ブラックサレナ



〜 テンカワアキト…………… その生涯 〜



第一話 ACTION





 太陽系第三惑星地球。
 その惑星に生まれた人類が創造した科学力は、自らの星の発展だけでなく、その周囲にもおよび、月そして火星までをもその生活圏の範囲に組み込もうとしていた。
 現在、地球には国家という単位が失われ、地区として分布されており、それを地球連合政府が統轄・管理・運営を行っている。
 当初は混乱も多数あったが、現在の所大きな問題もなく事なきを得ている。
 しかし火星のテラフォーミング計画が一段落し、更なる移民計画が立案されようとしていた頃、一つの事件が起きた。
 それは遺族にとっては最悪の出来事であったが、人類にとっては些細な出来事でもあった。






  「すまないな、こんな所まで見送らせて」

  「気にすることはないよ、殆ど野次馬根性みたいなものだからね」


 紺色のスーツを着た青年が目の前のロングヘアーの青年の言い様に微笑んだ。
 その横の窓から航空船が飛び交っているのが見られた。


 ここはサセボ空港。
 この時代、空港は全て空中に浮かんでいる。
 数年前、ネルガル重工から大々的に発表された相転移機関はそれまでの動力機関の概念を打ち破り、瞬く間に業界を席巻した。
 その相転移機関を複数内部に組み込み空港を空中に位置させるアイディアもまたネルガルの発案であった。
 さらに相転移機関により自力浮遊が出来ることは飛行機という物の形すら変化させており、羽根の付いている飛行機は個人専用機や戦闘機等の小型機のみで、旅客機クラスになるとその形状は船とほぼ同様の形となっていた。


  「ヨーロッパを縦断するんだって?どうせなら月ぐらい行けばいいのにさ」

  「無茶言うなよ、そこらのコックにはこれでも厳しいんだ」


 ロングヘアーの青年の言葉に紺色のスーツの青年は苦笑いで返した。


 このスーツの青年の名前はテンカワ・アキト。
 黒髪に黒い瞳、典型的な日系東洋人である。
 雪谷食堂に住み込みのコックとして働き生計を立てていたが、近くのアパートに引っ越すのと同時に結婚することとなった。
 正確には結婚するために引っ越すことになったのだが、十九歳という年齢を考えれば早い結婚である。
 事実、雪谷食堂の主人であるサイゾウ曰く、


    「 料理の腕も結婚も十年早い 」


 そうであるが、最終的には本人の意思を尊重し相手先の父親の説得役も駆ってでていた。
 これもアキトが両親を五年前に事故で失ってから、父親代わりとして一緒に暮らしてきた情のなせることであろう。


 もう一人、ロングヘアーの青年の名前はアカツキ・ナガレ。
 前述のネルガル重工の会長である。
 やや軽薄そうな雰囲気を醸し出してはいるが、会長職を全うしているところから察するに見かけで判断すると手痛いしっぺ返しをくらうタイプの人間のようである。
 アキトとは高校時代から付き合いが始まっている。
 二人には二歳の年齢差があったが共に肉親を失っているという境遇がその関係を深くさせていた。


  「しかし…まさか、君がこんなに早く結婚するとはね」

  「自分自身が一番驚いているよ、でもユリカと決めたことだからね」

  「お待たせ、……二人で何を話していたの?」


 アキトとアカツキが苦笑しながら話していると二人連れの女性が現れた。
 一人は黒いショートヘアの女性もう一人は紫がかったロングヘアの女性だった。


  「また、何か悪い相談でもしていたのかしら?」

  「あっ、それはいけないよ。私が困るもん」


 黒髪の女性が続けるともう一人の女性が困ったような口調でさらに続けた。


  「別にそんなこと話してないよ…ユリカ、エリナさんも妙な突っ込みをしないように」

  「そうだよ、僕達はあくまで清く正しいのだからね」


 ”よく言うわ”と返した黒髪の女性の名前はエリナ・キンジョウ・ウォン。
 ネルガル重工会長秘書である。
 両親は共に健在でごく一般的な中流家庭で育ったが、祖父は東南アジアを拠点として世界的にネットワークを持つウォン家の総帥である。
 ウォン家は企業として世界的に見るとさほど大きな存在ではない。
 それでも一目置かれる存在なのはその人脈にある。
 簡単に言うと”顔役”というやつであり、その影響力は一国の長の椅子をも揺らすことが出来た。
 しかし実家での生活を良しとしなかった両親はエリナを連れ日本で暮らすことを望み、エリナもその意志を尊重し現在に至っている。


 エリナと歩み寄るもう一人の女性、名前はミスマル・ユリカ。
 アキトとは幼なじみの関係であり、先程結婚式を終えた花嫁でもあった。
 幼い頃からアキトの側に付いており、アキトへの愛情は変わることはなかった。
 プロポーズにしてもアキトにされたと言うよりさせたと言う方が正しい。
 エリナとは女子高時代からの親友であり、主にアキトとの恋愛相談等に乗ってもらったりしていた。
 ユリカも母親を早くに無くした為、父親であるミスマル・コウイチロウに男手一つで育てられ、少々甘やかされたせいかアキトより二歳年上に関わらず我を強く通そうとするところがある。
 ミスマル・コウイチロウは地球連合政府における検察庁の検事総長の地位にあり、父親の影響と持ち前の正義感からなのかユリカもまたその職を望み飛び級の制度を利用して検事となっていた。
 年齢的に問題があったのだが、新たに特別な部を増設するに当たり特例として認められたのだった。
 アキトとの新婚旅行後に就任の予定である。


