蒼月幻夢


6/朱い獣T








「始めまして、刀崎七夜です」


クラスを一望しながらそう挨拶をする。

新調したばかりの黒を基調とした少々変わった形の制服。

制服などとは縁のない人生を送ってきた七夜にはそれがどうしても奇妙な物にしか見えず、また肌にも慣れない。故に、そんな物をさも当然と言わんばかりに身に纏う多くの生徒達に七夜は違和感を感じずにはいられない。


「それでは席は、あそこで」


老教師に座席を指定されそこに向かい歩く。

すると――――――



視野の中、七夜の進む通路に著しく足を突き出した生徒がいた為に足を止める。

その生徒は顔をニヤニヤさせながら足を出している。



(・・・・何かの意思表示か?)



判断に苦しむ。

なんて無防備。――――これでは足を折ってくれと言っている様なものではないか。


どうしようかと暫し思考する。

ここで圧し折るのは簡単だが、こうもクラスで注目されている中、それは問題だろう。

かといって跨いで通るのは問題外。そんな事をすれば股間が無防備になる。



ふと、秋月先生の言葉を思い出した。

そう、転校先ではこんな感じで干渉してくる生徒がいるだろう、

という事と同時にそういう輩に対する対処法を。



思い出すと同時に再び歩き出す。

悠然と、何も臆する事無く。



「――――?」



向こうも、その周りの生徒も不審に思ったようだが特に行動には移さない。

そして、交差する時、その足を突き出した生徒は



実に見事に、


実に豪快に、


七夜に椅子ごと足を掛けられ転がされた。













「お前、初日から退屈させねぇな」


隣で馬鹿笑いをする悪友にひと睨みする。

あの後、高速で椅子の脚立に足払いを掛けられ成す術もなく転がった生徒は憤然と七夜に食って掛かったが、老教師に睨まれ怒りに満ちた眼のまま七夜から離れ自分の席に座った。



お陰で休み時間などになると近付いて来るのだが、七夜の傍に有彦がいる所為で手が出せないでいる。傍から見れば乾有彦という男はこの年にして、実に威圧感があり、恵まれた体格と頭髪を染めている事も有り、喧嘩を売り難い存在だ。



痩躯でこの世代の男子と比べても華奢な七夜とはえらい違いである。



「しかし、結構過激な対応だな。

まぁ実際お前は大人しく足かけられるタイプには見えねぇけどな」



「うん?孤児院で先生に教えられた事に

「やられる前にやれ」で「やるなら徹底的に、禍根の根は残すな」て、さ」



「禍根の根は残すな・・・・ねぇ」



物凄い眼で此方を睨む男子生徒を眺めながら有彦は呟く。



「残ってないとでも?」



「骨折るのも悪いと思ったんだけど・・・・中途半端だったかな」



「お前の思考回路って・・・・・・まぁ良いか。

でも、お前貧血持ちなんだろ?

あんまし派手なことはしない方が良いんじゃねぇの?」



あんなのにお前をどうにかできるとは思えねぇけど、と続ける。



「僕は平凡な人間だよ。別段彼とそれほど違いはないさ・・・・

喧嘩しても勝てるとは限らないのに、人をそんな化物みたいに言うなよ」



「平凡ね・・・お前平凡の意味を辞典で調べ直した方が良いんじゃねぇの?

絶対お前が思っているのと一致しねぇから」



「そうかな・・・・・一応、秋月先生と血塗れになるほど殴り合いをして、

青春という幻想を拳で語った事はあるけど」



「いや、お前の平凡ってそう言う意味なのか?」



半眼でうめく様に呟く有彦に七夜は不思議な表情を向ける。



「殴り合いは感情の発露を最も端的且つ明確に他者へと伝える合理的な手段だ、って言ってたけど・・・・違うのか?」



「お前、・・・・実はゲキガンガー好きだろ?」



「いや・・・別に。それに取りあえず殴り合っても痛みしか伝わらなかったし」


「その時点で間違いに気づけよ!」



思わず、といった感じで叫ぶ有彦に周りのクラスメイトが驚いて此方を向く。

行き成り注目されて少々言葉に詰まる。



・・・・あまり注目されるのに慣れていないのだ。



見ている生徒たちの注目が薄れていくのを待ち、閉ざした口を開く。



「いや、それは単に先生を殴れない僕が悪いのかと」



「あん?なに似合わないこと言ってんだ?」



「似合わないって?」



なに言ってんだこいつと言う感じに二人はお互いを見る。

暫し見詰め合い、先に口を開いたのは有彦の方だった。



「・・・・お前が教師を殴れないなんて似合わない冗談言うなって言ってんだよ。

行き成り教師を病院送りにした癖に」



「なんだよ、それ・・・・それとこれとは関係ないだろ?

第一、僕が秋月先生に勝てるわけないじゃないか。

あの人と僕じゃ戦闘技術に差がありすぎる。

僕の反応速度じゃあの人に一撃入れるのすら難しいんだ」



「なんでただの喧嘩が急に戦闘技術なんて生々しい話になってんだよ。

「感情の発露を〜」って部分は何処に消えたんだ?」



疲れたように呟く有彦に尤もらしく頷き――――秋月先生の真似をして見たのだが胡散臭い目で見られた――――言葉を続ける。



「ただ殴り合いをするだけなら動物でも出来るから、人間はもっと理性的に道具を使うべきだんだろうけど、武器を使用したら流石に洒落にならないから戦闘技術を磨く事で其処に至るまでの想いを汲んで貰おう、と」



