8日後、月臣は大激我章授章式兼少年兵隊発足式に出席するため、『れいげつ』の中央講堂に来ていた。本来なら、これほどの行事はそれぞれ別個に行うのだが、戦時下ということもあり、草壁中将の性格もあって同時に行われることになった。
 発足式は中央奥の台座に陣取った南雲義政大佐――クーデターの可能性があるため草壁中将ほか准将以上は欠席――が、講堂に並ばせた生徒の代表20人をひとりひとり壇上に呼び上げ、激励をしていくという形だ。
 大激我章授章式はもう終わった。
 絶好のプロパガンタであったのだが、月臣たっての希望で聴衆は極力少なく――将官同様、クーデターが起こった際の危険性のため――しており、ただ呼ばれて勲章をもらって戻ってくるだけという、味も素っ気もない式だった。
 とはいえ、同席した5000人の少年兵がことあるごとに盛大に拍手やら歓声やらを送ってくるので、傍目には通常よりもむしろ派手に感じられた。
 残るは少年兵隊の発足式を残すのみ。
 間諜であるアララギの話では、この発足式の何処かで秋山たちは蜂起する予定らしい。
 月臣は礼服の上から自身の左腕と胴体の間に掌を当てる。返ってくるのは、不自然にごつごつとした感触。それはホルスターにつるした、白鳥九十九を殺した、あの銃のものだ。
(……見事なまでに誰もいないな)
 席に戻った月臣は素早く周囲を確認しながら苦笑いを浮かべる。出席を許された<優人部隊>の艦長・副長クラスのことごとくがいない。月臣の艦の副長、川口少尉までもがいないことから、当初の予想通り<優人部隊>は月臣とアララギを除くその全てが反乱軍に回ったようだ。
 そう考えると、反乱軍の戦力は<優人部隊>に秋山の子飼いの者たち、それにある程度の賛同者を足してもせいぜいが500人強といったところだろう。月臣にはその程度の情報しか与えられていなかったが、元から下士官レベルの働きしかするつもりのない彼にとってはそれで十分、いや、余計なことを考えないで済む分、むしろありがたかった。
 そして迎え撃つ警備隊は軍人、警官合わせて総数2500人。もしもの時は各地の守備隊に応援を頼めば30分以内にさらに2500人が動員できる。
 500対5000。
 戦う前から勝敗は既に見えていた。
 それが分からぬ秋山ではないだろうが、暴走した奴らに神輿(みこし)として担がれていることは十分にありうる。もしかしたら、自暴自棄(ヤケ)になって正義に殉じろうなどと馬鹿なことを考えている可能性すら脳裏をよぎる。
「願わくば……」
 願わくば、このまま何も起こらないでいてほしい。
 月臣がそんなことを考えていると、いつの間にか彼の出番となっており、気がつくと壇上から呼ばれていた。
 月臣は照れ隠しに咳払いをひとつしてから立ち上がったが、なぜかそれだけで拍手が送られてくる。
 そして月臣は壇上に上がり、少年兵たちを見回してから、静かに話し始めた。
「……我らは是正する」
 月臣が話し始めた途端、水を打ったように構内は静まり返った。
「地球連合の暴虐を我らは是正する」
 殷々と、月臣の声だけが構内に響き渡る。
「少年兵たちよ。木連の子らよ。我らは義に促されし矛である。傲慢にして卑劣極まりない地球連合に、敢然と立ち向かう矛である。その道は長く険しいが、少年兵たちよ、立ち止まってはならぬ。躊躇ってはならぬ。迷ってはならぬ。われらには目指すべき正義があり、それをもって世の猛悪を駆逐することが、われらの責務である……」
 ふと少年兵たちを見ると、彼らは興奮と喚起と自己陶酔と、様々なものが混じった熱い瞳が月臣には向けている。だが、その中で1つ、この興奮をどこか覚めた目で見つめる瞳があった。
 菅原である。主席のため列の最前部にいる彼からは、苛立ちとも冷淡とも言える視線が投げかけられていた。
(わかっている。わかってはいる。綺麗事を言うなって、そう思ってるんだろ?)
 国のために死んでくれ。月臣の話を要約すると、まぁ、こんなところだ。言葉だけなら何とでも言える。国のために死んでくれ、というフレーズは、今まで何回も何十回も何百回も何千回も何万回も、それこそ数限りないほどに繰り返し語られてきた。そのたびに新たな表現が生まれ、言葉は洗練され、考え尽くされている。しかし、兵には、国家とか正義とか、命を懸けるに足る理想がいる。それがなくては、戦えない。そして、血気盛んな若者であればあるほど、そんな理想に身を任さずにはいられない。
「我等が勝利する日は近い。お前たちを加えた我等の正義に出来ぬことなど何もない。地球連合の支配する地球圏から追われ、棄てられた我々が、正義の使徒としてこの世界の歴史を変えるのだ!」
 人々の口から賛同の叫びが迸る。国が誇る英雄の、胸を張って昂然と叫ぶその姿に、群集は涙を流し、沸き、足を踏み鳴らす。興奮はさらなる興奮を呼び、その熱狂が戦うことへの疑問や死への恐怖をかき消してくれる。
「我等を追った地球連合と、それに組するネルガル重工! 奴等の過ちを是正する! 奴等の喉笛に鉄槌を下す! それこそが、苦難の道を歩んできた我々の使命であり、この世界の求める道である!」
「子供を犠牲にする道が使命であってたまるか」
 不意に響く声。だが驚いたのは少年兵たちだけであった。警護兵は無言で周囲を警戒する。
 何処から来る?
 緊張を限界まで高めながら、自らを警報機足らんとする彼らは、しかし予想外の方向から強襲された。
 カラン、という高い音。それは空き缶を地面に落としたときのような、そんな音。それがそこかしこで一斉に響き渡る。
 警護兵たちは素早く音の出所を探り、その内の一人がそれ(・・)に気づく。彼は仲間に注意を促そうとして、しかし恐怖のためか、叫ぼうとした喉は痙攣してひくっと鳴っただけ。周囲への警告が一瞬、遅れる。そしてこの一瞬が、結果として致命的な遅れとなった。
「ス、スタン・グレ―――!!」
 言い切る前に、耳を劈く爆音と光の増殖が中央講堂を支配した。
 音響手榴弾(スタン・グレネード)
 基本的に手榴弾は敵対する人員を殺傷する目的で用いられるが、これは安易な殺傷が許されない状況下で、大音響と閃光のみをもって対象を無力化するために用いられる。周囲にいる者は数秒の間、視覚と聴覚を失い、状況判断が不能となって身動きが取れなくなってしまう。
「……やってくれたな」
 咄嗟に演説台の下に潜り込んで難を逃れた月臣は、出てくるなり呻きながら言った。
 起き上がった月臣が見たもの、それはさながら地獄絵図にも似た光景だった。うずくまり震える少年兵、物言わぬ屍となった警護兵、そしてつま先から首筋まで覆うボディー・アーマーと頭をすっぽりと囲むマスクを着用している敵兵。
 僅か数十秒で、講堂内に配置された300人の警護兵のその半数以上が制圧されていた。おそらく敵兵は音響手榴弾が作った一瞬の隙をついて飛び出し、突撃小銃の一斉射を行ったのだろう。地球では(・・・・)極々ベーシックな局地制圧作戦だ。しかしあの光と音の濁流の中で、ただの一度の同士討ちも、ただの一発の少年兵たちへの誤射もない。敵ながら見事としか言いようがないほどの錬度と、そして計画性であった。
 ……だが。
「秋山、貴様そこまで落ちたか!」
 月臣は叫ぶ。
 手榴弾やガス弾は宇宙ステーションや戦艦内といった逃げ場のない閉鎖空間で最も威力を発揮する。つまりそういった閉鎖空間のみの木連を攻略するには最適の兵器と言える。しかし、そのあまりの威力と残虐性ゆえに木連軍では国内における使用が固く禁じられているのだ。
 ―――!
 怒気を発する月臣が、背後に殺気を感じたのはその時である。横っ飛びで離れた次の瞬間、それまで月臣がいた空間に銃弾が殺到した。
 振り向き相手を視認する。
 相変わらず顔がマスクで隠されているため誰かは判然としないが、距離的にはそう遠くない。
「はっ!」
 気合一閃。月臣は掛け声と共に迷わず懐に飛び込んだ。銃を持っていようと手榴弾を持っていようと、組んでしまえばどうとでもなる。絶対の自信を持って組んだ月臣の顔に、しかし次の瞬間、驚愕の色が混じる。
「…………!?」
 微動だにしないのだ、相手が。
 月臣は決して腕力が弱いわけではない。それどころか今まで同体格の者には負けたことがない。だが、その月臣と組み合ってなお、眼前の男は平然としているのだ。尋常な膂力(りょりょく)ではない。
「ちぃっ!」
 驚愕にとらわれたのはあくまで一瞬。月臣は相手と体を密着させ、体全体を使って合気のように投げ飛ばした。
 力で勝てないのであれば、相手の力を使えなくすれば良い。
 木連式柔は人体の構造を知り尽くした武術である。袖を釣り込む角度、速さ、足の運び方、踏み込む位置、間合い、諸々の要素を無駄なくつなげることにより、月臣は相手が力を使えない状況を無理やり作り出したのだ。
 受身すらロクに取れぬほどの切れ味で背中から叩きつけられた敵は、動きを止めて小さく呻く。
 通常、武道の技というものは極めれば極めるほど、むしろきれいに倒してくれるので安全性は高い。しかし今の月臣はそういった安全性をわざとはずして、殺すつもりで地面に叩きつけた。それがこうしてまだ意識すら保っているということは、おそらくこのボディー・アーマーに衝撃吸収構造(ショック・アブソーバー)などの仕掛けがあるのだろう。だとすれば、先ほどの異常な膂力にも説明がつく。
 そして月臣は敵兵の首筋に見覚えのあるマークを見つけた。青い円から一回り小さい三日月をくりぬいた、タコにも似たそのマークは……。
「―――ネルガル」
 そう、ネルガル。大敵・地球連合と手を組む大企業。木連内のイメージで言うなら、悪の秘密結社の黒幕とでも呼べばいいか。
「どこだ、秋山!!」
 叫びながら、月臣は講堂全体に注意を向ける。見て取れる敵兵はせいぜいが100人前後。予想していた数よりもかなり少ないが、それでも頭をすっぽりと覆うマスクが邪魔をして個人の区別など付きようはずがない。
 だが。
「そこかっ!」
 月臣はそのうちの1人に向かって走り始めた。端から見たら当てずっぽうにも思えるその行動は、しかし見事に当たっていた。
 顔ではない。体格でもない。月臣が感じ取り確信を得たのは、秋山の歩法であり、呼吸であり、間合いだった。人生の3分の2以上を同じ道場で過ごし、幾度となく手合わせを繰り返してきた2人にとって、相手を判別するのに顔などもはや必要ではない。
 月臣は秋山に向かって一直線にひた走る。秋山と月臣との間には相当数の少年兵の壁があったが、月臣に対する恐れか、半ば自発的に割れ、ぽっかりと最短距離が形成されていた。逆に秋山が追い詰められたようにも見えたが、しかし彼は素早く対策を講じていた。
「月臣少佐、覚悟!!」
 月臣の前に、秋山を護るように敵兵が立ちはだかる。
 力では勝てない。打撃も衝撃を吸収されてしまう。唯一の対抗手段としての投げ技も、組まなければならないため、月臣の前進は止められ……
「しゃらくさい!」
 敵兵の体がくの字に折れた。
 月臣は走ってくる勢いを殺さずに双掌打を放ち、そのまま突っ込んでくる。
 単純な打撃ではない。おそらく密着した状態から防具を通り越して人体の内部に直接衝撃を与えたのだと、秋山は瞬時に理解した。あんな方法があったとは……。地球の最新技術の粋をも、無理やり力でねじ伏せてくる。思った以上の強敵だ。
 秋山は素早く懐の機械を操作する。まさか切り札の1つを、こんなところで使うとは思っていなかったが……
「吹き飛べ、元一朗!」
 迫り来る月臣の圧力を感じながら秋山が叫ぶ。危険を察知して、このまま攻め込むべきか、かわすべきか、迷った月臣の動きがほんの一瞬、鈍った。その一瞬に、秋山の攻撃が発動する。
 <個人用小型時空歪曲場発生装置>が。
「ぬッ……!?」
 突如として生じた見えない障壁が、月臣の体を吹っ飛ばした。
「月臣少佐ッ!?」
 南雲の叫び。何とか月臣が受身を取っていたのを確認すると、彼は援護するべく月臣の横に並んだ。
「秋山少佐、君は自分が何をしているのか分かっているのか!?」
 南雲は怒気を露わに秋山を指差し吼える。
 とりあえず南雲が突撃してくる気配がないことが分かると、秋山はマスクをはずして素顔をさらした。
「見ろ! 君たちの暴挙のせいでどれだけ罪のない者たちの命が失われたか!」
「それに関しては反論しないが……」
 秋山は一歩前に出ながら言った。
「それでも子供を人間爆弾にしようなんて馬鹿なことを考えている奴等よりかは、まだマシだと思っている」
 人間爆弾。
 その言葉に少年兵たちの間でざわめきが起こる。
 月臣は顔をしかめた。当たり前だが、こんなことが知られれば、木連中は大混乱に陥ってしまう。そのため少年兵にはこれから薬物投与と洗脳を行っていく予定で、計画の全容は極秘事項となっていたのだが、やはり秋山は一筋縄ではいかない相手だったということか。
「護るべき者を犠牲にして、何のための軍隊だ? なんだかんだ言っても、お前等のやろうとしていることはただの大量特攻に過ぎんぞ」
「口を慎め。国のため、自分以外の大事なもののために死ねることは、この上もなく光栄なことだ。彼らは誇り高き英雄として何百年も語り継がれていくだろう」
「何が誇り高き英雄、だ。その物言いじゃ単なる理想主義なだけで、残される者のことなんぞ何も考えてないのだろう」
 秋山の言葉は正しい。正義に殉ずる、と字面だけ見れば確かに美しいし物語ならそこでスタッフロールだろうが、どっこい現実の世界はそれほど簡単じゃない。時間は絶え間なく流れ続けるし、残された家族・友人・恋人はその者の死を一生背負って生きていかなくてはならない。理想のための特攻とは、そういった諸々のことを放り投げた自己満足の末にある、ほとほと無責任な行為とも言えるだろう。
 だが、南雲は胸をそらし、まるで『正義は我にあり』とでも言いたげな風情で答えた。
「もちろん考えているぞ。遺族の方には十二分に手厚い保障を用意している。金銭で解決というのは多少下世話かもしれないが、我等の正義は彼らをも含めた、尊い犠牲の上に……」
「こんなことをしている俺が言うのも何なんだが」
 秋山は南雲の言葉を遮って言った。
「暴力で語り犠牲の上にしか成り立たない正義なんてのは、空しいだけだぜ」
「仕方あるまい。謝罪を求めそれで済まそうとした我等の言葉は、地球連合の奸物どもに握りつぶされた。ならばそう出来ないように奴等の帯びる独善の鎧に風穴をぶち開けてやらねばなるまい……、身をもって自らが犯した罪を認識してもらうためにな」
「ま、それはそうかもしれんが……」
 一拍。秋山は軽く息をつく。
「じゃあ聞くが、そうやって突っ走ったお前等……、いや、草壁の正義(・・・・・)とやらに異を唱えるものが出て来た時、お前等は一体どうするつもりなんだ? 誰かを踏みつけて謳う主張である以上、草壁の正義に是正を求めるものは必ず出てくるぞ。正義は1つじゃないんだからな。お前等が糾弾される側になるときが必ず来る。その時、お前等はどうする? 話し合えるのか? 固定観念と既得権益の一切を投げ打ってでも言葉を聞き入れてくれるのか? いいや、これまで通り不穏分子として消そうとするに決まっている。力で(ことわり)を退けることを覚えた人間が、話し合いなどするものか。実際に使わなくても同じことだ。そうしてお前等はいつか」
 秋山は南雲を指差す。
「地球連合の行った独善と同じことをしている自分たちに気付くんだよ」
「馬鹿なことを言うな! 我等は地球の愚物などとは違う! そういう過ちを起こさないよう、我等は草壁閣下の教えを……」
「わかってねぇな、それが既に過ちなんだよ。木連の正義、草壁の正義、ゲキガンガーの正義……。自分で考えてもいない理想など、所詮借り物の正義に過ぎない。じゃあ聞くが、そうやって信じ続けてきてある日、突然、その草壁閣下が自分の非を認めたりしたら、あんたはどうするつもりだ?」
 借り物の正義。
 その言葉に、一瞬、月臣は身をこわばらせた。
「どちらにせよ、草壁に盲従し、自分自身で善悪も考えられぬ奴に、今ここで言葉を交わす資格はない! とっとと何処かに消えうせろ!」
「……何故だ―――」
 絶句して黙り込む南雲の代わりに、会話を受けたのは月臣であった。
「戦争ではかなわない。和平をしたとしても先は無い。苦肉の策だが、他に抗う術はない。道理を強く好み無駄を徹底的に嫌うお前が、何故こんな簡単なことが分からない?」
「……元一朗。貴様、本気で言っているのか?」
 月臣はその問いには答えず、言葉を繋げる。
「理想を信じるだけで生きていけるなら、この世に戦争なんかありはしないんだよ」
 いっそ諦念とも言える声で話す月臣に、秋山は軽く肩を竦めることで返す。
「なるほど。勝利を信じる夢想家よりも現実的な守護者になろうとしたわけか」
「…………」
「でもよう、お前、その台詞を遺族の前でも吐けるのか?」
「吐けるさ。木連全体と天秤に掛けたら、まだ幾分マシだ」
 月臣の口調も表情も、ひどく物憂げだった。ただひたすら疲れて沈んだような物言い。何処までも何処までも……、生きる事にさえ疲れてしまったような顔。それはまるで何もかもを、自分自身でさえも倦んでいるような顔だった。
「……それが、九十九へのお前なりの贖罪なのか」
「やっぱり、知っていやがったか……」
 言って、月臣は自嘲的な笑いを浮かべる。何より雄弁なその沈痛な表情が、秋山には泣き笑いのように見えた。
