一騎当千

〜第二十五幕〜





















軍人として、人間として

どれを優先するかに善悪はない。


だから、それを否定することは出来ない。

そして不器用な人間はその間で苦しむ。

器用な人間はそれに折り合いをつける。


しかし、どんな行動をしたとしてもその責任は自分にある。


だから、責任を持てる生き方こそが正しいといえる。

だが、それは困難なことでもある。


たとえ傷つくことがあったとしても、それを受け止めて生きていく。

それが「強さ」なのかもしれない。















「こんにちは…姜約さん」


姜約はふと声をかけられる。

振り向くと、そこには黒衣の人物――アキトの姿があった。


「こんにちはアキトさん。今日も釣りで?」

「ええ……まあ」


笑顔で返してくる彼に対して、アキトは恥かしそうに答える。


『まあ、逃げてきた…って、言えるわけないわよね』

『アキト兄も良く飽きないよ…』


この会話が、彼の行動の理由を示している。

いつものこととは言え、ある意味習慣になっているのかもしれない。

釣りの腕は一向に上がっていないが…



「…それより、どうですか?」


アキトは話を変えるように、姜約の前にある紙―つまり絵を覗き込みながら問いかける。

姜約はその視線に気づいて、自分の絵に顔を向けて、わずかに遠くから見えるように、身体を遠ざけながら眺 める。

自分の黒髪を邪魔にならないように頭を布で頭巾のようにして縛っている。


「まあ…あらかた完成です。まあ完成させるというよりは、感覚をつかむことを重視していますけど…」


自分の絵が見られるのが、気恥ずかしいのが、頬をかきながらアキトに答える。

その動作にアキトは懐かしさを覚え、わずかに笑みを浮かべた。


「やはり修行は数をこなしてこそのものですよ…俺も経験があります」

「アキトさんも何か修行を?」


アキトの言葉を姜約が拾い、問いかける。


「ええ、これでもコッ…料理人が夢で…」

「そうなんですか」


思わず「コック」と言いそうになるのを言い換える。

これまでこの世界で暮らしてきて、コックという職業は通じなかった。それを見越した上での言葉だった。

一方、姜約はわずかに驚きの表情を浮かべた。それはそうだろう。彼を見る限り「料理」と連想できるものが見 当たらないのであるから。


「じゃあ、アキトさんは言うなら先達というわけですか」


ははっ、と笑った後、そう冗談めいた言葉を付け足す。


「やめてください、俺と姜約さんはそんなに変わらないでしょう」


わずかに苦笑しながらアキトはたしなめる。

しかしその表情には何時になく嬉しさが浮んでいた。



そして、二人はしばらくの間、自らの話をしていたのだった。

自分の修行のこと、夢のことなど…

そのときばかりはアキトは戦いを忘れた。





一方は料理、一方は絵画…道は違えど、二人は確かに夢を目指した者達であった。

だから、アキトがそういった連帯感に包まれるのにそう時間はかからなかった。




実際、アキトは「戦い」の上での「友」と呼べるものが多かった。

もちろんそれで得た親友は、大切な者であったが、自分のこういった「夢」の面での理解を求める人間は少な かった。



だから、どこかで寂しかったのかもしれない。戦いでしか絆を作れない自分が…

しかし、それは思い込みであり、誤解であろう。彼の周りは決してそう思っていない。

出会いは戦いであっても、その絆はそれを超えたものである。

ある意味アキトらしい、自虐的な思考と言える。




だから、互いに「夢」を目指す者としての「絆」を求めたのかもしれない。


そして、





「どうですか?姜約さん。しばらく俺のところに滞在しませんか」




こんな言葉を口にしてしまったのも…











