虚空の夷
















身を縛る、蜂の接吻
花びらは、流れ




ラジオから流れる声
「・・・的活動の目的はそこにある。唯々年老いた者の青き志しに他ならないかもしれないのだが、我々は武装解除に応じる準備に取り掛かり、かつテロやクーデターを行い、人心を煽動した組織の首謀者達、「蹲踞」の幹部メンバーを引き渡す用意もあり、そのリストを今日送付した。まず「防衛」という言葉の前では全てをかすませてしまうしかない新地球連合内部のその姿勢、宇宙における人類の代理人となるはずであった新連合政府は木星圏という新たな既存の市場を奪うために恣意的な理由をもって再び古き帝・・・」










「外線作戦、か・・・」
「どうしました、艦長?」
兵装のチェックから帰ってきていたタチバナ副長がユリカを振り返った。
そこに見たユリカはいつもの凛々として明るい艦長ではなく、どこか物憂げな表情を浮かべていて、はじめて見るような思いだった。
彼女がつぶやいた「外線作戦」、つまり包囲・挟撃によって敵を殲滅するように運動する事だが、それにはいつも戦力の分散によって各個撃破されるという危険性が付きまとう。月で起こったクーデターを狼煙として、火星の後継者の残存勢力や他の過激派が一斉に行動を開始し、ターミナルコロニーのタキリ、タギツ、サヨリの第七経由ラインを占拠されてしまったためヒサゴネットは断線し、宇宙における物流は多くの箇所において麻痺に陥っている。この一連の活動を指揮していると見られる男、月臣元一朗は、大きな求心力を持つ男だけに新地球連合や木星圏から少なからず離脱者を漏出することになった。
今のところは「様子見」という勢力は多いのだろうが、敵の戦力は必ずしも強大とはいえない。いくら戦艦や機動兵器を持っているとはいえ、正規軍の補給能力や整備にかなうわけがないのだから、正面からぶつかれば、ぶつかることができれば負けるはずはないのである。
「ううん? うちだけで始めちゃおうかなーって。冗談だけどね」
「・・・っ、ヒヤッとしました」
「みんなの様子は?」
「心配されることはないと思います。訓練のおかげで随分動くようになっていますし、それに艦長の指揮下なら頼もしいでしょう」
「そっか・・・」
ナデシコb、コスモスの両艦はタキリ攻略作戦に参加するために時間を調整・・・まあ暇を潰しているわけだが、統合軍主導の一挙攻略を狙う作戦に宇宙軍の代表として協力させられている関係上、なかなかこちらが思うようには活動できない。解体準備のためにほとんど戦力が待機任務となっている宇宙軍が、今回の作戦で主導権を握ることがでないことは、当然だ。しかし、焦らずとも、たとえダラダラとしていても、こちらは戦火が拡大しないように動くだけで十分優位に立てるのだが、こちらが物量において優勢なのは当然敵方も承知の上なのだから、こちらが外線作戦に出ればあちらは内戦作戦をもって各個撃破を狙うだろう。問題なのはあちらの主攻するだろう力点なのだ。その情報がどうにも伝わってこない。
こういう時に頼みに出来るのがナデシコcの情報収集能力なのだが、いかんせん予想通りAジャンパーと妖精が協力して任務を遂行する事を嫌われたため、ナデシコcは従来どおり隠密行動を行っている。とはいえ何かわかったら、たとえ太陽の裏側からでも知らせてくるだろうルリが何も言ってこないのだから、たいした情報はもっていないのかもしれない。だが、ユリカが知りたいのはそのナデシコcの現在位置なのだ。
(私が本攻するなら、ナデシコcしかないんだけど・・・)
何かあれば夫もそちらへ行きそうだ、そう予想していた。
ユリカの頭には、非常識にも、計画にあった10本のコースのうちのどれか一つをなぞって火星に向かうナデシコcが、どのコース上で、相手にどのように仕掛けられるのかが絶えず浮かんでは着えている。
「艦長、入電あり。暗号文のようです」
通信士の声が、ユリカの思考を遮った。




