機動武闘伝

ナデシコ

 

 

ナデシコファイト特設会場リング。

ネオアメリカ代表ヤガミ・ナオのナデシコマックスターが敵と対峙していた。

ナオの目の前で羽衣のように薄く、しなやかな金色の羽根が大きく広がる。

だが、それは周囲を照らす禍禍しい紅の輝きを放っていた。

次の瞬間ナオの視界から敵が消え、瞬時に目の前に現れる。

「何っ・・」

そしてナオの意識は途切れた。

 

 

「さて皆さん。とんでもない番狂わせが起こりました!

あのヤガミ・ナオが敗れたのです!相手は昨日まで全くの無名だったネオスウェーデンのノーベルナデシコ。

しかも試合時間は僅か48秒ジャスト。今大会最短記録です。

これほどのファイターが今まで無名だったなど、信じられないことではありませんか。

本日のテンカワアキトのファイト、いつもにも増して激しい嵐の予感がします!

それでは!

ナデシコファイト・・・

レディィィ!ゴォォォゥ!」

 

 

 

 

 

第三十話

「秒殺の妖精!デンジャラス・メティ」

 

 

 

 

『無名のナデシコファイター、ネオアメリカのヤガミ・ナオを破る』

『大会新記録、試合時間は四十八秒』

そんな見出しが踊る号外が風に舞う。

腕をもがれ倒れたナオのナデシコマックスターと、それを倒したナデシコの写真が大きく掲載されている。

機動力と柔軟性重視の全体的に細身で曲線を多用したデザイン。

全身の装甲は極限まで軽量化され、手足は同サイズのナデシコの半分ほどの細さ。

金属製ながら風になびくほど薄い金色の放熱フィンが頭部から長く垂れ、

踵にはターンピックにもキックの時のダメージを増すのにも使える鋭い突起。

ボディの柔軟性を増す為に腹部は細くくびれ、

放射状に並んだ赤い四連装放熱機が胸部と腰部背面に設置されている。

・・・と言えば聞こえは良いが、百人の内九十九人までがこの機体を見てこう評するに違いない。

「赤いリボン付きのハイレグセーラー服を着て

ハイヒールを履いた金髪の美少女戦士型ナデシコと。

実に、世にも凄まじいデザインのナデシコであった。

 

「ナオさん。貴方ほどの男が、何故遅れを?」

「ま、結果が全てだからな。何を言っても言い訳になる。

・・・だがこれだけは言えるぜ。奴は危険だ。そう、お前とよく似てな。」

「俺と?どういう事ですか?」

「ナデシコファイトではなにが起こるか分らない、そういう事さ。」

「・・・肝に銘じておきますよ。エリナさんにギャアギャア言われるのは御免ですしね。

ま、ナオさんはカズシさん達に怒られてもその分ミリアさんが慰めてくれるからいいでしょうけど。」

「や、やかましい!」

 

 

