ATTENTION!!

 この話は1000万ヒット記念企画『Blank of 2weeks』の1投稿である『Do you know……?〜あなたは知ってる?〜』の続き物です。一応見なくても読める内容を心掛けましたが、興味のある方はぜひ先にそちらのほうをお読みください。









 子供の頃は1人になることが多かった。それは別に言い寄ってくる者がいなかったわけではなく、そのことごとくが彼女を利用しようと考えている者ばかりだったからだ。行く先々でのクリムゾン関係者はもちろん、およそ利害関係の埒外にいるであろう者や同じ子供である同級生、挙句の果てには教師までもが下心をもって接してきた。
 いくらクリムゾングループ会長の孫娘とはいえ、こんな子供相手に何を期待しているのであろうか。光源氏計画とでも言いたいのなら、それはそれは気の長いことだと呆れるしかない。
 こんな吐き気がしそうな状況ではあったが、だがしかし、彼女は頭の中の何処かではそれは仕方が無いことだとも考えていた。世界有数の企業の会長の孫娘と、損得抜きに付き合おうとする人間なんてそうそういるものではないと分かっていたからだ。
 その代わり家では甘えていたことが多かった。
 両親とは幼い時に死に別れてしまったが、そのぶん祖父、ロバート・クリムゾンの溺愛ぶりは凄まじかったことを覚えている。 お菓子だろうが玩具(オモチャ)だろうが、彼女が望むものは何だって与えられた。友達と呼べる存在こそいなかったが、裕福な家に生まれ、何だって与えてもらえる自分を彼女は世界一恵まれた存在だと信じていた。
 しかしある日、彼女は唐突に現実を知ってしまう。
 ―――アクアって嫌なやつよね。
 偶然聞いてしまった、高校時代の同級生(クラスメート)の陰口。
 きっかけは些細なことであったが、こうして彼女は世間と自分との間に大きな隔たりがある事に気付く。
 自分以外にも世界があるということをはじめて知った。
 そして改めて自己というものを見直してみれば、そこにいたのは甘やかされて傲慢で、人から嫌われるしかない自分で、家という枠を一歩出ると誰にも相手にされない自分で、さらにはそれを省みようともしない自分だった。
 ……今更になって初めて認識できた。1人になることが、別に他の誰のせいでもなく、単なる自業自得であったということを。
 そして彼女が自分以外の存在を知るにつれて、とある疑問が浮かび上がってきた。
 それは『なぜ自分はこのように育ってしまったのか』ということ。
 悪いことをすれば叱られる。嫌なことをすれば嫌われる。
 何故こんな単純なことが分からなかったのだろうか。
 思えば彼女には叱られたという記憶が無い。彼女がそれまでどんな悪戯(いたずら)をしても笑って済まされるか、さもなくば何時の間にかうやむやにされていたのだ。
 彼女はそのことに思い当たり、そしてあることを計画する。それはとりあえず何か事を起こして叱られてみようというもの。彼女はまず手始めに、自分の好きな少女漫画家を拉致監禁して自分のためだけの漫画を書かせてみた。
 ―――ほぅ、自分のためだけの漫画か。それは素敵なことだな。
 次に初めて社交界に出た日、振舞われる料理の中に手製の痺れ薬を混ぜてみた。
 ―――ははは、お茶目さんだなぁ。アクアは。
 わけが分からなかった。自分は叱られるようなことをしているはずだ。その自覚だってある。けれど祖父や周りの人間は彼女を叱らずに、逆に被害者の方を半ば脅迫まがいの行為で引き下がらせていく。そんな行為にいったいどんな意味があるというのか。果たしてそれは正しいことなのか。日に日に彼女の疑問は膨れ上がり、そして……
 ―――アクア、お前は何も我慢することは無いんだよ。お前が欲しいと思うものは何だって私が用意してやろう。
 皮肉にも、まともな人間になろうと思えば思うほど、はっきりと分かってしまった。
 自分が、『家族』として扱われていないことに。
 本当に彼女のことを大切に思うのなら、例え辛くても彼女を叱ってやるのが保護者としての役目だ。だがロバートは息子の忘れ形見を溺愛するあまりに、アクアに対して腫れ物を扱うように接する部分があった。あまりにも違いすぎる年齢や、幼くして両親を亡くした彼女への哀れみもあったのであろう。何にしても、2人の関係は世間一般で言うところの『家族』というには何処かおかしかった。
 怒りたくないから甘やかし、叱りたくないから笑って済ます。これでは、まるで飯事(ままごと)愛玩動物(ペット)だ。
「ふふ、ふふふふ」
 腹の底から(わら)いが込み上げてくる。
 彼女は気付いてしまった。
 自分はこんなにも愛されているというのに、本当に愛されていたことがなかったということを。
「くふふふ、くふふふふふ!」
 彼女は考えてしまった。
 自分は誰に甘やかされ、もてはやされ、可愛がられていたのかということを。
「……くふ、ふふ、ふ……アハは―――は」
 そして彼女は悟ってしまった。
 世界一幸福な存在だと信じていた自分の姿が、その実、こんなにも無様なものだということを。