「答えてくれ、秋山。俺は軍人とは、大義を果たすことが、より多くの人々を救うことが務めだと思ってきた。……そのためなら例えどんな冷酷なこともしなくてはいけないとも」
「大義としてなら、俺もそう思う。今でもお前たちの行為が完全に間違っているとは思わない。だがそれでもそれは……軍人としてではなく、人間として、してはならないことだ」
「じゃあ、どうしろって言うんだ」
 月臣は苛立ち混じりに食い下がる。
「理想論のために国民全てを巻き込むというのか? それは自分がただ子供殺しをしたくないだけじゃないのか? そもそも、戦うということは人を殺すということだ。それはより大きな正義のために殺すという悪業を自ら背負うことじゃないのか!?」
 そう、理想だけじゃ世界は回っていかない。結局、何も変わらない。変えられないんだ。どんな称号を与えられたとしても、人間1人に出来ることなどたかが知れている。菅原1人助けることすら出来ない。ただ、状況に流されていくだけだ。
 回遊魚。
 ふと、その単語を思い出して、月臣は自嘲的に笑う。
 秋山はそんな月臣をしばし無言で眺めていたが、やがてゆっくりと口を開き始めた。
「確かに俺も悩んださ。あきらめかけたさ。何度、仕方が無いと自分に言い聞かせたか分からない。でもな、そもそも大事なことに気が付いていなかったんだよ、俺たちは」
 言って、にやりと片頬を持ち上げる。
「木連を護る。子供たちを護る。どちらかの二者択一なんて、誰が決めた?」
「……な」
「選択肢なんてものは他人から与えられるものではなく、自ら作っていくものだ。国も、子供たちも、どちらも選べないのなら、新たな選択肢を作るしかあるまい。俺は草壁が作る未来が気に入らない。なら理想論だろうが、何だろうが、こうするしかあるまい。そのためには尽くせるだけの手を尽くし、ネルガルとだって手を結んだ。その方が後々こうすれば良かったなんて情けない後悔をするよりは、よっぽどマシな生き方だからな。正義がどうとかなんて俺には知ったこっちゃない。要は―――自分がどうしたいのか。ただ、それだけだろう」
 月臣は唖然として秋山の言葉を聞いていた。
 選択肢自体を変える。それはあまりに単純で、豪快で、それでいて固定観念から解き放たれた人間でなくば決して出てこない発想だ。事実、月臣はそんな考えは頭をよぎりすらしなかったし、そうでもなければネルガルと手を結ぶなんてありえない行動だった。
(……そうか。結局そういうことか)
 人間1人に出来ることなんてタカが知れている、確かにその通りだ。
 ただ――見る角度が変われば、世界はひょっとしたら違った色を見せてくれるのかもしれない。同じ場所で愚痴を言うだけでなくて、一歩前に進んだら、違うものが見えてくるのかもしれない。たとえばそれは『2つの選択肢』という固定観念だったり、『たった1つの正義』という名の虚像だったり、自分が散々葛藤してきたものが、他人から見れば『情けない後悔』に過ぎない事実だったり……。
 ただ、それだけの事なのだ。
(あー……、くだらねー……)
 月臣は手のひらで顔を抑え―――。
 不意に発作のように込み上げてきたものが口を付いて出る。
 笑い声。
 彼はそのまま髪の毛を掻き上げながら顔を天に向けて―――半年振りに、心の底から笑う。
「……つ、月臣少佐?」
 笑って笑って笑って半年分笑い続けて――呆気にとられた一同の前で、南雲の首に腕を回し、そして囁く。
「すまんな、南雲大佐」
「―――ッ!?」
 気付いたときには、もう遅い。
 みぞおちに叩き込まれた拳打。
 一瞬で息が止まり、意識が急速に遠のいていく。
「俺はやはりこっち側(・・・・)のようだ」
 気を失って倒れ付す南雲に、月臣はすまなそうに、しかし何処か楽しげに言う。
 完全な不意打ち。
 自分でも卑怯だと思うが、こうなった以上、手練(てだれ)は1人でも減らしておくに越したことに無かった。
 月臣は声の限りに叫ぶ。
「木連の諸兄、並びに少年兵たちよ! 我は我の信と義により現時刻を持って木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星国家間反地球共同連合体を脱退させていただく!」
「おお―――」
 ぱぁっと目を輝かす秋山に、月臣はニヤリと笑うことで返す。
「と、いうわけだ。遅れちまったが、俺の席は残ってんだろうな?」
「……はは、ったりまえだ。きりきり動いてもらうぜ」
「承知した。それで、まずは何をすれば良い。司令官殿(コマンダー)?」
「まずは!」
 秋山は月臣の体を担いで叫んだ。
「わめけ! 天に向かい己が激情を言葉に乗せろ! 草壁に対する義憤でも生きることに対する執着でも良い! お前ほどの男であれば心の叫びはそのまま聞く者の魂を揺れ動かす檄文となる! そしてその檄文は草壁に対して疑問を持つ者への狼煙となる! まずはその叫びを……」
 秋山はそのまま月臣の体を持ち上げ……
「壇上に戻ってわめきちらせぃっ!!」
 なんと、ボディー・アーマーによって強化された超人的な膂力を使って、月臣を数十メートル先の壇上までぶん投げたのである。
「…………」
 木連屈指の英雄が軽々とすっ飛んでいく。
 これには少年兵も残りの警護兵も……ついでに当の月臣も愕然となった。
「……はっ、これって着地のこと考えてんのか、秋山!?」
 いち早く我に帰った月臣が叫ぶ。しかし無常にも彼と地面との距離はぐんぐんと近づいていき……
「もちろん、考えておりますよ」
 そのまま叩きつけられる直前、壇上にいた反乱兵が月臣の体をキャッチした。
「その声、川口少尉か?」
 腕から降りながら聞いてくる月臣に、反乱兵――川口は頷きながら答える。
「ええ。もう投げ飛ばされるのは御免ですぞ。それより、少年兵たちが事態の急転に置いてけぼりを食ってます。きちっと締めてきてください」
「ふん、生意気言いおって」
 ちょっとふらつきながら、それでも悪態をついて、月臣は演説台に上がった。少年兵たちはざわめきながらも壇上の月臣を凝視する。
「少年兵たちよ、お前らは『正義』という言葉の意味を考えたことはあるか? うすうす気付いている者もいるだろうが、我ら軍人は今までお前たちを騙してきた。戦況は泥沼、状況は最悪。勝利が目前などというのは嘘も甚だしい。だが木連上層部はここで1つの愚策を打った。それが少年兵の徴用だ。そしてお前たちにこれから与えられる任務は、ジン・シリーズの劣化版を用いての特攻だ。これを愚策と言わずとして何と言う!」
 少年兵たちのざわめきが一際大きくなる。
「俺はお前たちを死なせたくない! お前たちはどうだ!? 自身が信じてきた『正義』に疑問を覚えはしないか! 生きたい生きたい生きたいって、この国に叛気は生まれないのか!!」
「危うい! 月臣少佐のその考えは木連全てを滅ぼすものだ!」
 堪らず壇上に飛び出した菅原が叫ぶ。
「義とは、熱血とはいったい何のために在るものか。少なくとも僕ら木連の民にとっては天道を正し、時代の精神を導くもの! 個々人の人間の矮小な想いなどに右往左往するような脆弱なものではない! なればこそ苦肉の策とはいえ木連全体を救うための策を、どうして愚策などと言うのですか!」
 言いながら、菅原は心の中で舌打ちをする。場の流れを変えるためとはいえ、まさか自分がこんな台詞を吐くことになるとは。
「個人を省みぬ天道に未来など無い。誰もが本来持っている人権や生存権を認めずして何のための天道だ。1人でも被害を少なくすることが本当の義ではないのか」
「それで国が滅んでは元も子もありません。それは理性的なものではなく、ただ本能的な我侭として恥ずべきものです」
「ただ押し付けがましいだけの義。形だけの面子を重んじ個人を軽んじる天道。そんなものを正義だなどと謳っているのなら、どちらにせよこの国に未来は無いぞ!」
「それこそ驕りというものです! 確かに現在この国はかつてない危機に瀕しています。ゆえにこそ揺ぎ無い支柱が必要なんです。それは木連100年の歴史の中で洗練を続け、民衆の生活の一部にまで浸透した激我の思想しかないでしょうが!」
「ふん、否定を許さぬ思想の何処が洗練された思想であるものか。この国の黎明期から1世紀、賞賛のみに目を向け批判に耳を貸さなかったツケが、少年兵を犠牲にすることを是とするこの歪んだ正義を生んだのだ! 貴様はそんな吐き気がするものを正当化して、国民にさらなる犠牲を強いる理由とするつもりなのか!?」
「くっ、そんな自由を認めてしまえば、誰も彼もが闘いから逃げてしまう! 弱者を見捨てて逃げてしまう! 人間はゲキガンガーのように強くも善でもない! 大義という個人を超えた考えがあるからこそ、ただの人間が、正義の護り手、民衆を護る最後の一線足りうるのです!」
「いいかげん認めてしまえ! 菅原……いや、草壁春輔!」
 ダン、という床を踏み抜かんばかりの足音とともに秋山も壇上に飛び出した。
「大義とは大局を見るがゆえに個人の悲哀まで見通すことが出来ぬ。その負の一面を君は意図的に見ようとしていないのだ。元一朗!」
 言われて振り向く月臣に、秋山は1人の少年兵を突き出した。その少年は月臣にも見覚えがあった。確か宮本鉄平という名の、菅原の親友だ。
「……なんで、俺……、それに春輔、お前が草壁って……?」
 わけも分からず呟く宮本。しかし菅原は秋山の意図を悟り、その腐れた考えに整った顔が見る間に歪められていく。
「―――どうした、親友(・・)なんだろ? 説明してやれば良いじゃないか。そもそも俺たちは彼ら少年兵たちのことで揉めているんだ」
 怒り、恨み、苛立ち、殺意……様々な色が入り混じった菅原の顔を、秋山は涼しい顔で見ながら言い放った。
 菅原は秋山を睨みながら、しかし次の瞬間、その色を無くして宮本のほうに向き直った。
 向き直ってから、優しい声で、柔らかい表情(かお)で、冷酷に言った。
「……宮本、ここで月臣少佐に撃たれてくれないか?」
「……え……?」
「秋山少佐は僕たちを寝返らせて自軍に引き込もうとしているんだ。それは戦力的なこともそうだけど、何より『子供を救う』という大義名分を作るためなんだ。でもそれには僕を始め少年兵のみんなを説得しなきゃいけない。だから秋山少佐は僕と一番仲がいい宮本を『人質』にとったんだ。……僕の話、分かるよね?」
「……俺が……死ねば、反乱は治まるって……こと?」
「―――そうだよ」
 言って、菅原は一瞬ためらいつつも、笑みを浮かべた。
 これが仮面。彼の仮面だ。
 何も出来ない、しない自分を恥じて見せないための―――道化師の仮面。
「ここで君が撃たれてくれたら、大義を失った反乱は一気に収束に向かう。僕たちはジン・シリーズによる計画を実行することができる。地球連合に勝つことが出来る。……立役者となった宮本は、英雄になれるんだよ。月臣少佐のような」
「……貴様ッ…、それが親友に言うことか! 月臣少佐も秋山少佐も、何で黙っているんですか!?」
 耐えかねて叫ぶ川口。しかし菅原も秋山も、月臣でさえも無言。川口は苛立ちを込めて菅原を非難しようとして、だがその機先を制すように宮本が口を開く。
「……ああ、いいぜ」
 川口は目を見開く。
「……ずっと思ってた……どこかおかしいって……。毎週ちょっとずつ食い物は少なくなっていってたし。初めのうちは戦争だから仕方ないって思ってたけど、この国がもう危ないってはっきり聞いちゃったし。……だから、いいぜ」
 言って、宮本は菅原を力づけるように笑う。それは友殺しをしなくてはならない親友に対する、今の彼の精一杯の心配り。
「俺は死んでも……いい。この国を……助けてくれ」
 震える指を必死に押さえて、宮本は言い切った。簡潔明瞭だが、それだけに苦渋に満ちた結論。
 菅原は1つ深呼吸してから、月臣を見据える。
「……これが僕たちの選択(・・・・・・)です、月臣少佐」
「…………」
 促すような菅原の言葉を受けて、月臣はホルスターから無言で銃を抜き放ち宮本に狙いを定めた。カチッという安全装置を外す音に、宮本の体がびくりと跳ね上がる。
「やめろぉぉぉおおっ!」
「…………!!」
 川口の静止を求める叫びを、思わず目をつむり頭を抱える宮本を、何処か遠くに感じながら、月臣はふと思いついたように宮本に問いかけた。
「―――何故、震える」
「……ッ、だって……」
英雄になりたいんだろ(・・・・・・・・・・)? なら、笑って死ねばいい」
 宮本は絶句する。彼のすがるような視線を無視して、月臣は言葉を続けた。
「何がそんなに怖いんだ? 国のために死んでも構わない、死して英雄となれるならこの命すら惜しくは無い―――そう思ったからこそ、お前は今この場にいるんだよな? ただゲキガンガーに憧れて。草壁中将の政策に異議も唱えないで。徴兵も拒否しないで。菅原の言葉に賛同して……。全てお前が望んだとおりじゃないか。目標達成は目の前だぞ。さあ、笑って死のうじゃないか。お前の正義を実行しよう。命をかけてこの反乱を収めよう。少年兵全ての命をかけてこの戦争を収めよう。正義の名の下にあらゆるものを犠牲にしよう!」
「月臣少佐! あなたは何を言って―――」
「……にたく……ないから」
 かすかな嗚咽。涙と共に宮本の口から漏れる本心。月臣はそれを聞いて一瞬、片頬を持ち上げるが……
「聞こえんな」
 (なぶ)るように、突き放すように、彼は宮本を断じた。
「……死にたく、ないから……」
「もう一度」
「死にたくないッ……」
「もっと腹から声を出せ!!」
「死にたくないよぉぉおお!!」
 その言葉に、思わず吐いてしまった本音に、辛うじて保たれていた宮本の心のタガは、いともあっさりと崩壊してしまう。
「……ヤダッ……やっぱり嫌だ! 俺はまだ死にたくない―――!!」
 子供のように、思いのままに、菅原は頭を抱えてひたすらに叫んだ。
「ぼ――僕だってまだ死にたくない!」 「やりたいことがあるんだ!」 「ひあああっ!」
 壇上に注目していた少年兵たちも、宮本に触発されたのか、半狂乱になって騒ぎ出した。体を縛り続けていた理屈や大義という名の鎖が限界を超えて弾け飛んだのだろう。
 月臣はそれを聞きながら静かに、しかしはっきりと菅原に言う。
「聞いたな? こいつらの選択を(・・・・・・・・)
「……ずるいなぁ、。そんな風に言われて、僕に言い返せるわけないじゃないですか」
 菅原は―――膝を付いて泣いていた。
 自分のしようとしている事が、どれほどの犠牲を生むのかということを、彼は気が付いていたのだろう。それが命をかけて自分たちを救ってくれた母を悲しませるような行為だということも……彼は知っていたのだろう。知っていたが、しかしそれを自分に納得させることが、彼にはできなかった。彼の心はとっくの昔に亀裂が走っていたのだ。自分で自分の心が制御できないのだ。
 だが。
 それを恥じる必要はない……と月臣は思う。
 もがくのは恥ずべきことではない。あがくのは恥ずべきことではない。恥ずべきは、もがき苦しむのをやめた人間だ。卑劣な人間や下衆な人間は悩まない。あがこうともしない。安易に何かを切り捨てて、『仕方ない』の一言で済ましてしまう。それがどれほどの愚行かも分からずに。
 だがこの少年は違う。悩んでいるし、苦しんでいる。だから―――
「そうさ、俺はずるいのさ。お前たちのためなら、何だってやれてしまうんだ」
 月臣は泣きじゃくる菅原の頭をわしゃわしゃとなでながら、かすかに笑う。
 そしてひとしきり頭をなで、最後にポン、と軽く叩いてから、未だ泣き喚く少年兵たちに喝を入れた。
「熱血とは妄信にあらず!!」
 講堂全体を埋め尽くすような月臣の覇気が、少年兵たちの思考を止める。講堂全体が再び月臣1人に注目していく。
「少年兵たちよ! お前たちの犠牲があれば確かに木連は延命できる。が、それで国がもっても後進が居ないため長くて20年。木連の民の誇りも尊厳も捨ててたったの20年。俺はお前たちを死なせたくはない。だから俺は俺の正義のために祖国に抗おうと思う。しかしそのためには死に物狂いで動き、知恵を絞り、この国を盛り立てていく義務を負う。それが自分が生きることを、自分の信じるものを、他人に押し付ける代価として我らが払うものだ。少年兵よ。他人の正義よりも己の気持ちを信じて、自ら生きることを選択した者たちよ。流されることをやめ、自らの意思を持った素晴らしき者たちよ。それがお前たちの生きた証。それこそがお前たちの誇り。力の大小など関係ない。前を見ろ。胸を張れ。自分の行く末は自分が決め、誰の許しも誰の裁可も必要としない。文句があるなら、戦うまでだ。俺たちは生きる。万難を廃し、そしてこの国も護り切る。誰の許可も要らない。俺たちがそう決めた。この国は、俺たちの好き勝手に護られて行く。それが俺の考えだ。生きたい奴、俺の考えに賛同する奴はひたすら後に付いて来い!」
 1人、2人と堪え切れず掲げられた拳が現れ、そして気が付けば、誰もがその手を天に向かい振っていた。響き渡る鬨の声。それは紛れもない、時代が新たなる若い風を容認したことを意味する。そんな少年兵たちを見ながら、月臣は今度こそはっきりと歓喜の笑みを浮かべた。
「いいだろう。ならば我らはこれよりお前たちを加えて革命を起こす。現草壁政権を打倒する。我らは矛、我らは盾。5000と1の魂をもって、この国の歴史に必勝痛烈の打撃を与えん!」
 月臣と秋山は少年兵たちを従えて走り出す。後に語られる『木星連合の政変』、通称『熱血クーデター』はこうして始まった。










