「突然ですが、実は今私たちは戦をしています」

リリスの指が持ち上がり、びし、と視界の一点を指す。

「敵!」

30メイルを超すサイズに成長しつつあるゴーレムと、その肩の上で高笑いを響かせるフーケ。

「味方!」

剣を構え厳しい表情でそれと相対するショウと、呪文を詠唱する事も忘れ呆然と見上げるルイズ。
リリスの大治(ディアルマ)を受けて意識は回復したものの、やや足下をふらつかせているキュルケ。
頭の中で状況を打開する策を必死で練っているのか、常以上に無表情のタバサ。

「当初の目的!」

フーケを忍者に変え、そして塵となって崩れ去った、かつて『破壊の剣』だったもの・・・『盗賊の短刀(ダガー・オブ・シーブス)』。

「風景の一部!」

首から上を無くして大の字に横たわるヤン。ちなみに景気よく飛んでいった首は木立の中。

「作戦内容はただ一つ、『破壊の剣の奪還』! ただし既に遂行不可能、みたいな! ・・・と言うわけで、どなたか手を貸してくれると嬉しいんですが」

ごつん、とかなり重い音がリリスの頭から響いた。

「この忙しいときに何をやっているか」

口調に怒りをにじませて呟いたのはリリスを杖で殴ったタバサである。
目は普段よりわずかに細くなり、殺気すらにじませていた。
彼女にしてもリリスが場をリラックスさせるためにやったのだろうという事は見当が付いていたが、頭で分かってはいてもやっぱり殴りたくなる事もある。

そしてリリスが無言でのたうつのをよそにタバサは全力で頭を回転させる。
彼女に言われるまでもなく『破壊の剣』そのものが消えてしまった(どう見たって再利用は出来そうにない)以上、もはや任務を果たすことは出来ない。
フーケを捕らえるにしても、戦って勝てるなら良いが犠牲を出してまで捕らえる必要もない。
それに今となっては怪しい物だが、ケイヒが、あのショウと同じ剣技を振るい、しかも実力で大きく凌ぐ女侍が近くにいるかもしれない。今ここに出てこられでもしたら、何をどうしようと全滅は免れまい。
ここは撤退すべきではないか、と冷静な考えが頭をよぎる。
・・・あちらが見逃してくれるか、リリスの言っていた「最後の手段」を使うなら、だが。
改めてフーケのゴーレムを見上げる。巨体はようやく成長を止め、先ほどより一回り大きいかと思われるサイズになっていた。

「来る」

タバサが呟いたのと、ゴーレムが僅かに腕を振りかぶり、一行に叩き付けたのが同時であった。





   第八話 『跳躍』






咄嗟に五人が散らばり、叩き付けられたゴーレムの拳から逃れる。
この期に及んでまだ呆然としていたルイズはショウが抱きかかえて退避した。

(ああっ、僕のルイズを!)

木陰に潜んでいたワルドはその様子を嫉妬と打算の板挟みになりながら注視している。
一応彼はこの状況をお膳立てした張本人である。当然ルイズたちが学園に帰ってくるまで、また帰ってきてからもその一挙手一投足は彼によって監視されていた。
勿論、ワルドもこんなところでひっそり隠れてるだけで済ませるつもりはなかった。
本来は一人二人倒れた後で登場し、フーケを倒していいところを見せる計画だったが、意外にフーケの腕が立ち、戦いが長引いたことがひとつ。
またフーケがショウに狙いを絞って攻撃を行っているため、上手い事ショウを抹殺してくれるのではと思い始めたのがもうひとつである。
ショウを恐れているが故だと言うことまでは気が回らなかったものの、彼にとっては理由はどうでも良かった。
エルフの使い魔の蘇生の魔法も死体が大きく損壊していれば蘇生は不可能になるはず。
フーケのゴーレムにショウが潰された後、颯爽と現れたワルドはルイズを救い、使い魔を失って嘆き悲しむ婚約者をそっと抱きしめるのだ。
もちろんショウの死体は戦いのどさくさに紛れてカッタートルネードでさらに細切れである。

(我ながらなんと完璧なシナリオだ・・・いける! これはいけるぞ!)

そしていつの間にか手に汗を握り、ワルドはフーケを熱心に応援し始めていたのだった。
人、それを捕らぬ狸の皮算用と言う。

(それに、いざとなれば・・・)

ワルドの手が、隠しにしまった『召喚の書』を撫でる。たかがゴーレム使いに風のスクウェアたる自分が負けるとは思わないが、これを用いれば万に一つの懸念もない。
ワルドの脳裏には既にショウのなきがらの横で泣きじゃくるルイズを抱きしめる自分の姿が確定した未来として浮かんでいる。

だがそんなワルドの妄想にもかかわらず、ショウはしぶとく生き延びていた。
今はルイズをキュルケに任せ、自らおとりとなってフーケの注意を引きつけ反撃の隙をうかがっている。

(ええい、フーケめ。自ら接近戦を挑めばあの間抜けな剣士のように一撃で倒せる可能性もある物を、何を臆病な!)

一面の事実ではあるが、勿論これはワルドが自分の身を危険にさらしてないから言えることであって、ショウにあえて接近戦を挑むなど今のフーケであっても自殺行為である。
無論忍者となった今の彼女であれば勝つ目も無いとは言えないが、忘れてはいけないのは高レベルの侍であるショウは鳳龍の剣術抜きでも「斬撃を飛ばす」事が出来るという事である。
対して、スピードと接近戦を武器とする忍者のフーケにはそう言った便利な飛道具はない。
同等の力量であれば忍者のスピードは侍のそれを大きく凌駕するし、気の刃を自らの気で相殺すると言う荒技も理屈の上では不可能ではないが、だとしても致命的な飛道具を備えた敵に単身突撃するのはあまりに無謀と言えるだろう。

(くそっ、玉無しの落ちぶれ貴族め! ○○○の□□の糞の山め、××の△から生まれた役立たずめ! 貴様が俺の部下なら即座に軍籍剥奪の上抗命罪で処刑だぞ!)

が、ワルドにはそんな事は関係なかった。
頭の中で思いつく限りの悪態を並べ立て、フーケを罵倒する。
ひょっとすると遍在を使い捨てできる自分を基準に考えているのかもしれないが、その辺は本人にも不明である。



しかしそんなワルドの身勝手な感想などつゆ知らず、フーケはフーケなりに全力で戦っていた。

「はははは! はははははははは!」

えもいわれぬ高揚感に酔いしれ、高笑いしながらゴーレムの拳を次々と振り下ろす。

「そらそらそら、頑張って逃げないと潰しちまうよ!」

40メイル近いゴーレムの肩から、必死に逃げ惑いながらもどうにか反撃しようと無駄な努力をするショウ達を見下ろすのは恐ろしく気分が良かった。
この高さから見下ろせば、人など蟻とは行かないまでもあの学院長のセクハラネズミよりもなお小さく見える。
無力に逃げ散ることしかできず、かといってこの場から撤退するでもないその愚かしさがいっそ愛おしくすらあった。

「ほぉれ踊れ踊れ。せいぜいあがいてみな!」

どうせ奴らが何をしようと今のフーケに傷一つ付ける事は出来ない。
忍者となった今の自分は無敵なのだから――そんな全身を支配する万能感のままに、フーケは蹂躙する。
ゴーレムの拳が、踏みつけが、大地を揺らし木々をなぎ倒す。
足下を這い回るショウ達が、その度に散らばり、転がって必死に迫り来る死から身をかわしていた。
人間の基準で言えばやや鈍い動きだったが、何しろスケールが違う。常人ならしがみついてすらいられないほど激しく動くゴーレムの肩に、しかし忍者となったフーケは平然と立っていた。
そして響き続ける高笑い。無論地響きとは比較にならないほどささやかではあったが、それは途切れることなくショウ達の耳を刺激する。
まさしくそれは一方的な蹂躙であった。

だがそのさなか、ふとフーケは我に返った。

(そう言えば、そもそもなんであたしはこいつ等と戦っているんだっけ?)

