機動戦艦ナデシコ

The prince of darkness episode AKITO












『閣下!このタカマガにヤツが攻撃を!』



ヒサゴプランのターミナルコロニーの一つであるタカマガから通信を受けた草壁。
統合軍に成りすましている火星の後継者の構成員の一人から、闇の王子コロニー襲撃の報を聞く。


(まさかコロニーにまで攻撃を仕掛けるとは・・・・・・。
そこまでやれるのか、ヤツは!?)

草壁の背筋に冷たいものが奔る。


タカマガには遺跡は存在していないが、それでも多くの秘密研究施設があり、同じく多くの研究者たちがいる。
万一それらの研究施設が押さえられたり、研究者たちがネルガルに捕まるようなことがあっては、草壁の計画は頓挫することになりかねない。

計画の詳細、保有技術の質量、火星の後継者の戦力規模。
何一つネルガルに掴ませるわけにはいかない。
そう考える草壁。

戦略家である草壁は、情報というものの重要性を誰よりも知っているのだ。


「研究者を始末した上で施設を破壊しろ」

『ターミナルコロニーを!?
ですがこのタイミングでは、我々も脱出が・・・・・・』

襲撃者はもうすぐそこに迫っているのだ。


「ならば、そこで死んでくれ・・・・・・。
人類の未来と、新たなる秩序のために!」


草壁の冷厳な宣告。
しかしそれを受けた者に生まれたのは、死への恐怖や反発ではなく、戦慄を伴った高揚。


「ハッ!」

決意を瞳に宿し、震える手で敬礼を返すと通信を切るタカマガの火星の後継者の一人。
第二次世界大戦末期の旧日本軍で、神風特攻隊に選ばれた"勇敢な兵士"のような感じだ。
やっている本人たちは、自分たちの思想や行動に美を感じているのだろう。
狂信者ならではといったところか。










地球と木星との和平がなり、平和が具現化されたとされている現在、人類に脅威となる敵は確認されていない。
ターミナルコロニーに配備されている守備隊の規模は、その緊張感共々少ないものであった。

奇襲し、一気に突破。

突然の襲来に驚き混乱した部隊を"突破"するのは、今のアキトとブラックサレナには難しいことではなかった。
もっともこれは、襲撃を予想、警戒し、十分な戦力を用意してくる今後に当てはまるものではないが。



コロニー外壁を突き破り秘匿ブロック突入する漆黒の巨人。
その目に飛び込んできたのは血まみれで倒れている研究者達と、 それらを殺している統合軍の軍服を着た火星の後継者達であった。



侵入してきた漆黒の巨人を見る火星の後継者達。
リーダー格の男が引きつった哂いを黒い機動兵器に向けた直後・・・・・・。

激しい揺れがターミナルコロニーの各所を襲った。


崩れていく壁。
炎に包まれるコロニー。

このブロックにいた火星の後継者達も次々に命を落としてく。


「すべては新たなる秩序のために!」

そう叫ぶ最後の一人の前で、漆黒の巨人は光る粒子を残して掻き消えた。





















俺は・・・・・・何をした?










何百人も殺して・・・・・・。










無関係な人を殺して・・・・・・。










理不尽に殺して・・・・・・。










自分の望みのために殺して・・・・・・。










殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・
殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・
殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・
殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・
殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・殺して・・・・・・















炎に包まれ崩壊していくターミナルコロニーの姿を見つめるアキト。

ターミナルコロニーを破壊したのはアキトではない。
だがその切欠を作ることになったのは間違いない。

コロニー外周部での戦闘は、殲滅や徹底抗戦を目的としたのではなく、あくまで突破をしただけだ。
しかし、それでも迎撃に来た機動兵器や戦艦をそれなりに沈めている。
特に戦艦などは一隻沈めるだけで数百単位の死傷者を出す。

