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 この話は1000万ヒット記念企画『Blank of 2weeks』の1投稿である『Do you know……?〜あなたは知ってる?〜』の後日談です。一応見なくても読める内容を心掛けましたが、興味のある方はぜひ先にそちらのほうをお読みください。









 梅の花が散り、桜が咲き始めたある日、サイゾウは何時ものように厨房にいた。嵐のような昼時が過ぎ去り、幾分客足も衰えた頃を見計らって、食材の仕込みを行なおうとしているのだ。使った食材をチェックし、足りない分を1つ1つ手作業で仕込んでいく。機械を使えばもっと楽になるのだが、サイゾウは頑なに手作業にこだわっていた。
「ごっそさん」
「へい、まいど」
 常連客の1人が食べ終わって席を立った。
 サイゾウはジャガイモの皮を剥きながら答える。
 その様子を見ながら、客はサイゾウに声を掛けた。
「おやっさんも1人で大変だねぇ」
「ふん。もう慣れたさ」
 気さくなやり取りを交わす2人。
 ともすれば店主と客の関係ではなく、知人同士の会話にも聞こえるかもしれない。
「嫁さんの1人でも貰えば良いのに」
「へっ、女なんかいたら窮屈で仕方無ぇや。1人の方が気楽で良いんだよ」
 そう言って皮むきをしながら器用に肩を(すく)める。
 そう。彼、ユキタニ・サイゾウには伴侶がいない。それは無精髭、くたびれた衣服、その言動などを見ていれば容易に想像がつくだろう。
「でも前に看板娘達を雇ってなかった?」
「あぁ、ミスマル達のコトか。あれはちょっと訳があってな」
「もう1ヶ月くらい経つのかな? 彼女達がいなくなってから」
「そうか。まだそんなものか」
 サイゾウは昔を思い出すように目を閉じる。
 数ヶ月前、解雇してから音沙汰無しだったテンカワが現れた時には驚いたものだ。何しろ4人も女を連れてきて、そのうえ人の家で同棲しようとしたのだから……。いきなり5人揃って土下座されて、気が付けばなし崩し的に住むことを認めていた。
 それからは騒がしかった。
 ミスマルは暇さえあればテンカワの尻を追いかけようとするし、それに気をとられてアオイの奴も皿を割ったりする。
 そんな非日常的な風景を、日常になるくらい見させられた。
(……そうか。まだ、そんなものか)
 彼らがいなくなってから1ヶ月。
 これを長いと取るか短いと取るかは人それぞれだが、戻ってきた日常を、妙に物足りなく感じていることに、サイゾウ自身驚いていた。
 そう。戻ってきたのは今までと同じ日常なのだ。
 彼らが来るまではそれなりに満足していた、日常なのだ。
「寂しいとか思ったりしてない?」
「いやぁ、かえって気楽で良いよ」
 もっとも、彼の性格上そんなコトは口が裂けても言わないだろう。
 サイゾウはジャガイモを終え、次にニンジンに取り掛かろうとした。……が、何処に食材を置いたかド忘れをしてきょろきょろと周りを見回す。
「おい。ニンジン何処にやったか分かるか、テン―――」
 言いかけて、口をつぐんだ。
 短い期間ではあったが、どうやら癖として彼に染み付いてしまったようだ。
 彼はバツが悪そうに頭を掻く。
 ―――カラン
 不意に、店の扉が開いた。
 2人組の女性が入ってくる。
 共に金髪で、かなりの器量良しだ。
 ボサボサ髪の、身なりにはまるで気を使っていないのと、軽くウェーブの掛かった、まるでどこぞのお嬢様といった感じの女性。雰囲気こそ違うが、顔のつくりがかなり似ている。
 姉妹だろうか。
「えっと、表のパート募集の張り紙見て来ました」
 ボサボサの髪を後ろで束ねている方が屈託無く笑いながら言った。
 途端に常連客が人の悪い笑みを浮かべながらサイゾウを見る。
「あれ〜、1人が良いんじゃなかったの?」
「違う違う。あれは看板娘目当ての客が減ってだな……」
「あ、慌ててる慌ててる」
 珍しく歯切れの悪いサイゾウをからかう常連客。
