一言で言えば、それは巨人であった。
 しかし妙に長くバランスの悪い腕や、それに反比例して小さい頭部、さらには明らかに人工物と分かる無機質な表面が、その存在意義を雄弁に物語っていた。
 正式名称をマジン。
 木連の数少ない有人兵器の1つである。優人部隊というエースパイロット部隊にのみ配属される30m級の人型兵器で、人の何十倍ものその巨体は、木連のシンボルとしても活用された。
 そのマジンが膝をつくような形でうずくまっている。
 ヨコスカで自爆しようとしたこの機体は、ギリギリで目標変更を余儀なくされたため、自爆コードを緊急解除し、ここで必要最低限の修理を細々と行なっていたのだ。
 岩肌むき出しの月面で真っ青なこの機体はかなり目立つのだが、幸いにも現在のところ見つかってはいない。
 月面開発。
 それは21世紀後半から、主に資源の開発から始まり、やがて居住区、商業区とその枝葉を伸ばしていく事となる。その広がり方はまさしく近代的というに何相応しく、綺麗な幾何学模様を描きながら広がっていったと言う。
 しかし、世の中と言うものはひどく複雑で(いびつ)なものだ。
 そんな世の中に無理矢理綺麗な図形を当てはめようとすれば隙間が出来る事は必定。
 そしてマジンが身を隠したここも、そんな独善(エゴ)と見栄による隙間だった。
 もっとも、通常なら軍の感知器(センサー)なり、何なりに見つかってしまうところだったが、彼がジャンプアウトした所がちょうどアキト達のいた連合宇宙軍の施設だったのだ。完全な不意打ちを食らった連合軍は、その機能のほとんどを破壊され、今日に至るまでマジンの所在を掴めないままでいた。
 そのマジンの足元で、食事をしている月臣元一郎の姿が見える。服装は昼間の白い詰襟ではなく、一昔前のパイロットスーツに身を包んでいた。また食事といっても簡単な携帯食糧と栄養補助食品(サプリメント)だけ。しかも量は成人男性の必要摂取量にどう見ても足りていない。
 実は月臣が食堂に寄ったのは、この食生活に耐えかねてのことであったりする。
「誰だ?」
 彼は手短に―と言っても全部で2、3口だが―食事を済ましてから声を発する。
 彼の視線の先からはウィーズが現れた。その服装はさすがにメイド服ではなく、動きやすいパンツルックで、髪も後ろで束ねていた。
「……貴様か。なんだ、昼間の続きでもしにきたのか?」
 『何故ここが分かった?』などとは言わない。
 元々木連に住んでいたウィーズは極めて彼に近い存在である。ある程度似通った価値観や感性があればこの場所を探し当てる事はそれほど困難な事ではなかった。
 そう。木星を見ることが出来て隠れるところがあり、なおかつ彼女たちの食堂の付近という場所は、片手の指でも余るくらいしかない。
 月臣は威圧するように睨むが、それを流しながらウィーズは軽く首を振って答えた。
「いいえ、違うわ。残念だけど、今の私じゃあなたを止めることは出来ない。だから止めるんじゃなくてお願いに来たのよ」
 ウィーズの声には何の抑揚もなかった。過去の行為に対する怒りも憎しみも、そこには見つけられない。もちろん彼女は忘れたわけではないだろうが、今はその感情を完全に封じ込めていた。
「私はあなたが月面から脱出するまでの間、出来る限りの援助をするわ。その代わりあなたにはこの機体が直ったらすぐに帰還してほしいの」
 正直、願ってもないことだった。
