穏やかでない空気を醸し出しているのは、渦中の少女である。

 主(あるじ)の避難した副艦長席に座したまま、微動だにしない。

 不機嫌、険悪、苛立ち―――いろいろ評することはできるが、それも仕方が無いことではあった。


「……黙っていたのは、悪かったと思っている。

 ただ、お前に知られることだけは、避けたかった」


「…………」


「あ、明人の言う通りだと、思うよ?

 ……その、自分がクローンかもしれないなんて、そんなこと、絶対知りたくないし―――」


「…………」


 明人の弁明、ユリカの弁護。

 その様子を冷めたような視線で見据えながら、フィリスは沈黙していた。


 そして、ため息を一つ。


「俺、別に何があっても、フィリスさんはフィリスさんだと思うし、それで良いんじゃないかなぁって……」


「そうそう、僕も気にしたりしないよ、うん。

 お願いだからその―――機嫌をね……」


 アキトとアカツキの慰めに、ピクリとも反応しない。


「あの、そろそろ時間なんだけど」


 躊躇いがちにエリナが告げる。

 じろり、と彼女を見て、仕方なさげにフィリスは立ち上がった。


「……ウリバタケ、リアクト・コネクターの準備は?」


「あ、ああ! モチロン!

 直ぐに準備するとも! 任せてくれぃ!」


 脱兎のごとく、ウリバタケはブリッジから逃亡した。

 続いてブリッジを出る前に、フィリスは一度だけ皆を振り返って。


「―――やることはやるさ。

 草壁を止めて、この戦争を終わらせる。

 ……フィリスを助け出した後、それでどうするのかは―――そのとき決めることだ」


 彼女の言い様に、皆はただ、頷く。


 今考えても仕方の無いことだった。ならば、考えまい。

 悩むような時間は、残されてはいないのである。



 ***



 CCが、ナデシコの周囲に散布される。

 無数の青い煌きに包まれながら、ナデシコは相転移エンジンの出力を最大にしていった。



『我々も、地球連合との連携が取れ次第、火星に向かいます。

 ―――御武運を』


 白鳥九十九、月臣元一朗、秋山源八郎が敬礼する。

 ブリッジで、返礼しながら、艦長―――ミスマルユリカは頷いた。


『頼むわね、艦長』


 地球連合とのスムーズな対話を実現する為、ムネタケは『かぐらづき』へ移っていた。護衛を兼ねて、プロスペクターとゴートも乗り込んでいる。


『吉報、お待ちしております』


「ハイ、大船に乗ったつもりでいてください!

 必ず、彼らを止めて―――和平、成し遂げちゃいましょう!」


『はい……!』


 白鳥九十九の返事を受けながら―――ナデシコは跳躍した。





機動戦艦ナデシコ
ROSE BLOOD

最終話

著 火真還






 ―――光が、物質を形作る。

 輝く陽光から生まれ、火星の大気を切り裂いて、ナデシコはボソンアウトした。


「グラビティブラスト、スタンバイ!」


 事前に予想した通り、巨大な暗雲を思わせるほどの無人兵器が大群が、極冠遺跡を包み込むほどの規模で、展開されていた。


「てぇーーーーーーー!」


 ユリカの号令に、ナデシコはグラビティブラストを発射。

 幾重もの火花を咲かせて、無人兵器は爆発を起こしていく。


「最後の大勝負!

 絶対、勝ちましょう!!」


「敵、機動兵器―――出撃を確認」


「エステバリス隊、発進!」


 ジュンの指示で、ナデシコから次々に出撃していくエステバリス。


『機動兵器は俺たちが抑える。

 ―――アキトのほうは?』


 フィリスからの通信に、ルリは答えた。


「問題、ありません。

 手薄になった逆方面への跳躍を確認」


 ナデシコを囮にして、極冠遺跡の仮設拠点を制圧する。敵の作法をそっくり真似たユリカの作戦に従って、ブラックサレナは単独、手薄になる反対方面へ跳躍していた。

 すり鉢状になった穴の奥にある仮設拠点は、その最下部に至るまでに幾重ものディストーションフィールドが張り巡らされている。それは、ナデシコのグラビティブラストなどでは傷一つつけることが出来ないほど強固な防壁があるということだった。だが、その防壁も無敵ではない。A級ジャンパーであるテンカワアキトにとって、防壁は意味を持たないからだ。

 ―――もっとも、ブラックサレナが突破できるのは、やはり敵勢力が衰えた後でなければ厳しいだろう。そのための布陣である。



『来やがったぜ!

 ―――フィリス、白い夜天光だ!』


 リョーコが鋭く警告する。

 白い夜天光、および十数機のシシキがナデシコに向かって来ていた。


『……お出迎えと行くか。

 夜天光は任せろ。お前達は、奴らをナデシコに近づけさせるな』


『『『了解!』』』



 ***



 極冠遺跡に設置された仮設拠点。

 巨大なテーブルを囲むようにして木連将校が席に座している。

 跳躍によって行き来している兵士の報告から、彼らは戦況を見守っていた。

 しかし―――。



「ボース粒子反応増大!

 戦艦クラスです……!」


「!?」


 草壁春樹は、部下の悲鳴ともつかない報告に思わず腰を上げた。

 モニターに映っている独特の艦影。

 地球連合、最強の戦艦。

 白鳥九十九を誑かし、和平を推し進めようとした元凶―――ナデシコ。

 表には出さない、苛立たしい感情を押し殺しながら、同席していたシンジョウに顔を向ける。



「任せる」


「ハ!」


 敬礼し、シンジョウは席を立った。

 草壁春樹の後ろに控え、モニターを見上げる北辰を一瞥し、シンジョウは作戦室を出た。


「……お主の力量が劣っているとは思わん。

 ―――ナデシコが、それだけ脅威だったということだ。

 どの道、何かしらの妨害があることは、覚悟していた」


「御意」


「それを乗り越えてこそ、我ら木連は真の平和を得ることが出来る。

 ―――この火星でな」


 それは、草壁春樹の正義であった。


 去らざるを得なかった、祖先の土地。

 プラント亡き後、木連が生き残る為の大地。

 今更、火星を地球連合に返すわけにはいかない。連合の頭を潰して先手を打ち、ボソンジャンプを完全に自分達のものとできれば、如何に地球に物資があろうが、再び連合が組織されようが、物の数ではないのだから。



 ***



 次元透過弾を装填したミサイルランチャーを抱えて、白い夜天光は踊り出た。

 シンジョウは回線をオープンにしたまま叫ぶ。


『ここから一歩も中に入れるな!

