蒼月幻夢


3/狗神















「―――――志貴?志貴、何処に居るの?」


闇の中に澄み渡るように響く女の声。その声に志貴はゆっくりと、ともすれば緩慢とも言える動作で振り向いた。

何処ぞとも知れない広大な森林の一角を、まるで切り取ったように聳え立つ城砦。
草原に囲まれ、遠くを見据えれば山脈が静かに延々と横たわる。

まるで此の世ならざる世界、ともすれば此処は墓場だと志貴は思考する。
全てが美しく、醜く、曖昧な幻想の世界。
何世紀も、もしかすると有史以前から居たのかもしれない精霊種とも呼べる「真祖」と呼ばれる者達が築いたこの地はまさに異界であり、

そして志貴にとっては異郷でもある。

造られた世界。
この城砦はもとより、超越種であり、精霊種である「真祖」の持つ能力、『マーブル・ファンタズム』の影響下に長らく曝された事で変質した自然。それは害意あるなしに侵入者を拒絶する働きを持っていて、城を起点とした草原を囲むようにある藍碧の森は人の思考を徐々に犯し惑わす。
故に、ここは閉じた世界となり、常として此処には志貴を含めて三人しかいない。

志貴が生まれる以前、それも遥か遥か時の彼方には数多くの「真祖」により栄えただろうこの地。

漆黒の空。輝き降る星々の中、泰然する月。
金色に輝く大きな満月はまるで墓場のように見え、
それを眺めながらこの儚き世界を想い、草笛を奏でる。
戦闘術しか教えなかった。否、教える事の出来なかった文盲で無骨な父に代わり博識だった母により学んだ数多くの遊戯の一つ。
生まれた地。此処から遥かに離れた極東の島国の中でも異端な地。
闇に生きる者の隠れ里。
子供の絶対数が少ない為、遊び相手が少ない志貴を見かねて教えてくれた母の草笛。

澄んだ音色が鬱葱とした藍碧の森を越え、空まで、月まで届くような錯覚に陥る。


「ここに居たの?相変わらず、高いとこが好きねぇ」


呆れたような、それで居て微かな安堵が入った声。

月の光の下、其処には女神がいた。

金色の月と等しい輝きを持つ金色の髪は肩ほどで無造作に切り揃えられているが、彼女のその絶対の美を侵すことはない。
昼の世界で見る月の白さに匹敵する、透きとおるような肌と着飾ったドレスの白。
どんな絵師も彫刻家も自身の腕、否、人類の表現の限界を感じ、嘆くであろう魔性の美を放つ貌。
調律の取れた躯。黄金律とも云うべき姿。
そして、血の様な朱き瞳。


「高いところが好きというより、月がより良く見えるところが好きなんだよアルクェイド」


一瞬だけ彼女の姿を確認した後、また視線を月へと戻す。
背後の彼女は徐々に近付き、背後から軽く志貴を抱きすくめる。
血の通った生物特有の暖かさ。
彼女の果汁や華に似た甘美な香りが鼻孔を擽る。



月明りの下で交わす微かな口付け。



白い肌を童女の様に赤く染め、自分より遥かに外見も、そして生物として過ごした歳月の差も、

幼い少年の唇を無心に貪る彼女を軽く抱きすくめる。

此処には誰も居ないけれども、だが志貴は想う。




―――――僕等の関係は他者にはどう映るのだろうか、と。





人知を凌駕するような絶世の美女と年端もいかない平凡な少年の組み合わせ。
家族、恋人、友人、主従関係。
色々と思い浮かぶが、一番連想しそうなのは最後のだろう。
そして、二人の関係も最後に限りなく近い。

無論、自分は彼女を主とはしないし、彼女もまた自分を隷属させようとはしない。
だが、自分は彼女の従者であり、防人。
この姫君を守る唯一の「騎士」。
それが解答であり、自分の信念でもある。

彼女を守りたい、と想ったのは何時だったのか。
始めて出会った日に見惚れ、そして気付けば自分は此処に居る。

何もかも、それまでの自分の全てを捨てて、彼女を選んだ。
悔いがない、といえば嘘になる。
だが、それでも此処が自分の居場所だと信じている。



彼女が求めてくれるなら、僕は彼女の剣となり盾となれる。



彼女は決してそういった役割を自分には課さないだろうけど、自分の気持ちを言えば彼女は哀しむだろうけど、

僕の嘘偽りない想いは変化しない。

僕は彼女の恋人であり、家族であり、友人でもあるけど、それ以上に彼女を守れる従者でありたいと願う。
この幻想のように美しく、現実感の無い女を守りたいが故に、そして――――――――


「――――――何、考えてたの?」


まるで猫のように透明感のある全てを見通すような視線が僕を捕らえる。




「――――――別に唯、此処は広いな。って思っていたんだ。
アルクェイドが居て、僕が居て、レンがいて、時々ゼル爺さんも来て、
シエルさんとセブンさんも稀にメレムの奴も仕事にかっこつけて来るけど、でもそれでも此処は広く、広くて―――――」

「志貴は・・・・此処が嫌い?」


不安の入り混じった声を聞き、慌てて首を横に振る。



「いや、好きだよ。アルクェイドが居る世界を嫌いになんて為れないよ。でも時折寂しくはある。望んで此処にいる僕の云う言葉ではないかもしれないけど、ね」



そう、望んでだ。
「真祖」、つまるところ吸血種である彼女、アルクェイドに血を吸われ、
「死徒」として否応無しに此処に居るのとは訳が違う。

僕は「死徒」ではなく、純粋に「人」でそして望んで此処にいる。











かって、「ミハイル・ロア・バルダムヨォン」と呼ばれた者と同じように、アルクェイドを求め、此処にいる。












「寂しい・・・・か。
何も知らなかったあの頃は感じなかったけど、今は志貴の言いたい事が少しだけ解かる気がする」



やや、身体を束縛する腕の力が強まる。
だが、締め付けられるような拘束は息苦しさ以上に至福を与えてくれる。



「志貴は私に色んな事を教えてくれた。
感情というモノを私に教えてくれて、私の今までの価値観を破壊して新しいモノを造る手伝いをしてくれた。

私はその事を感謝してるけど、同時に恨んでる」



「知ってた?」と悪戯気に聞いてくる彼女に首を縦に振る事で肯定の意を示す。




「僕が憎い?」

「うん」

「僕を殺したい?」

「――――――うん」




僅かな巡廻の後で出た言葉は予想通りの言葉だった。
今、僕を抱きすくめる温かい腕も、彼女が本気で力を込めれば、僕みたいな華奢な身体なんて一瞬で砕け散らす死神の腕。
文字通り命を握られているのに、僕はこの上なく穏やかに彼女の言葉を待つ。
別段、殺されないと確証がある。・・・・というわけでもない。
ただ、彼女に殺されるのであるのなら、それでも良いと思っているから。




「もし、志貴を殺すなら、誰にも渡さない。他ならぬ私の手で殺したい」

「――――――そっか」


「憎いよ、でも愛しいよ、志貴。
私は壊れているから。あの時から壊れたままでいるから。
志貴の愛してると言う言葉を聞くたびに嬉しくて、でもその一方で志貴は人間だから、何時か私を置いていく日が在るのかと思うと、辛い、胸が張り裂けそうなくらい。
だから、こんな想いをさせる志貴が憎くて、でも愛しい。
志貴を此処で殺せば、志貴は永遠に私のモノに出来るけど、そうしたら二度と私は志貴の言葉を聞けない」