暫しの後。

「それじゃ、逆に励まされたわけか?」

「ああ、お前も気を付けろってさ。」

「アキト兄ちゃん達〜!」

「こっちこっち〜!」

いかにもネオホンコンらしく巨大な龍が派手派手しく飾り付けられたゲームセンターの前で

ブロスとディアが両手を振り回しながら、二人を呼ぶ。

「なあ、ガイ。あの二人何を見せようって言うんだ?」

「さあ?聞いても後のお楽しみ、って教えてくれねえんだよ。」

電子合成され、あるいはサンプリングされた音声。

薄暗い中に妙にまぶしく輝く画面の光。やたらとうるさい効果音。雑多な人の群れ。

それらがミックスされた壮大な雑音。

たとえ人類がその生活の場を宇宙に移そうと国家間の戦争が無くなろうと、

ナデシコファイトによって地球が荒廃しようと、こう言うところの雰囲気は変わらぬものらしい。

「最近のゲーセンも変わり映えしないな・・・ん?」

そんな中でアキトの目を惹きつける物があった。

地上3m程の高さにある透明な球の中に人が一人ずつ立っている。

二人ともヘルメットと篭手に脛当て、胴着のような物をつけ、

それぞれの部品から台座へとコードが伸びている。

二人の間の空中には立体CGで構築された円形の武闘場。

そしてその上で同じくCGの二人の格闘士が戦っていた。

片方は肌もあらわな女格闘家。

もう片方は緑色の肌の半獣人。

女格闘家が軽快な動きで半獣人の攻撃をかわし、反撃のハイキックを叩きこむ。

よろけて後退する半獣人。それと同時に片方の球の中の男が同じようによろけた。

周りには黒山の人だかりが出来ており、時々歓声が上がる。

「『バトル兄貴2』!今大人気の体感ゲームだよ!」

「アキト兄もガイ兄も、こういうの好きでしょ?」

良く見ると球の中の人間の動きを正確にトレースしてキャラが動いている。

「まるでナデシコファイトだな・・・」

アキトが呟いた瞬間、とどめの一撃を腹に貰い半獣人が動かなくなった。

「You Win!」

大きな歓声が上がった。

勝利したプレイヤーがガッツポーズを取る。

同じように勝利した女格闘家もガッツポーズを取って歓声に応えた。

女格闘家が勝利ポーズを解くと今まで二人の戦士が戦っていた空間に道化のようなキャラクターが現れ、

妙な節回しをつけて口上を述べ始める。

「はぁ〜い、まぁたまた勝ったのは“ビャッコ”のプレイヤーだぁ!

な、なんとぉ、こぉれで破竹の十六連勝ぉ〜〜〜!!」

“ビャッコ”のプレイヤーがヘルメットを脱ぐ。

その下から現れたのは、なんと年端も行かない無邪気な少女の顔だった。

体にフィットしたシャツとパンツに細い革のベルトを締め、厚手のベストを無造作に羽織っている。

うるさいほどの歓声がほう、という感嘆の声に変わった。

「お、女の子〜?」

「へ〜え。」

感心した様に呟くアキト。

先ほどの道化がまたもうるさいほどの声で口上を述べる。

「さあ〜どぉ〜だぁ〜?こぉの、無敵のチャンピオンに挑戦しようって勇気のある奴は、

いないかいないか、あ、いないのかぁ〜?」

「どうしたの?もうお終い?もう少し手応えのある奴がいると思ったのに・・・つまんないよ!」

コントローラーの上から少女が観衆を挑発する。

そしてやはりというべきか、それに応えた男がいた。

「プロはお断りかい?」

「そうこなくっちゃ!」

挑戦の意志を表明したアキトを、ディアがさらに煽る。

(・・あいつ、ナデシコファイターだぜ!)

(全勝宣言した奴だ!)

(確かネオジャパンの・・・テンカワアキト!)

(噂の・・キング・オブ・ハートって奴か!)

「ナ・・ナデシコファイター・・・あの〜、どないしまひょ?」

CGで器用に冷や汗をかきながら道化が少女に尋ねる。

「いいよ、私は!」

「でも相手はプロでっせ?」

「だからってゲームが強いとは限らないし・・・面白そうだもん!」

少女がきっぱりと言い切る。

「聞い〜〜ての通りだぁ!さぁ〜、張った張った!本物のファイターが挑戦だぁい!」

先ほどの対戦の五倍以上の勢いで双方に金が掛けられていく。

微妙に少女の方が金額が多かった。

(作者注・ネオホンコンでは賭博は合法である)

「本気でいくからね!」

(随分と舐められたもんだなぁ・・・)

少女の言葉に苦笑しながらセッティングを済ませるアキト。

道化がくるっととんぼ返りしてレフェリーの格好になる。

「それでは〜!『バトル兄貴2』!レディ〜〜、ゴォ!」

カァン!

ゴングが打ち鳴らされると同時に道化が消え、二人のキャラクターが闘技場の中央に出現する。

同時に、少女の操る“ビャッコ”がアキトの“セイリュウ”に猛然と突進した。

アキトの脳裏に稲妻のような危険信号、それもかなり高いレベルのそれが走る。

次の瞬間、素早い踏みこみから繰り出された、少女の左右の拳による連打をアキトは辛くも避けた。

(・・・・・・・・速い!)

(ウソ!今のハメ技なのに!?)

一瞬、互いの表情に驚愕がよぎり、続けて本気のそれへと変わった。

「少しは本気を出さないと駄目って事か!」

今度はアキトが間合いを詰め、左右のコンビネーションを放つ。

だが、少女も一寸の見切りでそれを悉く外した。その動きに全く無駄が無い事に気が付くアキト。

(・・・やるな!)

アキトの回し蹴りを身を沈めてかわした少女が、前転しながら踵で蹴りを浴びせる。

咄嗟に側転してアキトが間合いを取った。

(このお兄ちゃん・・・できる!)

