ブラックサレナ



〜 テンカワアキト…………… その生涯 〜



第二話 BRAVERY





 メグミは控室に戻っていた。
 その顔色は悪い。
 落下した照明機材の残骸を見て、改めて自分が本当に命を狙われているのだと分かったからだ。
 これまではほんの嫌がらせと高を括っていた。
 しかしもしアキトがいなければと思う度、その背中を冷たいものが走らずにはいられなかった。


 この認識は前任者が既にこの世にいないことを、メグミにはまだ知らせていないことにある。
 理由は二つ。
 一つは依頼人を必要以上に不安がらせないため、もう一つはネルガルの体面の問題である。
 実際には後者の理由が本当とも言える。


 ルリはメグミの正面に座っていた。
 心配げにメグミを見ている。


  「メグミさん、落ち着きましたか?」

  「うん、まだドキドキしているけど」


 言いながらメグミは自分の胸に手を当てる。
 メグミの隣に座るイケダも心配げにメグミを見る。


  「一つお聞きしたいことがあるんですが、宜しいですか?」

  「えっ、えぇ………いいよ」

  「今回のようなことは今までにもありましたか?」

  「無かったよ、こんな直接にはね」


 ルリはドアの横に立つアキトに視線を送る。
 アキトは組んでいた腕を解き、メグミ達の座るソファまで歩くとその側でメグミ達を見下ろした。
 右隣に立つアキトをメグミは見上げる。


  「だとすると、相手の出方が変わったのか……それとも……」

  「それとも?」


 アキトの言葉をメグミが復唱する。
 ルリやイケダもその続きに耳を傾ける。


  「予定通りなのか……ですね」

  「予定通り?」

  「えぇ、そうです」


 イケダの身体がメグミの”予定通り”の声と同時に震えた。
 メグミ以上に青ざめている。
 そんなイケダにルリは問いかけた。


  「何か、ご存じなんですか?」

  「いっ……いや…別に」

  「今はどんな些細なことでも構いません、教えて下さい」


 イケダはハンカチで額を拭いつつ、話し出した。


  「実はメグミへの脅迫状がありまして……」

  「それなら私は全部読んだけど」

  「いや、見せていない分があるんだ。内容が内容だけに見せられなかった」

 イケダは膝元に両手を組み、数秒の間俯きそして顔を上げた。
 眼はアキトを見ていた。
 理由は分からない。
 何故かルリよりもアキトを見ることを選んでいた。


  「脅迫状には……一週間後のコンサートを中止しなければ……命はないと書いてありました」

  「えっ!」


 イケダを見るメグミの眼が大きく見開かれた。


  「そっ…そんな、どうして?私、知らなかった」


 イケダはメグミに顔を向ける。


  「言えるわけないだろう!このコンサートは君のファーストコンサートだぞ!君がやっと掴んだ大きなチャンスだ!それを……」


 再び俯くとイケダは自らの両手を固く握りしめた。
 その手は微かに震えている。


  「それを壊すことなんて出来なかったんだ」

  「………イケダさん」


 室内が静かになる。
 誰も声を出さなかった。
 エアコンの作動音のみが耳に入る。
 そして、一番最初に口を開いたのはアキトだった。


  「なら、選択肢は二つです」

  「二つ?」


 メグミがオウム返しに聞く。


  「簡単です、コンサートをやるのかやらないのか」


 メグミとイケダが揃ってアキトの顔を見た。
 二人の視線を受けてもアキトは顔色一つ変えずに続ける。


  「相手はプロです。文面からしても期限付きの依頼を請けていると思われます。ならば最も危険なその日を回避するのは当然だし、私の立場から言うとその方がありがたい」

  「そんな!」


 アキトの提案にメグミは声を荒げる。
 イケダも複雑な表情になるがメグミと違い迷いが見られた。


  「今更中止なんて!私はそんなこと……」

  「出来ないと言う前に一つだけ教えておきます、私がここに呼ばれたのは前任者の業務上の都合ではありません」

  「えっ?それは…」

  「アキトさん!」


 メグミはアキトの言葉の意味が分からなかった。
 しかしルリにはアキトが何を言おうとしているのかを察した。
 アキトはそんなルリの制止をあっさりと無視する。


  「既にこの世にはいません、……殺されました」


 アキトは敢えて”殺された”と言った。
 二人に現状の立場を理解させるために。
 メグミとイケダの顔色は更に青くなる。
 ルリは顔に右手を当て”はあ”と溜め息を付いた。
 これでネルガルの体面というモノは崩れるかもしれない。
 エリナの怒鳴り散らす顔が目に浮かんだ。
 だが、肝心のアキトは何も気にしてはいなかった。
 そもそもネルガルの立場など考えたことのない男だった。


