はじまった後



 
 
 狂笑を浮かべた顔が迫り、湧き上がる衝動が意識に収束していく。
 迷いない意思に突き出された右拳が体を深く貫き、男を絶命に至らせた。抜き出す拳には千切れた肉が襞のように絡みつき、引き摺り出すとぬるい体温を残す血が溢れ出す。濡れた拳の下で光るのタトゥーが疼きを増す。臭気が漂い始めた――。
 
 
 毎度通う殺害の夢、その幕が降りる。
 汗の冷たさはいつもの通りだが、天井は見たことのないものだった。
 ガラス窓から差し込んできた光、その先に目をやる。紫に翳る空が広がっている。それが朝なのか夕なのかすぐには分からなかった。多分、空気の冷え具合からして夜明けを目にしているのだろう。
 光る雲が揺れている。それは微光をもって帯状にたなびくオーロラだった。
 ぼんやりとそれがこの星特有の現象であることを思い出し、自分がいま火星にいることを思い出した。
 故郷の星で、アキトは粗末な硬いソファの上で眠っていた。
 体を起こす。うす青く沈んだ部屋には雑然とした調度品が居住空間かたちづくっていて、ソファ近くの閉じられたドアからは光が漏れていた。ともに漏れている人の気配を辿ろうかとソファから降りようとして、アキトはうずくまった。左の脇腹に激痛が走る。上げそびれた腰をもう一度ソファに落ち着かせつつ、何事なのかと思う。痛みに堪え、黒いつなぎに似た戦闘服のジッパーをおろす。すると腰に近い肋骨のあたりに湿布か何を押さえる包帯が巻いてあった。記憶にはない。
 触ってみるとかなりの痛みがあったが我慢できないわけではなく、打撲か切り傷のようだった。
「おはよう。ずいぶんと早いお目覚めね」
 唐突に開かれたドアから、強い光が差し込んでくる。
「つ……」
 腕をかざして目を細めると人影が一つ浮かんでいた。
 女の声を発したその人影はすらりと背が高い。目がなじんでくると、細いジーンズに体に沿った薄手の黒いシャツ、その上には白衣を着ているのが分かった。
 ――確か昨日も見なかったか。
 既視感に誘われて色白の顔を見詰める。
 に、と笑った艶のある赤い唇。傍には金の一条ほつれ髪。アキトは途端に昨日の灼熱を思い出した。
 イネス・フレサンジュ。年増の少女はかつりと踏み出した。
 
 
 渡されたボトルに入ったミネラルウォーターを口に含むと、体も頭も落ち着き始めた。
 一息つくと途切れていた記憶が脈絡をもち、容易く手繰ることができる。ここは、ユートピアコロニー跡地にある連合の派遣した調査隊が使っている出張所らしい。A級ジャンパーの発生を調べるために、地球人の移住先でありその親から生まれた子供の出生場所であるコロニーを調べるための簡素な施設だ。プレハブを二つ重ねたような按配。
「助かった。無理言って悪い」
「抜け出すのは大変だったけど、もっと大変だったのは車の運転ね。オートにすればいいんだろうけど地図にも載ってない場所から掛けてきて待ってるって言われてもねえ。再会が救助要請とは恐れ入ったわ。――傷はどう?」
 アキトは小さく笑い返す。イネスは極冠遺跡のあるイワトから抜け出して出張所まで移動し、備えてあったジープを使ったらしい。
 あの日、ナナコを連れてジャンプしたアキトが出現地点に選んだのは火星の、ユートピアコロニーから離れたところにある海岸だった。そこは子供の頃に両親に連れてこられたことのある、穏やかな砂岸。行きたいとねだって連れてきてもらったわけではなかったが、海に削られていく砂が記憶に残っていた。
 ボゾンアウトして、アキトは途方に暮れた。
 ジャンプフィールドを形成するためのCCが無く、ナナコは眠ったままで起きることは無く、エステバリスのコクピットに積んであった救難キットは置きっぱなしで通信ができない。
 いろいろと考えた末、記憶を頼りにユートピアコロニーに向かうことにした。すでに昇っていた太陽が火星の赤い地表を熱してアキトを苦しめた。一体、気温はどれほどだったのだろう。ひび割れ、崩れた道を子供を抱えて歩くの苦しかった。
 ナナコには確かに息も鼓動もありそれは寝顔であったが、悪い予感が離れなかった。
 ジャンパーであったこと、執拗な追跡もアキトを悩ませた。  戦争で消滅したはずのコロニーに向かうことには、ある算段があった。アキトの歩く道は工事が中断された高速道路であって、コロニー近くに行けば行くほど整備されているはずだ。だとすれば、ある程度行けば事故があったとき用の電話か何かが路肩に立っていてもおかしくない。ケーブルではなく衛星を通じた回線だろうから、アキトのもつ腕時計型のコミュニケをつなげば何とかなるかもしれないと考えたからだ。最低、工事をしていた業者が放置していった通信手段があればいい。ただ気掛かりなのは、当時の衛星は残っていないだろうから現行の衛星にアクセスしなければならないことだった。
 ナナコが日射病にならないように日陰を選んで休憩を取りつつ、半日歩いてようやく電話機の収められたボックスを見つける。長い昼にアキトは水分を奪われ、目がかすみ始めていた頃だったから、心底運がいいと感じた。光発電のバッテリーが生きていて、すぐに回線を開いた。
 戦争後の火星は閉鎖され、人は研究と管理のため極冠遺跡に何人かがいるに過ぎない。
 その中に、イネス・フレサンジュの名前があることを知っていた。比較的親しい関係にある。
 ネルガルから新地球連合の研究団に出向しており、ボゾンジャンプに関係する遺跡やジャンパーについて調査を行っているはずだった。
 輻射熱にやられて熱中症になったアキトは陰で休み、ただ耐えていた。日が傾き始めた頃、ジープが砂を散らす音が聞いた。傍らに停まり、医療ボックスを肩から下げ、イネスが険しい顔つきで降りてきたのを覚えている。
 
