ブラックサレナ
〜 テンカワアキト……………
その生涯 〜
第七話 GRACE
ライトを照らしながら市街を一台の大型のワゴンが走っている。
日は既に沈み、天空には月が出ていた。
薄い雲がその光を弱々しく遮断している。
少ないとは言え、他にも車や自家用機が飛び交っていた。
時間にして午後十一時三十分。
アキトはそのワゴンの後部席に座っていた。
この車にはホウメイは乗ってはいない。
時間通り再び日々平穏に出向くと、このワゴンに同乗してもらいたいということだった。
詳しくはユウガオから聞いて欲しいとも付け加えられてもいた。
このワゴンには運転席にはサユリ、助手席にはジュンコが座っており、後部席では前の席に左からミカコ、ハルミ、エリの順で座っていた。
アキトの正面にミカコがいるという位置付けである。
全員が全身を黒いレザーっぽい衣服を身にまとい、その上に同じく黒いジャケットを着込んでいた。
「あと少しだから、もうちょっと我慢してよね」
アキトの右隣にいたユウガオがそう言ってアキトに微笑んだ。
バイザーに隠れたその表情に変化は無いが、どこか何時もと様子が違うことに気付く者もいなかった。
幾分慣れはしたが、やはり同じ顔で微笑まれると動揺を完全には隠せない。
「それにしても……あんた、暗いわね」
アキトの顔が動くと、同席している他の三人の顔が困ったように歪んだ。
苦笑いの様にも見える。
「余計なお世話だ」
「あっ、可愛くない」
ユウガオは自分の発言に何も感じないのか、あっけらかんと言い返した。
初対面の時からからアキトに対してそれほどの嫌悪感は無い。
好意の方が大きいかもしれない。
理屈でなく、感覚でそう感じていた。
ユウガオはそういう直感に素直に応じる性格だった。
故にアキトへの応対もそれほど警戒が無い。
しかし他の人間からすれば自ら依頼した人間とは言え初めて組むのである。
ぎこちなくなるのも当然である。
サユリ辺りが一番眼を光らせていた。
「そろそろ話してくれないか？」
「ん？ 何を？」
「仕事の内容だ」
「あぁ、それね。 まぁ……取り合えず私達を守ってよ」
「護衛か？」
「そういうこと」
アキトは了承の意を返しておいて考えていた。
取引に向かっているのは理解していた。
しかし相手は知らされてない。
危険が伴うのは分かっていたが、それならばこれまでにも同様のことを行っている筈である。
自分が行くという事はそれ程危険な相手ということなのか。
そんなことを考えていると市街地から少し離れた倉庫街へと進入した。
企業等に貸し出すレンタル倉庫だった。
大きめの倉庫がいくつも建ち並んでいる。
その内の一つにワゴンを停車させた。
「はい、降りて」
「分かった」
ユウガオはアキトと一緒に降りると、荷物搬入出用の巨大なシャッター横に添え付けられている人間用の扉へと向かった。
扉を三回叩くと、中から二回叩かれる音がした。
それに対してユウガオは一回だけ扉を叩き返した。
すると錆付いた甲高い音をたてながら扉が開いた。
「どうも、日々平穏の者です」
「あぁ、あんたか」
中からグレーのスーツを着た男が顔を出した。
ユウガオのことを既に知っているのか中に入るように促した。
「そちらは？」
共にいるアキトを値踏みするように視線を浴びせる。
アキトはバイザーの奥からその男を見返している。
どうもそのスジの人間らしい。
「新しい従業員です。 ほら、荷物を運ぶの大変でしょ」
ユウガオの説明に男は頷きながら、倉庫の中央へと歩いた。
そこには長テーブルが設置され、その上に大きめのアタッシュケースが置かれている。
アキトとユウガオはテーブル側まで行った。
テーブルの反対側には先程の男の他に三人の男がいた。
真ん中の中年の男がボスらしく、一番高そうなスーツを着ていた。
「ほう、これはこれはお噂通り、お綺麗なお嬢さんだ」
「ふふ、ありがとうございます。 そちらもお約束通り来て頂いて嬉しいですわ」
「はっはっは、当然でしょう。 こちらとしても悪い話ではないのでね」
当たり障りの無い会話の中にもどこか緊張感が漂っている。
ユウガオが話している間、アキトは顔を動かさず目線だけで倉庫内を眺めている。
木製の箱やコンテナが置かれていた。
気配がした。
殺気というものかもしれない。
かなりの数の人間が隠れているようだった。
「（ただの取り引きではない……か）」
「ではさっそく」
ユウガオがそう言うと背後のシャッターが上へと昇り始める。
完全に開く前にワゴンが正面から倉庫の中に入ってきた。
エンジン音が倉庫内に響いている。
ワゴンが完全に入りきると、後部ドアが開かれミカコ達が降りて来た。
三人で木箱を取り出そうとしている。
サユリとジュンコは運転席に座ったままである。
「ほら、あんたも手伝って」
アキトはユウガオに言われるままにワゴンまで戻り、その木箱を台車に載せて中央のテーブルまで運んだ。
全部で三箱だった。
運び終えるとミカコ達はバンへと退いていく。
「どうぞ、ご確認を。 弾も一緒に入ってますから」
中年の男は木箱を開け、その中を覗き込む。
油紙に巻かれた物が縦横三列で計九つ並べられていた。
一つを取り出し外装の油紙を取り去ると、アキトがホウメイに見せられた銃が現れた。
「うむ、注文通りだ」
「お気に召しまして？」
「ああ、文句ないね」
「良かった。 そう言って下さると、こちらとしてもホッといたしますわ」
ユウガオは品定めをしている男に微笑んだ。
しかしアキトはそのユウガオの微笑みにどこか冷たいものを感じていた。
勘というものだろうか、何かが起こりそうな気がしていた。
「では、代金を……」
ユウガオが言いながらテーブルに置いてあるアタッシュケースを取りに行こうとした時に、その中年の男は顔をニヤリと歪めてパチリと指を鳴らした。
すると男の背後からゾロゾロと何人もの人相の悪い者達が姿を現した。
各々が手に銃を持っていた。
「どういうことかしら？」
「なあに、世間の厳しさってやつをお嬢ちゃん達に教えて上げようと思ってね」
周囲の男達もニヤニヤと醜悪な笑い顔を見せている。
しかしユウガオに変化はない。
これも予想済みという余裕さえ感じられた。
アキトはその場にいる人間の数を数えている。
全員で十人。
他にも何人か隠れていることも考えられるが僅かなものであろう。
問題は自分だけなら何とかなるが、ユウガオ達のことを考えると少々厄介な人数であった。
「銃と一緒に、女も手に入るとは結構なことだぜ。 それもこんな美人をな」
ゲラゲラと下卑た笑いを中年の男が上げると、それに同調して他の男達も笑い出した。
その蛙の鳴き声の様な笑い声を聞きながら、アキトはどうするか思案している。
答えが出る前にユウガオが先に動いた。
「五月蝿いよ、そこのおっさんとチンピラ」
醜悪な笑い声が止み静かになった。
途端に中年男の顔つきが険しくなる。
その視線に晒されながらも、ユウガオは悠然と立っていた。
「なんだと！ この女（あま）！」
「やかましいと言ってんの。 騒ぐんじゃないよ」
険しい顔つきで、ユウガオは正面の男達を見据えた。
アキトは成り行きを見守っている。
ユウガオには何かしら考えがあるようだったからだ。
