蒼月幻夢

序章 咎人の夢T


 

 

 

「乾 有彦君とななや・・君と呼ぶのかな」

「「はい」」

 

たった二枚の薄っぺらな書類に眼を通す、女性。

服装は此処ではよく見かける、士官候補生に似た服装ではない。

しかし、正式な軍の制服とも少々趣きを異ならせる。

驚くほど白い肌に、濡れ鴉の様に黒く艶やかな髪は長く、背中まで伸びている。

その青みのかかった翡翠色の瞳は冷徹な色を携えており、すらりと伸びた鼻筋に、その雪の様に白い肌に怖いほど似合う真っ赤な口紅。

男なら誰もが一目見ただけでゾクリとする永久氷結の美。

女として確固たる格を有する者。

そして、その美貌に更なる冷徹さと知性を与えるのは縁なしの眼鏡。

フレームに付けられた銀色の鎖は首筋に伸びており、青春真っ盛りの男子としてはそのままついつい同世代の女子とは明らかに勝負にならないほど勝る完成された妖艶な色気漂う胸元へと視線が吸い込まれる。

その彼女は大して記入されてもいないだろう書類を丸々五分ほど費やし漸く顔を上げた。

鋭い視線が、己の身体を射抜くのを感じる。

書類を机の上に静かに置き、そして顔の前で腕を組むその一連の動作は何故か妙に絵になる。

 

「自己紹介が未だだったな。私は木連、そう木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ・及び他衛星国家間反地球同盟連合体宇宙軍の技術将校、草壁 吹雪特務中佐だ。現役職は次期人型機動兵器の開発と設計を担当しているが、その副職で此処の校長職に付いている」

「はあ」

 

沢山の意味不明の言葉の羅列を並べられ、少々気圧されて間の抜けた返事をした。

行き成り、息もつかずに流れるように呟かれる言葉になんて長い名前の軍なのだろう。

としか考えられなくて反地球同盟連合体とかいう物騒な単語は右から左に流れた。

いままで軍に関わった事が無かったので、自国がこのプラントにいる経緯は大体知っていても名前まではよく知らなかったのだ。

 

「気の抜けた返事だな、乾君、私は曖昧な人間は好かないな」

「そうですか」

(あんまし怖い系の美女には好かれたくないんだけど、姉貴が似たタイプだし)

 

敷地内に入ったときから気がついたが、この学校は『軍事』と銘打つだけはあって規律とかは本当に重んじているようだ。

教官への敬礼は当たり前。そして、教官だけではなく目上の人間にも。

自分のこの髪についても入ってきて直ぐに文句を言われたが、地毛で無理に通した。

姉貴の口添えが無ければ恐らく剃られていただろう。

尤も、入ったからといってもこれからも度々剃れと言われるだろうが。

 

「君等にはこれから編入試験を受けてもらう、君等は推薦という形で初等教育機関もしくは孤児院からこちらに移籍を望むという形になっているのだが・・・・・・」

 

言葉を止める。頭痛がするのか彼女は片手で頭を軽く抑える。

横目で書類の方を眺める。何となくだが、言いたいことは解かった気がする。

 

「君達の推薦状には碌に君等の成績が書かれて無くてな、これでは判断の仕様が無い。いつもならこんな前代未聞の推薦状など無視するのだが・・・・・・」

此処だけの話と溜め息を吐きながら彼女は呟く。

「公私混同になるのだが、君、乾君の姉君には少々、そのまあ、色々と―――――――」

「『借りがある』ですか?」

「――――――まあ、そういうことだ」

 

弱みを握られているんだなとなんとなしに感じた。

乾 一子。我が姉ながら軍に所属している事以外全く何をしているのかまるでわからん謎の女だからな、年齢的に見てこの人はまだ二十代後半と言ったところ。

年齢的に考えて姉とはかなり開きがあり、貸し借りを作るには不適当だ。

多分、姉が在籍時代に色々されたのだろう。

 

「そして、七夜君。君の方も推薦してくれた人は私の恩師でな。
君の場合は本当にどう判断すればいいのか解からない」

 