「具体的には・・・・?」



「―――――どうやって相手の生命反応を絶つか、と」


「殺し合いかよ!?―――って言うか十分洒落になってねぇし!!?」


「その中で芽生えるものもあるって話だけど・・・」


「うっわ〜、殺意しか芽生えそうにねぇ・・・・・」


頭を抱える有彦。

その頭上に何時の間に現れたのか万葉が「うるさい」と拳を振り落とす。




「何を漫才しているんだ。七夜、橙男。

未だ先生は来ていないがもうチャイムは鳴っているぞ。

昼食前の授業だからと言って気を抜くな」



有彦の隣、七夜からみれば机二個分右側に座る級友に二人は注意される。

何故か酷く不機嫌そうである。

そう云えば今日まだ話してなかった事を思い出し、七夜は口を開く。



「あ、おはよう。――――万葉」



「随分と取って付けた様な挨拶だな。

良いんだぞ、別に無理して私のような男女に話し掛けなくても」



そう言ってあさっての方向を向く万葉。

その姿は孤児院にいた頃、皆で飼っていた野良猫達を思い出す。



ついつい一匹に構い過ぎると他が拗ねる。



初めてといっても良いほど親しい男の友人が出来た事で

少々有彦とばかり話しすぎた事が気に入らなかったのだろうか。



――――――万葉って、猫みたいだ。




だとすれば、何と綺麗で躍動感溢れた野生の猫だろうか。

気性が荒く、拗ねやすい、黒い綺麗な毛で包まれた誇り高き野生。



無意識の内だろう。立ち上がり、

つい、猫達にする様に万葉のさらさらとした黒髪を撫でる。

癖のない髪が指に絡まず流れるように通り抜ける。



なんて、―――――艶やかな黒い髪。



気づいた時には真っ赤になった万葉が目の前にいた。



「・・・・・大胆ばい」




万葉の前の黒髪を肩ほどの長さでセミロングにした女性が少し顔を赤らめて言う。

その言葉で我が身を省みる。



――――――顔に血が上る。



「御免!今のは――――――」



慌てて離れる。未だ然して親しくも無い女の子に何をやっているのだろうか?

これでは徒のナンパ野郎と同義ではないか。



そう思って慌てて手を離す。

その瞬間、万葉が、「あっ」と名残惜しそうな声を発した。



「御免、昔に飼っていた猫を思い出して――――――」



「あ・・・ああ、良い。気にしてない」



恥かしそうにお互い離れ席につく。

周りは自分の行動に呆れているのか此方を眺めている。



さっき転ばした男子の刺す様な視線がこの高鳴った心拍数を静めてくれる。

少しだけ、あの名も知らぬ生徒に感謝する。

だが、気のせいだろうか、その視線は先ほどよりもレベルUpしている気がする。



それどころか、より多くの刺すような視線を感じるような・・・・・


「奴は敵だな」

「ああ」

「おのれ、我々の停戦条約を破りやがって・・・!!」

「憎しみで・・・憎しみで人が殺せたら・・・・!!」

「危険・・・だな」

「ああ、このぶんでは何時、このクラスの綺麗どころが奪われるか解かったものではない」






「なぁ有彦、先ほどから殺気を感じる様な気がするんだか・・・・有彦?」




ふと、質問に応じない我が悪友殿を眺める。すると・・・・






「・・・・・橙男」





―――――何故か奴は妙に打ちしがれていた。












怪我の完治は驚くほどに早かった。

全治数ヶ月の大怪我を負っていたのに、それがほんの数日でほぼ完治したのだ。

無論、これは刀崎七夜という人間の治癒力が異常なほどに高い、とかそういった理由ではない。この地において刀崎七夜は普通すぎるほど普通の人間だ。

能力者としての素質はあっても力は無い。

その身体能力は信じられないほどに高いが、それはこの際問題ではない。

あくまでそれは能力とは別次元の肉体の素質であるからだ。



傷の回復が早かった理由は単に『治癒』してもらったからだ。

『強化系』の中には他人の肉体に干渉して肉体の回復力を早めるような力を持つ者もいる。

医療機器を一切使わず怪我を治す。

言葉だけ聞けば神の如き力だが、勿論、それほど大それた能力ではない。

再生レベルでの範囲内で肉体組織の回復の促進を行なうのである。

精々骨がくっ付いたり、切り傷が戻ったり程度。

自然治癒する程度の怪我の治りを早めただけ。



それだけでも十分な大した話だと思われるだろうが、これには少々条件がつく。

対象者の年齢が凡そ十三、四程度から離れるにつれ、治癒の度合いは遅くなるという話である。組織の固定と、細胞分裂の速さ等諸々の要素を組み合わせてその時期が一番適しているということ。其れより速くても、遅くても、基準線である年齢から離れれば離れるほどに危険なのである。