しかし銃を抜く準備だけはしておいた。
「あんた等、手に入れた銃を素人にも流してるね」
「それがどうした？」
「あんた等が使うんだったら文句は無いけど、安易に流すってのが許せなくてね」
中年の男はフンッと鼻を鳴らしながら、馬鹿にしたような眼でユウガオを睨んだ。
「何言ってやがる。 買う奴がいるから売ってやっているんだ。 なら手前らはどうなんだ？ わし等に卸してるじゃねえか」
ユウガオはフンッと鼻を鳴らして、睨み返した。
「あんた達だからだよ。 馬鹿同士が使うから売ってやっているんだ」
「何だと！！」
なまじ顔立ちが良いため、余計に憎らしく感じられた。
ユウガオの言い様に我慢を出来なくなったのか、他の部下達が銃を構える。
同時にアキトも銃を懐から抜くと、背後に停まっていたワゴンのライトがいきなり照らされた。
「うわっ！！」
その光をまともに眼に浴びて、ユウガオとアキト以外の人間がその眼を閉じた。
「飛んで！！」
声を放ちながらユウガオは左側に身体を躍らした。
アキトも反対側に身体を飛ばすと、エンジン音と共にワゴンが急発進してアキトとユウガオの隣まで移動した。
「くそ！ おい！ 撃て！ 殺せ！」
眼を閉じながら中年の男は喚き散らした。
呼応して部下達がその命令に従う。
銃弾がワゴンを狙って撃ち込まれるが、その全ては全く通用しなかった。
サユリ達の乗るワゴンはフロントガラス、車体共に特別に加工改造してあり口径の小さなハンドガン等では貫通することは出来ない。
左右の後部ドアが一度外側に膨らむように十センチ程飛び出すと、ドアの下部が地面スレスレまで伸び、今度は羽の様に前方へと動いた。
するとその後部ドアを盾にして、ハルミとエリが左右それぞれからサブマシンガンで応戦する。
アキトも物影から銃弾を放ちつつ、その殆どを命中させていた。
「アキト、乗って！」
ユウガオの声を聞き、ハルミに援護してもらいながらワゴンへと乗り込むと、反対側からはユウガオとエリが乗車して来た。
「どういうことだ！」
「こういうこと！」
「無茶苦茶だ」
「サユリ！ いいよ！」
その掛け声を聞いてジュンコがスイッチを押すと後部ドアが元の位置へ戻り、完全に閉められる。
そしてワゴンは一気に後退して、タイヤを鳴らしながら倉庫から飛び出した。
サユリはハンドルを巧みに操り、半回転させるとその場から早々に走り去る。
「あいつ等をあのままにするのか？」
「えっ？ 冗談」
ユウガオがアキトを見返すと倉庫の方から爆発音が聞こえてきた。
アキトは運びこんだ銃共々、あの場にいた人間が消え去ったことを理解した。
一般道に出ると、スピードを緩めて通常の走行へと戻る。
エンジン音が車内に響いた。
「最初からこうするつもりだったのか？」
「そうよ」
アキトの問いにユウガオはさも当然という顔で答える。
「私達は確かに武器を売るけど使用する人間や組織を選ぶわ。 誰にでも売っているわけではないの。 あの連中は以前から悪い噂があってね、 始末するつもりだったのよ」
淡々と話すユウガオにアキトは一瞥をあたえる。
「何故？ こんなことを？」
ユウガオは右手の上に左手を重ねて人差し指と中指を上下に動かす。
暫し動かして指が止まる。
「私達は皆、孤児なの。 ホウメイさんに拾われたのよ」
目の前に座るミカコ達の眼が伏せられる。
「親は私達が扱っている銃で殺されたの」
「なら……」
「そう、なのにそんな物に携わってる。 何故か分かる？」
ユウガオの顔がアキトに向けられるも、何も答えられなかった。
そんなアキトを見ながら、懐から銃を取り出し今度は銃をジッと見つめる。
「私達もこんな物は無い方が良いと思うわ。 でもね、無くせる？ ただ銃器反対とか叫んで、無くなると思う？」
アキトは答えない、いや答えられない。
自分もまた携わる人間だからだ。
「ならせめて、普通の人が簡単に手に入れられる状態っていうのを少しでも防ぎたいのよ」
「偽善だな」
ユウガオの言いたいことも分からないではないが、やっていることはその否定した連中とさほど変わらない。
「そうよ、偽善よ。 でもね、私達には他に方法が無かった。 叫ぶだけでは我慢出来なかった」
「君達もあいつらとなんら変わらない」
「えぇ、矛盾しているのは承知の上よ。 でもその矛盾をずっと背負って続けるつもりよ。 いつかこんな物が無くてもいい世界がくると信じてね」
言いながらもユウガオの表情が晴れることは無い。
抑制したいというのも、驕りであろう。
善良なわけではない、だが間違っているとも言い切れないアキトがいた。
本来なら警察に任せることであろう。
しかしその全てを取り締まれないのも事実である。
中には警察組織にも顔の利く連中もいるし、法を逆手にとって暗躍する者達もいる。
銃器を扱いながら裏の世界の流れを操作して、性質の悪い者達を闇に葬り去る。
日々平穏とはそんな組織であった。
沈黙の中、ワゴンは店へと帰ってきた。
地下の車庫にワゴンを止めると、一階の店内へと集合した。
そこにはホウメイが一人、全員の帰還を待っていた。
「お帰り、皆無事のようだね」
「もちろん！」
ユウガオを始めとしてその全員が笑顔でホウメイと抱擁を交わす。
そして、その功を労った。
「さあ、大したものは無いけど好きなものをお食べ」
ユウガオ達の任務中に調理していたのであろう料理がテーブルに並べられていた。
すると途端にその料理をつまみ始める。
アキトは女達がたむろしているテーブルから離れた場所で座っていた。
グラスには茶が注がれていた。
そこにホウメイが来て、隣に座った。
「感想は？」
無言のアキトがいる。
と言うよりも答える言葉を捜していた。
「私らの仕事、お前さんはどう思った？」
「否定すべきかどうか迷っている」
ホウメイは声を上げて笑った。
「はっはっは、正直だね」
「肯定は出来ない。 ……が否定も出来ないでいる」
「そりゃ、お前さんがまだこの世界に浸かり切っていない証拠さ」
アキトはここで初めてホウメイに顔を向けた。
「俺が？」
「そうさ」
手に持つグラスを見ながらアキトはホウメイの発した言葉を反芻している。
「なまじ染まった奴なら、何にも考えずに受け入れている。 疑問に思うならお前さんはまだ……戻れる」
アキトの身体が僅かながら揺れた。
戻れるという言葉に思った以上に反応していた自分に驚いていた。
「俺はそんなつもりは……」
「聞きな。 ゴートが依頼を通したのは偶然じゃない。 この先のことを考えてのことなのさ。 正直、お前さんはこの稼業を続けるには優しすぎる。 遅かれ早かれ、心が潰されるよ」
ホウメイはグラスをあおり、空のグラスをテーブルに置いた。
「続けるのなら、生半可でなくきっちりと覚悟を決めな」
「覚悟？」
「そうさ、これからお前さんは多くの悲劇をその眼に見ることになる。 それに飲み込まれない覚悟をね」
無言でいるアキトを感じながら、空のグラスに琥珀色の酒を注いで、グラスを手に取り唇へと運んだ。
「ホウメイさん」
「ん？」
「悲劇なら……一番見たくなかったやつを、もう見ていますよ」
「テンカワ？」
アキトはグラスを置いて立ち上がった。
そんなアキトをホウメイは訝しげに見つめる。
