FLAT OUT

(あとがき)




 皆さん、こんにちは。はっさむです。
 まずは何をおきましても拙作『FLAT OUT』を読んで頂けましたことに、厚く御礼申し上げます。そのうえ多くのご感想まで頂きまして、感涙に尽きる次第です。今回、『FLAT OUT』は第1話を投稿する時点で物語のほぼ全てが書き上がっておりましたが、ご感想の中にて読まれる側ならではの意見を聞かせて頂き、より完成度を高めることができたと思っております。重ねて御礼申し上げます。
 さて、本作『FLAT OUT』ですが、これはBenさん原作「機動戦艦ナデシコ 時の流れに」と、F1(フォーミュラ・ワン)のクロスオーバー作品として生まれました。そもそものきっかけは、私が「明人vs北斗」で何か小説を書きたいと思ったことです。原作で圧倒的な存在であり続けた二人が、戦争ではなくスポーツでぶつかりあってくれたら、と妙な慈善意識で、物語は始まったのです。
 登場人物の性格が、時に原作と大きく違うのは、もはや言い訳のしようもありません。なんとか違和感のないよう仕上げたつもりですが、とくに明人や山田二郎、ムネタケ、ユリカ、北辰などはいかにも別人でした。原作設定を大切にされる方に対しては、申し訳ないと言うより他にありません。
 言い訳を許されるのならば、彼らがそうなった理由は、まず一つに物語の中に極力「対立」を描きたくなかったことが挙げられます。物語に起伏をつくる上で対立はまた必要だとも思いますが、今回それは多く描くべきところではないと考え、最終的に「意見の相違」という程度に納めるため、各人が物分りのいい性格になりました。
 他方、人が人と触れ合う中で発生する思い込み、誤解、そして多くの負の感情を、最後には「ほっとする」解決法で締めくくりたかったのです。これはまた人によって尺度が違いますので一概に言えませんが、昨今理屈が感情を煽ってしまうこの世の中、感情を感情で収められることこそ本当の理性であると信じ、私なりの表現法とさせて頂きました。
 クロスオーバーとしてF1を選んだことは、もちろん私の知識量の問題でもありますが、最大の理由は「明人と北斗」にとても似合う世界であったからです。工学、力学、医学、描き切れない部分もありましたが経営学に法学など、全ての分野において究極が求められる世界であり、またそれを競う世界。そして、その頂点で戦う二人。これについては、私の中で二人のイメージにぴったりでした。
 ここで「明人×北斗」について説明しますと、結局のところ「×」の意味は言葉にできません。全体としては「vs」の意味合いがほぼ全てでしたが、中盤から明人は北斗を女性としても意識していましたし、北斗も明人を特別視し始めていました。そして、北辰の口から語られた「ライバル」です。
 これもまた言葉にできない存在だと思います。私が描いたのは、多くの実在レーサーの言葉を参考にして、こんな感じではないだろうかと想像したものです。しかし、作中ではそれほど強調しなかったのですが、現実にレーサーは皆個性派ですから、必ずしもこうとは限りません。私が思う、これが一番「ライバル」の概念に合うのではないかという存在を、描きました。もちろん上記の「感情」、いわゆる人情を忘れないよう、プラス補正したのですが。
 これらを文章として矛盾なく書くのは大変でしたし、まだまだだという部分もたくさんありましたが、私としては書きたいことはほぼ全て書けました。やはり主人公であるところの明人がそのほとんどを代弁してくれたのですが、そのせいで所々に若干くどい部分があったのは、私の文章力の無さと反省しております。
 さて、物語全体を通して、私は「信じること」「希望をもつこと」そして「思いやること」を一大テーマとして描いてきたつもりです。義理人情と言ってしまえば言葉は簡単ですが、それを一つ一つ描くこと、そして伝えることの難しさを書きながら痛感した次第です。
 最近のF1は(と名指しするのは怖いのですが)、作中にあるよりもずっと後ろ暗く、不安定な存在です。私の主観で恐縮ですが、この奇妙な世界が現代の利益至上主義競争社会を如実に映しているように思えてなりません。どちらもまだ破綻はしておりませんが、それへの皮肉と、そして大きな希望を込めて、今回筆を取った次第です。それを少しでも感じ取って頂けましたなら幸いです。

 それでは皆様、長らくおつき合い頂き、本当にありがとうございました。
 最後になりましたが、拙作公開の場を提供して頂いたAction Home Page様、管理人Ben様、そして毎回更新作業をお願いしてきました鋼の城様にも、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 今後とも機会の折りにはまた参上したいと思いますので、あつかましくも宜しくお願い申し上げます。
 それでは、失礼します。