早ければ、固定しきってない幼い組織が崩壊を起こし

身体に重大な欠点を生み出す場合があるし、



遅ければ自然の摂理に逆らって細胞分裂を早める事と

成熟した肉体に掛かる負担で少なからず寿命が縮む。



そんな問題が起こる可能性はかなり低いが、

それでも刀崎七夜が適年齢でなければこの治療は行なわれなかっただろう。



そして、治癒した事で彼は転校初日から病欠する事になった七夜は

僅か数日で授業に参加できるようになった。

だが、それが良い事か、と問われると答えに窮するだろう。

決して学校生活は彼にとって良いものにはなりそうになかったのだから。





Eternalの【零】という教育施設は他の教育施設と大きく違うところがある。

それは、―――能力者の有無である。

此処では生徒全員が能力者としての素質を持っているという。

だが、それ故に開花した能力者とそうではない者の格差が存在している。


彼等の明確な優劣は、勉学に無く、身体能力にも無い。

能力。その一言に尽きる。

Aに最上級の上位能力者を集め、それから能力の強さを順にB〜Fまで存在する。

最上級のAとは対極の最下級の存在がF。Fとは未能力者。即ち、一般人である。



この両者はひたすら仲が悪い。

AはFを見下し、FはAに嫉妬する。

出来が良い兵器と優秀とは言え単なる一般兵の違いである。

この問題は教師も頭を抱えた物だが、どうにかなるものでもない。

この種の問題は規模の大小はあれ、どんな組織でも抱えているような代物だからだ。

人の業とも言おうか、旧人類の悪癖は新人類にもちゃっかり伝わったようである。



そんな中、刀崎七夜の存在は【零】という社会に旋風を巻き起こした。

何故ならば、彼は能力者ではなかったのだ。

だが、素質がある、という理由で彼はAに在籍する事になった。

これにAもFもその他のクラスも耐えられるものではない。



Aの生徒は学年でもエリートの集まりである。

そんな中、突然混入した異物を彼等は到底許容できはしない。

それをすれば今までの自己の行いを否定する事に繋がるのだ。



未能力者とは言え、Fもその素質を見込まれたが故に此処に在籍している。

公的な立場的には七夜と対等であるはずなのだ。

自分たちは駄目なのに、何でこいつだけ・・・

という意識が生まれるのも無理からぬ事である。



注目されていると言えば聞こえは良いが、何てことはない監視と同義である。

案の定、向けられる視線は好奇、敵意等、七夜にとって好意的な視線ではなかった。

尤も、好奇の大部分は有彦との漫才(=万葉談)から来ていたらしいが。



「ふぅ」



窓の外を見遣り七夜は小さく嘆息する。

先ほどの物理の授業が終わり、現在は昼食の時間。

席は休んでいる間に決められた席で、窓側の一番後ろ。

クラスから阻害される者が座る典型的な席である。



―――――特殊能力者かァ



胸中でそう呟き、椅子の背もたれに体重を掛けた。

孤児院時代には感じなかったこと、知らなかった事が此処では幾らでもある。



学校に行っているのだから知識が増えるのは当たり前だから問題は前者だ。



「能力って、それほどに重要なのか?」



敵意―――少なくとも好意的ではないだろう――――の眼で午前中ずっと直視されれば溜め息もつきたくなるし、疑問にも思う。

別段、他人の価値観に文句をつけるつもりは七夜にはない。

孤児院では孤児院のルールや価値観が存在し、此処には此処のルールや価値観がある。

それだけのことなんだろう。



此処の生徒は多かれ少なかれ能力に思考が、価値観が傾倒している。



それは、傍から見れば便利な力だし、ないよりは在った方が良いと思う。







だが――――正直、別になくても構わないとも思う。







七夜は特殊能力(ESPとも言う)がない事で困った事はないし、不自由だと思った事もない。言うなればESPは自転車のようなものだろう。



学校には徒歩で行けるが、自転車を使えばもっと速い。でも車には敵わない。



その程度の力でしかない。



―――皆、そんな風に割り切れないのかな?



とは思うが、恐らく無理だろう。

在籍し、授業を受けてみてわかったが、此処での特殊能力の認識は事のほか重要らしい。



生徒は勿論、教師にとっても。



何しろ授業教科に「能力強化」と書かれ、各々が自己の能力を磨く科目さえあるのだ。

基本的に能力はある程度区分できるらしい。

強化系、特殊系は勿論の事、

其れを更に系統分けできるらしい。

例えば、万葉の「真眼」は特殊系の魔眼系に分類される。

魔眼系は特殊系で一番多い種類で、眼識を媒体に世界を変質させる能力らしい。

実際、魔眼系と分けるのはかなり乱暴な分け方で、一口に魔眼と言ってもほんとに千差万別らしい。



らしい、らしいとさっきから言うのは、刀崎七夜はその授業を受けてないからだ。

素質を見込まれたかどうかしたらしいが、実際問題、刀崎七夜は唯の人間に過ぎない。

能力なんてまるで発動しないし、そもそも発動のさせ方なんてマニュアルもないから勉強のしようもない。

特殊能力者として目覚めたものは、ある日、突然己の力に目覚めるらしい。

その感覚は第六識とも言うべきもので、目覚めた後はあって当たり前という感じになるらしい。

あって当たり前と云うだけあり、能力の基本的な操作は本能的に解かると聞く。

持ってない者には馴染みの薄い、感覚の話故にいまいち追いつけない。



そんな彼等にもやはり能力の強弱はあるらしい。

身体能力の違いと同じ、同じ能力でも人によって出きる事は違う。

だけど、同じ、というか能力が量産されている能力者は此処ではあまり重要視されないらしい。



能力者の権威であるEternalの科学者と先生が言うには、

同種、同類の能力が多く存在すればするほど、その能力は大したモノではないという見解らしい。

理由は解からないが、全く同じTYPEの能力がある能力は、

数の少ない能力に比べ術者が扱いやすい代わりに威力、規模が減少しているという。



これに対して、能力を発動させる源泉となるモノが人類と言う集団意識体、もしくはこの世界の中に存在し、能力者の能力はそこと回路を繋ぐ事で発生させられる末端でしかない、という推測があるらしい。

故に源泉の許容量を越える量の回線が繋がれば、

必然的に一末端辺りの需要は少なくなっていく。



まあ、どこまでが正しくてどこまでが間違ってるかも解からない曖昧な話ではある。

何せ、この超能力という分野は前世紀から存在していたが、その頃はそれほど重要視される分野ではなく、言わば娯楽に属する研究分野であったのだ。この様に必要に迫られたのはつい最近なので、偉大な先人の残した理論(道)もなく、手探りで進んでいくしかない。



「とは言え、―――――どうにかなんないのか、あの雰囲気」



購買にパンを買いに行く。

作ってくれる人は居らず、さりとて自分で作れるほどの技術も、時間もない。

ならば必然的にやることは決まってくる。











「置いてくなんてつめて〜な、親友!」



その掛け声と共に後ろから飛び掛ってきた謎の刺客。



―――敵か?



七夜は無言で対処法を探る。



一、問答無用で撃墜。・・・・・・保留。



二、黙ってやられて、それを理由に昼飯をたかる・・・・・・・却下(精神衛生上宜しくない)。



――――消去法で1か。



そんな物騒な考えを抱いた七夜の視界に一人の少女が現れた。



「七夜、お前は未だ病み上がりだろ?購買に行くんなら私も一緒に―――――」



――――三、だな。



それは神技だった。

突然七夜の前に現れた万葉、女子にしては長身だが、精々七夜と同じくらいの身長の万葉は当然七夜の後ろから襲い掛かってきている刺客には見えない。

引き付ける。刺客が七夜に体当たりを食らわせる決定的な瞬間まで。



それは一や二とは比べ物にならないほど過酷な選択。

だが許せ宿敵ともよ。

お前がこの壁を乗り越えられる事を信じているからこうするんだ。

言わばこれは試練。決しておとこには避けて通れぬ道なのだ!(ちょっとゲキガン風)



そう、これは試練なのだ。

決して、昨日初めて同じ部屋で寝た時、

彼のいびきが異様に五月蝿くて眠れなかった腹いせでもないし、

病み上がりの自分を先輩方(隣室在住の月臣・白鳥上級生)に売って、

当の本人は逃げた事を恨んでいる訳でもない。



因みに売られた後はたっぷりとゲキガンビデオを見せられた。

尚これはこの学校の寮に入った新入生徒には半ば恒例の伝統的行事と化しているらしいが、病み上がりの身の上としてはあの暑苦しい空間はある種の瘴気の溜まり場だった。



―――――さらば、宿敵よ!