mirrors set against each other
第参幕 家族ごっこ
presented by 鴇













 <雪谷食堂>の朝は早い。小さな大衆食堂といってもやるべき仕事は幾つもあるのだ。特にここ最近はアクアとウィーズ目当ての客が増加してきたため、その数は増加の一途をたどっている。昨夜の仕込みの仕上げから始まり、各種雑務、住居スペース側の掃除洗濯、そして本業である食堂の切り盛り等々……と慣れていない人間ならば聞いただけでくらっとしそうな量が彼女達を待っていた。
「アクア―――」
 そんな嵐のような時間帯が過ぎ、そろそろ開店時間という頃、不意にウィーズがアクアの首に後ろからその両腕を絡ませた。
 小さな吐息が首をかすめてくすぐったい。
 そんなことを考えながらも、アクアはその腕を振り解こうと自身のそれに力を込める。
「……やめてください」
 彼女はあらん限りの力を込めて拘束を解こうとするが、しかし悲しいかな、そのためには彼女の力はあまりにも弱かった。
「イイじゃん、ちょっとだけ。……このままじゃ仕事にならないのよ」
 そう言ってウィーズはアクアの太腿の上に自らの手のひらを重ねる。そして彼女の表情を見つめながら、ゆっくりとイヤらしく太腿を撫で上げていった。赤く染まる頬が初々しくも(いろめ)かしい。
「ちょっと……って貴方はいつも、そ……やって無理矢理……」
 太腿から徐々に這い上がってきた手が彼女の腰を超え、さらにはその胸部に達しようかという時―――
 ビクン! とアクアの体が反応した。
 それを見てウィーズはニヤリと片頬を持ち上げる。彼女はアクアのワンピースの胸元から無遠慮にその手を突っ込んで中をごそごそとまさぐり……
「―――ァあ……ッ!!」
 そして引き上げた手にあるものを見てその笑みを深めた。
 彼女の手には白い粉末が小さなビニール袋に収まって入っている。
「やっぱり持っていやがったわね」
 ウィーズはそれをアクアに突きつけて勝ち誇るように胸を張った。アクアはとっさに奪い返そうとしたが、彼女はそれを軽くいなす。
「まったく、コレだから開店前にはアクアを調べなきゃ落ち着かないのよ」
 例の粉末をポケットにしまいつつ、ウィーズは頭を抑えながら言った。アクアが名残惜しそうに見つめているが、それは無理やり視界の外へと叩き出す。もっとも、彼女自身もそこまで落胆していないのか、しばらくすると何事もないように通常業務に戻ってしまったが。
 そんな、彼女達のいつもどおりの日常の隅っこでうずくまる男が一人。
「あれっ? 店長、なにそんなとこで座ってるんですか。もうすぐ開店なんですから動いてくださいよ」
「……あ、ああ。わかってる」
 実は彼は立たないのではなく立てないのだ。いや、彼の体の一部分だけはいきり立っているのだが……。まぁ、それはこの際どうでもいいだろう。
「……まさか、狙ってやってるんじゃねぇだろうな」
 サイゾウはアクア達が出て行った方角を見ながらそんなことを考えた。











