ヒナタちゃんと2人でぼんやりと空を眺めていると、コミュニケではなく艦内放送で戦闘配置の命令がユリカから下り、パイロットにもエステバリス内にて待機という命令が出た。

 最近の俺の動向から見て、コックとパイロットのどちらの方に時間を割いているかと言われると、正直思い切り嫌なんだけど、パイロットとしての時間の方が確実に多い。

 戦闘そのものは全然なかったけれど、ルリちゃんとウリバタケさんの2人に頼まれて何回もシミュレーターを使ったり、IFSの処理速度を正確に測ったりと色々やらされていたからだ。

 断っても良かった気がするけど、珍しく感情を直に表情に出しているルリちゃんの珍しさも手伝ってこうなってしまった。

 俺がなりたいのは、コックであってエステバリスライダーなんかじゃない。

 なのに、ナデシコに乗ってからは、俺の夢を邪魔する出来事ばかり起こっているような気がする。

 ……気がするじゃなくて、確実にそればっかりだ。

 けれど俺が乗らないと、皆を守るものが居ない。

 守るものが居ないナデシコは、皆はきっと傷ついてしまう。

 それも、嫌だ。

 望むもの、拒否したいもの。背反する事2つを、俺は求めざるを得ない状況の中に居る。

 もう、何が何だか分からない。

 

「それじゃ、ヒナタちゃん」

 

 ひとしきりの逡巡の後、覚悟も決まらないままに展望室を出ようとすると、ベンチから立ち上がろうとする俺の手を、ヒナタちゃんの手が止めた。

 

「……前だけ見れば良いと思う」

 

 俺の手を握ったまま、相変わらず空を見上げながら呟く。

 

「右も左も後ろも見ないで、前だけ見てたら、きっと、迷わない」

 

 たどたどしい口調は変わらないけど、紡ぐ言葉の1つ1つが今の俺の心に深く刻み込むように聞えてしまう。

 

「それでも迷ったら、みんな、いる。すぐ側にみんないる」

 

 最後に俺の目をしっかり捕らえて、暖かなあの笑みを浮かべると、ヒナタちゃんは俺の手を放し、俺の顔からも目を逸らして、飛来するミサイルの群れの先、青い空をじっと見詰めた。

 ぼんやりと、どこか眠たげな目をしたヒナタちゃんの頭を軽く撫でると、展望室の入り口へと向って駆け出す。

 

「いってくるよ。帰って来たらまた何かご馳走するから」

 

 ドアの前に立ち、かしゅん。とエアーの音と共にドアが開き、格納庫まで続く道へダッシュを始めようとすると、

 

「いってらっしゃい」

 

 ヒナタちゃんの声が、俺の背中にかかった。

 

 

 格納庫に立つ、俺のエステバリスのアサルトピットに乗り込み、出撃に備えてコンソールに手を置き、シーケンスを起動させる。

 俺は覚えていないけど、へんなのの叛乱の際に俺のエステバリスはほとんど全壊に近い状態までなってしまったらしく、現在はカスタマイズを兼ねた修理中で、今乗っているのは予備の機体の1つらしい。

 俺自身は、あの時の戦闘の事はさっぱり覚えてないんだけど。

 通信回線の電源も入れて、後は出撃を待つばかりになると、ふと隣に立つガイのエステの姿が目に入った。

 へんなのの叛乱の際に完全にバラバラになったはずだけど、どうやらもう完全に組み立てが終わっているらしく、エステが起動しているのを表すカメラアイの赤い光が灯っている。

 ……何か、違和感を覚える。

 そう思っていると、モニター正面にブリッジからの通信ウィンドウが開き、ユリカの顔がアップで映し出された。

 

『……へ!?』

 

 唐突に、間の抜けた声。

 間もなくして、新たな通信、これは音声オンリーだったが、の表示が浮かび上がる。

 

『はーーーーーーーーはっはっは! ついにこの俺サマの華麗なるデビューを飾る時が来たぜ!! 行くぜっ!!』

 

 鼓膜が破れそうな大音量の叫びの後に、隣に立っていたガイのエステの身がぐっと屈み、次の瞬間艦外へ向って飛び出していった。

 

『ちょっ、ヤマダさんなんでエステに乗ってるんですか!』

 

 その疑問ごもっとも。

 確かガイの奴はまだ後2週間は療養生活が確定してる筈だ。

 

