自分が冷静であると思っていたのは、どうやら頭の中だけだったようだ。


「どうでした?」


 言葉に出来ない視線を向けるアキトと、不安そうに見上げるルリに、フィリスは驚いた顔で二人を見つめた。

 自分が何処に向かっているのかさえ、分かっていないような―――そんな曖昧な表情を浮かべながら、フィリスは辺りを静かに見回した。心配そうに自分を見つめている仲間達。その顔の一つ一つが、自分を誰だと認識しているのかと問えば―――それは、間違いなくフィリス・クロフォードという女性で間違いないだろう。

 だが、それは表面上―――姿がフィリスだから、に過ぎない。

 彼女の精神には、未来から逆行し、過去を変えようとするテンカワアキトが内包されている。だから、意識はアキト―――すなわち自分がそれであると認識していた。


 その、大前提が覆されてしまったのだ。

 自分の持つ知識、経験は自分の物ではなかった。

 テンカワアキトという逆行者のナノマシン―――それを移植された少女、フィリス・クロフォード。それが自分だった。記憶も感情も、全ては複写された偽者に過ぎない。

 …………。

 それは、理解した。

 理解した上で、だが現在の状況が変化することはなかった。

 それより、今から何をしなければならないのかを検討する必要があった。それも、早急に。



「……何が?」


「何がって……大丈夫っスか?

 顔色が悪いみたいですけど」



 アキトが気遣うが、その表情は強張っている。さっきの男性のことを聞きたいのだろう。

 ―――知り合い……? そういえば、フィリスさん自身は記憶喪失だけど、知ってる人だったのかな、ひょっとして。



 ルリはフィリスの顔色が蒼白であると気づいたが、それを指摘する勇気は無かった。

 もし、自分の予想通りであれば―――彼女の受けたショックは、想像を絶する。それに、アキトの傍で話せるものでも無い。




「ああ、大丈夫だ」


 フィリスはそう言って頷いた。

 取り乱さなかったのは、先ほどの明人の『お前は間違ってない』という言葉が、まだ耳に残っているからだろうか。

 少なくともその言葉のお陰で、フィリスは己の受けたショックが幾分、和らいでいるのを自覚していた。

 握り締めて、くしゃくしゃになった紙を広げる。

 ボールペンで書きなぐったメッセージに、フィリスは黙って目を通した。


「…………」


 そして、その紙をルリに手渡す。


「?」


 ルリは差し出された紙を見て―――絶句。


「あ、あの。

 北辰……というのはひょっとして」


 一度だけ、この少女は北辰と直接対峙したことがある。

 テンカワ・アキト、ミスマル・ユリカ、イネス・フレサンジュの『墓前』で。

 そのときの男の顔を思い出して、ルリは身を強張らせた。


「今夜だ。

 せっかくの休暇が台無しになりそうだな……代償は、北辰に払ってもらうか」


「…………」


 ―――できますか? とは、ルリは言わなかった。

 やらなければならないのだ。

 北辰と戦い、負けるということは、自身の死を意味している。





機動戦艦ナデシコ
ROSE BLOOD

第20話

著 火真還






 自分の身体に、独特の紋様を描きながら光の線が走る。

 見慣れた、ボソンジャンプの始まりを表す現象だ。しかし、自分の意志と関係の無いところで起動してしまったそれは、まだ座標設定もイメージも完了していない。何処に飛ばされるか分からない跳躍に―――彼女を巻き込んでしまうのは、あまりに不本意で、許しがたい愚行だった。


「すまん、ルリ」


「諦めないで下さい、アキトさん……!」


 エステバリス・カスタムが不慣れな手つきでブラックサレナの内部―――を開こうとする。しかし、既製品でないブラックサレナの開閉スイッチは、ルリには見つけられなかった。アキトは自力では脱出できない。もう、これ以上動くことも出来ないほど衰弱していたからだ。実のところ、跳躍に耐えられる自信も、今のアキトには無かった。

 光が全てを飲み込もうと膨張した。少なくとも、中心にあるブラックサレナとルリの乗るエステバリス・カスタムは、その光から逃れることは出来ない。爆発と見間違えるほどの光点は、その歴史の中から二人の存在を―――消し去ってしまった。


 跳躍。


 その中で、まだアキトには意識があった。どろどろの形容しがたいトンネルのような場所を、ブラックサレナは流されている。レーダーが効かない為、ルリの乗るエステバリス・カスタムの位置は掴めない。こうなると、アキトに出来ることは無い。終点に辿り着くまで、不甲斐ない自分を責めるのが精一杯だ。


 やがて、意識を闇が蔽(おお)い始めた。

 ボソンアウトが近づいている。……しかしソレよりも早く。

 足掻く事さえ出来ない闇の中で、アキトの頭に声が飛び込んできた。


『…………!』


 ―――誰だ?


 その声に聞き覚えがあるような気がした。

 いや、頭に直接語りかけているような声は、つい最近まで彼と―――その少女を繋いでいたではないか。ナノマシンのデータリンクによって。


 ―――ラピス!?


『……助けて、誰か……』


 ―――バカな、リンクは既に解除している。ラピスの声が聞こえるはずが無い。

 ならば、この声は自分の作り出した幻聴に過ぎないのか。死に行く自分が最後に聞いた、心残りの声なのか。もしそうだとしても、そうで無いとしても、彼に助けを求めるのはお門違いだった。もう、彼にはそれを成す時間が無い。命は擦り減り、身体の細胞は死んでいく。


 ―――助けを求められても困るんだがな。


 今にも朽ちそうな身体で、しかしアキトは右手を声のする方角に伸ばした。

 そこに辿り着こうとするかのように。

 ……救いの手を差し伸べて、何をすればいいのかも分からなかったが。


『……痛いよ……苦しいよ』


 諦めるな―――声にならない言葉を吐き出しながら、精一杯に腕を伸ばす。

 もっとも、自分にそんな力が残っているとは信じがたい。多分、そう意識しているだけで、身体はピクリとも動いていないのだろう。

 それでも、そうしなければ……いけないような気がした。


 ―――!