  「ユリカ、何処に行ってたんだ?もうそろそろ船に乗る時間だよ」

  「女には色々あるの、余り聞くもんじゃないわよ」


 エリナがアキトに言い返していると場内に搭乗のアナウンスが流れた。
 するとアキトはユリカを促し搭乗口へと誘う。


  「ユリカ、時間だからそろそろ行くよ」

  「うん、じゃあ…エリナ、行って来るね」

  「行ってらっしゃい、気をつけてね」

  「土産話を楽しみにしているよ」


 アキトとユリカ、アカツキとエリナはお互いに笑みを浮かべ手を振りながら離れていった。
 数十分後、空港から遠離る航空船を見送り用の広場でアカツキとエリナは見上げていた。


  「………行っちゃった」

  「良かったのかい?」

  「何のこと?」

 エリナの返答は素っ気なかったが、アカツキは敢えてそれ以上追求することはなかった。
 エリナの心情を汲んでのことだ。
 アカツキは一瞬エリナを横目で見ると直ぐにアキト達の乗る航空船を見直した。
 その顔には何の表情も無く、ただ静かに見送っていた。



 ヨーロッパ縦断鉄道、これまで使用されているオリエント急行とはまた違う新規に造られた路線の列車である。
 アキトとユリカを乗せて走る列車はスイス地区に入っていた。
 緑に覆われた草原と白い山々を覆うような澄み切った青空が印象的である。


  「すご〜い!ほらほら、アキト!すっごく綺麗な景色だよ!」

  「本当だ、こんな景色、日本じゃ見られないよな」

  「そうだよね〜」


 アキトと二人っきりの個室でユリカはじっと窓の外の流れる景色を眺める。


  「……アキト」

  「…何?」


 目の前に座るユリカにアキトは顔を向ける。
 アキトがユリカの瞳を見つめると、ユリカもアキトの瞳を見つめ返す。
 長いような短いようなそれでいて穏やかな時間が過ぎる。


  「もう一度……もう一度、私達がお爺ちゃんとお婆ちゃんになったら、またきっと来ようね」

  「………そうだな、お互い年を取ったらまた来よう」


 アキトとユリカは静かにそして幸せそうに微笑みあうと、アキトはユリカの隣に座りその手を取り優しく握り締めた。
 ユリカもその手を握ると静かに目を閉じる。
 二人の胸元にはお互いの写真を貼り付けてある金色のペンダントが左右に揺れている。
 アキトの顔がゆっくりとユリカの顔に近づき唇と唇が触れ合おうとした。
 丁度、列車が鉄橋の真ん中辺りを通過していた。


 その時、二人の乗る列車に爆発音と共に振動が走った。


  「うわ〜〜〜っ!!」

  「きゃあぁぁぁ!」

  「何だ!どうしたんだ!」


 アキトは咄嗟にユリカを庇いながらも、止まってしまった列車の様子を探ろうとユリカを抱き起こし、椅子に座らせてから部屋のドアを開けた。
 車内の通路は全てを新規に造られた為、人が二人分横に並んでも歩けるぐらいに比較的大きめに設計されている。
 するとそこには側面部即ち通路側に開いた大穴を見ることが出来た。
 列車は鉄橋の途中で止まっており、大穴からは眼下に流れる大河が見て取れた。
 ユリカも部屋から出てくるとアキトの背中から覗き込むように大河を見る。


  「一体……誰が?……何の目的で?」

  「……………」


 ユリカの呟きにアキトは何も答えることが出来なかった。
 二人の髪が下から吹き上げられる風によって揺れている。
 アキトがユリカに何か言おうとした時、前方の客車を繋ぐ連結部の扉が開かれた。
 其処には頭に茶色の笠を被り、同色のマントで全身を包んだ人間が立っていた。
 笠に隠れた顔は見ることは出来ない。
 アキトはユリカの前に出て、静かに立っている不審な人物を睨んだ。


  「………我を目に留めた者に生無し」

  「(マシンボイス?)」


 アキトはその人物の不明瞭な声に細工が施してあるのを理解した。
 そして静かに告げながらゆっくりと顔を上げる。
 その顔には白き般若の面が着けられていた。


  「殺っ!」

  「きいぇぇぇぇぇっ!」


 破壊された側面部から同じ様な姿の者が奇声を上げながら飛び込んできた。
 ただ般若の面は着けておらず、忍者の様に目の周囲以外を布で巻いている。
 アキトは素早く後ろに下がりその初手を避ける。
 そして直ぐにその間合いを詰め、此方を向こうと体勢を整えている相手の脇腹に気合いと共に右拳で一撃を与えた。


  「ぐあっ!」


 一撃を喰らったその者は最初に現れた般若の者の方へと崩れ落ちた。
 アキトはその場所で前方の般若を見つつ構え直す。


  「ほう……木連式か、油断していたとはいえ…なかなかの腕」

  「小さい頃から親父に鍛えられてね、それよりお前達……何者だ?」

  「………未熟者が、無駄が多い」

  「何だと! 」

  「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」


 アキトが一歩踏み出そうとした時、背後からユリカの叫び声が聞こえた。


  「ユリカ!?」


 思わずアキトが振り返ると、先程とはまた別の者がユリカを小脇に抱えながら立っていた。
 ユリカは気を失っているのか、動く様子がなかった。


  「ユリカッ!………何っ?」

  「遅い」


 アキトが背後のユリカに振り向くと同時に接近してきた般若の者は右手で腰から小太刀を引き抜くとそのまま弧を描くように薙いだ。
 アキトの顔から紅い血潮が飛び散る。


  「ぐっ………ぐわぁぁぁぁぁぁっ!!」


 その激痛にアキトは床に倒れ込み顔を左手で押さえ踞った。


  「あぐぅっっっ、何が………」


 アキトには自分の身に何が起きたのか分からなかった。
 ただ左眼に走る激痛に意識を翻弄されていた。
 般若の者は踞るアキトの横を通り過ぎると、ユリカの下へと進み、左手でユリカの右腕を掴み引き寄せた。
 アキトは痛みに耐えながらも薄く開けた右目でその光景を見ていた。