『俺の名はダイゴウジ・ガイだっ!! 安心しな、俺が出たからにはもう大丈夫だからよっ!!』

 

 相変わらず人の話を聞かない奴だな。なんて考えていると、また新たなウィンドウが浮かび上がり、ウィンドウの中の奴が口を開く。

 

『ユリカ!!』

 

 なんだ、ユリカの知り合いか。と思いながら、見覚えのないこの男の事を見ていると、隣に浮かんでいたウィンドウの中のユリカが、ひとしきりの逡巡の後に、ぱっとにこやかな笑みを浮かべた。

 その瞬間、コミュニケを操作して音のボリュームを3レベルくらい落とす。

 

『あれ〜〜〜! ジュンくんなんでそんなとこに居るの!?』

 

『ジュン? 艦長の知り合いでしょうか?』

 

 ウィンドウの中からメグミちゃんの声。

 

『違いますメグミさん。アオイ・ジュンの名前で副艦長として登録されているナデシコクルーの方です』

 

 ルリちゃんの台詞で、俺もようやくウィンドウの中の男の事を思い出し、それと同時にユリカと同じ疑問が頭に浮かんだ。

 何で、そんなとこ居るんだ?

 

『ユリカ! 今すぐナデシコを地球へ戻すんだ!!』

 

『駄目なのジュンくん。私達は火星の人を助けにいかなくちゃいけないんだから!』

 

『今すぐ向う必要性なんてどこにもない! 今は戦力を確保して戦線を押し戻す事をした方が建設的なんだ! 君だって本当は分かってるんだろう!?』

 

 ジュンの叫びに反応して、ユリカが俯くように顔を背ける。

 仮にも戦艦の艦長、しかもプロスさんの台詞を信じるなら大学も主席で卒業した奴だ。きっとジュンの台詞が真実である事も、きっと分かっているんだろう。

 それでも、俺は火星に行く事を止めたくない。

 

「テンカワ・アキト出ます!」

 

 未だ話を続ける2人を無視するように、エステを操作して艦外へ飛び出す。

 

『ア・アキト!?』

 

 驚いたように、ユリカ。

 

「俺は火星に行きたいんだ! 皆を助ける。そう決めたんだ!」

 

 もう交戦状態に入っているガイの機体へ向けて、スラスターの出力を高める。

 

『ジュンくん、私火星に行く。 だって、それが私が私らしく居る事のできる決断なんだから!』

 

『分かったよユリカ……そんなに君の決意が固いなら』

 

 ウィンドウの中のジュンが、コミュニケとは違う携帯端末を片手で操作すると、それまでジュンの後ろに控えていたデルフィニウム部隊が陣形を取り、展開を始めた。

 9機と言う数は決して多い数ではないが、それでもたった1機のガイの機体をタコ殴りにするくらいなら訳ないだろう。

 

『ぼくはぼくの決意に従うだけだ! デルフィニウム部隊1から4番。接近戦にて前方のエステバリスを迎撃、残り5から8番は後方から接近する機体に向け一斉射撃!』

 

 強い意志を以って命令を発すると、モニターに浮かんでいたジュンのウィンドウが消え去り、それとほぼ同時にして遠距離からデルフィニウムの射撃が俺に向って放たれる。前方のガイはもう既に交戦状態に入っており、数に勝るデルフィニウム部隊が一撃離脱のヒットアンドアウェイ式に全方位から攻撃を仕掛けている。ガイの操縦は確かに俺より数段上だろうけど、今は怪我を抱えている状態。しかも多勢に無勢で動きもまた精彩を欠いたものになっている。

 ガイの性格を考えれば一撃必殺の単騎戦、多勢に対しては動きを止めずに近接の乱打戦を得意としてるのは分かるが、そのどちらにも現在の状況は遠いものとなっている。

 

『くのっ! ちょこまかしねぇで俺と闘り合わねぇか! 卑怯だぞてめぇら!!』

 

 叫びながらも冷静に対処するガイに舌を巻いていると、今度はまた俺に向けて銃弾の雨が降る。ある程度ならエステでも防げるが、そう何度もくらっていたらエステでもそうは保たないだろう。

 焦る心を何とかして静めながら、ラピッドライフルを構えてガイの援護をする。

 