元々あの仮面の男の計画(奴が信用できるとしてだが)では、フーケはゴーレムをショウ達にけしかけるだけでよかったのだ。
それがあの小娘どもが思った以上に勘が鋭く、また頭が切れた為に正体を見破られ、直接戦うハメになってしまっただけの事である。
何よりフーケの獲物であり、また連中の目的でもあった『破壊の剣』は壊れてしまった。

(・・・つまり戦う理由なんて、もうないじゃないか)

はたと気づいてしまうフーケである。
あちらにはまだヤンの敵討ちとか犯人の捕縛とか色々あるかもしれないが、彼女には全くない。
手に入れた『忍者』の力についつい高揚してしまっていたが、考えてみればここで彼らを倒してもフーケには一文の得もないのだ。
顔を知られたとしても、それならばガリアなりゲルマニアなりに行けば良いだけの話。
むしろこんな怪物どもと再び出会う可能性のあるトリステインで、これ以上仕事を続ける事の方が危険である。
それに他の連中はともかく、ショウは下手をすればこのゴーレムすら一撃で砕く攻撃手段を持っているかもしれないのだ。
そう気づいてしまうと、高揚で麻痺していた脳髄にあのショウの技を見た時の驚愕と恐怖が急速に蘇ってくる。
忍者がいかに人間離れした能力を持っていようとも、あんな物を喰らって生き残れるとは思えない。
加えてあの内の誰かを本当に殺してしまい、かつショウなりリリスなりが生き残ってしまった場合、とんでもない相手から消えない恨みを買ってしまう事になる。
自分がどれだけ危ない橋を渡っていたかという事に、今更ながら気づいて血の気が引くフーケであった。
ルイズの顔とかすかな安堵がちらりと脳裏をよぎりもしたのだが、そちらは敢えて無視する。
マチルダ・オブ・サウスゴータの妹はウェストウッド村のティファニアだけである。彼女を守るためにはよその娘など気にしていられない。そう自分に言い聞かせながら。

ともかく、そうとなれば彼女の決断は早い。
逃げの一手だ。腕一本くれてやろうとも、とにかく死ななければいい。戦闘機械と称される忍者らしい思い切りの良さと言えた。
ただ方法が問題だった。
フライで逃げるという選択肢はない。
ショウやあのエルフは振り切れるかも知れないが、あちらには自分と同格のトライアングルメイジが二人いる。
しかも遠距離や空中戦を苦手とする土系統の自分に対して、あちらは火と風である。明らかに分の悪い賭けと言えた。
歩幅の違いを活かしてゴーレムで逃げる?
それでは結局の所フライと大差ないし、ゴーレムとフライとでは術者の消耗が違いすぎる。ここまで巨大なゴーレムではなおさらだ。
土の術で地面に潜って逃げるという手も無くはない。学院で宝物庫から破壊の剣を強奪した時もゴーレムで追っ手の目を引きつけて地面に潜み、そのまま地中を移動してその場を逃れたのだ。
が、これはさほどスピードが出ないし、加えて敵に気を感知する事の出来るショウが居る以上、かなりのリスクを伴う。
それがどれだけの精度を持つ物かはわからないが、場所を特定されて、あるいはまぐれ当たりでも大きいのを一発貰ったらそれまでである。
忍者になった影響か、フーケ自身もショウの気による攻撃の前兆を何となく察知できるようになっていたが、来るのが分かった所で躱せなければ意味がない。
またあれが届かないくらい深く潜れば、今度はフーケ自身が窒息して生き埋めになってしまう可能性もあるのだ。
となれば道は二つしかない。
力づくでショウ達を叩きのめして強行突破するか――もしくは口先三寸で煙に巻くかだ。



唐突にゴーレムの動きが止まった。
ある者はいぶかしみ、またある者は好機とばかりに詠唱を開始しようとした所で上から声が降ってくる。

「ちょっと待ちな! これ以上戦っても互いに得はないだろう。『破壊の剣』はぶっ壊れちまった! あたしはお宝を逃したし、あんた達は取り戻す目標を失ったわけだ。
 つまり、勝った所でお互いに何も得られないんだよ! それでもあんた達はあたしとの戦いを続けるかい!」

フーケが声を張り上げたその言葉に、ショウ達は互いに顔を見合わせた。

「今まで高笑いしながら私たちを追い回してたのは何だったのよ」
「ねぇ」
「そこ、うるさいっ!」

キュルケとリリスがジト目でこちらを見ながらひそひそ囁きあうのを忍者の聴力で耳ざとく聞き咎め、フーケが怒鳴った。
こほん、と咳払いをして気を取り直す。

「いいけどね、グズグズしているとケイヒが来るよ! あいつとはここで合流して、お宝を引き渡す事になっているんだ!
 あたしを倒した所で、そのあとあいつと出くわしちまったらあんた達も無事じゃ済まないだろうねぇ!」

思惑通り、リリス達がぐっと詰まったのを見てフーケは心中ほくそ笑んだ。
九分九厘はったりであると分かってはいても、奴らにこれは無視できない。
仮面の男からケイヒの事を聞いた時にはなんだそれはと思った物だが、災い転じて福となすという所か。
どうやら上手く行きそうだと思った彼女であったが、落とし穴は思わぬ所に口を開けていた。


「わかったかい!? それじゃあたしはトンズラこかせて貰うよ! あんた達もケイヒに出くわさないうちにお仲間を回収してさっさと・・・・・」

フーケの言葉が突然途切れた。
表情は微妙に異なれど、揃っていぶかしげに頭上を見上げる五人。
その高さゆえはっきりとは分からなかったが、それでも耳元を押さえて大きく表情を変えるフーケの顔が、何かしらの変事が起こった事を彼らに教えていた。



その時フーケの耳に聞こえてきたのは、あの仮面の男の声だった。
恐らくは声を中継する風の魔法だろうが、多少くぐもってはいてもこのあからさまに人を見下す響きは聞き間違いようもない。

(聞こえるか、土くれ。そのまま戦い続けろ。少なくともあの黒髪の小僧を殺すまではな)

「なっ・・・!」

思わず叫びそうになり、慌ててフーケは声を押し殺した。
耳を押さえ、囁き声でどこにいるとも知れぬ仮面の男に噛み付く。

(冗談じゃないよ! そもそも直接戦わないでいいって言うから引き受けたんじゃないか! 一見あたしの方が有利に見えるかもしれないけど、こっちはあの小僧の攻撃を一発喰らったら終わりなんだよ!?)
(その為に忍者とやらになったのだろう?)
(あたしゃ忍者なんかになるつもりはなかったんだよ! 大体使っちまったら売れないたぐいのブツだったじゃないか!)

言いつつも、フーケはわき起こる不安をとどめられずにいた。
この傲慢な声の主は、常に自分の都合だけしか考えていない。
この手の人間が自分の意志を通せない場合、まず間違いなく実力に訴えてくる。
そして今仮面の男が取り得る実力行使と言えば。

(そうか。なら、貴様の妹の身の安全は保証できんな)
(・・はったりかましてんじゃないよ。あの子がどこにいるか、あんたはそれだって知らないだろう)
(くくく、なら俺の言葉を無視してみるか? その結果どうなるかは分からんがな)

本質的には間違いなくわがまま育ちのお坊ちゃんだが、困った事にこいつは駆け引きという物も知っていた。
駆け引きのこつは相手の急所、譲れる部分と譲れない部分の境目を見抜き、そこをぴたりと押さえること。
先ほどのショウ達と同じだ。
たとえ九分九厘はったりであることが分かっていても、フーケ・・・いや、マチルダ・オブ・サウスゴータは妹を危険にさらす可能性を無視出来ない。
守る物がある時点で、彼女は絶対的に不利なのである。



無言のまま、ショウ達はいきなり黙り込んでしまったフーケの言葉を待っていた。
無論いきなり襲いかかってくる可能性もあるから、全員が呪文の詠唱なり気を放つ準備なりを終えている。
その中で、それに最初に気づいたのは視力に優れるエルフのリリスであった。

「あいつ、口を動かしてない?」
「あら本当。まるで誰かと喋っているみたいね」
「危なくない? 呪文を唱えてるんじゃないの?」
「・・・・」

緊迫感を持ったささやきが交わされる中、眼鏡の奥でタバサの目がすがめられた。
と言っても、元々あまり目が良くない彼女にはリリスの言葉を確認する事が出来ない。
横のショウをちらりと見たが、彼は彼で小声で呪文を詠唱しながらなにやら考え込んでいるようだった。
その目が急にはっとしたように見開かれる。
そしてタバサが急いで風のルーンを唱え始めた時、頭上から再びフーケの声が降ってきた。

「あんたたち! 悪いけど気が変わったよ! やっぱりショウの命を頂くまでは続けようじゃないか、ええ!」
「?!」

自分から停戦を提案しておいていきなり無茶苦茶な事を言い出したフーケに、ルイズ達が唖然とする。
が、唯一ショウだけは僅かにいぶかしげな表情を作ったのみで、何事もなかったかのように小声での詠唱を続ける。
そして我に返ったルイズ達が、唱えておいた呪文を発動させる直前。
フーケの姿が消えた。

いや、正確には身を翻してゴーレムの背中、彼らから死角になる方向に飛び降りたのだ。
直前までフーケのいた空間にルイズの爆発が炸裂し、ゴーレムの肩と側頭部を削る。
重ねてファイアーボールが飛び、空気とゴーレムの表面の土をあぶる。
さらに一瞬遅れてリリスの持つ最大の攻撃呪文、「死言(マリクト)」が解き放たれた。タルブ村でエンジェルの大半を葬り去ったあの呪文だ。
禁じられた言葉によって巻き起こされた波動が足下の土と周囲の大気とを巻き込み、ゴーレムの全身を無音の音が粉砕する。
粉々の砂礫になって崩れるかに見えたその形が、だが崩れながら、粉砕されながらも次の瞬間にはまた人型にまとまろうとして、また粉砕される。
そのように破壊と再生がせめぎ合う十秒あまり。
ついにゴーレムは耐えきって、見る間に元の人型が形作られる。