「火星守備艦隊が極冠遺跡まで後退ですか!?」
コスモスの広い艦橋では怒声が飛んでいた。
「これって、そのまま受け取ると一部が火星から締め出されたと読めますよ? そんな・・・急な、そんな動きは報告ありませんでしたよ」
機動兵器の管制・戦闘指揮を受け持つ若い将校が慌てた感じで周りを見渡し、副艦長の女性は周りを気にすることもなく「冗談じゃない」と、短く吐き捨てた。
「そう、みたいだね。もしかしたら火星の凍土に埋没していたチューリップが生きていて、それを使用したのかもしれないね」
ジュンはブリッジに広がるざわめきが不満に感じ、勉めて冷静に言葉を発した。
ナデシコbと同時に僚艦であるコスモスも電文を受信しており、その報告を読み上げた通信士は眼がおよいでいた。
コロニーの占拠によって事前から決められていたとおりに編組され艦を引き抜かれた火星の守備隊は、先の大戦以来それほど進歩していない木連式の無人戦艦を大量に用いて穴埋めしている筈だ。しかしそれが役に立ったかどうかは疑わしい。
「細かい状況は分からないけど精鋭をそろえた守備隊だから、そうそう落とされはしないよ」
(――――どうせ、無人戦艦で矢面をつくったんだろうけどな。火星のビッグバリアは逆に壁か・・・。封鎖を上手く利用されたな)
ビッグバリアの解除は、相手の封じ込めや、こちらの展開に応じてタイミングよく行うのが筋だろう。
しかし、「精鋭だから」とは言ってみたもののジュンは頼り無さを感じざるを得ない。そしてそれは当然の感覚のはずだ。孤立した守備隊は迅速な援軍を求められないまま、篭城とも言える、拠点防御のための全周防御に陥っている事実の前では、いかな精鋭と言えども壊滅の可能性が脳裏を離れない。
テロやクーデターがもしも起こった場合に、空間跳躍による襲撃を防ぐため、極冠遺跡と火星は戦略上重要な地点だった。前回の「火星の後継者の乱」の際に身を持ってそれを思い知った統合軍は、すばらしい危機感によってそれに対して拒否反応を示していた。
(それでナデシコcを出す訳か・・・)
跳躍可能な艦に乗艦する自分達は、こういう時にこそ柔軟さを発揮するべきなのだろうが、自分達の奇襲的強襲によって今回のタキリ攻略作戦が動く以上、一挙攻略を狙う統合軍としても、再編成組みを抱え恩を売っておきたい宇宙軍としても、そう簡単には手放してはくれないだろう。この作戦を潰してでも火星に向かって救出に動かなければならないのだ、ナデシコc一艦に任せるというのは危険である、ということを上申するために通信ラインを開く事でさえ、ジュンは途方も無い疲労感を感じていた。ミスマル総司令たちの外から内からの反論に奔走する姿が目に浮かぶようだった。
(昔なら、きっともう跳んでいただろうな)
そう考えると、今の自分が何者なのかが見えてきた。それはユリカも同じだろうと思った。