アキトの生い立ちについてはさほど詳しくは聞いていない。
しかし、重い過去があることは想像できた。
「帰ります」
「そうかい、なら明日からまた頼むよ」
「明日！？」
困惑の顔をしながらホウメイを見返した。
ホウメイは笑顔を見せている。
「契約でね。 気に入ったらお前さんをうちの専属にすることになっているんだよ。 聞いてないのかい？」
「初耳ですよ」
「じゃあ、今言ったからね」
押し黙るアキトを見上げながら、ホウメイはグラスに口をつけた。
「不服かい？」
「……いえ、承知しました」
そう言うとアキトは背中を向け、テーブルの料理に屯するユウガオ達に声を掛けて日々平穏を後にした。
ここで仕事をするのも悪くないと思いながら。
薄暗い室内。
そこに五人の人間がいた。
三人はスーツ姿、その背後にいる一人はＴシャツにジャケットを羽織りジーンズをはいている。
スーツの男達は怒りと悔恨それに怯えを持って座っていた。
「まさか、消されるとはな」
「あぁ、返り討ちにあったようだ」
「資金源が一つ失われたか」
身体から流れる汗は室内が暑いわけではない。
冷や汗という方が正解かもしれない。
その目の前の男によるものであった。
茶色のマントでその身を包まれながら全身から隠すことなく殺気を放ち続けている。
その顔には表情というものは無く、ジッと正面に座り恐縮している者達を見ていた。
瞳からは何も感じられない、いや目の前の男達を人としてすら見ていない。
「どうするのだ？ このままにするわけにもいくまい」
「当然だ。 然るべき処置はする」
「だが、奴らの影響力はこのアジア一帯に及ぶぞ」
何の策も出ないまま、不毛な会話が室内で発せられる。
お互いへの責任の擦り付け合いも垣間見られた。
「喚くのは構わんが、うぬ等自身のことも考えておくことだな」
地の底から響くような声であった。
その場にいる者達全員に畏怖を与える声であった。
男の言葉一つで静寂が訪れた。
左の瞳が燃えるように紅く輝いている。
「それとも我等の手を煩わせるのか？」
「いっいや、滅相も無いこちらで処分いたします」
「そう…願いたいものだな」
「はっ」
それを最後にその男は室内から退出して行った。
室内の張り詰めた空気が穏やかに変わった。
剣呑な雰囲気は変わらないのだが、遥かに穏やかさが増したということだ。
額の汗を拭いながらそれぞれが顔を見合わせる。
「何とかせぬと我々の命が危ないぞ」
「兎に角、始末する他あるまい」
「誰に行かせるのだ？」
「私が行きましょう」
それまで背後で無言を勤めていた男に眼を向けた。
その男はウエーブのかかった黒い長髪を真ん中から分け、黒い丸眼鏡を掛けていた。
大柄の身体を白いコートで覆い隠していた。
「貴様がか？ ショウキ」
「はい」
ショウキは眼鏡の奥の瞳から危険な光を放っているが、目前の三人は気づくことは無かった。
「奴等とつるんでいる男に心当たりがありまして」
「知っているのか？」
「はい、借りがありましてね。 是非とも返してやりたいのですよ」
「……よかろう。 貴様に一任しよう」
「有難うございます」
頭を下げるとショウキもまたその場を辞した。
三人の男達はそれを見送るとやや安堵を感じる息を吐いた。
「あの者ならば何とかするであろう」
「うむ。 我等はこれで終わるわけにはいかんからな」
「その通りだ。 まだまだ滅びはせんよ」
日々平穏での仕事も数回こなし、アキトもこの仕事に慣れ始めていた。
人間関係も幾分スムーズにいくようになり、サユリを除いて少しは親しく話せるようになった。
「アキトさん、お食事中にすみません」
「ん？」
ハルミに呼ばれてアキトは顔を上げた。
丁度、日々平穏の従業員用の部屋で昼食を取っているところであった。
口の中のものを咀嚼しながら箸を置いた。
「何か？」
「えっと、アキトさんの銃を見せてもらえます？」
「あぁ、構わないが」
アキトは懐から愛用の銃であるＳ＆ＷＭ−１９改を懐から取り出して、ハルミに渡した。
受け取ってからシリンダを出したり、各部をチェックしてしげしげとその銃を見定める。
「う〜〜ん、アキトさん。 これ、いつ手入れなさいました？」
「昨日したんだが」
「手入れの仕方、間違ってますね。 駄目ですよ、きちんと正しい方法でやらないと」
「そうなのか？」
「はい、これではいけませんね」
キッパリとハルミに注意されたアキトは困惑気味の顔になる。
「それにこれだと面白くありません」
「は？」
「全然つまらないです」
ハルミの言っている意味が分からず、アキトの表情は更に困惑さが増した。
「ですので、少し私にお預けになりません？ 決して悪いようにはしませんから」
既にアキト用にカスタム化してあるのだが、それだけでは満足できないらしい。
異様に熱意の籠った眼で見られてアキトはためらったが、ハルミの強引なまでの押しに負けてしまい預けることにした。
「そうそう、これ代わりと言ってはなんですが」
そう言ってハルミはアキトの目前にコトッと黒光りする銃を置いた。
「ＣＯＬＴパイソンです。 Ｍ１９にも劣らない性能ですよ。 アキトさんのと同じ２.５インチを用意しておきました」
「珍しいな。 まだパイソンが手に入るんだ」
ＣＯＬＴパイソンは一九五五年に発表された人気の高い銃である。
しかしながらＣＯＬＴパイソンは数多くのファンが居ながら、実用的かつ安価なＳ＆Ｗリボルバーの倍以上の価格と品質低下が災いして、その量産は一九九五年には中止され、コルトのカスタム・ショップにての注文生産のみとなってしまっていた。
故に現在においては至極入手し難い銃であった。
アキトはパイソンを手に取り、具合を確かめる。
「重量的にもさほど変わらないか」
アキトは了承し、パイソンを懐に入れる。
許可を得たハルミは喜びながら、ジュンコに声を掛けて従業員用の部屋から出て行った。
アキトは何がそんなに嬉しいのか分からない。
そう思っているとユウガオがアキトの隣に座った。
「あらあら、ハルミとジュンコに預けちゃったのね」
「ん？ そうだが……、何か問題でもあるのか？」
「ん〜〜、無いとは思うんだけど……」
ユウガオは何とも言えない顔をアキトに見せる。
「歯切れが悪いな」
「ハルミはね、手入れはプロ級なんだけど銃器の設計もやるのよ」
「ほう」
アキトはこの稼業をしていれば意外とは言えないが、それでも容姿からは想像出来ない技能に感心する。
「そしてジュンコはその加工や改造とかをするのが得意なのよね」
コンソメのスープを飲みながらユウガオの言葉にアキトの顔に汗が流れる。
何となく嫌な予感がしたのだ。
「帰ってきたらあの銃、更に原形を留めていないかもよ」
「ぶっ」
思わずアキトは吹き出してしまった。
「まあ、悪いようにはならないわよ」
「そう願うよ」
アキトは食事を終えると食器をトレーごと持ち上げた。
カウンターへ持ち運ぶ時、ユウガオが声を掛けてきた。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど良い？」
「構わんが」
「じゃ、裏で待ってて」
「分かった」
そう返事をしてアキトは部屋を出て行った。
潮風が流れている。
肌に心地よい風であった。
