ATTENTION!!

 この話は1000万ヒット記念企画『Blank of 2weeks』の1投稿である『Do you know……?〜あなたは知ってる?〜』の設定を引っ張ってきています。しかもオリキャラの比重が多いシリーズものです。一応、他シリーズを見なくても読める内容を心掛けましたが、よければこちらを先にお読みください。



 遥かなる深遠の中を駆ける。
 時刻は深夜。本国の標準時間ではちょうど丑三つ時に当たる時間。
 だが、ここには時間による昼夜の区別などありはしない。朝も夜も等しく暗闇に支配される、そんな空間。
 否、昼夜の区別だけではない。ここでは上下左右の区別すらないのだから。
 無論、ここでは風が吹くことも音が響くこともない。通常、生物が存在することさえ許されない空間。
 月軌道上。
 一世紀前に人類が手に入れた領域であり、また新たなる悲劇の引き金となった舞台でもある。
 不意に、全てが希薄な深海に光が生まれた。
 数十、数百と言う光条が交錯したかと思えば、次の瞬間いくつもの火球が生まれた。
 それは戦艦同士の主砲の撃ち合い、そしてそれにより起きた撃沈、爆散によるものだ。
 その内の1つ、体長30メートル、重量150トンの巨人が背中から崩れ落ちる。
 右上腕部が折れ、粉砕される音を聞きながら、パイロットの高杉三郎太は肺の中の空気が無理やり押し出されるのを感じていた。だが彼は実直そうなその顔を苦痛に浮かべながらも仲間に、そして自分に檄を飛ばす。
「艦長、自分はこれより敵軍の側面に跳躍します。タイミングを合わせて十字砲火をお願いしますっ!」
 テツジン。地球側ではゲキガンタイプと呼ばれるこれは木連の優人部隊――エースパイロット部隊のこと――が搭乗する30m級有人人型戦闘機だ。見上げるようなその威容ゆえに軍のシンボルとして、また戦艦並みの火力と時空歪曲場(ディストーションフィールド)を持ち、史上初の単独有人次元跳躍(ボソンジャンプ)が可能な兵器として、投入当初は散々に地球連合軍を苦しめた。
 ―――しかし。
 衝撃。衝撃。衝撃。
 三郎太のジャンプアウトを先読みしたような攻撃が何十何百と放たれる。案の定、三郎太のテツジンはその集中砲火をモロに喰らってしまった。
 ―――しかし、ソフト面で劣る木連はボソンジャンプの能力を最大限には活用できず、あらかじめ定められた数種類のパターンにしか跳べずにいた。そのため、ジンタイプのボソンジャンプではそのパターンが解析されてしまえば、ジャンプ・アウトの瞬間に無防備な体制をさらけ出してしまうという欠点を露呈してしまっていたのだ。
 三郎太の周りに連合軍の主力機動兵器であるエステバリスが群がる。エステバリスはテツジンに比べるとその2割ほどの大きさしかなかったが、その分、小回りに長け、敵機の攻撃を面白いようによけていった。その様は奇しくも300年前の太平洋戦争の日本と米国を彷彿とさせる。日系がほとんどの木連と米国主導の地球連合。さしずめこの月軌道上の広大な真空が太平洋とでも言うのか。だとすれば、その構図はあまりによく似すぎていた。
 ……ただ、一点を除いては。
『総員対衝撃防御。伏せろ、三郎太ッ!』
 掛け声と共に一条の光が地球連合部隊を横切り、一瞬遅れて爆発音が追随した。
 にわかに活気付く一同。彼らの視線の先には、はるか彼方に見える太陽の光を背後に背負った蒼い巨人、ダイマジンの姿が映っていた。
『こちらは優人部隊『みなづき』艦長の月臣少佐だ。ここは俺に任せて秋山少佐、高杉大尉および『かんなづき』は一時撤退しろ! 繰り返す……』
 そう言いながらも、月臣はバーニアをフル稼働させて残る敵に肉薄させていた。突進の勢いを殺さないようにダイマジンの長大な腕を旋回させ、手近にいた一体のエステバリスをその巨大な質量を持ってフィールドごと破砕。さらにチャージが終了したグラヴィティーブラストを散開が十分でない敵本陣へ発射。正確に戦艦を貫き、その誘爆が残存兵力の大部分を削っていった。
 この間、僅か2、3秒。
 『かんなづき』こと秋山隊と交戦中の敵は、横合いから不意をつかれた形となった。
 通常、ゲキガンタイプの攻撃パターンは相転移炉を内蔵するために得られる圧倒的な出力を使っての堅固なディストーションフィールドと戦艦並みに強力なグラヴィティーブラスト、さらには単体でのボソンジャンプによる高速移動のコンビネーションだ。
 だが月臣はフィールドへの出力をあえて極小規模に抑えて、その余剰分を各所に後付したバーニアによる機動と攻撃に回している。防御を無視したカミカゼ戦法とでも言おうか。
 そして何より圧巻なのが、それを鈍重なダイマジンで行っているということだ。
 この手の戦法では僅かなダメージが機体性能を落とし、そこから致命傷に発展する事がままある。
 しかし月臣のダイマジンは全ての攻撃をギリギリのところで見切っていた。別に特に複雑な機動をしているわけではない。転回は最小限。いたずらに機体の向きを変えてもいない。さらに小刻みな移動もなし。移動、停止のメリハリをはっきりさせて、1秒でも多くの攻撃時間を作り出しているだけだ。
 だがそれを行うには強烈なGに耐えられるだけの体力、人並みはずれた反射神経、相手の動きを読みきる計算、そして何より死神の吐息がかかる死地でそれらを過不足なく実行できるだけの強靭な精神力が必要となってくる。連合軍にしてみれば運動性ではるかに上をいっている筈のエステバリスの攻撃をダイマジンが回避するさまはいっそ出来の悪いCG映画でも見せ付けられているようだった。
『助かったぞ、月臣』
 散り散りに撤退する連合軍の一団にグラヴィティーブラストを撃ちこんだところで、月臣のダイマジンに『かんなづき』艦長秋山元八郎から通信が入った。秋山は恰幅の良いその体躯に似合う豪快な笑いをしてみせる。
 しかし月臣はその笑みに刺すような視線を持って返す。幼馴染のような2人だ。月臣は秋山のその笑いが上辺だけのものだということを直感的に悟っていた。
 彼は通信機越しに秋山を問い詰める。
「明らかに突っ込みすぎだ。お前らしくもない。いつもの冷静な秋山源八郎は何処に行った!?」
『……時間が、なかったんだ。子供たちが……』
 たっぷり3秒あけてから、秋山は呻くように言った。
 時間がない? 子供たち? 問いただそうとした月臣の耳に、一瞬はやく危険を知らせるアラートが飛び込んだのはその時だ。見るとダイマジンのレーダーには連合軍の新手が迫っていることが示されている。先程打ち漏らした部隊も少なからずいたことから、どうやら体勢を立て直し再集結するための撤退だったようだ。……損傷した『かんなづき』を連れて逃げるのは、恐らく無理であろう
 月臣は小さく舌打ちしてから秋山に通信を入れる。
「話は後だ。ここから7時の方角、100kmほどの距離に『みなづき』がある。合流して、この場はそれで一時撤退してくれ」
『元一朗、お前はどうするんだ?』
 秋山からの返事はすぐだった。
「そっちが逃げるまで援護をする。すぐに追いつくから、とっとと行け」
『……また、お前に迷惑をかけるな』
『絶対にすぐ来てくださいよ!』
 秋山は苦々しげに、三郎太は仲間はずれにされた子供のような通信を送ってから、それぞれ(きびす)を返す。だんだんと小さくなっていく『かんなづき』とテツジンを見送ってから、月臣はぼそりと呟く。
「お前がいたら、もうこんな戦争は終わっていたのかもな。……九十九」
 正義と信じたものの成れの果て。
 源八郎もまさか自分が贖罪じみた自己満足のために助けられたとは思いもしないだろうな。
 月臣は自嘲の笑みを浮かべてから大きく息を吐いた。
「……さぁ、やるか」
 言って、月臣は眼前の先頭に意識を戻す。
 漆黒の宇宙空間からざわざわと圧倒的な数の敵機の気配が迫ってきた。
 月臣が獰猛な笑みを浮かべると、ダイマジンの胸部が光輝に包まれ、そして放たれた光は迫り来る敵エステバリスをたやすく圧壊させる。爆散する仲間の屍を乗り越えて、連合軍の一団は一直線にダイマジンに突進してきた。
 ―――2198年3月。蜥蜴戦争と呼ばれた戦乱の末期。木星からの侵略戦争と思われたそれは、裏を覗いてみれば単なるオーバーテクノロジーの奪い合いであった。虐げられし者の怨念、既得権益を守ろうとする政治家、明るみに出せない汚点と蛮行……。それぞれの思惑が絡み合ったこの争いは、しかし意外な形で小康状態へと導かれていた。
 同年2月、地球側の戦艦『ナデシコ』が独断でオーバーテクノロジーの要である火星極冠遺跡の演算ユニットを宇宙のどこかにすっ飛ばしてしまったためである。戦争の目的を失った木連、地球連合―――ここでは連合に大きな影響力を持っていたネルガル重工を指す―――の双方の戦争継続意思は減退。そのまま戦争自体も収束に向かうと思われていたが、当然と言うか何と言うか、世の中それほど単純でも簡単でもなかったようだ。起こすのは簡単、収めるのは至難の言葉どおり双方共に不毛な争いを続けていた。特に木連側からしてみれば望んでいた短期決戦の目がつまれてしまったことになるのだ。そのうえ和平交渉のカードは既に自ら破棄してしまっているため、勝ち目のない戦いを嫌でも続けていかなくてはならない。まさに手詰まりの状態と言えた。
 同年4月、過酷な消耗戦が続く中、木連はついにその戦線を木星〜地球間から木星〜火星間へと縮小することを決定。苦肉の策として遊撃隊として再編制された優人部隊は、冒頭のようにジンシリーズと呼ばれる巨大人型兵器を駆って火星〜地球間という膨大な範囲の各地を転戦。母艦(チューリップ)とはぐれてしまった味方無人兵器部隊の撤退を支援すると共に死闘を繰り広げていった。
 中でも『みなづき』艦長の月臣元一朗の働きは大きく、次第に将兵の間で語られるようになっていった。
 同年5月、あくまで戦争の継続を主張する草壁春樹に対して若手穏健派が木連の政変、またの名を熱血クーデターという一大反乱を起こし木連政権の主導権が若手穏健派に移行する。正義のための戦争と、美辞麗句ここに極まれりといった風に始まった木連の戦争は、こうして一応の終了をみた。なお、このクーデターの際に草壁春樹および月臣元一朗の両名は行方不明となる。
 そして―――
 同年6月、蜥蜴戦争休戦条約締結。
 互いに互いの主張を固持し、血で血を洗うかのような地球連合と木星連合との戦乱は、国土の各地に深い傷跡を残した。
 休戦条約により戦争は終わったが、その傷跡は経済の停滞による大失業時代と、軍人崩れによる犯罪の大増加という形で今も増え続けている。
 戦争が終わったため、急激な軍縮が起こり、戦争のやり方以外何も知らない人間が、ある日突然、一般社会に放り出されたのだ。
 政府は雇用確保のために一部の者を警官として採用し、それにあぶれ食うに困った者や休戦後の社会に不満を抱く者たちが野盗と化し……戦友達が敵味方に分かれて争うことになった。
 何のために彼らは戦い、死に、そして殺したのか。
 地球連合軍が各国政府の首根っこを押さえつけて木連からの移民の受け入れも大々的に行ったが、行き場のない気持ちと憎しみは募り、世界に歪みを作り続けている。
 『熱血クーデター』から始まる薄いヴェールのような休戦条約から3年―――
 ひょんな理由から地球の大企業「ネルガル」に拾われた月臣元一朗。
 彼の受けた1つの任務から、今回の物語は始まる。

















