ATTENTION!!

 この話は1000万ヒット記念企画『Blank of 2weeks』の1投稿である『Do you know……?〜あなたは知ってる?〜』の設定を引っ張ってきています。一応見なくても読める内容を心掛けましたが、興味のある方はぜひ先にそちらのほうをお読みください。



 月臣元一朗がその食堂に足を踏み入れたとたん、彼の横手の壁に、男が猛烈な勢いで叩きつけられた。男は低く呻き、そのまま気を失って彼の足元に倒れる。よほど良い角度で前蹴りをもらったのだろう。男の顔にはくっきりと足型が浮かび上がっていた。
「おらおら、次はどいつだッ!?」
 ざわめく店内に、轟、とした男の怒声が響き渡る。
 見ると、学ランのような白い詰襟――木連の機動部隊である<優人部隊>の制服――を身にまとった若者が1人、数人の男たちに取り囲まれていた。
 月臣は小さく溜息をつき、
「またか。お前の監督不行届だぞ」
 呟きながら、傍らの男を横目で見やる。男は仕方ないな、という感じで肩をすくめながら言った。
「あいつにもなぁ、もう少し落ち着きってもんがあればなぁ」
 この男の名は秋山源八郎。刈り上げられた頭髪とがっしりした体躯を<優人部隊>の制服で包んだ、見るからに豪快そうな男だ。もっとも、その本質が繊細にして緻密だということは木連の軍人なら知らぬものはいない。
 月臣は秋山が動かないことを確認すると、つかつかと野次馬のほうへと歩き始めた。そして<優人部隊>の若者を取り囲んでいる男たちに近づいていくと、そのうちの1人の襟首を引っつかんで後ろに引き倒し、体制の崩れた脇腹をしたたかに殴りつける。無理やり呼吸を止められた男は短い驚愕の呻きを上げながら白目をむく。
 それを見た若者は、黒瞳に獰猛な輝きを湛えて笑った。
 彼の名は高杉三郎太。月臣、秋山と同じ<優人部隊>の所属にして、秋山が駆る戦艦『かんなづき』の副長でもある。
 三郎太は月臣の出現に動揺した男たちに、ここぞとばかりに襲い掛かった。正面の男との間合いを詰めると、そのアゴを手のひらで跳ね上げる。そして密着状態から無防備な腹部に肘を叩き込んだ。くの字になって倒れこむその男を尻目に、三郎太の上半身がぐるりと旋回する。まっすぐに突き出した拳は、その横の男の即頭部に重い衝撃をもたらした。裏拳をまともに食らった男は吹っ飛びながら野次馬の壁に激突する。何人かの野次馬を巻き込みながら、その男は悶絶した。
 それで、終わりだ。
 残りの連中は月臣を見るが早く逃げ去っていた。仲間意識に多分に疑問が残るが、手間が少なくて済む分、これはこれで正解だったのかもしれない。野次馬たちはぞろぞろと黒山を崩し、店の主人が手馴れた様子で片づけを始める。店員が白目を向いている男たちを店外に引きずり出す。もちろん、その際に店の修理代を懐から抜き取ることも忘れない。
「月臣少佐、助太刀ありがとうございました!」
 三郎太は実直そうに敬礼をしてから、顔を崩して笑う。しかし対する月臣は顔をしかめて口を開いた。
「また徹底抗戦派か。いい加減……」
「わっはっは、とにかく被害が最小限で済んだんだ。この場はよしとしようじゃないか」
 説教モードに入ろうとした月臣の肩に秋山が腕を回して豪快に笑う。
 この2人の周りだからこそ比較的まともな空気が流れているが、実はここ何ヶ月かで木連の治安も雰囲気もすこぶる悪化していた。
 それはナデシコが火星極冠遺跡の演算ユニットを宇宙の何処かに跳ばしてしまったため、戦争の目的を失った木連、ネルガル重工双方の戦争継続意思が減退していったことに起因する。当初は戦争の目的がなくなれば戦争自体も収束すると思われていたが、当然というか何と言うか、世の中それほど単純でもなかったようだ。特に木連側からしてみれば、望んでいた短期決戦の目がつまれてしまったことになるのである。そのうえ和平交渉のカードは既に破棄してしまっているため、勝ち目のない消耗戦を嫌でも続けていかなくてはならない、まさに手詰まりの状態といえた。また、このような状況においても厭戦気分が蔓延していない理由には国民的英雄である白鳥九十九を騙し討ちされたという一念――実際には和平派を失墜させようとした草壁春樹の策略――があるのだが、皮肉なことにその想いがこの不毛な戦争を長引かせている一因にもなっていたのだ。
 そういうわけで、一般人にはまだまだ徹底抗戦派が多いものの、状況を冷静に見ることの出来る秋山・三郎太ら若手穏健派は戦局の悪化によりにわかに復権。従来の徹底抗戦派との間で激しく意見をやりあうのが日常となっていた。
 月臣は秋山の手を外すと手近の空いている席を見つけて腰を下ろす。話し合っている秋山たちを横目にしながらそそくさと料理を注文すると、彼らも同じく注文して月臣の横に座った。
 座ったところで、秋山が三郎太に真っ白な歯を見せてニカッと笑った。
「な、なんですか」
「殊勲十字章、おめでとう」
 秋山は自分のことのように嬉しげに話す。しかし三郎太は、それを聞いても苦笑いをするだけだった。この反応は予期していなかったらしく、秋山は三郎太の顔を覗き込んできた。
「なんだ、嬉しくないのか? ようやくお前もいっぱしの軍人になってきたというのに」
「嬉しくないことはないですけど。さすがにこの場で騒ぐことは出来ませんよ」
 秋山は丸い目をしながらポリポリと頭をかいていたが、やがて合点がいったように月臣の顔を見た。
「そうか。そういえば―――月臣には大激我章の話が出たんだってな」
 大激我章とは木連でもっとも高級な勲章で、基本的に戦艦のいち艦長になど出るものではない。当然ながら国威発揚的な狙いもあったのだろう。浮かれた話の少ない時勢でパイロットとしてもおびただしいほどの戦果を挙げ、全軍のトップエースとしての地位を築いている彼はちょうどいい神輿(みこし)だったのだ。
 もっとも、それは決してただのプロパガンタと言うことだけではない。開戦から数えて彼の累積撃破数は実に384。連合宇宙軍の主力機動兵器がエステバリスやスクラムジェットといった有人兵器であることを考慮すれば、それは既に常人の域を遥かに凌駕していると言える。実際、昼もなく夜もなく戦い続ける月臣の姿は一月前とは別人のようにやつれ、消耗してしまっている。否、消耗して見えるなんてものじゃなかった。元々すっきりした細面の顔はげっそりと痩せこけ、目の下に深いくまが浮かび、肌は乾燥してひび割れている。
 明らかに無理をしている事が分かる。
 事実、ここ数ヶ月の彼は通常の兵士の3倍から4倍の頻度で出撃を繰り返していた。今日とて酷使し続けてきた愛機『ダイマジン』のオーバーホールのために帰還してきたのであって、それさえなければ今頃そのコックピットに乗ってどこぞの死地に出向いている予定だったのだ。遊撃隊としての任務はいくらでもある。
 この時の働きが大激我章受章に繋がったのだが、しかし秋山はそんな月臣を見て背筋に冷たくなるのを感じていた。違和感と言ってもいい。木連きっての熱血漢だった男が、何故かおかしい。
 再開したときは単に疲れているのかと思ったが、その空洞のような瞳はまるで何もかもを、自分自身でさえも倦んでいるようだ。久しぶりに見た月臣に、秋山はそんな漠然とした不安を持っていた。
 彼の言葉に、月臣は食堂の天井を仰ぎながらポツリと呟く。
「そうか。もうそんなに落としたのか……。だというのに、何で俺は―――」
 ―――まだ、死んでいないのだ?