一面の草原の中で一ヶ所小高い丘がある。
そこには花が植えてあった。
丘全体が花で満ちている。
アキトはその側に腰を下ろしていた。
ユウガオを待ちながら、横に咲いている小さな紫色の花弁を眺めている。
花の名前は知らなかった。
手入れが行き届いているのか、綺麗に咲き誇っている。
ただ眺めてた。
むしり取ろうとする気も当然無かった。
その可憐さに和やかになる自分を感じている。
「花をゆっくりと見るなんて……忘れていたな」
「綺麗でしょう」
一人呟いた時にユウガオが背後に立っていた。
アキトが花を見ていたので声を掛けずにいたのだ。
「そうだな。 何と言う花だ？」
「バーベナ・テネラよ」
「君が植えたのか？」
「そうよ。 これでもきっちり手入れしてるんだからね」
「ああ、分かるよ」
しばらくアキトとユウガオは風に揺れる花を見つめていた。
晴れた空を白い雲が流れている。
波音が崖の下から聞こえた。
「話とは？」
「回りくどいの苦手だから聞くけど、あなた何故この世界に入ったの？」
バイザーに隠れるアキトの瞳の色が揺れた。
出来れば話したくないし話すことでもなかったからだ。
沈黙のアキトにユウガオはその正面に回って見下ろした。
「似合わないわよ……貴方」
「何故？」
「優しいから」
アキトはゆっくりとユウガオに顔を見上げる。
「冷たくいようとしているのがバレバレだもの」
「俺が？」
「そうよ」
「そんなことはない。 俺はそんな男だ。 そういう君はどうなんだ？」
言いながらアキトは立ち上がった。
「私？」
問うた相手に問い返されてユウガオはきょとんとした顔になった。
「君を見ていると常に先頭に立とうとしている。 どれほどの無理をしてまでもな」
「………………………」
「何故、そんなに生き急ぐんだ？」
ユウガオはその言葉に少なからず動揺していた。
知っているはずは無い。
自分の身体のことをアキトは知らない筈である。
悟られるわけにはいかなかった。
残された時間のことを悟られるわけにはいかなかった。
アキトに知られることは他の皆にも知られるかもしれないからだ。
故にユウガオはアキトの言葉をはぐらかした。
「そういう貴方はどうなの？」
「どういう意味だ？」
「何故、そんなに死に急ぐの？」
今度はアキトが沈黙する番であった。
「貴方を見ていると分かるわ。 貴方はどこかで死を望んでいる」
ユウガオの瞳からアキトは眼をそらした。
何も言い返すことが出来なかった。
望んでいると指摘されても違うと言い切れない。
そんなアキトの横顔をユウガオはジッと見つめている。
「……かもしれないな」
普段ならば歯牙にかけないが、話す気になったのはその容姿のせいかもしれない。
アキトは襟元の隙間から黄金の鎖で繋がれたペンダントを取り出した。
蓋を開けてユウガオへと渡した。
ユウガオはそこに張られた写真を見て眼を見開いた。
「……っ！ ……これ」
「俺にとって最も大事な人だ」
自分と同じ顔をしたその写真の人物をユウガオは見ながらアキトの告白の続きを待った。
「妻だった。 けれど、俺の目の前で……死んだ。 いや……殺された」
アキトの悲しい独白は波音に消されること無くユウガオの耳に届いている。
「救えなかった。 そして彼女を、ユリカを……泣かせたまま逝かせてしまった。 憎かった、俺から全てを奪ったあいつ等が……」
話しながら握られた拳に更に力が加えられる。
それがスッと力無く開かれていった。
「……だが一番許せなかったのは、俺自身だ。 ずっと側にいようと誓った筈なのに、一緒に生きようと決心した筈なのに！」
アキトはペンダントを見るユウガオに顔を向けた。
言葉が言葉を生み出し、アキトの口調は激しくなっていく。
しかしユウガオはアキトの顔を見返さなかった。
「復讐をするつもりだった！ そのために踏み込んだ！ その筈だったのに未だ復讐も果たせない、死ぬことも出来ない。 なあ……俺は一体どうすれば良いんだ？」
その問いにユウガオは直ぐには答えられなかった。
言葉を捜していた。
そしてユリカの写真を見た。
笑顔だった。
幸せを絵に描いたような優しい綺麗な笑顔だった。
愛する男に見せるに相応しい笑顔だった。
そしてユウガオはアキトを見た。
「生きることね」
ユウガオの眼が力強くアキトの眼を射抜いた。
思わずアキトは気圧された。
「貴方がこの世界に入ったことが間違いかどうかなんて分からないわ。 でも一つ言えることは貴方は生きなければだめ。 この人のためにも生き抜かなければだめ」
「……そうなのかな」
「そう、簡単でいて苦しいことでもあるわ。 辛いことを知っていると特にね。 でもこの人は貴方が死ぬことなんか望んでいない筈よ。 それに……」
「それに？」
「貴方が死ねば誰がこの人の笑顔を覚えているの？ こんな幸せそうな笑顔……本当に好きな人でなければ見せられないわ」
アキトはユウガオの生きろという言葉を反芻する。
分かっていた。
ユウガオに限らず、ユリカもまたそう言うであろう。
自分の分も生きろと叱咤するであろう。
これはアキト自身の甘えなのかもしれない。
これまで誰にも言われたことが無かった。
ただアキトの好きなようにすることばかり言われてきた。
甘えと分かっていながら誰かに言って欲しかったのだ。
ユリカの分まで生きなさいと諭して欲しかったのだ。
「……そうだな」
「そうよ」
ユウガオはペンダントをアキトに返した。
それを受け取り微笑むユリカの顔を確認し、懐に仕舞うとユウガオを見つめる。
「少し楽になった」
「良かった」
ユウガオの微笑みにアキトはついユリカを脳裏に思い起こしていた。
そしてユウガオに感謝した。
「ありがとう」
「貴方からお礼を言われるとは思わなかったわ」
「俺も言うとは思わなかった」
どちらとも無く笑みが浮かび笑い合った。
これほど和やかに笑えるのは久しぶりであった。
アキトは店へと戻るために歩き出した。
「戻らないのか？」
「もう少し風に当たっていたいのよ」
「そうか」
立ち去るアキトの背中を見送るとユウガオは側にある木へと身体を寄せて、その背中を当てそのまま腰を下ろした。
息づかいが荒い。
苦しそうであった。
「大丈夫かい？」
顔を上げるとホウメイが心配気な顔をしながらユウガオの肩に手を添えた。
アキトと入れ替わって屋外に出たホウメイは座り込んだユウガオが気になり、その側に走り寄って来たのだった。
「へ……平気です」
「無理はするんじゃないよ。 何なら皆に……」
「だっ駄目！ 皆には言わないで、特に……」
いつも以上の哀願にホウメイは違和感を覚える。
そしてその変化の理由に気が付いてもいた。
ユウガオの瞳を見つめる。
ある想いが映し出されていた。
「彼には……黙っていて」
「…惚れたのかい？」
ユウガオの瞳が横に流れた。
模索しているような確認しているようなそんな色をしている。
「分からない。 でも……知られたくないの」
「負担になりたくないんだね？」
「……かもしれない」
「いいのかい？ それで」
「同情は……されたくないから」
微笑みながらホウメイはユウガオをその胸に抱いた。
優しく包むように抱いた。
愛娘を愛でるようでもあった。
「分かったよ。 でも……、辛いよ」