「・・・・・・アルクェイド」




強く、でも優しく抱きしめる。
この儚き存在を握りつぶさぬように注意しながら抱きすくめる。



「僕は・・・・・・何処にも行かないよ。ずっと君の傍に居る」



そんな言葉を彼女は首を横に振り否定する。



「志貴は何れ居なくなるわ。
此処から、私の前から。
解かっているの。本当は誰に言われるまでも無く、私にも解かっている。
此処は志貴の居場所じゃないって、志貴は私の為に一時的に此処に居るだけに過ぎないって。
時期が来れば、志貴は出会った頃のように突然に、まるで風の様に去っていくって・・・・・・・」

「そんな事・・・・・・・」



僕は彼女の従者。
彼女が在るところに僕も在る。
誓いは永遠で、決して無くなりはしないはずなのに、違える事は無いはずなのに。
喉まで出かけた言葉は、霧散し、消える。



「私、アルクェイド=ブリュンスタッドは七夜志貴を愛してる。殺したいくらい愛してる。
自由に生きる、風のような志貴を愛してる。
だから、止められない。志貴を止める事は出来ないの」



幸せは、永遠には続かない。
永遠は何処にでもあるけど、何処にもない。

でも、それでもいい。それでも良いと思っている。
きっと終わりがある儚きモノだからこそ、想いは虹色で輝いてる。

永遠は長くて、退屈。
永遠と想い。灰色と虹色の対となる二色は混じればどちらが色褪せるのだろう。




「だから、今が大事。こうして私と志貴とレンで過ごす。無為な日々。
同じ無為でも、人形の頃と比べて何の意味もない事だけど、でもすごくすごく楽しい。
凄く、涙が出るほど、辛く、楽しいよ、志貴」

「―――――――」

「多分、一生忘れない。色褪せない。
嗚呼、時間が止まれば良いのに。
このまま幸せな悪夢のままずっと時が止まれば良いのに。
そうすれば、夢だと思わないで、気付かないで馬鹿みたいに生きていけるのに」




何も云えなかった。
千年を超える時を無為に過ごしたアルクェイド。
その時の重みに、僕、七夜志貴は何一つ云えなかった。
でも、あえて、僕は言葉を紡いだ。



「アルクェイド。僕は変わらないよ。いや、変わっても、僕等の関係は変わらないよ。
例え、どれほど時が流れて、僕がどれだけ変わったとしても。
僕は帰ってくる。此処はもう一つの故郷だから、アルクェイドが云うように僕は一時は消えてもまた戻ってくる。所詮は子供の戯言に過ぎないかもしれない、けど。
僕は、此処が好きだから。そしてアルクェイドを愛してるから、レンを愛しているから」



少し離れた所で此方を眺めていた猫を手招きで呼ぶ。
それを待っていたように嬉しそうに颯爽と走ってきた黒猫を膝の上に乗せ、頭を優しく撫でる。



「時は止まらないよ。
どれだけ辛い事があっても、どれだけ悲しい事があっても、時は止まらないし、戻らない」




そう、時の流れは止まる事も戻る事は無い。
時計の針は決して進む以外には刻まないから。

例え、この身が時を越え、この意思が遥かな昔に戻ろうとも、現在は過去にならない。
時の歯車は、僕等のうちにあるのだから。

「現実」とは、僕等の心の気持ちそのもののことだから。

過去と言う時間の流れに身を置いても、未来と言う時間の流れに流されても。
結局、気持ちはオリジナルの流れから劇的に変化しない。

過去も未来も唯の言葉遊びに過ぎない。

形あるモノが消えてなくなっても、心は、想いは連なる。

僕が彼女等を愛する気持ち。
それそのものがオリジナルな時の流れ、つまり「現在」を現すのだろう。




「それで良いのだと思う。
生きていればこれからも必ず良い事がある、なんて云わないけど。無い保障も無い。
思い出は輝かしいけど、今はもっと輝かしくて、未来はきっともっともっと素晴らしいよ」



それはただの、子供の戯言に過ぎないけど。
それでも、そう思えるから、人は生きていけるのだろう。





「ずっと一緒だよ。離れても、想いは決して違わない。ね、アルクェイド、レン?」





満月の元で交わした約束。
穏やかな時の中、生きていた頃の物語。
まだ、この「現在」が崩れる事を本当の意味で理解していなかった頃の夢。















七夜志貴がアルクェイド=ブリュンスタッドとの誓いを違える事など考えもしなかった頃。




















そう、これは僕が彼女を裏切る前の―――――――――



































「ウラァ!」


散々たる有様と云うべきか。
刀崎 七夜はボロ雑巾の様な格好で畳の上に沈んでいた。
口からは赤い雫が零れ、畳を濡らし、多くの生徒はその有様と有栖川の凶行に慄いていた。

戦闘訓練と呼ばれるものを此処の生徒は一人の例外も無く受けている。
だが、実際に戦場にたった経験はない。
この場で有栖川 和真と言う名の少年が誰よりも強力だという事を理解している事もあるだろうが、戦場、というより殺戮の空気に事態に慄いている感がある。

不自然に曲がった左腕、先ほど発てた鈍い音は肋骨が折れた音だろうか。
有彦の脳裏には既に平和的な解決案は無かった。
というより、此方が示しているのにあちらは聞く耳もたないと言った感じだった。

元々気の長い方ではない有彦。
彼の術はこの様な大勢の前で見せるのは不向きな力であり、
故に友人か殺されかかっているのをただ見ているしか―――――――――



「―――――んなことしたら、姉貴に殺されるな」



掟に厳しい以上に曲がった事、それも友人を見捨てる事を毛嫌いする姉。
掟を破り、術を使えば怒られるだろう。
だが、掟を殉じ、術を禁じれば、本気で怒るだろう理不尽な姉。

幸い、この惨劇に慄き、先ほど幾多の生徒は教員を呼びに「逃げた」。
教員を呼ぶと言う名目さえあれば、この惨劇の場を離れても、言い分が通じる。

他の教育機関ならいざ知らず、この【零】でこの様な場面での敵前逃亡はかなり拙い。
内申にかなり響くだろう。そして、そのままいけば将来の展望はかなりの確率で暗くなる。

なら、戦えばいいものだが、相手は有栖川 和真。
此処でトップクラスに優秀な能力者。
更に追加条件は見境をなくしている。
誰でも自分の命は惜しい。
全員で掛かればまず確実に抑えられるだろう。
だが、最初の幾人かは戦闘不能、もしくは死が与えられる。

術の為に精神を集中し始めた有彦の視界の隅で、長い黒髪が舞い、一瞬集中力が霧散する。



「――――――へ?」



右手に木刀を持ち、疾走する影。
ややきつめの中性的な整った顔立ちは今や激怒故に無表情で固まり、剣戟を振るう。



彼女の名は、御剣 万葉。





「はああああああっ!」


――――――剣戟が舞う。

側面から斬りかかる万葉の攻撃を予測していたのか、有栖川は何一つ慌てず対処する。
剣と腕。当然リーチは剣が長い。
故に有栖川は一瞬にも満たない反射行動で盾として腕を曲げ受け止めようとする。

