機動戦艦ナデシコ

The prince of darkness episode AKITO

after story




「ユリカ」




















白く統一された清潔な病室。
広くゆったりとした造りになっており、そこに入室していた人物が、一般とは明らかに異なる立場にいることが窺える。
今日までの部屋の主の名はミスマル・ユリカ。
"今日まで"というのは、彼女は今日退院することになっているからだ。

荷造りを済ませたユリカは、自分の左腕の時計を見て時間を確認する。
コウイチロウが迎えに来るまでには、まだ多くの時間があった。
さっさと退院したいため、気が逸ってしまっていたのだ。

ベッドに腰を下ろし、ぼんやりと病室を見渡す。
ふと、壁に吊るされているカレンダーに気付く。
どうやら片付け忘れていたようだ。

ユリカは下ろしたばかりの腰を上げると、壁まで歩いていってカレンダーを外し、日付を見る。
今日を示す箇所に目を留めると、これ以上ないような盛大なため息をつく。
彼女が入院してから、5ヶ月が過ぎようとしていた。

火星で一度目が覚めていたが、それから再び2ヶ月ほど眠っていた。
目が覚めてからも、色々な検査のため、さらに3ヶ月の入院。
健康体だと自覚していたユリカには、長い時間であった。


「酷いよね、ルリちゃん。私を置いていくんだもん」


一月ほど前に姿を消した家族のことを思う。


「もうアキトのところに・・・・・・いるのかな?」


ベッドの上に仰向けになると、真っ白な天井を見上げる。


「アキト・・・・・・」


ポツリと呟いて目を瞑る。
そして、アキトのことを知った日のことを思い出す。







それは目を覚ましてから1ヵ月ほどたった頃。
誰もアキトのことを教えてくれず、自分で調べようと病院を抜け出す画策をしていた時だ。
突然イネスが訪れ、自分にアキトのことを教えてくれることになった。
そのタイミングの良さには驚いたが、イネスの後ろから現れた義妹の姿が疑問を氷解してくれた。
抜け出す準備を察したルリの告げ口であったということだ。



ユリカに教えると言ったイネス。
だが沈黙したまま、一向に口を開こうとはしない。

痺れを切らしたユリカが先に質問する。
まず、一番知りたいことを。


「アキトは何処ですか?」

「天国か、地獄か・・・・・・」


イネスは感情のこもらない口調で返す。
それを聞いたユリカの顔が凍りついた。


「そう言ったらどうするつもり?」


付け加えられたイネスの台詞が、ユリカに怒りの感情を灯す。
凍りついていた表情は、すぐに熱を帯び紅潮した。


「言っていい冗談と悪い冗談があります!」


しかしイネスは、ユリカの怒気を軽く流す。


「火星の後継者に捕まっていたアキト君・・・・・・。
何の疑いもなく、無事だったと思うわけ?」

「それは・・・・・・」

「まあ、生きてはいるわ」

「だったらアキトの・・・・・・」
「今のアキト君が、世間じゃどう言われてるか知ってる?」


イネスはユリカの質問を遮り、逆に質問をする。


「知るわけないじゃないですか。
みんなが教えてくれないんですから」


"そうようねぇ"と頷くイネス。
私が教えないようにしていたんだから、と。


「史上最悪のテロリスト・・・・・・よ」

「何言ってるんですか!?」


ありえない事を聞かされ、再び怒りがこみ上げてくるユリカ。
それは当然の心の動きであっただろう。


「いい加減本当のことを・・・」
「本当です」


一つの声が、怒鳴りつけようとするユリカを遮った。
それは、今まで黙って聞いていたルリの言葉だった。

ルリへと視線を向けるユリカ。
"嘘だよね?"という言葉を飲み込む。
ルリの瞳はまっすぐ自分に向けられていて、偽りを言っているようには思えなかったからだ。
それでも納得できず、ルリの金色の瞳を見つめる。
"嘘です"と言ってくれることを願って。

表情を強張らせたまま互いの瞳を見る二人。
空気が固体化したような緊張が張り詰める。

そのまま、数分の時が流れた。
永遠とも感じるほどの、数分が。

だがルリの瞳は、最後まで揺らぐことはなかった。




(テロリスト?あのアキトが?)



