機動戦艦ナデシコ

The prince of darkness episode AKITO













月ネルガル秘匿ドックに帰還したブラックサレナ。
胸部装甲を開放して、黒いパイロットスーツを着た男が降りてくる。

駆け寄っていくのは、ナデシコのロゴマークが入ったツナギを着たウリバタケ。


「コイツは・・・・・・満身創痍ってヤツだな」


漆黒の翼を失い、肢体の各所に傷を負った手負いの悪魔を見ながらアキトに問いかける。


「夜天光とかいうのとやったのか?」

「いえ、部下のやつのほうです」

首を振りながら答えを返すアキト。

「随分とやられたもんだな。どこで戦闘になったんだ?」

「コロニーの中で・・・・・・」

"それならしゃあねぇか・・・・・・"と頭を掻くウリバタケ。
高機動戦闘に特化した機体と技術。
それらが使えない場所で戦闘したのであれば、苦戦するのは大いにありえる話だ。
それだけ歪んだ機動兵器なのだから。

「まあ、お前さえ無事ならなんとでもなる。
多少時間かかるだろうが、ちゃんと直してみせらあ」

「頼みます。後、相手のフィールドを貫ける武器が欲しいんですが・・・・・・」

欲張った注文だとはアキト自身わかっているが、至近距離からのハンドカノンの攻撃すらも弾かれるのでは、何とかしたいと思うのも無理ないのかもしれない。
アキトには、北辰の夜天光に対して、背後や側面を捉えられる自信を持てないのだ。

「カノンの出力はこれ以上あげらんねぇぞ。
今でもジェネレーター出力は、いっぱいいっぱいなんだからな」

「わかってます。でも何か・・・・・・必要なんです」

(アイツを倒すには・・・・・・)

表情を険しくしてブラックサレナを見つめるアキト。
ウリバタケはその様子を見て、"わかった"と頷いた。

「ま、あんま過剰な期待はすんなよ」











「アキト」

アキトに向かって歩いてくるラピス。
その後ろには、イネスもついてきている。

「イネス・・・・・・さん・・・」

複雑な顔をして彼女の名を呼ぶアキト。

イネスはラピスと共に多くの守備軍を殺している。
もともとの予定なら、牽制だけをしてさっさと撤退するだけだったのだが・・・・・・。

「・・・っ!?」

"どうして!?"
そう叫びそうになる自分を抑えるアキト。
聞かなくても答えはわかっていたからだ。

そう、アキトもわかっていた。
ユーチャリスやバッタであれほどの攻撃をしてくれたからこそ、自分はアマテラスへの侵入が出来たのだと。
自分を追いかけてきたのはライオンズシックルの一部だけであったが、もっと多くの敵が追撃してきていれば、アマテラスへの侵入は出来なかったと。

(俺が弱いせいだ・・・・・・)

そう思うアキト。
何かあれば自分を責めるという、自虐的なアキトの性癖がそうさせている。
だがそれは、他人から見れば傲慢なのかもしれない。
人一人が出来る範囲としては、アキトは良くやっているのだから。

アキトの心の内を察するイネス。
どこか叱られた子供のような表情をしていたが、アキトの前まで行くと毅然とした態度を作る。
そして"一つだけ言っておくわ"と前置きしてからアキトの瞳を正視する。


「これは私の戦いでもあるのよ」


それはイネスの偽らざる本音。

だから安全な場所から見ているだけでいようとは思わない。
だから自分だけ綺麗な手でいようとは思わない。

イネスの目はそう語っていた。















ナデシコBのへと帰還した三郎太のスーパーエステバリス。
リョーコの乗っているアサルトピットを置く。

スーパーエステバリスから降りてから、アサルトピットへと向かう三郎太。


「中尉?」


三郎太が外部からリョーコに向かって呼びかけると、アサルトピットのハッチが開く。
そこから出てきたのは、赤いパイロットスーツを着たリョーコ。
赤く腫らしながらも鋭さを保ったその目に、手負いの獅子のような印象を受ける三郎太。

現在的には自他とも認める女ったらしの三郎太ではあるが、その女性遍歴は見た目ほど多彩なものではない。 リョーコのような女性は、彼にとって始めて触れるタイプであった。
だから、かけるべき言葉をすぐには見つけられず、とりあえずは軍人として対応しようとする。