 その言葉は、しかし紡がれることなく宙を舞った。
 上官である草壁春樹中将の命令とはいえ、自らの手で親友である白鳥九十九の命を絶ってしまってから、月臣は狂ったように激戦区に顔を出した。わき上がる恐怖を抑えて最前線に真っ先に切り込み、神経をすり減らしながらきしむ機体で最後まで敵に追いすがるその姿はさながら死をも恐れぬ修羅のよう。
 しかし見るものが見れば一目で分かる。
 あれは修羅なんかではなく、単なる『死にたがり』なのだと。
 自分で自分が許せなくて、でも自害することも出来なくて、死に場所を求めてうろつく敗残兵のようだと。
 ……だが。
「凄いッスよね。月臣少佐はもう木連じゃ知らない人はいないくらいのヒーローですよ!」
 三郎太は自分のことよりもよほど興奮して話す。
 だが、彼の戦う姿を実際に見ていない者、戦果や華々しい戦時放送を見ただけの者はえてしてこのような理想を彼にかぶらせる。
 ましてや、それがヒーローアニメ『ゲキガンガー3』を聖典としているこの木連では尚更のことである。
「……俺がヒーロー、か」
 月臣は心の中でシニカルな笑みを浮かべた。
 幼い頃はあれだけ憧れていたというのに、いざ呼ばれてみると何の感慨も沸きはしない。
 それは自分がヒーローと呼ばれることにもはや何の魅力も感じなくなってしまったからなのか。それともヒーローなんて本当は何処にもいないということに気がついてしまったからなのか。
(どうしたって言うんだろうな、九十九)
 彼は乾いた心の中で、同じくヒーローと呼ばれた男に問いかけた。













正義の味方に憧れて
presented by 鴇













 月臣と秋山がいるのは、木連最大の市民艦、『れいげつ』だ。総司令官草壁春樹中将が治めるこの艦は、木連全体の約半分の国土――この場合は総敷地面積のことである――と人口を誇り、その後方には今もって最大のブラックボックスとされている古代火星人の『都市』がそびえている。碁盤の目状にきれいに区画整理された街中にはゲキガンガーグッズがそこかしこに設置されており、子供たちが愛玩用のコバッタと戯れている。
 区画整理されていない道を少し都市中央へと進むと、見えてくるのは軍の司令部だ。その周囲をドックや研究所などの軍関係の建物が取り囲んでいる。そのうちの一つに、月臣たち<優人部隊>が主として使用する宿舎もあった。
 2階の一番奥にある自分の部屋に入ると、秋山は満足そうに腹をさすった。月臣は食事だけで三郎太とは別れ、それから話があるというので秋山の部屋で落ち着いて聞くこととなった。真面目な話なのかどうなのか、今の秋山を見るだけではどうにも判断しかねる。元々ポーカーフェイスの上手い男だけに、どう接すれば良いか思案してしまっていた。
「あ〜、食った食った」
「当たり前だ。俺たちの3倍は優に食っているんだぞ。だが、しばらく来ないうちにあの食堂はずいぶんと様変わりしたな。まさかジャガイモ料理が全体の7割を超えるとは思ってもいなかったぞ」
「お前は転戦転戦で携帯食料ばかり食べているから気付かないかもしれんが、最近は木連中みんなあんなもんだ」
 月臣が先程の食堂を思い出しながら言うと、秋山は多少その表情に影を落としてうつむいた。いつも豪気な秋山だけに、こんな表情をされると胃が締め付けられるような嫌な不安が頭を過ぎってしまう。元々、秋山も月臣もエース兼艦長というゲキガンガーの影響を多分に受けた役職に就いているが、前者は優れた戦術、戦略的視点を持つゆえに艦長として、後者は木連屈指の武力を持つがゆえにパイロットとして、それぞれ特化していた。そのため、艦長にありながら月臣は最前線に出るだけの下士官のような役割を自らに課している。考えるのは秋山や上官の仕事。そう割り切っていた。
「む、そうなのか?」
「ああ。いよいよまずいな。最近は補給も露骨に滞るようになってきた。幸い木星〜地球間という距離の障壁によって侵略こそされていないが……、今、何か手を打たねば、木連は陥ちる―――」
 憂鬱な表情で、秋山は断定した。見かけとは裏腹に安易な断定などは決してしない秋山がそう言ったのだ。その言葉はそれほど遠くない未来に現実となるだろう。月臣は自分の無力さを歯がゆく思った。戦うばかりが取り柄の自分は、こんな時にどうすればいいのか分からない。
「……それで、何があったんだ?」
 ややあってから、月臣はポツリと呟いた。
 長い付き合いだ。秋山がただ愚痴を言うためだけに自分を呼ぶとは考えづらい。
 顔を上げて月臣と視線を合わすと、秋山は静かに告げた。
「お前が前線に出ている間に、少年兵を強制召集するための法案が可決された。2週間後までに14歳から17歳までの徴兵規定年齢に達していない子供たちを学籍のまま集めるそうだ」
 少年兵だと? 月臣はキッとなって秋山を睨みつけた。
「馬鹿なッ、そんな者たちに何が―――!」
「ああ。何も出来はしないだろうな。ロクに訓練も施さない子供を戦線に投入して戦力を立て直すまでの時間を稼ぐつもりらしい。くッ、これでは卑劣極まりない地球人と何も変わらないではないか!!」
 秋山は苦々しげに壁を叩いた。
 恐らく秋山は、軍上層部と散々やりあったのだろう。あらゆる手段を尽くしてこの法令を否決、ないしは可決されるまでの時間を稼ごうとしたのだろう。それだけは信じられる。その結果が、2週間後の召集ということだ。それにしてもただでさえ貴重な人的資源を無人兵器のごとく浪費する戦局とはどれほどの酷さなのか?
「期待していた世論の反発もほとんど無かった。配給が厳しくなろうが、嗜好品が手に入りにくくなろうが、みんな何処かズレてるんだ。今まで一方的に攻めていただけだから攻められる恐怖を味わったこともなければ、無人兵器に頼りきっているから自分たちの手で人間を殺すこともまた殺されることも無いとタカを括ってしまっている。誰も彼も現実が見えちゃいない。和平推進派は俺たち<優人部隊>の関係者ばかりで、熱心な主戦論者に限って前線に出たこともないような老人なんだ……!」
 一息に言い切ると、秋山は自嘲的に笑った。
「ずっと考えていた。草壁(・・)にはもう戦争で勝つことしか頭にない。あいつにとっちゃ焼け野原だろうが血の海だろうが最後の1人として立っていられりゃ問題はないんだ。だがそれでは他の人間はどうなる? この国の民を守るためなら俺は―――」
「それ以上は言うな」
 刺すような月臣の言葉に、秋山は険しい表情を作って彼の胸倉を掴んだ。
「じゃあ、どうしろって言うんだ! 九十九が死に、子供たちも死に、国も疲弊して……、俺たちはいったい何を護っているというんだ。何が正しい? 何が間違いなんだ? 答えろ! 元一郎!!」
「俺だって分からんさ」
 月臣は秋山の腕を振り解こうともせずにただゆっくりと言った。
「分からんが、それ以上いったら、俺はお前を殺さなければならん」
「元一朗、お前……」
 秋山は月臣の言葉が飲み込めないようだった。うろたえた顔で、月臣を見つめている。
 彼は初めから月臣だけは口では何を言っても賛同してくれるものだと思っていた。そのため、一歩間違えば死と直結するような己の本心も明らかにしたのだ。
 その行為に込められた信頼に、月臣の胸のわだかまった闇が強く反発する。
 どうしてこいつは、木連屈指とも言えるだけの頭脳を持ちながら、こうまで開けっぴろげに人を信用したりできるのだろうか。
 九十九だってそうだった。あいつも俺たちが軍人であると言うことを忘れていた。いざとなれば友情よりも優先しなければならないものがあるということを……!
 月臣は腹腔に重くのしかかる黒いものに苛立ちを覚え、声を荒立てた。
「まだ分からんのか? 俺は……草壁閣下の側に立つ。そう言ってるんだ!」
「な―――」
 裏切りの、宣告だった。
 秋山はようやく理解できたのか、絶句して身体を硬直させた。月臣がこれほど秋山を驚かせたのは、長い付き合いだが初めてである。
 だからこそ次の反応も予測できた。こいつのことだ。まずは有無を言わさず鼻面に2、3発といったところか。月臣はそう予想しながらも、しかしそれらを甘んじて受けるべく目を閉じた。
 ……だが、何時まで経っても予想していた衝撃は来なかった。
 1秒、2秒、3秒……。
 月臣は動かない秋山を不審に思って目を開く。
「どうした、秋山。俺を殴るんじゃ―――」
 そう秋山に言いかけて、しかし今度は月臣のほうが絶句してしまった。
 秋山は、今にも泣き出しそうな顔で、月臣を見つめていたのだ。
