機動戦艦ナデシコ

The prince of darkness episode AKITO

after story




「青」



















そこはマットを敷かれた空間。
平均的な体育館くらいの広さがある。

静寂の中で聞こえるのは、一つの荒い息遣い。
その発生源は青いジャージ姿の少年だった。


少年は目の前の大柄な青年を睨み、腰を落とした構えを取る。
青年は赤いメッシュの入った長い金髪を有し、宇宙軍の士官服をラフに着ている。
少年とは対照的に、気の入らない表情で普通に立つ。



少年は拳を硬く握ると、つま先に力を伝える。
やや固めのマットを蹴り、動き始めた。
向かうは、自分よりはるかに大きな青年。


「やあっ!」


気合の言葉と共に右拳を振るう。
いかにも全力で打っています、というような大きなスイング。
青年は気の抜けた表情のまま半身をずらして突進からの拳をかわす。


「うゎっ!?」


目標を失った少年は、勢い余って床にダイブする。


「ほら、どうした〜?」


倒れた少年に声をかける青年。
からかっているような口調だ。

少年は青年の態度にムッと来ると、すぐに立ち上がる。

そして大きく振りかぶった右拳を青年の腹部へ叩き込む。
拳に伝わってくる衝撃は十分であるように感じた。

"やった"と思って青年の顔を見上げる少年。
しかし青年は堪えていない表情で頬を掻いている。


(なんでっ?)


少年はもう一度拳を振り上げると、全力で打ち出す。

やはり結果は同じ。
さらにもう一度を試みようとする少年。
だが青年は少年の腕を掴むと、軽く捻ってマットに転がした。










「はい、ヤメヤメ」


倒れて荒い息を吐いている少年に声をかける青年。
少年はその言葉を聞いて慌てて立ち上がる。


「まだやれますよっ、三郎太さんっ」

「俺が疲れちまったんだよ」


そう言いながら背を向けて歩き出す三郎太。


「嘘ばっかりっ!」


ハーリーは文句を言いながら青年を追う。
何しろ息が乱れているのは自分の方だけなのだから。


「じゃあ今の一撃で経絡秘孔突かれてたんだ。 あたぁ!ってな」

「"じゃあ"ってなんですかっ!?」


三郎太は突然"いたた"と腹を押さえるしぐさをする。


「これは後7秒しか生きらんねぇな・・・・・・。なんて秘孔突いたんだ?」

「突いてませんっ!」


三郎太は"わはは"と笑いながら隅へ行くと、置いてあったタオルを取って、後を追ってきたハーリーの方へと投げる。
ハーリーはそれを受け取ると、流れる汗を拭きながら腰を下ろした。


息を整えながら、体技室を見るハーリー。
さっきの組み手を思い返す。

ハーリーが三郎太と組み手をするようになってから3週間。
その程度で強くなれるとは思っていないが、こうも情けないままだと理不尽にすら思えてくる。


「何で効かないんですか?」


ハーリーは寝転がっている三郎太に問う。


「力入れて打ってるつもりなんだろうが、力みすぎだ。
体が開いてウェイトが乗ってねぇ」

「だったらちゃんと教えてくださいよっ、木連式ってヤツを」


ブスっとした表情を作るハーリー。
三郎太に頼み込んで組み手はしてもらっているが、木連式は教えてもらえずにいた。
だからちゃんとした打法をレクチャーしてくれさえすれば、少しはマシになると思うのだ。


「教えたって同じだ」


しかし三郎太は取り合わない。
ただでさえ体重が軽いのだ。
上手く力を込められたとしても、三郎太の鍛えられた腹筋にダメージを負わせることはできないだろう。


「教えてくれればできますよっ」


あまりにもムキになって反論するハーリーの態度に、盛大なため息をつく三郎太。


「できるできねぇじゃねーよ」

「どういう意味ですか?」

「今のお前に教えたって足枷にしかなんねーんだよ。
どっちかっつーと、一発でカッコよく決めるっていうのが多いからな、木連式は。
それなりのリーチとウェイトがないと、使えても役に立たねぇ。少なくとも実戦ではな」