「スバル中尉。中尉は統合軍なので、ナデシコBでの行動には制限が・・・・・・」

状況を説明しようとする三郎太を一瞥するリョーコ。
だが何も言わずに歩き出す。

「ちょっと待ってください中尉!?」

三郎太はリョーコの後を追う。










「ルリィ!何でアイツらを見殺しにしたんだ!?」



ブリッジにたどり着いたリョーコ。
途端に押さえていた感情を爆発させる。
その怒声は凄まじく、新兵揃いのナデシコBのクルーを萎縮させるに足るものであった。

「中尉、落ち着いて」

後ろから追いついてきた三郎太がなだめようとするが、リョーコは意に介さない。

「ルリィ!」

掴み掛からんばかりの勢いで、艦長席へと詰め寄る。


「ボソンジャンプする機動兵器・・・・・・」


リョーコの手がルリの襟元を掴みかけた瞬間、ルリの口から発せられた言葉。
それがリョーコの行動を制止した。

「ボソンジャンプできる機動兵器にA級ジャンパーが搭乗していれば、あの状況からでも脱出可能です。
あれがあの人なら生きています・・・・・・必ず」

金色の瞳でリョーコを見据えながら冷静に言うルリ。
その様子にリョーコの頭も冷えてくる。

感情的になりすぎて、こんな簡単なことすら気付かなかった自分を振り返る。

「俺は・・・・・・何やってたんだよ?
この二年、アイツとみんなで作った平和を守ってきた気になって・・・・・・。
その結果がこれかよ・・・・・・?」

リョーコの声は震え、その瞳には涙を湛えていた。


「シャレになんねぇよ・・・・・・」


リョーコは右腕でグッと瞳を拭うと、身を翻してブリッジを出て行く。

「中尉!?」

「お願いします三郎太さん」

後を追おうとして躊躇した三郎太に声をかけるルリ。

「艦長?」

ルリがうなずいたのを見て、三郎太はリョーコの後を追った。





リョーコと三郎太を見送った後、地球への帰還を告げるルリ。
艦長席に深々と身を沈めると、大きなため息をつく。



「きっと・・・・・・生きてますよね?
アキトさん・・・・・・」


そう呟くルリの唇は、僅かに震えていた。










「中尉・・・・・・」



リョーコの追って行き着いたのは展望室。
三郎太は、一人うずくまっている女性に声をかける。

だが、帰ってくる沈黙だけだ。

ヤレヤレと長い髪の毛を掻く三郎太。
隣に座り、当然のごとく肩に手を回そうとするが、

パシ

すんでのところで払われる。


「なんだ、元気じゃないっスか」

払われた手を引っ込めながら陽気に言う三郎太。

「うるせ・・・・・・」

リョーコは短く文句を言うと、グリグリと目の周りを擦る。



ゆっくりと時間をかけて心を落ち着けていくリョーコ。
三郎太は展望室から見える宇宙を見つめて黙っていた。



「お前・・・・・・なんで宇宙軍にいるんだ?」

しばらくしてリョーコが口にした言葉。
それは、自分が統合軍にいる理由と比較したいという意図があったのだが・・・・・・。

「色々ッス」

帰ってきたのは素っ気無いものだった。

「そっか・・・・・・」

他人と比べてどうこう、なんて考えていた自分を恥じるリョーコ。
頬を赤く染めながらため息を吐く。
その仕草はどこか色っぽく、三郎太をドキリとさせた。



「中尉はあの黒い機動兵器のパイロットのこと、"アキト"って呼んでましたよね?」


「ああ、アイツは・・・・・・」

「テンカワ・アキト。元ナデシコのクルー・・・・・・ですか?」

リョーコが説明するのを遮って先に言う三郎太。

「たぶん・・・・・・な」


「あの人、火星の人間ですよね?」

三郎太の質問に少し驚くリョーコ。

「ああ、知ってんのか?」

「あの人は木連の軍人にとって意義深い人ですからね」

「意義深い?」

「火星極冠遺跡での戦いで、ゲキガンガーを語りながら痴話喧嘩かました人間として有名ですよ」

「そうだったな・・・・・・」

「あれで木星側の人間も、地球側の人間も、みんな同じなんだと教えてくれました。
和平がなった後、俺たち元木連の軍人がこうして地球側の軍人と一緒にいられるのは、彼のおかげだと俺は思っています」

そう言いながら複雑な表情を浮かべる三郎太。
髪を掻き上げながら、ハーリーがアマテラスからハッキングで入手した資料を思い返す。
それは、火星の後継者たちに誘拐され、実験体として死んでいった火星の人間たちのリストであった。

三郎太は終戦後、ナデシコとそれに関わる資料を積極的に集め吟味していた。
もっともよく戦ったナデシコのことを良く知りたかったからだ。
そしてそれは、火星を抜きにしては語れないものであった。

木連が火星に対して行った大量虐殺。
当然それとも向き合うこととなった。
それは三郎太にとって苦い記憶となっていた。

そして今また、木星の人間が僅かに残っていた火星の人間を殺していたという事実。


(もう・・・・・・俺たち木星人のせいで、火星の人間が何人死んだかさえわかんねぇよ。
アイツを止める権利なんて・・・・・・俺にはねぇよな?)


それぞれの思いに悩む二人。
いつまでも漆黒の宇宙を見つめいていた。















連合宇宙軍最高司令官ミスマル・コウイチロウ。
彼は今、一人の訪問者の相手をしていた。

訪問者は、ネルガル会長の代理人という肩書きを提示している。
その代理人の名をプロスペクターといった。

コウイチロウが彼と顔を合わせるのは初めてではない。
ナデシコを拿捕しようとした時に交渉したのは彼であったし、白鳥ユキナの身柄を拘束しようとナデシコに乗り込んだ時にも顔を合わせている。
交渉上手な食えない男だという印象をコウイチロウは抱いていた。


「これを私に見せて、どうしようというのかね?」

プロスから提示された資料を見ながらそう言うコウイチロウ。

「決めるのは私たちネルガルではありませんよ。
私たちはただ、新たなる新型戦艦を貸与しようという話を持ちかけているだけでして」

人の良さそうな笑みを浮かべて言うプロス。
だがそれを額面通りに受け取るほど、コウイチロウもお人好しではなかった。

「なぜこの時期に?」

「火星の後継者の鎮圧に使っていただければ、ネルガルとしても宣伝効果が高いと思いまして、ハイ」

「それならば無駄だ。
火星の後継者と名乗る叛乱者たちの鎮圧は、我々宇宙軍ではなく、統合軍の手に委ねられるだろう。
あの草壁中将が首領ということだから、それなりの離反者は出すだろうが、それでも統合軍の優位は揺るがん。
こちらにお鉢は回ってこんよ」

草壁たち火星の後継者は、全宇宙に向かって自らの存在を高らかに宣言し、賛同者を募っている。
だが、都合のよくない情報まで流しているわけではない。
遺跡を保有し、誘拐した女性を融合させている・・・・・・などということは、おおっぴらに言うはずもないのだ。
だから現在、コウイチロウが知っている情報と言えば、草壁を中心とした木連出身者たちが地球連合に叛旗を翻したという程度のものだった。

だからこういう答えを返したのだが・・・・・・。

「そうでしょうか?」

眼鏡の位置を直す仕草をしながら疑問を投げかけるプロス。
"それは間違っていますよ"と口元の笑みが語っているようにコウイチロウには思えた。

「君は・・・・・・いや、ネルガルは何を知っているのだ?」

プロスを睨みつけるコウイチロウ。
自分の知らないカードがあるのだとすれば、愉快な気分ではない。

「まもなくナデシコBが帰還なさることでしょう。
様々な情報と共に・・・・・・」

「様々な・・・・・・情報?」

「もたらされる情報は、貴方に決断を促すでしょう。
その時に選ばれれば宜しいかと」

自分の携帯の番号を記した名詞をデスクに置くと、身を翻して扉へと向かうプロス。
"いつでもお待ちしておりますよ"との台詞を残して退室していく。





プロスが出て行った後、名刺を手に取るコウイチロウ。

現在行われている火星の後継者の叛乱。
これは大規模なものではあるが、その戦力は地球側から見れば、そう多いものではない。
脅威といえば脅威だが、戦略的に見れば地球側の勝利は確定しているようなものだ。

統合軍の木星人すべてが叛旗を翻したとしても、統合軍の3割程度。
残る7割に勝てるはずもないし、その上、自分たち連合宇宙軍も控えている。
大事ではあるが、治まるべくして治まるようにコウイチロウには思えるのだが・・・・・・。

表面上に見える事態だけが総てではない、ということをプロスから感じさせられていた。

そしてその事態に対応するための秘策として、提示された新型戦艦があるのだろうと気付く。
プロスの残していった資料を見返すコウイチロウ。




「ナデシコ・・・・・・Cか」

















「ナデシコCの掌握を見せ付けた上で、対電子戦装備の兵器を売り込む・・・・・か。
そのシチュエーションを作るためにナデシコシリーズを作っていたのか?」

今後の予定を確認していたアキトとアカツキ。
一通りの計画を確かめた後、ナデシコCへと話題の焦点を移す。

「まあね。
マシンチャイルドを必要とする戦艦を開発したところで需要は少ないし、一般社会からの批判も大きい。
こうでもしないと、開発に対しての利益は上げられないからね」