自分と共に捕まったアキト。
自分のように健康ではないのかもしれないとは考えていた。

だからこそ、逢いに来れないのだと。
だからこそ、誰もアキトのことを教えてくれないのだと。

しかし、テロリストになっているなどということは、想像することすら出来なかった。


呆然と病室の壁を見つめるユリカ。
頭の中は一向に整理されない。
それも当然だ。
駆け出しのラーメン屋だった人間が、史上最悪のテロリストと呼ばれるようになっていると言われたのだ。
むしろ"はい、そうですか"と納得できる方が常軌を逸している。
ありえない。
そう思うのが自然であろう。



それは、自分には想像できない2年間がアキトにあったのだと知った時だった。



イネスはアキトの行ってきた事実を客観的に述べる。

クリムゾンや火星の後継者と戦い、その手で殺してきたことを。
多くの無関係の人間をも、殺めてきたことを。

イネスはユリカの反応を観察する。
その心の内すら見通そうとするかのような鋭い瞳で。



「アキトはそんなことしない」「それは私の王子様じゃない」
「私にはアキトが理解できる」「アキトはアキト」

どれを言っても、イネスはユリカを認めたりはしなかっただろう。
2年も眠っていた彼女が、今のアキトを知っているはずはないのだから。

この2年、アキトはただ戦っていたわけではない。
悩み、苦しみ、心を削りながら生きてきた。
その悩みの深さ。
その苦しみの辛さ。
心を削る痛み。
そして流した涙の熱さ。

近くにいたイネスにも、すべてを理解できるわけではない。

そう。わかるわけがない。
わかると口にしてみても、それは単なる言葉に過ぎない。
"夫婦だからわかる"
そんな言葉を聞けば、イネスは冷笑交じりにこう言っただろう。
"素敵な理由ね。離婚とか不和とかいう言葉が辞書に載っていない世界でなら通用するかもしれないわ"と。
もし、2年も逢っていないユリカが本当に理解できているとするならば、彼女は人間と呼ばれる生物ではないとイネスは断言できる。


「アキトを理解できる」
「アキトのことは、私が一番知っている」


その言葉を口にする資格を持っている者がいるとするならば、それはただ一人だ。
ユリカでも、ルリでも、そして自分でもない。
ラピス・ラズリと呼ばれる少女。
彼女だけだと、イネスは思っている。
それすらも、他人に比べて理解できるという前提の下のものであるが。

イネスとしては、ユリカがその資格もなしにその類の言葉を口にするかもしれないと思っていた。
なぜなら10年間逢わなかったアキトを王子様だと、再会した瞬間から"アキトは私が好き"と言い始めた人物だからだ。

しかしイネスの予測とは違い、ユリカはその類の言葉を口にしなかった。



「アキトは・・・・・・何処なんですか?」


アキトが行ってきた殺人については何も言わす、ただアキトの居場所を問う。
これはアキトの行ってきた行為を受け入れた上でのものなのか、そうでないのか。
それはイネスにも図りかねる。
だが軽々に理解できるなどと言わないことは、初めてナデシコに乗ったときは違っていることを示していた。
イネスは、ユリカがアキトを理解しようとする意志と能力があるのか試そうと考える。


「知ってどうするの?」

「逢うんです」

「逢ってどうするの?
貴方の知っているアキト君はもういないのよ」


ラーメン屋じゃない。
無関係な人をも殺せる人間。
最悪のテロリスト。
イネスはゆっくりと確認するように言う。


「貴方、今のアキト君、思い浮かべられる?」


それは不可能なことだった。
ユリカはしばらく考えた後、悔しそうに小さく頭を振った。


「ねえ、貴方が逢いたい"アキト"って誰のこと?
貴方が好きな"アキト"って誰のこと?
子供の時のアキト君?
ナデシコで再会した時のアキト君?
結婚した時のアキト君?
それとも、今現在生きているアキト君?」

「わかりません・・・・・・。
でも、それでも好きなんです。
それでも信じたいんです。
それでも・・・・・・逢いたいんです。
だってアキトがそうしたのには、私にも責任があるはずだから」


ユリカは"それじゃいけませんか"とイネスを見る。


(それでも・・・・・・か)


とりあえず、今のアキトを理解できていないと認めていることはわかった。
それは自分の中の想像でアキトを構成するのではなく、アキト本人を見ようとする意志があるということだ。
イネスは、最後の質問をする。