2006年3月 はっさむ

途中挿絵として付けたかったのですが、間に合わず。というわけでオマケですw。

● エピソードをつくるに当たって参考にした史実 ●

 ここで紹介するのは、『FLAT OUT』本編を書くにあたってモチーフとした史実です。まず作中の登場人物別に分類し、その中でエピソードに分けて説明しております。とくに明記がなければ、元のエピソードは全てF1です。



天河 治己

作中設定『サン・マリノGPで事故死』
元エピソード(ドライバー):アイルトン・セナ
説明:近年のF1で最も有名なドライバーでしょう。'84年にデビューしたブラジル人。'88、'90、'91年の世界チャンピオンです。'94年サン・マリノGPにおいてクラッシュ、死亡しました。彼の死によってF1は終わったと言われたほど、当代のF1を代表するドライバーでした。鬼気迫る走りを見せたレースの後、「あの時、僕は神を見た」と話したり、信心深い一面もありましたが、一方で非常に理論的で、哲学的なドライバーでした。

『引退後はお菓子屋』
:アレッサンドロ・ナニーニ
:笑顔の爽やかなイタリア人。'90年、ヘリコプター事故で片腕を切断し、F1を引退しました。しかしその後もトップクラスのレースに出場しており、好成績を上げています。実家はイタリアの老舗菓子屋だそうで、日本にもいくつか出店しています。

『天国でタイトル獲得』
:ヨッヘン・リント
:'64年にデビューしたオーストリア人。'70年イタリアGP(モンツァ)の予選中に事故死しました。その後、彼がそれまでに獲得したポイントを上回る選手が現れず、F1史上唯一、天国でタイトルを獲得したドライバーになってしまいました。マシンの安全性についても常に警鐘を鳴らしていたと言われています。

『髭を生やす』
:ナイジェル・マンセル
:'80年にデビューしたイギリス人で、'92年の世界チャンピオン。髭と言ったら、筆者はこの人しか思い浮かびません(笑)。'95年、引退。昨年、往年の名ドライバーと名マシンを集めて開催された『グランプリ・マスターズ』では初代チャンピオンに輝きましたが、髭は剃られていました。残念(違?)。



天河明人

『二世ドライバー』
:デイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴなど
:それぞれ父親はグラハム・ヒル、ジル・ヴィルヌーヴ(ジル以外は父子ともに世界チャンピオンです)。ちなみにF1では、「子は親を超えられない」というジンクスがあると言いますが……? 最近のゴールデンルーキーと言えば、今年(06年)デビューのニコ・ロズベルグ(父親は元チャンピオン、ケケ・ロズベルグ)君でしょうか。

『飛行機の免許』
:ラルフ・シューマッハ
:'97年デビュー、ドイツ人。'06年現在、現役。飛行機とヘリコプターの免許を持っているらしいです。



山田二郎

『崖から転落』
:ヘンリ・トイボネン
:彼はF1ではなく、WRC(世界ラリー選手権)のドライバーでした。'86年、ツール・ド・コルス(ラリー・コルシカ)でアタック中、崖から転落し、コ・ドライバーとともに死亡しました。パワーのありすぎるマシンにも事故の一因があるとされ、FIA(国際自動車連盟)はラリー『グループB』の廃止を決定したのです。

『プロトタイプのテスト中に事故死』
:ミケーレ・アルボレート
:'81年にデビューしたイタリア人。F1を引退後、'01年にラウジッツリンク(ドイツ)でル・マン用のプロトタイプカーをテスト中、クラッシュ。死亡しました。事故の原因は時速300キロ以上でのタイヤのパンクだったそうです。原因判明後、チームはレースに復帰しています。



ハリ・マキビ

『スタートで宙を舞う』
:ルチアーノ・ブルティ
:'00年にデビューしたブラジル人。'01年ドイツGP(ホッケンハイム)でスタートにつまずいたM・シューマッハに追突、隣にいたマシンを飛び越えるほど高く宙を舞いました。幸いに負傷者はなく、二人とも直後に再開されたレースに出走していますが、ブルティ本人は数戦後のベルギーGP(スパ)で再び大事故に見舞われ、今度は病院へ搬送される憂き目にあったようです。



ナオ・アウフレヒト

『ピアノを弾く』
:エリオ・デ・アンジェリス
:'79年にデビューしたイタリア人。貴族出身で教養高く、最後のノーブル・ドライバーと言われたそうです。ピアノが得意で、ドライバーのボイコット騒動(年代失念)にその腕前を披露し、鎮静役を務めたという逸話も。'86年、テスト中に事故死し、レースと同じ速度で更に多く走るテストでの安全管理が問題視され始めました。現在、F1のテストはレースと全く同レベルの安全設備(マーシャル、救急ヘリなど)の下で行われています。