 木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星国家間反地球共同連合体首都『市民艦・れいげつ』。
 永久要塞と言われたこの市民艦は今、静かな動乱の波に飲み込まれつつあった。正確な発端は何時で何かと言われれば、困る人間もいるかもしれない。だが、実際に何らかの動きが出たのは秋山らによる少年兵もろともの講堂ジャック以降である。
 秋山がネルガルから受け取ったという秘密兵器……衝撃吸収構造(ショック・アブソーバー)と筋力増強機能を併せ持つパワード・スーツ。それらを用いて秋山らは圧倒的な戦力差にも関わらず見事、奇襲作戦を成功させる。それに対応して、木連正規軍は大きくその配置を変更した。中央講堂は即座に包囲されたものの、秋山らは少年兵を味方につけ強固な防衛線を築き篭城。さらに後から追いついてきた正規軍の応援部隊と、装備を受け取った少年兵を加えた反乱軍との睨み合いはその後も続いた。同時に艦内全域の残存兵力も講堂付近に集中され、正規軍の戦力配置は著しい偏りを見せていた。その隙を、高杉率いる別働隊が突いてきたのだ。
 被害だけを見れば決して大規模なものではない。
 それはクーデターはおろか、内乱とさえ言えないような、小規模なものだ。家屋や公共施設が破壊されることもなく、必要以上の血が流されることもなく―――ただ少しずつ、しかし確実に、反乱は進行していった。
 反乱軍側にいる秋山少佐の采配は実に見事なものと言えた。
 まず陽動と奇襲作戦により現状を徹底的にかき乱した上で、数と規模を絞った精鋭を秘中の秘として包囲外に潜ませ残しておくという方法を彼は採ったのだ。
 おそらく彼はこの反乱の後のことまで考えているのだろう。
 多分に正義感の強いこの国だ。実際に命の掛かった少年兵は説き伏せられても、正義の名の下に踊らされた者が暴動を引き起こす可能性は決して低くない。反乱軍はこの国を軍事的にも政治的にも、そして感情的にも治めなければならないのだ。
 たとえ軍事的に成功しても、その後の為政に支障をきたすような反乱はすぐに旧体制派に巻き返されて終わる。
 そのために動いているのが―――彼らなのだ。
「よし、これでこの区画も終わりだ」
 手元で何かの機械を設置しながら人影が言う。
 住居区域の一角。正規兵が少なくなり警備の薄くなった区域の、住居と住居の隙間により出来た死角に、高杉三郎太中尉ら別働隊第一班の姿があった。
 今―――彼らは中央講堂から徐々に離れながら、『れいげつ』の至る所にある仕掛け(・・・・・)を設置してまわっていた。ネルガル製パワードスーツに身を包み、影から影へ、死角から死角へと滑るように移動して。隠密としてはかなり初歩的なものだが、本職ではないため、それは仕方あるまい。むしろ彼らは良くやっていると言えるレベルだ。
 今回、数と反乱軍というネガティヴイメージの不利を補うべく、秋山は1つの策を高杉に託した。それは彼らから見れば酷く不安定で、精度と確率の面から言ってある種の博打的な印象を抱かざるを得なかった。中央講堂こそ紙一重で少年兵らの気持ちを寝返らせ局地的な勝利を得ることが出来たが―――果たしてその戦力を何処までアテにして良いものやら。特に彼等の作戦が失敗すれば形勢は一気に不利になる。
「大丈夫でしょうか……」
 隊員の1人が呟く。彼はこの作戦に疑問があるようだった。
「この作戦が効かなければ、自分たちは……」
「心配するな。最大の懸念材料であった月臣少佐もこっちに加わってくれた。後は俺たちが俺たちの務めを果たすだけだ。俺たちは秋山少佐についていくと決めたんだろう?」
 高杉は自信を持って断言した。
 戦力といった意味では確かに圧倒的に不利だ。何しろ少年兵たちは2週間程度の速成訓練しか受けていない上に、その訓練の元々の目的が自爆させるためだけなのだから。だが、それでも彼等の士気は総じて高く、当初は第一攻撃目標とさえなっていた木連の英雄、月臣元一朗まで引き込むことが出来た。これは大きい。おそらく、秋山は最初から月臣は生かそうとしていたのかもしれない。何だかんだ言っても、最後にはこっちに来てくれるものだと信じていたのかもしれない。だとすればなんとも気の抜ける話だが、現に彼はその賭けに勝ったのだ。いまさら言うことは何もない。
「……軍人として持ってはならぬ疑問でしたか」
「いや、常に物事の正当性に疑問を持つことは重要なことだ。今回のことで俺も本当に思い知らされたよ。この視点をもっと早くに持っていたら、この国も草壁の正義に染まりはしなかったろうに……」
 淡々と言う高杉の表情と言葉の意味が、その隊員には分からなかった。
「……どういう意味ですか?」
「正義か悪か……。そういったゲキガンガー的な単純なものの見方を、改める時が来ているんじゃないかってことだ。よくよく考えてみれば確かに草壁のやっていることにも正義はある。もしかしたら草壁のやり方のほうが正しいのかもしれない。しかしそれでも俺たちは秋山少佐の側に立った。それを正義だなんて言葉で一方的に正当化することは、何か、取り返しの付かない横暴さを振りまくことになっちまうんじゃないかってな」
「それは―――」
 ゲキガンガーは木連の聖典である。隊員は思わず否定しようとしたが、何を否定したいのか自分でも良く分からない。ただ、漠然とした不安が心の中にあったのだ。だが、高杉は彼のそんな苦悩を見抜いていたかのように隊員に言った。
「誰かの正義を盲目的に信じているのは、楽なんだ。それ以上何も考えなくていいし、どんな酷いことも正義の一言が罪悪感を取り去ってくれるからな。でもそれじゃ駄目なんだと思う。1つの絶対的な正義ではなく、俺たち1人1人が自ら考えて納得できる正義を持てるように俺たちは成長しなければならないんだと思う。……第2第3の草壁を生まないために」
 高杉は痛切に思う。
 自分たちはもっと大人にならなければいけないのだろう。1人の正義のヒーローのマネをするだけでなく、常に苦悩し、もがくことを覚えるべきなのだろう。不安でも苦しくても、自分だけの正義というものを、既存の激我道を振りかざして突っ走るのではなく、ただ一歩一歩、自分の踏み出す道が本当に正しいのか、考えながら生きて行くべきなのだろう。
 唯一絶対ではない自分だけの正義。
 口にすると耳を塞ぎたいほど陳腐で、現実には目を背けたくなるほど不安定なそれを、高杉は持てる様になりたいと切に思った。そのためには、この反乱は必ず成功させなければならない。決意を新たにして、高杉は再び闇の中へ沈んでいった。