"スポーツとしてやりたいなら止めないが"と付け加える。


「僕は実戦で役に立つ力が欲しいんですっ」


ガバっと体を起こし、ハーリーに向き直る三郎太。
真剣な表情で視線を合わせる。


「何のために?」


三郎太が知りたいのはそれだった。

ルリがいなくなって激しく落ち込んでいたハーリー。
ようやく復活したと思ったら、自分を鍛えてくれと頼んできた。
何かしらの決意を得たのだとはわかるが、それを聞いても教えてはくれない。
三郎太としては、得た力を何に使いたいのか"を知ることができないうちは、本気で鍛えてやるわけにはいかないと思うのだ。


「言わなきゃ俺もレクチャーしないぜ?」


珍しく真剣な顔をする三郎太に、誤魔化せないなと思うハーリー。
しばらく考えた後、仕方なく、自分の心の内を明かすことにする。



「改めて考えるようになったんです。僕が、軍にいる意味を」


そう前置きして始めたハーリーの告白。
元々好きで軍に入ったわけではないこと、人を殺すことの意味を考えるようになったこと、色々並べ立てていくが、要約すると次の一言に集約された。


「つまらなくなったんです・・・・・・軍にいるのが」


"艦長がいなくなってから"
言外にそう語っているのは明白だった。


「僕、メールのやり取りをしている子がいるんです。
その子が自分のやったことを教えてくれる時があるんですが・・・・・・」


曰く、「釣りをした」「料理をした」「ピクニックに行った」
そんなことを言ってくる。

自分とそう変わらない歳の彼女。
そして同じマシンチャイルド。
その彼女は今、歳相応に暮らしているのだと思う。
かたや自分は、ルリのいなくなった軍でさしてやりたいとも思わない軍務を強いられている。
つまり、羨ましくなったということだ。
これまでの彼女にあった道程の辛さなどを洞察できるだけの情報を持たないハーリーには、ただ自分の身に降りかかっている理不尽さだけを感じてしまう。

子供らしい考えであるが、それは当然だと三郎太は思う。
ハーリーはまだ、世間一般では小学生と呼ばれる年齢なのだから。


「僕はマシンチャイルドです」


"知ってる"と呟く三郎太。


「生まれた時から、この能力を生かせるよう訓練をさせられてきました。
それが当たり前なんだと疑いもしませんでした。
このまま言われるままに、マシンチャイルドとしての能力を使っていくのだと」


"でも"といったん言葉を切ると、三郎太の瞳を見返すハーリー。


「未来まで決められた道を歩きたくない。
自分で生き方を選べるようになりたいんです」


子供らしい切欠。
しかし出した答えは妙に大人びたものになっていた。
今すぐどうこうというのではなく、その先を見ているのだ。


「軍がお前のこと手放すと思ってんのか?
ただでさえ艦長がいなくなってお前の重要性が増してるってのに」

「だからイザって時は、僕も艦長のように・・・・・・」


(出奔する・・・・・・か。だから自分を守れる力がいると)


マシンチャイルドである彼が自由な未来を求める。
そのためには必要になるものが多々あるが、個体の持つ戦闘力というのもその一つかもしれない。
そういう答えを出して、自分に教えを請うているのだと三郎太は理解した。


「言うのは簡単だけどなぁ・・・・・・」


三郎太は"まいったね"と頭を掻く。
ハーリーの告白は、"軍人"三郎太にとっては看過し得ないものだ。
ルリが失踪して以後、三郎太はハーリーの護衛だけでなく、監視の任も与えられているのだから。
が、三郎太"個人"としてはわかる話だ。
むしろ応援してやりたい。

本音で言えば、今は大人になり急ぐのではなくて、子供らしく生きて欲しいと思う。
しかし自分には、それを実現させてやるだけの権限を持ち得はしない。
きっと彼の少年時代というものは、このまま軍の中で生きていくことになるだろう。