(そういや、何時の間にこの食堂はこんな状態になっちまっていたんだっけ?)
 なんとなく世の無常観みたいなものを感じつつ、サイゾウは胸の内で呟いた。
 <雪谷食堂>は今日も大盛況である。
 昼時ということもあるのだが、店の椅子はすべて埋まり、外の行列もその数の多さから単なる人垣に見間違えられるほどだ。もともとが評判店であっただけに昼時はいつも混雑していたが、アクアたちを雇ってからというもの、その時間は加速度的に増加していた。
 だがしかし、本来、食堂の看板娘などと言うものは場の雰囲気を盛り上げるためのものであって、それを目的に来る客はあくまでも一部の特殊な連中が大半のはずだ。ましてや<雪谷食堂>はサイゾウの腕が最大の魅力なのであって、客の半数以上が女給や調理補助に注目しているなどという事態は尋常ではない。
 サイゾウが自分の存在意義(アイデンティティー)ってなんだろうなぁ〜とか考えつつA定食用の皿を準備していると、不意に目の前を一陣の風が過ぎ去った。
「だから料理に妙なモン盛るなって言ってるでしょ!」
 続いて怒声と共にスパァンと小気味良い音が鳴る。見ると、つい先ほどまで客席で料理を配っていたウィーズが、サイゾウの隣で鍋を振っていたアクアを持っていたお盆で引っぱたいていた。フリル付きのエプロンにチャイナドレスにバイオレンスという非常にシュールな、というか己が目をしばし疑いたくなるような光景。
 にもかかわらず、てんでバラバラに、しかし盛大に巻き起こる拍手喝采。
 サイゾウはそんな光景を横目で見ながら内心苦笑する。彼も初めの頃こそドタバタが起こるたびに注意をしていたのだが、慣れてきたせいか、それとも無駄だと悟ったためか、近頃は半ば以上黙認することに決めていた。もっとも、これが今の<雪谷食堂>の繁盛の大きな理由の1つとなっているためにまったくの迷惑というわけでもない。
 そもそも魅力的な看板娘というのなら、以前いたミスマル・ユリカやハルカ・ミナトらにも同様のことが言えるのだ。しかし、月とは違いそれなりに遊ぶところのある佐世保の町では、美人が1人2人いるくらいではそれほどの客足は期待できない。
 ではこの差はどこから来るのだろうか。その答えとなっているのが、2人を中心としたこのドタバタ騒ぎなのだ。普通ならマイナスイメージとしてしかならないのだが、この店に限っては、それが客にとって立派な余興と成り得てしまっているのだ。
 それはともかく。どんな形であれ、食堂に活気があふれるということは純粋に好ましいことだろう。サイゾウがそう結論付けようとした時……
 順調に<雪谷食堂>を取り巻いて膨れつつあった人垣が一部、ほころびた。
 白いインクに別の色のインクを一滴たらしたように人々のざわめきが広がっていく。それと同じくしてほころびも広がり、やがてほころびは真ん中から二つに割れた。
 そして現れる大柄な五つの影。
「やれやれ、よりにもよってこのくそ忙しい時間に……」
 顔をしかめるサイゾウ。
 彼の視線の先には……変態がいた。
 変態だ。格好としては黒のスーツにサングラスとオールバックなどというまるで何処ぞのマフィアという連中なのであるが、5人全員が同じ格好をして、あまつさえなにやら戦隊ものの様にポーズなんぞを決めているその姿には、他に言葉が浮かびそうにない。
 しかし、サイゾウの頭とは逆に、彼らの登場によって食堂の中で歓声が鳴り響いた。一瞬にして気温が1、2度上昇したと錯覚させられるそれは、明らかに先ほどのものよりも大きかった。
「さー真打の登場だ」
「今日もあの給仕の子に挑戦しに来たのかな?」
「バーカ、そうじゃなきゃつまんねぇだろ」
 客はそんなことを話しながら机を壁際に寄せていき、気がつくと店の中央にはぽっかりと何も無い空間が生まれていた。黒服たちはその空間に進み、そして彼らの中の真ん中の男―リーダー格なのであろう―がウィーズに向かってビシリ、と音でも出そうなほど勢い良く人差し指を突きつけた。
「ウィーズ・ヴァレンタイン! 今日こそはお嬢様を返してもらうぞ!!」
 冗談のような連中だが、彼らは以前ウィーズによってのされたアクアの護衛兼雑用を命ぜられた付き人たちだ。事実はともかくとして、彼らにとってみてはウィーズはアクアを拉致した排除すべき標的である。その彼らはアクアとウィーズがここ<雪谷食堂>に住み込みで働くことになってから程なくして2人を発見し、直ちにその救出を試みた。なのだが、ある時はウィーズによって叩きのめされ、またある時はアクアの怪しい薬入りの料理を食べてしまったり(なぜか怒りの矛先はウィーズに向いていたりする)して未だにその任務を達成できないでいた。
 一方の彼女はそんな黒服を横目で軽く一瞥すると―――
「あんたらもこの忙しい時に余計な仕事を増やしてんじゃないわよっ!」
 手に持っていたお盆に渾身の力を込めてリーダー格の男に投擲(とうてき)する。出鱈目な加速を受けたお盆は、リーダー格の男の鼻面に的確に命中し、彼の顔面でその運動エネルギーを爆発させた。
「ぬぉぉぉおおおっ!?」
 リーダー格の男は突き出した指もそのままに、さながらワイヤーアクションのように物理法則を無視して吹っ飛ぶ。
 そしてべちゃりとカエルのように床に叩きつけられると、その彼を見守るかのように静寂が食堂を支配する。
 だが次の瞬間、それを覆い尽くす拍手喝采が食堂に満ちた。およそ食堂とは思えない光景に内心ため息をつきながら、しかしサイゾウは悟った。おそらく彼等は『サイゾウの料理を食べに来た』だけでも『アクアとウィーズを見に来た』だけでもない。正確には『それらを口実として馬鹿騒ぎをしに来た』のだろう。もちろん、口実に使われるだけの魅力がサイゾウたちにあればこその事態なのだろうが。
 日常生活によって蓄積された疲労とストレスを例え一時でも忘れるための儀式。浮かれ騒いで果てしなく続くであろう日々の営みを乗り切るための下準備。そんなところではないだろうか。
 まぁ、そんな小難しい考えはともかくとして。サイゾウは残りの黒服たちに視線を飛ばす。
「ああ! 隊長ぁあ!?」
「なんてこった。『ぬぉぉぉおおおっ!?』が最後の台詞になっちまうなんて」
「俺達、隊長のことは忘れません。だから安らかにお眠りください」
「化けて出ないでくださいよ」
 彼らはリーダー格の男、隊長を囲みながら好き勝手な言葉を吐いていた。
 なんだかなぁ。この男、人望あるんだか無いんだか。
 そしてひとしきり言いたいことを言い終えるとそろってウィーズの方向に向き直り……
「「「隊長の仇は俺たちがとるっ!」」」
 怒号を上げながらウィーズに向かって飛び掛った。