 我が名はシンジョウ・アリモト。

 落日の運命にある地球連合と共に、滅びよナデシコ!!』


 アルストロメリアがその夜天光の前に立ちふさがる。フィリスは、シンジョウの言い様を鼻で笑った。


『フン、冗談でも笑えんな。

 ―――白鳥九十九は地球との和平に同意した。

 見苦しい戦いを続けているのは、妄執に捕われたお前達だけだ』


『バカを言え!

 そんな戯言が通用するとでも……!』


 …………!


 シンジョウの高ぶった感情そのままに、夜天光の構えたミサイルランチャーからミサイルが発射される。


『次元透過弾の恐ろしさは、ディストーションフィールドを無効にされる、只その一点に尽きるわ。

 例え一撃であろうとナデシコへの着弾を許せば、ディストーションブロックさえ無力にされるから、シャクヤクの二の舞になるのは間違いないわね。

 絶対に、撃ち落として!』


『―――分かってる!』


 イネスの通信にそう答え、加速するミサイルの進路を避けながら、アルストロメリアはラピッドライフルの照準を合わせ、トリガーを引いた。


 ―――爆発。


 白い夜天光は、錫杖を斜め下から振り上げるようにして、アルストロメリアの胴を薙ぎ払おうとする。だが、その動きに対して、フィリスは自分の知覚の加速を感じた。スローモーションに感じるほど、夜天光の動きは鈍い。考えてみれば、リアクト(電子変換)による機体制御に遅延はありえないのだがら、機動兵器の戦いにおいて、反応速度は絶対有利な条件である。


 錫杖は何もない空間を薙ぎ払っていた。


『―――な!?』


 会心の一振りのはずであった。シンジョウが我に返る前に、背部から蹴りを入れられて、夜天光は弾き飛ばされていた。


『ぐはっ!』


『その物騒な玩具(おもちゃ)は、破壊させてもらう……!』


 アルストロメリアは夜天光を追撃した。しかし、右手のクローが夜天光の腕に突き刺さる寸前、


『おのれ!

 こうなったら……!』


 夜天光の姿が消えた。


 跳躍―――何処に!?


 フィリスは瞬時にシンジョウのやろうとすることを理解した。

 自分に関わっている場合ではない、彼の目的はナデシコの撃沈だ……!


『させるか―――!』


 ナデシコ、ブリッジの目前に跳躍した夜天光は、躊躇せずミサイルを発射。しかし、その次元透過弾をアルストロメリアは狙撃する―――命中。爆煙に捲かれながら、夜天光はその衝撃に弾き飛ばされた。


『なんだと! だが……これで!!』


 しかし、シンジョウは諦めない。

 一撃、ただそれだけで良い。それでナデシコは沈む。

 煙を上げて後退しながらも、更にナデシコへ向けて引き金を絞る夜天光は、連続で二基のミサイルを射ち出した。それがブリッジを襲う前になんとか立ちふさがったアルストロメリアだが、ラピッドライフルで撃墜できる距離ではない。

 あまりに、近すぎる。


『―――!!!』


 フィリスの意識は、その一瞬に集約されていた。

 直進する次元透過弾に左手を叩き込む。ディストーションシールドを全開にして、フィールドキャンセラーを『中和』する。ナデシコのディストーションフィールドとアルストロメリアのディストーションシールドの出力で、勢いの削がれた二基の次元透過弾は接触―――爆発。同時に、アルストロメリアの左腕は根元から吹き飛んだ。


 左腕の感覚が無くなる。

 その喪失感に、フィリスは一瞬悲鳴を飲み込んだ。実際に肉体を失ったわけではない。しかし、フィードバックされる情報が現実を侵食するほどに、ありもしない心の痛みを彼女に感じさせた。



 ***



「……アルストロメリア、左腕及びシールド損壊!」


 ルリは心臓が鷲づかみにされたような感情を覚えた。

 跳躍能力を有する夜天光に対し、アルストロメリアにはソレが無い。にも関わらず夜天光を足止めできているのは、リアクト・コネクターで最大限の反応速度を得たフィリスだからこそ、できる芸当なのである。しかし、依然劣勢に変わりは無かった。盾が破壊された以上、次に止める為には、命を差し出すほかない。


「ハーリー君、ラピス、艦制御のサポートをお願い。

 私は―――」


 自分の能力というものを、忘れていたわけではない。ナデシコCで無い以上、全宙域の機動兵器を停止させるほどの力は無いが、目の前の一機程度なら、十分お釣りが来る筈だ。

 今まで明人もフィリスも、イネスでさえ積極的にそれを望まなかったから、使わなかっただけだ。マシンチャイルドの本当の恐ろしさ。機動兵器を掌握する禁忌の技。ボソンジャンプ―――遺跡がそうであるように、ハッキングによる掌握こそ、ナデシコの切り札と呼ぶべき代物だった。

 しかし、だからこそ、それを地球連合、木連に見せるわけには行かない。

 そうすれば、ホシノルリ―――いや、マシンチャイルドは全て、今度こそ兵器として運用されることになってしまうだろう。それが分からないほど子供ではない。それでも―――今使わないと自分は姉を失ってしまうかもしれないという恐怖は、ルリの中で爆発しそうなほど膨れ上がっていた。


 不意に肩をつかまれて、我に返る。


「チャンスは一度だけだ、ルリちゃん。

 それ以上は、ダメだ」


「……明人さん」


 振り返ると、モニターを見上げる天河明人の姿があった。


「一瞬だけでいい。それで、アイツを信じろ」


「ハイ」




 ***



『まさか、アレを止めるとは……』


『シンジョウとか言ったな。

 これ以上、貴様に付き合っている暇は無い。早急に退場してもらう』


 満身創痍。

 左腕ごと盾を破壊され、既に勝算の無い場面であっても、フィリスはそう口にした。

 彼女の後ろにはナデシコがある。それが、全てだ。

 故に、引ける筈が無い。

 轟然と宣告するフィリスに、シンジョウは怒りを込めて呟く。


『私を雑魚扱いするだと……?』


 ミサイルの照準をアルストロメリアに合わせ、シンジョウは怒りの形相のまま全弾を発射しようとした。


『その言葉、後悔させて―――』


 引き金を引くシンジョウは、しかし最後まで言い切ることが出来ない。―――システムエラーと表示され、ミサイルランチャーの制御が凍結した。


『……なにっ!?』


 相打ちにしても止める―――そう覚悟を決めていたフィリスは、一瞬後、何が起こったのか悟った。夜天光の動きを止めたそれは、自分の妹の仕業である。それを知って、ならば―――今しかチャンスはない。