涙に滲んだ目。

それは悲しみ。そう、たとえ口元に浮かぶのが微笑だとしても悲しみを隠す為、

無理に微笑んでいるのだろう。

決して、これからの未来を予測して笑ったわけではない。



「あ?」 「へ?」



謎の刺客(注:オレンジ頭)は唐突に避けられた為に勢いを殺しきれず、

そのまま対角線上に居た万葉を見事押し倒す。

白昼堂々と行われた行為に教室内は静まり返る。



購買へと足を向けていた生徒は扉に手を掛けたまま止まり、


談笑していた者達は口と眼を丸くして呆ける。




時を刻む秒針の音のみが教室内に響く。

痛いくらいの沈黙。

誰もが凝視する中、

刺客の少年は押し倒したままの体勢―――右手は床につき身体を支え、

左手は「禁断の領域」を握っていると言う危険な体勢―――のまま、

思い出した様に左手を動かした事で再び時は動き出した。



「あ、何か柔らか―――――」



「―――――ァ」



二対の膨らみの一つを確かめるように触った瞬間、万葉の声にならない悲鳴と共に繰り出された強烈な一撃に刺客の事、漢、乾 有彦は横跳びに吹っ飛ばされる。



因みに「グー」でした。



「テメェ、何しやがる」



「それはこっちの台詞だ変態!

白昼堂々痴漢行為をして、貴様それでも木連男子か!?」



「は!?

ちょっと待て、今のは何処から見ても事故だろうが!!

確かに今のは俺の方が悪いだろうが、だからって痴漢とまで言われる謂れはねぇぞ、コラ。

大体、○○したわけでも、ましてや○○○でも無いのに、触った―――――」



「―――――」





放送禁止用語を連発して万葉は怒りと羞恥に顔を真っ赤に染め、

周りで聞いていた女子生徒達も顔を赤らめる。



「死ね!!」



しなやかな曲線美を感じさせる万葉の魅力的な足が唸る。

風切り音さえ上げる驚異的な一撃は

そのまま男にとって鍛え上げようの無い場所に吸い込まれるように―――――



「―――――――!!!?」



悶絶して泡を吐きながら白目をむく有彦に七夜を含めたクラス中の男達が眼を逸らし、

同時に股間をさり気なく押さえる。



「――――この変態が!!」



怒り冷め切らぬ様子で怒声を発する万葉と死に体の有彦に七夜は冷や汗をかきながら手を合わせて冥福する。



(――――悪い。今度奢るから許してくれ)



想定以上の状況。

流石に悪いと思い、せめて医務室ぐらい連れて行くかと思い有彦の傍による。

が―――――



「―――いくぞ、七夜」



横から万葉に手を引っ張られ、それは叶わなかった。



「へ、ちょっと――――――」



「あんな変態は捨てておくぞ。

それにさっさと購買にいかないと食べるものが無くなる」



万葉って意外と力強いよな、と思いながら引き摺られるように教室から脱出する。











「大丈夫か!乾二等兵、傷は浅いぞ!!」

「衛生兵、衛生兵――――!!」

「やばい。心音が微弱だ。人工マッサージが必要かもしれん。特に女子の!」

「あ、いまピクと動きました軍曹殿」

「紫苑少尉殿!人命救助に協力「嫌です。絶対嫌です。死んでも嫌です」」

「うわ、即答!?しかもこれ以上とないほどの拒絶!!」

「あ、再び止りましたね」

「私が癒してあげるわ乾君!!」

「ってお前――――」

「――――彼、タイプなの」

「あ、乾二等兵の動悸が激しくなって来ました」

「仕方ない、「彼」に任せるとするか」

「校内初の公認カップルですね、・・・・・男同士の」

「軍では良くある事らしい。我々も彼の新しい人生を快く祝福してあげようじゃないか」

「「「サー、イェッサー」」」

「―――って、ち、ちょっと待て―――――、お前男か!!?」

「そんな野暮な事はい・い・か・ら。さ、逝きましょう」

「何処へ!?てぇーか字がちが――――」

「さあ、新しい旅立ちを」

「イヤ――!!
助けて、助けてくれぇぇぇ、七夜、万葉、姉貴ィ!!
悪かった。俺が悪かったから、だから――――ギャアアアアアアアアアアアア!!」









「七夜は購買は初めてだったな。

一応、少々遠いが此処には学食もあるが、どっちにする」



「――――え!?

あ、うん、万葉に任せるよ」



背後から聞こえてくる断末魔の悲鳴に眼を瞑る。



(俺は何も聞こえない。――――だから俺は何も知らない)



