機動戦艦ナデシコ

魔剣士妖精守護者伝

第7話 蛍石との邂逅

 


前回より二週間後の12月15日。
龍一とウィルは、反地球連合組織摘発を(表の)目的とした、地球連合治安維持部隊グリプスの部隊と
共にカンボジア・ラオス国境付近にいた。
あの後無事に保護されたペリドットからの情報により、この地にクリムゾン系の大規模な
研究施設がある事が判明したのだ。
かの地は未だ政府の主権が届かない無法地帯である為、こクリムゾンもこの様な無茶が
出来たのだが、本来主権を有している政府は大変疎ましく思っていた。
故にグリプスの研究施設への攻撃に対し、極秘裏だが協力を快諾した。

ちなみにグリプスの本来の職務は、反地球連合組織の摘発と鎮圧である。
その為、この地に反地球連合組織が存在するとしたグリプスは部隊を動かす大義名分を得、これもまた
相手に気付かれない様極秘裏にだが、正式な作戦行動として部隊を出撃させる事が出来た。
(ちなみにこのグリプスによる反地球連合組織認定は、半ば将明の判断に拠る物で
ある。勿論、地球連合政府及びICPOによる認定もあるが、グリプス――将明の認定は
これらの組織の認定と同じ公式な扱いを受ける)


それほどまでにこの組織は強力な権限を与えられているのである。





















二週間前・地球連合軍横須賀基地、取調室――――――

「はい。それで何とか貨物に紛れてジョウナン島……だったっけ? そこに辿り着けたんです」
「そうなの。よく辿り着けたわね……。そこから大将閣下にメールを送ったのね」
淡いクリーク色を基調とした取調室で、ペリドットはグリプスのウェーブ(女性兵士)から事情聴取を受けていた。
龍一達と無事に接触出来たペリドットは、即座にこの極東最大の海軍基地に身柄を移送され、入念な
健康診断の後、若干の休憩を置いてこの事情聴取に望んだ。


ちなみに彼女の健康状態は、若干の疲労が診られるものの、それ以外はすこぶる良好だった。
一般的に虚弱体質が多く、免疫その他の身体維持機能が常人に比べかなり劣っているマシンチャイルド。
彼女――ペリドットはどうやら、その一般的なマシンチャイルドの範疇に含まれない変異体らしい。
体の頑健さが健全者のそれとほぼ同レベルだったのだ。


『はい。けどここの地理に詳しくなくて。それにあの人達も迫って来てるって解ったから大急ぎで……』
「しっかし、ちーと体が丈夫なだけで異常扱いか、マシンチャイルドって」
「それはそうだろう。彼女らは、本来人間が持つべき健康で健全な体と言う物を
犠牲にして、初めて高度な情報処理能力を得たのだからな。MCの虚弱体質は、人間のキャパなど
案外大した物では無い事を示す良い実例だ」
備え付けのテーブルの上に、ウィルはペリドットの健康診断の結果を置いた。
ウェーブがペリドットの話を聞いている取調室の隣の部屋で、龍一とウィルはマジックミラー越しに
彼女らの様子を覗っていた。
全体的に落ち着ける淡い色合いのこの部屋は、備え付けの机とその周りに置かれたパイプ椅子の
お陰で実際より狭く感じられた。
「瑠璃も体が弱くて病院通いが日課だろ」
「ま、な。それに色んな薬も飲んでるな」
「俺も常用薬あるけど」と言いつつ、龍一は自分とウィルのコーヒーをカップに入れる。
「お前の場合は後遺症だ。基本的には異常ともいえる頑健さを誇るのだ。彼女らとは根本が違う」
ウィルは龍一からからコーヒーを受け取る。
「何だそのコーヒーは? ミルクを入れすぎだ。ブラックが大原則だろうが」
「るせぇな。俺はこうでなきゃ飲めないんだ」
龍一の、ミルクとコーヒーを1:1の比率で入れたコーヒー、と言うよりコーヒー牛乳にウィルは眉を顰める。
「逝印の紙パックでも買って来い」
「めんどいんだよ。それにこっちの方が自分好みの味に調節出来る」
「ガキ舌め」
「うるせ」
そう言い合いつつ、龍一は自作のコーヒー牛乳をグビグビと飲む。
「リオの奴はもう帰ったんだろ?」
彼とは逆にゆっくりと飲んでいたウィルは、先の騒ぎで負傷した龍一の義弟の事を口にした。
「ああ。2、3発どつかれて袋叩きにされたけど大した怪我じゃなかったよ。アイツも丈夫だ」
龍一はカップを置きながら言う。どうやら全部飲み干したらしい。
「ふむ、そうか」
プラスチックを思わせる無機質な声でウィルは答えた。