 そんなサイゾウに、別に助け舟というわけではないのだが、声が掛けられた。
「もう、決められてしまったのでしょうか?」
 お嬢様風の女性は軽く首を傾けながら訊ねる。
 傾けた首に合わせて髪も流れた。
 その仕草には男の保護欲をいやおう無く駆り立てるような、そんな雰囲気があった。
「いや。まだ決まっちゃいねぇが……」
 サイゾウのその言葉にボサボサ髪が反応する。
「それなら、私たちを雇ってみてはどうでしょうか。私は一応家事全般出来ますし、給仕のバイトをしていた経験もあります。……失礼ながらこのお店は華やかさに少々欠けているようです。私たち2人を看板娘として雇っていただければ、それだけでも違ってくるでしょう。しかも今なら格安料金で―――」
 ボサボサ髪はそこまで調子良く口上を述べ、しかし最後の部分で不協和音が浪々と流れる彼女の声に割り込んだ。
 ―――ぐぅ。
 黙って見つめるサイゾウと常連客の視線の前で、彼女は凍ったように動きを止める。
 そして2人の視線はそのまま下降し、音の出所―彼女の腹部である―に集中した。
「……実は、昨日の夜から何も食べてないと言うか何と言うか」
「なんで?」
 ごまかし笑いを浮かべるボサボサ髪に常連客が聞く。
「路銀が底を尽きまして……」
 単純明快にして至極簡潔な答えである。
 その後ろでお嬢様風の女性が軽く溜息をつく。
「お恥ずかしい話ですわ」
 その言葉に反応してボサボサ髪が顔をしかめる。
「……誰のせいでこうなったと思ってるの」
「持ち合わせの少なかったウィーズさんのせいですわ」
 平然と言い返すお嬢様風の女性。
 それを見てボサボサ髪、ウィーズはさらに表情を険しくした。
「そんなこと言うくらいなら帰りなさいって何度も言ってるでしょ」
「はじめのうちは不慣れなことの連続なので我慢してくれませんこと」
「だったら、もう少し質素というか自粛というか、してもらえないかしら?」
「あら、私はこれでも最大限譲歩しているつもりですわよ」
「クリムゾンのお嬢様としてはそうなのかもしれないけど、路銀をギリギリでやりくりしている私にとっては贅沢以外の何ものでもないの。大体、自分の視野を広げたいんなら一般庶民の金銭感覚を覚えることも重要なことなのよ。移動手段に電車ではなくタクシーを使うとごねたり、シャワーのある所でないと寝れないだとか言って無理矢理ホテルに泊まったりなんてしちゃ駄目ね」
「……まったくケチくさいですわ」
 お嬢様風の女性がつぶやいた言葉は極々小さなものであったが、ウィーズはその言葉に頬を引きつらせる。
「アクア、今なんて言った?」
 そして自らの拳をお嬢様風の女性、アクアのこめかみにくっつけてゴリゴリと擦り付けていく。
「いた、いたた、いたたたたたたた」
 アクアは必死にその拳から逃れようとするが、ウィーズがもう片方の腕で彼女の首をロックしているので上手くいかない。彼女はその腕から解放されると涙目になりながら頭をおさえる。そしていじけた子供よろしく、唇を少し尖らせながら抗議した。
「……ウィーズさん。あなたはもう少し気品と言うものを覚えたほうが良いと思いますわ」
「アクアが常識と気遣いと一般人の金銭感覚の内のどれか1つでも覚えてくれるんなら、努力するわ」
 今度はウィーズが平然と切り返した。
「「……………………」」
 2人はしばし無言で睨み合う。
 ……なんとなく剣呑の雰囲気があたりに充満した。
 その雰囲気を嫌ったという訳でもないのだが、やれやれと言いながらサイゾウが2人の間に割って入る。
「何があったか知らねぇが、要するにお前らは文無しで、住むところも無い。だからうちの貼り紙の『住み込み可』と言う文字に飛びついた。……そういうわけで良いんだな?」
 サイゾウの言葉に我に返った2人は慌てて頭を下げた。その姿は年齢―恐らく20歳前後だろう―以上に幼く見える。あえて言うなら『悪戯を大人に見つかった子供』と言うところか。
 サイゾウは不意に2人の姿にテンカワたちを重ねた。