アルフレッド・オラン

『アメリカン・リーグ出身』
:ジャック・ヴィルヌーヴ、ファン=パブロ・モントーヤなど。
:他にもアメリカのレース出身者は多くいますが、いずれもCARTと呼ばれるカテゴリーの出身です。楕円形のオーバルコースが主体となるIRL(いわゆるインディ・カー)が近年ロードコース開催を始めたため、今後はIRLからF1への転向も期待されていますが、コストの抑制に比較的成功しているアメリカン・リーグのレーサーにとって、テストドライバーになるのでさえ数億円の持参金を要求される(チームによって、ですが)F1は、自分から乗り込んでいこうと思える世界ではないようです。

『インディアナポリスで事故、その後欠場』
:ラルフ・シューマッハ
:'04年アメリカGP、インディアナポリスでのことです。最終コーナーに入ったところでタイヤがパンクし、そのまま滑ってコンクリートの壁に激突。背骨を折り、数戦を欠場しましたが、最後の2戦には復帰し、ちゃんと表彰台に上がっています。翌年も力強い走りを見せましたが、再びインディアナポリスの同じ場所で、今度はタイヤの欠陥によりパンク、前年と全く同じようなクラッシュに見舞われました。怪我はなかったようですが、本人も「このコースとは相性が悪いらしいね」と苦笑いを浮かべていました。



治己の先輩

『子どもがレーサーになりたいと言ったら、スパに連れて行きなさい』
:ニキ・ラウダ
:'71年にデビューしたオーストリア人。'75、'77、'84年の世界チャンピオン。事故で大火傷を負い、5昼夜生死の境をさまよいながらも6週間後にはレースに復帰した、鉄人ドライバーです。その年の日本グランプリ(富士)の決勝レースが酷い雨で、彼は危険だとして自らリタイヤを選び、タイトルを逃しますが、その判断が正しかったか尋ねられると「死ぬのは一度で十分さ…」と答えたそうです。上記は、それとは別に彼がインタビューに答えて言った言葉です。『FLAT OUT』本編の「もしそれでも諦めないなら〜」は、筆者のオリジナルです。'85年、引退しました。



ジェラルド・ヴォルフヴィッツ

『サン・マリノGP予選で事故死』
:ローランド・ラッツェンバーガー
:'94年にデビューしましたが、わずか3戦目のサン・マリノGPで予選中にマシンが破損、壁に激突し、死亡しました。場所は本編中にある『タンブレロ』ではなく、その先の『ヴィルヌーヴ』だったようです。F1デビュー以前は、日本でもレース活動をしていたドライバーです。



名無しのカヴァーリ・ドライバー

『サン・マリノGPで事故、負傷』
:ルーベンス・バリチェッロ
:'93年にデビューしたブラジル人。長年某赤いチームで某皇帝のサポート役に徹していたことから「世界最速のナンバー2」などという有難くない渾名を頂いていますが、陽気で、初優勝に涙するなど、憎めないドライバーでもあります。'06年現在、現役ですが、某国産韋駄天男を押し出してのシート獲得に、日本のファンは確実に減少(したかも知れません)。なかなかの苦労人っぷりです。



東藤次郎(舞歌パパ)

『?』
:浮谷東次郎
:名前だけお借りしました。F1参戦はありませんでしたが、60年代日本のトップドライバーと言われた人です。『勉強したい人が誰でも入れる大学をつくる』という夢のため、そのお金を稼ごうとレースを始めた、面白い経歴の持ち主でもあります。'65年、鈴鹿サーキットで練習走行中、コース内に入ってきた観客を避けようとしてクラッシュ、23歳の若さで他界しました。彼の波乱万丈の人生は、後に伝記などとなって多く語り継がれています。



以上です。いくつ分かりましたか?(笑)

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

ああ、いいエピローグですねぇ。

この「結局誰も悪い奴はいなかった」って感じのホッとするような締め方って好きなんですよ。

ロボットアニメだとトライダーG7(侵略を跳ね返した後、主人公は小学校を卒業して平和な仕事を再開)とか、

戦国魔神ゴーショーグン(ラスボスを倒した後主人公は旅立ち、残された面子は善悪混合で平和を満喫)とか。

無論ライバル関係や手に汗握る勝負も大好きです。

そう言う意味で私にとってはっさむさんの作品は水があっていたのかもしれませんね。

 

何はともあれ楽しませていただきました。

読者として、また管理人代行として深く感謝させていただきます。

 

では、また。