有栖川の能力は強化系に属する「物質硬化能力」。
それは本人の精神力で肉体を硬質化する能力。

だが、体全てを硬化する訳ではない。
いや、肉体全てが硬化するのだが、全てが均等に硬化するのではなく、意識の向ける先がより硬化する。例えて言うなら現在能力に使う精神力は10なら割り振る必要がある。
腕に4、足に2などに綿密にソレを脳内で行う。
体全てを包むのは不可能ではなく、容易な事。
だが、それでは全てが「ある程度」硬くなる程度で終わる。

自分の肉体を変質させる強化系の力は常に肉体を変化させることをイメージする必要がある。
より強固にしたいのなら細部までの正確なイメージが必須で、全身を常にイメージするのは脳と精神力の両方で困難である。
故に、彼、有栖川は常に攻撃と防御を即座に切り替え、その部分のみを重点に強化する。
流れるような速さでソレを可能にするのは彼の天性の戦闘センス。
「物質硬化能力」が攻防を備えた能力になるのは彼が扱えばこその話。
他の人間では、戦闘中の意識の切り替えをそうは容易に出来はしない。
そして、それが出来るからこそ、彼は強者であるのだ。

一方、万葉の能力は彼とは極めて相性が悪い。
彼女の能力は「魔眼」という種に属する特殊系である。
「浄眼」と呼ばれる種類の一端である力であり、「真眼」と呼ばれるモノである。
そして、その力自体は何ら無害な補助系の代物でありながら、同時に極めて強力な「魔眼」でもある。

空気の変化、肉体の重心の移動、武器の強度等を全て数値に変換し、脳内で換算する能力。
「真眼」とは、目に見える限定的な世界を数値に変換する特異な力。
だが、欠点はある。
持続時間がそう長くないとうことと魔眼によって生まれるより正確な情報は保有者の脳の負担になると言うのもそうだが、それ以上に、特殊系の中でも補助系の宿命である、基本的な肉体の身体能力は向上しないから攻撃手段がかなり限定されると言う事である。

例え、万葉が相手の弱点を知っても、相手が自身の攻撃力以上の防御力を有しているのだったら何にもならない。無論、木刀を持った万葉の攻撃力は有栖川の素の防御力は凌駕するだろう。
だが、有栖川の「物質硬化能力」はそれを克服する。



木刀でも鉄は潰せない。



彼女が有栖川の動きを筋肉の僅かな動きから予測しても、彼女の攻撃よりも有栖川の思考の方が速い。
強化系は特殊系と違い身体の内部を変革させる力。
そして真眼は筋肉の微妙な動きは感知できても、能力によって生まれる変質を察知するのには幾分かタイムラグがある。特殊系のような世界を変革させるような力なら空気の動き、温度の移り変わり等である程度予測が立てられる。だが他人の肉体内部を精密に知覚するのは世界を知覚する以上に「真眼」の負担になる。


勿論、不可能ではない。
だが、「脳神経が焼き切れても良い」ならの前提条件があればの話。


結果、彼女は人体に対してはある程度の動きまでしか知覚できない。

蒼眼。
透き通る様な蒼の眼が有栖川を見据える。

(演算処理開始)

その魔眼を発動した瞬間、視野の全てが変貌した。
変貌と言うのは正しくないかもしれない。別段世界は何一つ変わっていなく、目に見えるものも何か増えたわけでもない。
ただ、視点が変わっただけの話。
ただそれだけで、世界は変わる。
世界が情報で溢れる。否、世界が情報と為る。


大気の流れ。

衛星エウロパの重力。

畳の質と足との摩擦係数。

光の屈折率。

声帯の反響率。

自己の肉体の質。

標的の肉体の質。

木刀の強度。

犠牲者の肉体破損率。

世界の全てが数値として換算される。


身体が動く。
最も速く、最も効率的な動きを始める。

盾として構えた腕。
ソレを強打するように見せかけ、直前で上体を捻り、腕を畳んで柄がくる体勢を瞬時に生み出す。



――――――大きく踏み込む。



木刀の刀身の腹を使い、肋骨と平行に相手の心臓を突く。

「平突き」と呼ばれる木連式抜刀術でも取られている剣術の技法。

打ち込みと同時に「真眼」は心臓付近の体組織の変質を確認する。

ガァン

金属質を叩いたような音。
思いっきり打ち付けたために手が痺れ、震える。が手の痺れを無視し、右に二歩ほど軽く跳ぶ。

「真眼」が発動している間は負けることは無い。
相手の動きを予測できるのだから、攻撃が効かなくても此方も相手の攻撃は避けられる。
だが、それでも万葉が有栖川に勝てない理由は「真眼」の発動時間は約三分しかないと云う事にある。
一回の戦闘では十分な時間だが、有栖川の能力相手だと時間が短すぎる。

一般的に特殊系は強化系より遥かに発動時間が短い。
自己の肉体を変質させる方が、世界のあり方を変えるよりも遥かに楽だからという説もあるが、確かな意見は無い。
とはいえ、正確な論文はなくとも、能力者同士長期戦だと特殊系のほうが不利だという事実は覆らない。

そう、その事実を踏まえれば、最低限『三分』は負けないはずなのだ。
だが、

「がっ!」

有栖川の拳の速度は「真眼」の予測を大きく上回り、万葉の身体を風に舞う木の葉の様に吹き飛ばした。内臓が破裂するぐらいの強烈な一撃を受け、悶絶する様にのた打ち回る。
胃の中のモノが逆流し、血と混じって外へと放出された。



「ど・・・・して・・・・」



壮絶な痛みに耐えながら、口を開く。
先ほどの一撃は有栖川の体の構造を限界に近い速度の一撃だった。
生物は肉体にリミッタ―を無意識に掛けている。
それは伊達や酔狂ではなく、己の肉体を守る為に行っているのだ。
リミッタ―を越える出力が生まれれば、何処かに致命的な反動が来る。
特殊な訓練、特殊な薬物を投与すれば、無意識の壁を乗り越えることは可能である。
だが、特殊な訓練など有栖川は受けていないだろう。
特殊な薬物の使用なら考えられない事もない。事実、有栖川とその取り巻きは危険な薬に手を出しているという噂を耳にしている。だが、そうだとしても、それをこんな場所で使うメリットがないし、第一、何時使ったのかも解からない。それ以前に、七夜にやられた時にはいつもと大差ない動きだった。
よって、薬物投与による戦闘能力の増強ではない。

そこまで朦朧とした意識で考えていたら、急に視界が強制的に動いた。
頭部から脳に痛みが伝わるが内臓器官の痛みが激しすぎて、痛みを含めた感覚自体が麻痺していた。

目の前には有栖川の顔がある。先ほどの衝撃と視界の揺れは髪が引っ張られた事により起きたことらしいと考えるのもつかの間、数十本と掴まれた髪を用いて、強制的に万葉を引き寄せ、立たせる。


「どうしたよ御剣?まだダウンには早いぜ?」


何とか喋ろうと開いた口からは血が吐かれ、上手く言葉を紡ぐ事が出来ない。

そんな万葉の状態を見て、他の生徒も有栖川の取り巻き達もざわめき出した。
周りから聞こえる「やり過ぎだ」という声に触発されて、取り巻き達も動き出す。
此処まででも十分に問題だが、これ以上の行為は流石に洒落にもならないと気付いたのだろう。