二人の視線が、互いの力を認め火花を散らす。

「すっげぇ!」

「アキトが本気を出してる・・・あの子、一体何者だ!?」

跳び、伏せ、突き、かわし、打ち、反らし、受ける。

同時に高く跳び、蹴りを撃ち合う。

交差した足を互いに受け切れず、態勢を崩して着地した。

突進してきた“ビャッコ”の拳を外側に弾き、“セイリュウ”が裏拳を見舞う。

完璧なタイミングのその拳を、体をのけぞらせる事で“ビャッコ”がかわした。

実戦なら顔面が切れていたろう。

追い討ちを掛ける“セイリュウ”に対し、“ビャッコ”はあっさり間合いを広げて逃れる。

次の瞬間、身を翻して空中から襲い掛かるビャッコ。

今度はセイリュウが後ろに跳んで逃れた。

ある時は足を止めて打ち合い、また互いの頭部を狙った一撃必殺のハイキックを交差させる。

曲芸まがいのアクロバティックな動きで跳びはねるかと思えば

密着した間合いでの肘、膝、掌打の攻防を演じる。

二人の動きがさらに加速して行く。

速度の上昇に伴い、繰り出す拳が稲妻をまとい、蹴りを放つ脚が一瞬ぶれを起こし始めた。

CGの闘技場そのものがぶれ始め、コクピット型コントローラーからもスパークが走る。

「二人の動きに・・・機械が付いていけねえんだ!」

もはや常人には理解できない程の速さで動く二人。

一呼吸の間に無数の突きを、蹴りを繰り出し、相手の攻撃を捌く。

互いの正拳を正面から打ち合わせた時、遂に限界が来た。

電子の闘技場が稲妻と閃光になって木っ端微塵に砕け、筐体も火を吹いた。

見物人も我先に逃げ出してしまった。

「わ!」

「きゃあっ!」

二人を庇っていたガイがブロスとディアを両脇に抱え上げる。

「しっかり掴まってろよ!」

「う、うん!」

「いきなりレディの体に触るなんて・・もう、ガイ兄はデリカシーにかけるわね!」

ブロスは素直だったが、場違いな文句を垂れるディアにはガイも苦笑するしかなかった。

もっとも、すぐに煙が押し寄せてきてガイもディアもそれどころではなくなってしまったのだが。

 

 

 

アキトたちもほうほうの体で咳き込みながら煙に巻かれたゲームセンターの外に駈け出した。

遠くからサイレンが聞こえ、パトカーのランプの赤い光が見えた。

「あ・・・やばっ!」

その光を見た少女が慌てて逃げ出そうとするのをアキトが呼びとめる。

「お、おい!」

体半分だけ振り向いて少女も答えを返す。

「私と互角に戦えたの、お兄ちゃんが初めてだよ!でも、次は絶対に勝つからね!」

「ああ、望むところだ!」

楽しそうな表情で宣言する少女に、同じ表情で返すアキト。

「・・・じゃっ!」

振り向いて走り去ろうとする少女。

「待ってよ。君の名前は?」

「メティス。メティス=テア!メティでいいよ、アキトお兄ちゃん!」

「メティちゃんか・・・・・・・え!?メティス=テアだって?」

走り去る少女の後姿を眺めていたアキトは、ふと先程の号外を思い出した。

一瞬遅れてあっけに取られたような顔になる。

『無名のナデシコファイター、ネオアメリカのヤガミ・ナオを破る』

『大会新記録、試合時間は四十八秒』

『その名はネオスウェーデンのメティス=テア』

メティス=テア。

「そうか・・・ナオさんを破ったのは・・・・!」

一転して厳しい表情になるアキト。

だが、それでもその口元にはゲームをしていた時の楽しそうな笑みが浮かんだままだった。

 

 

 

「メティス=テア。ネオスウェーデン宇宙軍少尉。軍隊式格闘術に精通。

軍の施設で育ち、素質を見こまれて史上最年少のナデシコファイターになる・・・。

予選も含めこれまでの成績は全戦全勝・・・」

ネオホンコン政庁舎の最も奥まった一角に位置する一室。

チェス板のような床に並べられたナデシコの模型を前にホウメイがメティのデータをチェックしていた。

「いかがですかホウメイ先生。これほどのファイターが今まで埋もれていたとは、驚きでしょう?」

「・・・それはどうだかね。」

薄い笑みを浮かべたメグミが椅子ごとホウメイの方に振りかえる。

「おやおや、相変わらず疑りぶかいですねぇ、ホウメイ先生は。」

「いやいや、無名の選手に対してはとかくチェックが甘くなる物。」

「では、偶然勝ち進んだとおっしゃりたいのですか?」

胸の前で手を組んだメグミが再び薄い笑みを浮かべる。

対してホウメイは一貫して表情を動かさない。

「今後の戦いを見なければ軽々しく判断を下すわけにはいかない、と言っているのさ。」

 