でもせめて、将来くらいはハーリー自身で選ばせてやりたいとも思う。
だから、今の話は自分の胸の中にしまうことにする。


「うしっ」


三郎太は軽く掛け声を出しながら立ち上がると、座っているハーリーに手を差し伸べる。


「まあ戦えるようになるには5年は見ろよ。漫画じゃねぇんだから。
その体がデカくならなきゃ、強くはなれねぇってことを覚えとけよ」


三郎太が自分をちゃんと鍛えてくれる気になったのだと理解するハーリー。
"はいっ"と叫びなら三郎太の手を取った。

























薄暗い部屋。窓はなく、どこか施設の中か地下であろうと思われる。
天井のダクトから換気の音が絶え間なく聞こえてきている。

この部屋には二人の男がいた。
一人はパイプ椅子に腰掛け、机を挟んで立つもう一人の男に向かってやや厳しい視線を投げかけている。
着ている服は特徴的なもので、赤いマークが入っている。
それは誰が見ても、その男がある組織の人間だとわかるものだ。
そう、火星の後継者の人間だと。

逆に前に立つ男は、宇宙軍の軍服を着ている。
まだ少年っぽいあどけなさを残していて、青年になりきれていない少年という印象を与えてくる。


「首尾は?」


火星の後継者の制服を着た男が、宇宙軍の軍服を着た青年下士官に問いかける。


「ハッ、整っております」


やや上ずった声で返答すると、急いで軍服の中から何かを取り出す。
その何かをデスクに置くと、それが複数のカードであることがわかった。
火星の後継者の制服を着た男は、それを手に取ると"よくやった"と労いの言葉を若い下士官へと投げかける。
若い下士官は紅潮しながら敬礼を返した。


「しかし、人数分すべて揃うとはな・・・・・・。
半分得られればいい方だと思っていたが」

「軍備拡張の影響でしょう。
自分を含め、幾人かの同志が宇宙軍へ入隊を完了しております」


彼は宇宙軍の軍服を着ている。
そしてそれは偽りのものではない。
彼は正式な宇宙軍の軍人だ。

草壁の叛乱後、宇宙軍はその勢力を増すこことなった。
そしてそれは人員補充も必要となり、かなりの新規採用が宇宙軍によって行われた。
それらの事情から、火星の後継者に繋がりのある木星人が大多数に紛れて入隊することもできたのだ。
もっとも先の叛乱に直接参加していなかった者やできなかった者であればの話であるが。


「教練を終え、配属が始まりだした現在こそ最大の好機です。
不馴れな者を数多く内包した軍施設は入学式直後の学校のようなもので、その隙は大きく・・・・・・」

「基地への潜入は可能・・・・・・か」

「ハッ。ですが、ターゲットへの門扉は閉じられたまま。今日用意したIDでは」

「宇宙軍もそこまで間抜けではあるまい。とりあえずは施設内に潜入できればそれでいい。
鍵は"彼女"が持っているからな」


男の視線は、左手の壁にあるドアへと向けられた。
若い下士官もそのドアを見る。


「大丈夫なのですか?」


若い下士官は、視線を男に戻すと不安そうに問うた。
男は視線をドアに貼り付けたまま返答する。


「大丈夫だ・・・・・・」

「では?」

「決行は明日。歴史の波は、まだ穏やかにはなっていないことを教えてやるとしよう」


大仰な物言いをしている自分を哂ってしまうが、それは若い下士官にはわからなかった。




















今日、ハーリーは初めて本格的な訓練を受けた。
その感想は一言で言うと"地味でキツかった"だった。
これまでのように組み手など一切やらず、ただ基本的な打撃の反復と筋トレだけを延々とやらされたのだ。
そして1年はこれを毎日繰り返していくだけだと言われた。


「漫画やアニメじゃ3ヶ月くらいで強くなってるのになぁ」


そうぼやきながら、帰ってきた官舎のドアを開ける。
短期間で強くなること。
それは極めて困難ではあるが、不可能というわけではない。
ただ、そのためにどうしても必要なものがいくつかある。
その一つが肉体だ。
どんなに頑張ってみても、その手は伸びない。
その足は長くならない。
今、彼に必要なのは時だった。