宿敵の最後に哀悼の意を捧げ、購買・学食方面へと足を運ぶ。

清々しい一日。

美人な同級生と昼食を共にする行為に心和む。



ああ――――、青春って素晴らしい。






































軽やかな足取りで、枝織は屋敷の廊下を進む。

今、枝織がいる場所は屋敷の中でも外側に面している区域で、

枝織から見て廊下の左側部分は外界があった。



深緑の森。


幾多の血を飲み込み、黒く湿った地面に生える木々はその所為か、

若干赤みが混ざっているようにも見える。



幼い頃から何度も見てきた景色。

人にとってはこの景色を美しいと呼ぶ者も居るだろうし、逆に嫌悪する者も居るだろう。

枝織は今まで自然の景色について何の感慨も浮かばなかった。

それはただそこにあるというだけでそれ以上でも、それ以下でもない。



自分の渇いた心を潤してくれもしなければ、この身を休まらせてくれるものですらない。







「でも・・・・・」



今なら微かに理解できる気がした。



「なー君と見てみたいなァ」



ただそれだけの想い。

単純で、其れ故に純粋な願望。



人は無であれば、綺麗なモノも綺麗だとわからない。

人は絶望に埋もれていれば、綺麗な存在をそうと認識出来ない。



同類を見つけた事で、友達が出来た事で、

枝織の中で何かが変わったのかも知れない。



「ただいまぁ、お父様――――――」



引き戸を開ける。

すると、何時もは父とその側近等しかいないやや大きめの部屋、

非常時には会議室となる大部屋に沢山の人が集まっていた。



「うっわあ〜、人が一杯」




驚きのあまり眼を見開いて呟いた。

生まれてこの方、研究所と一族以外の者には殆ど会う機会が無かった枝織にとって

そこに座す多くの人々は実に珍しい『生き物』だった。

例えるなら、初めて動物園に行った幼児の如く、

枝織は己が興奮している事にも自覚できないほど興奮していた。



「――――枝織」



珍しいものを眺めるように会議をしている大人たちの間を行ったり来たりする少女。

始めは何事かと眺めていた大人達も彼女に心当たりがあったのか、直ぐに眼を逸らし会議に没頭した。



邪険されている、その雰囲気は幼い枝織の精神でも容易に理解した。

すると興奮も冷め、周りを見る余裕が生まれ始める。

なんてことは無い。

どれだけ多くの人が集まろうが、そこに枝織の居場所はないのだ。



それに勘付いたからこそ、父の声ははっきりと耳に届いた。



「あ、お父様!」



枝織を受け入れる数少ない存在。

父、影護北辰の元に嬉しそうに駆け、その場を離れる枝織に、

大人たちは隠しもせず安堵の表情を浮かべる。



――――『あれ』が例の――――



――――北辰と山崎博士の秘密兵器か――――



――――あんな子供の姿をしていても―――――



ヒソヒソと呟かれる言葉。

周りで呟かれる言葉に一人の女性が眉を顰めた。



「――――舞歌」



たしなめる様な声。隣に座る彼女に聞こえる程度の小さな声が彼女の耳に届いた。



「兄さん、でもあの子―――――」



「郷に入らずんば郷に従え、という訳でもないですが、

此処には此処の『澱み』がある。

私たちは父の代わりに東の代表でこの場に居るのです。

己の立場を弁えなさい」



善心とは言え、一族にとってマイナスになるような真似をするな、

と釘を刺され、小さく唇を噛む美女。

東 舞歌。

東家を束ねる宗家の長女。

いずれ兄、東 八雲の補佐となって東の一族を支える義務を背負った者。



秀麗な顔立ちに浮かぶ微かな苛立ち。

苛立ちに微かに震える細身の身体には並みの男どころか、

相当の武道家でも歯が立たない技量が叩き込まれている。



東の歴史上最強の武道家にして、屈指の戦略家。

東家の誰もが「男に生まれたなら――――」と呟いた程の人物。



そう言われたからではないだろうが、

彼女の性格は外面ではわかり難いが、

かなり、男勝りである。



クスと隣に座る彼女の兄、八雲は微笑む。



八雲は己の妹のその真っ直ぐな気性を好んでいた。

純真、と表現すれば良いだろうか。

他人からの評価は腹黒いとか色々あるが、少なくとも兄の目からは彼女は酷く綺麗な存在に見えた。



―――――舞歌は尽くすタイプの女性ですかね



恐らく、自分の妹は彼氏が出来れば変わるだろうと推測する。



基本的に木連では婦女子は皆、尽くすタイプの女性であると信じられている。

風習というか、なんと言うか、浸透したゲキガンガー魂がそれを強制するのだ。

だが、生まれつきの気性は変えられるものではない。

無理に変えようとすれば、反動が生まれる。

その結果、現在木連の軍部では女性の兵士志願が増えている。

理由は『打倒、地球』だが、

経歴を調べれば七割以上が、親が勝手に決めた婚約破棄のためである。



当然の事だ、と八雲は思う。


無理に型に押し込もうとすれば、人は反発する。

つい百年前まで男女平等を詠われて生きれた時代があったのだから尚の事。



反発を押し込め、無理に教育したケースも多々ある。

だが、そうして社会に出た女性は、尽くすというより依存するといったタイプになり易い。

あれこれと親が頭から命じた結果らしいが―――――



「何を笑っているの、兄さん」



「いえ、舞歌は優しい子だと思いまして」



半眼でそう問う舞歌。



ここで正直に話せば、碌でもないことになるのは過去の事象から百も承知なので、簡潔にそう伝える。



ニコニコ顔でそういわれれば毒気も抜ける。

それが何時もの兄の手だと知り、舞歌は溜め息を吐く。




「兄さんはあの子の事を知っているの?」



「枝織君の事ですか?

知ってますよ。というより、私は舞歌が知らない方が疑問なのですけどね」



「どういう事?」



「彼女は北斗君の妹、いや、クローンと言ったほうが的確ですか?

まぁ、そういう存在です」



穏やかな言葉に反比例する様な内容に舞歌は眉を顰める。



「じゃあ、あの子が影護枝織、『鮮血の姫君』か」



「―――――面識はない、と」



「ええ、北斗は、――――彼女の話題を意図的に避けているみたいだから」



そういって父親の方に駆け寄る枝織を見て眉を顰める。

あの男が、現在の彼女の立場を作り出したのに、

それでもあの男しか頼る存在がいない彼女が酷く儚い存在に見えた。



「救いたい、と思っているなら、それは傲慢ですよ舞歌。

人が人に出きる事はほんの僅かな事でしかありません」



「わかってます」



沈痛な表情で同意する舞歌。



未だ北斗に巣食う闇すら癒せない己が彼女を救うことなど出来ない。

それが解かるからこそ、視線を床に落しもする。



「ですが、――――友達にはなれますよ」



「は?」



「友達として支え、成長を見守るのは出来ますよ、舞歌」



私達と彼女は同等なのだから、

救うのではなく、共に支えあい、歩むのは可能なのだと呟く。



「兄さん」


「何を意外そうな顔をしているのですか?