「・・そんなんありぃ?」
「ゴーレム作成の呪文を唱え続けたのだと思われる。破壊されながら、同時にゴーレムの肉体を構成し続ける事であのような現象が起こる」
「なんてインチキ! 大体フーケはどこ行ったのよ!?」
「飛び降りただけではリリスの死言(マリクト)を躱せるとは思えない。恐らく・・」

本日二度目のリリスの罵倒は無視して、タバサが疑問に応えようとした瞬間。
ゴーレムが飛んだ。
実際にはショウ達のいる辺りに向けて身を投げ出したと言った方が正確だろうが、彼らにとっては余り違いはないだろう。
身の丈40メイルになんなんとする人型の土の塊、それもかなり横幅の広いそれが降ってくるのだ。
真下にいる人間にとっては巨人族の拳だの小屋だのどころの騒ぎではない。それこそ山が丸ごと降ってくるのと変わらない。

「嘘ーっ!?」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!」

リリスが喚き、それにキュルケが突っ込みながらも、今度は各人の反応も早かった。
ルイズとキュルケはそのまま一目散に、タバサとリリスは空気の障壁を張る呪文を咄嗟に詠唱しつつゴーレムの影から脱出しようと左右に散らばる。
が、その刹那ルイズの足が止まった。
ショウが動いていない。
剣を左手に持って呪文を詠唱しつつ、落ちてくるゴーレムの一点、胸の辺りを睨んで仁王立ちしている。
何故、とルイズが考えた次の瞬間、周囲が真っ暗になる。
ゴーレムが覆い被さってきたのだと理解し、しかし再びショウに視線を向けて逡巡した所で時間が尽きた。
ルイズを圧倒的な質量が押し潰し、真っ暗になり何も分からなくなった。



一方ショウはキュルケやリリスとは違い、頭上から山が落ちてくるかの如きこの状況にあっても全く心を乱していない。
理由はフーケの存在にあった。
今現在フーケは見事に気配を消している。
ショウの察知をもってしても気のせいかどうか分からないほどかすかなそれを、ゴーレムの胴体の辺りから一瞬感じられたのみ。
そして気配は感じられないのに、全身をひたひたとなぶるような剣呑な予感だけは消える事がない。
ショウにも覚えのある、まさしく練達の忍者に狙われた時の感覚そのものであった。
彼がこの状況でなお動じないのは彼の修練の成果のみならず、その感覚が動くなと命じたからに他ならない。
言ってみれば今の彼は、頭上からゴーレムが降ってくる程度の事を気にしていられないほどに切羽詰まっていたのである。
その感覚から意識を逸らしたが最後、この土の山に押しつぶされるよりもよほど確実な、剣呑な死が待ち受けている。全身の細胞がそう主張していた。

先手という選択肢はない。
確かに鳳龍の剣術をもってすればこのゴーレムの上半身を吹き飛ばすくらいは出来なくも無かろう。
だが万一そこにフーケが居ない場合、ショウは絶好の隙を見せてしまう事になる。
熟練の忍者を相手に、それが致命にならないと楽観できる根拠は何一つない。
そしてそれを抜きにしても、ショウにはそうできない理由があった。
なれば、後の先。
このゴーレムのダイブに乗じて必ず仕掛けて来るであろうフーケの、その攻撃の一瞬の先手を取る。

落ちてくる山のような土の塊。
フーケが潜んでいると思われる辺りから目を離さず、剣を左手にだらりと垂らしてそれを待ち受ける。
そしてゴーレムによって潰されるその時まで一秒を切ったかと思われたその刹那。

「!?」

ショウの視界を覆い尽くしたゴーレムが「ほどけた」。



時は僅かに巻き戻る。
タバサが推理しショウが看破したとおり、フーケはゴーレムの中に潜んでいた。
背中側に飛び降りてショウ達の視界から姿を消し、そのままゴーレムの中に潜り込んで呪文やショウの剣技による追撃を免れようとしたのである。
ゴーレムの巨体の前にルイズの爆発やキュルケのファイアーボールは問題にならなかった物の、リリスの死言(マリクト)の威力は流石の彼女に冷や汗をかかせるのに十分であった。
ゴーレムの巨体の中心近くに潜んでいたにもかかわらず、目の前の土から薄く光が漏れるほどにその身体は削られていった。
必死でゴーレム作成の呪文を唱え続けていなければどうなっていた事かしれない。
エルフってのはやはりとんでもない、そんでこんな術を使えるエルフがあれだけ恐れるんだから、ケイヒとやらは正真の怪物に違いないなどと場違いな感想を抱きつつ、さらに一瞬後のショウの放つであろう剣技の衝撃に備える。
が、それは来なかった。
いぶかしく思いつつも、ならばとフーケは当初の作戦通りショウ達の頭上にゴーレムの身体を躍らせた。
だが元より、ゴーレムのボディプレス如きでショウを仕留められるなどとは思っていない。
これはあくまで見せ技に過ぎないのだ。
ショウの命を確実に奪うための。

さて、今フーケがやっているような土ゴーレムの中に潜り込んでそこからゴーレムを操るという方法は一見攻防一体の上手い戦術に思える。
ゴーレムの最大の弱点である術者を完璧に保護する事が出来るからだ。
だが、ハルケギニアでそんな真似をするゴーレム使いは殆ど聞かない。何故か?
答えは簡単、外部を知覚できないからである。
覗き穴を作れば良いではないかと思うかも知れないが、経験則によって覗き穴程度の視界は大して役に立たない事は広く知られていた。
狭い視界に遮られて敵が足下に接近するのに気づかず、足を破壊され無力化されてしまうのである。
で、あるならば肩が隠れるくらいの穴ないし壁を作り、敵の飛道具に対する遮蔽を取ってゴーレムを操るのが実戦的、というのがハルケギニアの軍隊における常識である。
だが、フーケには何とかなるだろうという妙な確信があった。そして事実何とかなってしまったのである。

風のメイジが空気の流れを読み、水のメイジが人の体内の水の流れを察するように、土のメイジは土を見通す事が出来る。
フーケほどの熟達者ともなれば地中奥深くの水源を正確に感知する事も容易い。
そしてゴーレムの体は土であり、フーケは忍者として並の人間では及びもつかない超人的な感覚を備えている。
つまり、フーケはゴーレムの表面が拾う空気の震動を、自身の耳で知覚するかのように捉える事が可能になっていたのだ。
会話などを聞き取るには些か不自由でも、足音で場所を察知するには十分なほどの。
フーケ自身デタラメだとは思うが、出来てしまったのだからしょうがない。
そして足音や甲冑の音を頼りにショウの位置を特定し、フーケはゴーレムの巨体を宙に躍らせたのである。
閑話休題。


「「「「!?」」」」

ゴーレムが人の形を失う。
正確に言えば、ゴーレムがその素材である土に戻ったのだ。
固体化したゴーレムではなく、ただの土なら押し潰されずにすむ・・とは行かない。
40m近いゴーレムを構成していた土である。その4000トン近い土砂が、しかも横殴りの勢いを付けて襲いかかってくるのである。
殆ど雪崩や山津波に巻き込まれるのに等しい。
それに巻き込まれるまで後一秒。
その場を動かなかったショウを含め、誰一人安全圏には脱出できていない。
その刹那、キュルケが考えたのは青い髪の親友と意地っ張りでいじりがいのある桃色の髪の少女。小麦色の髪をした、どこか頼りない剣士。
タバサは母の事、復讐を仕遂げられずに死んでいく事を思った。
リリスの脳裏をよぎったのは、かつて迷宮で生死を共にした黒髪の少年の面影だった。
ルイズの意識は動かない自分の使い魔への「なぜ?」で埋め尽くされて、そちらに気を向ける余裕は殆どなかった。
そしてショウは。

(来る!)