だが、アキトは知らない。

姜約――姜維は確かに絵描きとしての夢を持っているが、彼は戦いに身を置く者でもあったのだ。

そうアキトのように…



皮肉であると言えるのだろうか



































「アキト様!…この重要な時期に……もう少し考えてください」


宮殿の一室で、壁が震えていた。

その言葉は、温厚と知られている人物からのものであった。


その言葉の対象―アキトは椅子にもたれかかり、その表情を翳らせていた。

夜を迎え、暗くなり、部屋でともされている火の揺らめきが、さらにその色を強くしているようにも思える。


そして、その黒き瞳には、彼の護衛であり、軍師でもある人物―陸伯言その人を映していた。






アキトが姜約を誘い、宮殿に連れてきたのだが、そこに待っていたのは諫言であった。


実際、その主が、名士や旅の者、食客を迎え入れることはおかしいことではない。

それは、一種の娯楽のためや、教養、他国の話を聞くなどの目的や、家などの評判を高めることでもあるの だ。


しかし、今回のこのアキトの行動は時期が悪かった。

明らかに戦争前だというのに、得体の知れない人間を身辺に置くことは危険なのである。

しかも―アキトは知らないことであるが―この呉の国については、孫策が食客に襲われ、その傷が元でなく なったという過去がある。

陸遜がアキトに対して、声を荒げるのはいたしかたなかったのである。





「…すまない、陸遜さん。迂闊だったよ」


流石にアキトも自分の迂闊さを悟ったようであった。

しかし、一度招待した以上、追い払うということはしたくない。

それは陸遜もわかっているようである。誘っておいて問答無用に追い出せば、アキトの評判に関わる問題でも あったからである。


「ふう…、まあ姜約殿は初めて会った後、滞在の宿を調べさせましたから…危険はないと思いますが」


一度溜めた息を吐き、感情を落ち着かせ、冷静に言葉を告げる。

先日会った後、陸遜は手の者に姜約の周辺を探らせた。

しかし、彼に接触する者もなく、毎日の行動も異常はなかった。

そのため、陸遜はある程度、姜約の危険性を低くしていた。


「しかし、本当にお気をつけください。大きな戦が控えているのですから…」

「ああ…、気をつけるよ」


軍師の言葉に主は言葉を返す。

その声は、真剣なものであった。

が、そう言っていても、どこか不安を感じてしまうのは気のせいだろうか。



テンカワアキト、戦闘能力はあっても、その自分が与える影響がどんなものかを理解できていない人間のよう である。










陸遜は部屋を辞した後、廊下を歩いていた。


「陸遜殿……」


背後から声がかけられる。彼にはそれが自分の同僚の趙雲であることがわかった。

陸遜はその歩みを止める。しかし、振り返ることはしなかった。


「どう思います?」

「『彼』ですか…」


互いに情報が欠落した会話であったが、その意図は通じていた。

陸遜はその言葉に頷くが、それが背後の人物が見えているかはわからない。

わずかの間、その場を沈黙が支配する。


「危険はない……と思いたいところですね」


そして趙雲はわずかに思案した後、答えた。

これは彼にしては珍しく、はっきりしない答えだった。


「趙雲殿もですか…」


そこで初めて、陸遜は振り返る。

彼の目には、軽く握った手を口元に寄せて思案する姿が映っていた。

夜であり、月明かりそんな強くないため、細かい表情はわからないが、その色は困惑という言葉が当てはまる だろう。


「正直、私も判断を保留しています」


――『彼』が賊であるかどうか――という言葉を陸遜は口にはしなかった。




二人の共通した考えでは、今の時期では近づく者すべてが怪しく見えている。