「……まぁ、良いだろう。雇ってやるよ」
「い、良いんですか?」
 意外そうにウィーズが尋ねる。
 目の前でボロを見せたことで、てっきり断られると思っていたようだ。
 その答えにサイゾウは片眉を上げる。
「嫌なのか?」
 アクアとウィーズは揃ってぶんぶんと首を振った。
「前にも似たような奴らを雇ったコトがあってな。そういうわけでお前らみたいな奴らは嫌いじゃねぇんだよ」
 よりにもよって厄介そうなのが来たが、どうやら、またしばらくの間は退屈しないですみそうだ。
「今日からお前達の雇い主となるユキタニ・サイゾウだ。よろしくな」
 そう言って、サイゾウは片頬を持ち上げて右手を差し出した。









mirrors set against each other
第弐幕 好奇心おっさんを殺す
presented by 鴇










 <雪谷食堂>。
 サセボの街の大衆食堂としては、そろそろ老舗の部類に入るだろう。軍のドッグにも近い事から、一般人だけでなく、軍人やその整備士が来る事もしばしばである。
 しかし、その内装は主人のユキタニ・サイゾウを見ても分かる通り、汚いとは言わないまでもお世辞にも華やかとは言えない。
 本人曰く味で勝負しているそうなのだが、その言葉に偽りは無かった。
 腕は一流。けれども値段は大衆的(リーズナブル)ときているため、店はそれなりに繁盛していた。
「待たせたな。さて、それじゃ改めて自己紹介と行くか。俺の名前はもう良いよな。なら、単刀直入に聞くぞ。お前らは何が出来て、何が出来ねぇ?」
 客足が途絶えたのを確認して、少々早いながらも店を閉めてきたサイゾウが聞いた。
 アクアとウィーズはカウンター席に座りながらそれを聞いている。
 何が出来るのかも理解出来ていない者を厨房はもちろん、給仕として使うことも嫌がったサイゾウが、2人を店の奥の居住スペースに押し込んでいたため、彼は2人の仕事振りをまだ見ていない。そのため、このちょっとした自己アピールも含めた自己紹介をしようというわけだ。
「じゃあ、私から。名前はウィーズ・ヴァレンタイン。年齢は21歳。出来る事は掃除洗濯等家事全般。料理もある程度出来ますが、職業人ではありませんから仕込み程度しか出来ません。……と、こんな感じで良いでしょうか」
 上目遣いに聞いてくるウィーズにサイゾウは頷いた。
 そして次にアクアの方を見やる。
「私はアクア・クリムゾン。アクア、そう呼んでください。年齢は秘密。お料理は得意ですので、厨房での調理は出来ますわ。でも体力は余り無いですの」
 アクアの紹介に、サイゾウは片眉をあげる。
 彼は2人の事をてっきり姉妹だと思っていたのに苗字が違っていたからだ。
 本人達はどう思っているのか分からないが、第3者の目から見れば2人の顔の作りはとてもよく似通っている。それは一卵性の双子やクローンではないかといったレベルであり、はっきり言って2人には何の関係も無いと言われるほうが違和感を感じる程だ。雰囲気こそ違うために見間違えるものはいないだろうが、もし同じ髪型、同じ服装をさせた場合、見分けられるものはほとんどいないだろう。
 もっとも、彼女達にどんな(しがらみ)があろうと、それを聞こうとする気はサイゾウ自身には全く無いのだが。
 彼は2人の自己紹介を聞いたあとに少しだけ考えてから口を開いた。
「……なるほど。それならウィーズには給仕と出前を、アクアには厨房の補助をやってもらおう」
 言って、ウィーズの方をちらりと見やる。
「それからウィーズ。お前さんは飯屋の給仕にしては少しばかり汚すぎる。制服って訳じゃないんだが、服を支給してやるからそれを着ていろ」
 年頃の女性に対してはあんまりな言葉だが、合っているので言い返せない。
 パッと見サイゾウ自身も小汚さそうに見えるが、そこは職業人である。清潔面には充分に気を使っている。しかしウィーズには別のことが気に掛かっていた。
