機動武闘伝
ナデシコ

 

 

 

 

 

 

ぬばたまの闇の中、アキトのまぶたが開いた。

同時に意識が明晰になり、全身の神経が瞬時に覚醒する。

そのまま、指一本動かさず呼吸のリズムも変えないままに周囲の気配を探る。

決勝大会が始まって以来アキトが下宿を続けているジャンクの一室に、窓の隙間から青い月光が差し込んでいた。

反対側の壁際にしつらえられた寝床には穏やかな寝息を立てるガイが布団にくるまっている。

壁一枚を隔てた一部屋にダッシュ、ブロス、ディアが休んでいる。

それ以外にはジャンクの甲板、船底、舷側、いずれにも気配はない。

そこまで確認してからアキトは身を起こした。

静かにマントを羽織り刀を身に着け(アキトは普段からそのままの服で寝ている)、

足音と気配を断ったまま船室を出る。

ジャンクの甲板からふわり、と猫のように音も無く桟橋に降り立つ。

そのままアキトは足早に歩き出した。

遠くネオホンコン中心街が不夜城の如く煌いているのが見える。

それと対照を為すかのように港は深い闇に包まれていた。  

 

 

ネオホンコン政庁の首相執務室にメグミとホウメイの姿があった。

机上には一枚の写真。メグミの手には薄い資料がある。

話題の主はこの写真の人物についてであった。

「・・・ふうん、この人がアキトさんの次の対戦相手として相応しいとおっしゃるんですか?」

「そのとおり。恐らくは今大会でも屈指の強者だろうさ。」

「でも・・・決勝ではまだ一度も闘っていないんですね、この人。」

メグミが一瞬写真に視線を移し、再び手元の資料をめくった。

「・・・・いずれも対戦相手が急死。三回連続で不戦勝ですか?なんとも運がいいですね。

そうですね、アキトさん相手でもその運の良さが続くかどうか・・・見せてもらいましょうか。」  

 

 

足音と気配を殺したまま10分ほども歩いたろうか。

海沿いの倉庫街の一角でアキトが唐突に足を止めた。

「・・・もういいだろう。そろそろ出てきたらどうだ?」

シャラン。

暗闇に鈴の音のような、涼やかな音が響いた。

静かに振り向いたアキトの後方10mほど。

今まで、アキトの感覚を持ってしても何者かの存在を捉える事が出来なかった、

その空間に唐突に人影が出現する。

深く被った網代笠、体にぴったりした真紅の服とその上から羽織ったボロボロの衣。

右手に人の背丈ほどもある錫杖。

体つきはやや細身で色白、笠を深く被っている為に顔は口元しか見えない。

アキトの知るそれとは違っていたが、それは僧侶の装束のようにも見えた。

だがその影に対して、アキトの第六感が最大限の警報を鳴らし続けている。

ただ立っているだけであるのに、アキトの全身の皮膚が猛烈な圧迫感を感じる。

にもかかわらず、殺気が放射されているわけではない。相手はむしろ自分の気を抑えている。

それがアキトには何故かはっきりとわかった。

(殺気を抑えてなおこのプレッシャー・・・師匠以外でこれほどの『気』を放つ奴は初めてだ!)

「貴様・・・・何が目的だ!」

影が、笠の下で薄く嘲笑ったのが見えた。

「知れた事。貴様の命貰いうける。」

初めて、殺気が渦を巻いた。

極々自然にアキトの体が構えを取る。

影が、錫杖を両手で握りなおした。  

 

 

 

「・・・・・さて皆さん。この世には恐ろしいファイターもいたものです。

何故なら、彼との対戦が決まったファイターは全て、謎の死を遂げているからなのです!

謎と陰謀の渦巻く決勝大会、全勝宣言をしたアキトは果たして

この謎のファイターのマンダラナデシコと無事戦うことが出来るのでしょうか!?

それでは!

ナデシコファイト・・・

レディィィ!ゴォォォゥ!」

 

 

 

第二十八話

「狙われたアキト!

国士無双の必殺剣」

 

 

 

真紅の影が姿を現してから数十分後。いまだ二人は対峙を続けていた。

互いに間合いを計り、摺り足で数ミリ単位の移動と牽制を繰り返す。

わずかな構え、錫杖の傾きの変化ですらも敵に対する牽制であり誘いであり、またフェイントでもある。

既に双方とも相手の只ならぬ実力に気がついている。

「貴様・・・・何者だ。」

「これから死んでゆく貴様だ・・・名乗ったところで意味はあるまい。」

次の瞬間、影の被っていた笠が空を裂いて飛んだ。

飛んでくる網代笠・・・アキトの視界に笠のみが大きく映り、真紅の影の姿が気配もろともに消える。

そのほんの刹那、アキトの心に迷いが生じた。

奴はどこに消えた?右か。左か。地べたに伏せたか。上に跳んだか。

あるいは気配を断ち飛来する笠の影に隠れてこちらを狙うか。

どちらにせようかつに動けばそれで終わる。

回転しながら飛来する笠を見詰めるアキト。

今のアキトには猛スピードで飛んでくる筈のそれがひどくゆっくりと見えていた。

このままでは手詰まり。後ろか横へ避ければ相手の思う壺。ならば。

(前へ、進むのみ!)

ぐん、と景色が流れる。

アキトの神速の踏み込みが風を裂く。

右手を脇に引きつけたまま、突き出された左の手刀が笠を真っ二つに切り裂いた。

瞬間、その斬り裂かれた笠の間から顔面を狙って凄まじい勢いで突き出された錫杖を

辛うじて突き出したままの左の手刀で横に払う。

(!?軽い!)