 マジンの修理状況はその8割が終了しており、その気になれば今すぐに動く事も出来るのだが、装甲などが心もとない事には違いない。さらに行動を起こす前にもう少し物資を補給しておきたいところでもあったし、上手くすれば彼女から地球側の情報を引き出せるかもしれない。
 普通に考えればかなり『オイシイ取引』であった。
 しかし―――
「お願いだと? 『穢れし者』ふぜいが良くもまぁ、そんなことを言えたもんだな」
 月臣はこともなげに言い放った。
 木連では物事を至極単純な2元論で考える人間が多い。
 それは彼らの聖典とも言うべき『ゲキガンガー3』が善悪2元論であるところからきているのだが、そのため1度悪と決め付けられてしまえば、程度の差など関係のない絶対の悪と見られる傾向があった。
 そして彼もその傾向に漏れることなく、彼女をただの『悪』としか認識していなかった。
 だからウィーズの言っていることが罠であると、よしんば違うとしても『正義』としての誇りが『悪』との取引を拒絶したのだ。
「何故? ここにはもう戦えない人しか残ってないのよ。あなただって無理に戦うよりも一度戻って態勢を立て直したほうがいいはずじゃない」
「そんな事は分かっている。だが、あそこにはまだ悪の兵器工場が残っている。正義の名に賭けて、俺はあそこを落さねばならんのだ」
「そのために無抵抗の人を殺す事となっても?」
「くどい! 無抵抗だろうがなんだろうが、悪の地球人が何人死のうと俺の知ったことではない!!」
「……何故。何故あなた達木連の人間は物事をそう簡単にしか見られないの? 世の中はそんなに簡単なものじゃないのよ」
 ウィーズは噛み合わせた歯の間から押し出すように言った。
 そうしなければ喚きながら月臣に殴りかかりそうだったから。
「ふん。だからここは引け、か? そんな甘い事を言っていては100年前の二の舞だ。悪の地球人は徹底的に滅ぼす。それが我々木連の悲願なのだ」 
 しかし2人の話は平行線だ。
 決して交わる事はない。
 彼女には月臣が、複雑な現実に無理矢理綺麗な図形を当てはめた末に生まれた、この隙間のように歪んで見えた。
「そして仮に、だ。仮に1000000人に1人くらいの割合で地球にも愛の分かる一般人がいるとしよう。だが、それでも我らは涙を飲んで彼らを倒さねばならん。ゲキガンガーの『ロクロウ兄さん』然り、『アクアマリン』然りだっ!!」
 月臣の言葉にウィーズは俯く。
 悲しいのではない。悔しいのでもない。
 ただ、無性に腹立たしかった。
 『世間』が言っているから、『社会』が言っているから、『ゲキガンガー』が言っているから……。
 だから正しい。違うものは全て悪。
 それは確かに分かりやすくはある。
 迷う事も無いだろうから一種の安心感をもたらしてもくれるだろう。
 だが、結局それは逃げでしかないのだ。
 自分で考える事を放棄し、他の誰かに依存しているだけなのだ。
 ―――ぷち
 ウィーズの中で、何かが切れた。
「ゲキガンガー、ゲキガンガー、ゲキガンガー……。いい大人が何時までアニメの事を引きづっているのよ。 何故、自分の目で見て、そして自分で考えて行動しようとしないのよっ!」
 言われるが早く、月臣の身体が旋回する。裏拳……、と見せかけてそのまましゃがみ脚払いに移行する。ウィーズは辛うじて避ける事が出来たが、月臣はさらに止まることなく回転肘打ちを繰り出した。
「貴様……、ゲキガンガーを愚弄したな」
 ウィーズはこの攻撃を避ける事は出来なかったが、何とか両腕でガードした。
 しかし、衝撃が腕を伝って昼間負傷した脇腹へと響く。