 怒気も殺気もその片鱗さえ見当たらない。
 それは月臣ですら初めて見る、九十九を失ったときよりも悲痛な表情だった。
 ……なんて、(ツラ)だ。
 予想だにしなかったその表情に、月臣は喉の奥が締め付けられるような、そんな錯覚に陥った。
「もう、帰ってくれ」
 秋山のかすれた声に、はっとした顔で月臣は我に返った。
「お前だけは、力を貸してくれると思っていたよ」
 秋山はそう言い捨てると、奥の部屋の戸口へと向かった。その足取りは重く、切ないほどに打ちひしがれていた。彼は月臣の前を通るとき、一瞬だけ視線を向けてきたが、それは亡霊でも見るような、そんな目つきだった。
「秋山」
 月臣は、半ば無意識的に呼びかけていた。
 だが、いまさらどんな言葉をかけてやればいい。
 秋山は立ち止まり、やはり月臣に背を向けたまま、
「本当は分かっていたさ。俺たちが、本当は正義なんかじゃないってことに」
 囁くように呟く。
「火星では軍人も民間人も手当たり次第に殺したんだ。文句は言えない。だが九十九と元一朗がいたから、俺は木連の正義を信じる事が出来た。―――そのふたりがいなくなったいま(・・・・・・・・・・・・・・)、ここに俺の信じるべき正義はもうない」
「…………」
 月臣は返す言葉もなく、ただ呆然と秋山の言葉を聞いていた。
 そして秋山の姿が扉から消えてしまった後で、月臣はようやく気が付いた。
 自分が、取り返しのつかないことをしてしまったということを……。













「せいっ!」
 掛け声と共に、鋭い拳打の音が鳴り響いた。
 身体を反転させながらの裏拳が風切り音を立てて空を斬る。
 背後に跳躍しながら中空に蹴りを放つ。
 鬱蒼とした闇の中を舞う、月臣の姿があった。
 恐らくこの掛け声がなければ、何がいるのかも分からないだろう。
 なぜならここが僅かばかりの光源しかない、都市開発のあおりを食った廃屋だからだ。中途半端な作りのため隙間から漏れでる明かりがあるものの、電灯も何もない屋内の隅々まで行き渡るにはあまりに乏しい。か細い光によって寸断された闇がそこかしこにわだかまり、複雑な陰影模様を刻んでいる。それは完全な闇よりも、むしろ不気味な光景であった。
 ただでさえ見通しの悪い場所に、無数の闇が凝り固まってさらに視界を狭めている。
 目を凝らしてようやく足元が見えるかどうかと言った状態だ。広さは申し分ないけれど、廃屋らしく足元には様々な障害物が転がっている。慎重に爪先で探るようにしながら歩を進めなければ、数歩ごとに無造作に放置してある鉄骨や砕けたコンクリートの欠片の創り出す段差や窪みに足を取られて転倒してしまうだろう。とてもまともに『歩ける』様な状態ではない。
 ましてや―――武術の型練習をするなど出来ようはずもない。
 だが。
 月臣は何事も無いかのように型を繰り返し続ける。
 力強いその足捌きには何の乱れも無い。罠の様に張り巡らされた凸凹の上で、まるで平坦な場所であるかのように動き続ける。
 拳打を繰り出す。床を踏み抜くように蹴る。時にはコンクリートを敵に見立ててさらに拳打を繰り出す。邪魔にしか見えない有象無象の障害物でさえ、その動きを阻害することは出来ない。むしろ彼の練習を助けているようにすら見える。
 どれほどの修練を積めばこのような境地に達する事が出来るのか。
 この場にもし何も知らない余人の目があったならば驚愕したことであろう。
 時折、闇から闇へわたる瞬間、か細い光に照らされてあらわになるその姿は―――まだ若い青年のものであったからだ。
 しかも動きそのものがある種の舞のように美しいのである。
 大袈裟な動きなどは無い。むしろ無駄と隙がそこにはない。人とは思えないほどに端的な―――例えるなら刃のように研ぎ澄まされた、清水の如く透き通った、そんな純粋な動きである。付け加えることでではなく不純物を削ぎ落とすことによって到達できる美の極みが、その動きには宿っていた。
 月臣は木連式柔の中目録を許されている。木連式柔の階級には初目録、中目録、大目録、皆伝とあって、この若さで中目録に達したものは木連式柔百年の歴史にも殆ど居なかった。勿論、白鳥九十九、秋山源八郎を加えた三羽烏の内でも、中目録に達したのは月臣だけだった。才能ももちろんあったのだろうが、強くなれたのは彼の性格的なところが多分に大きかったと思われる。よく言えば純粋、悪く言えば単純な彼は、幼い頃から誰よりも、それこそ気の遠くなるような修練を重ねてきた。型1つとって見ても馬鹿正直に何万……、いや何十万と繰り返して行ってきた。ヒーローになりたい。みんなを護りたい。その一念のみで何処までも努力を重ねてきた彼の打撃は恐ろしく速く、そして重い。
「……ふぅ」
 軽く息をつく。
 秋山と別れてから、既に3週間が過ぎていた。その間に戦局はさらに泥沼の一途をたどり、それに焦るように少年兵の召集・訓練も急ピッチで進められていた。何もかもが加速する時間の中で、だがしかし月臣は前線に戻るでもなし、有給を消化すると言う口実で1人この廃屋にこもっていた。
 もっとも、彼は昔から『れいげつ』に来るたびにこの廃屋で淡々と鍛錬を積む事が多かった。
 初めの頃は誰にも邪魔されずに練習できる場所がただ欲しかっただけだった。軍人としてこの手で卑劣な地球人を倒し、木連を護る。ゲキガンガーのような生き様に憧れ、それに突き動かされ、がむしゃらに動いていた時もあった。強く。少しでも強く。この力は彼の愛するものたちのために。国の誇りのために。何より、理想を信じた自分のために……。
 いま思えば、その頃の自分はとても純粋な人間だったように感じる。
 ……だが。
「はぁっ!」
 掛け声と共に、再び鋭い拳打の音が鳴り響いた。
 だが今は、だんだんとその目的が変わってきてしまった。身体を虐め、型に没頭している間は何もかもを忘れられた。嫌なことも、鬱陶しいしがらみも、疲れという名のカーテンが全てを覆い尽くしてくれた。
 月臣は木連式柔を、単なる逃避の道具として使ってしまっていた。
 不意に、月臣は自身の拳をじっと見つめる。
 拳ダコが出来てその上にさらにタコを作った、節くれだった格闘家の拳。
 敵機動兵器を堕とし。敵基地を陥とし。街を破壊し。地球人を殺し。……そして友を殺した拳。
 腕に力を込めると、手首に腱が浮かび上がった。それを見て、月臣は自嘲的に笑う。
 思い出すのは、あの瞬間。友の命を絶った、取り返しのつかないことをしたと悟った、あの瞬間だ。踏み出してはいけない一歩を踏み出して、……踏み出してしまってから初めて、彼はそれに気がついた。
 今でも痛切に思う。一瞬で良い。あの頃に一瞬でも戻れたのなら、その後の自分の人生は変わっていたはずだ。
(何が正義だ……何が熱血だ……)
 腕に来る確かな反動。
 体ごとぶつける木連式柔に比べそれはあまりに軽く、反面、理不尽なまでの破壊力を持つ。だが、気付いたときにはもう為す術も無く、彼は硝煙をあげる銃を持ったまま、ただ凍りついていた。
 あの時からだ。
 彼の全ては狂い始めた。まるであの一発と共に、自分の全てを捨てさってしまったかのように。
 いや、違う。
 狂ったのではない。終わったのだ。
 あの瞬間、絶望と後悔に苛まれて倒れゆく親友を見下ろしたあの瞬間、<優人部隊>である月臣元一朗の人生は終わったのだ。
 どたどたどた。
 その時、自分の背後から走ってくる足音が聞こえた。
 油断した、と顔をしかめて月臣が振り向くと、彼には見覚えのない、懐中電灯を持った若い少年たちが目をキラキラさせながら彼を取り囲んでいた。
「ほら、見て。月臣少佐だよ」
「うわー、うわー、本物だー!」
「戦時放送見ました。凄い感動しました!」
 少年たちは大はしゃぎで、まるでテレビの中からヒーローが抜け出てきたように頬を高潮させていた。何故こんなところを出歩いているのかと問い詰めようとも思ったが、とりあえず害は無いことを確認すると、月臣はしげしげと少年たちを見渡した。見ると、肩の辺りの部隊章らしきものがある。月臣は得心したように口を開いた。
「そうか、お前たちか。先の法案で可決されたという少年兵は」
「「はいっ!」」
 声をかけられた事が嬉しかったのか、少年兵たちは突然直立不動の姿勢をとると、やけにしゃちほこばった敬礼をした。てんでバラバラだが元気の良い、初々しい敬礼だった。以前までの月臣ならこの敬礼に好感を持ったはずだったが、彼は少年兵たちに例えようも無いやりきれなさを覚えた。
(……こいつらを使えというのか?)