  
 差し出された誰か手を掴んだ。そう感じた瞬間、彼の意識は闇の中に吸い込まれてしまった。

 ……何も、成すことが出来ぬままに。




「……で、彼が?」


「はい。突如現れまして……もう二日前になりますか。

 とりあえず瀕死でしたので、保護溶液に漬け込んで、栄養剤の投与を」


 声が聞こえる。暗闇の中で、声だけがかろうじて耳に届く。


「ボース粒子……ですか。フム、面白いですねぇ、これは。

 ―――うわさに聞く、遺跡の力ということなのでしょうが……。

 まあ、とりあえず調べてみますか。

 ……ああ、本社のほうにはまだ報告しないよう、お願いしますよ。

 結果が出てからでも遅くは無いでしょう?」


「はい。

 ―――それでは、お願いします。ヤマサキ先生」


 …………。




 ***




「何を呆けている、天河明人よ。

 あのダンスをしていた女にでも惚れたか?」


 城の中二階にあるテラスは、趣向を凝らした手摺が延々と続き、城を飾っている。

 静かな、人気のない場所で風に当たっていた明人は、暗闇から聞こえた北辰の声を聞き、我に返った。

 ―――どうやら自分は、物思いに耽っていたらしい。

 フィリス・クロフォードと出会って、古い記憶が呼び起こされたのだろう。

 ……己の道が閉ざされた記憶を、幾ら振り返っても仕方がないと分かっていても、そうしたい時もある。


「別に。俺が誰と踊ろうが関係ないだろう。

 ……そっちこそ、何をやっている。

 幾らテラスには人気が少ないと言っても……限度があるぞ」


 何時の間にか傍らに建っていた大理石の柱から目を背けながら、明人は呆れたような口調で返した。

 柱をよく見れば、ちょうど明人の身長と同じ高さのところに、巧妙に隠された覗き窓が見えたはずだ。どうやら北辰は、その中から明人の様子を伺っていたらしい。


「今の我は只の柱よ。

 ……何故か素顔でいると女子供が泣き叫ぶのでな」


「妥当な評価だ」


「フン……。

 そういえばあの女、何処かで見たような気もするが……気のせいか。

 まあ、よい。

 どの道、夜半過ぎまではまともに動けん。我はルートを確認しておる。

 情報収集のほうは任せたぞ、天河明人よ……」


「分かった」


 じりじりと微妙な速度で柱は動いていく。人の視線の途切れた瞬間、ダッシュで姿を消した柱を見送り、明人は何故か軽い脱力感に囚われた。おまけに頭痛までする。

 なんとなく明人はバイザーを外し、眉間を揉み解した。


「あれ〜、アキト〜、ココに居たんだ〜」


「……!」


 ミスマルユリカの接近に気づかなかった。もしくは、気が付いたが自分でそれを誤魔化してしまったのか。動揺を押し隠し、明人はバイザーを付け直す。素知らぬ顔で……さりげなくその場を後にしようと足を前に出した。


 がしっ


 しかし、回り込まれてしまった。

 袖を掴んだまま離さないユリカを、明人は振り払えなかったからだ。


「……人違いだ」


「嘘。だって、ホラ」


 あっさりとバイザーが奪われる。

 真正面からユリカの顔を覗き込む形になった明人は、恐ろしい事実に気づいた。

 ユリカの頬が赤い。それが指し示す意味を思い出して、明人は青ざめた。


 ―――誰だっ! コイツに酒を飲ませたのは……!


 もちろん彼は、テンカワアキトに相手にされないユリカが自棄酒を飲んだことなど知る由も無い。

 そして、風に当たる為に出てきたユリカには、下に居るはずのアキトがココに居る理由などどうでもよかったのだ。


「あれアキト、背伸びた?」


 ぺしぺしと頭に手を乗せるユリカ。

 その反対の手に握られているバイザーをもぎ取って、明人はそれをもう一度付け直す。

 正直なところ、自分の理性には自信が持てなかった。酔っているとは言え、真摯な瞳でこちらを見つめるミスマルユリカ―――己の妻の姿に、動揺するなと言う方が無理だ。思わず抱きしめてしまいたくなる己の欲望に驚き、呆れながらも、明人は必死で冷静さを取り戻す。


「……人違いだと言って―――」


「あ〜、艦長!

 こんなところにいた……!」


 メグミの声が耳に届いて、明人は強引にユリカの身体を押しのけた。


「あれ?

 ……あ! お昼の! え〜と、ホラ」


 明人が昼に出会った男だと認識したメグミだが、名前がわからない。続いて現れたミナトが、


「ごめんなさいね〜、うちの艦長が絡んじゃったみたいで。

 え〜と」


「酒の席だから、こちらもとやかく言うつもりは無い。

 ……酔っ払いの相手をするので無ければ」


「あははは」


 ミナトがそれとなく促したのは彼の名前を聞く為だったが、明人は分かっていてそれを避けた。

 まあ、言えない事情でもあるのだろうと、ミナトは追求しない。それより、酔っ払って彼にじゃれ付いている艦長をどうにかしなければならないだろう。


「艦長、ほら。

 席に戻りましょ」


「アキトといっしょじゃないといやー!」


「その人はアキトさんじゃないですよ、艦長」


「もう、メグミちゃんでそんなコト言う。

 ―――ほら」


 躊躇無くバイザーに伸ばされた手をかろうじてブロックした明人は、ユリカを二人のほうに押しやりながら、


「……すまないが、見てないで手伝ってくれ。

 ―――人違いだと何度言っても聞いてくれなくてな」


「あ、すいません」


「ごめんね」




 ***




 主賓である国王、王妃が退いて、ゆるやかにパーティは終演を迎えようとしている。


 実のところ、北辰を迎え撃つのに、たいした準備は出来なかった。

 明人のメッセージにも書いてあるが、今夜が駄目なら明日がある。警備を増やし、迎え撃つ準備を整えれば、そのときは北辰は現れないだろう。そして、そのままずるずると何時襲ってくるか分からない事態に陥ってしまう。