 アキトがボトルに口をつけた。
「……ナナコは?」
「そのことを聞きたかったんだけど、訊いてもいいかしら」
 「ああ」と頷く。「訊いてほしいんだ」
 イネスは、アキトに信頼に足る人物だと信じられているのだと感じた。
 戦争中のナデシコ時代、彼のユリカを奪われ何かが変わってしまったクーデター中と付き合いは長いが、変わった後にも頼りにされているというのはどこか安心させられる。
 イネスは窓のカーテンをひいて、アキトに向き直った。軽く腕を組んでみる。
「熱中症は大した事なかったわ。でもあの子はまだ起きていない。いくらなんでも長すぎるだろうと思ってスキャンを掛けてみたけど異常はなし。血液検査もおかしなところはなし。スキャンした時、ナノマシンの補助脳が形成されていたのは分かっていたんだけど珍しいものじゃないでしょ。もしかしたら何か悪さしてるのかと思ってエコーで調べたのよ。ここにも機器はあるの。規模は小さいけど」
 驚いたわ、と一拍置く。
「あの子、A級ジャンパーね。しかも火星出身者ではない、ナビゲーター。
 体内を巡って活動しているナノマシンは間違いなくDNAの書き換えを行ってるわ。耐性を作るB級用のナノマシンを流用はしているのでしょうけど……、とにかく詳しいことはイワトに戻らないと分からないけど。それと、ナノマシンが睡眠中の心理表象を消しているみたいね。夢が見られないようにされてる。一体、何者なの? あの歳の子供をA級ジャンパーにできる技術は何処の誰が作ったの?」
 どうしても詰問するような口調になってしまう。それは自分もA級ジャンパーであるからだ。ナビゲーターと呼ばれる能力者は、今では3人だけになってしまった。彼らは狩られ、消費された。
 沈黙を破ってアキトの左手にあったボトルが潰された。
 どこか憮然とした表情になっていたことで、思い当たった。
「……知らなかった、のね?」腕を解く。「A級であるということも?」
 返答はなかった。ただただ握りきった左手を震わせている。薄く、体にナノマシンのパターンが発光したように見えた。
 イネスは目をそむけていた。一体何から目をそむけたのかは考えなかった。
「……そんな気は、してたんだ」
 低く呻いたアキトの声が耳に残る。
 