 彼女は顔をしかめながら言い返した。
「……痛ぅ、あなたもゲキガンガーを語るなら女性には優しくしないとって思わないの?」
「ほざけ。『穢れし者』や地球女なんぞは女ではない。九十九は子供の頃からお前の事を色々と気に掛けていた様だが、俺はあんな軟弱者ではないぞ。第一、貴様らなぞナナコさんの足の裏以下ではないか」
 顔をしかめたまま彼女の額に怒りの血管が浮かび上がる。
 そして、その顔が見る見るうちに邪悪な笑みに切り替わった。
「ええ、そうよ。確かにナナコさんは素晴らしい女性よ。でも所詮は2次元の女! あなた達と結ばれる事は決して無いのよ!!」
 ……ざく。
 それは彼のような人種には言ってはいけない一言。
 頭にタライが落ちてくる演出が見えるほど月臣に動揺の亀裂が走る。思わず少しよろけたりしたが、ウィーズはその隙を見逃さなかった。
(勝機!)
 電光石火の右肘で月臣の(あご)を突き上げる。上を向き無防備になった腹に膝蹴りを入れ、さらに降りてきた頭に左の掌底をかます。
 月臣はたたらを踏んだが、ここでなんと反撃に出た。
 距離をとろうと左の中断蹴りを繰り出すが、やはり焦っていることは否めない。ウィーズは月臣の蹴りを右の掌底でいなし、その勢いを殺さず回転左肘に繋げる。さらに密着状態のまま、逆回転して今度は右肘を鼻面にねじ込んでやる。そして吹っ飛んだ月臣を追いかけ、止めとばかりに彼の側頭部に飛び蹴りをぶち込んだ。
「〜〜〜〜〜ッ」
 流れるような連続技の後、ウィーズは脇腹を押さえてうずくまる。
 痛みをこらえて月臣をぶん殴ったのだ。自業自得と言えば自業自得だが……。
「……やっぱり起き上がってきたか」
 あれだけの攻撃を食らっておきながら、なおもむくりと起き上がった月臣を見ながらウィーズは内心ため息をついた。
 脇腹の痛みで踏み込みや技のキレ、さらには脇の締り等が甘くなっていたのだろう。一般人相手なら問題なく倒せる一撃でも、達人同士の戦いでこの差は大きい。
「『雑草』にぶん殴られた気分はどう。正義の味方さん?」
 内心の不安を気付かれぬように、ウィーズは月臣を挑発した。
 対する月臣は口元の血をぬぐいながら、ウィーズを睨みつける。
 彼にとってゲキガンガーとは、正義とは絶対であった。決して負けない、負けてはならないものであった。その彼が悪と決め付けていたウィーズに地を這わせられたのだ。それは彼にとっては屈辱の極みであったろう。
「くっ、正義は……、正義は……負けてはならんのだ」
 言うが早く、月臣は身を翻して跳躍し、そしてマジンのコックピットへと滑り込んだ。
「……『雑草』、貴様との勝負は一時中断だ。このままでは任務に支障をきたしかねん。俺は俺の任務をこなさねばならんのだ。国を守るため、正義を守るため……、それが、例え俺の自尊心(プライド)を傷つけることとなってもだ!」
 そう言ってマジンはボソンジャンプをし、文字通り目の前から消えてみせた。
「……逃げた?」
 彼女は呟いた。確かに今の台詞は逃げ台詞もしくは負け惜しみとも言えるが……、
「―――! いや、まさか……!?」
 ウィーズは後方へ振り返る。その方角から爆音が聞こえたのは、次の瞬間であった。
「……しまった!!」
 彼女の振り返った方角。
 そちらには―――ネルガルの月面兵器開発工場があるはずである。つまりは食堂と同じ場所の区画だ。
 ウィーズは下唇を噛んで顔をしかめたが、すぐに後を追った。