白黒ーwhite & blackー
第壱幕 ありがとう
presented by 鴇
















 ネルガルの月施設内の広い広い格納庫。
 ここではネルガルが開発した近接戦闘用人型兵器エステバリスのカスタム版やその最新鋭機であるアルストロメリア等がずらりと並んでいる。
 先ほどまでこのアルストロメリアのテストパイロットをしていた月臣元一朗はパイロットスーツではなく、ネルガルから支給された赤い制服に着替えて、整備中のアルストロメリアを眺めていた。
 今の彼はもう優人部隊の制服を身にまとってはいない。
 彼にとってあの白い制服は彼が信じた正義の象徴であり、また決して退かない、何者にも染まらないという誇りの表れでもあった。
 ―――故に、熱血クーデターで取り逃がした草壁春樹と決着をつけるため、地球で天敵ネルガルに組みすると決めた時に、もう袖は通さないと決めた。
 優人部隊時代のように正義を胸にこめた行動ではなく、それが自分なりの贖罪と筋の通し方だと思ったからだ。
 何を犠牲にしても草壁を倒す。例えその先に避けえない破滅があろうとも、戦うと決めた。
 それが、それだけが、今の彼を動かす動機となっていた。
「……3年、か」
 呟きながら、気持ちを切り替えて手元の書類に目線を移す。
 彼が持っていたのはクリップボートに挟まれた未記入の報告書類。アルストロメリアのテストパイロットとして気づいたことを報告するものだ。せっかく自分の意見が聞いてもらえるのである。さて、どんなことを書こうかなと思案しているところに、背後から声がかけられた。
「月臣」
 素っ気無く愛想のない呼び声。
 振り向くと、同僚のテンカワアキトがこちらに向かって歩いてくる。
 同僚、というと少し語弊があるか。
 2人はともにNSS――ネルガルシークレットサービスと呼ばれる民間企業、ネルガル重工直属の特殊部隊――の任務やこうしたエステバリス系のテストパイロットを務めているが、正式にNSSに入隊したわけではないのだ。色々と複雑な事情があるのだが、酷く乱暴に言ってしまえば成り行きでネルガルにいることになる。
 アキトは黒髪黒瞳の一見すればただの日系人の優男だ。あごは細く、鼻筋も通っているのだが他のNSS隊員の例に漏れず衣服の下には鍛え抜かれた肉体が隠されている。かつては複数の女性から好意を持たれていたこともあったそうだ。
 もっとも、いくら対弾対刃性能があるとはいえ、パイロットスーツにマントを普段着代わりにしている今の彼を見たらどう思うだろうか。
 それともこれが木連と地球との文化の違いなのだろうか。
「どうした。サレナのテストはしないでいいのか」
 そんなことを思いつつ月臣は答える。
「サレナは精密検査中だ」
「全速力のまま機体きしませながら旋回したとか聞いたな。そんな機動ばかりを行っていてはいずれ空中分解するぞ」
「問題ない。あれくらいの動きが出来なければ北辰には勝てない」
 アキトの乗るエステバリスはブラックサレナと呼ばれるワンオフの機体だった。当然一般の軍隊には配備されていないもので、従来のエステバリスとは比べ物にならない出力と剛性を誇っていた。
「確かに。ブラックサレナは対北辰用として作られたものだから、やれないことは無いか……」
 報告書に滑らすペンの動きを止め、月臣はアルストロメリアを眺めながら言う。
 ブラックサレナは、元々はアキトが復讐のためにネルガルを頼り、またネルガルもまだ月臣がいなかったころで試作型アルストロメリアのためのテストパイロットを探していたためアキトを採用したという経緯がある。
 その後、改良に次ぐ改良と称してアキトにしか扱えないようなピーキーな機体となってしまい、いつのころか試作型アルストロメリアではなく、ブラックサレナというコードネームを得るに至る。
「……それはそうと、火星の後継者の武装蜂起がもう間近みたいだぞ」
「ユリカが陥とされたか」
「そういうことだろう」
「…………」
 彼らが話している『ユリカ』とは、もちろん人の名前である。
 そして同時に、武装組織<火星の後継者>の持つボソンジャンプシステムのキーでもある。
 ボソンジャンプ。
 物理法則をも捻じ曲げるその移動手段は、誤解を恐れずに言えば空間跳躍(ワープ)とでも言えばいいのか。しかし通常、地球上の生物がボソンジャンプを行おうとすると、共に跳んだ物体の構成物質同士が融合してしまったり、ジャンプアウトの地点(ポイント)がランダムになったりと、その真価を発揮できないどころか命の危険に晒されすらする。それはボソンジャンプの演算ユニットである火星極冠遺跡が、人類とは異なる思考基盤を有しているため、そのままではジャンパーのイメージに変換相違(ノイズ)が混じってしまうからである。これを回避するためには『ある特殊な遺伝子』が必要となるのだが、その遺伝子が現在では非常に希少なこと、また一定の年齢以上のものには外科手術を行ってもその性質を手に入れる事が出来ないことから、当分の間は実用化には機械補助が常に必要だと考えられていた。
 しかし、ここで火星の後継者は、否、彼らの仲間の1人、ヤマサキ・ヨシオという科学者は1つの妙案をひねり出す。
 普通の人間ではイメージに変換相違が入ってしまうのなら、変換端子としての性質を持つものを遺跡本体に組み込んでしまえば良い、と。
 そうしてボソンジャンプの演算ユニットに生身の人間を部品として結合させられたのが『ユリカ』だ。
 本名はテンカワユリカ。アキトの妻である。
 ユリカが陥ちたとは、彼女の意識を都合よく誘導できるシステムが完成したことを意味する。
 アキト達が黙っていると、格納庫にウリバタケセイヤ整備班長が入ってきた。
「お、いたいた」
 ウリバタケは生まれも育ちも東京の日本人だ。
 三十台半ばで、アキトや月臣らの主として公に出来ない機体の整備を行う。
 マッドサイエンティストの気があり常識的とは言いがたいが、妻帯者であり、ある意味『大人』でもある。
 特に無茶な機動を繰り返してよく故障させるアキトにとっては頭が上がらない人物の1人だ。
「お前ら呼んでんだから応答ぐらいしろってんだ」
「報告書なら今やっている。もうしばらく待て」
 がりがりと頭を掻きながらぼやくウリバタケに手のクリップボードを掲げながら答える月臣。
 そこでふと思い出したようにたずねる。
「俺のアルストロメリアに見慣れぬボタンがついていたが、あれは何だ?」
「おっ、あれか!」
 良くぞ聞いてくれましたとばかりに眼鏡の奥の瞳をニヤニヤさせるウリバタケ。
「あのボタンはな、必殺技よ」
「必殺技?」
 月臣は素っ頓狂な回答に思わずオウム返しに聞いてしまう。
 黙って話を聞いていたアキトも心の中は同じだ。
 しかしウリバタケはそんな2人のリアクションを知ったことかとばかりに無視して話を進める。
「アルストロメリアの武装は近接戦闘用のクローだけだろ。ジャンプして距離詰めればいいから射程的には問題ねぇんだが、それじゃ味気ないってんで俺が追加してやった奥の手よ」
「そうか。俺はてっきり自爆ボタンか何かだと思っていたが」
「まー、似たようなもんか?」
「おいっ!」
 たまらず突っ込む月臣をウリバタケは手で制しながら言う。
「おっと、詳しく教えてやりたいのは山々だがな、ゴートとプロスの旦那がお前らのことを呼んでたんだよ。先にそっちの用件を済ましてきな」
「……くっ、了解」
「アキトもな」
「わかった」
「よし。んじゃ、とっとと行ってから、テストパイロットの報告書出せよ」
 ウリバタケはそう言うと出て行ってしまった。
「くっ、何でパイロットも知らないシステムがいきなり追加されているんだ。プロス殿に聞いてみるしかないか」
 何千億円も開発費をかけた機体を何だと思っているんだ。
 月臣は信じられないものを見るように出て行ったウリバタケの残像を見ながらつぶやくが、アキトがそれに合いの手を入れる。
「無駄だ」
「何だと?」
「おそらくプロスさんもゴートも知らないだろうな。ナデシコだろうがエステだろうが、いじれるものはみんな改造するのがあの人の趣味なんだよ」
「…………」
 まさかいきなり自爆したりはしないだろうな。
 無い、と自信を持っていえないことに得体の知れぬ恐怖を感じながら、先ほどまで自分が乗っていたアルストロメリアを眺める月臣であった。











 扉をノックするとすぐに返事があった。
「どうぞ」
 アキトと月臣はその声に従った。
 書類と複数のコミュニケ――いま開いているのは社員の勤務査定のものらしい――に埋め尽くされた部屋の奥に、プロス達はいた。
 プロスは手元のコミュニケから目を離さずに2人に入室を許可する。
 プロスペクター。本名・経歴不明。金縁メガネのちょびヒゲ、クリーム色のベストに真っ赤なネクタイと、48歳という年齢にしては結構派手である。もっともつい数年前まではクリーム色のシャツに赤いベストを好んで合わせていたのを思えば多少は落ち着いたのか。
 このプロスは元NSSで、現在は親会社であるネルガルや連合軍とNSS全体との仲介役を主に担っている。
「月臣元一朗、ただいま参りました」
「…………」
 月臣は軍隊式に直立不動で敬礼し、アキトは無言で会釈する。
 プロスは2人が入ったことを確認すると手元のコミュニケから目を離して柔和な笑みを浮かべた。
「お2人とも、テストパイロットお疲れ様でした。さっそくですが、今日お呼びした用件をお伝えします。ゴートさん」
 と後ろに立っていた大柄な男に声をかける。
 ゴート・ホーリー。身長2メートル以上で肩幅もある縦にも横にも大きい男。角刈りにむっつりした顔をしているが、特に怒っているわけではなく、これが素の顔なのである。彼はプロスの言葉にうなづくと、あらかじめ用意してあった書類をアキト達に手渡した。
「まず目を通せ」
 ゴートはNSS実行部の総責任者で、本来ならNSS用の任務はすべて彼から連絡されるはずだ。それがプロスからということに違和感を感じつつも2人は与えられた書類を斜め読みしていく。その資料はある者の経歴および現況を記しているもので、隠し撮りと思われる写真が一枚付随していた。
 金髪蒼眼の英米系の顔立ち。年は月臣と同じくらいだが身なりには気を使っていないのか、ぼさぼさの髪といい黒の襟高ブラウスにブラックジーンズというカラスのような服装といい、とても妙齢の女性とは思えない。ただ、少し磨けば非常に光る容姿であろうことはその整った目鼻立ちからすぐにわかる。
 その人物はアキト、月臣双方にとって知己の人物であり……
「「ウィーズ・ヴァレンタイン」」
 思わずその名前を口ずさんでいた。
「はて、お二人のお知り合いでしたか」
「月にいたころに少し、な」
 アキトがプロスの言葉に応えるが、月臣はそのやり取りに敢えて口を閉ざして経歴書を読み続けた。
 名前はもういいとして、現住所はイギリス、ロンドン郊外。木連人中心の孤児院に世話になっているらしい。
 月臣は一度目線を上げて、プロスに質問する。
「……それで、この女が何かあるのですか」
「あるかもしれません」
「どういうことです?」
「我々が彼女を捕捉したのは1年半ほど前です。良くも悪くも特殊な立場の方みたいでして、なぜか彼女の周りを常に火星の後継者とクリムゾンのSSが張っているようなのです」
「それはこいつがA級ジャンパーだからですか?」
 言って、月臣は先ほどの資料の備考欄に目線を戻す。
”木連の少数民族『穢れし者』に該当するとともにA級ジャンパーである”
 『穢れし者』。それは火星のテラフォーミング技術者を祖先に持つ木連の少数民族だ。木連はその人口のほとんどが日系人であり、対外的にも日系以外の人種がいることを知るものは少ない。彼らは木連の主流である月独立派の血を引いていないという理由だけで差別、迫害されてきた。
 前述のようにボソンジャンプにはジャンパーのイメージを正確に遺跡へと伝えるためのある『特殊な遺伝子』が必要となってくる。その遺伝子を得るための(キー)となっていたのが遺跡の影響を受けたナノマシンの近くで生まれることであった。ある程度成長してしまっているものには難しいが、産まれて間もない子供ならナノマシンがボソンジャンプに適応できるようにその遺伝子を最適化してくれるからである。そしてウィーズの祖先、『穢れし者』は火星へ先行していた最初期のテラフォーミング技術者達がほとんどである。さらには木連での差別化政策の1つである他民族との婚姻の厳禁によりボソンジャンプ適応の因子を色濃く残したのが、彼女たち『穢れし者』なのである。もっとも、その因子のため木連では人体実験の材料とされてしまったのだ。彼女1人を残して。
「そうかもしれませんし、それだけではないかもしれません。わかっていることは彼女の存在が我々にとって非常に危険な存在になるかもしれないということです」
「例のジャンパー狩りですか」
「いいえ、それでしたら遠巻きに彼女を監視しているだけなのはおかしい。それと繰り返しますが、危険があるのは彼女ではなく、我々の方なのです。―――ゴートさん」
 月臣たちの疑問を制してプロスがゴートに指示を出す。すると彼らの前にコミュニケが1画面表示された。今度の資料は紙媒体ではなく映像のようだ。暗号化のため多少映像が割れているが、見ればNSSの隊員が件のウィーズと対峙しているところである。
「実は以前にも彼女と接触を取ろうとしました。ですが2度クリムゾンと火星の後継者に阻止され、それならと4〜5人規模のチームを3ユニット送り込んだのがこの映像です」
 映像ではウィーズはNSSの4人に囲まれている。残りはクリムゾンと火星の後継者を相手にしているのであろうが、おそらく指示された任務は接触などではなく拉致ないし捕獲なのであろう。
「テンカワさん、あなたならNSSの4人と戦うとしたらどうやります?」
「こいつらはそれぞれが元軍隊の特殊部隊レベルだ。まともにやり合ったらまず勝ち目はない。ぱっと思いつくのは不意をつくか、罠を仕掛けてそこにおびき寄せるか、ラピスのバッタみたいな装備の差で圧倒するくらいか」
 プロスはアキトの答えに満足したように頷く。
「ええ、普通はそんなところでしょう。それを踏まえたうえで、この映像を見てください」
 映像が停止状態から再生状態になる。
 場所的には何の変哲もない石畳の十字路。
 多少狭いが4人が同時に攻め込めないほどでもなく、当然隠れるようなところもない。
 NSSの4人は油断なく次にくるウィーズの動きに神経を集中させていた。
 彼我の距離、およそ6メートル。
 その気になれば数歩で埋まるその距離で……
「歩いたっ!?」
 それはほんの一瞬の出来事だった。
 NSSが集中する中、その行為はまさに『殺してくれ』とでも言わんばかりであった。
 まるで散歩するかのように悠然と歩を進めるウィーズ。
 NSSの意識も思考も緊張も全てを前方に集中させて―――
『ぐぁっ!』
 画面上のNSSがくぐもった声を漏らす。彼らのうちの1人がその頚椎(けいつい)に鋭い手刀を食らったのだ。
「何だ、何が起こった!」
 思わず声に出す月臣。それは画面に映るNSS隊員の心境を代弁したものでもあった。第三者視点で見ていた月臣でさえまるでコマ落としのようにウィーズがNSSの前から背後に瞬間移動したようにしか見えなかったのだ。
 強制的な思考のブランク。
 NSS隊員たちの気はさぞかし動転していることであろう。
 不用意に後ろを振り向こうとした2人も同じように気を失わされた。
 最後の1人は転がり込むようにしてかろうじてその場を離れる。
 しかし、再度先ほどの瞬間移動により既に先回りしていたウィーズ。
 NSS隊員は顔面をサッカーボールのように蹴られて意識を手放す。それで終わりだ。
「…………なんだ(・・・)これは(・・・)
 ありえないものを見るように月臣は画面を注視しながら声を漏らす。結果だけ見れば、腕利きのNSS4人が真正面から女1人に地を這わせられたということになる。動きから見て殺害目的ではなく捕獲目的であったこと、彼女の能力を知らなかったがための気の動転。敗因を敢えて挙げるならこんなところだが、それにしても尋常ではない。
「あの瞬間移動は、イネスさんの話によればボソンジャンプの一種のようです。適正値を高めていけば理論的には発動までのタイムラグを極力ゼロに近づけることが出来るそうです。……理論値どおりのものを見せられるとは思っていなかったともおっしゃってましたが」
 生身ですらこれなのだ。もし彼女が大型の爆弾でも所有しようものなら、それだけで回避がほぼ不可能なテロの危険が生まれることになる。機動兵器や戦艦に乗られでもしたら目も当てられない。
 プロスがメガネを中指で押し上げながら補足する。
「タイムラグ・ゼロ。故に『ジャンプ・ゼロ』と名づけたみたいですね」
「それもドクターが?」
「いえいえ。音声が割れていて聞き取りにくかったでしょうが、映像の中でご本人がはっきりと仰っていましたよ。馬鹿馬鹿しいでしょうが、IFSやボソンジャンプなどイメージを用いるものでは所謂『必殺技』名を叫ぶことは一時的な集中力の増加に繋がり有用なのだそうです。外部スピーカーの設定を入れなければ相手に聴かれることもありませんし、エステバリスの操縦でも使ってみたら面白いかもしれませんよ」
「そ、それはまさしくゲキガンガーの世界ですね」
 若干そわそわと興奮している月臣だが、彼は自分のアルストロメリアにはクローしか武装がないことを思い出して後でへこんだりもする。
「……話が脱線してしまいましたね。本題に戻りましょう」
 プロスの言葉にうなづいて月臣が発言する。
「それで我々の任務とは」
「彼女を保護、ないし拉致してください。最悪の場合は生死も問いません」
「それは――」
「異論は認めません。火星の後継者の武装蜂起が近い今、彼女のようなイレギュラーは戦線を引っ掻き回す恐れがあります。最悪、彼女の力がクリムゾンや火星の後継者に取り込まれることも考えれば、ベストとは言えませんがこれがベターです」
「人員は最小限。機動力、情報の流出等を考慮して月臣、テンカワ、ラピスの3名のみとするがクラスBの装備を許可する」
 ゴートの指示にアキトと月臣は唖然とする。クラスBの装備とは機動兵器――バッタ等の虫型戦闘機およびエステバリス――を意味する。いくら周りに火星の後継者やクリムゾンがいるにしても女性1人を拉致するにはそれはあまりに強大すぎる。
「ラピスのジャミングにより数時間は周りの通信機器およびレーダーを沈黙させることが出来る。火星の後継者とクリムゾンのSSもラピスのバッタを2〜3機用いれば排除できるだろう。エステバリスの空戦フレームをネルガルのロンドン支社に待機させてある。テンカワを乗り込ませて不測の事態に備えろ」
 淡々と言うゴートに月臣は顔をしかめる。
「いくらなんでもそれは……」
「やりすぎだ」
 アキトが付け加える。単独ボソンジャンプが可能なのはアキトしかいないので、最終的には彼がエステバリスで攻撃しろということだろう。
 そんな2人の心情を知ってか、プロスが補足する。
「あくまでこの任務の目的はウィーズさんご自身の意思でネルガルに保護されること(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)です。ラピスさんによる抵抗勢力の排除から増援が来るまで数時間はあるでしょう。それまでに彼女を説得してください」
 チャンスは与えるというわけだが……。
「難しいだろう」
 この声はアキトだ。
「月臣は先の大戦で彼女の知人を殺した。それ以前に2人は何か敵対関係にあったようだ。ただでさえ口下手な月臣にあの人が説得できるとは思えない」
「それは任務には重要性の低いことです。保護できれば最上ですが、それが叶わないのでしたら殺害するだけです」
 プロスも淡々と受け応える。
 まず間違いなく彼は月臣の苦悩には気づいているだろう。
 しかしその上で自分に協力できることがないことも分かっているのだろう。
 意味の無い同情は相手を不快にすることもある。
 これはプロスなりの最低限の気遣いでもあるのか。
「頑張ってくださいね。彼女の安全は月臣さんに掛かっていますから」
 プロスは交渉役となる月臣に先ほどのと同じ笑みを浮かべながら言った。
(…………落ちたものだな)
 草壁と戦うためには今ネルガル内での地位を失うわけには行かない。
 無言のまま敬礼をする月臣。
 それから18時間後に、ウィーズがいる孤児院周辺への攻撃が行われた。