 事態は完全に硬直の姿勢を呈していた。
 木連安全保障特別執行部本営。
 草壁は現在、ここで他の高級将官とともに事態の収束に努めていた。月臣が裏切ったと聞いたとき、草壁は妙な納得感を覚えつつも、溜息をついた。それから6時間。彼らの行った篭城は放っておけば確実に国民の心を惑わすだろう。情報操作をしている以上、もはやそんなことはないと思うが、それでも情報操作はあくまで情報操作。完璧ではないのだ。事態の収拾は急を要する。
 だが、秋山たちが自ら仕掛けてくる気配はない。しかし無視することも出来ない。近づけばそれだけを撃つ。これは典型的な示威篭城戦か。少年兵はこの後の使い道が決まっているから強攻策は取れない。まったく、面倒なことだ。
 幕僚の中にはガスを使ってとっとと殺してしまえ、少年兵の代わりは12歳以下を使えば良いとまで乱暴なことを言っているものもいる。所詮、実際に死ぬのは自分ではないのだから、なんとでも言えるのだ。
 不意に、けたたましい警告音が鳴り響く。わざわざ人の癇に障るような周波数に設定されたそれに草壁は顔をしかめながら、オペレーターに現状の確認を急がせた。
「閣下!!」
 きっかり5秒。
 情報を整理し終えたオペレーターが信じられぬような表情で叫ぶ。草壁はそれに僅かな視線の動きと、沈黙を持ってオペレーターに先を促せた。
 オペレーターは僅かに呼吸を整えてから口を開いた。
「政府中央情報統制局、通信途絶……連絡が取れませんっ!!」
「―――!!」
 眉根を寄せる草壁にさらに信じがたい情報が告げられていく。
「大徳寺通信本社管制局と通信途絶!! 現在、艦内全域で民生通信回線が不通になっています!!」 「陸軍第18連隊通信途絶!!」 「中羽根警備基地連絡ありません!! 天空字、亀田両基地も同様です!!」 「国防本部情報管制室連絡ありません!!」 「首相、首脳部とも連絡取れません!!」 「回線網、通信網、命令系統はズタズタです!!」
「馬鹿な! 何が起こっている!?」
 見る間に警告灯(レッド)が増えていくモニターを睨みながら、側近の新城大佐が机を叩きながら吼えた。
「近衛激我中隊より打電!! 『交戦中!! 一般市民が武器を持って進行してくる!! 1000は下らない!! 早急に発砲許可を!! 発砲許可を!!』」
「……やってくれる」
 草壁は呻くように言う。
 その時―――まるでその言葉が合図であったかのように、突然の爆発音が全ての雑音を止めた。
 何人かはそれがなんなのか理解することができなかった。それだけ、堅固なセキュリティを誇るこの木連安全保障特別執行部本営が襲撃されることなど、考えられないことだったのだ。
 だが、粉塵の彼方より現れた武装兵士の群れを見て、ようやくそれが敵襲なのだと全ての者が気が付いた。
「なんだ、貴様ら!?」
 新城の質問には答えずに、武装兵士たちは無遠慮に詰め掛け、そして草壁を始めこの場にいる全てのものを取り囲んだ。
 すかさず机の引き出しに手を伸ばそうとした草壁には、次の瞬間、無数の銃口が突きつけられていた。
「おっと、妙な真似は止めて頂こう、草壁中将閣下。これよりこの施設は我々が占拠する!」
 新城も懐に手を伸ばそうとして、しかし見知った顔に気付いて、愕然と呟く。
「……山本中佐? どういうことだ、これは」
 彼の前にいるのは陸軍第10連隊司令……新城と同期の軍人であった。
「こういうことですよ、新城大佐」
 その顔を見ながら、山本は腕につけた小さな機械をいじくる。すると、どういう原理かは不明だが、彼らの前に小さな画面が浮かび上がった。そしてそこには、講堂ジャックの際の秋山と月臣のやり取り、月臣の檄文、続いて秋山によるリアルタイムでの兵士への『説得』が流れていた。腕の機械―――コミュニケの機能である。モニターを必要としないコミュニケは、周波数さえ合わせていれば通信網を占拠する前からこういった工作が可能となる。高杉たち別働隊が設置していたものはこれの発信、中継装置だったのだ。
「……なるほど。こんな戯言にお前らは動かされたというのか」
「彼によって、私もようやく目が覚めましたよ」
 やれやれといった感じで言う草壁に山本は毅然と答える。もっとも、山本はともかくとして大多数の造反者は流れに身を任せているに過ぎない。ゲキガンガーという単一の価値観で思想統制されてきた木連の人間の精神構造は、その大半が酷く幼く、そして脆い。こんな策は地球圏ではまず失敗するだろう。自ら考えることを知らない木連の気質と、それらを一手に魅了する月臣元一朗というカリスマあったからこそ可能な、人心誘導術だ。
「しかし、そんな大規模なことがここに伝達されなかったのはどういうことだ?」
「それはこういうことです」
 声は、しかし山本のものではない。
 いつの間にか開いていたもう一つのコミュニケの画面に映ったアララギのものであった。アララギは画面の向こう側で慇懃に一礼してから、彼の背景が見えるように少し画面の端によった。その後ろには、制圧され血と死体だけが残る国防本部情報管制室があった。
 逆スパイ。そんな単語が草壁の脳裏をよぎる。
「アララギ、貴様も裏切ったか。綺麗ごとだけでは世界は回っていかぬと、お前は理解していると思っていたのだがな」
「はい。優雅に泳ぐ白鳥も水面下では醜く水をかいているのと同じように、美しい世界のためには裏側で醜く努力することも必要です。―――ですが」
 アララギは表情を一変させる。
「ですがそれは水面下だからこそ許されるもの。子供たちを矢面に立たせ、あまつさえ人間爆弾にするなど私の美学にとことん反します」
「なるほど、つまりは裏切りではなく初めから秋山側だったということか。しかし秋山にも貴様にも取り付けた盗聴器から得た情報では今回の計画のことは日時以外ほとんどがデタラメだった。一体どうやって連携をとっていたのだ?」
 アララギはその質問にふっと笑って懐から一枚のディスクを取り出す。
「連絡はこれで行いました。秋山少佐を警戒しているのなら、露見するのを覚悟で監視カメラも導入するべきでしたね。盗聴器があるとわかっていればどうとでもやりようはあるのです」
 そこまで言って、アララギは挑むように草壁を見据えた。
「閣下、何も言わず降ってください。さすれば他の幕僚の命は保障しましょう」
「アララギ、貴様―――!!」
 堪らず叫ぼうとした新城を、幕僚の一人が制して止める。
「……閣下、もはやこれまで。潔く負けを認めましょう」
「な、何を言って―――」
「いや、その通りだ。これ以上木連内で争っても仕方ない!」 「どうして仲間内で血を流さなければいけない!」 「閣下、ご英断を!」
 その一言に、黙りこくっていた幕僚たちは新城の制止も聞かないで一気に草壁にまくし立てた。しかしその内容は全てが秋山軍に降ること。さらに少し考えればその裏には己が保身で満ちていることがありありと分かる内容だった。それを見ながら、草壁は溜息とともに呟いた。
「そうか。誰よりもこの国を思ってきたつもりなのだが、私はまた裏切られるのか」
 裏切る。つい数時間前までの主のこの言葉に兵士たちが一瞬、集中を乱す。
 次の瞬間、草壁は椅子に座りながら脚力だけで、ゴツイ机を蹴り上げ取り囲む兵士にぶつけた。
「貴様―――」
「遅いわっ!!」
 草壁は衝撃で宙に舞った兵士の突撃自動小銃を掴むと横に薙ぐ様に一斉射する。反動と慣性に対して力の入れ方のバランスだけで銃口の軌道を制御。半ば片手で銃を操りながら、僅か数秒で敵味方問わず皆殺しにしてしまった。どうやらコミュニケにも当たっていたらしく、月臣の演説もアララギの画面ももうない。
「ふむ、白兵戦は久しぶりだが、体は覚えているものだな」
「……か、閣下」
 とっさに伏せて難を逃れた新城が話しかけてくる。どうやら、生き残ったのは草壁と彼だけらしい。草壁は彼を確認すると銃口で出入口を指し、それから左のほうにそれを向けた。
「新城、お前はB20通路を通って第7ドックへ逃げろ。そこからなら、まだ逃げられるかもしれん。もし見つかったら、その時は下手に抵抗はせずに自分の命だけを考えろ」
「閣下は、閣下はどうするんですか!」
 新城は倒れ伏す兵士の死体からマガジンと軍刀を回収している草壁に問い詰める。
 草壁はマガジンを懐に、軍刀を腰に帯びながら、静かに答えた。
「私は……けじめをつけに行く」