「ねぇ・・・・・・アキト君がどんな人間になっていても受け入れられる?」


ユリカは、イネスとルリが見守る中で、長い時間考えてから答えを出す。


「私は・・・・・・"受け入れたい"と思ってます。
でも、"受け入れられるかどうか"は逢ってみないとわかりません」


イネスは、悪くない答えだと思う。
逢ってみないとわからない。
それが当然なのだから。

逢ってもいないのに、今のアキトを知らないのに、"絶対に受け入れられる"などという答えを出されるよりは、よほど信用できる。

このユリカになら、全部話してもいいと思う。
そこから先は、彼女自身の問題だと。


「貴方に話しておきたいことがあるの」












ユリカは目を開けると、真っ白な天井を見ながら再び呟く。

"アキト"と。


イネスが最後に教えてくれたことを思い出す。
アキトが、自分を女として愛してはいなかったという話を。





アキトは私に嘘をついて

アキトは私を騙して

アキトは私と結婚して

アキトは私を助けて

アキトは私を・・・・・・


だから・・・・・・



「アキトは私が好き」



『ゴメン・・・・・・ユリカ・・・・・・』



「アキトは・・・私が好き」








ドアをノックする音が響く。

ユリカは腕時計で時間を確認すると、ベッドから起き上がった。
まだ少し早いが、父が来たのだと思う。
"どうぞ"と声をかけると、ドアが開いた。

開いたドアから現れたのは、何かの冗談だろうかと思えるほどの大きな花束。
それを持っている人物は、花束に隠れて見ることはできない。


「お父様?」

「残念。 僕だよ」


花束の横からひょっこりと顔を出したのはロンゲの伊達男。
ユリカに向かってウインクをする。


「アカツキさん」

「や、元気? 今日退院だって聞いてね。それで退院祝いに寄ったんだ」

「はあ、ありがとうございます」

「で、せっかくだから僕とデートでもしようよ」


唐突にそう言い出すアカツキ。
ユリカは一瞬きょとんとしてアカツキの顔を見返した。
どうやら冗談で言ったわけではないらしいことがわかる。
もっとも、だからといって答えが変わるわけではないのだが。


「イヤです。私にはアキトがいますから」

「テンカワ君・・・・・・ね。
僕にだって、君の王子様役ぐらい務められるつもりだよ」


アカツキの言葉を聞いて、表情を曇らせるユリカ。
"私は王子様が欲しいんじゃない"そう言おうとする。
だが、その言葉はあまりにも説得力が無いことに気付く。
"王子様"
そう言っていたのは、自分自身に他ならないのだから。
そして、もうその言葉を口にしたくなかった。
それが、アキトと自分をすれ違わせたものだと知ったから。


アカツキはユリカの様子に気付くと、ワザとらしくため息を吐く。


「ま、今日はこのまま引き下がるとするかな」


アカツキはそう言うと、持っていた大きな花束をユリカに押し付ける。
そしてそのまま退散した。


「なんだったんだろう?」


花束を抱えてベッドに戻るユリカ。
しばらくして、花束の中にカードが添えられていることに気付く。
カードを手に取る。
そこには、超一流ホテルのレストランの名前と日時が書かれていた。
























そこはアカツキが指定したホテルのレストラン。
青いシンプルなドレスを着たユリカは、窓際のテーブルに一人で座っていた。
周りを見回すが、他に客は一人もいない。
ただ、空のテーブルが並んでいるだけだ。
アカツキが貸し切ったのだろうとわかる。
もっとも、その本人はまだ姿を現していないが。


ユリカはワイングラスを持ち上げると、軽く口を付ける。
辛口で強めの酒。
グラスの中身は食前酒として出されたシェリー酒だった。

シェリー酒は、素のワインを造るぶどうを再利用して造ったブランデーなどを添加してあるが、厳密に言えば白ワインの一種である。
ただ、同じ造り方をしたからといって全部がシェリー酒と呼ばれるわけではない。
南スペインの"ヘレス"という町とその周辺で生産された物のみに"シェリー"という名を使うことが許されている。シャンパンとスパークリングワインとの違いと同じだ。
ヨーロッパも先の大戦で被害を被っているので、現存している数は少なく、生産量もまだ回復しきっていない。
だから現在的にシェリー酒はかなりの高級品だ。

もう一度グラスに口をつけるユリカ。
口の中に甘さが残らないので、食前酒にはぴったりだと思う。
もちろん食中酒としてもいいのだが。

ユリカはアルコールが嫌いだった。
でも今は、少し嗜むようになっている。
酒の魔力を借りたくなることもあるから。

グラスをテーブルに戻すと、軽くため息を吐く。
グラスを指で弾くと、悲しい音色が響いた。


ユリカは懐に手を忍ばせると、あるものを取り出す。
それは、アカツキから貰った花束に添えられていたデートの誘いのカードだった。


「遅いなぁ・・・・・・。時間、間違ってないよね?」


別に待ち遠しいわけではない。
ただ、待たされるのは嫌いだ。


始めはまったく来る気はなかった。
ユリカが頭を使ったのは、どうやって断るかぐらいのものであった。
しかし昨日、TVのニュースを見ていて事情が変わった。

ユリカは退院後、アキトについて多くの情報を集めていた。
現在では既に、公的なものはほとんど知るに至っている。
その中で、ユリカはアキトに殺された者たちのことにも触れることになった。