直接殺した人だけでも、かなりの人数に達することは疑いようがない。



無関係な人間を数多く殺したということだ。










「ク・・・・・・クク・・・・・・」


だんだん笑いがこみ上げてくるアキト。


「ククク・・・・・・ハハハハハハハハハハ!」

何が可笑しいのかわからずに哂う。










『これがあのテンカワ・アキトか?』





「そんなわけないだろ」





『ならここにいる俺は何者だ?』





「こんなこと平気でできるヤツは人間じゃない」





『俺もとうとう外道か?』





「そのようだ・・・・・・これだけ殺して何も感じない俺は外道だ」





『外道か・・・・・・。これで、俺もヤツのように強くなれるのかな?』










顔中に輝くナノマシンの奔流はこれ以上ないほどに輝き続けている。
それは感情の昂ぶりの強さを表しているのだが・・・・・・・・アキトはそれを認めない。
















月に帰還したブラックサレナ。



コクピットから出てこないアキトを不審に思い、イネスが通信を繋ぐ。
映し出されるのは哂い続けているアキトの姿。


『ハハハハハハハハハハハハハ』


「アキト君・・・・・・。もう、あのアキト君はいないの?」

狂ったように哂うアキトを見て言うエリナ。
これ以上見ていられなくなり、口を押さえて退出していく。

「お兄ちゃん・・・・・・」

イネスは複雑な表情でアキトを見つめる。




「痛い」



「え?」

その言葉に反応して振り向くイネス。
そこにはいつもの無表情はそのままだが、その手を胸に当て大きく見開いた目に涙を湛えている少女がいた。


「ラピス?」


アキトの映るスクリーンを見上げた拍子に、ラピスの金色の瞳から透明の液体がこぼれる。


「アキト・・・・・・」


ラピスは無表情のまま涙を流す。
止めども無く溢れてくる涙を拭うこともせずラピスはスクリーンに映るアキトを見



「アキトの心が・・・・・・痛がってる」



涙を流し続ける。

まるで、アキトの代わりに泣いているかのように・・・・・・。



アキトとラピスを見比べるイネス。
ある程度の事情を察する。








心の弱さを覆い隠すのは狂気。

罪の重さに耐えられない心の弱さが、自分という存在を偽らせる。

心の弱さを認めてしまえば、もう進むことはできないから。


アキトにはまだ止まることは許されない。

まだユリカを助けていないから。

まだルリの未来を守っていないから。


だから狂気の鎧を身に纏い、闇へと足を踏み入れる。








外道へと・・・・・・堕ちていく。





















「幽霊ロボットを見たとの証言。
もしテロだとするならば、最悪のテロリスト・・・・・・か」



先日破壊されたターミナルコロニー襲撃の記事を見て呟くアカツキ。

ここはネルガル会長アカツキ・ナガレの自宅。
朝食をとりながら電子新聞を見ている様子は親父そのものだ。
まあ、企業家たる彼には似つかわしいのかもしれないが。


『殺人鬼』『鬼畜にも劣る』『人間じゃない』『最悪のテロリスト』

非難の著しいコメントを読み、顔をしかめる。

「破壊したのは草壁たちだ。
こっちの苦労も知らずに好き勝手言ってくれる。
ヤツら決起が成功すれば、こんな風に囀ってることなどできなくなるというのにね」

だが、アキトがターミナルコロニーに攻撃を仕掛けたのは紛れもない事実。
コロニーを爆破した犯人ではなくても、テロリストというところは間違っていないだろう。
そして草壁たち火星の後継者とは無関係の人間をも殺しているのも事実。

「殺された人間やその遺族にしてみれば、所詮は言い訳に過ぎないか・・・・・・」

(僕も人事じゃない・・・・・・か)

