はじまった後


5
 
 
「はい、第七倉庫」
 昼近くになると、昨晩の内に頼んでおいた調査依頼への返答の電話が鳴り出し、対応に追われていた。
 木連共栄協同団の最近の動向、その日本で活動している人物達の素性、活動内容、ソーダとの繋がり、矢矧アイコについて、ネルガルが消そうとしている危険物資についてが集まりだす。
 連合警察が矢矧アイコを調べ始めた頃とは状況が変わり、情報が集まりやすくなっているようだった。おそらく鞘原たち、木連共栄協同団が排撃されたことが影響にあるのだろう。止まっているべき事情がおぼろげながら浮かび始めていた。
 集まるものは噂程度のものから様々にあり、普段はその裏を取るのに奔走しているはずだが、家には一匹の猫と目の離せない子供がいるおかげでろくに調べる事もできない。
「ああ、それで鞘原ってのは? ……そうか。わかった。……ああ、後ろの奇声は気にするな。また」
 アキトは受話器を置いて振り返る。電話している間、飽きもせずサンドバックを叩き続けていたナナコが荒くなった息づかいで、鞘原さんがどうしたの、と聞いてくる。
 彼女の知らない現実。
 それを告げる事に抵抗があった。
 彼女の顔に影を落とす事になりはしないかという危惧からだったが、いつかは知れることだろうからと割り切ることにする。こういうことに直面した過去はアキトにもあり居心地は悪い。
「ナナコ……」
 しばらく黙って見詰めてから、電話で話していたのと同じ様に感情を殺した。
「君の義父、鞘原弥平が昨晩殺された。その場にいた構成員10人と一緒だ。確定はしてないが、やったのはネルガルのシークレットサービスのどこかだ。昨日俺達が襲われる一時間前ぐらいが死亡推定時刻の始まりらしいから、その前かその直後にはこっちを補足していたようだな。サウダージって名前のレストランを知ってるか?」
 ナナコは呆然とした表情で静かに頷くと、支えを失ったようにへたり込んだ。
 短い期間、9ヶ月間ほどの父親であっても殺されたという事実は衝撃的なものだったのだろう。うつろになった瞳は現実を受け止めきれていない様子だったが、体は素直なもので喪失した事実に震えていた。
「レストランは、私達が使ってた家」
 か細い声で呟いた。
「――――そうか、情報に間違いはなかったわけか」
 気付くと、ナナコは泣きそうな顔でこちらをうかがっていた。
 だが、それに合わせて同情しているほど暇ではない。
「いいかげん教えてくれ、昨日だけで12人が死んでる。君の父親も、君を助けようとした人もだ。なぜ助けを求める? お前は、何なんだ」
 彼女はどうしてネルガルに狙われ、木連共栄協同団なる組織に取り戻されようとしているのか。北辰の娘だからというわけではないだろう。彼女の母親が良家の娘であったからでもないだろう。
 アイコは「利用される」と言っていた。ナナコが鞘原達にどう利用されるのか。それを知らなければ話にならない。
「ナナコ」
 ゆっくりと顔を上げたその瞳は、潤んで光沢が浮かんでいた。
 訃報に打ちひしがれている彼女。その瞳に嘘も誤魔化しもありはしなかった。それでも答えを促がすために、アキトは静かに見詰めた。一人になった悲しみに揺れている12歳の子供には酷な質問だったかもしれないが、答えてもらわなければ動きようがない。
「お父さんは、嫌い」
 そう言うと、潤んでいたものが頬を流れ始め、気付くと悔しそうな顔をしてせわしなく袖でふき取った。
「嫌い? ただ嫌いだから逃げ出した? 違うだろう。少なくとも鞘原は君に対して優しかった。君の母親とも仲はよかったようだし、母親が死んだあとも君を大切にしていた。一体何が嫌いだったんだ」
 ただの家庭の事情で逃げ出したのなら、自分の元にくる必然性はない。何らかの理由で居場所を失ったとしても、彼女には祖母という行き場が残されているのだ。母方は木連でも有名な家柄らしいから、母が絶縁されていたとしても孫であるナナコを放って置くようなことはしないだろう。実際、孫を探してもいる。まして女の子であるならなおさらだ。木星圏には、女性を尊重する気風は確かに残っている。
 ナナコが嫌いだという鞘原は、一体何をさせようとしていたのだろうか。
「君は何が怖くて逃げ出したんだ」
 利用されるという事への恐怖、それが近道に思われた。
「……悪いこと、したくなかったから」
「悪いこと?」
 答えはない。
「悪いと思う事なんだろう? なら、口を閉ざす必要はないだろ」
 沈黙とともに、俯いてしまったナナコの座る床に、ポツリポツリと染みとなって涙が広がっていく。肩が小さく震え始め、しばらく待ったが止まらなかった。
「俺だって死にかけた。いいかげん言ってくれないと、放り出すことになる」
 さらに体を小さくして、何かに耐えていた。固く結んだ唇は今にも泣き出しそうだ。
 ナナコは信じ切れていないのだ。アキトという親の仇を。
 そんな光景を見ても知りたいという欲求は消えなかったが、相手が答えられないのならば今は諦める他にしようがない。自分も両親を失った時はそうだった、と納得させる。
 面倒な事になったな、と酷なことをしてしまった罪悪感を紛らわそうと、愚痴を漏らしてみる。
 うずくまって震える少女を眺めながらさてどうしようか、と考えていると、ふと服についている斑点に気付いた。よく見ると服の所々に点々とまぶしてあって黒い模様のようだ。黒く乾いてこびり付いているその点は、昨晩は鮮やかな色をしていたはずの返り血だった。
 気を落ち着けるいい機会になるだろうと思い、ナナコに風呂を勧めると小さく頷いたので浴室まで手を引いてやる。
 女の子用の着替えがあるわけもないので、アキトが洗ったばかりのジャージを渡した。するとナナコはぼそり、まっ黒、と皮肉みたいなことを言って受け取リ浴室の扉を閉めた。
「身元はわかっていても正体不明か」
 結局何もわかっていない。核心がここにいるにもかかわらず。
 
