりね、舞歌ちゃん」  

 

少女の名前は東舞歌。一年前に木連軍の幼年学校に入学し、  

今や「十年に一人の逸材」と将来を期待される天才である。  

 

「幼年学校に素敵な男の子はいた?」  

 

「全然駄目ですね。いじめがいのある男子なら二人ほど見つけましたけど」

 

「あらあらあら・・・」  

 

仲のいい姉妹の様に他愛も無い世間話をする二人。  

ふと舞歌の眼差しに真剣な物が宿る。  

 

「まだ・・北斗はあの修練所にいるのですか?」  

 

「ええ・・」  

 

「何故・・・あの子をあんなところに置いたままにしておくのですか?  

 あの子は本当は優しい子です!人を傷つけて平気でいられる訳がありません!     

 それに・・・それに・・あの子は・・・・」  

 

「舞歌ちゃん・・その先は言わないで」  

 

「おばさま・・・」  

 

「あの子はね、言って見ればうちの人に修練場で育てられているような物。

 なんと言っても父親なんだし、傍から見ればどんなにひどい仕打ちでも、  

 私はあの人が北斗の為を思ってくれているのだと信じたいの。」  

 

さすがに舞歌もこう言われては何も言い返せない。  

天才と言えどもまだ十四歳の少女であった。        

 

 

 

 

 

 

数ヶ月後。  

 

「北斗を『里』へ入れる」  

 

北辰はほぼ一年ぶりに家に帰ってくるなりそう宣言した。  

さすがに顔色を変える母、さな子。  

それもそのはず、『里』とは世間から隔離された軍の特殊戦闘員養成所だ。  

そこに入るとは即ち、普通の暮らしと縁を切る事を意味する。  

 

「何故・・何故ですか!?あの子は・・・」  

 

「女だから、か?」  

 

「・・・・・」  

 

「強さには男も女も関係無い。あれの天稟はむしろ我を凌ぐやもしれん。

 それに我の血を引いているのだ。どの道、日の当たるところで生きられはせん。

 ならばいっそその天稟を伸ばしてやるのがよかろう。    

 ・・・そう言えば捨て犬を拾ったそうだな」  

 

「はい、弟の様に可愛がっていますわ」  

 

「そうか・・・・三日後、別れの宴を開いてやろう。    

 別れを告げさせたい者を呼んでおけ」      

 

 

 

 

 

三日後、別れの宴が開かれた。と言っても来たのは零夜と舞歌だけである。

二人とも精一杯明るく振舞い、悲しみを紛らわせていた。  

さすがに父としての負い目もあるのだろうか、食事の用意は北辰がした。  

作った料理はなんと、炬燵を囲んでの鍋物である。  

濃いダシに醤油仕立て、肉と野菜からの汁も良く出て、  

五人で鍋の後の雑炊まで残さず平らげてしまった。  

 

「そう言えば犬を可愛がっているそうだな」  

 

出し抜けに北辰が聞く。  

 

「はい、父様。ケンは僕の大切な友達なんです。」  

 

「そうか。友達は美味かったか?」                  

 

 

 

 

 

 

障子やふすまがびりびり震えるような、野獣の咆哮めいた物を北斗は覚えている。  

あれは自分の喉から出ていたのだと理解したのは随分経ってからであった。  

無我夢中で父親だった男に飛び掛った事はおぼろげに思い出したが、  

北斗の記憶の糸はそこでぷつりと切れていた。  

 

「あなた・・・・・・・・・・・」  

 

怒りにぶるぶる震えながらもさな子の目は北辰から離れない。  

 

「お前も、この家ももう用済みだ」  

 

どこか満足そうに言い捨て、当身を食らわせた北斗を担ぎ悠然と歩み去る北辰。  

ふと振りかえる。視線の先に舞歌がいた。  

嘔吐する零夜の背をさすりつつ、鋼のような視線を北辰に浴びせている。  

 

「・・・お主、東舞歌とか言ったな。覚えておくぞ」  

 

今度こそ去る北辰の背中に、舞歌は鋼の視線を突き刺し続けた・・・・

 