 ウィーズは疾走する。
 早く。一瞬でも早く。
 脇腹の痛みなど、もはやどうだって良い。
 彼女は疾風(はやて)の如く月面上を疾走しながら、それでも人という速度の限界を痛切に感じていた。
(お願い。間に合って!)
 重力の少ない月面上をまるで低空を滑空するかのように走る。地を蹴り、人波を掻き分け、人工的な大気を押し退けながら進む。
 彼女は焦っていた。
 月臣のこともそうだが、食堂に近づけば近づくほど爆音は大きくなっていく。
 まさか食堂付近が戦場なのか?
 嫌な予感だけが急き立てられて頭の中で沸き立っていった。
 そして、ネルガル月面工場のあるブロックと他のブロックとを繋ぐゲートをくぐった時、その予感には実感が伴った。扉をくぐったそこは、元々はネルガルの月面基地であったが、今はただの殺戮の跡にしか見られない。
 中に入ったウィーズを出迎えたもの。
 それは1年に1度の聖夜など知ったことかと言わんばかりの悲惨な状況であった。
 崩れ落ちた天井、泣き叫ぶ女性、そして、辺り一面に広がる死体、死体、死体……。
 死体の数からして基地内の人間全ての物ではなさそうだが、それでも全構成員の10分の1ほどの数の死体が転がっていた。
 そこらじゅうに身体の一部が転がっていて、飛び出した内臓をばら撒いている。彼女はそのちょうど真ん中で、見知った顔を見つけた。
 アキト達だ。
 彼女は飛び散ったそれらを無頓着に踏みつけながら彼らの元へ走っていった。
「なんてこと……」
 彼女は思わず、苦痛のうめきの様に漏らしていた。
 彼女の見たもの。
 それは血だらけで横たわる女将の姿だった。
 恐らく崩れ落ちてきた土砂に当たったのだろう。鼻腔を刺激する錆びた鉄の匂いが、彼女に明確な『死』を想像させた。
 知人の死は何度か見たことがある。同じ『穢れし者』の葬式―他の木連の人間は葬儀に出席してはいけない法律がある―に出席した事もある。
 だがこれは違う。そんな生易しいものではない。
 緩やかに迫ってくる老いや病による『死』とは全く異質なもの。残される側にも、旅立つ側にも一切の準備や覚悟を待たずに振り落とされる情け容赦のない死神の一振り。
 彼女は全身が冷えて、冷たい汗が背筋に流れた事を感じた。
「女将さんっ!」
「……あら、ウィーズちゃん。帰ってたんだ」
 土気色をした女将は、まるで何でも無いようにウィーズに言葉を返す。それは死を覚悟した者の持つ余裕なのか、それとも全てを諦めた末の悟りなのか。
「……死なないでよ、女将さん」
「そうだよ。お母さん死んじゃ嫌だよ」
 ウィーズと久美の呻くような言葉に女将はあくまで柔和な笑みだけを返した。その笑みは昼間見たものと同じもので……。
「あいつら、許せないっスよ」
 すりつぶす様なアキトの声にウィーズはそちらを向き、そして軽く目を見開く。
 そこにいたアキトは、まるで別人だったのだ。
 大きめの双眸は鋭く細められ、眉間に(しわ)を作っている。よく笑っていたその口も、今は怒りの歪みにその座を譲っていた。
「ウィーズさんの言ってた意味、分かりましたよ。力が無ければ何をされても文句は言えないって意味が。……そうっスよね。俺たちは戦争やってるんスよね。だから皆を護りたかったら……、相手を殺すしかないんスよね」
 独白のような、自分自身を納得させるような、そんなアキトの言葉と爆音が重なる。アキトは爆音の方向を睨み、それから言った。
「ウィーズさん、皆を頼みます。俺はこれからあの機動兵器を殺しに行ってきます」
 違う。それではダメだ。護る為の戦いと殺す為の戦いは全く違う。憎しみはまた新たな憎しみを生み出すだけなのだ。
 ウィーズはアキトを呼び止めようとして、しかし度重なる爆音に阻まれて叶わなかった。
 荒れ狂う黒煙に視界を遮られ、彼女はアキトを見失う。そして爆煙が晴れた向こうには、もはやアキトの姿はその影すらもなかった。
(くっ!)
 ウィーズは悔しそうに顔を歪めて地面を叩く。
 何故私はこうなのだろうか?
 何故何1つ上手くいかないのだろうか?
 後悔と慙愧(ざんき)の念が心を埋め尽くす。
 何が皆を護るだ。