訪れるその瞬間に向け、さらに意識を研ぎ澄ませる。
その一瞬。
生と死が交錯する一瞬を待っている。



その一瞬に向けて、フーケも自分の意識を研ぎ澄ましていた。
ショウがあの技なり呪文なりを放つようであれば今度もゴーレムを楯にして凌ぎ、そのまま押しつぶすつもりだった。
そうでなければ空中で呪文を解いてゴーレムをただの土に戻し、それをかく乱の煙幕としてフライでショウに接近、クリティカルヒット狙いの一撃を放ち、成否にかかわらず地中に逃がれてそのまま戦場を離脱する。
これがフーケの策であった。
あの仮面の男がいつ介入してくるか知れた物ではない。そして奴は恐らく彼女を捨て駒として扱うだろう。
なれば、介入の暇を与えずに事を終えるのが最上にしておそらく唯一の生き延びる道。
拙速であろうともとにかく早くけりを付けねばならなかった。
フーケやショウが全員土に埋もれれば、奴もその確認のために時間を取られる。
仮にあの男がすぐそばに潜んでいたとしても、このゴーレムを構成していた土砂が脱出のためのいい目くらましになってくれるはずである。

既にフライは詠唱済みだ。
一つ気がかりはと言えば、自分が消した気配をショウがどれだけ正確に察知できるか、だ。
ショウの足音はこの期に及んで一歩も動いていない。
間違いなく、自分が攻撃を仕掛けようとしているのに気づいている。だが、いつ、どこで攻撃しようとしているかまでは掴めていまい。
掴ませないための意表を突いたゴーレムの跳躍であり、土砂であり、隠形である。
ただ視覚と聴覚はいくらでも欺けるが、気配ばかりは自分でこれを絶つ以外に誤魔化す方法がない。
だが、逆に言えばそれさえ誤魔化せるなら、降り注ぐ土砂の中でフーケを発見する術はない。
大丈夫、とフーケは自分を鼓舞する。
一瞬後にショウと、あの人間離れした少年と命のやりとりをするのに驚くほどの平静を保っていられている。
気息の乱れも全くない。
いかにショウとは言え、気配を絶った忍者を察知する事は容易くはあるまい。
フーケがどこにいるか正確に掴めない以上、ショウがフーケを倒す術は広範囲の攻撃、すなわち呪文か鳳龍の剣技に依るしかない。
だが鳳龍の剣技の前兆である気の膨れ上がる気配はこの期に及んで感じられなかったし、呪文にしてもこの土砂の中では火炎にしろ氷雪の嵐にしろ威力は半減どころではない。

土砂と共に自由落下しつつ、ショウの目前に達するぎりぎりまで身動きすら殺してフーケは己の気配を絶つ。
フーケはここで死ぬわけにはいかない。
ショウに斬られるのも、あの仮面の男に利用されて終わるのも真っ平御免だ。
そしてなにより妹を、ティファニアを守らなくてはならない。
さっさとこの場を離脱して、アルビオンにいる彼女を一刻も早く安全な場所に移さなくてはならないのだ。

(今だ!)

完璧なタイミングだった。
ショウが土砂の雪崩に巻き込まれた瞬間、フーケはショウに突進した。
途中、一度だけ大地を蹴る。
フライの推進力に、大地の反発力。そして全身の筋力を打撃点に収束させる忍者の体術。それらが一つになり、殺意を持つ疾風となる。
土砂の中でこちらの動いた気配を察したか、ショウはかろうじて反応したが、遅い。
防御にしろ攻撃にしろ、ショウより一手早くフーケの手刀が届く。
狙うは甲冑に守られておらず、咄嗟にかわす事も難しい喉笛。手刀に集中させた「気」は、今や鉄の甲冑すら穿つ威力をその繊手に与えている。
指先を揃えて突き出したフーケの貫手。ショウのあごの下に潜り込んだ指の先で肉がはぜ、骨が砕ける。
ショウの喉笛と頸骨が・・・ではなかった。
砕けたのはフーケの指の骨であり、はぜたのは砕けた骨を飛び出させたフーケの指の肉であった。
ショウの甲冑の首の部分は動きやすいよう柔らかい革で覆われているのみでろくに装甲などない。
にもかかわらず、忍者の体術にフライの推進力、そして先端に集中させた気の威力を加えて繰り出されたフーケの貫手は、柔らかい喉笛と文字通りの薄革一枚の前に、無残にもひしゃげて砕けていた。

「まぎ・しんおうくび」

降り注ぐ土砂の中タバサが呟いたが、それを聞いた者は、フーケを含めて本人以外にはいなかった。
そしてフーケがその痛みを知覚するのと同時に、空だったショウの右手がフーケの腹に当てられる。

――実の所ショウは、フーケがゴーレムの肩から飛び降りたその瞬間から、フーケが接近戦を仕掛けてくる事を読んでいた。
ショウがフーケを圧倒できるほどに読み合いに長けているわけではない。
本気でフーケがショウを殺そうとした場合、それ以外の有効な手段が無いのである。
故にショウはリリス達が攻撃呪文を放っている間も、魔術師呪文1レベルに属する防御呪文「鉄身(モグレフ)」をひたすら唱え続けていた。
この呪文は術者の肉体を硬化させて防御力を高める。
単に回避力を上昇させるだけならば2レベルの「透身(ソピック)」という手もあったが、自身を透明化するこの呪文は視覚以外の感覚に頼る目標には効果が薄い。
常人離れした聴覚を持つ忍者に対して使うには今ひとつ心許なかったのである。
そして1レベルの呪文を使い切る程に重ねがけした鉄身(モグレフ)の効果に加え、全身の気を首の一点に集中させて重点的に守る。
フーケが狙ってくるのは恐らく鎧に守られていない頭部か頸部。その中でも必殺を期す事が出来る死点、両目の間にある烏兎(うと)、鼻と口の間にある人中、そして喉笛あるいは頸動脈のいずれかであろう。
その中で首を集中して守ったのはただの勘だ。
だが戦場を生き残ってきた古強者の直感は時としてあらゆる論理に勝る。
そして今回もその勘がショウの命を救った。

「・・・うっそぉ」

砕けた右手が人ごとであるかのようにフーケが思わず呟いた瞬間、フーケの腹部の一点から内臓全体、そして全身を揺さぶるような「気」の衝撃が走った。
呪文を使えるのは知っていたけど、自分の肉体を錬金して鉄にするような、こんな呪文まで使えるのか。全くとんでもないねぇ。
そう、自らの迂闊さとショウのデタラメぶりに呆れながら、フーケは意識を失う。
こうしてショウ達とフーケとの戦いは、意外にあっけない幕切れを迎えたのであった。
ゴーレムの土砂による山津波にそのまま全員が飲み込まれてしまった事を除けば、だが。





「――――――――――――――っ!」

声にならない絶叫が、絶望の悲鳴が森に響く。
それは4000トンの土砂が大地を叩き付ける音をなお圧して響いた。
一部始終を見ていたワルドである。
(彼から見れば)無責任にも場を放棄して逃げ出そうとしたフーケを脅しつけてショウとの戦いを続けさせたは良いが、追い詰められたフーケはワルドの全く想定外の行動に出た。
その結果は見ての通りである。
ゴーレムが勢いよく身を躍らせていたため、土砂は地面に叩き付けられてからも横滑りし、ゴーレムからすれば一、二歩程、およそ10メイル近い距離を移動して止まった。
戦場であった場所に残ったのは高さ10メイル、直径がおおよそ40から50メイルに達しようかという土の山。
取り戻すべき過去も未来の栄光も、手に入れるべき力もそして母親になってくれるはずの少女も、全てはワルドの目の前でこの土砂に押し潰されてしまったのである。

僅かに呆然とした後、ワルドは我に返った。
フライを唱えるのももどかしく、木立の中から飛び出す。
土砂の山に降り立ち、僅かに逡巡する。
何分にも土砂そのものが移動し、攪拌されているため、巻き込まれたルイズ達も今やどこに埋まっているか、かいもく見当が付かなかった。
それにルイズが中で重傷を負っている可能性もある。
強い風で土を吹き飛ばしでもしたら、致命的なダメージを与えてしまうかも知れない。ショウの埋まっている場所が分かれば喜んでそうしただろうが。
だが、このままではどのみちルイズは助からない。
意を決すると、ワルドは杖を抜いて風の呪文を唱えた。
風のスクウェア・スペル「ユビキタス」。
最初にいた一人を含め、5人のワルドが土山の上に現れる。
さらにもう一つ、それぞれのワルドが呪文を唱えた。
それぞれの杖の先端に小さな風の壁が生まれる。
左手でその手応えを確認すると、ワルドたちはそのまま鉄杖の半ばを左手で握りしめ、やや背をかがめた。
踏み固められていない土は軟らかく、足は膝までも沈み込んでいる。
そして杖と先端の風の壁をスコップのように使い、5人のワルド達は一斉に土砂を掘り返し始めた。



(ルイズ! ルイズ! ルイズルイズルイズルイズルイズ!)