ターミナルコロニー、タカマガ
「ひさしぶりだな」
「はい、おひさしぶりです」
アキトはタカマガにあるネルガルの試験場に来ていた。
コロニーには戒厳令がしかれていたため、試験場内はまったくと言っていいほど人気がない。
その中でも、格別人気のない格納庫に通じる蛇腹状になった扉のエレベーター前に、オクナガはいた。彼は日本人とアフリカン・ブラジリアンのハーフにもかかわらず日本人よりも肌が白い。彼にいわせると彼の父が、かなり白人と混血のすすんだ祖父と戸籍上ではアフリカンと区別されていた祖母の間に生まれたムラットーなのだからだそうだ。ネルガルにスカウトされた開発者で、高い能力をもちながらも胡散臭さが濃厚という、俗名プロスペクタースカウツと呼ばれるタイプの特徴を兼ね備えていた。
そのオクナガは、キーカードを使ってエレベーターの扉を開いてアキトを招き入れた。
エレベーターで薄暗い格納庫におりると、そこには移動用の車輌が用意されていて、そうするのが当然というようにオクナガが運転席に乗り込んだ。彼がエンジンのスタートボタンを少しの間押し続け、耳慣れない震動音が伝わってくるとこいつ勝手に動き出した。
「テンカワ、悪かった」
突然の謝罪に、アキトは目だけを動かしてそちらを窺った。
「いや、火星での戦闘データを見たんだが重力下であれほどパワーが落ちるとは思わなかった」
(・・・ああ)
とアキトはオクナガが何を云わんとしているのかが不意に浮かび上がった。二年程前、火星の後継者が占拠する極冠遺跡付近において機動兵器と戦闘したときのことを言っているのだろう。
「大して落ちてはいませんでしたが」
「いや、アレは悪かった。謝りたかった」
「俺、生きてますからいいですよ。また世話になります」
「そうか!(喜) 部長さんから連絡がきたときは正直ビビッたんだ、いや部長さんにもビビッたんだけど、じゃなくて、まあ違う場所がヤバクなるかも知れねえけど(嬉)。何せお前が使うって言うんだからな、ビビルぜ。そしたらこの有様だろ? 妙に納得しちまったぜ? ハッハッハッハ・・・! 前の機体のパーツは全部捨てたんだけどな、お前が火星に捨てていったやつを宇宙軍が気を利かせて送ってくれてな、知ってるだろ? それとデータをもとに、前にも話したと思うけど砲台フレームの機動力強化計画ってやつ、あの足の遅さをどう改善するかってアレ(笑)、の下地にしてたんだけどな、統合軍のせいで急に立ち消えんなって、酷い話さ、アルストロメリア用の高機動ユニットの尖貫突撃性を向上させろとか言われてがっくりきたぜ、詰め込みすぎだこの計画は、思うだろッ(怒)。コノヤロー、兵科を統合すりゃ安くあがんのは承知だけどゴメンナスッテだぜ。そういやほら、アクチュエーターのあのコ・・・」
「・・・そうですか・・・はぁ・・・ですね・・・」
と、そんなことをやっている間にも、いつも時間過ぎ去っていくもので、いつも間にか両脇に頑強なシャッターの下りた倉庫の並ぶ区間へ入っていて目的の場所に着いたらしく、車は止まった。
「お、ここだ」
オクナガはひらりと座席から降りるとアキトが降りるのを待たずに車を巣に返したため、アキトは穴だらけの体を引き摺るようにして急いで車から降りなければならなかった。傷は埋めてあるのだが三日やそこらで回復する筈も無く、痛みが酷かった。自身の迂闊さがいつも呪わしい。アイツに会いたい、などと考えずに素直にネルガルや連合警察と行動を共にしていればよかったのだ。千載一遇、とはよく言ったものだ。
オクナガは何事かをしゃべりながら倉庫の前で作業を始める。まるで呪文でも唱えているかのようだった。アキトは離れた場所からその光景を眺めていた。
重いシャッターが上がり始めると、微かな空気の流れが体を触れていった。
黒い機体。
装甲の上を、光が流れるように鈍く反射している。それは見なれたはずのシルエットだった。自然と歩みが進む。
「・・・同じ・・・?」
「見た目はな。武装も、ほとんど同じだ。でもこいつはエステバリスシリーズのオプションじゃない。内臓の在る一個の機体だ」
「フレームじゃない・・・?」
「大事に使わなくたっていい。この機体での機動性は既に完成されている、と言っていいと考えている。こいつは・・・正真正銘お前のだよ」
「・・・・・・。」
「すぐ出るのか?」
「いいえ」
「なあ、出る幕あんのかあ?」
「ここで待ちます」
ナデシコcへの命令は既に知っている。情報はネルガル、クリムゾン、連合警察経由でやってくる。
あとは待つだけ、その知らせが来ないことを願いながら。
実は性能がどうとか言うよりも、早くシートに座りたかった。何か規則性のある痛みが、ドクンッ、ドクンッと左上腕に左掌に腹部に左大腿部に胎動していて、痛み止めもたいした効果が無い。
「・・・なら調整は自分でやってくれ。ノズル、絞りの好みはシミュレータモードで・・・、って言わなくても分かるんだったな? それじゃもう俺は帰るぜ。かみさんが待ってるからな。じゃあな、生きてろよー」
(・・・・・・結婚したのか、アンタ)
自分は一個の脆弱な失恋人である。得恋するためにと思い(決してそれだけではないが)、残酷なこともできた。しかし、それがもう叶わないことは、実はわかっていた。
「あッ、くそ、車返しちまったじゃねえか。ついてねえ!」
「・・・・・・」
「・・・ヤロー、いま笑ったろ?」
思いもかけないことに出会い、悲喜の間を生きていく。
耐え悲しみ、堪え笑うこと。