 アルストロメリアは流れるような動作でイミディエットナイフを引き抜き、動揺する夜天光のミサイルランチャーへ投じた。その間、三秒も満たなかっただろう。



『なんだとぉ……!!』


 爆発するランチャーに巻き込まれて、夜天光は墜落していった。



 ***



「大方、整備不良だろう。

 新型機にはよくあるミスだ」


 明人の説明に、ブリッジはなんとなく納得した。


「はぁ、そうなんですか」


「……運がよかったってワケ?」


「…………」


 ユリカとエリナは、厳しい顔でルリと明人の様子を伺った。

 今の敵の硬直が、明らかに外部からの干渉であると、半ば直感している。

 ―――しかし。


「……ルリさん、今の」


「何のことでしょう? ハーリー君」


 ルリに見つめられて、ハーリーは喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

 何をしたのかは分かっていた。

 分かっていても、それは問いただしてはいけない類いのモノだった。

 ―――自分の未来を、兵器の一部に限定したくなければ。


「……アルストロメリアの受け入れ、お願いします。

 ルリちゃん、今の記録は破棄。オモイカネから削除してね」


 後ろを振り返ったルリは、にっこり笑うユリカと、溜息を洩らして苦笑するエリナを仰ぎ―――頷いた。


「ハイ」




 ***




「し、シンジョウ機、戦闘不能!

 機動部隊、ナデシコを落とせません!!」


「……六連をお使いください、閣下」


 言い置いて、北辰は踵を返した。

 うむ、と頷く草壁だったが、作戦室を出て行く北辰に思わず声を掛けた。


 ―――彼が、自分の指示なしに動くことが、今まで無かったが故に。



「北辰、何処へ行く」


「―――」


 草壁の言葉に、北辰は一礼して作戦室を出た。


「…………」


 返事は無かった。

 言いようの無い焦りを感じて、草壁は苛立たしげに席に座った。




 足早に廊下を進む北辰は、既に草壁のことなど頭に無かった。

 いや、忘れていたわけではないのだろう。単に、それより重要なことがあるだけだ。


 ―――アレが出てきておらぬ。

 となれば、彼奴には別任務があるのだ。


 それは、邪魔が入らないと言うことと同義である。

 この機を逃して、どうして黙って見ていられようか。




 ***




『なんだぁ? コイツ等!』


『夜天光の出来そこないかな〜?』


『……今までの相手とは違うようね』


『あれは……六連!?

 本気だな、草壁中将。どうやらここからが本番らしいぜ!』


『へ、今までは前哨戦ってことか。

 アキトのやつ、まだ作戦本部に着かねぇのかよ』


『―――臆したかい? ヤマダ君。

 赤い夜天光が見えない。つまり、そう言うことだと思うよ?』


 ウィンクするアカツキに、ガイは口笛を吹いて不敵な笑みを浮かべる。


『ハハァン、そう言うことか』


『なら、さっさと終わらせて加勢してやらねぇとな……!』


 リョーコ機が最大出力で六連に突撃。後を追うように、残るエステバリスも戦渦に飛び込んでいった。




 ***




 ステルスマントを掠めるようにして次元透過弾が大地に突き刺さる。


『―――ッ!?』


 ブラックサレナはその衝撃でマントを破かれ、姿を現していた。遺跡に届く僅か数キロの手前で、赤い夜天光はブラックサレナを待っていたのだ。


『待っていたぞ。テンカワアキトよ』


『……北辰!』


 引き抜いたイミディエットナイフを両手に構えつつ、ブラックサレナは格闘戦モードへ移行する。対する夜天光もミサイルランチャーを投げ捨て、二本の錫杖を両手に握り締めた。


『聞いておかねばなるまい。

 ……もう一人の貴様はどうなった?』


 それが、天河明人―――おかしな表現だが、未来の自分のことであるのは十分に理解できた。もう少しで自分は、未来の自分を殺すことになっていたのだ―――そうさせた張本人を前にして、怒りを押し殺しアキトは言葉を返した。


『残念だったな。

 ちゃんと生きて―――今はナデシコに居る』


『……フン。

 何処までも悪運の強い男よ……良かろう。

 テンカワアキト。

 その命、貰い受けた上で―――あやつの死を飾ってやるとしよう』


 過去の自分を殺すことで、未来の明人も死ぬ。そう揶揄しているのだろう、アキトは声を荒げて、叫んだ。


『―――ふざけるなよ、北辰……!』



 スラスターが爆発的な加速を生む。


 土ぼこりを上げながら迫るブラックサレナに、半身を引いて夜天光は迎え撃つ。鮮やかな太刀筋を見せるイミディエットナイフの斬激を、錫杖で巧みに切り結びながら、北辰はなお嘲ることを止めない。


『貴様の力はその程度のものか―――?

 もう一人の貴様はもっと―――強かったぞ』


『何を―――!!』



 夜天光が大きく離脱する。

 追撃するブラックサレナに、夜天光は振り向きざま、手にした錫杖を投げつける。肩の装甲に突き刺さる錫杖を、しかしものともせず、ブラックサレナは揺るがない。ナイフを仕舞い、ハンドガンに持ち替えての応戦―――。

 残弾を省みない連射を加えながら夜天光を追い詰めるが、薄ら笑いを浮かべながら北辰はことごとく避けて見せる。そこには、余裕すら感じられた―――地面で炸裂するエネルギーを避けながら、逃げた先に落ちているミサイルランチャーを拾い、夜天光はブラックサレナに発射口を向けた。


 ―――!!