 ―――あれは何年前のことだったろうか。
「やーい、『穢れ』がまたゴミあさってるぞー」
 お決まりのように投げつけられる罵声と嘲笑。時にはそれに石や缶などの物体も加わってくる。
 彼女は忸怩(じくじ)たる思いを下を向くことでぐっとこらえた。
 差別政策を採られていた彼女たちを助けてくれる住民などいない。
 両親や親戚も政府の人間に連れて行かれた。政府の人間に強制連行を受けた人間が帰ってきたことはない。行った先で何があるのかは分からないが、子供心にもう家族には会えないのだと理解していた。何故、自分が連れて行かれなかったのかは今もって不明だが、その時から彼女は自分の身は自分で護るしかなくなった。初めのうちこそ良く分からない施設に放り込まれたが、お世辞にもまともな環境とは言えず、2年と経たずに脱走した。それからは衣食住のすべても自分でまかなわなくてはならなくなった。もちろん、犯罪とされることも幾度となく繰り返した。軍の倉庫に忍び込んで備品を盗むことなどしょっちゅうだ。見つかれば戸籍すらない自分がどんな目に会うか想像に難くはなかったが、それでも生きていくために繰り返した。
 だから……
「ウィーズさん、手が止まっていますよ」
 掛けられた声に、はっとしてウィーズは意識を現実に戻した。
「あぅ……院長先生」
 まずいところを見られた、と彼女は照れ隠しの半笑いを浮かべながら応える。
 手にはやり掛けの料理の下ごしらえ。半分無意識に行っていたためか、作業テンポこそ遅かったが、その割に皮むきされた野菜はずいぶんと丁寧な処理がされていた。
 働かざるもの食うべからず。
 彼女が世話になっているこの孤児院もほかのそれと違わず、資金も少なければ支える人材も足りない。そのため、事務員でもないウィーズがこのように当番制の家事分担の一員となっているのだ。ただしその数は多い。なにしろ30人からなる孤児を養っている孤児院なのだ。洗濯1つ取っても料理1つ取っても大変な労働となる。彼女が来る前は目の前の60台の女院長が1人で切り盛りしていたというのだから労働力不足はさぞかし深刻なものだったのだろう。
「ゆっくりすることは構いませんが、それではご飯の時間が遅くなって子供たちから不満が出ますよ」
 やさしく嗜める院長の言葉にウィーズは一瞬ほろりとするが、次の瞬間それは掻き消された。
「あー、ウィーズおばちゃんがまた料理中に固まってるー」
「つまみぐいするんだー」
「いーけないんだーいけないんだー」
 ここの孤児たちが院長の後ろから飛び出てきて囃し立てる。
 容赦と落ち着きということを知らないチビ台風達は何が楽しいのか、ウィーズの周りをクルクルと回りながらぎゃあぎゃあとはしゃいでいる。
 ウィーズの年の頃は20台半ば。ぼさぼさの金髪に人懐こい、というかどこか間の抜けた先ほどのような仕草は実年齢よりも幼く彼女を見せている。おばさんというには少し若いと思われるが、10歳程度の子供にとってはもはや彼女くらいの人間はおばさんという認識なのだろう。
 ウィーズとしてもおばさんと呼ばれることにさして抵抗がなく、逆に孤児という自分と同じ境遇の子供たちがこのように無邪気に育っている様をほほえましくさえ感じていた。
「駄目でしょ、お仕事の邪魔しちゃ。向こうでテレビ見てなさい」
「だーって、急にテレビが壊れちゃったんだもん」
「テレビが?」
 ウィーズの視線が若干険しくなるが、それには気づかずに子供たちは続ける。
「うん。急にざーってなって何にも映らなくなっちゃった」
「おばちゃんがやったみたいに、ななめ45度から叩いても直らなかったの」
「ミツル君が外を見てくるって言って出て行っちゃったよ」
 要するにこの辺りに電波障害の可能性があり、そんななか子供たちの1人が外へ出て行ったきり戻ってない。
 もちろん単なる機械の故障と言う線も考えられるが、自分たちを取り巻く今の環境を考慮すればそれは楽観的に過ぎるだろう。
「ありがとう。ミツルは私が連れ戻してくるわ。―――院長」
 まだ何か言いたそうな子供たちを制してウィーズは視線を院長に投げると、彼女は頷くことで返した。
「ご飯については私がやっておきましょう。貴方とミツル君が帰ってくる頃にはあったかいスープを用意しておきますよ」
「……じゃ、行って来ます」
 この期に及んでまだ穏やかな物腰を崩さない院長に何か言うべきかと考えて、特に何も浮かばなかったのでただそれだけ言ってウィーズは孤児院を飛び出した。






 ふと、壁に書かれた文字が目に入った。
 『この人殺し』『早く死ね、糞野郎』『責任を取れ』……
 書き殴られた遠慮のない無数の言葉。汚物をぶつけられた跡。元々は白く滑らかだったであろう外壁は間接的な暴力で埋め尽くされていた。
 外は危険だからと警告された。だが急に通信機器が一斉に使えなくなって、さらになにやら外で発砲音のようなものが何度もした。だから外の状況だけでも確認しようと思ったのだが、それが間違いだった。
「ひゃっはあ!」
 声とともに殴打が後頭部にめり込む。
 少年、ミツルは石畳の地面に顔面から倒れこんだ。口の中に鉄のスプーンを舐めた時のような血の味が広がっていく。
 もう何度目か解らない。こんな誰とも知れない者からいきなりの暴行を受けることが。そもそも毎回同じ相手なのかも解らない。相手はいつも覆面やマスクで顔を覆っていたからだ。大抵は『正義』とか『世直し』とか、そういった言葉が入ったはちまきや腕章をしていた。
「おら、も一発だっ!」
 もちろん、いくらここがロンドン郊外といえど常に人気がないわけではない。騒ぎを聞きつけて駆けつけてくれる人もいるが、こちらを見たとたん帰っていってしまう。いや、それだけならまだ良い。孤児院の他の者の話によると嬉々として加勢してきた者までいると言う。
 助けを求めたが、警察は役に立たなかった。
『顔もわからないんでしょ? それじゃちょっとねぇ……』『現行犯でもない限りそういうことじゃ動けないよ』『君達にも何か原因があるんじゃないの?』
 所詮、地球の警察では木連の人間のために動いてはくれないのか。いや、違う。元々正義の味方なんていなかったのだ。彼らは弱者の守護者たる存在などではなく、賃金を受け取り厄介ごとを避けて通る勤め人の1人にしか過ぎなかったのだ。
「はーい、まだ起きてますかぁー?」
 仮面野郎がミツルの頭を踏みつけながらニヤニヤと問いかける。正義の味方と書かれた仮面を免罪符に悪意の暴力を彼は続ける。
「おいおい、次は俺の番だろ」
「ちげぇって。お前昨日もやってたろ?」
「いいじゃんいいじゃん。みんなで力をあわせて正義を執行しようよ」
「うはっ、かっこいい〜。げらげらげら!」
 勝手なことを言いながら倒れているミツルの背中とわき腹に蹴りが叩き込まれる。一瞬、息が止まり意識を失いそうになる。いっそ本当に気を失ってしまえば楽だろうと思うが、その間にどんなことを受けるかわからないことを思うとそれも出来ない。
 ミツルは頭の上の足を掴んでどけると黙って顔を上げる。
 その凄惨な表情に、仮面の男たちはかすかにひるんだ。
 だが次の瞬間、そのことを覆い隠すかのように彼を罵倒し始める。
「んだ、その顔はよ!?」
「思いあがんなよ! てめぇらがいなけりゃ戦争も起こんなかったんだろうがよ!」
 顔に唾をかけられる。
「おら、謝れよ! 『この度は木星蜥蜴が地球圏に憧れて侵略戦争を起こしてしまい真に申し訳ありませんでした』ってよぉ!」
 今度は背中を踏みつけられる。思わず苦鳴の声が漏れる。
 肺から漏れる空気の代わりに濃厚な悔しさや恨めしさが無理やり詰め込まれるようだ。
 せめて睨み返してやろうと顔を上げたところで、しかしそれは起こった。
 圧迫されていた足の感触が無くなり、ぐしゃりと言う音と共にカエルを潰したような悲鳴が頭上で起こる。
 顔を上げたミツルが見た光景は異様なものだった。
 吹っ飛んでいたのだ。自分を踏みつけていた仮面の男が。まるでワイヤーアクションで操られているかのように。それは誰かの放った蹴りによるものであった。場違いだが彼は人間が縦回転で吹っ飛ぶことをはじめて知った。
 そして―――
「大丈夫だった?」
「ウィーズ…おばちゃん……」
 彼を助けた女、ウィーズははわざわざ腰をかがめて視線の位置を近づけてから、彼を力づけるように笑った。
 ミツルがウィーズに手を借りながらよろよろと立ち上がると、彼女はわしゃわしゃとその頭をなでながら言った。
「よぅし。偉いぞ、ミツル。男の子はやっぱ強くなくっちゃね」
 そんな様を呆然と見ていた仮面の男たちであったが、我に返るとウィーズに食って掛かっていった。
「っだ、てめぇは!? 後から来て何勝手なこと―――」
 その台詞は最後まで続かなかった。振り向きざま放ったウィーズの裏拳が彼のあごに正確にぶち当たったからだ。
 見るからに細いウィーズの腕のどこにそんな力があるのか。折られた歯を飛び散らしながら吹っ飛ぶ仮面の男はそのまま意識を手放した。
「さて、よくもまぁ孤児院(うち)の子をこんなに痛めつけてくれたわねぇ」
 ウィーズはあえて平静な口調で残った2人の腕を無造作に掴む。掴まれた仮面の男たちはうろたえながら訴えた。
「あ、あんた明らかに木星蜥蜴じゃねぇよなあ。それなのに何でそいつを助けたりするんだよ?」
「そうだぜ。こ、こいつらのせいで俺たちの町はぐちゃぐちゃになっちまったんだ。あんただって恨みの1つや2つあるだろう?」
「恨みねぇ。ま、無いこた無いけど」
 ウィーズの言葉に安堵する2人。すかさず彼女に交渉を持ち込もうとするが……
「だ、だろう。だからここはあんたも見なかったことに―――」
 ぐしゃっと言う破砕音。
 仮面の男の言葉は腕の砕かれた音とそれによる絶叫にかき消される。
 痛みに転げまわる男たちの残った腕も律儀に砕いてからウィーズは言い放った。
「困った人を助けろってのが私の家訓でね、そこには生まれも育ちも関係ないのよ」
 一拍。獰猛な笑みを浮かべる。
「性懲りもなくまた来たら次は両膝を砕くわよ♪」
「ひ、ひぃぃいい!」
 仮面の男たちは動かなくなった両腕を庇うように走り去っていった。気を失ったものたちは完全に無視である。ウィーズはさて救急車を呼んでやるべきかどうか思案していたが、後遺症が残らない程度に手加減はしたのでそのまま放置することに決めた。振り向くとミツルが、むしろ殴られた男たちを気遣うようにおろおろとしている。ウィーズはやりすぎかな、と思いながらもわざとらしくガッツポーズをとってみたりした。
「お、おばちゃん。どうもありがとう」
 彼女の気遣いが伝わったのか、ぷ、と笑いながらミツルが言う。
「どういたしまして。と、言いたいところだけど駄目じゃない。勝手に外に出たら危ないって言ったでしょ?」
「う、うん。でも急に電話もテレビも動かなくなっちゃったし、おかしいと思ったんだ」
 ウィーズはその言葉に一瞬だけ目を細める。実は彼女も先ほどの発砲音は聞いていた。この特殊体質だ。どこにいても自分は常に誰かから狙われていると思っていた。そして自分の周りに何故かクリムゾンのSSがいることも知っていた。友人だったアクア・クリムゾン絡みであろうことは想像に難くないが、だからこそ彼女はある種の安心感も持っていた。しかし今回は何かが違う。またネルガルが来たのだろうか。そこまで考えたところで、彼女の思考は中断した。
「ま、間に合ったか」
 息を弾ませながら彼女の思考に割り込んでくる声。
 視線を向けると、1人の男を立っていた。ウィーズはそれを見て小さく舌打ちをする。
 ネルガルの社章の入った真っ赤な制服。すっきりした顔立ちながら意志の強そうな鋭い眉に男ながら腰まである長い黒髪……。
「……月臣。まさかアンタが、よりにもよってネルガルの人間としてくるとは思わなかったわ」
 ウィーズはミツルを隠すような位置取りで月臣の前に立つと、拳を上げて油断無く構えを取る。月臣はそんな彼女を見て慌てて両手をばたばたと振って交戦の意思のないことを示した。
「ま、待て、落ち着け。俺はお前と戦いに来たんじゃない」
「話術で油断を誘う。いつの間にかこすいやり口を覚えたじゃない」
「今は俺1人だ。周りに被害が及ばないように、近くに張っていた奴等も重火器は使わずに倒してきた。これが俺なりの誠意だ。それに、こんなところでやりあったりしたら……」
 一瞬、言いよどむ月臣。
「その子や周りに被害が及ぶかも知れんぞ」
 その言葉がいささか暴走気味のウィーズの熱気に水をかける。
 一拍。彼女は注意を月臣に向けたまま、ミツルを一瞥してからため息混じりに口を開いた。
「……本当にこすいやり口を覚えたわね。いいわ。立ち話もなんだから、中で話しましょう」
 言って、ウィーズはミツルの手を引いて孤児院の中に入っていった。