  「ユ………ユリ…カを………放せ」


 アキトの声は弱々しい。


  「ユ…リカ……を……、ぐわっ!」


 先程アキトに打ち倒された者が、ダメージを回復したのか、立ち上がりアキトの側に寄ると、アキトの身体に足の爪先を潜り込ませた。
 一発、二発、三発とアキトの身体を蹴る。
 内臓に傷が付いたのかアキトの口からは吐血が流れ出していた。
 それでもアキトは蹴られるのを構わず、這いながらもユリカの側に行こうとする。


  「……ア……キ…ト」


 薄く意識を取り戻したユリカがアキトの名前を口に出した。
 ユリカは自由の利く左手をアキトに向けて伸ばした。
 アキトもユリカに応えて右手を伸ばす。


  「それ程に大事か?ならばそれも断ち切ってやろう」


 般若の者はユリカを掴んだまま壁のない空間へと進み、左手を客車の外へと伸ばした。
 ユリカの下には床は無く、大河だけが流れていた。


  「やっ……止めっ………止めろ……止めて…くれ」

  「くっくっくっくっくっ……」


 アキトの懇願は静かな卑しい笑いに掻き消された。
 ユリカの髪が風に舞う、首に掛けられた金色のペンダントが揺れる、その瞳からは涙が零れ落ちる。


  「ア…キ……ト………」

  「ユ……リ…カ」


 般若の者はその手を開いた。
 ユリカの姿がアキトの視界から消えた。
 アキトを呼ぶ声が微かに聞こえた。
 再び爆発音が響いた。


  「ユッ、ユリカァァァァァァァァァッ!!」


 次の瞬間、アキトの意識は暗い闇の中へと沈んでいった。





 数日後、今回の事件は世間的には過激派のテロと発表されていた。
 連合政府議会の議員の一人も同乗しており、その死体も発見されたからである。
 連合警察もそのスジで捜査中と報道された。


 スイス地区にある某区立病院にアキトはいた。
 顔の左半分と全身を包帯に巻かれベッドに横たわっている。
 死んではいない、しかし未だ意識は回復していなかった。
 その横にはエリナが座りジッとアキトの顔を見ていた。


  「………っ、………くっ」


 薄くアキトの目が、右目のみが開かれた。


  「気が付いた?!私が分かる?アキト君!」


 アキトは右目だけを動かしエリナを目に留めた。
 だがエリナと分かったのは更に数秒程、経ってからだった。


  「エ…リナさ……ん」

  「えぇ、私よ、私が分かる?アキト君」

  「ここ……は?」

  「病院よ、今は大人しく寝ていて」


 エリナは担当医に知らせる為、添え付きのコミュニケを開きアキトの意識が回復したことを告げる。
 その間、アキトは記憶を探る。
 何故ここにいるのか、何故こうなったのかを。
 そして思い出す、一体何が起こったのかを。


  「ユ…リカ…は?」


 ユリカの名前を聞いてエリナの身体が一瞬震えた。


  「ユ…リカ…は?」


 アキトはもう一度エリナに尋ねた。
 しかしエリナは何も言わなかった、いや何も言えなかった。
 エリナのその沈黙はアキトに現実を悟らせた。
 ユリカがここにはいないことを、ユリカにはもう会えないことを。
 アキトの右目から涙が零れた。
 止め処なく流れ出た。
 涸れ果てるかと思うほどに溢れ出した。


  「ぐっ…ぐっうぅぅ……ユ…リカ…ユリカァァァァッ!!」


 アキトの悲哀のこもる叫び声が病室に響いた。









 眠っていた青年がゆっくりと瞼を開けた。
 左右を見回し自分が何処にいるのかを確認する。
 その青年はブリッジのシートに座っている。
 白亜の船、ユーチャリスのブリッジである。
 全長200m、本体は矢尻のように細長い形をしており、その上下に半円型の重力ブレードが対称に装備されている。
 この重力ブレードによりユーチャリスは引力圏でも自力浮遊する事が出来る。
 武装は無し、ただし表向きはである。
 実際には各部にミサイル及び機銃が備え付けられている


  「………夢か」


 青年は黒いレザースーツを着ながらその上に黒いコートを羽織っていた。
 そのコートの内ポケットから煙草を取り出し火を着ける。
 一息吸い、口から紫煙を吹き出す。


  「久しぶりだな…あの時の夢を見るのも」


 この青年はテンカワ・アキト。
 あの事件から三年が過ぎていた。
 その後、アキトは身体を回復させるとそれまで住んでいたアパートを引き払い、アカツキの協力の下にネルガルのSS(シークレットサービス)に身を寄せていた。
 と言っても直接に所属している訳でなく、フリー契約の扱いとなっていた。


  「アキトさん!、何度言ったら分かるんですか?」


 アキトが煙草を吹かしていると、少女が一人ブリッジに入室と同時に声を荒げた。
 アキトが恐る恐る振り向くと、其処には銀髪をツインテールにした金色の瞳を持った少女が立っていた。


  「ブリッジは禁煙です、いつも言ってますよね」

  「いや、その……」

  「言い訳はダメですよ、アキトさん」

  「………オモイカネ、助けてくれ」

  <アキトが悪いですね、仕方がありません。素直に謝ってください>

  「ぐっ……………」


 この少女の名前はホシノ・ルリ。
 銀色の髪と金色の瞳という特徴的な容姿はヨーロッパ北部の地域に見られるものである。
 白いワイシャツに紺色のネクタイを締め、白いスーツと白いスカートという白を強調した服装をしている。
 ルリは実は某国の王女の血筋なのだが、ある理由によりアキトと行動を共にするようになった。
 このことは内密にされている。
 年齢は十六歳。