TVを付ければ、アキトに殺された者たちの遺族が、凶悪なテロリストの逮捕と極刑を望む声を上げていた。


「なぜ私たちの息子や夫は死んだのに、あの極悪非道な犯罪者は生きているのか!? こんなことは許されない!
罪人には、犯した罪に相応しい罰を与えるべきだ!」


遺族達の啜り泣きをBGMに、その代表がアキトを断罪せよとの意思を表明する。

アキトの死を望む声。
それはユリカの心を苛む。

"アキトが悪いんじゃない"
彼らにそう叫びたかった。

しかし、彼らの主張は正当なものだ。
ユリカやナデシコのクルー達はともかく、多くの地球市民たちは彼らにこそ同情するだろう。
自分が知った公的な記録からは、それが嫌というほどわかる。

アキトは間違いなく、コロニーを襲い、多くの人を殺した犯罪者なのだと。


遺族達の怒りと恨みの声。
悲しみの涙。
昨日、その一部が歓喜に取って代わった。

火星宙域で発見されたテロリストの戦艦と機動兵器。
それが連合宇宙軍によって撃破されたのだと報道されたのだ。
そしてテロリスト テンカワ・アキトの死亡が公的な記録に記された。
それは、遺族達にとってはせめてもの慰めとなる結末だった。

しかしユリカは納得がいかなかった。

ユリカの中では、アキトの印象はラーメン屋のままだ。
強くなっているだろうとは想像できても、その限度は常識的な範囲である。
一個艦隊を相手にすれば、負けてしまうのは当然だと思う。

でも、アキトの傍には"彼女"がいたはずだ。
一月ほど前に姿を消した元・義妹。
彼女ならば、既にアキトを見つけていただろうと思う。
そして彼女がいたならば、このような結果にはしないはずだと。

だから、アキトが死んだとは思っていない。


アカツキからのデートの誘い。
アキト死亡のニュース。
これは何かの関係があるのではないだろうかと思う。

ユリカが集めることができた情報からは、アキトとネルガルの繋がりを証明するものは何もなかった。
だが自分にアキトのことを話したイネスは、ネルガルに匿われていた。
繋がりがあると考えるのは当然だろう。

だから今日、ここへ来ていた。




約束の時間から半時間ほどが過ぎ、待ち人が現れた。

アカツキが着ているのは暗い色のスーツ。
それはどこか彼には似合わないような気がした。


「待たせたね」

「遅いです」

「"今来たところです"って言うところじゃないかな?」

「それは待たされた側が男性だった場合の台詞です。
それに、これはデートじゃないですから」

「おや? だったら何しに来たんだい?」

「今日はアキトの居場所を聞きに来たんです。
そのつもりで誘ってくれたんじゃないんですか?」

「そんなこと言った覚えはないなぁ。
ただデートに誘っただけなんだけど、僕は。
今日来てくれる確信はあったかもしれないけどね」


アカツキはとぼけながら対面の席へと腰を下ろす。


「美人と二人きりなんだ。
もっと色気のある話にしたいところだね。
せっかく忙しい中、スケジュール調整してきたんだし」


ユリカは"私が頼んだわけじゃないです"と反論しつつも、ふと思いついたことを聞いてみる。


「そういえば遅かったですね。女性を待たせるのがアカツキさんの流儀なんですか?」

「いやいや、とんでもない。
仕事以外の用事があったからね」

「仕事以外?」

「墓参りさ」

「誰かのご命日なんですか?」

「誰かのっていうか、今日は僕の家、アカツキ家にとっての命日なんだ。
兄さんが死んだのも、親父が死んだのも今日でね」


命日が重なることは皆無ではない。
だがアカツキの家のものは、特に今日という日に没することが多かった。
アカツキとしては、運命的なものでもあるのではないかとは、冗談半分に思っている。