 月臣と交渉する前にせめて食堂の皆だけでも避難させておけばよかったのではないか?
 いや、交渉するにしてももっと他に手段は無かったのか?
 そもそも私が月臣を追い詰めなければ彼はすぐには行動を起こさなかったのではないか?
 とりとめもない考えが浮かんでは消える。
 脳が空回りをするような感覚。
 焦りだけがじわじわとその意識を侵食していった。
「……ごめんなさい」
 それは女将に言ったものか、店主や久美に言ったものか、それとも周りの者全体に言ったものか。彼女自身でさえも分からないが、
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
 ウィーズは潤んだ瞳で、何度も何度も呟いた。
「ちょ、何でウィーズさんが謝ったりするんですか!」
「そうだぜ。悪いのは全部木星の奴らだ。嬢ちゃんが謝ることなんて無いんだぞ」
 久美と店主の言葉にも、ウィーズはただ首を振って、謝り続けるだけ。
 その顔をそっと触れる手があった。
 女将の手だ。
「そうよ。いくらウィーズちゃんが木星の人間でも、謝る事なんて無いのよ」
「ですが……」
 言いかけて、ウィーズは愕然とする。
 久美と店主も弾かれるように彼女の顔を見るが、女将は怒るでもなく、ただ笑ったままであった。
「何時から、気付いてたんですか?」
「女の勘ってやつよ」
 そう言って女将はもぞもぞと動いて笑う。どうやら肩を竦めたかったらしいが、もはや上手く身体が動いてくれなかった。
「実は昼間アキト君を呼びに行こうとした時に、偶然あなた達の話を聞いちゃったのよ。それと昼間の男を見たときのあなたの反応からカマをかけさせてもらったってとこかしら」
 ウィーズは『しまった』と顔をしかめるが、もう遅い。
「じゃあ、私の過去や名前の事も……?」
「悪いとは思いながらね」
 女将の言葉に、ウィーズの潤んだ瞳は一気にその水かさを増し、そして、堤防が決壊するように零れ落ちた。
「やっぱり、私は存在してはいけない人間だったのかな? 所詮いてもいなくても変わらない『雑草』でしかないのかな? だって私がいなかったら女将さんがこんな傷を負うことも無かったし、アキト君もあんな顔をすること無かったはず。周りの皆だって……」
 何時までも続きそうな彼女の自嘲の言葉を、彼女に触れていた女将の手が遮る。同時に彼女の涙を指で拭ってやった。
「お母さんの事、嫌いだったかい?」
「え? それは……」
 女将の突然の質問に、ウィーズは口篭った。
 彼女の周りの人間は口をそろえて言う。
 『お前は騙されたのだ』と。
 彼女も一度は深くそう思った。
 しかし、それでも母親を憎みきれない自分に気付く。
 本当に母は自分のことをそう見ていたのか。
 記憶の中の母は、常に優しかったというのに……。
「……ウィーズ。良い名前じゃないか。大好きなお母さんがつけてくれた名前なんだ。もっと誇りを持って、信じてあげな」
「でも……」
「『雑草』にだっていろんな意味があるんだよ。そりゃあ悪い意味だってあるだろうけど、あなたのお母さんは『例えどんな状況でも耐えてほしい。雑草のようにしぶとく強く生き続けてほしい』なんて事を祈って、ウィーズって名前をつけたんじゃないかしらね」
「なんで……」
 何でそんな事がわかるのか。
 娘である自分ですら思いつかなかったような答えを、何で他人である貴方が。
 ウィーズの言葉に、女将は軽く照れ笑いをしながら答える。
「ま、私も一応は『母親』だからね」
 そう言った女将の顔は、瀕死だというのに、どこか強かった。
 それは彼女が『母親』だったからかもしれない。
 男性よりも肉体的に劣る彼女らに、ある日突然生まれる強さ。
 女将の表情には、かつて彼女が自分の母親に見ていた何かと同質のものがあった。
「……ぅぅぅ……」
 微かな嗚咽。
 女将の言葉はウィーズの中に入り込み、
「……ぅううう、う――」
 そしてそれは彼女の中で熱い奔流となって駆け巡る。
 信頼、後悔、母性、絶望、幸福、憎悪、勇気、諦め……、彼女の中のあらゆるものが溶け込んだそれは、
「ぅああああ―――っ!」
 出口を求めるように、彼女の双眸から溢れ出した。