 壁を背にしながら、最後の敵兵が投降した時点で、菅原は大きく息をついた。
 作戦は今のところ至極順調と言える。少年兵たちは既に編隊が終わっていたので、小隊ごとに正規兵を1人ずつ配備。パワード・スーツは流石に5000着もなかったので、最前線に出る部隊のみの装備となった。戦闘自体も通信網を破壊しておいたことで『れいげつ』のそこかしこで流れる月臣の説得――画像は録画で、本人は菅原の小隊に程近い部隊にいる――の効果も甚大となり、降伏する兵士が続出。さらには義勇兵として参加してくる民間人まで入ってきたので、正規軍は事実上総崩れとなっていた。
「……なんか、こんなに簡単にいって良かったのかな?」
 戸惑うように菅原は呟く。
「良いに決まってんだろ。月臣少佐のあの演説を聞いて奮い立たない奴ぁ木連人じゃないぜ」
「でも……」
 拳を握りながら熱弁する宮本に、それでも納得いかないように菅原は食い下がった。
 無理もない。年端もいかない勢いだけの若者ならいざ知らず、『れいげつ』市民のほとんどが立ち上がり、命令は絶対であるはずの軍人でさえ早々に投降してくる。いくら通信網を遮断され孤立していたからといっても、それはいくらなんでも無責任に過ぎる。菅原は良識あるものならそう考えるのが当然と思っていた。
 しかし、それはあくまで『菅原の常識』での考えに過ぎないのだ。
 言い換えれば、菅原は木連国民の流されやすい、悪く言えば単純とさえ呼べるような気質を、真に理解していなかったのだ。エリートと称される階層に多いことなのだが、いまだ若く人生経験の少ない菅原は、物事を考えるときに自分を基準として考えてしまう癖がある。自分ならこう動く、自分ならこう考える、というように。
 だが、当然のことながら、少年兵でも首席で、実父草壁春樹を通じて様々な情報を得ることも出来る菅原と同レベルの思考を持てるものは、たとえ成人でもほとんどいない。菅原はそのことを、失念していたわけだ。もちろん全部が全部そのような者たちではない。しかし、一部の賢明な者たちにとっても、月臣の檄文は自らを奮い立たせる起爆剤となったのだ。
 褒めるべきはその全てを見通して計画を立てた秋山だろう。彼はこういった人間の心の機微に鋭い。『正義』や『大義』といった言葉に愚かなまでに弱い木連人を脅してはなだめ、せがんでは焦らせ、褒めてはたぶらかし……、彼らの胸も肝も心も、これでもかというほどに揺さぶって、そうして切り札の月臣をぶち当てたのだ。通信網の切断は、秋山の計画ではむしろ草壁による誘導返しを抑えるという意味合いの方が大きいのかもしれない。そして、ここまでくればもう戦力の大小はあまり関係ない。人間と人間が殺しあう戦争では勢いというものが非常に重要となる。それは数字上の戦力を時に大幅に覆すのだ。
「そんなことより春輔、俺はお前が草壁閣下の息子で、しかも『穢れし者』だってことの方がショックだったぜ」
「あ、それも僕も言おうと思ってた」
 憮然とした宮本の言葉に川中も手をあげる。
「それは……」
 菅原は思わず言い繕うとして……、しかしその口は何も発することなく閉じた。いまさら何を言っても、言い訳にしか聞こえないからだ。事実そうであろう。気持ちが何処にあったかは別としても、客観的に見れば彼が自らの出自を偽って寄り添ってきたことには変わりないのだから。
「……ごめん。許してなんて言えない。嫌いになってくれても構わない。だから―――」
 菅原の言葉は、しかしそこで不意に途切れた。
 示し合わせたかのように宮本と川中が同時に菅原の後頭部を強かに叩いたからだ。
 目をしばたたかせて呆気に採られる菅原に、宮本と川中は指を突きつけて言った。
「ばーか。そうやって何でもかんでも一人で背負い込んでんじゃねーって言ってんだよ」
「罰として天空屋のシメサバで手を打ちましょう」
「……いい、の?」
 菅原は躊躇いがちな口調で問いかける。
 その言葉に宮本と川中は一瞬目を合わせてから、やはり示し合わせたように頬を緩ませた。
「構うかよ。『穢れし者』に差別意識があるのは俺たちより一回り以上うえの世代だ。俺たちはそんなの知ったこっちゃねーよ。てか、それくらいのことも出来ないくらい俺たちは信用ねぇのかよ」
「同じく僕らにはどうでもいい事ですね。生まれる前のいざこざより目先の利益。この国は好きですが、僕だって死ななくて良いならそれに越した事はありません。僕らは僕らにとって必要なものを優先するまでです。遊びでやってんじゃないんですから、謝る暇があったら生きるために少しでも動きましょう」
 菅原は何も言えずに、ただ小さく頷いた。身も蓋もない言い方ではあるが、一切の同情も偽善も含まないその響きが、菅原にはありがたかった。本音と本音を付き合わせて、それでも同じ方向を向いていれるということが、ただ嬉しかった。
「美しい友情、と言ったところか」
 そんな彼らに、不意に声が掛かったのはその時だ。
 弾かれたように声のした方角に振り向いた彼らは、しかし揃って絶句する。
「…………とう、さん……?」
 菅原が呟く。
 彼らの前方、距離にして5〜6歩の位置に、草壁が立っていた。
 息子である菅原が、一瞬、声に出すのを躊躇ったのは、彼をまとっている雰囲気があまりにも違っていたからだった。
 いつもの学生服のような軍服はそのままに、そこに突撃小銃と軍刀、それにおびただしいほどの返り血が付随されている。菅原には、いや宮本にも川中にも、草壁春樹というイメージは荘厳なまでのカリスマ性を持った稀代の指導者というものしかない。しかしどうだ。文字通り血に塗れた今のほうが、やけに馴染んで見える。
 そして彼らは確信する。これこそが草壁春樹の本当の顔なのだと。上品な技術と理屈だけでは国を治めることなど出来ない。時としてその手を血に染めることすら厭わない野蛮さこそが、この男の本質なのだと。
「―――父さん。もう大勢は決まった。政権は交代する。こんなことには意味が無いんだ」
 菅原は宮本と川中をさりげなくかばいながら、言った。
「これからは秋山少佐と月臣少佐に任せて、父さんは補佐に回ってほしい」
「それがお前の選択か?」
 草壁は厳かに言う。
「君臣の契約を裏切り、傷付け、信義に泥を塗った、あの男どもを信用するというのか? 母が命を賭け、父がお前を犠牲にしてまで守ろうとしたこの国を、愚かな理想論とともに心中しようとしている者どもに組みしようと言うのか?」
 菅原は無言。しかし何より雄弁な力強いその眼差しが、否応なしに彼の気持ちを代弁していた。
「確かに、我らは最早、組織的な反抗が出来ぬまでに疲弊している。だが―――我が命、我が魂はいまだ朽ちてはいない。ならば反乱軍が求心力、月臣元一朗。せめて―――奴のみでも誅して筋を通す」
「……ッ、何で、何でそう意地を張りたがるんだ!?」
「お前はまだ正義という言葉の意味を知らない。私はこれまで、そんなチンケな言葉ひとつで数多の命を奪ってきてしまった。私の正義のためにそれだけのものを犠牲にしてきてしまった。今更、自分だけ助かろうなど出来るはずも無い」
 一拍。草壁は短く息を吐く。
「話は終わりだ、春輔。おとなしく道をあけろ。邪魔をするつもりなら、蹴散らすまでだ」
「…………」
 逡巡は、ほんの一瞬。
 父の正義と自分の正義がもはや交錯することはない。
 そうだ。人間は分かり合えない。別の生き物だから。別の時に、別の場所で生まれ、別の生き方をしてきた者たちが、心の底から完全に理解しあえるはずがない。だから人は心の何処かで他人を恐れる。家族ですらそうなのだ。そのためゲキガンガーなどといった共通概念を創り上げて、そこにすがることで、他人を理解した気になる。『穢れし者』といった差別階級を作り上げることで、自分より下の者がいるという下衆な優越感を作り精神の安定を促す。まったく、度し難い生物であるが、しかし―――
「嫌だ」
 菅原は草壁を睨むように見据えて言い切った。
 しかし、自分の頭で考え、理解して歩み寄る努力は出来る。永遠に溝は埋まらなくても、それを無限に小さくすることが出来る可能性を、人は持っている。だから……
「父さんを、見殺しにするわけにはいかない!」
 息子の力強い成長を複雑な気分で見つめながら、草壁は小さく息を吐いた。
「……そうか。残念だ」
 その瞬間。
 草壁の姿が急速に拡大する。菅原は視界の隅に何か光るものを感じた。
(速……ッ!!)
 反射的に宮本の体を後ろに引き倒して、菅原は横殴りの一撃を回避させた。彼らの鼻先を掠めて、草壁の軍刀が虚空を引っ掻く。一瞬、いやそれにも満たない僅かな時間の差で、宮本は頭と胴が切り分かれることを避けた。
(うそ……!!)
 5歩という間合いを一瞬にして、菅原が認識しきるよりも早く、草壁は詰めてきたのだ。達人、いや化け物じみた早さである。
「このッ!」
 菅原は手に持つ突撃小銃を横なぎに振った。あまりに近い間合いでは銃など役に立たない。しかしナイフを抜くほどの余裕もない。言ってみればこれは苦肉の策だ。
 …………!
 鋭い音が空を裂く。
 刃がなくとも、パワードスーツにより強化された腕力は、小銃を殺人的な速度で草壁に接近させる。
 だが。
 草壁はすばやく後退してこれをかわし、銃はむなしく空を切った。
「その程度の力で何が出来る」
 淡々と、まるで作業をこなすかのように呟きながら、草壁は突撃小銃を捨てた。そして両手で軍刀を構えなおしながら迫ってくる。
「2人とも、逃げ―――」
 一瞬だ。たった一瞬。
 目は草壁に向いていた。銃も構えていた。ただ、2人に逃げるのを促そうとして草壁に対する注意を瞬きにも満たない間、減じた。それだけの……油断というのも躊躇われるような……そんな隙を、草壁は突いて迫った。
 気付いた瞬間には、もう遅い。草壁はどうしようもないほどに近い間合いに入っていた。
「く……!」
 とっさに振った小銃と袈裟斬りに来た軍刀が交錯する。そして……
 ざひゅ。
 異様な音を立てて、草壁の軍刀が小銃ごと菅原を切り裂いた。
 膂力と技術と自重を併せ持った草壁の一振りは、衝撃吸収機構付きのパワードスーツをまるでチーズのごとく切り抜いた。
 視界が白濁し、どうにもならない脱力感が体を支配しつつも、菅原は、しかし膝を折らなかった。
 気迫のみで持ちこたえ、ふらつきながらも草壁の持つ軍刀の鍔元を握りこむ。
「…………!」
「宮本! 川中! 早く応援を、月臣少佐を連れて来るんだ!」
 僅かに躊躇う仕草を見せたが、残念ながらここにいても役に立てないことが分かっていたのだろう。彼らの能力と菅原のそれとには大きな溝があり、草壁との間にはさらにもう1つの溝がある。2人はすぐさま踵を返して走っていった。通信網は自分たちで壊してしまったため使えない。しかし少し戻ればコミュニケを持った通信兵がいる前線基地がある。一刻も早くそこまで戻るのだ。
「……離せ、春輔!」
 遠ざかっていく2人を追おうとした草壁は、自身の左腕にもの凄い力が掛けられている事に気が付いた。愕然と目を向けると―――血を失い青白くなった指が、自分の手首に絡んでいる。
「お前―――」
 死体同然の状態で草壁にもたれかかるようにして辛うじて立っていた菅原が、必死の形相で彼の手首を掴んでいるのである。
 決して軽い手応えではなかった。即死こそしなかったものの、力などもはや入るはずのないその身体の、何処にそんな力があるのか―――菅原はその指を草壁の手袋に食い込ませて彼の動きを止めようとしていた。
「…………」
 菅原の目には執念めいた光が宿っている。
 純粋な殺意にも似たその光に、草壁は僅かに戦慄した。
 本物の死に物狂いとは、時に常識を大きく上回る。
 かよわい老婆が火事場から大きなタンスを抱えて逃げ出してくることもある。場合によっては武器さえ持たない死にぞこないの素人が、屈強な兵士を殺すことさえありうるのだ。そのことを短期間で木連のトップになった草壁はよく知っていた。そして手首を握り潰さんと食い込んでくるその指の力は、彼の想像を確実に裏打ちしていた。
「今、ここで引けば見逃してやる。拾った命を無駄にするな!!」
「嫌だね。一度は捨てたこの命、父さんとあいつらを護る為に使えるなら惜しくない」
「この、馬鹿者がぁっ!」
 草壁は思い切り掴まれた腕を振りまわす。それでも菅原の指が離れないことが分かると、彼は渾身の力をこめて菅原の腹を殴った。
「…………!!」
 吐息の―――それとは思えないほどの鈍い音と共に、菅原は身を震わせた。
 内臓のどこかを手ひどく傷つけてしまったのか、口角からぼとぼとと血が滴り落ちる。
 しかし……
「春輔―――」
 草壁は表情を歪めて呻いた。
 それでも菅原の手が離れない。いや、離れるどころか更に力が強くなっている。このままでは本当に離さないまま死んでしまうのでは―――そんな考えが一瞬、草壁の脳裏をよぎった。
「……父さんこそ、もうこんな事は止めようよ。いい加減、認めようよ……。母さんのいた木連はもう無いんだって……」
「違う! 月臣さえ倒せば私の意志を継ぐ者が新たな木連を作る! あいつの望んだ木連は何度でもよみがえる!!」
「でも、その木連に父さんはいない」
「裏切り者のお前にそれを言う権利は無い。お前は私の敵なのだから。私を止められるのは私の味方だけなのだから。だから春輔! 無駄なことは止めてもう動くな!! お前は私の敵だろう!?」
 菅原は弱々しく首を振る。
「……僕は、父さんの息子であることを悔やんだことは一度だって無いよ」
「戯言を言うな! お前は私の……! 私の……!」
 指の力とは反対に、加速度的に悪くなっていく菅原の顔色に草壁は焦った。相手は敵。死んでしまえば指も剥がれる。なのに……自身を支配する焦りはその領域をどんどん膨らませていく。
「俺たちは、意地を張りすぎていたんですよ」
 ふいに、通路の奥から静かに声が流れてきた。
 薄暗い闇を掻き分けるように現れた長身長髪の影。黒いパワードスーツのそれではない、まばゆいばかりに白い優人部隊の制服。
 近づいてくる月臣の、その断固たる歩調に、草壁は先日までは無かった信念を感じた。
「……あの2人が、もう?」
 呟くような草壁の問いを無視して、月臣は歩きながら続けた。
「菅原と話した時に気が付きました。俺が護ろうとしていたのは木連ではなく……、九十九のいたかつての(・・・・)木連だったのですよ……。失った時が戻ると信じて……」
「月臣少佐……」
 月臣を見て安心したのか、菅原は力を抜いて腰が抜かしたようにその場で膝をついた。
「俺も閣下も、自分自身では止まる事すら出来ない不器用な回遊魚です。ですが、俺には何度でも止めてくれる親友がいた。止まって護らねばならない少年兵たちがいた。数え切れぬほどの者たちに支えられて、俺は今、ここに立っています」
 月臣は拳を胸の前に上げて構えを取る。
「そして今度は俺が、あなたを止めて見せます」
「なめるな。丸腰でいったい何が出来る?」
「試してみますか?」
 挑戦的な月臣の言葉に、草壁は口の端を持ち上げた。そのまま軍刀を大上段に構える。
「いいだろう。お前に理想を語るだけの力があるかどうか……万が一にもこの私を倒せたら語る資格を与えてやろう!!」
 残像すら見える銀の閃光。
 月臣はそれを受け止めようと、なんと自身の右の手の平を突き出した。
「―――!!」
 月臣まであと5センチの距離で、軍刀の動きが止まった。それは草壁が止めたというよりも、むしろ不可視の壁に遮られたようにも見える。
「……次元歪曲場か」
 後方に飛びながら、草壁が呟く。
 答えるように月臣はうなづいから、口を開いた。
「個人用に小型化されたものを秋山が持っていたので、ぶんどってきました」
「しかし強度は不十分だな。今の一撃も、歪曲場を右手に収束していなければ切り抜けていたぞ。まるで、今のお前たちのようではないか。勢いの一点にのみ特化しその後を考えていないお前たちに、な」
 吐き捨てるように言う草壁に、月臣は逆に頬を持ち上げることで返す。
「一点集中、大いに結構。言い換えればそれは、例え一点とはいえ勝てるということです。閣下、我々は『その後』や『戦力差』等といった言葉にとらわれて、もっと大事なことを忘れてしまっていたんですよ」
「なんだ、それは?」
「諦めないということです!!」
 叫びながら月臣は草壁に向けて突進する。2人の距離を一瞬にしてゼロにする、我が眼を疑うような驚速の踏み込み。しかし草壁はそれを紙一重でかわしつつ、唐竹気味の一撃を放つ。その気になれば鋼鉄さえ叩き割る彼の刃は、しかし異音と歪んだ空間を散らして跳ね返った。何とか間に合った、月臣の時空歪曲場である。
「遅いっ!!」
 体勢の崩れた月臣への、横なぎの一撃。本来なら牽制以上の意味合いのない攻撃だが、草壁の繰り出すそれは殺人的な速さで空を裂き、月臣の頬を掠めた。引きちぎられ、舞い散る黒髪の断片。
「どうした、今のお前には勢いすら無いぞっ!?」
 勝機と見たか、畳み掛けるように斬撃を繰り出す草壁。乱れだされる刃は、残像の尾を引きながら月臣に向けて殺到する。
「……ッ!」
 だが同時に歪曲場を広げ、刃ではなく草壁自体を吹き飛ばして、それを逸らす月臣。双方が位置を入れ替え、必殺の拳と刃が乱れ舞う。歪曲した空間と異音が辺りに満ちるが、決着はつかない。だがこの場合、果たして、草壁の強さに驚愕すべきか、それとも右手一本でその攻撃を捌く月臣に恐れを覚えるべきか。
 ……もっとも、月臣の拳はリーチの差で草壁まで届くことはほとんど無い。これでは彼に勝ち目はない。数度の短く、しかし濃密な攻防を経て、月臣と草壁は互いに一旦、距離をとった。
「つ、月臣少佐……」
 膝をつきながら、首だけ回した菅原が言う。
 彼の眼には月臣の体中の所々に走る朱線から、赤いしずくが零れ落ちるのを認めていた。
「無理はしないで……もうすぐ応援が来るでしょうから、それまで持ちこたえることを念頭に置いてください……」
 途切れ途切れの菅原の言葉に、しかし月臣は首を振った。
「それではダメなのだ。俺は……、何が何でも閣下を超えなくてはならんのだ」
 理想を語るには力が要る。民衆はより強いものに従うからである。そしてそのもっとも分かりやすい方法が、木連式抜刀術皆伝保持者の草壁を、一対一で倒すことなのだ。流派は違えども、それにより月臣も皆伝同様の強さを自他共に認めることが出来る。理想を夢想と言われないための確固たる基盤を作る方法を、月臣は他に思いつけなかった。
「閣下、聞いての通りです。そろそろ、決着をつけましょう」
 言って、月臣は構えを取った。
 右手を肩の上まで引いて、左手は逆に右手と草壁を結ぶ線上にまっすぐに伸ばしている。力を溜めるように両足を広げ腰を落としたその体勢は、いつもの構えではなかった。
 刺突の型らしい。
 だがそれだけではいくら勢いと付けようと、草壁の刃をくぐり抜けることは出来ない。それは月臣も分かっているだろうが……
「そうだな。この国を立て直すには、今ここでお前を殺しておかねばならん。そのためには、これ以上、時間を掛けるわけにはいかない」
 言って、草壁も軍刀を構えた。
 右手と左手をともに右肩の上に載せるような、そんな構え。言うなれば袈裟斬りの大上段形とでもなるのか。自重と膂力と遠心力をたっぷりと付けた一撃で、月臣の歪曲場ごと叩き割るつもりであろう。
「はい。ただ閣下、時間を言うのなら、もう私や閣下のような『ただ1つの正義』を押し付ける者の時間は、とうの昔に終わっているのですよ」
「終わりはしないさ。人が、本質的に持つその弱さがある限り」
「終わっているんです。俺が、九十九を撃ったその瞬間に」
 それで話は終わりとばかりに両者の視線は鋭さを増した。
 そして2人とも体中の筋肉を限界までたゆませ……
「「勝負!!」」
 ほぼ同時に2人の体は動き出す。
 裂帛の気合と共に繰り出される拳と刃。
 切っ先の激突を受けて月臣の歪曲場が切断……されない!
 ただ一点に、何処までも何処までも無限に絞り込まれた闘気と歪曲場は、草壁の渾身の一撃を上回る程の鋭さで、逆にその軍刀を叩き折った。力ではない。技術でもない。貫くのは意志であり気迫。草壁の懐に潜り込んだ月臣は、突破の意思を込めて収束した歪曲場を爆発的に解放した。
「……っ!」
 声をあげる事もできない。腹部に圧倒的な衝撃を叩き込まれた草壁は、まるで車に轢かれたかのように吹き飛ばされた。地面と水平に何度も跳ねて宙を舞い、壁に叩きつけられてようやく止まることができた。装備も含めれば90キロにも達する草壁の体。それを軽々と跳ね飛ばす一撃。
 草壁はのたうち、胃液を吐き散らした。吐瀉物には、どす黒い血が混じっている。内臓の何処かが傷付いたのかもしれない。見ると腹部には、月臣の掌の痕がくっきりと刻まれていた。草壁はびくびくと痙攣する横隔膜をなだめながら、壁にもたれかかって何とか立ち上がった。
 追い討ちを掛けるべく草壁に迫る月臣。菅原の傍らを駆け抜け再び歪曲場を展開する。草壁は負傷した腹部を押さえながら、月臣の肩越しに菅原を見つめていた。彼のその眼に浮かぶのは諦めと、なぜか安堵の笑みだった。
 だが。
「そこまでだ!」
 月臣の視界の端に編み笠の男が映ったかと思うが早く、その男は手に持つ都合8本の短刀を投擲した。
「…………!!」
 月臣は咄嗟に歪曲場を拡大。自身を覆うように展開し、さらに菅原と編み笠の男との間に盾として入る。編み笠の刃物使い。月臣には目の前の男に心当たりがあった。木連の間でまことしやかに囁かれている殺し屋のことだ。
 北辰。
 そう名乗ることが多いが、それすらも本名かどうか怪しい。
 年齢その他不詳。ただ、木連式抜刀術の使い手として、草壁春樹の政敵に対する暗殺や破壊工作を主に受け持っているらしい。
 北辰は月臣を見るとびくびくと痙攣するように笑う。
「やはり……そうか……くくくく……くかかかか」
「何がおかしい?」
 問いつつ、しかし月臣は北辰の笑いの意味をなんとなく悟っていた。
「本当に貴様は……くくくく……あの勝機に引くだと……くかかか……あの(・・)月臣元一朗が? くははは……!」
 以前の月臣なら、草壁を殺す勝機に引こうとなど思いもしなかったろう。自分がどうなろうと確実に相手も消す。そういう方法を採っていた。その結果、自分が死ぬことになろうが、それはそれで構わない。それが、つい1ヶ月前までの月臣の戦い方だった。
「面白い……面白いぞ……だが、貴様には失望した……」
「なら早く向かって来い。返り討ちにしてやる」
 月臣は言った。
「…………」
 北辰は動かない。手負いの月臣となら、間違いなく勝てるだろう。有利不利を論ずるのなら、圧倒的に月臣が不利である。そういった意味ではこの勝負、月臣の既にして負けである。
 しかし―――
「さすがの貴様でも、もうすぐやってくる応援すべてを相手にするのは嫌か」
 月臣が笑う。
 偶然、近くにいた自分はともかく、宮本も川中もとうに前線基地から応援を頼んでいることだろう。もうまもなく応援がやってくる。それまで持ちこたえるくらいなら、今の月臣でもまだ出来る。
「木連には、この国にはまだこの男が必要だ」
 北辰が言った。
「大将首を前にして、子供の命を気に掛ける腑抜けなどに、この国を任せるわけにはいかぬ」
 言って、草壁の腕を手に取り自身の首に回す。
「……まだ、死ねぬか」
「当たり前だ。つまらん事を言う前に、とっとと逃げるぞ」
 草壁の呟きを一蹴して、北辰は懐から取り出した玉状のものを地面に叩きつけた。
 ―――!
 次の瞬間、黒煙が辺り一帯を満たす。
 煙玉。
 それが煙幕手榴弾(スモーク・グレネード)の原型であったものだと月臣が気付いた時には、荒れ狂う黒煙に視界を遮られ、既に北辰たちを見失っていた。そして爆煙が晴れた向こうには、もはや2人の姿はその影すらもなかった。
「ふん、古風なマネを」
 遠くで応援の者たちがやって来る音が聞こえる。安堵感から、急に体の力が抜けた月臣はその場で膝をつく。しかし眼光だけはいまだ衰えず、2人の残像をじっと睨みつけていた。