アキトの全身を違和感が、あるいは驚愕が貫く。

錫杖を繰り出していたのは真紅の影ではなかった。

それは切り裂かれて落下していく網代笠と同じく、空を裂いて飛来してきたのだ。

自分でも意識しないままにアキトの体が沈みこむ。

踏み込みのスピードをそのまま回転エネルギーに変え、それを右拳一点に集中させ

伸びあがるような・・・否、まさに天に昇る龍の如き渾身の一撃を放つ。

獲物に飛びかかる虎の如くしなやかに、しかし獰猛に跳躍していた真紅の影もまた必殺の一撃を繰り出す。

闇夜に龍の牙と虎の爪が交錯し、火花を散らした。

飛んだアキトが空中で回転し、向き直って着地する。

真紅の影もまた地面に手を突き、くるり、と回転して間合いを取る。

初めてアキトは相手の顔を見た。想像していたよりもずっと若い男だ。自分とほぼ同じ位か。

闇に映える色白の肌ときわめて整った顔立ち。

腰の辺りまである豊かな真紅の髪を首の後ろで無造作に束ねている。

はねた前髪が一筋、額にかかっていた。

とび色の双眸はまっすぐにアキトの目を見詰めている。

その瞳の中に見えるのは純粋な・・・余りに純粋過ぎる闘志。

滾り、今にも溢れ出しそうな・・・・そしてそれ以外の雑念や殺意、邪念、狂気と言った物が

その目のうちには微塵も感じられなかった事にアキトは少し驚いた。

暗殺などする人間の目では決してない。

不意に、放たれつづけていたプレッシャーが強まる。

男の唇の端が笑みの形に持ちあがった。

先ほど浮かべた薄笑いとはまるで別物の、凄絶とすら言えそうな笑み。

巨大な闘志と、それに等しい歓喜の「気」がアキトの全身を打つ。

「さっき、俺が何者かと問うたな・・・・教えてやろう。

俺の名は北斗。人は、真紅の羅刹と俺を呼ぶ。

俺の本気の一撃を受けて生き延びたのは貴様が初めてだ。嬉しいぞ・・・・・・・・。」

ぽたり。

水だれの音がやけに大きく響いた。

いや、水滴ではない。細く赤い筋が北斗の腕を伝わり、指先から路面に滴り落ちている。

アキトのマントの肩の部分も大きく裂け、じわり、と血が滲んでいた。

北斗がゆっくりと右手を持ち上げ、血のしたたる中指を舐めた。

「そして俺から血を流させた奴も・・・だ。」

真っ赤な舌が北斗の唇を湿す。

足元に転がっていた錫杖の端を踏み、跳ね上がった錫杖を左手に持ちかえる。

「まだ時間はある・・・・貴様ほどの男、簡単にケリをつけるのは勿体無い・・・ふふ。」

言いざま、北斗が大きく後ろに飛んだ。

「この勝負預けておく!肩の怪我を治しておけよ・・・・・ははははは!」

北斗の姿が消失したかのように闇に溶け込む。

あの圧倒的なプレッシャーが完全に消える。

それと同時にアキトの全身から大量の汗が噴き出した。

肩の傷は大した物ではない。それは恐らく向こうも同じ筈だ。

北斗の言うとおり、必ず近いうちに再び相見える事になるだろう。

勝てる自信は無い。だが不思議と恐怖は微塵も無かった。

むしろ、強敵と戦う喜びが心を満たしている。

(俺も奴と同じ・・・と言う事か)

知らず、アキトの唇に笑みが浮かんでいる。

それは先ほどの北斗の笑みにとてもよく似ていた。  

 

 

 

「さて皆様!ここ海上スタジアムの本日のメインエベント、バイキングナデシコ対ナデシコシュピーゲル、

勝負はいよいよ佳境に入ってまいりました!」

NHK(ネオホンコン国営放送)の名物アナウンサー、各務千沙の声が海上に響く。

小柄ながら闘志溢れる勇猛果敢なファイトで知られる女性ファイター、

玉百華が操るネオノルウェー代表バイキングナデシコがバイキングシップ型サポートメカと合体し、

会場に設置された円形のリングの周囲の海面を滑る様に移動して

先端部が白熱化したヒートオールを次々と投擲している。

が、それらはリングの床に空しく突き刺さり、ナデシコシュピーゲルの影すら捉えられないでいた。

一方軽やかな動きで相手の攻撃を全てかわしてはいるものの、

白兵戦に特化しているナデシコシュピーゲルもロングレンジからの投擲攻撃にいまだ反撃できずにいる。

そこかしこに無数のヒートオールが突き刺さり、リングが半ば針山と化した。

余りのしつこさに苛立ちを覚えたかのようにナデシコシュピーゲルが回避行動を止め、

飛来するヒートオールを両腕のブレードで切り払い始める。

「チャぁンスッ!」

いきなり百華が船の進路を変えた。

ナデシコシュピーゲルに向かって一直線に船を突撃させる。

リングに乗り上げ、床面を削りながらナデシコの倍近い質量の塊が突進する。

さながら瞬間移動したかのように、一瞬で真横に移動してそれを躱すナデシコシュピーゲル。

だが、バイキングシップの上には既にバイキングナデシコはいなかった。

「もらったぁっ!」

突進と同時に船体から分離、跳躍していたバイキングナデシコが、

全身のバネと渾身の力を込めて両手に構えた銛を同時に投げる。

特殊合金製の銛が先ほどのオールに数倍する速度でナデシコシュピーゲルに迫る。

「なんの!」

すっ、と身を沈めたナデシコシュピーゲルが左手でリングを叩いた。

リングの床が直立し、一瞬にして高さ30mの壁となって銛を阻む。

だが、二本の銛の威力は壁とナデシコシュピーゲルを貫き、

床にまで深深と突き刺さってその機体をリングに縫いとめた。

「やったぁっ!」

満面の笑顔で小躍りした百華が空中で小さくガッツポーズを取る。

だが次の瞬間、その笑顔が引きつった。

銛が貫通した穴からひびが広がり、ナデシコシュピーゲルが作った壁が崩れ落ちる。

その向こうから現れたのは二本の銛でリングに縫いとめられた百華のバイキングシップだった。

「ゲルマン忍法、変わり身の術。」

背後からの声に百華が驚愕の表情で振り返った瞬間、

ナデシコシュピーゲルの両腕に装備された白兵戦用ブレードが一閃し、

バイキングナデシコの両腕が肩から切断されて宙に舞う。

次の一瞬にはバイキングナデシコの首もまた宙に舞っていた。

頭部と両腕を失ったバイキングナデシコが海中に落下し、巨大な水柱と共に爆発する。

ファイターの保護に向かう救助隊の前で海が割れ、一体いつの間に海に飛び込んだのか、

ナデシコシュピーゲルがその姿を現す。

その開いた手の平には目を回した百華がしっかり横たえられていた。  

 