「あれ、店長って独身ですよね。何で女性の服なんか持っているんですか?」
「さっき言ったろ。お前らの前に雇っていた奴らがいるって。そいつらが面白半分で買ってきた服があるんだよ。もっとも、そいつらはそれを着る前に慌しく出ていっちまったがな」 
 サイゾウの話にウィーズの中で嫌な予感が走る。彼女は先ほどから確かな既視感を感じていた。以前にも似たような状況に陥った事がある。そしてこの後にどうなるかも、何となくだが予想できてしまう。ウィーズは自分の考えが杞憂で終わる事を祈って、恐る恐る聞いてみた。
「あの〜、もしかしてその服ってメイド服ってオチじゃないですよね?」
「あのなぁ、うちは中華料理屋だぞ。何が悲しくてそんな西洋物を着させなきゃならねぇんだ?」
 その言葉に月での記憶が明確に浮かび上がる。別にそれ自体は嫌な記憶ではなかったのだが、それでも余り派手な服を好まない彼女にしてみれば、精神を磨り減らすことこの上ない。
 彼女はそうですよね、と胸を撫で下ろし、
「もちろんチャイナドレスだ」
 そのままガツン、とカウンターに額から突っ込んだ。
 そんな彼女をアクアとサイゾウが覗き込む。
「どうしたんだ。調子が悪いのか?」
「いいえぇ、ただ世の中の節理についてちょっと考えていただけです……」
 (うめ)くように言って、ウィーズは確信した。
 もしも本当に神様と言う存在がいるとしたら……、そいつはぜっっったいに敵だと。












 油のはぜる音が響く。
 丁寧にかき混ぜてあるとき卵を、軽く油の張ってある中華鍋に滑り込ます。
 匂いと音で失敗が無い事を確認すると、かき混ぜるためのおたまに手を伸ばそうと視線を移した。
 アクアは今、サイゾウからテストと称された料理を作っている。いくら本人が出来るといっても、何処まで任せて良いか判断する事は出来ない。サイゾウはそのために料理人の力量がはっきりする炒飯(チャーハン)を作らせているのだ。
 アクアは卵を焦がさないように慣れた手つきで鍋を動かす。
 実はお嬢様である彼女の食事は、お抱えのシェフがいるにもかかわらず、大半がアクアの手によるものである。元々手先が器用だったということもあるのだが、彼女にとって料理とは憧れの1つだったようだ。少女チックなものに興味を示す彼女は、自分の手料理を恋人に食べさせることを1つの夢としている。そのための練習の1つとして食事を作っていたのである。
 もっとも、食べさせる相手がいないまま技術のみが向上していったため、ここ数年では料理の中に痺れ薬を入れるなどのやさぐれた技術も向上してしまったが。
「……こんなものかしら?」
 アクアは7〜8秒してある程度卵が固まってから、あらかじめお湯で濡らした手でほぐしておいた米を入れた。米は卵が半熟のうちに粘り気の無いものを入れることが重要である。
 良い感じに米と卵が馴染んだら、刻んだ焼豚とネギを加える。
 彼女は塩こしょうして醤油を鍋肌にたらしてから軽く味見をした。
「ん〜、後一味ほしいですわね」
 そう言って、着の身着のままウィーズについてきたアクアの唯一の持ち物であるハンドバッグから調味料らしきものを取り出すと、それをさらさらと炒飯の上に振りかける。そしてもう一度味見をしてから、満足そうに笑みを浮かべた。













「お待たせしました〜」
 鈴の音のような声と共にアクアがカウンターに座るサイゾウの元に炒飯(チャーハン)を持ってきた。その量は多く、暗に自分とウィーズの分もあるということを主張している。
 満足のいく出来の炒飯をサイゾウの前に突き出し、彼女はサイゾウを見据えた。
 しかし、自分から言い出したテストであるはずなのに、サイゾウの視線は明後日の方向を向いて凍り付いている。釣られて彼女も視線の先を追ったが、その先にあるものを見て同じく凍りついた。
「な、何よー。そんなにヘン?」
 視線の先には、軽く頬を膨らましたウィーズがいた。