 その孤児院はどこから見てもみすぼらしい印象が先にたった。元々イギリスにあった廃屋を改造したとのことだが、耐火煉瓦(れんが)を積み上げただけの外壁は何の装飾もない分、100年先でも普通に残っていそうな雰囲気があった。
 2198年の休戦条約には木連から地球への移民の受け入れという項目がある。木連はその国土のすべてが自然も何もない無機質な大地であり、そこでは誰もが地球への嫌悪と羨望を入り混じらせていた。
 皆きっかけが欲しかっただけなのであろう。
 地球への移民には希望者が殺到した。誰もが自然豊かな地球に夢を抱いた。それこそゲキガンガーのように仲良くやれるはずだと思い込んでいた。
 だがそれは夢でしかなかった。
 今まで一方的に攻めていただけだから攻められる恐怖を味わったこともなければ、無人兵器に頼りきっているから自分たちの手で人間を殺したこともまた殺されたことも無かった彼らは、自分たちがどれほど地球圏から恨まれているかということを正しく理解していなかった。憩いの場を砕かれることも、長年住んでいた家を燃やされることも、そして大切な人を理不尽に殺されることも、彼らは知らなかった。故に職の斡旋も無ければ近隣住民からの助けも無い。連合軍や統合軍に編入された者、ネルガルやクリムゾンに吸収された者など一部の者を除いて没落する者が相次いだ。かろうじて国レベルでは出来る限り木連人の移民に便宜を図るという取り決めがなされており、この孤児院もそうした木連人救済政策の1つなのだ。
「ご苦労されているみたいですね」
 月臣は出された紅茶を一口飲んでから言った。
 先ほどの悶着から5分後、彼は孤児院の中の応接間に通された。今この場にいるのはウィーズ、月臣、それにここの院長の3人のみ。月臣は木連では英雄扱いされていたため、扉の向こうでここの子供たちが盗み聞きをしている気配があるが、とりあえずそれは放っておいた。
「ええ。悲しいことですが『戦い終わればみな兄弟』とは行きませんから」
 60歳半ばの女院長は悲しげに目を伏せる。
 ヨーロッパは蜥蜴戦争時の一大激戦区だった。
 世間の大半はまだ蜥蜴戦争の大惨事を忘れていない。首都ロンドンが壊滅的な打撃を受け、人口の3割近くを失ったあの悪夢の日々を。
 故に人々は当然のように木連人を憎む。この世の不幸はすべて彼らが悪いのだと言わんばかりに。
 だが大抵の場合、その憎悪をその身に受けるのは実際に攻撃をした、ないし指示した軍人ではない。
 戦争の停戦条約は既に結ばれており、勝敗は無いのだから賠償問題もない。だから本音はともかく建前では同じ人間同士協力し合おうという流れが各国政府間に出来てしまっているのだ。そのため非難できる大義名分も無く、またそんなことをすれば有無を言わさず逮捕されてしまう。
 だから……人々の憎悪は残った民間人に向けられる。
 はるか昔に地球圏が彼らにしたことはこの際問題ではない。
 木連人は敵である。誰はばかることなく憎悪を向けることが出来る敵である。
 何時の世も生まれる……生贄。
 よくある話と言ってしまえばそれまでだが、月臣は暗澹(あんたん)たる気持ちになる。
 精神的に弱い人々は生贄を求める。かつて自分たちがウィーズたち『穢れし者』達にしたように、問答無用で憎悪を向けても許される相手を、人々は求める。ただ罵声と嘲笑を――中には現実の暴力を――浴びせるために、人々は正義という免罪符の仮面をかぶる。
「やりきれませんな、まったく」
 月臣の言葉に院長はゆっくりと首を振る。
「これは時間が掛かる問題ですよ。だからこそ私はこの場所を守らなくてはなりません」
 静かに、けれどハッキリと院長は言った。
「山も、川も、森も、どこであろうと地球の人たちの手の入っていないところはありません。そもそも地球に来て地球の人と接点を持たないなんてことは出来ません。ならば彼らの力を借りて安息の地を作っていくしかありません。例えそれがどれほど微々たる物だとしても……」
「……何時かは分かり合えるかもしれない」
 院長はゆっくりと笑みを作って、大きく息を吸った。
「希望を胸にこの土地に来た私たちは見る間に離散しました。ある人は不毛の荒野へ。ある人は出生を偽り町の中に。ある人は寄る辺なき流浪の旅人になりました。でも救いはまだあります。私たち、木連人が再び集える場所。どこにいても帰ってこれる場所。それがここを含めた木連人施設なんです」
 ゆったりと言ってはいるが、それがどれほど困難なことかは、よく考えずとも分かる。
 沈黙が場を包もうとしたところで、院長は敢えて軽い調子で付け加えた。
「それにまったく希望がないというわけでもありません。少しですが力を貸してくれる地球の方もいますし、ウィーズさんのように親身になってくれる地元の人(・・・・)もいたのですから」
「地元? こいつは―――」
 訂正しようとした月臣のスネに密かな、しかし閃光のようなウィーズの蹴りがテーブルの下で炸裂した。
「―――うげっ!?」
 短く悲鳴をあげる月臣。
「おやどうしましたか?」
「い、いや。何でもないです」
 不思議そうに尋ねてくる院長に脂汗を流しながら月臣が応える。
 ウィーズは月臣の抗議の視線を涼しい顔を逆に睨み返してから院長に話しかけた。
「院長先生。すみませんが少し外していただけませんか。できればドアの向こうの子供たちと一緒に」
「いいですよ。それでは後は若い2人に任せるとしましょう」
「その台詞は使いどころが違いますって」
 なんともいえない顔をするウィーズに微笑みながら院長は応接間を出て行った。彼女が立ったところでどたばたと扉の向こうで音がしたので子供たちもいなくなったのだろう。院長の気配が十分に遠ざかったことを確認してから、月臣はウィーズに食って掛かった。
「ウィーズ……貴様――今のは洒落にならんぞ」
 呻く様に言う月臣。
「悪いわね。私が木連の人間ってことはここの人には秘密にしてるのよ」
 苦笑いしながらウィーズは答える。
「このナリの私が日系がほとんどの木連出身です、だなんて言ったら一発で『穢れし者』ってばれるでしょ。子供たちはともかく、院長先生との関係が悪くなったらここに居にくいのよ」
 子供たちの世代ではかなり薄れてはいるのだが、院長くらいの年代の人間にとっては『穢れし者』への忌避感はいまだ根強く残っている。出生を偽って群れに混じっているものは、ここにもいたのだ。そして目の前の彼女こそ、帰る場所が本当にどこにもないのだ。
 月臣はウィーズの目を見据えながら問いかけた。
「それは……この孤児院を守りたいからか」
「見てみぬ振りも出来ないしね」
 同類相憐れむというわけでもないだろうが、ウィーズは困ったような苦笑いを幾分深くする。
 一拍。彼女は紅茶を一口飲んでから仕切りなおした。
「で、何の用なの」
 ウィーズは単刀直入に切り出す。
 妙な小細工は一切なし。月臣も腹芸が出来る人間ではないので、彼が相手の場合はこうするのが一番話が早いと思ったのである。
「お前……『火星の後継者』と『ジャンパー狩り』という言葉を知っているか」
 ウィーズが首を振ったのを確認して、月臣は話を続ける。
「『火星の後継者』というのは、現在の政治体制に不満を抱く者たちが行方不明中の元木連の指導者的存在だった草壁春樹を中心として組織したテロリスト集団だ。奴等はボソンジャンプ技術の独占と、それを用いての世界的なクーデターを画策しているらしい」
「そのクーデターが成功すればもう少し木連人にとって住みやすい世界が出来るってこと?」
 ウィーズの合いの手に月臣はフンと鼻を鳴らす。
「立場が逆になるだけで、今度は地球人が虐げられるだけだろうがな。ボソンジャンプ技術の確立のために奴等はお前みたいに機械制御なしでボソンジャンプできるA級ジャンパーを手当たり次第に捕まえては人体実験をしてたんだよ。お前たち『穢れし者』を人体実験して俺たち優人部隊を作ったときのようにな」
「それが『ジャンパー狩り』……」
「そうだ。そしてネルガルはお前が火星の後継者に拉致されることを危惧している。……お前のボソンジャンプの力を危険視してな。だからしばらくの間、お前をネルガルの施設に保護させてもらう」
「断ったら、孤児院のみんなを人質に取るの?」
 ウィーズの言葉に月臣は一瞬、言葉に詰まる。
 彼は自分はウィーズに恨まれていて当然だろうと考えていた。
 『穢れし者』が実際にはどんな悪事を行っていたのか。
 そんなことは考えもせずに月臣は彼らを悪人だと思い込み先ほどの孤児院の少年がされていたことと似たようなことをウィーズにも行ってきたからだ。
 そこに是非はなかった。
 『穢れし者は恨まれて当然』という絶対的な前提のもとに、それは行われてきた。
 別に自分や周りの人間が何かされたというわけではない。
 ただ彼らは悪人で、私刑(リンチ)を行っても社会はそれを是とするように機能していた。だから思い切り迫害した。
 ……冷静に考えてみれば異常としか言いようがないことが当時は当然のように思えていた。
 月臣は搾り出すようにウィーズの問いに答える。
「……民間人には極力被害を与えん。今日も本当なら周りにいた障害は虫型戦闘機で鎮圧することになっていた。しかし予定を変更して俺一人ですべて鎮圧した。ネルガルとしての方針もそうだ。手段を選ばない火星の後継者と違い出来うる限り穏便な手段でクーデターを抑えようとしているのだ。……お前が木連や月での一件で俺を恨んでいる事は分かっている。だがそれとは別に―――」
「―――勘違いしないで」
 ウィーズの言葉が月臣のそれを止める。
「木連でのことを私は恨んではいない。月でのことだって、あの時のアンタは軍人で任務を帯びていた。戦争が終わったんだから、恨みっこなしにするしかないわ」
 本音はともかく、建前をそう言えるくらいには、怒りも悲しみも風化した。
 一拍。ウィーズは月臣を見据える。
「私が言っているのはアンタじゃなくって、火星の後継者ってのと同じくらいネルガルも胡散臭いってことよ」
「それは―――」
 唐突に―――
「―――!?」
 全身に鳥肌が立った。
 今の状況を全て脳裏から吹き飛ばしてしまうかのような圧倒的な危機感。
 ほとんど本能的な反応でウィーズは月臣を突き飛ばし、自身も彼とは反対方向に飛んだ。
 月臣は椅子に座ったまま背中から地面に落下してしまったが、その痛みの分の甲斐はあったと言えるだろう。
 ウィーズと月臣、2人のいた場所に、轟音を伴い壁を砕き散らしながら―――釘のように太い短刀が何本も突っ込んできた。
 外からだ。孤児院の外から、生身なのか何らかの器具を使ってかは分からないが、短刀を投げ込んだのだ。
 短刀はそのまま部屋の中を突っきり、反対側の壁に突き刺さってやっと止まった。
 彼女の反応があと一瞬遅かったら、月臣と共にそれは致命的な一撃となっていたことだろう。
「――っこのやり口、まさか奴か!?」
 自分の目の前に刺さった短刀を見て忌々しげに声をあげる月臣。
「誰だか知んないけど外の奴はかなりヤバイよ!」
 呻くようにウィーズは叫ぶ。彼女は月臣よりも一瞬早く、外の敵の存在を確認していた。
 押しつぶされるようなこの殺気。
 これに気づくのが一瞬でも遅れていたかと思うとぞっとする。
 圧倒的な殺意が発生させる場を覆わんばかりのこの狂気と圧迫感―――!
「くっ、増援にしては早すぎるっ!!」
 月臣の叫びに応えたのは壁の崩れ去る音だった。
 風穴の開いた壁の向こうから、今度は確実に生身の人間の斬撃により、煉瓦と木材と漆喰からなる分厚い壁を、まるで芝居の書き割り(セット)のように、いともあっさりと破壊してその場になだれ込んできたのは、陣笠をかぶった七人の男たちだった。
「北辰……やはり貴様か」
「く……くく……、久しいな。月臣元一朗」
 鋼鉄がきしむような、爬虫類が舐め回すような、陰気で掠れた声。
 悠然と陣笠たちが腰の刀を抜くのを眺めながら、月臣は応じる。
「あの木連事変の夜以来か」
 自然と……自分の表情が獰猛に歪んでゆくのが分かった。
「お前がいなければあの時、草壁に止めを刺せていた。火星の後継者などという茶番に付き合うこともなかった」
 言いながら、月臣は彼我の戦力を確認する。
 自分の記憶に間違いがなければ―――北辰の左右に構えているのは彼を入れて北辰六人衆と呼ばれる北辰子飼いの暗殺部隊のメンバーである。それぞれがNSS最上位クラスの白兵能力、暗殺能力を有する精兵だ。対するこちらはウィーズを入れても2人だけ。さらに装備もロクに無い。いざとなればウィーズのボソンジャンプで逃げることも出来るが、それをすれば見せしめ代わりにこの孤児院の者がどうなるか分かったものではない。とりあえずは付近に待機しているラピスに緊急事態信号(エマージェンシー)を送っているがどれくらい掛かるか。状況にうまく応じなければ勝ち目は無い。
「貴様もこの女が目当てか?」
 頭の中で相手の反応を予想しながらもっとも適切な行動がどれか思案する。
 救援が来る前に相手がやる気になってしまってはヤバイ。
 何とかして時間を稼ぐのが上策か?
「そうだ。今までは出資者(パトロン)の意向で手が出せなかったがな。貴様らに取られるくらいなら別に構わんだろう」
「ご機嫌伺いか? 安く見られたな」
「そうでもない」
 月臣は陣笠の奥で北辰の口端がにたりと持ち上がったのを見た気がした。
「……どうした、月臣元一朗………」
 囁く様な口調で、しかしたっぷりと狂気と凶気のこもった声で北辰が言う。
「何故、問答無用で攻めてこない? ……先ほどの動きは仲間への増援要請か? 何故その時空歪曲場発生装置の力場をぶつけにこない……? いや、貴様が相打ち覚悟なら素手でも我を道連れに出来るかも知れんぞ……?」