 でもって……1分後、<雪谷食堂>の床には叩きのめされた5つの物体が転がっていた。
「……な、なんて情けないんだ。いくら勝敗のわかりきった戦いとはいえ、途中の見せ場(アクションシーン)すら割愛されるとは」
 黒服の1人が何かボヤいているようだが、ここでは意味がわからないので無視することにしよう。サイゾウたちも他の客たちもそこは慣れたもので、すでに彼らは視界に入っていても無いものとして処理されていた。
「しっかし付き人さんたちもずいぶんとしつこいよねぇ〜」
 戦場のような昼時が終わり、幾分作業が楽になってきたところで、ウィーズは溜息と共にぼやき声を吐き出した。背後から『当たり前だぁ〜』とかいう声がしたが、当然のごとく彼女は聞いていない。
「ねぇ、アクア。あなたから一言いえばそれで済むんじゃないの?」
 アクアの方を見ながらウィーズが言う。
 で……そのアクアはというと。
「あぁ……」
 ウィーズとお揃いのエプロン―どうやらエプロンをつけることが制服の代わりのようだ―の前で両手を祈るように組み合わせ、大財閥のご令嬢は夢見る瞳でつぶやいた。
「私のためにみんなが争う。……これぞまさに『女の浪漫』!」
「……またか」
 ウィーズは一人、頭を抱える。案の定というかなんと言うか、アクアは黒服たちを追っ払った後はたいていこうなのだ。妄想によりマイワールドを脳内に形成してしまい、まるで役に立たなくなる。仕方が無いのでウィーズはアクアを放って通常業務へと戻るが、それがまずかった。彼女はいつもならこのまま夢の世界を漂っているだけなのだが、今回はあることに気づいた。気づいてしまった。
(はっ、このままでは女の浪漫が終わってしまう……!)
 そう思うが早く、彼女はいそいそと隊長の元まで歩み寄り、客席にあったコショウの缶を手に取ってその中身を隊長の口にねじ込んだ。中身はコショウのはずなのに、何故かその粉末はきれいな純白だったのだが……
「オクレ兄さんっ!?」
 やはり中身は(くだん)の粉末だったようだ。隊長はまるでバネ仕掛けの人形のようにビョンと跳ね上がる。どのような薬品なのだろうか。投与から10秒も経っていないと言うのに、その表情は完全にキマっていた。
「アクア? なんで。薬は全部取り上げたはずなのに」
「ふふ、『調味料』を身につけているだけだと思い込んだのが間違いでしたわね」
 手の甲を口元に当てながらアクアはくすりと笑う。誤って客が使ってしまったらどうするつもりだったのだろうか。背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、ウィーズはおそらく何も考えてはいないであろうアクアを見据える。
 そして彼女を折檻(せっかん)するべく一歩前へ出ようとするが、その間に1人の男は割って入ってきた。隊長である。ゾンビよろしく両手を力なく前へ伸ばし、顔に先ほどのお盆をめり込ませたまま迫ってくるその姿にほんのちょっぴりだけ戦慄しながらも、ウィーズは彼に声をかけた。
「ねぇ、隊長さん? 私はそこの悪戯(いたずら)娘を叱ってやらないといけないからちょっと退いてもらいたいんだけど」
 返事は、無い。というか基本的な言語能力すら失われているようで意思疎通が図れない。むしろ声をかけたのが刺激となったのか、隊長(だったもの)は奇声を発しながら飛び掛ってきた。
 そんな非現実的な光景に対して、ウィーズは軽く頭を抑えながら再度、今度は先ほどよりも幾分深くため息をついた。そろそろ胃薬と頭痛薬を本気で買ってくるべきだろうか、そんなことを考える。
 そして―――
「せいっ!」
 気合一閃。不必要な動作をこれでもかと削ぎ落とした一撃が、隊長の顔をめり込んだお盆ごと蹴り抜いた。
 キラキラと鼻血を撒き散らしながらお盆と共に宙を舞う隊長。しかし背中から落ちはせず、むしろ飛ばされた勢いを利用して体を回転させ、バク宙の要領で華麗に着地した。
「……うそ」
 驚いたのはウィーズだ。完全に近い角度、力、そして態勢からの蹴りを受けてすぐさま動いたのだ。にわかには信じられないが、どうやらあの薬には理性と引き換えに身体能力を向上させる効用でもあるらしい。なんにせよ、相手の能力が未知数となってしまった以上、ウィーズは迂闊に隊長に飛び込めなくなってしまった。2人はしばしの間にらみ合うこととなる。
 そんな、ある意味緊迫感のある2人とは対照的に、すべての元凶であるアクアはいまだに妄想の世界にどっぷり浸っていた。
「あぁ……」
 右手は胸に。左手とその青い瞳は誰かに救いを求めるかのように虚空へと向ける。アクアはよろめくような足取りで手近な客席へと近づき、そしてその椅子にワザとらしくしなだれる。
「私のために親しい2人が争いあうなんて……」
 ひらりと踊るようにその身を翻し、今度は左手を胸に、右手を空へと差し伸べながら言った。
「けれど私はか弱い女。2人を止める力も無い」
 どうやらここが山場らしい。自然のその声も大きくなる。
 アクアは両の手を広げ、そして歌うように言い放った。
「あぁ、今まさに私は悲劇のヒロインッ!」
「やかましい!」
 重い疲労感を感じながら怒鳴るウィーズ。アクアの『ため』ではなく、アクアの『せい』のような気がするとか、争っている片割れがお盆を顔にめり込ませて奇声を発する男のどこが悲劇なのかとか、突っ込みたいところは多々あるのだが、こうなったアクアには何を言っても馬の耳に念仏である。ウィーズの怒鳴り声もあっけなく聞き流されてしまった。
 だがその刹那。アクアに対して意識を移したほんの一瞬。その間隙をついて隊長は間合いを詰めていた。気づいた瞬間にはもう、遅い。
「く……!」
 とっさに振った右腕もむなしく空を切る。そして……
 まふっ。
 軽い音を立てて、粉状のものが彼女の顔に叩きつけられた。
「ケホケホ。なにこれ?」
 顔を手でぬぐってみるとそこには白い粉末がべっとりと付着している。
「まさか……」
 最悪の結末を想像して全身の体温が下がろうとするが、それより早く得体の知れない高揚感が彼女の脳裏を埋め尽くす。叩きつけられたのはあの薬だ。ウィーズは薬物に対して耐性があるのだが、この量を喰らってはそうも言ってられない。
「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ」
 ウィーズは肩を抱きながら肉食動物のように唸り声を上げる。精神力の強さなら彼女もそれなりにあるのだが、これはそんな小賢しい瑣末事など根こそぎ砕く力を秘めていた。オセロで四隅をとられたように瞬く間のうちに彼女の意識は塗り替えられ……
「ぬがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 こそこそと避難するアクアを視界の隅に収めながら、ウィーズはその理性を爆発させた。







