第二話:青い中の2人

 

 

 

 

 


 わたしが、ナデシコという戦艦に居候する事が決定してから、もう3日が経っていた。

 その間、わたしは何故か教育というのを、ハルカ・ミナトという女性からこの2日間と半日みっちりと受けさせられている。

 事の始まりは、わたしの語彙量がとても少ない。という事にミナトが気付いた時だ。

 

「ヒーナーちゃん」

 

 何故か、ミナトはわたしの事をヒナと呼ぶ。

 

「なに…?」

 

 今でこそ、ミナトの教育と、2日間寝ないで国語辞書、漢字辞典、その他色々な辞書時点の類をほぼ読み尽くして語彙は人並になって、それなりに単語と単語を並べ、意味のある言葉として構成する、いわゆる国語力を手に入れたのだけれど、3日前のわたしは言葉も満足に紡げないでいた。

 理由は簡単。11年間誰かと喋ったという記憶がなかったからだ。

 

「あのね、ちょっと気になったんだけど、ヒナちゃんって学校とか行ってたのかな? プロスさんとか艦長達が話してた事よく分からないって顔で見てたから」

 

 確かに、あの時のわたしは目の前で話しをしていた人達の言っていた事が理解できないでいた。

 

「5歳…まで違う研究所に居て、それから11年間ずっと研究所の中に居た……」

 

「その間基礎的な学問を学んだりは?」

 

「何も、してない。ずっと、何かされてた」

 

 何か。というのは後で知った事だけれどIFS強化と言うものの人体実験の事なんだと知った。

 

「……ひどい。それじゃあヒナタちゃんは普通の子なら誰でも受けてる教育さえも受けてないの!?」

 

 ミナトは教職免許というものを持っている人。誰かに何かを教える事が許されている自分の立場と、どーとくしんというものが強いのであんなにも怒ったんだと、後でプロスから聞いたので、今なら何となく怒るのも分かる気がする。

 

「教育…?」

 

 その意味を知らなかったわたしが、首を傾げる。

 

「そうよ。生きていく上で必要になることを教えてもらう事を言うのよ」

 

「必要な、事?」

 

「そうね。まずは自分を伝える術を教えるわ」

 

 そんな訳で、わたしはミナトから教育を受ける事になった。

 どうやら他の人達もそれを了承したようで、プロスに至ってはどこから出したのか、義務教育課程の年数分のデータの入ったディスクまで用意し、ミナトと交互になってわたしに教育を施す事となっているのが現状だ。

 その2人曰く、わたしの成長速度は人並外れてるのそうだ。

 けれど、わたしは何となくその理由を分かっていた。

 いや、この3日間を過ごしている中で、暗闇に埋もれていた闇が、この2人という光によって明るい場所へ出てきて、夢の中の記憶とわたしの記憶とが水と油の関係から、混在し合う関係になっているのだと、わたしは思う。

 だから、この知識の全ては、夢の中の記憶。

 沢山の感情の中を生きた、わたしの知らないあの人の記憶なんだ。

 

 

 俺がなし崩し的にコック見習い兼パイロット見習いになってから、3日が経った。

 その間に特に変わった事は起きておらず、ただヒナタちゃんが空から落ちてきて、それからナデシコの中で保護対象として扱われる事になり、そして人間扱いをされず、言葉や感情の意味も何も知らないで居たヒナタちゃんに、ミナトさんとプロスさんが教育というか、先生になってあげた事だけが、変わった事と言えば変わった事だろう。

 ……よく考えれば、物凄く変な事かもしれないが、こうして何の気なく受け容れている俺達が居るんだから、まぁ、これもまた取りたてて変な事とは言わないのかもしれない。

 何より、俺自身あの子と同じで、訳も分からないまま地球へ来た人間なのだし。

 と、そんな風にのんびりと、この戦艦の旅は続くものかと思っていた矢先に、事件は起きた。

 もっと詳しく言えば、乗っ取りだ。

 確か、コミュニケでブリッジに招集がかかって足を向けた時の事だ。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「テンカワ・アキト。入ります」

 