 

「何だかよくわからないうちに終わっちゃった。」

「まるで手品みたい・・・・」

ディアとブロスが狐につままれたような顔で感想を述べる。

「・・ったく、嫌んなるくれぇの余裕だな。」

ガイが顔をしかめる。

アキト達はダッシュが操る小型のジャンクで敵情視察に来ていた。

もっとも、成果があったとはとても言えないが。

「ねえねえ、アキト兄のナデシコとあのナデシコ、どっちが強いの?」

「アキト兄のナデシコに決まってるよ!そうだよね、アキト兄?」

ディアにアキトが答えるより早く、ブロスが断言する。

問われたアキトはすぐには答えず、腕組みして難しい顔をして見せる。

「ふふ・・・う〜〜〜〜ん・・・・そうだなぁ。・・・多分!」

言葉を切り、ちろっ、と横目でブロスを見るアキト。

すぐさま、不満そうに頬を膨らませてブロスが反論(?)する。

「多分じゃ駄目ぇ!ぜったい!」

「そうか、絶対か!」

「ぜったいだよ!」

「そうよ、ぜったいよ!」

ブロスばかりかディアまでも絶対、絶対、と騒ぎ始める。

笑いながら二人の相手をするアキトを見て、ガイの頬にも笑みが浮かぶ。

思えば一年前、再会した時のアキトはいつも厳しい顔をしていたような気がする。

親友が笑みを取り戻してくれた、それだけの事がガイには堪らなく嬉しかった。

「おう、熱血馬鹿!何をニヤニヤ笑ってるんだよ!?」

ガイが振り向くと、隣を走る船からリョーコが飛び移ってくるところだった。

「なんだ、リョーコか。」

「ちょっとちょっと、リョーコちゃん。勝手な行動は慎んで欲しいんだけど。」

「っせぇな。いちいち指図するんじゃねえよナンパ男。」

「・・・ナンパ男は酷いなぁ。」

ぼやきつつサブロウタもアキト達のジャンクに上がってくる。

それには目もくれずにリョーコが再びガイに話しかけた。

「テンカワはいるか?」

ガイが親指でジャンクの反対側を指す。

丁度幌の中から左肩にディアを乗せたアキトが出てくる所だった。

その右側にブロスがマントの裾を握る様にくっついている。

「やあ、リョーコちゃん。敵情視察かい?ついでにサブロウタも。」

「・・・俺はついでかい?」

「なんでぇ、テンカワ。いつの間にか保育園でも始めたのか?」

ディアとブロスを抱えたアキトの姿にリョーコが目を丸くする。

珍しく、ダッシュが大声で笑った。  

 

 

用を済ませてくるというダッシュと別れ、アキト達は海上スタジアムにほど近い香港一の目抜き通り、

ネイザン・ロードをぶらついていた。

「そう言えばおめぇ、死神に狙われてるんだってな。」

「死神?」

「知らないのか?テンカワの次の対戦相手だよ。」

リョーコが呆れた様に、尻ポケットに突っ込んでいた新聞をアキトに放る。

 

  「ネオネパールまたも不戦勝」

「謎に包まれた『真紅の羅刹』の実力はいかに!?」  

 

そんな見出しの記事の横にファイターの顔写真と簡単なプロフィールが載っていた。

(!)

写真を見たアキトの内心の動揺には気がつかず、リョーコが話を続ける。

「そいつは決勝リーグでまだ一回も戦っていない。全て不戦勝で勝ち進んでいる。

何でだかわかるか?・・・そいつと対戦が決まった奴は全て試合前に死んでるのさ。

テンカワもせいぜい気をつけろよ。おめぇとの決着はまだついてねぇんだからな。」

「御忠告どうも、リョーコちゃん。・・・・すこし遅かったみたいだけどね。」

聞き返そうとしたリョーコの顔がわずかに引きつる。

アキトの後ろ、わずか数歩の位置に紅の影があった。今日は笠を被っていない。

(・・・いつの間に!)

心の中で呻く。いつそこに立ったのか。

その影はリョーコをして気配を悟らせもしなかった。

同じくサブロウタの顔も心なしか青い。

(俺なら・・・殺られていた・・・!)

 

 

蒼ざめる二人をよそに、北斗に背中を向けたまま心なしか呆れた様にアキトが呟く。

「・・・・昨日の今日だぞ。」

「フッ。待ちきれなくてな・・・・・・・・!」

瞬間。アキトが前方に転がり、翻ったマントの裾を北斗の錫杖が薙いだ。

余りに鋭い一撃にマントの裾が切り裂かれて宙に舞う。

「こんな街中で!」

「場所は、選ばん!」

北斗が答えたと同時にアキトが飛んでいる。

一瞬の後、その姿は大通りを走る二階建てバスの上にあった。

 

バスの屋根の上に着地したアキトが振り向き、今までいた所に視線を向ける。

ガイがブロスとディアを庇い、リョーコとサブロウタが周囲を警戒しているのが見えた。

「逃げたつもりか?」

「!?」

北斗の声は真横から聞こえた。

アキトは走行中の二階建てバスの上に立っているというのに、だ。

平地をゆくが如く、通りに大きく張り出した看板の列の上を北斗が走っていた。

そのままふわり、と二階建てバスの赤い屋根に降り立つ。

「逃しはせん。」

無言のままアキトが構えた。

ここならば、少なくとも巻き添えはそれほど気にしないですむ。  

 

「畜生!真昼間からやってくれるじゃねえか!おいナンパ男!アサルトランダーを出せ!」

「しょうがないな。けど、俺も同行させてもらうよ。・・・それとナンパ男は勘弁してくれない?」

きっかり一分でボルトナデシコのアサルトランダーがその場に現れた。

リョーコが操縦席に、サブロウタがその脇に素早く滑りこむ。

「俺も!」

「ここは俺にまかせろ!おめぇはその子達を!」

飛び出そうとするガイを制し、リョーコがアクセルを目一杯に踏みこむ。

アサルトランダーは自分の猛烈なパワーを持て余すかのように一瞬ためらった後、

鎖を解かれた猟犬のようにネイザン・ロードに飛び出した。  

 

走行するバスの上で二人は対峙していた。

互いに半身。北斗は錫杖を地面と水平に構え、アキトの方に突き出している。

バスが角を曲がる。

その一瞬、看板に反射した日光がアキトの目を刺した。

((!))