 翌日、町は昨日の騒ぎなどまるで無かったかのように平穏を取り戻していた。元々戦場になる事の多い場所であった事もそうなのだろうが、日常というものの堅牢さを改めて思い知らされる。
 だがそれは、事件のことを忘れたわけでも、ましてや無視しているわけでもなかった。忘れたからと言って、街が直る訳でも、死んでしまった者達が生き返るわけでもない。
 それは言い逃れようのない事実だ。
 そんな街の中を、ウィーズは1人歩いていた。彼女は女将の最期を看取った後に、店主達には何も告げずに彼らの元から去ったのだ。
 崩れてしまった家を直そうとしている者がいる。
 略式の葬式を行なっている者がいる。
 私財で炊き出しをしている者がいる
 彼女はそんな街の様子を見ながら歩く。
 許してくれとは言わない。今は強くなくては何をされても文句は言えない世の中だから。
 でも……、
「よぉ、嬢ちゃん」
 彼女がネルガル月兵器基地のブロックを出ようとしたところで、声が掛けられた。
 店主だった。
 『何故、消えることが分かった』という問いは敢えてしない。しかし、彼女の前に立つ影の数が店主1人ではない事に彼女は驚きを覚えた。食堂の常連客や彼女に抱きついて蹴り倒された男、他にも見知った顔がいる。
 だが、その中に再び現れた木連兵器を追って出ていったアキトと久美の姿は見えなかった。非は無いとは言え、母の命を奪った木星人と同じウィーズを、久美はどうしても許すことが出来なかったからだ。
「餞別だ。もってけ」
 そう言って店主は小さい袋をウィーズに渡す。
 受け取った彼女の手には、ずしりと来る重量感があった。中身は紙幣だった。それもかなりの量の。慌てて彼女は返そうとするが、店主はさらに彼女の手を押し戻す。
「2週間分の給料だよ。ちっとばかし多いのは後ろの連中がくれたチップだ」
 店主は小さく笑いながら、『俺は労働基準法違反で捕まりたくはないんでな』と、なおも遠慮しているウィーズに釘を刺した。
「少ないだろうけど、取っといてよ」
「君のいた間、とっても楽しかったよ」
「お、俺も入れときました。ただ、あんまり余裕がなかったんで、額は少ないんですけど……」
 次々と投げかけられる言葉に、彼女は驚いた。
 そして同時に、彼女は自分の中で何かがほどけていくのを感じる。1本、また1本と、彼女を縛っていた過去と言う名の呪縛がほどけていく。
「皆。……ありがとう、……ありがとう、……ありがとう」
 彼女は何度も何度も、まるで回数の分だけ強く気持ちが相手に伝わると思っているかのように、お礼を言った。
 言いながら、泣いた。
 そしてひとしきり泣いた後に、改めてその場にいる人々を見回した。
 別れを惜しんで泣いている者がいる。
 あくまでも平静を保とうとして、かえって不自然なまでに無表情な者がいる。
 ただ微笑みかえしてくれる者がいる。
 見送る者の表情は様々であったが、共通して彼女の事を大切に思う色が含まれていた。
 彼女は改めて深くお辞儀する。
「短い間だったけど、本当にありがとう。そして、……さようなら」
「分かってねぇな。嬢ちゃん」
 ち、ち、ち、と人差し指を振りながら店主は言う。
「そういう時は『さよなら』じゃなくて『またな』って言うんだよ」
 『またな』。それは別離の言葉ではなく再開の誓い。
 彼女はぽかんとして店主の顔を眺めていたが、やがて強く頷いた。
「……わかりました。それじゃ、みんな。『またね』」
 彼女は笑いながら手を振る。
「戻ってきたら久美の奴と仲直りしてくれや」
「また蹴ってくれよ」
「待ってますから。僕、ずっと待ってますから!」
 たくさんの笑顔を背中に浴びながら、彼女は再び歩き始めた。
 正直、まだ無条件の好意に対して戸惑いが全て無くなった訳ではない。自分の名前の意味だって、母親は本当にそう思って付けてくれたのか確認する手段はない。
 何が解決したわけでもないのだが、その歩みは、もはや揺らぐことはなかった。これからは孤独と絶望の代わりに、信頼と希望と言う文字を胸に抱いていけるのだから……。