 思えば、ナデシコに乗る事になってしまったのも、運命だったのかもしれない。

 いつもわいわいと絶える事の無い喧騒に包まれていたブリッジの空気が、少しだけ重く感じた。

 俺がブリッジに入ったのを見てか、ユリカの表情が急に明るいものになっていたが、中心に立っているプロスさんの所為か、いつもみたいに飛び掛かってくるという事は、これもまた珍しくなかった。

 

「これで、全員揃ったみたいですね」

 

「あの、メインクルーが集まってるのは分かるんですけど、何で俺も…?」

 

「いえ、あながちテンカワさんに関係の無い事でもないので、折角ですからお呼びしたんですよ」

 

「はぁ」

 

「さて、本題に入りましょうか」

 

 少し、間を空けて。

 

「―――これより、ナデシコの目的地を発表します」

 

「目的地、ですか?」

 

 メグミちゃんが首を傾げながら聞く。

 

「何で今更なんです?」

 

「それはですね、ある種の妨害を予測しての事ですよ。酔狂で戦艦一つ拵えた訳ではないのですから」

 

 それにしても、よくよく考えれば目的も聞かずによくここに居る全員戦艦に乗り込む事を決意したもんだ。

 俺も人の事は言えないけど。

 

「ナデシコはこれより火星に向かいます」

 

「それは、火星の資源等を目当てに、ですか?」

 

 ルリちゃんが、手を挙げて、質問。と言ってからそう尋ねた。

 プロスは微苦笑を洩らす。

 

「ふむ。確かにそれもありますよ。こちらとしても企業ですし、使えるものが残っていればそうするでしょう。ですが、その過程以前に、救助を行なう事もまた事実ですよ」

 

 どちらかと言えば、後者がメインですが。

 付け加えるように言うと、ブリッジにいる人達の顔に理解の色が浮かび、特に質問や異論も、ルリちゃんに続いて出る事はなかった。

 俺も、火星に行けるのならそれに越した事はない。

 むしろ、行きたい。いや、行かなくちゃいけないとさえ思う。

 

「それでは、もう皆さんに異論はありませんね?」

 

 ユリカの奴が、真面目な表情をして、皆の顔を見ながらその意志を確認すると深く頷き、サセボから出発した時と同じように、片手を上げて指揮を伝える。

 

「それでは、火星へ向け」

 

 と、その瞬間。

 

「その必要はないわよ!」

 

 なんかどこかで聞いた事があるようなないような、とにかく、聞いているだけで胸の中に黒いものが広がっていくような、そんな不快指数の高い叫びの後に、厳つい男達がなだれ込んできた。

 

「叛乱……ですか?」

 

 眼鏡の位置を直しながら、プロスさんが呟く。

 

「徴発、と言って欲しいわねぇ。火星なんかに行く必要はないわ」

 

「血迷ったか、ムネタケ!?」

 

 提督も、珍しく声を荒げてあのキノコに向って叫ぶ。いや、恫喝と言った方が正しいだろう。

 ただ、あのキノコがそれを真摯に受け止めるかどうかは、甚だ疑問だが。

 

「こんな性能を持った戦艦をみすみす火星くんだりまで行かせるワケないじゃない。
 このワタシが有効に使わせてもらうわ」

 

「困りますなぁ、既に軍の方とは話はついてるのですが」

 

 銃を前にしても、プロスさんはあくまでも普段と同じ振る舞いだ。

 

「そんなものワタシの知った事じゃないわ」

 

 まるきり幼稚園児か小学生の理論を振りかざして、コミュニケの回線をオープンするキノコ。

 

「それに他のブロックはもう、出航前に潜入したワタシの部下がとっくに制圧している頃よ。さっさと投降しなさい!」

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 そして俺達は、もといユリカ、副艦長のアオイ・ジュン、そしてプロスさん、提督を除いたメインクルーの皆は食堂に監禁される事となった訳だ。