『そう。貴方の他にもまだ大勢……』
『はい。お願いです! 皆を助けてください! 場所は……』
『ええ。私達は皆そのつもりよ。だから落ち着いて、ね』
それから暫くして、ペリドットはウェーブとの話が一段落し、興奮した様子で研究施設についての
詳細な情報を話し始めた。
「ゲロし始めた」
「取調べじゃないんだからその表現は違うな、龍一。一緒に捕まえた馬鹿共ならともかく」
相変わらず取調室の隣の部屋からマジックミラー越しに見ていた龍一とウィルは、ドカッと椅子に
座りながら煙草に火を付けた。
「しかし、よくこの基地の設備が使えた物だ」
灰皿に葉巻の灰を落としつつ、ウィルは口を開く。
「あ?」
「彼女――ペリドット嬢を保護しようと動いたのは、宇宙のグリプスだ。しかし今彼女の身柄があるのは
ここ横須賀。東アジア方面軍の本部だ。これがコロニーの宇宙港だったらそれはもう全然理解
出来る。コロニー守備艦隊は全てお前のお父上――おじさんの指揮下だからな。ってこちらが本来の
役職だったか」
ウィルは葉巻を灰皿に置き、腕を組んだ。
「東アジア方面軍も何らかの形で関わってるんじゃね? 別に仲悪いって訳でも無いし」
と言った龍一は、言葉の後に「親父の強引なゴリ押しかもナー」と付け加えた。
「そんな単純な問題かね? 俺にはもっと裏が有るように思える」
龍一の言葉にこう反論するウィル。
「そりゃ難しく考えすぎだって……って、終わったみたいだ」
「東南アジア――それもカンボジアとラオスの国境付近か。納得できる場所だ」
ウィルは葉巻を燻らせた。
「彼女が言っていたのは、入念な襲撃計画が練られる位に詳細な情報だ。こちらとしては
万全の準備が取れる訳だ」
「よく聞いてたな、お前」
龍一は少し呆れ顔だった。





















12月15日、カンボジア・ラオス国境付近――――――

二週間前のペリドットの証言の元、この地にあるクリムゾン系列の研究施設の制圧に乗り出したグリプス。
作戦は滞り無く進み、施設の地上部分を瞬く間に制圧。
今は重要ブロックが集中する地下部分へと部隊を進めていた。


「あいも変わらず、仕事が速いよこの隊は」
研究施設の地上部分を完全制圧した後、機密データや書類を確保する為に降下した工兵部隊と行動を
共にしている龍一は、ロビーと思われる場所でこう漏らした。
今の格好は、いつものモスグリーンの軍用コートではなく特殊部隊用のコンバットスーツである。
「元々突入前に電子的な制圧をあらかた済ましていましたから当然の結果ですよ」
龍一の隣を歩いていた工兵部隊の隊長、島田剛史大尉の声だった。
無精髭を生やした、厳つい面持ちをした中年の日本人男性である。
「あの例の保護されたお嬢さんのお陰ですよ。あそこまで詳しいデータがあって本作戦の様な結果が
出せないのでは、無能どころの騒ぎではありません」
そう言う島田大尉の表情は余裕に満ちている。
彼はは、幾多の作戦行動に参加した古強者である。
その彼がこの様な表情を見せるぐらい、今回の作戦は楽な物らしい。
「しかし、です」
島田大尉は龍一の目を真剣な表情で見た。
「どんな戦場でも油断は御法度ですぜ、坊ちゃん。どんな戦場でも油断したら死にます」
ストレート、故に強烈な言葉。
その言葉の中に含まれるであろう島田大尉の鮮烈な経験を感じ取り、龍一は忠告を心に刻みつつ
頭を下げた。