「……俺は、正しくないと分かっていても殺すために人を殺した。許せない、目障りで邪魔で憎くて、恨みきって殺した。許してもらえるなんて考えたことはない。だからって、忘れられるはずはない。だから何か償える道を探して、馬鹿な研究をする奴らの逮捕に協力してきた。そのためならこの命を懸けられると。
 救えなかった命は多過ぎる。起こっていることに慣れるようにもなった。けど、受精卵のままだったり、培養室のなかだったりするのを見ると、俺は絶望しなきゃならない。それは慣れることなんてできない」
 握りきられたボトルが軋む。  聞きながら、イネスはカーテンの隙間から外を見る。
「ナナコは笑ってた。泣いたし、怒りもした。あいつが望んでジャンパーなんかになったのかは知らないが、利用されていたのは確かだろう。一人を生み出すために、犠牲になった数も分からない。成ったのがナナコだけなのかも分からない。ただ、あいつは北辰の娘だ」
 心臓が鳴ってイネスは振り向いた。今、なんと言ったのか。
 俯いたアキトの表情はうかがえない。
「北辰を殺されて」アキトは視線を上げる。「……俺が殺して、ナナコは母親が再婚して義父のテロ組織に入った。きっとその先でいじられたんだろう。
 俺は、なにを……。俺は……、俺は起きていることに慣れて。たかだか絶望なんて感傷に浸って。救うためだったはずが償いのためなんてことと綯い交ぜにして喘いでいる人間を忘れて! 死にたいなんて考えて……、俺は遅れていったんだ」
 絞り出すようにして話した。
 イネスは閉じていた目を開く。
「いままで何をしてきたのかなんて知らないわ。アキトくん、きみは手を抜いたのかもしれない。なら、それは背負わなければならないわね。背負えないなんてことはないはずよ。きみが負っていた責任なんだから」
「そんな責任、俺は本当に背負ってたのか。ふりだったんじゃないのか。だいいち、俺にそんな力はあるのか……。出来ることなんて、無いんじゃないのか」
「あるに決まってるでしょう。いい? 私が確信をもって言うことに間違いはないのよ」
「……なぜ」
「あのねぇ、私は艦長よりも長くきみの力を信じてきたのよ。きみは私たちを守ろうとあのシェルターで戦って、私は20年前に飛ばされて、再会して随分色々あったけど、今まできみの力を信じてこれたのよ。それをいまさら無力だなんて言わせないわ。――私のお兄ちゃん」
 見詰め合って、アキトは堪えきれなくなったらしく微かに笑った。
「キツイな……。ああ助けに行かなきゃ、な。間に合わせないと。……くそ、ぐずってる暇なんてないのか」
「そうよ」イネスは腕を組んで、意地悪く笑う。「いいところ見せないと。随分と格好の悪いところ見せちゃったんだから要求は高くなるわね」
 言ってイネスは笑む。
「じゃあ、もう一度訊くよ。本当に俺に出来ることはあるのか?」
「私に二言はないわ。行って果たしてきなさい」
 
 
 
 まだ海水浴が楽しめるのかもしれない。大きな広告には水着の上にTシャツを着たカップルが海を眺めていた。
 メルボルン国際空港から出るとリツは熱気に包まれる。秋に入ったオーストラリアは3月の東京とは違い暖かく、空気が湿っている。中天に近づいた太陽が作りだす影は濃い。
 リツは指定されたターミナルへ向かう。遮光された歩道を歩き、オーストラリアにある新地球連合支部からの迎えを待つ。
 高木が何処からか引っ張ってきた監査報告書によると、木連生協に資金を流しているのはクリムゾン・グループのアメリカ支社らしい。そこでリツは、他には目もくれずにカリフォルニアにある研究施設の統括、ジョン・スカイガードに目星をつけた。名前だけなら聞いたことがある。ボゾンジャンプ技術ではヒサゴプランによってその優位性を示したクリムゾンにおいて、ただ一人ネルガルの持つ人型機動兵器や戦艦における単体でのボソンジャンプシステムの脅威を説き、颯爽と対策チームを組んだことで有名だ。
 リツの推測が間違っていなければ彼の周囲で動きがあるに違いない。そう考える。
 ならばアメリカへ渡るのが正攻法かもしれないが、超大企業のクリムゾンの根幹を揺るがすことになるわけだから先にパイプを作っておくことが必要なのだ。連合警察による特別強制調査が入ります、そう伝えれば相手は動くだろう。それは巨木が振り落とした枝を落ち葉を拾うことになるのだが……。
 る、と一音、携帯が鳴った。
 迎えからかと取り出すと眉間に力が入るのが分かった。ディスプレイにある名前は行方不明者からだった。
「もしもし。テンカワさん、生きてたんですか」
「……生きてる。遭難しかかったりと忙しかったけどな」
 返答が来るまでに間がある。どうやら遠いところにいるか、遅い回線を使っているらしい。
「ヤサが襲われたそうですね。大変だったのは分かりますが丸一日空けてやっと連絡ですか。――それで何の用件でしょうか」
 再び手配されるところだったのに、とは言いたくなかった。
「……ネルガルから連絡がなかったか、訊きたかっただけだ。あれから何か変わったことがなかったか」
「ネルガルは何も。あとは木連生協の活動が落ちたことぐらいでしょうか。
 私達も新たに行動を始めていて忙しいのですが、よろしければ協力してくれませんか。まずは調査係のほうへ出頭してください。指示は、それからです」
「……手が離せない。出頭はしない」
 返答が遅い。いちいち空く間がなぜだか腹立たしい。
「手が離せないとはどういうことでしょうか。あの日、勝手な行動をとって以来、追われているのは分かりますが全く指示に従ってくれないじゃないですか。私たちで身柄を預かれば襲われずに済んだんですよ。待ってくれというから、話せるようになるまでというから待ちましたが、事態は話せるようになったのでしょうか」
 言ってしまってから自分がひどく腹を立ていることを知った。怒りがまた苛立たしい。だが、相手に非があるならば当然のことだろう。
 空白が進む。意識してから5秒待って、それを返答とした。
「話せない、ということは話したくないと取っていいんですね。こちらでは大体の予想はついていますし、今ので強まりました」
 一つ息を吐く。
「あなたはA級ジャンパーに関する何かを手に入れていて、それを渡したくないのでしょう。実験体にされていた過去もあるでしょうから人造のナビゲーターなど作らせまいとするのは分かります。ですが、私たちを信じてはくれないのですか。一人で何ができるんです」
 いちいち口にしなければならない悔しさに、鬱屈した影を見た気がする。
 その捜索を遮ったのは電話口からの声だった。
「……信じてはいるさ。ただ、俺にもまだ分かっていないんだ。こいつは、もしかしたら法に合った研究の結果なのかもしれない。……違うだろうけど。どうしたらいいのかも、わからない。ただ、こいつを作った人間の思惑が知りたいと俺は思う。俺は見極めたいんだ」
 相手の声は静かだった。
「だから話せない」
「私には話せませんか。チームでしょう」
「……わかるまでは」
「分かりません。これは事件でしょう。容疑者を捕まえる私達に話せない? あなたに都合のいいように、規則を曲げてでも力をあわせてきた私にも駄目ですか」
 裏切られた、とは思わない。ただ、きっとこちらが考えていたほどには通じ合っていなかったのだ。
「ならば分かりました。引っ掻き回されるわけにはいきませんので、この件には以後手出しは無用です」
「言っただろう、俺は見極める、と。引っ込んでるわけには行かない。これは俺の問題でもあるんだ」
「俺の、ではなく我々警察のものでしょう。あなたは雇われの情報屋にすぎません」
「雇われには雇われの考えがあるさ」
 引っ込んでられない、とアキトは告げた。
「私たちと協力する気があるなら、出頭してください」 「拘束されるような出頭もしない。一人でもやるさ。それじゃあ、リツさん」
「……ここまでですか。それでは、さようなら」
 