「それでもいいの。 だって彼にはもう……」
「ユウガオ？」
しかしユウガオはそれ以上何も話そうとはしなかった。
翌日、アキトはいつも通り日々平穏に来ていた。
休店日なので店は静けさに満ちている。
今アキトは裏庭の方に出ていた。
ユウガオに言われたことを脳裏に浮かべている。
「生きること……か」
そう呟いた時、自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り返るとミカコがこちらに小走りに近づいてきた。
「テンカワさん」
「どうした？」
「ユウガオさんと連絡が取れないんです」
アキトはミカコと共に屋内へと戻ると店内に他のメンバーも揃っていた。
ホウメイは腕を組みながらエリから事情を聞いているところだった。
「で？ どういうことなんだい？」
「それが、何時もの定時連絡が入らないんです。 ユウガオさんは今まで忘れたこと無かったし、こちらから念のためコールしてみたんですけど……」
「応答がないってことなんだね」
「はい」
その場にいたハルミやジュンコも心配そうにホウメイの側に座っていた。
特にサユリは口元に握った手を当てながらウロウロと歩いている。
この稼業である、生命の危険にさらされることは当然のことだ。
覚悟はしているが、それでも心配なのには違いが無い。
「とにかく、手分けをして捜すしかないね」
ホウメイの言葉に頷くとサユリ達はエリを残して飛び出して行った。
エリが通信員として奥へと入ると、その場にはホウメイとアキトだけが残っている。
アキトもユウガオの捜索に出ようとするが、ホウメイに呼び止められた。
「ユウガオのことを話しておこうと思ってね」
ホウメイの顔を見返しながら、アキトはその続きを待った。
しかしホウメイは自分から呼び止めたにも拘らず、話し難そうにしている。
それでもアキトは敢えて何も言わずに待った。
「あの娘（こ）は……もう永くないんだよ」
アキトの眼は見開かれたが、バイザー越しのためホウメイからは見ることは出来なかった。
「心臓がね。 先天的に弱くてね」
重い空気がアキトをそしてホウメイを押し包む。
「他の皆には？」
「知っているのはあの娘と私と…お前さんだけだよ」
「何故、俺に？」
「ん？ お前さんには知っていて欲しくてね」
アキトはそれ以上は何も言わずに身を翻し外へと出て行った。
ホウメイはその後姿を見送ると右横に置いてある椅子に腰を下ろした。
「すまないね、ユウガオ。 言わずにはいられなかったよ」
心の中でユウガオに謝罪しながら、ホウメイはその身の無事を祈っていた。
その頃、ユウガオは両手を背中に回され、手首を鎖で結ばれ床の上に座り込んでいた。
目の前にいる男を冷淡に見つめている。
先刻、この男にここまで連れて来られたのだ。
日々平穏に戻る途中、背中から声を掛けられ振り向く間も無くその背に銃を突きつけられ、共に来るように強要されたためである。
ショウキであった。
「ねえ、あんた何者なの？」
ユウガオは尋ねてみるが返ってきたのは無言であった。
先程から何度も聞いているのだが、終止この状況なのである。
「（まいったなぁ）」
仕事柄狙われることはあったが、何が目的かはその都度把握することが出来た。
だがこの男の目的が今ひとつ分からない。
自分に対する要求をまったく告げなかったからだ。
ここに連れ込まれておよそ二時間は過ぎているであろう。
その間にも何の要求どころか一言も発しない。
手詰まり状態であった。
自分の身分からしてただの身代金目的では無いであろうし、銃器等の目的でも無さそうでもあった。
ともすれば肉体が目的か、ただの変質者かとも考えたが無言でいるのと同様、鎖で繋がれて以来、指一本触れてこない。
それでも身体検査はされて、手持ちの武器は取り上げられてはいた。
今いる場所は理解している。
ここまで目隠しもされることも無く連れて来られていたからだ。
日々平穏からはそれほど遠くない、埠頭の倉庫であった。
「（私にこの場所が知られても良いという事か）」
それはユウガオを無事に帰すつもりが無いということを物語っていた。
「俺の目的はお前等じゃない」
ここに来て初めてショウキはその口を開いた。
「私達で無い？」
「お前等に恨みがあるのは上の連中だ。 俺自身は違う」
「じゃあ、何よ」
「テンカワ・アキトだ」
ショウキは顔を歪めながらアキトの名前を告げた。
いや、歪んで見えたのは笑みを浮かべていたのだ。
人の微笑みはここまで醜悪になるのであろうか。
ユウガオは二重の意味で驚いていた。
「彼に何の用なの？」
「なに、少し恨みがあるのさ。 恥をかかされたんでな」
ショウキは丸眼鏡を指先で上げながら、ユウガオを見つめた。
「お前にはその餌になってもらう」
ユウガオはショウキを睨み返した。
「そんなに上手くいくかしら？ 彼もそれほど馬鹿じゃないわ。 罠と知って来るわけが無いわよ」
ショウキはその返答に笑い声で答えた。
「はっはっはっ、普通ならな。 だが奴は来るさ、テンカワ・アキトとはそういう男だ」
ユウガオには言い返す言葉が無かった。
自分の知るアキトならば来るであろう。
何故ならそういう男だからこそ、ユウガオは惹かれたのだ。
今、ユウガオは初めて自分の命の使いどころを考え始めた。
日が暮れ始めていた。
薄いオレンジの光が辺りを照らしている。
アキトは内心焦りながらもユウガオの行方を捜していた。
ブラックサレナは程近くに止めてある。
帰途に着く人々が次第に多くなってきていた。
行き交う人々の間を縫ってアキトは足早に歩いている。
一旦、日々平穏に戻ろうかと思い始めるとコミュニケのコール音が鳴った。
アキトが回線を開くと通信者の映像が映し出された。
「こんばんは、テンカワさん」
「どうしました？ プロスさん」
男の名前はプロスペクター、アキトの利用する情報屋で、外観からは想像出来ないが、裏の世界において最高級の情報屋である。
「貴方に伝言ですよ」
「伝言？」
アキトは訝しげにプロスペクターの顔を見返す。
伝言をするような人物が思い浮かばなかったことも理由の一つでもある。
「預かりものを返したいそうですよ」
「……それで？」
伝言の真意を悟ったアキトはプロスペクターから、伝言内容を伝えてもらう。
その伝言者と指定場所を聞くと、アキトはその名前を思い出した。
「ショウキか」
「ええ、私を何だと思っているんでしょうね？ 私は伝言板ではないんですよ。 その辺りを十分その人に注意しておいて下さいね」
プロスペクターの言い様は正しく他人事である。
自分は情報を売るのであって、伝えるのではないと言いたいらしい。
アキトは礼を言って、コミュニケを切るとブラックサレナの所へと急いだ。
コックピットに乗り込み、ハッチを閉め起動させると、アキトはエリに連絡を入れた。
「そうだ、これから直ぐに向かってみる。 他の連中にも知らせておいてくれ」
「一人で大丈夫ですか？ 皆と……」
「いや、相手のご指名は俺らしい。 先に行っている」
「あっ、アキトさ…」
アキトは通信を切るとブラックサレナを指定の場所へと機首を向けた。
コックピットの中でアキトはショウキのことを思い出していた。