「なるほど。ならばその実力・・・・確かめるとしましょうか。」

天井を仰いだメグミが椅子の背もたれに体を預けながらとんとん、と指で肘掛を叩く。

「さて、誰をぶつけるつもりなのかな・・・?」

「フフ・・・決まってるじゃあないですか、ホウメイ先生。」

メグミの操作に従い、ノーベルナデシコの模型と向き合う様に一体のナデシコの模型が移動する。

「・・・・・いかがですか?ゴッドナデシコ、テンカワアキトでは?」

ホウメイが初めて口元を歪めた。

メグミが、今度は目を糸のように細めて邪気の無い笑みを見せる。

「ふ。楽しみなカードだね・・・」

「うふふふ・・・」

「フフフフ・・・ハハハハ・・」

哄笑と微笑みがネオホンコンの闇に消えて行く。

こうして、またもやアキトの知らぬところで強敵との戦いが決定された。

 

 

その男性は冷ややかなまなざしで横たわったメティを見つめていた。

ネオスウェーデン宇宙軍の高級士官の軍服を身につけている。

階級章はこの男が中将の地位にある事を示していた。

メティを見るその目にはなんの感情も浮かんではいない。

強いて言えば己の意のままにならぬ道具に対する苛立ち・・であろうか。

「メティス、また騒ぎを起こしたそうだな・・・?」

メティは今、ネオスウェーデン宇宙軍の宿舎で精密検査を受けていた。

飾り気のない検査用スモックを着せられたメティの、全身から伸びたコードが何か痛々しい。

「何も・・・してないもん・・・遊んでただけだもん・・」

まどろむような表情と口調でメティが反論する。

男のまなざしがまた、一段と冷ややかなものへと変化するのが目を閉じていてすらわかった。

「軽率な行動は慎みなさい。君の為にどれほどの国家予算が費やされているか・・」

「別にナデシコファイターにしてくれなんて頼んだわけじゃないでしょ・・」

男の追及に顔を背けたままで答える。メティはこの男が嫌いだった。

 

孤児だった自分が軍に拾われ、育てられたのは国の為に戦うナデシコファイターを養成する、

ただそれだけの為だったと言う事はとうの昔に理解していた。

ネオスウェーデンではナデシコファイターを養成するにあたり、十数年ほど前から

軍の孤児院で運動能力、闘争心などに優れた者を選抜して

幼い頃から徹底したトレーニングを積ませる、と言う方法を採用している。

無論、メティもその選抜された孤児の一人だ。

同じような境遇の仲間の中で、素質を示せなかった者は容赦なく切り捨てられていった。

だからメティも、自分に向けられる視線がときおり妙に冷たいのは自分が人ではなく、

『製品』として見られているせいだと、子供ながらに理解していた。

だがそのような連中の中でもこの男ほど冷たい視線を向けてくる人間はいなかった。

メティは知らなかったが彼がこの効率のみを考えた非人間的なファイター育成システムの

考案者であり、推進者であると知ればおおいに納得したであろう。

男の名はクサカベ・ハルキ中将。

ネオスウェーデン・ナデシコファイト委員会の最高責任者だった。

 

 

メティが横たわるその傍らには素人には用途どころか使い方も良くわからないような機器が並んでいる。

検査機器の表示を読み取り、知的な印象の白衣の女性がメティに話しかけた。

「あら、今日はメンタル値が非常に高いわね。何か良い事でもあったのかしらメティ?」

当人にしてみれば何気ないつもりの質問。

しかし、メティは瞬時に顔色を変えて跳ね起きる。

「やめて!人の心を覗き見るのは!」

「あ・・・・ごめんなさい、メティ。・・・そんなつもりじゃなかったの。」

「だったらお願い・・・お願いよ飛鈴・・・。」

謝罪の言葉を聞きながらもメティの心は重く沈んでいくばかりだった。

 

 

 