「抜け目ないな」

「これぐらいしないとクリムゾンを追い落とせない。
それに君にとっても歓迎するところだろう?」

「そうだな。掌握に対応できるなら彼女を危険視する者も少なくなって功績だけが残る。
種明かしは一度きりの戦法となるわけだ。
しかしホントに掌握を押さえられるのか?」

「ナデシコCとオモイカネを作ったのはネルガルだよ。
そしてマシンチャイルドを一番理解しているのもネルガル。
当然・・・・・・」

と言ったところで、表情を曇らせてため息を吐くアカツキ。

「って言いたいところなんだけど、ルリ君やラピス君が本気になったら保証はできないね」

「そんなのを売り込むのか?」

アキトはあきれた顔をする。

「ああ、それでもマキビ・ハリクラスなら間違いなく押さえられるよ。
だいたいルリ君とラピス君がすごすぎるんだ」

「そうなのか?」

少し驚くアキト。
ルリやラピスが凄いのは知っているが、それがマシンチャイルドとしてどの程度のものかは知らなかったのだ。

「マキビ・ハリ君はマシンチャイルドの中でも安定して高い性能・・・・・・おっと、能力を誇るんだけど、それでも戦艦一隻の制御を一人でできるかどうかといったところだ。
でもラピス君なんか、ユーチャリスを完全ワンマンオペレートしつつ多数のバッタを制御している。
しかも君の感覚のサポートをしながら・・・・・・だ。
比較の対象が違いすぎるよ。 特にオモイカネとルリ君のコンビは最強だろうね」

「なるほどな・・・・・・」

具体的な差を提示されて、アキトも納得する。



「あわせて機動兵器のシェアも取り戻せる。
君が暴れてくれたおかげで、ステルンクーゲルなんて何機揃えたところで役に立たないってことになったからね。
IFSシステムを嫌っている場合じゃなくなる。
早速、高性能機についての問い合わせが来ているよ」

本当はステルンクーゲルが役に立たない、などということはない。
少し大げさに言ってみただけだ。
だが高性能機の導入は、既に既定の事実。
今後、多くの高性能機がネルガルから提供されることになるだろう。

「これでクリムゾンに拮抗しえるようになる・・・・・・か」

「あくまでやつらを抑えられれば・・・・・・だよ」

「勝てるだけの戦略を用意したから、そういうことを言っているのだろ、お前は?」

信用してくれているのは嬉しく思うが、買い被ってもらっては困るところだと思うアカツキ。

「不確定要素はいつだってあるさ。
向こうにだって向こうの描く未来図があるだろうし、こちらの用意したカレンダーが役に立つかどうかはまだわからない」

”すべてが終わるまでは楽観視すべきじゃない”とアカツキは気を緩めない。

「そうだな・・・・・・」


「いっそ君が英雄になるかい?」

「英雄?」

「そう、英雄だよ」

「こんな殺人鬼がか?」

「英雄といわれていたものはたいてい大量殺戮者だよ。
あるものは自分の野心のために大勢の人を巻き込み、あるものは国を守るためといって大勢を殺したりしてそれでも功績があれば英雄さ。
君にその資格がないとは、僕は思わない。
いや、その罪の深さを誰よりも感じている君こそ相応しいと思うよ」

言葉を切りチョイとアキトを指差す。

「君がナデシコCを駆り、ラピス君と共に火星の後継者を抑える。
そしたら君が英雄だ」

「統合軍が黙っていないだろう?」

「火星の後継者を抑えれば、ネルガルは連合政府に対して貸しを作れる。
民主主義の軍隊は政府の決定に従わなければならない。
これは大原則だ。
政府との取引次第で軍は抑えられる。
その上で情報操作を行えば君は英雄となれるよ」

「コロニーを攻撃した俺がか?」

「仕掛けたのはやつらをいぶりだすため、壊したのは火星の後継者。
アマテラスを爆破したのは彼らだし、それを自ら公言してくれたんだから便乗しようよ」



「新婚旅行で妻を奪われ、五感と共に夢を砕かれた悲劇の主人公が、壊れた体を引き摺って、妻と世界の平和のために戦った。
民衆のシンパシーは確実に得られる美談だね」

「世界の平和になんて興味はないが?」

「政府を転覆させようとするものを抑えれば結果的にそうなる。
どうだい?英雄になってみるかい?」

アキトは軽く自嘲した後、皮肉気に歪めた口を開く。

「人を殺していることに変わりはない。俺には殺人鬼が似合ってるさ」

そう言ってアキトは部屋を出て行った。





「詰まるところ、英雄なんてたいそうな称号は、死人かよっぽど厚顔な人間にしか耐えられないということか・・・・・・」

椅子に深く身を沈めて、天井を見やるアカツキ。
その瞳に映っているのは別のものだろう。

「彼女はどうかな?
僕と・・・・そしてテンカワ君が身命を削って用意した舞台に立って、英雄となることを承知するものかな?」

最後の最後。
全体から見れば、ほんの数パーセントに過ぎないだろうステージに立つアキトの大切な”家族”。
彼女一人では何もできないが、ネルガルとアキトが用意したこの状況とナデシコC、そしてA級ジャンパーがいれば、ホシノ・ルリは火星の後継者を抑えて英雄となれる。



「いや、テンカワ君が用意した舞台だからこそ、受け入れてもらわないと」















「我らへの賛同者は、統合軍の2割を超えました。
最終的には3割に達しましょう」


続々と集まってくる賛同者を見ながら、誇らしげに報告する新庄。
頷く草壁の隣には、北辰も控えている。

「想定した最大限の数値だな」

「それだけ現状に不満を持つものが多かったということなのでしょう。
我々と地球人が持っている価値観の溝は、そう簡単には埋まりはしなかったのです」

延々と続いてきた反地球教育の所産である、木星人たちの価値観は、たった二年で変わるものではない。
親地球的な木星人は、いまだにごく少数なのだ。

「離反者が一段落すれば、統合軍も再編を済ませて討伐に訪れるだろう。
我らも軍の統合と編成を行い、ターミナルコロニー『サクヤ』にて第一陣を迎え撃つ」

ターミナルコロニー『サクヤ』、それは火星に最も近いターミナルコロニーだ。
ここを抑えておけば、統合軍は火星への旅程をボソンジャンプで省略することは出来なくなる。
よって、統合軍が『サクヤ』に軍を集中させてくることは既定の事実だ。

