FLAT OUT

(41)






 目が覚めると、ちょうど夜明けだった。打ち付けた板の隙間から、薄暗い外の光がぼんやりと差し込んでいる。風が強い。時おり空気の塊が板に当たり、ミシリと揺らした。それには雨粒もたくさん混じっていて、外の様子はねずみ色の霧に包まれたように何も分からなかった。
 明人は毛布を除けると、ベッドから降りた。目覚まし時計もなく目が覚めるのは珍しいと自分でも思ったが、今日ばかりはあまり寝た気がしなかった。未だ夢の中にいるような感覚さえ、するのである。それは、きのう北辰の口から語られた全てが原因であった。
 気分は悪くない。晴れやかと言うにはまだ少し足りないが、最近感じていた胸中のわだかまりは消えていた。

 明人は廊下に出た。まだ起きている者はいないのだろう、しんとしている。そのまま静寂を乱さぬよう、静かに歩いてテラスへと向かった。
 テラスは側面がガラスで、天板はアクリルであるらしい。そのおかげで、天井は板に覆われることもなく薄ら白い光が中央のテーブルセットを浮かび上がらせていた。椅子は、ふつうの四本足が三つ、それに揺り椅子が一つ。
 ふと明人は周りを見回した。まだ夜明け――午前六時である。そろそろ誰か起きてくるのかも知れないが、その気配はない。相変わらずの風雨と、それに今は壁掛け時計のカチコチいう音が加わっただけで、静かなままだった。
 明人がそっと腰を下ろすと、揺り椅子はきしりと小さな音を立てた。大きさからいって子供用ではなさそうなので、明人の体重にも耐えてくれるだろう。ゆっくりと背をそれに預けると、椅子はゆらりと後ろに傾いて、止まった。
 空はのっぺりとした灰色である。雲の形も分からず、ときどき雨粒の一団が風に煽られて光った。
「今日は早起きだな」
 ふいに声がした。
「……北斗、おはよう」
 明人が椅子の上に身体を起こして返すと、彼女は返事をするでもなく空いた椅子を引き寄せて座った。その表情は、おそらく今の明人と同じである。



 北辰の話が終わってからのことを、明人は思い出した。無言で出て行ってしまった北斗。明人の印象が正しければ、彼女はまるで顔を隠すようにして、足早に去ってしまった。北辰は目を瞑り、黙って横を通り抜けていく彼女に声をかけはしなかった。
 いてもたってもいられなくなり、明人は彼女を追った。廊下に出たところで、ちょうどロビーの方へと角を曲がって消えてゆく彼女の赤い髪が見えた。だが、それを追ってロビーに出ても、既に彼女はいなかったのである。明人が焦って周囲を見回すと、いままさに閉まらんとしている玄関の扉があったのだった。
『北斗』
『何も言うな』
 いつの間にか雨は強くなり、北斗はその中にずぶ濡れになって立っていた。明人がその背に声をかけても、振り向かない。明人は構わず雨の中に出て、彼女の横に立とうとした。それを北斗は、手で制したのだ。
 明人とて、何を言ったらいいのか分からなかった。彼女がそれまで父親をどう思っていたか、それと北辰の口から語られた真実がどのように違っていたか、それはもはやどうでもいい。懸念は、彼女が自分を責めたりしないかということだった。
『北斗、濡れるよ』
『…………………』
 手を伸ばせば届くところにいるのに、手をかけられない自分が情けなかった。何日か前には、衝動にかられて彼女を抱き締めもしてしまったというのに。しかし今度はそんな感情すらも打ち消されてしまうほど、北斗の横顔は悲痛だった。明人がこれまでに見たどんな瞳よりもそれは鋭く、雨のせいか揺らめく光を宿し、ただ目の前の空間をじっと睨んでいたのである。