半年ほど前に中国での任務時に出会ったと記憶している。
その時にある意味見逃したのだ。
それは任務を最優先にした結果だった。
それ以来、さほど気にもすることは無かったが、この様な形で再び再会する破目になるとは思わなかった。
倉庫近くの開けた場所に着陸すると、アキトは一人指定の倉庫へと疾走する。
この埠頭でも中規模のその倉庫のメインの巨大な扉は閉じられていた。
アキトは横にある作業員用のドアから入ろうとすると、鉄製の扉が左右へと移動し、人が通れる程の隙間が出来た。
躊躇することなく内部へ入ると、その途端にアキトの背後の扉は再び閉じられる。
そして薄暗い倉庫内に照明が点けられると、正面に白いコートを着た男が一人木箱の上に腰を下ろしていた。
「ようこそ、ブラックサレナ」
大仰にショウキは腕を広げてアキトを迎える。
口元は笑みを浮かべていた。
「久しぶりだな、あの時の借りを返しに来たぜ」
「返す必要は無かったんだがな」
「そう、言うなよ。 俺は結構……、律儀なんだぜ」
「彼女は？」
ショウキはアキトを横目で見ると、右手の人差し指で右方向をアキトからすると向かって左を指した。
その方向に視線を向けると、そこには両手を鎖で縛られたユウガオが転がされていた。
幸い怪我は無い様だった。
「（…アキト）」
ユウガオはアキトの姿を見て喜びを感じていた。
来てくれる事は分かっていた。
それがテンカワ・アキトであるから。
分かってはいたが、やはり実際にその姿を現してくれたことが嬉しかった。
アキトはユウガオの無事を確認すると、再びショウキを見る。
「用があるのは俺なんだろう？ 彼女を放せ」
「そうだな、それは俺の用事が済んでからだな」
「なら、さっさと…」
アキトが言い終わらないうちに倉庫内に銃声が響いた。
同時にアキトは仰向けに倒れる。
「アキト！」
ユウガオの叫び声がショウキの耳に入る。
「慌てなさんな。 おい！ 生きているんだろう？」
ショウキの呼び掛けと共にアキトは胸を押さえながら立ち上がった。
「防弾処理をされているんだろう？ 良いスーツを着てるじゃねえか」
アキトの着ているスーツとコートは特殊繊維で作られている。
ちょっとした銃弾ならば貫通することは無い。
「だが、その衝撃だけはどうにもならんよな？ わざわざ二十二口径を選んで、しかも薬莢にも細工をしてやったんだ、簡単に死ぬんじゃねえぞ！」
ショウキの手にはシルバー製のルガーＭＫ２が握られていた。
言い終わると同時にショウキは続けて三発の銃弾を放った。
「ぐっ！」
正確にアキトの胸部に一発と腹部に二発命中させる。
今度はうつ伏せに倒れた。
倒れたその背中に一発撃ち込まれた。
「あぐっ！」
「ひゃっはっはっはっはっ！」
笑いながら残りの弾を上に向け撃ち尽くす。
ショウキは空になったカートリッジを取り出し、新しい物と入れ替える。
その顔には醜悪とも言える笑みを浮かべていた。
「おい、おい。 まだ死ぬじゃねえぞ、それと気も失うんじゃねえ。 そうなったら女は死ぬだけじゃすまさねえぞ」
「ぐっ……」
アキトの口元から鮮血が漏れる。
何本かの骨にもひびが入っているのだろう。
しかし足元をふらつかせながらも立ち上がった。
「良いねえ、良いぞ。 その調子だ！」
「アキト！」
ユウガオの叫びが倉庫内に響くも空しい呼び声でしかない。
その筈なのに、アキトはただ微笑んだ。
ユウガオに対する配慮であったのであろう。
そしてその向けられた微笑はユウガオの心を揺さぶる。
巻き付けられた鎖を緩め外そうと必死に手首を動かす。
急がねばならない。
直ぐにでも側に行かなければならない。
この男を、惚れたこの男を死なせてはならない。
ユウガオの想いはその一点に集約された。
その間にもショウキの放つ銃弾が再びアキトの腹部に着弾する。
「がはっ！」
アキトは膝からゆっくりと倒れた。
ショウキは立ち上がるとアキトの側へと足を進める。
アキトまで二メートルぐらいの場所で立ち止まると、ショウキの方向に仰向けに倒れたアキトの頭を狙って右手のルガーＭＫ２を構えた。
ショウキの顔により一層歪んだ笑みが溢れる。
アキトはその笑みを天地逆さまの光景として見ている。
今までアキトが生きていたのはひとえに防弾処理されたスーツとコートのお陰である。
剥き出しの頭部を狙われればひとたまりも無い。
その光景を見つつ、ユウガオは懸命に鎖を外そうとする。
「んく、くうっ、んん」
ユウガオは無理矢理に解いた鎖を、今まさにアキトを狙っているショウキに向けて放り投げ、同時に走り出した。
アキトに夢中だったためか、鎖は簡単にショウキの右手に絡みついた。
鎖同士の擦れる音と共にその手に持つ銃もまた鎖に絡まりその場に落ちる。
ショウキの顔から表情が消えた。
右手を左手でさすりつつ、横目で鎖の飛んで来た方向を見ると、自分に向かって突進してきたユウガオが眼に入った。
「ちぃ！」
「くっ！」
ショウキがユウガオを撃とうと銃を拾おうとするが、間一髪でユウガオの体当たりの速度が勝った。
ユウガオに弾き飛ばされるも、ショウキはよろめいただけで倒れることはなかった。
そしてユウガオは仰向けに横たわるアキトの元へと急いだ。
すぐさまその首筋に左手を当て脈をとる。
右手はアキトの胸元に置かれていた。
脈打つ感覚を指先に感じて、ユウガオは安堵の表情を浮かべた。
その手の動きはユウガオの背中に隠れて、ショウキからは死角になっていた。
「ふう、良かった」
「俺に…かまうな。 に…逃げ…ろ」
アキトの言葉にユウガオは微笑みを返した。
拒絶の言葉も自分を思っての事であろうことは容易に察することが出来たからだ。
「馬鹿言ってんじゃないの」
ユウガオはアキトの鼻先を指で軽く小突いた。
「貴方は私が絶対に死なせない」
「ユ…ウガ…オ」
そんなユウガオを眺めながら、ショウキの顔は今度は不機嫌そうに歪んだ。
「おい、俺は楽しんでいるんだ。 邪魔をするな」
「そうはいかなくてね」
ユウガオは倒れるアキトを庇う様に立ち上がった。
その足元には鎖が落ちている。
「それほどそいつに惚れているのか？」
「だったら？」
挑むような眼をショウキに送りながら、ユウガオは相手の出方を伺う。
「なら、お前から先に血祭りにあげて……」
言いながらショウキはコートを捲りながら右手を腰に回して引き抜いた。
するとその手には刃渡り三十センチ程の大型のナイフが握られていた。
その鈍く光る刀身が凶悪さを更に増している。
「その死体をそいつに見せながら殺してやるよ！！」
ショウキは躍りかかるようにユウガオに接近する。
一直線に近付いてくるショウキにユウガオは右手を差し出した。
ショウキの眼が大きく見開かれる。
なぜならその手には銃が握られていたからだ。
そう認識したところで銃声が鳴り響いた。
ショウキは後ろへと吹き飛ばされる。
「て…、手前。 いっ、何時の間に……」
うつ伏せに倒れながらショウキはユウガオの兄元にいるアキトを見る。
「そうか、そいつの……、全く…油断のならねえ…女だ…な」
先程ユウガオはアキトの脈を取った時に、懐に吊っていたパイソンを抜いておいたのだ。
動かなくなったショウキを見て、ユウガオは銃を下ろしアキトの方へと振り向いた。