 もう一つの声、オモイカネ。
 ユーチャリスに組み込まれてるメインコンピュータ、AIである。
 やや人間くさい反応をするのは持ち主のせいでもある。


  「やれやれ、喫煙者には辛い船になったよな」

  「アキトさん!」

  「ご免、ご免、ルリちゃん。大人しく喫煙室に行きますよ」


 アキトは背中にルリの視線を受けながら、コートを翻し足取り速くブリッジを出ていった。
 喫煙室に入ると着ていたコートを椅子に掛け、再び煙草を吸い始めた。
 窓からは白い雲が流れていくのを見ることが出来た。
 窓と言っても本当に有るわけではない。
 ユーチャリス自体にはその船体の強度維持の為、窓という物は一つも装備されていない。
 しかし何も見えないということは精神衛生上好ましくないので、壁には外部の様子を眺める為、窓状に映像が映し出せるように造られていた。


  「あれから、俺は奴等の行方を探った」


 アキトは煙草の灰を灰皿に落とし煙草をその縁に置く。


  「だが、何も出てこなかった、奴等と対峙することもなかった」


 煙草の先から立ち上がる煙を見つめる。


  「そして………ユリカも見つけだせなかった」


 当時の捜査班は犠牲者の発見と確認の為、現場付近を徹底的に調査した。
 だが結局ユリカを発見することは、出来なかった。
 故に遺体が無いので行方不明と記録されたが、生存は絶望視されている。

 アキトは左手を右の首筋に当て、首まで覆っているレザースーツを引き剥がし胸元を露わにした。
 そして首から掛けた金色のペンダントを取り出しその蓋を開ける。
 その中にはユリカの写真が貼り付けられていた。
 アキトはジッとユリカの写真を見つめる。
 静かに煙草の煙だけが揺れていた

 それからどの位の時間が経ったのか、ルリからブリッジに来るよう連絡が入った。
 アキトは一言返事をして喫煙室から出ていった。



 アキトがブリッジを出てしばらくすると、オモイカネが外部から通信が入ってることをルリに報告した。
 ルリは発信先を調べると、ネルガルからの通信であったので、直ぐに回線を繋いだ。
 映像がブリッジ前部に開かれるとエリナの顔が現れる。


  「こんにちは、調子はどう?」

  「はい、何時も通りです」

  「そう、じゃあ…早速で悪いけど依頼よ」

  「あっ…ちょっと待って下さい、今アキトさんを呼びますから」


 フリー契約とはいえネルガルのSSに所属しているにも関わらず、アキトにはネルガルから命令というモノは来ない。
 その殆どを直接エリナがアキトに連絡してくる。
 通常では考えられないことだが、アキトとネルガルいやアカツキとエリナとの関係上特別扱いとなっていた。
 これには事情を知っている知らないに関係なく不満の声も上がってはいるが、アカツキの権限とアキトの実力で何とか黙認させている。

 暫くするとアキトがブリッジに入ってきて自分のシートに座った。


  「やぁ、エリナさん…何か用?」

  「あのねえ、この回線での連絡は依頼に決まってるでしょう」


 エリナはこめかみを引き付かせながら笑みを浮かべていた。


  「冗談だよ、それで内容は?」

  「全く、時間がないから手早く説明するわね」


 エリナの話によるとそれは或る人物の護衛をして欲しいということだった。
 ここ一ヶ月の間に周囲で不可解なことが起こっており、どうも命を狙われているらしい。
 そこでアキトにその仕事が回ってきたのである。


  「別に構わないが、他に適任者がいるんじゃないのか?」

  「う〜ん、いたっていう方が正しいわね」

  「成る程な、そういうことか」


 ルリは内容が分からず、アキトに問いかけるように目を向ける。


  「つまり、誰か既に任務に就いていたんだが……」

  「昨日、死体で発見されたわ」

  「だそうだ、分かった?ルリちゃん」

  「はい……でもネルガルの人が亡くなったんですよね」


 ネルガルのSSのレベルは決して低いモノではない、むしろその世界では五本の指に入る程である。
 その人間が消されたのであるから、相手の技量も或る程度推察できた。


  「どう?それでも請けてくれる?」

  「断る理由はない」

  「そう、良かった。貴方が駄目ならどうしようかと思っていたわ」

  「何故?」

  「それ程の相手っていうことよ」


 その言葉にルリは少し不安げな顔をする。
 しかしアキトが依頼を請けた以上、アキトのサポートをすることが自分の役目なのでその職務を全うする為、細かい内容を聞き始めた。


  「それで、どなたを護衛するんですか?」

  「今そちらに映像を回すわ、まぁ知ってると思うけど……」


 エリナの横にもう一つコミュニケが開かれ、一人の女性の映像が映し出された。
 映像には髪を三つ編み状に一房にして、フリル付きの黄色のノースリーブを着た女性がマイクを持ち踊りながら歌っていた。
 年齢は17,18才位だが、頬のそばかすがその容姿に少女っぽさを残していた。


  「この方………なんですか?」

  「えぇ、そうよ」


 ルリは驚いたようにエリナの顔を見るとエリナはゆっくりと頷いた。
 アキトもルリと同じようにその女性を見ていた。


  「……アキトさん、大仕事かもしれませんよ」

  「あぁ、そうだな」


 アキトとルリの間に沈黙が漂う。


  「…………ルリちゃん」

  「はい、何ですか?」


 アキトは真剣な眼差しでルリを見る。
 ルリもまたその眼差しを受け止める。


  「この子、………誰?」

  「………………はい?」


 ルリの顔がやや間の抜けた表情になった。
 コミュニケからエリナの姿が消えており、椅子の背だけが映し出されていた。
 画面外に転けたようである。


  「しっ知らないんですか!?アキトさん!」

  「まぁ……残念ながら」


 ルリは心底呆れた様な顔で彼の人物の資料を検索し表示させる。


  「メグミ・レイナード、17才、身長155cm、体重44kg、昨年某企業のイメージガールとしてデビュー。その後、瞬く間にスターダムにのし上がり、今や押しも押されもせぬアイドルスターですよ」