 彼女はアクアが炒飯を作っている間に、軽く湯浴みをして、髪をとかし、そして例の制服に着替えるようにサイゾウに命じられていたのだ。
「……い、いや。なんて言うか、変われば変わるものだなと言うか馬子にも衣装と言うか……」
「豚もおだてれば木に登ると言いますか猫に小判と言いますか……」
「アクアのは意味が違うわよ……って、2人とも結構な言い草ね」
 心の底から感嘆したように話す2人に額を押さえながら答えるウィーズ。
 確かにサイゾウの言うとおり、彼女は変わった。
 否、これが本来の姿なのだ。
 ボサボサで無造作に後ろで縛っていた金髪(ブロンド)は、肩よりも気持ち長い程度の綺麗なミドルボブとなり、ジーパンに黒のニットを合わしただけのラフな服装―本人曰く汚れが目立たないための配慮らしい―も、ラインを強調する白のチャイナ服に身を包んでいることにより、いやがおうにも女性という事を意識させられる。原石であるルックスが一級品だっただけに、その変わりようには誰しも舌を巻くことだろう。
 ……しかし、
(おっかし〜な〜。ジーパンもニットもちゃんと女物を選んでるって言うのに、そんなに驚かれると自信無くすな〜)
 などと本人は落ち込んでいたりする。
 髪の毛すらとかしていないのだから当然だろうと言う方もいると思うのだが、それは個人の価値観という奴だろう。
「あ、ご飯の方も出来てたんだ」
 ウィーズは消極的(ネガティヴ)な思考を無理矢理押し込めて話を変えた。
 その言葉に我に返るアクアとサイゾウ。
 そしてサイゾウは視線をウィーズから炒飯に移す。
「見てくれは……良いようだな」
 冷蔵庫にあるものを好きに使えといったが、具は基本のものばかりで、取り立てて変わっている風には見えなかった。
 しかし綺麗な曲線を描いて盛られた目の前の料理は、小細工ではなく絶対的な腕を評価する事を欲しているようにも見える。
 サイゾウはそのまま何も言わずに、レンゲを丼の中に差し入れた。
 途端にはらり、と曲線が崩れる。
 しっかりと米にも火を通していて、油が飛んでいる証拠だ。
 そして彼は炒飯を口に入れてゆっくりと咀嚼(そしゃく)する。
(……ほぅ)
 内心、サイゾウは驚いた。
 外見からある程度は予想していたが、その予想以上にこの炒飯は美味だったのだ。満点とは言い難いが、それでもアマチュアにしてかなり上手い部類に入る。正直、1ヶ月前に食べたテンカワの炒飯よりも上手いかもしれない。自分が合格と言ったテンカワよりも、だ。
 サイゾウはレンゲを置いてアクアの方を向く。
「まぁ、良いだろう。……合格だ。明日から厨房の調理補助を頼む」
 サイゾウの言葉にアクアは変わらぬ笑顔で答える。不合格とは微塵も思っていなかったのだろう。
 そしてあらかじめ用意しておいた小皿に自分の分と、サイゾウの分と、大盛りのウィーズの分とをレンゲとお玉で器用に移し分けていった。
「へぇ、本当においしい!」
「……あぁ、素人がこれだけ出来ればたいしたもんだ」
「うふふ」
 サイゾウとウィーズは口々にアクアを賛辞しながらも料理を口に運び続ける。アクアも2人よりもよほど遅いのだが、ゆったりとした食事をしていく。
「しかしなんだな。この料理を食べていると、なんだか気分が良くなってくるな」
「あら、そう言っていただけますと私も良い調味料を使ったかいがあるというものですわ」
「そういえばアクアはハンドバッグ持ってたよね。あの中にそんなものが入ってたの?」
 ウィーズは少し行儀悪く、レンゲで厨房に置いたままのバッグを指す。
「はい。なんでも幸せになれる調味料らしいですわ」
 アクアは『失礼』と言って席を立ち、バッグの中から(くだん)の調味料を持って戻ってきた。それは外見上は何の変哲もない塩や砂糖といった感じの白い粉状のものである。
「へ〜、私としては美味しいものを食べられればそれだけで充分幸せなんだけどなぁ」
 ちょんちょんとその容器をつつきながらウィーズ。
「ははは。いやしかし、これは本当に気持ちが昂ぶってくるぞ。くくくくく」