鬼気迫る、というのはこういう表情だろうか。
魔法も使わない、たかだか数人の人間によるものとしては驚異的な速度で土が掘り返され、土山の外に放り出されていく。
今ばかりは彼の脳裏にルイズ以外の事象は存在しない。
ただ、ルイズが死ぬ前にここから助け出さなくてはならない、それだけを考えている。

掘り始めてから二三分も経ったろうか、ワルドの一人が杖の先に妙な手応えを感じた。
風の壁同士がぶつかった時に生じる反発なのだが、今のワルドにはそこまで分からない。
そこにルイズが埋まっているかも知れないと思っただけで、彼の脳は正常な判断力を半ば失っている。
すぐさま五人がそこに集まり、集中的に掘り返し始める。
すぐにほっそりした身体、学院の制服のブラウスとプリーツスカートが現れた。

「ルイズッ! 無事か! 僕だ、ワルドだ!」

杖を放り出して素手で土を掻き分け、二人がかりで抱き起こす。
その瞬間、五人のワルドの顔が露骨な失望に歪んだ。
埋まっていたのは体格こそ似ていたが桃色の髪の少女ではなく、青い髪に眼鏡の少女、タバサであったのだ。

「ありがとう子爵、助かっ」
「ええい、お前のような洗濯板に用はない!」

礼を述べる途中でぽいっと投げ捨てられ、ちょうど子熊が遊びでやるように、タバサはコロコロコロと土くれの山の斜面を転がりおちた。
転がりながら綺麗に膝から着地して、ぺたんと女の子座りのような格好になる。

「じゅってんじゅってんじゅってんじゅってんじゅってん」

ぼそりと呟いた彼女の言葉を、当然だが誰も聞いていない。

鈍い痛みを改めて体中に覚え、タバサは僅かに顔をしかめた。
骨まではダメージがいっていないようだが、それでもまともには動けそうにない。恐らく杖にすがって歩くのがやっとという所か。
タバサが圧死や窒息死を免れたのは彼女自身がかけた風の障壁と、リリスが掛けた空気の壁を作る防御呪文「空壁(バマツ)」のおかげだが、それでもダメージがゼロというわけにはいかなかったようだ。
元より彼女の身体はかなり華奢に出来ていて、打たれ強いとはとても言えない。
土山の上から断続的に土が降ってきているのをちらりと眺める。
キュルケやルイズの事も心配だが取りあえず動ける程度に自分を回復させるのが先だと判断し、タバサは水のルーンを唱え始めた。


風のメイジならではの嗅覚かそれとも愛の力か、ワルドはすぐに次を掘り当てた。
杖の先に手応えを感じ、今度はすぐさま素手で掘り返す。
土の中に潜らせた手が、プリーツスカートの布地に触れた。

「む?」

ふに。
ふにふに。
ふにふにふに。
埋まっているスカートから感じる感触を確かめるように二三回それを揉むと、ワルドは忌々しげに舌打ちした。

「ええい、これじゃない! ルイズ! 僕のルイズはどこだっ!」

身を翻して再び土を掘り返し始めたワルドたちの後ろで埋もれた尻・・・もといキュルケが臀部をつまみ上げられたような姿勢で土の中から浮き上がった。
タバサの「レビテーション」である。

「・・・ほんっと、失礼な男ね・・・!」

憮然とした表情で呟くキュルケのことなど、勿論ワルドの意識の隅にもない。



タバサの水魔法でキュルケが取りあえずの処置を終えたのとほぼ同時。
土山の、ワルド達がいるのとは逆側三分の一ほどが突然吹っ飛んだ。
キュルケは元より、タバサが振り返るよりもなお早く、5人のワルドが一斉に戦闘態勢を取る。
一瞬前までルイズルイズとブツブツ呟きながらひたすら土を掘っていたとは思えぬ、見事な反応であった。
揃って手に持っているのが軟式スコップでなければ少しは見直されて然るべき光景だったが、残念な事にこの場にはまたもルイズはいなかった。

「敵か! "土くれ"か!」
「待って、子爵。あれは多分ショウよ!」

呪文を詠唱しようとしたワルド達をキュルケが止めた。
ぱらぱらと土が舞い落ちる音の中、咳き込む声が聞こえる。
崩れ落ちる土を掻き分け這い出てきたのは、果たせるかなショウであった。

「ちっ」
「子爵、いま舌打ちしませんでした?」
「いや。気のせいではないかね」

空々しい顔でキュルケの追及をかわしたワルドの顔が、不意に憤怒の相に歪んだ。

「それよりルイズだ! あいつめ、あんな事をしてぼくのルイズが巻き込まれでもしたら・・・」
「落ち着いて子爵。ショウには壁を通してでも生き物の存在を感じる能力がある。恐らくは私たちやルイズが居ない方向を見定めて放った。
 それより彼ならどこにルイズとリリスが埋まっているかも分かるはず」
「おお!」

現金なもので、ワルドが一転して輝かんばかりの表情になった。

「ねえ、ショウ君!」

いち早くフライで飛び上がっていたキュルケが、ショウの前に着地しようとしてぎょっとしてその動きを止めた。
ショウが肩を貸して土の中から引っ張り出したのは、気絶したままのフーケだったからである。

「ちょっと! なんでそんな女を助けるのよ?!」
「訳は後で話します。それよりも、急いで。あそこの向う側、タバサの立っている所から向こうに7メイル辺りを掘って下さい。6メイル以上地下に埋まってますからこのままじゃ危ないです。こっちは俺一人でもどうにかなりますから」
「わ、わかったわ」

問い詰めようとしたキュルケであったが、確かにショウの言うとおり、埋まったままのリリスとルイズを助ける方が先決である。
キュルケが飛び上がって、ワルドにショウの言葉を伝える。
吹き飛ばした土砂の中程にフーケを横たえると、ショウは少し離れた所の土を自分の手で掻き分け始めた。



「「「「「ルイズ! ルイズ! ルイズルイズルイズ!」」」」」

さながら合唱のように、ワルドとその遍在達はルイズの名前を叫びながら土を掘り返していた。
同じ顔が汗だくになりつつ、しかし歓喜の色をたたえながらお題目のようにルイズの名前を叫んで土を掘っているのは、中々に不気味である。

「というかキモい」
「よねぇ」

ぼそっと呟いたタバサの言葉も、キュルケの同意も、今の彼には届いていない。
6メイルも掘るのは流石に大変なので風の呪文で上の土を吹き飛ばしてから作業に入ったのであるが、その進み具合がこれまでにもまして尋常ではない。
さながら雪に熱湯を注いでいるかのように土が消えていく。

「これも愛の力なのかしらねー」
「認めたくない事実も世の中には存在する」

二人が送る何とはなしに白けた視線の先で、手応えがあったかワルドの一人が動きを止めた。
五人のワルドが一斉に杖を放り出し、その周囲に群がって手で土を掻き分け始める。
目をぎらぎらと輝かせたその表情を見て、埋めた骨を掘り出す犬みたいだとキュルケは思ったが流石に口には出さなかった。

「むしろ死んだセミに群がる働きアリ」
「それはさすがに酷いんじゃない、ていうか何で私の考えてる事が分かったのよ」
「なに、観察とちょっとした推理の産物だよ、キュルケ君」
「・・・」

リアクションに窮するキュルケだったが、タバサがワルドが掘った穴の底に降りていくのを見て慌てて自分もついて行く事にした。

「ルイズ! しっかりしろルイズ! 君のワルドだ!」

隠しきれない期待を声と表情からにじませ――表情から見る限り色々と不純な期待も入っている事は疑う余地がない――土を掻き分けるワルド達。
と、その表情が一転して愕然とした物に変わる。
むくり、と土が起き上がり、頭の土を払った。

「――っ!」
「あはは、ルイズでなくてごめんねー」

よこしまな希望に満ちあふれたワルドを一転して絶望のどん底に叩き落としたのは、ターバンを巻いたエルフの司教。苦笑しながら立ち上がろうとするリリスだった。
はっと何かに気づいたワルド達が、立ち上がってショウが吹き飛ばした斜面の方を一斉に向いた。



ショウが土を掻き分け始めて程なく、小手が固く細長い物にぶつかる。ショウも見慣れた、ルイズの杖であった。
それまでよりやや慎重に土を掻き分け、気絶していたルイズを掘り出す。
未だ効力を発揮している空壁(バマツ)の呪文のため、その身体に直接には土は触れていない。
なので生き埋めになったまま気絶しても呼吸は出来ていた。
問題は先ほどのタバサと同様、打撲と圧迫によるダメージがどれほど残っているかである。
呼吸が規則正しくしっかりとしている事を確かめて、ショウはほっと息をついた。
上半身を抱き抱えるようにして土の中からルイズの身体を引っ張り出す。

「ん・・・」

ルイズが身じろぎする。
横抱きに抱え上げようとする手を止め、その顔を注視するショウの視線の先で目がぱちりと開いた。

「大丈夫か、ルイズ?」
「・・・あれ。ショウ? ・・あがごっ!?」

体中の痛みで覚醒したか、ルイズの顔が愉快な表情に歪む。その目尻に涙がにじんでいた。

「だ、大丈夫じゃないわよ・・・体中がすごく痛い・・」
「今リリスさんを掘り出してるから、それまでの辛抱だ」

タバサと同じく華奢なルイズにとり、やはり山津波に巻き込まれたダメージは大きかったらしい。
ショウがその身体をそっと横たえようとした瞬間、ルイズが跳ねるように起き上がった。

「ちょっと! 何よそれ!?」
「え?」

ショウの頬を両手で挟み込み、ルイズが顔を近づけた。
その視線は、血がべっとり付いたショウの喉元に向けられている。
勿論フーケの血なのだが、ルイズから見れば喉に大けがを負ったようにしか見えなかったらしい。

「血だらけで! ええと、水魔法、じゃなくてリリスの回復呪文、いや今掘り出してるからやっぱり水魔法・・」
「落ち着け。これは俺の血じゃない」

ショウが一瞬いぶかしげな表情になった物の、すぐにそれが苦笑に変わる。

「大体喉をやられてたらまともに話せるわけがないだろう」
「そ、そうよね・・・全くご主人様に心配かけ、れげぼっ!?」

ほっとした途端、驚きで麻痺していた痛覚が蘇ったらしい。
再び愉快な顔で倒れ込もうとするルイズをショウが慌てて抱きかかえた。
そのはずみで、互いの唇が触れあいそうになる程に顔が近づく。