全力を持って第一陣を倒し、第二陣を引きずり出す予定だ。
そしてそれは地球が手薄になるということ。
その時こそ、草壁たちの計画が最終段階を迎えるのだが・・・・・・不安要素がないわけではない。
テンカワ・アキト存在がその際たるものだが、他にもいくつかある。

「情報にある新型戦艦と、電子の妖精の実力は未知数です。
これも取り除いておいたほうがいいでしょう」

その性能までは明らかではないが、新型戦艦の情報も入ってきている。
ネルガルが開発したものであれば、マシンチャイルドがオペレートする高性能艦だとは推測できるのだが。

「しかしこちらも、それほど手駒が余っているわけではない。
すぐに地球側で行動できるのは、北辰の配下ぐらいのものだ」

クリムゾンを動かして何とかしてもらいたいところだが、現在クリムゾンは高みの見物を決め込んでいる。
その辺りのことを腹立たしく思う草壁。
しかし、当てにするほうが間違っているのだと自分に言い聞かせる。
自分にとって厄介な存在は、クリムゾンではないのだから・・・・・・と。

そしてその存在とは

「闇の王子と電子の妖精か・・・・・・。
まったく・・・・・・ナデシコにはいつまでも祟られるわ」

「我々にとって最も都合が悪いのは、この両者が結びつくことというのは間違いでしょう」



「閣下」



そこに知らせが舞い込む。
それは地球で活動している北辰の部下たちからの情報であった。


草壁たちはその情報を吟味する。

「これは好機と見るべきかな?」

そうではないとは思いつつ、とりあえずは言ってみる草壁。

「タイミングが良すぎましょう。
罠という可能性のほうが高いのでは?」

新庄の見解が正しいのだろうと草壁も頷く。

「しかしどっちにせよ、このままにしておくという手はなかろう。
上手くいけば一気に禍根を取り除ける」

そう言うのは、今まで黙って聞いていた北辰。
確かに成功すれば重畳ではあるが、逆に失敗すれば重要な諜報組織に深刻なダメージを負うことになる。
新庄の立場としては、俄かには賛同しかねるところなのだが。

「罠だった場合は逃げればいいだけのこと」

事もなげに言ってのける北辰。

「お前も行くのか、北辰?」

北辰の物言いに北辰自身が行くということを感じた草壁。
少し驚きながら北辰に問う。
ここ火星から地球までは、簡単にはいけないのだから。

「長距離跳躍が成功すれば・・・・・・の話。
山崎はターミナルコロニー『サクヤ』での戦闘に間に合わせると言っておりまする。
完成した積尸気で試すとの事。
それが成功すれば、我も地球まで跳べましょう」

"そうか"と頷く草壁。
北辰に許可を与える。

「第一目標は闇の王子・・・・・・ということで宜しいですな?」

「当然だ」















「三回忌・・・・・・ね。私が死んでから二年になるわけだ」



”私が死んでから”とは奇妙な台詞だと思いつつ、そう呟くイネス。

「そうですね」

自分も同じ立場にあるアキトは、やや複雑な思いで相槌をうつ。

「けどなんで三回忌なのかしら?
満一年では一回忌なのに、満二年では三回忌。
二回忌はどこいったのかしら?不思議よねぇ」

急に変なことを聞いてくるイネス。
アキトは少し考えるが、その答えを出すことは出来ない。

「知りませんよ、そんなこと。
俺は仏教徒じゃないですし。
だいたい宗教なんて、教徒以外には不思議なものでしょう」

「ちょっと合理的じゃないから気になっただけよ」

「なんでしたら合理的な宗教でも立ち上げますか?フレサンジュ教とか」

「私に皮肉を言うとは、偉くなったものね」

クスリと笑うイネス。
”ま、それは置いといて”と、一転して真剣な表情でアキトを見つめる。

「ホシノ・ルリに逢ってどうするのかしら?」

見つめてくるイネスの視線を外すアキト。
それは彼の迷いを表していた。

「最後の・・・・・・別れを・・・・・・」

懐に入れてある別れの品を探る。
それはテンカワ特製ラーメンのレシピ。

レシピがあるからいって、テンカワ特製ラーメンを作れるという訳ではない。
アキトが作るラーメンというのは、いつも一定ではなかったからだ。
スープを取る野菜などは旬によっても変わるし、季節や天候で味の濃さも変える。
暑く汗をかきやすい日は、塩気を大目にといったようにだ。
だからテンカワ特製ラーメンとは、アキト自身がその日その日に味を調節しながら作ったものをいうのだ。

レシピを渡す。
或いはそれは、意味のない行為なのかもしれない。
だがそれでも、伝えておきたいという想いも確かにある。



「あの子に、再びアキト君を失うことを受け入れられると思うの?」

イネスの言葉にドキリとするアキト。

「でも・・・・・・」

アキトの頭に思い起こされるのは、ルリと共に彼女の生まれた場所を訪れた時のこと。
自分の生まれた理由を知り、所在無さ気に小さな椅子に座る、寂しそうなルリの姿。

ルリの弱さを知っているのは、ナデシコクルーでも姉役たるミナト、大人のホウメイ、心理学にも長けているイネスの他には、その弱さを目撃しているアキトだけであろう。

ルリの弱さを知っているアキトは迷うのだ。


「俺は・・・・・・憎まれて当然、恨まれて当然の人間だ。
俺がヤツらを憎んだのと同様に、俺を恨む存在もたくさんいるだろう。
俺が傍にいれば、彼女の身にも危険が及ぶ」


自分に言い聞かせるように言うアキト。
イネスは複雑な表情で聞いていたが、それ以上は何も言わなかった。

















ルリは夢を見る。


ナデシコの夢。



崩れていく、遺跡と同化したユリカの姿。

ルリの感情は揺らぐが、まだ耐えられるものであった。


だが




『うあああああああ!』


アキトが地獄の業火で焼かれていく姿。





「ッ!?」


金色の瞳が見開かれる。
その瞳に飛び込んでくるのは見慣れぬ部屋。


(ここは・・・・・・?)