第一、北斗君が己の闇を克服する時、

必ず二人は対峙する時が来ますよ。

その時、彼女に北辰の呪縛があるかないかで、死闘となるかどうかが決まる」




このまま、二人が生き長らえれば、

必ず二人は自分自身の闇を克服する為に、

己の半身と対峙するだろう。



北斗も枝織も結局のところ同じ存在である。

自分以外の自分を認められるかどうか、

恐らく、それを彼女たちに決めさせるのは周囲の人間関係――――。



出された茶を美味しそうに啜りながら、

鋭い目付きで彼女たちの延いては木連の未来を思索する。



東 八雲。

彼、という存在を知らぬ者はこの場には居ない。

格闘技、銃技等肉体系の働きに見るべきところはないが、

それでも彼は妹以上に非凡な男である。

その脳細胞。

その天才的な戦略、戦術、権謀術を知らぬ者はいない。

妹、舞歌が東の歴史上屈指の戦略家ならば、彼は東家空前の天才的な智将である。
































「――――では最高会は」

「連中の振る舞いを見逃すと・・・・・!?」


「猟犬」がほぼ壊滅させられ、それと同時に姿を消したクリムゾン視察団。

会議は私設部隊とは言え、貴重な戦力を浪費させた東家に対する厭味から始まり、

クリムゾンへの苦情と最高会の対応の甘さに口々に文句を言い募る。



―――――やれやれ、これじゃあ酒場で

上司の苦情を呟くサラリーマンとなんら変わりませんね。



八雲はそう考えて苦笑する。



まぁ、所詮Eternalの実質的な指導者達の集まりとは言えど、

最高会直属の組織と同格か更に下。

軍部において強力な発言権を有しているとは言え、

最高会の決定に異議を唱えられるほどの力はない。



「草壁 春樹殿」



静かに、だが誰もが無視できぬ重みを持った言葉が八雲の口から紡がれる。

八雲自身、まだ三十路に届くかどうかの政界では本当に若造と呼ばれる年齢で、

この政治的な場に居られるのは「東家の代表」という肩書きがあるからだ。



其れ故に周りの面々は彼と彼の妹を軽視する傾向が強かった。



東の後継ぎとは言え、所詮は若造。



此処では稀代の智将も置物程度の存在価値しかない。

ましてや、その「東」の立場が先の失態でやや不安定にあるのならば尚の事。



だが、その甘い認識も、彼の一声で潰えた。



愚痴を言い合う声も、席を立ってざわめく声も、等しく静寂に還る。



年齢では推し量れない何かがそこにあった。



「この会合を開いた理由を、お聞きしたいのですが」



最高会の決定を翻す力は我々にはない。

にも拘らず、このEternal屈指の強固な砦、「影護本家」で会談をする理由は何か。



――――まさか、此処で愚痴を言い合うために集めたわけではないだろう。



言外にそう問う八雲に草壁春樹は小さく微笑む。

彼は八雲が既にその「理由」とやらに勘付いていることに気付いている。

其れなのに改まって問うのは確認と、そして周りの認識の変化を行う為。



この会合が愚痴の言い合いでは無いというのと、

―――――東 八雲が唯の若造ではない、という事を認識させるため。



事実、僅か一声で、彼は場の空気を掴んだ。




―――――東の後継。噂に違わず、中々の器だ。



「クリムゾン。連中が何を考えているかわからんし、

最高会の決定を覆すほどの力も此処には無い。

だが、奴等の邪悪。果たして見逃してよいものか。

最高会は保身の事ばかりに視点を向け、

如何に穏便に事を運ぼうかと思案しているが、

彼等クリムゾンが行ったのは明らかな敵対行為。

これは言わば、契約違反だ。ならば、代価を支払って貰わねば収まるまい」



「クリムゾンと戦う、というのですか?」



「いや・・・・知っての通り、

「対等の取引」と名目を打ってはいるが、立場上はあちらの方が強い。

現時点で戦うと言う選択肢を選ぶには時期尚早過ぎる。

今回の事も正式に抗議したとて、監視とテロを勘違いした、とでも言われれば、抗議と若干の賠償金以上は強くは言えんさ。―――――抗議したならば」



怪訝そうに顔を顰める参加者達。

何がいいたいのか今ひとつ理解できないらしい。



そんな彼等の様子に微笑を深め、草壁春樹は口を開こうとすると、八雲が言葉を奪った。



「―――――それで、此処、ですか」



「何の事かな」



「お惚けを、――――『真紅の羅刹』。お使いになるおつもりでしょう?」



瞬間、場が大きくざわめく。



「兄さん、それはどう云う―――――」



舞歌の慌てふためく声を圧し通り、猛禽類にも似た鋭い瞳が八雲を射抜く。



「―――――想像以上に切れるな。何故、羅刹だと思ったんだ?」



「『鮮血の姫君』は些か有名になり過ぎました。

捨て駒にするには不適当でしょう。

かといって他で秘密裏に、それも単独で『混血』を葬れるのは彼ぐらいのものでしょう」



ざわめいていた場が水を打ったように瞬時に静まる。

『混血』。その言葉が持つ恐ろしさを知らぬ者はいない。



―――――彼等の成人は、一人で人間数十人に匹敵するのだ。



特殊訓練を受けているともなれば、その力の幅が見えない。



これは大規模とまでは言わないでも、

かなりの数と練度の特殊部隊がこのEternalに潜入しているのと同意義ですらある。





「連中が『混血』だと?