書類を再び持ち上げてこちらに見えるように紙を見せる。

書類の欄は殆ど不明と書かれており、書かれてあるのは身体測定等の記入と特記、そして姓も無い名前だけ。

 

氏名:七夜(本名不明)。
生年月日:不明。
年齢:推定十二歳。
性別:男。
身長:148.4
体重:40.2
学力:不明。
資格:なし。
特殊技能:なし。
健康状態:問題なし
保護者:なし。
特記:白兵戦能力が非常に高い、将来有望な逸材

 

学力等の最も重要視されているところすらも不明の書類。

推薦を狙うなら少しでも沢山記入するのは当然のことなのに、だ。

俺の場合、授業をよくフケたから記入できないというのがあったんだと思う。

だが、こいつは何故。

この女性も俺と似たような事を考えて書類を何度も読み直したのだろうか。

横目で七夜を見る。

何処にでもありそうな顔立ち。

注意して見れば顔立ちが整っている事に気付くが、人目を引くような系列ではない。
身体は細く、筋肉もあまりついている様には見えない。

どこが、「白兵戦能力が非常に高い」だ。こいつだったら此処の同い年の女の子にも勝てないんじゃないかと思わせる。

そんなことを考えて見ていると、ふと一瞬目が合った。

 





ゾッとした。


無機質な機械的な眼。

愛想笑いもしないでただ静かに海の様な深く、氷の様に硬く冷たいdeep-blueの眼。

其れがあまりに深いから黒と見間違えてしまう様に深く、魂の輝きすらも凍えさせる鋭利な蒼の眼。

俺は死を擬似体感しているからこそ知っている。
こいつは普通に生きてる奴よりも自分よりも遥かに深く、暗い場所にいる、と。

だからこう考えた。

 


 

―――――こいつ―――――壊れてやがる――――――――

 


 

「いくら、君等の知り合いに私が借りを持っていようが、このまま無試験で入れるわけにも行かないし、私の権限で試験を軽くできるほど、記入欄に有望そうな数値が記載されているわけでもない。よって君等には今から幾つか試験を受けてもらう」

 

耳に良く栄える計算されたような女の声。

だが、それの魅力では俺をこの驚愕から覚ますには不十分だった。

 

 

 

 

「―――――はあ」

 

割り当てられた個室に鞄を置く。

部屋は二人の人間が引っ越してきたばかりだというのに、随分と広々としていた。

部屋は確かに広いが、それは一人だったらの話で、二人分ともなると狭く感じる程の広さしかない。

だが、部屋は相変わらず広い。理由は一つ。俺の持ち物しかないからだ。

あいつ、七夜は全く私物を持っていなかった。

それこそ、肩から掛ける大きめな旅行用バッグに全て入るほどしか。

そして、その当の本人は――――――――――

 

「一応同居人だし保健室に寄るかな?」

 

白兵戦の試験の後、保健室送り。結果だけ聞いたら大した事なさそうな奴だ。

そして噂が広まるのは早いもので廊下で聞いた数多くの囁きを自分なりに処理し纏めた結果、編入生の片割れが保健室送りになった事はもう、此処の寮生は誰もが知るところだろう。

きっと、皆からはたいした事の無い奴と思われているだろう。

 

「でもまあ、本当のこといっても、誰も信じないだろうな」

 

ダンボールから着替え等の私物を出し、既存のタンスにしまう。

大き目の物だが一つしかない。

 

「よし、上三段は俺で、下二段はあいつだな」

 

独白し、着替えを入れる。こういうのは早い者勝ちと相場は決まっている。

そんな事を考えながら悠々と着替えを入れていく。

すると、室内に耳障りな機械音が響いた。

何だと思い、振り返るとドアの扉の右側にあるボタンが赤く点滅している。

来客を表しているのだろう。

 

「はいはい〜」

 

そう言って扉に近付き鍵を解除する。

白い無機質な扉は左右に開き、其処から見えたのは普通の学生服を着た自分より少し年上に見える少年だった。

 

「初めまして、俺の名は月臣 元一朗と云う者だ。明日から君の先輩になり、君の隣室の者でもある」

 