  「決めるのはあなた方だ。そして私達はその選択に従う、………どうされますか?」

  「………………………」


 メグミは即答することが出来なかった。
 グッと歯を噛みしめ、手を膝の上で握っている。
 俯きながらその選択を考えている。
 いや、迷っていると言うべきか。
 再び訪れた静寂に耐えきれなくなったのか、イケダが何事かをメグミに言おうとした。
 しかしイケダが声を発する直前、メグミは顔を上げアキトを見る。
 そしてゆっくりと口を開いた。


  「……私、やります。だって……ファンのみんなが楽しみにしてるんだもの、中止になんて出来ません」

  「…………メグミ」


 メグミは名前を呼ばれ、イケダに顔を向ける。
 イケダの表情は暗い。
 そんなイケダにメグミは薄く微笑んだ。


  「大丈夫ですよ、きっと。だってテンカワさんとルリちゃんが付いていてくれるんですから」

  「メグミ」

  「そうですよね」


 メグミは改めてアキトとルリに眼を向ける。
 その眼にはまだ脅えと不安が入り交じっていた。
 ルリにはメグミの心情は痛いほど理解出来る。
 かつては自分もそうであったから。


  「分かりました、私達が必ずお守りします」


 ルリはメグミの瞳を見つめ、力強く頷いた。





 アキトは第3スタジオにいた。
 メグミは控室でイケダやルリと共に詰めている。
 何事か起きればコミュニケで連絡するようにルリには言ってある。
 アキトは天井を見上げると、備え付けの階段を上り、照明器具の無くなった部分へと進んだ。
 金属製の骨組みの上を器用に歩き、目的の所まで来るとしゃがみ込んだ。
 すると本来そこにあったであろう照明器具の支えとなる箇所の焼き切られた後を見ることが出来た。
 その切断面を人差し指で触れる。


  「(時限式か、直接操作か、どっちだ?)」


 可能性は共に考えられる。
 収録時間は分かっていた、故にそれに合わせればよいし、その場にいたのならリモコン操作でも出来る。


  「(だが、あの時それらしい奴はいなかったはずだ)」


 アキトはメグミが狙われた時、確かにその場にいた人間を確認した。
 それらしい”におい”を持つ者はいなかった。


  「(俺の勘も当てにはならないか)」


 アキトが思案しているとこのスタジオに誰かが入ってきた。
 足音からして二人、歩き方からして一般人、アキトはそう判断した。
 天井部から見下ろしているとネオトキオTVのTシャツを着たスタッフの姿が見えた。


  「全くついてないよな、照明具の点検だってさ」

  「仕方ないだろう?大体お前の担当じゃないか」

  「でもよう、おかしいよな一体誰が照明具のチェックのOK出したんだ?」

  「お前しかいないだろう?」


 その二人の会話をアキトは聞いている。


  「俺は言った覚えがないんだよ」

  「だってディレクターはそう言ってたぜ」

  「それなんだよ、俺は言ってないのに俺から聞いたって言うんだぜ」

  「何だそりゃ?」

  「その時俺はここにはいなかったんだぜ、なのにみんな俺がここにいたって言いやがる」

  「じゃぁ、何処にいたんだよ」

  「スタッフルームで寝てた」

  「はあ?」

  「気がついたら寝てた、それで目が覚めて慌てて駆け込んだら収録終わってたんだよな」


 そこまで聞いていたアキトはその場所からその身を躍らし、二人の前に黒鳥のごとく舞い降りた。
 二人は唖然としている。


  「なっ何だ!あんた!」

  「すまないが、少し聞きたいことがある」


 アキトはそう言いながら驚く二人に歩み寄った。





 二日後、再びネオトキオTVヒラツカスタジオに来ていた。
 トーク番組の出演のためである。
 この二日間はさほど何事もなく過ぎていた。
 そして丁度今、トーク番組の収録中である。
 メグミがメインコメンテ−ターと話している。
 アキトはその様子を眺めていた。
 その隣にルリ、その更に隣にイケダが立っている。