部屋に入るとジャージを脱いでバスルームへと向かう。
蛇口をひねると、シャワーからお湯が降りかかってくる。
ぬるめに設定していたので、火照りの治まりきっていない体にちょうど良かった。

重くなった体中の筋肉にシャワーを浴びせていく。
明日になれば、この重さは筋肉痛に変わっているだろう。
「明日、つれぇぞ〜」と笑っていた三郎太の言葉を思い出す。


バスルームから出ると、タオルで髪を拭きながら自分の部屋を見渡す。
几帳面な性格のおかげで、部屋は整理整頓されていた。
その中で、特に目に付くものがある。
それは机の上に置かれた複数の写真立て。
中央にあるのは自分とルリ、そして三郎太が並んで写っているものだ。

それを手に取りしばらく見つめた後、一言つぶやく。
"艦長のバカ"と。



ルリがいなくなったこと。
それはハーリーにとって裏切りに思えた。
許せなく思った。
だから毎晩、思いつく限りの悪口を20回繰り返して言っていた。

でも、今はそこまでしていない。
自分の将来のことを考え始めたからだ。
それは三郎太に語ったこと。
そしてその中に、ルリに共感できるものがあったから。


(艦長だって、軍にいたいと思ってたわけじゃないんだ)


居たいと望む場所、求める幸福、選んだ未来。
それらが軍にいることと反すれば、捨てていくのは当然なのだと思う。

幸せ。
以前はそんな抽象的なものを考えたことはなかった。
でも、今は考えることがある。
火星で、幸福の定義について、自分なりの答えを持った人の言葉を聞いたからだ。


『大切に思う人が、笑っていてくれること』


その言葉は、ハーリーの心にも残るものだった。
言葉に込められた思いの深さを察することはできないが、自分もそうありたいと思った。

だから自分もそう思おうとした。
"艦長が笑っているのなら"と。

でも、思えなかった。

置いていかれた身としては、そんな風に割り切ることなどできなかったのだ。

自分も大人になれば、そう思えるようになるのだろうか?
そうも考えてみたが、答えは出なかった。


今はまだわからない。
だから今は、思いつく限りの悪口を5回ずつ言うだけにしている。










パソコンの電源を入れると、たちあがるまでに服を着る。

メールを確認すると、"あの子"からのものがあった。
重い体とは裏腹に、心は軽くなっていく。

さっそく開くと、鼻歌でもでそうな表情で読み始める。



この軍という組織の中では当然のことではあるが、ハーリーの周囲には大人しかいない。
最も歳の近かったルリですら、5歳も年上だった。
常に敬語を使わなければならない環境は、息が詰まりそうになることもある。

そう・・・・・・対等な友達というものが、ただの一人も存在しないのだ。

かつて親しいと言ってよかった存在もいたが、それはネルガル施設にいた頃の話。
今は誰もいない。
同僚、仲間という存在はいても、それはやはり友達とはどこか違ったものだ。

そんなハーリーは、近い世代の友達というものの価値を誰よりも理解していた。
だからこのメールを読む時間が、今のハーリーにとって最高の喜びだった。



"彼女"からのメールは、内容はそっけないもので、すぐに読み終えた。
でも、それでも心はプラスの方向へと歩き出している。

さっそく返事を出しておく。

自分の近況を書いたりするが、自分の方はほぼ毎日書いているので、ほとんど今日の出来事みたいなものだ。
他の人間には言えない悪口や愚痴。そういったものも書いたりする。


そして長々と色々なことを書いた後、最後に一つ付け加えた。














『僕は明日から、ナデシコCに乗って宇宙に出ます』

















ハーリー主役の話になります。



 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

「彼女」ねぇ。

一体誰なんだか。

 

後、今回はちょっと一話分としては区切りがついてなくて中途半端かなと思います。