 気がつけばサイゾウの皿はすっかり空になっており、次に余り手をつけていないアクアの皿の炒飯を狙おうとしていた。
「ちょ、店長? しっかりしてください、店長!」
「……あぁ。そういえば、その調味料には副作用があるって言っていましたわ」
「………………え?」
 アクアのその言葉を合図に、サイゾウは人が変わったように暴れ始めた。
「アヒャーーーー!!」
 彼は獣の如くアクアとウィーズの炒飯を奪い取ると、猿のように飛び跳ねながら逃げる。そして2人の手の届かないことを確認するとそれを貪り始めた。既に眼の色が尋常じゃなかったりする。
「なななななな何てすすすステーキな料料料料料料理ぇべ?」
 もはやその人間性の片鱗すら残さないサイゾウは炒飯を貪りながら絶叫したり飛び回ったりする。その余りにも人とかけ離れた動きには、理性や秩序といった単語が酷く虚しい響きに聞こえた。
「アクア! 副作用ってどういうことよ!!」
「この調味料は脳内麻薬を分泌しやすくして、ドーパミンもエンドルフィンもざぶざぶたれ流してくれるんですわ」
 この期に及んでも笑顔を絶やさないアクアは、もしかしたらこの状況を予想していたのかもしれない。
「……アクアは何で大丈夫なの?」
「自分の毒で死ぬフグはいませんことよ」
 遠まわしに自分は解毒剤を飲んでいた事を物語っている。
「それよりもウィーズさんはどうして平気なんですの?」
「わた、私は薬物が極力効きにくい体質なのよ!」
 まさか実験動物(モルモット)にされていたから薬物に耐性が出来たなどとは言えない。人生何が役に立つか分かったもんじゃないとウィーズは心底思った。
「それよりも何でそんなものを料理に入れるのよ!!」
「はぁ、一味足りないと思いまして」
「そんな味、全くしなかったわ。隠し味にしてもその風味くらいは感じるものよ」
 これでもウィーズは料理を(かじ)った程度の力量がある。アクアに比べればその力量はよほど低いのだが、だからといって彼女より味覚が鈍いわけではない。ウィーズの言葉には確かに変わった味が無いことを確信した響きがあった。しかしアクアはさも当然とばかりにウィーズに答える。
「分かるわけありませんわ。だって無味無臭なんですから」
「―――? 何で一味足りないと思って無味無臭の粉を足すの?」
「…………………………………うふ」
「うふ、じゃなぁぁぁぁぁああいっ!!」
 ウィーズの声に反応したというわけでもないのだが、サイゾウは今度は壁に向かって自身の頭をガンガンと打ちつけ始めた。もはや人としても生物としても全壊である。
「うわっ! 店長が、店長が今度はヘボいオモチャみたくなった」
 これ以上頭を打ち付けないように後ろから羽交い絞めにするが、それでもサイゾウ(だったもの)は暴れ続ける。
 そしてウィーズが仕方がないと当身で気絶させようかと思い始めた頃、サイゾウは急に暴れる事を止め、ふぅ、と息を吐いた。
「……ウィーズ、もう大丈夫だ。離してくれ」
「店長? 良かった、元に戻ったんですね」
 そして空になった3人の皿を見ながらもう一度、今度は殊更に長い息を吐いた。何故かその姿は神々しく、気のせいか後光まで見える。
「……悪かったな。空腹に気がどうかしていたんだろう。これも、人の業というものだろうか……」
 言いながら脚を組んで左手を口元に、そして右手の親指と人差し指で円を作る。仏教などに良く見る半思跏惟像(はんかしいぞう)のポーズというやつだ。……どうやら、今度は悟りを開いたようである。
 半ば呆れ返っているウィーズを見ながら、サイゾウはすっくと立ち上がった。
 立ちながら、言った。
「アクア、ウィーズ。短い間だったが、世話になったな……。決めたぜ。俺はこれから修行の旅に出る」
 もう何がなんだか。
「ちょっ。店長、何言って……!」
「ふむふむ。炒飯に混ぜると何かを悟る、と」
「アクアもメモってないでどうにかしなさい!」
 やたらと爽やかに、キラーンと歯なんかも光らせながら言うサイゾウをウィーズは必死に押し留める。