 次元透過弾がブラックサレナのフィールドを削り、胴部に突き刺さる寸前、アキトは身体を捻ってギリギリ避ける。しかし、続いて発射されたミサイルは避け様が無い。後退しながら残弾の尽きたハンドガンを投げ捨て、ナイフを引き抜いてミサイルに投げつける。次元透過弾の頭頂部に命中した瞬間、それは夜天光とブラックサレナの間で爆発した。



『…………』


 ―――こんなものか?


 北辰は己の内に宿った猜疑心を持て余していた。

 テンカワアキトは強い。しかし、それだけだ。

 ―――気迫……いや、殺気が微塵にも感じられないことに、彼は今更のように気づいた。


 天河明人であれば、このような悠長な戦闘はすまい。

 一撃必殺。

 自分の命を捨ててでも勝ちに来る執念。


 凄まじいほどの闘気を感じたあの男と、目の前に居る男の違い。

 それは何だ?


 戦い、敗れ、泥を啜るような経験は、一概にそう易々と身につく物ではない。そんな過去に裏打ちされた技量と、訓練で得た技量の違いというものがあるとするなら―――それは。


『確かに技量は相当のものだ、褒めてやろう。

 我と互角に立ち会える者は、そうはおらぬのだからな。

 ……だが、一つだけ足りぬ。

 貴様は、人を殺したことはあるか―――?』


 北辰の言葉に、アキトは息を呑んだ。


『…………ッ!』


 あるわけが無い。―――いや、あってはならないことだ、それは。

 我知らず、未来の自分の疲れきったような表情が脳裏を過ぎる―――『あの男』は、違うのだろうか。


『足りぬのは覚悟か?

 人を殺し、修羅の道を往く業か?

 ―――もう一人の貴様は、間違いなく……だというのに』


 未来の自分は人殺しだ。

 そう聞こえる。


 そしてそれは、間違いないように思えた。




 ***




 灰色に煤け、片腕を失ったアルストロメリアがデッキに入る。満身創痍の姿に、ウリバタケは口元を引き締めた。ぶっつけ本番だったリアクト・コネクターの性能は、使用者にどんな影響があるのか分からない。電子変換とは、それほどデリケートな機構なのである。


 表面上、整った顔を崩さず、フィリスはデッキに降りた。しかし、無意識に左腕を庇った動作を、ウリバタケは見逃さなかった。


「替わりのエステは?」


「替わりったって……カスタムはもうねぇぞ?

 アルストロメリア二号機は正式型でアサルトピットが互換じゃねーから、フレームだけ替えるってワケにもいかねぇだろうし……」


 ちっ、とフィリスは舌打ちした後、思いついたように視線を一点に向けた。


「なら、アレでいい。

 使えるようにしてくれ」


 釣られて見上げたウリバタケは、


「そりゃあ、今のアルストロメリアよりはマシだろうけどよ。

 ……左腕がぶっ壊れた衝撃で、痛めたのか?

 あのタイミングだと、どうしても反応が遅くてな」


「ああ、こちらの意思でカットできるようにしておいてくれ。

 ―――今は痺れてるだけだ。

 リアクト・コネクターの乗せ替えを頼む」


 アルストロメリアを振り返って言うフィリスを、躊躇いがちにウリバタケは諭した。今のところ、フィリスが出なければならないほどの脅威はないと思えたからだ。


「もう、良いんじゃねぇのか?

 六連とやってるあいつ等も、頑張ってるしよ。

 後はアキトが拠点を押さえてくれれば―――」


「時間が掛かりすぎていると思わないか?」


 そんな妥協を示すような少女ではないのだ、フィリスは。

 ウリバタケは頷いて、覚悟を決めた。



「……わかった。

 5分待ってくれ」




 ***




 北辰の言葉は、アキトを貫いて深い傷を残した。

 知らず、手が震えた。

 その微妙な変化は、ブラックサレナの表面にも出たのだろうか。


『我の買いかぶりであったか……テンカワアキトよ。

 貴様も、このつまらぬ世で、我の渇きを潤すものでは無いということか』


 淡々と呟く北辰。


 アキトは唇を噛み締めて目に入った汗を拭った。


 ―――そんなつもりで、戦ってきたワケじゃない。

 誰かを傷つける為に得たモノじゃない。

 殺す為に―――ここに居るワケじゃない。


 ブラックサレナに乗ったのは、復讐のためじゃない。

 知らなかったもう一人の自分のために、戦っているわけじゃない。


 必要だったのは。


 守る為に必要な力だ。

 ナデシコを守る為の力。

 ただ、それだけだ。


 ―――だから。

 アキトは、自分に言い聞かせるように、叫んだ。



『そんなのは―――アンタの都合だろう!

 俺は、人は殺さない!

 アンタらを止める為に、ここへ来たんだ!

 ―――絶対に、こんな戦争は終わらせてやる!!』


 その言葉は、甘い戯言なのか。

 アキトの独白を、北辰は嘲笑する。


『我を倒さずして、それが叶うものか。

 ―――愚かなり、テンカワアキト。

 フィリス・クロフォードも、つまらぬ男を育てたものよ……。

 人を殺す技量を持ちながら、その力を振るう覚悟が無いとはな』


『……ッ!!』


 更に、包帯で隠れた―――少し窪んだ左の眼窩に手をやり、


『我の眼を見よ。

 先日、白鳥ユキナを助ける為に、この我の左眼を易々と突き破ってくれたわ。

 至福の快感であったぞ、テンカワアキトよ。

 あの女は貴様には勿体無い―――我の元に置くとしよう』


『それ以上!

 口を開くな、北辰!!!』


 爆発したかのようなスラスターの噴出と共に、ブラックサレナは夜天光へと突進した。


 今までとは比べ物にならないほどの怒り。

 触れるだけで死に至らしめるほどの殺気を一身に浴びて、北辰はゾクゾクするような高揚感に浸った。


 素晴らしい。

 これぞ―――我が受け止める価値の在る、生死を決めるに相応しい敵の姿。

 しかし勿論、負けるつもりなど無い。

 この闘争心を引き出した上で―――勝つ。でなければ、自ら出向く理由など、他に無かった。



 夜天光は残弾尽きたミサイルランチャーを投げ捨て、一歩身を引いて構える。


 鋼の肉体を極限に絞り込んで、夜天光はブラックサレナの一撃に備えた。

 ―――!!!