 音を立てずに、そっと小型艇へ乗り込む。
「……行くか」
 自身を奮い立たせるように呟く月臣。
 結局、草壁が逃げたことでクーデターは成功に終わった。そしてこのクーデターの中心人物である秋山がそのまま木連全体の指導役を務める事となったのである。細かい調整などは後日、秋山やアララギらが中心となって決めるだろうが、それに先駆けて月臣も共に指導役になってくれないかと頼まれた。
 表向きは月臣もそれを承諾したものの、彼の本心は別のところにあり、こうして見張り役の兵士を気絶させて小型艇に潜り込んだわけである。
 動かし方は士官学校でみっちり習わされた。始動キーも入手済みだ。
 しかし。
「……ちっ」
 月臣は小さく舌打ちして息を潜めた。どうやら何者かの気配を感じたらしい。
 その気配はゆっくりとこちらにやって来て……そして通り過ぎず、止まった。
「そうやって、誰にも告げずに国を出るつもりだったんですか」
 静かな口調で話しかけられ、月臣は姿を現し、小型艇の入り口にいる菅原の前に立った。菅原は点滴台片手の痛々しい姿であったが、その表情は以前の優しいものに戻っていた。
「何故、分かった?」
「月臣少佐は本当に父さんと行動パターンが一緒ですから」
 苦笑い交じりの菅原の言葉に、月臣は居心地悪そうに身じろぎする。
「なら、もう分かっているのだろう。俺が何をしようとしているのかも」
「はい。ですが、それでも言わせていただきます。あなたはこの国のためにずっと尽くしてきた。誰よりも頑張ってきた。どのような過去があれ、あなたは私のヒーローです。だから……もうしばらく、表舞台に残ってこの国を引っ張っていってはもらえませんか?」
「……そう言われて留まると思うか? この俺がよ」
「思いませんね」
 菅原は肩をすくめながら言った。それで思い直せるような性格であればこんなに苦労はしていない。
「このままでは……草壁閣下との決着を付けないままでは、俺はあの世で九十九にに何と言って謝ったら良いのか分からんのだ」
「ごめんなさいで良いじゃないですか。それで怒るような白鳥少佐でもないでしょう?」
 月臣は何か言おうとして、しかし巧い言葉が出てこなくて、ただ苦笑いをしてから、話は終わりとばかりに踵を返した。
「……やっぱり、残ってはくれませんか」
「残る必要など無いからな。この国には秋山がいる。アララギがいる。そして生きるために文字通り死に物狂いの覚悟を決めた5000人の若者がいる。何の不安も無い」
「月臣少佐……」
「もう少佐と呼ぶな。今の俺はただの脱走兵だ」
 月臣の言葉に、菅原はやさしく首を振る。
「いいえ。あなたは何時だって僕の上官であり先輩であり、ヒーローですよ」
 くすぐったくなるような気持ちを抑えて、月臣は背中を向けたままで軽く手を振った。
(……ヒーロー、か。悪くないもんだな)
 そんな、つい数ヶ月前までとは正反対のことを思いつつ、月臣はコックピットへと向かっていった。