  「ここのところ何も起きてませんが、もう諦めたんでしょうか?」

  「そうだと良いんですが……、アキトさんどう思います?」


 イケダは願望とも言うべき問いを口に出した。
 それを受けて、ルリはアキトに尋ねる。


  「……遊んでいるんでしょう」


 イケダはアキトの方に顔を向ける。
 アキトの言葉の意味が理解できなかったのであろう。
 ルリも同じようにアキトを見る。


  「遊んでいるって、どういう意味ですか?」


 イケダはアキトに説明を求めた。
 正面でコメンテーターと話すメグミをアキトは見ている。


  「しばらく、いや”その日”まではこの状態が続くか、もしくは軽く仕掛けてくるぐらいでしょう」

  「おっしゃる意味が………」

  「今は時間潰しなんですよ、本気でやるつもりなら私が来る前に全てが終わっています」


 イケダとルリは一言も話すことなくアキトの言葉を聞いている。
 収録中であるスタジオ内の声など耳に入らなかった。


  「実行の”その日”はもう決まっています、連絡は既に来ていますしね、最も効果があり最も衝撃的な日が」

  「………まさか!」


 ルリがアキトに確認を求める目つきになる。
 アキトはルリとイケダに顔を向けた。


  「そう、彼女のコンサート、当日ですよ」


 イケダの顔から血の気が引いていた。


  「そんな、よりにもよって」

  「ただ……、彼女がそれまで保つかどうかが心配です」


 メグミの心が間近に迫るコンサートと身の危険という極度の緊張に耐えられるか、アキトにはそれが気がかりだった。
 メグミの様子は決して良いとは言えない。
 精神的に酷く負担が掛かっているのは明らかである。
 糸がピンと張った状態と言うべきか、それが何かのはずみで切れてしまった時のメグミに不安を感じる。
 せめてコンサート当日までメグミの心が保てばいいとアキトは願うが、その願いは脆くも崩れることとなる。



 メグミの収録が終わり、控室で帰りの身支度の間、部屋の外でアキトは待っていた。
 ドアの横で今回の襲撃者について考えている。
 以前、このスタジオのスタッフに聞いたことを思い出していた。
 その中の奇妙な点、スタッフ本人以外の”本人”がスタジオ内に存在していたことである。
 恐らくその”本人”が今回の襲撃者であることは間違いない。
 手法からして変装の手練れでもあろう。
 ただ、その練度が並ではない。
 聞き出した情報からすると襲撃者は恐らく同じスタジオ内にいて、アキトがメグミを助けるところを目撃しているに違いない
 しかも広いスタジオ内とはいえ、アキト自身の近くにいて、その存在を感じさせなかったのである。


  「それ程の腕となると、考えられるのは…………あいつか」


 記憶にある人物を思い浮かべる。
 しかし、大まかなことしか記憶にもそして記録にもなかった。


  「仕方ない、調べてもらうか……だが、想像通りだとすると厄介な相手だな」


 アキトの顔に僅かではあるが苦渋の色が浮かんでいた。


  「アキトさん、お待たせです」


 ルリがドアを開け、先に出てきた。
 続いてイケダ、メグミの順で姿を現す。


  「今日の撮りは終わりましたので、一応事務所に引き揚げます」

  「分かりました」


 アキトはイケダに返事をすると一行の先頭に立ち、駐車場へと向かった。
 自動車に乗り込み、イケダの運転で事務所へと発車する。
 途中何かしらの接触があるかと思えたが、結局何事もなく無事到着する事が出来た。
 プロダクションEGの駐車場は屋外に設置されている。
 敷地の真ん中から入れるようになっており、左右に四台ずつ駐車できるようになっていた。
 アキト達が戻ってきた時には左側の一番奥に一台、右側には手前に並んで二台止まっていた。
 左側の一番手前に止めると先にアキトが後部座席から降り周囲を確認し、反対側に回った。
 同時にルリとイケダも降りる。
 アキトは辺りを見回し、ドアを開けメグミに降りるよう促す。
 一度頷き、メグミは車から降りる。
 アキトは背後にメグミを庇うように立っている。
 メグミが自らドアを閉めた。
 ドアが閉じられる、その音が聞こえた、アキトの背筋に何とも言えない強いて言えばとてつもなく寒いモノが走った。