スラリとした体格で背が高い。恐らく170近くはあるのではないだろうか。

顔つきは精悍な感じだが、まだ幼さも残っている感じがする。

このオレンジ色の髪を見て僅かに驚いたようだが、別段気にしていないようだ。

直ぐ顔に出そうなタイプだから器が大きいのか、馬鹿なのか、まあどっちにしても都合が良い。

この髪に反癖をつけられて、来て早々上級生と揉めたくはないから。

 

「初めまして、乾 有彦と云います。もう一人同居人に七夜って奴がいるんですが、今は居ません」

「保健室・・・・かい?」

「ええ」

 

尋ねづらそうに聞く月臣先輩に答える。

よく見たら後ろに何かがある。

袋に包まれたそれはお見舞いの品だろうか、男相手に。

 

「君は、その見舞いに・・・・・」

「まだ行ってませんが、そろそろ行くつもりでしたけど」

「そうか、では俺も付いて行っていいかな?」

「ええ、別に構わないと思いますよ」

 

特に怪我してるわけじゃないしとは言わなかった。

聞かれなかったというのもある。が、このままにしといた方が面白そうな予感がしたから。

俺はこの先輩から学校のシステムについて聞きながら保健室へと向かった。

 

 


 

 

 

 

 

―――――鮮やかに蘇るのは赤の残滓。

極一般的な家庭のリビングらしく場所、そこは少し前まで家族の団欒があったのだろう。

だが、今それを連想するのは難しい。

罅割れた窓ガラスに、その破片が飛び知った床。

黒ずんだ血がこびり付いたカーぺット、テーブルの上にあっただろう様々な調理品の数々は今や無惨に潰れ、壊れたテープルと共に床に討ち捨てられている。

カチ、カチと古く黒ずんだ壁掛けのアナログ式の時計が小さな音を立てて、静寂を僅かに乱す。

ギィと音が背後からする。バッと振り向くと其処には蒼白な顔の自分と同い年くらいの少女がドアによれ掛かるように立っていた。

その、大きな瞳は在りえない事を見たように驚愕に見開かれている。

 

「――――して」

 

震える細い四肢。その細い身体は頼りなく、血が通ってないように白く滑らかそうな体。

それに、その未成熟な身体に酷く興奮する。

自身の裡から滲み出るドロドロした黒いものが理性と言う名の箍を押し上げていくのが知覚できる。

 

「どうして、何かの、何かの間違いだよね、貴方が父さんと母さんを――――」

 

言葉を区切る。視線の先にあったのは討ち捨てられたようにソファーの上に重なり合う二つの死体。

妙齢の男女の顔には苦痛の様な表情は読み取れなかった。

ただ、それは人形の様に無機質で、でも、その体から流れ落ちる血とありえない方向に曲がった首が、それの人のとして存在の終わりを告げていた。

 

「――――ころ、した、なんて」

 

この子は知っているのだろう。そして知っていてなおも信じようとしている。

自分の平穏を犯した存在を、自分から大切な者を奪った存在を。

蒼白な顔で、自分自身でも気が付いているはずの『答え』を押し殺し、縋るように信じる様は滑稽ですらある。

 

 

壊したい。

裡からくる負の感情に刺激された本能が、そう嬉々として命ずる。

 

 

事情を説明したい。

自分がこの地で築いた信頼、そしてなによりこの少女への想いが結晶化したような理性が、それを必死で要求する。

 

 

普段は知性が衝動の上位にあるのだけれども、今は違った。

この体の裡から来る黒い衝動。

明らかに今までの自分とは理を反するソレが今の今まで防壁と化していた知性の壁を貪る様に喰い破り、一つの人格と化して少年の体の権利を奪う。

 

「殺したよ、父さんと母さんは――――――――」

 

ドックンと心臓が音をたてて鳴る。

興奮する。止められない。今すぐでも俺はこいつを―――――したい。

 

「俺が殺した」

 

信じられないような、信じたくないようなそんな感じで顔が強張る。

青白い顔は本当に血が通っているのか疑わしいほど白くなり、壁によたれながら震えた体は力を失ったように、地に座る。

震えた手、その姿はショックのあまりに歪に歪み始め、幼い人格が壊れ始める序曲を現す様に見える。

自分の手で、震えた右の手を、腕から傍目から見ても跡が残りそうなほど、強く、握り締め、少女はその白い顔に栄える化粧とは違う自然からくる妖艶なまでに血の様に赤い唇で閉ざされていた口を小さく開く。