今まで微塵も動かなかった北斗が、放たれた矢のように飛ぶ。

最初の突きを辛うじて躱したアキトが、横殴りに変化した二撃目に跳ね飛ばされる。

宙を舞うアキトの目がとどめを刺すべく繰り出されんとする錫杖を捉える。

(くっ!素手では届かん!)

瞬間アキトの手から一筋の赤い鞭が伸び、錫杖の間合いの外から北斗を襲った。

完全に意表をつかれながらも北斗が紙一重で躱し、間合いを取る。

アキトもバスの屋根に手をついて着地し、一回転して体勢を整える。

その手元に引き戻されたのはアキトがいつも身につけている赤い長鉢巻だった。

一筋の布をもって突き刺し、切り裂き、絡めとる、流派東方不敗独特の技「マスタークロス」が

アキトを救ったのである。そのことにやや複雑な思いを抱くアキト。

それは、今や敵となった師マスターホウメイがもっとも得意とする技の一つでもあった。

 

「ちっ・・・そんな手があったとはな。」

舌打ちしながらも笑みを浮かべる北斗の胸がわずかに裂けている。

破れたさらしの間に確かなふくらみが覗いているのをアキトは一瞬に見て取った。

「な、お・・お前・・女!?」

「だったら・・・・・どうした!」

一瞬にして北斗の表情が変わる。空気が震えた。

怒気混じりのその言葉と共に、北斗から放たれる殺気が一段と強いものになる。

次の瞬間、息をもつかせぬ連続攻撃がアキトを襲った。

突いた杖が横薙ぎの一撃に変化し、続いて下からの先端の一撃を躱した直後、

鋭く半回転したもう一方の先端が再度下から襲い来る。

間合いギリギリで見切った筈の杖が大きく伸び、かわしそこねたアキトの頬が薄く切れた。

左手で中央を、右手で手元の端を持って突いた直後左手を離し、右手で片手突きを放つ。

伸び切ったはずの攻撃が更に勢いを増して繰り出されるのを辛うじてアキトが躱す。

こういった杖術ならではの変幻自在の攻撃を見切るのは、アキトの目をもってしても困難だった。    

 

 そもそも杖や棒というのは刃や切っ先、鎚頭や棘と言った威力を高める工夫を全く施していない

 単純で威力の弱い武器に思えるがそうではない。

 単純で均質な形状を持つからこそ全ての部位を打撃部位として使うことができ、

 また手を滑らせて持つ位置を変え、握り方を変える事により間合いと攻撃の届く範囲、

 そして突く薙ぐ払うといった攻撃方法を自在に、瞬時に変化させる事ができる。

 間合いも時には短く、時には長くと自在に変化させる事ができる。

 こと達人の手にあれば、単純故にこそ奥が深く、恐ろしい武器であった。

 

そして六尺(約180cm)の錫杖の間合いを   十分に生かした攻撃は

素手のアキトがその間合いに入る事を許さず、反撃の隙を与えない。

(だが、いかな達人とは言え六尺もの長さでは素手の間合いでは使えない!)

懐に潜り込むチャンスを窺い、回避に専念するアキト。

何合目か、錫杖を回転させる北斗の動きにほんのわずかな遅れが見えた。

その極々わずかな隙を見逃さず、全力でアキトが踏みこむ。

後半歩で素手の間合いに踏み込むという瞬間。

にいっ、と北斗が笑った。

アキトの背筋に最大級の悪寒が走る。

咄嗟に真後ろに飛ぶアキト。だが一瞬遅かった。

くん、と北斗が杖の鯉口を切る。

鋼の光がアキトの目を刺した。

(仕込み刀!)

北斗の居合が一閃する。

致命傷でこそなかったが、北斗の剣はアキトの左脇腹から右肩にかけてを斬っていた。

傷口から鮮血を噴き出し、アキトが空中で姿勢を崩す。

そのままアキトはバスの後方、何もない空間を落ちていった。  

 

 

アキトが斬られたその刹那、リョーコの操るアサルトランダーは二階建てバスの後方30mの位置にいた。

瞬間、迷わずアクセルを一杯に踏みこむ。

時間の流れがゆっくりになったかのように、

リョーコは前方を落ちて行くアキトをスローモーションで見る事が出来た。

必死でそれを追う今のリョーコには最高速で走るアサルトランダーですら、もどかしいほどに遅く感じられる。

追突寸前で風防を開く。

 

ゆっくりと開く風防の端が、これもゆっくりと落ちてくるアキトのマントの端を引っ掛け、僅かにはだけさせる。

リョーコが片手を伸ばし、アキトの体をつかみ、引き寄せる。

次の瞬間、時間が元通りに流れ始めた。

間一髪、リョーコがアキトを膝の上にキャッチする。

開いた風防の空気抵抗によってアサルトランダーの機首が浮き、わずかにスピードが落ちた。

それによって出来た一瞬を逃さず、リョーコがフルパワーの逆噴射を掛ける。

幸運は二つあった。

一つはボルトナデシコのアサルトランダーはナデシコのバックパックを兼ねていた為、

その機体の大きさにそぐわない巨大な推力を有していた事。

そしてもう一つはこのアサルトランダーには補助席がなかったことだ。

操縦席のリョーコと、彼女に抱かれていたアキトは辛うじて逆噴射のGに耐えた。

だが、その脇で立ち上がっていたサブロウタにこの無茶苦茶なGに耐える術はなかった。

慣性の法則に従い、その体が前方に投げ出される。

そしてこれが結果的にアキトの命を救う事になった。  

 

アキトに止めを刺すべく跳躍していた北斗はまたしても意表を突かれた。

ただ、今回北斗の意表を突いたのは単なる偶然の所産にすぎなかったが。

テンカワアキトを拾ったエアカーが凄まじいばかりの噴射炎を上げて急制動、

いやそれどころか一瞬で運動のベクトルを180度変えて北斗から遠ざかろうとする。

(遅い!)