「無骨ながら良い造りだ。以下に巨大でも企業体だけでこんな物を造れるとは思えん。どこかしらの
国家が絡んでいるのかもしれん」
龍一の後ろから聞こえたこの冷淡な声は、周りをジロリと見回すウィルの物だ。
一目で高級品と解るスーツとコートを完璧に着こなした場違いなこの男もまた、工兵部隊と共に
この研究施設に降りていた。
「地下の制圧も時間の問題らしいな。我々も行こうか」
そう言いながら地下に足を向けるウィル。
「ここのマップは支給のPDAに入っているだろう? 行くぞ」
と彼は龍一の返事を聞かずに、地下へと続く階段に向って歩き出した。
「貴方なら安心です。坊ちゃんをお願いしますよ」と言う島田隊長の声に手を上げながら
答えつつ、ウィルは地下へと降りて行く。
龍一は部隊標準装備の突撃小銃であるAK系列の最新モデルであるAK180(AD2180採用)の安全装置を
確認しながらウィルの後を追った。





















研究施設、地下通路――――――

研究施設の地下通路に降りた龍一とウィルは、PDAのモニターを確認しながら非常灯が灯った
薄暗い通路を走っていた。
通路はケーブル類等が寸断されているらしく、所々から火花を散らしている。
PDAのモニターには、施設のマップと、青い点と赤い領域が表示されていた。
青い点は味方、赤い領域は敵の推定勢力範囲だ。
21世紀初頭に確立した、ソリトンレーダー技術の発展系である。
「敵の勢力範囲、ドンドン狭まってきてるぞ」
龍一の言葉が示す通り、PDAのモニターの敵推定勢力範囲は速いペースで狭まっていた。


この様な事が解るのも、ソリトンレーダーと、リアルタイムで情報を共有する各PDA間の相互通信技術
の賜物である。
この構想に似たものは、20世紀末のTVゲーム内で表現されていたり、米陸軍の陸軍デジタル化計画
フォース21において実験されていたが、本格的に実用化したのは21世紀に入ってからの事だった。
実用化され、更なる改良が2世紀近く加えられ続けたこの技術は、特殊作戦行動のみならず
屋内戦闘には無くてはならない基本的な物の一つとなっていた。


通路を走っていた龍一とウィルは、素早い動きで物陰に身を隠す。
その直後、彼らが今まで居た場所に銃撃の雨が降り注いだ。
「ここは既にこっちの勢力範囲じゃないのかよ!」
「あくまで『推定』だと言う事を忘れるな」
ウィルは目を閉じ神経を集中しつつ、怒鳴る龍一に冷静な言葉を返すと、流れる様な動作で得物であり
相棒でもあるコルトパイソン357マグナムを胸のホルスターから抜き出した。
当然、サプレッサーも装備されている。
「連中、銃の扱いがなっとらん。これではせっかくのMP−5が泣くな」
龍一も、腰のホルスターからサプレッサーを装着したH&KUSPハンドガン(45口径)を抜いた。
「調教し直すのか?」
龍一は物陰から相手を覗き込みながら口を開く。
「それはお前の方が先にした方が良いかもな。二丁拳銃なぞカッコつける為だけのモノだと何度言ったら」
その言葉はさらに強まった銃撃によって掻き消される。
「四、五人ぐらい居るな」
「五人だ。相手との距離は7m。物事は正確に判断しろ」
目を瞑って集中していたウィルは龍一の憶測を否定した。
「ニアミスじゃん、俺」
「やかましい。4秒後に弾切れだ。突っ込め」
それを聞いた龍一は右のUSPハンドガンをホルスターに収め、左腰に帯刀していた刀を右手で抜く。
その動きは、拳銃のそれよりも遥かに洗練されたモノだった。