 明人は、意を決して踏み出した。服が濡れ、肩が冷たくなってきている。しかし明人には、北斗が同じように濡れていることの方が大事だった。
 明人の手が触れたとき、北斗の肩はびくりと震えたようだった。彼女は明人を振り返るでもなく、ゆっくりと天を見上げた。それはまるで、自らの身体を冷たく濡らす涙の源を、探しているようだった。
『北斗、冷えるよ。みんな心配す――』
 明人が北斗の肩を抱くように声をかけたときだった。彼女は、素早く動いたのだ。
 胸にどんという衝撃を受けて、咽そうになったのを明人は堪えた。北斗が渾身の力で明人の胸倉を掴みあげていた。次には拳が飛んでくるのかと思い、目を瞑りかける。しかし明人は、その必要がなかったことをすぐに悟った。
 辺りはすでに暗い。窓という窓に板を張り付けてしまったおかげで、建物から漏れる光もわずかだった。玄関の明かりだけが、北斗の濡れた頬を照らし出した。
 北斗の瞳は、先ほどまでの険しさを消していた。それは明人が十二年前のイモラで見たような、弱々しい輝きだった。思わず明人は手を伸ばし、彼女の頬に添えていた。北斗はそれを振り解こうとするかのように首を振ったが、すぐに俯いてしまった。
 彼女は、明人の胸倉を掴んだ自分の手の上にその額を乗せ、肩を震わせていた。
『……ごめん、北斗。何も………何も、言わなくていいから』
 明人は彼女だけに聞こえるようにそう呟いて、震える肩を抱いた。せめて自分のこの思いが、僅かでも彼女の心の支えとなることを願いながら。

 

 それから寝るまで、北斗の表情を窺う機会はなかった。彼女は明人からも逃げるようにシャワー室へ入ってしまったし、その後は明人がそこを使っている間に部屋へ戻ってしまったらしい。
 雪枝の部屋に戻ると、二人の親は何やら談笑していた。むろん、北辰が声をあげて笑うことなどない。明人の姿を認めると、にやりと笑った。
『寝たか』
『はい………疲れてるようでしたから』
 咄嗟に嘘をついたが、北辰は見抜いたようだった。彼は明人を見やり、ふんと鼻を鳴らした。
『心配するな。あれは強い』
『はい。でも………』
 明人が答えに詰まると、北辰は珍しくおやといった顔で、次いで「ふむ」と唸った。だがその横顔は、楽しそうだ。
『案ずることはない。あれが意外に義理堅いのはわしがそう教えたからだが、意地っ張りで頑固なのは母親譲りだ。わしも本心を打ち明けたからと言って態度を変えたりはせぬ。ひと月も経てばまた親子喧嘩でもしておるだろうよ』
 そう言って意地悪い笑みを浮かべる北辰に、明人も少しほっとして笑ったのだった。

 

 そして、朝がきたのだ。今日の午前中には発ってイモラへと向かわねばならない。結局自宅に帰る暇がなかったが、今回は仕方の無いところだ。泊めてもらった部屋があまりに良いものだから、身体の疲れはすっかりとれていた。
「……風邪とか、ひいてないよね」
 明人が尋ねると、北斗はちらりと一瞥をくれて、本を畳んだ。
「お前はあれくらいで風邪をひくのか」
「いや……大丈夫だけど」
「それなら俺も大丈夫だ」
 それは自分よりも彼女のほうが丈夫だと言うことだろうか。確かに体力だけで比べられると危ないところだけど、と明人は内心ひとりごちた。
 北斗が何かを気に病んでいるようには、見えなかった。「何か」とは、もちろん彼女の父親の告白である。もしかしたらその父親以上に義理堅く、そして優しい彼女にとって、真実は彼女自身に新しい悔恨を生みはしなかったかと、明人はそれを心配していた。