だが、北斗の跳躍力をもってすればまだ、エアカーに取りつく事は十分可能な筈であった。

邪魔さえ入らなければ。

急制動を掛けたエアカーから一直線に、空中の北斗目掛けて金髪の男が飛んでくる。

その顔は驚愕に歪んでいる。

だが今回ばかりは北斗も同じだった。

完全に意表を突かれた上に、さすがの北斗も空は飛べない。

とっさの三段蹴りで男を無力化し叩き落したものの、姿勢を崩して着地する他なかった。

一拍遅れて北斗が体勢を立て直したとき、

アキトたちの乗ったアサルトランダーは既にネオホンコンの街に紛れていた。

「チッ!命冥加な奴・・・・。」

それを確認した後舌打ち一つを残して、北斗はその場から忽然と姿を消した。

だが、この時北斗を見ていた者があれば違和感を抱かずにはおれなかっただろう。

北斗自身、口からは失敗を悔しがる言葉を吐きだしながらも

自然と浮かぶ歓喜の、そして満面の笑みを抑えられない自分を自覚していた。  

 

 

そこは闇に包まれた広い部屋であった。

何らかの宗教的儀式に使うためのものなのだろうか、

壁や天井、柱に至るまでチベット密教の神仏の絵と細かな文様が描かれている。

左右壁際の階段状の壇には何百本と言う蝋燭が灯され、それがこの場所を照らすほぼ唯一の光源となっていた。

部屋の奥まった所に一段高くなった部分があり、

頭巾を被り複雑な刺繍の法衣を身につけた僧体の男が座禅を組んでいる。

その脇にはやや簡素な服装をした同じく僧体の男が直立不動の姿勢で控えていた。

そして、二人の前の床に、脇に錫杖を置き、北斗があぐらを掻いていた。

一応はかしこまったと見えなくも無い姿勢を取っている。

アキトの暗殺に二回にわたって失敗した北斗はこのネオネパールのもっとも奥まった、

聞かれては困る事を話し合う為の部屋に召喚されたのだった。

脇の方の男・・・ナオネパールナデシコファイト監督・・・が大声で北斗を叱責し始める。

「失敗しただと!?何をやっているのだ貴様は!ネオジャパンとの対戦は二日後なのだぞ!?」

「殺しの世界は生きるか死ぬか・・・二つに一つ。そのどちらかはこの腕と運次第。

ならこう言う事もある。」

悠然とした態度を崩さぬ北斗に対し、更に高官は激昂する。

「何を生ぬるい事を!人を殺すしか能のない貴様を何故飼ってやっていると思う!

何故わが国の代表としてナデシコファイトにまで出してやったと思っておるのだ!

貴様のその暗殺者としての腕を見込んでのことだ!そこを履き違えるなよ!」

「そして貴様らがナデシコファイト優勝をバネとして出世するため・・・だろう?

俺を使ったのも、どうせ本国の指令ではなく貴様らの独断だろうが。」

「だ・・黙れ黙れ黙れ!貴様がそんな事を考える必要はない!

お前はこれまで通り対戦相手を殺して勝ち点を稼げばいいのだ!」

すっ、と北斗の目が細くなった。

「貴様らの思惑などどうでも言いが・・一つ言って置くぞ。あいつは、今までのクズみたいな奴らとは違う。

本物のファイター・・・生まれて初めて出会ったこの俺と互角に戦える男だ。

あいつはこの俺が必ず倒す。

だが、口出しは無用だ。

そして・・・もし俺と奴との戦いにちょっかいを出す様なら、先に貴様達に消えてもらう事になる。」

「き、貴様!」

泡を吹きそうな形相で、何事かを言いかけた高官が突然硬直した。

目の前の男、北斗から放たれる圧倒的なプレッシャー・・・俗に殺気と呼ばれるもの・・・が

頭のてっぺんからつま先までを貫く。

全身の神経が強烈な殺意に悲鳴を上げ、自らの役割を半ば放棄する。

先程アキトと戦った時に北斗が放ったものに比べればまだ軽いものだが、

この高官にとっては生まれてこの方想像した事もないようなレベルのものだった。

体が動かせない。

口の中がカラカラになる。

呼吸すら出来なかった。

体を縛りつけていた圧力がふっと緩んだ。

監督がぺたん、と床に座りこむ。

壇上の男・・・在ネオホンコン領事も小刻みに震えていた。

「心配せずともテンカワアキトは必ず仕留めてやる。だが・・・口出しも手出しも無用だ。」

北斗が脇においてあった錫杖を持ち上げる。チン、と鍔が鳴った。

何がどうなったのか、左右の壇にともされていた蝋燭数百本が大きく揺らぎ、

次の瞬間、一斉に火の粉を散らしてふっ、と消える。

「重ねて言って置くぞ・・・・口出しも手出しも無用だ・・・・それをするようなら・・・・

テンカワアキトの前に貴様らの首が宙に舞うことになる・・・・」

徐々にその姿が薄れ、闇の中に染み入って行く。

同時に気配も薄れて行き、ある一瞬を境にふっと消えた。  

 

 