「…………」
 北辰の挑発にも月臣は動かない。
「そうか……貴様……やはりそうなのか―――」
 北辰は左手の刀を月臣に投擲する。月臣は小型ディストーション・フィールドでそれを弾くがそれだけだった。
 それを見た瞬間、北辰の語気が決定的に荒くなる。
「何だそれは……何だそれは。何だそれは! 何だそれは!! 貴様、ネルガルの狗に成り果てたと聞いたがまさかここまでとはなっ!?」
 蜥蜴戦争末期の――英雄と呼ばれた頃の月臣なら、今の刀を手放すという絶好の勝機に身構えるだけ等という選択はまず採らなかったはずだ。自分がどうなろうと確実に相手も消す。そういう方法を採っていた。その結果、自分が死ぬことになろうが、それはそれで構わない。それが、敵味方問わず震撼させた月臣の戦い方だった。
 見敵必殺。今でこそ立場は違うが、ただの1人も許さずに木連の敵を屠り続けた月臣と北辰は、ひどくシンプルで分かりやすい正義を共有していた。
 だからこそ北辰にはそれが我慢ならなかった。
 ただ目の前の相手を殺す。日本刀のようにただ殺傷機能のみを追及して磨きぬかれた月臣が、ぬるま湯のような環境の中でなまくらとなってしまうことを!
「目の前の敵を放置して何が優人部隊か!? 何が月臣元一朗か!? 恥を知れ、飼い犬が! ―――烈風っ!!」
「―――っしぃぃぃぃぃああああ!!」
 号令一線。
 北辰六人衆の一人が刺突の構えで突進してくる。
「く――!」
 小型ディストーション・フィールド発生。月臣は向かってくる陣笠男に力場をぶつけようとするが―――遅い!
 沈み込むように月臣の一撃を避けるとすれ違いざまにその手首を切り抜ける。
 手首を捻りかろうじて動脈を守ったが、決して浅くない一撃に血の朱が宙に舞う。
 陣笠男は体勢を整えると再度月臣に向かおうとして―――
「無視すんなぁっ!」
 ウィーズの前蹴りが陣笠男のみぞおちに直撃した。
 彼は胃液を撒き散らしながら後ろに吹っ飛ぶ。
 もちろん忘れたわけでも無視したわけでもない。ウィーズの蹴りが想像を遥かに超えて素早かったため対応できなかったのだ。陣笠男はびくびくと痙攣する腹部を抑えながら仲間の元に戻る。
 北辰たちは入ってきた穴から外に出るとウィーズたちを手招きする。おそらく屋内では思うように刀を振るうことができないと思ったからであろうが、施設を傷つけられては困るのはウィーズたちだ。誘われるままに彼女たちも外に出る。
「何やられてんのよ。昔いたいけな私の腹を力いっぱい打ち抜いた時の強さはどうしたのよ」
「誰がいたいけだ、誰が。今のは油断しただけだ」
 悪態をつきながら出てくる月臣たち。北辰への注意は一瞬たりとも離さずにウィーズが言う。
「にしても何なのよ、奴等は。ビジュアル的には完全に雑魚キャラなんじゃないの?」
「たわけ。あいつらはそれぞれがNSS最上位クラスの動きをする。囲まれたら俺でもなぶり殺しだ」
「洒落になんないわね。打開策は無いの?」
 苦笑混じりのウィーズの言葉に月臣はしばし考えてから応える。
「さっき命令を出した奴、あれが奴等の頭である北辰という男だ。奴を倒すとまでいかなくとも……、ある程度打撃を与えれば恐らく奴らは退くだろう。<火星の後継者>の武力蜂起が近い今、ここで無理をすることは出来んはずだ」
「要は親玉を倒せばいいってわけね」
「ああ。それが一番難しいがな」
「…………」
 それきり沈黙してしまう2人。
「話は決まったか?」
 この声は北辰のものだ。わざわざ月臣たちの話がひと段落つくのを待っていたのだ。その余裕の表情を睨み付けながらウィーズが口を開いた。
「……私に任せて。月臣は他のやつらをお願い」
「なっ、おい!」
 話はそれで終わりとばかりに月臣の制止も聞かず走り出すウィーズ。やむを得ず月臣も彼女に任せる。
「くくくく……、1人で来るか」
 無謀ともいえる彼女の行動に、しかし北辰は口角を高く持ち上げて応える。
「いいだろう、お前らは下がっていろ。あの女は我がやる」
 言って、部下から刀を一振り受け取るとウィーズに真正面から対峙した。
 北辰の刀とウィーズの格闘術が乱舞する。
 ウィーズは己の信念のため、北辰は彼女を捕獲するため、ありとあらゆる武器が揃うこの世界に時代錯誤とも言うべきこの戦い。
 しかし―――
「せぁあっ!」
 北辰の刀がウィーズの顔先をかすめる。
 暴威。そう評すしかないこの攻撃。
 迫り来る一刀一刀に怨念にも似た凄みが込められている。
 コンマ一秒一秒にウィーズ・ヴァレンタインという存在の全てを注ぎ込まねば、瞬きの間にすべてが終わってしまう。
 否、それだけしてもまだ、まるで足りない。
 ウィーズは自慢の足を使う間も無く、ただ目の前の攻撃をよけることに専念させられている。
「どうした?」
 殺意がそのまま漏れ出た吐息のような声で、北辰は楽しげに問いかけた。
「どうした、そんなものではないだろう? 我が投げた刀を拾いにいくか? 相打ち覚悟で仕掛けに来るか? 得意の次元跳躍はどうした? それともまだ他に奥の手があるのか?」
 一言ごとに勢いを増す刀めがけてウィーズの前蹴りが飛び込んだ。
 北辰の刃とウィーズの踵との間に火花が起きる。
 彼女の靴は金属を仕込んだ特別製のブーツだ。根元付近にタイミングを合わせて当てれば斬られはしない。
 鍔迫り合いよろしく金属同士の擦れる音が鼓膜を圧する。
 次の瞬間、力任せに吹っ飛ばされながらもウィーズは全身で襲い来る殺意の塊を感じ取った。
 体が頭で考えるよりも早く動いた。
 脊髄反射のようなこの動き。
 ウィーズは北辰の剣戟を薄皮一枚斬られながらも前方に飛び込むようにかわすと、勢いをそのままに北辰の腰に抱きつくよう接触する。
「ジャンプ・ゼロ!!」
 ウィーズの体が瞬間的に黄金色に発光した。
 ほぼ同時に北辰もろともその姿が掻き消えた。
 己が目を疑うようなこの現象。
 発動までのタイム・ラグを限りなくゼロに近づけたウィーズのジャンプ・ゼロだ。
 月臣は素早く回りを確認するが、北辰とウィーズは見当たらない。
「ウィーズ!!」
「はいさー」
 堪らず叫んだ月臣の声に間の抜けた声が応える。
 弾かれるように声の方向を見ると、なんと遥か上空に2人はジャンプアウトしていた。
 高さにしておよそ10メートル前後。そのまま落ちたらまずただでは済むまい。
 一瞬の浮遊感。
 物理法則を捻じ曲げ上空に移動した2人を、思い出したかのように重力が掴み引きずり落とそうとする。
「ちっ、まさか本当に相打ち覚悟で来るとは」
「大丈夫。足から落ちれば死ぬことはないわよ」
 僅かに眉を持ち上げる北辰にウィーズが離れながら安心させるように言う。
 しかし次の瞬間、にやりと笑いながらこう付け足した。
「もっとも私は逃げるけどね。落ちるなら1人で落ちて」
「なにっ!」
 そしてそのまま再度ジャンプ・ゼロ。北辰が掴みかかる間も無くウィーズは1人だけ地上に戻っていた。
「―――隊長っ!!」
 思わず叫ぶ北辰六人衆。
 だが彼らに出来ることなど何もない。
 この高さでは受ける方も落ちる方も共に一発で戦闘不能だ。
 動けなくなればそのときは待ってましたとばかりに月臣が止めを刺しに来る。どうすればいい。
 彼らの思考が堂々巡りに入ろうとしたところで、しかし北辰は高笑いをしながら右手を高く天空へと突き出す。
 同時に彼の周りの空間が歪んだような膜を帯びる。
「馬鹿な、あれはっ!」
「くかかか、はーはっはっはっ!!」
 月臣の叫びを掻き消すような北辰の笑い声。
 さらに巨人がしこを踏んだような地鳴りと砂塵が巻き起こり、ようやくそれが消えて視界が確保できたときには、北辰は何事もなかったかのように両足で地面に立っていた。
「小型ディストーション・フィールド発生装置だと?」
「何を驚く? 木連事変からもう3年だ。この程度の装備、出来ないほうがおかしい」
 驚愕する月臣にニタリと笑いながら応える北辰。
 彼は月臣の言うとおり、自分の周りに出来た力場を落下直前の地面に叩きつけて落下エネルギーを相殺させたのだ。
「くかかか。今のはなかなか良い手だったぞ」
 唖然としているウィーズに北辰が言う。
「しかし甘いな。もう500メートルも上に跳躍していれば如何に力場を持っていようと抗うことなど出来なかったろうに……くくくく、『穢れし者』とは本当に愚かな人種よ」
「……降りかかる火の粉は払えば済む事よ。誰であろうと人殺しはしないって決めてるの。当たり前のことだし、家訓でもあるしね」
「家訓? くくかか、戯言を」
 ウィーズの言葉にびくんびくんと痙攣したように北辰は笑う。
「100年掛けて、一族すべて死に絶えて。今も昔もそんなにまでしたところでお前らに感謝するものがどれほどいた?」
 迷惑をかけないのが当たり前。仮にかけたら疫病神扱い。
 木連ではウィーズたちがどのような社会的意義を持っていたか理解しているものは極わずかであり、さらに理解したところで彼女たちに感謝の念を抱くものなどさらに極々わずかであった。
 報われることのない不毛な行為。
 言ってしまえばそういうことだが、ウィーズは淡々とそれに応える。
「周りの評価なんてどうでもいいわ。ただ私は死んだ仲間に顔向けできないような生き方をしたくないだけよ」
「つまらん意地だな」
「ええ、つまらない意地よ」
 真正面から北辰を見据えるウィーズ。
 その顔がふと緩んだように見えたのは、彼女の気のせいだったか。
 それには気を留めずに彼女は続ける。
「おあつらえ向きにこんな力もあるしね」
 言って、ポケットの中に格納されていた青い宝石を取り出した。
 C.C。正式名称はチューリップクリスタル。ボソンジャンプを行う上で燃料とも言うべき物体。
 ついで彼女の全身が淡い発光を始め、程なくそのえもいわれぬ玉虫色の光が黄金色に収束する。
 複雑な幾何学模様が体中を走り出す。
 それらが明滅する様はまるで模様が鼓動し、呼吸しているようにも見えた。
 それはボソンジャンプの演算回路がウィーズにより過剰稼動(オーバー・ドライヴ)させられているために見えるものである。
 基本的にボソンジャンプはその発動までに起動・照準・発動という3ステップを踏まなくてはいけないことに加え、効果の発動段階で数秒のタイムラグがあるが、彼女ほど適正が高いものならその時間を極力ゼロに近づけることが出来る。
 先ほど北辰とジャンプしたときと同じくこんな予備動作を取る必要はない。
 つまりこんな大掛かりなことをするということは―――
「――――ちぃ!」
 危険を察した北辰はいち早くウィーズから距離をとろうとする。
 ほぼ同時にウィーズも声を限りに叫んだ。
「ジャンプ・ゼロ―――先行入力(プリシード)!」
 言い終わるが早いか、ウィーズは北辰の前上方2メートル(・・・・・・・・)の位置に出現。
 そのまま北辰の頭に打ち下ろしのローキック(・・・・・・・・・・・・・・・)を叩き込む。
「ぬぅっ!」
 北辰はその蹴りをかろうじて腕で防御すると返す刀で横なぎに彼女の足を切断しに掛かる。
 が、そのすべてが遅すぎた。
 北辰が刀を薙ぐよりも早くウィーズは彼の背後に出現。
 その無防備な横腹に渾身の回し蹴りを叩き込む。
「―――っ!」
 今度は防御も間に合わなかった。
 ボソンジャンプを軸に体ごと移動する圧倒的なまでの初動の差。
 北辰が振り向いたときには、ウィーズは既に彼の間合いの外に移動していた。
 ジャンプ・ゼロ『先行入力(プリシード)』。
 ボソンジャンプの応用技の1つ。ボソンジャンプは発動までに起動・照準・発動の3ステップを踏まなくてはいけない。それはどうしようもない大前提だ。だがその一瞬の遅れがジャンパーにとって致命的な隙を作る。さらに人間の挙動と違いいったん照準が定まってしまったジャンプはキャンセルする以外にそのジャンプアウトの場所をずらすことは出来ない。この空間差と攻撃の決定からそれを実行に移すまでの時間差、2つの誤差がボソンジャンプが接近戦では扱い難いとされる理由である。
 故にボソンジャンプという存在がこの世に認知されてから、その誤差を可能な限り縮小する試みが幾度となく繰り返されてきた。
 ジャンプゼロ・プリシードはその回答の1つであると言える。
 あらかじめ起動・照準を済ませておいたボソンジャンプを発動直前の状態で意識下に凍結させる。いざそのジャンプが必要となった場合にはあらかじめ登録しておいた『ジャンプゼロ・プリシード』という言葉を引き金にして仮想意識を展開。その中でジャンプを連鎖的かつ高速で起動させることが出来る。
 ウィーズの場合は北辰の動きを事前に予測して彼の前上方に跳ぶイメージと背後に跳ぶイメージを同時に意識下に先行入力していたのだ。
 もちろん、これは正当な起動方法ではないため、その無茶を通せるだけの器――正確には本来のジャンプイメージと意識下に凍結させているジャンプイメージ、さらにはそれを区分する仮想意識という最低3種類のイメージを同時に保持しうるだけの意識容量が必要となる。ウィーズはその特殊な生い立ちゆえボソンジャンプに対する出鱈目な適正と意識容量を誇っているが、これが足りない人間が行うと、ランダムジャンプを起こす可能性もある危険な技法でもあるのだ。
「そんな使い方があったとはな」
 刀を構えなおしながら北辰は言う。
「その力、やはり野放しには出来んな」
「出来れば放っておいてくれないかしら。別にアンタ達の邪魔をする気なんて私には無いんだし」
 うんざりしながら言うウィーズ。