 なにしろ彼女は、何も言わない父親をそれでも信じ続けてきたのである。それは昨夜、確かに果たされたが、これまでの彼女の言動を思えばこそ、明人は面と向って尋ねることなどできなかった。もちろん、問うたとしても決して答えてはくれないだろう。
 明人の知っている北斗という女性が、今度は父親への悔恨に悩まされることになるのか――それを明人が確かめるには、まだ何かが足りないようにも思えた。
「昼前くらいに発とうか」
 どうしようもなくて、明人はそんなことを言った。
「そうだな」
 相変わらず無駄口の少ない彼女は、いつもと変わらぬ表情であるように見える。それでも、昨夜の彼女は間違いなく涙を流していた。
 自分の考えが正しかったことを喜ぶつもりなど、ない。いや、そもそも北辰の無実を信じていたのも、転ずれば自身の心を乱さぬための自己防衛でもあった。そう信じたいと思って信じたが、根拠はあまりにも漠然としていた。一切の迷いもないくらいに納得するには、我ながら、大雑把だったのである。だから昨夜の長い昔話に、明人も救われたのだ。
 北斗だってそれを信じていたはずだ。彼女は態度ではなんと表しても、父親を愛していた。そして、涙を流した。
 良かったと、それでも明人は思った。彼女の涙を喜ぶわけではないが、やはり彼女は明人が思った通りの人間だった。そうして、涙を流せる人間であった。それだけで明人は嬉しく、また彼女に惹かれていったのだ。
「……すごく」
 ぽつりと言うと、北斗が顔を上げて明人を見た。外は益々風雨が激しさを増しているというのに、明人の心は驚くほど穏やかだった。
「なんだか、すごく長い一年だった」
 北斗は明人を真似するかのように、雨粒に叩かれるがままの天井を見上げた。
「まだ終わったわけではない。だが……決着はつける」
 彼女の決意を秘めた声に、明人も頷く。
 まだ終わったわけではない。最後の対決が、この週末に控えていた。もっともそれが終わったとしても、数ヶ月の休息を経て戦いは再び勃発する。明人も北斗も、この世界ではまだ駆け出しのルーキーなのだし、FAもまた立ち止まりはしないからだ。
 だが、ひとつだけ決着がつくだろう。二人の父親が戦った十四年。それから空白の十二年。二十六年に及ぶ長い戦いの決着が、明人と北斗の出会ったイモラで、つく。
「……こんなこと、僕が言わなくても君は分かっているだろうけど」
 明人は北斗を見た。北斗もまた、視線を下ろして明人を見る。とび色の瞳が、今はとても鮮やかだった。
「僕が戦いたいのは、君だ。君のお父さんじゃない。そして僕は天河明人であって、天河治己じゃない。戦うのは、僕と、そして君だ。そうだろう?」
 北斗はじっと明人を見つめていた。いつもの険しさはなく、かと言って迷いを欠片も見せぬ威風堂々とした様は健在である。やっとのことで明人は、気付いた。これこそが、彼女の本当の素顔なのだろう、と。
 どのくらい黙ったまま見詰め合っていたのか、分からない。壁掛け時計のカチコチ言う音と外の嵐だけが、世界を感じさせた。
 北斗がふっと笑った。
「その通りだ、明人。だが足りんな」
「足りない?」
 彼女の言葉に、明人は向き直って正面から彼女を見つめる。それが大げさに見えたのか、北斗はさらに笑みを深めた。
「そうだ。戦うのは俺とお前だが、勝つのは俺だ。これは重要だぞ」
 それはいたずらっ子のように無邪気で、しかしかつてないほど強気な笑みだった。明人は唖然としたあと、笑った。彼女がそういう性格であることは分かっていたが、それが今はこれほどに嬉しいのだ。
「たしかに重要だ。真偽の程はともかくとして、ね」
 明人のやり返しを聞いて、北斗も笑ったのだった。