部屋を見渡すと、ヒカルと三郎太、そしてハーリーが眠っているのが確認できた。

(そうでした。昨日あのまま机で・・・・・・)

元ナデシコクルー集めのために来たアマノ・ヒカルの家で、漫画の原稿を描く手伝いをしていたことを思い出す。


渇きを感じてジュースの入っているコップを手に取ろうとするが

「あ・・・・・・」

コップに伸ばした右手が震えていて、うまく掴むことができない。
震える手を同じく震えている左手で包み胸に引き寄せ目を閉じる。

まぶたの闇に浮かんでくるのは、夢でのアキトの姿。
地獄の業火で焼かれ、苦しむアキトの姿。

「アキトさん・・・・・・」

震える声で名前をつぶやく。


(あの時・・・・・・あの時私が)










ユリカさんと共にアキトさんの家に転がり込んだあの日。
アキトさんはユリカさんと私を見て、迷惑そうで、それでいてどこか嬉しそうな顔をしていた。

嬉しそうな顔をしたのは、寂しかったからなんだと今ならわかる。

だからアキトさんは、ユリカさんと私を受け入れた。


そして・・・・・・奇妙な同居生活が始まった。


そこには、マシンチャイルドではない私"ホシノ・ルリ"が存在していた。
戦艦のオペレートが出来なくても、受け入れてくれる場所だった。

ナデシコとはまた違った温かさがあった。
それはきっと、"家族"と呼ばれる場所だったのだろう。


私は"家族"を失うことを恐れていた。

初めて手に入れた家族。
その温かさを知った私は、それを失うことを恐れていた。
家族として必要とされるように、いい子でいられるように・・・・・・そうやって過ごしていた。


そしてアキトさんも私と同じで、家族を失うことを怖がっていたようだった。

この"家族"を失いたくない。
私とアキトさんは、同じ思いを共有していたのだと思う。

手に入れた大切なものを失くさないように怯える窮鳥同士。
どこか共感できるものが、そこにはあった。

私とアキトさんは、どこか似ていたのかもしれない。


軍に復帰したユリカさんは居ない時が多く、私たちはたいてい二人きりだった。
私とアキトさんは、いつも一緒にいた。

隣を見ると・・・・・・いつもあの人がいた。

そうやって、一通りの季節を過ごした。
春も、夏も、秋も、冬も・・・・・・あの人と共にあった。

いろいろあって、いろいろ体験した。
いろいろ考えて、いろいろ感じた。

でも、どんなに時が移ろいでも、変わらない永遠がそこにはあるように思えた。





もちろんそれは錯覚だった。

永遠など、この世にはないことを私は知る。




それはアキトさんとユリカさんの結婚が決まった時。

あの時は、私たち家族にとって重要な時期だった。

血の繋がらない上、法的根拠も持たない私たち家族は、一般社会から見れば随分歪んだものに違いなかった。
ユリカさんもアキトさんも大人と言っていい年齢であったし(内面はともかく)世間から色々言われるのは、ユリカさんはともかく、その父であるミスマル・コウイチロウとしては認められるものではなかった。
なにしろあの人は極度の親馬鹿だったし、名門ミスマル家としても容認できない状況であったことは確かだった。

ミスマル提督が、ユリカさんを連れ戻そうと色々画策してきた。

私たち"家族"の存亡の危機・・・・・・そんな時期だった。



「ユリカはさ・・・・・・本当に俺のことを見ているのかな?」


それは再びめぐってきた春の日。
アキトさんは私にそう聞いた。

桜の舞い散る公園で二人。
ベンチに並んで座って、これまでのことを思い返していた時だった。


「どういう意味ですか?」

「ユリカの目がね、俺を見ていないような気がするんだ。
俺を通してユリカが作り上げた王子様を見ているような気がするんだ。
ナデシコに乗っているときはただただ必死で考えることも無かったんだけど、こうして一緒に住んでるとどうしても・・・・・・ね」


「王子様ってなんだろうね?」

「俺さ・・・・・・ユリカのことは好きだよ、・・・・・・家族だからね・・・・・・。
けど、女として好きかはよくわからない」

「でもこのままじゃ、ユリカともルリちゃんとも家族でいられなくなるんだよな・・・・・・」

ポツリ、ポツリと心の内をこぼしていくアキトさん。
アキトさんが言わんとするところが私にもわかった。

ユリカさんがアキトさんのところを出て行けば、私もまたそうするしかない。
そしてアキトさんは、また一人になってしまう。

アキトさんが考えているのは、この家族を維持するための唯一の選択・・・・・・。


「じゃあ、私は・・・・・・?私のことは・・・・・・」

(どう思っているんですか?)

「えっ?」




私は、自分の心にアキトさんへの好意が芽生えていることを知っていた。
家族としてではなく、一人の女としてアキトさんを好きだった。
でも、私はまだ一般社会においては少女に過ぎない。

家族を維持することと、ユリカさんを選ぶことは並立しても、
私を選ぶことと、家族を維持することとは並立しない。


「いえ・・・・・・、何でもありません・・・・・・」

アキトさんに私を選んで欲しくても、私にはそれを口にすることはできなかった。



私たちが"家族"であり続けるための選択。
私もそれでいいと思った。

仕方がないと。

"家族"を失って離れるよりは・・・・・・いいのだと。
"家族"としては、ずっと一緒にいられるのだからと。


想いを秘めたまま、生きていこう。
ずっと傍にいられるのなら、それ以上望まないように生きていこう。

そう決意した。

痛みを訴える心も、いつかは慣れていくのだと自分に言い聞かせて・・・・・・。






でもその選択の後、私は”家族”すら失った。






アキトさんとユリカさんのお葬式でも、私は泣くことができなかった。
ただ、アキトさんの遺影を持って呆然としているだけだった。

"私を見て欲しい。"

あの時、その言葉を伝えることができていれば、こんなことにはならなかったんじゃないだろうか?
アキトさんを死なせたのは自分の責任なんじゃないのだろうか?

そう、自分に問いかけていた。


あの時私が・・・・・・







私は知った・・・・・・失う意味を。
私は知った・・・・・・悲しみの意味を。


ナデシコの皆を見て、人というものを知っていたつもりだった。
どんな悲しみも苦しみも、大切な過去として未来への糧とし、前へ進んで行けるものなんだと思っていた。
それが"人間"なんだと。

だから過去をチャラにできるという遺跡の破壊にも反対した。




でもあの時、私は理解した。

失う意味を知っていた気になっていただけのことに。
悲しみの意味を知っていた気になっていただけのことに。


アキトさんやミナトさんの悲しみを見て、それで知っている気になっていたことに・・・・・・・。


自分でそれを体験して、初めてわかった・・・・・・。


私は何も知らなかったのだと。
私は所詮、"人間"を知っている気になっていた"人形"でしかなかったと。

私は作られた存在・・・・・・マシンチャイルドでしかないことを。



私は自分の心を凍らせた。
凍てつかせてしまえば、すべてから逃げることができるような気がしたからだ。

そしてマシンチャイルドが存在するのに相応しい場所に身を置いた。
命令されるままに戦うことを義務付けられている軍に。

マシンチャイルドの力を使い、マシンチャイルドとして"存在"してきた。
そしてこれからも、マシンチャイルドの力を使うことで"存在"していく。

そう思っていた・・・・・・。





でも今




アキトさんが生きていることを知った今










私の心が再び動き始めた



















「いやはや・・・・・・今回の騒ぎで連合軍も連合内部もガタガタですな」

「当然でしょう」

スイカを食べながら現状の確認を行う宇宙軍の面々。
火星の後継者の討伐で忙しい統合軍とは異なり、宇宙軍は気楽なものだ。
もっとも”今は”の話であるが。

「で、敵の動きは?」

コウイチロウがジュンに聞く。

「あ、はい・・・・・・。
敵、火星の後継者は現在火星極冠遺跡を占拠、草壁の主張に同調するものが続々と集結中・・・・・・。
その数、現在までに統合軍の3割にも達しています」