「貴様の考えなどはどうでもいい。我と来い、ウィーズ。来なければこの孤児院の者を皆殺しにする」
「なっ!?」
「正気か、北辰!」
「当たり前だ。殺してしまえばその穢れし者の価値は半減する。人質が有効なら使う。それだけだ」
 非人道的な手を当然のごとく淡々と言う北辰。
 彼はウィーズを見ながらにたりと笑って続ける。
「貴様のような者は過去やしがらみに捕らわれる。貴様の一族が命を賭けて守ろうとした木連人も今はお前の足手まといにしかならぬ。つくづく無駄なことをする人種だな(・・・・・・・・・・・・・・・・)
 北辰の言葉にウィーズの表情が消えた。
「……取り消しなさい」
 ぼそりと呟くような、ウィーズの怒りの声。
 しかし北辰はそれを聞きながらさらに煽るように挑発する。
「なんだ。言いたいことがあるならはっきりと言ったらどうだ?」
「取り消せって言ってんのよ!」
 ウィーズは声の限り、感情の限りの言葉を叩き付けた。
 驚いたことに、切羽詰った―――まるで既にこの世にいない一族を否定されることが自分自身の存在意義を否定することだとでも言うような、狂おしい否定だった。
「私たちがやってきたことは決して無駄なことなんかじゃないっ。地獄の釜のような木連で私たちが叫んだ理想は決して顔を伏せるようなものじゃなかった!」
 月臣は息を呑んだ。それはウィーズが初めて見せる、殺意にも似た表情だった。
 北辰はしかし意に介さずに部下たちに命令を下す。
「行け。何人かは殺しても構わん」
「北辰ッ!!」
 ウィーズの叫びも空しく陣笠男たちは6人それぞれが散開してこの場を離れようとする。
 が、そのうちの2人の動きが不意に止まる。
 月臣が自身の持つディストーションフィールド発生装置を出力を落とす代わりに範囲を広げて網のように使用したのだ。
 いきなり目の前に力場が発生したことに僅かに戸惑う2人の陣笠男。
 それは油断というあまりにささやかなものであったが、月臣にとってはそれが十分な隙となった。
 月臣は電光石火で間合いを詰めると手近な陣笠男の顔に全体重をかけた渾身の掌底を見舞ってやる。
 ぐしゃりと言う顎が砕ける音とともに吹っ飛ぶ陣笠男を尻目に2人目を片付けんと月臣はさらに間合いを詰める。
 逃げるのが無理だと悟ると今度は陣笠男の方から向かってきた。
 左右にフェイントを交えた変則的な歩法で接近すると先程のように必殺の刺突を繰り出してきた。
 しかし油断していないのは月臣も同じであった。
 半身になるように突きをいなすと柄を握る陣笠男の左手を掴み、合気道の要領で思いっきりぶん投げた。
 受身など取れるはずも無い完璧なタイミング。
 後頭部から落下した陣笠男はそれきり動かなくなった。それで、終わりだ。
 月臣が顔を上げるとウィーズが散開する陣笠男1人の背後にボソンアウトしているのが見えた。
 一瞬ジャンプアウトの傾向が見えたかと思った次の瞬間、彼女は陣笠男の首筋に情け容赦ない一撃を叩き込んでいた。
 さらに視線を動かし次の標的を定める。ジャンプ・ゼロがある以上ウィーズの視界全てが彼女の攻撃の間合いである。
 ウィーズはさらにもう1人の陣笠男の死角にジャンプアウトすると、その脇腹を思い切り蹴りぬいた。
 全弾渾身の、しかも絶妙の位置に予期せぬ角度からの攻撃と来れば非力な彼女でも精兵である陣笠男たちを倒すことが出来るという算段だ。
 残り2人。一気に倒してしまおうと顔を上げるウィーズの顔めがけて北辰が刀を投擲する。
 倒れている部下の刀も次々と投げ込んでくる攻撃をウィーズは脇に頭から飛び込んでよける。
 寸での所で刀をかわすが彼女が攻撃を受けてから体勢を立て直すまでおよそ3〜4秒。
 僅かだが、その僅かな時間稼ぎにより辛うじて見えていた残りの陣笠男たちの姿が見えなくなってしまった。逃げられてしまった。
 悔しげにうなるウィーズに北辰が声を掛ける。
「理解したか? これが貴様の不殺という信念の成れの果てだ。貴様が我を殺せる機会をみすみす見逃したため……子供たちは死ぬ。自己満足のエセ正義なんぞでどうして人が護れる。
 ―――まさに無駄なことに力を注ぐ貴様ら一族らしいではないか!?」
 ウィーズを覆っていたボソンの光が強さを増す。
 ボソンジャンプの原動力となるものはジャンパーの跳ぼうとする意思。
 故にジャンパーのテンションはボソンジャンプの精度に直結する。
 ウィーズは怒りのままにC.C.を握り締め可能な限りのジャンプイメージを脳内に形成した。
「許さない。私が誰も守れない、私達のしてきたことが全部無駄ですって……!?」
「落ち着け、ウィーズ!」
「五月蝿いっ!! ―――ジャンプ・ゼロ『先行入力(プリシード)』ォ!!」
 月臣の言葉を振り切ってウィーズが跳ぶ。
 まずは北辰の左に。次の瞬間には右に。さらに後方に飛んだかと思えば瞬きの間に頭上に現れる。
 ボソンジャンプを駆使した全方位フェイント。
 その様はまさに筆舌にし難く、遠目から見る月臣の目にすら残像らしきものが一瞬浮かぶだけである。
 北辰もその中で動くに動けず刀を構えたまま静止している。
 ウィーズはジャンプフェイント中に気絶している陣笠男の刀を奪うと一気に仕掛けた。
 北辰の前方1メートル。いきなり眼前にジャンプアウトするとそのまま喉元へ突きを放つ。
 北辰はわずかに首を傾げることにより紙一重で彼女の刃をかわす。
 しかし反撃に出ようと思ったのも束の間。ウィーズはまたジャンプゼロで消えうせ今度は彼の背後に出現した。
 先ほどの突きまでが全てフェイント。これが本命。
 わずかなれど体勢を崩した北辰の後頭部に向かって斬りかかろうとして―――
 鈍い打撃音。
 完全に決まったと思われた彼女の一撃は、腰の鞘頭を押し下げシーソーよろしく跳ね上げられた鞘尻によって失敗に終わった。
 ウィーズの腹部に北辰の鞘尻がめり込む。
 動きが止まったのは本当に微かな時間だが、それを見逃す北辰ではない。
 振り向きざま彼女の胸倉を掴むと、そのまま力任せに地面に叩き付けた。
「―――がっ」
 呼吸が止まる。その無防備な腹部に今度は北辰の踵がめり込んだ。
 どれほどフェイントを織り交ぜたところで自制の効かない殺気と目線で北辰には狙いが容易に予測できた。
 初手を読まれた時点でウィーズの負けは決まっていたのである。
 いくら速かろうと攻撃に移るその一瞬を見逃す北辰ではない。
 北辰は手に持つ刀を振り上げると忌々しそうに呟いた。
「面妖な技1つで調子に乗ったか? 我に勝てるとでも思ったか? あげく斬りかかる瞬間、僅かに躊躇いおって。たわけが。一度死ぬか?」
「よせ、北辰!」
 月臣の制止の声も空しく北辰は刀を振り下ろして―――
「はい、そこまでです」
 その声に反応したのか、刀はウィーズを避け、彼女の首を僅かに掠めるような位置に突き刺さる。
 振り向くとそこにはプロスペクターとゴートの姿があった。
 彼らの足元には先ほど孤児院に向かった陣笠男たちの姿がある。特に返り血もないことからまだ事後にはなっていないことに月臣はほっとするが、次の瞬間、喰って掛かっていった。
「プロス殿、何故ここに……。いや、それよりも何故テンカワが来ないのですっ」
「いやはや、北辰さんが出張ってきたと分かるや否やテンカワさんが興奮してしまいましてね。そこのウィーズさんどころか孤児院も周辺家屋も何もかもを犠牲にして戦闘行動をしようというのが見え見えでしたので、代わりに私たちがおっとり刀で駆けつけたと。そういうことです」
 月臣の言葉に困ったように頬を掻きながらプロスは応えた。
「貴様ら2人増えたところで何が出来る」
「人員は確かに2人ですが、問題はありませんよ。―――ラピスさん」
 プロスが虚空に呼びかけると、それに反応するように小型虫型機動兵器、通称『コバッタ』がそこかしこから現れた。その数30は下るまい。路地を曲がって、壁に張り付きながら、屋根の上から、全方位からわさわさと現れた虫型兵器たちは、その無機質なアイ・カメラで北辰たちを凝視していた。
「如何にディストーションフィールドがあろうと、これだけのコバッタから放たれるミサイルには耐え切れないでしょう。どうでしょう、北辰さん。1つ、取引を致しませんか?」
 銃口を突きつけながら口はばかることなく取引というプロスを苦々しく睨み付けながら、しかし北辰は無言で先を促した。
「なに、簡単なことですよ。これ以上の交戦をやめて、この場から撤退していただきたいだけです。もちろん、そこで倒れているウィーズさんにも手を出さないで」
「獲物を目の前にして、我がそんな戯言に耳を貸すと思うか?」
「思いますよ。活動の規模と活発化から見て火星の後継者の武装蜂起はもはや秒読み段階のはず。与えられる任務はいくらでもあると思います。いくらA級とはいえ、何処の組織にも属していない野良ジャンパーのために使えるほどあなたの命は安くはないでしょう?」
 にこり、と商売人の笑顔を作ってプロスは言う。
「………ふん」
 逡巡は一瞬だった。
 北辰は忌々しそうにはき捨てると、ウィーズの首元に刺さっていた刀を抜いて鞘に収める。
 契約成立の合図である。
 プロスが合図すると、コバッタ達が倒れている陣笠男を掴みずるずると北辰の前まで連れて行った。代わりに動けなくなったウィーズを同じようにプロスの前まで引きずってくる。
「………跳躍」
 陣笠男たちの息があることを確認すると、北辰は躊躇なくボソンジャンプフィールドを展開させた。えもいわれぬ玉虫色の光が彼らを包み込む。
「この屈辱。忘れぬぞ」
 粘着感のある殺意とでも言えばいいのか。北辰がプロスを睨み付けながらそう呪詛を吐いたかと思うと、次の瞬間にはもう居なくなっていた。
 ボソンジャンプ。
 この力のためにどれほどの血が流されたことか。
「ありがとう、と言って良いのかしら?」
 倒れていたウィーズがよろよろと起き上がりながらプロスに言ってきた。
 プロスはそれに対して先ほど北辰に向けたような商売人の笑顔で応える。
「いえいえ。私どもとしても自分たちの利益のためにやっていることですから。どうかお気になさらずに」
「助けてもらっておいて悪いんだけど、私はここを出る気は無いわよ」
「それはちょっと難しいと思いますよ」
 ウィーズの言葉に、プロスは何とも言えない笑みを作る。
 意味が分からずにウィーズは首を傾げていたが、その疑問は次の瞬間に融解した。
「院長……先…生―――」
 先ほどまでどこかに隠れて見ていたのであろう。院長が信じられないものを見るような視線をウィーズに向けていた。
 息が止まった。血が逆流して目の前が真っ白に壊れた気がした。耳鳴りが不意に起きて何も考えられなくなった。
 だがそれでも、彼女は全てを理解してしまった。
「ウィーズさん。あなたは……」
 言いながら視線を逸らす院長を見つめ、ウィーズはふと表情を緩めた。
 それは諦めと同義の、全てを受け入れる掠れた笑顔。
「……分かっちゃいましたか」
 あれだけ派手にやりあったのだ。見に来ないほうがおかしい。そして少し聡い者ならそのやり取りから彼女の素性は憶測がついてしまう。あらかじめ避難させておいてくれたのだろう。子供たちの姿がないことがせめてもの救いだった。
「ごめんなさい。あなたを騙すつもりはありませんでした。ですがここにはもう居られません。すぐに出て行きます」
「私は……」
「いいですから」
 何かを言おうとした院長を制すと、ウィーズは短く微笑んだ。
「ありがとうございました。ここに居る間は本当に楽しかったです。これからもどうかお元気で……」
 そう言って彼女は院長に背を向けると、離れて事の顛末を待っていたプロスたちの元へと向かっていった。
 おそらく、ウィーズが残りたいと言えば院長は彼女を快く迎え入れてくれたであろう。
 しかし全てが元通りとはいかない。いく訳がない。木連人のための憩いの場所に彼女のような異物が居るわけには行かないのだ。院長の不利益になるようなことをするなど、まったく本意ではない。
「この孤児院にはネルガルから金銭的な支援と護衛のためのSSを配置します。ですので後のことはご心配なく」
「…………」
 プロスの言葉に無言で頷くと、ウィーズは背中に院長の視線を感じながら、自身の荷物をまとめるべく孤児院の中へ入っていった。対価を受け取った以上、彼女はネルガルに身を寄せなければならない。
 彼女の気配が十分に遠ざかったことを確認すると、プロスは今度は月臣に向かって労いの言葉を掛けた。
「月臣さんもお疲れ様でした。なかなかタフな任務でしたが、流石ですね」
「俺は何もやっていません。北辰を撃退することも、あいつを説得することも」
 月臣は忸怩たる思いで答える。事実、彼は今回の任務では孤児院の周りにいるクリムゾンSSたちを排除する露払い的役割しか果たせていない。
 プロスはそんな月臣に対して
「では追加の任務をお願いいたしましょうか」
 とポケットから出したものを手渡した。見ればカードタイプの鍵だった。
「……これは?」
「今晩ウィーズさんに泊まってもらおうと思っているセーフハウスの合鍵です」
 月臣は食い入るようにプロスを見る。
 プロスは決して下世話なものではなく、むしろ優しげな顔つきで応えてウィーズが消えていった孤児院の方を見やる。
「人が人に信用してもらうには、やはり根気強く話していくしかありません」
 淡々と言う。だが、もう一度こちらを振り向いたときには、またいつもの商売人の笑顔を浮かべていた。
「あれだけの激戦だったのです。疲れが顕在化する頃に様子を見に行けば、案外素直に会話をしてくれるかもしれませんよ」