だから、時期から言えば、間違いなく『彼』は怪しいのだ。


『彼』とは姜約のことである。


しかし、実際会ってみての感想では、怪しさを『感じなかった』。

そして、それを裏付けるような調査の結果も報告されている。


だが、この時期、最も主に近い位置にまで来ている人物である。

可能性がないわけではない。あってからでは遅いのだ。



「とりあえず、様子を見るしかない所ですね」

「常に監視をつけておくことにします」


趙雲の呟きに、陸遜は答えた。

最良でないにしても、妥当な処置であるといえる。


「警戒すべきは次の新月ですね……」





その言葉が…夜の濃紺に流れていった。




















そうして、この客人を加えた生活が始まった。

それは周りの不安とは裏腹に、非常に穏やかなものであった。


基本的には、姜約は与えられた部屋で絵を描くようにしており、そこにアキトが尋ねていくという形だった。

その内容は話をするという単純なものであるが、それでも彼にとっては満足のようであった。


ただ、その会話が二人だけでということはなかった。

アキトは陸遜や趙雲と共に部屋を訪れ、自然三人以上での会話となる。

また、尚香といった女性達もまた、アキトと共に訪れることが多かった。

何しろ、アキトの話自体を聞けるのだ。彼のことを知りたいと思っている者なら、その内容は興味深いものであ ろう。


このように穏やかではあるが、やや騒がしい生活が過ぎていった。





そして、ある夜を迎える。


















「……嫌になるくらい、闇が塗りこまれている……」


普段、礼儀正しく、誠実な人柄で知られるその人物が、珍しく悪態をついていた。

その目の先には、光が差さない黒の世界が広がっている。

しかし、彼の―趙雲の目には何かを見つめているような色があった。


「さて、今夜は出陣前の最後の新月……何も起こらねばいいのだが」


わずかに不安を滲ませながら独りごちる。

が、内心では間違いなく起こるであろうことを予想していた。

おそらく自分たちが警戒していることなど、相手にとっては百も承知であろう。

それでも新月という舞台は、守る側にとっては非常に不利な条件である。


相手が「影」である以上、その戦いは「見つけるか、見つけないか」の戦いとなる。

彼らはまず、危険を排除するために、見つかればすぐに逃げる。

闇に紛れ、逃走する賊を追うのは困難なことであるため、前回のように逃走の道を予想することもあった。


しかし、基本的には如何に賊を発見することにかかっている。

そのため、この新月の晩では、その闇を侵食する明かりが必要なのである。

証拠に、普段以上に篝火が設置され、煌々と宮殿の周りを覆っていた。


それでも完璧ではない。

新月という闇はそれだけ強大なものなのであった。














新月のため、窓からも光が差し込まない部屋の中で、一人の男が目を開けた。

が、すぐに目を閉じる。


(……二人…か……)


床に横になりながら、そう心中で確認する。


それは自分を見つめる目

擬態はしているものの、彼にはそれを理解できた。

それは彼もまた擬態をしているからでもあった。しかし、相手にはそれはわからない。

そのことが、双方の実力の差を如実に示していた。


(やはり、いつもより気が昂ぶっている……新月だからですか)


男は、そんな細かな挙動まで読み取っていた。つまりそれは普段からその目を認識していることを意味してい る。

常に見られている中で、それを悟らせない。

想像以上の緊張と圧力を感じているはずであるだが……

恐るべきはその擬態である。




闇と静寂に包まれる中、彼はその緊張を読み取り、一つのことを悟っていた。


(……来ますね)