  「はぁ」

  「アキト君、因みに某企業は我が社のことよ」

  「へっ?そうなんだ」


 アキトは照れ隠しなのか、のほほんと右手の人差し指で頬を掻いた。


  「う〜ん、裏稼業の連中ならその持ち物だけでそれが誰なのか特定できるんだけどなぁ」

  「それはそれで役立つけど、もう少し一般常識も覚えておくことね」

  「ははは……善処します」

 ルリはアキトとエリナの掛け合いを聞きながら、オモイカネと資料の整理をしている。
 キーボードを素早く打ち、まとめた資料を傍らのパソコンに転送する。
 それが終わるとルリは顔を上げ再びエリナを見る。


  「エリナさん、それでこれからどうすれば良いんですか?」

  「取り敢えず、ヒラツカシティに事務所があるから、そこに行ってちょうだい。名前はプロダクションEGよ。それと先方には連絡済みだからマネージャーのイケダさんに直接会うといいわ」

  「分かりました、では早速出発します」

  「宜しく頼むわ」

  「その前にエリナさん」

  「何?アキト君」

 話を終えようとしたエリナとルリだったがアキトがそれを止めた。
 エリナとルリが揃ってアキトを見る。


  「ユーチャリスとサレナの駐船料金、宜しく」

  「あっ……貴方ね」

  「いやこれが結構馬鹿にならなくて…」

  「……分かったわ、後日にでも請求して」


 エリナが頭を抱えつつコミュニケの回線を切る。
 ルリもクスクスと笑いながら席を立ち、ブリッジを出て仕度のため部屋に向かった。
 アキトはオモイカネにヒラツカシティへ向かうことを告げるとシートの背を後ろに倒した。
 どうやら到着までの時間を眠りながら過ごすつもりのようである。
 アキトが瞼を閉じると辺りに静寂が訪れた。
 オモイカネが気を利かしたのだ。






 ヒラツカシティ近くの駐船場にユーチャリスを停泊させるとアキトとルリは留守をオモイカネに任せ、ユーチャリスに搭載された漆黒の専用機で目的地へ向かった。
 十数分後、依頼人の事務所プロダクションEGの前にアキトとルリの二人が到着していた。
 ルリは白いスーツを着て、ハンドバックと二つ折りにした5mm位の厚さのゴム製のシートを持っている。
 アキトは先程と同じ黒いコートを黒いレザースーツの上に着て、顔に黒いバイザーを掛けていた。
 建物内に入り受付嬢に身分を告げる。
 少々受付嬢に訝しがられたがネルガルとエリナの名前を出すと直ぐに取り次いでくれた。
 そしてホールの席で待っていると程なくして一人の男が二人の前に現れた。


  「初めまして、私、メグミ・レイナードのマネージャーを受け持っております、イケダと申します」

  「初めまして、ネルガルより参りましたホシノ・ルリです」


 イケダは名刺をルリに渡しつつ、もう一人の黒衣の青年を見る。
 アキトはキョロキョロと左右を眺めながら、


  「ふ〜〜〜ん、へ〜〜〜〜〜え」


 などと唸っていた。


  「あの……こちらは?」

  「えっ?あぁ、すみません、私の上司でテンカワ・アキトと申します。ほらっ…アキトさん」

  「んっ?…………あぁ、テンカワ・アキトです、宜しく」


 アキトはルリに肘で小突かれて思い出したように名前を名乗る。
 この辺り緊張感に欠けるのは性格なのだろう。
 イケダは心配そうな表情を浮かべつつアキトとルリを見ると、何かしらの決心をしてルリに話しかけた。
 形式上の上司はアキトで実質上の上司はルリと判断したようだ。



  「ご依頼の内容はお聞きしているんですが、出来ましたらもう少し詳しくお聞かせ願えませんか?」

  「分かりました、実は……ここ最近どうも誰かに狙われているみたいで……」

  「すみません、出来れば御当人と御一緒に事情を伺いたいのですが」

  「あぁ、そうですね、その方が良いかもしれません。では此方に」


 イケダがルリを促しながら席を立つとアキトも二人の後に続いて立ち上がった。
 メグミのいる控室へ向かう途中、イケダはルリの容姿等についてやたらと褒め称えている。
 アキトはその二人から一歩後ろに下がって付いて歩いていた。


  「いやぁ、貴方のような可憐な女性がこんな……失礼、危険なお仕事をなさっているとは……」

  「えぇ、まぁ、でも自分で選んだことですから…」

  「尚更、素晴らしいです。どうですか?もし興味がお有りならこの世界に入ってみませんか?」


 イケダの勧めにルリは困惑の表情を浮かべる。
 アキトはまさしく他人事であるのでのほほんと聞いていた。


  「いえ、私は別に………」

  「ホシノさんなら直ぐにでもトップアイドルの仲間入りが出来ますよ。私が保証します」

  「あの…私はその…」


 ルリは段々と押しが強くなってきたイケダの勧誘に苦笑いを浮かべ、救援を求めてアキトを見るが、当のアキトはそっぽを向いていた。
 完全にこの状況を楽しんでいる。
 少し頬を膨らませ、イケダの方を見直すと目を輝かせながらルリを見ていた。