そう思いつつ天を仰ぐ。
そこには豪華な装飾のされた照明器具があるが、アカツキの瞳に映っているのはそれではない。
友のいる月を想っているのだ。


「テンカワ君・・・・・・どうしてるかな?」


せめてこういう情報の入らないことを祈ってみるが、それは無理なことかもしれない。
彼は電子の妖精と共にいるのだから。





















照明をいくつか落としてやや薄暗くしたトレーニングルーム。
そこに立つ一組の男女の心情を表しているかのようだ。



「もういいじゃない?
貴方はよくやったわ・・・・・・」

そう言ったのは、これまでは一線引いた立場から便宜を図っているだけだったエリナ。
だが今回の件で黙っていることができなくなっていた。

ターミナルコロニーに攻撃を仕掛け、無関係な人をも巻き込んで殺す。
それはまともな人間であれば、平然としていられるような事柄ではないのだ。

「もう・・・・・・やめましょう。
これ以上罪を重ねて、貴方が苦しむのを見たくない・・・・・・」

アキトの背中にすがりつくエリナ。
懇願するようにそう言う。

「勘違いするな。俺は苦しんでなどいない」

「アキト君!」

「俺は俺の復讐をするだけだ」

「だからって無関係な人まで殺せるの!?」

「そこにいた連中は運が悪かった。
それだけのことだ。 俺はなんとも思っていない」

表情一つ変えずにそう言ってのけるアキト。
エリナから離れていく。


「アキト君・・・・・・」

エリナは悔しそうに下唇を噛むと、身を翻してトレーニングルームを飛び出していく。










「みっともないな」

エリナが出て行った扉から姿を現す白い学ランの男。
ゆっくりとアキトに近づいてくる。

だがアキトは視線を向けることすらしない。
ただ虚空を見つめているだけだ。

「何か言ったらどうだ?」

「・・・・・・お前に何がわかる?」

月臣を見ないままそう言うアキト。


(何がわかる・・・・・・か)

この質問に"わかる"などと返せるのは無思慮な人間か傲慢な人間だけだ。
誰しも、他人の心など推測することしかできないのだから。

月臣自身、深く悩み続けていたので軽々しく"わかる"などとは言わない。

だが

「今のお前がカッコ悪いことぐらいは理解できるさ」

「・・・・・・」

"わかる"と言われれば反論のしようもあったのだが、そう言われてしまえば何も言い返せないアキト。
それは紛れもない事実なのだから。

「自覚はしているようだな。だが、それを押さえられないのは未熟な証拠だ」

師としての自覚がそう言わせるのか、月臣にはアキトを正しい道に引き戻そうとする意図が感じられるのだが・・・・・・。

「そういうセリフは、俺を止められるだけの力を持ってから言え」

「なんだと・・・・・・?」

「聞こえなかったのならもう一度言ってやる。
お前に俺は止められない」

「俺はお前の師だぞ!そしてお前に負けたことなどない!」

ようやく月臣に視線を向けるアキト。
感情をあらわにしている月臣の姿が目に入ってくる。
彼とて今回の件に関して平静ではいられないのだ。

「なら・・・・・・止めてみろ」

アキトは殺気を撒き散らせながら構えを取る。

行き場をなくした苛立ちが、アキトに戦いを選択させた。
平たく言えば八つ当たりということだ。

「・・・・・・望むところだ」

月臣も、その辺りを洞察したうえでアキトに応える。







一度交錯した後、弾けて対峙するアキトと月臣。
与えたダメージはどちらも致命傷には程遠いが、月臣の攻撃のほうがやや優れていただろうか・・・・・・。

アキトの小太刀が届かない距離を見切りつつ、その間合いを維持する月臣。
それ以上離れると、アキトに銃を抜かせる時間を与えることになるからだ。


(技のキレは俺の方が上回っている。
テンカワの必殺の刺突にさえ注意していれば俺が負ける要素などない)

そう分析しつつも険しい表情を貼り付けたまま冷たい汗を流す月臣。

(なのになぜ俺はテンカワに勝てる気がしないんだ?
なせアイツは獲物を見る目で俺を見るんだ?)


『確かにお前のほうが技は切れようし、パワーも上だろう。
だが"強い"のはテンカワ・アキト・・・・・・闇の王子のほうだ』

水煙の言葉が月臣の脳裏を過ぎる。

(違う!)



「ちぇぇぇぇえええええ!」

月臣が突進するとアキトは即座にサイドステップして側背に回ろうとする。
それに対応して振り向くが、アキトは常に死角へと潜り込んでいく。

「正々堂々と正面から戦え!」

苛立ちそう言う月臣。

「正々堂々?そんなものがなんになる?」

「正面から敵を叩き伏せるのが木連式の精神。
心技体揃ってこそ本当の力が得られるのだ!
木連式は活人の技・・・・・・邪に染まってはその力を失う」

「俺は木連式の精神とやらには興味はない。
正面から?
壁を背にして背後から襲うのが最良だろう。
戦闘に正も邪もない。
あるのは結果のみ」

月臣とは対極的な思想だ。

「違う!それでは正しき力は得られはせん!」

「俺は・・・・・・正しき力など求めていない!」



アキトには技の競い合いをするつもりはなかった。


不意に左手の小太刀を投げるアキト。

「くっ!?」

何とか回避するが体勢を崩される月臣。
アキトはその隙を突いて間合いを詰めると見せる。

(くるか!?)