と、内心呟いた瞬間、その緊張が弾ける雰囲気を感じ取った。

どこかあわただしさが遠くより伝わってくる。

同時に、自らを見つめる二対の目がわずかに強くなった。




しかし、彼はそれを感じながらそのまま意識を手放す。

そして、そのまま眠りへと入っていった。



















篝火の元二人の衛兵が侍していた。

赤い光が、彼らの頬を染め上げている。

時折、炎の揺らめきがその影を微妙に動かしていた。


「流石に深夜は冷えるな」

「ああ」


二人は周辺を見回し、異常がないか警戒しながらそんなことを言い合っていた。

警戒中に私語は厳禁だろうが、これぐらいは許されてもいいだろう。

長時間警戒する状態を維持し続けることは不可能である。

そのため、わずかに集中が途切れることがあるのは仕方がないことであった。


炎の近くに立っているため目が乾くのか、衛兵の一人が目を強く瞑り目を潤す。

血流が遮られた後に、圧迫をやめることで戻るわずかな開放感を覚える。

そして元の視界に戻ったとき、その中にわずかな揺らめきを確認した。

炎の揺らめきのため、影が動いたように見えたのかと思ったが、何故か気になった。


「どうした?」

「…いや、今影が動いたような……」


その挙動を不審に思い問いかけた相方に、はっきりしない言葉で返す。


「疲れているのか」

「いや……、ああ、そうかもしれないな」


衛兵は、一旦は否定の言葉を発したものの、すぐに相手の言葉を肯定した。

いかんせん微かなことだったため、気のせいと感じたのだ。




ある意味、この判断はこの衛兵の命を救うこととなった。

が、それは言い換えると、別の者に危険が訪れることを意味する。

すなわち、彼らが守っている者へ









その篝火の光が届かない黒の中。



闇と同化しながら、数人の男が息を潜めていた。

その手には、黒く塗られた刃を持ち。

もし、衛兵がこちらにやってきていたならば、その刃で音もなく排除されていただろう。




彼らは闇の中、わずかに動きを見せる。

完全な闇でも、彼らの夜目はそれを読み取ることに長けていた。


そのまま、宮殿へと入っていく。





宮殿の入り口で、集団は二つに別れた。

集団のうち、三人が宮殿の奥へと入っていく。一方、残った者はその周りに散って、身を潜めた。

単純な役割から考え、先行した三人が目的を果たし、残った者が退路を警戒するというものであろう。

あらかじめ決められていたような、洗練された動きだった。






漆黒の中を音もなく、ただ一陣の風となって駆けて行く影。

まるで建物の構造がわかっているかのように、迷いもなく進んでいく。


が、不思議なことに、宮殿内部では衛兵に出会うことはなかった。

ただ、廊下に点々と設置してある灯りが廊下を照らしているのだ。

いくら外で警戒しているといっても、内部に誰もいないというのは異常であるといえよう。


しかし、影たちはそれを感じないかのようにただただ奥へと進んでいった。





そして、角を曲がり長い廊下に出た。

ここを抜ければ、目的の部屋に着く事となる。

だが、その瞬間、その影は歩みを止めた。



なぜなら


「これより先は行かせませんよ」


一人の男―陸伯言が立っていたからであった。





















「………」


影たちは、自分たちを止める障害が出ても、何の感情も見られなかった。

ただ、懐から黒い刃を出す。


そして、それが意味するところは…


『排除』


相手を速やかに排除し、目的の完遂を目指す。





シュイン



その様子を見て取れたのか、相対する陸遜は自らの双剣を抜く。

引いてくれることを望んだが、どうやら相手は前に出る事を選んだらしい。


そして、その抜刀が戦いの合図だった。





三つの黒が、それぞれ分かれて動く。

陸遜はその中で真中の黒に対して警戒をした。


その黒が彼の間合いに入ったところを一刀で斬ろうと考えていた。


こういう影の者との戦いは時間をかけないことである。

変則的な動きや、暗器を用いるなどの戦い方に対しては時間をかけることは許されないのだ。

時間を与えれば、それだけ相手の戦術が増す。


しかも、一対多数という前提である以上、早期に人数を減らすことは重要なのである。

そのため、陸遜はまず人数を減らすことを選んだのである。




しかし、それを妨げることが起こった。



フッ



突然、陸遜の視界が黒く染まった。


「………!!」


突然のその状態に、彼はとっさに右手の剣を横にし、喉と心臓を守るように後ろに跳んだ。


キンッ


瞬間、剣の腹――喉元に刃を重ねた乾いた音が響いた。

どうやら、正面から来た影は喉を狙っていたようである。

その衝撃と、後ろに飛んでいたこともあり、彼は体勢を崩す事無く間合いを取ることが出来た。


(…視界が!!)