ネオスウェーデンが宿舎にしている高級ホテルの最上階からロープが垂れ下がる。

影が一つ、とん、とん、とそれを伝い壁を蹴って素早く地面に降り立った。

ロープの足りなかった四階分ほどを事も無げに飛び降り、その影はネオホンコンの街へと姿を消した。

無論、メティである。格闘術のみならず、特殊部隊の訓練までをも受けさせられていたのは伊達ではない。

(もう、あいつらのいう事なんて聞いてやんないもん!だって・・・だって・・・・)

海沿いの道路を走りながら心の中で呟く。

唯一自分に対して人間らしい扱いをしてくれた女性科学者の顔が

その脳裏を一瞬だけよぎったが、メティはそれを無理矢理に押し殺した。

(だってだって・・・)

代わって脳裏に浮かぶ顔は一人の男のもの。

次第に、だって、だってと呟く調子が腹立たしそうな物から嬉しくてたまらない、といった物になり、

顔もそれにつれて嬉しさが今にも溢れてこぼれそうな、そんないい笑顔に変わる。

(だってだってだってだって!)

「きゃっほーい!」

溢れる笑顔が歓声になって喉から飛び出す。

嬉しさの余り、メティの体は自然に飛び跳ねていた。

 

 

「ふん!はぁっ!トォリャァ!」

所は変わってこちらはアキト。夕食前の鍛錬である。

「きゃっほーい!」

「ん?」

妙な歓声に手を休めたアキトの頭上に女の子が一人降ってきた。

がつん!

女の子のヒップアタックを受けて、見事につぶれるアキト。

「痛つつつつ・・・」

「あ、ごめんなさい・・・・」

目が合った。

「「ああーっ!」」

「君は!」

「アンタは!」

「テンカワアキト!」「メティス=テア!」

そのまま二人は、しばらく顔を見合わせていた。

傍から見ていると微笑ましくもあり、やや間の抜けた光景でもあった。

 

「遅いよ、アキト兄!」

「ごはん先に食べちゃってるよ!」

アキトが下宿しているジャンクに帰ってくると、既に夕食が始まっていた。

アキトの後からおずおずとメティが顔を出す。

「こ・・こんばんわ・・・」

「あ〜っ!あの時の!」

「どうも・・・。」

ガイの言葉が耳に入らないかのようにきょときょと部屋の中を見まわすメティ。

「あ、あたしジャンクに乗るの初めてで・・・」

「良ければご飯でも一緒にどうだい?」

家主・・というか船主でブロス、ディアの兄であるダッシュが笑顔で食事を薦める。

「え?でもぉ・・」

きゅるるるる〜

後半をメティの可愛らしいおなかの音がかき消した。

和やかな笑いが起きる。顔を赤くしたメティもぺろっと舌を出して一緒に笑った。

「えへへへ・・。いただきまぁす!」

 

 

 

「だからアレは不可抗力だって言うろによ〜、カズシさんもゴートさんもプロスさんも揃って

『負けたのは俺がたるんでいるからだ』って・・・おかわり!」

「はいはい。」

若い女性が苦笑しながら突き出されたグラスに紹興酒を満たす。

最近店主が代わったせいか前にもまして繁盛するようになり、

ついでに何故か早仕舞いするようになった下町の大衆食堂「佳肴酒家」。

一日の営業を終え、綺麗に片付けられたその店内の片隅に酒を飲んで管を巻く男と、

お酌をしつつ愚痴に相槌を打ってあげている女性の姿があった。

一見「客の愚痴を聞いてあげるバーのホステスないしママさん」の図だが、

女性のほうに水商売の女性が持つあの独特の雰囲気が全くと言っていいほど欠けている為、

むしろ「駄目亭主の愚痴に付き合ってあげる世話女房」と言った風情である。

まだ二十歳だと言うのに出来た、そして古風な女性であった。

無論ナオとミリアの二人である。

「でも勝負なんだから勝ったり負けたりすることもありますよ。ね?」

「そりゃあ、そうだけどよぉ・・・・今大会の最短試合記録作っちまったんだぜぇ?