一刻も早く傷の手当てをしなければならない。
ユウガオのアキトを気遣う心、しかしそれが仇となった。
「おい！」
不意に背後から掛けられた声にユウガオは思わず振り向いてしまった。
同時に何かが腹部に当たった感触が伝わる。
視線を下げ腹部を見てみるとそこには一枚の金属の板が生えていた。
ナイフの刃だった。
そして前方を見るとショウキが立っており、その右手には刃の無い大型ナイフの柄のみが握られていた。
「……スペツナズナイフ！？」
連合化される以前からロシアには一つの部隊が存在した。
その任務は当時の敵（西）側諸国の政府及び軍部要人の暗殺や、後方攪乱任務、そして敵核兵器基地や軍の指揮中枢部、エネルギー施設など軍民双方への直接攻撃、空及び海からの潜入を得意とし、戦時の情報収集や破壊工作、偵察である。
現在では表立って公表はされていないが、依然形を変えながらも現存していた。
このような部隊は各地区にも当然のように残されている。
地球規模で連合化されたとはいえ、議会交渉等ではやはり実戦力がモノをいうのは仕方の無いことであった。
そしてSPETSNAZ（スペツナズ）とはロシア語で”特殊部隊”を意味しており、その部隊で使用される暗殺用ナイフが存在する。
それがスペツナズナイフである。
一見するとただのナイフだが柄の内部にスプリングが内蔵されており、スイッチを押すとスプリングで刃の部分だけが飛び出す仕組みになっている凶悪なナイフである。
ショウキのナイフはそれを更に大型化したものであった。
「ユウガオ！」
「そ……、そんな…」
「くたばったと思ったか？ 残念だったな、俺も用意は良い方でな」
ショウキがコートを両手で開けると、その下に着ていた服の胸部に小さな穴が開いていた。
しかしそこから溢れ出るべき赤き血潮は一滴も出現していなかった。
アキトと同様防弾用の装備をしていたのであろう。
だんだんと訪れる腹部の激痛を感じつつ、ユウガオは尚も右手に持つパイソンをショウキに照準を合わせようとする。
だが全身に脂汗を流しながら、震える手と霞む眼のために上手く出来ない。
素早く迫ったショウキはユウガオの持つパイソンを蹴り上げると、音を立てて後方の床に転げ落ちた。
そしてユウガオはその場に崩れ落ちる。
背中に先程の鎖の塊が当たった。
「くっ、ユウガオ！」
アキトは何とか側に行こうとするが、身体が思うように動けない。
それでも無理矢理うつ伏せとなり、引きずる様に進もうとする。
そんなアキトをショウキは面白そうに眺め、次にユウガオに顔を向けた。
「くっくっく、そこでこの男の死に様をよ〜く見てるんだな」
ショウキがユウガオの右横を通り過ぎようとすると、その右足首をユウガオが握り締めた。
「何の真似だ？」
「じゅ…順番が、違うよ。 わ…、私が……、先…だろう？」
ショウキの顔に笑みが浮かんだ。
「ほう…良い女だな。 惚れちまいそうだ」
ユウガオに向き直るとショウキはその側に寄り、スペツナズナイフの柄をユウガオの腹部から突き立てられた刃に再びはめ込んだ。
「ぐうぅぅぅぅぅぅぅ…！！」
炎のような激痛がユウガオを襲う。
震える右手が何かを掴もうとするかの様に空を舞う。
左手は自らの背中に回されて、見ることは出来ない。
突き立てられたナイフは更に深く沈んでいく。
苦痛に歪むユウガオの顔をショウキは舐める様に見つめる。
その状況をアキトはただ見ていることしか出来ない。
「良い顔だ。 このまま俺の手で逝かせてやるよ」
ショウキは一旦ナイフを引き抜くと、ユウガオに馬乗りになりその首筋に刃を当てた。
その鋭い刃のためか、首筋には赤い筋が早くも滲み出している。
それでもユウガオはショウキに向かって挑む様な眼を与えた。
お前には屈しないと言う決意の表れでもあった。
ショウキは腰を折り前屈みになって顔をユウガオの顔に近づけた。
「くっくっく、良いねえ。 本気で…惚れちまいそうだ」
「な…ら、…その返事を……、して上げ…るわ」
顔を歪ませ笑うショウキに苦痛の表情でユウガオは答えた。
「悪いけ…ど、お断…りよ。 もう…決まって…いるから」
ユウガオは右手をショウキの首に回し、上半身を少し起こし、左手をそのこめかみに当てた。
その手にはルガーＭＫ２が握られていた。
「何だと！！」
ショウキは驚愕した。
なぜならその銃はつい先程アキトを撃とうと、自らが所持していた銃だったからだ。
ユウガオは鎖で絡め落とされた銃の真上に自ら倒れたのだ。
「手前っっ…！！」
次の瞬間ショウキの意識は暗転した。
ショウキと言う名の男の人生がここで終わった。
自らの用意した銃によって、自らの生命を失ったのもまた皮肉なことであった。
アキトはようやく立ち上がると、ユウガオの側に歩み寄り、ユウガオの上に覆い被さり絶命しているショウキを退かした。
ショウキの返り血と自らの出血により、ユウガオは紅く染まっている。
アキトはユウガオの右側に膝を着き、その顔を覗き込む。
触れるか触れまいか躊躇するかの様にアキトの指は震えていた。
その時、後方にある作業員用のドアが開かれ、何者かが傾れこんで来た。
「ユウガオさん！！」
日々平穏の面々、即ちサユリ達だった。
本来なら待機している筈のエリも共に来ている。
サユリ以外の仲間達が、ユウガオの周囲に膝を折り座り込んだ。
ユウガオの傷の深さは一目で理解できた。
もう助からないという事を。
それなのにユウガオの顔はどこか満足気にも見える。
「ユウガオさん！ しっかりして！」
ジュンコが叫ぶ。
「死なないで！ 死なないでよ！」
エリが涙を浮かべる。
「ダメ、ダメ、血が、血が止まらないよう」
ハルミが止血を試みる。
「ユウガオさん！ ユウガオさん！」
ミカコがその名を呼ぶ。
「………ユウガオ…さん」
その様子を見ながら、サユリはアキトの背後で立ち尽くしていた。
目の前の出来事が信じられない様に呆然としている。
自分の名前を呼ぶ声に、ユウガオは薄く眼を開けて、周りを見回す。
「ご…めんね。 私…、もう…ダメみたい」
その言葉に力が無いことをその場の全員が感じ取ることが出来た。
最後の言葉になるであろうと悟ったのだ。
「み、皆…、ホウメイさん、私達の…お母さんに…、あんまり心配かけ…ないで…ね」
「ユウガオさん！！」
ユウガオの名前を四人が同時に叫んだ。
四人それぞれに微笑みながら、ユウガオは最後にサユリを見つめる。
「サ…ユリ、皆を…、妹達を…頼んだよ」
「ユウ…ガオ…さん」
サユリの声が震えていた。
そしてユウガオはアキトに顔を向ける。
無事なその姿を瞳に焼き付けていた。
ただ一人、本気で愛した男、テンカワ・アキト。
自分がもう生きられないことが悔しいが、それでも満足していた。
「良か…った、…貴方が…無事で」
「ユウガオ」
「……これで……少しは…ユリカ…さんに…、近づけた…かな？」
「ユウガオ！」
「良い…の、貴方が……生きて…いれ…ば」
「……俺は」
「…好きよ……ア……キ…ト…」
ユウガオの亡骸の側で、アキトはその手を握っていた。
深い傷とは正反対とも言えるほど安らかな死顔だった。
今にも眼を覚まし、冗談だよと告げられそうな顔をしていた。
アキトはユウガオの血で汚れた頬に右手を当てる。