 

 

 

 

 

 

                 

部屋は血の海だった。赤い海の中にそこだけぽっかりと白い物が浮かんでいる。  

北斗は返り血を浴びて真紅であった。  

顔は無表情である。だが何も感じていないのではない。  

人は悲しみが余りに強いと涙も流れないと言う。  

心の器を越えた感情の爆発はかえって表情を殺す。  

今の北斗がまさにそれであった。          

 

 

 

 

『里』に入った次の夜、北斗は見張りを気絶させて脱出した。  

家に戻りたい。母様と一緒に暮らしたい。レイと遊びたい・・・。  

暗闇の中に我が家が見えた。  

昨日までそこで暮らしていたのに無性に懐かしさがこみ上げて来る。  

北斗は走った。そこに昨日までと変わらぬ元通りの生活が待つと信じて。  

 

「母様!」  

 

足元に何かがころん、と転がって来た。  

一拍遅れて生暖かい液体が北斗の全身を濡らす。  

それがなんであるか理解するのに一瞬の時を要した。  

命を失った肉体がとさり、と倒れる。  

妙に軽い音だな、と北斗は思った。  

命が抜けてしまうと、人の体は軽くなるんだ・・・  

 

「用済みといったのを訂正しておこう。    

 お前は最期にもう一回役に立ってくれたな。    

 まこと我には過ぎた妻であった事よ。くふふ・・・」  

 

無表情だった北斗の顔を一つの感情が染めていく。  

それは「憎悪」と呼ばれるものであった。  

 

「憎いか?我が。ならば強くなってみせろ。我を殺すほどにな。」              

 

 

 

 

 

二年後。北斗八歳。  

 

「僕の名前は北斗。北辰の・・・・・・。」      

 

数ヶ月前。北斗は生まれて初めて人を殺した。

北斗は標的に易々と近づき、あっけないほど簡単にその命を奪った。  

この二年の間に赤い髪は肩まで伸び、澄んだとび色の瞳とあいまって、  

ほっそりと整った顔立ちを、ますます美しい物にしていた。  

そんな北斗に、北辰は少女の装いをさせて刺客の任務へ送り出した。  

服だけでなく仕草や言葉使いも女らしくなるよう仕込まれ、  

いまや北斗は可憐な美少女であった。  

殺された方も、その瞬間までこのあどけない少女が暗殺者だなどと、夢にも思わなかったろう。  

以来数ヶ月、北斗は少女の姿で人を殺しつづけた。  

殺す事にはもう慣れてしまった。  

生まれた時から殺人の法を叩きこまれてきた北斗である。  

母親などいくつかの例外を除けば、北斗にとって人の命という物は  

自分のそれも他人のそれも、たいして価値の有る物ではなかった。  

無論北辰が「命の軽さ」を徹底的に教育してきた為である。  

むしろ北斗にとっては自分が少女の姿をしている方が問題だった。  

体は紛れも無い女のものでありながら男として育てられた北斗。  

いままでその事に疑問は持たなかったし、自分が男性だと思って生きてきた。  

しかし今自分はまぎれもなく女性である。  

何故自分は女なのか?何故男ではないのか?  

僕は男なのに。  

僕は生まれた時から男のはずだったのに。  

僕は・・・・・・・・・・・・・。  

男と女の境目を行ったり来たりする自分。  

今まで確かなものであった「自分」という存在が急に崩れていくのを感じる。  

言葉使いもしぐさも不安定に少女の物になり、また少年の物に戻る。  

まだ幼い北斗の自我は自分を見失い、急速に壊れかけていた。          

 

 

 

 

皮肉にも、自我の崩壊しかけた北斗を救ったのは北辰と、  

当時跳躍研究所で優人・優華部隊の「試作」に携わっていた  

遺伝子工学と精神生理学の権威、ヤマサキであった。  

いや、救ったと言う表現は正しくない。  

北辰は北斗の自我が崩壊するこの時を待っていたのだから。  

確かに、ヤマサキの施した処置により北斗の自我崩壊の危機は去った。  

しかし・・・・・・・・      

 

 

 

 

「私に・・・人殺しの道具を作る手伝いをしろと!?」  

 

「お主なら適任だろう。それとも何もせずにあやつを放っておくか?    