おまけにファイターのメティス・テアってのが何者かと思えば、まだ十やそこらの女の子だって言うじゃねえか。

これじゃあ物笑いのタネだよぉ・・・。

カズシさんじゃねえけど国の、俺を応援してくれてる連中に何て言やぁいいんだよ・・・ヒック。」

それを最後に、顔を真っ赤にしたナオがテーブルに突っ伏して高いびきを掻き始める。

その横で顔を真っ青にしたミリアが身をこわばらせていた。

 

 

ブロスとディアが寝ついた後、アキト達は甲板で夜風に当たっていた。

「楽しかったなぁ。こんな楽しい食事は軍に入って初めて!」

「初めて尽くしなんだな、メティちゃんは。」

微笑むガイ。無骨なこの男の表情も、今はどこか優しい。

「でも、いいのか?こんな夜中に飛び出してきて・・・」

「・・・退屈なんだもん。あいつら、アタシをナデシコの部品くらいにしか思ってないし」

「メティちゃん・・。」

「メティね、小さい頃はお父さんとお姉ちゃんと暮らしてたんだ・・・。

お父さんは食べもの屋さんで、

お姉ちゃんは死んじゃったお母さんの代わりにメティの世話とかしてくれてたの。

でも、二人とも事故で死んじゃって軍に引き取られて軍の施設で育てられたんだ。

・・・・・・ナデシコファイターになるためだけに。」

「・・・似てるな・・・俺と。」

アキトが呟く。

家族を失ったメティに自分を重ねたのか、ナデシコファイトを強制された事に共感したのか。

ガイにもアキトの表情からその答えを読み取る事はできなかった。

「だから、アタシファイトが嫌いだった・・・でも!」

メティの表情が瞬時に明るくなる。

「今は違うの!アタシ・・・猛烈にファイトがしたい!だって・・・・」

軽い音が甲板に響く。

振り向き様に軽く放ったメティの裏拳をアキトが右の掌で受け止めていた。

「ゲームの決着、ファイトでつけようね!」

「ああ!」

嬉しそうな二人を、折りから昇ってきた太陽がまぶしく照らし出す。

 

 

 

「・・・・本日のファイトはネオジャパン対ネオスウェーデンの注目の一戦、

ビクトリアピークフィールドより生中継でお送りします!」

千沙のかしましい実況中継と試合前から盛り上がりを見せる大観衆を尻目に、

試合場が良く見える瀟洒な建物の二階から冷徹な目で勝負を見つめる二対の目があった。

「いよいよですね・・・お手並み拝見と行きますか・・・」

言わずと知れたネオホンコン首相メグミ・レイナードとマスターホウメイである。

無邪気な笑みを浮かべているメグミの目がきらきらと光るのに対し、

太い笑みをかすかに浮かべるホウメイの目はあくまで鋭く厳しい。

 

 

「・・・大丈夫か、ミリア。」

恋人の質問に答える代わりに、ミリアはきつくその腕を掴んだ。

その顔が、心なしかまだ青い。

死んだ筈の妹と同名の少女ファイターの顔写真。

ナオに見せてもらったそれには、確かにミリアの覚えている妹の面影があった。

「本当に・・・本当にあの子だったら・・・私・・・。」

もし生きていれば。年も同じくらい。

震えるその手をナオが握り締める。

無言のまま視線を向けてくる彼女にこちらも無言のままで、ナオが力強く頷いた。

ファイトの開始時刻はもう間近である。

 

 

 

「いつも通りプランCで行くわ。いいわね、メティ。・・・メティ?」

「・・・余計な事しないで!アタシ、アキトお兄ちゃんとは自分の本当の力で戦うんだから!

 じゃないと、戦ってあげないから!」

全長20m程の可動式のアームの上にしつらえられた各国クルー用のデッキ。

そこの一段高くなった監督席からの飛鈴の指示に苛立った顔で返事を返すメティ。

(・・・構う事はない・・・誘導波の準備をしろ・・)

(ファイト前にメンタルバランスを崩すのは・・ここは様子を見てはどうでしょう)

飛鈴とクサカベが交わした会話に気付かぬまま、メティはファイトの舞台に立った。

「行くよ、お兄ちゃん!」

「ああ、俺とメティちゃんとで、究極のファイトを見せてやろうぜ!」

「それでは、ナデシコファイトォォ!」

「レディ!」

「「GO!」」

メグミ首相の掛け声にアキトとメティが唱和する。

「行くよアキトお兄ちゃん!・・・ノォォベルフラフゥゥゥゥプ!」

「なんの!ゴッド!スラァッシュ!」

メティの放つ光輪を、アキトの抜き打ちの一刀が四散させた。

二人ともその口元には笑みが浮かんでいる。

 

 

なおも笑みを浮かべたまま無数の鋭い突きを放ち、それを舞うような華麗な動きで躱す。

メティがアキトの強烈な蹴りを軽く弾き、

新体操の演技のように華麗な動きから繰り出すビームのリボンを剣が捌く。

アクロバティックな動きで敵の意表をつくかと思えば、

正面からの打ち合いで相手を砕かんと互いに必殺の拳を繰り出す。

その一撃一撃に己の魂を込め、ただ無心に戦いつづける。

その戦い振りにこの場に存在する全ての目が吸い寄せられていた。

 