「……いいのですか、秋山少佐」
 少し離れた場所から、小型艇の扉を隔てて分かれ行く2人を見ながら、アララギは傍らの秋山に問いかけた。
「構わんさ。言って聞くような奴でもないだろうし、それに……」
「それに?」
「あいつにやった個人用歪曲場発生装置な、あれには発信装置がついているんだよ」
「……なるほど」
 アララギは口元に優美な曲線を作る。それはただの笑みというよりは苦笑いに近いものだったが……
「食えない人ですね。これも予想通りですか」
 ここに来る前に、秋山からこのドック付近の警備を手薄にするように言われたが、これでそれも合点が行った。どうやら、自分たちは秋山の手のひらの上で踊らされていたらしい。もっとも、それは全て木連と親友を思ってのこと。なんとも小気味良く、踊らされ甲斐のあるものだと、アララギは思った。
「ま、俺たちがおんなじ方向を向いている限りは必要ないものだけどな」
 アララギの問いに秋山は豪快に笑う。笑ってから、ふと真顔に戻って言う。
「これからが大変だ。木連はこれから2つに分かれるだろう。地球との交わりに衝撃を受け、闇雲に地球の文化を取り入れようとする者。逆に木連という殻に閉じこもろうとする者。しかし俺たちが為すべきは第三の道だ。即ち速やかに地球と和平を結び正常な国交を始め、貪欲に地球の知識を吸収し、国力を蓄え、地球の諸外国と互角に渡り合えるだけの力をつける。その上でまだ相容れないのであれば、それから改めて地球に喧嘩を売る。これこそが真に木連を救う道だ」
「……大丈夫ですよ。きっとね」
 今日だけは楽観的に未来を考えたい。そんなことを考えつつアララギは笑った。
 つられて笑いながら、秋山はもう一度、月臣と菅原を眺める。
 祖国に残り護る者と、祖国を離れ求め行く者。道は分かれるが、どちらも先の見えない苦難の道だ。気が付けばどちらを向いているか分からない、正義という名の羅針盤1つで突き進む彼らの先に何があるのか。それはまだ誰にも分からない。
 しかし。
(……木連も、まだまだ捨てたもんじゃないな)
 現在の英雄と、過去の英雄の息子とのこのアシンメトリーを見ながら、ふと、そう思う秋山であった。
