 次の瞬間、そのガードの上から、凄まじい衝撃が機体を襲った。ナックルガードでカバーしたブラックサレナの右拳が撃ちこまれる。巨人同士の荒々しい激突に、空気が鳴動する。辛うじて踏ん張った夜天光の両足が土を抉り、大きく後ろに投げ出されることになったが、そのまま片腕を地面につき、流れるようにブラックサレナを蹴り上げた。轟音を轟かせ、ブラックサレナは宙に弧を描いて、大地に落ちた。


『このおおおお!!』


 狭いアサルトピットの内部で揺さぶられる衝撃に気を失いそうになりながらも、しかしアキトは悪態を吐いて素早く立ち上がらせた。次の瞬間、ブラックサレナの頭が在った場所に、夜天光の踵が落とされ、砂埃が上がる。


『ッ―――!』


 慣性を殺せずその場に留まった夜天光に、ブラックサレナは素早く組み付いた。総重量に物を言わせ、近距離から押し倒してマウントポジションを奪い、両腕を組んで振り下ろす。一度、二度と頭部を滅多打ちにされた夜天光は、しかし次の瞬間、腕に仕込まれていたミサイルを発射、馬乗りになっていたブラックサレナを吹き飛ばした。


『くっ―――!』


 真正面から食らった衝撃を、ブラックサレナはなんとか持ち堪え、ゆっくりと立ち上がった。しかし、頭部に集中していたセンサー類が全損してしまっている。テンカワSplのセンサーに機能を切り替えながら、アキトはバッテリー残量に目をやった。

 ―――後10分、持つかどうか。

 そのことに気づいて、アキトは冷水を浴びた気分になった。

 ……何をやってるんだ、俺は。

 こんなところで―――無駄に時間を消費して。



『この高揚感はどうだ? テンカワアキトよ。

 ―――コレが我の味わいたかったモノよ……極限の中でこそ得られる至高の時』


『知るか、そんなの』


 陶酔したような北辰の言葉をバッサリ切り捨て、アキトは思考を目まぐるしく回転させた。

 この男が自分と戦いたがっているのは分かっている。

 しかし、そんなものに付き合っている余裕は、今のアキトにはない。在ったとしても、殺し合いになるような戦いをしたくはなかった。それは、アキトの本心である。


『…………』


 案の定、眉間に皺を寄せて不機嫌な顔つきになる北辰に、アキトは言い放った。



『残念だろうけど、俺には命を賭けてまで戦う理由は無い。

 ……アンタを出し抜く方法、ちょっとは考えたんだ。

 正攻法で行くのも悪くないけど……』


『む―――!?』


『ジャンプ!』


 次の瞬間、跳躍したブラックサレナが夜天光のはるか後方に出現した。背を向け、逃げ出そうというのか? いや、テンカワアキトは、自分との決着を放棄し、遺跡の仮設拠点へ行くつもりなのだろう。瞬間、北辰は怒りに我を失った。
 

『逃げるだと!? ―――許さん!』


 夜天光が後を追って跳躍する。


 二度目の跳躍に入ろうとしているブラックサレナの背後に出現した夜天光は、両腕に仕込まれたミサイルを全弾―――撃ちだした。自分の描いた理想の殺し合いを破棄したアキトに対し、裏切りに対するにも似た感情から出た、必殺の一撃であった。


 爆発するブラックサレナ。


 その照り返しを浴びて、北辰は口元を歪める。


『―――詰まらぬ、真似を……』

 
『そうでもないさ』


 ―――!?


 北辰に、驚愕する暇は与えられない。

 夜天光の背後。

 鎧を捨てて跳躍していた『テンカワSpl』が、両腕を振り下ろしていた。右腕のクローを軸に、左腕のディストーションシールドがその抵抗をゼロにして、易々と背部スラスターを切り裂き、動力を停止させる。


『貴様―――!』


 大地に落下していく夜天光を見届けて、アキトは息を吐いた。

 タイミングが全てだった。遅くても、早くても、成功はしなかっただろう。しかし、それよりも何よりもまず、後味の悪い思いを噛み締めながら―――アキトは言わずにはいられなかった。


『―――何で、そんな生き方しか出来ないんだ』



 ***



 飛び去っていったテンカワSplを見上げたまま―――。


「……相手にされなかったようだな」


 血に塗れた姿でコックピットから這い出した北辰は、己を見下ろす黒い男を見上げた。体中の打撲の痛みを無視して―――立ち上がる。


「……天河明人。

 ―――来ておったか」


「……ああ。

 アイツには―――止めはさせないだろうと、ここで待っていた」


 イネスにナビゲートを頼み、単独ここへ跳躍した明人は、二機の戦いをじっと見守っていた。

 もう一人の自分と、宿敵の姿を。


 戦いの幕切れに呆気なさを感じたものの、そうではないのだと気づく。



 アキトが北辰に止めを刺さなかったのは、甘いからではない。

 ―――その信念を貫けるほどに、成長していたからだ。


 狂気に走り、復讐の道を選んだ自分の選択は、正しかったのか?

 選ばざるを得なかった道。

 しかし、残り少ない命で、あのまま生きることも出来た自分。

 それを否定した代償は、あまりに大きかった。


 ―――大きかったのだ。



「…………」


「…………」



 風が、吹いた。


 夜天光から立ち昇った煙は、ゆっくりと空に消えていく。





 互いに、絶対に相容れることはないと分かっている。

 それでも一年ほど、共に過ごしてきた。

 殺人者と復讐者。

 人を殺した―――二人の間には、それなりの連帯感があったのだろうか。

 今日まで決着がつかなかったのは、様々な障害があったからだ。

 しかし、本当はこの日が来るのを恐れていたのかもしれない。

 いや、この日が来るのを待っていたのかもしれない。


 北辰は、懐を探りながら口を開いた。



「発作は、治ったようだな?」


「見ての通りだ」


 懐から取り出したグリップ状の発信機を見つめ―――遠くに投げ捨てる北辰。

 おもむろに、腰に差した二刀のうちの一刀を、明人に投げ渡した。


「では―――けりをつけるか」


「大分……待たせたようだな」


「かまわん。

 ―――来い」


「ああ……!」




 ***




『こちら、地球連合宇宙軍第十三独立艦隊所属、ナデシコ艦長ミスマル・ユリカ。

 木連艦隊白鳥九十九は、地球連合との和平に同意し、既に戦闘を行っているのは貴方達だけです。

 投降してください、身柄は保証します!』



「閣下……!」



 北辰の駆る、赤い夜天光の敗北を知ったばかりだ。

 今、作戦部のあるこの拠点の外に出現した地球連合の機動兵器は、手にしたラピッドライフルを突きつけ、無言の威圧を続けている。

 そこに、ナデシコからの降伏勧告であった。


 草壁春樹は唸った。


 計画が瓦解したことが分からないほど愚かではない。十数分前までは順調だった全てが、只一つの不安分子―――ナデシコによって覆されたのだ。いや、総本部に攻め入った部下の報告から、向こうにも連合の増援―――しかもそれがダイデンジンであるらしい―――があったと聞いたときに、既に計画は頓挫していたのかもしれなかった。