「連合の非主流派の国々も非公式ながら支持の動きがあります」

ジュンを受けて付け加えたのはムネタケ。
深刻な事態なのだが、スイカを食べながら和やかに言っているので、どこか軽く感じる。


「宇宙軍からは同調しようにも人がいないからねぇ」

ミスマル・コウイチロウは情けなさそうにそう言いながらも、頭の中で状況を整理する。


火星の後継者の戦力は予想した程度のものだ。
まともに戦えば、統合軍の勝利は揺るがない。
だがナデシコBの持ち帰った情報には、死んだはずの娘が融合した遺跡の情報があった。
ボソンジャンプを自在に操れるとなると、この戦力差を跳ね返す可能性もある。

現在、宇宙軍には火星の後継者討伐の命令は届いていないが、統合軍の第一陣が敗北する事態になれば、ある程度の裁量に任せた行動許可も下りるだろう。

そうなった時のために、コウイチロウはネルガルの提案を受け入れた。
そしてプロスにナデシコCの使用を求めた時、火星の後継者の計画についても聞かされた。



本来ならば、自らが先陣に立って愛娘を助けに行きたいところなのだが・・・・・・。

(すでに役割は決まっているのだろう)

自分たち宇宙軍は、この舞台の開幕までその存在すら知らなかった。
ステージでの役割は、既に脚本家によって決められているのだと悟らされている。

複雑な心境でスクリーンを見上げるコウイチロウ。
そこには草壁に同調した統合軍の将校が、草壁本人と握手をしているシーンが流されていた。










「火星の後継者ねぇ・・・・・・」

テレビから流れるニュースを見ながら、店の準備を始める大柄な中年女性。
彼女の名をリュウ・ホウメイといった。

彼女は一人でこの店”日々平穏”を切り盛りしている。

彼女の腕ならば大きなレストランを持つこともできたであろう。
事実、出資を申し出るものもいたし、一流ホテルからの誘いも数多あった。
だが彼女は、自分の目が行き届き誰もが気軽に入ることのできるこの店を選び、そして誇りに思っていた。


ガラッと扉が開く音がする。

「今準備中だよ」

ニュースの流れる画面を見たまま、そう言うホウメイ。

「何とかお願いできませんか?ホウメイさん」

帰ってきた言葉に驚くホウメイ。
慌てて振り返り、入ってきた人物を確認する。
そこに立っていたのは、夏場なのに黒い長袖のシャツと黒いジーンズ、そして黒いバイザーをかけたいかにも怪しげな青年と、処女雪のような肌と薄桃色の髪、金色の瞳を持つ少女であった。

ホウメイはカウンターから身を乗り出して、黒尽くめの男の顔を確認する。
その顔の半分はバイザーに隠されているが、そのボサボサの髪と顔の輪郭には覚えがある。
そして何より先ほど聞いた声・・・・・・。

「テンカワ!?」

ホウメイは導き出された答えを口にする。

「お久しぶりです」

「生きていたのかい?」

心底驚いた顔をしているホウメイ。

「亡霊みたいなもんです」

苦笑しながらラピスの手を引き、店内に入るアキト。
ホウメイも豪胆なのか、死んでいたはずの弟子が急に現れたにもかかわらず、それ以上騒がない。
驚いていた顔を引っ込めて、穏やかな顔でアキトを迎え入れる。

「その子は?ルリ坊によく似てるね」

カウンターの席に腰をかけるアキトとラピスに問いかける。

「この子はラピス・ラズリ。俺と一緒に火星の後継者に捕らえられていたんです」

平然と言うアキト。
だが、その内容はとんでもないものであった。
あまりまっとうには生きてきていないことをホウメイは読み取る。
もっとも、死んでいた人間が生きていたという時点で、まっとうであろうハズはないのだが。

「もしかして・・・・・・"アレ"はあんたかい?」

流れているニュースを見やるホウメイ。
そこには"黒い機動兵器は何者?火星の後継者?それともその敵対者?"とテロップされているところだった。

「ええ・・・・・・」

少し言い辛そうにするアキトを見て、とりあえずはそのことについて聞かないことにするホウメイ。





「今でも料理はしてるのかい?」

カウンターの席に座ったアキトに問いかけるホウメイ。
どんな風に生きていても、かつて自分が教えたことは忘れていて欲しくない。
そういう気持ちが言わせた台詞だった。

ホウメイの言葉にピクリと反応したのは、アキトではなく隣に座っているラピス。
アキト自身の態度は平然としているが、その内面では様々な葛藤が渦巻いているのだ。
だからラピスは、それを感じてアキトの顔を見上げる。

「いえ」

短く否定するアキト。
だが、ホウメイとしては納得がいかない。
その理由を知りたくなる。

「どうしてだい?」

「味覚を・・・・・・失ったんですよ」

「なんだって!?」

ホウメイは驚く。
同じ料理人として、味覚を失うことがどれ程の意味を持つか、ホウメイは知っている。
自分の味を作り出すことなど不可能になるのだ。

「だからもう・・・・・・料理はしてないんです」

「そうかい・・・・・・」

すまなそうにするホウメイ。

「でも、この子には本物の料理を食べさせてあげたくて・・・・・・」

アキトは、隣に座って自分を見上げているラピスの髪をいとしそうに撫でる。
ホウメイはその様子を見て、アキトが外見とは違い、その中身はあまり変わっていないことを知った。

「いつもは何食べてんだい?」

「カロリーブロックとか栄養剤なんかです。
ラピスにはちゃんとした物を食べて欲しいんですが、俺と一緒の物を食べるって言って・・・・・・」

「じゃあ・・・・・・」

"じゃあアンタも"

そう言いそうになるホウメイ。
でも、料理人である自分が味覚を失ったらどうなるか?
料理を食べるのも苦痛になるのではないのか?
同じ料理人たるホウメイはそう思い至り、その台詞を口にすることはなかった。


「じゃあ、今日はアタシが最高の料理を食べさせてやるさね」


ホウメイは気合を入れて調理にかかった。



ホウメイが料理しているのをぼんやりと見つめるアキト。
自分の中に、料理を出来るホウメイへの嫉妬や羨望が生まれていることを感じる。
未練を断ち切れない自分を滑稽に思うが、それを解消する術も強さも持てはしない。