陸遜は「闇の中」で、この状況に陥った迂闊さを呪った。

それは相手の意図を見抜けなかったことに対するものであった。


相手の意図……それは廊下の灯りを消すこと。


三人のうち一人が注意を引き、横の二人が明かりを消す。

その一人に注意をしていれば、暗闇が訪れた瞬間、その目標を見失う。

そこを狙って、死を与えるという意図であったのだ。


だが、陸遜はその目標を見失った瞬間、自分を守る選択を即時に下したからこそ無事だったのである。

そして、相手が暗殺者である故に守る場所を限定したのが大きかった。

もし相手が武将であるなら、その力に任せて斬られていただろう。



しかし、初撃はやり過ごしたものの、未だに不利な状況であることは否めなかった。


陸遜はすぐに横に飛び、三者の攻撃の回避に備えた。


一対多数の鉄則は「動きを止めない」ことである。

そのため攻撃を出来るだけ受けずに回避することに重点を置く。

もし、受けて動きを止めれば、そこを別の敵に付け込まれる。

ましてや体勢を崩すことなど避けなければならない。


そのため彼としては、回避して相手の体勢が攻撃により崩れたところを狙うのが基本となるのである。



しかし、陸遜にとってはそれも難しかった。

多数を相手にしながらの暗闇での戦闘。

影という特殊な相手、暗器などへの警戒。


それらの要因が彼を包んでいた。






しかし、相手は彼にそんな思考をさせる暇を与えてはくれなかった。

黒い刃の嵐が陸遜に襲い掛かる




一撃



左からの刺突を一歩後ろに下がることでかわす。



二撃



右下より振り上げられる刃に対し、上体を逸らした。



三撃



その上体への追い討ちを、そのまま後転してやり過ごす。



四撃



そのまま腕の力で跳ね起き、地面ごと突き刺すように振り落とされる刃を回避した。ガツッという石を叩く音が響 く。



五撃



体勢を立て直し、正面を向いたところで、風を切り裂くように投射された刃を、剣を立てて弾く。



六撃



心の臓を狙う一撃を剣で逸らす。その刃は背後の壁に傷を作る。



七撃



下段への足払いに対しわずかに添え足を浮べ、その衝撃を逃がす。



八撃    九撃



左右から同時に振り下ろされる刃を、双剣でそれぞれ受け止める。その刃を重ねる音と、先ほど弾いた刃が地 に落ちる音が乾いて響く。









この瞬間、彼の動きは完全に止まった。









そして、十撃






単なる刺突…だが背後は壁、両の手は二本の凶刃を受けている。そして、それを支えるため両足は動かせな い。



このまま、時が過ぎれば陸遜は壁に縫い付けられるように刺されるだろう。

それは、すなわち死を意味する。





彼は訪れる最悪の光景を瞬間に浮かべた。




しかし





キンッ






瞬間、その刺突の刃が弾かれた。

そして、その力は凄まじく、その持ち主の体勢を崩すほどに…





それは死に体





同時に陸遜は突然の出来事に、自分の両手にかかる圧力が弱まったのを敏感に感じた。

左右の影も動きを止めている。





そこからは刹那の出来事であった。


まるで時が止まったかのように…







陸遜は、自分が斬る線…その軌跡が目の前に視えていた。




ただ、その線をなぞるように剣を振るえばよかった。その神速の速さで…












一・閃・斬










それだけだった。
















その場には、三つの赤い花が咲いていた。

しかし、その暗闇ではその花を愛でることなど出来はしないだろう。






カッ…カカン




ただ、陶器の欠片が転がる音だけがその場には響いた。




















陸遜は無言で染み付いた動きのように、剣につく血を拭っていた。

その視界の隅に、ボウっとした灯りが差し込んできた。


「起こしてしまいましたか…」

「流石にあれだけの殺気だと眠れはしないさ」


陸遜が苦笑しながら問いかけると、その相手も苦笑をして答えた。

その男が持つ光が、二人の周りを照らす。


「しかし、助かりました、アキト様」

「いや、守ってもらっているんだ、これぐらいはして当然だ」


礼を述べる陸遜に、男――アキトはわずかに肩をすくめて答える。


「助かりました」――それは先ほどの状況にアキトが関与していたことを意味していた。

あの十撃目を弾いたのは彼だったのである。



アキトは床に血溜りを作る三つの死体を見た。


「…今回はかなりの手練を送り込んできたようだな」

「ええ、流石に出陣前の最後の新月ですから、向こうも必死だったというべきでしょう」


それは、実際に相対した彼が一番わかっていた。これまでの刺客とは全く質が違っていたのだ。

アキトの助力……彼を凶刃より助け、敵の動きを止めた一手。

それがなければ、ここに伏しているのは自分だったのだろう。