 白鳥九十九の造反が、全ての間違いだったのか。

 そうかも知れない。

 初めから、生粋の手駒を司令におけば、間違いは起きなかったかもしれない。

 その統率力を買い、相応しい地位を与えたというのに、和平などという幻想を持ったばかりに、この様だ―――。

 そもそも、ナデシコと『ゆめみづき』が出逢わなければ、この事態は避けられた筈だったのではないのか。


 今更、考えても仕方のないことであったが、しばし草壁春樹は物思いに耽った。


「閣下……!」


「ご判断を……!」


 部下の呼びかけに、目を見開いて草壁春樹は厳しく顔を引き締めた。


 投降するわけにはいかない。

 依然、木連内部に自分の信派は多い。遺跡さえ渡さなければ―――勝ち目はある。手中に掴みかけた火星の大地を再び地球に奪われ、木星圏に追いやられるとしても、三度連合を追い詰めるチャンスは必ず巡ってくるだろう。

 立ち上がって、草壁は部下を見渡した。


「この仕打ちを和平と呼ぶのなら、それもまた良かろう。

 しかし、私は諦めたわけではない。

 ……ヤマサキに撤退指示を出せ。

 遺跡は、地球連合の手に渡すわけには行かぬ」


「ハ!」




 ***




 六連を退け、残敵を掃討しながら、エステバリス隊は極冠遺跡を見下ろしていた。


『なんだ? アレ』


『ディストーションフィールドが……解除されていく……?』



 ラピッドライフルを沈黙した仮設拠点に突きつけたまま、アキトは空を見上げた。

 白いもやの掛かった重力波の膜が、だんだんと鮮明な―――火星の空を映し出していたからだ。極冠遺跡を包み込んでいた鉄壁の壁が、ゆっくりと消えていこうとしている。レーダーが黒い夜天光を捉えた。それを見て、アキトは呟いた。


『……フィリスさん?』





 黒い夜天光は、ゆっくりと落ちてきている。


 幾層にも連なったディストーションフィールドは、夜天光の足がつく前に、自動的に解除されていく。

 その理由が、彼女には分かった。

 ―――分かってしまった。


 リアクト・コネクターの内部で、ヘッドマウントディスプレイの映像を見ながら―――フィリスは唇を震わせた。


「そういう、ことか……。

 それが、お前の望みか―――」




 ***




「跳躍イメージ……よし。

 問題はありませんね―――やってください」


『跳躍!』


 しかし、何も起こらない。

 草壁の指示どおり、ヤマサキは撤退命令を受けて、翻訳機への指示を行っていたが、未だその努力は報われていなかった。脂汗を滲ませながら、しかし諦めずヤマサキはコンソールを叩いた。命令は間違いなく伝達されている。

 ならば―――。


 B級ジャンパーの跳躍イメージが悪いとは思えない。

 翻訳機(システム)が拒んでいるのだ。


 ―――彼の命令を拒絶するほどに。



「どうして……完全なシステムである以上、意識など、既に無い筈です。

 おかしい、理不尽だ」


 ヤマサキは困惑した。

 今まで暴走などしたことが無いシステムは、完璧であると思われていた。

 彼の命令は、寸分違わず確実に実行され、狂いなど生じたことは無い。

 固有のイメージ解析から、特定個人のジャンプをキャンセルすることも成功した。


「ヤマサキ博士!

 ボース粒子発生しません!」


 そんなことは分かりきっている、そう言い返す前にヤマサキは席を立った。


「繰返し行ってください。

 私は、翻訳機の侵食濃度を調整してみます」


「はい!」


 焦る研究員を宥めながら、ヤマサキは遺跡の少女の元に向かう。


「―――濃度を120%以上に固定すれば、自我も崩壊するでしょう。

 今更、躊躇うことも無い―――うわっ!?」


 次の瞬間、激震が仮設施設を襲った。

 たまらずよろけ、膝をつくヤマサキ。天井を突き破って落ちてきた黒い夜天光に目を奪われる。舞い上がる砂埃に顔を顰め、袖で拭いながらヤマサキはコックピットハッチが開くのを呆然と眺めた。

 銀色の髪を靡かせ、地上に降り立つ少女を見て、叫ぶ。



「……フィリス・クロフォード。

 そうか、そういうことですか……!」



 確証も何も無い。しかし、そんなつまらない思索など吹き飛ぶような確信を持って、ヤマサキは口元を綻ばせた。


「直接面識が無かろうとも、同じ肉体を分けた姉妹だからこそ、つながりがある。そこには感情の入り込む余地など存在しない。意識の奥、本人も理解できないほどの深層心理が働くからこそ、翻訳機は私の命令を拒んだ―――」


 ブツブツと呟くヤマサキ。


「あいにく、何を言っているのやらサッパリだ、ヤマサキ。

 ……フィリス・クロフォードは返してもらう」


 彼女の言い様に、ヤマサキはようやく顔を上げた。苦笑して、口元を歪める。


「ヤレヤレ。

 貴方を創り上げたのが誰だか忘れてしまいましたか?

 その身体の細胞一つ一つが、私の手で生み出されたものなのですよ?