「アカツキ家の人間は、皆今日死ぬことになってるんだ。
いつの年かはわからないけどね。
まあ、墓参りをする方は一度で済むから楽かな?」

「お母様・・・・・・は?」

「母のことは・・・・・・よく覚えていない。
物心付く前に死んじゃったから・・・・・・。
けど、やっぱり今日だったそうだよ」


"ほんと、なにか運命でもあるのかもね"と呟く。


「ご病気・・・・・・だったんですか?」


ユリカも病気で母親を亡くしているので、気になって聞いてみる。
アカツキは、その質問に首を振って否定の意を示した。


「僕が3つの時・・・・・・事故に遭ったらしい」


"僕の記憶にはないんだけどね"と笑ってみせた後、ふと遠い目をする。


「事故に遭ったのは車だった。
僕も母と一緒に乗っていた。
だけど母は死んで、僕は助かった。
母は全身打撲で即死だったらしいけど、母に抱かれていた僕は数箇所の骨折で済んだ。
きっと・・・・・・身を挺して守ってくれたんだろう」

「そうなん・・・・・・ですか」


話し終えたアカツキは、同情心丸出しのユリカを見て笑う。


「ぐっときた?」

「え・・・・・・?」

「いやまあ、そんな美談の一つでも在ったらいいかなぁ、と」

「嘘話してたんですか!?」

「さあ、どうかな」


からかわれたようでムッときてしまうユリカ。
どうもアキトのことを教えてくれるような雰囲気でもないし、我慢してここにいる理由も無いように感じた。
そしてそれは、すぐに行動に直結した。

席を立つユリカ。
アカツキは、帰ろうとするユリカの手を掴む。


「母の顔、おぼろげながらに覚えててね・・・」

「私にそっくりなんだ・・・・・・と?」


ユリカは先に言葉を繋げる。
アカツキは、"よくわかったね"と苦笑する。


「いつもそうやって口説いてるんですか?」

「いくら僕でも、死んだ母の名を軽々しく使ったりしないよ」


ほんの少し、霞めるように悲しそうな表情が垣間見える。


「今日・・・・・・は一人になりたくないんだ・・・」


いつも飄々としているアカツキの寂しそうな顔。
それはユリカの足を止めるだけの効果はあったようだ。


「一緒に食事するだけですよ」


ユリカは"しょうがないなぁ"と再び席に腰を下ろした。


アカツキが軽く手を上げディナーの開始を告げると、白い仕事着に身を包んだ男性が近づいてくる。
このレストランのシェフだ。
アカツキとユリカに簡単な挨拶をし、今日のコースの説明をすると、最初のオードブルである野菜のテリーヌの飾りつけられた皿を置いて厨房へと帰っていった。

貸し切った超一流レストラン。
自分たちだけのために今日腕を振るう同じく超一流のシェフ。
一般的な女性なら舞い上がってしまうところだが、ユリカもハイソな暮らしをしていたので、それほど感銘を受けずに平然と食事へと移った。


当たり障りのない会話をしながらディナーを進めていく二人。
話術に長けたアカツキとの食事は、ユリカにとっても不快なものではなかった。












「ホントに今日は、アキトのことを教えてくれるために呼んだんじゃないんですか?」


食事も終わりに近づいた頃、ユリカはアカツキに問うた。
今後のこともあるし、アカツキのスタンスを知っておこうと思うのだ。


「フレサンジュ博士からも口止めされてるんでね。
本気なら、自分で探し出せるはずだって。
で、ユリカ君。 君はどうするんだい?」

「アキトを追いかけるつもりです」


アカツキの質問に、ユリカは間髪入れずに返答した。

アカツキはナイフとフォークを動かすのを止めて少し怪訝な表情を浮かべる。
イネスから"アキトがユリカを云々"の話をされていることを知っているからだ。
もう少し影を落とすなり、迷いがあるなりするのが普通なのだと思う。
なのに・・・・・・。
そして次の言葉は、アカツキの予想から大きく外れたものであった。


「だってアキトは、私が好きなんですから」

「え・・・・・・?」


ユリカの言葉にナイフを落としそうになるアカツキ。
さすがにこのセリフを聞くとは思っていなかったからだ。
とりあえず食事を続けながら、その言葉の意図を考える。


ネルガルはテンカワ・アキトという人物をナデシコ出発当初から監視していた。
火星でチューリップに入った時に、アキトがボソンジャンプしたのを知ったのも偶然などではない。
そしてアキトを監視していたので、アキトとユリカの関係もある程度知っていた。
その中で、ふと今回のことと重なる部分を思い出す。

それはアキトとメグミがキスをした時期のこと。

10年経ったアキトは、少なくともこの時点では、ユリカを男女の関係として好きではなかった。
それはメグミとのキスを目撃したユリカ自身、理解せざるを得なかったハズだ。
10年という時の流れは、アキトの身長を高くしただけではない。
心の中にも大きな変化があった。
それに気付けないほど、彼女は愚鈍ではなかった。
だから迷い、考えた。

しかし出した答えは"アキトは私が好き"

今回とよく似ていると思う。
普通に考えるとおかしなことだが、ミスマル・ユリカという人物に限れば、そうではないのだろう。
何しろ前例はあるのだから。


悩み、迷う。
ここまではまともだ。

ならば、どうして最後の答えに繋がったのだろう?
なぜそこに飛躍するのだろう?