銃撃が止んだ。

「行け!」
ウィルの声と共に、龍一は突撃した。
敵との距離は7m。
一足刀とは言えないが、敵がリロードし終わるまでには十分届く距離だ。
「ッ!!」
敵の警備員もその事を悟った様で、この刀を構えて突っ込んでくる青年を迎え撃つべく、前衛の三人は
持っていたサブマシンガン、H&KMP5を床に投げ捨てると同時にナイフを構えた。
「うるぁ!!」
腹の底から出した掛け声と共に、龍一は右手の刀を一気に振り下ろす。
警備員は咄嗟にナイフを掲げて受け止めようとするが、そのナイフごと自身の脳天をかち割られた。
警備員の脳天をかち割った龍一の刀は、そのまま腹までめり込む様に切り裂いて止まる。
生暖かい血が、龍一の手と、顔と、体を濡らした。
「ッ!」
「何ッ!」
つい今し方目の前で起きた光景に他の2人の前衛達は一瞬動きを止める。
「ガァ!」
その瞬間、龍一は雄叫びを上げながら今斬った男を残った前衛達の内の一人に向って
蹴り飛ばし、左手のUSPハンドガンを構えた。
サプレッサーを装着した時独特のくぐもった発射音と共に、もう一人の男の頭が吹き飛んだ。
龍一に蹴り飛ばされた無残な遺体を受け止めた男は、ナイフを翻しながら彼に襲い掛かる。
それを感じ取った龍一は、刀を男の首筋に向って薙いだ。
白刃が男の首筋に飲み込まれたと同時に、男の首が吹き飛び、バランスを崩した体は床に倒れ込んだ。
刀に付いた血を払いながら、龍一は残った後衛を見る。
そこには既に弾丸の再装填を完了し、サブマシンガンを構える男が二人。
龍一は相手の懐に跳び込まんと姿勢を低くし刀を構える。
その刹那の後、やはりくぐもった音と共に男達の頭がほぼ同時に吹き飛んだ。
ウィルである。
「見事見事。援護の必要を感じなかったよ」
腰溜めに構えていたコルトパイソンをホルスターに納めつつ、やはり何時もと変わらない冷淡な声。
龍一は今更ながら出てきた冷汗を拭いつつ、「そんな事はねぇ」首を横に振った。


「廃棄処理場?」
「そうだ。何やらビンビンと気配を感じる」
再び通路を走りながら、龍一とウィルはそんな言葉を交わす。
「それって何かヤバいんじゃ? 俺ら以外誰も近寄ってないぜ」
と、龍一はPDAの画面を掲げる。
「供養は出来るだけ早い方が良い」
ウィルはそれだけ呟くと、後は無言で支給されたガスマスクを装着した。
「どう言う事だオイ」
その龍一も、なぜウィルがガスマスクをしたのかだけはすぐに理解できた。
閉ざされていた隔壁を非常用スイッチで解除した途端、凄まじい悪臭が漂っていたからだ。
龍一は、あまりの臭いに顔を顰めつつ手早くガスマスクを装着すると、既に先に進んでいたウィルの後を追った。


廃棄処理場はもうすぐそこだった。
非常灯と壁のパネルだけが灯った薄暗いこの場所は、その名前の所為もあるのか、龍一は近付くに
つれどんどんと空気が澱んで行くのを感じていた。
(あまり長居したくねぇ場所だ)
澱みだけではない。
背筋が冷たくなり、悪寒めいた物が走る。
そして龍一は、今自分が感じているこの生理は信頼出来る物だと知っていた。
「だからこそ、供養してやらねばならない」
その龍一の様子に気付いたウィルの言葉が響く。
その言葉は、龍一にこれから自分達が突入する場所が、今まで自分がなるべく考えない様にして来た
最悪の可能性、人体実験被験体の処理場である事を半ば強制的に悟らせた。
「……『読んだ』のか?」
「いや。『読まず』とも解る。意識して防がなければ、思念が入って来る位だからな。実験を受けていた人間が
どういう気持ちだったかすら解ってしまう」
だがウィルの声は、いつもと同じく無機質を思わせる物だった。
「準備は良いか?」
龍一は「OKだ」とAK180を挙げた。

「刀構えて突撃するより、それ連射しながら突撃した方が良かったな」
「うっさい。抜刀突撃は漢の浪漫じゃ」
「西南戦争にでも逝って来い」




















廃棄物処理場――――――

その内部は、地獄であった。
「非道ぇ」
あまりの光景に龍一は顔を下に向ける。
ウィルはこの様に、かつて閲覧したアウシュビッツ強制収容所の写真資料を思い出していた。
(となると、我々は収容所を開放した露助か?)
程無くして落ち着いたのか、龍一は手を合わせ「南無阿弥陀仏」と唱えながら辺りを見回した。
「確かに、供養が必要だよな。誰だって、こんな所で死にたく無ぇよ……」
その怒りとも、恐れとも知れない感情を孕んだ声は、どこか自分に言い聞かせている様でもあった。
「死者を鎮める為に経を唱える位なら今の俺達にも出来る。それにこういうのは早い方がいい」
ウィルも手を合わせながら言った。
通路と同じく非常灯が灯った薄暗いこの場所には、所狭しと廃棄された被験者達の成れの果て
が打ち捨てられていた。
老若男女区別無く無残に打ち捨てられた遺体は、白骨化したものもあれば、未だ腐乱途中のものもある。
腐り切った体液が滴る床を踏み締めながら、龍一は少年だった遺体の前に立ち手を合わせた。
マスクの上からではその表情は窺い知れなかったが、肩が若干震えていた。
ウィルは努めて龍一を『読まない』様意識しながらコミュニケに連絡を入れた。
「廃棄物処理場で被害者達を多数発見。生存者はいない様だ。現場検証の為の人員を遣してくれ」