 

「―――――嘘、だよ。貴方がそんな―――――――」

 

彼女は本人が認めているのに、彼女は信じない。

少年は我知らず、小さく自身の唇を舐める。

少女の必死なまでの縋りつくような姿勢までも、今は少年にとってこの黒々とした感情を刺激するカンフル剤に過ぎない。

本当に、面白いぐらい壊しがいがある。

今すぐ、その細く未成熟な四肢を蹂躙し――――して、―――――したい。

絶望に染まる顔を見たい。

憎悪に染まる顔を見たい。そして、

 

そして、懺悔し、泣き喚いて命乞いする顔を―――――見たい――――――。

 


――――今すぐにでも、この猛る感情の渦を彼女の四肢に思う存分にぶつけたい。

 


 

「俺が殺したんだよ、そして――――――」

 

言葉を区切る。喉がカラカラで、体がもう、勝手に動くほど我慢できない。

 

少年の手が何かに導かれるように、少女の身体に向かって伸びる。

逃がさないように、ゆっくりと、退路を塞ぎながら。

少年の腕が少女の衣服に軽く触れる。

 

「―――――――やッ!」

 

その瞬間、小さく身体を震わせる少女。

理性でいかに盲目的に信じようと、本能が知りえる目の前に存在する人として外れたモノに対して持つ畏れは消せはしない。

だが、漸く理性がソレに気が付いたとしても、それは最早手遅れ――――――

 

何という不運だろう。この子は、

そして、何という幸運だろう。俺は、

 

こんな、場所に居合わせたなんて―――――――

 

 

 

「そして、君を壊すのも―――――俺だよ―――――アキちゃん―――――」

 

 

 

 

 

 

 

 


「――――――――!」

 

バッと布団を捲くり、上半身だけ起こす。

心臓の鼓動が痛いぐらい激しく鳴り続け、呼吸は乱れる。

初恋を知った少年のように高鳴る心臓、それを服の上から痛いぐらいに爪を立てて収めようとする。

 


「――――――なんて、夢だよ」

 

十数秒かけて漸く呟く。

汗がべっとりと体全体を覆う。冷や汗?それともあんな夢に興奮したのか?

溜め息を吐き、右手を額に当てる。が、それは直ぐに口へと移行する。

 

――――気持ち悪い。

 

込み上げる吐き気を何とか押さえ、飲み込む。

口の中に鉄の様な苦いなんともいえない味が広がる。

数回、深呼吸を行い、漸く吐き気が収まると今度は夢に対しての疑問が頭に過ぎる。

 

 

「・・・・・・・・・本当に、夢なのか?」

 

ふと、呟いた言葉にゾッとした。

 

僕は記憶がない。

そして記憶がないということは自分に対して目に見えること以外、確証が持てないということ。

それは、つまり、あんな夢が現実に起こったかもしれないという可能性も示唆している。

愕然として、無意識のうちに布団を掴む。

全身の力を込めて布団を握る拳は、血が通わないように白々となっていく。

 

怖い。こんなに記憶がない事を怖いと思った事はない。

ギュと強く握った拳。混沌とした感情。誰でも良いから今の自分を否定して欲しい。

裡から来る、知らない感情に振り回される。

 

 

―――――――僕は――――――誰だ――――――

 

 

「なんだ。わりと、大丈夫そうね」

 

急に聞こえた声に体を震わせる。

振り向いた先には一人の女子生徒が立っていた。

そう、多分女子生徒だ。教員ではなくて。

だが、ならば何故、彼女は白衣を着ているのだろう?

ふと、混沌としていた感情が見知らぬ他人と向き合った事で若干覚める。
此処は、と思い少し周りを見る。

 

「何周りを見渡してるの?此処は保健室よ」

 

冷たい声と冷たい視線をこちらに向ける少女。

茶色に近い長い髪は無造作に背に流れ、顔立ちは一つ一つの綺麗なパーツが寄り集めたという感じで何処か無機質さを感じる美貌。

身長は僕の身長よりだいぶ高い、160程だろうか、僅かに曲線を描く体はこれからの成長を感じさせる。

 

白衣、保健室。二つの文字が頭の中で回る。

白衣を着ているということは先生だろうか?