「有栖川さん。もうやばいッスよ、マジに」

「それ以上やったら、御剣、死にますよ?」


不安げに云ってくる取り巻きを嗤う有栖川の動作は先ほどと打って変わり、どこか無機質で人間味が薄く、見たものの背筋を寒くさせた。



「前から、この女には苛々してたんだ。ここらで引導を渡るのも、いいかなァ、ああ御剣よォ」



髪を掴んでいた腕を外し、首に持ち変え掴み上げる。


「グゥ」



息が出来ないのか苦しそうに顔を歪める万葉。
流石に、それを見て普段有栖川を畏れている連中も行動に移そうと動き出すが、その誰よりも速く動いた者がいた。



赤い髪の少年が指で幾度となく高速で印を作り、複雑な文字を生み出し「力ある言葉」を紡ぐ。




「禁腕即不能殴!」


言葉は力。
有彦の能力はソレだった。
とは言え、正確にいえば能力者の能力とは別物である。
彼、乾 有彦は能力者ではない。
常人にはなき力を有するものの能力者のように自然の外から来る別種の力を持ち合わせていない。
無論、潜在的にはあるかもしれない。だが、現実、彼は能力者ではない。



魔術師。
そう呼ばれる魔術と言う常識、即ち科学の法則とは別種の法則「魔術」を編み出した人種。
その中でも異端視される「陰陽師」と呼ばれる人種に有彦は、というより、「乾家」は含まれる。


陰陽師の操る術「陰陽術」は魔と呼ばれる純粋な「人外」を勅するのに卓越した術。
彼等は平安より昔からその術を用いて鬼退治等を行った者たちだが、それ以降、時が進むに連れて彼等は衰退を余儀なくされる。
それは「魔」と呼ばれる種族が衰退し、「退魔」と呼ばれる者たちの力が必須ではなくなったのが大きな理由だが、絶対の理由として「陰陽術」は人には通じないという概念にあった。

「魔」と呼ばれる者達は確かに種として衰退した。だが皆無ではない。
それに「魔」に変わる力として「魔」と人の混血種である「混血」が現れた事で退魔の役割は未だ終わっていなかった。だが、「陰陽術」の大部分は人には通じない、純粋に「魔」を狩る事のみ生まれた技術。
人を脅かすものを屠る技術であったが故に、人には通じず、人の側面も持ち合わせた「混血」には術の殆どが効果を示さなかった。

故に彼は衰退した。
敵に通じない技術に何の意味があろう。

時代は変わったのだ。
刀から銃へと移り変わったように、「退魔の術」も変革の時期にあるのだと、多くの「陰陽師」達は悟り、舞台から消え去った。

だが、それに納得がいかない者も当然いた。



今の術が通じないのならば、新たな術を生み出せばよい。
そう、純粋に「魔」を勅するのに特化した術ではなく、「混血」延いては人を屠るに特化した術を。




彼等は新たな技術を求め取り込んだ。
それの原材料と為ったのは思想の似た技、「大陸」の対人、対妖用の術。
即ち「仙術」である。

「仙術」を取り込んだ事で術の幅が広がった。
元来は「魔」にしか通じなかった多くの術も「仙術」の特色と組み合わせる事で変質し、人にすら通じる様になった。

それは当然、危険視された。
あれだけ、「魔」に対して絶大な力を誇った術が人にも通じるようになったのだ。
もし、人相手に使えば、どれだけの被害が生まれようか。

だが、「混血」相手に苦労していた退魔機関は彼等の存在を極秘裏に認めた。
能力者だけでは「混血」相手には荷が重く、能力者の中でも特に優れた四家である「七夜」、「両儀」、「巫浄」、「浅神」も兵力の数に限りがあり、しかも彼等ですら、勝率も良くて五分。大抵は三分を下回る。 使えるモノは使う。其れが当時の方針であり、彼等はそれに従った。否、従わざる得なかった。

戦果は絶大、とまではいかなかったがまずまずのものだった。
対人用に特性を修正した事で、威力が下がったのだろうか。
兎も角、彼等に古ほどの力は無かった。
だが、それでも戦力として十分に満足のいく代物だった。

彼等は退魔の一員として認められた。
だが、現在、少なくとも百年前からその退魔機関そのものが衰退していた。
「魔」も「混血」も昔ほど活発には活動しなくなり、討伐の理由が失せてきた現代。
重火器等の代物で、退魔が絶対の「魔」の武器ではなくなった事も要因の一つであったのだろう。



だが、「退魔機関」そのものが衰退しても力は残る。
そして、少数でしかも奇異な存在は大多数に迫害されるのが世の常。
新たな大地を求め彼等の幾人かは新天地である月へその住処を移した。




そして、悲劇の当事者となり、この木連に辿り着く。






殴りかかろうとした有栖川の拳が止まる。
というより、右腕全体の神経が途切れたかのように不自然にダランと垂れた。
それにより握力も消えたのか万葉も無造作に床に落とされる。

驚愕の声が上がった。
そして、上げたのは有栖川ではなく、仕掛けた方の有彦だった。


「な・・・んだ。これは・・・・・」


有彦は額から流れ落ちる汗を拭うことなく、必死で術を継続する。






「陰陽術」、その中でも特に呪具や神具といった道具を使わずに行う術がある。
其れが「言霊」と呼ばれる力である。

魔術回路として有名な言葉、ただの空気の振動から伝わる現象に過ぎない其れには対象に此方の意思を伝えると言う大きな力が在る。
「言霊」とは声を媒体にして体内から魔力を放出し、印で魔力の方向性を作り、対象に作用し、その在り方を乱す術の事である。
とは言え、普通は生物以外には与える影響は低く、「言霊」は対人、対魔用に特化した「陰陽術」の中でも最も初歩的な技としてある。

「禁腕即不能殴」とは文字通りの意味合い。
「腕が動かないなら殴る事は出来ない」と云っているのである。
別段、この言葉自体には魔術文字(ルーン)の様に魔力は存在しない。

これは声と印を媒体にして自身の思考を相手の脳波に向けて直接作用し、感覚神経と運動神経の接続を一時的に乱しただけに過ぎない。だが、ただ叫べばよいというものでもない。相手、もしくは自分自身に「何をしてはいけないか」、「何を止めさせるか」を認識させる必要がある。暗示と言い換えても良い。

だから、言うなれば、こんな漢文みたいに言わずとも、ただ単に「殴るな」と云っても何ら問題ないところである。

だが、自己陶酔とも云うべきモノも魔術と区分される術には必須で、それは「言霊」も同じである。
それに長々と言葉を垂れた方が言葉の間中、言葉に負荷する形で魔力を練れるのだから威力は上がる。速さ、正確さ、そして威力。状況において判断し、全てを正確に使い極めてこその「言霊」である。
どれか一つでも狂えば、未熟な技以外のなんでもない。





精神を集中させる。
自分と相手を繋ぐ、見えない「線」。
それを繋いで有栖川の腕の動きを一時的に封じた有彦だったから、術の効果が長くないというのも当然良く理解していた。
元々不真面目な「術者」である彼は「言霊」の様な理論と共に在るような考える術は苦手だった
だが、それとは別次元での問題で、この術の効果は長くない。


