はじまった後



 
 通告T
 
 食堂の喫煙エリアにあるソファに座り、夏野リツは煙草を咥えた。
 禁煙を目指しているのでは火は着けず、ただ香りのみを楽しむ。不眠症気味で昨晩から一睡もせずに処理に追われていた頭には心地よく、不意に眠りに落ちそうになる誘惑から救ってくれる。
 今回の失態は普通ならば停職も止むをえないところなのだが、調査係という特殊な立場のために訓告程度で済みそうだった。
 先ほど木連共栄協同団の親組織である木連生活共栄組合では内部抗争が起きたらしく、食堂には誰も居ない。いたって静かだ。足音さえ、無い。
 そこへ携帯が鳴った。
 取り出してみるとディスプレイにあるのは見も知らない番号で、リツはちょっと不審に思いつつもボタンを押した。
「夏野ですが、どちら様でしょう?」
 電話口からは刃物というより針のような声が聞こえてきた。
「ネルガルのSSですが、テンカワアキトの引渡し、了解してもらえましたかね?」
「現在検討中ですが、おそらく不可でしょう」
 なぜ? と男は訊ねた。
「その必要が感じられないからです。いったい危険物資とはなんなのでしょうか、それがわかれば対処の使用もありますが」
「私は話してもいいと思ってるんですがね、駄目だ、と念を押されておりまして」
 能面のような声だ。リツは相手の巧みな会話術に惚れ惚れするような想いを抱きつつ、自分の右肩をもんだ。コリが染み付いている。苛立つのみで面白いことがない。
「確認いたしますが天川アキトは引き渡せない、そのような意向でしょうか?」
「ええそうです」
「わかりました。それではこれにて失礼いたします」
 そう告げられて電話は切れてしまった。
 
 
 通告U
 
「暇ならさ、寝たらどうだ」
 机に向かうアキトはナナコを見ずに愚痴た。
 既に野良の黒猫は去っている。眩しかった夕日はその勢いを弱めて部屋のいたるところに紫色の影をつくっていた。
 そんな中、ナナコは一人窓辺で時間を持て余している。寝っ転がり、銃弾を転がし林立させた銃弾を崩す。その音が癇に障るのだった。
「寝るの嫌いだし、眠たくない」
「よい子は寝るもんだぞ」
「よい子じゃない」
「寝る子は育つっていうぞ」
「老けたくないもん」
「チビ」
 言った途端、部屋の一画に生じた怒りの空気を感じて、アキトは反撃に備えるためにそちらを向いた。軋んだ椅子の背が音を上げる。
 見れば、和風な顔立ちに似合わなくさせた眉がこちらを威嚇している。どうやら身長のことは逆鱗に触れるようだ。背は、歳からして低い方とは思えないが、彼女にとっては怒りに直結するらしい。
 さあどうくるか。少し遊べば疲れて眠る気にもなるだろう。
 そんな企みを浮かべたアキトの机で、電話が鳴った。
 開戦はお預けか、と考えつつ視線をはずして受話器を取る。番号は近くの武器製造業を営む会社のものだ。おそらくは、彼だ。
「もしもし、第七倉庫」
「ハロー、天川。紅蓮の穂先工業の社長でーす。元気ー?」
 能天気な声に、アキトは絶句させられた。
「黙るなよ、つまらん」
「元気ですけど、そちらは?」
「景気は良くも悪くもないな。いたって普通だ。ところで天川、おまえ宛に連絡がある」
 急に改まった口調になった。
「町内会の決まりごとは知っていると思うが残念な回覧板だ。15分ほど前から武装している人員、だいたい32人がこの町内に侵入してる。目的はわからんがおまえの家を囲みつつあるのは確かだ。約束は?」
 ここは夏野リツにも話していないから無いに決まっている。
「武装はセレクティブファイア可能とみられるライフルが25人、9mmぐらいの短機関銃が5人にスナイパー2人。スナイパーの射程はだいたい1kmてとこか。おまえの家から700mのとこに配置されてる。前門にも後門にも。あと対戦車ミサイル担いでる奴もいるな、まあ壮観だ」
「…町内会の規定だと他に被害を出した場合は罰金で、足りない時は私財没収だったかな」
「勿論。あ、」
「今度はなんです?」
「…悪い知らせだが、なんか侵入者が増えた。武装は…、よくわからんな。まあ、ガンバレ」
 気休めの励ましを頂き、アキトは感謝の言葉を述べて受話器を置いた。ついでに車を一台待機してもらえないかと頼むと、簡単に了承された。接触できるポイントは遠いが、そこまで行けばあとはどうとでもなる。
 包囲しつつある彼らはネルガルのSSだろう、と直感する。32対1。どこで居場所を突き止めたのかは知らないが確かに盛大なパーティーになりそうだ。
 夕闇が闇に変わろうとしている。
「ナナコ。逃げるぞ、仕度しろ」
 それを聞いて振り返った彼女は、真剣なまなざしでこちらを向いた。腹の前で両手を組んでいる。
「…ネルガルがきたの?」
「ああ。もう最悪だよ。本当についてないなぁ」
「助けてくれるの?」
 意地悪くちょっと逡巡して頷くと、ナナコは困ったような表情を浮かべた。それを見て、気兼ねするくらいの常識があるのだから助けるに値するな、などと考えてみた。
 笑顔を向けると、さらに困ったような顔を浮かべる。
 不意に、右手が疼き出しているのを知った。憂鬱な状況が面白くなってきたのはいいが、さてどうしたものかと考える。こういう時はジョーカーで一発なのだが…。
「ナナコ、おまえ木連の挺身隊にいたか?」
 首は横に振られた。突破しかないようだ…。