(彼女にこれを渡せれば、少しは変わるかもしれない)

懐にあるレシピに触れながらそう思う。
何の根拠もありはしなかったが・・・・・・。






ラピスとアキトの前に複数の料理が置かれている。
ホウメイは一つ一つの量を少なくして多くの種類の料理を出してくれたのだ。


箸をうまく使えないラピス。
ホウメイが出してくれたフォークを使い、料理を口に運ぶ。

アキトとホウメイが見つめる中、ラピスの可愛らしい口に料理が入っていく。

「どうだラピス?」

アキトはどこか緊張気味に質問する。
その顔を見ながら、モクモクと口を動かすラピス。
口の中の物を空にしてから唇を開いた。

「よくわからない・・・・・・」

その言葉を聞いてアキトは落胆する。
しかし

「でも・・・・・・いつも食べている物よりもっと食べていたい」

アキトは口元を緩める。

「そういう時は"美味しい"って言うんだよ、ラピス」

「オイシイ」

教えられた言葉を口にするラピス。

アキトはラピスが、ほんの少し嬉しそうな表情をしたような気がした。
きっとそれは、ホウメイの料理がそうさせたのだと思う。
食べさせた人に、笑顔を浮かべさせることができる魔法使い。
それが料理人だと信じていたから。


ラピスもルリと同様、見た目以上に食が太い。
ホウメイが奮発して作った料理の数々を凄い勢いで征服していく。
その様子にアキトとホウメイはルリを思い出していたが、知らないものが見れば、自分の目を疑ったであろうほどの光景だった。




「どうして今なんだい?どうして今、逢いに来たんだい?」

食事を終えたアキトに問いかけるホウメイ。
アキトはしばらく考えてから口を開く。

「もうすぐ俺の戦いに決着がつきます。
その時、俺が生きているという保証はありません。
勝っても負けても・・・・・・ね」

「最後の晩餐のつもりかい?
やめときな。アンタには似合わないよ。
是が非でも生き延びるつもりで戦わなきゃ、勝てるもんも勝てないよ」

持っているオタマを振りながらそう言うホウメイ。
今にもアキトの頭を叩きそうだ。

「止めたりはしないんですか?」

「アタシが止められるもんなら、止めるかもしれないけどね・・・・・・」






店の前まで出て、アキトとラピスを見送るホウメイ。
アキトはホウメイに礼を言うと、ラピスと手を繋いで歩き出す。


「テンカワ」


その声に振り返るアキト。
ホウメイはしばらくアキトを見つめた後、ゆっくりと口を開く。

「アンタは変わってないよ」

そう言って優しげな笑みを浮かべるホウメイ。

「それだけさね。
後、もう一度会いに来てくれることを願ってるよ。
今日の分はツケにしとくから、ちゃんと払いに来な」


ホウメイに向かって深々とお辞儀をするアキト。
顔を上げ、柔らかく笑ってから、人ごみに紛れていった。










「ホウメイさん?」



二人を見送って店に入ろうとしたホウメイに声がかかる。

その声に振り向くと、ルリが三郎太とハーリーを引き連れて立っていた。

「ルリ坊!?」

「お久しぶりです、ホウメイさん」

礼儀正しくお辞儀をするルリ。
その姿を見ながらホウメイは思う。

(タッチの差か・・・・・・。これも運命かねぇ)








「これで20人目。歴戦の勇者、また一人脱落・・・・・・と」

嬉しそうにモニターを操作するハーリー。
彼は、ナデシコクルーを集めるのに反対だった。
だから、脱落者が出ることを喜んでいるのだが。



「そんなに昔の仲間が必要なんですか?」

あくまでナデシコクルーを集めようとルリに食って掛かるハーリー。
だが、ルリは一言こう言うだけだ。

「必要」

その回答にカッとなるハーリー。

「別にいいじゃないですか!?僕達だけでも!」
ムキになって食い下がる。

「僕はそんなに頼りないですか?艦長!?」

「ホウメイさん、おかわり」

ハーリーを無視してホウメイにおかわりを要求するルリ。
その冷たい態度に、ハーリーは泣き出して店を飛び出した。


「いいのかい?追いかけなくて」

事の成り行きを見守っていたホウメイがルリに問う。

「いいんです」

「ホントに?」

「私たちだけでは敵には勝てない。それはあの子にだってわかっているはずです」

それぐらいわかっていて当然だとばかりに言うルリ。
それはハーリーを評価しているからなのかもしれない。
本来、彼ぐらいの年齢で事態を把握しきれるはずはないのだから。
もっとも、あの年齢の時の自分と重ねて言っているのかもしれないが。



ルリが元ナデシコクルーを集めるのには、いくつかの思惑がある。

ネルガルから提示されたナデシコCの性能と概要は、つまるところ電子戦を仕掛けるというものだ。
しかし、火星の後継者は火星極冠遺跡に陣取っている。
まずは火星までの距離を埋めなければ、何も始まらないことをルリは理解している。

だが、火星まで通常航行で行くには時間がかかりすぎる。
そして電子戦抜きで火星まで単独で突破できると考えるほど、ルリは楽天家ではない。
電子戦を使えばもちろん可能だろうが、その場合はナデシコCが火星の到達するまでに情報が伝わり逃げられるか対策を立てられる可能性もでてくる。

ネルガルがそんな無能な戦略を立てるとは、ルリは考えていない。

ならばどうするのか?

答えは距離を埋める存在・・・・・・A級ジャンパー。
戦術的勝利を約束するナデシコCのハッキングをA級ジャンパーによるボソンジャンプによって運用すれば、戦略兵器の完成である。

ルリは、アキトがナデシコCに来てナビゲートするのだと推測しているのだ。
もう一人のA級ジャンパーたるイネスの存在を知らないのだから、そう考えるのも当然なのだろう。
だからその場合、アキトのことを考えて、ナデシコクルーがいたほうがいいと思っているのである。


もしアキトが来なかった場合は、通常航行で火星まで行くことになるので、その間の戦闘や臨戦態勢での航行によって蓄積される疲労を考えると、3人だけでというのは非現実的すぎる。
マシンチャイルドとはいえ休息は必要なのだ。
だから人材は必要不可欠となる。


どっちに転んでもプラスになるとルリは考えているのだ。
無論、アキトが来ることを願っているのだが・・・・・・。





「わかっていても、割り切れないものだってあるよ」

ホウメイのその言葉にピクンと反応するルリ。
自分のアキトへの想いを言い当てられたような気がしたからだ。

(子供も大人も、それは変わらない。それが)

「そう、人間だから・・・・・・」


"人間だから"

その言葉を受けて、ホウメイを見つめるルリ。
その瞳には、戸惑いの成分が色濃く含まれていた。


(この子は・・・・・・)

アキト達がいなくなってからの2年間、ルリは心を成長させていなかったのだとホウメイは気付く。
これくらいのこと、教えられるなり、自分で気付くなりしていておかしくない時間を、心を凍りつかせて生きてきたのだと・・・・・・。


「あの子はヤキモチ焼いているねぇ、昔のアンタの仲間に・・・・・・。
昔のナデシコってヤツにさ」

「ヤキモチ・・・・・・」

「アンタだって・・・・・・もし今テンカワの傍に、アンタでもなく、艦長でもない娘が寄り添ってたらどう思うかね?」

ガタッ!