「おっと」

ショウにとっては「おっと」程度の事ではあるが、ルイズの顔は真っ赤になった。
そしてワルドにとっては間の悪い事に、彼がショウ達の方を振り向いたのがまさにこのタイミングだった。



「「「「「ショウ・・・謀ったなショウ!?」」」」」

五人のワルドが一斉に絶叫した。
ワルドにしてみれば、彼をエルフの司教の救出に回して自分一人でルイズを助け出したのは、自分だけがルイズに感謝されるための奸計としか思えなかった。
無論そう言う事を四六時中考えているワルドならではの発想であり邪推も良い所なのだが、恋する男の嫉妬というのはとかく度し難い物である。
ふっ、とそんなワルドをタバサが鼻で笑う。

「君はいい友人だったが、君のロリコンがいけないのだよ」
「誰に言ってるのよタバサ」
「ワルド子爵、聞こえていたら君の生まれ持った性癖を呪うがいい」
「だからぁ、本当に聞こえてたらどうするのよ」

半ば諦めたように、それでも律儀にキュルケがたしなめる。勿論、ワルドは聞いてなど居なかったが。


取りあえず生き残りが全員土から這い出た後、巻き添えで埋まっていたヤンを掘り起こしながら、ショウ達は交代でリリスの回復呪文を受けていた。
ケイヒの事はあるが、放置しておくとさすがのヤンでも蘇生させる事が不可能になってしまう――多分、ひょっとしたら、もしかすると、恐らく――のでやむを得ない。
これについては言っているリリス本人も半信半疑の体であった。
一方ワルドは遍在と風スコップをフルに使って働きづめである。
ワルドとしては平民の剣士の死体をこの膨大な量の土山からわざわざ掘り起こすのを手伝う謂われも義理もないのだが、

「その、ワルド様・・・」
「ああ僕のルイズ。そんな顔をしないでくれ。君が困っているのに僕が手助けせずにいられるわけはないだろう?」

きらり、と歯を光らせるワルド。
げに男とは悲しい生き物である。



「そう言えば君たち、僕が5人いるのを見ても驚かないんだな」
「風の遍在とかいうやつだろう? 中々便利だな」
「人手が足りない時には特にね」

ワルドとしてはもう少し驚くだろうと期待していたのに、ショウとキュルケの答えは実にあっさりした物だった。
僅かに憮然とした所にタバサのフォローが入る。

「これでも子爵は一応スクウェアメイジ。仮にもスクウェアのスペルをこれだけ駆使できるというのはそれなりに大した物」
「へー」
「そ、そうですよね、子爵様はやっぱり凄いんですよねっ!」

「一応」や「これでも」に妙に力が入っていたような気もしたが、タバサの微妙なフォローとリリスの気のない相づちもワルドにはもうどうでも良かった。
精一杯無理して褒めてみましたという感じのルイズの賞賛でも、彼にとっては万雷の拍手に勝ったのである。
全くもって男というのは救いがたい。



ともかく死んだヤンに対してはショウの気配察知も役に立たない。
風の呪文で上の方の土を適当に吹き飛ばした後は、フーケの残した土の山を手当たり次第に掘っていくしかないのである。
作業するのはワルド五人と、タバサに風スコップを作ってもらったショウとで合わせて六人。
感覚の鋭いリリスとタバサがどこに飛んでいったか分からなくなった首の方を探しに行き、一方ルイズとキュルケは気絶したままのフーケを見張っていた。
縛られたフーケ(右手の傷は癒してある)の前に二人が腰を下ろしてしばし。不意にキュルケが口を開く。

「・・・ねえ、ルイズ」
「何よ?」
「まだフーケの事、怒ってる?」
「当たり前でしょ!? ヤンの首をはねて、ショウや私たちだって危ない所だったのよ! あんただって・・・」

ううん、とキュルケが首を振る。その目が、僅かに優しい。

「そうじゃなくて、フーケが優しい微笑みを見せた事」

ぐ、とルイズが詰まった。
ぴくり、と気絶したままのフーケの目尻が何故か動くが、二人ともそれには気づかない。

「あなたが今フーケに怒ってるのって、お姉さんみたいに思えたのが実は敵だったから、裏切られたような気になってるんでしょ」

ルイズは無言のまま、視線を合わせようともしない。
もっとも、キュルケにしてみればそれが既にして十分な答えではある。
むしろ精一杯の虚勢を張っているのがかわいくて思わず抱きしめたくなる所だが、真面目な話なのでそこは我慢。
一方気絶したままのフーケの、今度はこめかみがぴくぴく動いたがやはり二人は気づかなかった。

「まぁ、敵は敵だと思うわよ。あの時は確かに私たちを殺しにかかってたと思うしね」

ルイズは無言のまま。
フーケも気絶したままじっと聞き耳を立てている。

「でも、だからって何から何まで嘘だって言うのは違うと思うのよ。あの時のミス・ロングビルは私から見ても優しい表情を浮かべてたわ」

キュルケはフーケの事を故意に「ミス・ロングビル」と呼んだ。
ルイズの肩がぴくり、と震える。
気絶したままのフーケは、今度は努力して身体の動きを押さえ込んだ。僅かににじみ出る汗までは止められなかったが。

「確かにどこからどこまでが本当かは分からないし、彼女が犯罪者なのも事実よ。でもね、彼女が元貴族で生計を立てるために犯罪に手を染め、私たちを殺そうとした・・・それだけじゃないとは思うのよ。
 最初はおとなしくすれば命は取らないって言ってたし、それより何より、私にはあの時に見せた優しげな表情が嘘や演技だとは思えないの」

途中からは明らかに様子がおかしかったしね、と付け加える。
横たわったフーケのまぶたが不自然に痙攣するのをよそに、ついに堪忍袋の緒が切れたらしくルイズがキュルケに食ってかかった。

「だったらあんたはこいつを許せるって言うの!」
「ダーリンを殺されて許せるわけないでしょ、馬鹿じゃないの?」

あっけらかんとキュルケが即答する。
思わず絶句してしまったルイズに向けて、キュルケがさらに言葉を重ねた。

「でもそれは私の答え。あなたにはまた別の答えもあるはずよ、ルイズ。
 ねぇ、今私に食ってかかった時、何に対して怒ったの? 私の言葉? それともフーケを許してしまいそうな自分?」
「ッ!」

ルイズが再び視線を逸らし、唇を噛んで黙り込んだ。揺れる瞳はそのまま心の中を示しているようにも見える。
キュルケもルイズに向けていた顔をフーケのほうに戻し、立てた膝に顔を埋めた。
その視線の先で、フーケは不自然なほどに身じろぎもせず気絶している。
タバサがいれば睡眠時と覚醒時の呼吸の深さの違いで、ショウがいれば気の動きで本当に気絶しているかどうかが分かったのだろうが、二人ともまだこちらには戻ってきていない。
狸寝入りを決め込んだままのフーケにとっては、ある意味これが本日最大の幸運であるかもしれなかった。



しばし後。
意を決したフーケが自然に覚醒した様子を装って目を開いた。
手足が縛られている事を確認する振りをして周囲を油断無く見回す辺り、中々芸が細かい。
即座にキュルケはルイズにショウ達を呼びに行かせ、タバサとリリスも程なくしてやってきた。

六人、ワルドの遍在も入れれば十人がフーケの周囲を固める。
作り置きしておいたゴーレムももう無い以上、いかに忍者、いかにトライアングルメイジといえどもこの状況から逃れる術はない。
後ろ手に縛られながらも、フーケが器用に身を起こして斜め座りの姿勢になる。
その正面には腕を組んで仁王立ちしたルイズと、それに寄り添うように立つショウとワルドの姿があった。
ルイズの視線を感じつつ、さばさばした表情でフーケはショウに語りかける。

「結局のところ、やっぱりあんたにやられちまったねぇ」
「さっさと逃げないからだ。あの時、最初に言ったように逃げていれば俺たちも追えなかった。何故いきなり方針を変えた?」
「ま、色々あるのさ」

後ろ手に縛られたまま、フーケは器用に肩をすくめて見せた。

「にしてもご主人様はたいそうご立腹のようじゃないか。後腐れ無いようにさっさと斬ったらどうだい?」
「恩人を斬る気はない」

きょとん、とした顔で――もしくはそれを装って――フーケが聞き返した。

「恩? 何のことだい」
「そうよ! なんで私たちがこんな盗賊に恩を感じないといけないのよ!」

ルイズが顔を真っ赤にして怒った。近頃はなかった沸騰ぶりである。フーケには一瞬でも姉のカトレアを重ねていただけに、やはり裏切られたような気持ちなのだろう。
そこまでは察することが出来なかった物の、ショウとリリスがいつもの如くまぁまぁとそれをなだめる。このあたりの扱いはもう慣れた物だ。慣れさせられてしまった、とも言えるが。
一方でキュルケは何とも言えない視線をルイズに送っていた。