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 ターゲットの倉庫がある錆色の地域は風も無く静かだった。夕日の残り火が明るく、どこか寂しそうに消えかかっている。ばいばーいと言って家路を急いでいく友達のようだ。
「班長。予定時刻一分前です」
 その声に、都築が再生していた記憶の光景は消えた。
 振り返ると、後ろに身を潜めていた一人の部下の目の前を、黄土色した蟹が横切っていた。ネルガルシークレットサービス配下の強行班である彼らは、岸壁近くの消波ブロックに身を隠して全てのパーティが配置を完了するのを待っている。波にさらされ、防水の効いた戦闘服には塩の匂いが染み付き始めていた。
 都築たちA班は突入の先陣を切る精鋭部隊だ。携行型対戦車ミサイルの轟音が倉庫二階部分を破壊すると同時に、一階入り口までの約200mを駆け抜けエントリーする。内部にいるものは余さず残さず殺害しろ、それが彼らの受けた命令だった。
 都築は不安を感じていた。
 なぜなら今回の標的がネルガルで訓練を受けた相手であり、こちらの手の内を見透かされている可能性があるからだ。先ず間違いなく任務は果たせるだろう。しかし、
(何人が死ぬかな)
 無事に帰ってこれぬ者もいるだろう。そんなことは覚悟の上なのだが、班を任されている以上、班員は命に代えても生き残らせるのが自分の務めでもあった。
「班長、何かおかしいです」
 後ろにいた部下が、厚い眉を怪訝そうに寄せながら首を捻っていた。
「どうした」
「D班の応答がありません。確かに聞こえているはずなんですが」
 彼は再度呼び出しを試みていたが、反応は無いようだった。
 D班は携行型対戦車ミサイルで先制を掛け、その後バックアップにまわる部隊だ。彼らの攻撃が合図で全てが始まる。
 腕時計が予定した時刻を過ぎている事を知らせていた。
 やはりどういう訳かD班に動きはない。
「隊長はなんと言ってる」
「……だめです。指令車からも応答がありません」
 眉間の皺がさらに深くなっていく。
 都築は、嫌な予感に汗が冷たくなっていくのを感じた。
 辺りのマップを思考の場に呼び出し、立体的にこの戦場を把握しようと努める。
 見つけた。
 スナイパーの一人、桂が、待機位置の倉庫屋上から少し西に動けばD班がいるべきポイントをうかがえる。
「桂を呼べ。D班の状況を確認させろ」
「了解」
 幸い、桂に通信は可能だった。
 もたつきによって、せっかく上げたテンションが裏目に出始め、苛つきを隠せない班員達をなだめながら桂からの報告を待つことにする。
 突然、作戦が始まるまで使用を禁止していたインカムが通信を受けていることを知らせてきた。都築が冷たくなった汗をぬぐいながらインカムのスイッチを入れると、桂が半ば混乱したような声で喋りだした。
『つ、都築さん! D班全滅です! ひでえ、血まみれだ!』
 場が一瞬空白に包まれる。
 桂の声に乗って錯乱が伝染しそうになったのを打ち消し、桂に冷静になるよう怒鳴る。落ち着いてきたのを確かめると、ことの真偽を詰問した。
「桂、D班は全滅したのか」
『はい、バラバラにされてます! 体を、バラバラに・・・!』
 カラダをバラバラ―――?
 それを聞いて、都築の思考は報告を現実として受け止め難くなってきた。D班が何の通報もできないうちにそんなことは可能だろうか。いや、不可能だ。D班とて精鋭だ。不意を打たれたぐらいでそんなことはありえない。大体、バラバラとはいったいどういう事だ。強力な分隊支援火器などなら一瞬の内に実行可能だとしても、一切銃声はしなかった。
「班長、B、C、Eから状況を知らせてくれと・・・!」
 ここでも混乱しかけている部下の、その鉄帽を軽機関銃の銃把で叩く。
「D班は全滅、こちらは異常ナシ、だ。桂! そっちならB班の状況も視認できるだろう。どうなってる!」