いや、先生にしては若い、というより幼い。童顔か?

でも、もしかしたらこの子は天才児で飛び級したという可能性も。

どっちだろう。思考は廻り二つの結果を生み出す。

 

「何を顎に手を当てて悩んでいるの?」

 

不信そうに聞くその声の音色は確かに孤児院で接した同世代とは違うような気がする。
では、この子は『白衣を着る趣味の女生徒』ではなく、『女生徒に見える白衣を着た女性』だろうか。

 

「すみません、僕はどうして此処にいるんでしょうか?」

 

取り合えず敬語で話しておけば問題ないと判断し、敬語で話し始める。

そして心の中で、意識を現実に戻してくれた彼女に深い感謝をした。

先生だろうが、なんだろうが彼女が来てくれなかったら思考はどんどん後ろ向きに行っていただろう。

彼女は悩んでいたのを、何故此処にいるのか、と言う事で悩んでいたのだと解釈したのか、不信そうな眼差しを消す。

だが、その口調は相変わらず冷たく響く。

 

「君が修練所で倒れたからよ」

「修練所?」

 

聞き覚えの無い単語。それに首を小さく傾げる

 

「ああ、体育館の様な所よ。そこで白兵戦の試験をしたのでしょう?」

「白兵戦・・・ああ」

 

酷く納得した表情が無意識の内にでる。

そう云えば、あの後いつもの発作が起きたのだ。

全身が何か違うモノに侵食される感覚はいつ何時も慣れない。

孤児院時代、健康診断は全くの正常だったのだから性質が悪い。

医者が言うには「精神的なものの可能性もある」といっていた。

それを真っ向から否定できるほど、今は自分自身を確立していないと言うことが今日、改めてよくわかった。

 

―――――あの夢。

狂気に犯された自分。あれはきっと僕だ。

否定する事が出来ない。
だって目覚めて最初に考えた事が、あの夢が実在の有無だけで、自分の行為に対しては吐き気がしたが、あの自分に対して僕は『違う』とは感じなかった。

黒い衝動自体を今の自分とは違うとも思えても、あそこに居た少年が、自分以外の他人だとは思えなかったのだ。

そう、感じなかったからこそ、きっとあれが有り得る夢だと感じるからこそ、僕は怖いのだ、自分が。

 

「しかし災難だったわね。それとも運が良いのかしら。怪我一つしてないなんて」

 

「確かに、無防備に地面に倒れたのに怪我一つしてなくて助かりました。これが外だったりしただけならまだしても、人通りの無い裏路地だったりしたらゾッとしますね」

 

そう言った僕の言葉に彼女はやや形のよい柳眉を寄せる。

何か気に障ることを言っただろうか?

 

「あの――――――」

「黙って」

 

何か気に障ることを言いましたかと云おうとすると、端から拒絶された。

余程頭に来ているらしい。ひょっとして僕が女子生徒だと思った事がばれて怒っているのだろうか?

 

だとすれば、やっぱり、謝った方が良いかな?

 

ブツブツ良いながら思考の海に沈んでいる姿は幾ら美人でも少々怖いものがあるが、勇気を出して話し掛ける。

孤児院の先生も言っていたではないか。

 

そう、「人間関係、礼に始まり礼に終わる」と。

 

―――――――何か違う気もするが

 

 

「すみません!」

「へ?」

 

突然頭を下げた行為に吃驚したような声を上げるがそれに構わず、弁解を続ける。

 

「実は始め先生があんまりにおさな、じゃなくて若作りな顔立ちをしていたので、つい白衣を着るのが趣味の女子生徒だと勘違いしてしまいました、その事で気分を害されたのなら謝罪します!」

「へぇ?」

 

謝ったのに相槌を打つ言葉の端に棘を感じる。

恐る恐る見れば、彼女は唇を歪めていた。

見ようによれば笑っているように見えなくも無いが、無理か。

眼が全然笑ってないし。

 