 ちなみに、何故4人だけが監禁されていないかと言うと、前もってキノコと連合軍に繋がりがあったのか、実にタイミング良く、連合軍極東方面軍提督ミスマル・コウイチロウ、早い話がユリカの親父さんが艦隊引き連れて表れて、ナデシコの徴収を宣言し、その交渉にと4人が、ユリカの親父さんの乗る艦、トビウメに行っているからだ。

 

「それにしても、これからどうなっちゃうのかねぇ」

 

 メグミちゃんが、不安げに呟く。

 

「ミスターの事だ。何とか話を付けてくるだろう」

 

 これはゴートさん。

 不安そうな表情をしている皆を気遣っているのか、外見とそぐわぬ気配りをしながらも、その視線は銃を携えたキノコの部下をしっかりと捕らえていた。

 隙あらば、というやつだろうけど、俺には真似できそうにもない。

 

「で、このXに問題文のこれを当てはめて計算するの。分かる?」

 

「はい。ミナトさん解けました」

 

「……ミナト、わたし算数きらい」

 

 どうも、置かれてる立場が分かっていない人が若干名居るようだ。

 ホワイトボードを掛けて、ヒナタちゃん、まぁその場のノリでだろうけど、ルリちゃん。そして先生役のミナトさんの3人が、数学のデータをコミュニケを通して教科書代わりにしながら授業をしている。

 古い形のプロジェクターと、ゲキガンガーのムービーデータの入った古い規格のディスクを抱えて佇んでいるガイは、この際方っておこう。

 ミナトさんがホワイトボードを掛けなければきっとゲキガンガーの上映会でもしようと思ってたんじゃないだろうか。

 ここにも、現状が分かっていない奴が1人。

 こんな中に居るからか、俺自身監禁されてるなんて感覚は、ほとんど持っていなかったりする。

 それに、ミナトさんの授業を聞いているのも、なんだか昔、まだ戦争が始まっていなかった頃を思い出すみたいで、なんだか遠巻きに見ているだけで楽しい気分になってしまう。

 それにしても、3日で随分ヒナタちゃんの学力も向上したみたいだ。

 もう既に中学生の数学まで進んでる。

 ……凄い事、なんだよなあ? 誰も騒がないけど。

 そんなこんなで、監禁状態の中で1時間が過ぎようとしていた。

 

 くぅぅぅ。

 

 ふと、俺のすぐ隣で、ミナトさんの授業を受けていたヒナタちゃんのお腹から可愛らしい音が響いた。

 

「……お腹減った」

 

 恥ずかしがりもせず、どこか不機嫌そうに眉根を下げるヒナタちゃん。

 どうも、この辺りが外見と違った反応をする。

 まるで、小さな子供みたいだ。

 

「うーん。でもこんな状態だし、誰も食べ物なんて持ってないわよねえ」

 

 困った表情でミナトさん。

 なおも自己主張を止めないヒナタちゃんを見ながら、俺は小さく笑って立つ。

 

「ミナトさんミナトさん。俺、何か作りますよ」

 

「あ、そうか。ここ食堂だったわよね」

 

 あはは。と小さく笑いながらミナトさんが言うと、座ったままのヒナタちゃんが、俺の顔を覗き込むようにして上目遣いに見る。

 

「チキンライス……うんと、3つ」

 

「3つ?」

 

「ミナトと、ルリの分も」

 

「うん。それじゃあチキンライス3つ。確かに承りました!」

 

 そう応えてあげると、俺は始めてヒナタちゃんの笑顔を見た。

 初めてブリッジで見た時から、ルリちゃんみたいに表情の動かない彼女の笑顔は、名前の通り、日向の暖かさを持つような、そんな笑みだ。

 自然と、俺にも笑みが浮かぶ。

 

「あ、ヒナちゃん初めて笑ったね」


 

「笑う…?」

 

「そうだよヒナちゃん。それはね、楽しかったり嬉しい時に浮かぶものなの」

 

「……うん。楽しくて、嬉しい」

 