 

「楽しんでやがる・・・相手の力を試して・・・ゲームをするみたいに楽しんでやがる!」

羨ましさで思わずガイの体が震えた。

どうして俺はナデシコに乗れないんだ、どうして俺はファイターじゃないんだとまで思った。

今戦っている二人はそれほどに楽しそうで、魅力的で、輝いていた。

 

蛇のように地を疾るリボンがいきなり飛びあがってアキトの顔面を狙う。

しかし、リボンが貫いたのはゴッドナデシコの残像のみ。

一瞬早く踏みこむ事により、アキトはメティの一撃をかわしていた。

上段から振り下ろす一刀がメティの肩口に迫る。

だがそれはノーベルナデシコのボディには届かない。

光のリボンが美しい螺旋を描き、ビームソードを弾いていた。

メティがまっすぐ後ろに飛ぶ。

一瞬の後、踏みこもうとしたアキトに向かって後ろに飛んだのと殆ど同じ、

いやそれ以上の早さでメティが再び飛び、まっすぐ伸びた脚がアキトの顔面を狙う。

真後ろの岩肌を強烈に蹴り返す事により、相手の意表を突いた飛び蹴りを放つ。

言わばメティは後ろ向きに三角飛びをやってのけたのである。

流石のアキトが避け切れず、辛うじて顔面を逸らし胸板で受ける。

強烈な打撃に息が詰まり、のけぞって吹き飛んだ。

「お兄ちゃん、貰った・・きゃあっ!」

着地したメティが素早く繰り出そうとしたビームリボンの柄が爆発した。

アキトが吹き飛ばされながらも半回転して投げつけたビームソードが、

好機に一瞬の隙を見せたメティの手元に命中したのだ。

メティが体勢を崩した隙にアキトも立ち上がり、両者は再び対峙した。

 

 

先ほどのお返しとばかりに、今度はアキトがふわり、と跳んだ。

一見ゆっくりとしたその動きが空中で急激に加速し、竜巻のような連打となった。

拳、蹴り、頭突き、そして逆立ちのような姿勢になっての下半身への正拳と肩口への蹴り。

絶妙の五連撃を辛うじてメティは凌いだ。アキトが、攻撃が始まった時と同じくふわり、と後ろへ跳ぶ。

その表情には掛け値無しの賛嘆があった。

着地したアキトがゆっくりと立ちあがり、同じようにゆっくりとメティが構えを取る。

にっ、とアキトが笑い、メティもまた心底嬉しそうに微笑む。

楽しそうな笑みを浮かべたまま、両者は再び激しい打ち合いを始めた。

つなぎ、くらまし、あるいは単にスピードで圧倒しようと息をもつかせぬ連打を放つ。

十数発の囮の後の、致命的な一発を鮮やかに躱して見せる。

それら全ての動作が相手への問いかけであり、また返答でもある。

繰り出す拳のひとつひとつから互いの事を理解しあう。

そう、武闘家であるならば百万言を費やすよりも数合の拳の応酬こそが、

互いの心を、そして魂を伝える為の手段となる。

武闘家とは己の心を拳を通してしか語り合う事のできぬ不器用な生き物。

故にその言葉は何よりも熱く、そして交わりは強い。

観衆ですらも二人の動きにただ見惚れるばかりだった。

 

 

ミリアの手にこもっていた力がいつのまにか緩んでいた。

目だけを動かし、ナオが傍らの女性を見る。

妹の身を案じていたミリアですらも、この戦いに見惚れていた。

そっと、ナオが恋人の肩を抱く。

 

 

(凄いよメティちゃん・・・。この間よりも更に速い!)

(私・・こんな楽しいファイト初めて!)