 少年兵はどの顔も真剣そのものだ。だが真剣であればあるほど、十代のあどけなさが顔に表れてしまう。戦争など冗談としか思えない年齢だ。
 月臣は息を吐くと、言葉をを継いだ。
「あー、お前たち。……その、怖くは無いのか?」
「怖くなんかありませんよ!」
「俺たち、決めてたんです。いつか、ゲキガンガーみたく白鳥少佐の仇を卑怯な地球人から取ってやろうって。なぁ、みんな!?」
「うん!」
 まったく、ここでもゲキガンガーゲキガンガー、か。ふと、月臣はまた腹腔が重くなるように感じた。今、この少年たちに九十九を殺したのは草壁中将に命令された自分だと言ったらどうなるだろうか? 沸きあがって来た暗い想像を頭を振ってかき消したところで、胸に閉まっておいた無線機から呼び出し音が鳴った。内容は総司令官室、つまりは草壁閣下から直々のお呼び出しというものだった。
 月臣は少年兵たちに困ったような顔をすると、そのうちの1人の頭に手を置いて言った。
「すまんな。どうやら呼び出しがかかってしまったようだ。続きはまた今度ということにしてくれ」
 言うなり踵を返して廃屋から去ろうとする月臣の背中に声が掛かる。
「あ、あのっ!」
 月臣が首だけ回して見ると、少年兵たちの1人、ちょうど彼が頭に手を置いた者が仲間から1歩だけ前に出ていた。年のころは15、6くらいだろうか。木連にしては珍しい色素の薄い枯葉色の髪が特徴的だ。眉目秀麗な顔立ちで、軍服姿もなかなかにさまになっている。
 ただし……、この少年、軍服などよりも楽器片手に恋の歌でも歌っていたほうがはるかに似合いそうな感じではあった。雄雄しさよりも女性のような繊細さがまず目に付いてしまうのだ。第一印象を問われれば10人が10人とも『世間知らずのお坊ちゃん』と答えるだろう。
 月臣が沈黙をもってその先を促すと、少年は意を決したように口を開いた。
「僕、菅原って言います。その……月臣少佐こそ、怖くは無いんですか?」
「ずるいぞ、春輔(しゅんすけ)ッ! あ、俺は宮本鉄平って言います」
「川中です。晶って呼んで下さい!」
 宮本が菅原にヘッドロックをかけながら名乗ったことを契機に、我も我もと少年兵たちは名乗っていった。5年前は自分たちもこんな感じだったのかもな。月臣は羨望と追憶の入り混じった複雑な表情で彼らを一瞥すると、次の瞬間、首を戻しながら言った。
「怖いさ。でも俺が動かなければ仲間が死ぬ。そのほうが何倍も怖い。怖くて怖くて、おかしくなってしまいそうだ」
 もっとも、俺はもうとっくにおかしくなっているのかもな。月臣は、しかしその言葉を飲み込みながら、少年兵たちに見えないように自分でもぞっとするほどの嫌な笑みを浮かべた。










 殺風景な部屋だった。
 部屋の奥には木製の事務机と椅子が1つ。壁には星に翼を象った木連の国旗が貼られており、その上には『激我心』と書かれたゲキガンガー3の写真が額に収められて飾られていた。この部屋は総司令官室にしてはいささか質素な感じがするものの、合理主義で華美なものを嫌う草壁春樹という人間をよく理解できる部屋だった。
「<優人部隊>所属月臣元一朗少佐であります。ご命令により馳せ参じました」
 月臣が挨拶すると、草壁はニヤリと笑いかけた。
「久しぶりの故郷はどうだ、月臣少佐?」
「はっ。正直、自分の知名度が予想以上に高くなっていたことにいささか困惑しております」
「ふふ、もっと胸を張れ。大激我章授章のスーパーエースがそれではいかんぞ」
 月臣本人はこの知名度の変化を大激我章をとったからだと純粋に考えていたが、真実はもうちょっと違う。実は木連は月臣を使った政府広報を流しまくっていたのだ。もちろん本人には無断で。海燕ジョー似の軍人というだけでも十分に人気が取れるというのに、彼は大戦果を上げつつあるパイロットというこれ以上ないプロパガンタだったのだ。そのため木連広報部は彼の映像を戦時放送に、政府広報に、寄付金への案内にと使いまくっていたのである。
 そうとは知らない月臣は草壁の言葉に軽く身じろぎをしてから、苦笑いを浮かべた。
「それで、ご用件は何なのでしょうか?」
「うむ。お前ももう知っていると思うが、先の国会で14歳から17歳の者たちを新たに少年兵として徴用する事が決まった。既に組織編制や部隊章の作成などは終わっているが、正式な発足式をまだ行っていない。そこでお前にはその式典で少年兵たちに激励をしてもらおうと思っている」
「わ、私がですか?」
「ああ、そうだ。彼らには気の毒なことをしたからな。せめて人気のある先輩軍人にくらい会わせておいてやろうと思ったのだ」
 草壁は遠くを見るように言う。彼とて考え抜いた末の苦渋の策なのだろう。月臣はそんな草壁を見てから、意を決したように口を開いた。
「……お言葉ですが、閣下。少年兵の徴用を今から中止することは出来ないでしょうか?」
 その言葉に、草壁は眉尻を跳ね上げて月臣を睨む。
「これは軍令部の決定だぞ」
「分かっています。分かっていますが、それでも私個人としては反対したいのです。……先程、(くだん)の少年兵に会いました。失礼を承知で申し上げれば、彼らは弾よけにすらならないでしょう。あたら貴重な人的資源を無為に消費するだけであります」
「……それで。少佐は何が言いたいのだ?」
「和平を。さもなくば停戦して不可侵条約を結んでください。もちろん地球人のしたことを不問になど出来ませんが、この国を思うのならそれが一番かと思います」
 真っ直ぐな、力強い視線。草壁はそんな視線を受け取ると、やれやれと言ってかぶりを振った。
「月臣少佐、お前までがそんなことを言っていてどうする?」
 そう言うと、草壁は椅子にもたれた。さして高級品というわけでもない事務用のチェアがきしんだ。2人は無言で、しばらくその音の余韻だけが場を支配していたが、やがて草壁は静かに口を開いた。
「和平を結ぶ事が一番、か。確かに人死にを減らすにはそれが一番だな。だが月臣、お前はその後のことを考えたことはあるのか? 仮に地球連合と和平をしたとすると、産業的にも人口的にもひ弱なわが国は、弱小国として連合の末席に入るのが関の山だ。そして我らはこれまで途方もないほどに地球人を殺してきた。理由があったにせよ、彼らは木連を快く思ってはくれないだろう。そんな中で弱小国の我らがどのような扱いを受けるか、お前とて100年前の教訓を忘れたわけではあるまい。……和平を結ぶのは、軍事力にものを言わせて優位をとってからだ」
 草壁は言葉を切って、月臣の表情を確かめた。彼の顔に理解の色があることを認めると、話を続けた。
「半端な人道主義者は1人を助けて国を滅ぼす。意図したにせよそうでないにせよ、一時の感情だけで動くことは卑怯なことだ。そのようなポーズだけでもとっておけば、少なくとも自分自身には言い訳が出来るからな」
「な、私の何処が卑怯だというのですか!?」
「白鳥を殺したくせに和平を求めた」
 草壁は月臣の言葉を一言で切って落とす。
 月臣が呆然として言葉を失っていると、草壁は思い出したように呟いた。
「そう言えば、お前の同僚である秋山少佐もずいぶんと喰って掛かってきていたな。結局法案は通ってしまったが、どうやら今度はもっと馬鹿な事を考えてきているらしい」
 月臣は草壁の言葉に一瞬、室内の温度が急激に下がったかと錯覚した。それが……自身の顔から血の気が引いたからだと気が付くまでに、彼は若干の時間を必要とした。
 その顔を面白くもなさそうに見ていると、草壁は机の引き出しから何かを取り出して月臣に見えるように置いた。
「こ、これは……」
 月臣の目に映るもの。それは少佐の階級章であった。意図の読めない月臣が考え込んでいると、補足するかのように草壁が話し始めた。
「これは秋山少佐のことを密告してきた者のものだ。怪しい動きをしていたためにこちらでもマークはしていたが、ちょうど良いのでそいつに洗いざらい吐かせた。馬鹿な奴だ。我らに監視されていない人間などいないというのに。なぁ、月臣少佐?」
 自分たちの行動は木連の組織力の前では丸裸にされる――その事実を突きつけられ、月臣は改めて恐怖を感じた。それと同時に秋山に対して心の中で舌打ちをした。なんで諦めなかったのだ、と。
「その者によると、秋山少佐ら少数の若手穏健派は8日後の発足式の日にクーデターを起こすつもりらしい。そこでお前にはやってもらいたい事がある」
「なんでしょうか?」
 月臣は押し殺した声で応えた。後ろに組んだ手が、僅かに震える。
 草壁は、そんな彼の内心を読み取るかのように、滑らかに言葉をつむいだ。
「発足式当日に彼らが決起したら、主犯格である秋山を殺せ。不穏分子を一網打尽に出来る好機だ」
「私に―――また友を裏切れというのですか」
 月臣は、胸の中で心臓が跳ね上がったかと思った。眼前の男は、彼の心の暗部を、無理やり白日の下に引っ張り出そうとしているのだ。
「裏切りではない。国を護るための当然の行為だ。友が間違いを犯す前に止めてやることこそ、真の友情だとは思わんか?」
 淡々と言う草壁に迷いはない。この男は必要とあらば誰であろうと躊躇いなく殺すだろう。それこそ、この場の回答如何によっては、次の瞬間、自分が秋山と同じ立場に落ちてしまうだろうということも想像に難くない。
 月臣はふと自分のこれからを九十九の最期に重ね―――それを素早く振り払った。
「分かっているだろうが、拒否は出来ない」
「正義は――」
 自分の声が、想像以上に震えていることを痛いほどに意識しながらも、月臣は何とか言葉を絞り出した。
「正義はひとつではなかったのですか。私はこれまで閣下の理想こそ最も正しいものだと思っていました」