「……ここか」
 月臣がとある扉の前で呟いた。
 彼が居るのはネルガルがウィーズのために用意した部屋で、元々はネルガルSSのセーフハウスの1つであったものだ。普通のマンションの1フロアを貸しきり簡単な防諜設備を付属させている。
 その一番奥の部屋のチャイムを鳴らす。しばらくしてからもう一度。
 反応は……なかった。
(もう寝てしまっているのか?)
 プロスから渡されたカードキーを取り出す。情けない顔つきで月臣はそれを見つめた。
 電気のメーターが回っていることから逃げ出したということはないだろうが、流石に無断で女性が居る部屋に入るのは不味い気がする。
 以前はウィーズのことをそもそも女性と扱っていなかったのだが、いま同じように振舞ったらネルガル内での自分の立場が非常に危ういものになってしまうだろう。
 月臣がドアの前で立ち尽くしているうちに時間だけが過ぎていった。
 この姿をアキトが見たらさぞかし呆れ返るのだろうし、アカツキが見たら指を指して笑うのだろう。
 と、不意に部屋の中から音がした。それは、ぼちゃん、という重い水の音だった。
(なんだ、この音は?)
 不審に思った月臣は意を決して部屋の中に入ろうとする。
 ドアの脇のスロットにカードキーを通そうとして―――
 シュン、という音とともに抵抗なく扉は開いた。初めから鍵など掛けていなかったのだ。
「ぶ、無用心だな」
 拍子抜けしながらもそろそろと玄関から中に入る月臣。
 中に明かりはついてなく、狭い玄関から伸びる廊下だけが確認できた。
 このまま真っ暗な玄関に阿呆面下げて立っている訳にはいかない。一応はプロスからの指令であるし、何より怪しすぎることこの上ない。
「……ウィ、ウィーズ?……」
 おそるおそる問いかけてみる。
 やはり返事はない。代わりに微かに聞こえてくる水の音がした。シャワーの音だ。
(ふ、風呂か?)
 最悪だ。風呂上りのウィーズとどんな顔をして会えばいいのか。
 いや、それよりも風呂に入っている間に勝手に男が入ってきたとすればどんな反応が返ってくるか想像に難くない。
 出直そうと踵を返しかけた月臣は、ふと顔をしかめた。
 暗闇に慣れてきた目が、廊下に続く黒い点を見つけたのだ。
 注意深く確認してみるとそれはすぐに分かった。靴跡だ。
(……土足で?)
 途端に月臣の体に緊張が走った。この足跡の主が、ウィーズではない可能性に気がついたのだ。
 まさかクリムゾンか火星の後継者につけられていたのか?
 月臣は若干ためらいながらも、自身も土足のまま廊下に上がった。
 廊下は先で二股に分かれていた。
 シャワーの音は左手から聞こえてくる。
 月臣はさらに進み音の聞こえる部屋に向かった。
 ドアを開けると洗面所で、奥にバスルームがある。
 いよいよシャワーの音も大きくなってきたが、曇りガラスの先にも明かりはついていない。
 月臣は罠の可能性も考慮に入れながらバスルームにそっと目を凝らして―――思わず絶句した。
 壁に掛かったシャワー口から勢いよく水が噴出し、バスタブの中に注ぎ込んでいた。バスタブの中は既に水がいっぱいに張っており、それはそのまま縁から外へこぼれ落ちている。
 そのバスタブの中から、ブーツを履いた足が突き出て、その縁に引っ掛けられている。奥の壁には濡れた髪を額に張り付かせた頭が、壁にもたれるようにして降り注ぐ水滴に無防備に打たれ続けていた。
「ウィーズっ!」
 月臣は駆け寄って明かりをつける。
 やはりウィーズだった。先ほど孤児院で見た上下黒ずくめの格好のままで、靴も脱がずに浴槽の中でだらりと沈んでいた。
 月臣が明かりをつけると、それを避けるように僅かに身じろぎをしたが、いかにも体が弱っているようで、それ以上動こうとはしなかった。
「何やってるんだ、お前は!」
 月臣が自身が濡れるのも厭わずに浴槽の中に腕を入れた。
 ひざ裏と背中に腕を回し、壊れ物を扱うようにそおっと持ち上げる。
 まずいことにシャワーの水は完全な冷水であり、腕から伝わってくるウィーズの体温が明らかに平熱のそれでないことを月臣に理解させた。
「おいっ。しっかりしろ! 何があった!?」
「………ジャンプ用ナノマシンを……沈静化させて……」
 朦朧(もうろう)としていたウィーズの瞳が、己を覗き込む顔を見て、徐々にその焦点をあわせていく。やがて目の前の人物が誰かを認識すると、その両目は大きく見開かれた。
「月臣―――なんで?―――」
「詳しい話は後だ。とにかく体を温めろ。いくら今が夏だといっても、こんなことをしていては肺炎を起こすぞ」
 月臣が強引にバスルームを出ようとすると、意外にもウィーズは彼の腕の中でおとなしくそれに従っていた。まだ意識がはっきりしていないのだろう。まるで幼子のごとく彼女は月臣にされるがままにしていた。
 ぼたぼたと雫が垂れるブラウスを脱がせる。水を含んだそれはぴったりと肌にまとわりつき、身動きが取れないウィーズから脱がすには一苦労であった。次に下に重ねてきていたシャツを一気に剥ぎ取る。透けるように白い肌とブラが露わになり、月臣は図らずも瞬間湯沸かし器よろしく赤面する。しかしすぐに雑念を振り払い、洗面所にあったバスタオルで上半身を覆ってやる。髪を拭き、体の水気を取る。ブーツの留め金を外して足を抜く。靴下を脱がす。肌に張り付いているジーパンも脱がし同じように体を拭く。とにかく可能な限りの水気を取ってから月臣は彼女をリビング――玄関から続く廊下を右に曲がったところに位置する――まで連れ出した。
 リビングの明かりをつけ、暖房をつける。風向きを調整させて、ソファに直接当たるようにしてそこにウィーズを座らせる。
 その頃になって、ようやくウィーズの体が震え始めた。蒼白だった顔にも赤みがうっすらと差してきた。月臣は寝室から毛布を持ってくるとそれをウィーズの湿ったバスタオルの代わりに巻いてやる。そこまでして、彼は自分も土足だということにようやく気がついて靴を脱いだ。ついでに羽織っていたネルガル社員用のジャケットを脱いで椅子の背にかける。流石に夏に暖房を点けていてはウィーズはともかく月臣にはきつい。
(何か体が温まるものを)
 月臣はキッチンに移動して棚の中を探してみた。インスタントのコーヒーかココアでもあればと思っていたら、なぜか酒類――しかも無意味に高級な――ばかりが充実していた。セーフ・ハウスということは一応職場というわけなのだが……、月臣はとりあえず湧き出た疑問を抑えてそのうちの一本を取り出した。冷蔵庫を開けたら牛乳があったので、それぞれをカップに移してレンジで暖め、はちみつを足して即席の牛乳酒を作った。
 リビングに戻ると、ウィーズは毛布に包まってソファーにうずくまっていた。呼吸が不規則で、時折激しく咳き込みながら痙攣(けいれん)を起こしていた。
 月臣はカップをテーブルに置くと、タオルを取り出して彼女の額の汗を拭ってやった。拭いながら、改めてウィーズの顔を見た。
 非常に整った印象がある。女性の容姿といったものに無頓着な月臣でもそれは分かる。筋の通った鼻。ガラスのような青い瞳。普段は跳ねている金髪も今は水気を吸って素直に流れている。
 小柄で細いその体は、なるほどそれなりに鍛えてあるようで、服の上からでは分かりにくかったが高密度の筋肉がついている。
 だがそれにしても、そんな程度の体でネルガルのSSや今回のような火星の後継者の刺客を撃退し続けるなんて出来るはずがない。陶磁器のような肌のところどころにうっすらとした傷跡があるが、その中に致命的なものがないことは、まったく奇跡といって差し支えないだろう。
「何であんたがここに居るのよ」
 不意にウィーズが月臣に視線を合わせた。取り付くしまの無い言いようだが、その声に力が無かった。
「お前は北辰の一撃をもろにもらったからな。気になって様子を見に来たのだが、案の定ではないか」
「勝手に人の服を脱がせるし。この痴漢」
「い、医学的に必要な処置だ。やましい気持ちはまったく無い」
 多少どもりながら、月臣は「飲め」と牛乳酒を差し出した。
 ウィーズはしばらくカップの湯気をにらんでから、しぶしぶと受け取った。
「聞きたいことがある」
 月臣はウィーズがカップの中身を半ば飲み込むまで待ってから声を掛けた。
「地球じゃ風呂には着衣のまま入るのか?」
「流行の最先端よ」
「小学生でも分かる嘘を言うな。こちらは真面目に聞いているんだ」
「……………」
 月臣に主導権をとられるのがよほど気に食わないのか、ウィーズはぶすっとして口を閉ざした。
 彼女が押し黙ったきり会話が途絶えたが、月臣は動じることなく彼女の目を見続けた。時間はたっぷりあるし、プロスに言われるまでも無く、その時間を使ってじっくりと話し合うつもりでいた。
「……さっき言ったでしょ。ジャンプ用のナノマシンを冷却して沈静化させていたのよ」
 ぽつりとウィーズが言った。やはり疲労があるのだろう。沈黙に耐え切れなかった。
「ジャンプ・ゼロとかいうものの影響か?」
「多分、ね」
 ジャンプに対する知識の少ないウィーズはあいまいに頷いた。
 だが、彼女は経験として知り得ていたのだ。通常のボソンジャンプでは問題なくとも、彼女ほどの高効率のジャンプを連続で使用した場合は、体中に巣食うボソンジャンプ用の遺伝子がナノマシンと過度の共鳴をすることにより熱暴走を起こしてしまうということを。
「一度ネルガルで全身を検査してもらえ。お前のためだ」
「体中を弄ばれるなんて御免だわ」
「お前は――」
 月臣が諭そうとした次の瞬間、ウィーズは身をよじり苦痛に身を丸めた。
 手から牛乳酒がこぼれる。血を吐くような激しいせきが立て続けに吐き出された。
「ウィーズ!!」
 月臣は思わず手を差し伸べる。肝を冷やした。強気だったウィーズが恥も外聞も無く全身を苦悶に染めている。額を毛布に押し付け、歯を食いしばって喘ぎながら毛布を掻き毟る。
「おい、しっかしろ! おい!!」
 月臣がウィーズの両肩掴むと彼女は今度は月臣の胸に額を押し当てながら、咳き込む合間に答えた。
「……すぐ、収まるから……見ないで……」
 しばしの逡巡の後、月臣はウィーズが落ち着きを取り戻せるように彼女を強く抱きしめた。ウィーズは全身を襲う痛みに体を強張らせている。彼女は月臣の背中に腕を回すと、毛布の代わりに月臣の背中を掻き毟った。刺す様な痛みが走ったが月臣はそれには構わずにウィーズを抱きしめ続ける。やがて腕の中のウィーズが、呼吸の感覚が落ち着くにしたがって、その体の緊張が解けていくのが分かった。
「……ありがと。もう大丈夫よ」
 ウィーズの言葉に月臣は腕の力を抜く。すぐに体を離しても良かったのだが、月臣はウィーズを抱きしめたまま問い掛けた。
「何故、ここまでする。あの孤児院にそんなに世話になったのか?」
「……どっちかって言うと、贖罪かもしれない」
 問いかけの答えは、そのまま腕の中から返ってきた。
「アンタとは前に月で会ったわね」
「ああ」
「何で私があんな所にいたか知ってた?」
「……いや」
「私はね、前の大戦が始まる前に、地球と交渉を行うメンバーに入っていたの」
 木連は何も初めから地球に対して復讐をするつもりではなかった。月独立派という自分たちの存在を明らかにして、そして当時の地球連合に自分たちの先祖にしたことを正式に謝罪してもらえればそれで良かったのだ。そのため、まだ優人部隊という有人ボソンジャンプの技術が確立する前の段階において、会見の場である月軌道上まで移動するために木連で唯一その適正を保有していたウィーズに白羽の矢が立ったのだ。彼女を乗せてさえいれば有人ボソンジャンプができるということは明らかになっていたのだ。
「わ、私はね……。情けないけど、それが嬉しかったの……」
 木連では常に害虫のごとき扱いを受けてきた彼女たちだ。およそ一世紀にわたり不遇に耐えてきたのだとしても、周りにそれを認めてくれるものがいない状況下で、そのように頼られるとしたらどのような気持ちになるだろうか。
「だがその会見は……」
「……うん。駄目だった」
 月臣の言葉をウィーズが拾う。
 だが会見は地球側の一方的な拒絶により決裂した。
 それはそうだろう。過去を明るみに出し、謝罪するということは、自分たちの政治生命を失う可能性に直結するのだから。
「地球連合は私達が乗っていた遺跡技術の詰め込まれた艦船や私達自身を捕縛しようとしたわ。彼我戦力は圧倒的だったからね。で、木連側は私にジャンプするように指示してきたの」
「撤退か?」
「ううん。敵旗艦の真後ろに跳んでグラヴィティーブラスト一発で終わりにするつもりだったの」
 ウィーズの瞳から涙がぽろぽろと零れる。端正な顔がくしゃりと歪んだ、それは悔しいと悲しいが一緒くたになったような顔だった。
「……私は跳べなかった。跳べば確実に何百人何千人という人が死ぬと分かっていたから。木連側はみんな捕まったわ。私も含めてね」
「…………」
 月臣は何も言えなかった。
 ウィーズは毛布のすそをぎゅっと握る。
 およそ初めて他人に頼られるというのに、何も出来ないどころか足を引っ張り続けてしまったという情けなさが全身を覆った。
「今でも時々考えるわ。もしあそこで私がジャンプしていたら、木連を脅威と受け取った地球連合は大戦を回避してくれたんじゃないかって」
「それは……」
「うん。分かってる」
 月臣の言葉を遮ってウィーズが言う。
「考えたって仕方が無いことだって言うのは分かるの。……でもね、無理みたい。この気持ちだけはどうにもならないの」
「……それが、お前が自身を省みずに誰彼構わず人を助ける理由か」
 ウィーズが頷く。
「私はね、意味が欲しかったの。存在の、肯定を。嫌われるだけじゃなくて、憎まれるだけじゃなくて、自分が今、ここに生きていることに対する……納得できる意味を」
 強迫観念のように誰かを守らなければならないという気持ちがある。それが苦痛だとも破綻しているということも考えなかった。
 ……彼女が北辰の言葉に激昂するはずである。
 それを考えた瞬間に足は止まり、そして心が死滅する。だから彼女は誰も殺さず、殺させず、さらに自身も死なないように行動するしかなかった。
 自責や悔恨の念というものは自分一人ではどうにもならない。
 彼女のような人間は他の人間のために全てを燃え上がらせて、そしていつかは燃え尽きてしまう。
 月臣には彼女の苦しみが良く分かった。
 だからかもしれない。完全な朴念仁である彼の口から、こんな言葉が出てきたのは。
「ありがとう」
「…………!?」
 予想外の言葉にウィーズの目が見開かれる。
「俺たちの先祖を迎え入れてくれてありがとう。木連での不満を受け止めてくれてありがとう。お前を襲いに来た奴等を誰も殺さないでくれてありがとう。ここの孤児院や地球の木連人を助けてくれてありがとう」
 どうにか泣き止んだものの、ポカンとした顔でまだ鼻をぐずぐず言わせているウィーズの頭をなでてから、月臣は可能な限りの心を込めて言った。
「胸を張って良い。お前らがやってきたことには意味がある。そのことを理解している人間が、差しあたってここに1人いる。」
 『意味がある』の部分に力を込めて言ってやった。
「どうして……アンタが……」
 ウィーズは一瞬、月臣のほうを見てから、また俯いて涙をぽろぽろと零した。
 胃の底が熱されたかのような高揚感。
 それは悲しいではなく嬉しいという涙。
 被害者としての糾弾の言葉でもなく、加害者としての謝罪の言葉でもない。そういった後ろ向きの言葉では、決して彼女の心の重さを減らすことは出来ないと、月臣は理解していた。
 そして理解していたからこそ気付いてもしまった。
 誰彼構わず人を助けるというウィーズの行動が、かつて自分が理想としていたものに酷似しているということに。
 月臣は木連の英雄などと呼ばれているが、彼一人の力では全てを救うことなんて出来ないと、誰かが犠牲にならなければ救いはないと理解している。いろんなことを知ってしまったから、それが現実なのだと分かってしまった。だがその上で、そんなものが理想に過ぎないと知った上で、いや理想だと知ってしまったが故になおさら、彼は理想を求め続けた。優人部隊の制服を脱いだ彼であったが、それでも万人に認められる正義などこの世にはない、と安易に切り捨てるような諦めが、どうしても正しいとは思えなかった。これは理屈ではない。心の深い部分で共感してしまったのだ。
 だから……
 ウィーズは月臣の腕から離れ、一度頷いてから目元を自分の手で乱暴に拭う。
 そして次の瞬間には、涙で湿った瞳には、凛とした光が戻っていた。
「まさかアンタに慰められるとは思わなかったわ」
 ウィーズの照れ隠しの悪態に、月臣は『まったくだ』とこちらも照れ隠しのように答える。
 腕を離さなければ良かったと、月臣は心底思った。
 まともに彼女の顔が見れない。
 無くしてしまった自分の正義を、甘っちょろい清々しい昔の自分を持ち続ける彼女を、月臣は確かに美しいと思ってしまった。
 女性といえばナナコさんだった月臣が、である。
 さてこれからどうしようかと月臣が悩んでいると、意外なものによって状況は打開された。
『月臣、定時連絡の時間が過ぎてるってプロスが―――』
 不意にラピスからのコミュニケが繋がった。
 上着を脱いだ月臣。半裸で瞳が潤んでいるウィーズ。床に飛び散る白濁した液体(先ほど零した牛乳酒である)……
 それらを確認するとラピスはひとつ頷いた。
『―――なるほど』
「ま、ままま、待て待て待て! なにが『なるほど』だ! これはアレだぞ!? 決して後ろめたいことがあるわけではないぞ!!?」
『大丈夫。私たちに法律は適用されない』
 無表情に親指を立てながら答えるラピス。
「ぜんぜん大丈夫じゃ無いだろっ。プロス殿には俺から報告するから、ラピスはここであったことはとにかく他言無用にだな―――」
『―――それは無理』
 月臣の言葉を遮ってラピスが言う。
「何ィ!? そこは秘密にするだろうが普通!」
『勘違いしないで。私は誰にも言う気は無い。でもアキトが―――』
「テンカワが言う気なのか!?」
 社会的な立場がかかっているので月臣も必死だが、ラピスはその言葉にも首を振る。
『アキトと私は今、感覚共有している。だから私が見た光景はアキトにも伝わっている。そしてアキトはこういったことで平静を装うことが出来ない。今、プロスとエリナに不審な挙動について問い詰められている。月臣の情報が漏れるのは時間の問題。3、2、1―――』
 流れるような実況に見る見る月臣の顔が青ざめて、そして次の瞬間。
『ちょっと月臣、あなた自分が何やってるのか分かってるの!?』
『困りましたねぇ。まさかいきなりそのような手段に出るとは』
『今度はお前か。その手の馬鹿はテンカワだけで足りているのだがな』
『待て、俺は関係ないだろう!?』
 上から順にエリナ、プロス、ゴート、アキトがまとめてコミュニケを繋いでくる。いっぺんに話し始めるものだから誰が誰に話しているのかも判別できないほどだ。
「ち、違う。それは誤解だ! ウィーズ、お前からも何か言ってくれ!」
「えっ、私?」
『どうなの? 何があったの?』
 ウィーズは言われるがままに月臣とのやり取りを思い出し……そのまま思い出し泣きをしてしまった。
「あ、あれ?」
『やっぱり何かあったのねっ』
「こ、これは違うの。月臣が……月臣が……」
 『思ったより良い奴だった』と言うつもりが、喉でつっかえて声が出ない。
 しかし何も知らない人間にとっては彼女が乱暴された後にしか見えようが無かった。
『呆れた。良くそれで優人部隊なんてやれたわね』
『月臣さん。帰投したらまずは私のところに来てください』
『お前には自由に息をする権利がある。自由に瞬きをする権利がある。自由に自分の信じる神にお祈りする権利もある。……独房を用意してやるからしっかり反省してこい』
『月臣……、諦めろ。その状態からじゃ何を言ってもどうにもならん』
『どうしたどうした? 月臣が関脇スケコマシの座を狙ってるのか!?』
『説明しましょう。彼の行動を考えるに群集心理学を紐解けば……』
「い、いいから俺の話を聞けーっ!!」
 今でも何がなにやら分からないというのにさらに多忙を極めるメカニックのウリバタケやイネスもここぞとばかりにコミュニケを繋げてくる。とりあえず月臣の立場が非常に危うい状態になっていることだけは理解できたが、不意にウィーズは発作のように込み上げてきた笑いが口をついて出る。痙攣するように笑いながら、彼女はしばらくは月臣に着いて行こうと決めた。
 時は西暦2201年8月5日。火星の後継者による武装蜂起はもう間近に迫っていた。






