現場検証をする為の人員が分隊規模で送られてきたのは、それから少し後の事だった。
やはり彼らも先の二人と同じく、あまりの光景に思わず顔を伏せながらも現場検証を開始した。

この研究施設の占領は、ほぼ完了していた。











「ペリドットの仲間達、ヤベェかな?」
「彼女はマシンチャイルドだ。あそこの被害者達とは扱いが違うと思うが」
「それでも、だ。いや、それなら尚更だ!」
現場検証を後から着た分隊に任せ、龍一とウィルは制圧が完了していない最後の区域である中央培養槽
へと向っていた。
あいも変わらず薄暗く殺風景な通路が続く中、龍一はつい先程見た地獄の様な光景を思い出しながら
未だ囚われているだろうペリドットの仲間達――龍一は自分の経験からそう認識している――の
安否を不安がった。
ウィルの言葉はもっともだったが、自身の経験からか彼にはどうしても無事で居るとは思えなかった。が、
「マシンチャイルドは貴重だ。みすみす使い潰す真似はせんだろ」
そんな自分の前を走っている男から発せられたのは、いつもの冷淡さの中に言い知れぬ冷徹さを滲ませた声。
「致命的な障害は無いだろうな」
何らかの身体的、あるいは精神的傷害を負っている事を前提とした考え。
ウィルの言う『無事』とは、龍一の考える『無事』とは違う。
「お前もそう至ったろう? 嫌悪感か希望か……。どちらにせよそういった感覚でモノを見ん方がいい」
その言葉だけは、いつもの冷淡さだけだった。






















中央培養槽――――――

研究施設最深部に位置するこの区域は、もっとも警備が厳重な区域である。
電源その他のシステムは、研究施設本来のそれとは完全に独立しでおり、緊急時には避難場所
としても使用出来た。
そして、今現在も主要な研究者や施設職員など、脱出に失敗した人間達がシェルター代わりに
立て篭もっていた。

なお、研究施設から脱出しようとした人間達は、一人残らずグリプス及びこの地に極秘裏に展開していた
カンボジア、ラオス両国軍に摘発ないし射殺された。

その中央培養槽の入り口であるシェルターを思わせる扉の前に、制圧部隊と共に彼らと合流した
龍一とウィルが、内部を制圧せんと突入のタイミングを計っていた。
既に扉のロックは解除されており、後は隊長の号令を待つだけ、と言う状況である。
「坊ちゃん方、ご苦労様です」
施設制圧の原動力となった先発突入部隊の副隊長は、龍一とウィルの姿を確認するなり
労いの言葉を掛けた。
「いやー、そんな事無いっすよ。俺らはただ後ろから付いて来ただけで」
「そんな事はありませんよ。部隊の連中の士気もかなり揚がりましたからね」
その言葉に照れ臭そうに頭を掻く龍一に、副隊長はノンノンと指を振った。
「中尉、中に引き篭もった連中は?」
「あ、はい。研究員が主ですね。それ以外の非戦闘員――施設職員は、地上部制圧の時に
投降しています。警備部隊はほぼ全滅です」
「逃げた連中は?」
「外の連中が確保しています」
「了解した」
ウィルは、極めて事務的に立て篭もった連中についての確認を取ると、中央培養槽の扉の
前に立ち、手を置き集中する様に目を閉じた。
突入部隊の隊員達はその様子を見守る。
五秒程の間を置いて、ウィルはその場を離れ、口を開いた。
「職員が十人。研究員は十五人。乱立した水槽と、その中に入れられた被験者と思しき者が多数。連中は
武装も無く、皆怯えて抵抗も出来そうにない。以上だ」
「総員、突入準備! 誰一人として抵抗は無い。出来る限り発砲は抑えろよ」
ウィルの言葉を聞いた隊長は即座に号令を掛ける。
隊員達は直後に来る命令に備え、アサルトライフルの安全装置を外し、意識を警戒時のものから戦闘時の
それに切り替える。無論、龍一とウィルもである。
「突撃!」
隊長の腹に響く号令と共に、中央培養槽の扉が開いた。