魔術師の中でも異端である「陰陽師」の特異な術を有栖川が自ら抵抗して破ろうとしていた。


能力者と魔術師。
それは畑違いの一般人が見れば、殆ど同一だろう。
だが、彼等は厳然として違う存在なのである。

先天的な特異な力を持つ能力者。
後天的に学ぶ事で力を得る魔術師。

両者は全く別次元の存在である。
魔術師の魔術はあくまで目的に至るまでの過程であり、副産物に過ぎない。
能力そのものが本質である能力者とは違う。

魔術とは学問。
一つの現象を生み出す過程と結果に過ぎない。
魔術の起こす現象自体は現代科学でも生み出す事は可能である。
というより、現代科学で生み出せるからこその魔術である。
唯、作り出す手順が大きく違うだけ。それが科学と魔術の差異である。
故に多くの魔術は破る事は決して不可能ではない。無論「言霊」も。
だが、それには容易かと言えばそうではない。
科学で破る方法があろうとなかろうと、それが個人で出来るかどうかは別問題である。

個人の力では空を飛ぶことさえ、海を渡る事さえ難しい。
船を造る技術、材料、操縦する技術等不可能ではないからと言って、誰もが出来るというわけでもない。

「言霊」も然りで、過程として精神から身体を束縛しているだけで、身体を束縛するだけなら薬物投与でも十分である。だが、過程こそが魔術にとって重要なのであり、束縛する為の見えない「線」を破らなければ、束縛は術者の技量の分だけ永劫に続く。
それを破るには、術者以上にその系統の魔術に対する深い見識と技量を持ているか、もしくは其れとは相反する術を操れるか、もしくは型に染まらない、型を破壊する能力を有するか、特異体質であるかのいずれかである。





「くそっ、何で俺の術が!」



有彦の眼が捉えるのは見えない「線」が腕を中心に走っている有栖川の体。
そう、有栖川の腕の表面で八割がたの「線」が「弾かれている」。

特異体質というのは効きにくいだけで干渉が阻まれるわけではないと自分はかって師でもある姉に聞いたことがあった。
だが、それならばこれはどういう事だ。
術が体の表面で弾させられる「人間」など聞いた事がない。
それが可能なのは人間以外の強力な力を持つ者。人間、取り分け「混血」ですらこんな芸当が出来るのは極一部の強く「魔」に覚醒している者ぐらいのものである。





「魔術師の変種か」



有栖川の瞳が一瞬だけ朱色に染まる。
血の様な毒々しい赤の眼。それは色素欠乏症の人間の赤とも違う。
もっと、原始的で、混沌とした『赤』が有彦を貫いたとき、有彦の背筋に言いようのない寒気が走る。


有彦はその眼差しに恐怖と言いようのない奇妙な感じを受けた。



此処にいるのは有栖川という一生徒の筈なのに、彼にはこの人物が虚像に過ぎず、
何かがうちに隠れているような、そんな奇妙な印象を受けた。





そのとき見計らったように開く扉。その先にいるのは二人の少年。
各務 千里と浅葱 海斗。



「御剣!?」




この惨状を見て声を荒げる千里を手で軽く制す少年。
普段の温和な顔付きはなりを潜み、底冷えする視線が有栖川を貫く。



「有栖川、なにがあったかは知らないが、やり過ぎだよ。
君は今まで、能力者として、「兵器」としての性能を示したお陰で大抵の事は見逃されてきた。
でも、何でもかんでも見逃されると思ったら大違いだよ。
君が「兵器」として優れているが故に、君の此処での教育が「失敗」したと知れれば、どうなるかぐらいはその足りない脳みそでも解かるんじゃないか?」

「「同盟反逆罪」か?」

「解かっているなら――――――――」

「それがどうしたというんだい?」



有栖川の口調がガラリと変わる。
まるで、幼い子供の声帯から響くような甲高い声。
虚ろな目には似合わない確たる意思を秘めた声。
まるで、操られているような―――――――――


眼を見張る。
声の質と言葉使いが変わったのも気になったが、それ以上に「同盟反逆罪」を軽視する発言に有彦を含めた皆が戸惑った。
能力者の犯罪を抑圧する為の「同盟反逆罪」は決して軽くも緩くもない。
下手すれば執行猶予なしで死罪という結果も過去には何件かあったのだ。
能力者と呼ばれる人種が此処で最も警戒すべき事柄なのに、有栖川はそれを理解していないのだろうか?



そんな疑問に囚われた皆と違い、海斗は違った意味で驚愕しているように見えた。





「君は・・・・いや、お前は・・・・・・・・・」


先ほどよりも更に何割増の鋭い視線が有栖川を射抜くが、有栖川は薄く笑うだけ。
そして、小さく口を開きこう呟いた。











「五月蝿いから、少々大人しくしなよ」














「なっ!?」

ガクン、と突如として体のバランスを崩し膝を付く。
それによって集中力が乱れ、術が中断させられる。

体全体が重くなる。有彦の体の上から不可侵な力場が加わり、有彦の動きを束縛する。





――――――――重力制御だとォ!!






歯を食いしばりながら、胸中で周囲の重力が軽く三倍ほどに膨れ上がっている不可思議な現象に有彦は悪態吐く。




「マジで人間の能力じゃねぇぞ、これ」




骨が軋む。
在りえない現象に体が勝手に慄く。

有彦は今まで重力を制御できる魔術師も能力者も聞いた事がない。
ましてや相手は強化系能力者。分類すれば特殊系に属する能力この能力が操れるはずもない。

有史以来、強化系と特殊系、相反する二つの能力を有した存在などいないのだから。




強制的にうつ伏せの状態に持っていかれた有彦の体だが首だけを何とか動かし、有栖川たちの様子を見る。たかがそれだけの動作で有彦は体力を大きく消耗する。
有栖川は興味が失せたのかまた血反吐を吐いている万葉を無理に立たせようとしている。
ふと見渡せば、人影が見えない。
先ほどまでいた幾人かの生徒の事を疑問に思った瞬間、背後から呻き声が聞こえてきた。




「・・・・・・・まさか、重力制御の対象が俺だけじゃなくて、『此処』全部の空間なのか!!?」




修練所は有栖川と万葉を含めた中心部以外、半径五、六十メートルに渡り、重力が変化していた。




「化け物・・・・・かよ」




重力を操るだけでも前代未聞なのに、効果範囲が広すぎる。
それは明らかに一介の能力者、魔術師の域を越えている業だった。




「くそっ!・・・・・・・・気は進まないけど、仕方ねェか」



もしも、有栖川が有彦の想像通りの存在で、今、正に堕ちようとしているならば、有彦は退魔師『乾家』のその使命を持って、彼を全力で排除しなければならない。

重力に干渉し、倍加する力場の中、有彦は印を高速で結ぶ。
それは先ほどの言霊とは比べ物にならないほど複雑で精密な印だった。
重力に干渉され、指を動かすのさえ苦痛になる世界。
だが、それでも何度も何度も重ねるように印を結び、何十にも重なった印が生まれ始める。




「『戌威』の血に眠りし退魔意思の具現よ。邪を祓い、魔を狩り、人を喰らうあやかし
我、乾 有彦が命じる。古の契約に従い血の束縛より出で―――――――――――」




突如として響く硝子が割れるような澄んだ音。
何十、何百もの其れが重ね合わさった様な音波が届いた瞬間、倍加していた重力は一気に消滅した。
それに驚き、有彦は術が中断された。



立ち上がる唯一つの人影。

見知った、だが見知らぬ影。


この目前の人のカタチをした何かに有彦の脳裏で警報が鳴る。

能力者などの、純粋な人である事を示す青ではなく。

混血、魔などの、人から外れたモノを示す赤でもない。

まるで二つが入り混じったような赫と蒼が混じり合った瞳。

此の世の終わりを告げる様な、毒々しく、それでいて鮮やかな紫の瞳が有彦等を捉える。

喉が酷く渇いた。
有栖川など問題にならない威圧感。忌避感。
退魔師である自身の影が告げる。

「あれ」は敵だと



不完全に終わった術。
それが彼の放つ「魔」の気配により、強制的に発動する。
体が一瞬膨張したような感触。
浮遊感とも苦痛ともつかない一瞬の後に、「何か」が有彦の内から滲み始めた。




「や・・・・べぇ・・・・・」





――――――制御できない――――――――!!