 


 朝食を終え、明人はラウンジの椅子に腰掛けてぼんやりと外を見ていた。相変わらず外は嵐で、強くなっている感さえある。ここを訪れてから天気予報を見るのも忘れていたが、低気圧はまだ北海に抜けていないのだろうか。
 数日前、ベルギーを離れる時に見たチームの予報では、今週末のイタリア北部に雨は来ないだろうとのことだった。週間予報だからあまり信憑性は高くないのだろうが、できれば晴れて欲しいところである。雨でのレースが得意だからといって、それを望みたくはないのだ。ぶかぶかの靴で徒競走をするのは、面白みが半減してしまう。
 この憂鬱とした雲の下から抜け出て晴れたイモラに降り立てば、気持ちがいいだろう。クラシカルなイモラのコースは、トラックの脇に木々が多く茂っていて、走るのも爽快である。ましてや今、明人の胸にこの一年間抱き続けたわだかまりはもう、ないのである。
「止まぬな」
 ふいに後ろから声がして、明人は振り返った。どうも自分は人の気配を察するのが苦手なのか、いつも後ろから声をかけられる。もっとも今はその声で、誰がそこに居るかわかっていた。運転手がついていないということは、一人で車椅子を転がしてきたのだろう。
「北辰さんは、イタリアへは戻られないんですか」
 彼が隣へ来るのを待って、明人が尋ねる。きのう初めて出会ったときのような異様さは、感じなかった。
「いや、戻らぬ。所長殿に許しを貰ったのでな。おぬしらのレースは、雪枝殿とともにテレビで観ることにした。わしが行って、無用な確執やら緊張やらを持ち込んでも仕方あるまい」
 自虐というよりはそれを受け入れられぬ相手を嘲笑うかのような態度で、彼は言う。強気を通り越して尊大なその雰囲気は、正しく北斗の父親だ。
「……ありがとうございました」
 ふと明人の口からその言葉が出た。突然のことだったからか、北辰も怪訝そうに明人を見る。明人は慌てて「ええと」と姿勢を正して彼に向き合った。
「その、昨夜はちゃんとお礼も言わずに寝てしまったので……。お話、ありがとうございました」
 明人が咳払いをしてそう告げると、北辰は驚いたようにしばし明人を見つめた。だがそれもすぐに解け、口の端をにいと吊り上げる。顔立ちのせいか、たしかに意地の悪い笑みにしか見えなかった。
「おぬしはどうやら、父親とは違うな」
 面白そうにそうこぼす北辰に、今度は明人が驚く。
「……似ているとは言われ続けましたけど、違うと言われたのは初めてですよ」
 すると北辰は、ちらりと明人を窺って、続けた。
「たしかに大方は似ておる。それはそうであろう、親子なのだからな。だが、雰囲気が違う。昨夜も話したが、あの男は家業をほっ放り出してこの世界にきた。だからであろうか、いつもどこかすまなそうにしておったのよ。べつにわしらがそうされる義理はないのだが、あの男はいつも必要以上に謙虚であった。それがわしの気に食わなかったところだが」
 そう言って彼は、じっと明人を見る。義眼も、まるで本物の瞳のようだった。
「だがおぬしには、それがない。謙虚でありながら、自信に満ち溢れておる。わかるか。おぬしの父親がなろうとしてなれなかったのが、おぬしのその姿なのだよ」
「僕が………」
 彼の言葉は、それまで聞いたどんな言葉よりも説得力があるように思えた。父の最大のライバルで、親友であったその男。その言葉がこれほど重いとは、明人も思っていなかった。
「そうなりたいと、あの男は願っておった。だが、己はなれないことを知っていた。家を出てきたのはあの男の意思であり、それがあの男をつくった。過去を変えることなど、誰にもできぬ」
 真実は分からないままでもいいのかも知れないと思っていた、一年前。きっかけは北斗の登場で、どちらかと言えば明人が彼女に惹かれたことが、真実への第一歩だったのかも知れない。なぜなら明人は、真実を知りたいがために彼女と話したのではなかったからだ。彼女の力になりたいがために、真実を知りたいと思うようになっていた。
 順番としては、雪枝や北辰の思っている明人の姿とは少し違うのかも知れない。彼らにとっては、明人は自らの手で父の軌跡を探し続けたということになっているのだ。でも、もういいのだと思う。父が何より大切にした人の心――そして明人のそれは、たぶん十二年前の真実よりも、今目の前にいる彼女にあったはずだから。
「子は親を超えるものだ。天河治己は良い息子を持ったようだな」
「……それは、貴方も同じです」
 明人が答えれば、北辰は苦笑いを浮かべた。だが、その苦笑いも少し照れくさそうで、すぐに視線を逸らしてしまった。

 と、そのときだった。突然、部屋の明かりが消えた。いや、その部屋だけではない。廊下も個室も、全ての明かりが何の前触れもなく消えてしまった。
「停電……かな?」
「そのようだな」
 窓に打ち付けた板の隙間から少しばかりの光は入ってくるので、真っ暗ではない。それまで微かにしていた空調の音までが消えてしまったので、耳に入るのは全くもって外の嵐だけになってしまった。耳をそばだてると、ウーウーと風の音まで聞こえるのである。
 十秒ほど待つと、すぐに明かりは点いた。空調も動き出し、先ほどまでと変わらない時間が戻ってくる。だが今度は、そこに足音が加わっていた。ラウンジに入ってきたのは、所長である。
「明人君。大丈夫だったかい」
「はい、大丈夫です。停電ですか」
「うん。自家発電に切り替わったから施設の方に心配は要らないんだが、もしかすると、君たちにとっては不味い事になったかも知れない」
 彼の言葉に、明人はどきりとした。
「不味い事って、なんです」
「確かめよう。車を出せるかい」
「すぐに」
 所長は明人の言葉を待たず、踵を返した。明人は立ち上がりかけて、思い出したように北辰を見る。もし父親が生きていて、いま彼のようにそこに座っていたなら、やはり明人はそうしたろう。北辰は明人の目をちらりと見ると、さっさと行けとばかりに所長の行った方を顎でしゃくった。それに笑みで答え、明人は走り出した。

 