 『警戒がなければ』確実に襲ってくる今夜、これを撃退しなければ意味がないのだ。その為には、北辰に気づかれない最低限の人数で事を運ぶ必要がある。例えば―――自分と、今目の前に座っている、テンカワアキトがいれば、なんとかなるだろうか。


「…………」


 じー。


 フィリスの無言の視線に晒されて、アキトはドギマギした。


 ―――アキトの熟練度は、自分と比べてそう劣らない程度には成長した……と、思う。

 特に木連式格闘、剣術は骨の髄まで叩き込んだ。

 そのおかげで、致命傷を受ける打撃も避けるくらいは出来るだろう。


 対して自分はどうか。


 手元には、調理場からくすねたナイフが3本。

 セラミックだから硬度は申し分ないが、切れ味は期待できない。まあ、凌げれば問題はない。

 ……まともに迎え撃って倒せるほど、北辰は甘くないが。

 だが、自分がか弱い女性―――の姿であることを考えれば、北辰にも隙はできるはずだ。問題は、その隙をどうやって確かなものにするか、だろう―――。


「……囮が必要だな」


「は?」


 なにやら物騒な台詞を洩らしたフィリスに、アキトは驚いて聞き返した。しかし、それを無視してフィリスは別のことを口にする。


「アキト。お前、今夜ココに泊まれ」


「へ?」


「国王と王妃の許可は貰ってるから、心配ない。

 ルリが案内してくれるから、先に行っててくれ。後で合流する。

 ……化粧落として服着替えて、とにかくいろいろと準備があるからな」


 隣の席で酒を飲んでいたリョーコがブッと噴出し、対面のヒカルが悲鳴を上げて逃げ惑う。イズミはちらりとフィリスに流し目をくれて、

 
「……大胆ね、フィリス」


「……え、それ……って」


 イズミの台詞と、顔を赤くしたアキトを見て、何を勘違いしたのか悟ったフィリスは慌てて取り繕う。


「ち、違う!

 いや、その……すまん、言葉が足りなかった。

 ……想像するなってば」


「は、はい」


「……ルリの警護だ。

 オモイカネのあるナデシコと違って、ここじゃ何が起こるか分からないからな。

 ピースランドのお姫様って立場を利用しようとする輩が出ないとも限らないし、そうなった場合、相手を殲滅できる人員としてアキトを選出したまでだ。

 他の者はナデシコで待機。すまないが、今夜だけは警戒シフトで動いてもらいたい」


 平常シフトであっても夜間勤務の人員は居るはずだが、警戒シフトは直ぐに一次警戒態勢、戦闘配備への移行が可能になるメリットがある。


「それは構いませんが……」


 プロスの懸念は、永世中立国ピースランドで問題が起きれば、ネルガルのイメージに影響を与えかねないのではないか、というものである。仮にも招かれている立場とは言え、機動兵器が出張るような事態ともなれば、ネルガルとピースランドの友好関係にもヒビが入るかもしれない。


「……そのときはルリになんとか丸め込んで貰うしかないな。

 国王の寛大な処置を望むさ」


 フィリスはそう言って、肩を竦めて見せた。




 ***




 豪華な寝室だった。

 ベッドの他に、幾らでも洋服を仕舞い込めそうなタンスや、様々な種類の化粧品が置かれた鏡台が備え付けられている。


 闇に溶け込むようにして部屋に侵入した男は、徒手空拳のままホシノルリの眠っているベッドに近づいた。



 寝ている所を刀で一閃するのは論外である。その感触を味わうには、あまりにあっけなさ過ぎるからだ。


 ―――それでは、我が手を下す甲斐がないというもの。


 恐怖から始まり、脅え、懇願し、無力に絶望しながら死んでいく者は、最後に知ることとなる。彼が与えられるものは、死のみであるという事を。

 ……そう、苦しみぬいて死んでもらわねばな。


 人の持つ常識、価値観と照らし合わせるまでもなく、北辰は異常であった。

 草壁春樹の望むがまま、政敵を殺し、離反者を殺し、邪魔な者を一族もろとも―――全てを亡き者にしてきた。既に、人を殺す事に対する迷いは無い。その『方法』さえ、独自の信念を貫ける程度には経験して来ている。


 そんな彼の観点から見て、今回の仕事はつまらない作業に違いない。

 閣下の命令ではあったが、マシンチャイルドであるこの少女を殺したところで、どれだけナデシコに影響があるのだろうか。本当に、ナデシコの戦力が半分以下にまで落ち込むのか。ヤマサキの計算にはいつも疑念の余地が残る。この仕事も、実際には閣下ではなく、ヤマサキの口添えから申し渡されたものだったから、北辰はそれほど重要な任務だとは考えてない。

 それよりも今回、天河明人を連れてきたのは、離反の可能性があれば直ぐにでも殺り合うつもりでいたからだが、なかなか思うようには行かなかった。そちらのほうが彼にとっては痛手だったのだ。