彼の血の中に潜む力の一端が発動する。
無数の存在が、視覚では知覚出来ない姿なき透明な妖。
幾百、幾千とも付かぬ膨大な『狗神いぬがみ』達が長き眠りより目覚め、その牙の隙間から唾液と唸り声を放つ。
小犬大ほどの多きさの魔物達はその身に刻まれた一つの刻印、一つの使命を果たす為に彼を囲み始める。



――――――――即ち、「魔」の排除。







「狗神」達が強烈な「魔」の気配に反応し、動く。
その虚ろなる存在は一瞬、痙攣したようにその透明な身体を揺らし、次の瞬間にはその鋭利な牙を上げ、群をなし、彼、刀崎七夜に襲い掛かる。




「―――――――っ、おい!」




有彦術者の制御から離反し、既に傍目には半死半生で立っている事さえ不思議な七夜に襲い掛かる。



姿なき狗。




視覚以外での全てで認知できるその存在。
例え見えずとも、否、見えないからこそ、その殺意のみが浮き彫りと為った動きはある種、恐怖を持って襲い掛かる。


跳躍して喉笛を狙うモノ

バランスを崩す為足元から喰らい付くモノ

背後から襲い掛かるモノ



四方八方から姿なき獣達が襲い掛かるのを七夜は意識があるのかないのか霞みかかった様な目付きで眺めていた。




惨劇。血飛沫の舞う音が、肉を引き裂く音が、骨を砕く音が、響いた。








―――――――かに思えたのだが、現実は―――――――









咆哮が響く。

だが、それは勝利の咆哮ではなく、悲鳴そのものだった。





斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、

斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬、斬――――――――――――!!







無数に響く風切り音。


大気を振動させる刃の音色は最早、其れと認識できぬほどに速く、鋭い。


例えるなら、まるで蟲の羽音。
肉を裂く音も、骨を砕く音も生温い。
一刀一刀の音が解からない。無数に囲んでいたはずの狗神はまるで七夜との間に見えない障壁が在るように一定領域まで近付くと霧散する様に粉微塵に切り裂かれる。
見えない血煙が舞い、見えない屍骸が重なり合う。

ドロリ、と足に付く粘着質な透明の液体。
器をこれ以上となく徹底的に破壊し、消滅させられ、自らを囲んでいた器が消滅した事にも気がつかないのか、躍動感を感じさせる様な新鮮な血液は有彦の足元に触れた瞬間に漸く自身の死に気付いたかのように偽りの生から解放され、同時に偽りの死を演じる必要もなく、霧散する様に消えた。

だが、足元に着いた不快な感覚は、例え見えずとも、もう感じなくとも、痕につく様に消えない。

吐き気が込み上げる。だがそれ以上に眼を奪われた。
その場にいた全員が魅いった様に見つめる。
舞を、終わりを告げる舞を、その挙動は芸術的でさえある死神の剣舞。



七夜の手にはいつの間にか握られていた短刀。
だが、その姿は先に見たものとは違った。
有彦の記憶にある鋼鉄の刃。鏡の様に磨かれた名刀、妖刀と題してもいい傑作した一刀。





脈打つように、震える刀身は紫がかった光を生み出し、刃の軌跡になぞる。
刃の長さは倍ほどに伸び、脇差程度の長さとなって振るわれ続ける。




その行為は十分にも満たなかっただろう。
先ほどまで取り囲んでいた幾百を越える狗神達。
その内に飛び掛るようにして襲い掛かった皆が粉微塵にされ、消滅した。


魔物とも呼べない。

達人とも呼べない。


それは恐ろしく禍々しく、化け物の領域すら凌駕し、その瘴気とも言える様な裡から滲み出る感覚はまるで彼が邪神に乗り移られたとしか形容できないほどその存在自体が、生物としてのあり方自体が世界の理を反し、醜く、歪んでいた。

無表情の貌。
何の感情も読み取れず、事実何も彼は考えてないように見える。
この、傍にいるだけで身を竦ませるような人が持つにしては過ぎた瘴気ですら、意識して出していると言うよりただその身に巣食う大いなる闇から「漏れている」程度の代物ではないかと思わせる。




「・・・フフッ・・・・目覚めたか」



子供が珍しい玩具を見つけたような喜びが滲み出る言葉の音色。



「『殺人貴』の再来だ」



楽しそうに呟く言葉は誰にも届かずに風に攫われて消えた。
その視線の先にはゆっくりと倒れ伏す七夜の姿。
糸が切れた人形の様に、受身もせずに、ドサと音を立て倒れる姿を見て、有栖川は出口に向かって動き出す。




「・・・・・お前は・・・・・・・・」



まだ先ほど受けた重力の影響から抜け出せないのかふら付きながらも何とか立ち上がりつつある生徒たち。その中で、唯一まともに立ち、鋭い眼差しで見据える海斗。
その交差する時に、有栖川は中指を立て、挑発するように、何かを宣言するように彼の眼前に示し、通り過ぎた。
















「衛星エウロパ」。
月よりもやや小さい程度の規模の持つ衛星。
表面は氷に覆われた世界。人が生きるのに適さない世界であり、天然の牢壁ともなる空間に学芸軍事都市として、【エターナル】は存在した。
表層百キロにも及ぶ氷の大地。その氷土の海底を掘り出し、建設された都市は例えるならば円柱の様な建築物だった。
人類最大級の建築物。古代人が残した遺跡を母体に改良を加えた建物。
その実態は氷の大地から跳び出るようにある数十メートルの高さと直径2キロにもなる表面の人工の大地を空港にしており、内部空間は何階層にも分れて生活圏を生み出している奇異な世界。公式には第零階層から第十二階層まで存在するといわれている。
各階層はエレベーターで繋がっており、三階から八階までを市民に開放してあった。
そこは一つの完全な都市の縮図であり、人間が文明的に生活する為に必須だと思われる全ての施設が存在してなお、ゆとりの持てる暮らしが可能なように設計されている。
それ以外の階層は特殊な立場の人間のみが通過できる区域であり、一般公開はされていない。
零階層から二階層までは他のプラント間の交流のための空港とその設備であり、第零階層、つまり表面は空港としての離着陸が可能とされている。
普段はその表面が凍りつかないようにドーム状の薄い膜が張り巡らされて温度調節されていて、ドーム状の膜はどういう原理か物理的なモノは遮断せずに、周りの温度のみを遮断するように出来ていた。百年前の当時の調査隊が足を踏み入れた時には未だ起動していなかったが、中枢のメインコンピューターを在る程度制御下に置けるようになると同時にそれの展開は可能となった。
膜自体は「空間歪曲」のような現象とは別にちゃんと物理的に存在しているもので、例えるならば、水のような透明感のある液体状の物体のように見える。
だが、本質は全くの別物で、それ等はすべて未知の構造をしたナノマシンにより構成されていた。