後方に下がりながら一瞬でカウンターを狙える体勢を作る月臣。
その対応の速さは月臣の並外れた技量を示すものだ。
このタイミングで攻撃すれば、アキトの技量ではカウンターの餌食になる。

だが、アキトが間合いを詰めようとしたのはフェイントで、月臣が体勢を作っている間にアキトは逆に距離を取ろうとしていた。

右手の小太刀を投げ、月臣を牽制しつつさらに距離を取るアキト。

「ちぃ!」

この開いた距離では、アキトが銃を抜き、照準するまでに懐に飛び込めない。

即座に両手に銃を構えるアキト。

だが月臣も防弾装備をするようになっている。

頭部を守るように両手でガードをすると、アキトの照準を外すようにサイドに身を走らせる月臣。
防弾装備をしていようとも、その衝撃すべてを吸収できるものではなく、少なからずダメージを負ってしまうからだ。
開発中の個人用ディストーションフィールドなら微動だにせずに弾けるのであろうが。


拳銃の引き金を引くアキト。
複数の銃声が響く。





月臣の体に衝撃はない。





(かわせた!)



月臣はそう思った。

しかしそうではなかった。
アキトははじめから月臣を狙っていなかったのだ。



「なにぃ!?」



突如、暗闇に包まれるトレーニングルーム。
アキトが狙ったのはこのトレーニングルームにあった照明器具だったのだ。





暗闇に包まれ、視界を失った月臣。
だがアキトのバイザーは暗視スコープの機能も付いていて、暗闇でも月臣の姿を捉えることができた。

アキトは技を競うとも、相手を超えようとも思っていない。
"正々堂々戦って勝つ"などというのは余裕のある人間がやればいいと考えているのだ。

アキトは容赦なく攻撃を開始する。

木連式"柔"を修めているとはいえ、漫画やアニメのように気を感じて対応するような人間外の能力は持ち合わせていない月臣。


「卑怯な!」


そう叫ぶが、アキトは応えなかった。











仰向けに倒れている月臣。
致命傷のようなものはないが、既に動けなくなっている。


「まともに戦えばお前の勝ちだったな・・・・・・」

そう言いつつ月臣から離れるアキト。
多少のダメージを負っている。

接触時に反撃を試みた月臣。
それなりのダメージをアキトに与えることができたのは、彼の尋常ならざる技量を物語っていた。





「俺は・・・・・・さ」

立ち去ろうとするアキトに月臣の呟きが聞こえてくる。

「親友である九十九を撃った」

足を止めて月臣へと視線を向けるアキト。
既に聞いていたことだが、それは聞き流せるほど軽い話でもない。

「あの後、俺に残ったのは迷いと後悔だった・・・・・・。
閣下の唱える理想のための行為とすれば間違ってはいない。
俺の信奉してきた正義のためというならむしろ誇るべきことだろう。
友を犠牲にしてまで正義に生きた・・・・・・ってな」

「・・・・・・」

「でも、自分の親友を殺してまで貫くほど正義に価値があるのか、俺はわからなくなったんだ」


「確かに草壁閣下に唆されてのことだが、拳銃の引き金を引いたのは俺の指・・・・・・。
あくまで俺の意思でやったことだ」

「その行為に対しての責任はあくまで俺に帰されるべき。
いわば自業自得だ。
お前のように理不尽に奪われたわけじゃない」

「だから、草壁閣下や火星の後継者の構成員たる同胞たちにお前のような怒りや憎しみを抱いてはいない。
敵対しているとはいえ、俺には彼らを殺すことはできないだろう。
まずは投降を呼びかけることになる」