最高会の考えでは高度な訓練と強化を施された特殊能力者という話だが?」



「短時間で「猟犬」の一個小隊を潰せるほどの存在を、

そう考える程、私は能天気では在りません。

「猟犬」は監視がメインの部隊。彼等が撤退も出来ない程の相手を能力者というカテゴリーに包むのは、些か強引過ぎますよ」



「身内びいきか?」



「いえ、客観的な意見です。

そう思ったからこそ、最高会の一員でもある貴方が動いたのでしょう?」



「一寸待ってってば兄さん。北斗にまた殺しをさせるなんて――――」



瞬間、――――身体が震えた。



一瞬にして外気の温度が冷えた感覚。

まるで氷の中に閉じ込められた錯覚さえ絶対的な“寒気”。

血液が凍る。寒さと熱さの判別が曖昧になり、脳髄感覚すら正常に働かない。








それは






まるで





飢えた猛獣と対峙するような――――――・・・・








「―――――」



誰も動けなかった。

有象無象は元より舞歌を始め、武芸に秀でた幹部達ですら身動きが取れない。

呼吸が荒い、鼓動が激しく動く。

相対するは「死」。身を包むは「絶望」。

一度気付けばもう駄目だ。

この何よりも明確な死の気配には無視する事など論外。

意識をずらす事すら出来ない。






これは―――――殺意だ。






悪意も無い、敵意も無い、負の感情を始めとした

その他諸々の余分な要素を完璧なまでに排除した純粋な殺意。

獣が獲物を狙う様な、絶対的な殺害思考。



逃げる事も、抵抗する事も、―――――気絶する事すらも出来ない。





何時の間にか、何時の間にか、部屋の中の人影が一つ増えていた。

白い外套を羽織った姿で、白い外套を赤く濡らした姿で、「それ」は其処に居た。



疎まれているにも拘らず、誰に憚る事無く其処に存在する。

存在の格があまりに違う。

同じ種である事すら疑わしいという疑問。

事実、間違った疑問ではない。彼の血の何割かは、人とは異なるのだから―――――。



「・・・・羅刹」



掠れた言葉は誰の呟きだったのか。

本来、独白程度の声量しかない言葉はこの静寂のひと時をおいて大きく響き渡った。



静かに、そして自然に彼は踏み出す。

身体の向きにいるのは一人の男。

赤き義眼の暗殺者。

赤き義眼の外法者。

赤き義眼の彼の父親。



片足を軽く上げ、そして軽くその足を振り下ろすという極普通の歩く動作。



知覚出来なかった聴覚と視覚。



足を振り下ろした瞬間、鳴る筈の音は鳴らなかった。

足を振り落とした瞬間、半歩分程進んだ筈の彼は居なかった。



呆ける暇もなかった。疑問に思う意味も無かった。

回答は一瞬後で理解できるのだから。



バァン!