ワインを飲みながら、対面にいるユリカを見るアカツキ。
色々考えた末に、一つの仮定を立ててみる。


「君は、失恋するのが怖いのかい?
いや、失恋したと認めるのが」


アカツキは、ユリカの表情が一瞬強張ったことを見逃さなかった。
そして、僅かに確信を深めて話を進める。


「たぶん君は、"失恋の仕方"を知らないんだ」


言ったアカツキ自身、それは奇妙な表現だと思う。
ただ、これが答えであるような気がした。



本来、思春期には男女の中を意識するようになるものだ。
その対象は、たいてい近くにいる異性。
大きな恋、小さな恋をし、色々体験しながら大人になっていく。
想いが通じないこともある。
失恋をして、初めて知るものがある。

ユリカにはその過程がない。
彼女は、子供の時別れたアキトだけを想ってきた。
その他の男には、何の関心も抱きはしなかった。
すぐ隣にいた、アオイ・ジュンにさえ。

ユリカは、失恋をしたことがないのだ。
生まれてから今まで一度も。
ほんの小さな失恋でさえも。
だから彼女は、失恋というものを受け入れる術を知らない。

もし他の誰かに恋をしたことがあるのなら、10年ぶりに逢ったアキトと好き同士であるなどと、はじめから思ったりは出来ないはずだ。
さすがに、自分自身は普通の恋愛をしながら、アキトはずっと自分だけを想っているなどと本気で考えられるほど、彼女は狂っていないとは思う。


初めての恋。
それが10年もの時を経て積もり積もったものであれば、失恋するのも普通以上に怖いというのもわかる話だ。
が、これは彼女が認めていかなければならないことだと思う。
そうしなければ、先に進むことはできないから。

だからアカツキは、黙ってワイングラスを見つめているユリカに宣告する。


「君はフラれたんだ」


「違います・・・・・・私は・・・・・」


「フラれたんだ」


「違う! 私は・・・・・・・。 だってアキトは・・・・・・アキトは・・・・・・・」






『ゴメン・・・・・・ユリカ・・・・・・ゴメン』






「ユリカ・・・・・・君?」


アカツキはユリカの瞳に変化が訪れたことを知る。
そして、自分が急ぎすぎたのだということも。


「えっ? あれ・・・・・・・?」


ユリカの瞳から、温かい液体があふれ出す。


「なんで・・・? 私・・・悲しくなんか・・・・・・」


慌てて手で拭うが、涙は後から後からあふれ出てくる。


「失恋なんか・・・・・・・して・・・ない・・・・・・」




止め処もなく頬を伝い落ちる涙は、まるで彼女の十数年の想いのようだ。


アカツキはただ、静かにユリカの姿を見守っていた。




















夜の公園は静かだった。
中央にある噴水はライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出している。

ユリカは、噴水の縁へと軽やかに飛び上がる。
流れ落ちる水の前で、華麗なステップを見せる。

ステージに立つお姫様。
アカツキは、ユリカを見ながらそう思う。
が、彼女の心は、泣きはらした目と同様に沈んでいることも知っている。

失恋したことを認めることは、アキトがユリカを騙していたことを認めることにも繋がる。
そのことをどう思っているのか、アカツキは聞きたかった。


「君は・・・・・・恨むかい? テンカワ君のこと」


ユリカは静かに首を横に振る。


「なぜ?」


「きっと・・・・・・私も間違っていたから」



ユリカは、ポツリポツリと理由を話していく。




アキトと再会したナデシコ。
「アキトは私が好き」「アキトは私の王子様」
何の疑いもなく無邪気にそう言っていた。
10年も逢っていなかった人間に対して。
その時は、思い出のアキトしか見ていなかったからだ。

しかしアキトがメグミとキスをしているのを見た時、本当は目の前にいるアキトが10年前のアキトとは違うことに気付いた。
アキトは10年という時を生きてきて、色々な経験を経て成長し、その価値観も心の在り方も変わっていた。
自分が知っているアキトではなかったのだ。
その証明として、"私を好きなハズのアキト"はメグミとキスをしていた。