「ガイ! 何とかして後退してくれ! これじゃ援護できない!」

 

『敵を前にして背を向ける事なんてできるかぁっ!!』

 

「じゃあせめて後方の部隊と俺の直線状に動いてくれ! そしたら俺も接近できる!」

 

『了解だ!』

 

 ガイの機体が行動を起こすのを見て、俺もまたガイと交戦中のデルフィニウム部隊を盾に出来る直線状のコースに向けて移動を始める。

 

『しまった! 打ち方止め!』

 

 徐々にミサイルが味方の機体を掠めるように飛ぶのを見てか、ジュンが声を荒げるが、もう既に俺は直線状のコースをガイの方へ向けて全速で移動し始める。ライフルの精度が悪い俺だとガイを打ちかねないので、全速移動をしながら思い切りナックルをガイに攻撃を仕掛けようとしていたデルフィニウムの1機の背中に叩き込む。

 

「ガイ!」

 

『ああ分かってる! ゲキガンナックゥ!!』

 

 俺が殴ったすぐ隣の機体のスラスター部にパンチを入れると、ガイの包囲網の一部に穴ができ、その空いた穴を抜けてガイが脱出する。

 と、

 

『テンカワさん、ヤマダさん。第2防衛ラインあと3分で越えます! ナデシコに戻って下さい!』

 

 メグミちゃんの通信が入り、即座にヤマダの単語にガイが反応して声を荒げたが、デルフィニウム部隊の陣形が崩れている内にと、素手状態のガイを先行させて、俺はライフルを撃ちながら後退を始めた。

 デルフィニウム部隊も、これ以上の戦闘は無理と考えたのか、追ってくる気配がない。

 

『デルフィニウム部隊撤退だ。これ以上の戦闘は危険だ』

 

『し、しかし隊長』

 

 ジュンと、デルフィニウム部隊の誰かの通信が入る。

 

『良いから撤退だ! あと数分もすれば第1防衛ラインからミサイルの雨が降るぞ!!』

 

『は、ハッ! 隊長も御気を付けて!!』

 

 言うが早く、ジュンとおぼしき無傷の機体を残し、他のデルフィニウム部隊が、第3防衛ラインの基地に向けて帰投を開始すると、この空域に残ったのは俺とジュンの奴だけになった。

 少し、ジュンの奴が哀れに見えた。

 たった1人残されて、何をすると言うんだ。

 

『……済まないけど、付き合ってもらうよ』

 

 スラスターが灯り、ジュンのデルフィニウムが高速で俺に接近を開始する。

 

「何でお前と戦わないといけないんだ!」

 

『ユリカを止める為だ! ここでお前を捕らえればユリカはきっと止まる!』

 

「買い被りだ! 俺とユリカはそんな仲じゃないっ!!」

 

 コックピットを外してライフルを撃ち続けるが、どれも決定打にならずに、接近戦領域まで近づけられ、ライフルを収めた。

 

『覚悟!!』

 

「できるかぁっ!!」

 

 スラスター出力を最大にしたデルフィニウムの体当たりを辛うじて交わし、交差の際に裏拳を入れようとするが、突進の速さに裏拳の速さが負け、拳が空しく空を切る。

 

『このまま火星に行けばきっとナデシコは地球に戻れなくなる。それでも良いのか!?』

 

 反転しながら叫ぶジュン。

 確かに、ここまで地球で派手に暴れておいて無事に帰ってこれるとは俺だって考えていない。おそらくユリカや、他の皆もなんとなく理解してるんだと思う。

 何故、火星に行くか。

 

『火星の人を助けるのも良い。けど、それ以上にぼくはユリカを傷つけたくない』

 

 これほどまで、誰かを想えるのはある意味とても羨ましい事だと、ふと思った。だからこそ、連合軍の正義と、ジュンのユリカへの想いがせめぎあい、揺れ動いてるんだろう。

 板挟みになって、まるで迷子の小犬のよう。

 まるで、俺と同じようで。

 

――前だけ見てたら、きっと、迷わない。

 

 不意に、ヒナタちゃんの言葉を思い出した。

 周囲に流されても、戸惑いと逡巡の果て無い暗闇の中でも良い。ただ目の前を見る事を忘れずに居れば。

 

「恐くないんだ!」

 