室内に爆音が響いた。

踏み込みで床は罅割れ、半瞬と掛からず、彼は目的の人物の頭上に姿を現した。

能力者の“異能”を彷彿させるほどの速度。

人では決して達しえぬ絶対速度。



それこそはあやかしの領域。








「 死 ね 」








あまりに明確な意思伝達。

頭上から振るわれた拳から繰り出される一撃。

雪の様に白い肌、鍛えられてはいるが子供の領域を越えぬ太さの腕。

あまりに頼りない外面とは反して、ロケットランチャーに匹敵する威力を誇る

その悪夢の如き一撃は義眼の男、北辰が動くまでも無く潰えた。








それは一瞬の交差。

赤と白がすれ違い、同じ性質を持ちながら対極の両者は

空中で弾かれるように離れて距離を取った。





「そう云えば、貴様が居たな。相変わらず見れば見るほど悪趣味だ」



純白に僅か緋色を付着させていた外套が破け、その下の素顔が明らかになる。

それはこの絶対殺意の領域を生み出した者にしてはあまりに似つかわしくない幼き貌。

聖霊を連想させる様な此の世の者とは一線を欠く程の美貌。

炎を連想させる赤い髪は肩ほどの長さで切り揃えられ、

火の結晶のような眼球が眼前の「障害」を眺める。



「お父様を虐めないで、北ちゃん」



酷く奇妙な対比だった。

あまりに似ている二人。

双子と言う事すら憚るほどに相似。

証明する意味も無く合同な二人。



だが、致命的なまでに別人。



よう耀よう

鮮血あか真紅あか



虚像と実像。

鏡の境界が壊れた事で生まれた、左右対称な同一人物。



羅刹である彼は嘲笑う。

姫君である彼女は微笑む。



憎悪を固めて、壊れたように同種の微笑を作り出す。

真紅の羅刹と鮮血の姫君は、何の迷いも無く、

さもそれが脚本家が決めた確定事項のように同時に動いた。







互いを、―――――殺し尽くす為に。







悪鬼の如き絶対速度で迫る羅刹。

優雅に指の関節を僅かに動かす姫君。



圧倒的なまでの威力を持って穿うがたれる拳に悲鳴を上げる空間。

放たれた鋼糸こうしによって粉微塵に断絶される羅刹との射線上の物質。




幾重にも飛び掛る鋼糸の束。

一本一本が人の首を断絶する鋭さを秘めたそれを

羅刹は予め予測していたように半歩体を左右に揺らす事でかわす。



白い閃光としか知覚できない拳。

一撃で上半身が消し飛ぶような威力を秘めたそれを

姫君は予め予測していたように半歩右にずれる事でかわす。



左側面から迫り来る貫手。

胸部を貫通し、心臓を突き刺す事が可能な一撃を

羅刹は予め予想していたかのように膝を押し曲げしゃがむ事でかわし、

右足で姫君の左足に蹴りを放つ。



左側面から迫り来る足払い。

骨を砕き、肉を弾かせ、足を吹き飛ばす程の威力を持った一撃を

姫君は予め予想していたかのように飛び上がる事でかわし、

空中から鋼糸を羅刹の身体に叩き付けるように束で放つ。



羅刹は―――――

姫君は―――――



お互いが型をなぞる様に死合いを続ける。

一撃喰らえば致命傷。一つ読み間違えれば即、あの世逝き。

なのに何一つ怖れず、

なのに何一つ想わず、

淡々と予定事項をこなす様に、死の舞を踊る二人。

まるで矛盾を修正する様に、鏡の境界を修復する様に、

延々と致命的な一撃を放ち続ける両者。



羅刹に姫君は殺せない、姫君に羅刹は壊せない。

矛盾を訂正する事は出来ない。訂正者が同一であるが故に。



それは世界の修正力か、もしくは双子間にあるような擬似的なESPか。

予測、回避、攻撃を繰り返す両者。

鮮血あか真紅あかの数十にも渡る交差は

終わりすらも予定調和だったかのようにどちらとも無く離れた。



「くだらん」 



「つまんな〜い」



同時に上がる不満の声。

理解しているからこそ不条理を嘆く。




今すぐにでも無くしたい矛盾。

だが、己自身が矛盾であるが故に無くせない。



お互いはお互いを殺せない。

その結末は常に第三者に委ねられる。



だが、自分と等価とも云うべき実力者を一体誰が始末できるというのか。


決して救われない。癒されない。

友が居ても、恋をしても、決して先に進めない。

あくまで半分に過ぎないから、想いが内面に届くことは無い。



「気は済んだか」




厳かな声が二つの赤が支配する人の吐息だけしかなくなった空間に響く。

それを聞き、羅刹の身体がピクッと反応する。



「――――久しぶりだな、北辰。俺に何の用だ?」



それを微笑んでいる、と言って良いのだろうか?

真紅の瞳がより純粋な朱色に染まり、肉食獣が獲物を貪る時のような―――――



「俺を出すという事は、戦闘があるんだな?」



「――――ああ」



「殺しまくれ、という事か?」



北辰は何の反応も返さない。

それを見て、羅刹は更に笑みを深める。



「貴様等の考える事など、その程度の事だな。

――――それで、お前の命令に俺が従うとでも思ってるのか?」



「―――――敵は『混血』だ」



ほぅと意外そうに呟く。

無理も無い。木連での混血は実に少なく、

今まで羅刹が混血を相手にした事などないのだから。



「喰われたのか、内なる獣に」



「いや、部外者だ」



「――――部外者?」



なんだそれは、と怪訝な眼差しを向ける羅刹を無視し、北辰は続ける。



「地球の視察団だ。我等暗部は動けん事情がある。故に、貴様に白羽の矢がたった」



「ふん、政治か」



詰まらなそうに鼻を鳴らす。

酷く怠惰な雰囲気。まるで混血など興味ない、と言わんばかりに。



「条件次第だ。俺の条件を二つ飲めば、貴様の命令を聞いても良い」



「――――貴様!取引できる身分だとでも・・・・!!」



離れた位置にいる誰かが呟く。

羅刹からある程度離れていることの余裕だろうか。

だが、それは酷く無謀で浅はか。



―――――今やこの空間そのものが朱き獣の庭なのだから。



「――――――五月蝿いな」



首に付いている鎖の名残、胸元付近で千切れたソレを弄び、輪を一つ指の力で千切る。



轟、という音と共に常人には不可視の速度で其れは投げつけられ、

そして、――――――羅刹に意見した一人の男の頭蓋骨を貫通した。



脳髄と血と骨が弾け、周りに四散する。

そこ等彼処から悲鳴を押し殺す声が聞こえる。

誰も悲鳴を上げられない。

それは羅刹の関心を引くかもしれないから、そして死を意味するかもしれないから、



――――――誰もが蒼白な顔で嘔吐を堪えながら立ち尽くす。



一部の胆の強い者だけがやや青い顔をしながら何のリアクションも無く無言で佇んでいる。

顔色すら変えていないのは北辰とその側近、そして草壁春樹と東八雲のみ。

枝織は面白そうに死体を眺めている。





悠然と、王者の如く振舞う。

卑しい咎人という烙印を押されても、誰にも彼は止められない。

ソレこそが、彼が羅刹と呼ばれる由縁でもある。



「どんな条件だ」



再び北辰が口を開く。



その言葉に羅刹は笑う。珍しいな、と。



「ふん、俺の条件を飲むとは、余程重要らしいな。

まあいい。俺の条件は、―――――開放と協力だ。

俺の手伝いに貴様の部下を、情報収集能力を貸せ」



それは悪夢の様な言葉だった。

「羅刹の開放」。そんな危険な真似、誰が許すというのか。

そんな事をすれば、何時、何処で、誰が、

羅刹の気まぐれで殺されるか解かったものではない。

ましてや協力など、この凶悪な獣が情報力さえ手に入れたら、それこそ安全な場所など何処にも無い。老若男女、全ての者どもが等しく羅刹の気紛れに喰われる。

だからそんな事出来るわけが、――――――ない。





「心配するな。一ヶ月だけで良い。それ以上の期間は望んでない」



「何を企んでいる?」



「別に、ただ――――――」



小さく微笑む。

それは本当に綺麗で、まるで天使の様な微笑み。

血の禍々しさも、この世の穢れも知らぬ様な、――――そんな童女の様な微笑み。























「面白そうな奴が居た」

















作者の一言。


ああ、本当に久々です皆さん。
遅れに遅れましたが、漸く「6/朱い獣T」の完成です。
最近、別のSSを書く事が多かったので中々最新作を出せませんでした。
期待していた人がいたら、本当にスイマセン。

今回は日常世界である七夜達の学園生活と、その裏での暗躍を書きました。
枝織と北斗の複雑な関係とそれに悩む舞歌等を書いてみたのですが巧く表現できたか甚だ不安ではあります。
あ、日常で優華部隊を更に一名登場しました。
一応全員登場させるつもりなので後三名ですね。

次の話こそ、普通の戦闘シーンを書こうと息巻いております、はい。
蒼月幻夢の戦闘シーンにまともなのがあんまり無いですし・・・・・

それでは、毎度の事ながら良かったら感想を下さい。

では、「7/朱いの獣U」で会いましょう。

・・・・・そう云えば、これだけ書いたのに話しが全然進んでないなぁ




 

代理人の感想

スラップスティックコメディ、やっぱいいですねぇ。ベタですが王道。w

 

暗躍のほうはもうちょっと舞歌を掘り下げて欲しかった所ではあります。

あれだけだと北斗や枝織との関係を視るにはちと。