ルリが立ち上がり、その勢いでイスが倒れる。

「誰ですか・・・・・・?誰がアキトさんの傍にいるって言うんですか?」

アマテラスで見た戦艦。
その性能からマシンチャイルドがオペレートしていることは推測できている。

(でも・・・・・・)



「例え話さね・・・・・・」

はぐらかすように言うホウメイ。

「逢ったんですか?アキトさんに?」

本来ならばこちらを先に聞くべきなのだが、理性は正常には働いてはいなかった。
ハーリーと同じで、心の動きは理屈ではないのだろう。

「言ったろ?例え話だって」

納得しそうにないルリ。
カウンター越しに金色の瞳でホウメイを射る。

「まあ、落ち着いて座んな」

倒れているイスを指差すホウメイ。
ルリも少し、冷静さを取り戻す。

「すみません」

椅子を起こして座り直すルリ。
その姿は、どこか頼りなげだった。

ホウメイはルリの様子を見てため息をつく。



(そのイスにテンカワが座っていたって言ったら、どんな顔するだろうね?)














店仕舞いをした日々平穏。
今日は思わぬ客がたくさん訪れた。
そして最後にもう一人、懐かしい客が顔を見せている。

薄暗くした店内に、グラスがぶつかる音が響く。
「何に乾杯なのかねぇ?」

ホウメイに質問に、少し考えるミナト。
ふと、今日出逢った少年の顔が浮かぶ。

「久しぶりの再会と、ハーリー君に」

その答えを聞いて豪快に笑うホウメイ。


「あんたも乗るのかい?ナデシコCにさ・・・・・・」

「そうだねぇ・・・・・・。
プロスさんから連絡もらった時は、ルリルリの様子だけ見て、帰っちゃおうかと思ったけど・・・・・・あの子見てたら、そうも言ってらんない」

「そうだね、かなり無理してる。顔には出してないけどね」

他の人間は気付かないが、ルリの弱さを知っているミナトとホウメイには、ルリが今、かなり危うい状態にあることがわかっていた。

喩えるなら、凍った一輪の花。
風にも揺らがず咲き誇ってはいるが、その実・・・・・・酷く脆い。
簡単に粉々になってしまいそうなのだ。

ハーリーでは、ルリに甘えることは出来ても、ルリを支えることは出来ない。
そのことがわかってしまうミナトには、ハーリーや三郎太だけに任せておくことなど出来ない。
だから当初の予定を変更して、自分もナデシコCに乗ることを決断したのだ。

「艦長としての責任。任務の遂行。敵は強い・・・・・・」

ホウメイの言葉に頷くミナト。
だが、彼女はどこか納得いかない。
艦長としての責任。任務の遂行。そして強敵。
それは大変なことであろう。
しかしそれだけで、ルリがここまで追い詰められるとは思っていなかったからだ。
だから当初は、顔を見ただけで帰る予定だったのだが・・・・・・。

まだ事情を知らないミナトには、その訳に気付くはずもない。


「こういう時に、あの子"も"ほげーっとできればね」

"ナデシコの艦長"のように、さっさと切り替えられる性質ならばいいのだが、ルリはあれで引き摺るタイプだ。
顔や態度にはださないから、たいていの人間は気付くことはないのだが。



"”艦長か・・・・・・”というミナトの呟きが、ホウメイの耳に深く残った。















電車に乗って、ルリと刹那の逢瀬をするアキト。


すれ違う電車の中から、視線を絡ませるアキトとルリ。



何度、彼女に自分と来て欲しいと思ったことか・・・・・・。
何度、彼女の元に帰りたいと思ったことか・・・・・・。

だが、アキトは思い知った。

ルリには新しい生活、新しい居場所があり、彼女を慕う弟もいることを。
自分は既に、彼女にとって亡霊でしかないことを。

(もう彼女には、俺は必要ない・・・・・・か。
わかっていたことだが・・・・・・)

思わず、自分を嘲笑う皮肉気な笑みを浮かべてしまうアキト。

(だからこそ、最後の別れを言える)



アキトは気付いていない。

ルリがアキトを必要としていることを。
ルリにとって今の居場所は、マシンチャイルドの置き場所でしかないことを。

16歳の少女が、軍にいたいなどと思うはずはないのだ。



【アキト】

ルリが望む居場所にいる少女が、アキトに語りかける。

【どうしたラピス?】

【あれが・・・・・・ルリ?】


ラピスはギュッとアキトのマントを掴む。
アキトの心を強く惹きつける存在を目にして、ラピスはこの上ない不安をその胸に生じさせている。


【ラピス・・・・・・】


アキトには、ラピスの心の動きを洞察することができた。
普段は鈍いアキトではあるが、今ルリ対しての自分の必要性を確認したことが、アキトにそれを可能とさせていたのは皮肉であろう。


アキトはラピスを引き寄せ肩を抱く。

【アキト?】

アキトは何も言わない。

このラピス・ラズリという名前すら、もう一人の自分に由来することを、今の彼女は知っている。
その名前こそが、アキトがラピスにルリを重ねて見ている証拠だと言われれば、アキトは否定し得ない。

アキトが下手な言葉で何を言おうが伝わりはしないだろう。

だからアキトは、ラピスにその温もりを伝える。

彼女の不安を溶かしていくように。

今ここにいるのは、ラピス・ラズリ以外の何者でもないということを教えるように。













遠ざかる電車



離れていく二人の距離






それぞれがそれぞれの想いを秘めて



明日へと心を向かわせた












次回は墓地でのシーンをメインにってことになります。



 

 

 

代理人の感想

ふはー。

今回も色々ありましたが、やはり一番の見せ場はアキトVSホウメイ!

話の上では必ずしも重要なシーンではないかもしれませんが、

間違いなく一番心を動かされるシーンでした。

言ってみればアキトの「未練」、言いかえると「まだ残っている人間らしさ」。

師弟の絆とともにそう言う物が見えたのが何よりも・・・嬉しかったというと変かなぁ。

とにかく、いいシーンだったと思います。