 ―――彼奴こそは我の最大の宿敵になると確信していたのだが。


 残念でならない。ヤマサキももう少し持続性の高い、マシな薬を与えればよいものを……。

 邪魔さえ入らなければ、天河明人との殺し合いは、胸躍る甘美な時間を提供してくれるに違いなかった。……たとえ、それで己が命を落とすとしても。


 それは、草壁春樹の望むものではない。

 しかし、北辰でさえどうにもならぬ己の心理だった。

 北辰を取り巻く世界は、木連の暗部のみである。人を人と思わず、己を己と思わず、道具で在り続けるには、それなりに娯楽が必要なのだ。

 宿敵と呼べる者との、死闘が。





 …………。


 思考が逸れた。

 北辰は目の前で眠っている少女に視線を向ける。

 11、12歳か。銀髪の輝きが夜月に反射し、微かに揺れる。

 静かに呼吸を繰り返す口元は、うっすらと半開きを保ったまま、時折震えている。


 …………。


 北辰の名誉の為に言っておくが、彼はロリコンではない筈だ。

 少なくとも、これまで殺してきた中には、少女と同年代の子供も居ただろう。そんな事に躊躇する北辰ではない。が、しかし―――彼は少女に手を出そうとはしない。


 …………。


 無表情を保っていた北辰が、不意にニヤリと笑った。

 何が面白いのか、少女の寝顔を見ながら不気味な笑みを浮かべたのである。


 ―――!


 次の瞬間、タンスの扉を蹴破って転がり出たアキトは、


「この変態野郎っ!」


 その勢いのままに北辰の身体に飛び掛った。しかし襲撃を『悟っていた』北辰は軽く身体を捻り、アキトの突進をやり過ごす。頭に血が昇っていたアキトは、勢いあまってベッドに乗り上げた。


 どさっ



「……アキトさん、相手が違います」


「わ、ごめん!」


 下敷きになったルリが訴えたのと、北辰がアキトの背後から一撃を加えようとした手を止めたのはほぼ同時だった。




 ***




 ルリの寝室の窓の外。

 中での騒動とは別に、対峙する影があった。


「……何のつもりだ」


 苛立たしさを隠さず、フィリスは目の前に立ちふさがる男に批難の視線を向ける。アキトが北辰の気を引き、フィリスが伏兵になる―――そう決めていた作戦が、黒いバイザーの男によって台無しにされようとしているからだ。


「…………」


「お前が木連に居る以上、北辰の顔色を伺うのは分かるが……」


「……北辰に媚を売ったつもりは無い。

 まさか―――本当に、気づいてないのか?」


 苦笑、皮肉ともとれる口調で、天河明人は薄く笑った。


「お前がアイツを鍛えたんだろう?

 力よりスピード、体裁き。速度を重視した木連の技。

 その華奢な身体で教えた技が、鍛えた男の筋力でどれだけ増幅されるか、想像したことは?」


「……それは」


 無意識のうちに考えから外していたこと。

 フィリスは、その熟達した木連の技で巨漢を倒すことも出来る。しかし、それは体格差の問題ではない。アキトでも、同じ域に達すれば出来る事だろう。アキトがフィリスに勝てないのは、フィリスがアキトの癖を知り尽くしているからだ。どう打てばどう返すか。フェイントの裏には若干遅れる―――とか。だが、それらは所詮、経験の差でしかない。身体的優位、体格差の違いは、それとは根本的に異なる。


「まさか……」


「弟子の成長は師匠にはわからんものさ。

 ―――俺が月臣に一撃食らわした時もそうだった」


 復讐者としての自分。

 月臣に手ほどきを受けたテンカワアキトが、彼のガードを突き崩し食らわせた一撃。爆発的な瞬発力から生み出される正拳突きの破壊力は、月臣を軽々と吹き飛ばした。


 アキトが自分と同じくらい―――いや、自分より強くなっているかもしれない?


 無論、何時かはそうなるだろうことは、フィリスにも分かっていた。

 しかし。よりにもよってこのタイミングで。


 ―――早すぎる、というほどのものでも無い。ナデシコに乗って、既に1年近く特訓を積んできた。下地から丁寧に、馴れ合いになるのは極端に避け、徹底的にしごき、叩きのめして技を覚えさせ、そうやって今まで鍛え上げてきたのだ。成長しないほうがどうかしている。


 喜んで、彼を誇ればいい。

 テンカワアキトを鍛え上げたのは自分だと―――フィリス・クロフォードだと。


 しかし、今のフィリスの胸中にあるのは、ショックと憤然とした苛立ちだった。

 素直に喜べないのは、自分が本当の意味での『テンカワアキト』では無いと知ってしまったからか?

 それとも、自分を追い抜こうとしているアキトに裏切られたような気分を感じるからか?



 …………。



 ―――言い過ぎたか。


 天河明人はフィリスに対し、少し言葉が過ぎたことを後悔した。誓って嘘を並び立てたわけではないが、全てが真実というわけでもない。

 たとえば言葉にはしなかったが、フィリスの実力は北辰とそう差は無いはずだ。何故なら、彼女の経験や技術はこの時代の―――北辰よりは上だろう。逆行し、アキトを鍛え上げる名目上、鍛錬を怠らなかったフィリスは、肉体が限界に来ている自分や、その自分と実力の拮抗する北辰より、おそらく強い。何度か北辰と戦い、その実力を測ってきた明人には、自分が健康体であれば北辰に勝てる自信はあったからだ。


 だが―――それで良いのか。

 この少女を戦わせて良いのか、という疑念が彼にはあった。

 自分の記憶を受け継いだ少女は、自分の分身であると同時に、自分の『娘』のようなものでもある。助けた手前、出来れば戦いに身を置くより、戦争とは無関係な場所で暮らして貰いたかったのが本音だった。明人は、過去の自分と違い、腹立たしいほどの実力を身につけた今のアキトよりは、余程フィリスのほうが心配でならなかった。