  「伏せろ!!」

  「きゃっ!」

  「くっ!」

  「うわっ!」


 振り返ると同時にアキトは叫びながらメグミに覆い被さる。
 アキトの声に反応してルリもイケダに飛びかかり身体を伏せさせる。
 凄まじい爆発音と衝撃がそれぞれの身体に浴びせかけられた。
 この時何事が起こったのか、それを理解し得たのはアキトだけであろう。
 メグミはただ訳も分からず震えている。
 そしてアキトが立ち上がり、背後を見ると先に駐車してあった乗用車が炎上していた。
 紅い炎が車体を焼き、黒い煙を吹き上げている。
 焦げ臭い匂いがこちらまで漂ってきていた。
 ルリに礼を言いながら、ルリとイケダも立ち上がる。
 イケダは呆然とその惨状を見ている。


  「アキトさん、これも……」

  「あぁ……そうだろうな」


 ルリが周りを気にしながらアキトの側に歩み寄る。


  「な……、なんで?……どうして……」


 アキトの背後でしゃがみ込んだままのメグミが途切れ途切れに呟いた。
 ルリがメグミの隣に寄り添い方を抱き締めるとメグミはルリの手を握り返した。
 メグミの身体は震えていた。


  「ねえ!、どうしてなの!私が……私が何したって言うのよ!」

  「メグミさん、落ち着いて下さい!」


 ルリの声もメグミには届かない。
 興奮しながら更にメグミは声を荒げる。


  「ただ、一生懸命にやってるだけじゃない、なんでよぅ…………」

  「………メグミさん」


 メグミは地面を両手を握り、叩きつけながら泣き叫んだ。
 その手に血がにじみ始めた。


  「もういや、こんなの………いやだ…よぅ……」

  「なら、止めるかい?」


 頭の上から投げ掛けられた声に、メグミは思わずその声の主を見上げた。
 それはアキトだった。


  「ア…キト…さん?」

  「どうするのかは君次第だ」

  「そんな……こ…と」


 アキトはしゃがみ込み、メグミの丁度正面まで顔を下げた。
 驚くほど表情がない。
 メグミはそんなアキトの顔を目に留める。
 慰めてくれるのかと淡い期待をする。
 しかしアキトの口から発せられた言葉はメグミの期待を裏切った。


  「怖ければ逃げればいい、それで良いのなら」

  「っ!」


 メグミは勢いよく立ち上がった。
 アキトをきつく睨み付ける。


  「貴方に何が分かるって言うのよ!何も知らないくせに!」


 メグミは涙を浮かべながら、その場から逃げるように走り出した。


  「メグミさん!」

  「メグミ!」


 突然走り出したメグミをイケダは慌てて追いかけていった。
 アキトはゆっくりと立ち上がる。


  「ルリちゃん」

  「はい」


 アキトがルリの名前を呼ぶと、ルリもまたイケダと同じくメグミを追いかける。
 ルリを見送ると燃え上がる乗用車を後にアキトもまたその場を離れた。
 駐車場の出口付近には既に野次馬が集まってきている。
 遠くにサイレンの音が聞こえてきた。





 消防署による消火が終わると警察の現場検証が行われた。
 現場がプロダクションEGの駐車場であるから、当然事務所の方にも事情徴収の為に警察が現れた。
 実際は心当たりがあるのだが、騒ぎをこれ以上大きくしたくなかったので、メグミが狙われていることを敢えて伏せることとなった。