「つまり、あれかな。君は私が先生と呼ばれるくらいに年を食っているように見えると?
その上、白衣を着るのが趣味の様な怪しい人物に見えると?」

 

先ほどよりも遥かに冷たく硬い音色。

これは怒っているなと感じさせる。

 

「馬鹿!私は君と同じ此処の一生徒だし、白衣を着ているのは科学の実験があったから、そして此処に居るのは偶々修練場を通り過ぎたクラスの保険委員だからです!」

「す、すいません」

 

顔を赤くして怒鳴る姿は妙に愛らしい感じがした。

先ほどまでの大人びた表情は脆くも崩れて怒鳴る顔は年相応で、今なら同じ生徒と言われても違和感無しに納得できる。

先の発言が余程意外なのか、それともよく言われている所為か、薔薇の様に赤く染めた頬、そしてそれから映れる貌の全体はとても可憐だった。

 

――――が、口に出すともっと叱られそうな気がするのでやめた。

 

彼女は「全く、なにを考えているのよ」と呟きながらベットの正面にある椅子に座りなおす。

彼女の動作もあの面接官、じゃなくて校長先生の様に絵になるが、練達度ではかなりあちらに軍杯があがる。年の差か、と思うと何故か酷く納得できる。

 

「あの、じゃあ何故怒っていたんですか?」

「別に、さっきは怒ってなどいなかったわ」

 

じゃあ今はやはり怒っているのだろう。

そう、考えるとなんだか気まずい。

先方もそう考えたのかゆっくりと口紅をしているのかやや赤みの掛かったオレンジ色の唇を開き、話し始めた。

 

「先ほどは、その、すまなかったわね。どうも私は考えに沈んでいるとき周りに話し掛けられるのを嫌うのよ。悪い癖だとは思い、治そうとはしてるのだけど、何ぶん、性分でしてね」

 

美少女にばつの悪そうな顔で謝罪されると妙にこちらが悪い気がしてくる。
これが男なら大して気にしないが

 

「そんな!僕こそ貴方を『白衣が趣味』とか『若作りなのか』とか考えてしまって―――――――」

「――――――黙って」

「―――――はい」

 

いつの間にか首筋に突きつけられたメス。どうしてもその話題からは離れたいらしい。

これ以上話していると本当に刺されそうだ。

っていうかメスをどっから出したのだろう。

本当に保険医じゃないのか?と勘ぐりたくなる。

 

「先ほどはどうも私の持つ情報と君の考えに差異を感じましてね、君の方が当事者だから正しいのだと思うのですが、頭を打っているという可能性も否定できなくて」

「えっと、何の話ですか?」

「君が、教官に――――――――――」

「オッス、七夜、元気か?」

 

彼女の声を遮るオレンジ色の髪の少年。

額に出た青い筋を見て、僕はどうも彼女は思考を中断させられるだけでなく、
話を中断させられるのも嫌いそうだということを良く理解出来た。

 

「君は、乾君?だっけ」

「おお、覚えててくれたか、あ、俺は乾じゃなくて有彦でいいぜ」

「僕は・・・・・七夜としか呼び様がないね」

 

一年前、丁度十一までの記憶が全く存在しない自分。

名前も、家族も、家も、故郷も何一つ覚えていなかった俺が身に付けていた今も残る唯一の所持品。『七ツ夜』と銘を打たれた跳び出し式の短刀。

名前もないと不便だから便宜上でも付けとこうと思い、この『七ツ夜』から『ツ』を抜いて、取り合えず七夜と名乗る事にした安直な、姓とも名ともつかない名前。

 

二人、顔を見合わせ少し笑う。

 

有彦、髪で見た限りの印象とは全く違う人物のようだ。

とても、見ず知らずの他人を気にする気の良い兄ちゃんの様には見えないから。

髪を染めればいいのに、と思う。

恐らく、勘違いされた事も多いだろう。

だが、それでも染めないのが彼なりの信念の表れかもしれない。

 

「お前行き成し倒れんだもん、吃驚したぜ」

「そっか・・・・迷惑かけたね。あ、ここにいるって事は君は合格したの?だとしたらおめでとう」

「おうよ、でも俺だけじゃなくてお前もだぜ」

 

その言葉は寝耳に水だった。てっきり不合格かと思った。

だって試験の途中で倒れたのだ、不合格じゃないとしても、良くて再試験ぐらいはあると思っていたのだから。

 

「しっかし、お前そんな細い体の癖に妙に強いな、なんか格闘技でもやってたのか?
じゃないと、教官は倒せねぇだろ?」

「「教官を倒した!?」」

 

突如として上がった二つの声に僕と有彦は言葉を止める。

二人?