「お前が気づかないのも無理はないし、俺もついさっき気づいたことだが」

と、前置きしてフーケの方をちらりと見るショウ。

「モット伯の屋敷で、奴がシエスタを人質に取ったとき、天井が崩れて来たろう」
「ああ、ショウ君の技を受けた天井が上手いタイミングで崩れ始めたわね」

キュルケがうんうんとうなずく。

「それが偶然ではなかったとしたらどうだ」
「・・・つまりあれがこいつの仕業だったって訳? 根拠は何よ!」

噛み付く先を変えたルイズをあしらいつつ、ショウが一語一語考えるように言葉を紡ぐ。

「魔法を使う気配・・・正確に言えば『行動を起こす気配』と言ったらいいのかな。そう言う物を天井が崩れる直前に一回。こちらを伺うような気配をその後に一回。かすかにではあるが感じた。あの時は消耗していたから、断言は出来なかったんだがな。
 で、今日の戦いの中でそれがミス・ロングビル・・・フーケの物と同じだと言うことを確信したわけだ。
 ついでに言えばフーケは盗賊だったから気配を消す術に長けているはずだ。今日の戦いの中でも気配をつかむのが一苦労だったしな。このあたりは忍者になったことも関係しているんだろうが」

その言葉に、得心がいったようにタバサがうなずいた。

「そう言えばキュルケとルイズを人質に取ったあの時、フーケは確かに『手のひらをこちらに向けるな』とショウに言っていた。つまりショウがモット伯を打ち倒したあの技――透過波を知っていると言うこと。
 私の知る限りではモット伯の屋敷以外でショウがあの技を使った事はない。
 ショウは普段から鳳龍の剣技をみだりに使わないように気をつけているから、彼女がアニエスのような『牙の教徒』でないとすればあの場で私たちの戦いを見ていたことになる」
「なるほど、そっちは気づかなかったな」

改めて感心したような顔でタバサを見やるショウ。
一方フーケは、ぶすっとした顔で無言のままだった。
犯罪者として扱ってくれればいい物を、変に「いい人」扱いされてしまっているのがいたたまれない。しかも全くの事実なので反論も出来ない。加えて下手に嘘をついた所でこの生意気な黒髪の餓鬼はあっさりとそれを見抜くから始末に負えない。
要はどうしようもなくきまりが悪くてふてくされているのだった。

「じゃあ、なんでこの女は私たちを助けたのよ?」

ルイズはとりあえず怒りは収めたものの、改めて疑念を口に出す。
しかし言葉とは裏腹に、その顔には様々な感情が揺れていた。
自分に対する期待と疑念、助けてくれた事への感謝、再び裏切られる事への恐れ。ルイズの瞳にそうした物を見て取り、フーケは無言で顔を背ける。

「答えなさいよ!」

重ねて問い詰めようとするルイズ。
それにも無反応なフーケに、キュルケが一歩前に出た。

「ねえフーケ。盗みをするのも、私たちを殺そうとしたのについても、どうこうは言わないわ。自分で言ってたようにそれなりの理由があるんでしょうし、それについては多分私たちが口出しできる事じゃない。
 けどね、ルイズの心をもてあそんだ事については、あなたには釈明する義務があるはずよ。そうでなかったら私が許さない」

静かな言葉に、怒りがにじみ出している。
そんなんじゃないんだとフーケは叫びたかった。
もてあそんだつもりはなくて、騙すつもりもなくて、でもここで本当の事を言ったら『いい人』みたいになっちゃうじゃないか、と。
元より汚れ仕事と知って選んだ盗賊の道である。妹たちを養うのに他に選択肢がなかったとか色々理由はあるが、それでも自分で選んだ道には変わりない。
表街道を歩けなくなる事も、万が一捕まったら斬首になる事も。悪党呼ばわりされ、さげすみの目で見られる事も覚悟している。
それでも、いい人扱いされる事にはとても耐えられなかった。
自分を納得させるために無理矢理悪党を気取っているフーケにとって、善人扱いされる事は何より恥ずかしいことだったのである。


心なしか頬を赤くしつつ、ちらりとルイズの方を伺おうとしたその目に飛び込んできたのは、何とも言い難い妙な表情をしたショウの顔。
ぎょっとして反射的に顔を逸らす。が、それも意味がない事をフーケ自身既に理解している。
理屈は分からないが、こいつは気配で他人の感情を読める。顔を逸らした程度でどうこうなるような問題ではないのだ。

「ん? ん?」

様子がおかしい事に気づいたキュルケが自分とショウを見比べるのをよそに、フーケは必死で自分の感情を殺そうとしていた。
だが出来ない。抑えようとすれば抑えようとするほど、心は乱れ、様々な感情が渦巻いていく。

(なんでだよ!? 戦ってる最中は完璧に押さえ込めてたじゃないかさぁ!?)

戦闘では動揺や驚愕、恐怖といった感情を完全に抑え込んでまさしく戦闘機械ともなれるフーケであったが、生きるか死ぬかの緊張感がない状態では感情を殺す忍者の能力も全く役には立たないようであった。

「ねぇ、ショウくぅ〜ん」
「なんですか」

また何か悪巧みしてるだろう、とあからさまに警戒をにじませてショウがキュルケの猫なで声に答える。

「何よ。またショウにちょっかい出す気!?」
「んふふふふ、今回出すのはショウ君じゃないのよねぇ。ねぇショウ君。あなた人の感情を察する事が出来るわよね。今フーケが感じてたのはどんな感情かしら?」
「こ、この小娘っ!」

顔色を変えたフーケがキュルケの方を向くが、残念な事に今絶対的優位にあるのはキュルケの方であった。

「あぁら、私はショウと話をしてるのよ。嫁き遅れのおばさまは引っ込んでて貰えるかしら?」
「誰が嫁き遅れの年増だ! わたしゃまだ23だよっ!」
「年増じゃないの」
「・・あんた、五年後を覚えてなっ!」
「五年後のおばさまは三十路間近のおばあさまですわね」
「この・・・」

ぎりぎりと歯を鳴らすフーケ、口元に手を当てて高笑いするキュルケ。ショウはあまりの緊張感のなさにげんなりとした顔になる。

「・・・で、いいですか?」
「あ、どうぞどうぞ」

以前もこんなやりとりがあったなと思いつつ、改めてショウが口を開く。
諦めたのか、フーケは再び口を閉ざしてしまっていた。

「あの時のフーケからは羞恥心とか・・照れ? そんな物を感じました。罪を犯した事への恥ずかしさ・・でしょうか?」

前半に頷いたキュルケであったが、後半についてはちっちっち、と指を振った。

「それはないわね。彼女、割り切って盗賊やってるみたいだもの。それに、そう言う理由だったら照れるってのはありえないでしょ」
「じゃあ何だって言うのよ?」

これまで黙って事の成り行きを見守っていたルイズが口を開く。
その言葉にも表情にも、ショウが気を読む必要がないほどに心の内が現れていた。

「要するにね、あなたが大好きなお姉様の事を思い出したのと同じように、フーケもあの時大好きな誰かの事を思い出してたんじゃないか、あの時私たちを助けたのもそのせいじゃないかって事よ。
 多分、あなたと同じくらいの娘でもいるんじゃないかしら」
「娘なわきゃないでしょうがっ! あたしゃまだ23だと何度言わせる気よっ!?」
「じゃあ妹?」

ぐっ、とフーケが詰まった。
このやりとりもついさっき見たなぁ、とショウとリリスは顔を見合わせて苦笑する。
一対一ならともかく、ショウという生きた嘘発見器を併用されてはさしものフーケも分が悪いようであった。
一方キュルケはこれ以上無いと言うほど楽しそうな顔でフーケの頬をむにむにとこねくり回している。

「ほれ、どうなのよ。ほれほれほれほれ」
「うぐぐぐぐぐぐぐぐ」

キュルケの追求と周囲の視線、そして何よりルイズのすがるような瞳にフーケは耐える事が出来なかった。

「ああ、そうだよ! わたしにゃそこの小娘やメイドの娘と同じくらいの妹が居るんだ!
 親もいない、他に頼れる親戚も居ない、そのくせ自分と同じような境遇の餓鬼共を引き取って育てようとするような甘ちゃんで世間知らずで放っておけない、大事な大事な妹なんだよ!
 だからあのゲス野郎の屋敷では思わず助けちまったし、あの時もついついその子の事を思い出しちまってそんな表情になったんだろうさ!
 正直さっきだってこの小娘ともう戦わずに済むと思ったら結構ほっとした気持ちになったさ!
 ああ笑え! さあ笑え! というかいっそ殺せっ!」

言うだけ言ってフーケは地面に倒れ込む。大の字に、と言いたい所だが両手両足を縛られているのでどちらかといえばまな板の上の鯉といった感じか。
そのまま固く目をつぶって続く罵倒に耐えようとするが、覚悟していた笑い声やののしりの声は来なかった。
その代わり皮膚にまとわりつくようないくつもの視線を感じる。
とげとげしい、悪意や敵意と言ったたぐいのものではない。
柔らかく優しくそっと触れてくるような、むずがゆくなるようないたたまれなくなるような感触である。
耐えられずにそっと目を見開いたが、その行動をフーケはすぐに後悔する事になった。

ショウとリリスの温かいまなざし。

「ううっ」

タバサの無表情ながら不思議に温かいまなざしと、キュルケの生温かいまなざし。

「うああ」

万感を込めたルイズの、まさしく妹が向けてくるのと同種のまなざし。

「うぁぁぁぁぁぁっ!」

筆舌に尽くしがたいまでの気恥ずかしさに苛まれ、フーケがのたうつ。

(いっそ殺せ! 殺してぇぇ!)