その現実を示されれば、普通の人間は考えを改めるものだ。
しかし出した答えは、結局"アキトは私が好き"だった。

そしてアキトとメグミの間に割って入ろうとした。
二人を祝福するのでもなく、変わったアキトを認めるのでもなく。

認めれば、受け入れれば、これまでの10年が意味のないものになってしまうからだ。
アキトを好きだったままの、10年間の想いが。

他の女とキスをしていた。
"アキトは私が好き"
この間にある多くの矛盾に蓋をすることを選んだのだ。
その矛盾のもっとも大きなものが、"10年前のアキト"と"現在のアキト"。
それを見ずに、ただアキトを好きである"自分の気持ち"を信じようとした。
初恋を信じようとした。


そんな自分の前で、アキトは変わり続けた。
些細な出来事、大きな事件。
多くと向かい合い、悩み、苦しみ、そして変わっていった。
昨日のアキトは、今日のアキトではなかった。

そしてふと気付いた。
自分はいつの間にか、今のアキトを追っていることに。
10年前から決めていた自分の王子様ではなくて、目の前にいるアキトを見ていることに。


自分は、初恋を追っていたのではなく、二度目の恋をしていたことに。



だけど、それを認めることは出来なかった。
10年間の想いが行き場所をなくすことになるから。
それが怖かったから。

必要だったのは"アキトは私の王子様""アキトは私が好き"という言葉を捨てること。
それらの言葉は、以前からの継続を印象付けるから。
そして自分は、今目の前にいるアキトを見ていることを、正しい言葉で伝えなければいけなかった。

でも、それらをすることはなかった。
"初恋"のままでいようとしたから。
そして、とりあえずは上手くいっているように思えていたから。


それが間違っていると決定的に気付いたのは、愚かにも最後の時だった。

アキトとの最後の時間。
それは新婚旅行で乗ったシャトルの中での出来事。




突然機内に現れた怪しげな風体をした男たちが、騒ぐ乗客や駆けつけてきた客室乗務員たちを、有無を言わせぬまま冥府へと送り込む。

血と悲鳴で満たされる機内。
あまりにも現実感の薄い光景の中で、アキトは赤い義眼が自分を捉えたことに気付いた。
背中に悪寒が奔る。

アキトはユリカの手を掴むと、通路へと飛び出した。
ユリカを覆い隠すように前に立ち、赤い義眼の男を睨みつける。


「何なんだよ、お前らは!?」


この悲鳴の中でも聞こえるように大きな声で叫ぶアキト。
だが男は質問には答えず、ただ唇を歪ませるだけだ。
そしてゆっくりと近づいてくる。

問答無用だということがアキトにもわかった。


「くそっ!」


自分は、なんとしてもユリカを守らねばらない。
たとえ、自分が命を落とそうとも。
それが、せめてもの誓いだから。


「アキト!」


「王子様はこういう時、お姫様を守るもんなんだろ?」


怖くて震えながらも、そう言って笑ってみせる。
引き攣った唇のせいで、笑顔とは呼べないものであったが。

明らかに無理していることが、ユリカにもわかる。
それはそうだろう。
機動兵器に乗っているわけでも、CCを持っているわけでもない。
今のアキトは、ただの一般人と変わらないのだ。


「アキト・・・・・・」


ユリカもアキトを守るつもりだった。
もう、昔とは違うから。

だがそれは叶わなかった。
アキトが自分を後ろへと突き飛ばしたからだ。


「逃げろ!」


アキトは、近づいてくる男たちに抵抗を試みようとする。
だがそれは、何の意味もなかった。
瞬きをする間に間合いを詰められ、床へと叩き伏せられていた。


「殺しはせぬ。
汝らには、我ら火星の後継者の栄光の礎になってもらわねばならんのだからな」


"火星の後継者"
それは初めて聞く言葉。
"火星"という単語は、アキトにとって特別な意味を持つが、今のアキトには関係なかった。
ただ、何もできないまま動けなくなっている自分に気付くだけ。
辛うじて動く頭を動かすと、男たちに拘束されているユリカが視界に入ってくる。