  「どうですか?」

  「ですから……」

  「あの……」


 前にいる二人にアキトが声を掛けた。
 イケダはルリへのスカウトの邪魔をされて気に入らなかったのかムッとした顔をしている。


  「何か……」

  「まだ着かないんですか?」

  「あっ……あぁっ!ここです!ここです!」


 イケダは目の前のドアを開けなかに入ると、アキトとルリを部屋の中へ招き入れた。
 先にルリが入り、その後にアキトが続いた。
 部屋の中には正面に長ソファが二つ横に並んでその間に長方形のテーブルが置かれている。
 そして左側の長ソファに一人の女性が俯きながら座っていた。
 黄色いワンピースを着ている、メグミ・レイナードである。


  「どうぞ、お座り下さい」

  「失礼します」


 イケダがメグミの右横に座りながら、もう一つのソファに座るように勧める。
 ルリは勧められるままソファに座り、持参してきたシートをテーブルに広げた。
 そして右隅の小さなスイッチを押すと、ルリの膝元辺りにキーボードがそして胸元の高さにモニタが浮かび上がった。
 これは近年市場に出始めたシートパソコンである。
 本体そのものは厚さ5mm、キーボードとモニタは空中投影され、打ち込むことが出来る。


  「こちらがホシノ・ルリさん、そして………あちらがテンカワ・アキトさん」

  「宜しくお願いします」

  「どうも」


 紹介されてルリはペコリと頭を下げ、アキトは軽く一言で応えた。
 因みにアキトはソファに座らず、ドアの横に腕を組みながら立っていた。


  「それでは早速ですが、これまでの経緯を教えていただけませんか?」

  「はい、実は………」

  「イケダさん」

  「ん?どうしたんだい?メグミ」

  「私が……話します」


 メグミは顔を上げ、ルリと目を合わせる。
 ルリの容姿を今始めて見たのか、メグミは言葉に詰まり声が出なくなっていた。


  「あの……」

  「えっ……あぁ、ご免なさい………、あれは………」


 メグミの話によると周囲で不穏な出来事が起こりだしたのが一ヶ月程前。
 最初はメグミ自身に対するあまり感心できない内容のファンレターやメールが数多く送られてきた。
 この手のモノは芸能人である以上、仕方のないことと割り切っていたが、時間が進むにつれ、その内容が脅迫めいたモノに変わっていった。
 これも質の悪い嫌がらせと納得させていたが、その頃からどうも誰かが自分を見張っているような気がする。
 そして気味が悪くなり、ネルガルのSSに護衛を頼んだということだった。
 その後、護衛担当者を変更するとネルガルから連絡が来た。
 ルリはメグミの話を聴きながらもキーボードを打つ指の速さは変わらない。
 モニタの輝きがルリの白い顔を照らす。


  「………それで今日、お二人が来られたということです」

  「分かりました、では本日からレイナードさんの護衛に付きます」

  「はい」

  「イケダさん、この後の予定はどのようになってますか?」


 イケダは背広の胸ポケットから手帳を取り出しページを捲りだした。
 電子手帳などが主流の時代にイケダは昔ながらの手書きの手帳を使用していた。


  「え〜と、この後はテレビ局で撮りをして、雑誌の取材、テレビの番組の打ち合わせ………」

  「一日中、スケジュールが詰まってるんですね」

  「えぇ、ですがこれぐらいは普通ですよ」


 ルリはメグミのスケジュールを打ち込むとシートパソコンの電源を落とし二つに折り畳んだ。


  「それでは参りましょうか」

  「分かりました、じゃ行こうか」

  「はい」


 イケダとメグミが立ち上がり、傍らに置いてあった荷物を持ち出口に向かう。
 二人が歩き出すとルリもその後に続いた。
 イケダが扉を開け室外に出る時、メグミは横目でアキトを見ながらその横を通り抜けた。
 しかしバイザーに隠れた顔からは何の表情も読みとることは出来なかった。
 メグミが部屋を出てルリが横に来るとアキトは短く呟いた。


  「どうだった?」

  「二つほどですね」

  「そうか……筒抜けか、まあ……それならそれで何とかするさ」

  「はい、お願いします」


 ルリが退出しアキトも部屋を出ようと背を向けた時、アキトはゆっくりと振り返り部屋の中を見つめた。


  「まあ……お手柔らかに」


 誰もいなくなった室内にアキトの声のみが残った。





  「まあ……お手柔らかに」


 アキトの声を耳の奥で聴き終えると、その男はイヤホンを外した。
 プロダクションEG近くの路上、そこに駐車していた車の中にその男はいた。
 唇の端が少し吊り上がっている。
 笑みを浮かべていた。
 しかし誰が見ても優しい笑みとは到底思えなかった。
 獲物を狙う狩人の笑み、それもかなり質が悪い。


  「テンカワ・アキト…………ネルガルSS……」


 男はアキトの名前を口に出しながら記憶を探る。
 直ぐに思い出した。


  「そうか、こいつが………ブラックサレナ」


 笑みに凄惨さが増した。
 喜びに打ち震えている。


  「ふっふっふっ、楽しみが増えたな」


 最初は含み笑いであったが、段々と肩を揺らしその口から笑い声が漏れ始めた。
 最早笑い声を隠すこともなく男は笑い声と共に車を発車させた。





 ネオトキオTVヒラツカスタジオ、その一室メグミにあてがわれた控室にアキト達はいた。
 メグミ単独での歌の撮りの時間待ちである。
 今、この部屋にはメグミとアキトとルリの三人だけであった。
 イケダだけはプロデューサーの下へと挨拶回りである。
 メグミの前にはルリが座り、起動させたシートパソコンのキーボードを打っていた。
 アキトはここでも腕を組みながらドアの左横に立っている。
 膝上の台本に目を通しながらメグミは目の前のルリの容姿をチラチラと覗き見る。