 しばらくやり場なくしていると、黒の車体が脇に止まった。
 後部座席のドアが開いて、一人の若い男が降りてくる。
 どうぞ、と示されて乗り込むとドアは閉められ反対側から男が乗った。帽子を取って挨拶した運転手が車を発進させる。
 前を向きながら運転手が話し掛けてきた。
「実は、今日は連合の事務局へはお連れ出来ないんですよ」
 なぜ、とすぐに問うことが出来ずにいると、隣の男が継いだ。
「あなたに来られては迷惑ですから、しばらく我々と行動をともにして頂きます」
 男は笑う。
「攫おうってわけじゃありませんからご心配なさらずに。――そうだ、お飲み物はいかがですか?」
 
 
 
 
 
 


※あとがき
 9話まで書いて消しました。再度七話を書きましたが、あまり変化はないように思います。確実な勢いが欲しい、そう思います。次は書き溜めて、それから投稿しようと考えています。
 キャラが唐突に口を噤んでしまうのはやはり設定に問題があるようですね。しかも把握し切れていない。ここまで来てそれはないだろう、と思います。
 そうだ。「に、と笑った」「ふ、と笑った」「す、と微笑んだ」などなど使ってみようと思っていたのですが、やはりそれまでの人物の行動から適切でないと決まらないものなんですね。当然のことなんでしょうけど。
 「いーだ!」とか。
 この回からフォントサイズは普通にします。遅筆に鞭打って頑張ります。よろしくお願いいたします。
 何かありましたら、メールはここsazanka0707@hotmail.comへ。

 

 

代理人の感想

文章表現ですか。そこらへんはやはり慣れとセンスだと思います。

今までどんな本を読んで来たか、どんな映画を見てどんな漫画を読んで来たかどんなTVを見ていたか、

そう言った物によってセンスは磨かれていきます。

センスというよりは「素養」と言った方がいいかもですね。

つまり、平たく言うと「一朝一夕で得られるようなもんではない」と言う事です(爆)。

まぁ、そう言う表現の上手いどなたかの文章を模倣すると言う手もありますが、

それを自分のものにする努力もそれなりに大変な物だと思いますので。

(それでも素養から養うよりはマシでしょうが)

 

ちなみに、自分の「芸風」に合わないと思えばすっぱり諦めるのも一つの手です(爆)。