火星航路上、ナデシコc、ブリッジ、トリオ。
「艦長、光学に反応あり」
ひな壇の形状になっているブリッジの、レイアウト下段中央の席にいるハーリーが報告すると同時に、スクリーンに荒い映像が映し出されどんどん鮮明になっていく。鮮明になると同時に、艦の所属や名を表すために吹き付けられた識別番号が一気にピックアップされていき、彼らの身元が判明していく。
「艦影9。いずれも統合軍所属の、戦艦4、駆逐艦5です。こちらには気付いていない模様です」
その上段では、サブロウタが低い声で「やられてますね」と艦長席に座るルリに話し掛けた。「後退してきた艦ですが、彼らは無視しましょう」とルリも声量を抑えて返した。彼らが火星の衛星軌道上を守備していた艦隊の生き残りである事はすぐに分かったのだが、呼びかけたところでナデシコ一艦でどうこう出来る筈もなく、また隠密行動中の艦としては敵に察知されぬよう、密かにすれちがう以外にはない。やはり同じ宇宙船に乗る者であるから、損傷している艦を見るのは忍びなかった。しかし、計9艦もの艦隊が撤退しているというのは、予想以上に敵はヤルらしい。
「火星軌道上まで、10分をきります」
(本当は、直に対戦した人に、相手の感想をもらえると嬉しいのですが・・・)
ルリはそんなことを考えていたが、傍受した通信には火星にあったチューリップから戦艦が出現し、戦力を分断されたことが生々しく描かれ、一部その時の映像を見ることができた。敵の湧出点は分かったが、そのエントリーポイント(ジャンプする場所)がどこなのかまでは分からなかった。気がかりな事はもう一つ、ビッグバリアの操作が敵に取られているらしいという事もある。展開、消滅が彼らの手にあるというのは厄介だ。
「命令、戦闘配置」
「総員戦闘配置だ、カンナ君」
「了解」
通信士のカンナ・ヒノサキは、艦内によく透る声で「総員戦闘配置」と下達しつつ、コンソール上にある戦闘配置を知らせるためのガードの付いたパネルを触れる。艦内のいたるところに発令を伝えるウインドウが現われた。待機命令にあったクルー達は、待ってましたとばかりに走り出す。たとえ電子戦を主としたナデシコcであっても油断はない。
その短い間に、ルリの前面にあるコンソール盤が道を開いた。スライドアームによって彼女のシートが押し出されていく。肘掛はその位置を保ったまま、徐々にリクライニングとフットプレートが、ほぼ美容室の椅子が顔剃りの際に全身を伸ばすための動きと同じことをし、それによって空中に座るのではなく、のしかかる様に彼女を立ちあがらせ、ブリッジの空中に浮かせた。ルリはすかさずウインドゥボールを展開し、後光をきらめかす如来のようにひるがえる。
船体の前方部、閉じられていたシールドが拡がっていく。
ブリッジにある兵装のパネルが次々に待機の白から、戦闘配置完了を示す緑へと変わっていった。
「戦闘配置完了を確認」
(減速)
ルリがその場所を占めることは確実に戦場にあるという現実を知らせてくれるのだが、ブリッジクルーにとって、勇ましく頼もしい感覚をいつも感じさせてくれた。見惚れていたのか、少し遅れてハーリーも戦闘モードに入った。