 事務所の一室にルリとメグミはいた。
 この頃になるとメグミも幾分落ち着きを取り戻していた。


  「メグミさん、大丈夫ですか?」

  「うん、もう大丈夫……ありがとう、ルリちゃん」


 メグミは微笑むがまだ表情は硬い。


  「メグミさん、そのぅ……」

  「なに?ルリちゃん」


 ルリは申し訳なさそうにしている。
 その様子にメグミは変に思いながら聞き返した。


  「先程のアキトさんなんですけど……」

  「うん」

  「決して、メグミさんを馬鹿にしたわけではありませんから、それだけは……」

  「………うん」


 メグミは短いが了承の意を表した。
 ルリもそれ以上触れることはなかった。
 二人の間に沈黙が続く、不意にドアがノックされた。
 ドアを開け、イケダが入ってきた。


  「メグミ、今日はもう帰ろう、社長にも報告しておいたから、後は家でゆっくり休むといい」

  「……はい、そうします」


 メグミはイケダに着いていこうと席を立ち、ルリの隣を通り過ぎる時に立ち止まった。


  「………テンカワさん、今何処に?」

  「何か、調べることがあるみたいで……」

  「そう…、なんだ……やっぱり怒らせちゃったかな」


 メグミの顔は更に暗くなった。
 ルリはメグミを見ながら首を左右に振る。


  「そんなことありません、きっとメグミさんを守るために何かをしてるんですよ」

  「そうかな?」

  「はい」

 ルリの励ましに幾分気が晴れたのか、メグミはルリに微笑み返した。



 メグミはイケダの車に送ってもらい、自分のマンションに帰ってきていた。
 イケダはもういない、ここまで同乗していたルリもそのまま去っていった。
 今は一人でいる。
 ソファに膝を抱え座っていた。
 不安と寂しさがヒシヒシと感じられた。
 他に誰もいないことがこれほど辛いとは思ったことはなかった。
 それを存分に感じている。
 気がつくと雨が降り出していた。
 雨音がいっそう心を寂しくさせる。


  「咽……乾いたな」


 メグミはキッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。
 ひんやりとした冷気が肌に当たった。


  「もう、何もないじゃない」


 メグミは頭を垂れる。


  「仕方ない、何か買いに行くか」


 白いワイシャツとジーンズのパンツという出で立ちでメグミは部屋を出る。
 一階まで降り、管理人室の前を通り正面玄関のガラス戸を開けた。
 そして傘を差すと、近くのコンビニへと向かった。
 街灯があるとはいえ、夜の暗闇はやはり恐怖感を浮かばせる。
 コンビニの側まで来ると煌々と輝く電気の光に幾分気持ちも和らぎ、足早に店内へと入る。
 飲み物、菓子類をプラスチックのかごに入れ、レジで精算を済ませた。
 マンションへの帰り道、雨音を聞きながら濡れた地面を見つつ歩いている。
 車のライトが時折メグミを照らす。
 メグミはこれまでとこれからを考えていた。
 あの時、アキトの言った言葉を思い出す。


  「 怖ければ逃げればいい、それで良いのなら 」


 メグミはコンビニの袋を持つ左手を握り締める。
 悔しいのだ。
 アキトの言葉がではない、自分の気持ちにである。
 ここまで必死に頑張ってきた。
 それだけは自負できる。
 その努力を自ら否定してしまったことが悔しいのだ。
 後悔はもう一つあった。
 アキトへ投げかけた言葉である。


  「 貴方に何が分かるって言うのよ!何も知らないくせに! 」


 アキトは決して自分を蔑んだわけではない。
 今なら分かる。
 むしろ奮い立たせようとしたのだ。
 ただあの時はそれに気づくことが出来なかった。
 だから、自分の目の前からアキトを消すことしか考えられなかった。


  「きっと、もう……側にはいてくれないよね」


 メグミは重い足取りで帰路を進む。
 その背中をライトが照らした。
 自動車のエンジン音が近づいてくる。
 道の端へと身体を寄せた。
 身体の横を真っ直ぐに伸びるはずのライトがメグミ自身を包み込む。
 不審に思いメグミは振り返った。
 二つのライトを照らした自動車がメグミを目掛け近づいてきた。
 その光が大きくなってきてもメグミはその場から動くことすら出来なかった。


  「(ぶつかる)」


 メグミがそう思った瞬間、天地が反転した。
 身体がグルグルと回っている。
 意識がハッキリとしだすと自分が何かに包まれているのを感じた。
 それは以前にも感じた力強さと温かさだった。
 瞑っていた目を開けると、そこにはここ数日で見慣れた青年の顔があった。


  「テ、テンカワさん?」


 アキトはメグミをゆっくりと抱き起こし離れると、メグミの手から投げ出された傘とコンビニの袋を拾った。
 雨を身体に浴び立ち尽くすメグミに傘とコンビニの袋を渡す。


  「怪我はない?」

  「は……はい」

  「ならいい」


 アキトは後ろを向くとコミュニケを開き、話しだした。
 それをメグミは傘を差しながら見ている。
 メグミは思った。


  「(どうして、この人はここにいるの?)」


 もう自分の側にはいないと思っていた。
 アキトを追い返すようなことを言ったのは自分だから。
 よく見るとアキトの身体全身が濡れていた。
 今、降り注ぐ雨が原因だけではない濡れようだった。
 ずっとこの雨に打たれていたような濡れ方だった。
 ふと、メグミは思いついた。