染み出す影の如く静かに、そしてひそやかに北斗が廊下に現れる。

まるで彼の現れるタイミングをあらかじめ知っていたかのように、一人の少女がそこにいた。

年齢的には既に女性と言ってもいいだろうが、纏う雰囲気がどこか幼い。

彼女の名前は紫苑零夜。北斗の幼馴染で今は彼の世話係のようになっている。

「ホクちゃん大丈夫だった?叱られなかった?あの人たちに何か・・・」

まるで過保護な母親か無鉄砲な弟を心配する姉のような口ぶりで矢継ぎ早に質問を浴びせる零夜を、

そっけない口調で北斗が遮る。

「どうと言う事はない。奴ら如きに口出しなぞさせるものか。・・・・それはともかく、だ。

その呼び方はよせ、といつも言っているだろう。北斗と呼べ、北斗と。」

「でもずっとそう呼んでたし・・・あ、そうだ。御飯食べる?もうそろそろお腹空いたでしょ?」

「ちょっと早いが・・・そうだな、メシにするか。」

「何が食べたい?」

「任せる。」

「もう、ホクちゃんたらいつもそうなんだから。作る方としては張り合いに欠けるのよね。」

「・・・・・・だから、それはやめろと言っただろうが。」

半ば諦めたように北斗がぼやく。もし彼が勝てない存在があるとしたら、あるいはこの零夜であろうか。

彼にとって唯一気を許せる相手である彼女は、また北斗が自らを保つ為に必要不可欠な存在でもあった。

零夜は北斗の世話係をもって自ら任じているような所がある。

いかなる時も北斗の傍らを離れる事がない彼女がいなければ、

純粋な闘志とそれが満たされない苦しみの間で揺れ続ける彼の心はとうの昔に壊れてしまっていたかもしれない。

ある意味で、彼らは互いに依存し合っているのであった。

しばらく歩いてから再び零夜が口を開いた。

「ねえ・・・」

「何だ?」

「テンカワアキトって人・・・・強いの?」

「ああ。」

短くそう答えた北斗の、晴れ晴れとした表情が零夜が少なからず驚かせる。

いつも付きっきりの零夜でさえ、ここまで屈託ない笑みを浮かべる北斗を見たのは数年ぶりの事である。

その笑みを嬉しく思う反面、それを引きだしたのが自分でない事に一抹の淋しさを覚える零夜であった。

「とっても嬉しそうだね・・・・。」

「ああ。嬉しいな。なんと言ったらいいか・・・。そうだなあいつは・・・。

俺にとって初めての・・・俺を、俺の飢えを満たしてくれる男だ。

あいつだけなんだよ。俺に血を流させた奴、俺と戦って死ななかった奴、

そして・・・本当の意味で俺と戦える奴は!」

やや興奮気味に北斗が目を輝かせる。

それは、獲物を見つけた餓狼、というより友達との約束を楽しみにしている子供のような目であった。  

 

 

ダッシュのジャンクではアキトがガイの手当てを受けていた。

内臓まで届くような深手でなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

北斗の剣が閃いたあの時、回避行動が一瞬でも遅れていたならアキトは今頃ここにはいまい。

「ところでサブロウタは?」

「今は集中治療室だ。まあ、馬鹿は頑丈と相場は決まってるからな、死にゃあしないだろうよ。」

「・・・そうだな。」

一瞬遅れて奇妙に納得したアキトが大きく頷いた。

「なんで二人ともそこで揃って俺を見る!?」

この世の不条理に抗議する哲学者みたいな顔をしてガイが喚く。

もちろん、生ける不条理の言う事にまともに取り合うような人間はここにはいなかった。  

 

 

「そう言えばリョーコちゃんは、あいつ・・北斗について何か知ってるのかい?」

「いや、大して知ってるわけじゃねえ。新聞に載っている情報程度さ。

通称「真紅の羅刹」。過去の経歴はほとんど不明、予選でのファイト記録も詳細はほとんど不明。

そして、決勝リーグでは対戦相手の突然の不審な死によりこれまで不戦勝ばかり三勝を挙げている・・。

サブロウタが色々と調べさせていたみてぇだけど、わかった事と言えば

ネオネパール内部でも一種の厄介者みたいな扱いを受けている、って位らしいな。

あれだけの腕があってなんで・・・・」

「強すぎたのさ。」

「え?」

「あいつは本質的に暗殺者じゃない。戦士だ。それも戦いしか知らず、戦いでしか己を表現できないような・・・。

もちろんナデシコファイターだったらそう言う部分は大なリ小なリある。

だが、あいつは余りにも純粋すぎる。戦士としても・・・・そして一人の人間としても。

そして、強すぎたが故にあいつは純粋な戦士にとって最も重要な、

己を満たしてくれる存在を得る事が出来なかった・・・。」

「・・・・・・対等の敵・・・・言いかえれば闘志を満足させてくれるライバルを、か?」

「ああ。暗殺者として育てられたのかどうかはわからないが、恐らくそれに近い人生を送ってきたんだろう。

だが満たされる事がなくてもあいつにはそれしかなかった・・・・辛かっただろうな。」

「テンカワ・・・・・・・・。」  

 

 

太鼓の音が夕焼けの港に響く。

舳先に龍の頭を象った幅1m、長さ10m余りの竜舟(ドラゴンボート)と呼ばれるボートが二隻、並走している。

おそらくネオホンコン名物竜舟レースの練習か、どちらかの舟の進水式を行なっているのであろう。

船首に陣取った太鼓に合わせて、手かいを持った十数人の漕ぎ手達が力一杯水を掻く。

そして陸でも来る決戦に備える者達の姿があった。  

 

「そんじゃ、もいっちょ行くわよ、あ〜ちゃん!」

港の外れの一角、筏に組まれた材木が海面に並ぶ貯木場。

その筏の一つで舞歌とアキトが対峙していた。

アキトは無手、舞歌は北斗が使っていたのとほぼ同じ長さの六尺棒を構えて連続攻撃を繰り出している。

(やはり・・・鋭い突き、変幻自在の軌道、かわすので精一杯。これを破るには・・・これしか!)