 外は、思っていた以上に酷い雨だった。おととい、ここに着いたときの小雨とは比べ物にならない、滝のような雨である。舗装されていない道路は轍が全て川のようになり、運転している明人はまるで船を操縦しているようだった。
「あっ、明人君、ストップ!」
 所長が言うので、明人は車を止めた。ノーウィッチの町と施設とを隔てる、小さな丘の手前である。道路はその丘を切り通しているのだ。
「不味い事になった」
 今度こそ難しい顔をして、所長は曲がった道の先を指差した。明人が目をやると、雨の向こうに霞んでいる道路が、何やら途中で途切れている。目を凝らして見た明人は、思わず「あっ」と声をあげた。
「何年か前にも一度、あの辺で土砂崩れが起きたんだ。こんな酷い雨のときに」
 道路を覆っているのは、山のように積もった茶色の土砂だった。背の低い木が何本か、それに巻き込まれている。そしてよく見ると、道路脇にはこれも巻き込まれたのだろう、倒れた電信柱があった。あれが停電の原因だろう。
「何度も役所にお願いしてるんだが。未だに土留め壁どころか電線の埋設工事すらしてもらえない」
 これだからお役所は、とぶつぶつ言っている所長の隣で、明人は必死に考えを巡らせていた。明人の記憶の限りでは、たしか施設に通じる道はこれ一本である。それが不通になるということは、施設は孤立してしまったも同然なのだ。
「大丈夫ですか。患者さんたちは」
 最初に口にした言葉がそれだったからか、所長は明人を見て笑みを漏らした。
「それは問題ないと思う。うちはもともとリハビリ施設だから、容態の急変が予想される患者は受け入れていないんだ。それに僕もクロフォード女史も、医師免許は持っているからね」
 となると、問題は明人と北斗である。唯一の道が無くなってしまっては、施設を出る術がない。金にものを言わせてヘリコプターを呼ぶくらい、エリナあたりはやってくれそうだが、この天候ではそれも無理だ。雨が止むのを待つしかないということか。
「まいったなぁ……」
 明人はそう呟くだけだった。

 そして、何とか道を戻って施設に戻ってみれば、今度は雷である。とは言え、雷雲からのそれではない。父親の若い頃に似て、短気な彼女の雷だ。
「まいったなぁ、で済むか。いったいどうするんだ」
「どうするんだ、って言われても………嵐なんだから仕方ないじゃないか」
 北斗が元気になったのはいいが、元気な彼女の荒れっぷりは忘れていた明人である。それにしても言葉がまずかったのだろう、北斗は射殺さんばかりの目付きで明人を睨んだ。
「決着をつけると言ったろう。それを嵐ごときに邪魔されてたまるか」
「でも自然には逆らえな――いや、ウン、そうだね。どうしよう」
 逆らうと言葉よりも手が飛んできそうなので、明人は頷いた。北斗はただ待つのが我慢ならないのか、苛立ちながらも思案しているようである。そのうちに、ふと気付いたようにテレビを見た。
「天気予報はどうなってる。やってないのか?」
「ああ、電信柱が倒れちゃったものだからね、それと一緒にテレビのケーブルもプッツン」
 これに北斗自身も「プッツン」ときたらしい。無言のまま踵を返すと、どすどすと部屋を出て行ってしまった。それを見送りながら、明人は真剣な眼差しで考える。


 明人とて、無策のまま嵐が過ぎ去るのを待つつもりはない。テレビは見られないが、ラジオの天気予報は聞ける。それによれば、雨は夜半にも止むとのことだ。土砂崩れが即座に復旧できるとは思えないが、ヘリコプターは飛べるようになるだろう。問題は、手配ができるかどうかなのだが。
「手配ができたとして、どこまで連れてってもらうか……」
 大きな空港はヒースローだろう。しかしチャーター機はコヴェントリの空港にいる。大空港は着陸料も桁外れに高いからエリナがぶつくさ言うし、それだけの近距離を移動してもらうのも悪い――そこまで考えて、明人ははっとなった。
 慌てて部屋を出ると、その足で所長の部屋に向かう。所長室の壁には、周辺の地図が貼り出されてあったはずだ。
 ノックの返事も待たずそこに飛び込んで、明人は地図に飛びついた。
「所長、これ、この点線って、道ですか」
「ん? ああ、うん。車は通れないが。林道だよ」
 その道は、ちゃんと施設にまで延びてきていた。
「土砂崩れは、起きない?」
「その辺は南向きの斜面だからね。木がしっかり根を張ってるから、大丈夫だろう」
 明人は「よしっ」と小声で呟き、次は携帯電話を取り出す。よく知る番号を呼び出すためだ。その人物が明人の憶えている通りの人間であったら、きっと力になってくれるだろう。明人は縋る思いで、呼び出し音を数えた。
『もしもし』
 そして、希望は繋がったのである。










to be continued...


いよいよ最終戦へ………って、おや?


 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

おや(笑)。

綺麗な形でどうにか決着がついたと思ったら・・・。

さぁて、今度は誰が出て来るんだろうなぁ。