  「(まさか……、ずっと見守っていてくれたの?この…雨の中で……)」


 アキトの髪を雨の滴が滴り落ちる。
 その姿を見ていたメグミの頬が濡れていた。
 メグミの頬を濡らすモノは雨だけではなかった。


  「あぁ、頼むよ」


 コミュニケを閉じるとアキトはメグミに振り返った。
 メグミは思わず頬を手で拭う。


  「マンションまで送りましょう」


 メグミは頷くと先に歩き出したアキトを追う。
 前を歩くアキトの背中を見ながら、メグミは一言も発しないで黙って歩いている。
 一人で来た道を二人で帰る。
 辺りには誰もいない。
 しかしあれ程怖かった暗闇にさほどの恐怖も感じなかった。
 雨音が何故か心地よかった。
 どうしてだろうか。
 命を救われたからか、それとも二人でいるからであろうか。


  「着きましたよ」


 答えが浮かぶ前にマンションに着いた。
 気が付くと振り返ったアキトが目の前にいた。


  「あ…ありがとうございます」

  「雨で濡れたようですから、風邪を引かないように気をつけた方が良い」


 アキトはそう言うと踵を返しメグミの前から立ち去ろうとした。


  「っ…待って!」


 思わず声を出してしまった。
 メグミの声にアキトが振り返る。
 何も言わずにアキトはメグミを見つめる。
 濡れたバイザーに雨が当たり、その滴がマンションの外灯の光を映している。
 だが、メグミが何も話さないので、アキトはその場を立ち去ろうとした。


  「待って!……待って…下さい」

  「何ですか?」


 メグミはアキトを上目遣いで見ている。


  「髪……濡れてます」

  「それが?」

  「乾かさないと……風邪、そう……風邪ひきますよ」

  「平気ですよ、慣れてますから」


 再び立ち去ろうとするアキトの前にメグミが立ちふさがった。
 その手に傘とコンビニの袋はなかった。


  「駄目…です、身体壊しますよ」

  「別に……」

  「お願いします、貴方に何かったら……ル…ルリちゃんに悪いし……」


 アキトに訴えるメグミの瞳は涙目になっていた。
 メグミにも何故これほどにアキトを引き留めようとするのか分からなかった。


  「私の護衛にも支障を来すかもしれないじゃないですか!」

  「しかし…」

  「お願いしますから」


 メグミの声は殆ど涙声となっていた。
 アキトはそれでも立ち去ろうとしたが、メグミの様子を見て、結局その懇願を適えることにした。



 メグミの部屋にアキトはいた。
 上着である黒いコートは乾燥室で乾かしている。
 濡れた髪はメグミに借りたタオルで拭き取った。
 ドライヤーで乾かすよう、メグミに言われたがそれは断った。
 傍らにアキト愛用の銃をホルスターに入れたまま置いてある。
 S&W−M19改、アキト用にカスタム化されており、アキトがネルガルSSに入った時から使い続けているもう一つの相棒である。
 長ソファに座りながら、目の前の小さなガラスのテーブルの上に置いてある紅茶を眺めている。
 湯気が上るのが見える。
 ここにいるのはアキト一人だった。
 メグミはいない。
 なぜならバスルームでシャワーを浴びていた。
 冷えた身体を温めるためである。
 シャワーの流れる音が微かに聞こえてくる。
 不意にその音が止み、暫くすると今度はドアを開ける音がした。
 こちらに足音が近づいてくる。
 メグミは大きめの桃色のパジャマを着ていた。
 アキトの前に姿を現すと、メグミはその隣に座った。
 ソファからギュッという音が漏れる。


  「あの……」


 メグミがアキトを横目でチラチラと見ながら、怖ず怖ずと声を出す。


  「何か?」

  「……バイザー」

  「…………?」

  「バイザー、外さないんですか?」


 思い切ってメグミは口に出す。。
 内心失礼かとも思ったが、言い始めると止まらなくなった。


  「いえ、テンカワさんの顔………、まだ一度も見たこと無かったから」


 メグミは右隣のアキトを見ながら照れたように笑った。
 何故メグミがこのようなことを言うのかアキトには分からなかった。


  「大した顔ではありませんよ」

  「でも、見てみたいな」


 ジッとメグミに見られてアキトは困惑した。
 一度メグミを見て、次にティーカップを見た後、アキトは右手でバイザーを外した。
 そしてメグミに顔を向ける。
 メグミはアキトの顔をマジマジと見ていた。