よく見れば、有彦の後ろにはなにやら精悍な顔立ちの少年が立っていた。

 

「教官ってあの白兵戦の武蔵さんか!?」

「名前は知りませんけど」

「むっさい顔した厳ついエロ親父よ!」

 

それを先生に当てはめるのはどうかと。

凡そ、先生に使う言葉ではないなと思うが、二人は特に気にしていないらしい。

 

「多分・・その人かな?」

「本当に?あのエロ親父を倒したの!?」

「・・・・・一応」

 

どうも僕の言葉が信用できないらしい。

まあ、自分が他人から見て弱そうに見えるのはこの一年孤児院で散々難癖つけられたことで承知だし、今更気にしないけど。

 

「それが、本当なら凄いな」

 

本当に心の底から驚いているといった感じで唸るように絞り出す声を出すのは精悍な顔の少年。

しかし、有彦は見ていたからだろうか、特に驚いていないようだ。

今まで出会った人間の反応だと、一度見ただけでは僕の実力は眼の錯覚かまぐれと言って認めようとしなかった人たちに比べると随分落ち着いている。

まるで、初めから僕が教官如きに負けるとは思わなかったと言わんばかりのやや挑戦的な眼で彼は僕を見る。

 

「じゃあ、君は何で倒れたの?」

 

不思議そう聞く彼女。

確かに、教官相手に負けたならいざ知らず、勝って倒れるなんて変だと思うだろう。

このまま此処で生活するならば言わないという選択肢はないか、と考え、

やや巡廻する様に口を開く。

 

「持病の貧血で―――――――」

「貧血って感じがしなかったけどな、あれはもっとこう妙な感じがした」

 

少々驚き彼を見る。

よく見ているなと思う。

有彦は一度で僕の病気が普通とは違うことを見破った。

僕のアレは傍から見れば、突然倒れるだけで、貧血とかにしか見えないのだから。

 

「気のせいだよ」

 

云ってもどうにもならないなら言う必要はないだろう。

別に、今すぐ命の危険がある訳でもない。

少なくとも医学的に見れば身体は正常に機能しているのだから。

 

「なら、良いよ。その代わりやばくなったら云えよ。出来る限りなら力になってやる。
一応、ルームメイトになったんだからな、俺たちは」

「――――――ありがとう」

 

思いのほか真剣な顔で言う彼の思いを邪険には出来なくて、そして嬉しくて、心から感謝をこめて言う。

孤児院の皆も、真剣に病気について考えてくれた。

申し訳なく思う。

脳裏に翳めたのは先ほどの悪夢、もしもあれが現実ならと考えると居ても立っても居られなくなる。



だって、だって僕は―――――――――

 

「私も一応ここまで付き添ったのも何かの縁だし、道端で会った時で気分が悪いときは言えばいいわ。付き合うから。っと私ったらまだ名乗ってなかったわね。私の名は空 飛厘、宜しく七夜君」

「俺は月臣 元一朗。内の学校は六年制でね。俺は君の三学年先輩だ。
俺は隣室だし、何かあれば遠慮なく言ってくれ手を貸すぞ」

 

――――僕には、貴方たちが心配するような価値もない人間かもしれないのだから。

 

それでも、もう少し、孤児院のときのようにこのぬるま湯に浸かっていたい。

だが、その穏やかな気分を毒すのは先ほどの夢で見て感じた感覚。

裡から滲み出る、飢餓にも似た、異なる衝動。

危険な感情、そしてともに危険なのはソレを有する者。

それでも、傷つけるかもしれないのに孤立ではいられない。

 

"異端は孤立するが故に、異端"

 