 確認するように、また小さくヒナタちゃんが笑うと、何故か周囲の人達がおおっ。とざわめき声を上げた。

 特に、ウリバタケさん達を始めとした、整備班の人達の声が目立っていたような気がする。


 余談だけど、それからしばらくして整備班チームを始めとした男性達の間でトウマ・ヒナタちゃん保護同盟というのが出来たとか何とか。


 しかし、ここで今まで黙っていた兵隊の1人が、ついに痺れを切らしてか、入り口の監視を1人残して料理を作っている俺と、それを楽しそうに眺めているヒナタちゃん、ミナトさん、ルリちゃん。そして他のクルー達の方へと銃を構えながら、怒ったような表情を浮かべながら歩き寄ってくきた。

 俺も、この空気に流されていたのだろうけど、真っ当な軍人ならこの状況で怒るなって言うのが無理ってものだろう。

 

「お前等! いい加減に黙れ!!」

 

 その声と、ガシャッ。と銃のセーフティーを解除する音に反応してクルーの皆の声が静まる。

 斯く言う俺も、せわしくなく動かしていたフライパンの動きを止めてしまう。

 

「……まーだ?」

 

 そして、空気を読み切れてないヒナタちゃん。

 

「お前もだ! それ以上勝手な行動を取ると縛り上げるぞ!!」

 

 と、ヒナタちゃんの肩に手を置いた瞬間。

 

「いや……こっち、来ないで」

 

 小さくヒナタちゃんが呟いたかと思うと、その場に蹲り、自分を抱く様にして小さく振るえだしてしまった。

 

「な、何だあ?」

 

 怪訝に思った男が、もう一度ヒナタちゃんの肩に手を掛け、強引に振り向かせようとすると、

 

触らないで!!

 

 ふわっ。

 

 そんな音が聞えるかのように、男の体が、まるでコマ送りの映像のように宙を舞い、そして激しい音を立てて地面に叩き付けられた。

 

「なっ! 貴様!!」

 

 それを見ていたもう1人の監視の男が銃をヒナタちゃんに向ける。

 
 バスッ……カァンッ

 バスッ……カァンッ

 

 ほとんど、条件反射のように、すぐ側にあったフライパンを盾の様にしてヒナタちゃんの背中のすぐ後ろに出すと、それとほぼ同時に硬質的な音が食堂に響いた。

 

 銃弾をフライパンで防がれるとは思っても居なかったのか、目を丸くして動きを止めてしまった男に、それまでずっと男の動きを見続けていたゴートさんが、素早い動きで男の懐へ、その大きな身を屈めて潜り込み、肩を男の胸に押し当てると同時に、足を強く地面に押し当てるように踏み込むと、男は盛大な音を立てて壁まで吹き飛んでいった。

 

「ヒ、ヒナちゃん!」

 

 ミナトさんがヒナタちゃんに駆け寄り、震えているヒナタちゃんの体をそっと抱きしめた。

 俺は、フライパンを出した格好のままで止まっている。

 

「テンカワさん。ナイスブロックです」

 

 ぐっ。と親指を出す例のサインを作りながら、ルリちゃんが無表情のまま、けれどいつもよりどこか感情のこもった眼差しで俺を見ると、ミナトさんに習ってヒナタちゃんの元へ歩き寄った。

 なんだかんで、ルリちゃんもヒナタちゃんを気遣っているのかもしれない。

 

「ヒナちゃん、ナイス投げだぜ!」

 

 これでも慰めてるんだろう、ウリバタケさんが同じようにヒナタちゃんの肩をぽんっ。と軽く叩くと、ヒナタちゃんの震えがまた始まった。

 

「ヒナちゃん? 大丈夫だよ。もう誰もヒナちゃんを傷付ける人なんて居ないから」

 

 どうも、察するにヒナタちゃんは男性に触れられるのが嫌い、というか恐怖の対象にまでなっているのかもしれない。

 敵愾心を持っている人に触れられて少なからず恐怖を持つのは俺だってそうだけど、味方、近しい人に触れられて恐怖を持つなんて、普通に考えたらそうないだろう。

 それにしても、ミナトさんはこの分だと教師というよりヒナタちゃんの母親代わりだ。

 そして、ミナトさんは、ヒナタちゃんが泣き止むまで、ヒナタちゃんから手を放す事はなかった。

 

 

 

 

 

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