 ―――それが、自分勝手な考えだと分かっていても。



「……その目で確かめてみるといい。

 テンカワアキトがどれだけ強くなっているか」


 天河明人は動こうとしないフィリスを伴い、ルリの寝室に入っていった。




 ***





「小僧。

 ―――名を名乗れ」


 相手の力量を測る探り合いの後、大きく退いた暗殺者がアキトを睨みつけた。その視線に含まれる訝しげな思惑に気づかないアキトは、


「変態に名乗るような名前は持ち合わせてないよ。

 そっちが名乗るなら話は別だけど」


 えらく強気である。

 実は、夜這いに来た変態である、という認識しかアキトには無かった。王女であるルリを狙う不埒者を排除するという話以外、彼は聞いていなかったからだ。それは、暗殺者だと知ってしまうと萎縮してしまわないかと危惧したフィリスの判断からだったのだが、結果的に、アキトは暗殺者の技量に驚いたものの、敵わない相手ではないと判断した。


 ―――訓練で、いつもフィリスさんの速攻にやられまくっているからなぁ。


 もちろん、まだ様子見段階であることは彼も分かっている。ただの囮の役割であるはずだったが、可能なら自分ひとりで何とかできるかもしれない。それは多少、暴走した思考ではあったが、アキトは意識の外に追いやった。


 そんな彼の言い様に、暗殺者はピクリと眉をひそめる。

 名乗るつもりはまったくなかったのだが―――そこまで言われては無視するわけにも行かなくなった。何より、この若者の名前を知るためには、妥協も必要だ。


「……我の名は北辰。そこのマシンチャイルドの暗殺を命じられし外道よ。

 改めて問う。

 貴様の―――名は?」


「テンカワアキトだ。

 ……え、あんさつしゃ!?」


「テンカワアキトだと!?」


 双方が思わず叫ぶ。

 その緊張感があるのかないのか分からない展開に、ルリは一人取り残されているような気がしたが、賢明にも口には出さなかった。


「ルリちゃん、あんさつしゃだって!

 俺初めて見ちゃったよ。っつーか、戦ってた? うっわ、俺って結構強くなってる!?」


「アキトさん、落ち着いてください……」


 慌てふためくアキトを宥めるルリ。対して顔を引き締める北辰。


「なるほどな……腕が立つのは道理。

 お前がこやつの影であったということか」


「……手ぬるいな北辰。

 まだ判断するのは早計だろう―――戦って、相応しいか決めれば良い」


 テラスへ続く窓から姿を見せたのは、黒いバイザーの男。そして、彼に羽交い絞めにされ、首元に刀の刃を押し付けられたフィリスの姿であった。


「「……フィリスさん!?」」


「…………」


 彼女の実力を身をもって知るアキトやルリにすれば、俄(にわ)かに信じがたい光景である。視線を逸らし、無表情を決め込むフィリスの顔からは、何があったのかすら想像できない。黒いバイザーの男が、先刻のパーティでのあの男であるとアキトは気づいたが、しかしそれがどんなつながりがあるのか。それもまた、不明だ。



「テンカワアキトと言ったな。

 ―――もし北辰に勝てたら、この女、返してやろう。

 どうだ、悪い取引でもない筈だが」


「……どういうつもりだ?」


 すぐさま肯定の返事をしようと口を開きかけたアキトを差し置いて、北辰が男を睨んだ。返答次第では殺す―――そんな殺気を纏ったまま。


「テンカワアキトには実力を出し切ってもらわないとな。

 ……楽しいだろう? 北辰。

 ―――そいつに、俺のような欠陥はない。

 その意味が、わからないお前でもあるまい?」


 …………。


「……フン。

 余計なお膳立てを」


 そう言って、しかし北辰は己の口元に笑みが零れるのを拭えない。

 ―――愉悦の笑みを浮かべて、アキトを睨みつけた。


「良かろう。

 楽しませて貰うとするか」


 戦闘が、始まる。




 ***




 問答無用で突き出された右拳を避け、アキトは最小限の動作で左に回り込んだ。側面からその腕を絡めとり、投げようとするが北辰は身体を捻って右ひざをアキトのわき腹に叩き込もうとする。

 左手でそれを受け止めたものの、勢いを殺しきれずアキトは吹き飛ばされた。その後を追って猛撃した北辰の下にとっさに潜り込んだのは勝算があってのことだろうか。冷たい大理石の床に伏せ、左足をバネにして右足で北辰の肩を蹴り抜くが、僅かに浅い。身体を密着させる状態に陥ったアキトの喉元に蛇のように伸びた右手の指が気管を抉る寸前、その手を受け止めたアキトの左手が力任せに押し返す。

 ―――不意に、北辰の力が抜ける。それが昼に明人と死合った怪我のせいだとは流石に知らなかったが、アキトはチャンスと受け取って攻勢に出た。思いっきり北辰の右手を引っ張り、体勢を逆転しようとする。


 ごろごろと二転して、しかし場馴れしている北辰は易々とアキトの手から逃れた。


 息も乱さず立ち上がった北辰は腰を低く落とし、片足を後ろに退いて構える。その北辰のポーズが、今まで散々に自分を打ちのめしたフィリスのソレで同じである、と気づいたアキトは対抗する為に一つの型を選び取った。フィリスに教えられた、対抗する手段にして唯一、カウンターまでを考慮に入れた型だ。フィリスに対しての成功率はそれほど高くないが、相手が彼女でなければ遠慮なく打ち込むことが出来る。