火星衛星軌道上、木連型突撃駆逐艦「新月‐改」。
新月は木連型の突撃艦に改装を施したもので、艦体後部にバックパックのように背負った「箱」のようなものが付け加えられ、他にも艦のシルエットはでこぼことしている。改装に駆逐艦を選択した理由は、木連型戦闘艦の拡張性が豊かな点を見込んだためである。
その、特有の薄暗い艦橋で静かに作業する少ない人影。ブリッジのオペレーター達は一段下がった隙間にある席に潜り込むようにして座り、艦長と副長は中央、発令位置に並んで途切れ途切れに会話を交わしている。 「うむ。ビッグバリアを展開させますがよろしいな?」
月臣君、と付け加えて、初老の艦長が後ろを窺った。
「予定通りに」
月臣は艦橋の右舷側最後部においた赤い座椅子に座り、傍らには、絶えずただ単に端末をいじくっている(艦長にはそうとしか見えない)白衣を着た二人の男性がいた。その表情は周りの雰囲気もあってか氷のようで、感情を覗かせる隙はなかった。しかし、明らかに三人は他と色が違った。
「ビッグバリア展開」
「展開、よし」
「センサーボール順次放出。輪形陣、出力を最大へ。直衛機は送受信を切断しろ」
若い副長が台本どおりに指示を出した。直ぐにそれぞれを任されたオペレーターが動き出し、緊張が高まっていくのが分かる。
「月臣君、アレは大丈夫なのかね?」
艦長がたまりかねた様に問い掛ける。
「どうにも私にはわからんよ」
「この作戦は半分は賭け。戦ってみて初めて分かると、そう言った筈ですが」
「ふむ・・・」
と艦長は不満な顔を作って黙りこくってしまう。「戦ってみて初めて分かる」と言われればどんな艦長でもそうだろう。
「センサーボール放出完了。リンク始まりました。 ・・・っと・・・、光学に反応あります! 艦形は・・・」
まるで、レギュレーターさえあればいまからダイビングでもするのではないかと思えるような、覗き込み式のモニターに注目していた男が声を荒げる。
「来ましたッ! ナデシコ型です!」
ザワッ、と乗組員の気が乗り移り、艦自身が殺気だった様に感じる。
「来たか」
「歪曲場を二重にして正面へ集中ッ!」



ナデシコc、第一作戦室。
「う〜ん、見ててもいいのかな」
「公開してくれるって言うんだから、気楽に見てればいいの」
実習生の一団は艦内でも生存性の高い作戦室に押し込まれ、艦橋の様子やそこで交わされる会話を聞いている。
第一作戦室は各種参謀や将官が食事を取ったり談話するために設けられた場所で、ナデシコcにとってこの「作戦室」は名前だけの存在だった。そんな場所を、食堂好きで、最年少とは言えただの将校さんであるルリが使う筈もない。別に来賓室はあるのだが、そこでは「観戦」するには形式的に不向きである。結局の所、たまに来る統合軍あたりの来客を丁重に厄介払いするために使われる程度で、そういう意味では有意義に活用されていた。
艦が戦闘任務についたことで講習がストップした彼らは、唐突にヒマだった。きついカリキュラムに不意に空いた穴。ケリスとカーナは思いっきり時間を満喫することを決め込んだ様で、完全に観戦モードに入っている。緑茶に茶菓子、この部屋としては真っ当な使い方といえる。
「ここから課題が出たりしてー?」
「ん、ありえる」
と会話を交わす中、ラピスはお茶当番の任務を着実にこなしつつブリッジの様子に気を配っていた。
取り敢えず、決められたとおり各自遺書は書いたのだが、それが届けられる心配は誰もしていない。
そんな中、唯一従軍経験をもつユミカは肘をついて頭を支えていた。機嫌が悪かった。
(いくらナデシコでも、一艦となるとかなりきついんじゃないのか? ・・・最高の電子戦。私に想像力がないのか?)