 彼の脳裏に再び九十九が過ぎる。
 4ヶ月前に自分に下された軍上層部からの機密指令。
 それは和平推進派の先鋒……自らの親友である白鳥九十九の殺害であった。
 選択の余地はなかったと思う。
 この国では軍の決定は絶対で、当時の自分にも九十九は地球人にたぶらかされているようにしか見えなかった。そして、もしそうだとしたら、九十九の行動は罪のない民草に大いなる災いを降り注ぐこととなる。木連を護るためには、この手で親友を殺さねばならない。<優人部隊>の自分には選択の余地などなかったはずだ。
 だから……
「だからこそ、私は親友である白鳥九十九でさえもこの手にかけました。……ですが! 仲間を殺して、護るべき子供を盾として、それが正義だと胸を張って言えるのですか!?」
 月臣は自分でも驚くほどの激情を、草壁に叩きつけていた。その表情はもはや木連最強の撃墜王のそれではなく……まるで泣くのを必死で堪えている迷子のように見える。
 その顔を真正面から見据えながら、しかし草壁は断定した。
「言えるな。より多くの民を救うためならば、どんな冷酷無常な行いでもしなくてはならないのが軍人だ。大義のためなら、それはまったく持って正しい。そして、世界の正義をないがしろにしてまで貫くべき正義などない」
「―――それがゲキガンガーの、私たちの信じていた正義だったのですか!?」
 食い下がる月臣は噛み合わせた歯の間から押し出すように言葉を紡ぐ。
 そうしなければ、もはや自分の感情を制御しきれないからだ。
「………………」
 そんな月臣に、草壁はむしろ哀れむような視線を向ける。
 九十九を殺しておきながら、この男はまだ実感として分かっていないのだ。いや、分かっていて、それでも分かりたくなくて、縋っているだけなのかもしれない。
 絵物語の英雄。武勇伝に語られる英雄という奴に。
 自己陶酔は恐怖に対する特効薬だ。兵には国家とか仲間とか、護るべき理想が無くてはならない。そうでなくては死ぬことなんて出来ない。誰かを殺す罪悪感にも耐え切れない。……例えその理想が、幻想であってもだ。
「月臣。お前は……『穢れし者』の存在を覚えているか?」
「は……はい、覚えています」
 『穢れし者』。それは火星のテラフォーミング技術者を祖先に持つ木連の少数民族だ。彼らは木連の主流である月独立派の血を引いていないという理由だけで差別、迫害されてきた。特筆すべきことは、彼らがその待遇を甘んじて受け入れていたということである。この迫害は表向きには民族間のイデオロギーの対立の結果ということになっていたが、その中身が政情不安による国民の不満を彼らに逸らすためだということは、少し頭の回る人間なら容易に想像がつく。そしてそこまで考える事が出来たのなら、『穢れし者』が抵抗しなかった理由は政情の安定のため自ら犠牲になったのだということも、想像がついてしまうはずだ。
 ……しかし。
「では聞こう。彼らは差別され迫害されていたが、どんな罪を犯したから迫害されたというのだ?」
「それは奴らが鬼畜英米人の血を色濃く継いでいたからです。我々の祖先であった月独立派の人々を罠に陥れた当時の地球連合は、英米系白人(アングロ=サクソン)がその実権を握っておりました。そのため、同じく英米系白人の多い『穢れし者』も、いつ醜い本性を露わにするか分からない危険な民族としてその人権を制限され、時として迫害の対象になったのであります」
「なるほど。優等生らしい模範的な回答だが、まだ足りないな。お前の言い分をまとめると『卑劣な民族の子孫であるから、穢れし者もまたそうに違いない』ということになる。しかし気付いているか? この意見は単なる憶測に過ぎないのだ。もう一度聞こう。彼らは一体どんな罪を犯したから(・・・・・・・・・・・・)迫害されたのだ?」
「そ、それは……」
 草壁の問いが月臣を沈黙させる。
 そんなこと、考えたこともなかったからだ。ただ物心がつく頃には、自分は既に彼らを見下していたと思う。それは別に自分や周りの人間が何かされたというわけではない。
 言ってしまえば、害虫のようなものであろうか。
 何をするでなくとも、『穢れし者』はその存在自体が罪である。ずっとそう教わってきたし、社会全体もそれを是とするように機能してきた。強いて言えばそういうことになる。なるのだが、しかし、それでは……。
「ふむ、即座には応えられぬか」
 たっぷり5秒待ってから、草壁は口を開いた。瞬間、彼の顔に珍しく皮肉のような色が混じる。
「ではもう1つ聞こう。そんな『穢れし者』を迫害し続けた我々は、果たして正義と言えるのかどうか?」
「―――!!」
 月臣は絶句した。
 その問いは決して考えつかなかったわけではない。思いつかなかったわけでもない。だがそれを口にしてしまうことは、自身の正義を否定してしまうことに他ならないのだ。そう思っていたからこそ、彼は沈黙を保っていたのであるが、まさか草壁の方から言ってくるとは思わなかった。
 知らず地面に向かうその双眸に、草壁はさらに言葉を重ねる。
「答は正義である、だ。そして『穢れし者』には何ら罪はない。けれど彼らは悪である」
「なっ、お待ち下さい。それでは―――」
 理屈が通らない。そう言おうとした月臣を、挑むような草壁の瞳が押しとどめる。
「我らは正義でなくてはならんのだ。でなくば、彼らは何のために死んだのだ。いや、『穢れし者』だけではない。白鳥九十九もそうだ。彼らは敗者という立場でこの国の歴史を作ってきた。流した血の上にしか成立しない平和という状況を作り上げようとしたのだ。我らが非を認めてしまえば、彼らの死は全て無駄となってしまう。……分かるな?」
 ごくり、と月臣の喉が鳴る。
 草壁の正義は、決して彼一人のものではない。数多の味方の想いを抱き、おぞましいほどの『敵』の想いさえも背負った、質量さえ感じさせる圧倒的なまでの信念。その重さに、月臣は圧倒された。
 そんな月臣の心情を見透かしながら、草壁は追い討ちをかける。
「お前も、人を捨て正義となれ。いまさら中途半端な善人を装うな。そうでなくては、白鳥九十九も浮かばれんだろう」
「…………」
 月臣は無言。草壁を見るその瞳からは、彼が何を考えているのか判然としない。もしかしたら何も考えていないのかもしれない。おかしくなりそうな頭を、思考を停止させることで維持しているだけかもしれない。
「言いたいことはそれだけだ。せめて、今のうちに覚悟を決めておけ」
「……はい」
 辛うじてそれだけ口にすると、月臣は足早に部屋を出て行った。
 そして月臣の気配が十分に遠くなったことを確かめると、草壁は椅子にもたれて長々と溜息をついた。ぎぃ、という椅子がきしむ音と溜息が重なる。
 草壁は苛立っていた。
 支配しやすい純粋培養は同時に異物への抵抗力を下げる。ゲキガンガーという単一の価値観で思想統制されてきた木連の人間の精神構造は、その大半が酷く幼く、そして脆い。命令が絶対である軍人においてさえ、上官を前にして戸惑う始末である。
 ……怖いのであろう。
 彼らは弱いが故に、間違いを犯す事がこの上もなく怖いのだ。
 軍人や政治家は民を導き、そして国を護る立場にある。何百、何千という人々の未来を決定する立場にある。だからこそその権利と同時に、責任というものも負うことになるのだ。
 間違いは許されない。それは時に人の命でさえも左右する。だからある者は独善に逃げる。目をつむる。耳を塞ぐ。知らなかった振りをする。
 過ちを犯すことへの恐怖から逃げるために。
 そしてそれは、月臣も同じだった。
 理想、正義、熱血、ゲキガンガー……。
 絶対に正しいと思える何かを彼は望んだ。それさえあれば、それにさえ従っていれば、間違いを犯さない何かを彼は望んだ。
 ……だが。
「……歳かな、少し―――」
 椅子にもたれたまま、草壁は思いついたように呟く。
「少し……、疲れた」
 大義のためとか誰のためとか、そういう隠れ蓑なしに自分の正義を貫くというのは、正直かなりしんどい。全部自分だ。全部自分の責任だ。何をするにもどんな結果になろうとも、その全てを自分1人で背負わなきゃいけないということは、堪らなくしんどい事なのだ。
 鉄の意志を持つと言われる、この草壁春樹木連中将をして消耗させるほどに。
「全く……、因果な商売だ」
 呟きは、当然ながら誰にも拾われることなく宙に消えた。










 月臣は……呆然とした表情で愛機『ダイマジン』の前にたたずんでいた。特に何がしたいというわけでもない。ただ気がつくとここにいた。
 『ダイマジン』。
 大激我章を取った月臣元一朗少佐の愛機。木連史上最も多くの地球連合軍機を葬った機体。老若男女を問わず、誰からも憧憬の念で見られる木連の正義の象徴。華々しい経歴を持つ木連随一の機体と言っていいのだが……
 月臣は今、自分が何のために戦っているのか分からなかった。
 はじめは―――ただ、ヒーローになりたかっただけだった。
 子供の頃から木連の正義と地球人への憎悪を叩き込まれて育った。
 瞳を上げれば、自然も何もない無機質な大地。そこでは誰もが地球への嫌悪と羨望を入り混じらせていた。考えれば考えるほどどうしようもないくらい悲哀で、どうにもならないくらい悲嘆で、どうする気にもならないくらい悲観で、どうしたらいいか分からないくらい悲惨。
 そんな時代で、彼は……、彼はただ、ヒーローになりたかった。ヒーローになって、みんなを守って、そして笑顔が見たかった。ただ、それだけだった。
 カツカツカツカツ。
 硬質な足音に、月臣は我に返った。
 見ると、昼間に会った少年兵―――名前は確か、菅原春輔―――が1人、格納庫の中を歩いていた。