  「ふ〜〜〜ん、………………」

  「見るほどのモノでもないでしょう?」

  「……そうですね」

  「……………………酷いな」


 この男なりに傷ついたのかもしれない。
 アキトはバイザーを掛けようとする。


  「あっ、嘘、嘘、ご免なさい!そんなこと無いですよ」


 メグミは手の平をアキトに向けて、左右に振りながら慌てて謝罪した。
 本人としては冗談のつもりだった。


  「…………素敵です、素敵なお顔だと思います」


 はにかみながらメグミはゆっくりとアキトに言った。
 アキトもそれで満足したのか微笑んで受け入れる。
 それ程アキト自身気にしていないこともある。


  「あれ?テンカワさん、左目の色が少し違いますね」

  「っ!」


 アキトの表情が少し変わる。
 メグミは何気なく言っただけだったが、アキトの変化に気づくと不安げな表情になった。
 触れない方がよかったのか、そう思った。


  「昔、……事故でね、義眼なんですよ」


 アキトは改めてバイザーを顔に掛けた。


  「ご免なさい、私……」

  「気にしないで下さい、よく聞かれるんですよ」

  「でも……」


 メグミは申し訳なさそうに頭を下げる。
 そんなメグミにアキトは淡々と話す。


  「今の義眼は良くできてましてね、ちゃんと見えるんですよ」

  「はい、聞いたことがあります、ナノマシンを使っているとか………」

  「そうです、義眼本体と視神経をナノマシンで繋げるんですよ」


 そこまで言うとアキトはそれ以上何も言わなかった。
 メグミも口を開けなかった。
 アキトは紅茶を飲み、ティーカップを置くと立ち上がった。
 メグミは”はっ”とアキトを見上げる。


  「もう乾いた頃でしょう、私はこれで……」

  「まっ……待って!」


 玄関へ向かおうとするアキトの左手を座ったままメグミは思わず掴んでしまった。
 こちらを向くアキトの顔をみる。


  「お願い、もう少しだけでいいから……ここにいて……」

  「しかし…」

  「……お願い」


 アキトはメグミの隣に座り直した。
 沈黙が続く。
 お互いに何も話さない。
 時計の針の音がやけに大きく聞こえた。


  「……私、テンカワさんに聞いて欲しいことがあるんです」


 メグミがアキトの顔を見ずに、手に持つティーカップを見ながら話し出した。
 アキトは黙ってメグミの話を聞いている。


  「コンサートを中止しないのはファンのためって言ってましたよね、もちろん理由の一つではあります、でも他にもあるんです」


 アキトは何も言わない。
 メグミの独白が続ける。


  「私の実家って田舎の農家なんですよ、周りに何にもなくて本当に田舎って所で、そのせいか芸能界に凄く憧れました。そんな時イケダさんに出会ってスカウトされて、でもお父さんやお母さんにとっても反対されたんですよ」


 メグミは一口だけ紅茶を飲んだ。


  「お前には無理だって頭ごなしに言われて、悔しかったなぁ、だから私余計に意地張っちゃって、それでも行くって成功するまで帰らないって言ったんです。それで大喧嘩になってそのまま飛び出しちゃいました」


 その頃を思い出しているのかメグミは懐かしそうな顔になる。
 ティーカップをテーブルに置く。


  「その時に味方になってくれたのが姉なんです。二人いるんですけど二人とも頑張れって、後は任しておきなさいって言ってくれて、本当に嬉しかった。それから必死に頑張ってレッスンしてやっとネルガルのイメージガールに選ばれて……」


 アキトはメグミを見る。
 メグミの頬から流れるモノがあった。
 一つ、二つと零れ落ちた。


  「それからテレビとか出るようになって姉から手紙が来たんです。お父さんもお母さんも喜んでるって、ずっと心配してくれていたみたいで私の顔をテレビで見てやっと安心した顔になったって書いてありました」