後書き
 どうも、お久しぶりです。遅筆作家の鴇です。
 えーと、前回の投稿から約8ヶ月ぶりですか。前回の後書きに書いたように、今回は以前の設定を引き継いでの連作短編と相成りました。てかあまりに昔過ぎてそんな設定なんて覚えてねーよって言われそうでちょっとドキドキしていますw
 書いてはいたんですよ。でもそれが巧くまとまらなくて……気が付けば予定の2倍強にまでサイズが膨れ上がってしまったこの話(汗
 でも書いてるうちにさらに秋山の話とかどろどろとした権謀術数の話とかも書きたくなってきたり。切りがないので短編ということでカットしまくってそれがこのサイズ。せめてこの3分の2くらいなら読みやすかったと思うんですが。ここまで読んでくださった方、本当にお疲れ様でした。
 ……うん。やっぱり連載は出来ないな(オイ

 で、ここからは愚痴と後悔と本編の話なので少しネタバレを含みます。まだ未読の方はご注意を。
 今回は以前から書きたい書きたいと思っていた熱血クーデターの話です。すごい面白そうな題材なのに、なぜか手をつける人が少ない所だと思っていました。まぁ、理由は書いているうちにはっきりと分かりました。
 華が無いんです(爆
 だってアレですよ。既存のナデキャラの代わりに女子供は引っ込んでろってなむくつけき男(代表例:南雲)がわんさと出てくるんですよ(マテ
 本当は草壁の過去話とかで愁嘆場を用意するつもりだったんですが、あまりの長さのためにカット。すまない、閣下。この辺りは要望があれば書きます。そして舞台は男オンリーの男祭りへ(だからマテ
 他には切りが悪いってところがありますね。ラストで草壁が逃げてしまうから、なんか拍子抜けしちゃうんだな、と。このあたりの決着はいつか書いてみたいところです。……絶対、長くなるでしょうけど(苦笑
 あと今回もオリキャラ出しちゃいました。お耽美系の少年兵。やはり舞台はバラの園へ(もうええっちゅーに 
 ま、冗談はともかくとして。彼のせいで主役が月臣から彼とその親父に移らないかちょっと怖いです。なんせ私の書くものは主役が主役に見えないことには定評がありますからw ……あれ、なんだろう。前がにじんで見えないや(泣

 それでは長々と書いてしまいましたが、『正義の味方に憧れて』、これにて終了とさせていただきます。
 おそらく次もこの設定で新しい話を投稿すると思います。よろしければ、その時もどうかひとつよしなに。
 最後に管理人様、代理人様、ならびに読んでくださった全ての皆様に心からの感謝を。
 ありがとうございました。








感想代理人プロフィール

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代理人の感想

うーん。

まぁ、面白かったんですけど途中の演説とタンカがまんま「蒼天航路」なのはどうかなぁと(苦笑)。

あれで結構テンション下がっちゃいましたからねぇ。

それさえなければ結構楽しめたんですが。

 

・・・・にしても、この後ネルガルの犬なんかやってる辺りやっぱり迷いまくってるのかなぁ、元一朗はw