 もちろん、嫌だといっても言うことを聞かせる手段は講じてあります」


 白衣の懐からグリップ型のスイッチを取り出し、フィリスに見えるようにちらつかせる。

 呆れたような表情を作って、フィリスは彼を煽った。



「―――やってみれば良いだろ。

 それで気が済むのならな」


 カチ。

 スイッチが押し込まれ―――しかし、ヤマサキは変化のないフィリスの様子に戸惑った。ありえないことだった。発信機は故障していない。電力が切れたわけでもない。北辰も、確かに効果はあったと言ったはずだ。何度もスイッチを入れながら、ヤマサキは困惑を口にした。


「……な、何故!?

 ―――ま、まさか!!」


「お前は俺たちを侮りすぎたんだ。

 天河明人を駒として扱う為に、この夜天光でシャクヤクを沈めた。

 木連艦隊―――白鳥九十九が戦わずとも、地球連合を足止めすればそれでよかった。

 確かに草壁春樹とお前の筋書き通り、事は運んだ。

 ……だが、結果は違ったな。

 白鳥九十九は再び和平を選んだ。

 地球連合は落ちない。

 天河明人は死んでない。

 ―――この夜天光が破壊されないとは考えなかったのか? ヤマサキ。

 抑制剤のお陰で―――ナノマシンが停止しても、この身体は健在だぞ」


「……!」


 躊躇いなく迫るフィリスに、ヤマサキは顔色を無くして気圧されたかのように後退った。遺跡に背を預け、じりじりと左に回りこむ。しかし、それを逃さずフィリスはヤマサキの足を引っ掛けて転ばした。無様に背中から倒れこんで、ヤマサキはフィリスを見上げる形になった。


「わ、私は貴方の父―――」


「知らないな」


 フィリスの右の拳が、ヤマサキの肺腑を抉った。

 おそらく身体を直接痛めつけられたことなどなかったのだろう。


 一撃で、ヤマサキは意識を手放していた。

 殺すわけには行かない。その罪を、洗いざらいぶちまけて貰うまでは―――。


「…………」


 ささくれ立った心を落ち着かせて、遺跡を見上げるフィリス。ナデシコが施設の外に着陸したのだろう、木連技術者が逃げ惑う中、それは淡い輝きをフィリスに示した。


 金色の、人の形をしたオブジェ。

 ―――分かっている。

 それが何なのか、誰なのか。


 寸分違わぬ姿形をしていながら、しかし命あるものと無いものは明らかに違っていた。




 ***



 重い沈黙が、作戦室を包んだ。


 崩れ落ちるヤマサキの姿を見届けて、草壁は全ての望みが潰えたことを悟った。

 両腕を机に付き、掻き毟るようにして握り締める。



「……我々の負けだ……!

 投降する……!」



 最後の最後まで、誤算は続いた。

 モニターに映る少女の後姿。そして、振り向いた素顔。


 翻訳機と瓜二つな―――マシンチャイルド。


 ヤマサキの明かさなかった内情など、知りたくもない。ただ、おそらくあの少女が全てを握っていたのだと―――草壁春樹は理解した。翻訳機を制御する力は、自分たちの手には初めから無かったのだ。


 だが―――。

 これで良いのか、木連よ。白鳥九十九よ。

 和平は確かに為されるであろう。しかし、我らの未来に、依然として先の見通せぬ、不透明な闇が広がっている事実を、どう解決するのだ。

 変える事などできるものか。

 力なき者に、平和を望む術など無い。

 遺跡の力無くして、対等に地球連合と渡り合えるなど―――それは、思い上がりにしか過ぎないはずだ。

 
 そう思うことで、草壁春樹は己を満足させた。




 ―――後に蜥蜴戦争と呼ばれた大戦は、こうして幕を閉じた。

 しかし、まだ、全てが終わったわけではない。

 もう少し、語らなければならない事がある。




 ***




「殺さないのね」


 遺跡の影から現れた、イネスと明人の姿を見て、フィリスは強張っていた頬を緩めた。


「イネス、俺はそこまで短絡的じゃない。

 ……お前もいたのか」


 マントを失い、バイザーを割られ、額に傷を負ったまま―――明人は動かないヤマサキを見やる。


「終わったようだな」


「ああ。

 遺跡から切り離すのに、コイツのデータが必要だろうからな。

 ―――ところでイネス、そのプレート」


 イネスが胸元で玩んでいる、幾何学模様の掘り込まれたカードを見て、問う。


「……逢ったのか?」


「ええ。

 まあ、私のほうは―――問題なかったわ。

 ただ―――」


 言葉を濁して、イネスは言葉を切った。


「……何だ?」


「―――俺たちが見ては、いけないものだったのかも知れない。

 すまん……先に見てしまった」


「何を?」


 訝しげに問うフィリスに、無言でイネスはプレートを押し付けた。


 記録は、勝手に再生された。

 彼女の目の前に。


 光で構成された、ホログラムとして。




 ***




『こんにちは……じゃないか、初めまして。

 結局、ちゃんとした形では逢えなかったね、残念』


 やわらかく微笑む。

 素の自分には到底―――できない笑顔だ。

 こんな姿にされて、機械のように扱われて―――。

 しかし、そんな影も感じさせない眼差しで、もう一人の自分と相対する。


『もう一人の私―――って言い方は、あんまりだよね?

 双子みたいなものなんだから、できればお姉さんって呼んで欲しいな。

 悪くない考えだと思うんだけど―――』


 記録だ―――遺跡の残した、彼女からのメッセージ。

 それでも、フィリスは言い返さずには居られなかった。


「何を言ってるんだ、お前は。

 これじゃまるで―――」


 遺言だ。

 助け出す術は、幾らでもある。

 イネスなら、できるはずだ。ユリカを助けた時のように―――。

 こんなものを残す理由など、無い。


『貴方は、私の妹だけど、やっぱりフィリス・クロフォードで良いと思うの。

 ……何故って?


 ―――私ね、遺跡に融合されちゃって……ずっと意識が無くて。

 それでも、だんだん自分が遺跡の一部になってるのが分かるようになって』


 勿体つけるように、彼女は深呼吸した。


『それで、思いついちゃったんですよ。

 とりあえず、戦争の原因になってる遺跡を、どうにかしちゃう方法』


 ウィンクしながら、人差指を立てて―――。


『壊しちゃったら、今がなくなるかも知れない。

 遠くに捨てても、誰かが拾ってしまうかも知れない。

 なら、この時代から無くしてしまえば良いって、気づいたの』


 フィリスはホログラムに苛立ちをぶつけた。


「お前はバカだ。

 遺跡が何だって言うんだ。

 ただの機械だ、そんなものは。

 自分ひとりが犠牲になって、それで何が変わる?