  「どうかしましたか?」

  「えっ、うう〜ん、何でもない……です」


 メグミは悪戯がばれた幼子のように俯いている。


  「この髪と瞳……やっぱり珍しいでしょうか」


 ルリの言葉にメグミは顔を上げルリを見る。
 その顔に嫌悪感が無かったことにメグミはホッとしていた。


  「初対面の人は大体の人がそう思われますから」

  「ごっ、ご免なさい」


 メグミはルリに図星を指されてつい謝ってしまった。


  「いえ、別にお気になさらないで下さい」

  「でも……」

  「私の方が困ってしまいますから」


 メグミはまた俯いてしまう。
 ルリはシートパソコンを閉じるとメグミを見つめる。
 その視線をメグミは感じていた。


  「その……何て言うか綺麗だなあって思って」

  「えっ」

  「銀色の髪って素敵ですよね」


 メグミは顔を上げてみると今度はルリの方が俯いていた。
 その頬が紅い。


  「あっ……ありがとうございます」


 礼を言いながらルリは再びメグミを見る


  「レイナードさんも大変なんじゃないんですか?」

  「えっ?」


 メグミはルリの言葉の意味を思案する。
 その答えが思い浮かぶより先にルリが続けた。


  「アイドルって一見華やかですけど、沢山のファンの人達に囲まれてプレッシャーも多いんじゃありませんか?」

  「………うん、それは無いとは言えません……でも私をここまでにしてくれたのもファンの人達だから私は……感謝しています」

  「良かった」


 ルリの表情に微笑みが浮かぶ。
 メグミはルリの言葉を待つ。


  「こんなことに巻き込まれて、ひょっとしたらそのファンの誰かが犯人かもしれないのに、そうお思いになられるんでしたら大丈夫ですね」


 メグミはルリがルリなりに自分のことを心配してくれていることを理解した。
 あんなメールや手紙が届けられて以来、メグミもその心を痛めており、ネルガルの護衛が付いてからもその思いは消えることはなかった。
 当然、イケダや友人達も心配してくれた。
 そして目の前の初対面の少女が自分を気遣ってくれていることを嬉しく思えた。


  「ありがとう………ホシノさん」


 メグミの感謝にルリは笑顔で応えた。
 二人の間に穏やかな空気が流れる。
 メグミはルリと友人として親しくなりたいと願い始めた。


  「あの……ホシノさんておいくつなんですか?」

  「私ですか?十六歳ですが」

  「私と一つしか違わないんですね」

  「はい、そうですね」

  「う〜ん、どうも堅苦しいなぁ………うん!そうだ!」


 名案とばかりにメグミは両手をパンと合わせた。


  「ねぇ、私のことメグミって名前で呼んでくれないかなぁ」

  「えっ?………それは……」

  「その代わり私も貴方のことルリちゃんって呼ぶから」

  「でも…………」

  「お願い」

 メグミは合わせた両手を”お願い”と言うのと同時に拝むように顔の前に移動させた。
 一緒に片目を瞑るのも忘れない。
 ルリは軽く頷くとメグミの願いを了承した。
 するとメグミは嬉しそうに笑いながら右手をルリの前に差し出した。


  「じゃあ、改めて宜しくね。ルリちゃん」

  「宜しくお願いします。メグミさん」


 メグミの右手にルリも右手を合わせて優しく握り握手をする。
 お互いの手から温かさを感じ合う。
 メグミは手を握ったままルリを引き寄せると小さな声で話し出した。


  「ねえ、ルリちゃんの仕事って危なくないの?」

  「安全とは言えません。でも何かあったとしても覚悟はしています」


 ルリもメグミに合わせて声を抑える。
 普通に話せばいいのだが何故かこの話し方に違和感が浮かばなかった。
 二人がボソボソと話し始めたのを見ながらもアキトは我関せずの姿勢のままである。


  「だってルリちゃんみたいな子が……、あっ!ひょっとしてあそこの真っ黒けの人に脅されているとか?」


 ルリはきょとんとした顔をするが、直ぐに笑い出した。
 そのルリに今度はメグミが”えっ?”という顔になる。
 急に笑い出したルリにアキトも今度はさすがに何事かと目を向ける。


  「ふふふ………違いますよ、アキトさんはそんな人じゃありません」

  「じゃあ、どうして?」

  「まあ……色々とありまして」

  「ふ〜ん」


 メグミが敢えてそれ以上追求をしなかったことにルリはホッとしていた。
 それぐらいの心配りは出来る人間であった。
 メグミは話せる時が来れば教えてくれるだろうと納得させ、話題の矛先を変えることにした。
 或る意味一番気になることでもある。


  「ルリちゃん、テンカワさんってどんな人?」

  「私の上司ですが」

  「そうじゃなくて、男性としてよ」

  「男性としてですか?」

  「そう!」


 メグミの瞳が今日一番の輝きを放った。
 ルリはどう答えようかと小首を傾げる。
 手は握り合ったままである。


  「こう言ってはなんだけど、仕事内容を考えると何となく頼りない感じがするのよね」

  「やっぱりそう思いますか?」

  「うん、ルリちゃんには悪いけど」

  「初めて出会った頃はあんな感じじゃなかったですよ」

  「どんな感じだったの?」


 ルリはアキトをチラッと横目で見て、目を伏せあの頃を思い出す。
 メグミはルリの返事を待つ。
 静かな時間が流れる。
 目を伏せたままルリは口を開いた。


  「冷たい……そう、まるで氷のような人でした」

  「氷?」


 予想と違うルリの返事にメグミは息を飲み込んだ。
 聞いてはいけなかったのかとさえ思った。
 しかしルリは表情を和らげる。


  「それが何時の間にかあんな風になってしまいました」

  「ぷっ……それ、あの人に悪いよ」

  「ぼ〜っとしてて、だらしなくて、でも強くて、偶に怖くて、そして……優しい人です」

  「何だか、よく分からない人ね」

  「はい、私もよく分かりません、教えてくれないことも多いですから」


 二人はまた笑いあっていた。



 話の出汁にされている当のアキトは立ち尽くしたままである。
 自分のことを言われているのかぐらいは想像できるが内容までは分からない。
 右隣のドアが二回ノックされ開かれた。