そう思うと、わずかに背筋に凍るものが走る。





そこに衛兵を伴い、趙雲がその場に現れた。

アキトの姿を見つけ、礼の態度をとる。


「趙雲殿、他の賊はどうなりました」

「中の騒ぎに気づいた時には撤退していたようです」


陸遜の問いに、趙雲はよどみなく答える。


「流石に、これ以上の危険は冒さないか…」


二人の主が、顎に手を当てながら述べる。

その間にも、趙雲が連れてきた衛兵が死体の処理を行っている。


「しかし、これが最後でしょう…、もう日もありませんし、何より相手も駒を失いすぎています」


趙雲の言葉に彼の同僚も頷く。

一概にそうとはいえないが、間違っていない見方だといえる。


「まあ、警戒はいつも通り行っていって欲しい、重要な時期だからな」

「「御意」」


主の言葉に二人は臣下の礼をとる。

そして、二人はアキトの前を辞していった。

















アキトの場を去り、二人は廊下を歩いていた。

が、いきなり二人はその歩みを止める。


「…陸遜様」


彼らの背後から声がした。

しかし、陸遜は振り返らない。それは趙雲も同じだった。

ただ、二人とも真剣な顔をしていた。


「『彼』は…」

「いえ…なんの動きも見られませんでした」


その声は、陸遜の短い問いに、無機質に答える。


「そうですか…わかりました」


そう言った瞬間、背後の声はなくなっていた。




しばらく、その場には静寂が訪れる。







「……我々の杞憂でしたか」


それを破ったのは趙雲だった。


「……そうかもしれませんね」


少し目を瞑り、陸遜は答える。


今夜は絶好の機会だった。もし、内部と外部が連携していたならば、大きな収穫が得ることが出来たはずだろ う。

それなのに『彼』は動かなかった。

『彼』に会ってから、『彼』は不審な行動は一つもとっていない。

彼らが抱いていた不安は、無用のものであったのだろうか。









しかし、まだ『彼』の札は伏せられている。

それに気づいているのか、いないのか……









人を殺すのは、一瞬あれば事足りる。

それは刃物の切れ味のように。

それが竹光であっても、そこに刃を仕込めばそれは必殺の刃となる。











こうして、新月の夜は明けたのだった。



























そして、再び穏やかな日々が訪れる。


いつものようにアキトと姜約は会話をして、それに女性達がアキトのことを聞こうとする。


そんな姿を見て、姜約は笑っていた。そして、幼き姉妹も笑っていた。




幼き姉妹は姜約に絵を習っていた。


興味がわいたという。


そんな二人に彼は親切に教えた。


それは彼にとっても「楽しかった」



ある時はアキトたちの手合わせを見た。


姜約はその技量に純粋に驚いた。




ある時は、アキトたちの絵を描いた。


妙に女性達がそわそわしていたのが印象的だった。





非常に穏やかな日々。



しかし、運命の日は訪れる。









それは満月の晩




























深夜、姜約は絵を描いていた。

それは、いつぞや描いていたアキトたちの絵である。

その絵は、未完成なところがあり、一部の描きが甘いところがあったのだ。


彼は筆を動かしながら、二つの思いに耽っていた。


一つは、これまでのアキトたちとの日々


そしてもう一つは


自分の仕える国のこと……そして与えられた命令であった。







姜約、いや姜維は司馬懿にある命を受けていた。


『テンカワアキトの調査』


しかし、司馬懿という人物を見通すと、この表面の命とは別の命令が含まれていることがわかる。

そして、それは姜維には読み取れてしまったのだ。


その調査の目的は戦争に勝利するため…、それならば単に調査するより効率がよいことがある。


そして、可能ならばそれを成功させよと…








つまり、司馬懿は正式にはこのような命令を暗に彼に下しているのだ。









『テンカワアキトを調査し、可能ならば暗殺せよ』
















その命と、これまでのアキトとの交流が彼を苛む。

彼にはわかった。

アキトが自分にとって好ましい人物であることを…

そして、その魅力を。



だから、自分の仕える国にとっての脅威になることも悟っていた。



もし自分が「姜約」であるならよかった。



しかし、彼は「姜伯約」


魏に仕える『軍人』なのである。







『軍人』として『人間』として







彼は選ばなければならなかった。













満月の光が、窓から差し込んでくる。

それが姜約――姜維の頬を照らした。

部屋の火の光とあいまって、微妙な色合いを浮かべている。


















コトッ