 気がついてみれば、そこは<雪谷食堂>の寝室だった。
「……あれ、私、何でこんなところに」
 思い出そうにも頭がもやがかったように気怠るい。と、いうか今日一日分の記憶がまるで無い。
 とりあえず彼女は身を起こそうとして―――自分の四肢が動かないことに気がついた。それは別に感覚が無いとか力が入らないとか、そういったことではない。ただ単に拘束されているだけ。布団に巻かれ、その上から縛り上げられる、いわゆる『簀巻き(すまき)』というやつだ。
「……え? ……え?」
 彼女はじたばたと手足を動かそうとするが、しっかりと拘束されていて上手くいかない。しばらくの間、そのまま陸に揚げられた海老のように足掻いていたが、程なくして諦めたように脱力した。
「ん〜〜〜」
 ウィーズは今度はあっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロしながら―とにかく体を動かしていないと二度寝してしまいそうだったからである―自分が気を失うまでの事を思い出そうと試みた。
 断片的に思い出せたのは、お盆を顔にめり込ませた隊長、コショウの缶を手にして笑うアクア、そしてひしゃげたサイゾウの顔……。
「む〜、なにやらとてつもなく嫌な予感が……」
 いっそのこと全てを忘れて二度寝してしまおうか。ウィーズはとりあえず結論を棚上げした。そしてもう一度眠ろうと意識を闇の中に沈め―――
「あら、気がつきましたの?」
 ―――ようとしたが、それは突如として入ってきたアクアの声によって妨害された。
 彼女はウィーズの姿を見ると、苦笑いを浮かべながら話しかける。
「あんまりな格好ですが、いろいろ大変だったのでそれくらいは我慢してくださいね」
 そう言うアクアは顔と手の甲の数箇所に絆創膏(バンソーコー)を貼っており、見るからに痛々しい状態である。何があったのか分からないウィーズではあるが、とりあえず大変なことがあったということだけはよく分かった。
「……えっと、アクア?」
「なんでしょう?」
「実は私、今日一日分の記憶が無かったりするんだわ。もし知っていたら教えてくれない?」
 多少ためらいながらも、ウィーズは言った。
 もしかしたら自分はパンドラの箱を自ら開けようとしているのかもしれないという不安もあったが、アクアの口振りからして自分が関わっていたことは明白だ。それなら聞かないわけにはいかないだろう。
 アクアはしばし驚いたように眉を持ち上げていたが、やがてその口にニンマリと人の悪い笑みを浮かべた。
「良いですわ。まず何時ものようにマルコ―あぁ、これは私の護衛隊(ガード)の隊長の名前ですわ。そのマルコがウィーズさんに対して勝負を挑みに来ました」
「ふんふん」
 ウィーズはまじめに聞き入っている。実は隊長、つまりマルコの名前を今更ながら初めて知ったことに対して幾分、彼に申し訳ないとも思っていたが、とりあえずこの場ではそれは黙っていることにした。
「それでやっぱり何時ものように瞬殺されてしまったんですの。でも、今日のマルコはそこで終わりにはならなかった。再び立ち上がると隙を見て私の『調味料』をウィーズさんの顔に叩きつけたんですわ」
「ちょっと待って」
 楽しげに、まるで歌うように語るアクアの言葉尻を遮ってウィーズは声を上げた。何気にアクアにとって都合の悪いことは省略してあったりするのだが、ウィーズはそれには気づかずに冷や汗を流す。
「そこから先は想像に難くは無いでしょう。幸いお客様に被害はありませんでしたが、暴れるウィーズさんを取り押さえるのにサイゾウさんとマルコ達が尊い犠牲となられましたわ」
 ちなみに<雪谷食堂>の店舗部分は現在激戦の跡地となっている。椅子という椅子は吹き飛び、テーブルというテーブルは倒れていた。そして客席の真ん中ではアクア曰く尊い犠牲ことサイゾウとマルコ達が大の字になって倒れている。彼らはボロゾーキンのようにくたびれていたが、何かをやり遂げたような良い顔で気を失っていた。
「なるほど。それで私は簀巻きにされているわけか」
 自身を拘束する布団を見ながら言うウィーズ。それから彼女は軽く苦笑しながら言った。
「……それで、見ての通り私はもう大丈夫なんだけど、そろそろ解いてくれないかな?」
「そうですわね。でもその前に―――」
 言って、アクアは悪戯っぽい笑みを作る。その手にはどこから取り出したのか黒のマジックが握られていた。
「え、なに? それは何のマネ?」
 ひくっと片頬を引くつかせて訊ねるウィーズ。しかしアクアはそれには答えず、ただその笑みを深くしただけであった。キュポンというキャップを外す音が否が応でも恐怖を誘う。
「うふふ。大丈夫ですわ。痛くはありませんから」
「にょわぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!」
 アクアはじたじたと暴れるウィーズの首根っこを押さえて未だかつて無いほどの爽やかな、それでいてどこか怖い表情で黒マジックを彼女の顔に走らせた。
「うふふふ。とってもお似合いですわよ。男爵閣下(バロンかっか)?」
「うぅ、もうお嫁にいけない……」
 えぐえぐと目の(はば)(なみだ)を流すウィーズ。ちなみに彼女の口元にはにょろっとナマズ髭なんぞが描かれていたりする。確かに簀巻きにされてナマズ髭を落書きされたこの姿なぞを見たら100年の恋も冷めようというものだ。まぁ、それはともかく。一方のアクアはというと、良い汗をかいたと言わんばかりに歯をきらーんと光らせながら額を拭っていた。それから当初の約束どおりに拘束を解いてやる。
 ウィーズは布団から抜け出ると、まず口元を擦って髭を落とした。その後、しばし無言で身体に異常が無いか確認する。肩を回してみたり、腕に力を入れてみたりして各箇所をチェック。そしてある程度異常が無いことを確認すると右の拳に力を込めて―――
「こんの馬鹿娘がぁ!」
 今までの鬱憤(うっぷん)をすべて晴らすかのようにアクアの頭頂部めがけて叩き込んだ。
「〜〜〜〜ッ! 何するんですの。感謝こそすれ、何で私が殴られなければいけないんですか!」
「それはそれ。これはこれよ」
 単に自業自得なだけだあるが、ウィーズは頭を抑えながら訳が分からない、といった顔でわめいてくるアクアを一蹴した。
「そもそも、アクアが妙な薬を持ち込んだりするからこうなったんじゃない。この際だから手持ちの危なっかしいものは全部没収するわ」
 そして腕を組んでアクアを睨み付けながら言い放つ。
「え〜〜〜」
「え〜〜〜、じゃない」
「む〜〜〜」
「む〜〜〜、じゃない。ほら、遊んでないでさっさと持ってきなさい……ってアクアなに笑ってるの?」