第一から第二は宇宙船の完備、調整を行う作業区域であり、「整備士」等の役職の人間によって運営されている。だが木連の人材不足は深刻な問題であり、クローンなどで人口の激減を防いできたが、焼け石に水と云うより他なく、殆どの作業は人間ではなく機械で執り行われている。無論管理側として人間は必要最低限の数は存在している。
だが、細部の作業までは手が回らないのが現状だった。

第八から第十二階層は通称「管理階層」なる別名で呼ばれ、軍、政府の重要機関や要人の住居等が存在している。勿論、政府公認能力者達の学び舎である軍事養成学校も政府の重要機関に含まれる為にこの「管理階層」に存在する。ただ、重要度はそれほど高いというわけでもないから、階層は最も浅い第八階層に存在している。
とは言え、能力者の暴走等を考え、第八階層は実質、養成学校のみで構成されている。
基本的に木連には義務教育と云うものが存在している。
各プラント間に存在する「学校」と呼ばれる教育機関。
義務教育期間は六歳から十五歳までの九年間であり、九年間の義務教育が終了すると同時に働く事が可能となる。そんな中、軍事国家ともいえる木連では当然、軍人という職業は最高の待遇と将来を約束された職業であり、競争率は高い。
勿論、誰もが軍人になることは出来る。ただ、出世できるのはほんの一握りのエリートのみである。
そして、軍部が政治や経済で幅を利かせている社会において、当然、「軍事学校」という教育機関もその価値は他の「普通の学校」よりは高い。
【エターナル】はその「軍事学校」と呼ばれる数少ない教育機関の最高峰であり、その中でも【零】は軍事養成学校の頂点に存在する。













「管理階層」の第十階層の北部区域。

ある特殊なIDを持たない者以外の全ての者の出入りを禁止している特殊区域。
草壁の一族の中でも一部の者、もしくはその人物に限りなく近い者のみに門を開く一族が其処にいた。




「影護一族」。




それは木連の中でも暗部を取り仕切る一族である。
素手での格闘術から武器を用いたモノ、そして各種暗殺術と「殺す」ことに長けた一族。


北部区域は一見しただけなら心休まる世界だった。
鬱葱と茂る碧藍の森に囲まれた屋敷。
武家屋敷のような造りをした古く、歴史を感じさせるその屋敷は木々と調和し、住む者の心を癒すかのように造りに見える。

だが、実質、其処は死の世界だった。
屋敷を取り囲む森林はトラップをそこら中に仕掛けてあり、森自体の木々の配置も侵入者を惑わすような形になっている。更に様々な場所に各種の監視カメラが仕掛けてあり、侵入者が突入すれば、即、影護一族の知るところとなる。
下手に足を踏み入れれば五秒で死ねる死の世界。

碧藍に隠れた赫い世界。
それが、木連の闇の防人、影護一族の住居である。



「零ちゃん・・・・また来たんだ・・・・」



覚えのある気配が屋敷の敷地内に入り、座敷牢へと向かうのに気付いた。
カチカチと鳴る年代物の壁掛け時計。今時、アナログの造りをした古臭い時計から生まれる音を聞き惚れる。

今日もまた、零夜という少女が此処にやって来た。
自分の分身に会うが為に、この危険な地に足を踏み入れる。
その事実を膝に顔を埋めながら、感じる。


――――どうして、カミサマはこんなに不平等なの、と





「・・・・・・・ずるいよ、北ちゃんばっかり」



小さく呟いた声は薄暗い部屋の闇の中に飲まれて消える。

私は父様の云う通りの良い子でいるのに、悪い子の北ちゃんばかりが皆に構われる。
誰も私を見ない。誰も私と友達になろうとしない。
偶に下の階層に降りて同じくらいの年の子を探しても、誰も優しくしてくれない。
始めは優しくても、私の名前を聞くと、皆、嘘吐き呼ばわりするだけ。
それで、証拠を見せるために「力」を見せたら、脅えて逃げるか、怖い顔して襲い掛かってくるだけ。それの繰り返し。
父様も博士も、結局は私に優しくない。上辺は優しいけど、本心はきっと優しくない。
私はいつも父様の云うとおりにして仕事を頑張るのに、逆らって何もしない北ちゃんばっかりが良い目をみるなんて、そんなの―――――――



「―――――ズルイよ」



口に出して呟く。
だが、気持ちは晴れない。

一人っきりの孤独。
誰も私を見ない。誰一人私を――――――



「・・・・・・時間だ」



時計を見る。もう少しで博士の診察の時間。
父様の云い付け通り、何か起こったときのための最低限の「荷物」を持つ。
出かける前に鏡を見るのは何時もの習慣。



「やだなぁ、私、暗い顔してるよ」



顔を洗う為に蛇口を捻る。
冷却された水道水に手を当てるとひんやりとした感覚が一瞬で手に広がる。
水を汲み、水音を発てて顔を洗う。
何回も、何回も、洗い落とす。先ほどの暗い心境を水で押し流すように。



「うん、これで良し!」



たっぷり五分は掛けて洗っただけに、顔は何時もの元気溌剌とした笑顔を浮かべる。

これから、博士の所に行くのに暗い顔はしてられない。
研究所にはいっぱいの人がいるから、あんな顔を見せるのは恥ずかしい。
それに、もしかしたら、今日こそは―――――――――



「友達が出来るかもしれない。私も北ちゃんみたいに友達が欲しい―――――――」




















「はい、これが今月分のお薬だよ。毎日欠かさずに飲むんだよ、枝織ちゃん」

「はい、博士♪」




簡単な診察を受けて、枝織は何時も通りに、山崎博士から瓶に入った錠剤を受け取る。
何時もどおりの笑顔を浮かべながら、研究所の山崎博士専用の個室から出て行く彼女をこれまた何時もどおりの深みの無い笑顔を見続ける山崎。
その顔は彼女と入れ違うように入ってきた一人の研修医を見ても全く崩れなかった。



「おや、君は久瀬君だったっけ?どうしたの?」

「博士。新薬の実験データーを持ってきたんですよ。ご自分で云った事でしょう?」

「ああ、ゴメン、ゴメン。忘れていたよ」



MOディスクを受け取ると同時にPCを起動させる。
その山崎の様子を眺めながら久瀬と呼ばれた若い男。
彼は自分に興味を失ったように流れる様な滑らかな指遣いでキーボードを操る山崎を眺めながら、先ほどから疑問に思っていたことを尋ねた。



「さっきの子・・・・・博士の子供ですか?」



「はい?」



「何を云っているんだコイツは?」と言わんばかりの表情を浮かべ振り向く山崎。
先ほどまで浮かべていた何の深みの無い微笑すらも消して驚いている山崎の様子に久瀬は妙な緊張感が強いられた。