 時刻は深夜。外を出歩いている時間ではない。そもそも少年兵といえど一定以上のパスがなくてはここには入る事すら出来ない。
 軍の施設に無断侵入するようには見えなかったが……。
 好奇心からか、月臣は何とはなしに菅原の後を追うことにした。
 市民艦とはいえ『れいげつ』の軍ドックは広い。他のコロニーに比べ割合こそ低いが、それでも総面積が大きい分、割り当てられる面積もまた大きかった。
 月臣たちがいるのはその中でも機動兵器、特にジン・シリーズを製造、補完しておく区画である。菅原は非常灯のみの薄暗い通路を進んでいき、そしてある扉の前で止まった。
 月臣の記憶が正しければ、そこは現在は使われていない区画であった。幸い、彼のIDでも入る事が出来たので、月臣は先に入った菅原を躊躇わず追い、追ったところで、絶句した。
「こ、これは……」
 月臣が見たもの。それはドックの遥か奥まで並べられた数十数百のジン・シリーズであった。一見するとテツジン・マジン・デンジンのそれぞれが均等に配置されているようだが、しかしよくよく見るとこれらの機体は既存のそれらとは違かった。
 装備が徹底的に簡略化されているのだ。もっとも分かりやすい違いは胸部のグラビティー・ブラスト発射口が無くなっている事だが、その他にもマニピュレーターが省略されており手の先は単なる球状となっている。テツジンの翼――恐らくディストーション・フィールド発生装置――もずいぶんと縮小化されている。見た目だけを言うなら、今までのジン・シリーズに比べて基本的に尖った部分が省略され、全体的に丸みを帯びた、あいまいな輪郭となっているのだ。言うなればジン・シリーズの廉価版、ないしは量産型とでもなるのか。
 ……しかし、それにしても酷すぎる。
 グラビティー・ブラスト無しでは火力が弱すぎるし、何より最大のウリであるジャンプ移動は<優人部隊>でないと使用できない。まさかそこまでスポイルされてはいないだろうが、それならパイロットはどうするのだろうか。ここ最近で増員された部隊はというと……。
 量産機を前に考え込んでいる月臣に、声が掛けられたのはその時だ。
「月臣少佐じゃないですか。こんな所でどうしたんです、一体?」
 そう言ったのは、月臣が追っていたはずの菅原だった。月臣は内心の気まずさを抑えながら、憮然とした表情で返した。
「あー。そ、それはこっちのセリフだ。菅原こそなんでこんなところにいる。少年兵のお前ではここには入れないはずだが?」
 言われて菅原は悪戯がばれた子供のように苦笑いを浮かべ、しかし名前を覚えていてくれた事が嬉しかったのか、僅かに声のトーンを上げて答えた。
「ここへは父に無理を言って貰ったIDで入りました」
「父?」
「はい。月臣少佐も良く知っている人物ですよ。僕の春輔の『春』の字も父からもらったものです」
 俺が良く知っている人物で春のつく名前……。誰だろうと思案して、月臣はすぐにある人物をはじき出した。木連最大のカリスマ、現政権の実質的な権力者……。
 まさかという眼で見る月臣に、菅原は困ったように肩をすくめる。
「そのまさか、です。僕の父は木連中将、草壁春樹です」
「…………!」
 菅原は驚く月臣を見て所在無げに頬を掻いた。別に嘘を言っているわけではないのだが、なんとなく下品な自慢話をしているみたいで気分が悪いのだ。
「閣下の息子か……、姓も違うようだし、にわかには信じられんな」
「嘘か真実か……、それは少佐が判断してください」
 立ち話を嫌ったのか、そう言いながら、菅原は手近な休憩所へと歩き出した。










 扉を叩く音。だが秋山の視線は動かなかった。
 気配の接近にはとうに気づいていいる。気配の主も彼が気付いていることを知っている。だがそれでもノックを欠かさないというのは、それがけじめだからだ。
 けじめ。プライベートな面以外では、彼は細かいことにもけじめを重んじる。それは彼の性格的なところもあったのだが、それを部下や親しい仲間にも無言の元に要求しているのは、彼自身がそれが必要なことだと考えていたからだ。
 部外者がそれを聞くと、揃って意外な顔をする。普段の豪放磊落な彼を見ていると、例え仕事中だとしても、それが的外れな考えに思えるからだ。
 だが……必要とあらばどんな残虐なことも行わなければならない彼や彼の部下だからこそ、それは必要なことであった。
 どんな奇麗事や理想を謳ったところで、軍人とは人を殺して金をもらう商売である。
 そして力とは厳格な理性と正義の元に、制御して使うべきで、感情に任せてはいけない……それが彼の持論でもあった。
 そうでなければ、彼ら軍人は単なる人殺しと大差がなくなってしまう。戦士と殺人狂を峻別するのは、そんな、端から見れば他愛ない物事の積み重ねなのだと、彼は思っていた。
「……入ってくれ」
 秋山はそこで初めて顔を上げた。
 入ってきたのは同じく<優人部隊>の1人……アララギ少佐であった。垢抜けた容姿で一見すると、どこぞの貴族、といった印象がある。軍人の平均からすれば細身の優男なのだが……<優人部隊>の隊員の例に漏れず、素手でもそこらの一般武装兵士数人を地に這わせるだけの戦闘技術を持っている。人は見かけによらないというが、まさにその典型である。
「相変わらずですね、この部屋も……」
 アララギは苦笑い交じりの口調で室内を見回した。
 知らない人間が見たら、ここを学者か医者の部屋と勘違いするかもしれない。少なくとも即座に軍人を思い浮かべられる者は皆無だろう。とにかく部屋中そこかしこに詰め込まれた本、本、本。戦術や戦略関係の書籍はもちろん、ちょっと視線を変えれば、書棚には童話や盆栽のハウツー本、それに歴史小説まで並んでいる事が分かる。
 もともと秋山の部屋は室内をぐるりと囲むように、さしずめ本棚で壁を埋めるような構成になっていて部外者には妙な圧迫感を与えているが、今は普段以上にその息苦しさが増している。
 部屋全体が白くなるような煙草の紫煙と、憮然とした顔でキーボードを叩き続ける秋山のせいだ。
「ずいぶんと精が出ますね」
「……ただでさえ人手が足りないから、な」
 秋山は再び視線をモニターに戻し、キーボードを叩きながら言った。
「正規の任務以外にも色々(・・)とやることがあるからな」
「例の発足式まで後一週間ですか」
 言いながら、アララギは持ってきたデータディスクを机の端にそっと置いた。それを確かめると、秋山も自分の端末からディスクを取り出してアララギに渡した。
「正確には一週間と一日、だ。ここまでは上手くいっているが……、細部を詰め、各人と連携をとり始めるこれからが勝負だな」
「なるほど。誰が敵か分からない状況ではうかつに仲間を増やすことも出来ない。味方といえど、不自然な接触を繰り返せば怪しまれる」
 頷いて、秋山は机から一枚の書類を取り出してアララギの前に置いた。それを見てアララギは片頬を僅かに持ち上げる。
「計画の概要、信用できる人員、そしてお前にやってもらいたいことを記載しておいた。記憶したらすぐに燃やしてくれ」
「―――彼は」
 書類に目を通しながらアララギが呟く。
「月臣少佐は、やはり……」
「ああ」
 モニターから目を離さずに、秋山は短く応える。
「あいつはもう、敵だ。いなくても計画に支障はない。目的に名前が1つ増える。……ただ、それだけのことだ」
 意固地なまでに頑なな態度。モニターしか見ていなかった秋山は、だからその横でアララギが盗聴器を仕掛けているなんて、気づくそぶりもなかった。






 草壁春樹の息子。
 その一語のみをもって眼前の少年、菅原春輔を語ると、大抵の人は己が目を疑うだろう。
 叩き上げとお坊ちゃん。質実剛健と優柔不断。その性質は一見して正反対の様相を持っているからだ。
 だが。
(やはり蛙の子は蛙か)
 菅原の後に続きながら、月臣は感心したようにそう思った。
 月臣ほどの使い手になると、相手の物腰を見ていれば、大体の強さは測れる。彼はこの僅かな時間で、大まかではあるが、菅原の技量を把握していた。服の上からでもうっすらと見える、実戦のためのみに鍛え上げられた無駄のない筋肉。無意識のレベルまでに引き上げられた隙の無い歩法。それは菅原ほどの年代であれば十分すぎるほどの、それこそ肉体的資質のみをとれば今すぐ優人部隊の末席に入ってもおかしくないレベルであった。あと必要なのは、経験と、それを積むための運だろう。
「ここで良いですか?」
 聞いてくる菅原に月臣は無言で頷き、休憩室のベンチに腰掛けた。
 もっとも、休憩室といってもベンチに自動販売機、それに申し訳程度に灰皿が置いてあるだけの簡素なものだ。省エネのためか、空調が弱くちょっと寒い。
「どうぞ」
 菅原は自動販売機で買ってきたホットコーヒーを月臣に手渡しながら、自身もその隣に座った。
「さて、何から話しましょうか?」
「とりあえずはお前があそこで何をしていたか、だな」
「それはですね……」
 一口、菅原はコーヒーを含んで言葉を切った。
 短い沈黙。
 それは躊躇ではなく、自分の言葉を相手に十分に染み渡らせるためのものだ。
 静寂は続く言葉を引き立てる。
 間の取り方が巧いな……と、月臣は感じた。意図的にせよそうでないにせよ、人身掌握術に長けているのであろう。伊達に草壁春樹の息子をしてはいないということか。
「ここには、自分の棺桶(カンオケ)を見に来ていたんです」
「棺桶?」
「はい。あの量産型ジン・シリーズに乗るのは僕たちなんです」
 ……やっぱりか。月臣は心の中で顔をしかめる。ということは既に跳躍適合手術は受けたということか。月臣の頭には手術に忙殺されている山崎博士の顔が目に浮かんだ。