ならば、孤立しないでいる限り、僕は異端ではない。

そして異端ではないという事は、これ以上、夢の世界には近付かない。

―――――近付かないで、すむ。

 

でも、そんな事の為に、人の温もりを、彼等の持つ暖かさを感じていたいと思う僕はきっと、

此の世の誰よりも傲慢で――――――

 

「ありがとうございます。僕の名は七夜と言います。これから皆さん、宜しくお願いします」

 

 

 

 






――――――結局はあの夢の中と何ら変わらぬ程、弱く、卑しい咎人だろう―――――――

 



 



 


 

 

 

後書き
漸く完成しました。蒼月幻夢序章『咎人の夢T』。
前作のときいろんな人に言われた月姫、ナデシコどちらも中途半端等を自分なりに改良して書きました。
前作を応援してくださった方々には申し訳ありませんが、随分と話が変わってしまいました。
今回は木連編から行きなし始まっており、火星編の話は飛ばしました。
ちゃんとアキちゃんは居ますよ。でも、暫く出ないと思います。
因みに、この時点ではやっぱり天河夫妻は殺されてます。

今回はパワーバランスを少しは考えて、前回あった七夜君が「古代火星人の〜」はありません。そして魔眼云々も暫くないかと。魔術という概念は早めに出したいですが、何時になることだか。

時ナデの優華部隊を使わせて貰いました。それについては勝手に使って良いと公言しているBenさんには深い感謝を申し上げます。私の文才でどれだけ彼女等が生かせるかわかりませんが長い目で見てくれると嬉しいです。
そして優華部隊だけじゃなく、時ナデの個性豊かな方々は出来る限り出したいです。例の皇子様も。

時ナデと月姫を混ぜるにあたり書きたい対決。
ズバリ!

漆黒の戦神VS殺人貴!

もしくは
外道親爺VS赤い鬼神!

もしくは
鬼のように強い男勝りの男装の麗人VS文字通り鬼のナイムネ妹!(?)

もしくは
怪しいサングラスのおに―さんVSコートの下は黒だけど実は裸の渋い系親父!(??)

もしくは
夢魔VS電子の妖精(ってこれは違う。つ〜か途中から何の勝負だ?)

・・・・・・・・出来たらいいなァ。

取り合えず、早く北斗と枝織を出したいなです。



次回予告♪


黒き獣に導かれるままに邂逅する二人の少女と一人の少年。


孤児故に、同じ境遇の少年に反発しながらも惹かれる少女。


少女の他愛のない反発心は少年の隠された力を



古より、魔と呼ばれし者どもを屠った退魔と呼ばれる異端なる血脈に宿る業を浮き彫りにする。



かくして、それは少年の裡なる闇の世界は具現し、この月の光が届かぬ異郷の地にて一つの秘密の門は開かれる。


記憶を失った少年の心の闇。その深く禍々しいそれに少女は彼の人との共通点を見出す。


記憶を失い、犯した罪も知らぬまま過去は咎は呪縛という名のカタチとなり少年に細い双肩に暗く重く寄りかかる。


次回、蒼月幻夢序章後編「咎人の夢U」。



―――近日公開予定―――


汝、眼をそらす事なかれ!!





ああ!嘘です、偉そうな事言ってすいません。どうかそらさないで下さい。
近日公開するかどうかも謎です。この予告もあんまし本気にしないで下さい。


それでは前作の蒼月幻夢に感想などのメールをくれた下弦様、りつ様、浅川様、蠱伯様、mori二世様、ザ・世界様、西様、遠藤様、イチモンジ様、ゼツ様、pd様。そして感想はくれなくとも読んでくれた方々や私の駄文を載せてくれる管理人様と読んで感想を記入してくれる代理人様に心よりの感謝を

では

 

<日和見の感想>

 

 まずはじめに、残念でした。今回の感想は代理人ではありません(笑)

 

 代理人が多忙の為私が担当しましたが、実はここのところ暫く感想代行業務を

離れていた関係から、旧作の方を読んでいないので変更点についてはよくわかりません。

申し訳ない。

 

 内容については、まぁプロローグですしとりたてて言うべきことは特に無いですね。

 今後の展開を期待しています。