楽屋裏
 お久しぶりです。3年ぶりの鴇でございます。
 最早はじめましての方のほうが多いような気もしますがそれはさておき。
 いやー、気がつけば3,000万ヒット手前ですか。
 1,000万ヒットの記念SSからこのシリーズを始めたんでなんか随分と昔の気がしますね。(そも記念SSからシリーズ化なんてしたのは私しかいなかったわけですが)
 コンセプトとしては何処からでも読めて何処からでも書き逃げダッシュが出来る連続中篇(オイ)だったわけで、そのせいで毎回説明文が増えるから容量がおう……もう……。
 一応今までの流れはこのようになっています。お時間がおありでしたら是非ご一読を。
<シリーズ時系列>
Do you know・・・? 〜あなたは知ってる?〜
(TV版13話 月に跳んだアキトとオリキャラ・ウィーズの「空白の2週間」の話)
   ↓
mirrors set against each other
(TV版アフター 全7話。ウィーズ主役のはずが気がつけばアクアに取られてた)
   ↓
正義の味方に憧れて
(TV版アフター 月臣主役による熱血クーデター編。女性キャラなしの男祭り)
   ↓
相棒 ―accomplice―
(劇場版ビフォア アキトとラピスの馴れ初め。ツンデレ黒アキトがヒロイン)
   ↓
LIAR GAME
(劇場版ビフォア アキトとラピスのコメディ。アキトのハードボイルド分はラピスに吸収されました)
   ↓
白黒―white & black― ←New!
(劇場版本編 全7話予定 プロット段階で予定容量は500kb. ……ゴクリ)

 ……こうしてみると結構ありますね。
 分量も概算で550kbくらいですか。
 その中でもばら撒くだけばら撒いてほったらかしのフラグが多いので、今回の目標はフラグの回収となってます(オイ
 ともあれ、読み終わって爽やかな感じになる劇場版? を目指して頑張っていこうと思いますので、これからよろしくお願いします。
 出来るだけ間は空けないように。最悪3,500万ヒットまでにはなんとか(マテ
 最後になってしまいましたが管理人様、感想を付けていただいた代理人様、ならびに読んでくださった全ての皆様に心からの感謝を。
 ありがとうございました。










感想代理人プロフィール

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代理人の感想
おーっ! このシリーズをまさかもう一度読めるとは。
いやはや長生きはする物ですなぁ!(サイトの管理人的に)

かれこれ五年ぶりのウィーズなのですが、変わって無くて安心しました。
変わらなすぎて月臣がひどい事になってますけどw
取りあえず月臣に合掌しつつ、次回に期待させて頂きます。ではでは。


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