「ほう。

 荒削りではあるが、なかなかどうして。

 ……小僧と言ったことを詫びよう、テンカワアキトよ。

 この技、見事、凌(しの)ぎきってみせよ」


「言われなくても……!」


 ルリの目には、黒い影と化した北辰が一瞬にしてアキトの眼前に現れたように見えた。それほどのスピード。

 ―――次の瞬間、怒涛の破撃音が続く。

 最小限のモーションから繰り出された頭部を狙う突きを片手で受け止める。手が痺れる程の衝撃。しかしここで避け方を間違えると、全てが水の泡になる。払えば流れるように指が耳を狙い、避ければ目を狙って腕が更に伸ばされる。

 続いて身体を肘打ちがわき腹に突き刺さる前に、身体の向きを僅かにずらす。一歩退けばとたんに足払いが襲う。退くのではなく、待ち受けて体勢を崩さないように避けなければ意味がない。

 肘打ちを逸らされた北辰はそこから手刀を伸ばしてなぎ払う。しかし、これはフェイクだ。次に来る本命を逸らしているだけの動き。

 半ば無意識的にアキトはその動きを見越して待ち構える。


 …………!


 だが、微妙に位置が違った。


 がっっっっっっ!!


 鈍い音がしてアキトが転がった。

 無様だったが、それは予想外の攻撃に慌てたアキトがひっくり返った、というのが正しい。

 ここまで凌いだアキトの体捌きと、転がって避けたアキトのギャップに、北辰はしばし呆然となった。


 しーん。


 天河明人は、目を丸くして唖然としているフィリスにこそっと囁く。


「未来の北辰の技を避けさせてどうする……」


「……まだ、未完成だったのか」



 後ろでそんな会話が成されている事など気づきもせず、アキトは冷や汗を拭って立ち上がり、再び北辰と向き合った。


「……大丈夫ですか? アキトさん」


「今のはちょっと予測できなかったけどね。

 大丈夫……だと思う。

 たぶん」


 何が起きたのか実は分かっていないルリに、大丈夫だと言い聞かせるアキト。反撃は出来なかったが、避けれたのだから問題はない、筈だった。



 …………。


 ―――予想外に時間が経ったか。そろそろ衛兵が気づき、駆けつけてきてもおかしくはない……が。

 冷静さを取り戻した北辰は、頭の中ですばやく計算する。

 任務はまだ遂行してはいない。しかし、この男―――テンカワアキトが居る以上、今のままではそれが成せるとは思えなかった。


 …………。


 天河明人との関係が気になるのも確かだ。なにより、久方ぶりに感じるこの戦いの充実感はどうだ? こやつはまだまだ強くなる。それを待ちたい気持ちもある。……しかし、己の任務に例外は無い。


 すなわち、妨害は排除しなければならない。


「些(いささ)か納得行かぬが……よくぞ、かわした。

 だが、そろそろ幕を下ろさせてもらう……残念ではあるがな」


「…………!」


 北辰が腰の黒い刀を引き抜く。

 月夜に反射する白銀の輝きに、アキトは首筋に冷水を掛けられたような錯覚を覚えた。

 無手で刀を防ぐ方法はある。しかし、目の前の男が握る刃を捌けると思えるほど―――慢心してはいない。




 ***




 ―――どうする?

 武器になりそうなものは無い。

 手元のナイフでは刀の斬撃は防ぐことは出来ないだろう。


 フィリスは視線を彷徨わせて、自分の喉下に突きつけられている刀に目を止めた。柄の紋様から見て、北辰の愛刀の片割れであることは明白だった。

 それを何故、天河明人が握っているのかは定かではないが―――これなら。

 だが、どうやって奪い取る?

 明人の顔を盗み見ると、不適な笑みを返された。どうやら見透かされていたらしい。


「…………?」


 喉元を締め上げている圧力が弛んだのだ。それは、つまり……。

 フィリスが理解の色を示すと、明人は頷く。やるなら早くやれ、そう言っているように見えた。


 明人の手の刀の柄を握り、捻る。同時に腰を落として刀を奪い取りながら―――フィリスは、明人を一本背負いの要領で投げ落とした。


「はっ!」


 ずだん!


「なにっ!?」


「アキト、受け取れ!」


 明人が白々しく叫ぶ中、フィリスは手にした刀をアキトの前に低く投げた。刀が大理石をすべり、アキトの足元に辿り着く間に、飛び起きた明人が引き抜いた銃をフィリスに向けて動きを封じた。全てが一瞬の内に行われ、北辰とアキトは本能のまま、手にした刀を相手に向けて振るうしかなかった。


 ―――!!


 ギィン!


 互いの刃が鍔迫り合いで拮抗し、両者は弾けるように離れ―――ようやく北辰が視線を明人に移した。


「……女相手に油断したと言うのか。

 このうつけが」


「すまん」


 苦笑いをかみ殺す為か、明人は口元を隠すようにして拭う。

 そして、次の瞬間。



 ドンドン!


「姫様!?

 今の音はいったい何ですか!?」


 部屋の外で異常を聞きつけたメイドが扉を叩く。複数の足音から、衛兵を引き連れているらしいことが分かった。

 それが、潮時の合図となった。北辰と明人は顔を見合わせる。


「この場はここまでだな……」


 フィリスをルリの方に突き飛ばした後、銃を仕舞い込み窓の外を伺う明人。刀を鞘に収めた北辰もすばやくテラスへ出る。


「フン。

 こうなれば任務だけでも終えねばならんか。

 ―――夜天光を出す」


「正気か?」


「撤退は跳躍にて行えば問題無かろう。

 ―――準備しておけ」


 そう言ってテラスから飛び降りた北辰に引き続き、明人は飛び降りる前に、追ってきたフィリスに告げた。


「エステを用意しておけ。

 北辰はやる気でいるぞ」


「何!?」


 そう言い、黒いマントを翻して飛び降りる。

 慌てて下を覗くが、月明かりがあっても既にその姿は見えなかった。




 ***




「エステバリス隊、発進!」


『『『『『『了解!』』』』』』


 副長のアナウンスで、既に発進準備を終えていたエステバリスが次々に出撃する。ルリのコミュニケからの遠距離通信によって事態を知ったジュンは、副長権限で一次戦闘配備を行った。