月臣の要領を得ない途切れ途切れの独白が続く。

「何が・・・・・・言いたいんだ?」

「つまり・・・・・・俺とお前じゃ立場が違いすぎる。
俺じゃお前の心中は察してやれない・・・・・・ってことだ」

「そうか・・・・・・」

背を向けるアキト。

「でもな!」

「!?」

「でも・・・・・・それでもお前にはまだ、俺に無いものが残っているだろう?」

「・・・・・・」

「お前にはまだ、守るべきものがあるだろう?
お前にはまだ、お前を見てくれる人がいるだろう?」








「まだ、外道に堕ちるには早いだろう?」




















月臣に負わされた傷をイネスに診てもらうアキト。
イネスは治療しながら目の前の椅子に座っているアキトの心の内を問いただす。



「俺はもう、あのテンカワ・アキトじゃない。
ヤツラと同じ・・・・・・外道だ。
外道には外道に相応しい生き方、そして死に方が待っているだけだ」


アキトが狂気に身を浸すのなら、自分も狂気を受け入れてもいい。
アキトが外道となるのなら、自分も外道となってもいい。

そう思う心は確かにある。
そうなれば、自分だけの”アキト”になるかもしれないと思うから。

だがそれは、やっぱりやれることをすべてやってからのものでありたいとイネスは思う。


「ホントにそれでいいと思ってるの?」

”違うでしょ?”というように聞くイネス。

「いいんだ」

平然と言うアキト。
イネスはアキトを揺らす言葉を探す。

「・・・・・・ラピスのことはどうするの?」

アキトの隣にいるラピスがピクリと反応してアキトを見上げる。
自分のことを言われたからではなく、アキトの心の動きに反応したのだ。

「・・・・・・」

「幸せになりたいって言ってたでしょ?」

「そう言っていたテンカワ・アキトは死んだ」


諦め、逃避、自虐。
そういったものが感じられた言葉。


アキトを言い包めるだけの情理を尽くしたように思える 様々な"詭弁"を用意していたイネス。
不意に沸き起こる強い感情が、それらを吹き飛ばす。


「お兄ちゃんのバカ!」

イネスは立ち上がってアキトの頬を思い切り引っ叩く。

「なによ!世界中が非難してるからってそれがどうしたっていうの!?
それがなんだっていうの!?」

再び手を振り上げるイネス。

「やめて!」

そう叫んで阻んでくるラピスを押しのけてもう一度アキトの頬を張る。
痛いのはアキトのほうであろうが、傷ついた顔をしているのはイネスのほうだ。

「世界中を敵に回してもホシノ・ルリやミスマル艦長を優先させただけでしょ!?
大切な人を想ってのことでしょ!?
別にそれは特別なことじゃないわ!
私だって・・・・・・私だってお兄ちゃんのためなら何億人だって殺せるわ!
世界だって滅ぼして見せるわよ!」

「イネスさん・・・・・・」

「誰かを憎んだっていい。
どんな罪を背負ったっていい。
それだって貴方が生きてきた証なんだから。
でも・・・・・・それだけがテンカワ・アキトのすべてじゃないでしょ!?」

「けど・・・・・・俺は!」

「お兄ちゃん!」

再び手を振り上げたイネスを見て、目を瞑るアキト。



しかし予想した衝撃は来なかった。




代わりに柔らかい感触が唇に生じる。





イネスはアキトの首に手を回し、キスをしていた。

「私のファーストキスよ。ちゃんと責任取ってよね、お兄ちゃん」

瞳を潤ませながら笑うイネス。
その笑顔は、どこか幼い少女を思わせた。



【アキト】

イネスを押しのけるラピス。
アキトの首にすがり付いてくる。

「ラピむぐ?」

ラピスはアキトの唇に自分の唇をくっつける。
イネスの真似をしているのだ。

唇を離すとアキトの瞳を覗き込むラピス。



「バカ」



ラピスの口から出た言葉に目を丸くするアキト。
アキトに喜んで貰おうとしたラピスの言葉だったのだが・・・・・・。


(バカ・・・・・・かぁ)


その言葉はアキトの心に沁みていく。



「まったく・・・・・・ホントにバカだ・・・・・・俺は」

ラピスを抱きしめるアキト。


(お前の言うとおりだ月臣。
こんな俺でも、まだ想ってくれてる人がいるんだ。
まだ全部失ったわけじゃないんだ)





狂気の鎧から出てきたのは、罪という傷を負った弱き心。

独りじゃ立つことができない。
独りじゃ進むことができない。

でも、支えてくれる人がいる。

無関係な人間を殺しても、最悪のテロリストになっても、
それでもまだ、自分を受け入れてくれる人間がいる。

自分はまだ、テンカワ・アキト以外の何者でもないことを知った。


「世界なんてどうでもいい・・・・・・。
守りたいんだ・・・・・・ユリカを、ルリちゃんを・・・・・・みんなを」

アキトの瞳から涙がこぼれる。

嗚咽を漏らしながらラピスを抱くアキト。

「お兄ちゃん・・・・・・」

イネスはアキトを後ろから包み込むように優しく抱しめた。






















静かな空間に、二人分の足音が響く。



自室へ繋がる通路をラピスと共に歩くアキト。
目を腫らしているが、バイザーでそれは見えない。

左手に感じるのは、小さな手の温かさ。
それはアキトの心に安定を与えてくれている。


(依存しているのは・・・・・・俺のほうか?)