 
 
 北上は堂々と路上駐車しているバンの窓を開けて小学校のグラウンドを眺めていた。
 天気がいい。陽気という言葉がよく似あう。
 そのグラウンドでは体育の時間らしく教師が声を張り上げて統率を取ろうとしている。大人しく言うことを聞くもの、声など全く耳に入っていないかの如くはしゃぐもの、どっちつかずの位置で何事か話しているもの、様々だ。
「おい、おまえら」
 はい、と車内の3人が答える。
「おまえらガキの頃、あの中のどういう位置にいた」
 3人は顔を見合わせてからグラウンドを向き、上司が何を言おうとしているのかを理解しようとした。その後、隅にいる奴だの、笑っている奴だの、並んでいる奴だのと三者三様に答える。
 それを聞くとあまりのつまらなさに笑ってしまった。3人はまた顔を見合わせている。
「俺は、グラウンドの脇で着替えもせずに座ってる」
 一人が体が悪かったんですか、と恐る恐る尋ねたのでまた笑ってしまう。
 何にもわかっちゃいない、そう下す。
「人を眺めるのが楽しみだったんだよ。わかるか? クラスの中で他の奴がどういう位置にいるのかを観察し、自分の位置を確かめるんだ。普段話してる奴が他にどんな奴と話してるか、他のクラスのどんな位置にいる奴と話しているのか、そいつは自分をどの位置にいると思っているのかを見るんだ。おもしれえぞ。これをやっているかいないか一生に関わる、損したなお前ら」
 だいたい体が悪いわけねーだろ、俺は健康優良児そのものだ、という独り言じみた嫌味を言ってみる。
 それを聞いた3人のうち2人は苦い顔を浮かべ、1人は震えた携帯電話を取り出した。
 グラウンドではやっとの事でサッカーの授業が始まろうとしている。メンバー分けをしようと教師が号令を掛けると、一部から非難の声が上がった。いつもと違うわけ方をしようとしたのだろう。声は他にも飛び火したが、「どうぞご勝手に」という雰囲気の冷めているものもいて、自然にその一人を見詰めていた。
 電話に出ていた部下が深刻な声で話し掛けてきた。
「北上さん、プロスペクタ―から連絡があったそうです」
 プロスペクタ―、と呟くとあのちょび髭の顔が目の前に浮かんできた。
「あの忌々しい髭だな、何だって?」
「一週間後に木星から帰るので、それまでは捕らえても天川アキトは殺すな、と」
「俺には聞こえない」
「は?」
 煙草に火をつける。久々の獲物を忌々しいプロスペクタ―の下らない情で手放せるわけがない。しかも上モノと来てるんだ。だったら、終わらせるのは俺だ。
 頭の上で両手を打ち合わせる。
「全員に伝達。何としても目標を補足しろ。早く早く早くだ。できない場合は一日ごとに二日単位で有休は消えると思え。オーバー」
 揃って顔色を変えた3人の脇で、紫煙を吐き出した。
 グラウンドでは冷めた子供がディフェンダーに名乗りを上げていて、何となく、少年、と呟いていた。
 
 
 