かつての少女はまた一つ大人の階段を上る。
死にたくなるくらいの恥ずかしさというものを、今日初めてマチルダ・オブ・サウスゴータは知った。



しばし後。
釣り上げられた直後は元気に跳ね回っていた魚が時間と共に動かなくなるように、力尽きたフーケは弱々しく地面の上に横たわっていた。
周囲からの視線はまだ途切れる事がなかったが、もはやそれに反応する気力すら失っている。

「さてと」

ここまで敢えて傍観していたワルドが口を開いた。

「そろそろ、ヤン君を掘り出す作業に戻ろうか。フーケはこのままルイズとキュルケ嬢が見張っていればいい。このまま魔法学院に連れ帰って、それから然るべきところに突き出せばいいだろう」

その言葉に、ルイズがはっと気づく。

「あの、ワルド様」
「ん、なんだいルイズ?」
「フーケが捕まったら・・・どうなるのですか?」

不安をむき出しにしたその視線にワルドは僅かの間逡巡したようだったが、結局包み隠さず伝える事に決めたらしい。

「今のところ彼女の罪状は窃盗と強盗、器物損壊だけだ。僕の知る限りでは怪我人は出ても死人は出ていない。普通なら強制労働か鞭打ち刑だろうが、何せ被害件数が多い上に被害者が全て貴族だ。恐らくは縛り首、良くて流刑といった所だろうな」
「そんな?!」

さっとルイズの顔色が変わる。ショウやキュルケも、先ほどまでの雰囲気が嘘であるかのように、沈んだ顔つきになった。
ルイズにすがりつくような目つきを向けられたワルドは一瞬ひるんだが、それでもここは譲れない。

「しょうがないことなんだ、ルイズ。法を破る者は必ず法によって裁かれなくてはならない。そうでなくてはならないんだ。そうでなければ誰も法で守られなくなってしまう。フーケだってその辺は覚悟しているだろう。
 それにだ。どんな理由があろうとも君はこいつに殺される所だった。それだけは絶対に許すわけにはいかない」

暗にショウが殺され掛けたのはどうでもいいと言っているがそれはさておき、ワルドはルイズが今まで見た事もないような厳しい目をしていた。
父親でさえ、これほど厳しい顔でルイズを叱った事はない(母親は無論その限りではない)。

「でも・・」
「でもじゃない、ルイズ。僕たちは貴族だ。貴族として人々の範にならなくてはならないんだ。それにここでこいつに慈悲を掛けて解放でもしてみたまえ。こいつは涙を流しながら心の中で舌を出して、またどこかで盗みを始めるだけだ」

決まった、とワルドが内心ガッツポーズを取った。
ルイズには悪いが、『仮面の男』と接触したフーケにはできればさっさと死んで貰った方が望ましい。
それを抜きにしてもワルドはルイズを殺し掛けた彼女のことが憎くて仕方がない。出来るものなら今ここで殺してしまいたいくらいに、というのも掛け値なし彼の本音である。
それにルイズの意志に反して厳しい顔をした事で一時はしこりが残るかも知れないが、長期的には貴族の範たらんとする立派な人間として改めてルイズから尊敬して貰えるはずである。
内心得意満面になりながらも厳しい表情は崩さないワルドと口ごもってしまったルイズ。ショウとキュルケがそれぞれ助け船を出そうとした時、ルイズがきっと顔を上げた。

「それでも・・・それでも私嫌なんです! ちい姉様みたいに笑ってくれた人が死んじゃうなんて嫌なんです!」

この一言はワルドに少なからざるショックを与えた。ルイズにとっても所詮は盗賊、情と理を尽くせば納得してくれるだろうと考えていたのに、正面からそれを否定されてしまったからだ。
だがむしろワルドよりフーケのほうがショックは大きかったかも知れない。
一度は妹と無意識に重ねた少女が、姉のような人を殺したくないと自分の助命を嘆願している。しかも先ほどまでフーケと殺し合いをしていたのにだ。
自分を悪党だと自覚しているフーケであったが、これを聞いて何も感じないほどに醒めた人間ではいられなかった。

(・・参ったねぇ。私はそんな『いい人』じゃないってのにさ)

心中深くため息をつくフーケである。
一方ルイズは感情が溢れて止まらなくなったか、ぽろぽろと涙をこぼし始めていた。

「わ、ワルド様・・・私、私・・・」

ワルドが一歩踏み出すより早く、キュルケがショウの肩を押す。
押されて一歩踏み出したショウの手がルイズの肩に触れ、抱きしめようとしたワルドの目の前でルイズはショウにすがって泣きじゃくり始めてしまった。

(のぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!?!?)

今まで見せていた大人の余裕もどこへやら、ワルドの顔がギギギギギと音を立てそうなくらいに強ばる。
ショウがさすがに済まなそうな顔でこちらを見ながら、またもやキュルケに突っつかれてルイズの背中をさすってやってるのがまたワルドの神経をやすり掛けした。
血涙を流す一歩手前の表情で、ワルドはルイズが泣き止むまで堪え忍ばねばならなかった。


しばし後。
さすがに好きなだけ泣いていられる状況でもないと思い出したか、ルイズはショウから離れてハンカチで鼻をかんだ。その目と頬がまだ赤い。

「ごめんなさい、ワルド様。私・・」
「いいさ、僕のルイズ。それに、元々僕はここには居ないはずの人間だからね。居ない人間が口出しするのもおかしな話だろう。僕は何も見なかった、何も聞かなかった。そう言う事にしておくよ」

些か強ばってはいたものの、ルイズが振り向いた瞬間ワルドの顔は「頼れる年上の男」のものに戻っていた。
騎士の情けというべきか、流石にこの点については誰も突っ込まない。いや、突っ込めなかった。
多少はワルドに対してフォローを入れておくべきかとも思ったらしく、キュルケが口を開いた。

「まぁ、ああいう事を聞いちゃったら、流石にそのまま突き出すのもちょっとためらわれるしねぇ。
 フーケが縛り首になろうがどうしようが、もう『破壊の剣』は戻ってこないわけだし、ここで子爵様にちょっと目をつぶって頂けるのはありがたいですわ。
 何でしたらお礼の代わりにお食事でもどうです?」
「いやいや、婚約者の手前そうも行くまい。お気持ちだけは頂いておこう」

元より彼はルイズ一筋ではあるが、それでも下手に出られて悪い気はしないのか、多少はワルドの表情も穏やかなものになった。
ワルドとしても、ルイズとの雰囲気がいまいちぎこちないのでこうしたフォローを入れて貰えるのはありがたいだろうと読んでの上の提案である。
こう見えてキュルケは人情の機微には中々通じてるし、人の内心を察する嗅覚も発達している。というより、それがなければ恋愛ゲームを楽しんでなどいられない。
時折放つ空気を読めないかのような発言も、決して本当に空気が読めないのではない。
読んだ上でそれをぶちこわすのが大好きなだけである。

そちらの方がよほどたちが悪いのではないかというような話はさておき、フーケを解放する事にリリスやタバサも異存はないようであった。
縄を解かれ、立ち上がったフーケをルイズがじっと見つめている。その視線に気づき、フーケが皮肉っぽくもどこか柔らかい表情を返す。

「は、礼は一応言っておくよ、ルイズ嬢ちゃん」
「言っておくが、またトリステインでフーケという盗賊の話を聞いたら・・・」

ワルドが凄むのを、ぱたぱたと手を振ってフーケがいなす。

「言われなくたってやらないよ。そいつ等みたいな化け物じみた奴らとは、二度とやり合いたくないね。私ゃこう見えても臆病なのさ」
(それに、何を考えてるかは知らないけど、この仮面野郎がこいつらにかかずりあってる間に急いでテファ達を安全な所に移さないとね・・・)

そうした内心と、自らが仮面の男の正体に気づいている事はおくびにも出さず、最後にもう一度フーケはルイズと視線を合わせ、彼女が何か言おうとするのに先んじてフライの呪文で飛び去った。
こうして、ひとまず怪盗「土くれのフーケ」の事件は解決したのである。
しかしごく近い未来に再び彼女とまみえようとは、この時、神ならぬ身の彼らには知るよしもなかった。


 

 

第八話 『跳躍』中編