暫し、視線が交差した後に山崎は思い出したように「ああ、そっか」と呟いた。



「君は先週此処に着たばかりだっけ」

「え、はい」

「それなら、知らなくても仕方ないか。彼女は北辰さんの娘、枝織ちゃんだよ」

「北辰・・・あの四方天の一角、「北天将」影護 北辰ですか?」

「そう、その北辰だよ」



混雑した机の上に置かれた珈琲を啜りながら一息入れる。
まろやかな味が口の中に優しく広がる。
豆から拘った珈琲の味はインスタントとは雲低の差だと再確認していた山崎に久瀬は遅れて驚きの声を上げる。



「え?・・・では彼女があの鮮血の・・・・・!?」

「うん?ああ、そうだね。「鮮血の姫君」なんて俗な仇名も付いていたよね、枝織ちゃん」



その答えは久瀬の質問に対する答えというよりは事実の再確認をしているようだった。
そんな山崎の態度に対する云い様のない苛立ちを抑えながら、久瀬はもう一度「本当ですか」と念を押して再確認する。



「そうだけど、何か問題でもあるの?」

「「鮮血の姫君」と言えば、反戦争派の様々な要人を殺している暗殺者じゃないですか!
それの正体があんな年端もいかない少女だと言われれば誰でも耳を疑いますよ!?」

「君は頭が固いね〜。子供の暗殺者なんて何世紀も前からいるでしょうに?」



子供が暗殺者として育て上げ、使用する利点は幾つかあるが、最も特記すべき点は目的に警戒され難いという事だろう。
倫理観を好きなように変えられるとかもあるが、その程度の事なら薬物、洗脳でどうにでも出来る。
古来より暗殺者のスタイルが決まっている訳ではない。ということはどんな人間でも暗殺者になり得ると頭では解かっていても、実際、自分の娘か孫くらいの愛らしい子供がそうだとは余程修羅場を潜った者でも見逃し易い。

尤も、と山崎は思考を繋げる。

枝織と呼ばれる少女はそう言った意表を突く暗殺者と違い、正統派の己の実力、頭脳を頼りに敵を始末するタイプだが。

久瀬は山崎の言い分になにやら釈然としない物を感じて、口を開いたが言葉にはならなかった。元より何か云える事があったという訳でもない。ただ、なんとなしに開いただけだが、此方を見ている山崎に云い様の無い不快感を感じた久瀬は理由も無しにその場の勢いで口を開いたと悟られるの嫌で、開いた口からは無理に違う質問を出した。



「それで、先ほど彼女の渡していた薬はなんなのですか?
まさか、暗殺者の癖に不治の病に侵されているというわけではないでしよう」

「「不治の病」?
――――――――フッフッフッ、それは良いね。なかなか面白い表現だよ。
そうか、「不治の病」かぁ。まあ、当たらずとも遠からず、といったところかなぁ?」




何が面白かったのか、不治の病という言葉を聞き、山崎は頬を緩ませ笑い始めた。
不審気な久瀬の視線など威に介さず爆笑する山崎。
一頻り笑い終わり、一息吐くと、憮然とした顔の久瀬に微笑む。



「フフ、気分を害したかな?」

「・・・・・いえ」



そんな憮然とした態度が面白かったのか、ますます微笑みを深める。




















「彼女はね、「混血者」なんだよ」

















近所の主婦が世間話をするような口調で何気なく話す山崎。
だが、その内容は世間話で済ませられるものではなかった。



「なん・・・・・ですって・・・・・」

「だから、彼女は人間と「魔」の混血児なんだよ。
まあ彼女が、というより影護一族が、と言った方が良いね
あ、これは極秘裏な話だから、其処等中で話すと狩られるから気を付けてね」



物騒極まりない会話も笑顔で話す山崎に薄ら寒いものを覚えながらも久瀬は聞き続ける。
実際、影護一族の正確な情報など目の前の男以外は誰一人持っていない。

彼等が「混血」だからといって何を驚く必要があるというのだ。
寧ろ、納得がいく答えだろう。
あのようなただのあどけない少女が様々な猟奇殺人を犯した理由としては。



「真紅の姫君」の手に掛かったという噂の被害者は、いずれも身体を最低十程には解体されているという新聞の見出しが頭を過ぎる。




「では、一体なんの薬だったのですか?
「混血」なら薬物投与による強化も病原菌などに犯される心配も殆どないでしよう?」

「ああ、あれは抑制剤だよ。鎮痛剤とかそういったものに近い代物さ
「混血」がその体の中に「魔」としての意識を持っていることは知っているだろう。そして「魔」の意識に囚われればどうなるかも」

「『反転衝動』ですか」

「うん。一般的にはさ、彼等は内なる衝動と幼い頃から共存して生きていく事で、その衝動を止める術を成長と共に誰に言われるまでもなく学び、習得する。だけれども、彼女は一寸特殊でね、歯止めがないんだよ。ちょっとした「心の病」で精神がずっ〜と止まったまんまなのさ。だから、成長しない彼女は何時までたっても習得できずに持て余してる。」

「それは―――――――」



恐ろしく、危険な事。
狂犬を放し飼いにするようなもの、否、それより性質が悪い。



「しかし、処分するには勿体無いくらい優秀だからこうして薬で抑えているわけさ」



想像を遥かに超えた話だったのだろう。
絶句している久瀬を見ながら、その微笑みの内側、その暗く明るい思考で山崎は思う。










――――――尤も、彼女の「心の病」というのを生み出したのは僕等なんだけどね






それは北斗と違い、命令を素直に聞く、北斗と同等の力を持つ人形を作るために。

クローン技術で生み出し、刷り込ませた北斗と同様の能力を持ち合わせながら此方の言葉を喜んで聞く逸材。それが影護 枝織。
精神を幼くしたのは善悪の区別がつかない様にすることと、第二の北斗を造らない為の布石。

だが、幼い心は北斗とは別の意味で暴走を始める、違う意味での失敗作。
元来、人は人として生きる術を時が流れるにつれ、成長と共に学ぶ。
「混血」も同様で、自身が堕ちないための術を無意識の内に理解し、体が成長すると共に習得していく。
だが、子供時代のまま時が止まった少女は、その未熟な精神故か、自身の裡に巣食うモノを封じる術を知らず、
体の成長と共に増す闇は次第に少女の未熟な精神の殻を裡から食い破り、そして堕ちていく。

だが、処分するには惜しくて、騙し騙し使い続ける。が――――――――







―――――後、何年持つやら








恐らく、成人を迎えるときまで『反転』しないとは思えない。
恐らく、十八辺りが限界だろう。



だが、それもまた一興。


壊れる事を前提に使う玩具にはさほど興味はない。



















―――――――壊れるなら精々、華麗に壊れれば良い。

























「―――――――え?」


白い回廊を歩き続ける枝織は突然立ち止まり、空を、即ち上の階層を見上げる。
其処から生じる白と黒が交じり合うような暗い気配に枝織は呆然とした。



この感じは。

この変な感じは。

私と同じ、私や北ちゃんや父様と同じ。


「私たちと同じような、感じ」


瞬間、顔を輝かせる。
同じなら、私の同じ「仲間」なら。

もしかしたら。

もしかしたら。

もしかしたら、友達に為れるかも知れない。

私の友達になってくれるかも知れない。


初めての友達。
私を北ちゃんの代わりだと思わない人。
私を拒絶しない人。


タンと床を蹴り、高速で走り出す。
目指すは、此処数年の行きつけの場。




即ち、第八階層―――――――!!











*後書きは次で