懐へ潜り込もうとしたその瞬間、アキトの目に舞歌と北斗が重なって見えた。

幻影の北斗が「あの時」と同じく仕込み刀を抜き、一閃する。

銀色の光がアキトの体に吸い込まれたところで幻が消えた。

「そぉ〜れっと!」

無意識の内に繰り出していたアキトの拳を、舞歌が直立させた棒の上に片手一本で逆立ちして避けた。

棒を直立させたままくるり、と縦に回転して舞歌が棒の上に座りこむような姿勢になる。

「ほら、やっぱり無理でしょ?」

からかうような、呆れたような口調の舞歌にリョーコも頷く。

「だよなぁ・・・。棒術と素手じゃリーチが違いすぎる。そして懐の深さも段違いだ。」

「かといって潜り込めば仕込み刀が待っている・・・!」

歯軋りしそうな顔でしばし自分の拳を見つめていたアキトを舞歌が突ついた。

「あ〜ちゃん・・・あれ・・。」

「何ですか・・・・。北斗!?」

夕日を背に、真紅の影が立っていた。

「嘘だろ!?海の上だぜ、おい!」

信じがたい光景に思わず立ちあがったガイが叫ぶ。

「・・・いや、奴の足元をよく見てみろ。つま先で立っている先に木ぎれが見えるだろう。

全神経を集中させて水面に浮かぶ一片の木っ端を足場とする・・・なまなかな達人にも為し得ない技だ。

それに、あんな足場の悪い不安定な場所じゃ迂闊に仕掛ける訳にはいかない・・。」

「ふふふ・・・わかっているじゃないか、テンカワアキト!さすがは俺が認めた男よ。

そして覚えておくがいい。貴様は俺が殺す!他の誰にも渡しはしない・・・。」

北斗が、あの闘志と歓喜の念の入り混じった凄絶な笑みを浮かべる。

「・・・・・舐めやがって!」

アキト本人が反応するより早く、リョーコが激昂する。

座っていた丸太に右手の指を食いこませ、槍投げの要領で投げた。

一抱えほどもある丸太が大リーグのピッチャーの豪速球に迫る速度で北斗に迫る。

それが直撃する寸前、ふわり、と北斗が跳んだ。

丸太を足場にしてもう一度、更に高く跳ぶ。

そのまま空中で一回転し、つま先で走り続ける竜舟の舳先、竜の頭の上に北斗が降り立った。

「楽しみにしているぞ、テンカワアキト!貴様との決着をな!」

驚く漕ぎ手達をよそに再び北斗が笑う。

そのまま竜舟は夕焼けの中に消えていった。  

 

 

満天の星空に一つ、星が流れた。

都会である割にはネオホンコンの夜空は澄んでいる。

アキトは一人、貯木場に残っていた。

背中の剣を抜き、じっと刀身を見つめること数時間。

いかにあの居合を避けるか。アキトの頭にはそれしかなかった。

北斗が、あの杖術が相手では剣を抜いても間合いで勝てないのは同じだ。

ビームナイフや小太刀ならまだしもゴッドの大刀では懐に潜り込めず、

一方北斗は剣の間合いの外からアキトを攻撃する事ができる。

(どうすればいい・・・このままでは・・・・・俺は・・・)

刃に映る己の顔が、今のアキトにはひどく頼りないものに思われた。

「ふ、あなたの頭では悩むだけ時間の無駄と言うもの!」

闇に高笑いが響く。

黒々とした夜の海面が盛り上がり、巨大な人型兵器・・・ナデシコの姿を取る。

漆黒の装甲と鋼の刃を身につけたそのナデシコの肩の上。

剣のような三日月を背に、白衣をまとった影があった。

「・・・シュバルツ!」

謎の覆面ファイター、シュバルツ=シヴェスターが腕を組み、厳しい目でアキトを見ていた。

「アキト君。今のあなたは一度食らった北斗の技を闇雲に恐れているだけではなくって!?」

「そんな事はないっ!」

「ならば・・・あの明鏡止水の心境はどこへ言ったの!」

シュバルツがその言葉と共に鋭く指を突きつける。

「く!」

苛烈な眼光で射抜かれたアキトが一瞬ひるんだ。

「アキト君!思い出させてあげるわ!」

「何ッ!?」

いつの間に手にしたのか。

浮いていた材木の一本をナデシコシュピーゲルが投げた。

その軌道はアキトを一直線に狙っている。

迫り来る丸太を認識した瞬間、アキトの心から一切の雑念が消滅した。

無意識の内に、手に持っていた刀を振り上げる。

そのまま自分に向かって一直線に飛び来る丸太に剣を振り下ろしていた。

「あの時」と同じく刀から「力」の輝きが溢れる。

振り下ろされた刀身に宿る輝きが丸太の芯にそって端から端までを通りぬけた。

中心線にそって綺麗に丸太が割れる。

左右に切り裂かれた丸太がアキトの両脇をかすめて海面に突き刺さり、水しぶきを立てた。

「こ・・・これは・・・・!」

輝く刀身を見つめるアキトの姿にシュバルツが大きく頷く。

「忘れない事。『明鏡止水』よ!・・・・・・さらば!」

その姿が瞬時にナデシコの肩から消える。

主が去ったナデシコシュピーゲルもまた、再び海中へと姿を消した。

シュバルツが去った後も、しばらくの間アキトは己の剣から視線を逸らす事ができなかった。  

 

 

空を一面の黒雲が覆っていた。

時折走る稲光がさながらこれから始まる激戦を暗示しているかのようでもある。

廃墟と化したクイーンズ・イースト・ロードのど真ん中、廃墟となったビル群の中にぽっかりと空いた瓦礫のリング。

二人の勝負の決着を着けるにはある意味相応しい戦場であった。  

 

「本日のナデシコファイト第三試合はゴッドナデシコV.S.マンダラナデシコ!

ここクイーンズロードイーストリングより生中継でお送りいたします!」

千沙の実況中継を聞きながら(リングアナを兼任しているのだ)

ネオネパール陣営の高官が口々に北斗を罵倒する。

「ええい、大口を叩きおって!結局テンカワアキトをリングに上げてしまうとは・・・!」

「真紅の羅刹も地に落ちたな。」

対照的にネオジャパンサイドは静まり返っていた。

ハーリー、ウリバタケは無言。

エリナ委員長が額の汗をぬぐった。

ガイが頷く。

それに頷きを返し、ゴッドナデシコがリング中央に足を踏み出した。  

 

 

アキトが近づいてくるのを見ながら、北斗は体の奥底から湧き上がる高揚に笑みを押さえ切れないでいた。

歓喜、期待感、闘志、戦いの前の心地良い緊張、そう言ったものが渾然一体となって北斗の心を満たす。

己の心がこれほど満ち足りてあるのはいつ以来だろう。

「まったく・・・貴様には感謝しなくてはな・・・。」

戦いのゴングが鳴るのを切望しながら、一方ではこの高揚感がいつまでも続けばいい、

そんな事を考えている自分に小さく苦笑を洩らす。

北斗のその後ろ姿を零夜が祈るようなまなざしで見つめていた。  

 