 この後、彼女を待つと言っていた男が待ちきれなくなって街を飛び出そうとしたり、彼女が木星人であるということがバレて大騒ぎになって、それを久美がかばって説得したりするのだが……、それはまた別の物語である。

















あなたは知ってる?
自分の名前に込められた意味を。
贈られた祈りを・・・。
私? もちろん知ってるよ。
私は・・・、



















後書き
 どうも、鴇です。
 今回はAction Home Page1000万Hitということで記念SSを書かせていただきました。
 恐らくこれを読んだ方の中には、何でオリキャラが入ってんだとか、しかもそれが主役じゃねーかとか、1人称だか3人称だか分からないぞとか、長すぎだとか、鴇にハートフルは似合わないぞとか、いくら木連が絡んでいるからってネーミングがベタ過ぎないかとか、エトセトラエトセトラ……。
 仰りたいことは重々承知しています。
 皆まとめて申し訳御座いません(爆)。
 うぅ、私にはこれが精一杯なんですよぉ(泣)。
 せめて笑って読んでいただければ幸いです。
 それでは遅くなりましたが、Action Home Page1000万Hitおめでとうございます。
 また、これを読んでくださった皆様(いるかなぁ)、ありがとうございました。
 大きな節目となるこの企画に参加できたことを喜びつつ、Actionのさらなる躍進を祈って。
 それでは、また。

PS
 実は4月25日現在、この話の続きを作ってみたりしています。
 お祭企画なのにこんな事をするのは反則かなぁと考えていたんですが、ばら撒いた伏線の半分も回収できていない事実に今更ながら気付いた(爆死)のでどうにか納得の出来る終わりかたに持っていくべく、只今ちまちまと頑張っていますw
 もうじき投稿しますので、気が向いたらチラッと覗いてみてやってくださいな。2つ組み合わせることでやっと1つの物語と言うことが出来ると思いますので。


管理人の感想

鴇さんからの投稿です。

いやいやいや、良いキャラじゃないですかウィーズさん?

こういう背景を持つキャラを、上手く動かせてますね。

月臣との絡みも、実に納得のいくものでしたし。

彼女がこの先、どんな人生を歩んでいくのか、実に興味深いです。

 

 

 

しかし、今回の投稿作品で唯一のアカツキの見せ場が、汚れ役とはねぇ(爆笑)

 


代理人の感想

皆まとめて問題ありません(爆)。
面白ければなんでもいいんです。そう言うもんです。

話のほうですが……こう言う差別って来るんですよね。
トラウマになったりして。
でもそれが人格を形成する鍵になっちゃったりしてるので
嫌でも肯定せざるをえないというか。
ちょいと意味不明ですな。

それはともかく、月臣の扱いでむっと来た方もおられるかもしれませんが、
この頃の彼ならこんなもんでしょうね。
草壁式価値観に完全に同調してて、一方的な見方しか出来ない。
しかもかなりの閉鎖的社会と推測される木連育ちですからこうなる可能性は十分あるでしょう。