内部の制圧は、ウィルが言った通り何の抵抗も無く呆気無いほど簡単に終わった。
それまでの通路とは違い、乱立した水槽と、いたる所に設置されたモニターが照らし出す
中央培養槽内部は、薄緑の光で染まったガラスの林そのものであり、その体育館並みの巨大さも相まって
薄暗く不気味な場所だった。
それでも、先程見た廃棄物処理場の光景に比べたら遥かにマシである。
龍一は右手に大き目のバスタオルを持ちながら、落ち着きを持って辺りを見回した。
入り口からは、ここに立て篭もっていた研究員や施設職員が手錠、腰縄、足枷を掛けられ連行されていた。
中でも研究員はボロボロになった者が何人もいた。
龍一や、廃棄物処理場の報告を聞いていた隊員に袋叩きにされた連中だった。
自分では落ち着いていたつもりだったが、彼らを目にした時に瞬間的に感情が爆発してしまったのだ。
他の隊員達が止めていなければ、そのまま殴り殺していただろう。
連行される彼らから視線を離した龍一の目に、乱立している培養槽が映った。
中に入れられた被験者達は皆年端も行かない子供達である。彼らがペリドットの仲間達なのだろう。
今彼らはウィルの指示の元、培養槽から助け出されている最中だった。
助け出している隊員達は、龍一と同じようにバスタオルで彼らの体を拭いていく。
手伝うつもりだったが既に仕事が無くなりつつあった。
邪魔しちゃいけねぇ、とその場を離れようとした龍一は、培養槽郡の奥に隠れる様に扉がある事に
気が付いた。
「なんだありゃ?」
その扉の奥に人の気配を感じた龍一は、そうっと扉を開けた。


中は意外とこじんまりとした部屋だった。
少々狭苦しさを感じさせる2,5m程の天井の部屋の中央には、その部屋の半分を占有する
巨大な培養槽が設置されていた。
「女、の子……」
その培養槽の中には、十歳前後と思しき小柄な少女が入れられていた。
黒髪でおかっぱのこの少女は、笑えばとても愛らしいだろう。
だが、この少女は怯えていた。
その小さい体を可哀想な位震わせて怯えていた。
「俺達はお前を助けに来たんだ。もう何も酷い事はされないんだ」
龍一は努めて優しく言ったが、言ってから意味が無い事に気付いた。
「聞こえねぇだろ、オイ」
そんな自己ツッコミをする、いつもの研究員とは違うちょっと顔の怖い変な青年に、少女は怯えとは
また別の怪訝な表情をした。
「ああっ、だから。どうすりゃこの子をここから出せるん……っ! あ……」
不意に『何かが自分の中に入ってくる』感触に、龍一は頭を抑えた。
この感覚は、別に慣れ親しんだ訳ではないが感じた事はある。
だから彼には解った。
「お前、心が読めるんだな」
そういった人間に、何人か会ったことがあるから。
「あ、大丈夫だって解ったろ? 俺は顔は怖ぇけど悪人じゃ無いっぽい」
そんな龍一の心を読んだ少女は、もう怯える事は無かった。
龍一が、咄嗟の機転で読まれてはいけないものを覆い隠せたからでもある。
「待ってろ。今出してやるからな」
少女が自分を信用してくれた、と判断した龍一は少女を救い出すべく培養槽の前に設置されている
コントロールパネルを弄り出す。
幸いな事に、説明書らしき物がパネルの上に置かれていた為、スムーズに彼女を培養槽から助け出せた。

「もう大丈夫だぞー」
水槽から助け出した少女を龍一はバスタオルでわしわしと拭いてやる。
少女は思いのほか気持ち良いのか、嬉しそうに目を細めていた。
「これでよし、と」
あらかた拭き終わり龍一は少女の正面に回ると、彼女を包む様にバスタオルを掛けた。
「あっ……」
少女は名残惜しそうに龍一を見上げる。
「うし……えっ?」
その少女の瞳の色は金だった。
そういえば少女の体の色は病的なまでに白いし、手にはIFSコネクタまである。