 

広いリングの中央を挟み、二体のナデシコが対峙する。

一方はバランスの取れた体格を持ち、白地にトリコロールのカラーリングでまとめられたゴッドナデシコ。

そして、もう一方のマンダラナデシコは見るからに異様な機体だった。

まず、大きい。

ネオインドのマタンゴナデシコほどではないがそれでも通常のナデシコより二回り以上大きかった。

そして何より特異なのはその形状である。

一言で言えば真紅の頭と腕の生えた巨大な青銅の釣鐘。

ナデシコファイトは国家と国家の対決であり、ナデシコ自体がシンボル的な存在でもあるため、

「お国柄」を取り入れたデザインにされる事も多いが

いわゆるチベット密教を奉じる一種の祭政一致国家であるネオネパールにしてもこれは異様であった。  

 

 

だが、これが実は戦闘力をこそ考えた上での実用的なデザインであると知れば大抵の人は驚くであろう。

釣鐘の底面に配置された巨大な四連スラスターは殆ど規格外の推進力と脅威的な加速を叩きだし、

特に加速性能は達人の踏みこみに何ら劣らない。

釣鐘表面の無数の突起はよりも姿勢制御よりむしろ機動性上昇を目的とした小型特殊スラスターであり、

高速機動時の方向転換及び減速は機体を回転させてメインスラスターの方向自体を変える事によって行なう。

0.1秒単位の瞬間的な噴射をも可能にした特殊スラスターがこのコンセプトを完成させ、

これによってマンダラナデシコは空間戦闘および地球上での白兵戦における機動性と大推進力、

そして機体の軽量化という矛盾する問題をクリアしていた。  

 

莫大な推進力を生み出す巨大なブースターによる一撃離脱戦法ないしは接近しての白兵戦。

加速と機動性に影響せぬよう武装は格闘用のアームと手持ち武器に限定。

圧倒的な移動速度によって戦いのイニシアチブを取り、

常にもっとも得意とする白兵戦のレンジで戦う事を可能にする。

長距離兵器を装備するナデシコが増えている現在、白兵戦と言う一局面だけでの性能と

得意の白兵戦に持ちこむ為の機動性のみを徹底的に追及して開発された、ある意味偏った機体である。

だが、その短所を補い長所を120%発揮する事ができる北斗という使い手を得たことが

この機体の戦闘力を真に恐るべきものとしていたのは言うまでもない。  

 

 

サーチライト条の光条が数本、空に放たれた。

それらが干渉しあい、メグミ首相の立体映像を形作る。

ネオホンコン名物に数えられる事もあるメグミ首相の美声が会場内に響く。

「さて、会場の皆様お待たせいたしました。

それではここにゴッドナデシコ対マンダラナデシコの戦いを宣言いたします!

ナデシコファイト・・・・!」

「レディ!」

「「ゴォォォォッ!」」

ファイト開始を告げるコールを唱和すると共に、二人が同時に前に出た。

「何っ!?」

アキトが一歩足を踏み出した瞬間、目の前、間合いの内に北斗がいた。

北斗の踏みこみ・・いや、突進の勢いを全て乗せた錫杖の突きがアキトのみぞおちに突き刺さる。

体をくの字に折ったアキトの顎を、跳ね上がって来た錫杖が強打した。

横殴りに襲ってきた三撃目を辛うじてかわし、北斗の猛攻を必死で凌ぐ。

だが、北斗の杖捌きは明らかに凄みを増していた。

後退を繰り返しつつアキトが辛うじて連続攻撃をかわす。

素人目にも追い詰められているのがはっきりとわかった。  

 

 

「アキト兄、ゴッドフィンガーだ!」

「いや、だめだ!」

ブロスの応援を打ち消したのはリョーコだった。

「え?」

「どうしてさ!」

「奴の懐に飛び込めば、カウンターの仕込み刀が待っている・・・ゴッドフィンガーは使えない!」

不満そうに振り向くディアとブロスに、悔しそうに舞歌が答えた。

「きゃあ!」

「うわっ!」

彼らの目の前で、火花が散る。

ゴッドナデシコの体がバリアに押しつけられていた。  

 

 

何度かの後退でアキトの背中がリングを囲むバリアに押しつけられた。

後ろがなくなったアキトに、北斗が左右の回転からの攻撃を繰り出す。

直線の突き、あるいは上下からの攻撃なら横にかわせても、

後退できないこの状態で左右からの攻撃を凌ぐには、腕なり足なりでブロックするしか無い。

いまやアキトはサンドバッグか、あるいは練習用の木偶人形も同然だった。  

 

『凄い攻撃です!ゴッドナデシコ滅多打ち!マンダラナデシコの猛攻の前に手も足も出ません!』

「ふ、ふ、ふ・・・これでアキトさんも一巻の終わり・・・ですね。」

嬉しそうに・・・だがどこか残念そうにメグミが呟く。

ホウメイが眉一つ動かさないままそれを制する。

「それはどうかな。聞けばあやつはテンカワの暗殺に一度失敗しているとの事。

だが流派東方不敗の流れを汲むテンカワに、それは命取り。」

「ふうん。そこまでおっしゃいますか、ホウメイ先生・・・。

ならば私も期待するとしましょう。アキトさんの九回裏の逆転サヨナラホームランをね・・。」

そう言って、メグミが薄く笑みを浮かべる。

戦いは佳境に入ろうとしていた。  

 

「そのままボロゾウキンのように朽ち果てるかテンカワアキト!

それとも潔く踏み込んで羅刹の剣にその身を委ねるか!?

俺を失望させてくれるなよ!」

「ぐ・・・おっ!」

北斗の攻撃を、折れる寸前の両腕で必死に防ぐアキトの脳裏に火花が散る。

シュバルツの声が響いた。

(思い出しなさい!明鏡止水の心境を!)

(!)

一秒の十分の一にも満たない瞬間。くわっ!とアキトの目が見開かれた。

(そうだ・・・死を恐れてどうする!敵を恐れてどうする!俺は・・・キング・オブ・ハート!最強の漢だ!)

 

 

 

 

 

 

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