苦笑してしまうアキト。





あの後、いくつか心の内を吐露して少し楽になれた。

みっともない泣き言をイネスは黙って聞いていてくれた。

それで状況が変わるわけではないのだが・・・・・・救われたのだと思う。


きっと月臣も、全力で戦うことによって少しでも気を晴らそうとしてくれたのだろうと気付く。
熱血アニメの影響が多分にあるのだろうが、まっすぐぶつかればきっとスッキリすると。

気が張り詰めて余裕のなかったその時のアキトには、それを察することができなかった。


(悪いことをしたな・・・・・・)

そう思いつつトレーニングルームを覗くアキト。
そこには静かに立つ月臣の姿があった。



(まだいたのか・・・・・・?)

そう思い近づいていくアキト。
月臣は、すぐにアキトの存在に気付く。

「すまなかったな月臣」

そう言うアキトが、さっきとは少し違っていることを理解する月臣。
小さく安堵のため息を漏らす。

「いや・・・・・・構わない」

「そうか・・・・・・」


アキトのやっていること。
それは正しいのか、間違っているのか。

心情的には間違っていると言いたい月臣。

だが、それに代わる代替案を提示できるわけでもない。


"正義を信じる心があれば"

そんなことを言っていた以前の自分を、はるか遠い昔の事のように思う。

心の底から想えば何とかなる。
正しい道が見つけ出せる。

そんな甘い世界に身を置いているわけではないことを、今の月臣は知っている。




「何してるんだ?」

「訓練だ」

”自分の未熟を悟ったからな”と付け加える。

アキトの戦法はまっとうなものではなかった。
だが、邪道だからで終わりにすれば進歩はない。

そこで、その邪道すら打ち砕く力を身に付けたいと思うところが、月臣のまっすぐなところなのだが。


”せめて休んでからにしろよ”とアキトは思うが、それを口にはしない。



左の拳を振るう月臣。
アキトから受けた傷が痛み、うずくまる。

「傷は大丈夫か?」

"痛いのなら動くな"と思っているで、本気で心配してはいないアキト。

「全然大丈夫じゃない・・・・・・。お前のせいで泣きたいくらい痛いぜ」

月臣は脂汗を流しながらも笑ってみせる。


「お前はいい・・・・・・。怪我をしてもあの博士に治してもらえるんだからな」

「お前も治療してもらえばいいだろう?」

「一度・・・・・・治療してもらいに行ったことがある」

本当は久美のことで聞きにいったのだが。

「どうだったんだ?」

「断られた・・・・・・」

「は?」

「断られたんだ!彼女はお前の治療しかしないそうだ!」

月臣は握り拳を作り、滂沱のごとく涙を流している。
いかにも悔しそうといった様子だ・・・・・・昔のアニメキャラ風に。

「お前というヤツはあんな可憐な女性にそこまで思われて!」

「可憐て・・・・・・、あの人確かさんじゅ」

「ええい!年など関係ない!可憐と言ったら可憐なのだ!」

「お前、ナナコさんが理想の女性じゃなかったのか?」

「あの頃は若かった」

フッと言いながらポーズをつけて虚空を見やる。
格好を付けているつもりなのだ。

「おい・・・・・・」

アキトは半眼になって月臣を見るが、バイザー越しなどで月臣は気付かない。

「所詮は二次元の女性に過ぎない・・・・・・。
九十九が言った言葉・・・・・・今ならわかる」





(コイツも・・・・・・バカだよなぁ)



















ブラックサレナの状態を確認しようと、ウリバタケ研究所へと足を向けているイネス。



(お兄ちゃん・・・・・・)