この少女はマシンチャイルドなのだ。

少女は、急に動きを止めた龍一を怪訝そうに見つめる。
「何でもね。何でもねぇぞー」
その様子に気付いた龍一は、少女の頭を撫でた。
少女は気持ち良さそうに目を細める。そんな少女に龍一は頭を撫でながら優しく聞いた。
「俺の名前は山下龍一って言うんだ。お前の名前はなんて言うんだ?」
少女は答えない。別段言葉が解らない訳でもないだろうが、彼女は答えない。
「名前、解るな。自分の名前だ。ワットアーユーネーム?」
日本語では通じないと考えた龍一は、自身でも嫌になるほど拙い英語で聞く。
それでも少女は答えず首を捻っただけだった。
「ま、言いたくないんだったら良いんだけどよ。事情聴取の時は、ちゃんと言うんだぞ」
そう言って頭にポンポンと手を乗せて立ち上がろうとした龍一の服を、少女はぎゅっと掴んだ。
「ん? どした?」
「……いの」
何やら語りかけてくる少女に耳を傾けるべく、龍一は彼女の目線に合わせて座り直す。
「ないの……」
「無いって、何がだ?」
まるで搾り出す様に呟く少女を、龍一は優しく促した。
「名前が、ないの……」
「――――っ!」
なるほど、答えられない筈だ。龍一は自分の迂闊さに内心舌打ちした。
「そっかー。そうなんだ。ごめんな、兄ちゃんこんな事聞いちゃって」
龍一は頭を撫でながらそう言った。
「何であやまるの?」
「んー? だってさ、俺辛い事聞いちまったろ? だからだよ。ごめんな」
少女は龍一に何やら悪い事をしたと感じていた。実際はそんな事は無いのだが、少女はそう感じてしまった。
故に、こんな言葉を言った。
「ここの人達からは124-Hって呼ばれてた」
それを聞いた龍一は、いよいよ顔を歪め首を振りながら、少女の小さく暖かい体を優しく抱き締めた。
「そんなの、名前じゃねぇ。名前じゃねぇんだ」
その声は何処か悲しく、少女はやはり自分が悪い事をしてしまったのだと強く感じた。
「そうじゃない。お前は何も悪くないんだ」
それを察したらしい龍一の言葉。彼が時折見せる、非常に鋭い洞察力の発露だった。

少女を抱き締めていた龍一の目に、研究員が残していった物だろうか一つの鉱石が留まった。
「どうしたの?」
少女はよじよじと身をよじって龍一が見ていた方向へと向く。
「わ、きれい」
少女の言う通り、その鉱石はとても美しかった。
「蛍石?」
龍一は、その鉱石が蛍石だと解った。昔レナードに付き合わされその手の本を読まされた成果である。
少女は魅入った様に蛍石を見ている。
その様子に龍一は苦笑しつつ、とある事を思い付いた。
「……名前、お前の名前。蛍ってのはどうだ?」
自然と笑いながらそう言えた。
未だ龍一の腕の中にすっぽりと収まったままの少女は、キョトンとした顔をして、そして龍一の
方へ向き直ると微笑んだ。


「ありがとう、お兄ちゃん」


この瞬間、龍一の中のシスコンメーターが一気に振り切れてしまった。








後書き

今回ちょこっと出てきたAKですが、伝統をちゃんと受け継いだ非常に頑強で高性能なアサルトライフルです。
この系列のライフルは、ライセンス生産も含め世界で1億丁以上存在すると言われる一番多い重火器です。
その秘訣は、とにかく安くて丈夫でどんな環境でもバッチリ作動(旧ソ連製は皆そうだ)。その上簡単で
ちょっとした訓練だけで子供でも扱える、と言う用兵上素晴らしく有用である為です。勿論、肝心の突撃小銃
としての性能もそれなりの物です。
その為、世界の紛争地域で使われまくられる事になりましたが……(余談ですが、開発スタッフ宛てに山ほど
恨みの手紙が来たそうです)。
それとは逆に、米軍正式採用のM-16系統は、性能自体は良いのですが厳しい環境にはかなり弱い様です。
(先のイラク戦争では、故障が続出。押収したイラク軍のAKを使っていたらしい)。

それは置いといて。

「お兄ちゃん」
この一言でメーターが振り切れる龍一は、もはや問答無用言い訳無用なシスコンです。
どんどん変態になって逝く!


もう種ぽ


感想代理人プロフィール

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代理人の感想

・・・・落ちがこれかいっ!(笑)

しかし、独自の判断で作戦行動を起こせるなんてまるでロンドベル並だなぁ。

下手打ったらいきなりクーデター起こされそうだw。