 我はそれでも構わんがな。」  

 

「本当に外道よ・・貴方は。」  

 

「我には最高の誉め言葉よ。    

 では『枝織』の件、期待しているぞ。舞歌よ・・。」  

 

言い放ち去っていく北辰の背に、舞歌は二年前と同じ、  

いや、いっそう鋭さを増した鋼の視線を突き刺した・・・・。

 

 

「・・・・・・・・・外道が!」                  

 

 

 

 

 

 

 

「私の名前は枝織。父様の娘・・・」  

 

「枝織」は素直で無邪気な少女であった。  

一番好きな事は父親から誉められる事である。  

反対に一番怖いのは父親に叱られる事。  

本当に無邪気な少女であった。  

人の命を奪う事になんら罪悪感を覚えない程に。  

枝織の「女性としての教育」を任された舞歌がその事に衝撃を受けたのを見て、  

枝織はこう言ったものだ。  

 

「どうして人を殺しちゃいけないの?    

 お父さんが誉めてくれないじゃない」  

 

「枝織」は北辰の命を受けたヤマサキの催眠暗示によって、  

自我崩壊した北斗の中に新たに作り出された人格である。  

彼女に善悪の判断基準や道徳観念といったものは無い。  

北辰やヤマサキがそう「教育」したからだ。  

人を殺す事に何の罪悪感も持たない。  

故に殺気も無く人を殺める事ができる。  

殺気というのは人の命を奪う時に緊張するからこそ出るものである。  

いかに冷酷非情、あるいは残忍酷薄であろうとも、  

人を殺すというのに全く緊張しないわけが無い。  

修練によってそれを隠し、抑える事は出来ても、出なくなるわけではないのだ。  

だが、道端の石ころを蹴り飛ばすのに緊張する人間がいるだろうか?  

人の命を奪う、という事はつまり彼女にとってその程度の事であった。  

それよりも、与えられた命令を遂行して大好きな父に・・・  

北辰に誉めてもらう事の方が枝織にとってはよほど重要であった。  

北斗の鍛えぬかれた肉体と磨かれた業を持ち、命と言う物を知らぬままに  

何のためらいも無く人殺しの業を振るい、命を奪う無邪気な童女。  

それが枝織であった。              

 

 

 

 

そんなある日、唐突に「北斗」が「浮かんで」きた。  

戻ってきた、と言っても良い。          

 

 

 

組手の最中、ふと枝織の目が光を失い、動きが止まる。  

もとより命のやり取りを想定した、組手とは名ばかりの真剣勝負である。  

相手の男は当然その隙を逃さず、一歩踏み込み必殺の前蹴りを放った。  

殺った、という確信があった。この蹴りで馬を内臓破裂させたこともある。  

ピード、威力ともに男がもっとも自信を置く技であった。  

このタイミングではもはやかわす事も出来ない。  

辛うじて両腕でのガードは間に合うかもしれないが、間違いなく戦闘不能だろう。  

ふわり。  

その時、自分の目の前で重さが無いかのように宙に浮いたそれがなんであるか、  

男が理解するための時間は、もう残されていなかった。  

ぐしゃ。湿った音が何故か妙に高く、修練場に響いた。  

「枝織」が音も無く着地する。  

だがその目は一瞬前までの無邪気な少女の物ではなかった。  

その目を見た誰もが理解した。いや、理解させられた。  

ここにいるのは枝織という少女ではなく、  

齢七歳にして「真紅の羅刹」と呼ばれた少年、北斗である事を。  

一瞬遅れて男が倒れる。まるで冗談の様に顔がひしゃげ、  

眼球が飛び出し、脳漿を吹き出していた。身体は小刻みに痙攣している。  

跳んで前蹴りをかわし、繰り出された北斗の膝蹴りが男の顔面を砕いたのだ。  

無論即死である。  

後にその事を聞いた北辰は、無言のまま唇の端を薄く持ち上げた。  

報告した配下の者をしばらく凍りつかせるような、そんな笑みだったと言う。              

 