 アクアは怪訝そうなウィーズの声に『あら』、と言いながら口元を押さえる。
 そう。彼女は笑っている。叱られているというのに、笑っているのだ。否、彼女にとってみれば、叱られているからこそ、笑っているのだ。
 アクアは目を閉じて、一言一言かみ締めるように吐き出す。
「ふふ、確かにおかしいですわね。叱られているというのに、今の私にはそれが堪らなく嬉しい」
 誰もアクアには逆らわなかった。ロバートもマルコもアクアが望めばそのとおりにしてくれた。誰もが彼女の言うとおりに動いてくれた。誰もが彼女に異を唱えなかった。端から見れば、それはまったくの自由だった。
 だがそれは……ひどく(むな)しいものでもあった。何も無い虚無の中でのたくっているのと同じことであった。
 そんな中で、ウィーズだけは違ったのだ。
 彼女はアクアの望んだとおりにはならなかった。誰一人怒らなかった自分を真正面から、時には手すら出して文句を言ってくる。全てを対等に接してくる。そしてそれは、彼女が大富豪の孫娘だということを知った後も変わることは無かった。彼女にはそれがこの上なくも嬉しかった。
 自分を特別視しない誰か。自分と対等に接してくれる誰か。
 (かご)の中に閉じ込められた鳥のような現実、誰もが彼女に気を使うとてもとても優しい―――けれど何処までも孤独な世界で、唯一、自分の心に感情をぶつけてきてくれる存在。彼女が望んでも願っても得られなかったものが、今、目の前にいる。
「……あぁ」
 アクアは感極まったように声を漏らす。
 クラスメートの一言で、自分以外の世界を知った。
 ロバートの哀しい愛情で、自分の脆い立場を思い知らされた。
 そして……ウィーズと出会って、初めて彼女は『人間』となれた。
 人間。人と人の間に立つ存在。それはあくまでも対等な他者がいてこそ成り立つ概念。生物としての『ヒト』と一線を画すための+アルファだ。
 人間というものの輪郭は個人では作ることができない。常識や共通理解といったものだけでは細かな目鼻立ちの無いマネキンと同じである。他者との関係の中でその精神(ココロ)を削られ、擦られ、あるいは(えぐ)り、壊されることによって(いびつ)ながらも形を成して個性を作り、『人間』となるのだ。
「私を特別視しないサイゾウさんがいて、対等の存在として私を怒って、褒めて、笑いあってくれるウィーズさんがいるこの環境は、本当に心地良い。願わくばこの先も―――」
 そこまで言って、アクアの口が止まる。ウィーズが彼女の口をその手でそっと塞いだからだ。
「ありがとう。そう言ってくれるのは、私も嬉しい。本当に心の底から嬉しい。……でも、それはできない」
 ウィーズはアクアの目を見据えながら、ハッキリとした口調で断ずる。そして肩を竦めながらおどけたように苦笑いした。だがアクアにはそれが何時もとは違う、別れというものに慣れきってしまった悲しい笑顔に見えた。
「忘れてない? 私が逃亡者だってこと。だからもちろん追っ手もくるだろうし、そうしたらアクアやサイゾウさんにも迷惑がかかってしまう。……それだけはしたくないのよ、絶対に。それに今回はやむを得ない理由でとどまっていたけど、それももう限界。来週にはお給料が出るから、そうしたら私はここを出ていくわ」
 そしてウィーズは一息ついてからアクアに告げる。
「短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう」
 そう言ってウィーズはもう一度笑う。それは酷く穏やかで、切ないぐらいに優しくて、アクアはこれが彼女の本当の顔なのだと悟ってしまった。陽気で面倒見の良い仮面の下の、臆病で甘美な絶望と諦念に染まりきったその素顔を垣間見た。
 そしてもう話は終わりとばかりにウィーズはアクアに背を向ける。だが、彼女は再びアクアに振り向くこととなる。呟くような小さな声。それが彼女の脳裏を揺さぶった。
「『穢れし者』」
 ウィーズは弾かれた様にアクアへ振り向く。
 そして信じられないものを見るようにアクアを見つめるが、彼女はその視線を受けて、悪戯っぽく笑った。
「アク、ア―――」
 声にならなかった。吐き気がして目の前が揺らいだ。頭が白くなって何も考えられなくなった。
 だというのに、彼女はその一言だけで全てを理解した。
「ふふ。知らないとでも思いましたか? 貴女とともに過ごしたこの数週間の間に、私がマルコに言って調べさせたんですのよ」
「……あぁ、やっぱり。彼らはそうだったのね」
 ウィーズは呟いて、唇をかんだ。彼女は薄々感づいていた。マルコ達が自分たちを護衛隊(ガード)などと言っていても、その実、彼らに突出した白兵戦能力が無いことを。答えは簡単。恐らく、彼らは元々護衛のための人材なのではなく、諜報戦を得意とする特殊工作員の集まりだったのだろう。しかし、それでは彼らが弱いのかというとそうではなく、むしろ手段さえ選ばなければ、ウィーズであっても呆気なく殺されていた可能性が高い。つまり彼らは『護衛』のプロなのではなく『戦い』のプロなのだ。その彼らがわざわざ不利な正面からの対決を繰り返したということは、恐らく……。
偽装(カムフラージュ)。それといざという時の私の身体能力の情報収集、ね」
 ウィーズは眉根を寄せる。それは自身の危険を感じたからではなく、アクアがマルコ達という裏の存在を使ってしまったことに対する後悔だ。彼女さえアクアと付き合わなければ、無理にでも逃げ出していれば、こうはならなかったのではないか。頭のどこかでは常に引っかかっていた。引っかかってはいたが、あえてその危険性を忘れたふりをしていた。もちろんウィーズ自身が悪いというわけではない。疲れていたこともある。だが……それを油断と言われれば、確かに油断だ。
「……で、どこまで調べたの」
「平たく全部ですわ。あなたが地球に来た理由から木連軍と連合軍の双方から追われている理由、そして『穢れし者』の成立とその悲惨とも言える歩み、さらには近年になって分かった有効価値等々……。まぁ、こんなところでしょうか」
「……この短期間でよくそんなに調べられたわね。連合軍のメインコンピューターにハッキングでもしたの?」
「いえ、そんな面倒なことはいたしませんわ。単にクリムゾングループが協力関係にあるだけですの。連合軍とも、木連軍とも」
 『もっとも、木連軍と手を結んでいることは連合軍には秘密ですが』と、まるでちょっとした秘密を打ち明けるようにアクアは舌を出して話す。
「なるほど、ね。でもそれなら分かるはずよ。クリムゾンの貴女が私を木連に引き渡さない事の困難さを」
 内心の驚愕を押し込めながら、ウィーズはアクアを見やる。それに対してアクアは一度うなづいてから答えた。
「ジャンパー体質……失礼、ウィーズさんには跳躍適合体質と言った方が通りが良いでしょうか?」