「やめろ!ユリカには手を・・・」
「五月蠅い」


自分を倒した男の声と共に、背中へと強烈な衝撃が下される。
殺さないように手加減されてはいるが、アキトには強烈過ぎた。

アキトは言葉の代わりに胃液を吐き出す。


「アキト!」


踏みつけられているアキトに叫ぶユリカ。
アキトに駆け寄ろうとするが、二人の男に拘束されていて、動くことは出来なかった。


「ユリカ・・・・・・」


アキトの顔に浮かぶのは苦悶の表情ではなかった。
それは申し訳なさそうにユリカに詫びる顔。


「ゴメン・・・・・・ユリカ・・・・・・ゴメン」


悔しそうに、悲しそうに・・・・・・涙を滲ませながら。


「ゴメン・・・・・・ゴメン・・・・・・」


何度も何度も・・・・・・謝罪の言葉を口にする。


「俺は・・・・・・お前の王子様には・・・・・・」


"王子様"
その言葉を聞いて目を見開くユリカ。


「違うアキト! 私は・・・・・・」


ユリカは首を横に振る。


ピンチの時に必ず駆けつけてくれる王子様。
確かにそう言ったことはある。
でも、今でもそう思っているわけではない。


意識を失いつつも"ゴメン"と謝っているアキトの姿。
それはユリカの心を締め付けた。

そして、アキトには重かったのだと気付いた。
その言葉が。


自分は、想いをのせる言葉を間違っていたのだと。






人が理解し合うには、ちゃんと相手を見るだけでは足りない。
自分の気持ちを正しい言葉や態度で示さなければならない。
それが足らなかったり、間違えたりすれば、人は容易にすれ違う。

気持ちがすれ違った原因は、アキトだけじゃなく自分にもある。
だから、一方的にアキトを責めようとは思わないと。






話し終えたユリカは、悲しそうな表情で噴出される水を見つめる。
泣き腫らした目であったが、穏やかな表情を宿した彼女は、失恋という現実を受け入れることができているようだった。


アカツキも噴水の縁に上り、ゆっくりとユリカに近づいていく。


「僕は君を見ている。
だから君にも・・・・・・僕を見て欲しい」


卑怯なことをしているんだと思う。
失恋というものを初めて受け入れたばかりの傷心の彼女に、今こうして口説きにかかるのは。
それでもアカツキは、自分を止めようとは思わなかった。
ユリカを引き寄せると、頬に手を当てて上を向かせる。

心が弱くなっているせいなのか、ユリカに大きな抵抗はない。

ゆっくりと、二人の唇が重なろうとする。












「え?」


しかしその瞬間、アカツキの袖が強く引っ張られた。


「えぇ!?」


バランスを崩し、噴水の中へ飛び込むことになるアカツキ。
ギャグ漫画のごとく大きな水柱が立った。

アカツキは噴水の中で呆けた表情になる。
だがそれも一瞬のことだ。
すぐに表情を繕い、平然とした態度を取る。


「酷いな。 水遊びをする季節じゃないんだけど」


「水も滴るなんとやら、ですよ」


にっこり笑ってどこかを指差すユリカ。
その先には、公園の柱時計があった。


「"今日"はもう終わりましたよ」


時計の針は新たな日付を示していた。
付き合うのはもうお終いということなのだろう。
ユリカは身を翻すと、噴水の縁からアカツキとは逆の方へと飛び降りる。


「確かに私はフラれたかもしれません・・・・・・。
でも私はきっと、まだアキトのことが好きなんだと思うんです」


それはそうだと思うアカツキ。
失恋を認めた瞬間から好きだったものが好きでなくなるわけではない。
気付かないフリをしてきていたとはいえ、そんなに急に割り切れるものでもない。


「だから今日は、さよならです」


そう言うと、ユリカは公園の出口へと駆け出した。





「やれやれ。 白雪姫かと思っていたら、彼女はシンデレラだったのか」


濡れた髪をかきあげながら呟くアカツキ。
あっさりと逃げられたわけだが、思わず笑みがこぼれる。

自分の予想におさまらない奔放さ。
最後には、ちゃんと前を向ける答えを出せる強さ。

自分は、彼女のそういうところが、たまらなく好きなんだと思う。


ユリカが生まれて初めて"失恋"というものを認めることができた今日。
それは次の恋への始まりとなるのかもしれない。
3度目の恋が、またアキトと共にあるかどうかは、今はまだわからない。
未来の可能性は数多存在するのだから。


(もちろん、僕と共にある未来の可能性もあるわけだが・・・・・・)







「彼女にガラスの靴を履かせるのは、人生賭けた大事業になりそうだ」

























ユリカの失恋と、アカツキのアタックでした。



 

 

感想代理人プロフィール

戻る

 

 

 

 

代理人の感想

まぁ、予想通りでしたね。パターンですから。

それにしてもやはり後味は悪い。

「ユリカが悪いんだ」「あきらめることが幸せであり当然なんだ」と意図がやっぱり透けて見えますから。

そのものの好き嫌いを別にしても、作者の意図とえこひいきが透けて見えるのはやはり拙劣だと思うのですよ。

そうでなくとも、そんなにグダグダした人間模様が見たいのかとも思いますしね。