「いーんですか? 副長。

 艦長、寝たままですけど」


 メグミの素朴な疑問に、


「良くは無いけど、仕方が無いんだ……。

 お酒の入ったユリカは只の人以下だから」


「……それは」


「否定できないわねぇ」


 メグミとミナトの同情に溺れながらも、ジュンは何故かそれが心地よく感じられた。

 しかし、直ぐに顔を引き締め、オペレーター席に座ったハーリーに視線を向ける。


「ハーリー君、予測戦闘区域まで重力波リンクの有効範囲を広げられるかな?」


「区域の半分までなら、たぶんなんとか。

 それ以上はナデシコの移動が必要になると思いますけど」


「それではナデシコ、ドックより離床。

 海岸線を沿って北上してください」


「りょ〜かい」




 ***




『オペレーターの抹殺か……汚い手札を使ってくるねぇ、木連は』


『許せねぇ……正義の鉄拳をお見舞いしてやる!』


『ったくよぉ。

 フィリスも、言ってくれれば良かったのによ。

 ―――まあ、生身じゃオレ達は役に立てねぇかも知れないけど……』


『だからこそ、警戒シフト敷いてたってコト』


『生身じゃ機動兵器には勝てないもんね〜』


『そろそろ見えてきますよ?

 ―――あそこ!』


 イツキのエステバリス2がいち早く、暗闇に赤い機動兵器を発見した。


『エステバリスより少し大きい!

 ―――え、ディストーションフィールドが無い!?』


『何だってぇ!?』


 あまりに非常識で、出鱈目な―――敵であった。


 機動兵器のディストーションフィールドは、機体の鎧でもある。というよりは、それが鎧であると言ったほうが良いだろう。実際、エステバリスのフレームは、人の乗り込むアサルトピット以外は軽量化に伴い、最低限の強度しか持ちあわせていない。常に機体を取り巻くディストーションフィールドがあってこそ、銃撃、格闘に耐えうる仕様であった。

 それが、あの機体には無い。

 エステバリスと基本設計が違うのか、よほど装甲に自信があるのか。


「フン、来たか。

 ナデシコの機動兵器だな……展開が早い。

 ―――だが」


 夜天光の右腕に装着されたミサイルランチャーを、城の―――今しがた彼らが脱出したルリの寝室に向けて、発射する。


「無駄だ」


 バシュ!



 煙の尾を引いて城に落ちるミサイルは、しかし目標には届かない。


『……させるかぁ!』


『無茶だ、ヤマダ君!』


 ゲキガンフレームが凄まじいスピードでそれを追った。ガイのゲキガンフレームには、ゲキガンソード装着時の出力を想定して、大容量のバッテリーがいち早く装備されていた。だからこそ、出来る芸当である。ガイはその出力に賭けた。


 バババババッ!!!


 ラピッドライフルが火を噴き、ミサイルを破壊。


『よし! 後は任せたぞおおお!』


 そう言い残して、森の中に落ちていくが、減速する時間など持ち合わせてはいない。


 ずざざざざざああああ!


 木を薙倒し、地面を削りながらゲキガンフレームは姿を消した。


 しーん。



『あらら……』


『……落ちた、あの馬鹿』


『大丈夫なんですか、アレ!?』


『爆発はしてないみたいだけどね……』


 レーダーにはまだ、ガイ機を示すステータスがある。

 アサルトピットに生命反応が残っているのを信用するしかないだろう。


『彼の犠牲は無駄にしちゃいけない!

 あの機体を、なるべく城から遠ざけるんだ!』


 ガイの特攻に心揺さぶられたとも思えないが、アカツキは何故か俄然やる気になったらしい。

 釈然としないものを感じながらも、過ぎたことを言っても仕方がないと、リョーコは指示を出す。赤い機動兵器を取り囲む様にエステバリスは散らばった。

 人は乗っているのだろう。

 しかし、子供を殺しに来た暗殺者に情けをかけるつもりは無い。ディストーションフィールドが無い機動兵器などに乗っているのは、自殺行為であることを教えてやる―――。


『くらえ!!』


 それぞれ違う方位からのハンドレールガン一斉射撃を、だが赤い機動兵器はすり抜けた。


 ―――!?


 機動兵器は動かなかったわけではない。こまめにバーニアを吹かし、小刻みに機体を揺すっただけだ。それだけで、見えたところで避けれるはずが無い弾道を、すり抜けた。

 命中しにくい手足に当てようとしたならともかく、皆が必殺の胴部を狙ったはずだ。そんな馬鹿な、という思いとは裏腹に、リョーコは銃撃を加えていく。


『当たらないよ〜!?』


『照準システムが狂ったのか!?』


『そんな、これじゃまるで―――』


 背筋をぞっとするものが通りすぎた。それを意識して初めて、リョーコは相手が持つ力量を把握できたのだが、既に遅い。

 赤い機動兵器がヒカル機、イズミ機に急接近する。


『逃げろ、ヒカル、イズミ!

 そいつ、フィリスと同じくらい強いぞ!!』


『ええ!?』


『…………!』


 赤い機動兵器がディストーションフィールドを使わない理由がわかった。当たるつもりが無いのだから、鎧など不要なのだ。そして、赤い機動兵器は手にした錫杖を振るった。


 一閃!