 アキトは受話器を取る。
「夏野さん。今いいか」
「ええ、さっきまで査察部に頭を下げてたけどもう大丈夫です」
 痛烈な嫌味に気まずさと同情を禁じ得ない。だがここで慰めあっていてもしようがないので一呼吸おいて、本題に入った。
「いろいろと調べてみたんだが、木連共栄…、長いな。とにかく奴らソーダに関わってたのは確かなようだ。どうもソーダを作った大元らしい。奴らはネルガルの作動性神経路に関するナノマシンの研究を盗んだ。向居タツミって60歳の研究者が死亡した事件が一年半前にあったんだが、彼がさっき言った研究の第一人者で、盗まれたのは脳内の血液脳関門って言う、平たく言えば化学物質のフィルターについての研究から派生したナノマシン技術らしい。詳しい事はファイルにして送信しておく。
 矢矧アイコはその愛人で木連なんたらが金で取り込んだ研究員だ。ああ、ちなみに順番は逆で、取り込まれてから愛人になったらしい。矢矧の本名は向居ジュンコ、向居タツミの親戚だ。
 ネルガルが俺に懸賞金掛けたせいで、その木連なんたらにも狙われてる。生死を問わず、だそうで、もう知ってるだろう? そこまで焦って探してる危険物資についてはまだ何もいえない。悪いけど」
 そういえば、アイコにやばいものには近づくなとか説教をされていたのを思い出し、溜め息が漏れた。
「どうして言えないんですか?」
 幾分怒気が込められているリツの声に、どれだけ彼女が苛められているのかが推測できた。
「さあ、わからない」
 身勝手な返事に、リツは怒りに震えているのだろう。受話器の向こうは無音だ。
 だが素直に答えた結果がそれなのだからしょうがない。連合も放っては置けない、そう言っていたのだから、おいそれとは明かせない。
「あの、頼み事があるんだが……」
「さっさとどうぞ」
 ……優しい声があからさまに痛く、苦笑いを洩らした。
「どうも木連なんたらが流してるソーダの、流通組織がわからない。俺が深い部分に近すぎるからだろうから、そっちならすぐにわかるだろ。木連なんたらの幹部会決定でそいつらが危険物資を探しているらしい。用心したいんだ」
「それならすぐにでもわかります。ええと、流通させてる下部組織はサベイジって名前ですね」
 すぐに連中のファイルが送信されてきた。電話機のディスプレイを触れて保存する。
「危ないですからね。それでネルガルはどうしますか? こっちで押さえます?」
「無理だよ。なに言ったってあいつらは止まらない。俺がいた頃のシークレットサービスとは違うんだよ、もう。昔世話になった人に連絡取ろうとしたら、アドレスは全部変えられてるし、繋がらないようにしてるみたいだ。何時までも仲良くはしてくれないもんだな、世知辛い奴らだ」
「代わりがわたし達ですよ。
 ネルガルは盗まれた技術の奪還か隠蔽を狙っているわけですね。それがどんなものなのか知しませんが、ろくなものじゃないでしょう。ネルガルはあなたが危険物資なるものを所持しているという情報を提供する形で接触してきましたが、おそらく警察側にどんな情報があるのかカマを掛けてきていたんでしょうね。おあいにく様、何にも知りませんでしたけれど。どうりで、テンカワさんが危険物資について何も言えないはずですね。きっとあなたが私達に話せない内容だって確信しているんでしょう? でなきゃこんな下手は打ちません。もし話せるなら私たちにも知られてしまいますから。
 覚悟してください、これウチの事件になりますよ」
 ウチとは無論調査係のことだ。遺伝情報の非合法研究を追う彼らは、その研究結果を闇に葬る事も仕事の一つになっている。
 それはネルガル相手でも怯むことなどないらしい。リツの語気には疲労と共に興奮が感じられて、ちょっと頼もしい。
「それじゃ話せるようになったら、また連絡する」
 気をつけてくださいね、とさっきと同じ様な台詞を残して電話は切れた。
 ネルガルの研究、それを奪ってソーダを開発した木連共栄協同団。やはり木連なんたらの産物がナナコだろう。それを消そうと躍起になっているネルガル。
「私のこと、言わなかったんだ」
 その声に振り返ると、風呂から上がったナナコが黒のジャージに着替えて佇んでいた。
 頬は桜色に染まっていたが、目が腫れぼったく重たげに沈んでいる。風呂場でも泣いていたらしい。
「ぶかぶかだよ、これ」
「ああ、ぶかぶかだな」
 文句が言えるのだから随分と落ち着いたらしい。
 黒のジャージは大きすぎて、袖も裾もまくっている。その姿は可愛らしいといえば可愛らしかったが、どこか巷の若者の格好に似ていて、生意気に見えた。