 

 

 

 

 

そしてその日から、北斗と枝織との戦いが始まった。  

普段は北斗が主導権を握っているが、僅かでも隙を見せると  

途端に枝織が出てきて北斗の意識を乗っ取ろうとする。  

そんな泥沼のような日々の中で、やがて北斗は自分が安らげる時間を見つけた。  

それは、奇妙な事に戦いの只中であった。  

戦いの中に安らぎを見つけると言うのも妙な話だが、  

生まれた時から戦いの業を叩きこまれ、  

否定しようと思っても出来ないほどに戦いは北斗の体に染みついていた。  

命をやり取りする戦いの中で得られる緊張感。  

その中で北斗は枝織との戦いから開放され、  

自分らしくあることができたのである。  

自分が自分らしくいられる時を求めて、  

言い替えれば、より強い緊張感を求めて、  

自然に北斗は強敵との戦いを求めていった・・・・・。              

 

 

 

 

 

 

二年後・・北斗十歳。      

 

「貴様への憎しみなぞ、もはや俺にはどうでもいい事だ・・・」  

 

「ふ・・・。ようやく気がついた様だな?己の本性に。」  

 

「ああ・・もう犬もお袋もどうでもいい・・・    

 貴様らへの復讐すら意味を為さない・・・    

 俺の求めているのは戦いだ・・・・  

 その中でのみ俺は真に生きる事が出来る・・・。  

 俺は・・・飢え・・・渇いているんだ・・・  

 俺の飢えは・・・戦う事でしか満たせない・・・  

 俺の渇きは・・・強い奴にしか癒せない・・・  

 俺の飢えを・・渇きを・・癒してもらうぞ。親父。」          

 

 

 

 

 

 

あれからもう何年になるのか・・・今俺は座敷牢にいる。  

時たま舞歌やレイが来るのと「奴」がしつこく顔を出す以外は  

退屈極まりない生活だが・・・それは檻の外でも同じ事だ。  

なにせ親父でももう俺の渇きを癒してはくれんし、  

木連には親父以上に強い奴はいないらしいし、な。  

それにしてもアイツの目を抉った時の気持ち良かった事!  

頭から尻までを貫く、生まれて初めてのとろけるような快感。  

今思い起こしても身震いがする程だ。  

もうあのような気分は味わえないだろうな。  

俺とたとえ数合であっても渡り合える奴などいないのだから。  

だが、今日は妙に気分が浮き立つ。何か良い事でもあると言うのか・・?  

足音がする。・・・・・レイや舞歌ではないな。  

まあ、この退屈から救ってくれるならなんでも良いさ・・・・・。                      

 

 

 

 

 

 

歓喜。今俺の心を満たす物はそれだった。      

 

 

「実に・・・良い気分だ。    

 こんな気分になれたのは、あの父親の目を抉りぬいた時以来だよ。」      

 

良い気分だ・・・そう・・・本当に・・・良い気分だ。      

 

「はははは!! いいぞテンカワ アキト!!  

 そうだ、この緊張感だ!! お前だけが俺の飢えを癒してくれる!!」      

 

この底無しの飢えを満たしてくれる奴がいるとは思わなかった。 

親父ですら食らって飢えを満たすには物足りなかったからな。  

そして今この瞬間だけは邪魔する奴も無く、俺は俺らしくいる事ができる・・・。  

・・・礼を言わなくてはならんかな?この男には。      

 

「ふっ、少し自己紹介をしようか?」      

 

くふふ・・・。まだまだこの世も捨てた物ではないな・・・。  

まだこれほどの男が・・・それも敵方にいてくれるとは。  

嬉しいぞ・・・・・・・・・・・テンカワ アキト!      

 

「俺の名は北斗・・・北辰の愚息よ。」  

 

 

 

 

To Be Continued To Main Stream