「なるほどな。しかし、お前は少し悲観的に過ぎやしないか。いくら量産型といっても時空歪曲場があるし、そもそも(ロク)に訓練も受けていない少年兵が最前線に立つことは考えにくい。何より俺達だっている。菅原ほどの力があれば、そう簡単には死なないと思うぞ」
「ありがとうございます。……でも、違うんですよ」
 そう言って、菅原は寂しそうに笑う。
「戦艦27、巡洋艦18、駆逐艦35、ミサイル艦42、小型艦艇80……、これ何の数字だと思います?」
「現在の地球側の予想戦力か」
 菅原は無言で頷く。この情報は2ヶ月前の火星会戦時の戦力を基に、各地にいまだ散らばっている無人兵器からの情報で修正をかけていったものだ。もちろん少年兵風情がこのような情報を知っていることも、実父である草壁中将の権力ゆえだろう。
「情報では地球側は月に10隻ほどの生産力。民間船を徴用したとしても劣化版の駆逐艦と小型艦艇が増えるだけ。何よりその程度の出力では重力波供給が出来ないため防空の要であるエステバリスが運用できません。つまり―――」
 菅原はそこで一度言葉を切って月臣の反応を見る。そこに理解の色を認めると、彼は言葉を続けた。
「つまり、これらの艦艇を潰すことが出来れば、連合軍の戦力は事実上拠点防御にしか使えなくなるということです」
「そんなことは誰にだって分かる。問題はそれをどうやってするかだ。そもそもそれとお前たちとに何の関係がある? いくら量産型ジンがあるとはいえ、今のお前たちよりは無人兵器群のほうがまだ役に立つぞ」
「それがあるんですよ。あまりにも単純で馬鹿馬鹿しくて、でもだからこそ確実に戦果を挙げることの出来る作戦が」
 一拍。菅原は軽く息を吐く。
「時空歪曲場全開でガードを固めつつ次元跳躍の連続で敵戦線を無視して敵艦に突撃。(しか)るのち中央キングス弁を抜いて相転移炉をオーバーロードさせます。理論上では無火薬の状態でも小型重力波砲数十発分の威力に相当するそうです」
自殺遊撃隊(デス・ボランティア)……!」
「昔風だと特攻隊とも言うそうですね」
 呻くような月臣に淡々と菅原は応える。その顔には絶望も悲壮感もない。だが、その態度が逆に月臣の胸を堪らなく締め付ける。
「馬鹿なッ!!」
 叫びながら、しかし月臣は頭の何処かでパチリとピースのはまる音が聞こえた気がした。
 自爆だけが目的なら武装も機能も必要ない。このイカれた死の行軍(デス・マーチ)も時空歪曲場と単体次元跳躍能力を併せ持つジン・シリーズならば可能性はある。今回集められた第一陣の少年兵は総勢5000人。一隻辺り25人なら、それは正直、分の良い賭けだ。それに何より、木連にとって見れば例え失敗したところで役に立たない新兵以下と自爆しか出来ないガラクタが消えるだけ。事実上のダメージはほとんどない。月臣の耳には、それはおぞましいほどに魅力的な策に聞こえた。
 ……だが。
「…………お前は……」
 月臣は力任せに壁を叩く。
「お前は! それがどういうことか分かっているのか!! いや、お前だって本当はもう気づいているのだろう。少年兵がいなければ単体次元跳躍は出来ない。だからお前たちを部品(・・)として無理やり乗せようとしている、これはそんな作戦なんだぞ!?」
 だがしかし、その考えは到底容認できるものではなかった。自分たちのために子供を犠牲にするなど、まさしく地球人にも劣る畜生行為ではないか。それは子供のころ憧れていたヒーローとは、悲しいまでに掛け離れた現実だった。
「―――あの、月臣少佐は」
 ふと、思いついたように菅原は口を開く。
「回遊魚って、知ってますか?」
「――――?」
 月臣は苛立つように首を振る。当然のことだが、木星にはアンモニアの海しかなく、地球のように生物などいない。木連の人間も再現された成分表のような海しか知らない。そのため地球の生物に対する知識はほとんど浸透してないといっても良い。
「マグロやブリといった種類があるそうですが、大きな特徴として常に泳いでいないと死んでしまうというのがあるそうです。それと同じなんです。もう止まれないんですよ。……僕も、そして父も」
「どういうことだ」
「最初から、お話していきますね。少し長い話なんですが……」
 そう言いながら菅原は腰を上げると、もう空になったコーヒーの缶をくずかごに入れる。そのまま彼は横の自動販売機に背を預けながら話し始めた。
「僕が生まれた少し後、まだ……、父が駆け出しだったころの話です。そのころの父にはお付き合いしている女性がいました。すでに子供もいたのですが、ある事情のため籍を入れていませんでした」
「ある事情?」
「はい。それは彼女が『穢れし者』だったからです」
「…………!!」
 月臣は驚きに目を見開く。
 知らなかったのだ。そんな話は。だが、考えてみればそれも当然のことである。当時、駆け出しとはいえすでに佐官に手が届きかけていた草壁と、国を挙げて差別化政策を行っていた『穢れし者』が付き合っていることなど大衆に公表したらどうなるか分かったものではない。良くも悪くも単純な人間ばかりのこの国だ。暴動の1つや2つは免れまい。下手をすれば上層部の責任問題にまで発展しかねない。
「昔は父も今のようなタカ派ではなかったんです。誰であろうときちんと話をして、筋が通っていれば立場など関係なく味方しました。そんな世間の常識にとらわれない、自分だけの価値観を持ってみることが出来れば、『穢れし者』にはいったい何の落ち度があったのでしょうか?」
 月臣は僅かに顔をしかめた。
 ―――何故、自分の目で見て、そして自分で考えて行動しようとしないのよっ!
 去年の12月に、ウィーズという『穢れし者』から言われた言葉が彼の中にフラッシュバックする。あの時は木連の正義が即ち自分の正義であると疑うことすらしなかった。否、それ以外の正義があることすら知らなかった。ようやくそれに気づいたのは、親友である白鳥九十九をこの手で暗殺してからだ。
「過酷な状況にあって、なお心身ともに優れていた彼女に父が惹かれていったのは、半ば当然のことだったのかもしれません。そして子供が、……僕が生まれてからもその関係は続きました。何もかもが……穏やかだった時代です」
 月臣は、菅原に仲間はそのことを知っているのかと聞こうとして、やめた。知っているはずがないからだ。言えるはずがないからだ。この国では『穢れし者』と知られることは自身の死――社会的な意味でも物理的な意味でも――につながる。親友といって差し支えない彼の友人も、彼の正体を知ったら、掌を返したかのように、怒りと憎しみを覚えるのだろうか。そう思うと月臣は堪らないほどに悔しい気がした。
「すべてが変わったのは12年前。まだ、僕が4歳のころです。両親のことが周囲に露見してしまったのです。当時、実力も人望もあった父には妬んでくる敵も多く、そのうちの一人が密告したそうです。父は自身の立場も省みず母と僕を庇ってくれましたが、けれど密告者はこれ幸いとばかりに父を罪人に仕立て上げてしまいました」
「そんな過去を持ちながらよく今の地位までこれたものだ……」
「はい。もちろん、この話には続きがあるんですよ。父を慕っていた同僚や部下の方が抗議行動を起こしたんです。その中には権力の強い方も多く、何より『穢れし者』と通じていたとはいえ、当代随一の実力者であった父をそのまま殺してしまうことは、木連軍にとっても望ましくなかった。そこで軍上層部はある提案をしてきたんです」
 一拍、菅原の声のトーンがひとつ下がる。それは淡々とした響きだが、憎んで憎んで憎しみ抜いて……感情というよりは人格の一部にさえなってしまった憎悪が絞り出す声。割れたガラスのように硬く、冷たく、……そして鋭い。
「『父が母と通じていたのは一時の気の迷いだった。だから彼女をその手で殺してくれば今回は水に流そう』って」
 月臣は、胸の中で心臓が跳ね上がったかと思った。それは、あまりにも現在の自分の境遇に似ていたからだ。つい数時間前に、当の本人から親友を殺せと命じられたことを、菅原は知っているのだろうか。
「……それで、その先はどうなった」
 答えは分かっていたが、それでも月臣は聞きたかった。
「父は……母を撃ち殺しました。母は抵抗しませんでした。自身の命と引き換えに、父と僕を護ろうとしたのです。ですが、沸き立つ民衆はそれでは飽き足らずに、母の遺体を焼こうとしたのです」
 菅原は、手に血の気がうせて白くなるまで思い切り力をこめた。
 あの日のことは、今でもはっきりと覚えている。忘れようがない。軍人たちは倒れる母に泣きつく自分を無理やり引き剥がし、遺体を大通りまで運んで火にかけたのだ。
『有望な若者を悪に引き込もうとする魔女に制裁を』
 泣きながら『やめて』とすがる幼い菅原。しかし軍人は彼を容赦なく蹴り離した。
『おお、喜べ民よ。ここに邪悪なる者は焼き払われた』
 軍人は手を広げ、恍惚と叫ぶ。
 …… 『やはり『穢れし者』だな』 『草壁殿を(たぶら)かすとはふてぇ女だ』 『子供は焼かないのかな』 『一緒に殺してしまえば良いのに』 『あんな気味が悪い子供、引き取るやつがいるのか?』 『やっぱりゲキガンガーの精神は偉大だな。悪でも子供は殺さないってか。慈悲深いよ』 ……
 人々はそう言って頷きあった。
 木連の軍隊が、警察と共同で治安の維持に多大な貢献をしていたのは、動かしようのない事実だった。コバッタやコジョロといった無人兵器を使った犯罪には警察では火力が弱すぎるからだ。
 だから、大多数の人は、そして軍人自身も、いつしか軍人そのものが正義と考えるようになっていた。彼らが正義を行っているのではなく、彼らは正義の塊で、彼らの行いが即ち、正義そのものであると。