「どっちでも良いわ」
「ではジャンパー体質で。その体質であるが故にウィーズさんは両軍から追われていると、そういう訳で良いんですわね?」
「ええ、そうよ。この能力は野放しにするにはあまりに危険だわ」
 ジャンパー体質。それはボソンジャンプを行うための必須能力だ。通常、地球上の生物がボソンジャンプを行おうとすると、共に跳んだ物体の構成物質同士が融合してしまったり、ジャンプアウトの地点(ポイント)がランダムになったりと、その真価を発揮できないどころか命の危険に晒されすらする。これを回避するには『ある特殊な遺伝子』が必要となるのだが、それを有しているものをジャンパー体質保有者、または跳躍適合体質者と言う。
 現在、木連軍の主力は未だにチューリップによるボソンジャンプ機能を有する無人兵器群である。これは木星〜地球間という膨大な距離を埋める有効的な手段がまだボソンジャンプ以外には開発されておらず、さらにジャンプ可能な艦体、機体のほとんどが無人兵器であるためだ。しかし当初はそれでも問題は無かったのだが、思いのほか地球側が粘るため、短期決戦を望む木連側としては状況を打開できる新兵器を待ち望んでいた。それが有機物のジャンプ可能兵器の開発、つまり有人ボソンジャンプ可能兵器の登場だった。
 さて、そこで問題の『穢れし者』だ。
 近年―といっても火星会戦のさらに十年程度前だが―ヤマサキなる新進気鋭の科学者が『有効活用』と称して有人ボソンジャンプの人体実験に『穢れし者』を大量に投入したところ、それまで他の木連人が軒並失敗していたにも関わらず、なんと彼らだけはそのほとんどが成功したのだ。現在、そのことに関しては、恐らく火星の古代遺跡(プラント)に近い場所で暮らしていた『穢れし者』の第一世代には意図的であったにせよ、そうでなかったにせよ、ジャンプに対して何かしらの適合ができたのではないか、との説が有力であるが詳しいことは分かっていない。だがしかし、この能力は使える。そう考えた木連上層部は残り少ない『穢れし者』のすべてを実験動物(モルモット)として研究に消費することを決定した。
「ボソンジャンプ技術の先行はもはや木連にとってこの戦争に勝利するためには不可欠なことだわ。だから私を連れ戻して実験に使うか、最悪それが無理だとしても連合軍の手に渡る前に処分しておこうと思ってるのよ」
 最後に『分かった?』と、吐き捨てるウィーズ。だが、アクアはその言葉を受けて唇に婉然と弧を作る。
「それがそうでもないんですのよ」
「……え?」
 考えもしなかった言葉にウィーズは思わず呆けたような声を出した。
「それって…どういう……」
「木連側にも地球側にも以前ほどに貴方を追い回す理由が無くなった、という意味ですわ」
 アクアは呆けているウィーズの前に指を立てて楽しげに、まるで悪戯(いたずら)が成功したかのように話しはじめる。
「まず第一に、両軍共にとりあえずのレベルではありますが、有人ボソンジャンプの実用化に既に成功しているんですの。ウィーズさんが連合軍に捕らえられていた2年間の間にさらに研究が進み、遺伝子操作を施された優人部隊と呼ばれる特殊部隊を結成するに至っていますの。そのうちの1人にはウィーズさん、貴方も既に会っているはずですわ」
 アクアの言葉を受けて、ウィーズの脳裏に1人の男の影が過ぎった。
 その男の名は月臣元一朗。
 月で出会った彼は確かにボソンジャンプを、それも機動兵器ごと行っていた。
「じゃあ、去年の12月の段階で既に……」
「えぇ、同胞(はらから)の犠牲がようやく実を結んだというところでしょうか」
「……そうね」
 ウィーズは皮肉気に顔を歪める。元々が自分たちを差別するために設けられた結婚・出産に関する規制が、時を越えてジャンパー体質者の遺伝子を精密に残すことになろうとは、またそのせいで自分たちが実験動物(モルモット)にされようとは誰が考えたであろうか。
 アクアにもウィーズの苦悩は容易に想像がついたのだが、敢えてその事へは触れずに話を進めた。
「第二に、地球側にもジャンパー体質保有者が出現したことですわ。それに伴い相対的に『穢れし者』、つまりウィーズさん自身の価値は低下いたしましたの」
 それはつまり、どうしても研究に使いたいのならばウィーズでなくともその新顔を捕らえてやればいいということ。代替物のあるものに絶対的な価値は無い。アクアは立てていた指を2本に増やしてそう言った。そして一息ついてから3本目の指を立てる。
「最後にウィーズさんを保護しようというのが私たちクリムゾングループだということですわ。先ほども言ったとおり、クリムゾンは連合軍、木連の双方と盟を結んでいます。それを破ってまで手を出す価値が、今のウィーズさんにはもう無いんですのよ」
「……うそ」
 ウィーズはとある理由で火星会戦直前から2年間連合軍によって拘束され、さらにその後の数ヶ月は逃亡生活だ。木連や地球の、それもメディアを調べるくらいでは到底分からないような裏の情報を手に入れる余裕など無かった。だが、その間に彼女を取り巻く環境は劇的に変化していたのだ。あまりのことに戸惑いを隠せない彼女であったが、アクアはそんなウィーズを見ながらくすりと笑う。
「驚くのも無理はありませんわ。でも私たちと一緒に来れば、あなたは自由と平穏を手に入れることが出来る。何を迷う必要があるんですの?」
「……でも」
 正直、ウィーズは迷っていた。否、怖がっていた。
 このままアクアたちを頼れば、それで自分には安息がもたらされる。
 それはひどく魅力的な解決法にも思えた。
 当たり前だ。誰だって死ぬのは怖い。震えるほどに怖い。だが、彼女はアクアに頼ることを迷っている。
 それは……死ぬことが怖いのと同時に、アクアたちに被害が出るかもしれないという可能性を無視することが、たまらなく怖かったからだ。
 気の許せる友人が、自分のために醜く汚い世界に足を踏み込もうとすることが、どうしようもなく哀しかったからだ。
 自分の代わりに誰かが傷つくことが、気が狂いそうになるくらいに辛かったからだ。
 自分が、本当に生まれてきてはいけない存在であるように思えてしまって……。
「……ごめん、ちょっと考えさせて」
 ウィーズはそんなことは無いと必死に自身を言い伏せようとするが、どうしても上手くいかない。
 だから彼女は下を向いて無理やりアクアを視界から出すと、素早く踵を返し、逃げるように部屋を出て行った。後に残るはアクア1人。その顔に不敵とも取れる笑みを浮かべて呟く。
「ふふ、逃がしませんわ。私は今まで欲しいと思ったものは何だって手に入れてきたんですから」
 呟いて、彼女は唇を舌で軽く湿らせた。