姜維は筆を置いた。









そして





フッ






部屋の明かりを消した……


























その影はその人物を見ていた。

命じられた通り、『彼』を監視しているのである。

しかし、彼は今まで何の行動もなかった。

実際、前回の襲撃から、監視の人数も自分一人だけとなっている。


影自身も特に警戒する必要がないのでは…と思っていた。



しかし



それは、瞬間に崩れる

そして、それは永遠に補うことが出来ない崩壊







フッ







突然、その部屋の明かりが消えた。

影は「眠るのか」という考えが浮んだが、それが彼の最後の思考だった。







スッ






軽く横に引くように……



背後から、喉を刃で斬られていた。






大量の血を流しながらその影は倒れる。

が、斬った人物がその身体を支えゆっくりと音を立てないように床に転がす。




そして、立ち上がったとき、満月の光がその姿を浮かべる。




そこにあったのは










「姜約」……いや「姜維」の姿だった。

























姜維は進んでいた。


目的の部屋に


ゆっくりと




その表情は何も浮ぶものはなく

その脳裏に浮ぶものは悟ることが出来ない。



ただ、緩慢な動きで向かっていた。





そして、廊下を曲がる。



















そして、天秤はある要因を呼び寄せた。

運命の悪戯としかいえない要因を…




















廊下を曲がったところに、人影があった。


姜維はもし衛兵がいたならば、音も立てずに処理するつもりであった。





小柄な人影だった。

その手には灯りを持っている。

そしてそれによって浮かび上がる顔は…



ドクン



が、彼の心に漣が走る。






その人影は













幼き姉妹の妹……憐麒の姿だった。













そして、姜維は彼女が何かを見ているのがわかった。















彼女は











彼女の目は














姜維の
















血にまみれた刃を
















その目に映していた



















彼女が持つ灯りが、甲高い音を立て地に落ちた。














ゆらりゆらり……揺れる……



















続く








あとがき、もとい言い訳


さて、二十四、二十五幕と連続してお送りしました。

というわけで、これからこの「三ヶ月」最大のクライマックスを迎えます。


姜維が、選んだのは結局軍人でした。

本当なら、アキトたちとの交流部分を書いても良かったんですが、蛇足っぽくなるのでやめました。

機会があれば、幕外として書きたいと思います。

ちょっと姜維の強さのバランスが崩れているかもしれませんね(苦笑)

まあ実力そのものは、武で趙雲、知で孔明とやりあった人物ですからOKということで…(苦笑)


また、今回の戦闘シーンは陸遜でしたけど、苦戦してましたね。

流石に限定された状況では武将といえども分が悪いです。

実は陸遜に「直○の魔眼」でも使わせようかと考えたりしてました←声優ネタですみません(笑)

それに近い表現はしましたけど(爆)


更新の方も三ヶ月もかかってしまい…だんだん更新ペースが遅くなっているのが厳しいです。

最近は忙しかったこともあったので。


そういえば、無双3が出るということで楽しみなんですが…

新キャラに曹仁が出てくれたのが嬉しいですね……某スレのように蹴られなきゃいいけど(笑)

個人的にはそろそろ曹丕を出してくれてもよかったかなあと思います。猛将伝の不幸っぷりを考えると。



さて、次回は満月の夜の出来事をお送りします。


感想を下さった、ノバ様、ナイツ様、五郎入道正宗様、浅川様、マフティー様、Akihiro様、アッシュ様、

カイン様、メルセデス様、健一様、天龍 秋様、本当にありがとうございました。

次回も頑張りますので応援よろしくお願いします。

それでは





休暇中の代理人の感想

引きましたねぇ。

やっぱり次の話を読んでもらうためにはこれくらいしないといけないんだよなぁ、と

全く作品の感想から外れたことを考えつつこんばんわ。




さて、姜維って有能なのか凡才なのかよーわからんところがありますよね。

そういう訳で今回は妙に違和感を感じてしまいました(笑)。

強いのはわかるけど、隠形の専門家の影を欺くくらいに自分の気配を消せるのかー、とか。

随分後の、年食った趙雲と互角だったのにまだ若い(どうにか(^^;)今の趙雲と遣り合ったら勝てないんじゃないかとか。





・・・・・・・・・あ、この世界ではキャラクターは年を取らないんだっけ(爆)。