  「メグミ、時間だよ。第三スタジオまで急いで」


 入室してきたのはイケダであった。
 メグミは立ち上がりルリに目配せをすると、イケダの後について出ていった。
 その二人にアキトとルリも追従する。
 スタジオに向かう途中、局関係者や同業者と挨拶をしながら歩いている。
 今のところ敵意のありそうな人物には出会してはいない。
 ただメグミとイケダの通った後を追いて歩くルリに眼を奪われ、アキトに奇異の眼を向ける者が続出した。
 スタジオへの入室時、アキトは担当のディレクターから入室の拒否を告げられたがイケダの説得により許可を得ることが出来た。
 因みにこれはアキトに対してのみでルリに対しては歓迎の意を表していた。


 収録が始まるとステージの真ん中でメグミが歌い出した。
 スタジオ内が音で満たされる。
 イケダとルリが並んでメグミを見ている。


  「へえ、こんな風に収録されるんですね」

  「あぁ、ホシノさんは初めてでしたね。」

  「はい」


 ルリは憧れの眼差しでメグミを見ていた。
 この辺りはルリといえども年頃の女の子のようだ。


  「どうですか?この世界に入ればホシノさんも……」


 イケダはここぞとばかりに勧誘を再開し始めた。
 ルリは不味いと思いながら苦笑いで適当に受けていた。
 そんなルリに笑みを浮かべつつも、アキトはスタジオ全体を眺めている。
 カメラの配置、スタッフの人数と動向、天井部の機材を確認していた。
 不意にアキトは奇妙な”音”を感じ取った。
 メグミの歌う曲やカメラ等の作動音でもない、違和感のある”音”である。
 そしてアキトは気づいたそれは金属の焼き切られる”音”。
 本能的に天井を見上げる。
 照明機材の一つが僅かに揺れていた。
 固定された金属棒の一部分に微かに火花が散っていた。
 瞬間、アキトは走り出した、メグミに向かって真っ直ぐに。
 黒いコートを翻し黒い風と化したアキトが駆け抜ける。


  「えっ?きゃあっっ!!」


 歌っているメグミを抱き締め、そのまま倒れ込むように前方に飛んだ。
 その直後、メグミのいた正にその場所に金属の落下音が響いた。
 スタジオの人間全員がピクリとも動かなかった。


  「アキトさん!」


 真っ先にアキトの下に走り出したのはルリである。
 この辺りは流石にネルガルSSのメンバーであろう。
 アキトはメグミをその胸に抱いたままその身体を起こした。
 眼は照明機材のライトが落ちて来た天井を見ている。
 金属棒の骨組みが暗闇の中に見ることが出来た。
 当然、其処には人の姿はない。
 天井を眺めていると胸元でモゾモゾと動く感触を感じた。
 下を向くとメグミの眼と眼があった。
 微かに頬を紅らめている。


  「怪我は?」


 一見、事務的とも言えるような口調だった。
 メグミは何も言えずアキトを見返している。
 アキトはバイザーを掛けている為、メグミにはその瞳は見えなかったが、そこにあるであろうアキトの瞳を見つめている。


  「怪我は?」


 再びアキトが尋ねると今度はメグミも何を聞かれていたのか理解した。


  「だっ、大丈夫です。」

  「そう、よかった」


 アキトの頬が緩み、唇の形が優しげに変わる。
 微笑んでいる。
 アキトの胸元のぬくもりを頬に感じる。
 メグミは自分に向けられた微笑みに何故か心の底が熱くなる。


  「アキトさん、メグミさんは?」


 そこにルリが駆け寄ってきた。
 アキトはメグミから離れるとルリにその場所を譲る。


  「メグミさん、お怪我はありませんか?」

  「…………えっ?…あっ……うん、大丈夫だよ、テンカワさんに助けてもらったから」

  「よかった、ご無事で何よりです」


 ルリがメグミの無事を確かめていると急に周りが慌ただしくなった。
 スタッフが騒然としている。
 イケダがメグミの側に走り寄ってきた。
 ルリと同じくその身の無事を確認している。
 ふうと一息つくとルリはアキトを捜した。
 アキトはステージの真ん中に落ちたライトの側に立っていた。
 その周りには破片が散らばっている。
 一度天井を見上げ、そして再び見下ろした。
 溶けてただれた金属の断面を見ている。
 ルリはアキトに近づき、その隣に並んだ。


  「………宣戦布告、かな」


 アキトは誰ともなく呟いた。











 

つづく








後書き


 初めまして、イジェネクと申します。
 新参者ではありますが、どうぞ宜しくお願いします。


 この小説ですがナデシコのキャラを使ったオリジナルの設定となっております。
 故に原作とはキャラクターの性格や設定が違ったりしますのでご容赦下さい。
 細かなことはこれから本文中に説明していくつもりです。



 ほぼ一年ぶりの執筆でして、とても時間がかかってしまいました。
 ですので、二話も………出来るだけ速く仕上げるようにします。




 次回をお楽しみに。



 

代理人の感想

TV版ほどの甘ちゃんではなく、かといって劇場版ほどの破滅志向でもなく、

ついでに言うと多くのナデSSのような最強アキトでもない。(笑)

なかなか好感の持てる主人公ですね。

 

ブランクがあったとの事ですがなかなか書き慣れていらっしゃるようで、読んでるほうとしては嬉しいですね。

次を期待しています。