アキトを抱きしめた感触と温かさを思い出す。

自分という存在が、アキトにとって意味のあるものだと確認してこの上なく嬉く思う。


すべてを捨てて狂気に逃げようとするアキトを掴み止めることができた。
闇の深淵に引きずり込まれそうになるアキトを引っ張り上げることができた。

それを誇らしく思う。

だが、それで安心というような単純なものではない。
人の心ほど不安定なものはないのだから。

自分を持ち直したとはいえ、自らの未来を都合よく考えられるようなアキトではない。
その上でユリカやルリ、ナデシコのクルー達の未来のために更なる罪を重ねることになる。

それはとても辛いことだ。
復讐や狂気にすべてを委ねているよりも、ずっとずっと辛いことだ。

自分が行うことから目を逸らすこともできず、苦しみ続けることになるのだから・・・・・・。


いつまた闇の底へと堕ちて行こうするかわからない。



(何としてでも繋ぎとめておかないと・・・・・・)



そう思っているイネスの視界に飛び込んでくるものがあった。

それはブラックサレナの前に座りその漆黒の肢体を眺めている男。
背中のナデシコのロゴマークもどこか寂しそうに見える。



「落ち込んでいるのかしら?」


近づきながら声をかけるイネス。

「すこし・・・・・・な」

漆黒の巨人を見つめたまま、小さな声で呟くウリバタケ。

自分が作り整備してきた機体が多くの命を奪ったのだ。
考えるところがあるのも当然だろう。

ただ単に多くの命を奪っただけなら自分の整備していたナデシコが相転移砲で行った大量虐殺も経験しているので今更ではあるが、相手に無関係の人間が多く混ざっている今回はいささか事情が異なる。

その辺りのことを考えるイネス。
一つの結論にたどり着く。


「今まで、よくやってくれたわ」

イネスの言葉に振り向くウリバタケ。

「どういうことでぇ?」

「引き際としては悪くない時期よ」

「俺にこの件から降りろってのか?」

「胸張って生まれてくる子を抱きたいでしょう?」


黙したままイネスを見るウリバタケ。
心の中で葛藤が続いているのか、表情が次々に変化していく。

しばらくそうしていたが、やがて強い意志がその瞳に宿る。


「バカ言っちゃいけねぇ」

メガネを外すと首を横に振るウリバタケ。

「生まれてくる子供が安心して暮らせる未来を守る・・・・・・。
父親としてこれ以上胸張れることがあるかよ」

"たとえでっけぇ声で言えなくても・・・・・・な"と付け加えながらメガネを拭く。

「なら、切り札のほうだけにすれば・・・・・・」

イネスの提案に首を横に振るウリバタケ。
アキトと違い、一人でも立てる強さを持っている。
それは父としての強さなのだろうかとイネスは思う。


ウリバタケはメガネをかけると漆黒の巨人を振り仰ぐ。

「それに俺のメカニックとしての腕を必要としてくれている友がいる・・・・・・」

それは軍とネルガルに逆らってまでナデシコへ乗艦した時、彼の妻に語ったセリフ。

「見捨てられるかよ。
俺の中のナデシコはまだ、終わっちゃいなんだ」





「バカね・・・・・・」

「お前さん程じゃないさ」

「・・・・・・そうね」



「あの子がいたらきっと言うんだろうな」

「ええ・・・・・・きっと言うんでしょうね」







「「バカばっか・・・・・・って」」
















  それぞれがそれぞれの想いに悩みつつも、同じ方向に向かって歩き出す。










ナデシコに端を発した戯曲はいまだ終わってはいない。

観客席から見える平和のカーテンの裏側では、次のステージの準備をするものたちの喜怒哀楽に満ちている。










そして準備されるステージの主役として舞台に上がる予定の少女はまだ










心を凍りつかせたまま









その時が来るのを知らない。




















という訳で、とりあえず一段落。
次話からは、ようやく劇場版突入です。
劇場版再構成なのに、それ以前のほうが長いような気が・・・。



 

 

代理人の感想

うわ月臣格好いい!

馬鹿なところも含めて(爆笑)。

 

それ以前のほうが長い云々ですけど、劇場版で描かれているのは数年間続いてきた戦いの最後のワンカットに過ぎないんですから、本気で書こうとしたらこうなってもおかしくはないでしょう。

読むほうとしては大変に満足してますよ。

 

 

ところでイネスさん、キスまだだったのね(爆)。