 遺跡を飛ばすなら、A級ジャンパーに任せればすむ話だ。

 この先の時代の、100年でも1000年でも未来に捨てさせればいい。

 それじゃあ、ダメなのか?」


「A級ジャンパーが飛ばそうとするモノが遺跡なのよ。

 たぶん、拒否されるわ。

 遺跡が無い今の時代の記憶は、知りえないから。

 でも、遺跡が自分から無くなるなら―――矛盾は起きない」


 イネスの説明に、フィリスは言葉を無くした。


『だから、これでさよならになっちゃう。

 ひょっとしたら、まだ貴方が生きている間に、帰ってきちゃうかも知れないけど。


 ―――それでね、最後に一度だけ―――言って欲しいの。

 お姉さんって。

 それで私、けっこう満足』


 メッセージはそこで、終わっていた。

 微笑んだまま、じっと―――待っている。


「……たぶんそれが、キーワードだ。

 お前が―――そう呼べば、遺跡は無くなる。

 少なくとも……今の、この時代からは」



 途方に暮れた様子で―――フィリスは明人を見返した。

 ついで、イネスを見る。

 アキトを、ルリを、駆けつけていたナデシコのクルーを。


 誰も、何も言わない。

 言える訳が無い。



 いや―――アキトは、躊躇いながら、口を開いた。



「……待っていてあげれば良いじゃないか、フィリスさん。

 未来なんて、ずっと先って決まったわけじゃないし……いつか、きっと逢えるよ」


「僕らが、間違えたりしなければ、そのうち彼女は戻ってくるってコトだろう?

 なかなか妙案だと思うね」


 アカツキも後を続ける。



「―――フィリスさん」



 ルリの声に後押しされるようにして、フィリスは手のひらで額を押さえながら―――目を閉じた。分かっている、それが唯一の……今を平和にできる、たったひとつの手段なのだと言うことは。

 例え二度と逢えないとしても、彼女はそう言う他無かった。



「またな、……姉さん」




 ***




 黄金の輝きを放って、遺跡はその姿を段々と閉じていった。

 オリジナル・フィリスの姿が完全に遺跡の中に飲み込まれ、光が渦を巻く。

 視界が真っ白に染まる。


 これが最後の―――跳躍。

 ここから先、少なくとも人類には―――手が届かない技術。


 極冠遺跡の頭上に現れたゲートへ、遺跡は吸い込まれていった。




「…………」


 その光を見送って、片目の男は踵を返した。

 風で煽られる黒いマントの下に、右腕は無かった。


「……まだ、動かん方が良いと思うのだがね」


「ご老体、我は―――全てを失った男よ。

 忠告は聞かぬ」


「生きていれば、贖罪も出来よう。

 ……その命、無駄にせんようにな」


 バッタの背に乗ったフクベ提督は、去っていく男を見送った。





「跳躍できなくなっただと?

 ……そうか、ということは……!」


「……上手くいったようね、白鳥司令」


 九十九とムネタケが、万感の思いを込めて握手を交わす。

 まだ、ナデシコからの報告は無い。

 だが、総本部への増援部隊が現れない以上、間違いないと思えた。





「……決着、付いたみたいですね」


 イツキは、空を見上げた。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。

 無線に怒鳴りつけていた上官も、銃を手に立て篭もっていた兵士も、その瞬間、何かが終わったことを本能的に悟っていた。





「〜というわけで、草壁派の拘束は完了しました!

 帰還は一ヶ月先になると思いますけど、報告は以上です!


 ……こんなもので良いかな? ジュン君」


「うん、跳躍できない以上、先にレーザー通信で報告しておかないとね。

 メグミさん、よろしく」


「はーい」


 ポンポンとコンソールを叩きながらメグミは、ぼぉっと外を眺めていたミナトに笑いかけた。


「戦争、終わったんですよミナトさん。

 これで大っぴらに九十九さんと会えますね?」


「あはは」


 笑って、しかしミナトは呟いた。


「だと良いんだけどね〜」


 戦後、重要人物となる白鳥九十九が、そうそう会いに来ることは無いだろう。それが分かっているからこそ、ミナトはそれ以上口には出さなかった。





「どういう風の吹き回しだい? テンカワ」


「いえ、その……俺、やっぱ料理で一人前になりたいっていうか。

 ホウメイさん、料理屋やるって聞いて、それで」


 ―――フィリスも大変だねぇ。

 内心の苦笑を現さず、ホウメイは承諾した。


「いいよ、地球に戻ったら、改めて電話してきな。

 ちゃんと一から、鍛えなおしてあげようかね」


「は、ハイ!」





「復興事業……ウチが?」


「ええ。

 今なら、独占できるはずです。

 相転移型客船が完成すれば、ネルガルは兵器産業だけでなく、宙港ビジネスでもリードできるでしょう」


 エリナの差し出した資料に目を通して、アカツキは満更でもない表情を作った。


「……なるほど。

 そう言われると、この火星が金脈に見えてきたよ。

 これから忙しくなりそうだ」







「ここに居たんですか、フィリスお姉さん」


「ああ」


「もうすぐ、出発するそうです」


「そうか……この景色も、しばらくは見納めか」


 展望室から外を眺めながら、フィリスは呟いた。

 遺跡の無くなった―――すり鉢状のドームの中で、ナデシコは地球へ帰還する準備を進めていた。まさか、跳躍できなくなるとは思ってもみなかった彼らは、現地で帰還のための補給物資をかき集めなくてはならなかった。その作業に三日を費やし、ようやく出発の準備が整ったのである。



 ―――次に、火星へ訪れるのは何時になるのだろう。

 最速のナデシコでも1ヶ月は掛かる距離は、そう簡単に来られるモノではない。

 それでも、来なければならない。

 ……何時か、必ず。





 様々な思惑を抱えながら、ナデシコは上昇を開始する。

 次第に、相転移エンジンを最大に―――ディストーションフィールドに包まれながら、地球を目指して。


 今、火星を飛び立つ。





























エピローグへ続きます。