それと最後に聞きたいのですが、メイド服に何か必然性が?(真面目な顔)

 


別人28号さんの感想

あぅ……いい話です
いいキャラですなぁウィーズ
彼女にはホントこれから幸せになって欲しいです
踏まれたがりの男からはなんとか逃げ切ってください(笑


反面、月臣は……
確かにこの頃の木連人ってこんな感じなんでしょうが
視点を変えるだけであら不思議
いっぱしの悪役に早変わりぢゃありませんか(笑)

いや、ホント意図的なんでしょうが月臣とアカツキ読んでてムカつきました(爆)

 


ゴールドアームさんの感想

ううっ、反則やけど、反則やけど、いい話や〜〜〜。
反則とは言ってもテーマからは外れてはいないし、これでよしっ!!
いや、泣かせていただきました。
お見事です。これからも頑張ってください。

 


龍志さんの感想

うーん…ウィーズが何処かで見た事あるキャラの域を飛び出していなかったのが残念。
後、月臣もテツジンでアキトと共に月に着ていたという設定が面白かったです。
キャラ性はともかく、2週間前に跳んでいたなら月臣はずっと何をしていたのか。
修理かもしれませんが…テツジン動ける状態で跳んできた月臣が何故、母船に戻らずに修理という行動しかしていなかったのか。
そこらへんを突っ込まなかったのが残念で仕方ありませんね。
多分、このネタだけで一本書けます(笑)
いい素材はありましたが、それをいかせていません。

もう少し練りこみ、完成度を上げていきましょう。

 


プロフェッサー圧縮inカーネギー・ホール(嘘)の日曜SS解説・特別版

はいどーも、プロフェッサー圧縮でございます(・・)
今回はAction1000万ヒット記念企画と言うことで、解説役にゲストをお招きしておりマス。
圧縮教授「儂であるッ!」
ハイ、では作品の方を見てみましょう( ・・)/

「これはこれは、大変な力作じゃのう」
そうですねー。合計100k弱はダントツです。
「差別、か……木蓮のような一種の宗教国家だと、半ば公然化していても不思議はないの」
そうですねえ。悲しい事ですが。
「『人間が最も無慈悲になれるのは、正義を為す時だ』と誰かが言っておった」
ひとの心は弱いから、全ての責任を負いきれないのでしょう。
「しかし、弱く卑怯なばかりが人間ではない」
ええ。だから神でも悪でもない、人『間』なのでしょう。
「うむ。ところで、一つ気になる点があるのじゃが」
はて、なんでしょう?
「この当時、火星以遠に人がいるなどと云う認識は、世間に無かったハズじゃが」
…………きっと、女将も木蓮人だったんですよ(゜゜)
「おお、それは新発見じゃな」
………………
「………………」
えー、おめでたい席ですんで。
「うむ、なのでそう言うことと思ってもらえれば重畳じゃ」

はい、では次の方どうぞー( ・・)/

 


日和見さんの感想

>何でオリキャラが入ってんだとか、しかもそれが主役じゃねーかとか、
>1人称だか3人称だか分からないぞとか、長すぎだとか、

 言いますが(爆)

 それでも面白かったので、問題ありません。
 『穢れし者』の設定についても、ありえそうで納得できましたしアキトの態度が変わった理由についても、勘違いして吸収してしまうところがなんともアキトらしいというか、納得力がありました。
 アキトが主人公ではないものの、ひとつひとつに「なるほど」と言わせる説得力/納得力があったので、楽しく読めました。文章も比較的読みやすかった点が大きいです。

 


皐月さんの感想

例えて言うならパスタか?
オリキャラを出しながらもそのオリキャラを見事にB2Wに絡ませて、かつアキトを啓発(ないしは意識改革)させて、その上でオリキャラ自身もオチを付けさせたのは見事です。
欲を言えば、オリキャラがもう少し萌えるキャラだったらなあ、と(お前最低だ)