ブリッジ。
「・・・やはり一艦のみです」
ナデシコc艦橋に映し出された、不恰好な駆逐艦。それと戦域をサーチした詳細なマップ。そのマップには撃沈されたり放棄されたりした艦の残骸を示すものもあり、この宙域が先程までたしかに戦闘が行われていた事を物語っていた。そのほとんどは無人の木連型戦闘艦で、どれも見覚えのある流線型に痛手を負っていた。
「何する気ですかね。正面からはこないでしょうけど」
「・・・・」
こちらの土俵へ乗ってくることはすまい、そう予想はしており、この残骸の中に通信を閉ざした多数の戦艦や機動兵器を潜り込ませているのではないかと想定していたのだが、その様子はなかった。
そういった襲撃は過去にも受けているのだが、その時はグラビティブラストやバルカンファランクス、ミサイルなど通常兵装と機動兵器をもって撃退していた。そういうコミュニケーションを閉ざした部隊はジェスチャーや発光信号、信号旗などで意思疎通を行わなければならないのだが、ナデシコcはそれを上回る攻勢を掛けてかき回せば、たいがい事足りた。ケーブル接続をもって挑んできた輩もあったが、グラビティブラスト広域放射で撃退した。綿密に計画を立てたとしても一つが壊れれば戦闘は決する。結局「壁」を作って戦闘できればいいのだが、ナデシコcはそれをすり抜けるのだ、それも一瞬の内に。
通信士のカンナや操舵士のキョウコ・カトウは、既に仕事の大半をもっていかれてしまってはいるのだが、気を抜くような事はせず、刻々と変化するモニターや各種パラメーターに視線を落としている。
皆、ルリが静寂に終わりを告げるのを待っていて、そしてそれは予想通りのリズムで発せられた。
「速攻します。私は火星宙域を掌握しますから、ハーリー君はナデシコを」
「了解!」
≪ゴーン≫
オモイカネが威勢良く、高らかに自身の存在を誇示する。
「オモイカネ・・・、start」



駆逐艦、「新月‐改」。
「うわっ! 始まりました!」
オペレーターが水メガネから視線を外さずに伝える。
「どうだ?」
月臣は瞳だけを横に流し、傍らにいる二人の白衣に訊ねる。
「こちらも防御を始めました。順調です」
「いいようだな」
安心した表情を隠せずに、艦長はうなずいた。


(やりますね)


駆逐艦「新月‐改」
「ああッ、ダメです、「氷壁」が溶かされていきます。現在融解率11%っ!」
「流石だな」
「流石じゃないだろうっ。どうするのかねっ?」
月臣の静かな発言にいらだったのだが、始まってしまえば止める術はない。イメージを示すために映し出された水晶の、さまざまな部分が欠けていく。
「融解率68%、跳ね上がりました!」
狭い艦橋に悲鳴が木霊する。
「月臣君っ」
「まだ・・・」
彼はもう、いてもたってもいられない。経験から来る予感が、警報を鳴らしていた。しかし、月臣は動じない。
「・・・っ」
初老の男はもう黙るしかなかった。ただ、願うように中央モニターをみつめる。しかし、そこには原形を留めていない結晶があるだけだ。
「融解率、安定して上昇していきます。72,73,74・・・」
暗い艦橋に怯えたようなカウントが続く。
「接触しろ・・・」
「76,77・・・」
「気づけ」
「出会います」
白衣の一人が言葉を発する。
「78,79,80ッ」
(・・・どうだ?)
汗ばむ右手。結晶はなぶられて蒸発するように小さくなっていく。
「81,82・・・」
「おい、どうするのだね月臣君っ」
たまりかねた艦長が、怒りの矛先をこの何を考えているのか全くもって理解できない後輩に向けた。
「83,84,83,83,83、83・・・、上昇が、止まりました・・・?」
艦内の緊迫した雰囲気が緩んだ。驚きとも喜びともとれる表情で皆が振り返る。
そこには「当たりまえだ」という表情の研究者に、よし、と固い拳を作った月臣がいた。
彼は予期していた反撃の機会が訪れたことを確信した。
そして月臣はこれから起きる事を考え、顔の前で手を組んだ。








蜂の接吻・・・


禍い、池魚に及ぶ。













*八話へ



あとがき
ちょいと直しました。01 十月上旬。