戦いはますます白熱している。

だがそれでも二人の楽しげな微笑は消える事がない。

「メティが・・・輝いている・・・あんなにもファイトを嫌がっていたあの子が・・・」

飛鈴が驚きに満ちた表情で呟く。我が子の成長に驚く母のような顔だった。

だがこの熱気に全く影響を受けていないかのごとく、冷徹な声が響く。

「だがこれでは勝てん。作戦を変更する!即刻誘導波を放出せよ!」

「し、しかしクサカベ中将・・」

「飛鈴君。命令だよ、これは。」

その一言に、飛鈴はメティへの罪の意識を抱きつつも従わざるを得なかった。

ネオスウェーデンのクルーデッキから誘導波がメティのノーベルナデシコへ放出される。

その誘導波はノーベルナデシコのコクピットに組み込まれた「ある装置」を作動させた。

「うあっ!?うぅ、うわぁぁぁぁぁぁ!あがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

突然膝をつき頭を抱え、もがき苦しむメティ。

「どうした!メティちゃん!」

驚くアキトの目の前で、メティの叫び声が苦悶を示すそれから野獣の・・・否、狂気の雄叫びへと変化する。

 

「メティっ!?」

ミリアが悲鳴を上げた。

思わず走り出そうとするミリアを抱いておしとどめ、ナオがサングラスの陰で目を見張る。

(あれだ!あれが・・・俺を倒した力!)

 

ノーベルナデシコの全身が禍禍しい赤い光を放ち始める。

頭部の放熱フィンが展開し、逆立つ。全身を包み込む赤い輝きとあいまって、

まさに「怒髪天を突く」鬼女の形相に変じるノーベルナデシコ。

メティの相貌が戦いの狂気に歪み、大きく見開かれた瞳は殺意に赤く光る。

先程の誘導波によって起動した催眠暗示装置はメティの潜在戦闘能力を120%引き出す。

人間が普段は無意識の内にセーブしている筋力の全開放。

強制的な精神の高揚による神経の反応速度の飛躍的上昇。

精神操作によって極限まで高められた戦意は敵を破壊することのみを命令する。

催眠誘導装置が作動する時、一人の少女が戦闘機械へと作りかえられ、

メティは凶悪無残の狂戦士(バーサーカー)と化すのだ。

「このサブリミナルシステムはメティスの潜在能力を120%引き出す・・

無敵の力を得たこのノーベルナデシコに、敵はない・・・!」

勝利を確信したクサカベが冷笑を放った。

 

 

赤い光に包まれたノーベルナデシコの姿がふっと消えた。

直後、ゴッドナデシコを一瞬息が出来なくなるほどの強烈な衝撃が襲う。

アキトの目をもってしても、その動きを捉える事は出来なかった。

 

 

「ブギャアァァァァァアッァアァ!」

狂った獣の咆哮と共に次々と繰り出される拳がゴッドを打ちのめす。

だが、メティの戦闘力に対する驚愕より打ちこまれる一撃一撃の痛みより、

アキトに衝撃を覚えさせた事があった。

(冷たい・・・なんて冷たい拳だ!まるで魂が通っていない!

本当に、さっきまであれだけ闘志に燃える熱い拳を繰り出していたメティちゃんの・・同じ人間の打つ拳なのか!?)

狂戦士と化したメティの、余りに冷たく人のぬくもりさえ感じられぬ拳に、アキトの心が悲鳴を上げる。

今、アキトの心に満ちているのは闘志でも怒りでも屈辱ですらなく、ただ悲しみであった。とどめとばかりの強烈な

一撃を受け、ゴッドが背後の一抱えもある岩塊に叩きつけられる。岩塊は微塵に砕け、土ぼこりが収まった後には

土と岩に埋もれて動かないゴッドナデシコの姿があった。

 

 

メグミが傍らのホウメイを見やり、冷たい笑みを浮かべる。

「どうですかホウメイ先生・・・メティの実力は?」

「あれでは駄目だね。」

「・・・何故ですか?」

ホウメイが返した答えを聞いて心底意外そうな表情になるメグミ。

対照的に自信に溢れた表情で答えるホウメイ。

「百聞は一見に如かず、さ・・・見てな、あのナデシコを・・・!」

 

 

ネオスウェーデンのクルーデッキでは、飛鈴が激しい後悔と自責の念に責めさいなまれていた。

「メティ・・・私が・・・私がこんな物を作りさえしなければ・・・。」

「いいや、これでいいのだ・・!強豪ネオジャパンに勝ったのだから・・・・!

フフフフフ・・ハハハハハハハハハ!勝ったのだからな!

飛鈴君、要は国家の為に目的を達成できるかどうか、

即ち勝利と言う結果を得られるかどうかであって、手段は問題ではないのだよ!」

対照的にクサカベは勝利という結果に興奮を隠しもしない。

だがバーサーカーモードの禍禍しく赤い光とは異なる、

闘技場を包むほどの熱くまばゆい光が二人の自責と興奮とを中断させた。

 

 

 

 

 

 

 

GO!!