『うそ〜!?』


『くっ!』


 逃げようとしたヒカル機の背部アンテナを削り取り、イズミ機の右腕のハンドレールガンが破壊される。ディストーションフィールドをすり抜けたその錫杖は。


『やばい!

 こいつ、フィールドキャンセラー持ってやがるっ!?』


『『…………!!』』




 ***




「やばいっスよ、フィリスさん!

 アイツ、滅茶苦茶強い!!」


 呆然と空中戦を見守っていたアキトは、信じがたい現実を目の当たりにして、後ろを振り返った。既にアカツキ機、カザマ機がダメージを受けて墜落。リョーコがイミディエットナイフで切りかかっているが、圧倒的にリーチが足りない。翻弄され、いつ落とされてもおかしくは無い状況だった。


「―――ああ、それで頼む。アキトの腕じゃ、どうせ当たらん。

 直ぐに持ってくるんだ、イネス。場所は分かるな?

 ……来るぞ、アキト!」


「へ!?」


 折りしもリョーコ機が白煙を上げ、夜天光がこちらにミサイルランチャーを向けた直後だった。


 バシュ!


 妨げるものの無い空間を落ちてくるミサイルを、


 ヴン!


 巨大な黒い物体が遮り、


『ディストーションシールド!』


 展開されたシールドが衝撃を全て跳ね返した。


 ドオオオン!





 ***





 爆煙が立ち昇り、北辰は任務の遂行を確信した。


「フン、他愛の無い―――」


 風で煙が流れる。瓦礫と化した城が現れる―――そんな北辰の予想を裏切って、漆黒の機動兵器が飛び出した!


「なんと……!?」



 地上で、その機動兵器を見上げて天河明人は呟いた。


「……ブラックサレナ」


 一時はどうなるかと思ったが……。そうか、お前も来ていたのか……。

 木連に帰還するの為のCCを用意しながら、明人は久方ぶりに流れた己の涙に戸惑った。


「アイツを―――頼む」









 『サレナモード・オン。

  近接戦闘、格闘戦モードに移行』


「格闘戦モード!?」


 ブラックサレナの腕を隠すほど強大な両肩が、せり上がって後ろに移動する。大ぶりなイミディエットナイフ―――フィールドキャンセラー仕様の二刀を両手に握って、ブラックサレナは夜天光に肉薄した。錫杖とナイフが物理的な接触によって火花を散らす。


『貴様!

 テンカワアキトか!』


「北辰!

 これ以上は、好きにさせない!!」


 ブラックサレナが夜天光を圧倒する。


 ―――出力が上がらん。雑魚と戯れに遊びすぎたか……我らしからぬ失態よな。

 夜天光もまた、エステバリスの派生であることに違いは無かった。増設パックのエネルギーを使い果たせば、充電されたエネルギーだけでは戦闘も出来ない。ディストーションフィールドを張らなかったのも、そうした理由があったからだ。……重力波リンクがあるのならば、まだ他に戦い様もあったが、現状では不可能だった。


『フン……今回は退こう、テンカワアキトよ。

 だが忘れるな。

 貴様は、我の宿敵となった。いずれ決着はつけようぞ』


 夜天光が落下していく。

 森の中に落ちた夜天光を追ったブラックサレナだが、


「な、ボソンジャンプ!?」


 夜天光の手に乗り、跳躍を開始した黒いバイザーの男の姿を認めた瞬間―――。


『さらば』


 夜天光と男は、跳躍で姿を消した。

 その衝撃に巻かれた風に舞う葉だけが、その事実を肯定していた。





 ***





「ボソンジャンプユニット、うまく行ったじゃないか。

 流石だな、イネス」


「無茶させるわね……。

 格納庫に居なかったら私、間に合わなかったわよ?」


 イネスは苦笑してフィリスの顔を盗み見た。しかし、彼女の表情は暗い。


「……どうしたの?」


「別に。

 いや、……後で話す」


 言葉を濁して、フィリスは戻ってきたブラックサレナ見上げた。



 ―――もう、俺の教えることは無くなったか……?


 そうかも知れない。

 それだけの働きを、アキトは示したのだ。もはや、自分が関与する必要は無くなったのかも知れない。

 それを認めることは―――辛い。出来れば、もう少し先であって欲しかった。そうフィリスは思った。……だが、それは感傷に過ぎないのだろう。




「師弟関係は解消だ。

 後は、お前が……頑張れ」




 聞かせたい当人に聞こえはしない、ほんの小さな声で囁き。

 ―――フィリスは瞳を閉ざした。























後書き


ども、火真還です。

間髪いれず後半でした。
やあ、長い長い。書いても書いてもおわらねぇ。ディスガイア面白い(←関係ないやん
後半、もう誰の視点で書くのも面倒になっちゃって、地文そのままになってるけど、問題ないよね?


解説。

遂に復活のブラックサレナ。
それを駆るに相応しい宿敵も現れたコトだし、ストーリーもそろそろ大詰めか。
次の話でとりあえず後半序章最後。22話からの終盤戦に備えます。

フィリスは自分の存在意義を見失った。
師弟関係を解消されたアキトは何を思うのか。
ユリカは何故か天河明人に急接近。

この先、どーなってしまうのか!

答:今から考えます

 

 

代理人の突っ込み

おいおい(爆)。>今から考えます

 

と、掴みも終わったところで本題ですが、フィリス、アイデンティティの危機っ!な回でしたね〜。

穿った見方をすれば北辰も黒アキトも、ピースランドの話すらフィリスに対する「揺さぶり」な訳で。

次回以降、アカツキやアキトやルリがどうその動揺に付け込むかが勝利の鍵といえましょう(おい)。

 

 

・・・・まぁ、北辰が実は結構お茶目だったりするのはフィリスには関係ないとは思いますが(爆)