 軍人が現れ、誰か――多くの場合は『穢れし者』――が叩かれ、撃たれ、あるいは縛り首にされ……そしてもはや反論すら出来なくなった彼等の亡骸を見て、人々は満足するのだ。
 『正義』は行われた、と。
 所詮、人々の正義はその程度のものであった。ただ一時の不安を忘れ、悪の対概念として自らの正当性を確認するための、儀式のようなものに過ぎない。
「僕も父もこの国を恨みました。ですが母の一族が命をかけてまで救おうとしたこの国を、僕らは捨てることが出来なかった。だから父はしゃにむに働きました。自分の中のルールを曲げ、外道に手を染めてでも国を盛り立て、母に報いようと。……その後、力を取り戻した父は、自分のプライドをかけてその密告者に挑み、そして排除しました。そうしたら、父を慕う人が増えました。味方になってくれる人が増えました。修羅場を越えるたびに、名を上げるたびに、その数は増えていきました。……そして、父は止まれなくなりました。次は誰を倒すのかと期待されるたびに、それに応えなければならなくて。その期待を裏切れば、何時また大事なものを奪われるかもしれないと恐れながら」
 回遊魚。
 泳ぎ続けなければ死んでしまう。前に出続けなければ大事なものを失ってしまう。
 けれど、その大事なものを護るためには、ほかの大事なものを壊さなければいけないというこの矛盾。
 妻が護ったこの国を護ろうとして、妻が残した息子を護ろうとして、結果として息子を犠牲にしている。この決定を下したとき、草壁は果たしてどのような心境であったのだろうか。
「その甲斐あってか、もともと力のあった父は将官としてカリストの田舎から首都であるここ『れいげつ』に移ることが出来ました。そして僕も、そのどさくさに紛れて姓を変え孤児と偽り、父を後見人として、『穢れし者』から木連人に成りすましたわけです」
 言って、菅原は自身の瞳に触れる。カラー・コンタクトを入れていたようで、その下には、木連人にはありえない蒼い輝きがあった。
「こちらに来てからの閣下の活躍は俺も知っている。僅か3年で他の将官を追い抜き、実質上トップになったことは歴史上、類を見ないことだ」
「はい。ですが息を吹き返したのも束の間。正義の意味を知らない国民は水面下で暴走を起こし始めていたのです」
「暴走?」
「そうです。今まで不満のはけ口となっていた『穢れし者』が死に絶えてしまったことにより、国民の中にストレスが溜まり始めてしまっていたのです。大人も子供も堪え性のない人間の多いこの国です。放っておけばそれは程なく顕在化していたでしょう。窮した父は、やがてひとつの冒険をする決意をします」
「―――地球連合との開戦。不満を地球にぶつける、か」
 菅原は俯く。
「そう。そしてそれは……致命的な誤算でした」
「『地球連合』、『ネルガル』、―――そして『ナデシコ』。圧倒的な国土、人口、資源を武器にどれだけ潰してもきりのない、大国。初期の戦力ではこちらが(まさ)っていましたが、父は、彼等の底を……見抜くことが出来なかった」
 自分の選択がこの国を滅ぼす凶弾だと知ったときの草壁の絶望は如何ばかりだったろうか。
 それと被らせるように、菅原は顔にうっすらとした笑みを貼り付ける。それは決して愉悦の笑みではない。追い込まれて追い込まれて、笑うしかなくなった者ののみが出来る笑み。
「……戦争の勝機が消え、それでも強力な勢力と相対し続けなければならない時、その苦境を救い上げる者が、もし自分しかいなかったら?」
「それが……お前が死ぬと分かっていながらも徴兵を拒否しなかった理由か」
「はい。もっとも、他の子はみんな薬を打って精神を麻痺させますけどね」
「…………。なんだ、それは……」
 月臣は席を立ち、底冷えするような声で言う。あまりに激しい感情を持つと人は表情を失うというが、今の彼がまさにそれだった。全てを飲み込む虚無のような仄暗(ほのぐら)い瞳で菅原を見据える。
「何でそんなことになってんだ! 閣下も、菅原も、この国を護りたいだけだったんだろう! それがなぜ、閣下が子殺しをしなければならない!? なぜ、菅原がその歳で死ななければいけない!!?」
「大切なものを護るためです。もしも僕が初戦で相手の旗艦を堕とせたら、宮本も川中も、みんな死なないで済むかもしれない」
「違う! やるべきことは地球連合との和解だ!そうすればみんな死ななくて済む! なぜそう何もかもをも背負おうとするのだ!」
 叫びながらも月臣はふと、胸中で一抹の滑稽さを覚えた。
 『和平』について偉そうに語っている自分を……苦笑して見つめている自分がいる。結局、九十九を殺し、そして今度は秋山まで殺そうとしている自分を。
「確かに、和平をすれば人は死なないでしょう。けれどそんなことをすれば母たちが護ったこの国が無くなってしまいます。そんなのは嫌です。だから、これは背負おうとしているのではなく、ただの僕の我侭(わがまま)なんです」
「違う! お前は……そう思わなければいけなかっただけなんだ!! ここで思い直さなければ、閣下も、お前も、一生不幸になるんだぞ!! それでも良いって言うのかっ!!」
「……あなたは、何も選んでいないから」
 ぼそりと言う。
「え?」
「…………ッ!!」
 聞き返す月臣に、菅原は自動販売機を力任せに叩くことで応える。
「あなたは……自分じゃ何も選んでいないから! だからッ、そんなことが言えるんです!!」
 悔しくてたまらないように胸を力いっぱい掻き毟りながら、菅原は叫んだ。
「僕にはこうするしかなかった! 選んだと思わなければ震えを止めることすら出来ない! 誰かの命が、名誉が、国の希望が、自分に掛かっているのなら―――そのために命を懸けること以外に、16の子供に何が出来るって言うんですか!!」
 堰を切った言葉はもう止まらない。
 自分の感情をひたすらにぶつけ続ける。泣きじゃくりながら。激情のままに。―――思いのままに。
「嫌なこと酷いことの全てを僕が背負って……それで父が、この国が助かるのなら、それで良いって……その方がマシだって……そう、決めたんですっ」
「……す、菅―――」
「―――月臣少佐。あなたは今、地球連合と和平をするべきだと言いましたね。では答えてください。あなたはどうして、白鳥少佐を殺したんですか?」
「…………ッ!」
「あなたがどういう思いで白鳥少佐を殺しながらもこの場で和平などと恥知らずなことを口にすることが出来たのか、教えてあげますよ。 あなたは、何も選んでいないだけだったんです。自身の正義を貫き通すわけでもなく、泥に塗れてでも護る正義があるでもなく、ただまわりに流されて、選んだ気になっていただけなんです」
「違う……俺は……」
 菅原は後ずさる月臣を追うようにして逆に距離を詰める。
「……宮本たちはあのとき怖くないって言ってましたが、もし、あのとき怖いと言っていれば、あなたは僕たちを助けてくれますか? だったら本当のことを言います。怖いです。逃げ出したいです。助けてほしいです。だから木連を、この窮地から助けてください。父を、仲間を助けてください。……出来るわけ、ないですよね。」
 心の底から引っ張り出したような、そんな呻き。
 菅原の話が進むにつれ月臣の顔色は真っ青になっていき、今ではほとんど紙のようになっていた。
 そして、菅原は王手をかける。
「だってあなたが護りたいのは、本当は自分だけなんですから。何かを選択するということは、他の何かを捨てるということ。それはとても心が傷つくこと。でも、自分で選択していなければ、何をしても心が壊れることはない。だから、ここで僕を見殺しにしてしまえばあなたの心が傷ついてしまうから……、だからあなたはそんなことを言ったんです。ただ、それだけなんですよ」
 菅原は挑むように睨みながらも、いっそ冷酷と言えるほどの冷たい目線で月臣を見下しながら言った。
「僕は今までたくさんのものを捨ててきました。母の命、父の信念、自分の出生、そして今度はこの命……。でもあなたは何も負おうとしない、何も選ぼうとしない、何も捨てようとしない。そんなことで誰を救おうというんですか。そんなことで取れる大激我章とは一体なんだって言うんですか! 答えろ! 月臣元一朗!!」
「…………」
 月臣は蒼白な顔で菅原を凝視しながら、しかし何も言えなかった。
「宮本たちのように僕もあなたを尊敬しています。僕にあなたほどの力があれば、きっと命を掛ける以外にも出来ることは沢山あったでしょうから」
「それは……」
「―――わかってます。でも、どうしても悔しいんです。悔しくて悔しくて堪らないんです。だから……」
 菅原は表情を緩める。それは何かを諦めた者の、笑顔。怒るでも泣くでもなく、ただ何かを悟り、そして全てを受け入れた、優しくも疲れた笑顔。
「だから僕は、あなたが嫌いです」
 憎しみを語るにはあまりに寂寞としたその口調。
 悲しみを語るにはあまりに空虚なその声調。
 しかしそれだけ言うと、菅原は月臣の前まで行って頭を下げた。
「上官に対しあるまじき暴言、お許しください。願わくば死を前にした一新兵の戯言と思っていただければ幸いです」
 上げたその顔には、もう怒りも悔しさもなかった。
 そして言いたいことだけ言って、菅原は颯爽と休憩室から出て行った。
 ………
 ……
 …
「……俺は……」
 どれくらいの時がたったのだろう。
 それまで呆けたように突っ立っていた月臣は声を出そうとして、しかしその先が出てこないで、力なく首を振った。首を振って……しかし表情に張り付いた苦悩と困惑は振り払えずに、彼は呻くように言った。
「俺は、どうしようもない道化だ……」







後半へ続く