バイザーに隠れたアキトの顔からはその心情は読み取れない。
ただ一筋の涙がバイザーの奥から流れ出て来た。
アキトの背後で立っていたサユリがその手に持つ銃をアキトに向ける。
「あんたのせいだ！ あんたが来なければ！」
サユリの瞳は涙で濡れていた。
悲しみと怒りが混ざり合いながら、アキトの背中を睨んでいる。
激昂がサユリを押し包んでいた。
「ユウガオさんがこんな死に方をすることは無かった！！」
サユリの悲哀は自身の全てに優先された。
引き金に掛けられた指が静かに引かれて行く。
「駄目だよ！！」
ミカコが腕を広げながらアキトとサユリの間に入りその銃口を遮った。
「ミカコッ！？ そこをどきな！！」
「いや！」
ミカコの激しい拒絶がサユリを躊躇させる。
引かれた引き金が少し戻された。
「どうして……どうしてそいつを庇うの！」
「だって！ だって！」
ミカコはギュッと眼を瞑りながら、頭を左右に振ってサユリを押し止める。
「だって、……そんなことしてもユウガオさんは喜ばないよ！ ……悲しむよ」
ミカコの眼からは止め処なく涙が溢れた。
ボロボロと頬をつたい床に落ちて行く。
「ユウガオさんは命を懸けてこの人を守ったの！ なのに、その人を傷つけたら、ユウガオさんに叱られるよ」
最後の方は涙声となりミカコの言葉は聞き取りにくかったが、その言いたいことはサユリにも分かっていた。
アキトを撃っても何もならない。
むしろユウガオの心を阻むこととなる。
分かっていた。
でも、それでも分かりたくなかった。
慕っていた姉が死んだ。
好きだった男を庇って死んだ。
女としては理解できたが、妹としては許したくなかった。
「くっ……うっぅぅぅぅぅぅぅ」
サユリは両手で持つ銃を下ろしてその場に座り込んだ。
涙が膝に落ちている。
アキトはユウガオの遺骸を抱き上げ立ち上がった。
そして振り向いて歩き出すとサユリの側で止まった。
「君になら、撃たれてもいい。 でも少しだけ待ってくれないか？」
サユリはアキトを見上げた。
「先に……弔ってやりたいから」
夕暮れの空が赤い色から闇色へと変わりつつある。
雲の合間からは輝き始めた星々が見え始めていた。
墓標の前に立つアキトとホウメイは静かに刻まれた名前を眺めている。
「それからだったね。 お前さんの名がこの世界に広まったのは」
その言葉を受けながら、アキトは墓標を見つめる。
「別に広げたいわけじゃなかったんですけどね」
「そりゃ仕方ないさ。 事実、お前さんはショウキのいた組織を潰したんだからね」
ユウガオの仇討ちと言えば聞こえは良いかもしれない。
しかしアキトからすれば振り上げた手を下ろすところが無かっただけだ。
結果、ネルガルＳＳブラックサレナの名前を裏の世界に知らしめた。
「ある意味、これが形見になってしまいました」
アキトは懐から愛用の銃、Ｍ１９改を取り出す。
支給時に既にアキト用としてカスタム化されていた物を更に突き詰められた一品である。
そのデザイン等にユウガオのアイデアも取り入れられていた。
アキトは再び懐のホルスターに入れた。
「まだ、気にしているのかい？」
「俺に出会わなければ、ひょっとしたら…」
「あんな死に方をしなくてすんだとでも？」
ホウメイは表情を少し硬くしながら、隣に居るアキトに言葉を投げ掛ける。
「確かにそうだったかもしれない。 でもあの娘は本気だった。 お前さんに出会って、そして自分に生まれた気持ちに嘘偽り無く真剣にぶつかったんだ。 だから…」
アキトは黙ってホウメイの言葉を待った。
「あの娘のためにも、出会った事を悔いる様なことは言わないでやっておくれ」
ホウメイの忠告にアキトは静かに”はい”と答えるしか出来なかった。
潮風が吹いている。
その風はアキトとホウメイの髪を、そして足下に咲くバーベナ・テネラを優しく揺らしている。
眼下から聞こえる波の音が、何故かアキトの心を落ち着かせていた。
ルリはサユリの話を聞き終わると、何も発することが出来なかった。
何かを言うことは自分にはおこがましいとも感じていた。
そんなルリをサユリは労わる様に見つめる。
「これで、おしまい。 長話になっちゃってご免ね」
「いっ、いえ、私もお聞き出来て良かった…です」
ユウガオという人はアキトのことが本当に好きだったんだろう。
自らを犠牲にしてまで、その生命を救おうとしたのだから。
全てにおいて自己犠牲が美談と言う訳ではない。
それは理解できる。
けれども自分自身を懸けてまで行動せねばならない時もある。
そんな時、実行出来るかどうかが難しいことなのだ。
「ユウガオさんが……、羨ましいです」
ルリの本心である。
「私がそんな場面に出くわしたとしても、同じことが出来るかどうか…」
「そうだね。 でも…貴方がユウガオさんと同じことをすることも無いんじゃないかな」
サユリにそう言われて、ルリはその続きを待った。
「ひょっとしたら他にも方法があったかも知れない。 二人とも生き残る手立てがね。 まあ、今だからそんなことも言えるんだけれど」
そんな都合の良いことがそう上手く起こることは無い。
しかしそれでも少しでも努力することは無駄にはならない筈である。
そう信じたい。
相手を想うことはきっと素晴らしいことなのだから。
「さて、そろそろ戻らないと怒られちゃうな」
「あっ、すみません」
「いいわよ。 私も話したかったから」
サユリがそう言うと、この場にアキトが戻って来た。
「あれ？ まだ注文してなかったの？」
「そりゃあ、エスコート役がいないとね。 ホシノさんはここが初めてなんだから」
サユリに揶揄されて、アキトは苦笑しつつ席に着いた。
「それは失礼。 じゃあ、俺が選んでもいいかな？」
「はい、お任せします」
「了解、それじゃ……」
アキトは開かれたお品書きから、注文を始める。
目の前に居るアキトを見ながら、また一つアキトのことが知ることが出来て、ルリはユウガオには失礼ではあるが、少しだけ嬉しく思っていた。
この男と何時まで一緒に居られるかは分からない。
一年か十年か、それとも明日までか。
だからこそ、共に居られる間は同じ空気を共有したい。
だからこそ、アキトのことがもっと知りたい。
考えたくないが、もし別れが来たとしても、アキトの心の中で一人の女性として自分をその思い出の中に残して欲しい。
ルリの正直な願いである。
でも、今はアキトとの食事を楽しもう。
この平穏な時間を感じることにしよう。
ルリはアキトを見ながら、そう思うことにした。
つづく
後書き
どうもイジェネクです。
最初にまず、代理人さん前回感想における御心遣い感謝です。
随分遅くなってしまいました。
もう少し速く形になるかと思ってましたが、申し訳ありません。
オリキャラ、ユウガオの最後は如何でしたでしょうか。
次回からはまた時間が現在に戻ります。
と言ってもその内また過去編を何回かやる予定でして、その時はもう少し上手く書けたらと考えております。
次回をお楽しみに。
代理人の感想
読み終わったときに思わずふうっ、と息をついてしまいました。
没入して読んでましたね。
やっぱり、お話ってのは人を惹き付けてナンボですなぁ。
感想？ 面白かったに決まってるじゃないですか。