『待ってください。……。……。……。B班、見えます。無事です! こっちに気付きました。――あ』
 インカムの向こうで桂が息を呑むのがわかった。聴覚がインカムに吸い込まれる。
『後ろだ!! 後ろにいるぞー!! 高田! 後ろだ!』
 桂の絶叫が響く。高田とは確か、桂の同期でB班の班員だったはずだ。
 静かだった海辺に数発の銃声が響き、途端にあちこちで発砲が始まった。耳慣れた音は確かに自分達が使っているライフルのものだった。
 班員達が消波ブロックの隙間から辺りをうかがい始める。断続的な発砲音に混じって悲鳴も聞こえ出した。
『ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! 当たれっ! なんだよ、…何で死なないんだ! 高田、下がれー!!』
「桂! どうなってるんだ! 桂! 桂!」
『わかりません、都築さん、わかりません! ナイフを持ったやつらがB班を襲ってます。やつら当たっても、腕を飛ばしても襲ってやがる! 糞、当たったら死ねってんだよ! バケモノかよ…』
 桂の声はかすれ、悲鳴に近くなっていく。
「スナイパーなら冷静になれ!」
「班長! B班は後退するそうです!」
 部下が無線からの情報を報告してくる。その顔は混乱に染まり始めていた。
 情報を共有しようと、インカムを全ての班に対してオープンにする。だが、どこも戦闘状態にあるらしくまともな返答が返って来ない。
(こんな時の為の指令車じゃないか、どうしたっていうんだ! …冗談じゃないぞ)
「くそ! 桂、B班の後退を手伝え。腕が駄目なら足、足が駄目なら腹、腹が駄目なら頭だ」
『りょ、了解』
「他の班はどうなってる!?」
 部下は無線機に向かっていながらいまやってます、と言った。
 静かだった海辺は錯綜する銃声に包まれている。
「班長。C、E共に交戦中の模様。A班は突入したらどうかとの話ですが・・・」
 突入しろと言われても作戦は既に崩壊し、これだけ音を立ててしまっては成功の見込みはない。第一、既にD班は全滅、B班は後退中だ。
 都築は振り返ると、後ろに控えている男たちを見た。見開かれた、光る白眼に囲まれた瞳達がこちらを注目している。
「A班は…、A班はこれから…。これから、戦域に取り残された桂、東野の両スナイパーを回収したのち脱出する。何が起こっているかは俺にもわからんが、全員覚悟しろ」
 おぅ、と低い声が返される。そして都築達は未開の地を駆け出した。
 事前に開けておいた金網を潜り抜け、コンテナに沿って走る。都築の後ろでは、部下が桂と東野にしきりに指示をしていた。
 50mほど走った頃、目の前に何人かの人影が何の統率も無く、奇妙な足どりでふらりふらりと現われた。マントもズボンもブーツも黒で、顔に着けたキツネの面が異様さを際立たせている。
 彼らは鈍重そうに見えたが、それは間違いだった。
 こちらが狙いを定める間もなく相手は恐ろしいほどの速さで迫りナイフでの一撃を繰り出してきた。都築は相手のナイフを銃で受け止め、膝蹴りで相手の腹部を蹴り飛ばす。その最中に見たキツネの面の下の瞳は、人間のものとは思えないほどに鮮やかに充血していた。
 こちらが統率の取れた掃射を始めると、敵は何事か叫びながら逃げ去っていく。
「あいつら何か薬を仕込んでるな。ったく、厄介な」
 その時、ターゲットであった倉庫の二階部分が爆発し、A班は瞬時にうつ伏せになっていた。
 辺りに微塵になったガラスの破片が滝のように降り注ぐ。
 都築が腕で目を覆いながら黒煙を吐き出す倉庫を見ると、その煙の中から艶の無い、一機の黒いエステバリスが現われていた―――。

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