「男の人ってさ、女の人に自分の服を着せるのが好きだって聞いたけどアキトもそうなの?」
 何のことを言っているのかわからない。
 自分の服を着せるというのはどういう事かと聞くと、どうやら男もののYシャツを女に着せることだとわかった。
 男しかいないテロ組織なんかにいたおかげで妙な知識がついたらしい。
「みんなそうなの?」
「さあ、人それぞれだろうけど、多いんじゃないか」
「どうして好きなの?」
「……単に可愛いからか、あるいは……。自分の服を着せることで自分のものにしたっていう感覚があるのかもしれないな。征服願望とか所有願望とか男性特有のものだろう。まあ真っ白なYシャツを着た女……、か。もしかしたら白無垢を想像させるのかもしれないな。わかるだろ、お嫁さんが結婚式に着るやつ。あれは一生を共にするっていう意味の死に装束って言われるくらいだから……」
 一体何を話してるんだ自分は、と我に返る。
 懐かしいデジャビュを感じ、このノリはラピスの時と似てるのだ、と思い当たった。
「物知りだね、アキト」
「こういう話を始めたやつには、雑学王とかマメ知識とか言ってやると喜ぶ」
「ふーん」
 ナナコはマメ知識ってなんだろう、という顔をしている。
 ああそうか。こういう会話で妙な知識を備えてしまったんだ、この子は。
 と合点がいってしまう。
 突然、アキトはいい人だね、なんて臆面もなくナナコは言った。
 ナナコの存在をリツに言わなかったからだそうだが、それは矢矧アイコという人物が命を賭して行ったことを思ってのことで君のためじゃない。そう言うとナナコは考え込んでしまった。
「でもアキトはいい人だと思う」
「君のお父さん、北辰の方がまだ俺よりマシさ」
 驚いた瞳に、法で裁かれてるからな、と付け足すと今度は困惑の色を浮かべている。
「いいか。俺は統合軍の装備品も壊したが、北辰とやりあったせいで随分ととばっちりを食った人もいるんだ。怪我をした奴もいれば、死んだ奴もいる。そういう責任を負うには法律ってのが一番手っ取り早いし効果的だ。わかんないだろうが社会的ってやつだよ。だから普通に見れば、心を狂わせたままでも判決を言い渡された北辰は俺よりマシさ」
 ナナコはしばし黙考して、アキトは自首しないの? と疑問を口にした。
「俺は出来ない。いろんなことを知りすぎて、喋べられちゃ迷惑なやつが多い。こうして連合警察に鈴をつけられて生きているが、絶対に裁かれるわけにはいかない。だからさ、俺を殺したきゃ遠慮はするな。君にはそれしかないし、やっていい」
 小さな顔はその話題はやめてくれと、眉を怒らせている。
 それを見て確かにいい話題ではないな、と思った。
「……さっき北辰はマシだって言ったが、あれは普通に見ればの話だ。正直、どうやったら罪を贖えるのかなんて俺にもわからない。でも、悪人らしく裁かれたあいつは羨ましいよ。顔も思い出したくはないが」
「……政治家に頼めば助けてくれるかも」
 意表をついたそのアドバイスに、悪いとは知りつつも吹きだして笑ってしまった。
 ナナコは何か馬鹿なことを聞いたのだと思って、自分を恥じているようだ。
 そんな必要は全くないのに。
 それにしてもこんなに綺麗な返事は久しぶりだ。きっと、鞘原という男が政治家になる野望を秘めていたからに違いない。草壁を解放して木星圏を壁の中にしまいこみ地球側の圧力を排除してから後、対等に接しようという理想。それが影響しているのだろう。彼女にとって政治家というのは「善人」なのだ。
「政治家って言うのは人を押さえ込むためにあるらしい。誰かのためにあるんじゃないんだと。だから助けてはもらえないな。第一、そういうことは好きじゃない。一方的に押さえつけるだけの力なんか下らない。ぶつけ合えるものでなきゃ面白くない。張り合いが無いのさ。これが善いか悪いかは別だけど、そういえば喧嘩なんて嫌いだったんだけどな……。いつの間にか好きになってたよ」
「……戦争?」
「戦争は政治だと」
「でも、連合警察は政治でしょ?」
「ああ……。全くその通りだよ。――――都合よく接してるんだ、俺は」
 
 
 
 
 


※歌い損
 語りださせると止まらない北上君。台詞削るのが難儀でなりません。
 鋭意、修正に尽力す。

 

 

 

代理人の感想

世の中には子供を着せ替え人形にして喜ぶ母親も結構多いもんですが、

それとこれとは別なんでしょうか(笑)。

 

>北上

「語る」タイプだったんですね〜(笑)。

にしても……・健康優良児(汗)?