 その時―――
「すいませーん。今日はもう閉まっちゃったんですか?」
 不意に客が入ってきた。何時もより早めに閉めてしまったために常連客の1人が間違えて入ってきたのだ。ウィーズは飛び跳ねるように反応して、サイゾウを厨房に引っ張り込んでから愛想笑いを浮かべる。
「ご、ごめんなさい。今日はもう終わりなんですよ」
「……親父さん風邪でも引いたんですか?」
「いえ、とっても元気ですよ。ぜんぜん普通ですし」
 もっと性質(タチ)の悪いものにかかっているとは流石に言えない。
 彼女は動こうとするサイゾウの首を客からは見えない位置で()めながら心の中で盛大に溜息を付く。物凄い勢いでサイゾウがタップしている気がしたが、とりあえずそれは無視した。
「そうですか。それじゃ親父さんによろしく言っといてください」
 言って、客は出て行った。ウィーズは客の気配がなくなったことを確認すると、途端に表情を一転させる。見る者の気持ちまでやきもきさせるような、見事なまでの悩みっぷりである。今の彼女の姿をそのまま模写して額に飾ればそれだけで『苦悩』と言う名作絵画が出来上がるだろう。
「どうしよう!? 店長悟らせたなんて大失態よ!」
「悟ると大失態なんですの?」
「アンタも無駄口叩いてないでとっとと打開策を考えるっ!」
 言われたとおりアクアも策を考えようとして、その思考が止まる。
 そしてやはり変わらぬ笑顔をたたえながら、彼女はウィーズを、正確にはウィーズが小脇に抱えているものを指差して言った。
「……それよりも店長のお顔の色が悪いですわよ」
「え? ってうゎ、顔が青紫だ!」
 悩みながらさらに力を込めていたようで、サイゾウは既にタップをする余力すらなく脱力しきっている。彼女が思わず力を緩めると何の抵抗もなく厨房の床に突っ伏した。
 ウィーズは一応息があることを確認すると、ほっと一息入れるが―――ふと我に返ると、アクアの襟首を前後に激しく揺さぶった。
「アクア〜。どうしてくれんのよ、あのポンコツ! 斜め45度から叩いたって多分直らないわよ」
 その原因の半分は自分にあるのだが、ウィーズはそのことを棚上げしてアクアを問い詰めた。多分とか入れているあたりが未練たらしい。
 対するアクアは少々面倒くさくなってきたのか、小さいあくびを1つしながら、
「明日の朝には薬は抜けていると思いますから放っておいても大丈夫ですわ」
 などと言い放った。そして後のことは任せたと言わんばかりにすごすごと奥の方へと入っていってしまう。ウィーズはどうしたら良いか分からずに倒れ伏すサイゾウをしばらく眺めていたがやがて、
「……ア、アクアが大丈夫と言ったんだから大丈夫だよね」
 と微妙に責任転嫁とも取れる発言をして自分も奥へと戻ってしまった。丸投げである。
 後に残されたのは、未だに酸素欠乏症(チアノーゼ)を起こしながらビクンビクンと痙攣(けいれん)している店の主が1人。誰もいなくなった厨房で小さく呟く。
「これが、神の世界か……」
 ……彼のこれからの人生に幸多からんコトを心から祈ってやまない。



















後書き

 なんかもういろんな意味でごめんなさい。特に潜在的にはかなりの数がいるであろうサイゾウさんファンの皆さんに。
 いえね。違うんですヨ? 書き始めた頃はもっと渋く渋くするつもりだったのに、気がつけばあんなことに……。
 いったい何処で道を踏み外したんだろ(溜息

鴇の独り言(戯言とも言う
 家事全般が(一応)出来て、(ちょっとあれだけど)美形で、(月臣にボコにされたけど)格闘も出来るって、めちゃくちゃ万能系オリキャラじゃん!
 ……オリキャラ主人公でしかも万能系でそのうえナデシコのナの字も出ないって押しちゃいけないボタン押しまくってるよ、コレ_| ̄|○





代理人の感想

さ、サイゾウさーんっ!?(爆)

 

まさか死にはしないと思いつつ、でもサブタイトルがあれだったからなぁ(笑)。