 何度目かのデルフィニウムの突進を捌き、今度こそ一撃を確実に決めと、途端にデルフィニウムの動きが鈍り、後ろから羽交い締めをするように押さえつける。

 

「お前は結局何がしたいんだよ?」

 

『ぼ、ぼくはユリカを守りたいだけだ!』

 

「だったら、連合なんか無視しろよ! 目的を違えるんじゃない!!」

 

『ぼくは……』

 

「戻って来いよ。ユリカだってきっと受け容れてくれるさ」

 

『そうだよジュンくん! 戻ってきてよ!』

 

 唐突に割り込んで来たユリカのウィンドウを見て、ジュンの表情は一気に緩まり、抵抗していたデルフィニウムの動きも完全に止まった。

 ……現金な奴。

 

『第1防衛ラインより大型ミサイル飛来中。テンカワさんもアオイさんもとっとと帰艦して下さい』

 

 そして冷静なルリちゃんの台詞によって、このとんだ騒ぎも、一応の決着を見る事となった。

 

『ディストーションフィールドの出力は?』

 

『まだ全開ではないですけど、問題ありません』

 

『それじゃあ、アキト達を回収したら最大船速で突っ切っちゃいましょう』

 

 ブリッジからのそんな通信を聞きながら、俺はナデシコへと帰艦した。

 

 

 格納庫へ戻り、アサルトピットから出ると、同じくして丁度デルフィニウムのコックピットから出て来たジュンと、不意に目が合った。

 戦闘中の鋭い眼差しとは違って、今はどこか不安げだが、明るい光の灯った目をしていて、このジュンとなら友達になれるかもしれない。なんて事を思った。

 

「まったく。士官候補生が機動兵器に乗るなよな」

 

 苦笑いを浮かべながら、ジュン。

 

「そうだね……もう二度と乗りたくないよ」

 

「そうそ。ユリカのサポートしっかりな」

 

「ああ。でも、君には負けないからな。テンカワくん」

 

 ……誤解は誤解のままですか。

 これからどうやってジュンの持っている誤解を解こうかと考えながら、ブリッジへ続くドアへ向って歩いていると、ガイのエステの方から、微妙にテンポのずれたゲキガンガーのテーマソングが聞えてきた。

 間違える訳がない。歌っているのは、ガイだろう。

 

「何やってるんだよ。ガイ」

 

「おおアキトか! それにそっちの男も」

 

「や、やあ」

 

 引きつった笑みを浮かべながら、ジュン。

 まぁ、普通は引くよな。いい年してアニソン大熱唱する男を見れば。

 

「で、何やってんだ?」

 

「おお。さっき記念すべき撃墜第一号が出たからな。記念にステッカー貼ってたんだ」

 

 胸を張りながら指を差した方を見てみると、確かに、アサルトピットの部分に大きな、とはいえエステの全容から見れば小さいが、ゲキガンガーのステッカーがキラキラと光を反射して輝いていた。

 何とも、ずいぶんと懐かしい。

 

「ウリバタケさんに怒られないようにな」

 

「もう慣れたぜ。スパナの一撃も」

 

 慣れられるものなのか?

 人並外れているガイを、一般人の枠に当てはめるのは駄目か。もうどちらかと言うと、逸般人って感じだよな、ガイ。

 

「じゃあテンカワくん。ぼくは行くよ」

 

「ああ。しっかりな」

 

 手を振って去っていくジュンを見て、ふと自分が楽しい気持ちになっているの気付いた。よく考えてみれば、同年代の友達ができたのは初めてだったような気がする。

 誤解が解ければ、もっと仲良くできるだろう。苦労する者同士。

 嬉々としてゲキガンガーのテーマソングを口ずさみ続けているガイを横目に、俺も食堂へ戻ろうとドアへ足を向けると、丁度ドアが開くエアーの音が格納庫に小さく響いた。

 エステの影になって見えないが、誰だろう。

 どうせ食堂へ行くんだからと、そのままドアへと向うと、既にドアの前に誰の影も認める事はできなかった。まあ、整備の人がやって来ただけかもしれないし、放っておいても良いだろうと、ドアへ向おうとすると、

 

「ん? 何やってんだ。おまえ等?」

 

 ガイの呑気な声と、

 

 ぱあぁぁんっ。

 

 甲高い火薬の音が、静かな格納庫の中に、響いた。

 

 

 

 

 

 

閑話