後書き
 約2ヵ月半ぶりですね。お久しぶりです。本当は月一ペースくらいを目指していたんですが、もろもろの事情により遅れに遅れてしまいました(汗
 やはり私にみたいな遅筆人間が連載を持つからにはプロットだけではなく、ある程度以上の書きだめも必要なんだなと今更ながらに思ってみたり。『人、それを後の祭りと言う!』なんてロム兄さんのお言葉が聞こえてきそうDEATH。
 まぁ、それはさておき(さておくな)。ようやく書きたかったシーンに近づいてきましたよ〜。
 元々は「Do you know〜」の補完のつもりで書いていたのに気がついたら単なるアクアとのドタバタ劇になっていましたからね〜。多分見ている方の何割かはウィーズが主役だなんて思っていないんじゃないでしょうか。書いてる私ですら「器用貧乏で不幸属性持ちな何処ぞの副長」にダブって見えるときがあったり無かったりw 「明日の主役はどっちだ!?」ってな勢いです(結構マジ
 それでは、ここまで見て頂いてありがとうございました。次回は年内の予定ですのでお暇があったらまた見てやってください。
 出来うる限り早い皆様との再会を祈りつつ、次回も主役が変わらないことを願いつつ、今回はこのあたりで。

鴇の独り言(戯言とも言う
 オリキャラ+ジャンパー体質、か。
 すまねぇ、ナナコ(代理人)さん……。やっぱりまともなSSには……戻れそうも無い……ぜ(ガク


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代理人の感想

え、主役ってアクアじゃなかったの(ZAPZAPZAP)

 

いや冗談抜きで、現状だとアクアの方がよほど主人公っぽいんですけど(笑)。

 

>万能系万能系アミノ式(違)

力はあっても、それをひけらかせなければよし!

いやね、パワーゲームの要素のある話でそう言うキャラを出せば叩かれますが、

A級ジャンパーだろうが格闘できようが、この話では大して重要な位置を占めてませんから。

そういうところが気にならない理由かなと。