 メグミの涙は止まらなかった。


  「だから……だから、このコンサートは止めるわけにはいかないんです。私は大丈夫だって、ちゃんとやっていけるって、心配しなくていいよって………」


 メグミは両手を顔に当て泣いていた。
 嗚咽を洩らしながら泣いていた。
 アキトがメグミの肩に手を乗せるとメグミは泣き顔をアキトに晒した。
 そしてメグミは身体を倒し、隣に座るアキトにあずける。
 アキトはメグミを優しく抱き締めた。
 メグミはアキトの腕の中で、その胸元で泣いていた。


  「このままでいるから、気の済むまで……泣くといい」

  「っ!………うっうっっ」


 メグミの涙声が部屋中に満ちた。


 それからしばらくして、メグミは泣き疲れたのか、アキトの膝の上に頭を乗せ眠っていた。
 アキトはその寝顔を見下ろしている。
 安らかな寝顔だった。


  「もう、大丈夫かな」


 アキトはポツリと呟いた。
 もう、夜明けは近かった。




 早朝、アキトとメグミの二人はメグミの部屋の玄関前にいた。
 先程目を覚ましたメグミが、アキトの膝枕で夜を明かしたことに驚いて、飛び起きたところだった。
 朝の空気が冷たい。


  「あの、昨夜はすみませんでした」

  「気にすることはありませんよ、それでは」


 アキトは頭を下げるメグミに答えるとメグミに背を向け歩き出した。
 二歩ほど進んだ後、アキトは足を止め振り返った。
 同時にコートの裾が翻る。


  「もう一度聞きますが、いいんですね」


 バイザーの奥の眼がメグミを見据える。


  「はい、……私が選んだ道ですから、だからこそ負けられません」


 メグミの瞳は決意に満ち満ちている。
 自分を支えてくれる人への信頼感。
 それがメグミにもたらす安心感。
 そしてその二つが交わり、メグミ自身の勇気へと変わる。
 何事にも屈しない勇気へと。


  「だって、テンカワさんが守ってくれるんでしょう?」


 アキトの顔に天へと昇り始めた太陽の光が照らされる。
 バイザーが宝石のように輝いている。


  「……必ず、君を守るよ」


 メグミは”ハッ”とアキトを見る。
 朝日の光に包まれたアキトはメグミに優しく微笑んでいた。
 誰もがその心に残すような微笑みだった。
 メグミにはアキトが天から自分を守るために使わされた天使のように見えた。
 漆黒の心優しき天使に。
 そして確信した。


   私はもう平気、だってこの人が守るって言ってくれたから


 メグミの心にのしかかっていた不安感が晴れていく。
 頭上に広がる青い空のように。
 もう、長い夜は明けていた。











 

つづく








後書き


 どうも、イジェネクです。
 第二話をお届けします。
 今回、メグミとの絡みに終始しましたのでお話としては全然進んでいません。
 でも書かないといけないエピソードでしたので一話分使うことにしました。


 登場人物少ないなぁ、他のキャラとの絡みがないですもんね。
 既存のキャラは追々出すつもりですが、どうも私は狭い範囲で話を作る癖があるみたいで、直らないんですよ。
 あと、アキトの義眼ですが別に作中以上に特殊なモノではありません。
 赤外線スコープになっているとかレーザーが飛び出すとかは無しです。
 まぁ、何かしら無くもないんですけどね。
 後々の秘密ですんで………ふふふふふ。

 因みにラストの方の文で「」が無いのはわざとです。
 一応、次回で決着がつく予定です。





蛇足

  執筆中のことなんですが、

      言いながらメグミは自分の胸に手を当てる。

  という文を打っている時、”自分の胸”というところで”の”を打とうとして
  ”NO”と打つところを”BO”と打ち間違えまして、
  それを知らずに変換したところ、

      自分簿胸

  と変換され、対象者が対象者なので思わず大笑いしてしまいました。

  ……………………いやそれだけなんですけどね、別に深〜い意味はありませんよ。




 次回をお楽しみに。



 

 

 

代理人の感想

結局の所、自分を責める資格を持つのは自分だけ、

自分の行動に責任を持つのは自分だけ、というお話でした。

でも、メグたんがこんなにクローズアップされた話ってひょっとしてActionでは初めてじゃなかろうか?(爆)

 

#もちろん某親衛隊関係は除いて、の話です。

 

>別に深〜い意味はありませんよ

手元の統計によれば、こういう表記が使用されている場合

70%以上の確率で実は深い意味があるという結果が表示されています(爆)。